架空戦記 大和民族の誇り Ⅱ
プログラム№2「バトル・オブ・ブリテン・大和飛行隊」
矢吹直彦
第一章 日米首脳会談
昭和十七年一月末日、日米交渉が再開された。
それも場所は、ハワイオアフ島のホテルである。そのナショナル・アロハ・ホテルは、オアフ島の高台にあり、真珠湾が一望できた。随行員として吉田茂首相に同行した小沢治三郎大将は、あの日のことを思い出していた。
あのとき、永野修身軍令部総長と吉田善吾海軍大臣、そして、それをバックアップした伏見宮博恭王大将がいなければ、間違いなく戦争になっていただろう。そうなれば、今頃は、南太平洋で日米軍が激突し、日本海軍も多大な犠牲を払うことになっただろうことは、容易に想像することができた。
そして、あの日、我が機動部隊と戦艦部隊が、空と海からこの真珠湾を包囲し、多くの犠牲を出しながら占領していたら、戦争は終わっていたのだろうか…?。
南国の抜けるような青空を見ながら、小沢はそんなことを考えていた。
小沢たち連合艦隊のハワイ攻撃隊が無事に帰還すると、小沢は、早々に海軍省に出頭するよう命じられていた。
またもや、新聞記者たちの眼を眩ますように内火艇で広島港に着けると、そのまま自動車で飛行場に送って貰い、輸送機で羽田に飛んだ。
「また、急な呼び出しか?」
「帰ったばかりだと言うのに、海軍は人使いが荒い…」
そんなことを呟いていると、副官の安西主計中尉が、
「それだけ、長官を頼りにしているんですよ…」
「もし、あのとき機動部隊と戦艦部隊が出撃していなかったら、アメリカをあれだけ脅すこともできませんでしたからね…」
「あれは、痛快でした…」
安西は、海軍経理学校を出て艦隊勤務に就いて一年ほどで、長官付副官になった若い将校だった。本当は、兵学校が希望だったのだが視力検査で引っ掛かり、経理学校を受け直したという男だった。
主計科士官でありながら、剣道三段の猛者である。そのため、小沢のボディガードの役割も担っていた。
まあ、小沢にすれば、実戦でやれば自分の方が強いという自負もあったが、五十代半ばの人間と二十代前半の人間では、体力が違うのも当然だった。
それに、安西は、英語も堪能で通訳も兼ねることができた。そのため、どこに行くにも、小沢の側を離れたことがない。
それに、事務仕事より副官任務の方が向いているのだろう。
小沢にしてみれば、自分の子供くらいの人間を連れていることになる。
「それも、面白いか…」
最近では、そんな余裕も持てるようになっていた。
海軍省に到着すると、早速、吉田善吾海相の部屋を尋ねた。そこには、軍令部総長の永野修身大将も笑顔で待っていてくれた。
二人は、今回の小沢の活躍を高く評価し、
「いやあ、小沢さんのお陰で助かったよ…」
「我々は、アメリカには、直接、連合艦隊がハワイ沖に向かったとはひと言も漏らさなかったんだが、その動きをFBIが掴んでいたらしいのだ…」
「どうせ、日本側の動きを察知した何者かが、ルーズベルトを裏切ったのだろう…」
「だから、彼らも君たちがハワイ近海まで到達したことは掴んでおり、慌てた矢先に、あの東郷外相の海外向け放送だからな…。そりゃあ、吃驚しただろうよ…」
「もう、あの時点でアメリカは万事休すだったのさ。もし、強気であの東郷メッセージを無視すれば、ハワイは風前の灯火だったのだからな…」
「あの時点で、いくら太平洋艦隊に警戒命令を出しても、もうどうしようもなかったはずだからね…」
「ただし、こちらも長い戦争を覚悟しなければならなかったがね」
「とにかく、作戦成功を祝して、今夜は一杯やろうじゃないか…」
今日の海軍省は、みんな穏やかで明るい雰囲気に満ち溢れていた。
小沢も、少し気を緩めて寛いだとき、吉田海相が、話し始めた。
「ところでだ。次は、日米首脳会談になる。戦争は回避しても、ヨーロッパでは、ドイツが破竹の進撃を続けているからね…」
「新生アメリカ政府も、頭が痛いところだろう」
「そうなると、会談の内容は、日本への経済的封鎖が解かれ、自由貿易が復活することと、もうひとつ、ドイツとソ連問題だ」
「おそらくは、日米同盟を締結して、一緒にドイツを叩いてくれないか…という相談になるに違いない」
「ソ連も厄介だが、アメリカも経済援助を打ち切るそうだから、そう簡単には動けまい」
「日本も正義と世界平和を世界中にぶちまけた以上、知らんぷりもできないしな…」
「新しいトルーマンという大統領が、天皇陛下に親書を送って来るかも知れないのだ…」
「そこでだ。小沢さん、ご苦労だが、吉田総理と一緒にハワイに行っては貰えまいか?」
「君は、今や救国の英雄になっているんだから、海軍としては君に全権を委ねたい」
「陸軍からは、栗林忠道中将に行って貰うつもりだ。これは、東条陸相にも了解は取ってある」
「そう言うわけだから、もうひと働き、頼む」
そう言って、二人から頭を下げられ、小沢は渋々ながら承諾をさせられてしまった。
部屋を出ると、副官の安西中尉が待っており、
「今、下で伺いました。日米首脳会談ですか…。大変な仕事ですね」
と、他人事のように言うものだから、小沢は、
「ばかもの!」
「貴様も一緒に行くに決まっているだろう…」
「これから、益々忙しくなるぞ!」
そう言われて、安西中尉は、首を亀のように引っ込めてしまった。
まさに、この一月は、日本だけでなく未来の世界を築く一大事業になるはずだった。
そうなると、準備で大わらわになった。
日本側は、吉田茂首相、東郷茂徳外務大臣を正使として派遣し、副使として、海軍の小沢治三郎大将、陸軍の栗林忠道中将が随行することになった。それに通訳や補佐官など、随行員は二十名ほどになり、移動は、万全を期して連合艦隊の旗艦となった「大和」が指名された。
新鋭艦大和は、巨大戦艦として建造されたが、小沢は、この戦艦を最大限に利用しようと考えていた。旗艦として「ホテル」にするつもりは毛頭なかった。常に艦隊の先頭に立ち、連合艦隊司令長官の「率先垂範」の姿を見せるつもりだったのだ。そういう意味では、頼もしい相棒を手にしたような気分だった。
航空時代を迎えたとはいえ、大鑑巨砲主義は世界の海軍の主流であった。それに、真珠湾攻撃が行われていれば、この大和の主砲が真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊を粉砕するはずだったのだ。
そう考えると、日本を代表する軍艦として「大和」は欠かすことができなかった。
小沢にしてみれば、連合艦隊司令部が長門から大和に移ったとはいえ、艦内生活に慣れてきた大和であれば、乗組員の技量も知っているだけに、高柳儀八艦長や森下信衛参謀長に航海のすべてを委ねることができる…と、ひとつの安心材料となった。
特に大和乗組員は、各海兵団から選抜された優秀な兵隊が配属されていた。そして、各指揮官には、その道の専門家が配置された。
小沢は、
「これだけの人間を集めた艦だ。簡単に沈めるわけにはいかない。これを生かすも殺すも、所詮は人間だからな…」
小沢は、大和の甲板を歩きながら海を眺めるのが好きだった。
大和の甲板は広く、飛んでも走ってもぶつかることはない。ここから見る瀬戸内の風景は美しく、ぼんやり佇んでいると、軍人であることすら忘れてしまうような優雅さがあった。
そんなとき、夕陽が赤く映えた大和は、鋼鉄の兵器ではなく、優しい母の面影を見る思いがした。
小沢は、母親を早く亡くしているせいか、時々、そんなことを思い出すことがあった。それは、だれにも語ったことはないが、「それも、治三郎という人間なのだ…」と考えるのだった。
昭和十七年一月三十一日。ついに、日米首脳会談が予定通りに行われた。
場所も、オアフ島の高台に佇む高級ホテルである。
一歩中に足を踏み入れてみると、まずは、その豪華さに驚かされた。海をモチーフにした高級な絨毯の上に土足で入ることに、日本人ならだれもが躊躇いを見せるだろう。
使われている家具や調度品もイギリス貴族の館を思わせるようなアンティークな物ばかりだった。そこに立つ従業員も、背が高く端正な顔立ちの者が多く、女性も日本人から見れば、絶世の美女ばかりに見えた。
小沢も日本人の中では、比較的背が高い方だが、それでもフロント係の男性とは、十㎝は違うだろう。辛うじて、副官の安西中尉が、その体つきで対等に話ができるかも知れなかった。
それ以外の男たちは、やはり貧弱に見えたが、その眼光だけは、サムライとしての威厳を保っていた。
ここに、日本側から吉田首相、東郷外相、小沢海軍大将、栗林陸軍中将が出席した。
アメリカ側からは、新大統領トルーマン、駐日大使グルー、ニミッツ海軍大将、そしてマッカーサー陸軍大将が出席した。
だれもが、いずれは歴史に刻まれるような大物ばかりだったが、外交になれている吉田首相や東郷外相は、彼らにも気安く挨拶し、流暢な英語を駆使したジョークも交えて会話を楽しんでいるようだった。
陸軍の栗林中将も駐米武官が長かったこともあり、英会話は何の苦労もないようだった。小沢は、海軍将校だから、当然、基礎はあるが、彼らのようなわけにはいかない。通訳兼ボディガードの安西中尉が常に寄り添っていた。
小沢が、
「おい、安西。大丈夫だとは思うが、頼むぞ…」
と、声をかけると、
「OK!」
と、笑顔を見せるので、「慣れるのが早いな…」と感心したが、心の中では、
今時の若い者は…と苦笑していたが、安西は気づかなかったようだ。
四人が顔をロビーで合わせると、ニミッツ大将が小沢に近づいてきた。お互い軍人は、夏服の軍服を着用していた。そして、まずは、儀礼的な挨拶を交わした。すると、そのニミッツは、
「あなたが、ミスター小沢か?」
と尋ねた側から、
「まさか、ハワイ沖にあなた方がいるとは、思いも寄らなかった。まるで昔のペリー提督が日本を訪れたときのような衝撃が私にはあった。さすが、ゼネラル小沢だ…」
そう言うと、笑顔で握手を求めてきたのだ。
小沢は、素直に、「それは、申し訳なかった…」と謝罪の言葉を口にしてニミッツの手を強く握り返した。
もし、これで戦争にでもなっていれば、この男こそが、最大の敵になるところだった…と、小沢は、その意思の強そうな面構えを見た。
おそらくは、ニミッツも同じことを考えていたのだろう。口元には笑みが見えたが、眼はけっして笑ってはいなかったからだ。
すぐ側では、マッカーサー大将と栗林中将が談笑していた。栗林中将は、駐米武官としての経歴が長く、英語が流暢である。
二人はすぐに打ち解けたようで、マッカーサーは、昔、日本に行ったことがある…と京都や神戸などの話で盛り上がったようだ。それでも、「日本陸軍は、どんな組織か…?」などとたわいもない会話の中に探りを入れてくるので、栗林も、心を許すことはなかった。
安西は、当初こそ小沢の側にいたが、会話が日常会話なので、少しずつ離れることにした。小沢にそう告げると、一人、ワインのグラスを手に、窓辺から真珠湾を眺めることにした。この日の真珠湾は、青空の中で太平洋艦隊の艦艇が所狭しと並び、航空母艦も二隻が入港しているのが見えた。
それでも、副官らしく、周囲に気を配りながら会場内を見回しているのは、いつもの癖のようなものだった。
元々、安西中尉は東京で貿易商を営む家に生まれていたので、外国人には慣れていたのだ。母親も神戸の商人の家に生まれ、父とは見合いだが、そうした商人どおしの付き合いの中から、だれかが縁をつないだのだろう。
どちらの家も海外との取引が多く、特に母方の家は、神戸港を拠点に世界の各国との取引があったようだ。
そのためか、安西自身はミッション系の私立学校に通い、自分で世界中を旅したい…という考えから、海軍軍人を志したのだった。しかし、視力が弱く、やむなく海軍経理学校から主計科将校となっていた。
まあ、兵科でない分、それほど堅苦しい軍人教育は受けておらず、経理学校は、どちらかというと、その仕事の関係上、高いコミュニケーション能力を求められた。そのせいか、安西は、物腰が柔らかく、今すぐにでも商人ができそうな雰囲気を持った男だった。
傍から何気なく見ていても、軍服は日本の物だったが、その仕草は不思議とアメリカ人ふうに装っているから不思議である。
小沢は、「あれが、本当の奴の姿かも知れんな…」と感心しながらも、「人には、人の特長というものがあるもんだ…」と自分の人を見る眼を反省するのだった。
正式な会談は、翌日だった。
