「JACK外伝 夜間戦闘機隊・月光」
矢吹直彦
序章 撃墜
「こちら、三日月三番。ただ今から攻撃に入る!」
無線のスイッチをオンにしたまま、俺は上目遣いに敵影を見詰めていた。
無線は、こちらが切らない限り、厚木航空隊基地の通信室に入電することになっていた。
司令の小園安名中佐が、陸軍の通信部隊に交渉して新たに最新式の通信システムを導入したからである。
厚木の通信室は、掩体壕の地下に設けられており、五百㎏爆弾の直撃を受けても、びくともしない堅牢さを誇っていた。
関東地方圏内であれば、どこからも無線は入り、周波数によってだれの機体かが瞬時にわかるようになっていた。
こんな通信設備をもっと早く整備していれば、こんなことにはならなかったんだ…。ときどき、そんなぼやきも出てくるが、それだって、うちの親父、おっと、小園司令だからこそ、できる技というものだった。
その辺のへっぽこ司令じゃあ、こんな芸当はできやしない。
海軍も所詮は、実力社会というわけだ。
当然、俺の愛機である改良型の「月光ヨDー100」にも、最新式の通信機が装備されていた。この通信装置の発明と運用により、俺たちの戦い方は画期的に変わった。
俺は、その通信支援システムを使って、横須賀軍港に現れた敵B二九の編隊に攻撃をかけることになった。
今宵は、朝から雨だったせいか、湿気が多く、空気も何となくどんよりとしている。低空を飛行していると、風防のガラス面が曇り、危険極まりない。
しかし、こんな日が、敵を墜とす最良なことも俺は知っていた。
「おい、西尾!あの最後尾の奴を狙うぞ…」
伝声管を通して、後席の西尾一飛曹に合図を送った。
「はーい。了解です…」
ベテランになってきた西尾は、俺とペアを組んで三ヶ月が過ぎていた。
その間、多くの空戦を行い、俺との息もぴったりと合うようになり、「あ、うん」の呼吸で、戦えるようになっていた。
「よし、敵はまだ気づいてはいないはずだ。後方から近づいてから、一機の敵の腹に潜るから、そのつもりでいろよ…」
「了解、いつでもどうぞ!」
俺は、ふんと鼻を鳴らすと、操縦桿を引き、静かにB二九の後方から近づいていった。
機内時計の針は、間もなく四月一日の午後十一時を指そうとしていた。
夜間爆撃は、いつも人が寝静まる時刻に行われた。
半月程前の東京への大空襲も三月九日から十日にかけての時刻だった。
敵爆撃機の高度は、三千m付近で、横須賀基地近郊に爆弾の雨を降らせたB二九、三十機ほどの編隊が、悠々と太平洋方面に逃げるところを、俺たち、夜間戦闘機部隊が捕捉したのだ。
既に編隊は崩れ、夜戦の零戦や雷電に攻撃され、数機は既に失われているようだった。
敵機のエンジンからの爆音も乱れており、かなりの損傷を受けた機体もあるようだ。ここからが、俺たち月光隊の腕の見せ所だった。
まあ、傍から見れば、残党狩りのように見えるが、ここで最後の一撃を喰らわせておかないと、敵の攻撃力を削ぐことができない。
爆弾を落とした爆撃機は、みんな怖さで震えているんだ。
これは、予備学生の頃に、教官を務めていた佐々木兵曹長が俺たちに教えてくれたことだった。
「いいか、島田学生。爆撃機というのは、爆弾を抱えて攻撃している間は、攻撃精神旺盛で、敵機の攻撃など恐くもない」
「敵の機銃弾が機体に当たろうが、エンジンが火を噴くだろうが、そんなことは関係ない。とにかく、目標に爆弾を落とすことに集中しているんだ」
「敵機が熊ん蜂のように襲いかかってくる」
「機銃員が、必死に七.七粍銃で応戦するが、なかなか素早く動き回る戦闘機なんぞに当たるもんじゃあない」
「俺たちの機体には、ガンガンと敵の弾丸が当たる。そして、機内に機銃弾が飛び込んで来て、搭乗員を殺傷するんだ」
「あちこちで、血飛沫が舞い、悲鳴が上がる」
「それでも、俺たち操縦員と爆弾を落とす偵察員は、物音が聞こえないくらい集中しているんだ」
「そして、目標を捕捉すると、偵察員が声をかける」
「ちょい右、直進!」
「よーい…、撃っ!」
「これで、サブの操縦員が、手元のレバーを思い切って引くのさ…」
「すると、ここまで抱えてきた二五〇㎏爆弾四発が投下される」
「俺は、機体がグッと軽くなる手応えを感じた瞬間に、退避行動に移るんだが、そのときは、もう恐くて恐くて、しょんべんがちびるとは、このことだ…」
「とにかく、操縦桿を右か左に倒し、必死に逃げるんだ」
「それも、低空に舞い降り、海面すれすれに飛行するのよ」
「そうすりゃあ、敵機は上からしか攻撃できないだろう」
「下は海面だからな…」
「それを、機体を右に左にと横滑りさせながら、敵機の銃撃の軸線を外すのさ…」
「それでも、全部が当たらないわけじゃあない。無理に機体を滑らせて、そのまま海に突っ込んだ者もたくさんいる」
「そうだな、十分も逃げ切れば、奴らは諦めるさ。母艦に戻る燃料が心配になるからな」
「すると、急に、機体が焦げる臭いが鼻につき、血の臭いがして、爆音が大きく耳に入ってくる」
「そして、俺は、必死に雲を探して、飛び込んでいくのさ…」
「その雲が、入道雲だろうが、雷雲だろうが関係ない。雲に入り込めさえすれば助かる」
「後の操縦は、俺に任せろ!」
「そうやって、何度も修羅場を潜り抜けてきたんだ」
「雲を抜けて、帰路につく頃には、機体の状態がわかってくる」
「それは、酷い有様だよ。よく見れば、俺の飛行服にも血が滲んでいる」
「ある戦闘では、サブが機上戦死していて、俺が、おい!と声をかけると、頭をぐらっと落として死んでいた」
「後ろを振り返ると、もう機内は、血や肉片が飛び散ってるんだ」
「阿鼻叫喚とは、このことだ」
「生き残った部下に、状況を報告させると、七人中四人が機上で戦死していたこともある」
「まあ、エンジンがやられなくて助かったが、俺たちの乗っていた一式は、火が点きやすくてな…。アメリカ兵は、ワンショットって呼んでたらしいや」
「まあ、あんたたち学生も、何に乗るかはわからんが、戦争ってもんは、そんなもんだ。覚えておいても、損はなかろう…」
そう言うと、にやっと笑う兵曹長だった。
要するに、「行きはよいよい、帰りは恐い…」だ。
爆撃に向かうときは、爆弾という殺傷兵器を積んでいるから、強気に攻めていくが、帰りになると、爆弾庫は空になっている。
後は、墜とされないように必死に逃げなければならない。
ところが、最後の最後に、俺たち「送り狼」が待っているという寸法なのだ。
月光は速度は速くないが、その安定した飛行能力と、二〇粍機銃二門の「斜銃」は、恐ろしい武器だった。
暗闇の中を静かに爆撃機の腹の下に潜り込み、斜めに突き出た機銃から、二〇粍の銃弾が機体を縫うように発射されるのだ。
機体には大穴が空き、飛行機の床下から突き上げるように徹甲弾と炸裂弾が、交互に撃ち込まれるのだから、機内はめちゃめちゃになる。
たとえ、飛行機が生き残ったとしても、その乗員はほとんどが死傷するだろう。
その恐怖は、きっと味わったことがない者には絶対にわからない恐怖だと思った。
俺は、アメリカ兵には、何の恨みもないが、アメリカという国は、絶対に許せなかった。
日本人というだけで、爆撃機に焼夷弾を積み、街中を焼き尽くしやがって、「ふざけるな!」
俺たちは戦争をしているんだ。虐殺をしているんじゃない!
そう思うと、はらわたが煮えくり返るようだった。
俺は、後席の西尾一飛曹に攻撃を告げると、一気に加速し、最後尾のB二九に取り付いた。
下からは、陸軍の探照灯部隊が、B二九をときどき照らして、そのシルエットを映し出してくれるが、それも間もなく途切れるだろう。
まったくの闇の中では、攻撃はできなかった。
ところが、不思議なことに、俺には暗闇の方が見えるんだ。
なぜかはわからん。
しかし、夜目に慣れるとでもいうのか、真っ暗闇になればなるほど、俺には、敵機の影がしっかりと映って見えるんだ。
だから、夜間戦闘機部隊が、性に合っているのかも知れない。
かといって、探照灯で照らしてくれれば、それはそれで有り難い。
しかし、いつまでも探照灯は続かないし、海上までは、光は届かないのだ。
「あいつが、海上に逃げ出す前に攻撃しないと、厄介だな…」
そんなことを考えながら、探照灯の光で映し出されたB二九を目標に、後は、四発のエンジンから出ている青白い炎が目印だった。
俺は、B二九のエンジン音に同調するかのように、同じ方向に向けて機体を操作し、敵のちょうど、やや下に潜り込むことに成功した。
しかし、速度は、四百㎞は出ている。
奴らもいち早く逃げるつもりだ。
それでも、機体は被弾しているらしく、思うような速度は出ていない。
間もなく、下部にある回転銃座が気がつくだろう。そうなる前に攻撃したい。
ようやく、俺の月光は、徐々に距離を縮め、まさに絶好の射撃ポイントに位置した。
すると、探照灯の光の輪の中にがちょうど敵機が入り込んだ。すると、突然、B二九の下部銃座が回転をし始めた。
「しまった、見つかった!」
「西尾、攻撃に入る!」
ぐーんと機体を敵機の進行方向に向け、同航態勢を保ちながら、二〇粍機銃の発射ボタンを押した。
ダダダダダダ…
と、連続でふたつの斜銃が唸りを上げた。
ガガガガガ…
と、下部銃座に二〇粍弾が命中したのだろう、下部銃座が吹っ飛んだらしい。
風防が、粉々に飛び散っている。
操作していたアメリカ兵は、空中に投げ出されたのだろう。
それらしき、姿は見えなかった。
しかし、俺の機体も、乱気流で態勢を崩しそうになるが、それを耐えて、同航態勢を維持しなければならない。
後席では、西尾一飛曹が、周囲の状況を確認しながら指示を出すことになっていた。もう、かなりの機銃弾を撃ち込んだはずだ。
俺は、機体を横滑りさせると、機体を左側に捻り、離脱操作を行っていた。「どうだ、西尾!」
そう叫びながら、後方をちらっと見た。
「はいっ!敵機、右側エンジン付近から火が見えます!」
そのときである。右エンジン付近からチラチラと見えた紅い炎が、主翼全体にばあっと広がるや、B二九は、くるりとひっくり返るような姿勢のまま、急速に暗い海の方に墜ちていった。
俺の眼には、その紅い炎の光だけがいつまでも残像として残っていた。
「分隊士、やりました!撃墜です!」
「ああ…」
俺は、その炎の奥にいる十人ほどのアメリカ兵に、心の中で手を合わせていた。
「すまないなあ…、あんたたちには恨みはないが、許してくれ…」
撃墜するまでは、俺も必死だった。
とにかく敵を攻撃しなければならない。
そうしなければ、俺がやられる。そして、国民を護れないからだ。
そして、やるかやられるかは、紙一重だった。
今回は、俺が勝ったが、次回はわからない。勝ち続けられるゲームなんてないんだ。
今、墜としたB二九の乗員は、きっと落下傘降下もできなかっただろう。
佐々木飛曹長が言っていた「阿鼻叫喚」の世界が、あの機内の中で起こっていたはずなのだ。
俺のやっている行為は、それでも正義なのだろうか。
そんなことを考えながら、飛行鞄に入っている「日記」をこっそりと撫でてみた。
そして、次の瞬間には、
「おい、西尾、基地に連絡してくれ!」
と、命令していた。
「はいっ!」
「こちら三日月一番。基地応答せよ…」
という西尾の明るい声が聞こえた。
しかし、西尾が連絡をしなくても、俺たちの会話は、既に無線をとおして基地に入っているはずだった。
きっと、通信室では、今頃、万歳を叫んでいることだろう。
こうして、俺のB二九撃墜スコアも五機に達していた。
第一章 へっぽこ飛行予備学生
俺、島田達夫が、海軍飛行予備学生に志願したのは、昭和十八年の初夏のことだった。
既に、大学生の徴兵猶予撤廃のニュースが流れており、どうせ兵隊に取られるなら、陸軍よりも海軍の方が少しは扱いがましだと思った…のも動機のひとつだった。
ちょうど、俺は、東京高等師範学校四年生で、この秋には繰り上げ卒業になるという噂もあり、思い切って海軍を志願することにしたのだ。
担任の教師や両親は、
「何も、今行かんでも…、それに学校教師や理工学系の学生は、さらに猶予があるというじゃないか、もう少し様子を見てからでもいいだろう…」
と、説得されたが、どのみち、早いか遅いかの違いにしか感じられなかったし、後になればなるほど、条件は厳しくなると思っていた。
「いや、もう決めたから、俺は行くよ…」
そういうと、さっさと手続を進めてしまった。
それ以来、両親とは、なんとなくギクシャクした関係になってしまったが、俺が合格し、入隊となると、さすがに諦めたようだった。
俺の家は、千葉県の佐倉にあった。
中学校は、県立佐倉中学校だ。
佐倉という土地は、堀田という譜代藩が治めていたところで、教育熱心な土地柄だった。
「積極進取」という言葉が好んで遣われ、この県立佐倉中も、正倫公という元の殿様の多額の寄付によって設立されたと聞いていた。だから、校舎も洋風で、近在ではなかなか立派な施設を持つ学校だった。
俺は、その佐倉中学校で五年間過ごし、そこから東京高等師範に進んだのだ。
佐倉中時代は、陸上部で、短距離や中距離の選手として頑張ったが、百m、十一秒五〇では、それほど注目されることなく終わった。
しかし、もう少し練習すれば、十一秒二〇くらいまでは走れそうな気がしていたが、それも時間がなかった。
高等師範では、中学校化学の教師を目指して頑張っていたが、中学生にまで軍隊に志願する奴らが出てくると、もう、そうも言っていられない雰囲気があった。
俺は、教育実習で、郷里の佐倉中学校の四年生の化学を担当したが、昭和
十七年の秋頃でさえ、冬になると教室の中のいくつかの席に、「出征中」の札が置かれるようになっていた。
十六か十七の年齢だったはずだ。
俺より、三つ、四つ若い後輩たちが志願して軍隊に入るのに、俺たち先輩が、のうのうと教室で授業をしていることに引け目を感じないわけにはいかなかった。
教室での生徒の話題も、軍隊のことが多く、俺にも、
「先生も、志願されるのですか?」
「私は、できれば、海軍を志願したいと思います」
屈託ない表情で、そう言われると、「うん、そんだなあ…」とお茶を濁したような話しかできない自分が、妙に恥ずかしかった。
四年生になった昭和十八年に入ると、戦局が益々厳しくなったことが、毎日のラジオ放送や新聞でわかっていた。
東京高師の寄宿舎にいる俺の元にも、教育実習をした教え子たちの志願の知らせが、多く入るようになっていた。
「なんだ、あいつも行くのか?」
「えっ、なんで、あいつが行くんだ?母一人子一人じゃないか…」
それは、少しだけでも教師らしいことをやった俺には、辛い知らせであった。
俺が志願した理由に、そんな後輩たちの志願があったのかも知れない。
教師になる夢を諦めるのは、辛かったが、どうせ教壇には立てない運命ならと志願してみたが、海軍は、俺が考えているような世界ではなかった。
なぜなら、俺は、海軍飛行予備学生の中では、操縦の下手な「へっぽこ学生」だったからだ。
俺たち第十三期飛行予備学生五千名は、昭和十八年九月三十日、土浦航空隊と三重航空隊に別れて入隊した。
採用試験は難しく、俺は落ちた…と思っていたが、意外と冷やかしが多かったのか、取り敢えず合格していた。
志願者は、全国で七万人もいたそうだから、そのうちの半分は「冷やかし組」としても、七倍ほどの倍率はあったことになる。
俺は、たまたま、理系の教員を目指していたせいで、化学、数学はできたはずだ。文系の連中の方が苦労したのではないかと思う。
しかし、その分、作文は苦手で、論文試験は、多分、ビリの方だろう。
それでも合格して、最終的に戦闘機専修学生の百十名の中の一人に選ばれたのだ。
ところが、ここに、とんでもない学生がいた。
名は、坂井直という男だ。
聞くところによると、國學院大学の出身らしいが、操縦の適性が抜群で、教員や教官たちから、「予備学生の天才」と呼ばれて、誉められるもんだから、俺たちぼんくら組は、やたら怒鳴られ、教官からよく拳骨を頂戴することになった。
「坂井学生ができて、なぜ、貴様らができんのだ!」
と、怒鳴られるが、坂井は坂井だろう…?としか、言いようがない。
その坂井とは、土浦航空隊と筑波航空隊で一緒の分隊になった。
土浦時代は、それこそ、右も左もわからず、まごまごしていると教官たちから鉄拳制裁を喰らう。
「貴様ら、なにをぼやぼやしとるか!兵学校の訓練はこんなもんじゃないぞ!」
と怒鳴るが、俺たちは兵学校に入学したわけじゃない。
何かと言えば、兵学校、兵学校…と言いやがって、そんなに兵学校が懐かしいなら、さっさと戻りやがれ…、と心の中で毒づいたが、兵学校出の若い大尉クラスの教官たちは、殴ることに喜びを感じているように思えた。
後で聞くと、この連中は、兵学校の七十一期らしく、最上級生徒の一号生徒に、開校以来というくらい殴られ、自分たちも後輩の七十三期をぶん殴った荒っぽい連中だそうだ。
それにしても、あのエリート校で、こんな鉄拳制裁が行われていたとは、俺も驚きだった。
確かに、俺たち佐倉中学校の同期の中にも、兵学校に行った者が数名いたが、この大尉たちの少し後輩だろう。
奴らも、相当に殴られたかと思うと、多少は我慢ができた。
それにしても、年中、口の中が切れて痛い。
兵学校では、どこに行くにも駆け足が基本だそうで、この土浦でも、やたら走らされた。
罰といえば、「グラウンド十周!」と言うくらい、走らされた。
酷い罰直になると、兵隊たちが使うハンモックを担がせて走らせるのだ。
ハンモックは、通常は寝る前に吊り床といって、兵舎にある金具止めにフックを引っかけて揺り籠を造るのだが、起きれば、すぐに畳んで専用の袋に入れることになっていた。
この布地が、帆布といって船の帆に使う丈夫な布地なので、重い…。
いざとなれば、これを艦の艦橋などに巻き付け、弾除けにも使うのだそうだ。それに、水にも浮くので、遭難時に浮き袋にもなる優れ物だった。
しかし、その重量は三十㎏もあっただろうか。
米袋ひとつ担ぐ要領で、肩に担いだままグラウンド十周はさすがにきつかった。
教官たちは、平気で「ハンモックを担いで、グラウンド十周!」と檄を飛ばしたが、余程の体力がないと完走は難しかった。
ときどき、連帯責任とやらで、俺たちもそんな罰直を喰らったが、平気だったのは、あの坂井直くらいなものだったろう。
あいつは、平然とハンモックを担ぐと、黙々とグラウンドを走っていた。
それが、教官たちには余程癪に障るのか、難癖をつけて坂井を虐めていたが、一度、剣道の稽古をしたときに、剣道二段だとかいう教官が、坂井に挑戦してコテンパンにやられてから、少しおとなしくなった。
まさに、ざまあみろ…だ。
坂井に話すと、
「いやあ、もう少し手応えがあると思ったが、あんなもんじゃ、気の毒だったな…」
と嘯くので、こいつは、怖ろしい男だと思った次第だ。
とにかく、大学や専門学校から海軍に入隊した俺たちは、右往左往しながら、土浦航空隊で鍛えられていた。
しかし、その間にも戦局は益々日本に不利な状況が続いていたが、まだ、国内的には「日本は、必ず勝つ!」という空気に満ち溢れていた。
しかし、冷静に考えれば、こんなノンポリの俺たちまで動員がかかるくらいなのだから、余程、兵力が乏しいのだろう…くらいのことは推測できたはずだが、毎日、作業をこなすだけで必死な俺たちに、そんなことを考える余裕すらなかったのだ。
その土浦での生活も、基礎教育の二ヶ月のみで、次は、筑波航空隊に行け!という命令を受けた。
ここで、初めて飛行機の乗って訓練を受けるのである。
俺たちのほとんどは、乗り物といえば、自転車がせいぜいで、中にはオートバイの経験を持つ者もいたが、さすがに自動車の運転をしたことがある者はいなかった。
当時の日本の大学生といっても、そんなものだったのだ。
それが、いきなり飛行機の操縦をするというのだから、驚きである。
俺は、一応、物理も勉強したので、航空力学等の原理はわかるが、操作方法までは勉強したことがない。
こんなことなら、グライダー部にでも入っていればよかった。
俺が卒業した県立佐倉中学校には、実際、グライダー部があったんだ。
そう考えると、少し、勿体ない気もしていた。
戦後、わかったことだが、アメリカでも日本と同じように予備学生のような制度で、大学生を陸海軍に勧誘したそうだ。
しかし、アメリカの学生は、普通に自動車を乗り回し、自家用飛行機を操縦できる者もいたそうだから、日本とは社会構造が全く異なっていた。
それに、「リーメンバー・パールハーバー!」の合言葉は、合衆国全土に広がり、猛烈な敵愾心を日本に向けてきたのだ。
だから、アメリカの大学生は、挙って軍隊を志願し、様々な分野で活躍したと聞いた。
日本は、攻撃をしかけた方だったが、政府や軍部が、「鬼畜米英!」と連呼したが、それを鵜呑みにして敵愾心を燃やす学生は少なく、どこか冷ややかに時勢を見ていたような気がする。
俺だって、「遅かれ早かれ、軍隊に取られるんだ…」という気分で志願したわけで、特にアメリカを倒したいと考えたことはなかった。
そんな意気込みの違いも、戦争には大きく影響するのかも知れなかった。
そんな中で、「予備学生の天才」と呼ばれることになる坂井とは、また、同じ分隊になっていた。
坂井は、福島県の白河の農家の生まれで、大学を出たら、家の跡を継いで農業をやる…と言っていた。
昔からの素封家だから、分家でもして貰うのだろう。
俺からしてみれば、いいご身分だ…というところだ。
それでも、奴は、いつも飄々としていて、ガリ勉タイプではない。
学力は、俺の方が少し上かも知れない。ただし、運動神経は、間違いなく、俺たち同期の中では一番だった。
特に、格闘技には滅法強く、柔道や剣道の有段者も歯が立たなかった。
その中でも剣道は、独特の動きをして周囲を驚かせた。
稽古では、よく打たせてくれたが、奴自身が打つ場面をあまり見たことがなかった。しかし、練習で試合をすると、とにかく強い。滅法強い。
噂では、全国中学生剣道大会で、団体三位だったそうだ。
そのときの大将が、確か、坂井だという話を聞いたことがある。
個人戦には、なぜか出場していなかったようだ。
そんな坂井だったが、自分の剣の腕をひけらかすこともなく、どちらかというと、あまり知られたくないように見えた。
坂井自身は、あまり物事に頓着することがないためか、普段はどこにでもいそうな普通の学生だった。だから、教官たちも侮って、俺がやっつけてやろう…くらいの気分で坂井に挑戦してくるのだが、剣の腕前は、大人と赤子だった。
そして、いつの間にか、教官や予備学生仲間の注目を浴びるようになっていたのである。
ある日のことである。その坂井が、俺の所を尋ねてきた。
何でも、数学を教えて欲しい…とのことだった。
俺は、できれば、中学校の物理か化学の教師になりたいと思っていたので、数学は得意だった。
坂井は、どうやら文系らしく、国語や歴史は得意だそうだが、「数学は、どうも…」という程度だったから、俺にも、やっとひとつ勝てるものがあったという訳だ。
それから、坂井とは、急速に仲良くなった。
俺は、高師では、一応、航空力学も学んでいたので、飛行機が飛ぶ構造は理解していたのだが、実際となると、なかなか理論上のようにはうまくいかなかった。
数学は、一見、難しそうに見えるが、これも一定の法則がある。
数字上の問題は、理屈さえあえば、間違いなく解ける。しかし、理論を基にして設計された飛行のような代物は、そこに、人の手が加わったことから、少しずつ、誤差を生じるのだ。
だから、俺は、操縦が苦手なのだ…と勝手に理屈をつけた。
しかし、こうして坂井に数学の理論を教えていると、教えるという仕事は、俺に合っているのかも知れないと思うようになった。
坂井も、
「おう、そうか、そうか…、なるほどな。島田、貴様は、教える天才だな…」
なんて言うものだから、その気になってしまったのかも知れない。
俺に言わせれば、教えるコツは、そんなに難しいものでもないのだ。
まず最初に、教える相手の個性を掴むことだ。
集中力、根気強さ、粘り強さ、理解力、機転が利くか、発想が豊かか…など、人それぞれ個性がある。
だから、みんな一律の方法では、差ができて当然だった。
坂井は、剣の修行の賜なのか、集中力、根気強さは抜群だった。
そして、応用力も高く、一度基本の数式を教えると、それを応用してどんどん自分なりの解法を見つけていくのだ。
ときには、俺が気づかなかった解法を見つけて問題を解いてしまうことがあり、こいつは、数学に真剣に取り組んだら、怖ろしい数学者になるかも知れない…と思わせる切れ味があった。
ただし、あまり学生時代に数学を解いた経験が不足しているために、応用ができないのだ。だから、基本の数式のパターンが必要だと感じていた。
そして、それは、物の見事に、坂井に嵌まったのだ。
「いやあ、俺も数学が好きになってきたよ…」
そんなことを言い出したのは、五回ほど、俺のところに来た頃だった。
だから、俺が教え方がうまいのではなく、坂井の隠された能力が引き出されてきただけのことだ…と感じていた。
そんなことだから、坂井は、航空力学もすぐに理解し、飛行訓練に入っても、動物的な閃きと理論で、瞬く間に、自由に空を飛べるようになっていったのだ。
それにしても、坂井の剣はどうなっているんだ。
それは、筑波航空隊に来てからも同じだった。
稽古は、普通にやっているが、特に目立つ動きはない。
周囲も最初の頃は、土浦での試合を見ているだけに、「凄い剣の遣い手」という噂があったが、日を追うごとに、やっぱり普通でしかなかった。
体だって、道着をつけていれば、俺たちより細くさえ見える。
身長も一七〇㎝程度だったし、顔を優しげな顔立ちをしていた。
大柄で厳つい学生もいる中で、黙って竹刀を振っていれば、目立つなんてことはなかった。
しかし、風呂場なんかで一緒になると、その肉体は、まるで「鋼」のようだった。
筋肉があるというより、筋肉そのものが引き締まっていて、鋼鉄の棒が何本も体の中に埋め込まれているような体をしていた。
俺が、
「なんだあ、その体は…?」
と、素っ頓狂な声を挙げると、なんでもないかのように、
「ああ、昔から鍛えていたからなあ…」
と言うばかりで、俺には、どうしたら、そんな体ができるのか…不思議でならなかった。
だから、奴が竹刀を持つと、俺たちにはその動きが、まったく見えないのだ。要するに、「見えない」から、気づかないのだ。
一度、道場でじっくりと坂井を観察してみると、奴は、ふっと動いたかと思うと、次の瞬間、相手の後方に回り込んでいるなんてことが、しょっちゅうあった。
俺と竹刀を合わせても、俺が何もしていないうちに、竹刀が宙を飛んでいたことがある。だけど、その動きが見えた者は、だれもいなかった。
もし、坂井が幕末にでも生まれていたら、「人斬り坂井」なんて呼ばれるような剣豪になっていたのかも知れない。
そう思うと、少し身震いがした。
あるとき、筑波空師範の矢野大尉が坂井に挑戦したことがあった。
どうやら、土浦航空隊での坂井の噂を聞きつけ、試したくなったのだろう。
矢野大尉は、武徳館の四段だそうで、全国中学生大会個人戦の入賞者だそうだ。それに、機関学校でも剣道主任を務めた猛者で、この筑波航空隊でも、矢野大尉に勝てる者はいなかった。
ところがである。
俺たち学生が見ている前で、矢野大尉の竹刀は、悉く空を斬り、坂井の体に触れることもできないのだ。
その日は、俺たちの剣道の稽古が終わり、少しばかりの休憩を楽しんでいるときだった。
道場のガラス戸が開き、矢野大尉が防具を持って入ってきた。
矢野大尉は、整備分隊の分隊長で、俺たちが訓練で使用する機体のすべてを整備していた。
いつもは、つなぎの作業着を着て、油まみれで仕事をしていたので、なかなか、分隊長だとわからず、気安く声をかける学生もいたくらいだった。
偉そうな分隊長だと、作業着のつなぎを着ることなく、軍服のまま、
「ああせい、こうせい…」
と指示だけ出して、さっさと士官室に引き揚げる人もいたそうだが、矢野大尉は、率先して飛行機を整備するので、整備分隊では神様のように尊敬されていた。
事実、難しい故障も難なく直し、もたもたしていると、
「貴様ら、なにやっとるかぁ!」
と、怒鳴られるのがおちだった。
「さすが、機関学校出のエリートは違うなあ…」
と兵たちは感心していたが、矢野大尉に言わせれば、
「俺は、機械いじりが好きで、機関学校に入ったんだ」
というくらい、いつもつなぎの作業服の腰に、スパナやレンチなどの工具を特製の工具ベルトにぶら下げて、持ち歩いていた。
そして、
「俺にとって工具は、武士の刀と同じなんだ…」
と、いつも大切に扱い、毎日、点検を怠らなかったそうだ。
だから、近いうちに重要な基地に配属されるんじゃないか…と噂されていたが、練習航空隊で少し休養していたのかも知れない。
それでも、剣道の稽古は欠かさずに行っており、実際には古武術も習得しているという話だった。
その、道場に出ると「天下無双」と言われるくらいの実力者が、あの坂井には、手も足も出なかったのだ。
矢野分隊長は、道場に、もそっと入ってくるなり、
「おい、坂井学生、おるか?」
と大声で尋ねるので、坂井が、
「はい、ここにおります!」
と、手を高く上げ、不動の姿勢を取ると、
「おう、坂井学生。ちょっと、お手合わせ願えるかな?」
と、猫のような仕草で、手招きをするのだった。
俺たちは、何が始まるのか…とわくわくしながら、二人の様子を見物させて貰うことにした。
坂井は、「しかたない…」という風で、
「はい!こちらこそ、願います!」
と、返事をすると、そそくさと防具を着けて、道場の中央に進み出た。
もうそのときから、道場には、ピーンとした緊張感が走っていた。
俺も、思わず、ゴクッと生唾を飲み込んで、二人の動きを凝視した。
二人は、お互いに礼をすると、蹲踞の構えから、静かに正眼に構えた。
その間、五秒ほどが過ぎた。
そして、二人の竹刀が、切っ先を合わせると、矢野大尉が、思いっきり、突きを入れたのが見えた。
「きえーい!」
怪鳥のような叫び声と共に、矢野大尉の竹刀がぐーんと伸びて、坂井の喉笛に突き刺さった。
「あっ、坂井がやられた…」
俺は思わず、坂井が倒れるであろう床面を見ていた。
ところがである。
なんと、そのとき坂井は、床に転がってもおらず、それどころか、矢野大尉の正面にもいないのだ。
すると、今度は、刀風がひゅんと唸りを上げて横切ったような風圧を感じた。
「パシーン!」
どこからともなく飛んできた竹刀は、矢野大尉の横面を思いっきり叩いていたのだ。
「ズダーン!」
矢野大尉は、そのまま思いっきり横に倒れ、身動き一つしなくなっていた。
それより、矢野大尉の体が、ピクピクと小刻みに震えているのに驚いた。
ひょっとしたら、軽い脳震盪を起こしたのかも知れなかった。
そして、矢野大尉の脇には、既に正眼に構えた坂井が息も切らさずに立っていたのだ。
俺たちは、今、ここで何が起きたのか、瞬時にはわからなかった。
ただ、「矢野大尉が負けた…」という事実だけが、彼の倒れた姿とともに実感することができた。
それでは、あの坂井に突き刺さった竹刀の切っ先は、どこにいったというのか?
すると、審判を務めていた都築中尉が、一瞬呆然としていたようだが、俺たちが気づくと同時に、右手を挙げ、「一本!」と坂井の勝利を宣言したのだった。
すると、ようやく意識を取り戻したのか、矢野大尉は、徐に体を起こすと、頭を押さえながら、中央線に戻り、蹲踞の構えを見せて、剣を収め、お互いに一礼をしたのだった。
面と小手を外して、一息吐くと、矢野大尉が坂井の元に歩み寄るのが見えた。
矢野大尉が笑顔で何かを話しているようだった。
坂井は、まじめな顔をして、何度も頭を下げていた。
きっと、矢野大尉は、坂井を讃えていたのだろう。
最後に、矢野大尉が坂井の肩を小手を嵌めたまま、ポンポン二回叩くのがわかった。
きっと、あれが矢野大尉の礼なんだろう…と、俺は勝手に思っていた。
そして、俺は、ただ「なんて凄い奴なんだ…」と、坂井を見詰め、ため息しか出なかった。
こんなもの凄い男が、俺たち予備学生の同期にいることが信じられなかった。
そして、その後も坂井に挑戦しようとする、畏れを知らぬ男たちが現れるのだが、坂井の剣は、そのどの剣にも負けることがなかった。
この道場での出来事は、俺たちだけでなく、瞬く間に、筑波航空隊全体の噂となって隊内を駆け巡っていた。
聞く者、聞く者が、
「えっ、嘘だろう。あの矢野大尉を一瞬で破ったのか…?」
それは、聞く者すべてが、信じられない逸話となった。
みんなが呆然として、坂井を見直したが、暫く経つと、筑波航空隊時代に、坂井に剣で立ち向かおうとする者はいなくなった。
時々、噂を聞いて見学に来る幹部や他の航空隊の人間もいたが、
「そんな風には、見えんがなあ…」
と、偉そうに批評だけはしていったが、実際、立ち会ってみようとする者はいなかった。
今まで、だれもが矢野大尉に勝てないものを、また、坂井にコテンパンにされれば、上官たちは、恥の上塗りになってしまう。
特に兵学校や機関学校出の将校たちは、俺たちを目の敵のようにしていたので、関係のない俺までが、ざまあみろ!と少しは溜飲が下がる思いがして、心密かに喜んでいた。
予備学生の宿舎に戻って来たその日の夜、俺は、こっそりと坂井に今日の試合の様子を聞いてみた。
「おい、坂井…。今日の矢野大尉との試合、凄かったな…」
「矢野大尉は、実際、剣の腕前はどうなんだ?」
すると、坂井は、特別なことをしたような顔も見せずに、
「ああ、矢野大尉か…。あの人は、なるほど、武徳館四段は間違いじゃない」
「あの突きの鋭さは、並の遣い手じゃあないな…」
「えっ、じゃあ、なんであんなに簡単に、倒せたんだよ?」
そう聞く俺に、坂井は、
「そうだな、俺の剣は、通常の剣道じゃない」
「つまり、ん…と、実戦用の剣なんだよ…」
「いいか、島田。実際の戦場では、突きだろうが小手だろうが、先に傷つけた方が勝つんだ!」
「それも、致命傷になるような部位に、切っ先を当てた方が勝つに決まっている。だけど、致命傷にならなくても、どこかに傷をつけて出血を強いるという方法もある」
「今の剣道は、戦う剣ではない。面や小手にしても、心技体が一致しなければ一本にならないじゃないか…」
「そんなふうに、うまく致命傷に一撃を喰らわすことは、実際には無理だろう…」
「俺たちが今、やろうとしていることだって、そうじゃないか。飛行機を墜とすには、何もエンジンや搭乗員を撃たなくたって、方向舵を撃ち抜いただけで、飛行機は平行を保てないんだぜ…」
「それと同じさ…。とにかく、敵を傷つけ、勝利をもぎ取るのが、俺の習得した剣なのさ」
「俺は、子供の頃から、そんな剣を学んできたんだ。だから、普通の剣道はできない」
「時間をかけて、一本を決めるまで続く今の剣道は、俺の性には合わないんだ」
「もちろん、みんなと一緒にやるときは、そんな真似事もするが、試合となれば別さ…」
「まして、あの矢野大尉の剣は本物だった。あの剣先の鋭さといい、ぐんと伸びてくる速さといい、真剣なら切っ先が喉に届いていたかも知れない」
「俺は、竹刀の切っ先を合わせた瞬間に、矢野大尉の実力がわかった。それは、矢野大尉も同じだったと思うよ。だから、下手な面を打つことを止め、飛び込み突きを見せたんだ」
「いきなり、突きに来るとは、思わないからね…」
「だけど、実戦じゃあ、何でもありさ」
「俺は、矢野大尉の肩が動いた瞬間に、躰を開いて首の皮一枚で切っ先を躱した。そして、腕が伸びきった矢野大尉の横面を打ったのさ」
「しかし、俺にも余裕がなかった。きっと俺自身が熱くなっていたんだと思う。つい、竹刀の先端に力を込めてしまった…。それで、矢野大尉は、少し脳震盪を起こしたんだろう」
「申し訳ないことをした。それで、後で、謝ったんだよ」
こうやって聞いてみると、坂井という男が益々恐ろしくなった。
こんな凄い腕を持っているから、飛行機の操縦も簡単にこなせるんだと改めて感じていた。
しかし、数学を教えて貰いに来るときの坂井は、可愛い少年のようなところがあった。
普段は、のんびりやで間の抜けたところもあったが、奴は、筑波の課程を三席で卒業して見せた。
俺が、三十位だったから、奴は相当に頭もいいのだ。
本人は、上二人が帝大の卒業生だったので、何か恥ずかしそうにしていたが、飛行技術だけを取れば、三席どころか、とんでもない秀才に違いないのだ。
まあ、俺といえば、必死に操縦を覚えようと努力し、坂井にもコツを聞いたりしたが、なかなか体が反応してはくれなかった。
俺だって、子供の頃から陸上をしていて、百mを十一秒そこそこで走る脚力を持っていたが、他にも足が速い奴もいて、そう目立つほどでもなかった。
それに、坂井は運動神経抜群で、マットでも鉄棒でも、走らせても何でもうまかった。
本人は、
「昔から、野山を稽古場にしていたからなあ…」
と言っていたが、俺たち同期の中では、「あいつは、忍者さ…」と、競争することを諦める者がほとんどだった。
さて、俺のことだが、座学はなんとかこなせても、飛行訓練となると、いつも頭を抱えていた。
俺の飛行訓練の教官は、西沢一等飛行兵曹だった。
下士官なので、教員と呼ばれていたが、俺たち予備学生が准士官なので、言葉遣いは丁寧だ。
しかし、練習航空隊とはいえ、赤トンボの他に実用機も数機は置いてあった。
ときどき、教官たちが、零戦などを飛ばしていたが、実用機は、まず爆音が違っていた。
腹の底に響くようなエンジン音が響き、その離陸速度も着陸速度も、練習機とはまったく違う代物だった。
俺たちは、そんな実用機に憧れ、練習機であっても必死に足掻いていた。
空に上がれば、あっちにふらふら、こっちによろよろ…、風の吹くままに漂う凧のようだった。
そうこうしていると、後席に乗った西沢教員が、
「島田学生、堅いですよ。もっと、柔らかく操縦桿を握って…」
「はい、そこで、右に倒す!」
そんな調子で、指示を受けながらも、やっぱり、安定した飛行ができなかった。
地上に降りると、
「さて、島田学生、どうしましょうか?」
「これでは、なかなか、単独飛行、できませんよ…」
西沢一飛曹も、困ったという顔を正直に表し始めるのだった。
俺にしてみれば、一生懸命頑張っているし…、肩の力を抜こうとしているんだが、どうも、変なところに力が入っているらしいのだが、まったく、自覚症状がない。
こうなったら、坂井を頼るしかない…。
坂井よ、何とかしてくれ…。
そう考えながら、休日に坂井に頼んで、剣道の稽古をつけて貰うことにした。
よくはわからないが、剣の遣い手である坂井が上手く操縦できるのなら、そこにこそ、極意が隠されているのではないか…と、俺の頭脳が分析をしていた。
要するに、坂井のいう「剣の極意」を教えてくれ…ということだ。
坂井は、「そうか…」と少し思案顔だったが、顔を上げると、こう言った。
「そうだな、島田。おまえは、その性格のせいか、操縦桿の握りが堅いんだよ…、違うか?」
「性格…?性格ってなんだ…?」
俺の性格と飛行機の操縦が、どう関係するって言うんだ…?
すると坂井は、
「島田は、少し生真面目すぎる。頭が理屈っぽ過ぎるのかな…。自分が覚えた理論通りに飛行機を動かそうとするから、逆にぎこちなくなるんだと思う。それに、妙な力が体全体に入っているんじゃないかな…」
「おまえの飛行機を見ていると、動きが硬いんだ。あれじゃあ、敵に動きを読まれちまうぞ…」
俺は、その分析に、ある程度納得した。
確かに、俺にはなんでも理詰めに考える癖があった。そうしないと気が済まないところもあるが、とにかく、理屈に合わない考えが嫌いなのだ。
「ああ、そうかな…。いつも西沢兵曹に言われるんだが、なかなか直らん」
すると、坂井が、こう呟いた。
「そうだ。島田。貴様も少し、剣を振ってみるか、今度の稽古が済んだら、俺の鬼樫を一本貸してやるよ。少し軽いのも持ってきてるんだ…」
そうか、素振りか…?
