朝ドラの「ばけばけ」も、もう間もなく終わりになります。「あんぱん」に引き続き、半年間、毎朝楽しませていただきました。製作に関わった多くの人に感謝申し上げます。このドラマは、明治初年からの日本が、近代化を目指して闇雲に突き進んでいた時代にも関わらず、平凡な庶民の暮らしがほのぼのと描かれた珍しい作品です。数年前に起こったであろう「戊辰戦争」も、士族の反乱も、日清戦争や日露戦争も描かれてはいません。もちろん、それを無視しているわけではないでしょうが、島根県「松江」という地域性や主人公が生きた時代や生活圏の「ズレ」みたいなものが、直接的に時代の大きな出来事に遭遇しなかったとも言えます。そして、「お雇い外国人」として来日した「ラフカディオ・ハーン」(後の小泉八雲)も、そんな時代に日本にやって来ました。「松江」という城下町は、日本の中でも少し特殊な地域です。「古事記」を読み、神々が宿る「神話の国」というイメージは、まさに、この「出雲地方」にこそ残されていたと思います。ドラマとはいえ、こうした「日本の原点」に触れるような作品は、これからの日本人には必要なのではないか…と思いました。「古い価値観」は、けっして「悪」ではありません。そして、「新しい価値観」が必ずしも「善」ではないのです。どちらも、その時代に日本人が創り上げてきた「価値」であり、その価値が、社会を創っていく源なのです。
「小泉八雲」が、日本で再評価されたのは、大東亜戦争の敗戦後、日本に来たGHQの幹部によってでした。GHQの情報将校だった「ボナー・フェラーズ准将」が、日本人の心理を読む解くために手にしたのが、八雲の著作だったのです。戦争中、アメリカ国内では日本への憎悪を煽り立てるために「日本人=凶暴な猿」といった人間扱いしない報道が多く為されていました。軍に入隊した新兵たちには、「ジャップ!」「イエロー!」「モンキ-!」という言葉を遣って敵愾心を植え付け、「日本人は、地上から抹殺してよい民族だ!」と教えました。そして、そうした風潮は、軍の高官にも及び、海軍の猛将、「ハルゼー大将」などは、日本人を徹底的に憎悪し、常に顔を紅潮させて「KILL、JAP!!」と叫びながら、日本軍との戦いに望んだと言われています。実際、戦闘ともなれば、それくらい闘争心が湧かないと戦えなかったのでしょう。日本でも「鬼畜米英!」を子供にまで教え込んでいましたから、戦争というものは、「人間性」を破壊しなければできないことなのかも知れません。しかし、戦争が終われば、人々には普通の暮らしが戻ります。そのときに、どれだけの人が、良識ある「人間性」が取り戻せたのでしょう。
日本を占領したアメリカ軍のマッカーサー率いる「GHQ」のメンバーにも、真面な人間性を取り戻せないまま、占領政策に携わった軍人が多くいました。逆に言えば、「真面な人間性」は、当時のアメリカ軍内では、不要なものだったのでしょう。日本や日本人は、ずっと「憎悪の対象」であることが、彼らの価値観に合致していたのです。そんなGHQ内部では、戦争に敗れた日本は、世界から抹殺してもよい国だったのです。それが、彼らの正義であり、それを実行することが自分に与えられた任務だと考えていました。こうした狂った人間と狂った組織の下で、日本の「占領政策」は始まったのです。そして、多くの幹部が「日本を解体すべし!」と叫ぶ中で、情報将校の「フェラーズ准将」だけは冷静に日本を分析していました。彼を覚えている人がどのくらいいるかわかりませんが、もう、10年以上も前に公開された映画「終戦のエンペラー」の主人公になった人物です。フェラーズは、戦前から情報将校として活躍した軍人で、日本の「研究者」でもありました。そして、八雲の著作から、日本人がアメリカ人が思うような「凶暴な野蛮人」などではなく、「歴史や伝統を重んじる優しい民族」だということを知っていたのです。
彼は、GHQ内部にある「天皇制解体論」を危険な考えだと考え、GHQの最高司令官であった「ダグラス・マッカーサー大将」に助言したと言われています。当初、マッカーサーは、本気で天皇を退位させ、諸悪の根源である「天皇制」を破壊しようと考えていました。しかし、実際に昭和天皇に会ってみると、当初考えていた人物像とは異なり、「立派な紳士」であることに気づかされたのです。そして、天皇が「敗戦の責任は自分にある」と明言されたことで、マッカーサーは迷いました。そのとき、フェラーズは、「日本を平和裡に統治し、後々、アメリカの同盟国として役立てるには、天皇を法廷に出してはいけない…」ことをマッカーサーに直言しました。マッカーサーという人物は野心家の政治家です。いずれは、日本統治を手土産に本国で「大統領選」に出るつもりでいました。そのためには、なんとしても「日本占領」を成功させなけれななりませんでした。そこで、既に敵と見做していた「ソ連」や「中国」の思惑を無視することで、「日本の王は、自分だ!」ということを見せつけようと考えたのです。そこで、マッカーサーはフェラーズの意見を採り入れ、日本人を自分の味方につける戦略を考えたのです。結果、天皇を訴追することを断念し、その代わり「日本国憲法」を日本政府に受け入れさせました。この「憲法」がある限り、日本はアメリカの「意のまま」になると考えたのです。
しかし、この「フェラーズ准将」が「小泉八雲」という日本に帰化した外国人作家を思い出してくれたことで、世界中に「日本再発見」の機運が生まれました。また、敗戦後の日本人も「ラフカディオ・ハーン」というイギリス人が、日本国籍を取って「小泉八雲」となり、日本文化を世界に発信していた歴史を知りました。そして、多くの歴史学者が「日本という国」をもう一度研究してみようと思ったのです。戦争が終わると、数年間は興奮状態にあった人々も少しずつ落ち着きを取り戻し、冷静になっていきました。戦争中の数年間「日本憎し」で凝り固まっていた人々も、終わってみれば、日本は壊滅状態にあり、「原子爆弾」を投下した「ヒロシマ・ナガサキ」の悲惨な状況を眼にしました。軍や政府は、相変わらず「原爆投下は、戦争を早く終わらせるために必要だった…」という公式見解を繰り返しましたが、本気でそれを信じる国民は一部だってだでしょう。多くの国民は違います。自分たちだって「戦勝国民になった…」と喜んだのは一瞬で、その後には、厳しい生活が待ったいました。戦争によって「税負担」は重く生活にのし掛かり、社会は不景気になりました。復員してきた兵士からは、戦いの実情を聞かされました。町には「戦争遺族」がたくさんいます。だれもが、戦争を振り返り、自分たちが政府やマスコミによる「戦争熱」に煽られていたことに気がつくのです。