アメリカ人は不思議なもので、そんな前の晩でもパーティをやり、日本に対してわだかまりなどないかのように振る舞う。それは、大統領になったトルーマンも同じだった。
つい最近まで大喧嘩をしていたような二人が、誤解が解けたからといって、そうすぐにフレンドリーになれるもんか…と思うが、欧米人はそうでもないらしい。
あのにこやかなアメリカ人の姿を見ていると、昔から親密な関係のようで、意外と油断ならんな…とも勘ぐってしまうのは、日本人の悪い癖なのかも知れない。
小沢がそんなふうに見ていると、吉田首相は、
「小沢さん。これが国際舞台だよ。こんな冗談を言い合いながらも、しっかりと腹の探り合いをしてくる。アメリカの今のねらいは、日米同盟を締結して、アメリカが主導権を握ることにあるんだ…」
「そして、その鍵を握るのが、日本海軍の底力なんだよ…」
「奴らは、私にも戦艦大和の性能を聞きたがっている」
「そんなことは、軍人に聞け!と邪険にしてやったが、こっちが下手に出ると調子に乗るのが、奴らの悪い癖だ…」
「それにしても、あれをハワイまで持ってきたのは、正解だったな…小沢さん」
「奴ら、大和を見て腰を抜かしたらしい」
「しきりに写真を撮っていたが、ニミッツは、海軍軍人らしく興味津々だ…」「あれを生かすも殺すも、小沢さん、あんた次第だよ…」
「あんたの名前は、こっちでも有名だ。アメリカを屈服させた提督だとさ…」
と、外交官らしい洒脱な語り口で、小沢に囁いた。
「そうか、やっぱり大和は、使い方次第って言うわけだ…」
小沢は、そんなつもりで大和をハワイまで持ってきたわけではないが、どちらにしても、形で見せるのは悪い方法ではないということだ…と密かにほくそえむ小沢だった。
その晩遅く、正使と副使の四人、そして随行の森下大佐、陸軍の八原博通中佐が加わって、最終打ち合わせを行った。
陸軍大本営参謀の八原もアメリカ駐在武官を務めていた若き戦略家だった。そういう意味で、副使の栗林中将とは相性がよかった。彼も英会話が堪能で、その知的な風貌と併せてハワイでは、人気者になっていた。
森下参謀長は、相変わらず飄々としていて掴み所のない人間だったが、敵の懐を探るのは上手かった。
既にこの会議も十回に及び、日本からハワイまでの航海中、連日シュミレーションを行い、アメリカの意図を想定して議論を重ねてきたが、実際のアメリカ首脳を見て、修正するところは修正しようという意図で行われた。
まず、口火を切った、首相の吉田茂である。
吉田は、
「やっぱり、日本には欧州大戦に参加して欲しいようだ…」
「それには、やはり海軍だろう」
「あれだけの強力な艦隊を見せられれば、嫌が応もない」
「おそらくは、インド洋に出て行って貰って、アジアと中東をドイツから守って貰いたいというところだろう」
「それに、航空機だ」
「既に、日本の零戦については、承知しているようだった」
「あの六隻の航空母艦を見せられれば、自ずと、航空戦力もわかる…」
「要するに、航空機をアジア経由でヨーロッパ戦線に投入してほしいというところだ」
「陸軍部隊は、アジアの守りとソ連の動きを封じ込めることだろう」
「どうかな…、こんな分析をしてみたが…」
すると、東郷が言葉をつないだ。
「総理の言うとおりですな…」
「それで、我々は、どこまで押しますか?」
「やはり、公約通りにいきますか?」
公約通りとは、あの日の東郷メッセージのことを指す。
日本は正義と世界平和のためなら、どんな譲歩でも行う…というあれである。
そこで、小沢は発言を求めた。
進行役を務める吉田首相が、小沢を指名すると、
「私は、東郷外相のあのメッセージどおりに行い、日本が正義の実行者だということを、世界にアピールすべきです」
「それは、出発前に、陛下からも念を押されたではありませんか…」
「ここで駆け引きをすれば、確かに大きな利益を得ることができるかもしれません。しかし、それが世界中に報道されたとき、あの演説の真意が疑われます…」
「日本は、情報戦争に勝利した。それで、いいではありませんか」
すると、陸軍の栗林中将も、小沢に同意した。
「私も、小沢大将に賛同いたします。アメリカ人は、ああ見えて正義感が強い人も多いのです。せっかく、前大統領の陰謀が暴かれ、アメリカに正義を取り戻そうというときに、不誠実さは、日本国の汚点になります」
「ここは、陸軍も中国大陸から撤退いたします。満州も台湾も、朝鮮も十年後には、彼らに政治が委ねられるよう尽くそうではありませんか」
「そして、日本は世界中のどの国とも対等な貿易を行うのです。そして、世界中のどの国よりも繁栄していくのです」
「そのためには、日米同盟を結び、世界侵略を目指すドイツを倒し、共産主義を拡散したソ連を封じ込めましょう…。それが日本の戦いです」
普段、無口な栗林中将にしては、自分の信念を吐露した瞬間だった。
すると、吉田首相が、
「そうだな…。両将軍がそう言うのだから、それでいいのだろう」
「しかし、小沢さん、栗林さん。これからが大変ですぞ…」
「敵は、あのヒットラー率いるナチスドイツだ。簡単な相手じゃない」
すると、二人は、
「はい、承知しております」
「日本には陸海軍があるのではありません。日本軍があるのです」
そう言って、小沢は栗林の手を強く握りしめるのだった。
日本の方針が決まると、後は、具体的にどう動くかであった。
今度は、参謀役の森下大佐と八原中佐の出番である。
今回の会談に海軍側が大将の小沢と大佐の森下を送り込み、陸軍側が格下の栗林中将と八原中佐を送り込んだのにはわけがあった。
陸軍にしてみれば、今度の主力は海軍だということは明らかだった。陸軍は、いずれ中国大陸や満州からの撤兵を考えれば、軍縮となる。そこで、陸軍が打ち出した方針が、「近代陸軍」への大転換だった。
せっかく、アメリカの支援を受けられるのであれば、陸軍の歩兵や機甲部隊の近代化を図り、ドイツ陸軍のような強力な兵器を保持したいと考えていた。そうなれば、海軍のように少数精鋭主義で人員のかかる経費を機械化に注げる。そこで、ここは海軍に華を持たせ、陸軍は戦略家の二人を送り込んだというのが、本当のところだった。
実際、陸軍の二人は、この構想を政府と海軍側に打ち明けており、了承をえていたのだった。
八原は、
「それなら、陸軍は、二式戦鍾馗を出しましょう。零戦が出るのであれば、一式戦は不要です。その点鍾馗は日本初の迎撃戦闘機です。基地や市街地への空襲など、爆撃機への攻撃なら鍾馗はうってつけです」
「それに、派遣となれば、正規軍ではなく、義勇隊が適当だと思います」
そう話す、八原の顔を全員が見詰めた。
「義勇隊か…?」
「それで、兵隊たちは志願してくれるかね…。日の丸は付けられんぞ」
吉田首相が訝しんだが、そこに森下が発言した。
「いや、日華事変のときもアメリカはフライングタイガースをいう義勇航空隊を戦線に投入しています。あれには、海軍もけっこうやられましたからね…」
「それに、義勇隊なら、すぐにでも編成し出撃させられますが、正式な国軍となると、正式な宣戦が必要になります」
「それに、今の日本には、正義と国際平和という旗印があります。この醜い戦争の時代に、世界に先駆けて日本の義勇兵たちが、それを背に最後の決戦場に向かうのです。だれが、怯むでしょうか?」
「日本男児は、世界の人々の願いを背負って戦うのです。怯む者なのおりません!」
あの、飄々とした森下が毅然とそう答えたのには、小沢も驚いた。しかし、同じ軍人として、小沢も同意見だった。栗林も八原も強く頷くのが見えた。
「できますか、総理?」
吉田は、しばらく考えていたが、ん…と声を漏らしてから顔を上げると、
「わかった。義勇隊で行こう!」
「君たち軍人が、そう言うのなら、きっとそうなのだろう…」
「それでこそ、日本男児に違いない!」
こうして、四人の腹は決まった。後は、アメリカとの交渉に臨むだけである。
明日の日米首脳会談は三時間に及んだが、会談は始終和やかな雰囲気の中で無事に終わった。
アメリカも、日本が、ここまで譲歩し、その上、日米同盟が締結できたことに満面の笑みを浮かべた。
トルーマン大統領は、取材陣を前に、
「本日、日米同盟が締結された。一時は、両国に誤解があり、戦う寸前にまで至ったが、こうして誤解が解け、民主主義を標榜する両国が手を携えられたことは、アメリカにとっても光栄の極みである」
「日本政府は、これから、我々と共に正義と世界平和のために戦うことを誓ってくれた」
「アメリカ国民のみなさん。私は、大統領として国民のみなさんと世界中の人々に訴えたい。不正義を許すな!平和は、努力なくしてやっては来ない!」
それは、アメリカが日本と結んで、ドイツと戦い世界に「正義と平和」の旗を大きく掲げることを宣言した演説であった。
この日米首脳会談のニュースを聴いたアメリカ連邦議会は、日本の振る舞いに改めて敬意を表するメッセージを天皇宛に送った。そして、国民は、正義のためにドイツと戦うことを承認したのだった。
アメリカの女性たちは、
「本音では、イギリスもフランスも助けたいのよ…。だって、親戚も向こうにはいるんだから…」
「でも、嘘を吐かれて戦争に参加するのは嫌!」
「日本の振る舞いを見て、感動したわ…。日本と一緒なら、アメリカは間違いなく正義よ!」
そんな声が各新聞社に何万通と届くのだった。
その声は、瞬く間に全世界に広がり、ドイツ国民をさらに動揺させたのだった。
それまで、ヒットラーの演説によって「ドイツが正義だ!」を思い込んでいたドイツ人の中には、ヒットラーの戦争を肯定できない者が現れたのだ。
ナチスドイツは、ゲシュタポを使って反対する人々を根こそぎ拘束し、収容所へと送ったが、そんな恐怖政治だけでは、国民の支持を得られなくなっていたのだ。そして、ドイツ国内にもレジスタンスの組織が誕生し、軍人たちの中にも、秘密組織に内通する者が現れていた。
第二章 連合艦隊、インド洋へ…
日米首脳会談を無事に終えた一行は、戦艦大和に乗り込み、横須賀軍港へと帰還すると、天皇に会談内容を報告した。
吉田首相以下四名は、参内し、直接、陛下から「ご苦労でした…」とのお言葉を賜った。そして、一行と別れた小沢は副官の安西中尉を連れて旗艦大和へと戻ると、次の作戦のために母港である呉基地に向けて横須賀を離れたのであった。
首脳会談で出た日本海軍への依頼は、インド洋に遊弋するドイツ海軍のUボートの制圧と交通路の安全確保であった。
ドイツ海軍は、地中海だけでなく、大西洋、インド洋に百隻を超える小型潜水艦を配備し、交通遮断作戦を行っていた。これは、第一次世界大戦時にもドイツ海軍が行った作戦で、これにより多くの輸送船や客船が撃沈されていたのだ。
今回は、さらに性能を向上させたUボートが単艦で自由に動き回り、輸送船と見ると手当たり次第に攻撃をかけるので、大西洋、インド洋を利用する船舶が航海出来ずに困っていた。それに、この交通路が遮断されると、イギリス支援の物資も運べないことになる。
ドイツ海軍は、艦隊決戦による決着を望まず、こうした暫時撃滅戦を海軍には命じていたのだった。
それにしてもUボートは、ドイツの科学技術を投入し、既に高性能魚雷、ソナー、レーダーなどを装備し、最近では、敵船のエンジン音を感知するホーミング魚雷まで装備した新型艦を投入した話も聞いていた。
連合国軍も、このUボートの撃沈に多くの駆逐艦や駆潜艇を配備したが、逆にこちらがやられてしまう有様だった。
Uボートの大きさは、日本のイ号潜水艦の三分の二程度の小型艦で、日本ならロ号級であった。しかし、エンジン音が静かで、日本製の探知機では捕捉が難しく、レーダーと共に、ソナーもアメリカから提供を受けての出撃になった。
それに、ヨーロッパを席巻したドイツ軍は、その矛先を中東からアジアへと向け始めていた。
スエズ運河は、大型艦が通るにも無防備になるため、ドイツ海軍もなかなかインド洋には出て来れなかったが、Uボートなら、自由自在である。もし、これから、船舶の被害が益々増大するようになると、イギリス初め、ヨーロッパの連合国にとって大きな痛手であった。
このインド洋作戦には、欧州大戦の勝敗を左右する大きな鍵を握ったことになる。
そもそも、ドイツは、アメリカが参戦してくることに脅威を感じていた。第一次世界大戦も、アメリカの参戦さえなければ、ドイツが勝利したと考えていたのだ。しかし、日本との軍事同盟では、日本がアメリカと戦争になれば、自動的にドイツはアメリカと戦う約束になっていた。