剣道は、学生時代から経験はあったが、確かに真っ直ぐな剣で、先を読まれ、あまり勝ったためしがない。その点、短距離走は、ひたすら愚直に走りきればいいので、ずっと陸上を続けてきたが、その硬さが、記録を伸ばせなかった理由かも知れない…と思った。
それに、坂井が言うんだから、そうかも知れん。
よし、このままじゃあ、戦闘機どころか、偵察に回されちまう。
下手すれば、予備学生免職にでもなったら、恥ずかしくて、家にも帰れないじゃないか…。
そう思うと、俺も必死になってきた。
次の日曜日、朝から俺は坂井を誘って、道場に向かった。
昭和十九年の正月も終わり、その日も寒い朝だった。
しかし、泣き言を言っている場合ではない。
俺は、早速道着に着替え、竹刀を持って中央に出ようとすると、坂井が、
「おい、島田。だめだよ、木刀にしよう。それに、今日は防具も不要だ」
「俺の稽古には、防具はいらない。木刀一本あればいいんだよ」
そう言うと、俺にも一本、木刀を手渡した。
それは、竹刀とは違い、がっしりと重い感覚があった。
「ああ、重いなあ…」
と呟くと、
「おい、こんなのは、箒を持つのと変わらんぞ…。貴様は、まだ、腕力が弱いんだよ…」
えっ、そんなことはない。俺だって人並み異常に腕力はある。
腕相撲だって、結構強いんだ…と不満そうな顔を見せると、
「いやあ、すまん、すまん。そうじゃない」
「剣を振るには、肩の力が必要なんだ。腕相撲は、肩はそんなに使わんだろう…」
「この肩を鍛えることで、無理なく木刀が触れるようになるんだよ…」
そう言うと、片手で木刀をビュンビュンと振り回すのだった。
俺も同じことをしてみるが、坂井の十分の一も触れずに、もう肩や二の腕がパンパンになってしまっていた。
「おい、坂井。貴様の腕はどうなっているんだ?」
「俺は、もう、木刀が上がらんよ…」
そう嘆くと、
「これが、楽に出来るようになれば、貴様の操縦もうまくなるはずなんだがな…」
坂井は、そう言うと、にやっと笑って、また、木刀を振り続けていた。
何でも、坂井は、毎日、「鬼樫」という重い木刀を、百回振ることを日課にしているとのことだった。
そういえば、坂井は、俺たちが洗面している間に、宿舎の裏で、ビュンビュンと木刀を振っているという話は聞いていたが、あまり興味のなかった俺は、変わったことをしているなあ…、くらいにしか考えていなかった。
しかし、そうした努力こそが、今の坂井を作ったのだと思うと、自分が酷く恥ずかしかった。
そんな木刀を振る時間が三十分も過ぎただろうか…。
俺の右腕は肩から指先にかけて、もう神経が切れたかのような感覚しかなかった。すると、坂井が、
「島田、そろそろいいだろう。じゃあ、立ち会い稽古をするか?」
そう言うと、そのまま、俺を道場の中央に誘った。
「島田、じゃあいいか。俺に自分の好きなように打ち込んで来い。もし、おまえの木刀の先が、俺の体のどこかに擦れば、おまえの勝ちだ。しかし、それができなければ、おまえの負けでいいな…」
なんだ、そんなことなら容易いくらいだ。
俺だって、脚力は坂井にも負けない。
一本は取れなくても、木刀が体に触れることくらいはできるはずだ。
ばかにするなよ…坂井。
そう思い、坂井の「よし、始め!」の合図で、奴に打ちかかっていった。
しかし、坂井の速さは、俺の予測を遥かに超えるスピードだった。
前から打ち込めば、すぐに消えてしまう。
気がつくと、後ろにいるじゃないか。
後ろを振り向きざま、足を払おうと、木刀を下に振れば、奴は、それを飛び越し、俺の脇へと移る。
そんなことを繰り返しているうちに、俺の方がへとへとになってしまった。
「どうした、島田…。もうおしまいか?」
そう言うなり、坂井の体は宙を舞い、木刀で俺の肩を打ち据えた。
それは、そんなに強い痛みを感じるものではなく、明らかに手加減してくれたものだった。しかし、
「あっ、!」
そう思った瞬間、俺は木刀を取り落とした。
もう、俺の両手には、握力が残されていなかったのだ。
冬だというのに、俺の体は汗にまみれ、道着に濃い染みを作っていた。
もう、これ以上、木刀を握って動くのは正直、無理だと感じていた。
坂井は、俺の様子を見て、「そこまで!」と声をかけた。
坂井を見ると、さほど息切れもなく、道着の乱れもない。
あれほど動いたはずなのに、奴の心臓はどうなっているんだ…?
と、不思議でならなかった。
「少し休むか、島田…」
そう言うと、坂井と俺は、道場の隅に行き、呼吸を整えることにした。
すると、坂井は側に置いた風呂敷包みから、大きな饅頭を二つ取り出して俺に、そのひとつを手渡した。
その饅頭は、ほんのりと温かみを残しており、坂井にどうしたのか…?
と、尋ねると、一度ふかしてから新しい手ぬぐいで包んでいたと言っていた。
休日の早朝から、そんなことまでしてくれる同期の戦友が、有り難くもあり、何も考えずに嫉妬していた自分が情けなかった。
俺は、ひと言「すまん…」とだけ言った。
すると、坂井が、外を見ながら呟くように話すのだった。
「なあ、島田。俺は、子供の頃から、この剣の修行に明け暮れていたんだ。俺の家は、割合大きな農家でな…。この剣は、我が家に代々伝わる田舎剣法なんだよ。ただ、室町の頃から、人知れず口伝で伝えられた実戦用の剣で、昔は、戦場に駆り出されても死なないように、百姓は、みんな、必死で学んだそうだ…」
「生き残るための剣だから、流儀はない。祖父さんは、密かに無限流を名乗っていたが、この剣のお陰で、村は生き残り、俺たちも生き残らなければならないんだ…」
そう言うと、徐に、俺の顔を見た。そして、
「貴様の剣は、強いが、しなやかさがない。戦争もそうじゃないか。どんなに強力な軍艦を造っても、小さな飛行機の爆弾ひとつで沈められるんだよ。その飛行機も、操縦ひとつで、強力な戦闘機を墜とすことだってできる」
「強さは、弱さなのかも知れない…」
「貴様の剣は、強い。強いが強いて言えば、脆い。たとえばな…、日本刀もそうなんだが、刀匠が、堅くて丈夫な刀を造ろうとするだろう。玉鋼をたくさん入れて造ればよさそうなものじゃないか。そして、高温で何度を焼き、冷水で締めるんだが、堅い刀ほど脆く、その温度の高低差で折れてしまうんだ。ところが、名工が造ると、さほど鋼の量も多くなく、温度も高くない。それでも、何度も焼き、叩き、締めることを繰り返すと、いつの間にか柔らかくて強い剣が出来上がってくるんだ。それは、本当に根気のいる仕事だそうだ。俺の田舎にも、祖父さんが贔屓にしている刀鍛冶がいるんだが、俺も子供の頃、よく、見せて貰ったもんさ…」
「そして、祖父さんから、直、よく見ておけ。剣は、剛だけでは本物にはならん。自分の体の強さを忘れ、剣の赴くままに振ってやることなんじゃ。そして、最後の最後に、柄を絞れ。そうすれば、剣は鞭になる。その鞭で打たれれば、首も手も、痛みを感じぬまま、体から離れていくじゃろう…」
「そんなことを、聞かされたもんさ…」
「どうだ、島田。欺されたと思って、やってみないか?」
そう言うと、俺に、布袋に包まれた木刀を一本、手渡してくれた。
そう、あの「鬼樫」だった。
それも、この鬼樫の木肌は紅く、まるで「赤鬼」が取り憑いているようだった。
「島田。俺の鬼樫は、黒だ。黒鬼樫だ。おまえは、赤鬼樫を振れ。毎日百本、俺と一緒に振ればいい。そうすれば、自分の強さも、弱さも見えてくるはずだ…」
そう言うと、俺たちは、笑いながら、残りの饅頭をほおばった。中の餡子が甘く、うまかった。
翌朝から、俺の「赤鬼樫」の修行が始まった。
とにかく、この赤鬼樫は重い。
通常の木刀は六百g程度だったが、この赤鬼樫は、一.八㎏程はあった。
姥目樫と呼ばれる古木の「樫」で造られているそうで、素振り用とはいえ、こんな重い木刀を持ったこともなかった。
坂井は、これよりさらに重い「黒鬼樫」を使っている。
坂井にいわせれば、
「島田の腕力は、他の者以上にある。その上、肩も強い。しかし、その周辺の筋肉とのバランスが悪く、無用な力が入り、力みにつながる」
のだそうだ。
それを直すには、重い木刀を何度も振り、肩周りの筋肉をつけるしかない。それも、両方の腕でしっかり振れば、体幹が鍛えられ、「力み」がなくなるということだった。
まあ、とにかく、やってみるしかない。
もし、これでうまくいかなかったら、操縦学生をくびになるかも知れないのだ。
せっかく、戦闘機専修に選ばれたんだから、何としても合格したかった。
それからの俺は、毎日、毎日、坂井がいようがいまいが、夢中になって赤鬼樫を振り続けた。
最初の頃は、体中がバキバキと音がするくらい筋肉が痛んだが、ひと月もすると自由に触れるようになってきた。
そうなると、こちらも楽しくなり、ただ振るだけでなく、坂井のように、敵を想定した動きまでつけられるようになってきたのだ。
なんとなく、腕や肩周りだでなく、背中や首、腰までも筋肉が覆い、風呂場に入っても、周囲の者が「おおーっ…」と言うような体つきになってきていた。
そして、そんな間にも、戦局は益々厳しさを増し、俺たちの飛行訓練にも熱が入るようになってきた。
同乗訓練から単独飛行、そして同乗での特殊飛行まで、複葉の練習機とはいえ、それを四ヶ月でマスターしなければならなかった。
そして、その後は、すぐに実用機に入るのだ。
そうなれば、俺は、憧れの零戦に乗ることができる。
そう考えると、少し、希望の光が見えてきたように感じていた。
そんなある日、坂井がやってきて、
「おい、島田。西沢教員が、操縦がうまくなったと言っていたぞ…。どうだ、今度の休みに、もう一度、道場で手合わせをしないか?」
俺は、少しだけ自信が付いてきた頃だったので、「おう、頼むよ…」と返事をした。
確かに、西沢教員が言うように、俺の操縦は変わってきたと、俺自身も思う。
既に、単独飛行も許され、操縦桿を握る手に、力が入らなくなっていた。
実際は、かなり力を必要としているはずだが、それでも、少しだけククッと入れるだけで、飛行機は思う方向に動いてくれたのだ。
単独飛行が終わる頃、西沢教員が、声をかけてきた。
「ああ、島田学生。随分とうまくなりましたね。下から見ていてもよくわかりますよ。これなら、あの坂井学生にも負けんかも知れませんね…」
滅多に誉めない教員に誉められたので、赤面してしまった。
そして、
「いやあ、私なんか、まだまだですよ。あの坂井は、別格ですから…」
と、頭を掻きながら、返答すると、西沢教員は、続けて、
「ところで、次の単独飛行で最後でしょう。スタントもマスターしたみたいだし、どうですか、一度、同乗させて貰えませんか?」
ふーん、そうか、西沢教員は、どうして俺がうまくなったのか、その秘訣を知ろうとしているんだな…?
と、気づいて、
「はい、わかりました。ぜひ、同乗飛行、願います」
と答えた。
坂井との稽古は、数日後だったが、俺自身、なぜ、操縦がうまくなったのか、知りたい気持ちもあったのだ。
翌日、飛行服に着替えると、早速、搭乗割を見て、飛行機の機体番号と飛行順を確認した。
「なんだ、一番じゃないか?」
俺は、早速、分隊長のいる天幕に行くと、
「島田学生、ただ今より、同乗飛行に出発します!」
と大声で分隊長に申告した。
西沢教員と同乗飛行をすることは、前日に申告してあった。
分隊長も、「うむ!」と返事を返すと、招き猫のような仕草で敬礼を返してきた。
この分隊長は、少々変わり者で、いつも薄汚く、ヨレヨレの軍服や飛行服を身につけていた。
名前は、藤田大尉と言ったが、彼が表情を変えたことを見たことがない。
それでも、ミッドウェイの生き残りだと聞けば、歴戦のベテランだということはわかる。
まあ、誉めるにしても叱るにしても、表情を変えないので、俺たちは、「大仏」と尊敬を込めて呼んでいた。
その大仏分隊長に許可を貰うと、早速、練習機「T-102」に向かった。
練習機は、通称「赤トンボ」と呼ばれる九三式中間練習機である。
この機体には、オレンジ色の塗装がしてあり、そらに悠々と飛んでいる姿は、まさに秋の空に飛ぶ「赤蜻蛉」そのものだった。
地上から見れば、悠々と飛んでいるように見えるが、上空では、練習生が教員に怒鳴られながら、飛行術を学んでいるわけだから、悠々なわけではない。しかし、今の俺は、もう悠々と飛べるような気がしていた。
滑走路には、既に数機の赤トンボがエンジンを回して待機している。
俺の機体の側には、既に西沢教員が来ていた。
俺が直立不動の姿勢で敬礼すると、すぐに教員も敬礼を返し、
「それでは、島田学生、願います」
と、後部座席に乗り込んでいった。
今日は、西沢教員は、何も言わなかった。それは当然だった。
俺は、今日が最後の単独飛行訓練で、後は、実施部隊への配属を待つだけだったからだ。
俺は、もう以前の俺じゃない。
坂井から手解きを受けて三ヶ月、無我夢中で赤鬼樫の木刀を振り続けた。
毎日、毎日、それは、百本から百二十本、百五十本と増えていった。
坂井が言うように、有段者でも、三十本も振れば音を上げる代物を、俺は
百五十本を超えても、平気で振れるまでになっていた。
坂井に言わせれば、それは、それで驚異だそうだ。
「島田。貴様は凄いな…。貴様の腕力は人並み以上だとわかっていたが、貴様の肩も人並み以上だとは、気づかなかった。この肩が弱いと、まず、鬼樫の重さで、肩をやられちまうんだ…」
「それを、貴様は、悠々と振り続けられる。たいしたもんだよ。これを続ければ、貴様と剣を交えるときには、俺も注意が必要だな…。今度、他の連中とやってみればいい。おまえは、恐ろしく強くなっているはずだ…」
そう言われれば、俺も悪い気はしない。
その証拠に、俺の飛行技術は、めきめきと上達しているのだから…。
「ようし、車輪止め、はずせ!」
「前方よし、後方よし、発進する!」
俺は、整備員が車輪止めを外すのを確かめて、スルスルと機体を滑走路の端に持って行くと、後席に「じゃあ、行きます!」と伝声管で伝えた。
後席からは、「はい、願いまあす…」と、軽い声で返答があった。
何か、単独飛行前の西沢教員の声ではないような気がしていた。
以前は、出発します!と声をかけると、厳しい声で、「願います!」とだけ言って、緊張感がビシビシと伝わって来たものだが、今は、のんびりした口調が印象的だった。
俺は、所定の操作通りにスロットルを全開にすると、操縦桿を倒し、尾部を上げた。
加速がつくと、操縦桿を徐に引き、機体を浮上させるのだ。
九三式中間練習機は、初期の練習機としては、世界一優れた機体だといわれるだけのことがあって、滑走路の半分も使わないうちに機体は宙に舞い上がっていった。
「高度、一千まで上昇します」
「了解…」
今日は、春らしく全体に靄がかかっていたが、上空は、春の光が飛行中の機体にも降り注ぎ、寒さの中にも春を感じる余裕があった。
この練習機課程が修了すれば、いよいよ実用機課程である。
そして、実用機課程に合格すれば、前線に出ることになる。
後、数ヶ月後には、間違いなく俺の「戦死」があり得るのだ。
そう考えると、今という時間を大切にしたい…と考えながら飛行を続けた。
「これより、筑波山を目指し、水平飛行の後、左旋回からスタントに入ります」
後席にそう告げ、機体を筑波山方面に向けると、ゆっくりと左旋回から、急降下に入った。
急降下の場合、複葉の練習機は風防がないので、もの凄い風が顔面を襲ってくる。ゴーグルをしていないと眼も開けられない。
それでも、操縦桿を前に倒し、一気に加速していく。
そして、高度計が六百mを指して時点で、操縦桿を目一杯引くと、機体は徐々の上昇態勢に入った。最初の頃は、この「引き起こし」が恐ろしくて、なかなか機体が上昇せずに、随分と西沢教員に叱られたものだった。
「実用機では、もっと力が必要です。渾身の力で引いてください!」
「はい!」
と、返事はするものの、どうしても要領が掴めないのだ。
しかし、そんなことが、今は嘘のように、スムーズに引き起こしも出来るようになっていた。
また、機体を一千mまで上げると、そこから緩横転、背面飛行へとつなげていった。最後は、インメルマンターンである。
水平飛行から、機首を上げて背面飛行に入り、緩やかに水平飛行に戻す操縦だったが、複葉機で行うと、さほど難しくはない。
第一次世界大戦時の飛行技術であった。
しかし、実戦では、ほとんど使うことがないそうだ。
こんな緩慢な操作をしいると、すぐに、上昇中に撃墜されてしまうからである。
まあ、確かに、敵機に機体の全面を晒すことになり、追尾してきた敵機には、格好の獲物だ。
まあ、第一次世界大戦の、のんびりした空中戦なら、そんなことも高等技術だったのだろう。
しかし、今では、似たような技に、「ひねり込み」という高等テクニックがあった。
俺は、使ったことはないが、零戦乗りは、自分なりの「ひねり込み」の技を編み出しているそうだ。
これは、旋回のループをできるだけ小さくする技術で、インメルマンターンの要領で、一度機体を引き起こすが、そこから昇降舵、方向舵を使って機体を横滑りさせながら、軽く失速させ、急激な操作で水平飛行に持って行き、素早く敵機の後方につく技だそうだ。
操縦には、昇降舵と方向舵を同時に使い、急激な緩横転をかける技なので、素人に毛が生えた程度の技術では、到底及びもつかなかった。
余程、その機体の特性を熟知し、舵の効き具合も承知していなければ、下手なインメルマンターンで終わってしまうのだ。
俺には、まだ、そんな技術はないし、将来もできそうもなかった。
この「ひねり込み」は、格闘戦には必須な技なようだが、アメリカ軍機が一撃離脱戦法に切り替えてからは、使われることもなくなっていった。
しかし、「一人前の戦闘機乗りには、その技術は必須だ」と西沢一飛曹から教わったことがある。
インメルマンターンの操作を行い、ゆっくりと背面飛行から水平飛行に戻すと、そのまま、今度は右旋回をしながら降下していった。
最後は、滑走路への侵入と三点着陸である。
三点着陸は、海軍独特の着陸法で、航空母艦への着艦を想定していた。
航空母艦は、上空から見れば、非常に小さく、甲板も短い。
そこで、艦自体が着艦しようとする飛行機にあわせて、風向きに進路を取るのである。そうすれば、向かい風が吹き、飛行機は煽られる。つまり、ブレーキの役目を風が果たすことになるのだ。
飛行機は、着艦の最後に機首を上げ、風を機体に受け、前輪と後輪が同時に着くように操作するのである。
そうなると、当然、操縦席から甲板は見えなくなる。
そこは、感覚で慣れるしかない。
そして、三点が同時に着くと、後輪近くに装備されている着艦用フックを出して、母艦の甲板に張られたワイヤーにフックを引っかけて止まるようにするのだ。
うまい搭乗員になると、一番奥のフックに引っかけることができる。
そうすれば、整備員が、機体をすぐに格納庫へのエレベーターに載せられるというわけだ。
俺も、この赤トンボで散々、三点着陸を訓練していたので、そんなにうまくはないが、取り敢えずはマスターしていた。
スムーズに機体を降ろすと、スロットルを極限まで絞り、ちょっと機首を上げて、ポトンとでもいうように、着陸することができた。
「よし、ドンピシャリだ!」
後席から、西沢教員の声が、耳に届いた。
俺は、整備員の誘導に従って、機体を滑走路の奥の待機場所まで動かしていった。そこで、エンジンを切ると、縛帯を外し、飛行眼鏡(ゴーグル)を飛行帽の上に上げた。
顎の留め金を外すと、フーッとため息を吐いて、機体から降りた。
そこには、笑顔の西沢教員が待っていた。
俺は、機体を一巡して異常の有無を確認した後、手順どおり申告した。
「島田学生、同乗飛行、終わりました。機体異常なし!」
すると、西沢教員が、
「やあ、島田学生。うまくなりましたね。以前の同乗飛行のときも、かなりうまくなっていましたが、驚きました」
「なんていうか、操縦が滑らかです。確かに、中間練習機は、操縦しやすい機体ですが、こんなにスムーズに飛行した学生は珍しいです。頑張りましたね…」
そう言うと、俺に握手を求めてきたので、俺もおずおずと手を差し出した。 これで、俺も、へっぽこ予備学生卒業だな…、と一人ほくそ笑むのだった。
待機所の分隊長にも報告したが、分隊長は、相変わらず表情も変えずに、
「うむ、ご苦労!」
と、また、猫の敬礼をしてくれた。
あれじゃあ、どう思っているのか、わからない。
しかし、ベテランの西沢一飛曹が言うんだから、間違いない…と思うことにした。
宿舎に戻ってから、坂井に伝えると、坂井は、当然だと言わんばかりの顔で、
「そうだろう、島田」
「俺が言ったように、おまえの操縦が滑らかになったのは、妙な力みがなくなったせいだ。あの鬼樫の素振りのせいで、肩周りや背中、腰に筋肉がついて、手や腕に力を入れなくても、体全体で操縦桿を引けるようになったんだよ。だから、力みがないのさ…」
「それにしても、下から俺も見ていたが、なかなか悠然と飛行していたよ…」「こりゃあ、俺も、負けられんな…」
「じゃあ、約束通り、日曜日、朝八時、道場で待っているぞ」
そう言うと、坂井は、自分のベッドに戻っていった。
そうそう、土浦で基礎教育を行っていた頃、最初の一週間程度は、俺たちも予科練の少年兵と同じように、ハンモックを使わされていたが、その訓練を終えると、ベッドになったので、毎日の「吊り床起こし」なる作業がなくなった分、楽になった。
兵隊と准士官の違いかも知れないが、ハンモックは、防弾面では必要な道具かも知れないが、なんか、兵隊をしごくだけの道具のように見えて仕方がない。
どうも、海軍というところは、人を差別しないと気が済まないかのような習慣があった。
ただし、准士官待遇になっても、海軍では、ベッドメイキングがうるさく、ここでも、兵学校出の教官が、ストップウォッチを片手に、
「一分以内にやれ!」
と、命じるので、ドタバタと毛布やシーツを畳み、角を揃えて積むのだが、教官が気に入らないと、それをひっくり返すのだ。
そんなことが数日間続いたが、一度、俺たちの代表の山田健太郎が、教官に直談判に行ってくれたことがある。
山田が言うには、
「俺たちは、間もなく少尉に任官する予備学生だ。兵学校の三号生徒じゃない!」
「階級も、兵曹長に準じている。こんな作業はナンセンスだ!」
と文句を言うと、さっきの藤田分隊長が出てきて、
「山田学生、貴官の言うとおりである」
「ここは、兵学校ではない。教官たちも、間もなく同僚になる士官候補生だ」
「それなりの敬意を払って行動するように…」
と、言うものだから、翌日からベッドメイキングは、自分たちで行うことになった。
こういうところは、さすが東京帝国大学出の首席学生だ…とみんなで感心したものだった。
これも、昔のいい思い出になった。
さて、練習機の訓練も無事に終了した俺は、それまでの「へっぽこ予備学生」気分がなくなり、少しずつ自信が持てるようになっていた。
そして、今日のうまくいった操縦を思い出し、早くも実用機に乗ることを、心待ちにするようになっていた。
もちろん、第一希望は「零式艦上戦闘機」で、艦隊勤務がしてみたかった。 ただ、その頃の海軍は、もう、艦載機を乗せるような航空母艦はなく、そんな艦隊決戦ができるような戦局ではなかったのだ。
そんなことは、訓練を受けている俺たち予備学生には、何も知らされることはなかった。
ただ、黙々と飛行訓練を受け、早く、第一線に立ちたいと思うばかりだった。不思議なことに、それが、自分の死と直結していることなんて、考えてもいなかったのだ。
そして、日曜日の朝がやってきた。
この日は、生憎の雨だったが、朝食を済ませると、出かける奴は、いそいそと準備をして、町に出て行った。
俺も、何人かから誘われたが、「ああ、今日は止めとくよ…」と言って、道着に着替え、木刀を軽く振って準備に余念がなかった。
近くに坂井は見えなかったが、あいつも、毎日のことだから、きっと早くに道場に行って、一汗かいているのだろう…と思った。
八時ちょうどに道場に顔を出すと、やはり、坂井がそこにいた。
俺の方をちらっと見やると、木刀を持ったまま、中央に出てきた。
俺も、
「よし、一丁、やるか!」
と、気合いを込めて、木刀を左手に携えて、坂井の正面に対峙した。
今日は、もう、以前のようにはやられないぞ。
ここ三ヶ月間、毎日、百五十本以上、あの赤鬼樫を振ってきたんだ。
今日、持ってきた木刀は、軽いのなんのって…、まるで鉛筆を持っているかのような軽さだった。
「おっ、島田。なんか、顔が違うね…」
「じゃあ、始めようか?」
坂井が口を切った。俺は、頷くと、道場の中央に対峙し、蹲踞の姿勢を取った。
「よし、始め!」
坂井の声で、俺は、スクッと立ち、木刀を正眼に構えた。
坂井の剣は、攻撃の剣ではない。敵の攻撃を躱し、一撃で倒す剣だ。
だから、容易には俺も、飛び込むわけにもいかなかった。
防具を着けていないので、坂井の眼の動きがわかる。
しかし、隙がない。
いや、俺が、坂井に飲まれているんだ。
それでも、正眼に構えたまま、右回りに動きながら、打撃の機会を狙っていた。それが、五秒もあっただろうか、すると、坂井が、すっと出てきた。
瞬間、するっと俺の間合いに入ると、「コテーっ!」と珍しく声をあげて俺の小手を打ってくるではないか。
俺は、一瞬、木刀は倒して坂井の切っ先を俺の木刀の元で受けた。
カーンと、樫の木の乾いた音が響いた。
その瞬間だった。
俺の手首に巻き付くように、坂井の木刀が当たったのだ。
ぐっ…。
俺は一瞬、木刀を落としそうになったが、それに耐え、思いっきり面を返した。
その切っ先は、坂井の顔面すれすれに空を斬った。
「そこまで!」
また、坂井の声が道場に響いた。
俺の負けだ。
さっきの坂井の小手は、間違いなく俺の右手首を斬り裂いていたのだ。
もし、これが真剣なら、次の俺の返し面は、あり得ない。
手首が落とされており、俺の腕から、血飛沫が舞っていたに違いないからだ。
それにしても、坂井の剣は、魔物のような剣だった。
おそらく、日本中を探しても、こんな魔剣を遣う人間はいないだろう。
俺は、大きく深呼吸をすると、また、中央に戻り、蹲踞の姿勢から、坂井に深々と礼をした。
道場の隅に戻り、板壁を背にしながら、手ぬぐいで汗を拭っていると、坂井が、驚いたような顔をしていた。
「おい、島田。おまえの返し面、びっくりした。あの鋭さは、並の速さじゃない。あれなら、矢野大尉にも勝てるかも知れんな…」
「俺の目の前、すれすれに擦ったから、真剣なら、眼をやられていたかも知れん」
そう言うもんだから、
「坂井、何言ってんだよ。その前に、俺の右手首が、すっぱりと斬り落とされていたじゃないか…」
と、言ってやったが、それでも坂井は、
「そうかも知れんが、俺の剣を受けて返してきたのは、俺と同門の山本大輔くらいしかおらんかったからな…」
「ああ、山本大輔っていうのは、俺と同門で、こいつは滅法強かった。しかし、ガダルカナルで戦死しちまったがな…」
そう言うと、ははは…と少し寂しい笑い顔を見せた。
後から聞いた話だが、山本大輔というのは、坂井の幼なじみで、無限流の「飛び猿の剣」を遣う剣豪だったそうだ。
小学生の頃、夏祭りの夜に、実家の蔵に忍び込んだ泥棒を二人でやっつけた話も聞かされた。
それに、子供の頃から冬山に登り、そこで剣を振って足腰を鍛えたというのだから、並の剣ではない。
そんな修行を十五年もやっていたと言うのだから、矢野大尉どころか、日本中を探しても、坂井の剣に敵う奴はいないだろう…と思った。
しかし、坂井に言わせれば、
「なあに、俺の剣のような農村に伝わる秘伝は、実は、全国の村々に密かに伝わっているようなんだ」
「以前、中学の時、全国大会に出たが、その中に、滋賀の代表だった選手の中に、不思議な剣を遣う奴がいた」
「目立たなかったが、あれは、俺と同類の剣だとわかったよ…」
「まあ、隠れてはいるが、日本には、そんな奴らが、まだまだ生き残っているんだと思うよ…」
と、いうことだそうだ。
そして、また、二人で打ち込みなどの稽古をした。
それは、それで楽しい時間であり、俺が成長した証を見せて貰ったような気がして嬉しかった。
稽古を終えて、二人で先の話をした。
二人とも、これからのことが気になっていたんだ。
それは、将来の夢なんていうものじゃなく、本当に「先」のことだった。
どのみち死ぬにしても、せっかく海軍に入ったんだから、それなりに活躍して死にたかった。
そうすることが、国だけじゃなく、自分の家族や愛する人を護る唯一の手段だと考えていたのだ。
そして、こんなことを語り合う時間は、もう、俺たちには残されていなかったことも事実だった。
昭和十九年も初夏を迎え、いよいよ、俺たちも実用機の課程に入った。
これから、二ヶ月もすれば、それも終わり、夏には、予備学生の全課程が修了するはずだ。
昨年の九月の終わりに入隊した俺たち十三期予備学生は、十ヶ月の促成教育で第一線に出るのだ。
兵学校生徒なら、少なくても三年の基礎教育を受けてから、艦隊実習を行い、飛行学生としても一年間の教育を受けるはずだった。
それを、俺たちは、たった十ヶ月で前線に出ようとしている。
それも、やっとこ実用機に乗れるだけの技量で、戦闘なんかやったこともない。
飛び上がれば、即、戦死は間違いなかった。
そんなんで、本当にいいのだろうか…?
俺は、自分の思いを坂井に話した。
それは、酷く饒舌だったかも知れないが、だれかに聞いて貰いたかったのだ。
それが、同期の戦友であっていいはずはないのだが、しかし、今は、坂井にしか言える話ではない。
坂井は、頷きながら、俺の話を聞くと、
「そうだな、島田。俺も同じさ。いくら操縦がうまくなったと言ったって、所詮は、百時間程度のひよっこだ。敵のパイロットに太刀打ちできるはずがない…」
「それでも、やるしかないんだよ…、島田、そうだろう」
俺は、「そうだな…」と思った。結局は、自ら志願した以上、やるしかないんだと腹を括ることにした。
「ようし、やってやるか!」
そう言うと、また、腹が減ってきた。
今度は、俺が、でかい握り飯を二つ、風呂敷から取り出すと、坂井に手渡した。
「これはな、烹炊所に行って、俺と同郷の兵隊に頼んで、朝、作って貰ったんだ。あいつは、同郷と言っても、千葉の奴だ。以前、食堂で会ったから、俺が佐倉中だと言うと、自分は千葉商だと言うんで、聞いてみたら、俺の一つ下の学年だったんだ…」
「徴兵で、海軍に入り、簿記ができたんで主計科に回されたらしい。今じゃあ、主計科の一等兵曹だ。何でも融通が利く古参兵さ…」
「おっ、中味はでかい梅干しか…。こりゃあ、いいや」
そう言うと、俺は、そのでかい握り飯を口いっぱいにかぶりついた。塩っ気たっぷりの豪華版だった。
坂井も口の周りにご飯粒をくっつけながら、うまそうに食っていた。
これも、俺たちのささやかな青春なんだと思うことにした。
もうすぐ、俺たち十三期飛行予備学生に本当の試練が待ち構えていた。
第二章 教師への志
俺の家は、地元で鉄工所を営んでいたが、今は、軍からの要請で、飛行機などに使う部品を造っていた。
まあ、ネジなどの小物が多いが、一度、変な形のネジを造っているんで、「なんだ?変なネジだなあ…」と言うと、親父が、
「おまえなあ、こりゃあ、海軍からの特注品なんだ。何でも沈頭鋲とか言うらしくて、何に使うかは知らんが、おそらくは飛行機のネジらしい…」
「これはなあ、結構技術が必要でな、うちみたいなベテランの職工がいるとこじゃないと、うまく加工ができんのだ…」
「まあ、それにしても、この戦争もいつまで続くやら…」
そう言って、ため息を吐いていたが、実は、あの変わったネジは、零式艦上戦闘機に使われた物らしい。
なんでも、飛行機の空気抵抗を減らすために、考え出されてものだと聞いたことがある。
もちろん、うちだけで造っているわけではないが、親父も戦闘機の製造に関わっていると思うと、少し誇らしかった。
うちには、この父親の庄一、母親の育子、叔母の由香がいた。
そして、後は妹の瑶子だ。
瑶子は、まだ、女学校の一年生だった。
昨年、佐倉高等女学校に入学していた。
あいつも、陸上をやっていて、女子の中では、結構速いらしい。
それに、祖母の福がいる。祖父は、日露戦争で戦死した。
だから、家には、遺影と位牌だけがあった。
なんでも、奉天の会戦で戦死したと聞いた。陸軍上等兵だった。
母の育子は、結婚前は小学校の教師をしていたが、親父と見合いをして結婚と同時に家に入り、姑に仕えて家業の手伝いをしている。
俺が師範学校に入ったのは、そんな母親の希望だったのかも知れない。
しかし、こんなご時世だ。「夢」だとか「希望」みたいなものを持つことは許されなかった。
だから俺は、ただ時代に流されていくのではなく、少しでもいいから、自分の道は自分で切り開きたかったんだ。それが、死への第一歩だとしても、強制される死よりも、自分で選んだ道での死の方が、どれだけましか…。
そんな気持ちで、海軍を志願したのかも知れない。
俺が子供の頃の佐倉の町は、いつも兵隊で溢れていた。
我が家の鉄工所があったのは、国鉄佐倉駅の南口から少し離れた六崎という地区だった。
佐倉駅は、機関区といって、ちょうど、東京から千葉、千葉から成田に向かう中間点にあり、ここが機関車の待機場所にようになっていた。
そこから、成田、銚子方面や八街、成東方面に分岐していくのだ。
それに、佐倉駅の北口から、小高い丘のような鹿島山の坂道を上り山の反対側に出ると、俺の母校、県立佐倉中学校があった。
鍋山という場所に建っており、佐倉の最後の藩主、堀田正倫公の銅像が正門左側に立てられていた。
立派な髭を生やした厳ついじいさんだったが、噂では、結構、楽しいじいさんだったようだ。
どうも、この正倫という元殿様の多額の寄付で、佐倉中ができたらしい。
今の堀田の殿様は、次の正恒様で、伯爵として、貴族院議員を務めていると聞いていた。
堀田家は、「世のため、人のため」が家訓らしく、人材育成のために自分の資産を寄付し続けているといわれている立派な殿様だった。
佐倉連隊は、元の佐倉城跡地に造られており、広大な敷地に兵舎、病院、練兵場などが置かれており、千葉県全域から兵隊が集められていた。
ここには、明治初年から陸軍の連隊が置かれ、当初は歩兵二連隊だったが、今は、歩兵五十七連隊が置かれている。
千葉の人間は、いちいち五十七連隊なんて呼ぶ者はいない。
ここでは、「佐倉連隊」で通るが、この房州健児たちは、西南戦争、日清、日露戦争にも出動した第一師団の主力部隊だった。
俺の祖父さんも、ここから出征し、奉天で戦死している。
うちの鉄工所は、親父の代から始まったもので、祖父さんが佐倉連隊の上等兵だったことから、祖父さんが戦死した後、世話をしてくれる人がいて、親父が鉄工技術の修行に出て、元の家の土地に鉄工所を建てた。
祖父さんが死んだ頃は、少ない田畑を耕し、やっとの思いで暮らしていたという話を聞いていたが、俺が生まれた頃は、工場も軌道に乗り、軍からの仕事が多かったようだ。
まあ、地元の鉄工所だから、便利といえば便利だったに違いない。
そのお陰で、俺は、根郷尋常高等小学校を卒業すると、県立佐倉中学校に進学することができた。
もちろん、成績もよかったが、同じ組から中学に上がったのは、俺ともう一人だけだった。
村は貧しく、進学した者は、全部で五人もいただろうか…。
県立佐倉中学校は、藩校成徳書院の流れを汲む名門といわれており、文武両道を目指して、かなり厳しい教育が行われていた。
校訓は「積極進取」で、教師たちは、「なんでもやってみろ!」というのが口癖だった。そして、
「好きなことをやればいい。そして、御国に尽くせるのであれば、軍人だけが道じゃないぞ!」
と、言われていた。
高等師範に入学してから、周りの人間に聞くと、今時、こんな台詞は珍しいらしい。
まして、県立佐倉中は、佐倉連隊のお膝元だ。
もっと、軍人志望が多くなるような気がしたが、そうでもないのは、校風が原因しているのだろう。
どうも、それにはわけがあった。
元々佐倉は、堀田家十一万石の領地だったところだ。
堀田家は、徳川家譜代の中でも、大老や老中を出せる家柄で、佐倉城も大老の土井利勝が藩主時代に築いた物だった。
築城して三百年は経っているだろう。
その後、堀田家もいろいろとあったようだが、江戸時代後期に、また、山形から佐倉に戻されて幕末明治を迎えた。
幕末の藩主だった堀田正睦公は、老中首座を務めた人物で、積極開国を唱えたが、薩摩や長州の連中の策謀に遭い、失脚した。
しかし、結果としてみれば、正睦公の考えが正しいことは、歴史が証明している。
それに、正睦時代から藩政改革が行われ、幕末の混乱期でも人材育成が行われ、多くの西洋学を学んだ人たちが明治時代に活躍していることは、佐倉中の生徒なら、だれでも学んで知っていた。
俺が、化学に興味を持ったのは、佐倉に順天堂という病院があったからだ。 もちろん、うちの主治医でもあったが、外科治療に優れている病院で、親父たちが、鉄工所の仕事柄、やけどなどをすると、すぐに順天堂に行って治療を受けていた。
連隊の兵士たちも重宝に利用しているようだった。
東京にも順天堂はあるが、ここが、日本近代医療の発祥の地らしい。
幕末には、西洋医学を学びたければ、長崎に行くか、佐倉に来るか…と言われたほどだったようだ。
そんなこともあり、化学好きだった俺は、医者もいいな…と考えていたが、それほど家に金もないので、官費で行ける高等師範を受けることになったという次第だ。
でも、中学校を出して貰ったばかりか、「跡を継げ」とも言われず、高等師範まで行かせて貰えて、本当に有り難いと思っていた。
県立佐倉中の同級生の中には、海軍兵学校や陸軍士官学校に行った者も何人かいたが、学校自体としては、それを積極的に煽るということもなく、教練の配属将校も、佐倉中の歴史を承知しているのか、あまり「軍隊に行け!」とは言わなかった。
ただ、俺が、海軍を志願した話は伝わっていたらしく、予備学生合格の知らせを中学校に持っていったとき、妙に喜んだのは、配属将校の今西だった。
「そうかあ、島田君が海軍をねえ…。まあ、陸軍じゃないのが、ちょっと残念じゃが、これで海軍士官だな。教練を教えた儂の鼻も高いというもんじゃ」
そう言って、職員室で高笑いをするのだった。
因みに、この今西配属将校は、既に六十は超えたじいさんで、自分では、満州で相当に暴れたと言っていたが、どこまで本当やら、疑わしかったが、
まあ、立場上、仕方あるまい。
それでも、先生方の中には、
「もし、戦争がなけりゃあ、君もいい化学教師になっていたろうになあ…」
と、惜しんでくれる人もいたので、少しほっとしたものだった。
この後、この職員室にも、続々と卒業生の訃報が届くことになるのだった。
そんな頃のことだった。
あいつと出会ったことを書いておきたい。
職員室から戻る道すがら、校庭に眼をやると、黙々と走っている生徒を見かけた。
今年の秋は、いつまでも暑さが去らず、この少年もランニングシャツに汗を滲ませて黙々と走っていた。
そういえば、俺も中学生の頃は、このグラウンドで一生懸命汗を流したものだ。
陸上の短距離を専門にやっていた俺は、何とかして県大会を突破して、関東大会に出場したいと考えていた。
しかし、走っても走っても、タイムはよくならなかった。
今にして思えば、それは、俺の力みのせいだったのだが、中学生の俺に気づくはずもなかった。
だから、結局は、関東大会には出られずじまいで、自分の才能の乏しさにがっかりしたこともあった。
それでも、数年前の自分を思い出すと、懐かしさがこみ上げてきた。
それというのも、軍隊に入り、死というものが身近に迫ってきたせいかも知れなかった。
そんなことを考えながら、走っている少年を見ると、このまま黙って帰るのは、つまらない…と思った。
夕焼けが紅く照らすようになってきたので、思い切って声をかけることにした。
「おうい!」
「少し、休憩しないかあ…」
こちらに向かって走ってくる少年に、声をかけると、こちらに気づいたらしく、側までゆっくりと走ってきた。
「やあ、こんにちは…」
「はいっ…」
そう言うと、近くのベンチに走り寄り、鞄の中から、手ぬぐいを一本取りだして汗を拭った。
そして、ちょっと待って下さい…と言うと、水飲み場でゴクゴクと蛇口から水を飲み、フーッと一息をついてから、こちらに戻ってきた。
「君は、何年生?」
「はい、四年の渡辺大介です」
「陸上部?」
「はい」
「でも、もう、これが最後なんです…」
「えっ、最後って。だって、来年は五年生じゃないか…」
「いやあ、僕、志願したんです。海軍へ…」
「えっ、海軍?俺もだよ、俺も海軍に行くんだ」
「あ、申し遅れてすまない。俺は、ここの卒業生の島田だ。高等師範に行っていたが、予備学生を志願した」
「そうなんですか…。でも、先輩は、予備学生でしょう。僕は、予科練です」
「じゃあ、訓練は、土浦かい…?」
「はい、そうです」
「俺も、土浦だよ…」
そんなことから、この渡辺少年とは、この後、何回か、妙な場所で再会することになった。
彼は、海軍の甲種飛行予科練習生に志願して合格し、十月一日に土浦航空隊に入隊することになった…と話していた。
「そうか、じゃあ一緒だな…」
「俺は、予備学生の十三期だ。入隊は、九月十三日だから、俺の方がちょっとだけ先輩ってわけか…」
そんな話で、二人は意気投合することになった。
彼の家は、陸軍の官舎だそうで、彼の父親は、五十七連隊の少佐だと言っていた。
「初めは、士官学校を受けるように言われたんですが、僕は、陸軍じゃなく、海軍の飛行機乗りになりたいと言い続けて、受験したんです」
「陸軍は、親父だけでたくさんです。将校は転勤も多いし、僕もこれまで学校を三回変わりました。四国の松山、名古屋、そして佐倉です。それに、士官学校は難しくて合格できるかどうか、自信もありません。それに、海軍の方が格好いいでしょう…」
「それに、僕の同級生の代は、海軍や陸軍に志願する奴が多いんです。佐倉中の先生方は、あんまり志願のことは言いませんが、街の中で見かけるポスターなんかを見ていると、やっぱり行きたいなあ…って思ちゃって…」
「でも、実際は厳しいんでしょうね。海軍は、よく殴られるって聞くし…」
「ああ、それは俺も同じだよ。予備学生なんて、所詮スペアなんて言う人もいるしね…」
「そうか、土浦か…」
そんなことを話ながら、土浦で再会することを約束したのだった。
「じゃあ、僕、もう少し走って帰りますから…」
「じゃあ、島田先輩。土浦で会いましょう…」
そう言って手を振ると、また、グラウンドに駆け戻り、無心にランニングを始める渡辺大介の姿を見て、俺は徐に立ち上がった。
夕陽を浴びて走る渡辺少年は、まさに、純粋に軍隊を志願した少年の姿だった。
これから先、何が待ち受けているかも考えず、ひたすら、社会の要望に応えようとする姿があった。
そして、俺も、あんな純粋な気持ちに戻れるのか…と自問してみた。
しかし、どう考えても、二十歳を過ぎた自分には、二度と戻れない時間だと気がついた。
十六歳だから、思いっきり飛び込める世界があるのだろう。それが、死への入り口であろうと、純粋に国を憂い、家族を思って志願したのだ。それは、それで尊い。
でも、こんな少年まで駆り出し、殺すことになるのだとすれば、戦争は、本当に無慈悲だとも思った。
さて、そんな俺が、教師を志したきっかけは、小学校の六年生になったときのことだった。
俺の親友に結城学という同級生がいた。
学は、小学校入学以来の親友だったが、小学校六年生の夏に結核で死んだ。
学には、下に二人の弟妹がいた。
学の家は、両親ともに小学校の教師で、奴自身が、そんな親の姿を見て、教師を目指そうとしていたのだろう。
体は小さかったが、正義感が強く、頭は学級で一番だった。
俺は、残念ながら学に勉強で勝ったことがない。
あいつは秀才で、柔道を習い、運動神経も抜群だった。
走れば、俺の方が少しばかり速かったが、柔道や剣道では歯が立たなかった。
学は、歴史や国語が得意で、全国綴り方コンクールに入選したこともあった。
五年生のときも、六年生の番長に立ち向かって行くような男で、
「ああ、こういう奴が教師になるんだろうな…」
と思っていた。
俺の母親は、元教師だったが、結婚して鉄工所の手伝いをしていたので、あまり、教師くさい話はしなかった。
俺たちは、お互いの家を行き来する仲で、親たちも、いい意味でのライバルだと思っていたのだろう。
正義感が強く元気印の学と、少しぼんやりしている俺との組み合わせは、妙な組み合わせではあったが、なぜか、馬が合った。
あいつが文系で、俺が理系という組み合わせもよかったのかも知れない。
それに、俺は、元々、親父の鉄工所を継ぐつもりでいたので、教師になろうとは考えてはいなかった。
教師になるには、小学校を卒業した後、師範学校に進学する道はあった。
師範学校は官費なので、授業料はかからない。
もちろん、寄宿舎があり、ここで五年間みっちり教師になるための勉強をするのだ。
学は、結城家にとっても希望の星だったに違いない。
学の親たちにしてみれば、小学校を卒業したら師範学校に進学させ、その先の高等師範までも行かせるつもりだったのだろう。それは、小学校教師の夢でもあったに違いない。
その学が、病気を発症したのは、五年生も終わりになる春のことだった。
いつものように、一緒に下校しながら話をしていると、学が、最近、咳き込むことが多いことに気がついた。
「おい、学。風邪か?」
「ん? なんか、咳が出て困るんだよ…」
「正月頃に一度風邪をひいて寝てたんだが、それ以来、なんか調子悪いんだ…」
「順天堂に行けよ。あそこは、名医だから大丈夫だよ」
そんなことを話ながら、数日が過ぎていった。
その学が、六年生になった始業式に、学校に来なかった。
俺たちの通う根郷尋常高等小学校は、各学年男組と女組の二クラスだった。
だから、俺たち男組は、ずっと一緒だった。
「あれ、学はどうした?」
気づいた同級生の治や宗吉が、俺に聞いてきたが、俺も何も知らされてはいなかった。すると、担任の山崎清先生が、
「おい、みんな。実はな、級長の結城が、ちょっと長く休むことになった」
「なんでも体調が優れないらしい。まあ、それでも一ヶ月もすれば、戻るだろうから、六年生の級長は、島田、おまえに頼む。いいな…」
「はい、でも、学が戻ってきたら、どうしますか?」
と聞くと、
「いや、結城は戻ってきても、通院するから、そのまま、おまえでいい…」
そんな説明があった。
俺としては、どちらが級長でも構わなかったが、その歯切れの悪い担任の物言いに少し引っかかりを感じていた。
しかし、学は、五月になっても、教室には戻ってこなかった。
そして、五月の半ばが過ぎた頃だった。
母が、
「ねえ、達夫。明日の日曜日、学君のところに行くけど、おまえ、大丈夫?」
いきなり言われたが、学のことが気にかかっていた俺は、
「ああ、わかった。学の家に行くんだね…」
と、尋ねると、母は、少し深刻な顔をして、
「ううん、そうじゃないよ。汽車で、館山にある病院にお見舞いに行くんだよ…」
「えっ、学は、そんな遠い所にいるの?」
「うん、あんまり、よくないみたい」
「でも、今は、少し安定しているから、いいんだって。学君のお母さんから言ってきたのよ」
「それに、おまえに会いたがっているって言うから、一度、いっしょに行こうよ…」
俺に会いたがってる…?