このころになると、政界では、「レッドパージ(共産主義者追放運動)」が起こりました。アメリカ政府や軍内に「共産主義者」が多数入り込んでおり、彼らによって政治が操られていたことが問題になっていました。味方だったはずの「ソ連」は、日本が敗れるとすぐに「敵意」をアメリカに向け、勝者としての「分け前」を要求し始めたのです。あれほど、アメリカが軍事物資や資金を送り、助けてやったのに、それすらも忘れたように振る舞い、「分け前を寄越せ!」と叫び、まさに「ならず者国家」の本性を現しました。中国も、アメリカなしでは戦争継続ができなかったのに、戦争が終われば、ソ連に寝返り、アメリカが最も嫌う「共産主義国家」になってしまいました。国民は、「一体、この戦争は、なんのための戦争だったんだ…?」と首を傾げました。よくよく考えてみれば、ただ、アメリカの若い青年たちが戦場に送られて戦わされただけのようにも見えます。「日本」だって、冷静になってみれば、昔と変わらぬ「礼儀正しく、穏やかな人々」がそこにいるだけでした。そんな中だからこそ、「小泉八雲」の著作が、人々の目を引いたのです。「フェラーズ准将」だけでなく、戦争中は口を閉ざしていた「日本通」の歴史学者や文学者が、それぞれの「日本論」を発表し始めたのです。それは、まさに「ラフカディオ・ハーン」が見たであろう、「日本」という国の真の姿なのです。
アメリカの文化人類学者「ルース・ベネディクト」は、戦後間もなく、日本論である「菊と刀」を出版しました。日本人は、決して「野蛮な猿」などではなく、「恩」や「義理」を大切にする優しい人々であること、日本人の生き方の基本に「恥じない生き方」があることを紹介しました。これは、小泉八雲の著作にも多く見られます。朝ドラ「ばけばけ」の中でも、日本人の暮らしの中では、「優しい嘘」「相手を思い遣る嘘」があることが描かれていますが、こうした「繊細な心」が行動として表れるのが「日本文化」なのです。また、同じアメリカの政治学者「サミュエル・ハンチントン」は、今から30年程前に「文明の衝突」を著し、その中で、「世界には八つの文明がある。そのひとつが日本文明だ」と発表して、世界を驚かせました。日本人でさえ「日本文化は、中国文明の亜流だ…」と思っている人が多かったのに、「ハンチントン」は、「中華文明から独立して成立した独自の文明である」としたのです。今の時代になってみれば、その違いは歴然としています。今の日本人に「中国人との共通点はどこか?」と尋ねられて「いくつ」答えられるでしょう。
「漢字文化」は共通であっても、「ひらがな・カタカナ」は日本独自のものです。また、「儒教の教え」は同じでも、日本人は「論語」を日本流に解釈して日本人の「道徳論」にまで高めました。日本人に共産主義は馴染みませんし、「易姓革命」のような「王朝交替」の歴史も日本にはありません。同じアジア人ですから、黄色人種で背格好も似ていますが、中国語と日本語は、発音自体がまったく異なっており、お互いに理解するのが難しい言語です。性格も中国人と日本人は、まったく「違う」というくらい明かな差があります。そう考えると、「ハンチントン」の「日本文明論」が納得できるのは、私だけではないでしょう。きっと、「小泉八雲」は、こうした独特の「文明」を持った小さな島国「日本」に興味を持ったのだろうと思います。それは、彼自身の「好み」や「性格」に合う文化だったからに違いありません。さて、少し前書きが長くなりましたが、それでは、ドラマ「ばけばけ」から見えて来た「日本人論」について、私見を述べてみたいと思います。
1 「自然」との調和
「ラフカディオ・ハーン」(ここでは、ヘブンということにしておきましょう…。)が、日本に興味を持ったのは、日本最古の歴史書である「古事記」の英訳本に出会ったことでした。私も江戸末期から明治初年のころに「古事記を読みたい…」という外国人がいるとは、思いもよりませんでした。日本人でさえ「古事記」などに触れたことのない人は多いはずです。別段、学校で勉強する内容ではありませんし、進学に有利に働くものでもありません。ただ、「日本最古の歴史書」として覚えているだけです。しかし、実際、簡単に書かれたものを読んで見ると、「日本の国の成り立ち」が神話として書かれているので、なかなか面白い「讀物」です。これなら、外国人が読んでも「へえ、不思議な国があるもんだ…?」と興味をそそられるかも知れません。「ヘブン」は、幼少期から家族に恵まれず、伯母に養育され、厳しい宗教学校の寄宿舎で暮らしていたそうです。その中で「キリスト教」の教えには、あまり納得ができなかったようです。どの宗教でもそうですが、「原理主義」に陥ってしまうと、少しの矛盾が許せなくなってしまい、宗教戦争にまで発展していますので、ヘブンにしてみれば、「そんなの変じゃないか?」と思うことが多々あったのでしょう。子供同士の中でも、小さくて優しい子は、周りの子供の「いじめ」の対象になりがちです。「汝、隣人を愛せよ!」と説きながら、一方では子供同士の陰湿ないじめが横行していたとすれば、それは、キリスト教の教えに反する行為です。子供とはいえ、こうした「矛盾」が、ヘブンには耐えられなかったのだと思います。本当は、相手を睨み付けて怒鳴りつけてやりたくても、自信がなければ、大きな相手や多勢に無勢では、立ち向かうこともできません。こうした「現実」に嫌気がさしたとしても仕方がありません。
ヘブンは、自分の国や故郷に希望が持てなくなっていたのでしょう。当時は、人種差別も酷い時代です。普通に考えれば、「皮膚の色」によって差別されるのは、だれもが理不尽だと思うはずです。キリスト教でも、「博愛」は普遍の教えだったはずです。しかし、キリスト教の教えは、「白人種」の間では普遍的ですが、それ以外の「有色人種」には適応されないという摩訶不思議な理屈が通っているのですから、繊細で純粋な心を持つヘブンが納得できるはずがありません。自分も体が小さく、眼が悪いことで、「いじめ」の対象になっていました。それでも、白人ですから「人種差別」はなかったと思います。だからこそ、自分より優秀で何の問題もない人間が、「白人でない」というだけで、白人から酷い差別を受ける姿を見ると、心が強く痛んだのです。そうした繊細な心があったからこそ、「自分と同じ心を持つ国」に憧れたとしても仕方がないことです。人間は、だれでも、自分が産まれた環境に慣れ親しみます。そこでの価値観は、傍から見れば「?」でも、そこに暮らす人には「常識」になっていくのです。それは、私たち日本人にもあります。時代が変わるだけで、社会の価値観が「180度」変わることを私たちは度々経験してきました。「今の常識が、未来の常識」である保障は何処にもありません。それでも、「普遍的な価値はある」と信じているからこそ、この場所で生きていくことができるのです。
