架空戦記 大和民族の誇り Ⅰ
プログラム№1「日米戦争勃発か…」
矢吹直彦
第一章 連合艦隊司令長官 小沢治三郎
冬の北太平洋は、もの凄い荒天に見舞われると知ってはいたが、この風と高波には、さすがの小沢も辟易としていた。
こんな日に海に出れば、小さな漁船などひとたまりもないだろう…。
「猿の腰掛」と呼ばれた艦橋の司令長官専用の椅子に座りながら、自分の体を支えるのに苦労していた。
小沢は、これでも、剣道四段、柔道二段の猛者であり、海軍士官らしく体幹は十分に鍛えていたつもりだったが、五十代半ばになると、そうそう無理も利かないらしい…。まあ、艦橋にいる若い下士官でさえ、よろけるような荒海では、それも仕方あるまい…、と自分への言い訳を考えていた。それに、まあ、どんな揺れに遭遇しても船酔いだけはしなくなった。
海軍軍人が船酔いで倒れたとあっては、末代までの恥である。
ただし、艦橋にいる者の中には、青白い顔をしている者もいるから、彼らにしてもこの揺れは相当にきついのだ。
それでも、戦艦はまだいい。随伴してくる駆逐艦が心配になった。
「おい、駆逐艦はついて来ておるか?」
そう尋ねると、航海長が、
「はい。今のところ、無事であります」
「そうか…」
すると、隣にいた長門艦長の大西新蔵大佐が、
「私も若いころ駆逐艦に乗っておりましたので、荒海は慣れていますが、いやあ、今日は特に酷いですなあ…」
「やはり、真冬の北太平洋は航海には向かんようです」
と、さすがの艦長も泣き言を言い出した。
「ああ、そうだな。しかし、だから意味がある…」
小沢は、そう言うと、艦橋の机に置かれた海図に眼をやった。
こりゃあ、なかなか困難な作戦だな…。
そう言いながら、舌打ちして前方を睨んだ。そこは、艦橋の小窓に波しぶきが叩きつけるだけだったが、そう遠くない将来には、日本の存亡が懸かる大戦が始まることを考えると、この程度の荒海を乗り越えなくてどうする…という思いが過った。
既に山口多聞少将率いる機動部隊は、択捉島の単冠湾を出航し、北太平洋を南下しているはずだった。その後を追うように、大湊軍港から出航してきた小沢治三郎中将が指揮する戦艦長門、そして新鋭艦大和を初めとした特別編成の艦隊が動き出していた。
本来であれば、連合艦隊は山本五十六大将が長年指揮を執っており、今回も山本長官が指揮を執るはずだったが、ふた月ほど前に急な病で療養に入っていた。
公にはされていないが、山本長官が入院したのは、久里浜にある結核療養所だという話で、結核ではどうしようもない…という空気が海軍部内にあったことで、小沢が司令長官に指名されたのだった。
そのため、急遽、十一月初旬に海軍省に呼ばれた小沢は、連合艦隊の指揮を執るよう吉田善吾海相から辞令を受け取ったのである。
不思議だったのは、連合艦隊司令部の幕僚も宇垣纏参謀長を初めとして、すべてが交替となり、実質的な小沢艦隊が誕生したことだった。
長官の急な病はわかる。しかし、それがすぐに幕僚全員の交替につながるのが不思議だった。通常であれば、それまでの経験のある幕僚は残し、長官だけが交替すれば済む話なのだ。それを、一気に全員が交替し、実質、更迭のような形になったのは、どうもわけがありそうだった。
それに、小沢中将の序列は、その上に十人ほどの将官がおり、自分が連合艦隊の司令長官になるのは、もっと先の話だと思っていたし、その発令が公になると、日本中のだれもが驚いた。近年、こんな思い切った人事を見たことがなかったのだ。
小沢は、アメリカ軍の人事なら当然あり得ると思ったが、日本のように秩序を重んじる国では、余程の勇気がなければ、こんな人事はできない。
そのことを吉田海相に尋ねると、
「日露開戦のときは、東郷平八郎元帥が何人もの序列を超えて連合艦隊の指揮を執られたではないか…」
「今や、国家存亡の危機である。この作戦を指揮できるのは、君だけだ。君に断られては、私が宮様に叱られる…」
吉田海相は、そう言って首を傾げる真似をした。そう、宮様とは、前軍令部総長の伏見宮博恭王のことである。
そう言われると、小沢にも断る理由もなかった。
そして、ついでとばかりに、吉田海相は、
「ああ、帰りに軍令部に寄ってくれ…」
「永野総長が待っておられる…」
「連合艦隊への着任は、明後日になっておるから、大丈夫だろう」
「じゃあ、頼むぞ…」
小沢は、扉の前で一礼すると、海相室を出た。
このたった一枚の辞令で、国家の大事が決まるのだ。そう思うと、身が引き締まる思いがしたが、この後、軍令部で、小沢はとんでもない秘密を聞かされることになるとは、思いもよらなかった。
第二章 軍令部総長との密約
軍令部は、海軍省とは同じ建物の中にあった。廊下つながりではあったが、一応別組織なので、それなりに対応しなければならなかった。
小沢は、海軍省を出た足で軍令部に出向くと、受付の主計科中尉が、
「総長が、待っておられます。どうぞ…」
と、案内をしてくれた。
背が高く眼鏡をかけた秀才然としているから、最近、海軍経理学校を出た士官だろう…と、その若い男をまじまじと眺めてみた。色白で、手の指もタイピストのように上品だった。
それが気になったのか、その士官は、小沢に、
「どうか、されましたか?」
と尋ねるので、
「もう少し、潮風に当たるといいね。海軍士官は、赤銅色が基本だよ…」
と返すと、色白の中尉は、「ん…」と咳払いをして前を歩いた。
それにしても、どうも手回しが良すぎて気持ちが落ち着かなかった。その反動が、若い士官をからかう動機だったのかも知れない。
そういえば、海軍大臣も何か奥歯に物が挟まったような言い方をしていたし、山本長官の結核療養という話も、急すぎて何となく違和感を覚えた。
そんなことが引っかかり、気持ちが落ち着かない原因かも知れない…と小沢は考えた。
「何かある…」
そう思っては見たが、こればかりは、自分などがわかる世界ではない…と考え、自然体で永野総長に会うことにした。
永野修身といえば、海軍兵学校二十八期、日露戦争にも重砲隊指揮官として参加した歴戦の勇士である。その上、艦隊勤務や駐在武官、海軍の要職を歴任し押しも押されぬ日本海軍を代表する人物だった。
それが、開戦近しということで、軍令部総長の席に着いた。
永野の前の総長は、やはり海軍の重鎮である伏見宮博恭王が務めていたが、万が一開戦となれば、戦争責任が皇室に及ぶことを危惧した政府が、交替を勧めたと聞く。
博恭王も兵学校から艦隊勤務と軍歴は長く、実戦派の宮様だったが、天皇陛下のお立場を考慮して退かれたようだった。
そのためか、今でも宮様の発言力は大きく、永野総長でさえ宮様の意向を無視することはできなかった。
と、言うことは、今回の小沢の人事も、宮様の了承を得ていることになる。こんな数段飛びの人事をやらなければならないほど、事態は重大な局面を迎えていると考えるのが自然だろう。
小沢は、そんなことを考えながら、総長室の扉の前に立った。
案内の色白主計科中尉が、永野に声をかけた。
「小沢中将がお見えになりました」
「ようし、通せ…」
小沢は中尉に促されて室内に入った。
永野とは、当然面識はあったが、二人きりで話をすることは初めてかも知れなかった。まして、相手は、海軍の重鎮である。しかし、小沢にしてみても、今回の連合艦隊司令長官発令の謎を、この永野に尋ねなければ、気持ちが収まらなかった。
「総長、ご無沙汰しております…」
と、挨拶をしたところで、ふと見ると、二人の少佐が奥に立っているではないか。「ん…?何者か?」
小沢が怪訝な顔をして二人を見ると、永野がそれを察し、二人を紹介した。
「ああ、小沢さん。紹介しよう…。うちの参謀だよ…」
「二人とも、名乗りたまえ…」
永野に促されて二人が自己紹介をした。
背の高い男は、軍令部第一課アメリカ班参謀、矢吹正少佐と名乗った。そして、小太りの方は、軍令部第五課アメリカ暗号班参謀、高安輝元少佐と名乗った。
二人とも兵学校の後輩だったが、中将と少佐では兵学校が大学校の時期が異なるため、小沢に面識はなかった。
小沢は元々は、永野と同じ砲術専攻の士官だったが、後に水雷科に転じ、最近は航空戦術を研究していた。そのためか、通信や暗号といった類いの機関とは無縁でいたため、彼らを見知る機会はなかったのだ。
ただ、見たところ兵学校は六十期くらいの年齢だろう。それに、この若さで軍令部直属の参謀として抜擢されているということは、相当に優秀に違いない。それに、ここに同席を許されたということは、彼らは、小沢の異動の秘密を知っているということになる。
小沢は、鋭い洞察力でそう読んだ。
すると、永野が、
「この二人は、情報の専門家として軍令部が育成した参謀たちだ。海軍大学校に在籍しているころから、京都帝国大学に派遣し、暗号を勉強してきた」
「君の役に立つ逸材だ。よしなに頼むよ…」
そう言うと、二人には部屋を出るように促し、話が済み次第、小沢と相談するよう促した。
小沢は、
「相談…?」
変な言い方をすることに気がついた。
海軍で、基本的に、他の部署の参謀と相談する機会などないのだ。まして、余所の役所内で相談せよ…とは、不思議な物言いをするものだと感じたが、それは、永野との懇談の後、その重要性を思い知らされることになる。
永野は、小沢が気にしていた人事のことから、今回の状況を説明した。それは、小沢にとっても驚嘆すべき現実があった。
永野は、自分の持っている情報を惜しげもなく新任の連合艦隊司令長官に伝えた。永野にしてみても、こうでもしない限り、大日本帝国の破滅が予見できたからである。もう、そこまで情勢は切羽詰まっていた。
「いいか、小沢さん。よく聞いてくれたたまえ。これからする話は、日本という国家にとって重大な情報になる。そして、これは、一部だけの人間しか知らない。そのことを踏まえて、聞いた後は他言無用で願いたい」
小沢は、息を飲んだ。そして、
「承りましょう…。今更、辞令を撤回することもできませんので…」
そう言うと、小沢は覚悟を決めた。
これを聞いてしまった以上、もう、引き返すことはできない…。
「実は、山本が開戦にあたって、ハワイの真珠湾を攻撃したいという案を持ってきた」