俺は、その母の言葉に引っかかっていた。
しかも、学は家にいるとばかり思っていたし、母から、
「今は、お見舞いは、遠慮してね…って言われているから、いいって言うまで待っててね」
と、言われていたので、俺も学ぶの家に行くのは遠慮していたんだが、まさか、館山とは…、思ってもいなかった。
あの順天堂で治せない病気があったのか…。
学は、そんなに悪いのか…。
俺の心臓はドキドキと鼓動が速くなった。それは、何か、悪い知らせのように感じた。
数日後の日曜日、俺と母は、佐倉駅から汽車に乗り、千葉駅で乗り換え、館山に向かった。
汽車に乗ることは珍しく、久しぶりのお出かけだったが、気持ちは落ち着かなく、母も俺も無口だった。
館山行きの汽車の中で、母が、こっそりと話してくれた。
「いい、達夫。よく聞きなさい…」
この日の汽車は、比較的空いていて、俺と母は、隣同士に腰をかけて座ることができた。
俺は、窓際で外の景色をぼんやりと見ていたが、母は、俺の顔を見ずに、話し出した。
「あのね。学君の病気は…、結核なの。他の人には内緒よ…」
「本当は、うつるといけないから、だれにも会わせないようにしていたんだけど、だいぶ落ち着いてきて、少しの時間なら会ってもいいって、病院の先生から許可が出たんだって…」
「そしたら、学君が、おまえに渡したい物があるから…って、お母さんに頼んだみたいよ」
「おまえたち、仲良かったもんね…」
「それで、お母さんが、うちに来て、お父さんにも相談して、おまえを館山に連れて行くことにしたの」
「でもね、会っても驚かないでよ。学君、かなり痩せていると思う…。母さんの叔母さんも同じ病気で亡くなったから…」
「最後は、酷く痩せてね…」
母は、変なことを聞かせたと気がついたらしく、
「ああ、ごめんね。学君は大丈夫よ。先生の許可が出たんだから」
「それに、若いから、すぐに元気になるわよ」
そう言うと、ハンカチを取り出し、目を押さえる仕草をするのだった。
俺も、もう六年生だ。
そのハンカチの意味がわからないほど子供じゃない。
学は、本当に悪いんだ…。そう思うと、益々、言葉が出なくなっていた。
汽車が館山駅に着いたのは、ちょうどお昼頃だった。
この日は、天気もよく、穏やかな初夏の一日だった。
佐倉から来てみると、海の匂いが風に運ばれて来て、内陸の佐倉にいたのでは、わからない漁師町である。
俺と母は、おにぎりを持っていたが、せっかくだからと、駅前の食堂に入ることにした。
この頃は、まだ物資もあり、食堂にも様々なメニューが並んでいた。
俺は、あじフライを頼んで、持ってきたおにぎりと出してくれたワカメの味噌汁と一緒に、ふわふわのあじフライを口いっぱいにほおばった。
母は、うどんを頼み、そこで食事を済ませると、バスで暫く走ると、学のいる療養所が見えてきた。
学のいる療養所は、結核専門の療養所で、事前に連絡をし、許可を得ておかないと立ち入りが許されなかった。
母は、受付で許可証を提示すると、ロビーに学の母親が待っていてくれた。
「ああ、島田さん。わざわざありがとうございます」
と、学の母さんは、何度も俺たちに頭を下げた。
そして、俺に向かって、
「達夫君、ありがとうね。本当に、ありがとう。学も喜ぶわ…」
学の母さんは、少し疲れている様子だったが、ほつれた髪をかき上げると、「こっちよ。こっちの棟の二階。いいところでしょ…」
そう言いながら、白い建物の二階の階段を上がっていった。
病室は、二〇四号室だった。
中は広く、三人の患者が使用していた。
ここは、子供専用の病室だと言っていた。
そして、病室はすべて海側になっているとのことだった。
その一番奥に学ぶはいた。
病室の中は、四つの小部屋に仕切られていて、他の部屋の様子を窺うことはできなかった。
きっと、感染を予防するために、仕切っているのだろうと思った。
窓側の小部屋の一室に、学はいた。
こちらを見ると、口元がふっと歪み、俺の母に少し頭を下げた。
「ほら、学、島田君よ。あんた、会いたがっていたでしょ。島田君が、来てくれたよ…」
そう言うと、学は、「ああ…」とだけ言った。
母が、
「学君、お久しぶりね。どう…?」
と尋ねると、小さな声で、
「はい、今日は、だいぶいいです」
「わざわざ、すみませんでした」
と、また、頭を下げた。
俺は、もっと痩せこけているかと思ったが、そうでもないことにほっとしていた。そして、母の後ろから、そっと手を挙げて、
「よう、学。元気そうで、何よりだ…」
と、笑顔を見せたが、その笑顔はぎこちなく、頭を坊主にして、白い病衣をまとっている学は、いつものきらきらと輝いていた頃の学ではなかった。
すると、母親二人は、廊下に出て立ち話を始めた。
きっと、子供の俺たちには、聞かせにくい話でもあるのだろう。
俺は、ベッドの脇の椅子に腰をかけると、ぼつぼつと小声で、学校の様子を語って聞かせた。
そのたびに、学は、
「そうか、そうか…」
「ふうん。なるほどね…」
などと、返してくれたが、肝腎の話はここでは出なかった。
そんな時間が二十分ほど過ぎた頃だった。
廊下から大きな声がすると、看護婦を連れた大柄な医師が、現れた。
この医師が、学の主治医の大崎医師だということだった。
看護婦は、まだ若く、十代の後半くらいの人だった。「須藤」と名乗った。
大崎医師は、ベッドの側に来ると、
「やあ、学君。今日は体調もよさそうだな。友達も来てくれてよかったな…」「ところで、君、名前は…?」
と、俺に尋ねるので、
「はい、島田達夫です。お世話になります…」
と答えると、
「ははは…、気が利く子だね」
「私は、大崎直人。学君の主治医だ。よろしくね…」
そう言うと、学の体を見て、
「うん、大丈夫だ。外に出てもいいよ。今日は、天気もいいからね…」
「そうだ、島田君。車椅子を貸すから、学君を中庭に出してあげてくれないか?」
と頼むので、
「はい、わかりました」
と答えた。
きっと、大崎医師は、何かを知っていて、気を利かせてくれたのだろうと思った。
「じゃあ、車椅子、用意してきますね…」
看護婦の須藤さんが、そう言って、病室を出て行った。
「学君、じゃあ、三十分だけ許可しよう。いいね、三十分だよ」
そう言うと、大崎医師も病室を出て行って、母たちと何か話を始めたようだった。
初夏の館山は、本当に美しかった。
房総丘陵といわれるように、千葉には高い山がない。
そのせいか、視界が広く圧迫感を感じない特長があった。
人々は、穏やかで、まさに菜の花のような素朴な美しさがあった。
それに、館山は、元は里見氏が治めた城下町だけのことはある。
穏やかな中にも凜とした佇まいは、やはり武士の町なのだろうか。
漁師の中にも、里見氏に仕えていた元武士たちも多く帰農しており、先祖からの姓を名乗ることが許されていたそうだ。
そのせいか、漁師独特の海賊気質みたいなものがなく、元武家の誇りは伝えられているように見えた。
ここには、海軍砲術学校や海軍航空隊基地があり、海軍には縁のある町だった。
休日に街中に出ると、海軍の水兵や下士官が多く歩いているらしい。
館山の潮風が、海軍にはよく合っているのだろう。
俺は、須藤看護婦が借りてきてくれた車椅子を押しながら、学を中庭に連れ出した。
「ああ、やっぱり、外の空気はうまいなあ…」
学は、大きく伸びをして新鮮な空気を肺の中に入れているようだった。
俺たちは、二人っきりになると、また、学校や友達のことを話し始めた。
俺たちも今年一年で、進路を考えなければならなかったのだ。
学が、俺に声をかけてきた。
「おい、達夫は、中学に行くんだろう…」
「ああ、鉄工所もだんだん機械化されてきて、新しい機材なんかもアメリカ製やドイツ製のものもあるらしいんだ。だから、親父も、せめて英語くらいは読み書きできんと工場経営ができない…と愚痴っていたから、俺には進学を勧めてくれている」
「それに、母親は、元教師だから、余計にそう思うんだろう…」
学は、そうか…というような顔をして聞いていたが、
「なあ、達夫。実は、頼みがあるんだ」
「うん、なんだ?」
「俺に出来ることなら、何でも言ってくれ…」
俺がそう答えると、徐に、手提げバックの中から、一冊の厚めのノートを取り出した。
「こ、これを、達夫が預かってくれないか…?」
「ああ、なんだ、これ?」
「うん。俺の日記だ…」
「もう、俺は日記は書かん。書くのを止めたんだ…」
「理由は聞かないでくれ」
「それで、どうしようかと考えたんだが、達夫がいい。達夫に預けておくのがいいって、そう決めたんだ…」
俺は、ちょっと驚いた。
そんな大事な日記を俺なんかに託していいのか…と思った。
でも、学の目は、真剣だった。
その目に圧倒された俺は、思わず、うん…、と引き受けていた。
「そうか、ありがとう。もし、俺に何かあったら、この日記は、おまえの好きに処分して貰って構わない…」
「このことは、母さんも知っている」
「だから、達夫に来て貰ったんだ…」
そのとき、俺は、学の容態が深刻だったなんて気がつきもしなかった。
また、学校に戻ってきたら、返せばいいや…というくらいのことしか頭に浮かばなかった。
そして、その返す日は、永遠に訪れることはなかったのだ。
その後も、二人で取り留めもない話をしているうちに、三十分が過ぎたらしく、須藤看護婦が、俺たちに声をかけ、俺は「じゃあ、またな…」と言って、学と別れた。
そして、学とは、これが今生の別れとなった。
俺が学ぶの訃報を受け取ったのは、七月半ばのことだった。
あの日、館山で話した後、ひと月で学は逝ってしまった。
そして、俺の手には、学の日記だけが残された。
葬儀は、佐倉の甚大寺で行われたが、大勢の友人やその家族で盛大に執り行われた。
遺影に残された学の顔は、ふっくらとしていて、館山で見た学ではなかったが、それが学らしいのだろう…と思った。
でも、俺は泣かなかった。何か、学に託されたものがあるようで、泣けなかったというのが本当のところだった。
その晩、家に戻り、一人部屋に入ると、学の日記を取り出してみた。
本当は、学と一緒に棺の中に入れて…と思ったが、学がそれを望まない以上、俺が、学の気持ちを受け止めるしかなかった。
それは、俺には、荷の重い仕事だったが、親友の最期の頼みくらい聞いてやらなければ…と考えた。
そして、俺は、そのノートを朝まで、貪るように読んだ。
読んで、読んで、心の中で俺は泣いた。
涙だけが頬を伝ったが、書いてある文字を一つ一つかみ砕くように読んだ。そして、読み終えた後、俺は、学ぶと一体になったような気がしていた。
俺の生は学の生だ…。
学は、俺の体をとおして生きるんだ。そう思えた。
学の魂が、俺の体の中に入ってくるような気がした。
学の日記は、百ページにも及んでいた。
それは、百日分の闘病日記でもあった。
そして、それは、学が、自分自身で結核を患っていることがわかってからのものだった。
最初の頃は、「結核なんかに負けてたまるか」という強い意思が感じられたが、その決意も病気の進行ととともに鈍り、結核という病を受け入れていく学の姿があった。
そして、終わりの方は、死を受け入れなければならない苦悩と後悔、そして、生きることの出来る者への嫉妬が綴られていた。
それは、学の本心だろう。
恨みや辛み、疑問や悩み、そして、ときには、明るい希望を見出すこともあったが、それは次第に絶望へと変わっていくのだ。
そして、最後は、死を受け入れているのだ。
まだ、十二歳の子供が、そんな心境を抱くなんて…。
そして、最後のページをめくったとき、これまでとは違う文章が出てきたのだ。そう、それは、俺宛への遺書というべきものだった。
だから、この日記は、学の両親も俺に託したのだろう。
「島田達夫君へ
今日は、来てくれてありがとう。今日、君が見舞いに来てくれることを、ぼくはどれだけ心待ちにしていたことかわからない。そして、その再会が、ぼくと君との永遠の別れになるはずだ。
達夫君。ぼくは、将来、両親のような学校の先生になりたいと思っていたんだ。ぼくは、君のように、数学や化学はできないけど、本を読むことは大好きだ。だから、いっぱい本を読んで、勉強して、学校の先生になろうと思う。
そのとき、君は、何をしているんだろうか。やっぱり、鉄工所を継いで、大きな会社の社長になっているかも知れないね。でも、この戦争が終わらない限り、ぼくたちの未来は描けないだろうと思う。
ところで、僕の病気は、結核だった。昨年の夏ごろから咳がよく出るようになって、君にも心配をかけたけど、おかしいと思ったのは、冬の初めごろだった。あの朝、咳をすると血が混じっていたんだ。すぐに病院に行ったけど、検査してみると、やっぱり結核だった。みんなにうつると大変だから、もう学校には行けなくなったし、君にも会えなくなった。
ぼくもぼくなりに、一生懸命、この病気と闘ったけど、もう無理みたいだ。たった十二年と少しの人生になってしまった。
今日、君に、わざわざ館山まで来て貰ったのは、この日記を渡したかったことと、ぼくという人間がいたことを覚えておいてほしいからなんだ。それは、きっと、ぼくのわがままなんだと思う。
でも、もし、許されるのなら、これからの人生を君といっしょに歩いて行きたい。死んでもなお、ぼくは、君といっしょにいたいんだ。
君には、迷惑な話だということは、よくわかっている。だけど、ぼくは、まだ、生きたい。生きて、先生になりたい。そして、少しでも人の役に立ちたいんだ。先生が教えてくれたよね。佐倉の人は、「世のため、人のため」に生きるんだって…。ぼくは、まだ、何もみんなの役に立っていないんだ。
だから、もし、君が許してくれるのなら、君は、生きてくれ。長生きをして、ぼくの分まで戦ってくれ。みんなのために働いてくれ。頼む。
今日は、来てくれて本当にありがとう。これで、ぼくは、もう、何も思い残すことはない。
この日記のことは、君とぼくの秘密にしてほしい。そして、君が年をとって亡くなるとき、持ってきてくれないか。五十年後、いや、六十年後の君に会う日を楽しみにしているよ。
昭和九年七月二十五日 館山結核療養所にて 結城 学」
これが、結城学という少年が、俺に託した遺書だった。
小学生が小学生に遺書を残すなんて…と、思うだろう。
だけど、俺は、学の分まで生きてやろうと思った。
しかし、あれから十年、日本は未曾有の大戦争に突入してしまった。
今の俺に出来ることは、少しでも学ぶや俺の家族を守ることしかないんだ。
学は、五十年後か、六十年後に会いたいと言っていたが、どうも、もっと早く会うことになりそうだ。
でも、学が望んだように、俺も、「世のため、人のため」そして、日本のために戦おうと思う。
学の代わりに教師になろうと思ったが、どうも、それは叶わぬ夢になりそうだ。でも、学は許してくれるだろう。
そして、俺は県立佐倉中学校を出ると、だれに勧められたわけではないが、東京高等師範学校を受験して合格した。
母からは、
「あんた、学君のために先生になるの…?」
と聞かれたが、けっしてそういうつもりだったわけじゃない。
一般大学を受けようかとも考えたが、やはり、教師を目指したいと考えたのは、嘘じゃない。
学のため…というつもりもなかったが、学の日記に影響されたことは事実だった。
学が亡くなってから、よく学の夢を見ることが多くなっていた。
それは、いつも小学校時代の何気ない風景の一コマばかりだった。
そこは、教室だったり、校庭だったり、帰り道に通った暗闇坂だったりと、平和な時代の元気そうな学が、いつもそこにいた。
そして、あの館山での学ぶの姿が、オーバーラップするのだ。
あの最後の別れの時、学は…言った。
「ああ、もっと生きていたいなぁ…」
それは、小さな呟きだった。聞こえないくらいの小さな呟きだった。
だけど、俺はその声を聴いてしまったんだ。
聴いてしまったけれど、だれにも、そのことは言わなかった。でも、それが、学の本音だということは、尋ねなくてもわかることだった…。
東京高等師範学校は、寄宿舎制で、学生はみんな寄宿舎に入る規則になっていた。しかし、ここの寄宿舎は、昔からの伝統なのか、学生が自治を行うことになっていたのだ。
校内は、バンカラ風な雰囲気があり、あんまり、教師の卵が育つような環境には思えないが、なぜか、寄宿舎の中では、いつも議論が絶えなかった。
ときには、政治批判や軍部批判も飛び出したが、ここは、治外法権のようになっていて、警察や憲兵などは、絶対に立ち入らせなかった。
東京高等師範は、東京の神田に校舎があった。
創立以来、文武両道を掲げ、特にスポーツは奨励され、校長を何期も務めた嘉納治五郎先生の薫陶もあり、熱心だった。
特に陸上は、嘉納先生が専門の柔道以上に熱心に取り組まれたこともあり、その設備は、他を凌駕していたと言ってもいい。
それに、教員には特別待遇が与えられていて、軍隊に召集されても、短期現役制度で、六ヶ月の軍隊生活で下士官に進級し、教育現場に戻ることができたのだ。それも高等師範の魅力のひとつだったかも知れない。
しかし、俺たちの頃は、そんな暢気なことも言ってられる時勢ではなく、高等師範からも、どんどん陸海軍に志願していったのだった。
俺が、寄宿舎を出る日、親友の矢吹が俺の部屋を訪ねてきた。
「よう、島田。土浦にいよいよ行くのか?」
「ああ、世話になったな。おまえは、どうするんだ?」
「そうだな、俺は、成り行きに任せることにした。学生の徴兵猶予もなくなったし、近いうちに召集令状が届くだろう。それに、俺が眼が悪い。こんな奴は、陸軍で鉄砲を担いでいるのがお似合いさ…」
「それに、俺は、泳げん!」
「まあ、兵隊に行くのなら、それもいいさ。日本男児の義務だからな。一兵卒で戦い、一兵卒として死んでいくさ…」
矢吹は、一年生のとき、寄宿舎が同部屋だった。
奴は、神奈川の横浜の生まれだった。
国文科の学生で、文学者になりたいと言っていたが、それも延期になってしまった。
奴らも、年内には、寄宿舎を出て、郷里の連隊に入営するはずだ。
召集令状を受ければ、陸軍二等兵として出征することになる。
俺たち高等教育を受けてきた者は、基礎教育が終われば、幹部候補生試験を受けられるが、矢吹はやらんだろう。
「一兵卒として戦う…か」それもいいかも知れんなあ…。
どちらにしても、奴とは、今生の別れとなるだろう。
その晩は、矢吹と焼酎を酌み交わし、夜更けまで酒を飲んだ。
もう、これで思い残すことはない。
俺は、学の日記を風呂敷の私物の中に入れ、寄宿舎を出ると、そのまま土浦に出て、入隊した。家には戻らなかった。
それに土浦だから、また、訓練中に戻る機会はあるはずだと思っていた。
それに、あまり未練を残すと、決心が鈍りそうで、そういう感情になるのも恐かったのだ。
家に戻り、あの母親に泣かれても困るし、取り敢えず、一本、電報だけを打っておいた。もう、これで、心残りはない。
「さあ、学、いくぞ!」
どこかで、学の「おう!」という力強い返事が返ってきたような気がしていた。
第三章 厚木航空隊
昭和十九年七月、筑波航空隊での後期飛行訓練を終えた俺たちは、いよいよ卒業を迎えた。
ここから先は、実施部隊だ。
いつ、前線送られても仕方がない。
戦局は、益々厳しさを増し、本土に敵の爆撃機がいつ来てもおかしくない状況にまで追い詰められていた。
同じ月の十八日には、開戦から総理大臣を務めていた東條英機大将が、総辞職をした。
絶対防衛圏と称し、陸海軍の総力を挙げて護ると言い続けたサイパン島が陥落し、海軍もマリアナ沖海戦で手酷くやられたというニュースが飛び込んできた。
陸軍もインドの解放を目指して進撃を続けていたインパール作戦が補給が続かず頓挫したらしい。
こうなると、もう、打つ手がない。
そんなときに、俺たちは第一線に立つことになった。
もう「死」は、遠い将来の出来事ではなく、明日も知れない命となっていた。
そんな覚悟は、既にしていたつもりだったが、いよいよ、その日が近づくと、恐ろしさが体全体を覆っていた。
みんな、だれもが「死にたくない」と思っていたが、口に出す者はいなかった。それが、当時の空気なのかも知れない。
真夏の暑い盛りに、俺たちの卒業式が、航空隊の講堂で行われた。
俺たち海軍十三期飛行予備学生戦闘機専修の首席は、東京帝大卒の山田健太郎だった。
次席は、大阪帝大卒の船越 仁、そして三席が、坂井 直だった。
坂井は、帝大卒が並ぶ中で、三席を勝ち取ったのだ。
奴が、如何に操縦技術が長けていたかがわかるというものだ。
まあ、俺の成績はいいか…。
そして、俺たちに赴任先が告げられた。
それが、神奈川の厚木にある海軍三〇二航空隊だったというわけだ。
その上、俺は、あの坂井、そして早稲田卒の山内健也と一緒だったことが、嬉しかった。
山内は、早稲田の野球部の出身で、中学野球や大学野球でならした名選手だった。
俺たちもよく、神宮球場に六大学の対抗戦を見に行ったものだが、山内は、既にレギュラーで、早稲田のショートと言えば、だれもが、真っ先に山内の名を挙げるくらいのスターだった。
打撃は三割を超え、長距離ヒッターではなかったが、その俊足の脚力をいかした走塁は、玄人の野球好きを唸らせていた。
身長は、一七五㎝を超え、彫りの深い顔立ちで、女学生に随分もてたようだ。
そして、俺たちが、海軍に入隊した直後に、最後の早慶戦が行われたというニュースを聞いた。
どうも、政府や軍部は、野球を目の敵にして、六大学も職業野球も禁止してしまったのだ。
そんな娯楽まで奪ったところで、戦争に勝つわけでもあるまいに…、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い…といったところだろう。
本当に、日本人の島国根性には、ほとほと愛想が尽きる。
もっと、どんと構えていられないものか…と愚痴が口をつくが、それだけ見ていても、戦争がどんな状況かわかるというもんだ。
世相は、日に日に暗くなり、防空演習もあちらこちらで見られるようになった。そんなかけ声も、近代戦では、空しく響くだけなのに…と思ったが、真剣な様子でバケツリレーを行っている婦人会のおばさんには、かける言葉もなかった。
もう、神宮に野球は戻らないかも知れない…と、あの温厚な山内が怒っていたが、自分の青春をかけた野球が取り上げられたんだ。怒るのは無理もない。
山内は、やはり操縦技術が抜群の男で、野球だけじゃなく、器械体操もうまかった。
要するに、空中感覚に優れていて、あっという間に、特殊飛行をマスターして、同期の仲間を悔しがらせていた。
単独飛行も、坂井に次いで許可されたはずで、やっとこ許された俺とは、大違いだった。
その二人と俺が一緒の部隊に配属になったことは、不思議ではあったが、やっぱり嬉しかった。
山内の実家は、愛知の豊橋で、ちくわ屋を経営しているとのことだった。
坂井の家は農家。山内の家はちくわ屋。そして、俺の家は鉄工所と、まあ、人それぞれだが、揃って戦闘機乗りになると思うと、少しばかり自慢したくなった。
それに、軍服の襟には、金筋一本の上に、桜のマークがひとつ付いた。
これで、俺たちは、立派な海軍少尉だ。
おっと、海軍予備少尉だったが、まあ、そんなことはいい。とにかく、これで上官から殴られることもない。
そう考えると、少し頬が緩むのを感じていた。
「なんだ、島田。なに、にやついているんだ?」
駅に向かう俺に、山内が声をかけてきた。
「ばかやろう。だれがにやついているか!」
「これは、緊張感だよ。緊張感!」
そんなやり取りをしていると、松山に赴任する佐藤尚が近づいてきた。
奴は、俺以上に操縦には、苦労した男だった。
東京の向島の遊郭の倅で、三四三航空隊に配属されることになった。
近づくと、なんか坂井と話をしているようだったが、俺の顔を見ると、
「よう、先生。坂井や山内と一緒だと大変だな…」
「まあ、しっかりやれよ!」
と気安く声をかけてくる。
どうも、こいつは、俺を同じ種族だと思っているらしい。
ちょっと悔しいが、事実だから仕方がない。
佐藤は、「じゃあな!」と、言うと、海軍式の敬礼をして、先に走って行ってしまった。
まあ、あいつは、要領だけは抜群だから、どこに行ってもうまくやるだろう…。
確かに、坂井のお陰で俺の操縦は格段にうまくはなったが、だからといって、すぐに実戦で使い物になるとも思っていなかった。
練習機の赤トンボで、やっとこ、それなりの操縦ができたくらいで、敵戦闘機に敵うはずもない。
それに、厚木基地なんて、有名な基地でもなんでもなかったし、だれに聞いても、よくわからず、「とにかく、行ってこい!」という命令を受けただけだった。
俺が司令なら、坂井や山内は、もっと有名な部隊に配属するのにな…と思っていたが、後で、彼らが、三〇二航空隊へ配属された意味がよくわかった。
俺たち三人は、その日のうちに海軍三〇二航空隊の衛門を潜った。
そこで見たものは、荒涼とした荒地と、小さな二階建ての建物だけだった。建物自体は、立派な鉄筋造りで、玄関の上には、桜に錨の海軍の紋章が付けられていたので、ここが、三〇二航空隊の司令本部だということがわかったが、他に周囲にある物は、木造の兵舎と見られる建物と、戦闘機とおぼしき飛行機が、十機ほどが駐留されていた。
俺たち三人は、実施部隊だと聞いていたので、もっと立派な滑走路に、キビキビとした航空兵がたくさんいるものと勝手に思い込んでいたが、どこかの放置耕作地のような荒地が広がるばかりで、まさか、ここが海軍航空隊の基地なのか…と、暗然となったが、坂井のひと言で我に返った。
「へえ、さあ、ここからが新しい基地造りだ…」
「おい、楽しみじゃないか。いいときに俺たちは来たぞ」
「みんなで、基地を造って、最高の航空隊にしようじゃないか!」
坂井は、そう言うと、どんどんと歩き出し、司令部の建物に入って行ってしまった。
建物の中に入ってみると、この中もバタバタとしていて、まともな軍服を着ているのは、俺たち三人だけだった。
そこに、小太りの士官が通り罹ったので、坂井が声をかけた。
「願いまあす!」
髭面で、こちらを見た小太りの士官は、ダルマみたいな表情で、俺たちをじっと睨むと、
「ああ、声はでかいなあ…」
「どっから来た?」
つっけんどんに、そんなふうに聞いてくるので、山内が、さらにでかい声で、
「はいっ!ただ今、筑波航空隊より、こちらに着任致しました!」
すると、ダルマの士官が、
「ああ、聞いとる。貴様らか、予備士官は?」
「はい。坂井直少尉以下、三名、本日付を以て海軍第さん…」
そこまで言うと、
「ああ、わかっとる。ひよっこの予備士官だな…」
「まあ、いい」
「そこで、手続をして、すぐに作業の手伝いに来い!」
俺たちが、…?、になっていると、
側に来た、下士官が、おずおずと声をかけてきた。
「司令。後は、こちらで、手続を済ませますので、どうぞ…」
そう言って、ダルマ士官を促すと、
「おう、そうだった。今日も、忙しくて敵わん…」
と、ブツブツと言いながら、がに股で、颯爽と司令部の建物から外に出て行ってしまった。
残された俺たち三人は、きょとんとして見送ると、
坂井が、
「おい、今、司令…とか言ったが、あの方は…」
すると、下士官の一等兵曹が、
「はい。あの方が、本航空隊司令の小園安名中佐です」
「驚かれたでしょう。小園司令は、いつも、あんな格好で、指揮を執っておられるのです。そのうち、慣れますから…」
そう言うと、部屋に案内して、手続を行ってくれた。
事務の主計科の下士官によると、連日、配属になった兵たちが、どんどん入隊してくるので、こちらも騒然としているとのことだった。
主計科の兵隊に、少し離れたところにある木造二階建ての兵舎に案内して貰うと、一階の奥に教室のような部屋があり、札を見ると「第二士官室」と書かれていた。どうやら、ここが、俺たちの宿舎のようだ。
部屋の中には、三人の若い兵隊がおり、
「今、片付けをしているところです。我々三人が、こちら担当の従兵になりますので、よろしく願います!」
と、敬礼をしてくれた。
俺たちは、「おう、こちらこそ、願います…」
三人が、また、持ち場に帰っていくと、顔を見合わせ、
「おい、従兵だとよ…。やっぱり、士官待遇は違うなあ…」
と、改めて感心していた。
もちろん、基礎教育で勉強したし、土浦でも筑波でも、将校や士官には、従兵が付くことは知っていたが、間近に見ることは少なく、予備学生は、自分で何でもやっていたので、これからは、担当の兵隊がホテルのボーイのように身の回りの世話をしてくれるのが有り難かった。
しかし、この広さに三人では、到底、手は回らないだろう。
そこで、俺たち三人は、「自分のことは、できるだけ、自分でしよう…」と 約束をした。
やっぱり、一週間もすると、この広かった部屋も住人が増えて、いっぱいになった。
この第二士官室には、俺たちのような予備学生出身の少尉か中尉、兵学校、機関学校、経理学校出の少尉か、若い中尉が入っていた。
他にも、大学出の若い技術士官もいた。
変わったところでは、薬剤専門の医官や軍医士官もいて、次第に賑やかになっていた。
第二士官室には、寝室が三つ。
食堂が一つ。談話室が一つあり、だいたい兵種によって別れて部屋を使っていたので、俺たち予備士官は、大学出の連中と一緒に使うことが多かった。
兵学校や機関学校、経理学校出の士官は、「将校」と呼ばれ、正規の海軍士官である。
俺たちのような臨時雇いの士官を少し下に見る傾向があった。
これは、土浦や筑波でも感じていたが、何かと兵学校気質を持ち出すので、俺たちも、かなり距離を置いて付き合うようになっていった。
要するに、同じ軍服を着た少尉でも、兵学校出は、無論、偉いのだ。
海軍には規則があり、指揮権は、すべて兵学校出の正規将校が持つことになっていた。
だから、正規将校がいる限り、予備学生出身の士官には、彼らを指揮する権限がないのだ。
つまり、予備学生出のベテラン大尉がいても、兵学校出の新米少尉がいれば、その部隊の指揮は、少尉が執ることになっていた。
これを「軍令承行令」と呼ばれる軍律だった。
しかし、ここのような航空隊では、あまり考えられなかったが、戦場における軍艦内では、大きな問題になった。
たとえば、艦橋が敵の攻撃よって破壊され、首脳部が全滅したとする。
残された幹部の中に、機関中佐がいたとしても、兵学校出の少尉が生き残っていれば、彼が、指揮権を機関中佐に移譲しなければ、その軍艦は、少尉の指揮で戦闘を行うことになるのだ。
こういった硬直した組織の運用のまま、大戦争に突入してしまった問題が、戦場のあちこちで起きていたらしい。
まあ、ベテランの下士官や兵は、返事だけは「はい!」と立派に行うが、実際は、そんな指揮官の命令は無視して、適切な行動を取ったようだ。
もし、咎められても「機関故障!」とか、「総員戦死!」とでも言ってしまえば、どうしようもないのだ。
ベテランは、生き残ってこその兵隊だ…ということをよく知っていた。
だから、死ぬのは、若い純粋な士官ばかりで、要領よく生き残るのも、長い軍隊生活で得た知恵というものだったのだ。
その点、兵隊は賢い。
どんなに殴られても、優秀な人間を嗅ぎ分ける動物的嗅覚に優れている。
だから、同じ分隊でも、兵隊は、優秀な下士官の側にいたがるのだ。
そうすれば、万が一のときにも、生き残れる確率が増すことをよく知っていた。そして、そういう下士官は、戦い方がうまかった。
だから、賢い兵学校出の将校は、ベテランの下士官に敬意を払い、けっして偉そうに命じることはなかった。
たとえば、この三〇二航空隊には、第一期乙種飛行予科練習生出身のベテラン搭乗員、遠藤幸男特務大尉がいた。
この人は、昭和五年に飛行予科練習生の募集があると、早速志願して合格を果たした人だった。
このときの志願者は、約一万人もおり、合格者は、僅かに七十五人だった。もし、遠藤特務大尉が、中学校を出ていれば、間違いなく兵学校に合格できる頭脳を持っており、この頃の予科練生は、頭脳、技量ともに抜群の人が多かったそうだ。
そんな遠藤特務大尉だったが、やはり下士官上がりということで、兵学校出の士官たちからは、疎まれていたようだ。
下士官あがりの士官には、「特務」という名がついており、兵学校出の将校とは、明確な差を付けていたのだ。
その服装も、袖に桜のマークが三つ着けられており、明らかに下士官出身の特務士官であることがわかるようになっていた。
なんで、こんな差別をするのかはわからないが、どうも、イギリス海軍の制度を真似たらしい。
明治の海軍は、元々が、坂本龍馬たち海軍操練所から始まったとすれば、何も、イギリスの真似をしなくても…と思うのだが、なんでも西洋が優れていると勘違いした薩摩の連中が、箔を付けるために、そんな真似をしたのだろう。
それを実力と勘違いした兵学校出の将校たちは、実戦に出ると、アメリカ兵に歯が立たず、早々に死んでいったという。
勇猛果敢はいいが、学歴や肩書きで戦争をしているわけではないだろうに…と、その話を聞いたとき、敵国海軍の恥部を見たようで、恥ずかしかった。
しかし、賢い将校たちは、ちゃんと実力を見極める眼を持っていた。
そんな遠藤特務大尉に教えを乞い、技量を上げて生き残っても、エリートを鼻にかけたような指揮官は、下士官たちからも信頼を得ることができなかったようだ。
まあ、俺たち予備学生は、職業軍人の下士官たちからしてみても、やっぱり「学生」らしく、一応階級があるので立ててはくれるが、気安いのか、なにかと構われることが多かった。
だから、あまり気負わず、打ち解けるようにした方が、いい面が多かったように思う。
下士官や兵たちは、兵学校出の将校たちに接するようには、俺たちには接して来なかった。いつも、どこかに笑みを浮かべながら…、
「島田少尉は、学校の先生なんですか…?」
「へえ…」
などと軽口をきいてくるが、
「俺は、まだ、卵だよ…」
と答えると、
「でも、戦争が終わったら先生になるんでしょ…。高等師範って言ったら、先生の中の先生を造る学校じゃないですか。だったら、私に数学を教えてくださいよ…」
なんて言ってくる少年兵もいたくらいだ。
坂井や山内も、そんな軽口を叩かれているらしく、山内なんかは、
「山内少尉、いっしょにキャッチボールしませんか?」
なんて、兵たちに誘われて、休憩時間を楽しんでいた。
少年兵たちにしてみれば、早稲田野球部の山内は、六大学野球のヒーローなのだ。きっと、入隊前は、ラジオで六大学野球の中継を聞いていたんだろう…。キャッチボールひとつで、わーわー、キャーキャー、とまるで女学生みたいにはしゃいでいた。
さすが、実施部隊は違う。
土浦なら、こんな姿を上官が見たら、何発ぶん殴られるかわかったもんじゃない。変なことに感心する一幕もあった。
あてがわれた宿舎にトランクを置くと、すぐに事業服に着替え、外に飛び出していった。
司令自らが、あんな格好で動き回られたんじゃ、一番下っ端の予備少尉が、暢気に昼寝をしているわけにもいかなかったのだ。
それに、まだ、配属もなく、「待機しろ」だけの命令だったから、作業でもしながら、待機することにしたというわけだ。
こうなると、俺は、坂井や山内より経験が多い。
まあ、高等師範なんていう学校は、教師を造る学校だったから、何かと集団を動かす教育が行われていたし、実習と称する作業も多かった。
さすがに土方仕事はなかったが、畑作りやグラウンド整備、運動会準備など、体を使う授業も多く、学校では、制服を着ているよりも、作業服を着ていることの方が多かったくらいだ。
それに、近隣の小学校や中学校に出向いて授業をしたり、実習を行ったりしていたので、集団を動かす技術は身につけていた。
それでも山内は、野球部出身だから、組織運用は理解していたようだが、一人剣を振っていた坂井には、なかなか馴染めなかったようだ。
外に出てよく見ると、少年らしい集団が目に入った。
近づいて、指揮をしている下士官に声をかけると、
「ああ、今日着任した、少尉ですか?」
「あの子らは、県立厚木中の生徒ですよ」
「うちの小園司令が、中学校の校長に交渉して、飛行場造りに協力して貰っているんです。今日は、一年生ですね。あそこにいるのが、引率の田中先生です」
そう言うなり、
「田中先生!ちょっと、来て下さあい!」
下士官が声をかけると、「はあい!」と手を挙げて、田中という中年の男性教師が走ってきた。
「先生、すみません。こちら、今日着任された少尉さんたちです」
「えっと、名前を聞いておりませんでした…」
下士官の二等兵曹が、頭を掻いて詫びてくれたが、そんなことはどうでもいいことだった。それに、俺たち三人を見て、すぐに予備少尉だということに気づいたようだ。
「先生ですか…。私は少尉の島田です。こっちが坂井と山内です」
「お手伝いすることがありましたら、何でも仰って下さい」
そう言うと、田中と呼ばれた教師は、頭を下げて自己紹介をすると、
「いやあ、それは助かります。子供はたくさんいるんですが、引率の教師が少なくて、これから四班に分けますので、それぞれの作業の指導をして貰えませんか?」
「それに、少尉さんに指示をして貰えれば、子供らは大喜びです」
急に、そんな頼まれごとをしてしまった。
すると、下士官が、
「ああ、すみません。私は、岡田二等兵曹です。通信科の兵隊です。少尉の皆さんは、飛行科ですよね…」
「はい、飛行科と言っても、まだ、筑波を出たばかりの予備少尉ですけど…」
すると、岡田兵曹は、
「大丈夫です。これから、ベテランの搭乗員が、続々と集まって来ますから…」
「ほら、あそこで大声を出しているのが、有名な赤松中尉です」
「中尉って言っても、操縦練習生出身の大ベテランですよ。日中戦争前から飛行機の乗っていますからね…」
そう言われる方角を見てみると、大人たちに交じってもっこを担ぎ、大声で何か声をかけている親父が見えた。それが、有名な撃墜王、赤松貞明中尉だった。
そんな話をしているうちに、田中先生が、子供たちを集めたらしく、がやがやとこちらに集まって来た。総勢百人はいる。
田中先生は、小山の上に立つと、
「今から、おまえたちを四つの班に分ける。級長、速やかに班を作ってくれ」
そう言うと、子供らは、さっさと四つの班に並び直した。
坂井や山内は驚いていたが、俺は、まあ、こんなもんだろう…と思いながら、田中先生に許可を貰って、小山の上に立った。
「申し遅れたが、私は、東京高等師範学校出身の島田達夫です。予備少尉だ。二人は、國學院の坂井、早稲田の山内。これから、我々も加わって作業を再開するので、協力してほしい。飛行場が完成すれば、今度は、我々が君たちを守りたい。頼むぞ!」
そう言うと、子供らの中から、「おう!」という声が聞こえ、みんなが笑顔になって拍手をするではないか…。
そして、そこ、ここに、「へえ、高師かあ…」とか、「早稲田だって…」といった呟きが聞こえてきた。
子供らも、堅苦しい兵学校出の士官よりも、身近な俺たちの方が、気が楽だったのかも知れない。
作業区分は、岡田兵曹が行い、田中先生と俺たち三人は、手分けして各グループを率いて、一時間の約束で、作業を開始した。
午後二時を回った頃で、暑さもひとしおだったが、もうひと頑張りと、中学生たちは、よく働いてくれた。
中には、厚木中の校歌だろうか、歌を口ずさんでいる者もいる。
かけ声をかけながら鶴嘴を振るっている者もいた。
作業は、この日から約一週間続いた。
この週は厚木中だが、来週からは、土浦の予科練の少年たちが来るらしかった。
俺は、久しぶりに学生時代に戻ったような感覚が蘇り、実施部隊に来たのに、楽しい時間となった。
そのうち、一緒に作業する子供や兵隊たちまで、「島田先生…」と言うようになり、俺も少し照れくさかったが、一応教員免許は貰っていたから、先生…でもいいか…と思って、そのままにしておいた。
何となく、学のことを思い出し、
「学も、こんなふうにやりたかったんだろうな…」
と、頭をよぎった。
後で聞いた話によると、そんな俺たちの姿を司令の小園安名中佐が見ていたそうだ。
そして、隣にいた安藤組の組長安藤昇に、
「若い者はいい。ああやって、一生懸命子供らと一緒になって汗をかいてくれておる。あれは、予備士官か?」
「子供の扱いがうまいもんだな…」
「ああいう男まで、戦場に引っ張って来なければならんとは、情けないなあ…」
「安藤さんよ。こうしてみんなで造ってくれた厚木基地じゃ。見てろよ。俺たちの戦いを…」
と、涙を浮かべながら話していたそうだ。
安藤とは、この関東一円を取り仕切るやくざの大親分だ。
小園中佐は、他の中佐クラスの軍人には到底真似の出来ない強引さで、航空隊の予算も資材も、人もたちまち集めてしまった。
小園は、三〇二航空隊司令としての辞令を受け取るや否や、すぐに車を飛ばして海軍省、土浦航空隊、厚木市内の中学校と回り、一日のうちに予算も資材も人も集めてしまったのだ。
どこに行っても、「ラバウル航空隊の鬼司令・小園安名」の名を知らぬ者はいなかった。
小園は、ラバウル航空隊の副長時代からラバウル航空戦の指揮を執っていた。
台南航空隊の西沢広義、坂井三郎、笹井醇一らの名パイロットたちを率い、アメリカ空軍と対等に戦った実績は、だれもが認めるところだった。
当時の新聞やラジオでも紹介され、ラバウルから引き揚げてきた後も、その名声は衰えることはなかった。
しかし、その強引さと物怖じしない態度は、上層部からは嫌われたが、安藤組の親分などは、その剛毅な態度に敬服し、親分子分の杯を交わしたという噂すらあった。
そんな小園だからこそ、みんなが集まったのかも知れない。
それにしても、軍用基地に民間人を入れるなど、前代未聞だったが、それを咎めるような言動に出遭うと、
「貴様ら、総力戦をなんと心得とる。総力戦は、国民全員の力のことを言うんじゃ。馬鹿者!」
と、持ち前の大声で怒鳴るものだから、将官だろうが、憲兵や警察だろうが、小園の前に出れば、借りてきた猫のようなものだった。
この小園中佐に、厳しくものが言えたのは、ラバウル帰りの遠藤幸男中尉と撃墜王の赤松貞明中尉くらいのものだった。
そして、二人とも、下士官上がりの特務士官である。
小園は、兵学校出身の正規将校だったが、なぜか、兵学校出をばかにしており、「頭だけで、ものの役に立たん!」と、いつも憤慨していた。
副長の菅原少佐などは、いつも怒られ役である。
菅原秀夫少佐は、温厚篤実な人物で、小園司令が「動」とすれば、菅原副長は「静」の人だった。
常に冷静に物事分析し、俺が、小園司令に怒鳴られても、その後に、菅原副長から諭され、小園司令の真意を聞くことができた。
うちの航空隊は、この二人の有能な指揮官がいて、うまく機能しているんだ…と感じていた。
こうした突貫工事で、作業を進めた結果、ひと月もすると、あの荒涼とした土地が立派な滑走路に変貌していたのだった。
これなら、大型機でも戦闘機でも難なく離着陸できる。
工事は、まだまだ続いていたが、厚木基地は、着々と首都防衛の拠点となりつつあった。
建物も次々と着工され、掩体壕もひとつの壕に三機ほど入る大きさで、二十ほども造られていたし、半地下方式に造られた壕もあった。
これなら、上に網を被せ偽装を施せば、飛行機が隠されていることが、わからないようになっていた。
一度、その上空を確認のために飛行したことがあったが、あれだけの飛行機が全然見つけられなかったことに驚いた。これなんかも、小園司令たちラバウルで戦った人たちの経験がものを言った。
俺は、最初は、実施部隊ということで緊張していたが、あの作業をとおして、下士官や兵とも親しくなり、少年たちとの交流が、俺に自信と使命感を持たせたことは間違いない。
そういえば、あのことを話さなければならない。
俺が十三期飛行予備学生を志願して土浦航空隊に入隊するとき、母校の県立佐倉中学校のグラウンドで黙々と走っていた少年がいたが、なんと、この厚木で再会することになった。
そう、あの渡辺大介だった。
俺たちが、土浦にいた期間は、二ヶ月ほどの基礎訓練だけだったので、同時期に土浦に入ったといっても、予科練の大介を探すことは無理だった。
まさか、予備学生の分際で、休日に呼び出すことも出来なかったし、そもそも、この期間に休日を楽しむ余裕もなかった。
俺なりに気にはなっていたが、大介も、毎日、毎日しごかれて、それどころではなかったはずだった。
そう、あれは、俺が厚木に来て一週間も過ぎたときだった。
「おい、明日から土浦の予科練生が作業に来るぞ…」
と言うので、待っていると、やはり、そこに日焼けした大介の顔があった。
すぐにでも会って、近況を聞きたがったが、休憩時間を待って、一緒の班の兵隊に呼びに行かせることにした。
すると、向こうから、若い兵隊に連れられて大介がやってきた。
俺の前に出ると、こちこちの敬礼をした。
「第十三期、飛行予科練習生 海軍二等飛行兵 渡辺大介、参りました!」
俺も、おう…と応じ、呼びに行って貰った兵隊に礼を言うと、二人きりになった。
作業用の資材の上の腰を下ろして、大介に近況を聞くことにした。
「久しぶりだな…。どうだ、元気にしているか?」
「はい、何とかやっております」
「訓練は、きついか?」
「はい、でも、もうだいぶ慣れました。それより、少尉こそ、実施部隊で大変ですね…」
「ああ、一応、俺も飛行訓練を終えて、これから実戦だよ…」
「はあ、私も早く、一人前になりたいです」
「しかし、どうも、我々には、その乗る飛行機がないようです」
「どういうことだ?」
「はい。実は、先日、土浦航空隊の司令より、特殊兵器の募集がありました」
「特殊兵器?なんだそれは…?」
「わかりません。わかりませんが、救国の兵器だと言っていましたので、飛行機ではないことだけは、確かなようです」
「それで、おまえはどうしたんだ?」
「はい、もちろん志願しました」
「志願したのか…」
「はい、志願しない者など、いないようです」
「そうか…。ところで、佐倉の家の人は、みんな達者か?」
「はい、ときどき、手紙を貰いますので、元気なようです」
「そうか、それはよかった」
「まあ、とにかく、元気でやれよ」
「また、どこかの実施部隊で会うときもあるだろう…」
俺は、そう言って、風呂敷からドロップの缶を取り出した。
「だめか、こういうのを持ち込むのは…」
「はい、残念ながら、兵舎への持ち込みは禁止されております」
「そうか、じゃあ、ここでいくつか舐めていけ…」
そう言うと、三つほどのドロップを取り出し、大介の口に放り込んだ。
海軍では、こうした菓子類は、訓練中に食べることは許されなかった。
それに物資不足が出始めており、街中でも手に入りにくくなっていたのだ。
俺は、もう予備学生ではないので、自由に隊内の酒保で買うことが出来たが、大介たち予科練生では、そうもいくまい。
大介は、時計を見て、ガリガリッとドロップをかみ砕くと、
「島田少尉。ありがとうございました。母に少尉に会ったことを手紙で報告しておきます。ドロップ、甘かったです」
「では、…」
そう言うと、また、同じようにこちこちの敬礼をして、走って戻っていった。
そうか、特殊兵器か?