「古事記」を読み、日本に憧れを抱いて来日したヘブンにとって、「松江」という町は、まさに理想郷でした。松江は、徳川家親藩の「松平家」ではありましたが、江戸から遠く離れた山陰の地にあったことで、幕末の動乱には積極的に関わることはありませんでした。徳川親藩ですから、立場上は徳川方になりますが、隣国に「長州藩」がいては、腰の据わらない「親藩」など、どちらに転んでも大した戦力にはなりません。軍隊も旧式の火縄銃装備の鎧兜の出で立ちですから、イギリスの支援を受けた長州藩とは比べようもありません。結局は、朝廷方に靡いて、京都の守りに就くだけの働きしかできませんでした。そのため、松江の城下は平穏無事で新しい世を迎えることができたのです。今も残る「松江城」が、明治時代になって破却されなかったのも、「山陰地方」という新しい時代に「取り残された」地域だったからです。そのために、旧武士たち「士族」は、時代の流れが読めずに路頭に迷うことになったのは、気の毒なことでした。そんな「松江」にヘブンは、できたばかりの「中学校」の英語教師として赴任しました。いわゆる「御雇外国人」として招聘されたイギリス人です。
日本人は、今でもそうですが、とても「自然を愛する国民」です。山にしても川にしても、湖にしても、日本人の暮らしは、自然と密着しています。明治以降の工業化によって、一時は、日本人も欧米人のように「自然破壊」に加担してしまいましたが、それでも「環境保護・保全」にいち早く取り組んだのも日本人です。戦後の「公害問題」は、今でもよく覚えていますが、工場の煙突からは、真っ黒な煙が上っていくのです。また、自動車も黒い排気ガスを噴射しながら街を疾走していました。当然、「臭いなあ…」とは思いますが、それを咎める大人はいませんでした。要するに「公害」も日本の近代化をひとつとして捉えていたのです。それでも、全国で公害病が広がると、さすがの政府も慌てて対策に乗り出しました。政治家自体も、公害を軽く考えていたのです。しかし、多くの事例で最高裁が判断を下すと、日本の企業は「環境問題」に取り組まなければ、企業のイメージそのもの傷をつけることになり、環境関連の法律ができると、公害問題は収束していきました。
たとえば、自動車の「ハイブリット化」や「排ガス規制」など、国民から「環境破壊」と言われないような工夫を重ね、排気ガスの少ない自動車が日本の主流となりました。また、各工場も「環境汚染」と言われないように、汚染水の処理などには基準以上に気を遣い、最近では、多くの川に魚が戻ってきました。海もきれいになり、沿岸漁業や養殖漁業が盛んになりました。そして、今では、「自然と人間の共存」が叫ばれるようになり、「工業化」一本槍の発展から、バランスの取れた産業構造になるよう、各所で様々な取り組みが行われています。そして、国民の多くも休日には「自然」を求めて旅をするようになり、「温泉ブーム」が再燃し、今では、外国人旅行者まで日本の「温泉」を求めてやって来ます。あれほど、「みんなで一緒に裸で風呂に入る…?」ことを拒んでいた外国人が、今では、喜んで温泉に浸かっています。要するに、「知らないから、避ける」だけのことで、理解すれば、これほど「豊かな自然体験」はありません。きっと、ヘブンも日本各地の温泉に浸かり、日本のすばらしさを満喫したのではないでしょうか。そして、日本の食である「和食」は、世界文化遺産に登録されていますが、特別に高価な食材でなくても、昔から伝わる「伝統食」が各地に残されています。
松江の宍道湖では、今でも「蜆漁」が盛んで、「蜆料理」は有名です。松江の人々は、昔から、「宍道湖と蜆と共に生きている」ことを誇りとしているのです。ヘブンは、そんな人々が暮らす日本だからこそ、日本を愛することができたのでしょう。しかし、18世紀末の産業革命以降、欧米は工業化、近代化がすべてであるかのように「自然を愛すること」や「自然と共生すること」を忘れました。「自然と共生」することよりも、工業を興し、軍艦を造り、世界の「白人種以外の人々」を支配することに熱中しました。帝国主義(植民地主義)時代の到来です。そんな中で、日本だけはそうした世界の流れから取り残されるかのように佇んでいました。もちろん、それはヘブンの勘違いでしたが、「松江」には、そうしたヘブンが望むような暮らしがあったのでしょう。「自然と調和した暮らし」こそ、本当の「人間らしい暮らし」なのですから…。今尚、日本人が休日になると、わざわざ都会の喧噪を離れ、山や川、海に足を運び、「ゆったりとした時間」を過ごすのは、ヘブンが望んだ「人間らしい暮らし」への回帰なのだと思います。人間としての「本能」は、自然を求めているのに、現実は、それでは生きられない。「調和する」ということは、現代人にとっても難しい課題なのです。
2 美しい「嘘」
ドラマの中で、ヘブンは頻りに「嘘が嫌い!」と言って、結婚の報告の場で厳しく周囲を咎める場面が描かれていました。ヘブンにとって、「嘘」は、自分が幼いころに教えられた「キリスト教の教え」こそが、嘘だと思っていたのです。それは、「キリスト教」に責任があるのではなく、それを自分たちに都合のいいように解釈して広めていった宗教家たちに問題があったのですが、そんな「嘘」によって悩んだヘブンにとって、「嘘」は憎むべき行為だったのです。確かに、私たちも子供のころは、大人から「嘘は吐くな!」と教えられました。実際はともかく、日本人は「嘘が嫌い」です。しかし、外国人のヘブンから見れば、「日本人はみんな嘘つき!」に見えたのです。さて、どうしてこんなことが起こるのでしょう。それは、日本語の「慮る」という言葉と関係がありそうです。「慮る(おもんぱかる)」と読みますが、子供にはなかなか難しい漢字であり、読み方もまた「難しい」言葉です。それでも、私たちは日常的に「遠慮」「配慮」という言葉を遣います。「遠慮する」とは、文字だけ読むと「遠くから慮る」となります。ちょっと「?」になります。また、「配慮」は、「慮るを配る」となり、これまた「?」ではないでしょうか。しかし、日本人の私たちは、この意味をよく知っています。「遠慮」は、親しい人から何かを戴くような時に用いられます。「つまらないものですが、おひとつどうぞ…」とか、「お口汚しに如何ですか?」などと、相手から品物を差し出されたとき、私たちはきっと「いえ、いえ…。そんなお気遣いなく…」と言って、遠慮をします。直裁的に言えば、(つまらないもの…なんか出すなよ!)になり、(口が汚れるものなんか、いらないよ!)となってしまいますが、これは、立派な「嘘」です。
