老人の独り言6 「グローバル社会」にもの申す。

「グローバル社会」にもの申す                                 矢吹直彦

ここ二十年ほど「グローバル」という言葉が一人歩きを始め、これからの時代はグローバル化でなければ生きていけない…かのような論調で物事が進んで行っているようです。連日、マスコミから発信され、政治家や学者、活字などにその文字が躍ると、もはやグローバル化は「常識」になってしまいました。この意味は、「国際化」なのだそうですが、本当に人間は国際化することが幸せなのでしょうか。その点について、考えてみたいと思います。

1 貿易立国「日本」

確かに、日本という我が国を考えてみると、子供のころから日本は「貿易立国」だと教わりました。貿易をする相手は、世界の国々です。日本は、資源がありませんから、海外から資源を輸入して、それを加工した製品を売ることで国を発展させてきました。しかし、それは明治時代以降の話であって、ここ百年程度のことです。それまでは、リサイクル、リユースというような、循環型社会で、国内ですべてを賄っていました。なぜなら、稲作中心の農業社会だったからです。それが、近代化という名の下に工業化社会に転換し、資源を海外に頼る政策を打ち出したのが、明治という時代です。当時は、帝国主義の時代ですから、日本が「富国強兵」政策を採ったのは仕方のないことですが、国としては相当に無理をしたことは事実です。農業を棄ててしまった人々は、工業の中でしか生きられなくなりました。そして、工業は生活の便利さを人々に実感させてくれたのです。しかし、脆弱な日本の工業は、アメリカの封じ込め政策によって破綻し、遂には戦争へと引き摺り込まれてしまいました。そして、三百万人もの死者を出して、明治からの日本は崩壊しました。本当なら、そこから元の農業社会に戻るところが、世界の情勢がそれを許さず、日本は再度、工業化の道を突き進みました。あの戦争によって軍隊や海外の権益を失った日本は、逆に身軽になり、経済の発展にのみ力を注げばよくなったのです。強かな政治家たちは、敗戦とGHQの占領政策を上手に利用して、弱い立場を強調し、経済大国にのし上がっていったのです。戦前の日本は、経済小国、軍事大国でした。しかし、戦後は、経済大国、軍事小国です。今の中国は、経済大国、軍事大国ですが、それでも発展途上国という発展小国という切り札は離しません。要するに、グローバル化していくことで経済大国を維持したい…と言うのが、日本の立場だということです。本当のところ、世界中の人々がグローバル化を望んでいるかどうかはわかりません。発展途上国の政治家は、先進国から借金を重ね、目に見える社会の発展で権力を保持しようとします。その一方、借金のかたに重要な港や領土を相手国に売り渡すようなことをしています。それでも、自分の権力保持のためなら構わないという国もあるようです。まるで、時代劇に出てくる阿漕なヤクザの金貸しのようです。グローバル化を進めたいのは、おそらく、一部の先進国がそれを望み、世界の金融界がそれを望んでいると言うことなのでしょう。それがすべてだ…と考えてしまうと、また、怖ろしいことが起きてしまうかも知れません。

2 地球市民思想

前の政権時代に、某総理大臣が「友愛」という言葉を掲げたとき、「地球市民」なる造語を使用していたような記憶があります。これは、「世界から国民という概念を無くそう」という運動だったのでしょう。つまり、世界から国という集団と組織を無くし、すべて地球政府に属する「市民」になろう…というものだったのだと思います。しかし、これをグローバル化に当て嵌めて見ればよくわかります。日本も中国もアメリカもなく、すべてが地球政府に属する同じ地球人だ…ということなのでしょうが、後、一千年後の話を聞くような気持ちがしました。これを自国の総理大臣が語ったものだから、非常に驚きました。しかし、現実的に考えると、たとえこの思想が素晴らしいものであったとしても、実現は不可能です。なぜなら、世界中の人々が国を棄てることになるからです。人種も言葉も歴史も宗教も習慣も異なる人間が、毎日、隣同士で仲良くできるはずがありません。考えてみてください。ひとつのアパートに習慣の異なる人々が住めば、軋轢が起きて当然です。それは、善悪の問題ではなく、生活習慣の問題です。おそらくは、連日、違う言語で罵り合い、啀み合う姿は容易に想像することができます。極端な例かも知れませんが、グローバル化の行き着く先はそんなものでしょう。もし、SFの世界のように地球外の星から強大な侵略者が現れて、地球征服をねらって来るとなれば、地球連邦政府が一時的に作られるかも知れません。そして、世界中の軍事力をもって、異星人と戦うのです。そして、地球の半分ほどが壊滅し、人類の半分ほどが死滅すれば、地球政府や地球市民は可能になるかも知れませんが、今の段階では、正直不可能です。それを現実の政治の中で堂々と掲げられても、国民がついて行かれなかったのは、当然だったと思います。「自分だけは、そんな小さなアパートに暮らすことはない」という確信がある人だけが、だれも見ようともしない「夢」を語るのだと思いました。