「もちろん、軍令部は反対だったが、山本が自分の職を賭してでも行いたいと言うのだ…」
「君も知っている通り、海軍の作戦は昔から日本近海に敵をおびき寄せ、随時、潜水艦や基地航空隊によって消耗させ、最後は、戦艦群による一大決戦によって雌雄を決するという暫時撃滅戦だ」
「それを山本は、無視して遠征による一大奇襲作戦をやろうと言うのだ…」
「そんな作戦は、無謀だと撥ね付けようとしたんだが、どうも山本は既に米内さんや宮様にも了解を取り付けているらしいのだ」
「ところがだ。私も、一時は同意しかけたが、さっきいた二人が、私の決裁をする直前にここに飛び込んで来た。そして、とんでもない情報を私にもたらしたのだ…」
小沢は、身を乗り出して、「その情報とは、何ですか?」と尋ねた。
すると、永野は湯飲みの冷めた茶をゴクッと飲んだ。
「いいかね。それは、山本が作らせた作戦案だ。実は、この真珠湾を攻撃する作戦案は、山本がアメリカ政府から示唆されたものだ…という情報が入ったのだ」
「えっ…」小沢は、思わず絶句した。
「そうなんだよ。後で、山本に詰問したところ、概ね事実だということを奴は認めたんだ…」
「ど、どうしてそんなことが…」
「ああ、それなんだが、山本がワシントンの駐米武官として赴任していたことがあっただろう…」
「はい。確か、大正の終わりころのことですね。それに、山本さんは、それ以前からアメリカに留学していますし、軍縮会議に出席するなど海軍の中でも国際通として有名でした」
「ああ、そのころからのことなんだが、奴はどうもアメリカ側のスパイと付き合いがあったようなんだ」
「どういうことですか?」
「山本もそこのところは詳しく話しをしなかったが、奴の博打好きは有名だな…」
「はい。相当に自信を持っておりましたし、アメリカ時代もポーカーでかなり勝ったと言っていました」
「それだよ…」
「つまり、奴は、アメリカ時代に博打や女をスパイにあてがわれ、かなりの情報を伝えていたんだ…」
「当時は、軍縮時代だったこともあって、そういった情報にもルーズな点があったことは、儂も認める。しかし、それでも単独で外国人に会わないというのが、駐在武官のルールでもあったはずだ」
「ところが、山本は、アメリカ生活が長くなると、あちこちに得体の知れない奴と付き合うようになっていたんだ」
「その中に、スパイが入りこんだというわけさ…」
「まあ、山本にしてみれば、古くなった日本側の情報を少し漏らすだけで金になったわけだから、それほどの罪悪感はない」
「だから、幾ばくかの金や女を貰う条件で、情報を売ったのさ…」
「道理で奴は、アメリカでの武勇伝をあちこちで披露したわけだ…」
「奴は、大した機密でもない話や法螺話も含めて、調子よく話したんだろう…。そこに大きな隙が生まれたということさ…」
そこまで言うと、永野は大きなため息をついた。
実は、日本の陸海軍の駐在武官は、大なり小なり、そういったことがあるように聞いたことがあった。当時は、「役得」などと軽く考えて、帰国後の自慢話になっていたことがある。
今では、だれもが口を噤んでいるが、危ない橋を渡った者は他にもいるはずだ。
永野総長も、それを知っているので、困っているのだろう。
「なるほど、山本さんらしいと言えば、らしいですな…」
小沢は、山本が港港に女がいて、家庭を顧みないことも知っていた。自宅が東京の青山南町にあったが、山本自身はあまり帰らず、夫婦仲もよくなかったと聞いていた。
確か、艦長時代も芸者を軍艦に呼んで、自慢げに艦内を案内していたというから、根っからの女好きであろう…。
そんなことを考えていると、永野が話し始めた。
「そのとき、懇意になったアメリカ人にエドワード・スミスという男がいたそうだ」
「日本に滞在経験もあり、山本と意気投合して、ハワイまで遊びに行ったことがあると、山本は言っていた」
「それが、アメリカのスパイだったのさ…」
「どうも昔、山本はその男から、与太話に、もし日米が戦えば、まず、ハワイを叩くのが効果的だというようなことを聞かされたらしい…」
「それは、時々、酒を飲んでいるときや運転中など、思いがけない瞬間に話題にしていたそうだ」
「山本もそんな話を聞かされているうちに、頭に残ったのだろう」
「それで、今回の案を思いついた…と言っていた」
「本当に、ばかな男だ」
「あの男は、今でこそ話し方や態度にも重みが出てきたが、生来は、お調子者で思慮が浅い」
「何でも勢いでやってしまうこともあり、若いころは、米内や儂などが、その後始末に駆り出されることもあったくらいだからな…」
そう言うと、永野は薄くなった頭を抱えた。
もし、この話が本当なら、もう十数年も昔の話になる。それが、なぜ今頃、現実になるような案を山本さんは考えたのだ?
小沢にしてみれば、あの自由な雰囲気のあった大正末期なら、我々海軍士官も、悠長に構えていた時代に違いない。少しくらいのつもりで山本さんも遊んだんだろう。
それが、なぜ、今頃になって、それを考えついたのかがわからなかった。
「しかし、たとえスミスという男がスパイだったとしても、そんな与太話を本気にしますか?」
「ところがだ…。そのスミスは、アメリカの大学教授になって山本と手紙の交換をしていたらしいのだ」
「それは、既に我々が押収し、ここにある」
永野が、自分の机から出して持ってきた封書は、海軍省で使用している封書を使った国際郵便だった。しかも、発信元はベルリンになっている。つまり、スミスは、同盟国のドイツの名を使ったことになる。そして、スミス自身がアメリカから離れ、ドイツで活動していたんだ。
こんな海軍の封書など、手蔓さえあればいくらでも手に入るだろう。まして、ドイツ人記者でも名乗れば、ドイツ大使館から頂戴することは難しくはない。
宛先は、呉鎮守府付、連合艦隊司令長官宛てである。
これも、兵隊がよく使う方法だった。乗艦している艦名は秘匿しなければならないので、こうした基地付という方法が採られた。ただし、兵隊は検閲を受けなければならないので、私信は御法度である。それが、将校であっても上官に報告され、必要なら開封が命じられたはずだ。
ただ、山本さんは、司令長官だからな…。
この国際郵便の日付を見ると、昭和十五年四月で、ベルリン大使館から山本長官に直接手渡すよう「親展」印が押してあった。
「なるほど、これなら検閲されることなく、山本さんと情報のやり取りができたわけですか…」
「ああ、そういうことだ」
「しかし、山本からスミスに出した記録はない」
「山本は、自分からは連絡を取っていないと言っているが、連合艦隊の名前を使えば、方法はいくらでもある。そんなことは、こちらも信用はしていないが…」
「つまり、スミスは、定期的に山本さんに書簡を寄越したが、山本さんは何も送ってはいなかったということですか…?」
「それは、わからん…」
「山本は、何度尋ねても、機密情報をスミスに送ることはしていない…と言っている」
「しかし、これを秘密裏に行っていた以上、山本の行為は国家反逆罪に当たる。本来なら軍法会議に回して、官位剥奪の上、場合によっては銃殺刑もあり得る重罪だ!」
「だからこそ、山本を久里浜に幽閉したのだ…」
小沢にしても、まさか、あの山本長官が敵のスパイと通じていたとは、信じがたかった。しかし、こうした証拠が突きつけられれば、どうすることもできないだろう。
「ただ、山本にしてみれば、昔世話になったアメリカの友人から時々近況を報せる手紙が来ている程度の認識だったようだが、その中の一部にこれが入っていたんだよ…」
永野はそう言うと、一枚の地図を机の上の置いた。
それは、ハワイのオアフ島、真珠湾の詳細な地図であった。
「つまり、山本は、大学教授を名乗るスミスというスパイから、真珠湾攻撃を唆されていたことになる」
「だから、山本は自分の案だと言って、この話に乗ったのだ」
「奴は、奴なりに真剣に考えていたからこそ、真珠湾が魅力的に見えたのだろうな…」
小沢は、その詳細な地図を見ながら、
なるほど、これがあれば、航空攻撃は可能かも知れない…と考えていた。
「ところで、なぜ、それが発覚したのですか?」
「山本さんも当然秘密裏に行っていたことですから、余程調べない限り、わからないはずですが…?」
「それが、あの二人によってアメリカ政府の暗号が一部解読され、それを証拠に、山本を問い詰めたのだ…」
「それは、約ひと月程前のことだ」
「そのことは、後で、あの二人から聞いてくれ」
「ただし、このことは国民にも陛下にも報告はできない」
「だれかに聞かれても、山本は病気療養で突っ張る。いいね、小沢君」
「はい。わかりました」
小沢に打ち明けてほっとしたのか、永野は、煙草に火を点けると徐に立ち上がり、ゆっくりと煙草を吸い始めた。
それも、ものの十秒ほどの時間だった。
煙草を灰皿に押し付けると、紫煙を吐き出しながら、小沢にこう告げたのだ。
「それでだ…。君にやって貰いたいことがある」
それは、少し勿体ぶった言い方だった。
「はい、何でしょうか?」
「うん。それはだな…」
少し、言いにくそうではあったが、気持ちを固めたのか、小沢の眼を見据えて、こう言い放った。
「実は、軍令部としては、山本の作戦案はそのまま通すことにしたい」
「えっ…何ですって?」
「だから、山本を公に処罰するのではなく、このアメリカの謀略をこちらが利用するのだ」
「いいか、今なら、スミスもアメリカ政府も、これが露見したことは気づいていない」
「アメリカ政府も、まさか、こちらが暗号を解読したとは、夢にも考えていないだろう…」
「そうなると、これを利用してアメリカの太平洋艦隊を叩く絶好の機会が来たことになる」
「いいか、奴らは墓穴を掘ったんだよ」
「おそらく、アメリカは、日本に先制攻撃をかけさせて、日本がだまし討ちをしたと世界中に触れ回りたいのだろう…。そうなれば、アメリカ世論を焚きつけて、一気に戦争に持ち込める」
「アメリカ人は、やられたら絶対にやり返す民族だ。黙って、おめおめと引き下がるはずがない!」
「それが、アメリカ政府のねらいなんだよ!」
そうか…。永野は、そう読んでいるのか?