日本人は、けっして「つまらないもの」は、相手に贈りません。「口が汚れるもの」も出しません。自分たちにとっては、「高価なもの=つまらないもの」であり、「とっても美味しいもの=お口汚し」なのです。こうした文化に接したとき、ヘブンは、最初はきっと「日本人、嘘つき!」と思ったでしょう。しかし、そのやり取りを見ていると、だれもが、決して怒ったりはしていないのです。寧ろ、穏やかな笑顔を見せ合いながら「いえ、いえ…」「どうぞ、お構いなく…」といったやり取りを繰り返し、最後は、「そうですか、こんな結構なものを申し訳ありません。ありがたく頂戴いたします…」と言って、丁寧に頭を下げて受け取っているはずです。「お口汚しのお菓子」も、一口、口に運べば「まあ、美味しい…。どちらでお求めになられたのですか…?」などと言って、会話に花が咲きます。ハーンは、怒って「みんな嘘!みんな嘘つき!」と言って怒りますが、こうした「嘘」も、相手を傷つけないための「思い遣りの嘘」なのです。しかし、それが、時として周囲を混乱させてしまうことがあります。それは、今の学校などでも見られる光景です。いや、寧ろ、昔の方が学校では「嘘」は少なかったかも知れません。
今の学校教育は、「子供の心に傷をつけてはならない」といった過剰な対応を求められるために、その評価も「よいところ見つけ」に終始しています。これも文部科学省の命令ですが、子供時代は、よいところと同じくらい「悪いところ(短所)」が目立つものです。「明るくて、元気な子」は、意外と「そそっかしくて、整理整頓が苦手」です。「勉強はよくできる子」は、意外と「相手に対して厳しく言い過ぎる」ところがあります。「楽しい子」は、意外と「ふざけて、自分をコントロール」することが苦手です。以前であれば、こうした「短所(悪いところ)」もしっかりと本人と親に伝え、直せるものは直す努力を促したものですが、今は、そうした「短所」を指摘すると、親からクレームが来るのだそうです。「おい、証拠はあるのか?」「根拠はなんだ?」と凄まれれば、それは教師の「主観・観察」でしかありません。本来は、それを「プロの仕事」と見做していたものが、「そんな曖昧な主観で、可愛い子我が子行動を評価しているのか?」と言われてしまうのです。
さて、これは、どちらが理不尽なのでしょう。「学校教育」という「公の場」であっても、「人を人が評価してはならない」としたら、だれも自分の短所に気づかないまま成長することになります。「己の短所を知る」ことは、ある意味「己を知る」ことです。それを大人の勝手な理屈で「見ないふり」をしてしまえば、後は「自己責任」でお終いです。さて、それでいいのでしょうか。これは、けっして「美しい嘘」とは、呼べない行為です。ただし、「誤魔化すための嘘」は感心しません。ドラマでも、客を傷つけないように「嘘の紹介」をしました。「実母を伯母」と紹介したり、「無職の男を社長」と偽ったりと、これから家族になるヘブンの前でさえ、妻になるトキは嘘で取り繕いました。確かに、家族一同が揃った場で、偽りの紹介をすることが如何に危ういかはわかりますが、「当座を凌ぐ」ための方便として、日本人がよく遣う方法です。私も、以前、亡くなった両親から、親族に「嘘で誤魔化せ!」と言われたことがあります。自分が何もやましいことをしていないのに、親から「嘘を吐け!」と言われた子供の心境はどうでしょう…。私は、このことは生涯忘れませんし、この親を尊敬することはできません。(世間体を気にする弱い親だったので、仕方がないとは思いますが…)
そんな「嘘嫌い」のヘブンですが、ドラマの中で、ヘブンは、自らが家族に対して「嘘を吐く」場面が見られました。それは、大好きな人を守るための「嘘」だったり、心配をかけまいとする「嘘」だったりするのです。熊本編で、「焼き網紛失事件」というトラブルが起きましたが、家族みんなのアリバイを探り、だれもが疑心暗鬼になったとき、一番弱い立場の女中(メイド)さんを助けるため、下宿していた学生二人が示し合わせて「嘘の泥棒話」を作って家族を驚かせます。結局は、盗まれたと思った「物」は見つかり、自分の「うっかり」だったと笑うのですが、これを見たヘブンは、「日本人は、美しい嘘を吐く…」ことに気がつくのです。要するに「だれもが、うっかりしていて、物をなくしたりする…」ことを暗示しています。元々「泥棒」なんて家族にはいないのに、それを疑って疑心暗鬼になっていることが愚かしいと言っているのです。実際、「焼き網」は盗まれたのではなく、台所の「隙間」に落ちただけのことでした。それは、「だれも傷つかないように、上手に嘘を吐く…」ことで、解決を図ろうと考えた結果なのです。そうした「優しさ」や「思い遣り」が、「日本人の心」でもあるのです。これは、物事を合理的に考えようとする欧米人にはないことかも知れません。その「美しい嘘」に気づいたとき、ヘブンは、また一歩、日本人に近づきました。
3 人の噂も「75日」
日本人は、「噂話」が大好きです…。外国と比べたことがないので、実はよくわかりません。しかし、私の身の回りでも、子供のころから生活の一部として「噂話」はあったように思います。それでも、いい噂であれば、仕方ないかな…と思いますが、根も葉もない噂を立てられると、心の中で(ふざけるな!)と怒りが湧きます。しかし、その噂の発信源を突き止めることもできず、大体は「泣き寝入り」することがほとんどだと思います。今でも、SNSでは、勝手な書き込みが一杯されているようで、傷つく人も多いでしょう。それに、それらの書き込みは「匿名」で出されていますので、発信者は無責任でいられます。人間というものは、「ばれなきゃいい…」と思っている人が、かなりの数いるということがこれでわかります。しかし、「悪事千里を走る」という諺もありますから、何処かで「墓穴を掘らない」よう、気をつけて欲しいものです。それにしても、ドラマのトキが、「らしゃめん」と噂されたのは、かなり悪質な噂話でした。さすがの日本大好きのヘブンも、怒りが湧いてきたと思います。
今でこそ言われなくなりましたが、戦後も「合いの子」とか、「もらわれっ子」などと子供を揶揄する言葉がありました。「合いの子」は、両親のどちらかが外国人の子です。「もらわれっ子」は、親が実の親ではなく、「養子」として他家からもらわれてきた子供のことです。どちらにしても、子供にとっては、どうしようもないことを揶揄されるわけですから、これは、間違いなく「いじめ」です。ヘブンが遭遇したのは、自分の妻が「らしゃめん」と言われたことでした。ただでさえ、外国人というだけで「奇異な目」で見られ、人々に珍しがられた時代です。その家族が日本人で「妻」と称する女性がいれば、だれだって「怪しい…」と思うのが自然なのかも知れません。だれもが貧しい時代です。「お雇い外国人」のヘブンは、当時のお金で「毎月100円」という大金をもらう身分でした。まだ、「1銭」という貨幣があった時代です。今なら、およそ「150万円」くらいでしょうか。物価も安い時代ですから、150万円は、その倍以上の価値があったと思います。大きな屋敷に住み、女中や書生を何人も抱え、優雅に人力車で出勤する姿は、今の一流企業のトップ以上の暮らしでした。その家の前を多くの普通の人が通るのです。「いいなあ、外国人は…」「英語が喋れるだけで、月100円ももらえるんだからなあ…」という声が聞こえてきそうです。