ソ連を牽制するために、やむなく日本と同盟を結んだドイツだったが、三国同盟が日本によって破棄され、その上、敵対していたはずの日米が手を握ることになると話は変わってくる。
それが、今度の日米首脳会談で、悪夢が現実になろうとしているのである。 ヒットラーは「梯子を外された!」と駐独大使の大島浩の前で怒りを露わにしたが、大島大使が何を言おうと、これを止める術もなかった。
それでも、尚、ヒットラーは中東、アジアへの侵略を止めようとはしなかった。なぜなら、ヒットラーは、「最終目標は、アメリカを屈服させることにある」と考えていたからである。
アメリカがドイツの前に跪けば、ドイツ第三帝国は世界の頂点に達する。日本やイタリアは、その僕に過ぎない。
ヒットラーの純粋白人種優先主義は、ヒットラーやその側近たちにとって、何ものにも代え難い絶対思想だったのだ。そうなれば、他の有色人種が地球上に存在する理由がない。
支配者と被支配者の関係性こそが、世界の秩序だと考えていたヒットラーは、何としてもアメリカやイギリスを屈服させ、自分の夢を実現したがっていた。そうなると、これは「狂気」でしかない。
一時的とはいえ、そんな狂人の妄言に乗せられて、同盟関係を結んだことに、吉田首相は、政治家の一人として大いに恥じていたのだった。
ヒットラーは、先の欧州大戦においても、アメリカさえ参戦してこなければ、勝利できた戦争だったという思いが、今でも強かった。その牽制のために、日本と同盟を結んだにも拘わらず、日本が勝手に世界征服の船から下りてしまった。
ヒットラーは、外務省を通じて、日本に「同盟撤回の拒否」を幾度も伝えたが、日本政府は、「日本政府の方針は、あの東郷メッセージの通りである!」と突っぱね、正式に大島大使を通して、同盟撤回の公式文書を手渡した。
これによって、日本とドイツの友好関係は断絶した。
その日をもって、ドイツの日本大使館は閉鎖となり、大島大使を初めとした大使館員の多くが帰国の途についた。
その中の数名は、ヨーロッパの各地に散り、「地下に潜って諜報活動をせよ!」との密命を受けていた。
彼らは、この先、命がけでヨーロッパの情勢を探り、情報戦を戦い抜かなければならなかった。結果、ヨーロッパに残った日本側の諜報部員で帰国した者は、だれもいなかった。
呉に戻った小沢は、ドイツとの戦争に備えて、アメリカとの約束を叶えるために、改めて出撃準備を整えていた。
今回のインド洋作戦は、まずは、ドイツUボートの殲滅にあった。これを放置している限り、世界の海の安全を確保することができないのだ。また、ドイツの勢いが止まらず、ドイツ軍が中東からアジアに侵攻してきた場合、これを海上から威嚇し、場合によっては、出てきたドイツ艦隊と一戦を交えるために行われるものだった。
ただし、日本からドイツに宣戦布告をするつもりはない。
向こうが手を出してきたら、仕方なくこれと砲火を交えるといった専守防衛の考え方に立っていた。
なぜなら、日本は、対米英戦争に突入寸前まで追い詰められた苦い経験があった。あのとき、ルーズベルト一派の策略に乗せられれば、日本は真珠湾を奇襲攻撃し、アメリカ国民の憤激を買っただろう。そうなれば、正義はアメリカにあり、日本は、悪の権化とかす。
だから、今回は安易に宣戦を布告することはしなかった。飽くまでも、インド洋の安全確保のための出動であった。
日本政府内でも、日本が国益を損ねまいと必死になって軍を進めたことが、中国や先進国との軋轢になったことは間違いない。当時は、「譲歩したら、負けだ!」とだれもが思っており、眼を釣り上げて相手国を罵るだけに終始していた。ところが、あの東郷メッセージを発信しただけで、世界の世論は劇的に変化しただけでなく、戦争をも回避できることになった。そればかりか、あのアメリカの譲歩も引き出すことに成功したことは、驚きであった。
天皇自らが平和を望み、国際協調をするということの意味が、今、わかったような気がした。
そんなことを考えもせずに、ひたすら力だけで押し通そうとしたところに、隙ができたのだ。
あの山本五十六大将でさえ、その隙を敵方のスパイにつけ込まれたではないか。
小沢治三郎は、そう考えると、
「日本海軍は、正義の軍隊として正々堂々と振る舞わなければならないな…」
「この戦いも、情報がもっとも大事になるかも知れぬ…」
と、情報担当参謀に、軍令部の高安少佐を充てることにした。それは、もちろん、暗号分析担当参謀としてである。
軍令部の永野総長や伊藤整一中将は、当初、難色を示したが、小沢のたっての依頼であることから、これを了承した。その上で、作戦が終了次第、軍令部に復帰させる人事を発令して貰った。
高安少佐が、着任したのは、それか三日後のことであった。
小沢が、幹部との打ち合わせが終わり、司令長官室で寛いでいると、扉がノックされ、高安輝元少佐が顔を出した。すると、小沢は顔を上げて、
「おっ、待ってたよ高安少佐…」
そう言うと、ソファーから腰を上げて、高安少佐の着任の挨拶に応えた。
「まあ、そう固くならずに、座りたまえ…」
高安少佐は、「はあ…」と言いながらも、小沢の正面に腰を下ろした。
「ところで、少佐。例の分析は終わったかな…」
すると、高安は、鞄から徐に書類の包みを出して、小沢の前に出した。
「ほう、できたか…?」
「はい、何とか…。アメリカ班に矢吹少佐のお陰で、ドイツ班の佐藤久則少佐に協力を得られましたので、何とか、間に合いました」
「そうか、で…、どうだったヒットラーは…?」
「では、手短に分析した結果をご報告いたします」
小沢が例のものと言ったのは、ドイツの駐在武官だった佐久間中佐が、ある筋から手に入れた一枚の写真だった。
それには、ヒットラーの他に、ソ連のスターリンらしい人物が写っていたのだった。ただし、物陰から撮られた物らしく、ヒットラーはわかるが、奥にいる口髭を蓄えた男の身元がわからなかったのだ。
時期は、ちょうど一年ほど前のことで、欧州大戦が始まったドイツ軍のポーランド侵攻から、数ヶ月後のものらしい。
場所は、おそらくソ連領内のどこかであろう。ヒットラーが乗り込もうとする自動車がドイツの物ではないことだけは確かだった。なかなか立派な高級車で、ひょっとするとアメリカ製の物かも知れなかった。
この写真は、佐久間中佐が、ヨーロッパ国内に放ったスパイの一人が、オーストリアで発見した物だった。オーストリアは、ドイツと関係を深めており、ドイツ連邦の一州として生き残りを図ったのである。しかし、多くのオーストリア人は、これを不服とし、一部のレジスタンスは地下に潜って抵抗を続けていたのである。
日本は、陰でこれを支援し、彼らが武器弾薬を買うための費用を密かに渡していたのだった。その中心人物が、ドイツ駐在武官の佐久間譲陸軍中佐だった。そのレジスタンスは、密かにヒットラーを追っていた中で撮られた一枚だということだった。
写真を撮ったスパイは、既に死亡しており、詳細はわかっていないようだったが、スパイが持ち込んだ一枚を佐久間は高値で買い取り、密かに軍事郵便で陸軍省の栗林忠道中将に送り、その解読を小沢に依頼したものだった。
栗林と小沢は、日米首脳会談の副使としてハワイに乗り込み、その会談を成功に導いた関係があった。
栗林は、陸軍部内では、どちらかというと異端児で、アメリカ式の合理的な思考は、精神論の軍人には、煙たく思われていたようだった。
あの副使としての派遣も、英語の苦手な将官が多い中で、唯一、英語が堪能でアメリカ人気質が十分わかった人間ということで、たまたま陸軍省機甲本部長をしていた栗林にお鉢が回ってきたものだった。
栗林は、元々騎兵科将校だったが、世界の陸軍の近代化の波を受けて、馬から戦車への移行期を委されていたのだ。
そんなわけで、その写真を手に入れたが、陸軍省内に顔が利くわけではなく、困った挙げ句、海軍の小沢を頼った。
小沢も、ハワイへ向かう長い航海の間に栗林と話をする機会が多く、二人は日本の陸海軍の将来について夜更けまで語り合った。それは、戦争を回避できたことでの安堵感だったかも知れない。それに、栗林は、小沢が思っている以上に誠実で、合理的な男だった。
年齢は、小沢の方が五つほど上だったが、栗林の学識の深さには驚いた。おそらく、この勉強量は、陸軍一と言っても過言ではないだろう。そんな軍人らしからぬ教養の深さが二人の絆を深めた原因でもあった。
その栗林が、頼んできた話だった。
高安少佐の結論は、
「これは、間違いなくスターリンです」
「私どもは、公式発表されているスターリンの肖像写真から、その顔の輪郭、鼻の高さ、眼の大きさなどから、この写真の人物の顔を計測してみました。その結果、本人である確率は、85%です」
「もちろん、影武者ということも考えられますが、ヒットラーが間違いなく本物である以上、スターリンだけが影武者であることは考えられません」
「それに、その隣に写っているのは、彼の側近であるヤコブスキーです」
「スターリンのそばにヤコブあり…と言われるくらい、常に影のように付いています」
「場所は、不確定ですが、おそらくベラルーシの首都ミンスクだと思います」
「もし、これが本物なら、ソ連はアメリカの支援を受けながらドイツとも手を握っていたことになります。確かに、独ソ不可侵条約はありますが、両国の首脳が、秘密裏に会談するとなると、かなり怪しいですね…」
「ひょっとすると、アメリカと日本が同盟を結んだことで、急遽、ドイツはソ連と同盟し、アメリカが参戦してくれば、ソ連軍は寝返って背後からアメリカ軍を襲うこともあるかも知れません」
「そうなれば、連合国軍の一角が崩れます」
「早急に、ソ連を連合国軍から切り離し、周囲を固める必要がありそうです」
高安少佐は、資料を取り出しながら、小沢に説明をした。
「そうか…、やはり、ドイツはソ連と共同戦線を張ったか?」
小沢は、副官の安西主計大尉を呼ぶと、
「おい、安西中尉。おっと、大尉だったな…」
「申し訳ないが、至急、東京に出張してくれ…」
「そして、この資料を持って栗林中将に説明に行って貰いたいんだ…」
小沢が、そう命じると、高安少佐が、
「では、私も同行いたします。その方が、話は早い」
「そうか、来たばかりで申し訳ないが、今から向かってくれ。こちらからは、電話を入れて説明をしておく…」
そう言うと、二人の海軍将校は、急いで東京に向かっていった。
二人の報告を聞いた栗林中将は、早速、陸軍大臣の東條英機大将に報告し、日本政府が対応することになった。
もし、ソ連とドイツが密約を交わし同盟関係を結んだとなると、いつ、ソ連が連合国側を裏切り、ドイツに付くかも知れなかった。それに、既にルーズベルト政権は崩壊し、ソ連のスパイがアメリカ政府内に入り込んでいたことは世界中が知ることとなった。
スターリンは、飽くまでも「ソ連政府は、関係ない!」と突っぱねたが、これがコミンテルンの指示を受けたスパイ活動であることは間違いない。
そうなると、大統領命令で、これまで支援を受けていた武器弾薬、戦車や航空機などの物資が届かなくなる。
既に経済的に厳しい状況にあったソ連は、仇敵であるドイツと裏取引をしたのだろう。
とにかく、写真一枚で、確たる証拠とは言えないが、日本政府は同盟関係の証しとして、この情報をアメリカ大統領府に届けたのだった。
そうなると、日本としても、ソ満国境が心配となる。
万が一、ソ連がノモンハンと同じように国境を越えて進撃してくれば、また、同じような戦いが行われることになる。そのためには、かなりの戦力をソ満国境に貼り付けておく必要があった。
それも、結局はヨーロッパでのドイツ次第ということになる。
アメリカが欧州大戦に参戦し、日本が、それを支援することができれば、ソ連も簡単には動けまい…というのが、日本陸軍の見通しだった。
そのためには、早くドイツのUボートを排除し、インド洋の制海権を連合国側で押さえ、ドイツを牽制しなければならなかった。
小沢は、連合艦隊の第一艦隊と第一航空艦隊をインド洋に派遣することにした。両艦隊は、連合艦隊の主力であり、小沢自身が連合艦隊司令長官として直接指揮を執ることになった。そして、第一航空艦隊は、瑞鶴と翔鶴を除く四隻の主力空母を擁し、山口多聞中将がハワイ作戦に引き続き指揮を執ることになった。