昔から、先を読むのが得意だった永野らしい推理だ。
小沢にとっても、その永野の推理は、間違いないだろうと思えた。
すると、永野は、怒りの表情を見せながら、
「いいか、小沢君。アメリカは、こんな小さな島国を卑怯な手を使ってでも滅ぼそうとしているんだ。それを知った以上、我々は、それを逆手にとって、一気にハワイを攻め、謀略を働いたアメリカ人を暴き、一気にアメリカ世論をひっくり返すんだ!」
「そして、この戦争を一週間で終わらせるのが、私の考えだ!」
「どうかね、小沢君?」
「既に案は練ってある…」
永野は、そこまでを一気に話すと、疲れたようにソファーにその大きな体を沈めた。
そして、静かな声の戻ると、
「君は、あの二人の少佐と会い、詳細を聞いてくれ給え…」
「私から言えることは、それだけだ」
そして、机の引き出しから赤い表紙の機密書類を小沢に差し出した。
それは、例のハワイ作戦の山本案だった。
「君に山本が作った作戦案を渡しておくよ…」
「連合艦隊司令部は、既に全員を更迭するよう海軍省が動いている」
「スパイの山本が使っていた参謀たちを使う気にはならんだろう…?」
「新しい幕僚の人選は海軍省が進めてくれている」
「ここでの最終的な打ち合わせが終わったら、君は、連合艦隊の旗艦長門に着任してくれ給え…」
永野はそこまで言うと、電話でコーヒーを持ってくるように依頼した。
おそらく、永野はこの間、ほとんど睡眠を取らずに必死に考えていたのだろう。顔は青白く、眼も相当に窪んでいた。内蔵もどこか悪いようだった。
それでも、何とか最善策を得ようと必死になっていた様子が見て取れた。
二人は、温かいコーヒーが届くとその香りを楽しみ、そして一口含んだ。馥郁とした香りが鼻腔をくすぐるような感動があった。
海軍は、何でもイギリス式なので、こうしたコーヒー、紅茶も一流品を揃えていた。
軍艦ではこうもいかないが、東京の街中にいれば、こうした贅沢もできたのだ。
永野は、コーヒーの香りで少し落ち着いたらしく、その場にすくっと立つと、居住まいを正し、小沢に右手を差し出した。そして、
「頼む。君の力で日本を救って欲しい…」
と握手をしながら頭を下げた。
「もう、君しかいない。君のことは、私が全力で守る」
それが、永野との終生の約束となった。
永野修身は、その後、吉田善吾海相と協力して政府首脳や陸軍幹部への説得に努めることとなった。
最初は、信じられない…と受け入れなかった重臣たちも、暗号解読の結果やアメリカのスパイからの報告、山本自身からの供述内容を聞くと、もう、永野たちに戦争の主導権を渡さないわけにはいかなくなった。
永野は、天皇にも状況を詳細に説明し、もう一度、アメリカ世論と世界を相手に武力を使わない戦いをすることを上申した。
天皇は、
「永野は、本当にそんなことが可能なのか?」
と尋ねたが、永野は、
「もし、アメリカの謀略に嵌まれば亡国となります。しかし、武力を使わずに勝利することができれば、それは、帝国にとっての正義を貫くことになります。日本は、正義の国であります。私は、そのために一命を賭けたいと思います…」
と、涙ながらに応えた。
こうして、永野の新しい作戦案が動き出すことになった。
この二年後、軍令部総長永野修身は、平和になった日本の興隆を見届けるように、肺炎のために亡くなった。六十二歳であった。
第三章 二人の情報将校
小沢の今日という一日は、人生の中で一番苦しい日となった。昨日の電話連絡で佐世保から羽田に飛び、この日は朝から海軍省、そして軍令部と海軍の中枢にいて、国家存亡の危機に関する命令を受けることになった。
考えてみれば、それは海軍の将官として、得がたい機会ではあったが、前任の山本五十六大将が偉大であったために、ここに来ての急な交替は、海軍のみならず社会全体を動揺させることは間違いなかった。
その上、アメリカの謀略まで聞かされては、自分はどうしたらいいのか…頭が混乱する思いであったが、あの永野総長の必死の形相を見て、覚悟を決めるしかなかった。それに、小沢は、戦略眼にかけては日本海軍一と謳われた軍略家でもあった。もし、時代が異なっても豊臣秀吉に仕えた竹中半兵衛のような存在になっていた可能性もある。
海軍航空隊の黎明期から、山本五十六などとともに航空作戦の重要性を内外に説き、自らがその陣頭に立つまでになっていた。本来は水雷科の出身で、駆逐艦隊の運用などに長けた戦術を持っていたが、「これからの戦争は、航空機の時代になる」ことを見通し、世界各国の航空作戦を研究していたのだ。
永野に言われるまでもなく、もし開戦となれば、ハワイの真珠湾を航空機で叩くのは、山本でなくても考えるところであった。逆に言えば、それはアメリカ政府や海軍も想定できる作戦なのだ。
永野は、山本がアメリカ政府のスパイによってもたらされた作戦だと言うが、けっしてそれだけではないだろう。山本自身が、長いアメリカ生活を通して航空戦の重要性に気づき、あのスミスとかいう友人を誘ってハワイまで出かけ、実際の真珠湾軍港をその目で見てきたのだ。
しかし、山本自身がどう考えていたかはわからないが、アメリカが誘導したという事実が覆らないのであれば、こちらがそれを利用するという手はある。これが、フィリピンでは、アメリカ世論は戦争に動かない。しかし、パールハーバーならどうだ。
愛国心の強いアメリカ人が、国土を日本如きに蹂躙されて黙っているわけはない。しかし、ここでアメリカ海軍の太平洋艦隊を完膚なきまでに叩き、ハワイ全島を日本軍が占領してしまえば、話が違うのではないか。
ハワイにいるアメリカ人を人質として、和平交渉を即座に行えば、アメリカ議会はどうするだろう。
ルーズベルト大統領が謀略によって日本を誘導したことを全世界に公表し、日本が已むにやむを得ず立ち上がったとなれば、日米戦争は、その初日で決着が着くかも知れない。
それに永野さんは、アメリカ政府の非を全世界に発信して、日本の正義を訴えようとさえしているんだ。そうなれば、開戦して多大な犠牲を払わなくても外交で勝利することができる。
どっちにしても、やりがいのある仕事であることに違いない。
「よし、永野さんの策にひとつ乗ってみるか…」
そんなことを考えながら、別室で待つ二人の情報将校の下に向かった。
小沢は、扉の外で待っていた主計科中尉の案内で、今度は地階の奥の会議室に向かった。そこは、少し薄暗く、昼間でも灯りが必要だった。そして、だれも来ない部屋の前で、着いたことを中尉が中の人間に伝えると、扉が開けられた。
そこには、先ほど自己紹介された矢吹少佐と高安少佐が直立不動の姿勢で待っていた。
「まあ、そんなに固くなるな…」
「今、話は永野総長から伺った。なるほど、そういうことか…」
「で、君たちから詳しい話があるということだが、端的に話して貰いたい」
小沢がそう言うと、説明は矢吹少佐が行うことになった。
「長官。私どもの暗号解読の件ですが、これは、昭和十年ころから本格的にアメリカ政府とアメリカ陸海軍の出す暗号文をキャッチし、解読に努めていた結果として得られたものです…」
「そして、これには、外務省の暗号解読班も協力しております」
「前任の伏見宮総長も永野総長も、外務省との連携が不可欠だという考えをお持ちで、内々に東郷外務大臣と話をつけて貰い、お互いの情報共有と研究を行っておりました」
「なるほど、日本の暗号解読技術がそれほど高かったとは、恐れ入ったな…」 小沢は素直に、彼らの功績を認めた。
海軍部内でも暗号解読について意見を持つ者は少なく、どこの艦隊の通信参謀も暗号文の翻訳はできても、それ以上の知識はなかった。
要するに、自分たちがわからないものは、敵もわからないだろう…という希望的観測だけで戦っていたことになる。
もちろん、中国との戦争ならそれもいいだろうが、米英となるとそうもいくまい。それを軍令部総長ともなると、先を見通して手を打っているもんだ…。
小沢は、その地道な努力に敬意を表し、じっくり話を聞くことにした。
「それで、山本長官のことを知ったのはいつ頃なんだ?」
「山本大将のことが、暗号に乗ってきたのは、昭和十四年の夏頃からでした」
「もちろん、暗号ですかYAMAMOTOという符号では出てきません。山本長官はFUJIという暗号で出てきています」
「FUJI?」
「はい。おそらくは富士山のことを指しており、日本のターゲットが長官なので、そういった符号になったものと思われます」
符号というものは、お互いが共通した記号や数字であれば、それで了解できる。しかし、それを傍受したとしても、ある程度の積み重ねがなければ、その符号が何を指すかまでは特定できないのだ。