そこに持って来て「妻の家の借金をすべて返した…」という新聞記事は、やっかみを持つ人々にとって格好の話題になったのです。日頃、大した話題もなく、肉体労働で僅かな日銭を稼ぐ人たちにとって、「若い女房をもらった代わりに借金を肩代わりした…」というネタは、すぐに「らしゃめん」と結びつき、騒ぎになったのでしょう。今の時代であれば、「某週刊誌ネタ」と同じです。「だれそれが、不倫した」だの「だれそれは、病気らしい」だのと、「プライバシー」をネタにして騒ぐのは、昔も今も同じです。そして、週刊誌であれば、ふた月もそのネタで記事をかけば、大体、読者は飽きてしまいます。まして、「らしゃめん」程度の噂では、それほど盛り上がらないものです。ドラマでは、松江の人たちが相当にいやがらせをしたように描かれましたが、「遊郭」が普通にあった時代ですから、そんな過剰反応したとは思えません。「クスクス」笑ったり、「コソコソ」喋ったり、「チョコチョコ」家を見に行ったりする程度でしょう。そして、本音では、「いいなあ…」「うらやましいなあ…」くらいに思っていたと思います。しかし、それが、本人にとっては大きな「傷」になることはあるものです。特に若い娘にとって、自分の「噂話」ほど怖いものはありません。人は、所詮「75日」で忘れてしまいますが、傷ついた本人は、それが一生つきまとう「心の傷」になってしまうのです。しかし、昔の日本人は、そんなことで負けたりしませんでした。
人間は、生きていれば「傷」のひとつやふたつ負うものです。まして、戦争や災害など、人の生命に関わる事件が多発した時代に「心の傷」程度で負けていたら、生きて行くことはできません。私たちの時代ですら、「世の中は厳しいから…」とよく言われて育ちました。今だって、大人になれば「理不尽」なことばかりでしょう。それをいちいち「傷が…」と言っていても埒が開きません。それなら、「切り傷のひとつくらい…」とでも思って、開き直るのも方法だと思います。日本に憧れて来日したヘブンでしたが、こうした日本人の「嫌な部分」も多く見たのではないでしょうか。但し、「人の噂も75日」という考え方は、これも日本人らしくていいな…と思います。それくらいであれば、少しだけ「辛抱」していれば、嵐は去っていきます。日本人は「熱しやすく冷めやすい性格」ですから、また、新しい「噂話」を見つけて、それに飛びつくはずです。それも、小さな社会で生きていく「知恵」なのです。他には、日本には昔から「村八分」という言葉がありました。「村」という小集団の秩序を乱した家は、村の仲間から一時、相手にされなくなるという「罰」を受けました。それは、「窃盗」であったり、「怠け」であったり、「乱暴」だったりと理由は様々ですが、それでも「葬儀」や「災害手伝い」などは、残りの「二分」として扱いました。そして、十分に反省すれば、罰は解かれるのです。ヘブンは、知っていたのでしょうか。他にも「嘘も方便」と言いますから、正直者は賞賛されますが、「ばか正直」は、呆れられるのも日本です。
4 「怪談」が生まれる社会
ドラマ「ばけばけ」では、主人公の「トキ」が無類の「怪談好き」がベースになっていました。実際、日本の昔話には多くの怪談と呼ばれる「怖いお話」がたくさんあります。私たちも子供のころから「耳なし芳一」や「雪女」「むじな」などは、よく聞かされた民話でした。今でも、アニメーションとして放映されている「ゲゲゲの鬼太郎」などは、やはり山陰地方(鳥取県境港)の「水木しげる」が、子供のころから興味を持っていた「妖怪話」をモチーフに創り上げたキャラクターだと言われています。ここには、片目の「鬼太郎」や「目玉おやじ」、「一反木綿」「猫娘」「砂かけばばあ」「塗り壁」「子泣きじじい」「ねずみ男」…などが登場してきます。今の子供たちは、このアニメを見て、日本の妖怪を勉強しているのだと思います。どれも、夜中に出会えば「怖ろしい妖怪」ですが、普段は、かわいいキャラクターに変身していますので、日常生活に溶け込んでいます。事実、妖怪は、常に私たち人間の隣にいる存在なのです。また、昔は、よく映画などでも「妖怪話」は製作されており、「四谷怪談」「番町皿屋敷」、「おいてけ堀」「ろくろっ首」「河童」「唐傘」「のっぺらぼう」…など、私たちは、多くの妖怪を知っています。そして、それらの妖怪は「怖ろしい」だけでなく、人間の弱さや欲などが絡んだ悲劇の主人公であったり、貧しさ故の悲劇であったりする一方、子供にだけ見えるような「無邪気」な存在だったりします。それが、歴史を超えて伝わって来た「面白さ」だろうと思います。
ドラマでも描かれたように、「怪談」を語るときは、「夜」であること、そして、照明は「蝋燭一本」というのがお約束です。中には、「百物語」にように大勢で輪を作り、自分の前に蝋燭を一本立てるやり方もあるようですが、やっぱり、「暗い部屋で、一本の仄暗い炎を見詰めながら聴く怪談」が最高です。ヘブンもトキから聞かされる怪談に「身の毛が逆立つ」体験をしたのではないでしょうか。そして、夏の夜にじっとりと汗を掻きながら聴く怪談は、単に怖ろしいだけでなく、側に「妖怪が集まる」と言われていますから、その気配がまた怖ろしいのです。暑いから掻く汗の他に、体の内部からじわっと湧いてくる「冷たい汗」を掻いたとき、もう、「妖怪の呪縛」から逃れることはできなくなります。もし、「やめてくれ!」と、その場で話を打ち切ると「呪われる」という言い伝えもあります。したがって、「話」は、どんなことがあっても、最後まで聴かなければなりません。そうした「演出」が、日本の怪談話の面白さでもあります。そして、話し手は、相手の眼を見据えて、声のトーンを下げ、ゆっくりと語り始めます。なるべく「抑揚」を付けず、自分がまるで何かに取り憑かれているかのように演じるのです。きっと、ヘブンは、こんな怪談話を毎夜のように聞くことで、自然と日本人の「精神」を会得していったのかも知れません。