これは、大和を主力とする戦艦八隻、航空母艦四隻、巡洋艦二十隻、駆逐艦三十隻、そして、潜水艦十隻による大艦隊であった。
このときから小沢は、航空母艦一隻を護衛する機動部隊を編成し、戦艦部隊もすべて航空母艦の護衛艦として使用する体制を整えていた。
もちろん大和も、空母赤城の護衛艦の一翼を担い、各艦には対空用の機銃をこれまで以上に配置し、最新式のレーダーも大型艦にはすべて装備させた。
特にレーダーは、アメリカが供与してくれたもので、これまでの日本のそれとは、比べものにならない性能を示した。
通信参謀などは、
「いやあ、これは凄い!」
「日本の物より数倍も感度がいい…」
と、感心していたが、小沢にしてみれば、
「馬鹿者、こんな電波兵器を備えたアメリカと戦争をする寸前だったのだぞ!」
と、背筋に冷たい氷水を流し込まれたような恐ろしさを感じたのだった。
その間、日米の航空機メーカーは、情報を交換し合っていた。
それは、日米首脳会談時に行われた経済交流の一環として行われた事業だったが、こうした軍事情報が交換されることは、前代未聞であり、アメリカが如何に日本を信頼しているかがわかる。
なぜなら、軍事情報は、アメリカの方が世界的に見て重要機密は多く、レーダーだけでなく航空機のエンジンや防御システムなどは、参考にすべき点が多かったのだ。
そして、アメリカのグラマン社は、日本の零式戦闘機と陸軍の二式戦闘機鍾馗を見て驚いた。
日本の飛行機は、小回りが利いて旋回性能は優れているが、他には見るべきものがない…と思われていたが、零式戦闘機に高オクタンの航空燃料を入れて飛んでみたところ、時速五五〇㎞を超える高速性能を発揮したのだった。
グラマン社の技術者は、
「何で、九五〇馬力しかない飛行機が、五五〇㎞ものスピードが出せるんだ?」
と驚き、その旋回性能、航続距離、安定性能と併せて、
「アメリカ海軍でも最優秀機だ…」
と、眼を見張ることになった。そして、栄エンジンをアメリカの小型一三〇〇馬力エンジンの換装したところ、六〇〇㎞を超える速度を記録するに至った。
そして、アメリカ政府は、この一三〇〇馬力エンジンを備えた零戦二三型をライセンス契約して、自国で生産して、ヨーロッパに送る計画に着手していた。
また、陸軍の二式戦鍾馗は、迎撃機としての優秀さを証明し、これも六三〇㎞の高速性能と素早い上昇性能を見せ、
「もの凄いインターセプターだ…」
として、これもライセンス生産に取りかかったのである。
アメリカとしては、この両機を大量生産してイギリスに送れば、航続距離に泣かされてきたドイツとの戦いを有利に運べる目算が立つ。
イギリスに送られた零式戦闘機二三型は、「ゼロ23」と呼ばれ、構造そのものは、日本の零戦ではあったが、電気系統の配線からエンジンを保護する防弾ゴムや、二十粍機関銃などは、すべてアメリカ製に取り替えられていた。また、性能のよくない無線もアメリカの高性能無線機に取り替えられ、地上からの通信も飛躍的に向上したのだった。
さらに、鍾馗は、そのまま「ショーキ」と呼ばれて大活躍することになる。
こうして日米同盟が急速に強く結びつくようになると、ドイツは、イギリスへの侵攻作戦を早める手段に出た。いわゆる「バトル・オブ・ブリテン」の始まりであった。
ドイツの侵攻が早まったことで、改良零戦二三型をアメリカからイギリスに送ることになっていたが、輸送船などでは間に合わないと判断した軍令部は、五〇人の精鋭パイロットを選抜し、義勇兵としてイギリスに送ることになった。
国内で志願を募ったところ、インド洋作戦から外れたほとんどの搭乗員が志願を申し出た。その中から、基地航空隊所属のベテラン搭乗員を五〇人選抜して空路でイギリスに向かうことになった。
そうなれば、途中でドイツ空軍と戦う可能性もあったが、志願した搭乗員たちは、
「よし、メッサーシュミットでもフォッケウルフでも、何でも来い!」
と、腕を鼓舞して待ち望んでいたのだった。
この五〇機の航空隊は、「大和飛行隊」と呼称され、案内役として陸軍の百式司令部偵察機十機が加わることになった。この偵察機は、万能機としての評価も高く、やはり最新型のレーダーを装備し、アメリカから支給されたハイオクタンの航空燃料を積んだところ、速度が時速六四〇㎞にまで達した。
大和航空隊は、羽田基地から鹿屋基地まで飛ぶと、そこで航空母艦瑞鶴、翔鶴に着艦し、母艦に載せられたままアラビア海まで進み、そこで母艦から離れて、サウジアラビアのリヤド、タブークと飛んで、いよいよヨーロッパを目指すことになった。
問題は、サウジアラビアからイギリスまでの飛行ルートである。飛行機で飛んでも五千㎞はある。零戦の航続距離は二千㎞程度だから、途中で二カ所ほどの燃料補給と搭乗員の休養のために着陸する必要があった。
しかし、ヨーロッパは既にドイツの制空権内にあり、その二カ所の飛行場の選定が問題になった。
そのときである。イギリス大使館から日本政府に連絡が入ったのだ。それは、
「地中海のギリシャ沖に、航空母艦二隻を派遣するので、それに着艦されたし…」
というものだった。ドイツの戦闘機は、航続距離が短いので、地中海遠方まで多数の戦闘機を送ることができない。そこに眼をつけたイギリス海軍が、日米の要請に応えた形になった。
こうして、飛行ルートを確保できた大和飛行隊は、瑞鶴、翔鶴の航空母艦二隻と支援を買って出たアメリカ海軍の戦艦ミズーリ他二隻と駆逐艦十隻を護衛につけてくれたのだった。
日本からも二隻の大型巡洋艦と十隻の駆逐艦が護衛についた。
こうして、大和飛行隊六十機の義勇軍機は、ヨーロッパに派遣されたのだった。
第三章 地中海上空での戦闘
大和飛行隊は、連合国の協力もあって無事にサウジアラビアのタブーク航空基地に翼を休めることができた。
現地には、イギリス政府が要請して航空機整備のベテラン技術者が多数送り込まれている。彼らは大和飛行隊が到着すると、現地スタッフに指示を出しながら、すぐに点検と整備に取りかかってくれた。
これは、どこの航空基地でも同様で、大和飛行隊への期待が大きいことがわかった。
大和飛行隊第一陣の隊長には、歴戦の進藤三郎少佐が任命され、部下には赤松貞明、坂井三郎、西沢広義、岩本徹三、杉田庄一、武藤金義らの操縦練習生出身のベテラン搭乗員が志願してきた。そして、今頃は、第二陣の大和飛行隊が、横山保少佐が率いてやって来る手筈になっていた。
イギリス人やサウジアラビアの人たちは、みんな親切で、日本の飛行兵だとわかると、だれもが、「トーゴー、トーゴー…」と口々に賞賛して握手を求めてきた。
あのときの放送が、「こんなにも世界の人々を感動させたスピーチはなかった…」と、整備兵や基地のスタッフから聞かされた飛行兵たちは、改めて真実の言葉の大切さを噛み締めるのだった。それに、外務大臣の姓が「トーゴー」だったために、日本海海戦の東郷平八郎元帥を思い出す人も多かったようで、「トーゴーが舞い降りた!」と、再び、ヨーロッパや中東で「トーゴー・ブーム」が起きていると聞かされた。
ただ、写真を見ると、まったく違うので、少しがっかりしたようだったが、「ジャパン=トーゴー」は、定着してしまったようだ。
ここで機体の日の丸が消され、同じ円でも、イギリスのマーク「ラウンデル」に変更された。
搭乗員たちには、少し違和感があったが、
「まあ、俺たちは、義勇兵だからな…、仕方がないんだよ」
と、納得するのだった。
よく考えてみれば、日華事変の時、アメリカのカーチスP40が中国政府のマークをつけて飛んでおり、日本の航空兵が、
「あのやろう。アメリカ人のくせしやがって!」
と、怒っていたことを思い出した。それに、日本の戦闘機や爆撃機が何機も撃墜されたが、フライングタイガースの義勇兵も勇敢に戦い、中国の大地に激突したパイロットもいたのだ。そう思うと、義勇兵という立場が、少し苦く感じていた。
そんなとき、進藤少佐は、
「日の丸を付けて戦いたいのは、俺も同じだ」
「だが、ここで経験したように、世界中の人々が俺たちを待っているんだ」
「正義と世界平和!」
「これがトーゴーメッセージだ!」
「俺たちは、そのために戦うんだ!」
「いつか、大和飛行隊は、トーゴーという名と共に彼らの歴史と心に刻まれるはずだ」
「その彼らの願いを叶えてやろうじゃないか!」
そう言って、自分たちが志願してきた原点を諭してくれるのだった。
ベテランの赤松一飛曹が、
「なあに、難しいことはいい…」
「俺は、ドイツ野郎と戦いたい!」
「この零戦二三型は、もの凄い戦闘機だぞ。腕が鳴るぜ…」
などと、言うものだから、全員が「そうだ、そうだ…」と言って、基地の人たちが用意をしてくれたステーキを口いっぱいほおばり、瓶ごと置いてある紅白のワインを代わる代わる飲み干すのだった。
若い杉田二飛曹などは、何枚もステーキをお替わりするので、周りの搭乗員たちに笑われていた。
翌日、整備が終わると、いよいよヨーロッパに向けて出発である。
十機の百式司令部偵察機は、先発隊として五機が地中海の合流地点に向かって飛んでいった。各機には、高性能無線が搭載されているので、ルートを迷うことはない。飛行機同士の通話もスムーズで、風雨に関係なく通信状態は非常に良好であった。
日本の無線機だとこうはいかない。
積むだけ無駄だ…と、無線機を外して飛び立つ者がいるくらい、不調なことが多く、無線が通じないために奇襲にあったり、航路がわからなくなり、そのまま行方不明になる者も多かったのだ。
それが、今では、戦闘機隊は、偵察機の誘導で飛んでさえいれば、間違いなく現地まで辿り着くことができた。しかし、進藤少佐は、
「ここからは敵地だ!」
「見張りを厳重にして、敵機を発見次第、無線で連絡するように!」
「いよいよ、本番だぞ!」
と、部下たちに気合いを入れた。
そうなると、今までの緩んだ目つきも本来の鷹の眼のように変わり、だれもが、腹の下に力を込めるのだった。
ここにいる搭乗員たちは、既に数機から十数機を撃墜してきた猛者ばかりだったからこそ、零戦の見せ所と張り切っていたのだ。
早朝六時。
タブーク航空基地は、五〇数機のエンジン音が轟々と鳴り響いていた。
さて、いよいよ、これからが敵地である。
ドイツ軍は、破竹の進撃でヨーロッパの全土の制空権を奪い、今、まさにイギリス本土に向かって進撃を開始しようとしていた。
これも阻もうとしているのが、イギリス空軍だったが、度重なる空戦でイギリス軍も傷つき、それは、もはや風前の灯火であった。
それでもイギリス空軍は、スピットファイヤー、ホーカーハリケーンなどの主力戦闘機を生産し続け、ドーバー海峡を渡ってくるドイツ空軍の戦爆連合軍を水際で叩かなければならなかった。パイロットもイギリス人だけでなくフランスやオランダ人パイロットも馳せ参じていた。しかし、専守防衛を任務とし、国内空軍力に航続距離を求めなかったために、ドイツの占領地域の奥深くに攻撃をかけられる能力はなかった。
戦闘機の護衛のないままイギリス空軍の爆撃機は、ドイツの軍事基地攻撃に向かったが、その多くはドイツ空軍機に撃墜され、還っては来なかった。
「航続力さえあれば…」
それは、戦闘機パイロットの切実なる願いとなっていた。
そこに救世主のように現れたのが、旧敵国である日本の航空部隊だった。
ルーズベルトの姑息な謀略が日本の手によって暴かれると、イギリスのチャーチル首相は、絶望感に苛まれた。
アメリカの参戦だけが、希望の光だったのが、これで潰えてしまったのだ。 チャーチルは、ルーズベルトがソ連と陰で手を組み、世界制覇を企んでいることは気づいていた。しかし、それを知りながらも、アメリカの助けが必要だったのだ。しかし、嘘で固めた政権に明日はなかった。
チャーチルは、首相官邸の執務室のソファーに腰を下ろすと、
「もう、これで大英帝国は終わりだ…」
「女王陛下にも、伝えねばならない…」
と、自信を喪失し、すぐにでも辞表を出すつもりだったが、急転直下、事態はめまぐるしく変化したのである。
それが、あの「東郷メッセージ」であり、新アメリカ政府と日本政府の日米同盟だった。
ルーズベルト一派がアメリカ国内において糾弾されると、世論は、「正義と世界平和」を呼びかけた日本の東郷茂徳外務大臣のメッセージに熱狂した。
それは、闇の中に放り込まれた子供が、絶望の中でみた希望の光のようなものだった。