「なるほど…」
「この符号は、外務省でも掴んでおり、両省でFUJIが出てくるたびに記録し、照合していたところ、今年になって頻繁にHPという符号が登場するようになりました」
「FUJIとHP?」
「はい。山本長官とハワイパールハーバーのことです」
「なるほど…」
「そして、ワシントンに派遣しているロバート三井という日系アメリカ人に、ここ数年間、ホワイトハウス周辺を探らせていたところ、驚くべきことが見えてきたのです」
「ロバートは、英国生まれの日系人ですが、父親の遺伝が強く出たらしく、金髪の白人です。母親は秋田の出身ですが、母親の顔も鼻が高く、眼はブロンドがかっていましたから、ロシアの血が混じっていたのかも知れません」
「父親は、イギリスの商人で、あのグラバー商会に連なる貿易商でした」
「母親の実家も秋田の酒田家に連なる生糸問屋で、シルクの売買の勉強に長崎に行っていたようです」
「ロバートは、親の代から日本贔屓で、イギリスの艦が長崎に着くと通訳を買って出て、日本海軍との関係ができました。それに、貿易商ですからアメリカとの取引も多かったようです」
「彼を信頼してアメリカの情報を探らせたのは、当時佐世保鎮守府の長官をしていた山梨勝之進大将です」
「それで、彼は今でも山梨勝之進大将とは、連絡を取り合っているということです」
「しかし、単身アメリカでスパイ活動をするのは危険だろう…?」
「はい。アメリカにはFBIもありますし、政府の情報局もあります。もし、スパイだと知られれば、処刑されることもあります…」
「それなのに、どうして…?」
「彼は、若いころから山梨大将に世話になり、恩義を感じてアメリカでのスパイ活動を引き受けたそうです」
「それに、貿易商というものは、正確な情報を知ることが一番重要な仕事です。あのグラバーが坂本龍馬を使って薩摩や長州の動向を探らせていたのは、有名な話ですから…」
「そうか、山梨大将も、それを承知の上でロバートを使ったということか?」
「さすがに、山梨さんは切れ者だ…」
山梨大将と聞いて、小沢も最初は驚きもしたが、やっぱり…という気持ちも強かった。
なぜなら、山梨大将は海軍の良識派と呼ばれ、昭和八年の統帥権問題が起きたとき「陸海軍は、軍縮をしっかりやっておかねば、いずれ米英との摩擦を生じる…」と、大角人事で予備役にされても、「軍縮には、責任を取る人間が必要だ…」と自ら退役を望んだといわれている。
確か、永野総長とは親友で、海軍の後を託したと言われている。しかし、海軍は、海軍きっての切れ者、知恵者といわれた山梨勝之進を失ったことは、痛恨の極みであった。良識派が陰を潜め、主戦派ばかりが海軍を牛耳るようになると、日本の国際関係は一気に悪化の一途を辿ってしまった。
確かに、アメリカの謀略は許し難いが、それを許した素地が今の日本海軍にあったことを考えれば、後悔先に立たずである。
小沢も、このとき統帥権などというつまらないことを持ち出さず、山梨大将が言うように、軍縮を受け入れ、海軍の近代化を図っていれば、今のように国際社会から孤立することもなかったのだ。
小沢は、山梨という言葉を聞いたことで、この二人の少佐の言葉を信じることにした。
「それで、ロバートは、何を掴んだと言うのだ?」
小沢は、その内容が一刻も知りたかった。
「はい。実は、ロバートが申すには、アメリカ政府には、かなりのソ連のスパイが入り込んでいるということなのです」
「そして、ルーズベルト自身が容共主義者で、裏でソ連と通じ、武器弾薬をソ連に送っています」
「それに、イギリスがアメリカに泣きついてきており、ルーズベルトたちは、日本と戦争を始めることで、イギリスを支援する構えです」
「そのために、日本に謀略を仕掛けてきているのです」
小沢は、そうか…と考えたが、念のために「裏付けはあるのか?」と尋ねた。
すると、第五課の高安少佐が口を挟んだ。
「はい。ロバートは、貿易商という仕事柄、世界中と取引をしております。当然、武器弾薬も取り扱う商人です。政府が、堂々と送ることのできない物資は、ロバートのような民間の貿易商が請け負っているのです」
「そして、ロバートには、グラバー商会につながる人脈がございます。中国、ソ連、ドイツ、イギリス、フランスと世界主要国の物資を扱う関係で、裏社会とも昔からつながっているのです」
「そこからの情報ですから、ほぼ間違いはないと思います」
「それに、ロバートは、万が一の時には、イギリス大使館に逃げ込むはずです」
「彼の一族は、イギリス社会の名門ですから、アメリカも手出しはできないのです」
小沢は、そうした情報網を駆使して分析を重ねてきた事実をこれまで知ることはなかった。
軍人は、ただ単純に戦に強くなればいい…と思っていたが、とんでもない勘違いだったことに、ここに来て気づかされた思いだった。
小沢が、感心していると、高安が続けた。
「我々、暗号班も外務省と協力してアメリカ政府を監視していました。すると、先ほどのFUJI、HPの他に、六つの符号が出てくるようになりました」
「それが、A、K、S、H、Z、S2です…」
「何だ、その符号は…?」
「これは、山本長官の計画案から判明しました」
「すべて日本の航空母艦の名前のアルファベットです」
「なに!」
小沢は、飛び上がらんばかりに驚いた。
なぜなら、もしそれが本当なら、日本の新型空母の名前まで知られていることになる。あれほど極秘で進めてきた瑞鶴、翔鶴の新鋭空母まで知られているとは…。
日本国内の海軍士官でも、一部の人間にしか知らせていない極秘航空母艦が、既に敵方に漏れているとなると一大事だった。
「そうです。このハワイ作戦に参加する航空母艦名です」
「Aは赤城、Kは加賀、Sは蒼龍、Hは飛龍、そして瑞鶴と翔鶴です」
まさに、山本さんの案は、アメリカの案とうり二つだ。
これは、間違いなくアメリカの謀略に山本さん自身が加担した証拠になる。そう思うと、小沢はがっくりと肩を落とした。
これまで航空戦力の増強のために頑張って来た山本が、こんな裏切り行為をしていたとは信じたくなかったが、ここまで証拠を突きつけられれば、もう言うことはない。
小沢は、
「わかった。二人ともご苦労だった…」
「これに気づかなければ、我々は易々と敵の謀略に嵌まり、国を滅ぼすところだったよ…」
「それで、山本案は、どうするのかね…」
すると、二人は、
「いえ、それ以上は、私どもの関与するところではありません」
「我々の暗号解読技術は、未だ未熟です。人員も少なく、新型の解読装置の開発もなかなか進みません」
「これからは、情報戦になります」
「ロバート三井のような優秀な諜報員を使える保証はないのです。だからこそ、日本ももっと情報戦に力を入れていかなければ、世界に太刀打ちできなくなります…」
「これからは、情報を正確に早く手に入れた方が、勝利する戦いになるでしょう」
「どうか、長官も情報に対しては怠りなく願います」
そう言って、二人は部屋から退室していった。
小沢の手元には、山本五十六が作成した連合艦隊司令部作戦案だけが残っていた。
「とにかく、これまでの情報を分析して、どんな作戦で戦うべきか、もう一度練り直そう…」
そう呟くと、待たせていた副官を呼び出し、急いで佐世保に戻り、その足で連合艦隊の旗艦がある広島の呉に向かわなければならなかった。
「ようし、忙しくなるぞ…」
そう声に出した小沢治三郎の顔は、緊張感で引き締まっていたが、その目は武人としての本懐を噛み締めるように、強い光を宿していた。
第四章 連合艦隊司令長官
この数日間で前任の第一艦隊第三戦隊司令官の引き継ぎをすべて終えると、永野に言われたとおり、翌日の午後には、呉に停泊中の旗艦長門に着任した。
第三戦隊は、連合艦隊の戦艦部隊の主力戦隊で、金剛」「比叡」「榛名」「霧島」の四隻の戦艦を擁していた。
小沢は、この戦艦群を率いての洋上戦闘を研究していたのだ。小沢が司令官になると戦隊の士気も向上し、その技量は最高水準まで達していた。軍規も厳正に守られ、小沢の急な異動は、戦隊の幹部のみならず、全将兵に衝撃を与えた。しかし、異動先が連合艦隊司令長官と知ると、その異例に人事に、また驚き、そして自分たちの主将が小沢中将になることを誇らしく思うのだった。
旗艦であった金剛での引き継ぎを終えると、そのまま陸に上がったが、どの艦からも「帽振れ」の合図が鳴り、数千という将兵が鈴なりになって見送ってくれたことに小沢は感動を禁じ得なかった。
「みんな、すまんなあ…」
陸に向かう船の上で、小沢はいつまでも挙手の礼をもって彼らに応えたのだった。