また、昔は「肝試し」といった遊び(行事)があり、夜に暗い墓地の奥にある「何か」を持って返って来るという趣向です。子供の遊びと言うよりは、大人が主催のイベントとして行われていました。また、これの発展系が「お化け屋敷」でしょう。祭りの日など、広場に屋台がたくさん出ますが、一番奥にこの「お化け屋敷」なる小屋が建つのです。木を組んで筵をかけただけの小屋ですが、中には、たくさんのお化けが潜んでいて、入ってきた人を驚かせるというテーマパークのようなものです。これも大人気で、きっとヘブンやトキも子供を連れて入ったと思います。日本人は、無類の「お化け好き」なのでしょう。こうした「怪談」が作られる背景には、日本の貧しさや社会の理不尽さ…など、社会が成熟していないからこそ起きる「矛盾」を突いているのだと思います。ヘブンが欧米で味わったように、日本では、強烈な人種差別こそありませんが、「身分差別」や「階級差別」「貧富差別」などがありました。江戸時代は、まさに「封建社会」です。日本人には、生まれながらの「身分」や「階級」があり、それを勝手に詐称することは許されませんでした。「士農工商」と言われるように、武士が庶民の上に立つ指導層ですが、武士の上にも「貴族」そして「天皇」がいるのです。そして、「商」は、身分こそ低く抑えられていながら、「富」を持つ大商人が誕生すると、「貧富格差」は、身分差別以上の「差別」を生む原因となりました。そうした「格差・差別」が入り組んだ社会だったからこそ、「お化け」や「怪談」が多く生まれたのです。
5 日本人の「家族」
ヘブンにとって、自分が欧米人だろうが、日本人だろうが、そんなことは些細な問題だったようです。子供のころから、家族に愛された体験がなく、心の拠り所となるはずの宗教も肌が合わず、容姿も西洋人にしては貧相で、自分に自信が持てなくて当然でした。唯一、自然を愛し、歴史を愛し、人を見る眼だけは確かでした。その上、自分ではあまり気づいてはいなかったようですが、「観察眼」と「洞察力」、ものの「本質を捉える眼」は本物でした。それが、ヘブンという人間を支えたのでしょう。それに、一見、偏屈で気難しいように見えますが、松江の中学生に慕われたように、人間的魅力に溢れた人物だったようです。それが、世界を超えて、日本人に愛された理由です。私も仕事柄、多くの外国人に会いました。アメリカ人、フランス人、オーストラリア人、インド人、中国人、ガーナ人、台湾人…。それぞれ、国も人種も違う人たちでしたが、何度か話をしてみると、その人の「人間性」が見えて来ます。私が一番親しくしたガーナ人(男性)は、「野口英世博士」を尊敬する人でした。それは、野口博士が、ガーナの人々を救った英雄として、今でも尊敬されているからです。野口博士が死を賭して研究した「黄熱病」が、ガーナの未来を開いたのです。私も野口博士と同じ「福島」の人間ですから、何がきっかけで人と人が仲良くなるかはわかりません。ヘブンも何か眼に見えない糸にたぐられるように「日本」に辿り着き、日本人になったのでしょう。
ヘブンにとって、「家族を持つ」ということは、何ものにも代え難い「夢」だったのです。普通に家族を持ち、愛されている人にはわからないと思いますが、人間生活の基本である「家族」が、仲良くなれないことほど悲しいことはありません。西洋人でありながら、近代国家とか工業化などといった社会の発展を嫌うヘブンにとって、日本の松江は、まさに「理想の国」だったのです。確かに、今の私たちは、近代化が成功し、豊かな生活を送っています。しかし、それが「幸せか…?」と問われれば、「?」に思う人も多いはずです。今でこそ、「空は青く」なりましたが、昭和40年代の日本の町は、スモッグと排気ガスで汚れ、「灰色」しか見えませんでした。食品規制もなく、「チクロ入り」と書かれたアイスキャンディーを喜んで舐めていました。あれって、「発がん性物質」で、今では絶対に使わない添加物だそうです。これも、近代化の恩恵なのでしょうか。それから比べれば、ヘブンのいたころの松江は、空気が澄み、空が青く、しじみ汁が旨い土地だったはずです。工場の煙突も見えず、車も走っていない道路。羽釜で炊いたご飯、添加物の入っていない味噌や醤油。どれも、今では「贅沢品」ばかりです。もちろん、「お金」がなければ、幸福とは言えませんが、月給「100円」ももらうヘブンは、自分の夢がすべて叶う場所が「日本」だったのです。
そして、日本で作った家族は、自分の本当の家族より「温か」でした。当時の日本人は個人主義ではありません。家族は「血縁」で結ばれた強固な集合体です。特に元武士の家であれば、どんなに没落しようとも、家の「格」だけは存在していました。もちろん、「格」が生活の中で有効に働くことはありませんが、たとえば、「結婚」となると、金銭より優先されることがあります。さすがに現代ではないと思いますが、昭和のころまでは、「釣り合いが…どうの」という話はありました。それくらい「家」が大事にされた時代ですから、娘の婿になる男が外国人であろうと、一旦籍に入れば、「家の者」なのです。この「家の者」は一蓮托生で助け合うのが義務ですから、個人の考えで行動することはできません。もし、そうした不心得者は、道徳的に許されず「勘当」されることもありました。「勘当」とは、「家長の許しが得られなければ、家の者としての権利をすべて失うこと」を指します。それは、赤の他人以上に厳しい罰でした。そうした窮屈な社会でしたが、ヘブンのように、個人主義の社会で疎外感を味わってきた人間には、そうした「家族」ができたことが殊の外嬉しかったのでしょう。日本人には、面倒で厄介に思われがちな「家・家族」が、ヘブンにはかけがえのない「守るべき人々」だったのです。
令和の現代、この「家族」が、日本の社会から疎まれています。国会でも「夫婦別姓論議」が盛んに行われていますが、「姓をひとつにすることは、不平等だ」という論理です。確かに、昔からの慣習で、女性が男性の戸籍に入ることが通例ですが、別に逆が違法であるわけではありません。確かに、婚姻によって「姓」を変える面倒を考えれば、「夫婦別姓」という考え方はあるかも知れませんが、さて、長年、どちらかの姓を名乗ってきた日本人に馴染むのでしょうか。まして、「子供の姓」の問題もあります。それ以上に、「戸籍」を家族ではなく「個人」に変えようとしたり、「戸籍不要論」まで出ると、いずれ、「国家不要論」にまで行き着くような気がします。「家族なんて、鬱陶しいだけだ!」という声があることは承知していますが、一方で「家族が支えだ!」という意見もあるのです。明治という時代、ヘブンは、個人より「家族」を優先しました。今の時代から見れば、「家族を自分の収入ですべて養うのは、損だ!」という考えもあるでしょう。自分の妻子だけでなく、妻の両親、祖父母、はたまた実家の実母家族まで面倒を看るヘブンは、本当に外国人なのかと驚くばかりです。その上、親が作った借金まで背負い、もし、「小泉八雲家」からヘブンがいなくなったら、どうなるのでしょう。そこまで尽くすのか…という疑問はありますが、「それが家族と言うもんだ!」と言われれば、返す言葉はありません。ヘブンにとって、家族は「かけがえのない宝物」だったのです。そういう心情も、ヘブンの生涯を知ればよくわかります。「家族」のためなら、どんな苦労も厭わない覚悟があったということです。