その日本が、アメリカと共同してイギリスを助けようとしてくれていることを知ったチャーチルは、飛び上がらんばかりに喜びを表した。
「な、なんと…。自分が裏切った国が、正義と平和のために、この自分を助けようとしている…」
それは、欧米式の合理主義的思考しか持たないチャーチルには、理解できなかった。
「う、嘘だろう…。そんな、お人好しな人間が、この地球上にいるというのか…」
チャーチルは、頭を掻きむしり、何日も考えたが、答えは見つからなかった。
ある者は、「日本人は、理屈を知らないばかなんじゃないか?」と言い、ある者は、「ああ、あの国は昔からおかしな国だからな…」と蔑み、チャーチルが、
「だけど、おまえたちがばかにするその国が助けに来てくれなければ、我が国は、崩壊するのだぞ!」
「おまえたちは、あのヒットラーの下僕になっても構わないとでも言うのか…?」
怒りを露わにして、そう叫ぶと、だれもが沈黙して去って行った。
ただ一人、それに答えを出した人物がいた。それは、イギリス女王陛下だった。
エリザベス女王は、チャーチルに向かって、
「あら、あなたはご存じないの?」
「日本のエンペラーは、どのヨーロッパ貴族より誇り高く、礼節を重んじるジェントルマンでしたよ…」
「それに、我が大英帝国よりも、もっと長い歴史を刻んだ日本の皇帝陛下なのですよ」
「私は、今だから申しますが、あのルーズベルトという男は、ギラギラした欲望に塗れた醜い男だったわ」
「あなたも、今度ばかりは、日本のエンペラーに跪くことね…」
そう言うと、チャーチルの顔も見ずに立ち去って行くのだった。
イギリスの女王陛下は、誇り高き女性だった。こうして、チャーチルに会うときも軍服を脱ごうとはしなかった。彼女は、自分も国民の先頭に立って戦う誇り高き兵士だった。
その女王からしてみれば、チャーチルは、所詮小賢い策士でしかないのだ。
チャーチルにしても、所詮は、権力だけでのし上がってきた人間だった。その男が、二千年以上続く王家のエンペラーに太刀打ちできるはずもなかった。
チャーチルは、既に女王陛下の親任を失ったことに気づくと、一人辞表を提出して、宮殿から去って行った。そして、クレメント・アトリー伯爵が次の首相の座に着いた。
チャーチルは、バトル・オブ・ブリテンが始まるのを、故郷であるイングランド南東部のオックスフォードシャー州の片田舎で見守るしかなかった。
この男も、地位や肩書きを失ってみると、結局は、ルーズベルト一派に踊らされた軽薄な男の一人でしかなかったのである。
大和飛行隊は、百式司令部偵察機五機の誘導によって地中海に入り、ギリシャ沖にかかった。すると、先行していた偵察機の一機から無線が入った。
「ドイツ空軍の戦爆連合、約百機の大編隊が、地中海に向かっている。後、三十分ほどで遭遇する」
「イギリスの航空母艦を目標に発進した模様…」
「航空母艦からは、既に迎撃機が発進!」
「戦闘準備を取られたし!」
と、言うものだった。
それを聴いた進藤隊長は、
「よし、高度五千で待ち伏せる…」
「各隊は、小隊ごとに戦闘に入れ、我々飛行隊は、戦闘機をねらう!」
「攻撃機は、イギリス空軍に任せる…以上だ!」
そして、偵察機は、戦闘に巻き込まれないように高度を上げ、カメラの用意に取りかかった。勝利すれば、もちろん、世界中に配信するためである。
偵察隊の山中貞雄陸軍少佐も余裕を持って高度を上げていった。
「あの、零戦二三型に勝てる戦闘機はいないさ…」
「我々の陸軍航空隊も早く参加したいものだ…」
そう思いながら、後部席から高感度双眼鏡で、西の空を凝視していると、小さな点々が見え始めた。
少佐は、すぐに無線機を取り出し、
「敵機編隊発見!」
「高度、三千!」
「西、十時の方向!」
「後は、頼むぞ!」
そう言うと、進藤少佐が、ひと言「了解!」とだけ言って、「戦闘開始!」を下令した。
大和飛行隊は、濃緑色のボディにイギリス空軍のマークを描き、各小隊四機のロッテ戦法で敵編隊に突入していった。
そこに、イギリスのスピットファイヤーの編隊が現れ、英語で、
「敵戦闘機は、頼んだ!」
「ジャパニーズスピリッツを見せてやれ!」
そう言うと、ドイツの攻撃機目がけて突っ込んで行くのが見えた。
それを見ていた西沢一飛曹は、
「ほう、イギリス人も、結構、向こうっ気が強いなあ…」
と笑うと、台南航空隊チームで敵戦闘機に向かって行った。
大和飛行隊が、相手にしたのは、やはりメッサーシュミットの改良型だった。速度は、同じか、敵機の方が少し速いくらいだったが、空戦性能が違い過ぎた。
敵機は、一撃離脱で攻撃をかけようとしてきたが、こちらは、一撃目をひらりと交わすと、すぐに捻りこみの技術で、敵機の後方につき、渾身の二十粍機関銃を放った。
銃と銃弾は、アメリカ製で、軽量な上に各銃に二百発も携帯できた。それに、エンジン上部につけた十三粍一門も接近戦には大きな効果を上げたのだった。
敵戦闘機は、日本の零戦二三型の相手ではなかった。
ものの十分程度の時間で、悉く撃墜した敵機の吐く黒煙で、青く澄んだ地中海の空が、灰色に汚れてしまった。
正確にはわからないが、大和飛行隊の損害はゼロ。敵機は、おそらく三十機以上撃墜したはずだった。
敵の雷撃機や急降下爆撃機を攻撃したスピットファイヤーも、渾身の銃弾を思う存分に撃ち込み、そのほとんどを悉く撃墜した。
こちらの航空母艦への被弾はゼロ。駆逐艦一隻に至近弾一発、多少の損傷を受けたようだった。
上空で戦闘を凝視していた山中少佐も、会心の写真が撮れた…と余裕の表情を見せていた。
そして、飛行隊は、それぞれ二隻のイギリスの中型空母に着艦したのだった。
大和飛行隊を迎えたイギリスの航空母艦ヴィクトリアスとインドミタブル艦上では、零戦二三型と百式司令部偵察機が次々と着艦してくると大騒ぎになった。
ヴィクトリアスの艦長グロブナー大佐はイギリス伯爵家の出身で、黄色い帯二本を巻いた進藤少佐機が着艦すると、自ら甲板に降りて歓迎の意を表したのだった。
インドミタブルでも同様に、日本の駐在武官経験のあるリチャード艦長が日本語で山中少佐に「ようこそ、インドミタブルへ」と笑顔で迎えに出た。
百式司令部偵察機は、陸上機だったが、出発前に航空母艦に着艦できるように改良を加えてあった。
搭乗員も何度か着艦訓練をしてきた甲斐があって、無事に全機が着艦できていた。
ドイツ空軍は、情報によって日本の義勇軍が多数の飛行機を空から運んで来るということを知ると、他の作戦を停止してでも、これを迎撃する作戦を行ったが、やはり戦闘機の航続距離が短いことが命取りになった。
結局は、地中海方面に展開している戦闘機を集める他はなく、統一した作戦が採れないまま集められ、燃料ギリギリの中での戦闘になった。その上、日本の戦闘機の性能のカタログがなく、ドイツ人は旧同盟国でありながら調べようともしなかったのだ。
「どうせ、カタログがあっても、そんなものは見せかけだ…」
ドイツ人の多くは、日本人を見くびり、ドイツの優秀戦闘機に適うものはない…と豪語していたのだ。
それが、地中海上空で悉く撃墜され、逃げ帰ることができたのは、全体の三分の一程度で、その多くは機体に被弾の痕が見られ、戦死者も多く出ていた。 パイロットの大半は、陸上上空で落下傘降下したが、負傷した者も多く、戦力の低下は否めなかった。
悲惨だったのは、雷撃機と急降下爆撃機の攻撃隊である。
イギリス艦隊発見の報せを受けると同時くらいに、イギリス戦闘機の奇襲攻撃を受けることになった。
制空権は日本の義勇隊に奪われ、攻撃隊は敵艦に近づく前に次々と撃墜され、生き残ったパイロットは、数名という惨憺たる有様となった。
「なんだ…、あの戦闘機は?」
「今まで見たことのない空冷エンジンの飛行機だった…」
「とにかく、速い上に蝶のように舞うんだ…」
「あれは、本当に日本の戦闘機なのか?」
「いや、違う。あれは、アメリカ軍の戦闘機に違いない」
「あんな戦闘機は、日本にはなかったはずだぞ!」
そんな噂が飛び交ったが、さすがのドイツ空軍司令部も、バトル・オブ・ブリテンを心配し始めた。特にヒットラーは、この海戦に衝撃を受けたようだった。
手元に送られてきた数枚の写真を見ながら、
「これまでは、イギリスの戦闘機とドイツ機はほぼ互角に戦えていたのに…」
「これが、本当に日本の戦闘機とは…、日本のことをもっと知っておくべきだった…」
と後悔したが、それを表情に表すことはなかった。
とにかく、大英帝国の抵抗も間もなく終わる。そうなれば、アメリカや日本が出てきても、もう遅い…。イギリスへの上陸作戦を急がねば…。
そう考えると、目の前の受話器を取り、静かな声で秘書官の大尉を呼んだ。
だが、声は低く静かだったが、その表情が「鬼の形相」と化していたことには、だれも気づかなかった。
第四章 バトル・オブ・ブリテン
イギリス海軍の助けで、日本の大和飛行隊は、無事にイギリス本土に上陸することができた。さあ、いよいよ本格的な迎撃戦である。それに、間もなく第二陣の横山少佐率いる五十機が到着することだろう。
地中海や大西洋には、獰猛なUボートが輸送船をねらっているが、今回は護衛艦隊が日米共同で行っているので、防御態勢は万全である。
日本の各艦にもアメリカ製のソナー探知機が装備され、これまでの探知機より数倍の感度で、敵潜水艦を捕捉することができた。
万が一のときには、戦艦が楯になる…とまで言ってくれている。それに、ドイツ軍も輸送船より戦艦をねらって来るはずだ。そう考え、輸送船を挟むように、大型艦を配置していた。
進藤少佐は、欧州の空を見上げながら、
「さて、それまで、持ち堪えれば、ドイツを破ることができる」
「俺たち日本人が試されるときが来たんだ…」
と、気持ちを新たに引き締めた。
宿舎では、それぞれの小隊が固まって地中海海戦の反省会を行っていた。
特に、赤松一飛曹は研究熱心で、周囲からは、
「おい、大酒飲みの赤松さんが、酒も飲まず空戦の研究を行っているぜ…」
「いやあ、ヨーロッパの風が、あの人には合うのかなあ…」
と、首を捻ったが、赤松ほどの搭乗員が率先して研究を行うので、他の者たちも、ぼんやりしてはおられなかった。
そもそも、この大和飛行隊は特別編成で、すべて志願者で編成された部隊だった。そのためか、士官が極端に少ない。なぜなら、少尉や中尉クラスでは、操縦が未熟で、歴戦の下士官搭乗員の指揮は難しかった。それに、大尉や少佐クラスとなると、各部隊の幹部クラスのために、どの部隊も手放すことができなかった事情があった。それに、この部隊は、直接、激戦地に投入されることがわかっており、その任務に堪えられるのは、やはり操縦練習生出身のベテラン下士官しかいないのだ。
彼らは、少数精鋭の中から特に選ばれて戦闘機搭乗員になっており、中国大陸で、既に一年以上、実戦を重ねていた。年齢も上は三〇歳、下の者でも二十三歳になっていた。
一番年下の搭乗員は、乙種飛行予科練習生出身の杉田庄一二飛曹だったが、彼は特に腕を見込まれての参加だった。だから、四機編成の小隊長も下士官が多く、士官搭乗員は、進藤少佐や宮野大尉他数名で、やはり実戦経験がある者たちだった。
それに、海軍も組織編成を見直すことが求められており、特に航空部隊においては、指揮官は司令が指名することに改められた。何でも士官が指揮官となると、兵学校出や予備学生出の未熟な搭乗員が、ベテラン搭乗員を指揮することになり、実戦では足手纏いになる可能性が指摘されていたのだ。
そのために、この義勇隊は、特別編成として実験してみることになっていた。
進藤少佐にしてみれば、赤松や坂井は、頼もしい右腕であり、下士官であっても、その指揮能力は抜群であることは承知していた。
「これが上手くいけば、海軍の硬直した考えも、少しは柔らかくなるだろう…」
と期待もしていたのである。
そんな五十人だったが、話題は、ドイツ軍機の性能だった。
「やあ、あのメッサのスピードは、侮れないな…」
「高度を先に取られれば、一撃で粉砕されるぞ」
「今回のように格闘戦に持ち込めればいいが、上空には特に目を光らせんとな…」
などと、搭乗員なりに緊張感と恐怖感は抱いていたようだった。
偵察隊の十機、二十名の搭乗員は、山中少佐の下に集まり、
「いいか、我々の任務は、敵に先んじて偵察任務を果たすことにある」
「特に、こちらの偵察機は低速で航続距離も短い」