俺たちの仲間も、そちらに回る奴も、きっといるに違いない。
俺たちは、戦闘機専修の予備学生に選ばれていたから、特殊兵器はないが、それ以外の機種なら、あり得る話だった。
大介が、後に乗ることになった特殊兵器こそが、「桜花」というロケット推進燃料を積んだ滑空機だった。
日本海軍は、零戦による特攻攻撃を始めると、多くの特攻兵器を生み出すことになった。
それのどれもが中途半端な兵器ばかりで、戦果よりも犠牲者を増やすだけのものが多かった。
この「桜花」もそのひとつで、一式陸上攻撃機という中型の爆撃機に、この滑空機を積み、敵艦隊を捕捉した時点で切り離すというグライダーだった。 頭部には、戦艦を一発で轟沈できる爆薬を積んでいるが、肝腎の敵艦近くまで辿り着くことが容易ではなかった。
また、潜水艦に積んだ人間魚雷「回天」があった。
これにも多くの同期生が加わっていた。
他にも、特攻用のボート「震洋」や人間機雷「伏龍」なども考えられていた。
それにしても、兵器としては、いい加減な物ばかりだった。
こんな兵器で若い兵隊を死なせるのかと思うと唖然となったが、戦争は、まさに狂気の世界なのだ。
大介は、そんな特攻兵器に乗り込み、名誉の戦死を遂げることになるのだ。
第四章 飛行訓練
取り敢えず、飛行場の整備が終わった頃、俺たちの配属先が言い渡された。
坂井は、雷電戦闘機隊。山内は、零戦戦闘機隊だったが、俺は、夜間戦闘機隊となっていた。
「夜間戦闘機隊?」なんだそれは…。
分隊長は、坂口仁大尉で、俺は、取り敢えず、分隊長機の三番機を命じられた。
この夜間戦闘隊には、ラバウル航空隊からのベテラン搭乗員である遠藤幸男中尉がいた。
乙種予科練生第一期のベテラン操縦員だが、元は、艦上攻撃機出身の搭乗員だった。
小園司令が呼び寄せたという噂があり、その大型機攻撃については、小園司令からも絶大なる信頼を得ていた。
小園司令は、この三〇二航空隊の任務は首都防衛にあり、敵の爆撃機の迎撃にその主たる任務を負っていたのだ。
戦闘機といえば、「零戦」とばかり思っていた俺にしてみれば、「夜間戦闘機」は、馴染みがなかった。
それに、俺には、西尾肇という二飛曹がペアに付いていた。
西尾兵曹は、まだ二十歳になったばかりの若い飛行兵だったが、やはり乙種予科練の出身で、既に一年近くの実戦を積んでいた。
俺たちが乗る飛行機は、二式陸上偵察機を改良した復座の戦闘機「月光」で、最高速度も時速五百㎞がいいところだろう。
今の時代、高速爆撃機が登場してきているのに、時速五百㎞じゃあ、大した戦果を挙げられないだろう…と思っていた。
まあ、操縦が下手な俺には、お似合いの戦闘機というわけか…と、腐っていると、坂井と山内が、慰めてくれた。
「なあ、島田よ。俺なんか、だれも乗りたがらない雷電だぜ…」
「それに、月光は、小園司令が開発した斜銃が二門装備されているじゃないか」
「あれは、ラバウルでも結構、B十七爆撃機を墜としたらしいぞ」
「きっと、おまえの特性を生かして選んでくれたんだよ」
交互に、そんなふうに慰められると、膨れた頬も少しは萎み、膨れた自分が子供みたいで、少し気恥ずかしくもあった。
まあ、与えられた場所で働くしかないのだ。
それに、俺は、贅沢を言える身分ではない。この月光という戦闘機を乗りこなすしかないと腹を括ることにした。
「大丈夫だ。俺は、この月光で、エースになってやる!」
そう言って、強がって見せたが、本当は、あまり自信は持てなかった。
さて、いよいよ、実用機での飛行訓練が始まった。
最初に、坂口隊長から注意点を伺い、操縦要領を復習しておいた。
俺は、まだ、双発機を操縦したことがない。
よく、零戦より安定感があって、操縦はしやすい…と言われていたが、零戦とは、構造が違うので、地上で操作の復習を行い、後席の西尾二飛曹とも、綿密に話し合っておいた。
こういうところは、意外と俺は慎重派なのだ。
操縦席に乗り込んでみると、複座の元偵察機だけあって視界は広い。
そして、操縦席にもゆとりがあり、圧迫感はなかった。
操縦は、零戦とそんなに違いはなかった。
これなら、慣れるのに時間はかからないなあ…とほっと胸をなで下ろした。
双発機なので、左右のバランスに注意しなければならなかったが、操縦席の前にエンジンがないので、前方の視界はよく、エンジン音も気にならなかった。これなら、後席と伝声管なしでも会話ができそうだった。
エンジンは、零戦と同じ栄一二型で一一三〇馬力を二基搭載していた。
しかし、飛行機というものは、エンジンが二つあるから、倍の出力になるわけではない。その分、機体が大型化し、左右のバランスもあるので、速度は、零戦並だった。
元々は、偵察機型として設計されたが、完成してみると速度が遅く、時速六〇〇㎞を優に超える速度の、敵戦闘機に追いつかれてしまうので、偵察機としては不採用になった機体だった。しかし、安定した飛行と故障知らずのエンジンの安定性は折紙付きで、多少のトラブルは、すぐにパーツを換えるだけで再始動ができたのだ。
ところが、零戦のような特殊飛行はできないため、対戦闘機戦は、無理だと言われていた。
そこで、小園司令は、これに新発明の「二〇粍斜銃」を二門装備した夜間戦闘機としたのだ。
夜間ならば、零戦より複座の月光の方が、使い勝手がいい。
後席に偵察員が乗っているので、航法に心配はないし、電探などの操作もできる。それに、後方に目があることは、操縦者としては、非常に安心できるというものだ。
俺は、何度かの試験飛行を行っているうちに、この戦闘機の特性を掴むことができた。
飛行訓練を終えて、第二士官室に戻ってみると、やはり、坂井も頭を抱えていた。それほど、雷電の操縦は難しいようだった。
「おい、どうだ…、坂井?」
と尋ねると、
「いやあ、正直、難しい飛行機だ」
「えっ、操縦の天才と呼ばれた、おまえでさえ、そんなに難しいのか?」
「ああ、エンジン出力が大きいから、声を出しても周りには聞こえんだろう」「それに、離陸はまだしも、着陸が本当に難しい。三点着陸なんて、絶対できんよ…」
「もう、何人もの搭乗員が雷電を壊して、病院に送られた。そろそろ、死人が出るぞ…」
「まいったなあ…。寺村分隊長や赤松分隊士は、我慢して乗り続けろ…と言うばかりだし。まあ、仕方がない。とにかく、雷電を乗りこなさなければ、俺にも三〇二航空隊にも未来はないんだからな…」
そんな話を聞くと、心の中では、「ああ、月光でよかった…」と思うのだった。
ただでさえ、操縦が下手な俺が、そんな戦闘機に乗ったら、一発で命が危ない。しかし、あの坂井が苦労する戦闘機って言うんだから、海軍は、もの凄い戦闘機を作ったのかも知れん…。
そんなことを考えながら、連日、俺たちは飛行訓練に励んでいた。
斜銃を装備していた俺たち月光隊の任務は、想定される敵B二九の撃墜である。
アメリカ軍は、既にテニアン島を奪っており、日本軍守備隊は玉砕した。
そうなると、ここに飛行場を設営して爆撃機を配備するはずだった。
ここから、新型爆撃機B二九なら、長距離爆撃が可能になる。
アメリカ軍が、島伝いに日本本土を目指していることはわかっており、次の攻略地点は、硫黄島になるのは間違いなかった。
硫黄島が敵に奪われれば、今度は、敵の戦闘機が護衛に就く。
そうなれば、万事休すだ。
俺たちの月光では、アメリカ軍の戦闘機には太刀打ちできない。
いや、それは新鋭機の雷電も同じだった。
雷電は、戦闘機といっても、迎撃を専門とする局地戦闘機である。
零戦のような万能機ではない。
しかし、アメリカの戦闘機は、二千馬力級のエンジンを積み、高速で日本軍機を襲ってくる。
格闘戦に劣る雷電が勝てるとしたら、それは一撃離脱戦法しかないのだ。
まして、俺たちの月光は、双発の元偵察機でしかない。
つまり、硫黄島が奪われるまでの時間が、俺たちに与えられた時間だと考えてもいい。
これは、月光隊の分隊士を務めていた遠藤幸男中尉から伝えられたことであった。また、遠藤中尉は、今度襲来してくるB二九について、こんなことを語っていた。
「いいか、今度来るB二九という爆撃機は、とてつもない怪物だ」
「俺たちは、この斜銃を使って、B十七という爆撃機を墜としてきた」
「しかし、その防御装備は、日本軍機では、考えられないほど優れていた」
「たとえば、射撃が命中して、エンジンから一度火を噴いても、それを消火するシステムがあるんだ。おっ、やった火が見えた…と思った瞬間、シューッと火が消えていくんだ…」
「胴体の鉄板も厚く、当たった弾がカンカンと響くんじゃない。ガンガンと音は立てるが、おそらく七.七粍弾では、貫通もせんだろう。二〇粍弾でようやく機体に穴が開くくらいなんだ…」
「ガラスも防弾ガラスが入っているらしく、これもなかなか貫通しなかった」
「その上、前にも上下にも、横にも機銃がこちらを向いて撃ってくるんだ。零戦は、これに相当やられた」
「通常、撃墜するには、後方を取って射撃するんだが、後方にも機銃があるし、上下に回転銃座が装備されているから、どこを取っても撃たれることは間違いない」
「それでも、弱点はある」
「それが、真下と真上だ…」
「うまい操縦員は、零戦をB十七より高い高度を取り、背面気味に垂直降下するんだ。そして、敵の銃が角度をつけられないギリギリのところで、射撃をして敵機の脇すれすれを退避するという技だ」
「へたをすれば、そのまま敵にぶつかってしまう」
「それに、垂直降下はもの凄いG(重圧)がかかる。目の玉が飛び出すような重圧の中で、歯を食いしばって降下し、二〇粍弾を発射するのは、並の体力では体が保たんだろう…」
「でも、そうでもせんと、撃墜は難しいのさ…」
「あと、もうひとつが、俺たちがやろうとしている真下からの攻撃法だ」
「いいか、接敵は、後方から高度を低く取って近づくんだ」
「夜間だから、探照灯が有効になるかも知れん」
「爆撃機は、爆弾を投下するときは、高速ではできんのだ」
「敵機は、ゆっくりと編隊を組んだまま、集団で爆撃を行うはずだ」
「俺たちが狙うのは、爆撃に入る直前か、爆撃後に敵機の編隊が乱れた時しかない」
「いいか、この低速時こそが、俺たち月光隊の仕事の時間だ」
「この速度なら、十分に接敵できる」
「しかし、これももたもたしていて、敵機の下部銃座に気づかれれば、上から敵の十二・七粍弾のシャワーを浴びることになる。俺たちは、機体上部をすべて敵に晒しているんだ。こうなれば、戦死は間違いない」
「俺は、若い搭乗員たちが、接敵のタイミングを誤り、操縦席を滅茶苦茶に破壊されて墜ちていく姿を何度も見ているんだ」
「いいか、怖れるな。恐怖心を勇気に変えなければ、必ず死ぬ!」
「下部銃座が気づかないうちに、敵機の下に潜り込めれば、今度は、こっちの二〇粍弾が敵の腹を縫うように射撃ができる」
「爆撃機の下部は、爆弾倉があり、防御の鉄板も比較的薄いんだ。それに、ガソリンタンクや酸素ボンベなんかもここにある」
「これに二〇粍弾が一発でも当たれば、どんな爆撃機でも必ず火を噴く」
「そのための訓練だ。いいか、必ず恐怖心を勇気に変えるんだ。それしか、俺たちが生き残る道はないと思え!」
この遠藤中尉の言葉には、長年培ってきたベテランらしい説得力があった。
俺たちの分隊長である坂口大尉は、兵学校七〇期のベテラン偵察員だった。
人柄は温厚で、どこか文学青年のような雰囲気を持っていて、いわゆる、兵学校出の将校らしくない生真面目さを感じていた。
坂口大尉は、俺たち小隊を集めると、
「いいか、俺は、月光隊の先任だから、命令が下れば、どんな場合でも指揮を執る責任がある。しかし、月光は、その特性上、編隊戦闘はできない。わかるな…」
「単座の戦闘機とは異なり、複座の戦闘機だから、俺のような偵察員が搭乗している」
「つまりだ。月光は、一機でも戦闘単位として成り立つというわけだ」
「だから、時と場合によっては、小隊から離れて攻撃することも考えられる」
「そのときは、無線で連絡を取り、単機で敵の攻撃に迎え!」
「いいな、さっき遠藤中尉が話したように、敵への攻撃のチャンスは、瞬間に訪れる。その際、躊躇っては死ぬぞ。ここだと思ったら、単機で攻撃せよ。そして、どうにかして基地に戻ってくるんだ」
「上空で被弾して操縦不能となれば、すぐに機体を捨てて落下傘で降下しろ」
「機体を惜しむな。命を惜しめ!」
「そして、もし、俺の機が敵の攻撃で墜ちていっても、絶対に振り返るな!」
「その一瞬が命取りになる」
「最初に、これだけは確認しておきたい。特に、三番機。貴様らは、これからが初陣だ。初陣で死ぬ者も多いんだ。島田少尉、心しておけよ…」
そう言うと、俺と西尾の肩を強く叩いた。
他の二機の四人も笑っていた。
そして、戦争が終わったとき、生き残ったのは、俺のペアだけだった。
俺と西尾二飛曹のペアは、あらゆる場面を想定して、飛行訓練を行った。
あるときは、上空の雲をB二九だと想定して接敵し、下方から近づき、斜銃で射撃するのだ。
俺の操縦がもたついていると、すぐに後席から叱責の声が飛んだ。
「少尉!それじゃあ、敵に捕捉されます。もっと俊敏に操作して下さい!」
「了解!もう一度、行う!」
「はいっ!」
俺は、機体を低空に持って行くと、徐々に高度を上げ、目標とした雲に近づくと、一気に高度を上げ雲の下に潜り込んだ。
すぐさま、水平飛行を保ち、二〇粍弾の発射ボタンを押した。
このときの反動が、実は厄介だった。
機体の背中に装備された斜銃は、三〇度の角度で上向きに固定されているが、二〇粍弾は大きく、ドドドドドド…と射撃音も大きく、俺たちの背中に衝撃を受けるのだ。
その射撃のたびに、機体がブレるのを、俺は必死に操作しなければならなかった。
ここで、少しでも操作を誤ると、敵の下部銃座の餌食になってしまうのだ。接敵が近ければ近いほど、下部銃座は射撃ができなくなる。
しかし、ある程度の距離がつけば、銃の向きを変えられるのだ。
下部銃座の射撃手は、操縦席と連携を取り、月光がついて来られないように操縦の指示を出しているはずだから、俺は、後席の西尾の誘導で操縦するほかはない。
この二人のコンビの呼吸が乱れれば、即、操縦の乱れになり、撃墜されるのだ。
しかし、機体の安定を図るだけの腕力は、俺には十分に備わっていた。
あの坂井のくれた赤鬼樫の素振りによって、俺の肩や腕は、並の力ではない。それに、体幹が鍛えられたお陰で、どんな振動にも踏ん張れる力が備わっていた。
何度目かの訓練を終えて、基地に戻ると、西尾が声をかけてきた。
「いやあ、島田分隊士の操縦は素晴らしいですね…」
「本当に、ブレない」
「あの斜銃の射撃を、あんなに長くできた操縦員は、分隊士が初めてです」
「なんで、あんなに体が強いんですか?」
西尾も偵察員としては、一年近い実戦のキャリアがあったから、本当に驚いたらしい。
俺が、予備学生時代の話をすると、
「へえ、あの坂井分隊士は、そんなに剣の腕が立つんですか…。人は見かけによらんもんですね…」
そんなふうに、驚きを見せていたが、その後、あの赤鬼樫を振らせてみたところ、実感したようだった。
「いやあ、これは凄い。私なんか、全然振れませんよ…」
と言いながら、三〇本は連続で振って見せたから、それはそれで、大したものだった。
昭和十九年も秋が深まり、十月も終わろうとしていたとき、第二士官室に、驚きのニュースが飛び込んできた。
それは、「神風特別攻撃隊」のニュースだった。
新聞にも一面に取り上げられ、指揮官関行男大尉の写真は一段大きく掲載されていた。関大尉は、兵学校の七〇期で、うちの坂口大尉と同期のはずだった。
飛行訓練に出るとき、他の者が、
「関大尉は、分隊長の同期だそうですね…」
と尋ねると、坂口大尉は、ぶっきらぼうに、
「関の奴、つまらぬ特攻なんかで、死んじまいやがって…」
と言ったきり、取り付く島もなかったということだった。
坂口大尉は、日頃から俺たちに生きることの大切さを語っていたのだ。
「いいか、この月光で生き延びることは至難だと思う…。しかしな、生きようと思うからこそ、知恵が生まれ工夫が生まれるんだ。そうじゃないか…。これから死んでいく者には、そんな知恵や工夫などいらんだろう。だから、俺は生きる道を探す。しかし、武運拙く自分に死が訪れることがあっても、俺は、だれも恨まない。死を受け入れるだけだ…」
「だから、貴様ら…。易々と死を受け入れるな!」
「とにかく、生きることを考えろ。この月光で生き延びるには、勇気が必要なんだ。勇気を知れ、勇気を学べ。そして生き残れ!」
そんなふうに檄を飛ばして、飛行作業が始められていた。
そんな坂井大尉には、特攻に指揮官として逝った関大尉は、どんなふうに映っているのだろうか。
それにしても、俺には納得いかなかった。
生きるために操縦技術を磨き、一機でも多くの敵の爆撃機を屠らなければ、日本が滅ぼされるのだ。そのために、俺たちは戦っているんだ。
たった一度きりの体当たりで死ぬことはできない。
何度でも蘇って、戦うしかないんだ…。
このことに一番憤慨していたのは、小園司令だった。
小園司令は、
「なんてことだ。こんなのは作戦とは言わん。こんな方法しかなかったのか。これで、戦争が終わらなければ、奴らの死は無駄になる。こんなのは、日本海軍がやっていい作戦じゃない!」
そして、幹部たちを集めると、司令は、顔を紅潮させながら、大声で怒鳴った。
「いいか!本隊では、絶対に特攻は認めん。たとえ、上から命令されても、本隊から特攻隊は出さんから、よく覚えておけ!」
それは、小園らしい考え方だった。
小園司令は、ラバウル航空隊時代も「絶対に還ってこい!」と言って、戦闘機隊を見送った。
そして、暗くなるまで、外に出て帰還しない零戦の爆音が聞こえないか…と、南の空をじっと睨んでいたという。そして、小園司令の手帳には、搭乗員の氏名、年齢、住所などが書かれており、戦死した者の家族に宛ててできる限り詳細な手紙を送ることを常としていた。
そのくらい情に熱い男が、「死んで来い!」などという命令を出せるわけがないのだ。
だからこそ、頭の固い海軍の上層部にばかにされながらも、斜銃を開発して、夜間戦闘機部隊を創った。そして、使い物にならなかった偵察機を夜間戦闘機「月光」として蘇らせたのだ。
厚木基地をみんなで整備したのだって、「国をみんなで守ろう!」という信念の下に、あちこちに頭を下げて協力を要請したからではないか。
中学生も、予科練習生も、厚木のおばちゃんたちも、安藤組のヤクザ者だって、みんな国を守りたいんだ。
そうやって、みんなで戦う姿勢を示したんだ。
この厚木基地は、そういう、みんなの願いの結晶でできた航空基地なんだ。
そう思うと、俺は、自分が為すべきことがわかったような気がした。
そして、学に誓うのだった。
「俺は死なない。絶対に死なない!そして、最後の最後まで戦ってやる…」
そう思うと、夜空の向こうから、学の声が聞こえたような気がした。
そして、きっと学も一緒に戦ってくれるのだ…と確信していた。
昼間の飛行訓練を終えると、今度は、夜間訓練が始まった。
夜間の離着陸には、個人の技量だけではどうしようも部分が出てくる。
もちろん、滑走路には明かりが灯されるが、それでも昼間と違い高低差が測りにくいのだ。
零戦はともかく、坂井の乗る雷電には、これが最大の難所だった。
低速での飛行機の安定に欠く雷電は、速度を落として三点着陸をしようとすると、急に沈み込み、脚を折る事故が多発していた。
零戦ならば、失速気味に速度を落としても、浮力が残り、車輪がスムーズに地面に接地するが、雷電は、ドスンと落ちるように接地するらしい。
そこで、雷電隊は、三点着陸を止めて、陸軍機と同じように、前輪だけで接地し、長い距離を保って着陸するように命令されていた。
それでも、赤松中尉などは、雷電で、スーッと滑るように着陸するから不思議である。
その点、月光はエンジンが零戦と同じだから、そこに問題はない。
ただし、重量がある。
二人乗りの双発機だから、やはり着陸時に沈むのは、やむを得なかった。
しかし、後席の偵察員が、高度計を読み、徐々に降りられるよう指示を出すので、操縦に集中できるのだ。
俺は、単座で夜間飛行の経験はないので、よくわからないが、とにかく、一人で何でもやらなければならないのは、大変だと思う。その点でも、俺は、月光が合っていた。
夜間訓練が、続いていた夜。
偵察員の西尾二飛曹が、上空で俺に声をかけてきた。
「分隊士…」
「なんだ、どうした?」
「いや、つまらないことを聞いてもいいですか?」
「ああ、いいよ…」
「分隊士は、見えているんですか?」
「あ、何が…だ?」
「いやあ、なんか、昼間と操縦が変わらないように見えるんで…」
「ひょっとしたら、夜でも見えているんじゃないですか…」
なるほど、そうきたか…?