6 ヘブンの「強運」
世の中には、ヘブンのような「運の強い人」がいるものです。ヘブン自身がどう思っていたかはわかりませんが、日本に来て、念願だった理想の家族を持ち、自分の才能を生かした生涯を送れたことは、人として大変幸運なことであり、希有な人生だったと思います。私は、このドラマを見ていて、「戦争」という話題がないことに驚きました。そして、登場人物たちは、明治以降の多くの戦争に巻き込まれることなく、自分の人生を全うすることができたのです。「松江」時代を振り返れば、「お祖父様」も「父上」も武士として、取り敢えず戊辰戦争に出た人です。徳川家親藩だった「松江松平家」は、幕末時には右往左往するばかりで、藩論をまとめることができず、最後は、朝廷方に加わり、徳川家に反旗を翻しました。しかし、武力に乏しい松江藩は、戦場に送られることもなく、京都の防衛にあたっただけでした。そのため、お祖父様も父上も、出征はしましたが、実際の戦場には出ていません。そして、松江自体も戦場となることはありませんでしたから、人々は、自分たちが与り知らぬところで時代が変わっていたのです。それが、よかったかどうかは評価が分かれるところですが、新政府の方針によって、「士族」となった武士たちが生活に困窮することになったのは、仕方がないことでしょう。隣国の「長州毛利家」は、幕府から睨まれ、幕府方と激しい戦争を繰り広げましたので、長州の人たちから見れば「松江は、暢気でいいのう…」と笑っていたのではないでしょうか。
また、長州藩は、過激な「攘夷論」が藩論をリードしたために、フランス軍などとも砲火を交えることになりました。京都では「禁門の変」を初め、志士と称する過激派が会津藩松平家や新選組と刃を交えました。長州人は、議論好きで理屈っぽいという噂がありましたが、それ以上に「血の気の多い侍」が多かったのでしょう。「関ヶ原の恨み」が、長い間に長州人の気質に影響を与えたとすれば、「恨み」という情念が爆発すると、なんとも怖ろしい行動を起こすものだと背筋が凍る思いがします。長州藩では、こうして、多くの若い武士が新しい時代を見ぬまま死んでいったのです。明治になっても、士族の不満を抑えきれない長州は、遂に「萩の乱」を起こし、政府軍と戦いました。そうした時代の大きな変化の中で、松江は、時代に取り残されたかのように静かに「維新」を迎えたのです。ヘブンが日本に来たのは、ちょうど、そのころのことです。「トキ」の家は、他の士族同様に没落しており、トキは学校にも通えず、「蜆売り」や「機織り」で日銭を稼ぐ毎日でした。時代に取り残された旧武士は、いつまでも頭に「丁髷」を乗せ、刀を挿して威厳を保とうとしましたが、それも滑稽に見えます。トキのお祖父様の丁髷姿は、威厳と言うより「空威張り」に見えてしまいます。逆に言えば、武士がそんな境遇に陥ったからこそ、トキは外国人であるヘブンと結ばれることができたのでしょう。没落士族一家にとって、今の「惨めな境遇」を救ってくれる何者かが現れれば、あれこれ言う前に、それにすがるのも「人情」だと思います。
ヘブンが松江に来たのが、明治23年、ヘブン40歳の時でした。日本は、士族の反乱が収まり、近代化の道を突き進んでいた時代です。そして、4年後の明治27年には、「日清戦争」が始まりますが、ヘブンとトキの一家には、なんの影響もありませんでした。戊辰戦争でも戦災に遭わず、日清戦争が始まっても、一家の生活にはなんの支障もなく過ぎて行きます。身内には兵隊になった者もなく、松江では「軍靴の足音」も聞こえてはきません。新聞記者が登場してくるのに、新聞記事には、「ヘブン先生の一日」などという暢気な記事で喜んでいるのですから、「戦争」は一体何処でやっているのでしょう。寧ろ、ヘブンとトキの結婚後の生活も落ち着き、松江から熊本に移り住み、のんびりした生活を送っていたように見えます。そして、「日清戦争」に勝利した日本は、しばらく、平和な時を過ごしていました。この間、ヘブン一家は、熊本を離れ、神戸、焼津と移り住み、最後は東京に出てきていました。ヘブンが、「東京帝国大学」の講師として採用されていたからです。そして、日本の近代化も着々と進みましたが、北方からは「ロシア」が南下する動きを見せ始めていました。
「ロシア」という国は、当時の日本にとって、本当に「脅威」となった国です。今の私たちは、大東亜戦争の主敵が「アメリカ」だったので、アメリカが一番の脅威のように感じていますが、アメリカは、話が通じる国ですが、「ロシア」は、正直「話し合い」が通じない国だと思います。第二次世界大戦後、「ソ連」は、あれほど援助を受けたアメリカをさっさと裏切り、敵対行為を始めました。世界を分割したのもソ連です。アメリカが、いずれ、ソ連は味方になると甘く考えていたものが、戦争が終わると、強欲に「領土を寄越せ!」とすごみ、日本も危うく北海道まで奪われそうになりました。そして、遂にはアメリカと長い「冷戦」を戦うことになり、軍事力が経済を圧迫して勝手に滅んだのです。それでも、新しくできた「ロシア」は、相も変わらず「ロシア帝国時代」の夢が忘れられないのか、侵略戦争を引き起こし、世界から孤立しようが関係なく、野心を燃やし続けています。そんなロシアが、日本の脅威でないはずがありません。明治の中頃には、そんな「ロシアの脅威」を煽る新聞記事がたくさん出ていたはずです。そして、ロシア帝国の南下を止められなかった日本は、遂に「国の存亡を賭けた大戦争」へと突入していくのです。この「日露戦争」が勃発したのが、日清戦争が終わって10年後の明治37年のことでした。ヘブンは54歳になっていました。本当は、ヘブン一家も毎日のように「ロシアの脅威」については、話していたはずです。特に「東京帝国大学」に勤務するヘブンが、何も知らないわけがありません。
しかし、日露戦争が始める前の年、ヘブンは東京帝国大学を解雇されてしまいます。後釜には、文豪「夏目漱石」がイギリスから帰国して、その席に就いたそうです。やはり、54歳という年齢が、解雇の理由でしょう。昭和のころは、日本でも「定年」は「50歳~55歳」が普通でしたから、明治時代に「54歳で解雇」は、特別だったわけではなさそうです。もちろん、「外国人教師枠」があったとは思いますが、明治も中頃になると、日本人の海外留学組が帰国して、各分野の中枢を占めるようになりますから、外国人が優遇される時代は、間もなく終わるということだったのでしょう。しかし、ヘブンは、翌年3月には「早稲田大学」への就職が決まっています。既にヘブンの名声は各所に聞こえており、その文学的素養も日本人教師を凌駕していました。しかし、ヘブンの寿命が尽きようとしていたのです。新しい仕事も決まり、頑張っている矢先にヘブンは病に倒れました。「心臓病」です。ヘブンは、長く患うことなく、心臓の発作が起こり、そのまま亡くなってしまいました。まさに、日露戦争が始まり「日本の将来がどうなるか…?」と言った暗い世相の時代です。