「そこで、俺たちの百式でドイツ本土への偵察任務も与えられた」
「単機での侵入になる。いいか、どんなことをしても任務を全うしろ!」
「俺は、この欧州に散っても悔いはない!」
「それに、次の便では、陸軍の鍾馗隊も二十機ほどやって来る」
「そうなれば、得意の迎撃戦で活躍するだろう…」
「俺たちも日本陸軍の名誉にかけて頑張らんとな…」
そう言って、隊員たちを励ましていた。
そして、昭和十七年五月二十日。ついに、バトル・オブ・ブリテンが始まった。
まず、ドイツ軍は、多数の爆撃機を投入し、ドイツ国内に侵入して小型爆弾を雨のように降らし続けた。
それに対してイギリス空軍は、沿岸部に設置した高性能レーダーを効果的に運用して早期に敵編隊を捕捉して全力を挙げて迎撃に出撃していった。そこに、大和飛行隊五十機も参加したのである。
しかしながら、連日のように行われる空襲の度に迎撃に上がるイギリス空軍パイロットも消耗し、その疲労度は極限に達していた。
大和飛行隊は、当初は、基地や都市上空に飛来する敵爆撃機の任務を命じられたが、ひと月も経つと、イギリス空軍の消耗が激しくなったことで、進藤少佐から司令部に申し出を行った。
「我々義勇軍も前線に立たせていただけませんか?」
「我が飛行隊の零戦二三型は、長距離飛行が可能です。よって、レーダーが発見次第、ドーバー海峡を渡る前に敵機を墜とすことができます」
「飛行時間も六時間までなら問題ありません」
「我々は、その航続距離を活かして護衛についてくる敵戦闘機を叩きます。そうなれば、爆撃機の護衛はできません。そうなれば、爆撃機の搭乗員は、動揺して早めに爆弾を落とそうとするでしょう」
「そこに、空軍機が襲いかかるのです」
「如何でしょうか?」
司令部では、「検討する…」と回答したが、なかなか、新しい命令は届かなかった。
それから一週間が過ぎたころ、ようやく、日本からの第二陣が到着する旨の連絡があった。
進藤少佐たちは、
「よし、何とか間に合ったな…」
そう言い合った直後、進藤少佐の案が通り、翌日から大和飛行隊が前線に出ることができるようになったのだ。
そして、グループを二手に分け、一日交替で出撃する手筈を整えた。
第一班は、進藤少佐率いる二十五機。
第二班は、宮野善治郎大尉率いる二十五機となった。
これまでイギリス空軍も義勇兵を投入することに躊躇いを持っていたが、ここに来て、さすがに決戦だと考えたようだった。
それに、補充用の機体も間もなく届けば、今以上に出撃できる。そう考えた進藤少佐は、安堵のため息を漏らした。
翌日は、曇天だったが、フェアフォード空軍基地の滑走路には、スピットファイヤー三十機と進藤隊二十五機、そして、百式司令部偵察機三機がエンジン音を轟かせて待機していた。
間もなく先発隊として百式偵察機が飛び立つだろう。イギリス側では、百式偵察機を「ハンド」と呼んでいた。要は、ハンドレッドの意味である。
当時のイギリスには、これに匹敵する偵察機はなく、イギリス空軍は、これをイギリスでも生産できないか…と、早速日本政府と交渉に入ったようだった。それくらい、百式偵察機は、優れた飛行機だったのだ。
それにしても、六〇機近い飛行機の爆音は、凄まじい音である。それでも、近隣住民は文句一つ言わない。やはり、みんな母国の勝利を信じて協力しているのだ。
これで、何人かのイギリス人パイロットを休ませることができる…。それも、進藤少佐には、義勇隊の役割だと考えていた。
待機中に全機に発進命令が出された。
イギリス人パイロットは、命令が出るや否や脱兎の如く走り出し、自分の愛機に飛び乗ると、大きく手を振って離陸していった。本当は疲れていて、体も重いはずだが、ひと言の愚痴も言わず、いつも明るかった。
彼らの英語は、イギリス訛りなのか、早口で日本人には聞き取りずらかった。
それにしても、このガッツは、日本人も見習う必要がありそうだ…と多くの日本人搭乗員は考えていた。
こちらの大和飛行隊は、何とか英語の発進命令を聞き取り、出撃準備に取りかかった。パラシュート持ち、
「さて、行くか…」
と、進藤少佐が発進命令を出そうとしたそのとき、偵察隊の山中少佐から無線が入り、ドイツ軍の方位、高度、機数が把握できた。
まだ、時間はありそうである。これなら、ドーバー海峡上空で待ち伏せできるだろう…。
そう考えて、全機に発進命令を下した。
そのときには、滑走路も空き、大和飛行隊の二十五機だけが残されていた。
発進指揮官のヤード大尉に、手で発進合図を送ると、大尉からも「OK!」のサインが出た。こんな状況でも奴らはリラックスしている。
日本だったら、発進指揮官は、険しい顔で敬礼でもするはずだったが、ヤード大尉は、笑顔で飛行隊を見送ってくれていた。
見送りの整備兵の中には、小躍りして何かを叫んでいる者もいたが、何を言っているかはわからなかった。
まあ、とにかく、バトル・オブ・ブリテンの開始だ…!
整備の済んだ零戦二三型は、軽快なエンジン音を響かせ、進藤機を先頭にスルスルと発進していった。
形こそは、紛れもない日本の零戦ではあったが、中味は、本当に変わったことを実感していた。
操縦装置などに変わりはないのだが、エンジンにしても操縦桿の効きにしても、微妙に違うのだ。それは、「滑らか」と言う方が適切かも知れなかった。「小さな部品でも工作技術次第で、こんなにも違うものか?」
と驚いたが、この機体には油漏れという、以前は当たり前の現象が出ないのだ。飛行訓練を終えて帰ってきても、風防が汚れていない機体など、日本では見ることはなかった。
そういうものだ…と思っていたことが、悉く覆され、先進国の工作技術の高さを思い知るのだった。
基地上空で編隊を組み直すと、先頭に「ハンド」と呼ばれた百式司令部偵察機が立ち、誘導することになっていた。
少し曇り空が気になったが、百式には、高性能レーダーが装備されているので、戦闘機隊はついていくだけである。昔のように、航空地図に鉛筆で印を付けながら飛行するのとはわけが違う。神経の擦り減り方がまったく違うのだ。
これなら、戦闘に専念できるというものだった。
「こういう細かな差が、戦力の差というのだろう…」
進藤はそう思い、本当にアメリカと戦争にならなかったことに感謝した。
飛行は、一時間程度でドーバー海峡に到達した。
高度を上げながら飛行をしてきたので、現在、高度六千mに達していた。
ドイツの爆撃機は、日本の中型攻撃機と同等程度の性能らしく、高高度を飛ぶことはなかった。
前方を見るとイギリス機の編隊が見える。
この空域で、爆撃機を待ち伏せする戦法だった。
進藤たちは、イギリス機の編隊に手を振ると、無線にスピットファイヤーの編隊長機から「成功を祈る!」と言うメッセージが届いた。
こちらも「了解!」と無線で応え、さらにドーバー海峡を越え、フランス領内に進んでいった。
それから二十分ほど経った頃である。
偵察の山中少佐から「そろそろ、敵機と遭遇する!」という無線が入り、大和飛行隊は、小隊毎に編隊を整えた。
このあたりの空域は広い。ここで、メッサーシュミットを足止めすれば、燃料の関係で、イギリス領内に踏み込むことはできないのだ。
すると、遠くに小さな点が見え始めた。
敵機の編隊だ…。
どうやら、爆撃機を護衛して戦闘機が数十機ついて来ているようだ。しかし、それもここまでだ。絶対にイギリス国内には、足を踏み入らせない…。
そう覚悟した大和飛行隊戦闘機部隊二五機は、高度を利して一斉に攻撃態勢に入った。
今度は予想していたのか、メッサーシュミットの編隊は急上昇に移り、零戦二三型を振り切るように高高度へと猛スピードを上げていった。
どうやら、今度のメッサーシュミットは新型のターボエンジンを装備しているらしい。
イギリス空軍でも、一時的に高速が出せるようにターボエンジンの開発が進んでおり、スイッチを入れると、ターボチャージャーが回転し、時速が二〇㎞ほど増速するのだった。
急上昇していながら、六百㎞を優に超える加速は、残念ながら零戦にはなかった性能だった。
零戦隊は、それを見るや否や、高度を利して爆撃機に襲いかかった。護衛戦闘機のいない爆撃機など、蛇に睨まれた蛙同然だった。
零戦隊の各小隊は、次々と爆撃機を襲い、一撃で十機ほどに火を噴かせることに成功した。
「よし、これで十機は、ドーバーを渡れまい…」
第二小隊長の坂井一飛曹は、そう確認すると、翼を一気に翻し、上空から降ってくるドイツ機を見張った。
すると、そこにドイツ機の編隊が、零戦隊に襲いかかった。
ところが、零戦は、ひらりとその第一撃を躱すと、ドイツ機が上昇できないように、その頭を押さえるように飛行した。
ドイツ機は、元々格闘戦が苦手だった。
ヨーロッパの戦闘機は、高速を信条として製造されており、機体が細く、翼もシャープに造られている。そのため、急降下、急上昇は得意だが、低空戦闘は操縦が難しいのだ。
そのために、低空での格闘戦になると、零戦隊に手も足も出なかった。
撃墜されるのを拒んだドイツ機は、そのまま急降下で遠くまで逃げ去り、二度と戦闘空域に戻ってくることはなかった。
進藤少佐が、集合を命じると一機足りないことに気がついた。
各搭乗員に確認すると、西沢一飛曹の小隊の田中勇二二飛曹だった。西沢小隊長も何度の無線で呼んだそうだが、田中は、二度と大和飛行隊の前には顔を見せることはなかった。
基地に戻って機体を確認すると、それぞれに数発の弾痕が見つかった。中には、中の操縦桿ケーブルが切れそうになっていたり、ガソリンタンクに当たっているものも見つかった。
大半は、爆撃機を銃撃したときに出来た敵の反撃の証しであったが、もし、これが日本製の機体であったら、数機は撃墜されていてもおかしくはなかったのだ。
アメリカ製のケーブル、防弾タンク、それに防弾ガラスを装備していたからこそ生き延びることができたのだ。
進藤は、
「これは、俺たちだけの実力じゃない。科学の力を結集しなければ、戦争に勝つことはできないのだ…」
と、還って来なかった田中二飛曹の若い顔を思い浮かべながら、心をさらに引き締めるのだった。
実際、ドイツ機を撃墜しても、彼らは早々に機体を棄て、パラシュートで降下していった。敵地であれば、捕虜になるはずだが、そんな躊躇いはないように見えた。
もし、日本兵なら、機体を最後まで操縦し、そのまま自爆していったことだろう。「捕虜になるくらいなら、死ね!」というのが、日本軍の掟であった。そう考えると、人命を大事にする欧米人の考え方の方が理に適っているように思えた。
おそらく、田中も機体を棄てることができず、そのままドーバー海峡に突っ込んで行ったのだろう。パラシュートも装備していたのに…。
「俺が、もっと話をしておくべきだった…」
「俺たちは、義勇兵なのだ。捕虜になっても恥ずかしくはないのだ…」
「生きていれば、また、機会は巡ってくる」
進藤にとって、自分が率いてきた飛行隊に戦死者が出たことが、悔しくてならなかった。
その翌日も、宮野大尉率いる大和飛行隊が出撃して行った。そして、また、二名の戦死者を出すことになった。
さすがドイツ軍である。もう、零戦の特徴を分析し、その機体の脆弱性に目をつけたようだった。
ドイツ機は、零戦の小隊に単機で突っ込んで来ることはなくなっていた。零戦隊と同じように四機のロッテ戦法に変え、次から次と上空から撃ってくるのだ。そして、零戦隊が反撃に出ようとすると、今度は超低空を這うように高速で逃げていってしまうのだ。
その間、爆撃機には、別のドイツ機が付き添い、体を張って護衛任務に就いていた。爆撃機自体も低空に退避するように飛行し、ドーバー海峡を岸壁すれすれに飛び越し、高速で市街地へと向かって行くようになっていた。
迎撃に向かうイギリス機も、低空の侵入では下方からの攻撃が出来ずに、かなり手こずるようになっていた。
また、高性能レーダーも、あまりに低空飛行だと捕捉が難しく、「敵機発見!」の報せが遅れるようになってきていた。
やはり、戦争である。お互いの参謀たちは、知恵を出し合い、敵の裏をかく戦法を見つけると、それを徹底して行うのだ。その間の戦死者は、ものの数に入ってもいないのだろう。
また、それを見破り、敵に損害を与えねば、こちらの負けである。こうして、初出撃からひと月の間で相当数の敵機を撃墜したが、こちらも、五十機あった零戦と十機の偵察機の三分の一を消耗し、搭乗員も十人が還って来なかった。また、負傷して療養を余儀なくされた者もいた。