せっかく秘密にしておいたのに、なんでわかったんだろう…。
実は、これは、俺もよくわからんが、子供の頃からの癖みたいなものだと勝手に思い込んでいた。
しかし、人に言えば、なにか気持ち悪がられるんじゃないか…などと思って、親兄弟にも言ったことはない。
西尾の言うとおり、不思議なことに、真っ暗闇でも夜目が利くのだ。
そういえば、こんなことがあった。
子供の頃、町内会の連中と、寺の墓地で肝試しをした。小学校三年生の頃だったと思う。
真っ暗闇の中で、蝋燭一本だけ持って墓地を通って、本堂に証拠の物を置いてくるという遊びだったが、俺は、みんなのようにビクビクすることはなかった。
親友の学でさえ、
「なんで、達夫は、恐くないんだよ?」
と聞いてくるが、見えているから恐いわけはない。
でも、俺は、そんなことは言わなかった。
夜、目が利くなんて言えば、余計なお遣いを頼まれるかも知れんし、下手をすれば、病院で見て貰おうなんてことになるかも知れん。
余計なことは言わない方がいい。
だから、俺には夜も昼もなかったが、ついぞ話したことがない。
それに、西尾が気づいてしまった…。
「いやあ、西尾兵曹、これは秘密にしてくれ…」
「確かに、見える。これは、子供のころからだから、急にそうなったわけじゃない」
「俺の体の特長だろうから、だれにも言ってないんだ」
「まあ、二人の秘密と言うことで、頼むよ…」
操縦席で、手を合わせることもできないが、心の中では、「言うなよ…」と思っていた。
後席の西尾の姿を見ることはできないが、何か、変に感心しているようだった。
「へえ…、そんな特異体質があるんですね…。びっくりです」
「でも、それは、この月光じゃ、大きな武器ですよ」
「そんな特殊能力を人工的に造れたら、凄いですもんね…」
「わかりました。内緒にしておきます」
「ただし、その能力は、使わせて貰いますよ…」
部下が上官に向かって言う台詞ではなかったが、俺が予備学生出身ということもあり、西尾は、最初から気安かった。
まあ、二人のペアだから、仲良くやるに越したことはない。
こちらも、ひと言、
「まあ、了解…」
とだけ言って、また、闇の中に飛行機を運んでいくのだった。
第五章 初陣
昭和二十年の正月は、久しぶりに休暇が出たので、一度、佐倉に帰郷した。
戦局は、どんどん悪化していることはわかったし、フィリピン方面の特攻作戦は、海軍だけでなく陸軍も積極的に行うようになっていた。
それが、連日の新聞の紙面を飾り、恰も特攻隊が日本を救うかのような論調が多くなり、俺たちは、
「あんなもんで、戦局がひっくり返せれば、軍艦も新型戦闘機の不要じゃないか…」
「なんだか、勇壮な響きに、みんな酔っているんじゃないのか…?」
そんな愚痴をこぼし合ったが、どうしようもない。
きっと、田舎に帰省できるのは、これが最後だろう。
俺たちは、国内にいるから、こんなことも許されるが、外地で戦っている兵隊は、二度と故国の土を踏むこともできないのだ。
そんなことを考えながら、東京駅に出ると、総武本線に乗り換えるため、発車時間を確かめるために、時刻掲示板を眺めていた。
すると、俺のマントを引っ張る者がいる。
なんだ…?と下を見ると、小学校一年生くらいの女の子が、俺を見上げていた。
「どうしたの…?」
と聞くと、はい…っと、俺に何かを手渡した。
よく見ると、あめ玉がふたつ、紙にくるまれていた。どうも、黒糖飴のようだった。
俺が、困った顔をしていると、この娘の母親らしい女性が、慌てて走ってきて、「陽子、何やってんの…!」と窘めたが、陽子と呼ばれた娘は、
「だって、海軍さんに頑張ってって…お菓子をあげたの…」
そう言って、にっこりと笑顔を見せた。
母親は恐縮していたが、少し話を聞くと、これから縁故疎開で、岩手の方まで向かうのだそうだ。
俺は、ありがとう…と礼を言うと、革のトランクから、田舎に土産と思って航空隊の酒保で買った、パイナップルの缶詰をひとつ取り出して、女の子に手渡した。
「ありがとう、海軍のお兄さんも頑張るよ…」
「だから、陽子ちゃんもお母さんの言うことを聞いて、頑張るんだよ」
そう言うと、頭を撫でてやった。
母親は、飴玉が缶詰に変わって恐縮していたが、
「ありがとうございます…。本当に、ご苦労様です」
と、何度も頭を下げて、東北本線のホームの方に向かって行った。
陽子という女の子は、「ばいばい…」とホームの角に行くまで、俺に手を振ってくれたのだった。
時間にすれば、ほんの数分間の出来事だったが、その時間と手に残った二つの飴玉は、俺のお守りとなった。
この親子は、これからどんな人生を歩むんだろう。
詳しいことは聞かなかったが、岩手なら、大きな空襲はないだろう…。
それに田舎なら、食べることにも困らないだろうから、近いうちに終戦になれば、新しい人生が開かれるだろう…と考えていた。しかし、もう、俺には、そんな時間はなかった。
さて、そろそろ、成田行きの列車がホームに入ってくる頃だろう。
総武本線を使えば、東京から佐倉は、そんなに遠くはない。
それに、佐倉は首都を防衛する拠点でもあったから、鉄道網はしっかりと本線があり、便利だった。
列車に乗り込むと、買い出しの人でいっぱいだったが、二等車は指定席なので、取り敢えず、座席に着くことができた。
しかし、乗り込んだ人々の表情は硬く、笑顔を見せるどころではなかった。 既に街中では配給制度が実施されており、この房州に向かう列車も観光客などいるはずもなく、乗り込んだ人々は、リュックを背負い、両手にも手提げ袋を下げている。
これから、きっと田舎に向かい、物々交換などで食糧を手に入れようとしているのだろう。
俺たち軍人の注がれる目も冷ややかで、みんな取り敢えず会釈はするが、それ以上に話しかけたりはして来なかった。
もう、生活するのに精一杯になっているのがわかるというものだ。
車窓から見える風景は、次第に都会を離れ、田園地帯の自然が多く眼に入るようになってきた。千葉を過ぎれば、四街道、佐倉と停車していく。
ここらで、降りる人もいるが、佐倉から八街に向かう列車に乗り換える人も多くいたようだった。
佐倉駅に着くと、自宅のある六崎までは、徒歩で行ってもたいした距離はない。
寒い日ではあったが、天気がいいので、歩いて我が家に向かった。
土浦航空隊に入隊して以降、帰る機会がなかったので、ほぼ一年三ヶ月ぶりである。
今回は、母校には寄らないつもりだった。
家には、帰るとも何も言わずに戻るわけだから、さぞや、驚くだろう。
しかし、これが最後の帰省になるかと思うと、家族になんて話していいか、わからなかった。
その頃、佐倉連隊の将兵は、フィリピンのレイテ島に派遣され、上陸してきたアメリカ軍と熾烈な戦いを重ねている真っ最中だった。
もちろん、情報が入っていたわけではないが、軍都佐倉も留守部隊だけになり、駅前も当時の賑やかな面影はなかった。
佐倉連隊のある佐倉城址から酒々井、成田方面に向かうと、新町という古い街並みがあった。新町とは、佐倉城を築いた土井利勝が整備した町ということで、新町といわれている。
新町が佐倉町の一番の繁華街だった。
飲食店も多く、映画館が二件もあり、休日になると兵隊たちでいつも満員だった。
これは、自分が軍人になってわかったことだが、兵隊にしてみれば、休日といえども軍服を着ている以上、街中で上官に会えば、敬礼もしなければならなかったし、飲み屋で出くわせば、遠慮して早々に引き揚げなければならなかった。
その点、映画館は、暗闇なので、階級章や顔は見えない。
たとえ二等兵が、偉い将校に会っても、見えないわけだから欠礼しても叱られることもなかった。
それに、映画を見ていると、すぐに瞼が重くなって居眠りする姿が、あちらこちらで見られたのだ。
要するに、映画が見たいというよりは、下級兵にとって、休日に一番寛げる場所が映画館だったのかも知れない。
だから、新町の映画館は、百mを離れていない距離に二館もできていたのだ。
その上、陸軍の将校や兵隊が使う料亭も数件あり、鹿島山全体が不夜城の様相を呈していたこともあったようだ。
俺の家の六崎は、その鹿島山を下った駅の南側だったから、そんな賑やかな繁華街とは無縁の田舎町だった。
しかし、家の庭から、鹿島山の方面を眺めると、いつも赤や黄色の提灯の灯りが見え、遠くから賑やかな歓声も聞こえてくるのだった。
それも、昭和二十年に入ると、佐倉連隊も留守部隊だけになり、町も閑散としていた。
そのいつもの通学路を徒歩で歩いていると、学生時代の思い出が走馬灯のように、頭に浮かんできた。
東京に出てからは、そんなことを思い出す暇もなかったが、不思議なもので、休暇を得て、思い出の道を歩いているからこそ、そんな感傷が浮かんでくるのかも知れなかった。
実は、そんな気持ちになること自体が、俺を戸惑わせていた。
ひょっとしたら、東京駅で会った、美しい母親とかわいらしい娘と会話したことが、俺の心を戦場から日常に戻したのかも知れなかった。
そのとき、ふっと、自分が初めて好きになった娘のことを思い出していた。
それは、県立佐倉中学校のころのことだった。
俺は、国鉄駅の南側の六崎地区から自転車で学校に通っていた。
学校までは、たいした距離ではなかったが、佐倉は坂道が多く、アップダウンが険しく、毎日が小さな山登りのようだった。
自転車も行きは、下ったままだが、佐倉駅を越えると、今度は上り坂になった。その一山を越えたところが、県立佐倉中学校があった。
実は、彼女は、佐倉高等女学校に通う女学生だった。
毎朝のように、佐倉駅からの上り坂を一緒に登った。
あ、何も示し合わせて通学したわけじゃあない。たまたま一緒の時間帯になっただけのことだ。
確か、彼女は俺よりひとつ下の学年だったと思う。
俺が佐倉中学の二年生になったころから、自転車で会うようになったから、きっと一つ下だ。
髪を三つ編みにしていて、清楚で、色白のきれいな子だった。
朝、すれ違ううちに、挨拶だけは交わすようになっていた。だけど、名前なんか聞いたことがない。
「おはようございます」が、「おはよう…」になり、そのうち、「今日は天気がいいですね…」とか、「頑張って…」とか、笑顔で一瞬だけ交わす言葉が、俺は嬉しかった。
そういえば、一度だけ、彼女を助けたことがあった。
あれは、四年生の冬の朝だった。
昨晩雪が降り、朝は路面が少し凍結していた。
自転車で行くか、歩くか迷っていたが、やはり坂道が多いので、歩くことにした。
陽が当たっているところはいいが、日陰はやはり、かなり凍結していた。
いつものように、新町に出る坂を登っていると、木の陰に倒れている自転車を見つけた。それは、彼女の自転車だった。
俺を見つけるなり、「あっ、島田さん…」と声をかけてきた。
どうして、俺の名前を知っているんだ…?と一瞬狼狽えたが、そんなことを考えている場合じゃない。
「おい、どうした…?」
と声をかけると、自転車のチェーンが外れて、往生しているようだった。
「なんだ、チェーンか?」
「けがは…?」
どうやら、坂道なので自転車から降りて、自転車を引きながら坂道を登っていたところで、雪にタイヤを取られ、転んだらしい。
その弾みで、チェーンが外れたのだろう。
長ズボンにゴム長靴を履いていたので、けがはないようだ。
「すみません。ありがとうございます…」
そういう彼女の頬は、紅く、色白の肌に映えて美しかった。
「ああ、大丈夫…。すぐに直すから、待ってて…」
そういうと、肩掛け鞄から小さな工具袋を出して、ドライバーを使って自転車のチェ-ンを嵌め、少しだけ歪んだハンドルとサドルを直して見せた。
「えっ、すごい!」
「そんな工具をいつも、持っているんですか?」
物珍しそうに彼女が聞くので、
「ああ、俺の家は、六崎の鉄工所なんだ。これでも、よく手伝わされるから、工具は必需品でね…」
少し自慢気に話すと、工具を確認して鞄にしまった。
「じゃあ、坂の上まで自転車を引いてあげるよ…」
「また、転ぶかも知れないからね…」
彼女は、嬉しそうに頷くと、
「ありがとう、ございます」
「佐倉中の島田さんですよね。私…、高女三年の〇〇美子です」
「いつも、お見かけしているのに、すみません…」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。その姿が、初々しく、心臓がドキリと高鳴った。
本当は、彼女はちゃんと名前を名乗ってくれていたのに、俺は、緊張していたせいか、下の名前の「美子」しか、聞き取れなかった。
もう一度、聞き直せばよかったんだが、気恥ずかしくて、そのままにしてしまったのだ。
「い、いや。し、島田達夫…です」
そう言うと、自転車を坂の上まで引っ張って上がった。
そこで、自転車を彼女に手渡して、
「じゃあ、気をつけて…」
「また、明日…」
「はいっ、ありがとうございました」
そう言って、もう一度可愛い笑顔を見せると、佐倉高女の方に向かって自転車を引きながら、歩いて行った。
俺は、それを少しだけ見送ったが、心の中では、学校までついて行きたいくらいだった。
その日以来、彼女とは、卒業する日まで、顔を合わせることが多くなった。たまに、出会わないと寂しかったが、翌日に会うと、
「すみません。昨日は、風邪をひいてしまって…」
などと言い訳をしてくれるようになった。
そんな一瞬の毎日が、俺の初恋だったのかも知れない。
結局、最後まで、苗字を聞くことはなかった。
最後の日。
自転車をきつい最後の坂道を引いて歩いていると、彼女が同じように自転車を引きながら、近づいてきた。
「島田さんっ…。おはようございます」
「ああ、美子さん。今日で、最後だね…」
「はい、島田さんは、東京高師に進まれるんでしたよね…」
「ああ、大切な友人の願いでもあったから…」
「そうですか。私は、卒業したら、地元で教員になります」
「へえ、学校の先生か?」
「同じだ…」
すると、彼女は、大きな目を開いて俺の顔をじっと見詰めると、
「本当に、ありがとうございました。毎朝、私…、島田さんに会うのがとても楽しみだったんです」
「また、どこかでお会いしましょう…」
そう言うと、「これ…」と言って、麻賀多神社のお守りを俺に手渡した。
彼女の指が俺の手に触れた。
きれいな細い指が印象的で、爪もピンク色だった。
彼女も俺の手に触れたことに気づいたのだろう。
さっと、手を引っ込めると、「それじゃあ、お元気で…」、そう言うと、さっと自転車に乗って去って行った。
俺は、彼女の三つ編みが風に揺れながら遠ざかる姿を、目に焼き付けようと、視界から消えるまで、ずっと見送っていた。
まさか、それが、彼女との永遠の別れになろうとは、そのときは、考えもしなかった。
そういうわけで、俺は、彼女の苗字を知らない…。
彼女は、高女卒業すると横浜に引っ越していったらしい。
どうやら、父親の仕事の関係でついて行ったという話を聞いた。
そっちで学校の教師になったのかも知れない。
しかし、確かめたことはない。
飽くまで、風の噂ってやつだった。
その彼女が、戦争中に亡くなったと聞いたのは、俺が復員した後のことだった。
どうやら、横浜の軍需工場に勤労動員で行っていたとき、空襲に遭い犠牲になったようだ。
まだ、二十歳そこそこで死ぬなんて、気の毒でならなかった。
航空兵になった俺が生き残り、生き残るはずの彼女が死ぬなんて、なんて理不尽なんだ…と思った途端、涙が溢れてきた。
もう、俺には、彼女の冥福を祈るしかなかった。
学よ…、彼女を頼んだぞ…。
家に戻ると、連絡もせずに帰ってきたせいか、みんなに驚かれてしまった。
母親などは、軍服の俺の姿を見て、幽霊が出たのかと思った…なんて言うし、父親も妹も一様に驚いた様子だったが、生きているとわかると歓迎してくれた。
俺が、トランクから航空隊の酒保で買ってきた牛肉、鯨、パイナップル、蜜柑などの缶詰を取り出すと、驚きは歓声に変わった。
こんな物でも、今では貴重品になってしまっていた。
パイナップルの缶詰一個は、東京駅で会った、あの娘の土産になったが、それは、それでいい思い出になった。
ラジオ放送や新聞は、相も変わらず威勢のいい記事を掲載し、国民を鼓舞しているが、戦局の厳しさは、だれもが承知しており、親父も二言目には、
「おい、達夫、この戦争、大丈夫か…?」
と、聞くので、
「それはわからん。とにかく、空襲には、備えておけよ…」
とだけ言っておいた。
もう間もなく、それどころではない事態がやってくるだろう。
本当は、疎開を勧めたいところだが、軍需工場指定されている我が家は、逃げることもままならなかった。
そして、俺の任務を聞きたがっていたが、俺は、特攻隊ではないこと、内地勤務だということだけは伝えておいた。
後は、「軍機」で押し通した。
しかし、航空兵だということは、わかっているので、両親ともに、万が一の覚悟はできているようだった。
翌日には、学の家と墓に行って線香をあげた。
学が亡くなってから、既に十年が過ぎていた。
学の母親は、
「いつまでも、学のことは気にしないでいい…」
と言ってくれたが、俺の気が済まなかった。
それに、俺は、学の日記をいつも持ち歩き、飛行機に乗るときも、飛行鞄に入れて一緒に飛んでいたのだ。
ただし、そんなことは、だれにも言わなかった。
学との最後の言葉を聞いたのは、俺だけだったし、余計な詮索をされたくはなかった。
何となくだが、学の日記を持っていると、学がいつも側にいるような気がして、気持ちが落ち着いた。
やはり、一人で死ぬのは怖いと思っているのかも知れない。
それに、習慣というのは恐ろしい。
そんなつまらないことが、自分の心を左右するのだ。
特に、俺たちのような戦闘機乗りは、いつも大空での死を考えている。
だから、何かしらの生きている証がほしいのかも知れなかった。
学の日記は、俺にとって「戦う証」だったし、彼女のお守りと一緒で、俺の戦う縁なのかも知れなかった。
そういえば、あの娘の「飴玉」も、溶けてなくなるまで持っていよう。
それまでに、俺の死は確実に訪れることだろう。
知らない人は笑うかも知れないが、もし、「だれかのために…」という思いがなければ、恐ろしい戦場で敵と渡り合うことはできないのだ。
俺のいる場所は、命のやり取りをする戦場なのだ。
だからこそ、この手に掴める確かな証が欲しかった。
そして昭和二十年の正月が過ぎると、アメリカ軍による本格的な空襲が始まった。
群馬の中島飛行機の工場は、前年の十一月から度々、空襲を受けていたが、東京が空襲を受けたのは、開戦当初のドーリットル空襲以来なかった。
しかし、東京市民は、一度、空襲の被害を受けているので、防空演習にも余念がなく、町内会同士で、準備万端に備えていたはずだった。
俺は、一月後半から、本格的に敵爆撃機の侵入に備えて上空で待機する日々が続いていた。
坂井や山内も連日出撃を繰り返しており、年始めは、空襲はなかったが、B二九による偵察飛行が頻繁に行われ、写真撮影などが行われてるようだった。しかし、まだ、捕捉して撃墜するには至ってはいなかった。
B二九は、単独で来る場合、高度一万mを超える高高度で侵入してくるのだ。
いくら高性能の雷電といえども、一万mの高度で攻撃をするためには、事前に待機しておくことが必要だった。
だから、坂井の雷電隊や山内の零戦隊は、常時、高高度で待機を余儀なくされていた。
一万m上空という世界は、酸素濃度も薄く、室温もマイナス十五度にもなるらしい。
今は冬装備だからいいが、これが暖かくなってくれば、気温差がさらに大きくなり、搭乗員の体が保たない。
坂井たちは、三十分ほど一万mで待機した後、交替して基地に戻ってきていた。
それだけで、相当に消耗しそうなものだが、二人とも、どこ吹く風とばかりに、食欲は旺盛だった。
航空隊では、搭乗員には、特別糧食として卵やバター、チーズ、砂糖などの高カロリーな食物が支給された。
今時、一般家庭ではお目にかかれない贅沢品だったが、体力を著しく消耗すると、疲れるだけでなく、視力が減退し、敵機の発見が遅れるらしい。
俺たちも軍医から、
「いいか、搭乗員は、食うことも寝ることも仕事だ。しっかり食べて、英気を養い、敵撃滅に励んでくれ…」
と、申し渡されていた。
俺は、今のところ、敵機の夜間爆撃が始まらない限り、昼間、高度五千m付近を飛行し、敵機の襲来に備えた哨戒飛行を繰り返していた。
それに、俺たち夜戦は、高度一万mは飛ぶことができなかった。
もし、飛んでいられたとしても、戦闘なんてとてもできる状態ではない。
俺たちが戦闘できる高度は、せいぜい、五千m程度だろう。
だから、雷電や零戦によって、高高度から降りてくるB二九を捕捉撃墜することを目的としていたのだ。
既に、遠藤大尉の小隊などは、名古屋や大阪に出張しており、関西方面の迎撃戦に従事していた。
九州や関西方面は、既に中国大陸からの飛来するB二九編隊による空襲を受けており、激しい迎撃戦が行われていたのだ。
本土の防空任務は、基本的に陸軍の担当であり、陸軍の航空部隊は、連日、関西、九州方面のB二九と渡り合っている。
陸軍も双発の「屠龍」という戦闘機を使用し、小園司令の開発した「斜銃」を「上向き砲」と称して使用しているとのことだった。
陸軍には、二式戦「鍾馗」、四式戦「疾風」、五式戦という優秀戦闘機を擁しており、かなりの撃墜数を誇っているようだった。
本当は、海軍も陸軍の優秀な戦闘機を借りて、陸海協同で戦えばいいのだが、伝統的に、それぞれが独自に戦闘機を開発していたので、融通がつけられないでいた。
総力戦といいながら、軍自体が総力戦になっていない現実を考えると、本気でアメリカに勝つ気でいるのか…と首を捻ることも多い。
我々としても、首都防衛という重要任務がある。
もちろん、陸軍の航空隊も各基地に優秀な戦闘機を揃えて待機している…との話が伝わってきていた。
それに、厚木基地の通信システムは、ほぼ完成し、僚機との会話だけでなく、基地との通信もスムーズになっており、連携した迎撃態勢が採られていた。
これも、小園司令が、陸軍の通信部隊と交渉した末の協同作戦だった。
日本の陸海軍は、昔から仲が悪い。
アメリカも同様だったらしいが、日本の存亡が懸かっているときに、陸も海もないだろう。
しかし、人間というものは、感情で動く動物なのか、理性的に判断することができないらしい。
小園司令の協同作戦も、小園自身があちこちに交渉に出向いて、やっと実現に漕ぎ着けたものだった。
おそらく司令のことだから、「バカヤロー」呼ばわりはしたはずだ。
しかし、今や、三〇二航空隊なくして、首都の防衛はあり得なかった。
基地がほぼ完成すると、全国から視察が訪れた。
中には、天皇陛下の直宮様までお出でになるという栄にも浴した。
そんな厚木基地を蔑ろにできる上層部の人間はいない。
どうせ、奴らは、権力に弱いんだ。
ばかにしているわけではないが、官僚組織とは、そんなものなのだろう…と、坂井たちと話をしたものだった。
そんな一月の終わりの二十七日。
B二九の大編隊が、中島飛行機工場ほかの軍需施設及び東京の各区の街全体を襲った。まだ、明るい昼間爆撃だった。
俺は、ちょうど東京上空で待機していたとき、基地からの無線連絡で命令を受けた。
「三日月小隊は、直ちに房総方面に向かえ、B二九の編隊が、関東に侵入してくる…」
と、同時に、坂井分隊長から通信が入った。
「三日月三番は、九十九里上空で待機。戻ってくるB二九を狙え!」
「了解!」
俺は、後席の西尾二飛曹に、
「よし、千葉に向かう!」
「はい!いよいよ、初陣ですね…」
「おう、任せておけ…」
そういうが、俺は、自分の声が震えているのがわかった。
いよいよ、敵に遭遇するのだ。
俺は、脇に置いたボトルの水を一口ゴクッと飲み込んだ。
時刻は、既に午後四時を回っている。
冬の日没は早い。後三十分もすれば、かなり暗くなってくるだろう。
見つけるなら、三十分以内だ。
この月光の航続距離は、約二千五百㎞、零戦とほぼ同じだ。
巡航速度なら、四時間は飛行可能なのだ。まだ一時間は、大丈夫だ。
次第に陽が陰り、太陽が西の空を真っ赤に染め始めていた。いよいよ、日没の一番発見しづらい時間帯である。
今、上空には、俺の機体しか見えない。
どうする…、後席に声をかけようとしたそのときである。いきなり、西尾が、怒鳴った。
「分隊士!敵B二九発見!右、五〇度上空!」
おっ…と、西尾の指す方向を見ると、大型の爆撃機が夕陽に照らし出されて、金属の機体がキラキラと輝いて見えた。
俺はすぐに、
「よし、行くぞ!」
「はいっ!」
落ち着け、落ち着け…、訓練通りに接敵するんだ。
そのときである。
目の前をグオーン!と横切る機影が目に入った。
「なんだ!」
すると、一機の小型戦闘機が、俺たちが目標にしたB二九にまっしぐらに突っ込んでいくではないか…。
すると、B二九から猛烈な射撃が加えられたのが見えた。
しかし、小型戦闘機は、そのまま回避することなく、突っ込んでいった。
グワーン!
と、大きな衝撃音が、俺たちの機体にも伝わってきた。
「体当たりです!」
その小型戦闘機は、退避行動に移らないまま、自分の機体ごとB二九の巨体に、飛行機をぶつけたのだ。
それは、壮烈というより、もの凄い衝撃でお互いの機体を四散させた。
後には、機体の破片が散らばり、数秒後には、何事もなかったように、元の夕焼けの空に戻っていた。
あ、あれが、特攻なのか…。俺は、言葉も出なかった。
おそらくは、千葉の陸軍部隊の戦闘機だろう。
噂によると、陸軍では、大型機専門の特攻部隊である「震天制空隊」を編制し、三式戦「飛燕」や「屠龍」を使用して、体当たり攻撃をしているらしい。
なんでも、武装は最低限にして、極力軽量化した飛行機で体当たりし、搭乗員は落下傘で降下する手筈になっていると聞いていたが、今の状況では、搭乗員が脱出する暇はなかったはずだ。
それも、俺には、覚悟の体当たりのように見えた。
これが本物の戦争なのか…。
そう思うと、自分の獲物を横取りされていながら、それを恨むより、そうまでして、敵機を墜とそうとする信念に頭が下がる思いだった。
そうこうしているうちに、陽が完全に没して、暗い闇になった。
今日は、曇天のせいか、星の光さえ見えない。
今日は、もう、だめか…と思ったとき、俺に目に、何かが光って見えた。
「西尾!敵機発見!左、三〇度、間違いない。B二九だ…」
「少し、右エンジンから煙を吐いている模様!」
「よし、攻撃をかける!」
すると、後席の西尾が、
「少尉、どこですか!私は、まだ、発見できません…」
「大丈夫だ、俺には見える!いいか、今から接敵する」
そういうと、左旋回を行い、敵の真下につくべく、月光ヨDー100号機を操縦した。
近い、敵は、まだ気づいてはいない。
きっと、空襲の後、相当にやられたのだろう。
すると、西尾が気づいた。
「見つけました。了解です!」
俺は、慎重にB二九の巨体の下部に潜り込んだ。
間もなく、斜銃の射程に入る。なるべく接近して、撃つように言われている。
敵機の搭乗員は、この闇の中で月光を発見してはいないようだ…。
ゴオォーン!
と、B二九のエンジン音が直接耳に届く距離まで近づいた。
機体が、乱気流で揺れるが、それを必死に操作して、態勢を維持した。
そのとき、後席の西尾が、
「少尉!撃って下さい!」
「了解!」
と、同時に斜め三〇度に取り付けられた機銃の二〇粍弾の発射ボタンを押した。
ドドドドドドド…、ドドドドドド…。
背中に発射音のリズムと共に、衝撃を受けたが、操縦桿を持って行かれないように踏ん張り続けた。
敵機からの反撃はない。
よし!と、左旋回で回避行動に移った。
どんどんB二九の巨体から離れていく。
すると、遠くでドーン!という爆発音と紅蓮に燃えた炎の塊が、海に向かって一直線に墜ちていくのが見えた。
「よし、一機撃墜!」
「はいっ!」後席の西尾が喜びの声を挙げ、早速、無電で基地に報告を入れていた。
俺は、機体を水平飛行に戻すと、どっと汗が流れてきた。呼吸が荒くなり、心臓がバクバクと服の上からでも、鼓動がわかるようだった。
初陣で初撃墜。
本当は、もの凄く喜んでいいはずだったが、俺は、そんなことより、さっきの陸軍機の特攻と、今見たB二九の紅蓮の炎の塊が目に焼き付いて離れなかった。
さっきの戦闘機にも、若い兵隊が乗っていたはずだった。
そして、その体当たりして四散したB二九にも多くのアメリカの兵隊がいたはずだ。
そして、自分の手で、多くのアメリカ兵を殺してしまった。
いくら敵とはいえ、見も知らぬ者たちを自分の手で葬ったことに、俺は衝撃を受けていた。
しかし、これが戦争なのだろう…。そして、近い将来、俺も、彼らと同じ運命にあるのだ…と、自分を納得させるのだった。
俺は、今の戦闘で自分がどこにいるのかもわからなかったが、西尾の航法のお陰で、無事に厚木基地に戻ってくることができた。
帰りは、夜間着陸になったが、何度も訓練で行っているので、西尾の指示でうまく着陸することができた。
着陸して、報告を済ませると、整備員の兵長が、
「いやあ、少尉。結構、弾を喰らってましたよ…」
と言うではないか。
「いや、あのときは、敵も弱っていて、下部銃座からの攻撃は受けなかったはずだが…」
そう思って、点検してみると、両翼と胴体に、合計五発の銃痕が発見されたのだ。
西尾二飛曹に聞くと、
「ええ、下部銃座ではなく、胴体脇の銃座からのものでしょう。ひとつ、生きていましたから…」
「なんだ、知ってたのか?」
「はい、少尉は、気づかれなかったのですか?」
そうか、自分では、落ち着いていたようで、相当に緊張していたのがわかった。
俺が、ふーん…という顔をしていると、西尾が、
「それにしても、少尉の目は、凄いですね。私には、最初、まったく見えませんでしたから…」
と感心するので、俺は、シーっと唇に人差し指を当て、秘密だぞ…という合図を送った。あまり、そんなことを自慢したくなかったのだ。
第二士官室に戻ると、坂井と山内が、早速、初撃墜を祝ってくれた。
小園司令からも清酒を一本戴いた。
これで、取り敢えずは、坂井や山内より一歩リードしたことが、嬉しかった。
小型戦闘機の体当たりも報告すると、それは、東金基地から飛び立った三式戦飛燕だということだった。
乗っていたのは、十九歳の伍長で、震天制空隊ではなく、自分の判断で体当たりをしたものということだった。
ただ、それを見た者は、俺たちしかおらず、陸軍から感謝されることになった。これで、あの少年兵に金鵄勲章が授与されるかもしれないとのことだった。
こうして、運良く、俺は初陣を飾ることができたが、それでも、俺が見たのは、B二九二機の撃墜だけである。
それ以上に東京は空襲にやられ、多くの住民が犠牲になっているのだ。俺には、そのことの方が悔やまれ、申し訳なかった。
しかし、運は、いつまでも続かなかった。
俺の相棒の西尾二飛曹が、負傷入院してしまったからだ。
それは、俺の不注意から起きてしまったことだった。
俺は、初撃墜後も何度も出撃する機会があったが、なかなか撃墜するには至らなかった。
何度かは、B二九に損傷を与えたが、撃墜できないでいた。
その間に、雷電の坂井や零戦の山内は、着々と撃墜数を増やしていった。
それが、俺の焦りを生んだのかも知れない。
西尾は、「大丈夫ですよ。そのうち、チャンスは来ますから…」と言うばかりだったが、俺にも焦りがあった。
それは、二月も終わるある夜の戦闘だった。
その頃になると、B二九も多数で編隊を組んで、夕方から夜にかけて関東地方に襲来するようになっていた。
夜間戦闘は、他の飛行機とは異なり、どうしても単独戦闘になる。
坂口小隊も最初の打ち合わせが済むと、担当する空域が決められ、B二九を待つのである。
俺は比較的低空域を任されることが多く、それだけ操縦はやりやすかった。 うちの小隊の他の搭乗員はベテランだが、俺は飛行時間が短いので、こうした配慮は有り難かった。
その夜も、東京湾上空の低空域で見張っていると、爆撃を終えたB二九が単独で飛行していた。
空襲時は、密集隊形を保っているが、投弾後は、バラバラになることが多かった。
それは、当然、高角砲で損傷を受ける場合もあるし、投弾前に日本軍機によって襲撃されることもある。
そのため、爆撃前は、密集隊形を保つが、投弾すれば、加速することができるので、銘々に別れて最短距離を逃げるように命令されているのだ。
俺たち月光隊は、鈍足なので、狼のような狩りはできない。
狼が攻撃した後、弱った獲物を叩くのが、俺たち月光隊の役割だった。
そうなったのも、先月の昼間爆撃で、遠藤大尉が撃墜されたことが大きかった。
遠藤大尉と西尾一飛曹は、一月中旬に名古屋の防空任務に派遣され、昼間の投弾前のB二九編隊に飛び込んでいったそうだ。
それでも、操縦の巧みさで、一機撃墜したが、遠藤大尉の月光は、かなりの損傷を受けたらしい。
機体を操れなくなった遠藤大尉は、先に西尾一飛曹を降ろし、次いで、自分も脱出したようだが、高度が低かったために、落下傘が開かず、墜落死したとのことだった。
西尾一飛曹も、落下傘の紐が、月光の尾翼に当たり切断され、墜落死したのだ。
このことを知らされた小園司令は、「おれが遠藤を殺した…」と、名古屋に派遣したことを後悔しているようだった。
そのくらい、司令は、遠藤大尉を信頼し、月光と斜銃を日本全国に周知させたかったのだろう…と幹部の人たちが話していた。
遠藤大尉は、千葉の館山に住居を構えており、ときどきは、館山まで零戦で飛び、家族に会っていた。
時には、俺たちにも家族写真を見せ、特に最近生まれた娘は可愛いらしく、月光の操縦席にも貼り付けて飛んでいた。
きっと、最後も、娘さんの写真をポケットにしまって飛行機から脱出したのだろう。
しかし、遠藤大尉ほどの人でも昼間攻撃が難しいことを教えてくれた。
それからは、本部からは、「月光の昼間戦闘禁止令」が出され、俺たちは、いよいよ夜間専門部隊となっていったのである。
遠藤大尉の葬式は、厚木基地で盛大な海軍葬で行われ、西尾一飛曹とともに、二階級特進の栄を賜り、新聞にも軍神として讃えられる記事が掲載された。
そして、遠藤大尉は、乙種飛行予科練習生初の海軍中佐になった。西尾一飛曹も、海軍少尉になった。
俺たち同じ月光戦闘隊としても、カリスマ遠藤大尉の戦死は、ショックだった。俺たち予備学生や予科練出の少年兵に、月光での戦闘方法を教えてくれたのは、当時の遠藤中尉だったからだ。
そして、遠藤中尉は、
「いいか、絶対に月光で昼間戦闘を行ってはならん!」
と厳しく戒めていたのが、その遠藤中尉だったのだ。
だから、その遠藤中尉、いや大尉が、昼間戦闘で戦死するとは、考えられなかったのだ。
小園司令は、葬儀でも号泣して奥さんに何度も詫びていたが、周囲の者は、意外と冷めていたのかも知れない。
と、言うのも、遠藤大尉が、いつのまにか、何かに取り憑かれたように、撃墜数に拘り、マスコミに取り上げられるのを喜んでいる節があったからだった。
「あれじゃあ、いつ死んでもおかしくないぞ…」
そういう声が前から、多く聞こえていた。
自分で、「月光は、夜間戦闘機だ!」と常々口にして、
「昼間の戦闘なんかに出動するな!」と、怒っていたのに、なぜ、自分から昼間戦闘なんかに出て行ったのだろう…という疑問が残った。
うちの坂口分隊長に言わせると、
「それはな、遠藤の焦りなんだよ…」
「遠藤は、本当は、マスコミなんかに取り上げられるのを嫌がっていたんだ。しかし、撃墜王なんて言われると、連日、報道班員が遠藤を取り巻いて離さなかった」
「そうなると、今日は何機撃墜ですか…?などというばかげた質問をされるようになるんだ…」
「遠藤は、俺にだけ、そっとこう呟いたことがある」
「俺は遠藤より若いが、この夜戦隊を創るのに一緒に苦労した仲間だからな…」
「奴は、こう言ったんだ…」
「分隊長。私は、撃墜王と呼ばれるのが嫌いです。あんな撃墜マークを機体に描くのも嫌なんです。でも、私に注目が集まることで、他の隊や部下たちに余計な気遣いをさせずに済むのなら、私らが引き受けようと、西尾とも話し合ったんです…」
「長い戦闘で疲れ切って着陸すると、すぐに報道班員たちが群がって来ます。写真を撮られたり、質問を浴びせられます。本当は、疲れて相手なんかしている気分じゃありません」
「でも、私らが引き受けなければ、それを他のだれかがやることになるんです」
「私は、月光隊の最古参です。だからこそ、他のみんなには、負担をかけたくありません」
「本当は、最初から取材は断ればよかったんです」
「雷電隊の赤松さんなんかは、絶対に取材には応じませんから…」
「でも、私は、小園司令に世話になって、斜銃という武器もいただきました」「私は、小園司令に大恩があるんです」
「だから、月光や厚木航空隊が有名になって、小園司令の男を立ててやりたいんです…」
「分隊長には、わかっていて貰いたいです」
「すみません。我が儘を言うばかりで、申し訳ないです」
そう言って、坂口分隊長に頭を下げたのだそうだ。
坂口分隊長は、
「それが、あいつに無茶をさせる原因だったのかな?」
「だから、あいつは無理をして昼間にB二九を撃墜に行ったのかも知れないな…」
そう言うと、寂びそうに煙草に火を点けて、吐いた煙をぼんやりと見詰めていた。
坂口分隊長には、そんな遠藤大尉の気持ちがわかるのだろう。
自分がエースと持ち上げられることで、この月光戦闘隊の評価も上がる。
まして、斜銃は、小園司令の発明によって生まれた画期的な兵器だ。
だからこそ、注目させたいと願っていたのだ。
しかし、自分が「絶対にやってはいけない!」と言っていた昼間戦闘で死ぬなんて…、なんか、悲しかったし、やりきれなかった。
遠藤大尉の戦死は、俺たち夜戦隊に大きな教訓を残すことになった。
それは、やはり、
昼間の戦闘に月光は使用しないこと。
爆撃前の密集隊形の中では、B二九を撃墜することは難しいこと。
月光隊は、銘々に退避するB二九を狙うこと。
が改めて確認された。
それは、小園司令の厳命でもあった。
その日の夜、俺と西尾二飛曹は、上空三千m付近で警戒し、集団から漏れた
B二九を待った。
この日は、横浜から横須賀周辺が狙われており、厚木基地も厳しい警戒網が敷かれていた。
夜九時を回った頃だったろうか、遠くから爆音が聞こえてきた。
俺たちは、東京湾から千葉の館山に向かう方面で警戒をしていたときである。そのとき、複数の爆音が重なると、銃撃音が頻繁に聞こえるようになっててきた。
「来たな…」
「おい、西尾、そろそろ敵が見えるはずだ。よく見張れ!」
「了解!」
俺は、その爆音のする方向に目を転じた。
すると、そのとき、下方から東京湾警備の陸軍部隊から探照灯が照らし出された。
「おっ、いたぞ!敵機発見!」
「はい!確認しました!」
上空の明るい探照灯の黄色の輪が敵機を照らし出していた。
きっと、俺たち以外の夜間戦闘機が攻撃をかけているのだろう。
そのとき、坂口分隊長から無電が入った。
「三日月三番、こちら三日月一番、応答せよ!」
すると、西尾が早速無電に飛びついた。
「こちら、三日月三番、敵機発見!これより攻撃に入ります!」
「よし、直ちに攻撃せよ!攻撃せよ!」
「了解!」
俺は、西尾の指示を待つまでもなく、機体をB二九に向け速度を上げていった。取り敢えずは、目の前にいるB二九だ!
「西尾!左前方のB二九を狙う!」
「了解!」
「少尉、探照灯に気をつけて下さい!」
「わかった!」
そう答えると、すぐさまスロットルを全開にして、高度を上げた。そして、右回りでB二九の後方についた。
ここからは、いつもの手順で進むはずだった。
そのときである。別の探照灯が、俺の月光を真下から照らしたのである。
うっ…、強い光が一瞬目に入った。
目の前が真っ暗になった。
まずい…、俺は、下を向いて光を避け、目をしばたかせて視力の回復を図った。
しかし、その数秒が、命取りだった。
「まずい、敵に悟られる…」
そう思った瞬間、B二九の下部銃座と、後部銃座が、こちらに銃を向けるのが見えた。
「しまった…!」
おそらく、後席の西尾二飛曹も気づいたはずだ。
しかし、もうどうしようもない。
後席から、西尾の絶叫した声が耳に響いた。
「少尉、だめです!離脱して下さい!」
しかし、その声を聞いてはいたが、体が反応しなかった。
それに、絶好の位置まで来て、離脱の操作を行えば、敵銃座に機体を晒すことになる。どのみち絶体絶命なのだ。
「西尾、すまん。いくぞ!」
そう怒鳴ると、二〇粍斜銃の発射ボタンを押した。
敵機の二つの銃座から光のアイスキャンデーがこちらに向かってくるのが見えた。
ドドドドドドド…、
月光の二〇粍弾が敵機に吸い込まれていく。
チカッ、チカッ…とB二九の翼付近に命中弾が見えた。
しかし、まだ、俺の飛行機には、敵機の銃弾は当たってはいない。
これは…、と思った瞬間だった。
ガンガンガンガン…と月光の機体に銃弾が当たる激しい音が操縦席にこだました。やられた…。
その音は、操縦席の風防も突き破り、冬の冷たい風が、一気に操縦席に流れ込み、小さく聞こえていた爆音が、耳元で鼓膜が破れるかと思うほどのもの凄い爆音を響かせていた。
もうだめだ…、そう思った瞬間に、頭を下げて退避行動を採っていた。
すると、耳元に声が聞こえた。
達夫、左旋回で突っ込め!…。
もう、無我夢中で操縦桿を握りしめて、その声が命じた通り、操縦桿を左に倒すと、勢いよく、急降下の態勢に入っていた。
ふと左翼を見ると、左エンジンから炎が見えるではないか…。
この急降下で消えなければ、もう翼は保つまい。
間もなく左翼がちぎれ飛んで、空中分解するはずだ。
よくて、垂直錐もみに入る。もう、終わりだ…。
そう諦めかけたとき、左翼エンジンからの炎が消えた。
シューッ…という音と共に、左エンジンが止まった。
左翼のプロペラが空転しているのがわかった。しかし、右エンジンは動いている。
高速で海面近くまで降りると、右回りしようとする機体を必死になって方向舵と昇降舵を使って、真っ直ぐに飛ばす操作を繰り返していた。
後席からは、何の声も聞こえない。
もしかしたら、西尾は機上戦死したのかも知れない。西尾…。
俺は、自分の力のすべてを込めて操縦桿が右に持って行かれないように引っ張り続けた。
もし、少しでも力を緩めれば、その瞬間に右に回転し、そのまま海中に墜落することは間違いない。
こうなれば、俺と月光の力比べた。赤鬼樫を振り続けた成果を見せてやる!そう思うと、力が湧いてくるような気がして、渾身の力で操縦桿を握り続けていた。
とにかく、陸地に戻らなければならない。
いいも悪いもない。方向も定かでないが、そのまま一直線に少しでも灯りが見える方向に飛んだ。
暫くすると、機体が、ガタガタ…と振動を繰り返すようになった。
これは、間もなく墜ちるな…。
夜の海面への不時着は、即、死を意味していた。冬の海に突っ込んでは、数分とは生きられまい。
とにかく、陸地に入らなければ…と、無我夢中で灯りを求めて低空飛行で真っ直ぐに進むしかなかった。
機体の振動が、さらに大きくなってきた。
右エンジンに相当の負担がかかっている。このままだと間もなく、右エンジンが焼き切れるだろう。そうなれば、万事休すだ。
もう、真っ直ぐに飛ぶことが難しい…。
俺は歯を食いしばって、前方を睨み続けた。唇から血が顎に伝わってくるのがわかる。もう、そろそろ、俺の力も限界が見えてきた。
もう緩めたい、楽になりたい。
頭もボーッとしてくる。視界が狭まっているのがわかる。
西尾っ…、すまない。もう、これ以上は無理だ。
そう思った瞬間、滑走路が見えた。
「滑走路だ!」
とにかく、ここに滑り込むしかない。
滑走路には、夜間着陸用の明かり灯されている。
不時着など、したことがないが、もうやるしかなかった。
とにかく、平行姿勢を保つことで精一杯だった。
滑走路に侵入する手前で、右エンジンのスイッチを切った。
そのまま滑り込むとエンジンから火を噴く可能性があるからだ。
「西尾!胴体直陸をするぞ!」
「しっかり、何かに掴まれ!」
しかし、後席からの反応はない。
いつもなら、高度を読んで、指示を出してくれる西尾二飛曹の声がないのだ。しかし、なんであれ、着陸に失敗は許されない。
俺は、できるだけ機体を水平に保ち、車輪を閉まったまま、滑走路に滑り込んだ。
ギャーッ、キキーッ!!
という凄まじい摩擦音が響いた。そして、左に横回転しながら機体は草地に止まった。
滑走路の胴体がぶつかった瞬間に、俺は、前につんのめり、計器板に額を強かに打った。それでも、操縦桿は離さなかった。
回転しながらも、機体が止まる感触があった。
シューッと、何かが漏れる音がする。酸素か、ガソリンか…。
そんなことを考えたようだった。しかし、着いた…。西尾…。
俺は、そのまま気を失い、暗い闇の中に引き摺り込まれていったのだった。
俺が気がついたのは、翌朝のことで、そこは、陸軍の浜松基地の病室だった。
「あ、気づかれましたか?島田少尉殿…」
そんな穏やかな口調の男の顔が、ぼんやりと見えた。
「ん?ここは、どこですか?」
「はい、陸軍の浜松基地です…」
うっすらと目を開けると、次第に部屋の中が見えてきた。
明るい日差しが、部屋の中に入り、頭が次第に覚醒してくるのがわかった。
そこには、一等兵の衛生兵が立っていた。
その兵隊は、
「いやあ、気がつかれてよかった…」
衛生兵によると、こんな状況だったらしい。
昨晩は、浜松基地からも、夜間戦闘用の屠龍や鍾馗が何機か迎撃に上がった。そして、それらの飛行機を収容するために、滑走路に明かりを入れたところ、俺の月光が不時着の態勢で侵入してきたというのだ。
識別はできなかったが、双発の屠龍に似ていたので、浜松基地の夜間戦闘機が還ってきたものと思い、放水車も用意して待ち構えていると、左翼を少し下げて、緊急着陸してきた。
その衛生兵は、どうも、お喋りな男らしく、
「いやあ、少尉殿、びっくりしましたよ。自分らが滑走路に火を灯したばっかりの時に、滑り込むように胴体着陸されたんですから…」
「こりゃあ、大変だぁ…というわけで、大騒ぎでしたよ」
「よく見りゃあ、海軍機ではないですか…」
「それで、お二人を急いで収容して、後ろの方は、緊急手術になりました」
後ろの方…?西尾じゃないか。
「で、後席の西尾二飛曹は、無事か?」
勢い込んで、そう尋ねると、
「は、はい。足を撃たれておりまして、大けがではありましたが、緊急輸血も行い、命は、取り留められました…」
そうか、西尾は無事か…。
そう思った瞬間、胸に鋭い痛みを感じた。
「痛い…!」
俺は、胸を押さえると、胸にも頭にも、白い包帯が巻かれているのに気がついた。
「ああ、少尉殿は、計器板に額と胸をぶつけられておりました」
「確か、軍医殿が仰るには、肋骨が二、三本やられているとのことです」
「まあ、肋骨は折れやすいので、しばらく安静されることですね…」
そう言って、立ち去ろうとするので、
「おい、君。ところで、西尾二飛曹は、どこかね…」
と、尋ねると、隣の部屋で安静にしているとのことだった。
まだ、意識は戻っていないらしく、輸血のせいもあるのだろう…、暫くは動かせないとのことだった。
俺たちは、浜松基地で一週間ばかり世話になっていたが、傷も思いのほか早く回復して、何とか、厚木基地からの迎えの自動車で、隊に戻ることができた。
浜松基地の司令は、小園大佐のことを知っており、
「少尉。小園大佐殿に陸軍も上向き砲で頑張っている…とお伝え下さい」
と申し遣った。
陸軍では、月光と同型の二式復座戦闘機を「屠龍」と呼んでいたが、形状が我々の月光とよく似た双発戦闘機で、特に夜になると、あまり見分けがつかなかった。
速度も性能も月光に似ていて、屠龍は、九州地方でのB二九の爆撃のころから活躍し、大型機撃墜の実績を積んでいた。
小園司令の斜銃を知ると、いち早く、海軍に申し出て、これを採り入れている。こうした柔軟性は、海軍にはあまり見られなかった。
小園司令の発明が、海軍より陸軍によって評価されたことに、腹立たしさもあったが、この銃がなければ、もっと被害が出ていたと思うと、ぞっとすることがあった。
結局、俺の傷は、約半月ほどかかり、西尾は、暫くは戦闘機には搭乗できなかった。それでも、俺には、
「島田少尉のお陰で、命拾いをしました。本当にありがとうございました」
「もし、あのとき、少尉が浜松基地に着陸していなかったら、この命は、ありませんでしたから…」
「少尉は、命の恩人です」
そう言って、涙を見せるのだが、俺にしてみれば、
「何を言うか?」
「あのとき、俺が探照灯の光で、目を一瞬閉じなければ、もっと早く退避行動ができたんだ」
「すまないのは、こっちだ。とにかく、早く直して、また、ペアを組んでくれ…」
そう言うと、西尾は、
「はい!必ず、復帰します!」
と、力強く俺の手を握るのだった。
このことは、隊内の話題になり、俺たちが攻撃したB二九は、他の陸軍機が撃墜を確認してくれということで、俺は、これで二機撃墜となった。
坂井に話をすると、
「そうか、片肺飛行では、大変だったな…」
「それにしても、右エンジンだけで水平飛行を保つとは、島田もたいしたもんだよ」
そう言って、誉めてくれたので、俺も少し得意だった。
ただ、引っかかっているのは、あのとき、もうだめだ…と思ったときに聞いた声だった。
それは、西尾の声じゃない。西尾は、撃たれて昏倒していたはずだ。
じゃあ、いったいだれの声だったんだ…?