小沢は、佐世保航空隊から複座の飛行機に乗り換え、広島航空隊へと到着し、そのまま呉から連合艦隊の旗艦長門に到着したときは、午後の二時を少し回っていた。しかし、連合艦隊には、「山本長官の急病による交替」が告げられるや否や、司令部そのものが更迭されていたことから、幕僚の中には着任が小沢より遅れる者が出ていた。
しかし、小沢はそれを気にするふうもなく、新参謀長になった森下信衛大佐と士官室で談笑していた。急な人事であり、森下大佐は、軽巡洋艦大井艦長として着任して、まだひと月も経たない人事異動だった。
「いやあ、今回の人事異動には参りました」
「やっと引き継ぎを終え、大井の艦内を覚えた矢先に、今度は連合艦隊の参謀長ですから、上は、何を考えているのでしょう?」
「それにしても、山本長官がご病気とは、知りませんでした…」
「で、長官。山本大将は、何のご病気なのですか?」
森下は、何も知らないんだな…、そう思った小沢は、特に何もなかった風を装い、「ああ、結核だよ…」
「今、久里浜の国立養生所で隔離されているらしい…」
と告げるに止めた。
それを聞いた森下は、「はあ、そうですか?結核ですか…」と言ったきり、それ以上の詮索はしなかった。何か思うところがあったらしい。
それより、
「今度の幕僚は、随分と若返ったものです。どれも、海軍兵学校や大学校で優秀だった者たちばかりです」
「私も、前の黒島のような男は嫌ですからね…」
「ああ、そうだな。とにかく、新しい体制だ。参謀長、頼んだぞ…」
小沢はそう言うと、司令長官室に戻っていった。
当時の長門艦長は、大西新蔵大佐で森下大佐の兵学校時代の一号生徒である。森下が挨拶に出向くと、
「やあ、森下さん。お久しぶりです…」
「今度は、そちらがGFの参謀長ですから、お手柔らかに頼みます」
大西は、兵学校でも優しい一号生徒で、あまり四号生徒を殴るような先輩ではなかった。どちらかというと文学肌で、理論派として有名だった。
「はい。操艦はよろしく願います…」
森下がそう言うと、
「なに…、森下さんは操艦術の天才と呼ばれている人だから、やりにくいなあ…」
と頭を掻いた。
森下信衛は、どんな軍艦でも完璧な操艦を行い、いずれ、巨大戦艦の艦長と目されている人物だったのである。
艦橋でそんなやり取りをしている中で、小沢は司令長官室に籠もると、例のハワイ作戦案をつぶさに検証していた。そして、一つの結論を導き出していた。それは、永野総長から事情を打ち明けられた後に考えていたことと同じだった。
そうか、やはりアメリカ政府がそういう意図で動いているのなら、この山本案で行こう。ただし、これでは不十分だ…。
そう考えた小沢は、主力となる第一航空艦隊の司令長官を南雲から山口多聞に変更した。
幕僚も参謀長の草鹿龍之介を更迭し、軍令部から高田利種中佐を抜擢した。中佐の参謀長は稀な人事だが、ここに対米戦強硬派の高田を置くことで、ハワイでも怯むことなく命令を守ってくれることを期待していた。それに高田は、兵学校、大学校と首席をとおした秀才で、ドイツ駐在武官の経験もあった。
小沢にしてみれば、「反山本派」の一掃にはちょうどいい人材だった。それに、航海術に長けており、冬の北太平洋の横断には、欠かせない人物であった。
さらに、航空参謀を源田実に代わって小園安名中佐を配置した。小園は、攻撃精神旺盛の熱血漢で、声もでかいが小沢の子分の一人だった。兵学校の成績は芳しくはないが、源田のように屁理屈を言うような人間ではない。
山本長官は、源田を買っていたようだが、司令長官が山口多聞少将が務めるとなると、口うるさい源田より、性格の合う小園が適任だった。
こうして、新しい連合艦隊の体制が整った。
戦艦長門の作戦室で、ハワイ作戦の口火を切ったのは、司令長官の小沢だった。
「いいか諸君。もし日米交渉が決裂すれば、我が海軍は、開戦劈頭、ハワイの真珠湾を攻撃し、アメリカ太平洋艦隊を撃滅する。そして、ハワイの航空兵力を叩いた後、戦艦の巨砲を背景に海軍陸戦隊を上陸させる。そして、ハワイ州庁舎及び官公署のすべてを掌握し、ハワイを占領する」
そう言うと、参謀たちは一様に驚いたような顔を見せ、小沢を凝視した。
この長官は、何を考えているんだ…?とでも言いたげな表情だった。
既に、山本五十六が立てたハワイ攻撃案は、参謀たちの知るところではあったが、軍令部と対立していることは聞いていたので、小沢長官は、これまでの暫時撃滅案を採るものと勝手に想像していたのだ。
だから、山本案以上の過激な作戦に驚きを隠せなかった。
すると、小沢は一人一人の顔をのぞき込むように見ると、
「その上で和平交渉を行う!」
と、宣言したのだ。
つまり、戦争を一日で片づけるつもりなのだ。
その場にいた全員が、小沢の次の言葉を待った。
「日本は、これまでアメリカの謀略によって散々騙されてきた。日米交渉が難航しているのも、アメリカ政府自体がソ連の共産主義者に乗っ取られているからである」
「これは、軍令部情報班の血の滲むような努力によって知り得た情報である」
そして、
「このままでは、日本が滅ぼされ、世界中に共産主義が拡散する」
「それでは、世界の平和の実現はできない」
「我々がこの攻撃に成功し、ハワイ州を占領すれば、アメリカ本国と交渉ができる」
「そして、ルーズベルトが如何に愚かな謀略を日本に仕掛けたのかを暴き、世界中に発信するのだ」
「そうなれば、アメリカ国民は動かない」
「ただし、この作戦は奇襲に非ず。ワシントンの日本大使館だけに頼らず、海軍省、そして軍令部、外務省から世界中にアメリカと開戦する旨の放送を行う」
「それは、攻撃一時間前となろう」
「その間、アメリカ太平洋艦隊は、迎撃準備を整え、我々の航空部隊を迎え撃つはずだ」
「そこで、本艦を初め、連合艦隊の戦艦群を引き連れ、第一次の航空攻撃後、戦艦の大砲をもってハワイを降伏に導く」
「航空部隊は、その間、索敵を行い、アメリカ空母を確実に沈めて貰いたい」
「今の情報では、エンタープライズ他三隻ほどが、ハワイ近海にいるはずだ」
「敵も航空部隊が壊滅すれば、無力だ」
「もし、敵機が攻撃してくるような事態になれば、それは、戦艦群が引き受ける」
「航空部隊は、一旦退避し、敵空母撃滅にのみ集中して欲しい」
「ハワイ占領後は、私が先頭に立ってハワイ州知事に降伏勧告を行う」
「なお、できる限り、アメリカの民間人及び民間施設への攻撃は厳禁とする」
「ハワイには、日系市民も多くいるので、占領後には治安維持のために協力を要請したい」
「以上である…」
森下参謀長以下の幕僚たちは、息を飲んで小沢の話に聞き入っていた。そして、こんな無謀な作戦が成功するのか…という疑問を持った。
すると、幕僚を代表して、森下参謀長が手を挙げた。
「長官。この作戦の成功は、どのくらいだとお考えですか?」
すると小沢は、
「無論、自信はある!」
「詳細は言えないが、軍令部の情報担当参謀から、かなりの確率でアメリカ政府の状況は掴めている」
「ワシントン、いやアメリカ大統領ルーズベルトは、間違いなく日本を罠にかけ戦争を仕掛けようとしているのだ…」
「その罠が、ハワイ攻撃だと考えてくれ!」
「我々は、敵の罠に嵌まるふりをして敵陣に近づき、一気に雌雄を決するのだ」
「私も君たちも、この長門で最前線に立つ!」
「日本海海戦時に、東郷平八郎元帥が三笠の艦橋に立たれたように、私もこの戦艦長門の艦橋に立ち、一歩も引かない覚悟だ」
すると、再度森下参謀長が発言した。
「今、建造している巨艦大和はどうされますか?」
小沢は、それをきっぱりと言い切った。
「当然、大和は連れて行く」
「大和の主砲なら、アウトレンジが効く」
「それに、敵の航空部隊も、大和を見れば、脆弱な空母などより大和をねらうのは必定。あんな巨大戦艦の使い途は、航空機の囮か制空権を奪った後の脅しに使えばいいのさ…」
そう言って、大笑いをしたが、優秀な幕僚たちも空いた口が閉じられなかった。小沢の話は、どれも驚くことばかりで、これまでの常識を悉く覆すように聞こえたからだった。
そして、森下は、
「最後にお尋ねします。長官は、お話の最初に、もし…日米交渉が決裂すれば…と仰いましたが、成功する見込みはあるのでしょうか?」
「無論だ。今、海軍省、軍令部は、日米交渉によって戦争の回避を考えている。それも、情報戦によってだ…」
「情報戦…?」
「ああ、私が辞令を受け取りに海軍省と軍令部に出向いたとき、若い情報担当参謀が、これからの戦は、情報戦だ…といっておった」
「私も、その言葉で眼が開いたよ…」