ヘブンには、男子二人、女子一人の子供がいました。しかし、戦争が始まったと言っても、まだ幼く、戦争とは無縁の暮らしをすることができました。ヘブンは、自分の遺産をすべてトキに譲るように遺言を残していたそうです。やはり、「家族」の将来を考え、遺産がすべてトキに渡るように手配をしていたのでしょう。本当に家族思いの父親でした。そのお陰もあって、トキたち遺族は、これまでと同じ生活を続けていくことができました。そのころには、ヘブンは、多くの友人や支援者に囲まれており、彼の死後もトキ一家を心配してくれる友人はいたようです。これも、ヘブンが「強運」の持ち主だった証拠です。と言うより、ヘブンの「人柄」が多くの人を魅了したと言った方が正しいかも知れません。松江時代の「錦織」もそうですが、ヘブンは、外国人でありながら、日本人を見下すようなこともなく、威張るような態度も見せませんでした。性格は偏屈で、拘りの強い一風変わった人でしたが、根は優しく、気配りのできる人でした。それが、日本人には受け入れられる理由だったのでしょう。特に「弱い立場」の人には優しく、権力にも阿らない姿が、日本人に受け入れられる理由だったのです。今でも、こうした人はなかなかいなものです。
そして、明治45年に明治天皇が薨去され、大正時代が幕を開けました。日本の近現代史の中で、「大正時代」の最初の10年間は、まさに「大正自由時代」と呼べるような平和な時代でした。ヨーロッパでは、第一次世界大戦が始まりますが、日本は、当事国ではなく「日英同盟」によって海軍の駆逐艦隊が地中海まで遠征しますが、国民はそれをニュースで聞くだけで、大きな関心を持ちませんでした。寧ろ、戦争当事国ではない日本に欧米からの注文が増え、一気に「好景気」が訪れたのです。東京に住んでいたトキや子供たちも、自分の将来を考えて、「進む道」を自由に判断できました。この大正時代に青年期を迎えられた人々は、後の時代を考えると、本当に「運のいい人たち」だと言うことができます。逆に、「大正時代生まれの男性」は、青年期が昭和初期にあたりますので、そのほとんどが軍に召集され、兵隊としてアジア、太平洋へと出陣し、戦地で亡くなっています。ほんの10年程度の差が、運命を分けることになったのです。トキが亡くなるのは、昭和7年でした。戦争の足音は聞こえましたが、まだ、日本全体は平和で、不景気風は吹いていたとはいえ、ヘブンの残した遺産でトキたちは、生活に困ることはありませんでした。ただ、大正12年の「関東大震災」だけが、家族の生活を脅かす災害として記憶されたはずです。
それでも、東京の「西大久保」に居を構えていたヘブン一家は、それほど大きな被害は受けなかったようです。同じ新宿でも、酷い地域もあったことから、西大久保周辺は地盤がしっかりしていたのでしょう。こうした「運の強さ」もヘブンの魅力のひとつかも知れません。ヘブンの死後もイライザを初めとした多くのヘブンを愛する人々の支援によって、トキ一家は支えられ、彼の遺した遺産によって生活することができました。そして、トキは、昭和7年にこの世を去ります。成人した子供たちも既に大人になっており、それぞれの道を歩んだようです。そして、敗戦後、GHQの「フェラーズ准将」によって、ヘブンは、「小泉八雲」として再発見されるのです。それは、本当の「日本」を見つめ直す機会になりました。7年間の占領によって、日本は大きく変わりましたが、それでも、日本人は、自分たちの歴史や言葉を捨てることはありませんでした。もちろん、GHQの中にも、日本の政治家や学者の中にも、日本を「解体」し、「共産化」することを望む人はたくさんいましたが、多くの国民は、日本の「古き良き時代」を愛していました。それが、「共産化」を阻止した一番大きな要因だったと思います。
もし、国民の大多数が、戦前の日本を嫌悪し、天皇を憎み、占領軍を「解放軍」として受け入れていれば、占領軍が動かなくても、日本の国家体制は自然と崩れていったはずです。マスコミは、左翼思想に乗っ取られ、日本の進む道は「共産主義国家だ!」と国民を洗脳しようとしましたが、「天皇」を戴く日本人が、それを容認することはありませんでした。一時、日本の左翼は過激な行動に走り、国民をリードして「暴力革命」を成し遂げようとしましたが、それを受け入れるほど、国民は愚かではありませんでした。それは、やはり、日本人の「知力」と「教養」なのだと思います。ヘブンたちが活躍した「古き良き時代」を知る国民の多くは、自分たちの「先祖の物語」をよく知っていました。戦争で父や我が子を亡くした人々も、それを「犬死に・無駄死に」と思うような人はだれもいませんでした。敗戦を受け入れても、家族である亡き父や子が「戦争の犠牲者だった」などと思うはずがないのです。彼らはみんな「国の名誉のために命をかけて戦った英雄」なのです。そんな国民の心情も知らず、左翼思想を煽れば、国民が靡くと思っていた連中こそ、日本人をばかにした「差別主義者」なのです。
今でも、小泉八雲が残した「怪談」は、日本人の琴線に触れる物語として残されています。だれもが、「怪談」と聞いただけで「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」を思い出すでしょう。今回、その半生がドラマ化されたことで、多くの日本人に「古き良き時代」を思い出させてくれました。だれもが貧しい時代のことです。それでも、西洋人が日本を愛し、日本人の家族を持ち、「日本人になる」決断をしてくれたことが、何より嬉しく、何より誇りに思います。現代の私たちが忘れがちな「日本のよさ」を再認識させてくれるドラマでした。ヘブンが亡くなってから、既に100年以上が経過しています。時代は明治・大正・昭和・平成・令和と進み、社会は「AI化」するまでになりました。それでも、日本には「美しい山河」が残っています。ヘブン一家が見たであろう「霊峰富士」も大きく聳えています。ヘブンが食べた松江の「美味しいしじみ汁」も健在です。これからの時代は、私たちが想像することも難しいほどに「SF化」していくかも知れません。それでも、「古き良き時代」は、残ります。そして、小泉八雲が愛する妻のために書いた「怪談」も永遠に語り継がれるのです。明治という時代に「小泉八雲」という日本人がいたことは、私たち未来の日本人の誇りであり続けることでしょう。

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