3 国際連合が機能しない

今、日本人で、国際連合という組織を信用している割合はどのくらいいるのでしょうか。最近では、WHOの新型コロナ対応問題がありましたが、世界保健機構という割には、あまり科学的ではなかったようです。当初、理由は知りませんが、新型コロナウィルスを「たいしたことはない…」といった程度の発言を繰り返し、世界中の人々に感染が拡散していきました。日本政府も当初は、WHOの見解を信じ、政策を採っていたように思います。さらに、感染を防ぐ手段として「マスクは効果がない」とまで発表しておきながら、今では、「マスクは有効」と言葉を翻し、世界を混乱に陥れました。一部の報道では、中国に忖度しているんじゃないか…という噂すら流され、対応も後手に回っています。そして、遂にはアメリカが脱退するとまで怒りを表しました。また、韓国による「従軍慰安婦問題」も、国連は十分に確かめもせず、日本への非難決議まで出す始末です。韓国のロビー活動が成功したという話もありますが、国連の委員も碌に確かめもせず、何を贈られたかは知りませんが、間違った情報に軽々と載せられるようでは、国際機関とは言えないでしょう。最近では、韓国内でも「慰安婦問題」で反対運動が起きたり、中心人物の数々の疑惑が暴露されたりと、かなり怪しい状況になってきています。そもそも、国際連合なる組織が、第二次世界大戦の思想から何も変わっていないことが問題なのです。日本やドイツは未だに敵国として扱われ、重要ポストに就くこともできません。それに、中国やソ連、アメリカなどの戦勝国が常任理事国の役員席を手放そうともしません。今の中国対アメリカ、ソ連との関係などを見たとき、同じ方向を向いて世界平和を目指しているとは、到底言えないでしょう。特に常任理事国の中国の軍事侵略、少数民族への人権侵害、弾圧、虐殺等の蛮行は、本来、国連が非難し除名勧告をしてもいいくらいの大問題です。しかし、今や国連の中心は、中国に移っています。人と金を贈られた国連は、今や中国の代弁者になってしまいました。日本でさえ、尖閣諸島や竹島、北方領土などの国際問題があるのに、国連が中国や韓国に対して非難決議をしたという話もありません。調査さえもしていないと思います。第一次世界大戦後にできた国際連盟でさえ、日本の満州問題も調査し、リットン調査団は、国連の場で報告しています。あのとき、日本はその調査結果を不服として国連を脱退してしまいましたが、その調査自体は、かなり丁寧に調べてあったといわれています。それでも、国際連盟は機能することなく、第二次世界大戦を迎えてしまいました。結局、各国の利害関係の中で作られた組織ですから、それほど有効に機能するはずがないのです。一時、日本の政治家たちは、「国連中心主義」などと言って、国連の決定を恰も神の言葉のように扱おうとしましたが、今、そんなことを言おうものなら、日本では変人扱いされてしまいます。そろそろ、国際連合も解散し、新しい国際組織を立ち上げる時期かも知れませんが、それも結局は、各国の利害関係の中で形骸化していくのでしょう。