「戦は、実力行使ばかりではあるまい。あの日露戦争だって、明石大佐のロシアでの工作やアメリカの支援があって初めて勝利したんだ。自分の力だけで勝ったなんて思うのは、軍人の驕りだよ…」
「なるほど、確かにそうですね…」
そんな二人のやり取りを見ていた参謀たちは、小沢という司令長官の底知れぬ戦略が怖ろしく感じていた。
第五章 出撃
日本は、御前会議を経て米英に対して戦端を開くことに決した。ただし、条件付きである。その条件とは、日本の情報戦により、アメリカ世論と世界の反応がどう出るかによって決定する…というものだった。
御前会議でも、多くの出席者が、
「その情報を世界に発信する必要がある。日本の正義を訴えた後、開戦となれば、アメリカの非を問う戦になるだろう」
「そうなれば、日本の大義名分は立つ」
と言った発言が多く出された。
それまでは、「窮鼠猫をかむ」といった状況でしかなく、やむなく戦に出るという雰囲気で、会議にも悲壮感が漂っていたが、その雰囲気を変えたのも情報だった。
天皇も、ご自身で明治天皇の和歌を諳んじた。
「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」
天皇のご意思は、平和の希求にあった。
世界がみんな親しい友人だと思えばこその国際協調であるはずが、一部の人間の謀略によって戦争を引き起こすとは、情けない限りではないか…。
永野は、その和歌を何度も頭の中で繰り返した。
やはり、日本はそんな謀略に騙されてはいけないのだ。日本の正義を世界に訴えなければ…。
永野は、この問題解決のために一命を賭けた。そして、それに携わる人間すべてに「命懸けでやってくれ!」と、心の中で叫んでいた。
こうして、アメリカ政府の謀略は、日本政府の知るところとなった。それは、伏見宮博恭前総長、永野修身総長、東郷茂徳外務大臣の説明が功を奏したからである。特に陸海軍と政府連絡会議の席上に、海軍側から伏見宮が登場したことが大きかった。
原則として、宮様が戦争を検討するような会議の場に出ることはなかった。
それは、皇室に責任を負わせないための方便ではあったが、この会議を招集した近衛文麿首相に向かって、伏見宮はこう告げた。
「総理。この会議は、日本の存亡に関わる会議と聞いた。ならば、皇族を代表して私がいても差し支えないだろう。私どもとて日本国民である」
その言葉で、宮様の出席が承認された。
既に詳細な内容は、天皇に伝えられており、天皇も政府首脳も、
「アメリカは、そこまで日本を憎むのか…」
と絶句したが、それがソ連のスパイ活動による謀略だと知ると、突然突きつけられたアメリカ政府の最後通牒(所謂、ハルノート)の意味が理解できたのだ。
それに、アメリカと言っても、これが政府内の一部の人間の謀略であることが明白になった以上、アメリカ国民に訴える意味はあると考えるようになっていた。
東郷外相は、会議の席上で、
「アメリカ政府が、これまで、如何に日本に対して経済的、政治的圧迫を加えて来たか、全世界に発信したい。そして、戦争を欲しているのはアメリカ大統領とその一派だということをアメリカ国民に訴え、日本が和平を望んでいることを伝えなければ、日本は、騙されたまま滅ぼされしまうぞ!」
と、政府首脳に檄を飛ばした。
東郷がここまで言うのは、外務省職員が寝食を忘れて暗号解読に寄与した成果を知っていたからである。
このとき、外務省、海軍省、軍令部は一致団結して、この戦争を阻もうとしていたのだ。
そうなれば、元々対米英戦争に消極的だった陸軍も同調する。
陸軍大臣の東條英機中将も、
「我々も外務省、海軍に賛同したい。東郷外相が言われるように、日本は正義の国でなければならない。我が陸軍は、これまで大陸においても正義の戦いをしてきたのであり、邪な考えを持つ者はおらん。海軍がその覚悟でやってくれるのなら、陸軍は全面的に支持しよう…」
と発言をしたことで、日本政府の方針が固まった。
最後の御前会議の席上で、天皇は、
「そうか…。日本は正義を主張するのだな…」
そう言うと、小さく頷き、静かに退席されたと、後から小沢は聞いた。
開戦日は、昭和十六年十二月八日。
それに併せて陸軍もフィリピンのアメリカ駐留部隊を攻撃する手筈を整えた。これで、万が一交渉が決裂したとしても、日本軍は正義の戦いを完遂するまでだった。
そして運命の日がやってきた。
日本海軍は、計画通り山口多聞中将率いる機動部隊は千島列島の単冠湾に終結後、冬の荒天を衝いて一路ハワイを目指した。山口は、開戦を前にして中将に進級していた。これで、名実ともに第一航空艦隊の司令長官である。
そして、それと同じ頃、小沢治三郎も大将に昇任し、特別編成の戦艦部隊を率いて同じ航路を辿ってハワイを目指していた。
既にアメリカ政府の意図を見抜いていた連合艦隊は、無線封鎖をしながらもただ粛々と予定時刻にハワイに到着することだけを目指したのである。
開戦になるかどうかは、まだ未定ではあったが、十二月三日には、日本政府がアメリカの謀略を全世界に発信する手筈になっていた。
小沢は、長門の艦上で、
「日本政府の声明が、ギリギリのところで戦争を回避してくれればいいのだが…」
そう呟いたが、アメリカの情勢は掴みきれなかった。
すると、隣にいた森下参謀長は、事も無げに、
「まあ、神佑神助というところですか…。長官、もう戦争は外交に委ねられました。私らは、命令を受けて対応するのみです…」
と言うので、小沢は、森下らしいな…と、涼しげな顔で立っている森下の横顔を盗み見た。それは、いつもと変わらぬ飄々とした姿だった。
そして、予定通り、十二月三日早朝八時に日本政府は、ラジオ放送と同時に新聞等にアメリカの謀略記事を掲載した。もちろん、手を回してあったアメリカの朝刊にもその記事が載るはずだった。
ヨーロッパでは、イタリア、ドイツの新聞社が興味を示し、日本語放送が終わり次第、ヨーロッパ全土に英語、ドイツ語、イタリア語、フランス語に翻訳して新聞、ラジオで発信すると約束してくれた。
もう、ここまで来ればだれにも止めることはできない。後は、世界がどう反応するかだ…。
そのラジオ放送は、長門の艦内でも聴くことができた。
実際にラジオのマイクの前に立ち放送を行ったのは、東郷茂徳外相だった。もちろん、最初は日本語で、次いで英語でのスピーチで行う手筈になっていた。そして、その熱意溢れる演説は、東郷の心を反映していた。
小沢は、座乗する軍艦長門の作戦室で、この放送を聴いた。
永野総長と吉田海相は、全将兵に三日、朝八時きっかりにラジオの前に立つことを命じていた。
出撃中の艦隊でも、見張員を残し、全将兵が艦内放送から流れる東郷外相の声に耳を傾けた。
「これで、世界中の人間が、アメリカの謀略を知るところとなる…」
小沢は、自分の手が汗ばんでくるのがわかった。それは、実戦以上に緊張を強いるものだった。
ラジオ放送は、約十分間に及んだ。おそらく、この静寂は、世界中が共有していることだろう。そう思うと、
「これが、情報戦か…」
と、あの日の矢吹と高安の顔が思い出された。
東郷は、昨晩から一睡もせず、この朝を迎えていた。
もし、この放送が失敗に終われば、外務大臣としての責任を取るつもりだった。
東郷は、早朝七時には、日本放送協会の建物に入った。そこで湯茶の接待を受け、一人静かに原稿に眼を落とした。
放送協会としても、国家の存亡に関わる重大放送だと聞いており、その緊張感は、嫌が応にも高まっていた。
東郷は、放送開始三分まえに放送室に入り、アナウンサーの「ただ今から、日本政府による重大発表がございます。国民の皆様、そして、全世界の皆様には、ぜひ耳を傾けていただきたいと存じます…」
「お話は、日本国外務大臣東郷茂徳が致します…」
という案内と共に始まった。
東郷は、マイクの前に立つと原稿を手に、静かな口調で話し始めた。
「早朝より、ラジオの前にお集まりいただき、心より感謝申し上げます。
日本国外務大臣東郷茂徳であります。日本政府を代表いたしまして、重大は報告をいたしたいと思います。
日本は、今、非常な危機を迎えております。そして、誤解があるのかも知れませんが、日本は戦争を欲してはおりません。これまで、日本政府は、アメリカ政府と交渉し、如何なる手段を用いても、戦争が回避できる方策を探っておりましたが、交渉はまとまりませんでした。
私どもは、アメリカ合衆国は、民主主義を標榜する正義の国という認識で、交渉してきたつもりですが、ここに来て、アメリカ政府の理不尽な要求に、私どもも困惑しております。