戦争は、こうして人間を消耗品扱いにして、消耗が少なかった国が勝つのだ。冷静に考えれば、同じ人間同士が愚かな殺戮を繰り返すだけなのだが、始まった以上文句を言っても仕方がない。
これも人間の歴史なのだ…。
この戦いに終止符を打ったのは、最後の局面で到着した横山保少佐率いる大和飛行隊の第二陣の活躍が大きかった。
やっと到着した横山少佐を見つけた進藤少佐は、
「やあ、ご苦労様でした。しかし、間に合ってよかった…」
すると、横山も頭を掻きながら、
「すまん、すまん。こちらも地中海に入った途端にUボートの魚雷攻撃を受け続けて、日本とアメリカの駆逐艦三隻がやられた…」
「まあ、取り敢えず制圧には成功したので、やっと輸送船をこちらに回すことができたんだ…」
「予定より、一ヶ月遅れてしまったな…。で、戦局はどうだ?」
進藤は、ここまでの戦いを詳しく語って聞かせた。
そして、
「もし、アメリカの協力を得られず、零戦二二型のままであったら、第一陣は、全滅していたはずです…」
「幸いに、高性能レーダーや防弾タンクなどのお陰で命拾いしました…」
「それでも、結構やられましたよ…」
「だが、イギリス兵は強い。本土防衛という強い意思もありますが、どんな状況でも諦めない。この強さは、さすが大英帝国です」
「まあ、飯でも食べましょう…。肉とワインですがね…」
そう言うと、二人は久しぶりの再会に笑顔を見せて、宿舎に向けて歩いて行った。
進藤にとって横山は、同じ階級同士ではあったが、海軍兵学校では二期先輩である。少佐への進級も横山の方が早く、先任だった。
昔からの搭乗員仲間だったが、やはり、先輩に対しては敬意を払うのは当然だった。
バトル・オブ・ブリテンの戦いも二ヶ月を過ぎると、お互いに疲労の色が濃くなった。
ドイツ空軍は、それでも戦爆連合で連日のように数百機を動員して、イギリスの各都市への空爆を行っていたが、ロンドンまで到達できた爆撃機は少数で、それまでの間に、イギリス空軍機によってかなりの損傷を受けていたのだ。
イギリスのレーダー網や高射砲陣地は鉄壁かと思わせるほどに、装備も兵員も充実していた。もちろん、アメリカの支援があってのことだが、これほどの防衛システムを構築したのは、イギリス人の合理性なのかも知れなかった。
特に日本の兵隊たちが驚いたのが、ロンドンなどの都市の防衛システムであった。
ロンドンは、地下鉄が発達しているためか、そこがすべて防空壕の役割を果たしていた。各家庭には、護身用の小銃や拳銃が配られ、敵が上陸してくれば、男たちは動員されることになっていた。
そして、各家庭のも堅牢な地下防空壕が造られ、食糧や医薬品も十分に確保されているのだ。
ときどき、イギリス兵と一緒に町に出ると、よく「ウェルカム、ジャパニーズソルジャー」と笑顔で手を振られたが、その顔には悲壮感はなく、強い意思だけを感じていた。
岩本一飛曹などは、
「これじゃあ、日本もまだまだ、だなあ…」
と、苦い顔をしたが、同行したイギリス兵に、
「とんでもない。日本人は凄いよ。あのアメリカを戦争もせずに屈服させたんだからな…」
と、感心されるので、困ってしまった。それに、「トーゴー」は、どこに言っても話題になり、イギリスのビールメーカーでは、日露戦争直後に流行した「トーゴービール」の復刻版を出して、大ヒットしていた。
ドイツ軍も航空部隊の被害の大きさに驚いたが、それでも、新型ミサイル「V2」を開発し、ロンドンや各都市を攻撃してきた。しかし、ロケットは開発途上の兵器であり、イギリスの高射砲や迎撃機で撃ち落とすことが可能であった。
それでも着弾した地域では、多くの家屋が破壊され、死者が出た。犠牲者には、子供も大人も関係ない。街中には、家族を失った子供や老人が溢れ、その悲惨な状況を耳にすると、日本兵にとって他人事ではなかったのだ。
「もし、アメリカと戦争になれば、これと同じことが、日本にも起きたのか…」
そう思うと、今まで自分たちが「戦って死ねばいいんだ…」と言った単純な考え方が幼稚で恥ずかしかった。死んでいった兵士よりも、残された者の方が何倍も苦しいことはあるのだ…。それを、このイギリスという外国の地でまざまざと見せつけられた思いだった。
ところで、今やドイツも必死である。もし、このイギリス上陸ができないとなれば、戦争の終結は見えてこない。
ヨーロッパの盟主とも謳われる天下の大英帝国を屈服させられなかった屈辱は、戦争の勝敗に及ぼす影響は計り知れないものがあった。
ヒットラーは、一人爪を?みながら、思案に暮れていたが、他の側近たちには、そんな雰囲気は微塵もなかった。だれもが楽観論に傾いており、アメリカが参戦しない以上、日本の少数の義勇兵如きに何が出来るか…と嘯く者も多かったのだ。それに、たとえアメリカが参戦してきても、日本に屈服させられた今のアメリカに何ができる…という侮った雰囲気が、余計にヒットラーを苛立たせていた。
ヒットラーはこれまで以上に部下たちを叱責し、危機感を煽ったが、これまでのドイツ軍の電光石火の進撃を知る者たちには、怖れるという感覚もないのだ。しかし、ヒットラーの天才的な勝負勘は、間違いなく危機を予感していた。
そんな一人苛立つヒットラーを見て、だれもが恐れおののき、近づこうとする者もいなくなっていた。
そして、いよいよイギリスの空の戦いも最終局面を迎えようとしていた。 その最大の理由は、アメリカの参戦表明だった。
アメリカの新政府は、トルーマン大統領の下に親日派、知日派と呼ばれる政治家や閣僚が集められた。
連邦議会においても、反共産主義を標榜する議員たちが、「レッドパージ」を主張し、アメリカの政界や財界から、それら共産主義者及びシンパが一掃されたのである。
日本国内においても同様に、社会の重要な地位から多くの人々が追われることになった。政府内でも内閣書記官長を務めた風見章やゾルゲ事件に関わった近衛前首相側近の尾崎秀実など、多くの人々が経済界や学会から追われていた。それを容認してきた木戸内大臣も更迭された。
そして、日本が義勇兵を送って戦っていることを知ったアメリカ国民が、アメリカ政府に参戦を求めたのである。
「あの日本が、ヨーロッパで戦ってくれているのに、イギリスの親戚の我々が助けなくてどうする?」
「私の故郷は、イギリスにあるんだ!」
「ヨーロッパこそが、我々アメリカ人の故郷じゃないか!」
などの声は日増しに高まり、連邦議会は、遂にこの欧州大戦をアメリカの手で終わらせようと決議した。
このニュースは、その日のうちに世界中に広がり、ドイツは動揺を隠せなかった。
ヒットラーも、
「くそっ、間に合わなかったか?」
そう言うと、怒鳴り散らすような大声を上げ、イギリスへの最後の攻撃を命じた。
「これが、イギリスへの最後の空爆になる。ドイツ空軍の誇りと名誉をかけて、全力で戦ってこい!」
「報告は、勝利の報告以外はないと思え!」
ドイツ空軍のヘルマン・ゲーリング大将は、ヒットラーに、全力を尽くすことを約束すると、百機の爆撃機と二百機の戦闘機、そしてV2ロケット五十基による黎明時攻撃を命じたのだった。
昭和十六年九月一日。
いよいよ、バトル・オブ・ブリテンの最終決戦の日が来た。
イギリス空軍は、この三ヶ月に及ぶ本土防空戦において数十人のイギリス航空兵を失い、負傷者はその数倍に達していた。既に航空兵力も少なくなり、基地の整備兵も寝る間もなく機体にしがみついていた。それでも、不平を口にする者はなく、戦意は衰えることを知らなかった。
それは、航空兵たちばかりでなく、高射砲連隊の兵士もレーダーサイトの兵士たちも銃撃や爆撃に見舞われながら、必死に耐え、歯を食いしばってドイツ軍の上陸だけは阻止する覚悟で戦ってきたのだ。
ドイツの飛行兵たちも、連日の出撃で肉体的にも精神的にも限界が近づいていた。それに、「これ以上やっても、無理だ…」という厭戦気分が漂い始めていた。
特に、完全装備でフランス沿岸に待機していた陸軍部隊は、その緊張感を維持することができず、次第に軍規が緩み始めている…という情報も流れ始めた。
フランスにも多くのスパイが放たれているので、この報せは、ほぼ正確だろう。そう考えると、最後の決戦に懸ける思いは、八対二というところか…と進藤たちは考えていた。
戦いの勝敗は、確かに量や質の問題もあるが、人間が行う以上、「気力」が左右することが多い。まあ、日本軍のように「精神論」ばかりを強調しても、戦意が高まる保障はないが、家や家族を守るとなると「火事場のばか力」が発揮されるものだ。
今のイギリスは、そういう状態かも知れなかった。それに、女王陛下は、バッキンガム宮殿から一歩も退かず、女性でありながら軍服を脱がず、国民を鼓舞している。この姿勢こそが、イギリス人の「ジョン・ブル精神」なのだろう。
ただ、既に墜とした敵機の数は、二百機を超えたが、こちらの戦闘機隊の被害も甚大だった。
初戦から戦い続けた大和飛行隊第一陣の進藤少佐自身も足に傷を負い、零戦を操縦できなくなっていた。
ベテラン搭乗員にも多くの戦死者を出し、台南航空隊出身の西沢一飛曹、瑞鶴戦闘隊の岩本徹三一飛曹などが、鬼籍に入っていた。あの最年少の杉田二飛曹も敵機ともつれるようにしてドーバー海峡に墜ちていった。
零戦二三型の多くは傷つき、五十機あった戦闘機も使用可能機は十機ほどになり、満身創痍というような状態だった。
山中少佐率いる百式司令部偵察機十機も既に七機を失い、残されたのは、山中機以下三機のみであった。その上、二〇名の搭乗員のうち、戦死者八名、負傷者四名を出し、偵察飛行もままならなくなっていたのだ。
もし、この状態で、数百機の攻撃を受ければ、防空ラインを突破され、ロンドンは、火の海になるに違いなかった。そうなれば、バッキンガム宮殿も喪失することになるだろう。
イギリスが降伏するのは、時間の問題かも知れなかった。
しかし、ここに来て、アメリカの義勇軍戦闘機隊百機と日本からの大和飛行隊五十機が到着した。アメリカ海軍は、議会の承認が得られることを想定して、ニューヨークから航空母艦四隻に百機の戦闘機を載せ、特急列車のようなスピードで、イギリス本土を目指したのだった。
議会の承認が出たのは、イギリス到着の一日前という慌ただしさだったが、アメリカ海軍のニミッツ大臣は、「責任は、私が取る!」と断言して、艦隊を出港させていたのだった。
もし、議会の承認を待っていたら、バトル・オブ・ブリテンの最終決戦にアメリカは間に合わなくなるところだった。
こうして、日米の新型戦闘機一五〇機が到着したことで、イギリス空軍も息を吹き返したのだった。
九月の朝は早い。
予想どおり、午前四時には高性能レーダーと、日米英の偵察機が敵の出撃を感知していた。やはり、決戦の舞台は、ドーバー海峡である。
「いよいよ、最終決戦ですね…」
進藤は、横に並んだ横山に声をかけた。
「ああ、間に合ってよかったよ…」
「進藤、悔いのないように戦おうぜ…」
「はい、日本人の底力を見せてやりますよ!」
そう言うと、軽く敬礼を交わし、自分の愛機へと走って行った。
今回の出撃は、大和飛行隊は、全力で五〇機ちょうどであった。
陸軍の鍾馗隊は、ドーバー海峡を突破してきた爆撃機の迎撃用に待機である。
陸軍の風岡久信大尉は、進藤少佐に駆け寄ると、
「進藤少佐殿。後の方はまかせて下さい。ロンドンには、指一本触れさせませんから…」
そう言うと、進藤は、にっこりを笑顔を見せて、
「風岡さん。頼みます。これで、安心して戦えますよ…」
風岡は、既に操縦席に乗り込んでいた進藤少佐の肩に安全ベルトを懸けた。「じゃあ…。後で…」
これが、二人が交わした最期の言葉となった。
既にイギリスのスピットファオヤーとホーカーハリケーンの戦闘機隊は、滑走路に進入していた。
先鋒は、もちろん、イギリス空軍である。
その後を、大和飛行隊が進む手筈になっていた。
アメリカの戦闘機隊は、さらに後方の基地から、時間差を置いて出撃することになっていた。その数、およそ百機である。
ここに来て、イギリス、日本、アメリカの連合の戦闘機隊二五〇機が、最後の戦闘に飛び立って行った。
実は、ドイツ空軍のゲーリング大将は、ここに、これまで秘密にしていた新型の大型爆撃機十機を参加させていた。
発動機四発で重武装の爆撃機である。
後のボーイング社のB29に匹敵する爆撃機で、四門の十三粍機銃座を設けており、だれもが見たことのない新鋭機だった。