そのときは、すぐに気づかなかったが、再び、俺は、その声を聞くことになった。
第六章 紅蓮の炎
肋骨にひびが入った程度だった俺は、体が回復すると、すぐに復帰できたが、西尾は、足が不自由になり、小園司令からは、退役して故郷に戻ることを勧められたようだ。しかし、西尾は、
「田舎に帰っても、耕す土地もありません。私は、まだ、戦いたいです。戦争が続く限り月光に乗せて下さい!」
と、退役を拒んだという話を聞いた。
小園司令は、
「せっかく拾った命じゃないか。無理をして戦わんでも、おまえは、十分戦ったじゃないか…」
と説得したようだが、西尾は、最後まで夜戦隊復帰を熱望した。
俺は、西尾二飛曹に、
「西尾、わかった。俺は待ってるよ。早く直して還ってこい…」
そう言って励ましたが、それが現実になるには、もう少し時間が必要だった。
俺が復帰すると、新しくペアに指名されたのは、先日、転勤してきた井上上飛曹だった。
井上は、俺よりひとつ上の下士官で、艦隊勤務の偵察員だった。
俺と同じ千葉の生まれで、山武の九十九里に生家があった。
やはり、漁師の家の次男坊で、乙種予科練に入って偵察員になった男だった。
この男、実は、レイテ沖海戦で沈んだ空母「瑞鶴」の生き残りで、艦上爆撃機「彗星」で出撃し、敵戦艦に投弾後、必死に逃げ延びた…と話していた。しかし、多くの戦友を失った喪失感を抱えており、陽気な西尾とは違う無口な男だった。
それでも、飛行作業は的確で、俺に細々とした注意を与えるのだった。
「少尉。お話ししてもよろしいですか?」
と、堅い表情で話しかけるので、
「井上兵曹。二人の時は、普通に話していいですよ…」
と返すと、
「それでは…」と、実に戦場のなんたるかを聞くことになった。
井上兵曹にいわせれば、俺の操縦は、強引だ…と言うのだ。
「島田少尉は、よく月光という双発機を上手に操っています」
「しかし、腕力があるせいか、少し強引に操縦する傾向が見られます」
「よろしいですか…。飛行機というものは、それぞれに特性があります。何でも強引にやられるのは、その特性を殺すことでもあるのです」
「私は、偵察員ですが、多くの攻撃機に搭乗し、後席に座りましたが、一番困るのが強引な操縦員です」
「昔、兵学校出の豊田という分隊士とペアを組みましたが、この方は、島田少尉並の腕力の持ち主でした。しかし、操縦自体はうまくない」
「当時は、旧式の九九式艦爆でしたので、脚が出たままの飛行機です」
「豊田中尉は、兵学校で柔道主任だったのが自慢の方で、なんでも一直線なんです」
「これでは、実戦になると敵の機銃の標的になってしまいます」
「この方は、確か、イ号作戦で戦死してしまいました」
「また、私の先輩に染谷兵曹長という方がおられます」
「この人は、操縦の天才で、染谷サーカスと呼ばれるような柔らかい操縦をされる方でした」
「一度、後席に乗って訓練に出たことがあるのですが、とにかく力みがないのです。急降下をするにしても、ギクシャクすることなくスムーズに降下に入り、高度六百mで投弾後、機体を引き起こし退避行動に移るのですが、とにかく素早い」
「着陸後に話を聞くと、染谷兵曹長は、とにかく先を読む…のだそうです」
「敵の撃ってくる機銃弾の方向、敵艦の動き、投弾後の退避方向等、将棋で言えば五手先を読んで操縦をしているとのことでした」
「ぜひ、少尉にも、そんな先を読んだ操縦をしていただきたいと思います…」 そう言うと、頭を下げて行ってしまった。
普段は無口な男だが、さすがに多くの修羅場を潜り抜けてきた男だ。
戦争というものをよく知っているんだなあ…。
「力み…か?」
そういえば、そんなことをだれかに言われたな…。俺の悪い癖かも知れん。 そう考え、訓練中は後席の井上兵曹を師と仰いで、飛行訓練に没頭することにしたのだった。
上空での井上兵曹の注意は細かかった。
月光は、双発の戦闘機なので、単座戦闘機のような急激な操作はできなかった。しかし、水平飛行は元偵察機だけあって抜群の安定感を誇っていた。
水平に真っ直ぐ飛ぶだけだったら、操縦桿を放しても、いつまでも飛んでいるに違いない。
しかし、無理な操作をすれば、失速する危険性があった。
それに、小回りがきかず、回転が大きいので敵から見れば、機体全体を晒す時間が長いのだ。これでは、「どうぞ、撃って下さい」と言っているようなものだった。
井上が言うには、「未来予想図を描く」ことが一番大切なのだそうだ。
攻撃態勢に入る前に、攻撃から退避までの行動を予測して、操縦することなのだ。
それは、敵機の高度だったり、雲の量だったり、侵入角度だったりするのだ。
そうしたあらゆる条件を頭に入れて攻撃に入り、速やかに退避すれば、危険を回避する確率は増える。
そう言われれば、理科系の頭の俺には、すんなり理解することができた。
「そうか、俺の頭をもっとフル回転させて操縦するのか…」
そのことに気づいた俺は、それからの飛行訓練では、常に先を読むことに集中するようになっていた。
そのうち、後席の井上上飛曹からの注意も減り、彼は、また、元の無口な男に戻ってしまった。
それはきっと、俺が上達したということだろう…と勝手に解釈することにした。
今年は、三月に入っても、まだまだ寒く、とても花見などをする気分でもなかった。政府や軍部は、盛んに戦意を高めようと興奮気味にマスコミを使って宣伝をしていたが、街中には、厭戦気分が満ちてきていた。
去年の今頃は、まだ、物はないなりに心には余裕もあったが、正月早々から空襲が激しくなり、東京市民だけでなく、ここ厚木の人たちの不安の顔は隠せなかった。
厚木基地は、開隊当初、地域の人に作業の手伝いをして貰ったり、食事の用意をして貰ったりしたお陰で、その後の訓練や出撃の際の爆音なども好意的に受け止めてくれており、街に出ても、「ああ、航空隊の海軍さん…」といって、何度も親切にして貰っていた。
小園司令は大佐に昇進しても、偉ぶるところはなく、訪ねて来れば、街の人だろうが、子供だろうが、どんどん司令室脇の応接室に通すのだった。
従兵がいうには、
「この間なんか、陸軍の防衛担当参謀が来ているのに、街の親子が訪ねて来たら、おい、待っておれ!と参謀を待たせて、子供らに菓子なんかを渡しているんだよ…」
「後で、その参謀から、よほどの偉いさんか…?と聞かれたので…」
「はい、街の有力者であります!と、答えたら、首を竦めておったな…」
そんな調子だから、小園司令は、街の人気者になっていた。
その他にも、基地の機材は頼まれれば貸し出すし、ついでに若い兵隊もつけてやるので、街中の作業もかなり捗ったそうだ。
監督をしている陸軍の下士官も、急に機材が届いたと思ったら、自分より階級の上の上等兵曹クラスがトラックを運転して機材を運んで来るもんだから、慌てて自分たちも作業に加わったと言っていた。
ときには、隊内で芋鍋なんかを催し、大きな鉄鍋を工作科に作らせ、野菜や肉、芋をぶち込んで、醤油や酒、鰹節も惜しげもなく使うので、うまいのなんの…。
そういうときは、兵隊だけでなく、順番に厚木の街の人を呼んでいた。
今は、食糧不足の折だから、主計科の将校たちは、
「司令、大盤振る舞いは、困ります…」
と、注意したが、小園司令は、
「ばかもの。厚木基地が存分に戦えるのは、町衆のお陰じゃないか。だれのために戦争をしとると思っとるんだあ!」
と怒鳴られ、首を縮めて退散していった。
それに、材料は、肉こそ基地の予算で買ったが、それ以外は、みんな、農家の人たちからの差し入れや、小園司令への土産のようなものばかりだった。
多分、小園司令は、「何か、欲しいものはありますか?」と聞かれると、味噌だの醤油だの、砂糖だのと一般には手に入りにくくなった食料品を要求しているのだと思う。
先日、俺が浜松基地で治療を受けたとき、厚木基地からお礼として、味噌をひと桶持ってきてくれたが、浜松基地の司令からは、蒲焼きにした鰻をたくさん持たせてくれたことを思い出した。
俺が驚いていると、
「いやあ、小園大佐殿には、陸軍はえらい世話になってますんで…、ほんのお礼です。気にしないで下さい」
小園司令が、何を世話したのか知らないが、超有名人だということは、わかった。
因みに、その蒲焼きは、整備の下士官兵の食卓に並び、
「これは、月光隊の島田中尉と西尾二飛曹からの贈り物だ。遠慮なく食べてくれ…とのことだから、食って、また、頑張ってくれ!」
なんて紹介されたもんだから、後で、みんなからお礼を言われて閉口してしまった。
これも小園司令の独断で行ったと聞いた。
さすが、小園司令だった。転んでもただでは起きない人とは、こういう人を言うのかと、ただ感心するばかりだった。
そして、ついに、あの三月九日がやってきた。
その日は、昼間は晴天で、暫くぶりに春を感じる季節だったが、午後から風が出始めていた。
朝から、敵の姿はなく、なんとなく落ち着いた一日になると思っていた。
厚木の防空システムは、横須賀の海軍基地、木更津の通信基地とつながっていた。また、近隣の海軍航空隊より、陸軍航空基地との連携ができており、各基地のレーダー基地の情報がいち早く厚木基地にもたらされたのだ。
逆に、他の海軍基地には、厚木から発信することも多くなり、関東防衛の一大拠点となっていた。
滑走路も、大型機用のものが三本をあり、各機が順番を待つということがほとんどない。
レーダー基地から、「敵機発見!」の報せが入ると、すぐに本部指令室から館内無線で零戦隊や雷電隊に命令が届く。
以前なら、そこで詳しく状況を聞いてから発動したが、今では、機内無線が整備され、飛行中にも随時命令を受理することができたのだ。
このことにより、発動が五分は早まり、迎撃に遅れるということがなくなった。
最近では、アメリカ空母からの艦載機が基地の爆撃に来襲したが、レーダーによる発見が早いために、すぐに外にある飛行機は、上空に退避できた。
また、掩体壕もたくさんあるので、大型機などは、すぐに整備員によって隠すことができたのだ。
結局、空襲されても、適当なところに爆弾が落とされるだけで、退避した零戦が上空で待ち伏せしているので、敵機が厚木に来ることを怖れるようになったようだ。
こうした完璧な防空システムができたのも、小園司令の尽力によるものだった。
俺たち月光隊は、午前中に飛行訓練に出かけ、俺と井上上飛曹は、海上での航法訓練と称して、何もない太平洋を飛行していた。
まあ、今は無線装備が充実しているので、海上から戻れなくなることはなかったが、それでも、機体が損害を受け、受信や送信ができなくなれば、自力で基地に戻らなければならない。
井上上飛曹は、レイテ沖海戦も経験したベテラン偵察員だったから、昔ながらの航空地図(チャート)と計算尺を使って位置を確認する航法術に長けていた。
しかし、やっていないとなまる…とのことで、航法訓練を行うことにしたのだ。
俺も計算は得意だが、井上上飛曹は、頗る計算が速く正確である。
いい加減に海上を飛行していても、彼は、しっかりとチャートに記録し、「今、どの当たりだ?」
と。尋ねると、
「はい、間もなく左方面に伊豆半島の突端が見えるはずです…」
と答えるので、数秒間、左を凝視していると、なんと、まったくその通りだった。
操縦桿を握りながら、
「すごいな、井上兵曹…。どんな頭をしてるんだ…?」
と尋ねると、
「いやあ、長年やってますから、もう勘みたいなもんですよ…」
と、恥ずかしそうに答えるばかりだった。
こうして、一通りの想定した訓練を終えると、厚木基地に戻った。その頃には、風が強くなり出していた。
第二士官室では、
「今日は、敵さんは、来ないだろう…」
「風も強いし、飛ぶのも嫌なんじゃないか…」
などという、ため口を利いていると、坂井が、
「うーん、どうかなあ…。なんか気になるなあ…」
そう言って、雷電の格納庫の方に行ってしまった。
きっと、もう一度、自分の愛機を点検するのだろう。
「じゃあ、俺も、月光を見ておくか?」
そう言って、格納庫に向かったが、坂井の言葉が引っかかっていた。
もし、俺たちの予想に反して、今、東京が襲われれば、この風だ、火が煽られ、瞬く間に街全体に燃え広がるだろう。
それに、敵は、既に各地で焼夷弾を多用するようになっていた。
何本の筒の中に油脂が入っていて、爆発するのではなく、火を点けるのだ。東京の家屋は、木造建築が多い。
それに、障子や襖は、みんな木と紙でできている。
「もし、そんなところに焼夷弾が撒かれ、この風に煽られたら…」
そう思うと、ぞっと背筋に冷たいものが走った。
夜九時を過ぎると、風は益々強まり、台風を思わせるような強風が吹き荒れた。
俺たちは、窓をしっかりと閉め、飛ばされそうなものは室内に運んだり、飛行機をできる限り掩体壕に入れたりと、運用科の兵隊たちを中心に厳重に警戒していた。
「思い過ごしかな…」
そう思って外を眺めていると、坂井が近づいてきた。
「おい、島田。なんか風が強いな…。ところで、月光は、大丈夫か?」
「ん?何がだ…?」
「いや、なんか胸騒ぎがするんだよ…」
「野性の勘ってやつか…?」
「ああ、そうかも知れん…」
「俺は、このまま着替えずに待機してみるよ…」
「貴様も、頼む。夜間は、あまり得意じゃないんでな…」
「ああ、わかった。井上兵曹にも伝えておくよ…」
「うん、頼む」
そんな会話をして一時間くらい経った頃だった。
急に館内放送が入った。
「勝浦沖にB二九発見!…単機で移動中」
「なんだ、偵察か…。偵察なら、すぐに引き返すだろう」
「さて、そろそろ寝るとするか…」
時計を見ると、十一時を回っていた。
そのときである、ドカドカ…と靴音がして、第二士官室に入ってくる者がいた。
「坂井、坂井中尉はいるか…?」
その声は、雷電隊の赤松中尉だった。
「は、はい…」
寝室のベッドで仮眠を取っていた坂井が起こされて、急いでマフラーを巻いているのがわかった。
坂井と赤松中尉は、何事かを話すと、赤松中尉は、急いで部屋を出て行った。
その服装は、寝間着などではなく、きちんとした戦闘用の飛行服にライフジャケットと縛帯まで着けているではないか。
俺も、すぐに飛び起きて、坂井に声をかけた。
「坂井、どうした?」
「ああ、やはり赤松中尉も気になっていたらしい…」
「東京方面の飛ぶ許可を小園司令に貰ったと言っていた」
「俺たちの隊もすぐに出る!」
そうか、雷電隊が出るのか…。
「よし、わかった。俺も坂口分隊長に話して、急いで追うことにするよ」
「ああ、頼む。何事もなければいいがな…」
「じゃあ…」
そう言って、軽く敬礼すると、坂井も格納庫の方に走って行ってしまった。
俺も、よし!と気合いを入れて準備を整えた。
航空時計、チャート、メモ帳、財布、…。えーと。
そんなことを言いながら、準備をしていると、寝室の全員が起きて同じように飛行準備を始めたのだった。
みんな、なにかを感じていたらしく、その準備には無駄がなかった。
「なんだ、みんな起きていたのか?」
すると、側の山内が、
「うん、しかし、この風じゃあ、離陸が難しいなあ…」
「雷電は馬力が強いからいいが、零戦では、煽られるかも知れん」
「とにかく、待機だ…」
「許可が取れたら、俺たちも出るよ」
「ああ、頼む!」
俺は、そう言うと、一足先に士官室に走った。
士官室でも全員が起きて、次の放送に耳を傾けていたところだった。
俺が、坂口分隊長に声をかけると、
「ああ、島田中尉。ちょうど、よかった」
「今、雷電隊が二小隊東京方面に出た」
「悪いが、貴様、先に出て報告してくれないか…」
「ただし、単機での戦闘は許可できん」
「これは、偵察任務だ。頼むぞ!」
そう言うと、坂口分隊長は、正式に命令を発した。
俺はそれを受領すると、敬礼し、愛機の月光ヨDー100号機に向かった。
途中で、井上上飛曹と合流し、発進準備に取りかかった。
滑走路には、既に整備員が準備を済ませており、
「島田中尉。風が強いので煽られます」
「発進は、スロットル全開でお願いします!」
「わかった! 行ってくる!」
「お気をつけて…」
俺たちは、強風の中を月光の操縦席に乗り込むと、風防をしっかりと閉めた。
井上とは、操縦席に乗り込んでから打ち合わせを始めた。
なにせ、外は風が強く、エンジンの爆音と風の音で、大声で話さないと聞こえないのだ。
操縦席の中は、風防を閉めれば、外の音は小さくなり、比較的声は小さくても聞こえた。
「いいか、井上。今日は、偵察任務だ。攻撃は許可されていない」
「いいな!」
「はい、わかりました。カメラも持ってきております…」
「準備がいいな…」
「はい、カメラ、昔から好きなんです」
「そうか、じゃあ、いくぞ!」
「風が強いから、向かい風に乗って一気に上昇しよう」
「はい!」
俺は、車輪止めを外すよう指示をすると、整備員が二人で車輪止めを取り外した。
機体を滑走路の端まで持って行くと、そこからは、全速力である。
のろのろしていると、風に負けてしまう。
エンジンをいっぱいに吹かし、チョークを外すと一気に加速していった。
俺は、スロットルレバーを前に押し、ぐんぐん加速をつけながら、操縦桿を引いた。
やはり風に煽られるような機体のぐらつきがあったが、俺の腕力なら、操縦桿を取られることはない。
そのまま上昇し、東京方面に向かった。
時計を見ると、間もなく三月十日になる時刻が迫っていた。
俺たちが、東京湾上空に達すると、既にB二九の大編隊が近づいてくるではないか。
ゴオーン、ゴオーンと不気味な音が、なんと低空から聞こえてくるのだ。
「なに?」
「おい、井上、見て見ろ。B二九の大編隊だ!」
「おそらく、百機以上はいるぞ!」
「それに、なんでこんな低空を飛んでいるんだ?」
俺は、一瞬、我を忘れて、暗闇の中を不気味に飛行する大編隊を見詰めいていた。
すると、井上が、叫ぶように、無線で厚木基地に報告を入れる声が聞こえてきた。
「こ、こちら三日月三番。大変です!」
「東京湾から下町にかけて、B二九の大編隊が爆撃を始めました!」
「およそ、百機以上。とんでもない数の爆撃機です」
「緊急出動、願います!」
俺は、すぐに井上に命令を伝えた。
「井上!、直ちに攻撃許可を貰え!」
「はい!」
今、この空域には、俺の飛行機しか見えない。
赤松中尉や坂井たちの雷電隊が先に行ったが、どこにいるのか検討もつかなかった。確認したかったが、このB二九の数では、俺たち数機で戦える相手ではなかった。
それに、こんなに低空では、一撃離脱で戦う雷電は、攻撃ができない。
高度が低すぎるんだ。
今頃、赤松中尉や坂井が、悔しがっているだろう。
それに、この風では、低速では風に煽られて、命中弾を得ることが難しい。しかし、俺たちの月光は、下向きに斜銃が二門装備されている。
この二門の二〇粍弾二百発が、攻撃できる最大の武器だった。
「分隊士、坂口分隊長です!」
「よし、替われ!」
俺は、坂口分隊長に改めて状況を報告すると、攻撃許可の要請を行った。
「わかった、島田。ただし、無理はするな…」
「こっちは、零戦が離陸中に飛行機が風に煽られて、滑走路を封鎖してしまった。しばらく動けない…」
「無理だと判断したら、速やかに帰還せよ!」
「了解!」
分隊長との通信を終え、下を見ると、もう、東京の街は真っ赤な炎に包まれていた。そのために、探照灯が点いてもいないのに、B二九の姿を明々と映し出していた。
それは、赤とも黒ともつかない、不気味なオレンジ色の光が、溶鉱炉の炎を思い出させた。
俺の家は鉄工所だから、溶けた鉄を見る機会は多かったが、それを、まさか東京の街で見ることになるとは考えもしなかった。
その溶けた鉄は、もの凄い熱気と温度で、だれも寄せ付けない不気味さがあった。
その色は、銀、赤、青、黄、オレンジが入り交じり、だれをも近づかせない神々しさがあった。
そして、今、上空から眺める東京は、巨大な溶鉱炉と化していたのだ。
しかし、多勢に無勢。その上、この強風だ。どうにもこうにも、自分の飛行機を操るだけで精一杯の状況だったのだ。
こうなれば、一撃でもB二九に加えたかった。
しかし、これだけ炎の光で照らされれば、敵が月光を発見するのに時間はかかるまい。
機体を至近距離に持って行けば、間違いなく四方八方の上部銃座から射撃を受けることになる。
それでも、やるか…。
俺は、後席の井上上飛曹に尋ねた。
「井上、いいのか?」
「はい!」
「この炎の下には、母親や子供がいるんです。赤ん坊だっているはずです」
「そんなときに、自分の命になど関わってはいられません!」
「やりましょう!島田中尉! お供します…」
俺は、心の中で静かに、りょうかい…と呟いた。
そして、そのまま降下すると、炎の光の中に月光の機体を晒した。
もう、ここで攻撃するしかない。
下方に向けた斜銃の二百発の二〇粍弾が、持てるすべての武器だった。
「よし!」
そう、声をかけると、一気にB二九の大編隊の直上百mで同航する態勢を採った。
B二九の大轟音が、耳をつんざくばかりに鳴り響いていた。
そして、俺が下方斜銃を撃つのと同時に、敵の上部銃座が回転し、数機から一斉に俺たちに向かって、猛烈に撃ち始めた。
ドガガガガガ…、ドドドド…、ガンガンガン…。
それは、どのくらいの時間だったろうか、月光ヨDー100号機は、機体を左舷方面に向け、気がつくと、暗い海面に墜ちていくのがわかった。
ヒューッ、ヒューッ…と、顔に冷たい風が当たる。
どうやら風防が壊されたらしい。
しかし、不思議なことにエンジンは回転を止めてはいなかった。
しかし、機体はガタガタと震えている。
はっ、と気がつくと、俺は操縦桿を引き起こし、高度をとった。
高度さえとれれば、最悪、撃墜は免れる。
俺は、思わず後ろを振り返った。
そこは、真っ暗で何も見えない闇の中だったが、俺の眼には、はっきりと見えたのだ。
後席は、粉々に砕かれ、井上上飛曹は、血だるまになって体を横たえていた。
彼の航空眼鏡も壊れ、頭からも胸からも血が噴き出していた。
せめて、開いた眼だけでも瞑らせてやりたかった。
壮烈な機上戦死だった。
しかし、そんな状態なのに、俺は、また、体に傷ひとつ負っていなかった。節々は痛んだが、それは、あちこちにぶつけたからだろう。
俺は、ふと、操縦席の脇に置いた航空鞄を触った。
あった…。
そこには、学の日記が大切に保管されていた。
もう、何度も読み返し、俺の血や油もついて、相当にくたびれていたが、これがある限り、俺は死なない…と思った。
井上よ、安らかに眠れ…。
気がつくと、俺は、強風の中を厚木基地の方角に向けて飛行していた。
基地に戻ると、そんな俺のボロボロの機体を見て、整備員が驚きの声を挙げた。
そして、整備員が、後席に乗り込もうとすると、そこには、血だるまになった井上上飛曹の壮烈な姿があった。
整備員たちは、その場に直立不動の姿勢を取ると、一斉に井上の亡骸に向かって敬礼をした。そして、井上の亡骸をそっと担架に乗せた。
俺は、操縦席からやっとの思いで降りると、井上に、「ご苦労様…」と言って、見開いた眼を閉じさせてやった。
そして、血で汚れた彼のマフラーを外した。
井上、悪いが、このマフラー貰うぞ…。
そして、今度は、これを着けておまえの分まで戦ってやるからな…、そう言って、手を合わせた。不思議と涙は出なかった。
あの紅蓮の炎が、俺の心に強い敵愾心を芽生えさせていたのだ。
その夜、遅く俺が戻ってきても、坂井機が戻らなかった。
まさか、あの坂井が…と思ったが、もし、あの炎と強風の中で、突っ込んでいたら、ひとたまりもない。
俺が帰還できたのは、まさに奇跡だった。
雷電隊の赤松中尉も、最初に飛び立った零戦も、あの強風と火災による渦巻きの中では、攻撃すらできずに戻っていた。
その日は、朝まで、だれもが眠ることができず、そして、だれもが無言だった。
俺たちは、首都防衛の尖兵を自認していながら、東京市民を守ることもできず、敵の思うがままに蹂躙させてしまったのだ。
小園大佐は、その報告を受けると、慟哭したまま、しばらく司令室から出てこなかった。
明くる日、俺は、改めて月光ヨDー100号機を見ると、どのくらいの銃弾が撃ち込まれたのか、数えることもできないくらい被弾していた。操縦席や偵察席の風防は、粉々に破壊され、機内も滅茶苦茶になっていた。
この状態で、俺に異常がないことは、不思議でならなかった。
俺の月光は、両エンジン共に被弾がなく、舵も正常を保っていたのだ。
しかし、俺と井上を運んだ月光ヨDー100号機は、残念ながら修理不能となってしまった。
俺は、そのボロボロになった機体を撫でた。
そして、心の中で、ありがとう…と声をかけていた。
俺は、昨日の東京の様子が気になって仕方がなかった。
無理をして志願し、彗星偵察機で、菅原副長とともに、再度、東京上空を飛んでみた。
体は、ギシギシと痛んだが、そんなことより、井上を失った心の痛みと、東京の人々を守れなかった自責の念が強く、眠ることさえ忘れていたのだ。
頭は冴え、いっぱいの味噌汁を腹に流し込むと、井上のマフラーと自分のマフラーを首に巻いた。
それは、血が滲み、井上の汗と脂の臭いがした。
しかし、その臭いもいずれは消えることだろう。臭いがしている間だけが、井上が生きている証だった。
菅原副長は、小園司令より先に、状況視察を願い出たのだ。
俺は、上空に上がると、彗星を操縦しながら、昨日の状況を副長に報告した。
それは、報告というより、だれかに聞いて貰いたいという…俺の心の叫びだったのかも知れない。
きっと怒鳴ったり、泣いたり、叫んだりしたのかも知れない。
もう、俺の心の中は、自分で制御できるような状態ではなかったのだ。
菅原副長は、それを「うん、うん…」と静かに聞いてくれた。
なんて、優しい副長なんだろう…。俺は、そんな菅原中佐の思いやりが嬉しかった。
東京上空から見た下町は、地獄の業火の跡がそのまま残っていた。
建物という建物は破壊され、残された鉄筋造りのビルも、焼けただれ白い煙を立ち昇らせていた。
収容作業が始まったらしく、時々、陸軍のトラックが走り、兵隊らしい人間が、遺体の収容作業をしている様子が見えた。
低空で飛んでいるので、時々、上空を見上げる人の姿があったが、友軍機だとわかると、みんな、一生懸命手を振ってくれるのだ。
こんな時に、あんなに笑顔を作って手を振ってくれる人たちに、バンクをして合図を送った。
それは、自分としては、申し訳なさの挨拶のつもりだった。
そんな中に、国会議事堂がポツンと建っているのがわかった。
あっ、東京駅も残っている…。
そして、皇居も、上空から見ただけではわからなかったが、いつもの佇まいのように見えた。
それにしても、アメリカ人という人間は、俺が学生時代に考えていた人間とは、全く違う人間だ…ということを実感していた。
俺は、アメリカ人を陽気で、フレンドリーで、合理的な思考のできる国民だと考えていたのだ。
そして、戦争になっても、政府が叫んだ「鬼畜米英」という標語が空々しく見えていた。
だから、戦争が続いたとしても、アメリカ人は卑怯な真似はしないと、どこかで思っていたのだ。
物量作戦で日本軍を粉砕しても、まさか、日本人をこれほど酷く無差別に殺すような真似をするとは…、考えられなかった。
あのアメリカ人が、こんな悪魔のような戦争をするのか…。
それは、俺の今までの幻想を木っ葉微塵に砕いた。
アメリカ音楽も、映画も、楽しげなダンスすら、俺には幻の世界となった。
これは、国際法に違反する大量虐殺ではないのか。
あの大風を利用し、低空から大量の焼夷弾をばらまいたのだろう。
そして、東京の一般市民の家に火を点け、業火の炎で日本人を焼き殺したのだ。
こんな非道な戦争が許されるのか?
あの陽気なヤンキーたちが、平気な顔で、悪魔でさえ躊躇うだろう虐殺を行って喜んでいるのだ。
そして、国に戻れば、また、平気な顔をして聖書に口づけをするのか…。
俺たちは、そんな国を相手に、戦争を仕掛けてしまったのだ。
もう、これは、日本という国を滅ぼすまで焼夷弾の雨を降らせ続けるだろう。
そして、最後には、日本国民をこの地球上から一人残らず消し去ろうとするのだ…。
そう思うと、俺の心の中に、沸々と、とんでもない怒りが湧いてくるのがわかった。そして、それは爆発するような怒りではなく、冷たく悲しい怒りであった。
ぼんやりと、黙ったまま、操縦をしていると、後席の菅原副長から、
「島田中尉、ありがとう。もう、戻ろう…」
副長の声を沈んでおり、俺は、「はい…」と返事をして機首を厚木に向けたのだった。
第七章 夜間偵察
坂井が、佐倉に不時着して戻ってきたのは、それからすぐのことだった。
坂井は、印旛沼上空でB二九を襲撃し、撃墜はしたが、被弾して落下傘降下したのだ。
佐倉町の田町の農家に世話になったと言っていたので、
「なんだ、それは、俺の実家の側じゃないか…」
と言って、無事を祝ったが、井上上飛曹の最期を聞くと、
「そうか、気の毒なことをしたな…」
と慰めてくれた。そして、
「でも、俺たちも遅かれ早かれ、同じ運命が待っているんだ」
「それに、井上上飛曹の亡骸は、無事に厚木に戻ったんだ。それだけでも、幸せなことなんじゃないかな…」
と、俺の肩をぽんと叩いて、「さて、飯でも食うか…」と笑顔を見せるのだった。
そうなのだ。俺たちは、この一瞬ですら、生と死の間で生きている。
いつまでも悔やんではいられない。
そんな俺に、新しいペアができた。
なんと、あの西尾が復帰してきたのだ。
少し、足を引きずるような動きはあるが、偵察員の任務に支障はない。
小園司令の温情を断って復帰してきたのだ。
俺は、それを聞いて、しょうがない奴だな…と思ったが、内心嬉しかった。それに、俺の月光も新品の新鋭機が渡された。
機体番号も以前と同じ、ヨDー100だった。
この機体は、最新式の飛行機搭載型の小型レーダー装備で、後部座席には、十二.七粍の旋回機銃も付いていた。
西尾は、
「おお、十三粍機銃だ。凄いですね。これなら、斜銃が使えなくても、後方は万全です…」
と喜んでいた。
十二.七粍弾は、七.七粍弾とは異なり、敵機を撃墜できるほどの威力を持っていた。
それまでは、発射時の振動の関係で、兵隊が直接撃てる機銃には採用されていなかったが、振動を抑制する装置が開発されたことで、射撃がぶれずに連続して弾丸を発射することができるようになっていた。
この威力が増大したことで、敵の戦闘機が少しでも怯んでくれれば、退避できる可能性が増すことになるのだ。
それに、月光は、夜間専用の戦闘機なので、昼間でなければ、敵戦闘機に後方につかれる可能性は低かった。
それでも、最新式のレーダー装置と十二.七粍機銃は、心強い武器となった。
そんなとき、俺たちペアに出張命令が出た。
行き先は、長崎の大村基地である。
九州は、昭和十九年秋から八幡製鉄所や佐世保軍港などの海軍の重要拠点を目標としたB二九の爆撃に晒されていた。
そのために、全国から戦闘機隊が集められ、長崎の造船所や軍港などの防衛に就いていたのだ。
その上、九州一帯は、特攻隊の基地としても使用されており、沖縄周辺に集結しているアメリカ機動部隊にしてみれば、邪魔な存在でしかなかった。
俺たちは、新型月光の搭乗員として、そのレーダーを駆使して夜間偵察を依頼されたというわけだった。
当座は、大村基地で偵察任務に就き、その後は、要請に応じて、鹿屋基地にも行って貰いたい…との要請だった。
鹿屋といえば、海軍の特攻隊の主力基地である。
昼間の偵察は、彩雲などの高速機を使用するが、夜間は搭乗員が慣れているとはいえなかった。
そこで、夜間戦闘隊を持つ、三〇二航空隊に依頼が来ていたのだ。
偵察任務とはいえ、敵と遭遇すれば戦闘になる。
それで、戦闘能力の高い月光が指名されたというわけだ。
そして、この新型機が、俺たちの人生に大きく関わることになった。
実は、俺たちより先に、雷電隊の坂井小隊が鹿屋に派遣されており、それに続く派遣隊となった。
坂井小隊は、新型雷電を駆使して、特攻隊の護衛や基地上空の哨戒任務などで活躍し、新聞にも「稲妻小隊」として、写真入りで大きく報道されていた。
しかし、報道以上に現実は厳しいようだった。
きっと俺たちも厳しい任務になることだろう。
それでも、死んだ井上上飛曹の分まで戦わなければ…と心に誓うのだった。
出発は、準備の関係で、四月の中頃になった。
連日のように関東地方には、空襲が行われ、各都市は焼夷弾の猛威に晒されていた。
東京大空襲の教訓があったのか、人々は、空襲があったら、すぐに飛び起きて、遠くへ避難するよう指示されるようになっていた。
三月十日の空襲で十万人もの犠牲者が出た原因のひとつに、それまでの防空訓練要領にしたがい、火を消そうとして、多くの市民が逃げ遅れたのだ。
家族が揃っていても、父親が消火作業に当たっていたので、その家族は、家の中に掘った防空壕に避難したが、これが命取りになった。
家の中の防空壕から外に出たときには、周りを火で囲まれ、煙と酸欠で次々と倒れていった。
結局は、消火作業や防空壕などに入らず、着の身着のままで、遠くまで走った人たちが助かっていた。
しかし、そうは言っても、日本では、爆撃を想定した防空演習だったために、大量の焼夷弾が撒かれることを想定できなかったのだ。
東京大空襲に学んだ軍部や政府は、改めて避難要領を作成して、寝るときも着替えず、枕元には防空頭巾と一人一個のリュックを置くことになった。
空襲警報が発令されれば、即座に家を飛び出すように準備していたのだ。
しかし、敵は、その頃になると、地上すれすれまで降りてきて、上空から機銃掃射を行うようになっていた。
アメリカ軍、いや、アメリカ人は、その本性を隠すこともせず、凶暴な牙を剝いて、日本国民に襲いかかってきたのだった。
大村基地に着いてみると、松山に本拠地を置く、三四三航空隊が新鋭機紫電改を擁して、連日、迎撃戦を繰り広げていた。
ここでは、爆撃機だけだなく航空母艦からの艦載機も多く飛来し、紫電改の部隊にも多くの戦死者を出しているとのことだった。
基地の司令本部に到着の報告をすると、早速打ち合わせが始まった。
飛行長の内田少佐が、済まなそうに、
「いやあ、到着早々申し訳ない…」
「今から、明日の担当任務の確認が始まるので、三〇二空の島田中尉も、ぜひ出席して下さい」
と言うので、飛行服のまま、広い会議室に顔を出して、自己紹介をしようと、飛行帽を脱ぐと、奥にいた大尉が、声をかけてきた。
「やあ、三〇二空の島田中尉ですか。貴官が来ることは、承知しておりました。また、厚木の方々にはお世話になりますよ…」
「ああ、そうそう、申し遅れました。三四三空の菅野です。よろしく願います」
「先日は、松山で坂井中尉と腕比べをさせて貰いました」
「紫電改もいい戦闘機だが、雷電は凄まじい戦闘機ですな…」
「ところで、坂井中尉は、鹿屋から戻られましたか?」
急に声をかけられたので、少し困惑したが、この人が、有名な菅野直大尉か…。
なるほど、さすがにブルドックといわれる積極性だ…と変な感心をしてしまった。
俺は、思わず、
「いや、どうもすれ違いだったようです…」と答え、
「申し遅れましたが、第三〇二航空隊月光夜戦隊の島田達夫中尉です。こちらこそ、よろしく願います」
と、海軍士官らしく、腰を折って敬礼をした。
すると、打ち合わせの進行役を務めていた内田少佐が、
「せっかく、三〇二空の夜間戦闘機月光が来てくれましたので、今晩から、夜間偵察を願いますか…?」
「あ、はい!」
そこで、月光について、少し説明をさせて貰うことにした。
どうも、この顔ぶれでは、月光は初めてらしい。
俺は、今日、運んできたのは、月光の一一型の最新型で、最新式のレーダーを装備し、自力で敵を電波で発見することができる機体であること。
上下に二〇粍斜銃各二門を装備していること。
後席に十二.七粍の機銃を装備していること。
操縦席とエンジンの防弾を強化していることなどを話した。
そして、操縦は、元が偵察機仕様なので抜群の安定性を誇り、航続距離も零戦並であること。
三〇二空の月光部隊全体で、既にB二九を五十機近く撃墜破しており、俺自身も五機のB二九を撃墜していることなどを話すと、どよめきが起こった。
すかさず、菅野大尉が、
「撃墜五機は、凄いね…。ところで、撃破は個人ではどのくらいかな…?」
と尋ねるので、公式には十三機ほどだが、実感としては、もう少し多いと思う…と付け加えた。
すると、今度は、斜銃の話になり、
「陸軍も採り入れているようだが、斜銃は、そんなに効果があるのかね…?」と尋ねるので、
「それは、機材によります。雷電にも斜銃仕様の物がありますが、あまり使ったとは聞きません。しかし、この月光のように、安定感のある飛行機に搭載すると、敵機と並行して同航できますので、射撃時間が長く有効弾を与えることができるのです」
「しかし、この月光にも弱点はあります。それは、速度も時速五百五十㎞が限界で、今の高速化の波に乗れないからです。それでも夜間ならば、高速飛行は危険です。中速域から低速域なら、月光に敵う爆撃機はありません。それに、この機体のように、最新式の電波探知機を装備し、後席の偵察員が操作してくれれば、操縦者は、操縦と射撃に専念することができるのです」
「だから、月光は、昼間戦闘に使用してはなりません。昼間戦闘こそは、本隊の雷電隊の仕事なのです。あの遠藤大尉すらも、昼間攻撃で失敗し、戦死しました」
「だから、三〇二空では、月光部隊は、夜間専門の部隊として活躍できるのです」
俺が、熱心に説明すると、
「それでは、一度、機材を見せていただこう…」
ということになり、西尾一飛曹も加わって、最新式のレーダー装置などを説明していった。その後席のモニターを見た菅野大尉などは、
「どんな原理なんだ…?」
と、眼を白黒させていたのが、少し可笑しかった。
その夜、早速八時過ぎに、俺たちの月光と彩雲偵察機三機が、暗闇の中を敵機動部隊が出没する東シナ海方面に偵察飛行のため出動した。
俺にとって、東シナ海どころか、九州上空の飛行は初めてであり、多少の緊張感があったが、西尾一飛曹は暢気なもので、
「島田中尉、大丈夫ですよ。チャートだけじゃなく、この電波探知機は、優れ物です」
「この装置から電波を発信すると、電波が跳ね返ってモニターに残像を描くんですから…。どっちの方角に飛んでいるか、一目瞭然です。これなら、暗闇でも、方角を間違える心配がありません」
「それに、電波を向ける方向を変えれば、敵機の編隊もかなり遠くからわかります。近くにいても、隠れることすらできないはずですから、こんな装備が全機に整ったら、視力が多少弱くても、戦えますね…」
そんなことを話ながら、東シナ海を南下していくと、レーダーに反応が現れた。
西尾が即座に、
「敵、機動部隊発見!基地に連絡します」
「了解…」
と、言っても、さすがの俺にも何にも見えなかった。
下を見ても、漆黒の闇が広がるだけで、この下に機動部隊がいたとしても、よほど、高度を下げなければ気づくことはないだろう。
それに、今晩は、雲量が多く、眼で確認することは不可能だった。
「基地から、連絡!」
「なんだ?」
「低空から赤外線カメラで撮影しろ!とのことです…」
「了解!高度三百mまで降下する…」
俺は、スロットルを極限まで絞り、失速ギリギリの速度で、なるべく爆音を響かせないようにして高度を下げていった。
敵艦隊に気づかれれば、飛行機は上がってこれなくても、対空機銃が唸り出すことになる。
今日は、空もどんよりと曇っていて、雲量が多いので、敵のサーチライトでは、発見できないだろう。
それに、敵は、この天候に安心して、サーチライトも照射していない。
とにかく、爆音さえ気づかれなければ、写真は撮れる…。
それに、ときどき雷鳴が聞こえるので、うまく爆音が消せるかも知れなかった。
「西尾、いいか、敵艦隊の撮影は、一回限りだ!」
「高度三百mで直上を一航過する! 頼んだぞ!」
「了解!」
すると、後席で西尾が早速、カメラを用意して狙いを定めた。
このカメラは、日本光学がその技術力の粋を結集して造り上げた傑作器と言われていた。
厚木を出る前に、横浜技術廠の技術大尉が持ってきてくれた物だった。
これも、小園司令の尽力の賜である。
だから、このカメラを持つ部隊は、他にはないのだ。
俺は、低速で高度三百mを敵機動部隊の頭上スレスレに飛行した。
すると、後席から、カシャッ、カシャッ…とシャッターを切る音が数回聞こえてきた。
「西尾、撮れたか?」
「はいっ、大丈夫です…」
よしっ!とスロットルを全開にすると、爆音が高くなった。
それと同時に、敵艦が気づいたらしく、サーチライトが一斉に夜空に光り出したが、俺は、低空をそのまま全速力で退避したので、奴らの眼には見えなかっただろう。
こういう点も、電波探知機を装備した効果だった。
こんな暗闇の中を高度三百mのまま、低空飛行を続けるのは、無謀の極みである。しかし、レーダーという第三の眼を持ったことで、絶対にできない飛行を可能にしたのだった。
二時間程度の飛行で、大村基地に戻ると、既に三機の彩雲偵察機は戻っていた。しかし、三機共に、この暗闇の中を高度を下げることができず、一時間程度の飛行で戻ってきたらしい。
俺たちの月光がいつまでも戻らないので、墜落してしまったんじゃないか…と心配していたところ、無線が入り、帰りを待っていたとのことだった。
早速、撮ってきた写真を現像してみたところ、真っ暗ななかに、はっきりとアメリカ機動部隊の姿が映っていた。
それを見た、司令の柴田大佐は、感心したように頷き、兵学校で一期下の小園司令を思い出し、
「さすがは小園だ。あの男の知恵は、大したもんだ…」
と兵学校時代を懐かしんでいた。
柴田司令にしてみても、月光の性能から電波探知機、赤外線カメラ、そして、その運用面など小園司令に学ぶところが多かったのだろう。
確かに、今回の夜間偵察は、この月光しかなし得ない快挙だと言えた。
それを聞いた三四三空の菅野大尉は、
「いやあ、それにしても三〇二空には驚かされるばかりだ…」
と、嬉しそうに、俺たちに長崎の銘酒「萬勝」を持ってきてくれた。
柴田大佐からも、ジョニ黒ウィスキーを戴き、その晩は、偵察分隊で宴会になってしまった。
出張初日から大金星を挙げた俺たちは、すっかり大村航空隊に溶け込み、本当に腹の中から笑った夜となった。
翌日になると、また、彩雲偵察機は、早朝から偵察飛行に出かけていった。 彩雲は、月光と違い、時速六百㎞を超える高速機である。
三座の偵察専門に開発されたが、機体構造がやや弱く、特殊飛行はできなかった。しかし、高高度を飛行できる能力を持ち、エンジンも紫電改と同じ二千馬力の誉エンジンを搭載していた。
彩雲は、その能力を発揮して敵の戦闘機を振り切る力があったようだが、誉エンジンの稼働率が悪く、期待されたほど成果は出ていないようだった。
まして、月光のような双発機ではないので、高性能の電波探知機を搭載できるスペースもなく、既に偵察機としても時代遅れの旧式機になっていたのだ。
この大村には、三週間ほどいたが、鹿屋基地から偵察任務の要請があり、五月初旬には、鹿屋に飛んだ。
そして、俺たちが鹿屋に到着するのを待っていたかのように、坂井小隊の雷電隊三名が厚木に帰還して行ったのである。
俺たちが鹿屋に到着した頃には、特攻作戦も佳境に入り、全国各地から特攻隊が飛来し、二、三日もすると出撃して行った。
俺たちが宿舎としてあてがわれたのは、郊外の国民学校だった。
坂井たちもここで過ごしていたらしく、「厚木から来た…」と言うと、
「ああ、坂井中尉には、大変お世話になりました…」
と言って、兵隊が、士官室に案内してくれたのだった。
ここでは、坂井たち雷電隊は有名だったらしく、厚木から…と言うと、だれもが、「ああ、あの坂井中尉の隊ですか…」と声をかけられるので、少し面食らってしまった。
士官室は、特攻隊員の部屋と隣り合わせで、俺が滞在したひと月の間にも、次々と人が替わり、碌な挨拶もしないまま、いなくなった人もいた。
それに、俺は、特攻隊員ではない。
それが、彼らとは違う雰囲気を醸し出していたのだろう。
そして、俺たちの部屋の隣に案内してくれたのは、若い少年兵だった。
俺たち士官室の従兵をしていたらしく、おずおずと士官室に訪ねて来たのだ。
「島田中尉、おられますか?」
と、入り口の引き戸を開けると、顔を覗かせたのが、山崎一等水兵だった。
何か用事か…?と尋ねると、
「私は、生前の山田中尉に大変お世話になった者です。先日も、坂井中尉には、お世話になりました…」
「また、同期の島田中尉が来られるので、世話をするよう頼まれましたので、お伺いしました!」
「ああ、悪いな…。短い間だが、頼みます」
そう言って軽く敬礼をした。
すると、山崎一水は、
「もうひとつ、到着したら、隣の部屋を案内するように、申し使っております…」
案内…?