十一月二十七日、アメリカ政府からこれまでの外交交渉を無にするような通知が送付されました。日本政府と致しましては、これまでもかなりの譲歩案を提示しておりましたが、それを一顧だにせず、その上、こちらが希望した首脳会談も拒否される状況に至っております。この通知文は、明朝の各新聞にすべてが掲載されるよう手配させていただきました。ぜひ、日本の置かれた状況を世界の人々、アメリカ国民に知っていただき、日本の戦争回避の努力をご理解いただきたいと思います。
もし、アメリカ政府が、これ以上、我が国を謀略によって破滅させようとするのであれば、自存自衛のため、日本国民は剣を取ることになるでありましょう。
アメリカ国民及びアメリカ連邦議会のみなさん。失礼ながら、アメリカ政府が行ってきた日本への経済的、政治的圧迫の事実をご存知でしょうか。そして、この宣戦布告文書とも読める最後通牒の存在をご存知なのでしょうか。
今、日本軍は、アメリカ政府の謀略による備えのために、戦争準備に入っております。この事態をこのまま放置すれば、日本と米国は、間違いなく戦争となります。
なぜ、民主主義を標榜する我が国とアメリカが戦わなければならないのでしょうか。それをアメリカ国民は望まれているのでしょうか。
日本は、けっして戦争を望むものではなく、真の願いは全世界の平和と繁栄であります。
最後になりますが、日本は平和のためなら、アメリカ政府との交渉を継続し、すべての真実を語る用意があります。明日の朝、私どもの趣旨は、すべての新聞に掲載されますので、ぜひ、お読みいただき、世界各国の人々の賢明なる判断を仰ぎたいと存じます。
もし、日米交渉が継続となれば、日本軍は矛を収め、平和のために貢献する用意があります。そして、その交渉の経緯は、すべて公に致します。
それでも、アメリカ政府が日本との戦争を強く望まれるのであれば、日本は、及ばずながらも全戦力をもって、国際正義のための、国土防衛の戦いに向かいます…」
この東郷の熱意溢れる演説は、小沢を初めとした艦隊全将兵の心を打った。これで、いざ出撃となっても、後悔はないだろう。日本の正義と世界平和のために戦うのだ…という大義名分が世界に発信されたのだ。
小沢は、この演説の内容と、自分が知り得た情報のすべてを惜しげもなく艦隊の将兵に印刷して配布した。これは、これからの戦いの意味を諭し、そして、この戦いが「正義の戦い」であることを改めて知らしめたのだ。
この長官からの文書が配布されると、将兵は貪るように読んだ。そして、だれもが国土防衛のための意義を理解し、その一命を懸ける覚悟をしたのだった。
実際、この放送を聴き、翌日、アメリカ政府が日本に送った所謂ハル・ノートが公表されると、アメリカ議会は紛糾した。なぜなら、日本が主張するとおり、この通牒そのものが宣戦布告文書と言われても仕方のない内容だったからである。
アメリカとて、民主主義国である。国家の一大事となる戦争行為を大統領とその側近だけで決定されたかのような文書は、議会が黙ってはいなかった。
連邦議会の臨時会が開かれると、大統領は矢面に立たされることになった。「日本との戦争を議会にも諮らず、大統領とその側近だけで決めるとは、どういうことか?」
「まして、相手は強大な陸海軍を擁する日本だぞ!」
「あなたは、アメリカ青年を二度と戦場には送らないと誓って、四選を果たしたのではないのか?」
「この文書を書いたのは、だれだ?」
「新聞記事には、アメリカ政府には、相当の数のソ連の人間が入っていると書いてあるが、どうなんだ?」
「大統領は、共産主義者なのか?」
その質問は、質問と言うより、大統領の弾劾に近いものとなった。
政府側は、答弁のしようもなく、ひたすら、「これは、日本の謀略だ!」と言い続けたが、ハル・ノートは正式に日本側に通知された本物であり、それを否定することはできなかった。
その様子は、
アメリカ全土にラジオ中継され、新聞記者が次々と記事を本社に送ると、一日に何回も号外が出る始末となった。
ルーズベルトは開戦を目前にして苦境に立たされた。
国務大臣のハルも連邦議会で釈明を続けたが、国民のほとんどは、大統領とその側近の裏切り行為に沸き立った。
特に、この日本の放送によって、アメリカの婦人たちが大きな声を挙げた。
「大統領は嘘つきだ!」
「大統領を罷免しろ!」
その声は、瞬く間にアメリカ全土に広がり、数千人規模のストが、アメリカ全土で起こった。そして、その参加者の大多数は、アメリカの女性たちだったのだ。そして、そに燃え上がるような火の手は、ヨーロッパ全土にも広がっていった。
日本国内においても、各軍隊に志願者が殺到し、軍もその整理に困惑する有様となっていた。
軍需工場もフル稼働に入り、新鋭の零式戦闘機や一式戦闘機などが次々と生産され、これまでの三倍近いスピードで、軍備が整えられていった。
それを見た永野は、
「戦争は、政府や軍がやるものじゃないんだ…」
「国を見ろ。あの東郷さんの演説で、日本国民が奮い立ったじゃないか…」
「いくら、軍や政府が強制的に戦いを強いても、国民は動かん」
「だが、日本の正義や国際平和のためなら、これほどの力を発揮するんだよ」
「我々は、舵取りを反省せねばならんのじゃないかね…」
と、隣で外の様子を眺めていた吉田海相に呟いた。
吉田は、真っ赤な眼をしながら、
「ああ、本当にそうだな…」
そう言いながら、煙草をゆっくりと燻らすのだった。
そして、十二月七日。
小沢は、永野総長からの命令を受けて、ハワイ沖百㎞の地点で、全艦艇を停止させた。ただし、そのすべての艦艇の巨砲は、ハワイ真珠湾に向けられていたことは、だれも知らなかった。
第六章 日米交渉
こうして、日米開戦は、わずか一日前で回避することができた。
陰謀が日本によって暴かれ、世論の大批判を浴びたルーズベルト大統領や側近たちは、四六時中マスコミに追われることになった。その間、事態を重く見たアメリカ連邦議会は、議会の権限で、すべてが明らかになるまで大統領権限の行使を停止させ、副大統領のトルーマンにその代行を命じた。
ルーズベルトは、「憲法違反だ!」と叫んだが、怨嗟に満ちたアメリカ国民の声から、自分の身を守ることすら危険な状態に陥っていた。
側近たちの中には、すべてをマスコミに暴露する者まで現れ、ルーズベルトスキャンダルは、連日のように新聞やラジオで報道され続けた。
そして、遂にホワイトハウスにFBIが乗り込み、次々とソ連のスパイ容疑のかかる者たちを拘束したのだ。
一人逮捕されれば、司法取引の名の下に、次々と名前が暴露され、逮捕者も数十人を超えた。その中には、陸海軍の将官や政府の要人たちがいたことで、この陰謀が、とんでもない闇を孕んでいることをアメリカ国民に知らしめることになった。
こうなると、もう、戦争どころの話ではない。アメリカ合衆国そのものがなくなりかねない事態だった。
「大統領は、アメリカをソ連に売り渡すのか?」
「この売国奴!」
「奴らを、国会の庭に引きずり出せ!」
「絞首刑にしろ!」
その悲鳴に似た叫びは、凄まじい勢いでアメリカ全土を覆い、ルーズベルト大統領は、心労のために血圧が上昇し、精神錯乱状態に陥った。そして、次々とソ連との癒着が白日の下に晒され、遂にルーズベルトは廃人になったままホワイトハウスを追われることになった。
ルーズベルトは、ホワイトハウスを去る最後の日、執務室の整理をFBI捜査官の立ち会いの下で行っていた。
そして、自分の肖像画を壁から外し、手に持った瞬間、後ろ向きに昏倒し、その生涯を閉じた。六十一歳であった。
アメリカ連邦議会は、新大統領の下で日本との交渉を再開することを宣言した。
ホワイトハウスを調べていたFBIや検察当局は、各部署の机の中から、ソ連からの書簡が何通も出てきたことに驚きを隠せなかった。
それは、マスコミの知るところとなり、日本が主張していたことが正しかったことが、証拠書類からも裏付けられた。
ただし、アメリカが大統領以下の不祥事のために、ヨーロッパでは、ドイツ軍の進撃が加速化していった。チャーチルは、イギリス議会でルーズベルトとの密約がなかったのか疑われていた。
もし、チャーチル自身が、ソ連と裏で取引をしていたことが露見すれば、彼自身の政治生命が絶たれることになる。しかし、アメリカにそっぽを向かれたイギリスに生き残る道はなかった。
ドイツは、ほぼ一年でヨーロッパ全域を占領下に置き、そして、その矛先をソ連へと向けたのだった。
さて、小沢率いるハワイ攻略部隊に話を戻そう。
連合艦隊は、日本からの作戦停止命令を受けて、十二月十日、艦の舳先を百八十度回転させ帰国の途についた。