4 グローバル国家の破綻

ヨーロッパにEU(欧州連合)が誕生したころ、それが恰も国際平和の実現に寄与するかのような報道がなされました。小さな国が集まって経済統合を行い、新しい秩序の下で豊かな経済圏を創設する…。なんて、すばらしい発想だろうかと多くの人々が賞賛しましたが、今や、そのEUも破綻寸前です。よく考えてみれば、「みんな平等に豊かに…」というフレーズは、共産主義国の宣伝広告のように見えます。しかし、共産主義国の実態は、「みんなが不平等に貧しく…」になっていくことが、わかってきました。そして、あれほど世界戦略に勝利していたはずのソビエト連邦は、アメリカとの経済戦争に敗れて崩壊してしまいました。第二次世界大戦直後、ソ連は世界で唯一勝利した国だったはずです。仇敵ドイツは崩壊し、東ヨーロッパや中国を共産化させ、アメリカの国力を戦争で削いだのです。あのときのソ連の領土や支配地は、歴史上一番大きかったはずです。日本を屈服させたことで、太平洋への扉もこじ開けることができたのですから、世界征服は目前でした。あのアメリカでさえ、政府や大統領はソ連のシンパで、共産主義化する寸前だったはずです。第二次世界大戦終結後の世界をどのようにするか…といった話し合いを行ったヤルタ会談では、スターリンの思うがままの話し合いに終わったという記録があります。要するに、昭和前期の世界は、実質、共産主義者が世界を支配していたのでしょう。ところが、戦後、ソ連の実態がわかってくると、夢のような共産主義国家だったはずのソ連国内では、政治的には主導権争いが続き、暗殺事件も度々起きていました。国民は貧しく、生産性は上がらず、ソ連製の製品は世界では売れませんでした。軍事力だけが突出し、世界の強国にのし上がりましたが、国民は搾取されるばかりで、豊かにはなりませんでした。その上、一部の政治指導者は特権階級層を作り、富を独占する始末です。政治は腐敗し、国内政治の闘争も酷かったようです。結局、ソ連の共産主義体制ではうまくいかず、体制を変革しようとして失敗し、国の崩壊につながりました。しかし、この共産主義思想は、なかなか消えてなくならないものです。今の世界最大の共産主義国は中華人民共和国ですが、既に報道されているとおり、軍事的圧力、人権無視、世界征服の野望…と、その素顔を隠そうともしません。隣の北朝鮮も同様に、国民無視の軍事大国を目指しています。それでも、なお、共産主義が素晴らしいと唱える政治団体があること自体が不思議でなりません。どこに、そんな魅力があるのでしょうか。人の思想信条は自由ですから、それも仕方がないと思いますが、いくら考えても「おかしい」としか、言いようがありません。結局、ヨーロッパは、貧しさ故に統合という形を取りましたが、一部の豊かな国が貧しい国を支えることでしかなく、イギリスのように国民の不満を抑えきれず、脱退するという選択をするしかなくなったのです。そのうち、イギリスに追随する国も現れることでしょう。これで「経済統合は成功した」とは、だれも言えないと思います。グローバル化という言葉の響きは、一見、いいことのように聞こえますが、現実的に考えると、それは無理だと思います。日本が日本でなくなることを容認できる日本人は、少ないのではないでしょうか。

5 和魂洋才の国際化

明治初期も敗戦直後も、先進国の技術や思想に感銘を受けたインテリ層の中には、「日本もそうなりたい」と強く願う者が現れました。明治期には、廃仏毀釈が堂々と行われたことは、歴史の事実として教科書にも載っています。昔からの名刹を不要なものとして、容赦なく叩き壊すといった蛮行を繰り広げたのも明治維新を成し遂げた地域の人々でした。先祖が、大切に守ってきた歴史や伝統を、たった一晩で覆す思想は、どこから生まれたのでしょうか。もちろん、多くの人々は、そんな行為に眉を顰め、「怖ろしい時代になった」と体を強ばらせたと思いますが、国が政策として進めれば、それが正義になります。その上、「日本語排斥論」まで登場し、「国語を英語にせよ」と唱えたのも、有名な明治の偉人の一人です。大東亜戦争敗戦時にも、「国語をフランス語にせよ」と唱えたのは、有名な文学者でした。国民の多くは、インテリ階級の人々は、頭も優秀で人格も優れていると思いがちですが、そんなことはありません。名も知らない地方の一老人の方が、的確に情勢を分析しているものです。それは、知識などではなく、長年培ってきた経験と独特の勘によるものです。地位や名誉があり、金銭的に裕福なインテリ層は、経験や勘を無視します。そんなものより、時代の流れを読み、その時流に乗ることこそが出世の糸口なのです。要するに、世界の強い者に靡き、長い物に巻かれる…といった日和見主義です。現代のマスコミや学者の中には、そういう人物が多く登場してきています。甚だしい勘違いですが、自分が一旦「偉くなった」と思い込むと、国民の考えなど軽視し、自分の村だけで通用する論理を振りかざします。最後は、世論に叩かれて下を向くだけの小さな存在なのですが、風を読み間違えると、とんでもないしくじりになることがよくあります。グローバル化主義者が大勢いるときは、それを主張し、逆にグローバル化が廃れれば、一切口にしなくなります。そして、次の波に乗ろうと足掻きます。こうしたインテリ層を国民は、もう見抜いているのです。昔のように、〇〇大学とか、〇〇省といった肩書きで国民を信用させようと思っても、もう無理だと思います。日本人は、どんな時代になろうと日本人なのです。魂が日本人である以上、それを棄ててまで国際人になろうとは思いません。頭脳明晰で英語が堪能なエリートが、国際人ではないのです。日本人の心を持った普通の国民が、社会を構成しているのです。そんなにグローバル化した国際人になりたいのなら、どうぞ、国を離れることをお勧めします。そして、国際人として世界を相手に戦ってください。それが、唯一の生きる道だと思います。

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