まあ、坂井が何かを伝えたかったのだろう…と思い、山崎について行くと、士官室の隣の教室に入っていった。
ここは、入り口にカーテンが閉められ、入室を躊躇わせる雰囲気があったし、少し不気味な感じがしたので、おれも躊躇していたのだ。
それに、士官室にいる連中も、俺には、なんか余所余所しく、挨拶程度の話しかできなかったから、仕方がない。
そのカーテンを開けて中に入ると、俺は驚いた。
なぜなら、そこには、たくさんの白木の位牌が並んでいたからだ。
それは、大きさも不揃いで、どうも手作りのようだった。
「山崎一水…。これは、なんだ?」
すると、無言でひとつの位牌を取り上げた。
そして、
「これは、山田健太郎中尉、いや少佐のご位牌です」
えっ、やまだ…?
「これだけじゃ、ありません」
「坂井中尉は、ここにいて、ずっとご自分の同期の皆さんのご位牌を丁寧に拭かれていました…」
「そして、この方の直掩をされたのです…。どうぞ」
そう言われて手渡された白木の位牌には、「海軍中尉、山田健太郎之霊」と墨で書かれてたのだ。
「や、山田…」
「そうです。予備学生十三期、戦闘機専修学生だった山田中尉です」
「先月、名古屋の草薙隊の隊長として特攻に出られました」
そうか…、坂井は、この山田の直掩をしたのか…。それは、辛かっただろう。
「それで、山田の隊は、戦果を挙げたのか?」
「はい、話によりますと、坂井小隊の雷電隊が先に敵の戦闘機を攻撃し、数機を撃墜されたそうです。それで、特攻隊が進撃できたお陰で、巡洋艦や駆逐艦を撃沈破され、新聞にも大きく取り上げられました」
そうか、山田は、成功することができたのか…。
しかし、それにしても、あの俺たちの首席だった山田が、特攻とは…。
「坂井中尉は、その日戻られると、一人、この部屋に籠もり、ご位牌をご自分のマフラーで拭いてたのです」
「このご位牌は、みなさん、特攻出撃される前にご自分で作られてから出撃されるのです。ですから、形も大きさもまちまちですが、どれもご自身で作られ、名前をご自分で書かれています」
「もし、ご遺族の方が来られたら、お渡しするつもりです…」
「山田中尉も、ご自分で作られ、ここに置いていかれました」
「坂井中尉は、それをご存知で、厚木に戻られるまで、丁寧に拭かれていたのだと思います…」
「ここには、予備学生十三期の仲間がたくさんいるんだ…と申されていました」
「では、失礼いたします…」
そう言うと、山崎一水は、部屋から出て行った。
俺は、改めて多くの位牌をひとつずつ確かめていった。
「市川、須崎、矢野、高橋、菊池、…」
一緒に土浦、そして筑波で訓練を受けた仲間たちの位牌が、そこにあった。他にも偵察に行った連中や爆撃機に回った連中の位牌もあった。
そして、俺にも忘れがたい出会いが待ち受けていたのだ。
その日の夕方、本部に出向くと、早速、偵察任務が命じられた。
「大村基地から到着して、休む間もなく頼むのは申し訳ないが、今晩、夜間偵察を頼みたい」
それは、偵察隊の矢崎分隊長からの命令だった。
矢崎稔大尉は、兵学校六十九期のベテラン偵察員で、寡黙な指揮官だった。
命令は、鹿屋から沖縄方面に遊弋する敵機動部隊の動向を調べることにあった。そして、その状況を赤外線カメラで撮影することにあった。
しかし、今度は、前回と異なり、敵艦隊は、夜間攻撃を想定して二十四時間体制で上空を監視しているのだ。
各艦に取り付けられたレーダーを駆使して、三六〇度全方向の監視体制を敷いているとのことだった。
これでは、低空での侵入は難しい。
そこで、単機で沖縄方面に直線的に飛ぶのではなく、大きく迂回して、比較的防衛力の手薄な南側から侵入し、一航過で何枚かの写真が欲しいとのことだった。
口で言うのは簡単だが、実際にやるとなるとかなり難しい任務だった。
偵察とはいえ、これは、還れないかも知れない…と感じていたが、軍隊に否はない。
直ちに復命して、西尾と一緒に待機所に向かった。
西尾は、
「なんか、大村とも違い、この基地は殺伐としていますね…」
「殺気立っているというのか…、兵隊の顔にも精気がありませんよ…」
そう言うので、さっき士官室で見た光景を話してやった。
「そうですか、坂井中尉がそんなことをね…」
「でも、わかるような気がしますよ。私たちの任務は、戦って生還することです。しかし、特攻隊員は、生還しないことが任務なんですもんね」
「それに、俺の同期だって、たくさん特攻に出ているはずですから…」
「ここでは、知ってる顔に会いたくないです」
「じゃあ、そろそろ行くか…」
俺たちは、自分たちの装備品を確認して、矢崎分隊長に出発の報告をした。「これより、沖縄方面の偵察任務に出発します!」
二人で分隊長に敬礼をして、愛機、新型月光ヨD-100号機に向かった。
整備員に軽く挨拶をして、操縦席に乗り込もうとすると、何か座席に包みが置いてあった。脇には、サイダーもある。
ふと下を見ると、二人の整備員が笑顔で俺たちを見上げているではないか。
西尾と二人で顔を見合わせると、下から、
「厚木の皆さんでしょう。坂井中尉や雷電隊の皆さんには、大変お世話になりましたから…」
「無事に戻られたら、鹿屋の整備分隊も頑張っているとお伝え下さい…」
そう言って、敬礼をしてくれた。
この基地に来て、笑顔を見たことがなかった俺たちは、初めての笑顔に、笑顔で答えた。
「ありがとう。きっと還ってくるさ…」
そう言って、敬礼を返した。
操縦席も偵察員席もきれいに整えられ、風防もピカピカに磨き上げられていた。
「よし、行くぞ!」
後席の西尾一飛曹に声をかけ、そのまま夜の鹿児島の空に昇っていった。
真っ暗な中の飛行は、高性能の電波探知機があるとは言っても気持ちのいいものではない。
深い闇にそのまま吸い込まれそうになる。
それは、それで恐ろしいものだった。
しかし、後席に西尾一飛曹がいてくれるお陰で、その恐怖を打ち払うことができるのだ。それに、俺には、戦死した井上上飛曹と結城学の魂がついている。
この月光は、二人じゃない。四人で操縦しているんだ…。俺は、そう思うことにしていた。
迂回するので、飛行時間は、三時間程度はかかるだろう。
それに、沖縄本島に近づけば、戦闘機はいなくても、対空砲火の目標になることは間違いない。
どこまで隠密裏に忍び込めるかだ。
早期に発見されれば、諦めるしかない。
それに、命令でも、「無理はするな!」と言われていた。
俺たちは、一旦、東シナ海方面に飛び、尖閣諸島方面から回り込み、沖縄本島を通過するコースを考えていた。
しかし、その沖縄本島では、今、激烈な地上戦が行われてるのだ。
あの東京大空襲と同じような、非道な攻撃に沖縄県民は苦しめられているのだろうと思うと、何とか、この偵察任務を成功させたかった。
「分隊士、後十分で、沖縄本島嘉手納湾を通過します…」
「了解!」
「後、一分で、敵の警戒網に入ります!」
「わかった。ここは全速で一気に通過する。写真を頼むぞ!」
「はいっ!」
後席では、西尾が赤外線カメラを取り出し、いつでもシャッターが切れるように準備していた。
写真撮影は一瞬である。間もなく敵に気づかれる。
「いいか、とにかくシャッターを切り続けろ!」
「いくぞ!」
そう言うと、スロットルを全開にして一瞬で飛び去ろうと考えた。
すると、思っていたように、海上から猛烈な対空砲火が襲ってきた。
これは、レーダー射撃だ。
間違いなく俺を捕捉している。
静かな闇の中に、猛烈な射撃音と火花が舞っていた。
高度は、五百mである。もう、これ以上は降下できない。
俺は、ゴーグルを装着すると、一気に加速したが、後席の西尾は、ある程度身を乗り出さなければ写真が撮れない。
危険を承知で風防を開け、体を乗り出した。
火線がどんどんこちらに近づいていてくる。
西尾、頼むぞ! 心の中で叫んでいた。
機体がグオーン…!と唸りを上げて、嘉手納湾に侵入すると、そのまま北に向かって真っ直ぐに飛行し続けた。
本来なら、対空砲火を避けるために機体をジグサグに動かすのだが、そんなことをすれば、カメラの焦点が合わなくなる。だから、必死に堪えて直線飛行をするしかないのだ。
猛烈な射撃音が耳に響き、退避行動を採りたくなるが、とにかく、俺は、全力で突っ切ることしか考えていなかった。
それは、おそらく、三十秒もなかっただろう。
とにかく、嘉手納湾を過ぎたら、高度を上げなくてはならなかった。
すると、後席から、
「写真撮影、終了!」
という声が聞こえた。俺は、
「よし!」
と言うが早いか、一気に操縦桿を引き、急上昇して高空の彼方に退避したのだった。
高度が、一千mを超えると、下で鳴っていた対空砲火が静かになった。
いくらレーダー射撃でも、敵艦に装備されている機銃は、概ね十二.七粍弾なので、そこまで銃弾は届かなかった。
後は、大砲を撃つしかないが、大砲を撃ったところで、夜間飛んでいる飛行機を墜とせるわけがない。
俺は、そのまま急いで鹿屋基地を目指した。
暫くして、後席に「西尾、大丈夫か?」と声をかけると、明るい声で、
「いやあ、危なかったです。結構、機体がやられてますよ…」
そうか…と思ったが、無我夢中で、あまり気づかなかった。
「写真は撮れていると思います…」
「それにしても、もの凄い対空砲火でしたね」
「特攻機は、あの対空砲火の中を真っ昼間に突っ込んでいくんですね…」
西尾の声は、俺に報告したというよりも、独り言のように聞こえていた。
確かに、あの猛烈な対空砲火の火線の中を、急降下するのは、本当に恐怖との戦いしかないだろう…。
そして、最後の最後まで眼を開き、体当たりする勇気とは、なんなのだろうと考えてしまった。
今の俺は、生還できる可能性が一%でもあるから、恐怖心も薄らぐが、その可能性ゼロで突っ込んでいく若い特攻隊員のことを考えると、憐れでならなかった。
這々の体で基地に戻ると、整備員たちが俺たちの還りを待っていてくれた。
無事に着陸し、機体を滑走路の端に持って行くと、乗り込んだ整備員が、真っ先に、
「いやあ、よくこれで戻ってきましたね…」
と言うから、俺と西尾の二人で、機体の点検をすると、何カ所もの弾痕があり、左翼の一部の金属がめくれていた。
右翼のフラップも、機銃弾で削られており、もう少しで操縦不能になるところだった。
それでも、俺たちは修理を頼み、カメラを持って司令本部に向かった。
本部では、「厚木の月光が還ってきたぞ…」と、ちょっとした騒ぎになっていた。
ここは、戻らない基地だからなのか、俺たちを不思議なものでも見るように、迎えてくれたのが、可笑しくもあった。
「はい、とにかく、至急現像を頼みます」
と、カメラごと司令部の下士官に手渡した。
一時間も経っただろうか…。現像が済むと、すぐに作戦会議が招集され、俺と西尾は、報告のために参加するよう要請されたのだった。
西尾の撮影した嘉手納湾の画像二〇枚以上に及び、画像は鮮明で、初めて、夜間の嘉手納湾の状況を把握することができたのだった。
これまでも何度か挑戦したようだったが、すべて偵察機が戻ってこなかったということを初めて聞かされて、少しギョッとしたが、俺たちは、知らんぷりをしていた。
要するに、夜間でも警戒網は厳しく、レーダー射撃によって、確実に対空砲火を浴びることがわかったようだ。
今回は、こちらもレーダー装備の偵察機なので、なるべく敵の配置の少ない空域を選んで飛行したので、侵入できたが、電波探知機のない飛行機で、闇雲に突っ込んでいけば、助からないだろう。
新型の月光だからこそ、敵も捕捉が難しかったはずだ。
今回は、かなり近くまで気づかれずに接近できたが、さすがに、嘉手納湾上空に侵入すれば、手酷く攻撃されることがわかった。
それは、俺たちの機体の弾痕が、それを物語っていた。
現像された写真を見ると、やはり、昼間と同じように航空母艦を中心に輪形陣の体制が整えられており、周辺の駆逐艦は、停泊せずに動き回って警戒していることがわかった。
当然、潜水艦等の攻撃を想定しているのだろう。
この警戒網を突破して特攻をかけるのは、至難に思えたが、幹部たちが、それ以上の言葉を発することはなかった。
それに、俺たちの飛行機も、もう再度の使用はできないだろう。
分隊長からは、
「島田中尉、済まなかったな。危険な任務を押し付けてしまった…」
「しかし、夜間の状況がわかって、助かったよ」
「申し訳ないが、機体の損傷が激しいので、修理が済み次第厚木に帰還して貰うそうだ…」
「五航艦の宇垣長官も、雷電隊といい月光隊といい、三〇二空には、大変お世話になったと言っていた」
「ああ、長官から厚木の小園大佐には、電話を入れてくれるそうだ…」
「しかし、済まなかったな…。暫く宿舎で休んでくれ、修理が終わり次第、連絡するから…」
そう言うと、「少し飲んじまったが…」と、サントリーの角瓶を俺たちに差し出した。
俺は、
「いえ、特攻隊の厳しさは、あんなもんじゃないでしょう…。この酒は、特攻隊の人たちにあげてください」
そう言って、引き下がった。
俺たちは、こうして任務を全うして帰還することができたが、任務を全うすれば、即、死だという特攻作戦に、なんか割り切れないものを感じていた。
あのもの凄い対空砲火の中を歯を食いしばって突っ込んでいく勇気は、残念ながら、俺にはなかった。
俺たち十三期の仲間たちが、何人も、そんな過酷な任務を全うしたのかと思うと、やりきれない思いがした。
きっと、坂井たちも同じだったんだろう。
宿舎に戻る車の中で、俺も西尾も口を開かなかった。
翌日からは、特にすることもなかったが、それでも、特攻隊は出撃して行った。
俺と西尾は、だれに言われるのではなく、あの位牌の並んだ部屋に入り、せっせと死んだ仲間たちの位牌を拭いて回った。
二日後に、機体の修理が終わった…という連絡が入った。
早速、機体を点検すると、修理跡が見えたが、整備員たちが一生懸命修理してくれたことがわかった。
しかし、もう、通常の戦闘任務はできないだろう。
最新鋭で貰ってきた機体が、大村と鹿屋でボロボロにしてしまった。
しかし、それで任務が全うできたのだから、本望だろう…と思うことにした。
修理が完了したのだから、早速、厚木に還ろう…と、二人で話し合った。
時刻は、午後三時を回っていたが、俺たちは夜間戦闘機なので、暗くなる午後五時に出発することにした。
ここから厚木なら、ゆっくり飛んでも三時間もあれば十分だろう。それに月光の航続距離は長い。
それに、夜の方が敵の艦載機もいないので安全であった。
俺たちは、整備員に感謝の言葉を述べると、宿舎に戻って帰る準備をすることにした。そのときである。
滑走路の方が騒がしいので見てみると、一式陸上攻撃機が一機出撃準備をしているではないか…。不思議に思って、近くの整備員に尋ねると、
「ああ、桜花隊です…」
「編隊で行くと、すぐに見つかって墜とされてしまうので、今じゃあ、ああして単機で薄暮攻撃に切り替えたんです」
「ちょうど、敵艦隊の前衛の戦闘機隊が母艦に戻る時間帯らしく、そのタイミングに合わせて出撃して行くんです」
「たった一機の桜花を切り離して、母機は還ってくるんですが、なかなかうまくいきません」
「大抵は、母機も還ってきませんが、それでも作戦中止にはならないようです…」
俺は、桜花の名前だけは聞いていたが、実際に見るのは初めてだったので、西尾と二人で見送ることにした。
出撃時刻は、午後三時三〇分だ。
それなら、俺たちも五時の出発には間に合う。
陸攻の前では、ささやかな壮行式が行われていた。
訓示が終わると、搭乗員が銘々に出撃時間を待っていた。
そのときである。
飛行帽にはちまきを巻いた少年と眼があった。
俺は、一瞬、ドキリとした。
そして、時間が止まったかのように動けなかった。
なんと、それは、あの渡辺大介だったからである。
「あれ、先輩じゃないですか…?」
「やっぱり、島田さんだ…」
そう言うと、大介はニコニコしながら近づいてきた。
俺の前に立つと、直立不動の姿勢をとり、畏まった敬礼をした。
「海軍二等飛行兵曹 渡辺大介です!」
そういう大介は、これから出撃する航空兵らしく、完全装備の上に、「桜花」と書かれた鉢巻きを飛行帽の上からキリリと締めていた。
俺も、慌てて敬礼を返すと、一気に懐かしさがこみ上げてきた。
一緒に土浦空に入隊し、厚木基地の造成工事のときに会ったきりである。
どうしているかな…と心配していたところに、こんなところで会うとは、神様も皮肉な出会いを演出するもんだ…と、少し後悔もしていた。
「おまえ、これから出撃するのか?」
「はい、桜花の搭乗員です」
「そうか…、特攻するのか?」
「はい、もう、仲間もたくさん先に逝ってしまったので、そろそろ行きますよ…」
「それにしても、島田先輩に会えるなんて、すごく嬉しいです」
「厚木の作業のとき依頼ですね…」
大介は、予科練を終える間際に、募集があって志願したとのことだった。
あのとき厚木基地で作業を手伝ってくれたほとんどの少年が、特攻を志願して零戦や桜花、回天部隊などに行ったそうだ。
大介は、桜花隊に回されて、茨城の神之池航空基地で桜花の訓練を受けて正式に搭乗員になった。
しかし、桜花だけで他の機種の操縦はできないのだ。
「島田先輩は、確か夜間戦闘機月光の搭乗員でしたよね…」
「いいなあ、私も実戦機に乗ってみたかったです」
「でも、ここで郷里の先輩に会えるなんて、本当に嬉しいです。きっと、最期の神様からのご褒美ですね…」
俺と大介は、その場で立ち話のように、数分間、話をしただけだった。
大介は、首からぶら下げていた航空時計に眼をやると、
「じゃあ、そろそろ時間なので戻ります。島田先輩もお元気で、私の分まで生きて下さい!」
そう言うと、大きく手を振って隊に戻っていった。
隣で聞いていた西尾が、
「分隊士、奴の最期を聞いてから戻りませんか?」
「もし、分隊士が生きて終戦を迎えられたら、田舎の両親に出撃の様子を話してあげられるじゃないですか…」
「厚木に戻るのは、それからにしませんか…」
そう呟くように進言した。
「ああ、そうだな…、悪いが、最期を聞いてから戻ろう…」
桜花隊の出撃は、午後三時三〇分ちょうどだった。
護衛の戦闘機は、僅かに三機。
護衛というよりは、確認という方が正しいだろう。
それでも、一式陸攻には、桜花の大介を入れて八名が乗り込んでいた。
直掩機の三名を入れて十一名が、攻撃隊である。
見送りには、五航艦の参謀や隊員が来ていたが、他の者たちは、それぞれが持ち場で見送ることになっていた。
俺は、西尾と一緒に、最前列に並び、眼で大介に合図を送ると、大介も笑顔を見せて、一式陸攻に乗り込んでいった。
それは、勇壮というよりも寂しく静かな特攻出撃だった。
もう、以前のように、多くの報道班員を入れたり、見送りの市民を入れたりはしなくなっていた。
記者らしい人間も数人はいたが、見送りの後ろの方でカメラを構えている姿が眼に入った。
おそらくは、連日の特攻出撃で、ニュースソースとしては、それほど高い価値はなく、淡々と事実のみを報道するのだろう。
最初の頃、新聞紙面の一面を飾った特別攻撃隊も、今では、後ろの紙面に小さく載せられる程度になったのかと思うと、人の命の軽さが身に染みた。
最初に、零戦三機が発進し、続いて大型の一式陸攻が沖縄に向けて飛び立っていった。
おそらく、後、一時間もすれば通信室に入電されることだろう。
いや、敵機が待ち構えていれば、もっと早いかも知れない。そんなことを考えながら、俺は大きく手を振り続けた。
俺の脳裏には、昔、県立佐倉中学校のグラウンドを黙々と走っていた渡辺大介の姿が、いつまでも消えなかった。
春とはいえ、日没はまだ早い。
四時半になっても、攻撃隊からの無線は入らなかった。
通信室でも、無電を打つ前に撃墜されたのか…と心配したが、全機から通信が来ないことはない。
すると、五時前になって、無電が入った。
「特攻機発進!」続いて、
「特攻機、敵駆逐艦に命中!」
「敵駆逐艦、轟沈!」そして、
「直ちに帰還します!」
という無電だった。
護衛の戦闘機隊も全機無事らしい。
通信室でも、狐に包まれたような雰囲気になっていた。
これまで、敵戦闘機に捕捉され、悉く撃墜されてきたのに、成功するとは、どうなっているんだ…。
とにかく、後、一時間もすれば母機が戻ってくる。
話はそれからだと、司令部も久々の桜花の成功に沸き立っていた。
午後六時過ぎに、三機の護衛戦闘機と母機が無事に戻ってきた。
搭乗員が降りてくると、今度は、多数の報道班員が、
「成功、おめでとうございます!」
と叫びながら、彼らにフラッシュを浴びせ、記事にしようと周りを取り囲んでいたが、機長と戦闘機隊の指揮官は、本部に報告に入っていった。
俺たち二人は、機材を降ろしていた二飛曹に声をかけた。
すると、その整備の二飛曹は、俺の顔を見ると、
「ああ、渡辺兵曹が、機内で言っていました。郷里の先輩に偶然に会って話したと…」
「そうですか…、中尉でしたか…」
そう言うと、機材を降ろし、俺たちに出撃の様子を話してくれたのだ。
「大介、いや渡辺二飛曹は、到着するまで、少し眠らせて貰います…と言って、座席で居眠りを始めました。私は、こいつ、緊張しないのか…と思いましたが、きっと何か考え事でもしているんだろうと思って、そっとしておくことにしました。機長も、頷いていたので、一回だけ渡辺の顔を見て、窓から外の様子を見ていました。すると、機は、右へ方向を変えたように思いました。すると機長が、迂回して沖縄を目指す…と言うのです。事前に直掩機と打ち合わせをしていたようです。きっと、作戦計画にはない行動だったはずです。
この日は、雲量が多く、もし、敵がいたとしても少数機のために発見は難しかったと思います。機長は、ラバウルでも戦ったベテランの伊東飛曹長です。うちの隊は、割合ベテラン揃いで、航法も佐々木上飛曹の腕に、全員が信頼を置いていました。それでも、迂回ルートは危険ではありましたが、何も敵機が待ち構えている空域に入ることはありません。これが、成功しました。
我々は、鹿屋から尖閣諸島方面に雲の中を縫うように飛行しました。そして、尖閣諸島を右手に見えたところで、左旋回で沖縄本島を目指したのです。
実は、これは先日飛んだ偵察機からの情報が元になっているのです。
どうやら、先日、新型偵察機が同航路を飛行して、嘉手納湾の写真を撮ったという噂があり、伊東機長が判断したようです。
しかし、このルートも、もう使えなくなるでしょう。我々が成功したので、敵は、そちらにも警戒網を敷いたと思います。
尖閣から沖縄までは、三百m以下の低空飛行しかありません。奴らのレーダー網はかなりの範囲で飛行機を捕捉できます。まして、編隊なら尚更です。
我々四機は、低空を飛行し警戒網を突破しました。桜花は、ロケット燃料を使用していますので、最高時速は、七百㎞は出ます。飛行距離は約四十㎞ありますので、レーダーの警戒網内に入ると、高度を上げ敵艦隊を発見しました。
ここまで、航法はドンピシャリです。さすが、佐々木上飛曹でした。
私が、渡辺二飛曹を起こそうと振り返ると、既に眼を覚まし、はちまきを締め直しました。そして、私に笑顔を見せて、竹内、ありがとう…。そう言って、桜花に乗り込みました。
桜花は、一式陸攻の爆弾倉に取り付けられています。私は、渡辺二飛曹の発進準備が整うのを確認すると、機長に、準備よし!と告げました。
渡辺二飛曹は、私の方を見て手を差し出しましたので、私も彼の手を握りました。それが、最期の挨拶でした。
渡辺は、桜花の風防を閉めると、中の電話で機長と話をしていました。
もう、こちらに振り返ることはありませんでした。すると、突然、ガタッ!と音がして、渡辺機は発進していったのです。
私は、前方に走り、滑空していく渡辺機を眼で追いました。しかし、一式陸攻は、退避行動に移っています。戦果確認は、護衛の零戦隊の任務だからです。
それでも、私は、後方まで走り、大介の最期を見届けようと思いました。
すると、桜花のロケット推進器が点火され、猛烈なスピードで渡辺機が飛んでいくのが見えたかと思った瞬間です。前衛の駆逐艦に火花が散るのを、この眼で見たのです。
それから先は、もう、涙で何も見えなくなりました。機内の他の隊員たちも無言で…、きっと、みんな泣いていたと思います」
「これが、渡辺二飛曹の最期です…」
「私は、奴とは同期なので、すみません…。でも、渡辺が言っていた田舎の先輩に、話ができてよかったです」
「私らも、いつ戦死するかわかりませんので、島田中尉から渡辺の両親に伝えてあげてください…」
そう言うと、キビキビした敬礼をして、竹内二飛曹は、隊に戻っていった。桜花隊の戦果は、珍しいことらしく、俺たちの夜間偵察が役に立ったかと思うと、渡辺も浮かばれるような気がした。しかし、あんな十代の若者まで、特攻で死なせるとは、この戦争も終わりかも知れない…と考えていた。
西尾も、
「しかし、悲しいですね…。でも、渡辺二飛曹は立派です。私も、足一本ぐらいじゃあ、泣き言も言えませんね…」
と、言うと、
「分隊士、もう帰りませんか…」
「今なら、今日中に帰り着きますよ…」
「なんか、ここは、あまりにも悲しいです。悲しすぎます…」
俺も、もう、これ以上、ここにいることが辛くなっていた。
明日も、明後日も、特攻隊を見送るのは、もう嫌だと思った。
「そうだな、帰ろうか…」
「しかし、要注意だぞ!」
そう言うと、そのまま離陸準備がしてある月光ヨD-100号機に向かって歩いて行った。
第八章 厚木空の反乱
俺たちが、厚木に戻ってくると、やはり連日、出撃が続いていた。それと同時に厚木でも戦死者が増えていった。
特に、新しく着任してきた士官や予科練出身の少年兵など、初陣で墜とされるケースが増えているのだ。
それは、B二九に敵戦闘機が護衛につくようになったからだった。
それまでは、艦載機が飛来することはあったが、そんなに数多く来襲することはなかったが、硫黄島が三月末に陥落すると、急速に滑走路が整備され、陸軍機が硫黄島に多数配備されたという情報が入ってきていた。
艦載機とは異なり、陸上機は、滑走路等の制限がないため、重装備の戦闘機が多くなった。たとえば、ノースアメリカンP五一ムスタング戦闘機は、欧州でも活躍した万能機で、二千馬力を優に超えるエンジンを搭載し、最高速度も時速七百㎞に達していた。武装も十二.七粍六門を並べ、紫電改でも太刀打ちできない戦闘機だった。
他にも、雷電と同じ名前を持つリパブリックP四七サンダーボルトは、三千馬力に近いエンジンを搭載し、これも最高時速は七百㎞を超えていた。
武装も十二.七粍八門という強力な戦闘機で、こんな化け物のような戦闘機が護衛についたのでは、今の日本陸海軍の飛行機や搭乗員の技量では、どうしようもないくらいの差がついていたのだった。
特に、三〇二空に着任してきたばかりの若い飛行兵は、がむしゃらに突入して、いつの間にか、敵機の集団に囲まれ、敢えなく撃墜されていた。
六月に入ると、沖縄戦も終盤に入り日本軍による特攻攻撃も断続的になっていた。こうなると、いよいよ本土決戦が叫ばれるようになっていたのだ。
俺たち月光隊は、B二九が戦闘機を伴って昼間爆撃を行うようになっていたことで、夜間偵察任務が多くなっていた。
それでも俺と西尾のペアは、大村や鹿屋での実績を買われ、また、新しく新型の月光が供与されていた。
装備は同じだが、新品の飛行機は、やはり嬉しいものがあった。
それでも、俺たちは連日のように夜間偵察に出動したが、敵機と遭遇した場合は、直ちに攻撃せよ!との命令も受けていたので、手ぐすね引いて待っていた。
俺たちが、最後の戦闘を行ったのは、八月に入った頃だった。
この夜は、珍しくB二九、二十機ほどの編隊が、横須賀軍港を目指しているとの情報に接した。
俺たちは、太平洋上で捕捉撃滅する命令を受け、直ちにB二九の編隊を目指して各隊が発進していった。
零戦や雷電は、とにかく早い。俺たち月光隊は、すぐに上昇できないので、彼らの後を追うように出撃するのだった。
しかし、敵戦闘機にもレーダーが装備されるようになると、月光の特長を生かすこともできず、ひたすら退避するしかなくなっていたのだ。
坂口分隊長は、若い飛行兵を諫め、爆弾投下後のB二九を襲うように命令を出したが、若い飛行兵たちは、B二九を発見すると、即座に攻撃に入り、敵の銃座の餌食になっていった。
密集隊形の中で、攻撃するのは無理だ…と言っているのだが、気がはやるのか、命令を聞かずに突っ込み、次々と撃墜されてしまった。
そして、その坂口大尉も八月八日の戦闘で還っては来なかった。
そして、遂に八月十五日を迎えた。
その日は、朝から空襲警報が鳴らされ、零戦隊と雷電隊が出動していった。坂井もそのとき、出撃したまま、戻って来なかった。
「ああ、坂井もやられてしまったのか…」
もう、それは、絶望でしかなかった。
山内も、既にB二九の迎撃戦で戦死していたし、これで、一緒に赴任してきた予備学生十三期戦闘機専修学生の三人も、俺だけになっていた。
今では、ときどき、偵察飛行に出るだけで、もう月光も戦闘機としての役割を果たせなくなっていたのだ。そして、それは、突然に始まった。
「正午から、重大放送がある。各員、その場にて聴くように!」
そんな館内放送が入ったのは、坂井たちが出撃した直後だった。
基地に残っていた俺たちは、お互いに顔を見合わせ、何の放送だ…?と、口々に呟いていたが、どうせ、総理大臣あたりから、発破をかけられるのだろう…くらいにしか思っていなかった。
暫くすると、朝、出撃して行った連中が戻ってきた。
バラバラに戻ってきたので、これは、敵と交戦したことがわかった。
それでは、戻らない者も出ているはずだ。
そして、その中に、あの、坂井直もいたのだ。
坂井の列機に聞くと、やはり、ムスタング戦闘機が現れ、雷電でも逃げるのが精一杯で、途中で坂井機を見失った…ということだった。
ならば、まだ、坂井が死んだとは言い切れまい…。
あの不死身の男が、そう簡単にくたばるはずがない。
俺は、きっと戻ってくることを信じていた。
それに、それは、理由はないが、確信に近いものを感じていた。
正午になると、もう一度放送が入った。
「ただ今より、天皇陛下のお言葉がある…。その場で聴くように…」
「えっ、天皇陛下…?」
まさか…、それは青天の霹靂だった。
これまで、天皇陛下が直々に国民の呼びかけたことなどないのだ。まして、それをラジオ放送で聴くことになろうとは…。
そして、俺は、整備員たちと共に、格納庫の中で一緒に聴くことにした。
それは西尾一飛曹も同じだった。
やはり、不安なときは、愛機月光ヨD-100号機の側がいい。
この日は、出撃予定がなかったので、半袖のシャツで肩から航空鞄をかけていた。
もちろん、学の日記と麻賀多神社のお守り、そして、あの子のくれた飴玉が、その中には入っていた。
それは、正午ちょうどに、始まった。
ラジオ放送は、隊内一斉放送のためか、多少の雑音が入っていたが、聞き取れないわけではなかった。
俺たちには、終戦…ということは、すぐに理解できた。
「ああ、戦争が終わったのか…」
それは突然の出来事だった。
今朝も、空襲警報が発令され、多くの戦闘機がこの飛行場から飛び立って行ったというのに、そして、この放送の直前にも戦死した仲間がいるというのに、終戦なのか…。それなら、もっと早く言えよ…。
俺は、脱力したまま、ズボンのポケットに入れていたマフラーを取り出した。
このマフラーは、死んだ井上上飛曹の物だった。
何度かは洗濯もしたが、奴の血だけはおちなかった。
そして、マフラーに書かれた「月光隊 井上上飛曹」の文字も、墨の濃い色は多少落ちてはいたが、まだ、しっかり読むことができた。
これも、遺族に返しにいかなくちゃなあ…。
そして、肩からかけていた革製の航空鞄を外すと、そっと月光の翼の上に置いた。
この基地に配属になった最初の休日に、横須賀の町で、坂井や山内と一緒に買った革のショルダーバッグを俺は、航空鞄として使っていたのだ。
店の主人に言わせると、大正時代に造られた製品で、良質の牛革を使っているとのことだったが、この一年半で随分年季が入った。
あちこちにぶつけたし、油や俺の血なども飛んで、かなり色褪せてしまった。
いつでも、どこでも、俺はこのバッグをぶら下げながら大空を飛行したのだ。そして、学の日記やお守りを大事に守ってくれたバッグなのだ。
これからも、死ぬまで一緒について来ることだろう。
もう、俺たち予備学生出身の人間が、どうこうできるものじゃない。
俺たちスペアの役割は終わったんだ。
そう思うと、腹の中から、澱んだ空気が外に出たがっているように感じた。俺は、フーッと深呼吸をして、また、月光の機体を布地で磨き始めた。
それは、もう、習慣というか…、儀式みたいなものだった。
おそらく、もう二度と、この愛機に乗って空を飛ぶことはないだろう…。
西尾を見ると、西尾は、風防を開けて、操縦席やら自分の偵察席を一生懸命拭いている。
それは、恰も、あの鹿屋基地で、二人で特攻で散った仲間たちの位牌を磨いたように、流れる汗を拭こうともせず、黙々と機内を磨き続けているのだ。
西尾も、万感の思いを込めて、別れの挨拶をしているのだろう。
そう思うと、涙が滲んでくるのだった。
そのときである。
格納庫に、本部の顔見知りの下士官が飛び込んで来た。
その顔色は、これまで見たことのない顔つきだった。
「おい、大変だ!終戦だ。戦争が終わった!」
続けて、「だけど…」
そこまで聞くうちに、なんだ、そのことか…。それならみんな知ってるだろう。
すると、その下士官は、
「いや、そうじゃないんです。士官室と本部が大騒ぎになっています!」
格納庫から飛び出してみると、どうも、みんなが滑走路の方に出て行ったらしい…。
第二士官室に入ると、そこには、数名の予備学生出身の少尉と、技術中尉だけがいた。
「どうした…?」
慌てて飛び込んで来た俺に、数人の士官たちは虚ろな眼を向け、
「どうも、こうもない。俺たちは、行かんよ」
なんの話かもわからず、憮然とその場に立っていると、
「いいから、来て下さい!」
俺を呼びに来た西尾に言われるままに、また、外に飛び出した。
外は、真夏の太陽を浴びて、蒸せ返るような暑さで、今以上に汗が噴き出してきた。
太陽の光がギラギラと照りつけ、零戦隊の格納庫の方で大きなざわめきを起きているのがわかった。
なんと、そこでは、整備科と飛行科の士官同士が、小競り合いをしているのが見えた。
俺は、「何をしとるんだ!」と駆け寄ると、零戦隊の岩佐中尉や山本中尉がが怒鳴った。
「おい!夜戦隊の島田中尉!」
「何をしとるか!」
「すぐに、飛行服を着て来い!」
「俺たちは、終戦なんか認めんぞ!」
と、軍刀まで持ち出して騒いでいるのだ。
こいつらは、兵学校の七十三期の連中だった。
歳は俺より若いが、階級は同じだった。しかし、日頃から、俺たちを「スペア」呼ばわりするいけ好かない連中だった。
俺は、
「ばかやろう!聖断は下されたんだ!」
「貴様らこそ、気は確かか!」
と、怒鳴り返したが、奴らの眼は殺気立っており、取り付く島もなかった。
そのうちの一人が軍刀を抜くと、どけっ!と怒鳴って飛行機の方に向かって行った。
それをまた、整備科の下士官たちが必死に止めようとしているのだ。
これでは、そのうちけが人や死人が出るぞ…と思ったとき、突如、小園司令が出てきて、大音響で「静まれ!」とやったものだから、全員が小園司令に向き直って、不動の姿勢をとり、敬礼をするのだった。
俺も、フーッとため息を吐くと、みんなと同じように敬礼をして、その場に直立不動の姿勢をとった。
小園司令は、号令台の上に登ると、大声で叫んだ。
それは、また、俺たちを驚かせるものだった。
「よいか!」
「この三〇二航空隊は、けっして降伏はしない!徹底抗戦あるのみだ!」
「今の玉音放送は、まやかしである。けっして欺されてはならない!」
「他の部隊がすべて降伏しようとも、この厚木だけは、軍から独立しても徹底抗戦を続ける!」
「けっして、軽挙妄動をするな!」
「近く、命令を下す!それまで全員待機!」
その言葉で、岩佐中尉たちは、よしっ!と大声で叫び、士官室へと戻っていったが、俺たち予備士官の多くは、小園司令の言葉に納得してはいなかった。
ここに、坂井がいてくれたらなあ…と思ったが、頼みの坂井が未帰還では、どうしようもなかった。
西尾が、近づいてきて、
「中尉、どうされますか…?」
と、心細そうに聞いてきたが、俺もどうしていいか、わからなかった。
「うん。困った事態だ。取り敢えず、新しい命令を待とう。その上で判断するしかない…」
「しかし、俺は、あの兵学校の連中とは一緒にはならん!」
そう言って、それぞれの兵舎に戻っていった。
夜になると、各部屋では、喧々諤々の議論がされたそうだが、俺たちの第二士官室は静かなものだった。
それに、第二士官室にいた兵学校出の士官たちは、夜戦隊の川尻少尉を除くと、みんな本部棟の士官室に行ってしまった。
どうやら、兵学校出の将校は、全員士官室に集められているようだった。
俺が、
「川尻少尉は、向こうに行かんでもいいのですか…?」
と尋ねると、
「俺は行きません!」
「奴らは、御聖断に背こうとしているのです」
「俺は、島田中尉のような腕もない。来たばかりの新参者です」
「出撃はしましたが、敵機を攻撃したこともありません」
「何が、兵学校だ…」
「結局は、島田中尉のような予備士官の皆さんに助けて貰っただけじゃないですか…」
「だから、俺は、天皇陛下の命には従うつもりです。それだけは、変わりません」
俺は、そんな川尻少尉の気持ちがよくわかった。
彼が、夜戦隊に配属されたのも、この六月だったのだから、無理もない。
既に、月光が活躍する時期は過ぎていたのだ。
この俺だって、沖縄戦終了後、目立った活躍もできず、偵察任務で悶々と過ごしていたのだ。
そこに、ふらっと雷電隊の赤松中尉が訪ねて来た。
赤松中尉は、俺たちを見ると、
「おや、夜戦隊は、向こうには行かんのですか?」
と聞くので、
「私らは、徹底抗戦する意味がわかりません…」
「聖断が下された以上、それに従うのが、日本国民の義務だと思っています…」
と答えると、
「そうだな…。坂井中尉がおられても、きっとそう言うだろう…」
「島田中尉。坂井はそう簡単には死なんよ…」