もし、あのまま推移していれば、十二月八日未明には、六隻の航空母艦から数百機の攻撃隊が発進することになっていた。
わずか、数日間の大逆転劇であった。
小沢は、全艦艇にアメリカのラジオ放送ニュースを定時に流し、アメリカと世界が、どう動いているのかをリアルタイムで伝えることにした。それは、確かに英語放送ではあったが、そのアナウンサーたちの異常な興奮やインタビューに答えるアメリカ国民の反応を聴くと、アメリカ自体が大混乱に陥っていることに気づいた。
その後、各艦の通信科の将校が丁寧な解説を行い、小沢長官からの命令を伝達した。
こうして、ハワイ作戦部隊の戦争は終わりを迎えようとしていた。
そして、愈々帰国する夕方、小沢は、全将兵に向けて艦内放送で演説を行った。
「諸君。ご苦労であった。日本政府の努力と君たちの奮闘により、戦争は回避された。それは、新しいアメリカ政府が、己の非を認め、日米交渉が再開されることになったためである」
「攻撃準備まで整えた航空部隊及び艦船部隊の諸君には大変申し訳ないが、これも戦争である。実際の戦闘は行われなかったが、もし、アメリカ海軍と戦うことになったとしても、君たちの力は、彼らを大きく凌駕し、日本の正義を高々と掲げることができたであろう」
「我々は、この戦争に勝利したのだ。日本は正義を勝ち取った。君たちの勝利だ。誇りを持って堂々と凱旋しようではないか…」
この放送は、すべての参加艦艇に即座に伝えられ、各艦では、艦長自らがマイクを握って小沢の言葉を一言一句漏れることなく伝えたようだった。
小沢は、通信室から出ると、一人、司令長官室に戻っていった。
司令長官室の廊下には、あの森下参謀長が立って待っていてくれた。
そして、
「長官、お疲れ様でした。私は、長官から、武器を使わない戦争の仕方を教わりました。改めて感謝申し上げます…」
と、頭を下げた。
森下にとって、命令が下れば命を惜しむものではないが、若い将兵の命を無駄に使いたくはなかった。彼らにも家族はある。妻子もいよう。一人死ねば、それだけの人間が悲しむのだ。
戦争は、勝たねばならない。しかし、人命を損なわない戦争に勝利できたことで、日本も日本海軍も変われるのではないか…と思うのだった。
小沢たち連合艦隊が静かに呉軍港に帰還すると、マスコミが一斉に小沢を取り囲んだ。
「小沢長官。ハワイまで遠征されていたそうで、驚きました」
「万が一、日米交渉が決裂すれば、ハワイを攻撃する予定だったそうですね…」
「時間を待つ間、どういう心境だったのですか?」
報道関係者は、数十人はいただろうか。
新聞各社、ラジオ局が一斉に小沢に質問を浴びせたが、小沢は何も答えず、
「海軍省から発表がありますから、それまでお待ちください…」
そう言って、長門の艦内に戻っていった。
「なんだ、結局安全なのは軍艦の中だけということか…」
兵隊たちは、無事に帰還して、喜んで上陸していったが、小沢や参謀長は、長門に足止めを食い、軟禁状態になっていた。
早速、森下参謀長が持ってきた新聞に眼をとおすと、写真入りで連合艦隊の動向が紹介されていた。
記事で取材に応じていたのは、海軍大臣の吉田善吾大将である。
吉田海相は、
「今回の日米交渉が再開されたことは、誠に喜ばしい限りである」
と、前置きをした上で、連合艦隊が開戦に向けて密かに行動をしていたことを暴露していたのだ。もちろん、それは、世界に向けてのアピールでもあったが、もし開戦となれば、ハワイを占領する計画だったことまで記事に書かれていた。
「何も、ここまで話さなくてもいいのに…」
森下参謀長は不満そうだったが、小沢は、
「いや、アメリカ国民にとっても、政府の陰謀で、アメリカと日本が全面戦争になる可能性が大きかったわけだから、これくらいしないと、また、同じことが起こる可能性があるだろう…」
と、海軍省の判断に理解を示した。
日米交渉が再開される見通しが立ったことで、総理大臣となった近衛文麿公は、お役御免になり、そのまま枢密院顧問となった。改めて総理大臣の指名を受けたのは、駐英大使を務めた外交官の吉田茂だった。
吉田は、新米英派として有名な人物で、イギリスのチャーチルとも親交が深く、英語も堪能なため、日米交渉にはうってつけの人物だった。
日米交渉は、その因縁のハワイで昭和十七年初頭に実施されることになった。アメリカ政府は瓦解し、大統領は高血圧脳症で病死。その後は、副大統領のトルーマンが大統領代行となっていた。
トルーマンは、今回のアメリカ政府の謀略には一切加担していない人物で、日米交渉には、駐日アメリカ大使を務めたジョセフ・グルーが同席することになっていた。
グルーは、既に駐日大使を務めていた関係で、日本の歴史や文化への造詣も深く、皇室からの信頼も厚いアメリカ人だった。新アメリカ政府は、ソ連との関係も清算し、国を挙げてソ連のスパイ活動を封じ込める政策に転じていた。
アメリカの報道によれば、連日、ソ連のスパイ容疑がかけられた人間の逮捕が続き、かなりの自殺者が出ているようだった。容共主義者は、アメリカ陸海軍の上層部にもおり、彼らは挙ってスパイ活動を否定したが、容疑のかけられた将官、佐官たちの多くは、退役を迫られるか、地方に左遷されていった。
アメリカ議会は、これまでの大統領や政府の方針を洗い直し、改めて日本政府と「同盟関係」を結びたいとまで譲歩したのだった。
交渉は、ハワイのオアフ島の真珠湾が見える高台のホテルを貸し切りにして行われた。日本の代表者に真珠湾軍港を見せることで、友好の証としたのである。
出席した吉田茂総理大臣、東郷茂徳外相は、アメリカ大統領トルーマン、そしてグルー駐日大使と懇談し、アメリカ政府としての謝罪を受け入れた。そして、そこで日独伊三国軍事同盟の破棄と日米同盟の締結にサインをしたのだった。
アメリカ政府は、中国の蒋介石への支援を打ち切り、援蒋ルートをなくしたことで、蒋介石は、日本政府と和平交渉に及ぶことになった。
日本としても天皇の意向もあり、満州国を満州人の手による政治に返し、経済的支援は続けるが、政治的介入は禁止とした。また、中国本土からも随時撤兵を行うこととし、十年を目処に中国を蒋介石を中心とする民主主義国家とすることとした。
また、朝鮮や台湾も十年後を目処に独立国として承認することとなり、日本政府も急ピッチでインフラの整備をしなければならなくなった。
このニュースは、朝鮮や台湾の人々を喜ばせ、「独立」に向けて一斉に動き出した。
これによって、中国共産党は壊滅状態に追い込まれ、毛沢東を初め、共産党の残党はソ連に亡命していった。
ドイツとの三国同盟の解消により、ドイツは、改めて日本と交渉をしなければならなくなったが、日本の吉田首相は、ドイツのヒットラーに向けて書簡を送りつけた。
それには、
「貴国が、これ以上、平和と人権を蹂躙するのであれば、日本は、アメリカと共同して、貴国に反省を促す他はない。もし、貴国が過ちを認め、矛を収め軍を撤収するのであれば、速やかに国際会議の場に出て来られたし」
と、脅しとも取れる文章が書かれていた。
ヒットラーは、散々に日本を罵倒し悔しがったが、日米同盟の下では、要求を飲むしかなかった。
こうして、ヨーロッパは、ドイツにすべてを奪われる寸前に危機を脱したのである。
最後に、久里浜の結核療養所に隔離されていた山本五十六のことを書くが、日米交渉再開のニュースを聞くと、山本は、一人静かに微笑んだ…と担当の看護婦が後に証言している。
山本にしてみても、自分の若いころの過ちが、後の世まで人生を左右するとは思いもよらなかったのだ。スパイとも知らず近づいてくる者を安易に受け入れ、相手を利用するつもりで自分が利用されていたという事実は、山本にとってもショックだった。
博打好き、女好きの男が、自分を優秀だと思い込み、調子に乗ったつけが、久里浜の結核療養所だったとは、喜劇にもならない。
そして、家族を顧みなかったにも関わらず、妻の礼子だけは山本を気遣い、一日も早い回復を願ってくれたことに、心から感謝した。
そして、日米交渉が順調に進んでいるニュースを聞きながら、山本は、密かに持ち込んでいた拳銃で自分の胸を撃ち抜いた。
前連合艦隊司令長官、海軍大将山本五十六は、だれにも知られることなく、その生涯を自らで閉じた。五十九歳であった。
日米戦争を回避した小沢治三郎であったが、その後の戦いは苦難の連続だった。彼が安らぎの時を迎えることができたのは、それから四年後の夏のことだった。
完
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