そう言って、下士官の宿舎の方に向かおうとするのを止めて、
「雷電隊は、どうされるのですか?」
と尋ねると、
「うちは、寺村分隊長と俺が抑えとる」
「騒いでいるのは、零戦隊と偵察隊だけだ…」
「整備科、主計科も戦う気はない…」
「それに、副長の菅原中佐も、戦闘を止める気だ」
「今、小園大佐を上の連中が抑えにかかっている」
「いいか、厚木は同調せん!」
「矛を収めるときも、潔くせんとな…」
「それが、俺たち飛行機乗りの誇りってもんだろう…」
「小園さんも、すぐに気づかれるよ…」
そう言うと、軽く手を振って、ふらふらと出て行ってしまった。
きっと日本酒をひっかけて様子を見に来たのだろう。
とにかく、ここにいる第二士官室の六名ほどの士官は、戦わないことを誓うのだった。
混乱は、数日間続いたが、肝腎の小園大佐が、倒れて海軍病院に搬送されていったのでは、どうしようもなかった。
どうやら、ラバウル時代に罹ったデング熱が再発したらしい。
四〇度を超える熱を出すと、譫言のように「徹底抗戦!」を叫んだようだったが、そのうち、精神が錯乱し、駆けつけてきた横須賀基地の兵隊たちに縛られて、海軍病院へと送られていった。
菅原副長は、
「おい、手荒な真似はするな!」
「仮にも三〇二航空隊の小園大佐だぞ!」
と、必死に司令を守ろうとしたようだが、横須賀基地の指揮官は、その手を振りほどき、「馬鹿者!」と怒鳴って、小園司令は、海軍病院に隔離されたそうだ。
岩佐中尉らが騒いで、小園司令を取り返そうとしたようだが、横須賀海兵団の兵隊たちに取り囲まれ、どうしようもなかった。
しかし、岩佐中尉たちは、整備員に拳銃や刀を向けると、手近な零戦や彗星などに分乗して、どこへともなく飛び出していった。
このとき、俺と同じ東京高等師範学校出の貝田中尉が、零戦に乗ったまま東京湾に自爆したと聞いた。
同じ予備学生で、水上機専修の男だったが、転科して零戦隊に配属になっていた。俺とは同窓だったので、着任したとき、声をかけ、お互いを励まし合った仲だった。
戦争が終わったら、小学校の教壇に立つんだ…と夢を語っていたのに、なぜ、自爆の道を選んだのか、俺にはわからなかった。
俺たちは、予備なんだ。
本職が戦争を終わらせたんだ。
だったら、なぜ、予備の俺たちが死なねばならんのだ。
おまえは、先生になって、この戦争の愚かさや醜さを子供たちに教えてやるという使命があったじゃないか…。
俺は、嬉しそうに、教育実習に行ったときの話をする貝田が、羨ましかった。
奴は、学徒出陣で海軍に入り、十四期予備学生として飛行機乗りになった男だ。本職じゃない。
俺は、生きられた命を捨ててしまった貝田が、憐れでならなかった。
結局、数日後に岩佐たち零戦隊の連中も投降し、横須賀刑務所に護送されて行った。いずれ軍法会議にかけられるだろう。
雷電隊は、寺村分隊長と赤松中尉が踏ん張り、一人も岩佐たちに同調する者がいなかった。
そして、俺たち夜戦隊も、それぞれの思いは違ったが、俺も西尾も、他の下士官たちが動かなかったので、士官たちも動けなかったようだ。
それもこれも、赤松中尉が説得してくれたからに他ならない。
零戦隊は、小園大佐に近い立場にあった飛行長の近藤少佐が自殺してしまったのも大きかった。
近藤飛行長は、小園司令と菅原副長との間に入り、その上、自分の出身の零戦隊の士官たちから突き上げられ、混乱したのだろうと推測した。
近藤少佐は、基地の近くに借家を借りて奥さんと二人で暮らしていたが、奥さんも道連れにして死んだらしい。
零戦隊の岩佐たちに宛てて、遺書が残されたいた。
それには、「軽挙妄動は慎め!」と書いてあったそうだ。
こうして、いくつかの悲劇を残して、厚木航空隊の反乱は終わったのである。
俺は、その後、復員してしまったので、詳細はわからないが、戦後のどさくさの中で軍法会議が開かれ、小園大佐を初め、岩佐たち反乱を企てた士官たちは、禁固刑が言い渡された。
酷いのは小園大佐で、判決は無期禁固。
海軍大佐の肩書きも恩給も受けられず、遺族は苦しい生活を強いられたのだ。
小園さんが収監されていた横浜刑務所を出たのは、それから五年後のことだったが、軍人としての恩給が回復したのは、小園さんが死んだ後のことである。
仮釈放されると、郷里の鹿児島に家族で戻り、百姓仕事に専念していたそうだ。小園さんの慕う安藤組の親分や、元の部下の人たちが何かと面倒を看ていたらしい。
それにしても、一時の錯乱した行動を咎め、無期禁固刑とは、敗戦後のどさくさの軍法会議もいい加減なものである。
小園大佐の首都防衛にかける情熱がなければ、本土防空もどうなっていたかわからないのに…。
その功績を無視して、恩給まで取り上げるとは、日本海軍も墜ちたものだ。
戦後、何度か三〇二航空隊の戦友会に顔を出したが、小園さんが出席されたことはなかった。
最終章 月光と共に生きる
厚木航空隊の反乱事件が終結すると、俺たちに復員命令が出た。
後始末は、菅原副長が中心となり、主計科や運用科の人たちが、残務整理をしながら、まだ戻ってこない隊員を待つとのことだった。
赤松中尉は、
「坂井中尉は、そう簡単には死なない…」
と言っていたが、八月十五日午前中の迎撃戦に出たまま、その消息は掴めなかった。
彼の部下たちの話によると、爆撃機の護衛についていたムスタング戦闘機に追われ、雲の中に飛び込んだそうだが、他の部下たちも逃げるのに精一杯で、坂井機を見た者はいなかった。
俺は、ひょっとすると、太平洋に墜落したのではないか…と考えたが、いつかも印旛沼に墜落して助かったことがあったので、強運の持ち主の坂井のことだ、どこかで助けられているかも知れない…と考えていた。
そして、俺自身は、何度も危険な目に遭ってきたが、なぜか、大きなけがをすることもなく、無事に終戦を迎えることができた。
それでも、部下の井上上飛曹の戦死、後輩の渡辺大介の特攻死と、身近な人間の死を多く見てきた。
分隊長の坂口大尉も、どこかに消えてしまったし、同期の山内が戦死したのも、見たわけではない。
俺は、単に運がよかっただけなのだ。
ペアの西尾は、生き残ったが、足が不自由になっており、戦後も厳しい生活が待っていることだろう。
厚木基地は、なんでも占領軍が使用するというお達しがあり、用のない者は、早々に復員するよう、お達しがあった。
そして、俺も、復員命令が出て数日後に、佐倉に帰ることにした。
主計科の兵隊たちは、菅原副長の命令で、占領軍が来る前に、倉庫にあった物資を惜しげもなく、復員する兵と基地周辺の人々に分け与えてしまった。
実は、これも内緒で処分したことで、町内会長に極秘で連絡をすると、各町の代表者が、早朝からリヤカーを数台持ってきて、整然と米や味噌、缶詰などの食糧、そして農機具やら工具類まで、持って行けそうな物は、どんどんリヤカーに積んでやったのだ。
こういうところは、三〇二航空隊のいいところだった。
菅原副長は、
「なあに、小園司令がおられれば、真っ先にやったことだ」
「俺は、小園司令に代わってやってるだけのことだよ…」
そう言って、直接、倉庫に出向いて、主計科や運用科の兵隊たちと一緒に、汗を流したのだった。
そして、残りは、兵隊たちに一人リュックひとつの分量を割り当て、階級に関係なく配った。
俺も西尾も、たくさんの食糧と衣類をリュックに詰め込むと、主計科から退職金代わりの給与も支給された。
こんなに貰っていいのか…?と喜んだが、外に出てみると、物の値段が高騰しており、おまけに数年後には新円切替で、なんだ…という額にしかならなかった。
それでも、主計科の下士官が、
「いいから、詰めるだけ詰めていった方がいいですよ…」
と、手伝ってくれるもんだから、シャツや靴、冬用のコートまで軍用リュックに詰め込み、私物は、士官用の革のトランクに入れ、風呂敷包みまで持たされて航空隊を後にすることになった。
それが、その後の生活にとても役に立った。
あのときの主計科の下士官の名前も忘れてしまったが、本当に有り難かった。
俺は、予備士官の肩書きも外れたので、田舎に帰って教師にでもなろうかとも考えたが、生きていくためには、取り敢えず、親父の鉄工所を一緒にやる方が賢明だろうと思っていた。
それに、佐倉に帰れば、あの美子さんの消息もわかるかも知れない。
そうしたら、結婚を申し込もう…。
そんなことを考えながら、元の第二士官室で横になっていると、西尾がひょっこり訪ねて来た。
「おう、西尾二飛曹…。すまん、西尾さんだな…」
「どうした…?」
「いや、私も、明朝、田舎に帰ります」
西尾健史は、茨城の水戸の生まれだった。
水戸も終戦間際に大きな空襲に見舞われていたが、西尾の家は、水戸の郊外の農家だと言っていた。
「そうか、しかし、その足のけがじゃ、不自由だな…」
「いえ、私は、もう一度勉強をして、学校の先生になろうと思います」
それは、思いがけない言葉だった。
小学校高等科を出ると、そのまま海軍飛行予科練習生を志願した男が、まさか学校の教師を目指すとは、思わなかった。
「なんだ西尾、どういう心境の変化だ…?」
すると、西尾が、こう言うのだ。
「実は、ここ数日間考えていたんです」
「俺の家は、農家なので食べ物には不自由はしません」
「帰れば、私が耕す程度の田畑はあります」
「しかし、兵隊に行った兄がいますので、無事に復員してくれば、家は兄が相続します」
「そこで、私も一念発起して、もう一度勉強して、中学か師範学校に行くつもりです」
「学費なら、軍隊で結構貯めましたので、当座分くらいはあります」
「難しくても、夜学という選択もありますので、やってみるつもりです」
「島田中尉、いや島田さんとペアを組ませて貰ってから、いろいろなことを教わりました」
「島田さんは、気づかれていないのかも知れませんが、下士官兵の中では、特に信頼が厚かったんですよ…」
それには、俺も驚いた。
「島田さんが、ここに来られたとき、操縦が下手だったという噂は聞きました」
「本当は、最初、ペアになるのを渋ったくらいです」
「でも、坂井中尉と一緒に、あの赤鬼樫を必死に振っておられる姿に、感動していました」
「それに、我々下士官兵にも親切で、島田中尉の周囲はいつも賑やかでした」「だから、自分もいつか、島田さんのような人になりたいと思っていたんです」
「それに、兵学校出の人とは違って人間味があるし、高等師範学校出なんて、他の予備学生出身の方々の中でも異色でしたから、みんな、陰では、島田先生…って言っていたんですよ」
「まあ、三年かかるか、五年かかるかわかりませんが、絶対に教師になろうと思います」
「また、どこかでお会いしましょう。水戸と佐倉は近いですから、私も楽しみにしております…」
そう言ってから、おずおずとポケットから、一枚の小さな金属板を取り出した。
「あの、それから、これを…」
よく見ると、それは、愛機月光ヨD-100号機の製造番号などを書いたプレート板だった。
「西尾、どうしたんだ…これ?」
そう、尋ねると、
「いやあ、整備科に無理を言って、外して貰ったんです…」
確か、飛行機には触れないようにとの命令が出ていたはずだが…。
やはり、蛇の道は蛇ってやつか…と納得した。
せっかくピカピカに磨き上げた月光も、占領軍が来る前にスクラップにされるらしいという噂があった。
ともかく、プロペラを外し、ガソリンも抜いて飛行できない状態にしておくらしい。
そこで、整備員たちが、搭乗員たちに頼まれて、こっそりと思い出の品を取り出していたんだ。
俺は、そんなことを考えたこともなかったが、さすが、下士官同士は、横のつながりが密だった。
西尾は、自分用に偵察席に置いてあった愛用の赤外線カメラを持ってきたそうだ。そして、俺には、このプレートを外して貰って来ていたのだ。
こういう要領のよさが、西尾の特長でもあった。
首を竦めるようにして、それを俺に手渡すと、
「ありがとうございました!」と最敬礼をして、戻っていった。
その眼にはうっすらと涙が滲んでいたのを、俺は見逃さなかった。
俺は、「西尾さん、ちょっと待って…」と言うと、航空鞄から一本の万年筆を取り出した。そして、それを西尾に手渡した。
「まあ、俺のお古だが、高等師範に入学したとき、東京の神田で買ったんだ。昔の物だから、結構、しっかりできてる。西尾先生に使って貰えるなら、本望だよ…」
「後、月光ヨD-100号機の思い出をありがとう。大事にするよ…」
そう言うと、万年筆を手渡しながら、二人は両手で別れの握手をしたのだった。
「ありがとうございます。お世話になりました…」
そう言う西尾に、俺も、「いい先生になれよ!」と声をかけて、俺たちのペアを解消したのだった。
佐倉に復員した俺は、早速、家の鉄工所の見習いから始めた。
親父もお袋も元気だった。
妹は、女学校を卒業して、近くの縫製工場に働きに出ていた。
そして、こうして無事に戦後を迎えられることに、静かな喜びを感じていた。
しかし、近所で出征した多くの若者は還っては来なかった。
佐倉の連隊は、満州北部の孫呉に派遣された後、レイテ島に派遣され、マッカーサー率いるアメリカ上陸軍と激戦の末、一部の兵隊を除いて玉砕していたのだ。
出征した男たちの遺骨は戻らず、働き手を失った家では、どこかに人知れず去って行った者も多い。敗戦は、戦死者にも優しくはなかった。
家に戻ると、休憩をする間もなく、結城学の家を訪ねた。
俺の帰還を学ぶの両親も喜んで迎えてくれた。
俺は、あの飛行鞄から、学ぶの日記を取り出し、
「ありがとうございました。この日記が、私を守ってくれました…」
と、その垢に汚れた日記を両親に差し出した。
それは、学の遺品なのだ。
本来は俺が持っていていい物ではない。
ただ、学の遺言として預かっていたが、俺の戦争が終わった以上、返すべき物だと考えていた。
しかし、学の両親は、その日記を一度、仏壇に供え、学の位牌に向かって報告すると、
「もう、これでいいでしょう。どうぞ、達夫君が持っていてください」
「その方が、学も喜びます」
そう言って、俺に手渡すのだった。
俺は、月光という夜間専用の戦闘機に乗っていたこと。
何度も危険な目に遭い、そのたびに学に助けて貰ったこと。
戦闘中に何度か学の声を聴いたことなどを話した。
両親は、ハンカチで眼を覆いながら、俺の話を聞いていた。
すると、学の母親が、奇妙な話をするのだ。
それは、母親の夢の話だった。
「あのね…、達夫君…」
「あなたが、出征してから、ときどき学が私の夢枕に立ったのよ」
「それはね、学が飛行機に乗っているんだけど、飛行兵って言うのかね…」
「何かしら、大きな影と戦っているのよ」
「そしてね、何かしら訴えるような苦しい表情をするの…」
「時には、凄い音が聞こえたこともあるわ」
「そんなことが、何回かあって、麻賀多様の宮司さんに見て貰ったのよ…」
「そしたらね…」
「学は、今、戦場で戦っているんだ…って言うのよ、宮司さんが…」
「これって、どういうことかしら…」
俺は、学の日記を改めて見返した。
そこには、俺の血と汗と、月光の油や銃弾が擦ったような跡があった。
そうだよな…。学は、俺と一緒に戦っていたんだな…と、そのとき気がついた。
俺は学ぶに助けて貰っていたんじゃない。
俺たちは、魂でつながっていたんだ。
そして、一心同体となって月光を操縦し、あの苛烈な戦場を戦い抜いたんだ。そう思うと、俺が奇跡的に助かった意味がわかったような気がした。
俺は、学の母さんの質問に、
「そうですね。でも、学は、これで成仏できるはずです。お母さん、よかったですね…」
そう言うと、仏壇に手を合わせ、学の家を辞去したのだった。
もちろん、学の日記は、いつものように俺の牛革の航空鞄の中に、しっかりとしまわれていた。
俺のバックの中には、学の日記と美子からもらったお守り、陽子ちゃんがくれた飴玉、そして、新しく西尾のくれた月光のプレートがしまわれていた。
それらは、きっと俺が死んでも、あの世まで持って行くことになる品々だった。
だけど、家族の者は、「なんだ、このガラクタは…」とばかにするのかも知れない。
特に「陽子の飴玉」は、意味不明だろう…。
それに、中も確認していないが、もう溶けて紙にへばりついているかも知れない。
それでも、俺には、大切なお守りなんだ…。
俺が美子の訃報を聞いたのは、それから間もなくのことだった。
佐倉高等女学校の知り合いに、彼女の消息を聞いて貰っていたのだ。
そして、その報せはすぐに俺に届けられた。
美子は、父親の仕事で女学校を卒業すると、横浜に転居していた。
しかし、転居先で勤労動員に行っていた軍需工場が、B二九に爆撃を受けたのだ。
それは、昭和二十年の八月初旬のことだった。
そして、彼女もここで死んだらしい。
らしい…というのは、彼女の遺体は見つからず、死亡認定だけされたということだった。
八月初旬といえば、俺たち夜間戦闘機隊は、活躍する術がなくなり、偵察任務に甘んじていた頃だった。
もし、俺が偵察任務でもいいから飛んでいれば、高性能の電波探知機を使って、B二九編隊の動向が掴めたかも知れなかった。
しかし、そのとき、俺は、厚木基地で空を睨むしかなかったのだ。
もう少しで終戦だったのに、俺は、彼女の面影が浮かんでは消えた。
そして、わずか二十歳そこそこで亡くなった彼女が愛おしくてならなかった。
最後に、もうひとつ、俺がやらなければならなかったのは、渡辺大介二飛曹の最期を遺族に伝えることと、井上上飛曹のマフラーを遺族に返すことだった。
大介の父親は、陸軍少佐で、佐倉連隊にいたはずだが、今は、どうしているのかわからなかったが、取り敢えず、佐倉の官舎があった場所に行ってみた。
すると、大介の母親の実家が和田地区の寒風という集落にあることがわかり、家族は、そこにいるらしい…。
和田の寒風の村は、野菜畑が広がり、キュウリやトマト、茄子などの夏野菜が撓わに実っていた。
九月と言っても今年の残暑は厳しく、まだまだ暑い日が続いていたのだ。
俺の家から大介の実家までは、歩くと三十分ほどかかったが、俺は、航空隊から復員するときに貰ってきた塩を少しばかりぶら下げて行った。
暑いので、午前中にと考えた俺は、朝飯を終えるとすぐに、歩き出した。
国鉄佐倉駅の線路沿いを歩いて行けば、寒風の集落に着く。
佐倉駅は、ときどき空襲に見舞われ、昭和二十年七月十八日には、敵艦載機の急襲を受け、十四名が亡くなったと聞いた。
最近使われ出したロケット弾が防空壕を直撃したのだ。
そんな線路脇を歩いて行くと、寒風に着いた。
渡辺の母親の実家は、集落の中でも大きな屋敷を構えており、大介が県立佐倉中学校に進学できたのも頷けるものだった。
案内を乞うと、大介の母親らしい女性が出てきた。
「私は、渡辺二飛曹の中学の先輩にあたる島田と申します…」
と丁寧に挨拶し、来訪の用向きを離すと、驚いたように家の中に入り、家人でも呼んだのだろう。すぐに俺を座敷に招き入れた。
既に戦死の公報は入っていたようで、仏壇の上に大介の遺影が飾られていた。
家の者たちは、俺が、大介の最期を知っていると聞くと、慌てたようだったが、大介の叔父、叔母、祖父母、母親と姉弟が出てきた。
大介の父親は、やはり、中国に出征したまま音信不通だという。
戦争が終わって、いつまでも陸軍の官舎にいることもできず、母親の実家を頼って世話になっているとのことだった。
しかし、大きな仏壇には、大介の遺影も飾られており、大介一家が大事にされていることは、すぐにわかった。
大介の母親は、俺に冷たい麦茶を出すと、俺の前に正座をして座った。
俺は、あの日、鹿屋で佐々木二飛曹から聞いた話を詳しく語って聞かせた。大介の家族は、その話をしんみりとした様子で聞くと、安堵の表情を浮かべていた。
「そうですか…。大介は、立派に戦ったんですな…」
叔父は、そういうと目頭を押さえていた。
叔母や母、姉たちは、泣いていたが、下の弟だけは悔しそうに歯を食いしばっていたのが印象的だった。
俺は、大介の位牌に手を合わせると、母親が、こんなもんでも…と言って、俺に米を持たせてくれた。
今は、米は貴重品で、なかなか手に入らなかったので、有り難かった。
俺は、すっかり話に夢中で、手土産の塩袋を渡し忘れていたので、それを叔父に渡すと、大層喜んでくれた。
農家でも、塩はやっぱり貴重なのだ。
すると、母親が、思い出したように話し始めた。
「そうですか…。大介の先輩の中尉さんでしたか。大介が大変お世話になりました」
「ここらは、陸軍の兵隊になった者が多く、みんな還って来なかったんです」「佐倉連隊は南方で玉砕したらしくて…」
「特攻って言っても、こうやって、最期を知っている人が訪ねて来てくれただけで、大介は幸せ者です」
「そういやあ、大介が予科練に入る前に、中学校の校庭で、予備学生になる先輩に会った…って、言うとりましたわ」
「あの子は、勉強ができた子でしたが、海軍に入るってきかんで、自分でこっそり志願してしまったんです」
「でも、どのみち兵隊になるんだから、仕方がない…ってみんなが言うもんで、諦めました」
「しかし、あの大介がね…。敵の船を沈めましたか…」
「それにしても、アメリカさんにも気の毒なことをしましたな…」
「大介が沈めた船にも多くのアメリカの兵隊が乗っていたでしょうに…」
「戦争なんて、家族にとっちゃ、勝っても負けても悲劇です…」
「大切な子供を戦争に持って行かれて、骨も戻らんですから…」
「でも、こうして話だけでも聴かせて貰って、私らも諦めがつきました」
「どうも、ご苦労様でした」
「あんたも、生きて還れてよかったですね…」
母親は、我が子の最期を聞いたことで、納得もしていたようだったが、逆に言えば、生きている望みが絶たれたことにもなるのだ。
俺は、親切のつもりが、真実を伝えたことで、望みを断ち切ってしまったのかも知れない…。
そう考えると、申し訳ないような気がして、そのまま挨拶をして渡辺の母親の実家の斎藤家を後にした。
しかし、その後も、斎藤家の家人は、ときどき我が家にも寄ってくれるようになり、農機具の修理などの依頼をしてくれるようになった。
そして、もうひとつは、井上上飛曹のマフラーを井上の実家に返すことだった。しかし、井上の実家は関西の姫路で、俺もなかなか時間を作ることができないでいた。
井上の実家には、復員直後に手紙を出し、状況は説明しておいたが、実は、向こうから佐倉に出向いてくれたのだ。
それは、井上の姉であった。
井上は、名を一夫といい、乙種飛行予科練習生に志願した偵察員だったが、姉が一人いた。
その姉は、実は、東京に嫁に来ていて、無事だったのだ。
何度か、姫路の実家からの手紙のやり取りはあったが、自分の忙しさと、鉄道事情もあって、動けなかったのも事実だった。
それに、あの悲惨な戦死の状況をどう伝えたらいいのか、迷う気持ちをあった。
そんな中で、終戦から三年ほど経った秋の午後、井上の姉の晶子が我が家を訪ねてきたのだ。
俺は、実家が姫路だったので、最初は驚いたが、東京の品川から来たというので、そうだったのか…と一人で合点していた。
そういえば、井上から姉が一人いる…という話は聞いていたが、あんな状況の中で、ゆっくり家族のことを話している余裕もなかったのだ。
姉の晶子さんは、井上より三つ年上で、企業に勤める夫と子供が一人いると話してくれた。
俺が、そっと井上のマフラーを手渡すと、
「ありがとうございます。あの子は、島田さんのお陰で、遺骨も戻り、姫路の方で葬式を行うこともできました」
「今でも実家には、一夫の身につけていた飛行服や軍服が残されています」
「ですから、このマフラーは、どうぞ、島田さんの方で持っていてやってください」
「戦死の状況は、父親が遺骨を引き取りに行ったとき、菅原さんという航空隊の偉い方から聞いた…と私らに話してくれました」
「でも、そのときは、島田さんいお会いすることもできず、こちらこそ、失礼しました」
「でも、今日、改めて、一緒に戦ってくれた上官の方から話が聞けて、一夫は、本当に幸せ者です」
俺は、この姉に正直に、自分のミスを話した。
「あのとき、私が、探照灯の光で一瞬眼を切ったことが原因だったのです」
「一夫さんは、後席で、退避の指示を私に出していました」
「でも、一瞬、眼が眩んで正常な判断ができなかったんです」
「それで、彼を死なせてしまいました」
「本当に、申し訳ありませんでした…」
そう言って、深々と頭を下げた。
すると、晶子さんは、
「何を仰いますか?」
「とんでもない。頭を下げるのはこちらの方です」
「あの子が、軍人になるといって勝手に志願して海軍に入りました」
「予科練に出発したその日から、私たち家族は、あの子が還って来ないだろうことは、覚悟していたんです」
「それでも、生き長らえて、度々帰省し、お土産話もたくさんしてくれました」
「最後は、内地で戦っていることは、承知していました」
「でも、あの子の学校時代の友だちもたくさん亡くなっています」
「確かに、兵隊になったのは、あの子が早かったかも知れませんが、内地で戦い、遺骨も遺品も戻ってきたんですよ…」
「もう、近所の人たちから羨ましがられたって、母は言っていました」
「姫路も、東京も、日本全部が戦場になったんです」
「その中で、姫路も東京も焼かれました」
「うちの家族は、田舎の方なので無事でしたが、私も身内や友だちを多く亡くしました」
「その多くは、遺品も遺骨もありません」
「本当に、一夫は軍人として幸せ者だったのだと思います」
そう言う晶子さんの顔は、本当に満足げだった。
俺は、こんな物でも…
と言って、万能包丁とおろし金を土産に渡した。
戦後、鉄工所も軍からの注文がなくなり、日用品や農具を造ったり、修理したりして生計を立てていたのだった。
俺が造る包丁やおろし金は、品質がいい…と評判もよく、結構売れていたので、晶子さんに手渡すと、さすがに主婦らしく、大喜びをしてくれた。
うちの母親が、その他に、東京じゃ、手に入れるのが大変だろう…と、
風呂敷に味噌を包んで、持たせてやった。
晶子さんは、家の玄関先で何度も頭を下げて、品川に帰っていった。
大介といい、井上といい、本当に気の毒なことをしたが、
その最後の様子を聞けるだけで、幸せなのかも知れない。
戦死した兵隊の多くは、だれもその最後を知る者もなく、南海の孤島や海にその屍を晒しているのか…と思うと、心が苦しくなった。
俺は、その後、親父の跡を継いで鉄工所の社長になった。
戦前は軍の仕事が中心だったが、戦後は、農機具の修理や鍋、釜まで造った。
その他にも鋤や鍬などの道具も扱い、鉄加工なら何でも請け負う会社として地域には重宝されたのだ。
それに、俺が考案した「万能包丁」や、目の細かい「おろし金」は、丈夫で長持ちという品質の良さもあり、しばらくは、うちの主力商品となっていた。
井上の姉の晶子さんに謝罪したことで、俺の戦争は、終わりを告げた。
そして、昭和二十三年の冬には、知人の紹介で見合いをして、嫁も貰い、二人の男の子にも恵まれた。
うちの嫁は、地元の酒屋「桜鶴」の娘で、ずっと家業を手伝いながら佐倉で暮らしていた。
もし、美子もそのまま佐倉に残っていれば、死なずに済んだものを…と考えると、運命とはいいながらも、不憫でならなかった。
でも、俺は、嫁さんには、美子のことは話さなかった。
話しても仕方のないことだったし、学の日記のことや、美子のお守り、陽子ちゃんの飴玉は、そのまま、俺の部屋に残っている。
あの航空鞄は、俺の部屋の本棚に乗っかっているので、だれも中の物までは知らないだろう…。
戦後の高度経済成長期になると、鉄加工や溶接の仕事も増え、家族経営の町工場も、従業員百人を抱える中堅企業になった。
昔の知人を頼り、自衛隊のちょっとした修理や溶接などの仕事も請け負い、重宝されるようになっていた。
千葉には、習志野、千葉、木更津、館山などに自衛隊が置かれ、俺が、元三〇二航空隊の飛行機乗りだ…と名乗ると、必ず、小園大佐や赤松中尉の話題になり、仕事が円滑に進むようになった。
こんな才覚も、俺が社長業を引き受ける原因だったのかも知れない。
俺には、復員する前日に、ペアの西尾が言っていたように、どうやら人を説得する力があるようだった。
鉄工所で働きながら、町の議員になって三期務めると、千葉県議会議員を三期務めて県議会議長にもなった。
戦争中は、どうせ死ぬんだから…と、
「政治家になって、国を変えてやる!」
と、坂井たちの前で豪語して見せたが、あれは、飽くまで冗談のつもりだった。
それが、いつの間にか、本当になってしまった。
正直、元々、政治家になるつもりはなかったが、鉄工業者の組合が推してくれたこともあって、議員になり、県の中小企業の発展に努力したつもりだった。
もう一度、教師になりたかったが、子供が生まれると、そうも言っていられなくなった。
それでも、時間があれば、作業服に着替えて工場に出た。
旋盤や溶接の音、火花、焦臭い匂いなど、あの月光を操縦していた感覚が、この工場にはあった。
汗と油にまみれ、必死になって操縦桿を握り、斜銃でB二九を撃ちまくった日々が、懐かしく思い出された。
しかし、俺の戦争のことを周囲に好んで話したことはない。
聞く人もいたが、いつも「なにも大した武勇伝もないんだよ…」と、言葉をはぐらかして生きてきた。
それでも、鉄工所の中に入ると、声が通らないくらいの騒音になるが、それはそれで、月光の爆音に似て、心地よかった。
そして、鉄加工の独特の匂いは、いつでも、俺をあのときの世界に引きもどしてくれた。
あのとき、西尾から貰った「ヨD-100」のプレートは、いつも俺の胸ポケットの中に入っている。
辛いとき、苦しいとき、投げ出したくなるとき、俺は、このプレートに助けられてきた。
月光に乗って戦っているとき、学の日記に助けられたように、戦後の俺は、「月光ヨD-100」に助けられてきた。
この一枚のプレートには、学だけじゃない。戦死した井上上飛曹、最後までペアを組んだ西尾一飛曹の命まで宿っているように感じていた。
だから、いつもこのプレートをそっと握りしめ、戦後の人生を歩いてきたんだ。
あの日、別れた西尾は、水戸に戻ると、苦労の末夜間大学を出て教員免許状を取った。
そして、水戸の中学校で数学の教師になった。
あいつの数学は、実は俺譲りだった。
死んだ井上上飛曹は、航法の神様のような男だった。
しかし、西尾は、それほどでもなかったことを後悔し、足のけがで治療中に、猛勉強をしたのだ。
電波探知機の操作もいち早く覚え、赤外線カメラを使って縦横無尽に活躍し、偵察術で名を挙げることができた。
あの沖縄偵察を成功させたのも、西尾の航法技術とカメラのお陰だった。
俺が作業を終えて休憩をしていると、急に、教本を持ってきては質問をするので、正直、困ったが、数学と化学や物理は得意だったので、西尾と一緒になって勉強したことを覚えている。
ときどき坂井が覗きに来て、「月光隊は、大変だな…」と茶化したが、俺たちは夜間戦闘と夜間偵察の二足のわらじを履いていたので、それだけ覚えることも多かったのだ。それが、戦後、役に立つとは思わなかった。
そういえば、西尾が最後に校長を務めた中学校に呼ばれたことがあった。
昭和六十年の正月過ぎの頃だっただろうか…。
西尾が急に電話をしてきて、俺に、
「分隊士。一度、本校で月光の話を生徒にして貰えませんか…」
「私は、ときどき、子供らに戦争の話をするんですが、今年で定年退職なんです。それで、最後にもう一度月光の話を聞きたいって生徒らが言うもんで、卒業を前にした三年生に話してやろうと思うんですが、職員や生徒らが、いつも話されている島田中尉の話も聞きたいって言うもんですから…、どんなもんですか?」
「昔取った杵柄ってやつで、高師仕込みの授業を見せたくださいよ…」
そんな調子のいいことを言うもんだから、
「そうか…、西尾先生もご退職ですか…」
「じゃあ、退職のお祝いってことで、伺いますよ」
そう言って、西尾の中学校で三年生百五十名くらいの生徒に戦争の話をしたことがあった。
そのとき、話したことは、主に西尾一飛曹の努力や不撓不屈の精神などがテーマになったと思う。
最後に、ひと言だけ、自分のことを話した。
それは、戦争の話なんかじゃない。
小学校時代の親友の学ぶの遺言、中学校時代の〇〇美子さんとの出会い、東京駅で会った陽子ちゃん親子との何気ない出会い…のことだった。
「私は、この歳になっても、親友の学ぶとこの二人の女性のことは、生涯忘れられんのです…」
「そして、ここに、この三人にまつわる品が、入っております」
「この航空鞄は、私が飛行機乗りになったとき、買い求めたものです」
そう言いながら、中に入っている「学の日記」「麻賀多神社のお守り」「飴玉」の三つを取り出して見せた。
そして、この三つの品は、俺が死ぬとき、一緒に棺の中に入れて貰うことを家族に言ってある…と付け加えておいた。
この俺の話を、若い先生方や生徒らは、どんなふうに受け止めたかはわからなかったが、話を終えて、校長室に戻ったとき、西尾が、
「その話は、私も初めて聞きました…」
と驚いていた。
そして、その一週間後、我が家に西尾の学校から小さな箱が届けられた。
中を開けてみると、西尾本人の礼状の他に、二百枚近くにも及ぶ、生徒と先生の感想文が入っていた。
一つ一つ、読んでみると、意外にも月光で戦ったときの話より、学や美子、陽子との出会いのエピソードのことを書いてくる生徒が多いことに驚いた。
「美子さんとの出会いが、生きる支えになったのですね…」
「陽子ちゃん、岩手で元気に過ごせたでしょうか…」
「学さんと一心同体だったことが、わかります…」
などという言葉が丁寧な文字で書かれていた。
そして、その三つの大切な宝物について、触れており、
「高価な物なんかじゃない。人との出会いこそが、生きる糧になることを学びました…」
「私も、そんな一生の宝物が貰えるよう、頑張って生きていきます」
などという感想が添えられていた。
俺は、それを読みながら、
「西尾は、いい先生になったんだな…」
と、改めて思った。
きっと、西尾は、俺や学に替わって学校の先生になってくれたんだろう…。 西尾さん。本当にありがとう…。
俺は、心の中で、いつまでも手を合わせ続けた。
さて、最後に八月十五日に消息を絶った坂井直の話をしよう。
俺の恩人の坂井は、終戦の八月十五日の戦闘で行方不明となっていたが、実は伊豆大島で生きていたのだ。
本当に奴は強運の持ち主だった。
伊豆沖に撃墜されたが、そこに通りかかった漁船に助けられていたのだ。
今は、田舎の福島に戻り、手広く農業をやっているとのことだった。
しかし、あの忍術のような剣法は、どうしたのだろう。
きっと、息子や孫が受け継いで、「無限流」の宗家を守っているのだろう。
今でも、ときどき、東京や横須賀で「厚木空戦友会」が開かれるので、俺も参加している。
あの赤松中尉もやって来るが、坂井が生きていたことを知ったときは、本人に抱きついて喜んでいた。
俺は、今でも西尾とは、親戚づきあいをしている。
教師になった西尾は、足を庇いながらも、野球を教え、先年、校長まで勤めて退職した。
今はまた、農業に戻り、悠々自適な生活を楽しんでいる。
俺に病魔が襲ったのは、七十を少し超えた頃だった。
しかし、俺ももう長く生きた。
それに、もう学も成仏したのか、顔を見せなくなった。
それでも、俺が死ぬときは、きっと迎えに来ることだろう。
できれば、美子も一緒だといい…。
陽子は、まだ、生きていて欲しいな…。
家族は手術をしろ…とうるさいが、俺は、絶対に切らん。
この癌を腹の中に置いたまま、死んでいきたい。
あの日、井上上飛曹は、俺の身代わりになって亡くなったようなものだった。俺が、死を怖れてどうする。
さて、そろそろ、死に方用意!でもするか…。
そろそろ、月の光が俺を照らすだろう。
今夜は、三日月に違いない。
俺も最期は、「第三〇二航空隊、月光夜戦隊 三日月三番機」として、真っ直ぐに月に向かって飛んでいきたい。
「西尾!行くぞ!」
俺は、操縦桿を引くとB二九に同航するように操作しながら、奴の腹の下にくっついた。
これで、下部銃座が回転できない。
俺は、思いっきり背中に背負った斜銃から、二〇粍弾を、爆弾倉目がけて撃ち込んだ。
ドドドドドドド…。
「よし、右エンジン付近に命中した!」
「直ちに離脱する!」
暗闇の中、B二九は、猛烈な火災を起こして、夜の海に消えていった。
「西尾!井上!一機撃墜!」
「はい!」
「ようし、厚木に戻ろう!」
ピピピピ…、プーン。
「ご臨終です…」
病室の中は、ほの暗く、老人の周囲には、数人の人たちが集まっていた。
おそらく老人の家族だろう。
「ねえ、おじいさん。何か、呟いてなかった…?」
「ああ、何か夢でも見ていたのかも知れないなあ」
「でも、顔を見てご覧。なんか満足そうに口元が笑っているよ…」
「そうね、天国に行ったのね」
「ああ、このじいさんは戦争も経験して、苦労をした人だからな…」
「お父さん、外を見てよ。三日月がきれいだよ」
この日の夜は、格別に天気がよく、空にはくっきりと三日月が顔を出していた。
しかし、島田達夫という老人が、その昔、月光という夜間戦闘機の搭乗員だったことを知る者は、もう、だれもいなかった。
ただ、家族が不思議がっていたのは、この老人が生涯大切にしていた古びた革鞄の中にあった日記とお守りと二つの飴玉が忽然と消えていたことである。
老人の遺言で、棺の中に入れようと鞄の中を探しても、この三つの宝物は、どこにもなかった。
家族は、仕方なく、この革鞄だけを棺に入れて老人を見送ったのだ。
老人は、この古びた鞄をしっかりと胸に抱いて、空高く召されていった。
家族の者たちは、この老人が大切にしていた「三つの宝」がなくなったのを不思議に思いながらも、
「きっと、元の持ち主のところに還ったんだよ…」
と話し合い、それ以上探すことはなかった。
ただ、井上上飛曹のマフラーだけは、
「最後に、このマフラーを首に巻いて焼いてくれ…」
という、遺言だったので、白装束の首に、あのマフラーを巻いてやった。
そして、そのマフラーの意味を知る者は、だれかいたのだろうか…。
あ、そうそう、あの月光の「ヨD-100」のプレートだけは、今でも島田の家に残され、仏壇の位牌の脇にポツンと置かれている。
完
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