これを高度一万mで飛行させ、直接ロンドンを目指す作戦であった。
ゲーリングは、わざわざ、特別爆撃隊のクルーを集め、
「いいか。この爆撃機メッサーシュミットME264は、極秘開発された試験機である」
「まだ、その存在は知られてはいない。高度一万m以上の成層圏を飛んで、二トンの爆弾の雨をロンドンの街に降らせてやれ!」
「ただし、護衛機はない…」
「敵は、戦爆連合の編隊に気を取られているはずだ。その隙に、ロンドンを粉砕せよ!」
と、檄を飛ばした。
ドイツも、ここで易々と撤退することはできないのだ。
この戦いに勝利し、ロンドンを壊滅することができれば、空挺部隊を投入して一気に国王を押さえ、有利な講和に持ち込もうと考えていた。
上陸部隊は、その後に悠々と乗り込めばいい。ゲーリングは、この十機の大型爆撃機にすべてを託していたのだ。
それに、国王を押さえてしまえば、イギリスは否も応もなく講和のテーブルに着かざる得なくなる。
そうなれば、アメリカや日本も手出しはできまい…という作戦だった。
ヒットラーにとって、ここまで来れば、勝利云々よりドイツ帝国の存在意義を世界中に知らしめれば勝利したようなものだった。
「まあ、講和が済んだら、様子を見てソ連をいただくさ…」
ヒットラーには、そんな野望が潜んでいたのだ。
出撃して、約一時間。そろそろ、敵編隊と遭遇する時間だった。
今日の空は晴れて、断雲が所々に見えるが、戦争さえなければ絶好の行楽日和というものだろう。
進藤は、航空時計をちらっと見ると、二十粍機銃と十三粍機銃の発射準備を行い、試射を行った。
ドドドドドド…、という一連射は、他の機でも始められていた。
「よし、準備は完了…」
進藤少佐は、
「そろそろ、遭遇するぞ!」
「よく、見張れ。後は、小隊毎に任せる」
「帰投は、各自小隊毎。以上!」
進藤がそう命令した直後である。
偵察隊の山中少佐から各機に無電が入った。
「敵、戦爆連合約二百。ドーバー海峡に向かう!」
「高度、四千m!」
「爆撃機上空に戦闘機!多数!」
それを聴くと、イギリス戦闘機隊も零戦隊も高度をさらに上げて、迎撃態勢に入った。
小さな黒い点が、ごま粒大になり、そして、爆音とともに敵機の姿が見えるくらいまで近づいた。
心臓がドクドク…と高鳴ってくる。いつもは、冷静な進藤にも、この一戦の重要性は痛いほどわかっていた。
敵機の大編隊が、少し下の高度に現れた。もう、ここしかない。
そこで、進藤は、
「全機、かかれ!」
と、突撃命令を出した。
後は、小隊毎に目標を定め突っ込むだけである。
既に、前衛では、イギリス戦闘機とドイツ戦闘機の空中戦が始まっていた。
霞んだ空に、黒煙を上げて墜ちていく飛行が見えるが、敵か味方か、わからない。
進藤少佐も列機を連れて、中型爆撃機に標準を定めた。
攻撃方法は、直上からの一撃離脱である。
しかし、上空に達すると、そこには、メッサーシュミットが待ち構えていた。いつもなら、そろそろ引き返すはずの敵機が、腹に下に大きなタンクをぶら下げている。
「なるほど、これで少しでも航続距離を稼いだのか…?」
すると、敵機は一斉に増槽タンクを切り離した。
残っていたガソリンが、龍のように空に曲線を描きながら落下していく。
これで、敵機も身軽になったわけだ。
こちらも、同じように零戦の増槽を落として、まずは、戦闘機に向かって行った。
すれ違いざまに二十粍を撃ち続けると、敵機の操縦席に命中したのだろう。パイロットの仰け反る様子が見えた。
こちらは、防弾ガラスに一弾当たったようだが、十三粍弾のためか、貫通はしなかった。
もし敵も二十粍だったら、相打ちで進藤も戦死しているところだった。
後ろをついて来る列機三機も、混戦に巻き込まれたらしく、進藤が後ろを振り返っても、列機は目に入らなかった。
続いて、前方から次の一機がこちらに向かって来るではないか。
最初の一撃を躱すと、進藤は捻りこみの技で敵機の後方についた。
敵機が急降下で逃げようと、舵を下に向けた瞬間、零戦の二十粍機銃がさらに下方を狙い撃ちした。
すると敵機は、そのまま急降下状態に入り、空中分解をしてしまった。
進藤が行った射撃は、「予測射撃」といわれるものだった。つまり、敵機の次の運動を予測し、何もない空中に弾を撃ち込む高等技術である。
予測通り、敵機はその弾雨の中にわざわざ飛び込み、エンジンに被弾し、爆発したのだった。
進藤は、ふーっ…とため息を吐くと、爆撃機を目指した。
進藤がねらった爆撃機は、既に被弾しており、やっと飛んでいる状態だった。それでも、後方機銃の射撃手は、腕がいいと見えて、向かって来るイギリス機に次々と白い煙を吐かせていた。
それを見た進藤は、急速に爆撃機に近づき、
「よし!」
そう思い、ねらいを定めた瞬間、目の前を一機のイギリス機が横切った。
被弾したスピットファイヤーである。
「あっ!」
瞬時に操縦桿を左に倒したその瞬間だった。爆撃機の後部機銃が進藤機の尾翼を撃った。
ガクンという衝撃を受けた進藤機は、白い煙を一直線に吐きながら、そのままドーバー海峡の海に向かって落下していった。
そのとき、進藤の頭部にも敵の一弾が貫通していたのだった。
頭を撃ち抜かれた進藤三郎少佐は、顔面を血で真っ赤に染め、遂に、ドーバー海峡の空に散華したのだった。
隊長機を見失った列機が、集合時間になっても来ない隊長機を探し求めたが、進藤機は、部下たちの前に二度と現れることはなかった。
ドーバー海峡上空での大空中戦は、次第にイギリス側に有利に展開していった。無理をして大きなガソリンタンクを積んできたメッサーシュミットやフォッケウルフは、やはり、長い空中戦には不向きだったのだ。
時間が勝敗を分けたと言ってもよかった。
航続距離が短いのはイギリス空軍機も同じだったが、大和飛行隊が加わったことで、イギリス戦闘機は、戦闘途中に近くの秘密滑走路に着陸し、ガソリンを満タンにすると、また、空中戦に参加するといった離れ業をやって見せた。
その間、零戦隊は踏ん張り続けたが、やはり櫛の歯が欠けるように、被弾する者が増え、そろそろ撤収の時間が近づいていた。しかし、ロンドンへの爆撃は阻止できたと思ったそのころ、遥か上空では、十機のドイツの新型爆撃機メッサーシュミットME264が成層圏を飛んで、一直線にロンドンを目指していたのだ。
イギリスのレーダーは、これをキャッチしたが、成層圏を飛ぶような飛行機が存在することが信じられず、通報が遅れた。
この一万m上空の影が、爆撃機だと気づいたころには、後三十分ほどでロンドン上空に達する時間になっていた。
一機二トン近い爆弾が十機、二十トンの爆弾がバッキンガム宮殿を目標にして、悪魔のような姿で近づいていた。
既にアメリカの戦闘機は、ドーバー海峡に向かっており、最後の残党狩りのような様相を呈していた。ドイツの中型爆撃機のほとんどは、日英連合軍の戦闘機によって墜とされるか、ドイツ本国に逃げ帰っており、アメリカ戦闘機が到着したころには、戦場は終わりを迎えていたのだ。
しかし、十機の大型爆撃機は、成層圏を悠々と飛行し、そろそろ低空に降りようと、編隊を整えたそのときである。
銀色の小さな翼を翻した猛禽類のような素早さで、目の前を通過する飛行物体があった。大和飛行隊の迎撃戦闘機「鍾馗」である。
元々は、日本陸軍が開発した二式単座戦闘機キ44型のことだが、陸軍は特別に名称をつけていた。それが「鍾馗」である。
イギリスでは、そのまま「ショーキ」と呼んでいるが、アメリカのボーイング社が改良を加え、鍾馗三型として登場してきた機体である。
エンジンは、大型の一五〇〇馬力エンジンを積み、アメリカ製二十粍機銃及び十三粍機銃を搭載し、速度は時速六五〇㎞に達していた。燃料タンクも防弾ゴムを張り、風防全面を防弾ガラスに換え、油漏れを極限まで減らすよう、シリンダーを交換していた。
日本の戦闘機の弱点は、構造は素晴らしいのに、細かな点に良質な材料が使われておらず、電気系統の故障や油漏れが日常的に起こっていた。これをアメリカ製に交換しただけで、性能が向上するのだから驚きである。
鍾馗戦闘隊の風岡弘大尉は、アメリカの技術力に舌を巻くしかなかった。
「なんだ、そんな小さなことで、性能が大きく変わるのか?」
と驚いたが、科学技術の結晶が、この小さな戦闘機だと考えれば、当たり前のことではあった。しかし、外見ばかりを気にして、内部にまで気が回らなかった自分を恥じるのだった。
その鍾馗隊だが、結局は、一番殿を命じられたことで、出撃が大幅に遅れていた。
二十名の隊員たちも、口々に、
「アメリカの野郎共、俺たちに殿を押し付けやがって…」
「これじゃあ、爆撃機も残っていないんじゃないか?」
と、文句を言い合ったが、今更言っても仕方がない。
風岡大尉も、内心不満ではあったが、進藤少佐が頑張っていることを考えると、何か役に立ちたいものだと思うのだった。
それに、この時点で、進藤少佐の戦死は伝えられていなかった。
「まあ、そう言うな。戦いは、まだまだ続くんだ…」
そう言って、隊員たちの不満を聞いていると、突然、イギリス将校が二人、慌てて走って来るではないか。
「どうしました?」
「今から、発進ですよ…」
風岡が、そう言うと、走ってきた大尉が、
「今、報せが入った…」
「敵の超大型爆撃機が、ロンドンに迫っている。直ちに、これを迎撃して欲しい…」
「高度は、今、五千mまで下がった。おそらく、三千m付近で爆弾を投下するはずだ…」
「ミスター風岡…。頼む、ロンドン市民を助けてくれ!」
風岡は、一瞬驚いたが、爆撃機の迎撃に変わりはない。
「了解!」
それだけ言うと、始動していた鍾馗の操縦席に飛び乗り、両手を挙げて合図し、一気に離陸していくのだった。
隊長に続けと、二十機の鍾馗隊は、脇目も振らず真っ直ぐに飛び立ち、急上昇していった。
その爆音の凄まじさは、近隣にまで響き渡り、周辺の人々は、雷が落ちたかと思って、多くの人が外に飛び出した。そして、二十機の戦闘機の編隊が白い飛行機雲を引きながら、高空へと去って行くのを見た。それは、朝日に映えて美しい光景だった。
ある者は手を胸の前に組み、ある者は十字を切って祈った。
風岡大尉率いる鍾馗隊がロンドン上空に達すると、既に遠くの上空に敵編隊が現れ、高射砲連隊が盛んに大砲を撃ち始めていた。
あちらこちらに爆弾が破裂する黒い雲が見え、敵の編隊が高度を下げていることがわかった。
しかし、もう時間がない。
風岡隊は、急いで弾雲が見える方角目指して速度を上げていった。
風岡大尉が、その飛行物体を発見したとき、その大きさに驚いた。
「なんだ、これは…?」
「ドイツは、いつ、こんな大型の爆撃機を製造していたんだ…?」
しかし、ロンドン市街までは、後、十分ほどで到達するはずだった。
既に爆弾倉が開かれている機体もあった。
風岡大尉は、躊躇うことなく、攻撃命令を下した。
「全機、突撃せよ!」
「一機たりとも、ロンドン上空に到達させてはならん!」
無線で、そう命じると、全機から「了解!」の声が入った。
鍾馗隊は、各々が目標となる敵機を見つけると、その上空に占位し、急降下で二十粍と十三粍の弾丸を撃ち込む手筈になっていた。
大型爆撃機相手では、下方からの攻撃では容易に墜とせないし、こちらが敵の銃撃を受けて被弾する怖れがあったからだった。
風岡大尉も、四千m上空から逆落としに先頭の隊長機に向けて急降下を開始した。
風を切る音がヒュンヒュンと鳴り、速度も六五〇㎞を超えていた。それでも、機体にブレがない。やはり、オクタン価の高い航空燃料を積んでいるせいかも知れない…と大尉は思った。
敵機がグングンと近づいてくる。
一撃で、必ず墜とさなければ、二撃目では間に合わないのだ。
一旦、急降下して低空まで降りてから、再度急上昇しても、最低十分はかかる。そうなれば、ロンドンに爆弾を落とす時間を敵に与えることになる…。
そう考えた風岡は、できる限り接近して銃撃することにした。
敵の銃座は四門。直上からの攻撃を防ぐ術はない。
風岡大尉は、ゴーグルを固くかけると、白いマフラーで鼻先を覆った。こうすることで、集中力が高まるのだ。
敵機が照準器一杯に広がった。
「よし、ここだ!」
その瞬間、鍾馗の五門の機関銃が唸りを上げた。
ドドドドドドド…。
命中弾が敵機の首筋あたりに集中的に命中するのが見えた。
しかし、あまりにも接近していたために、回避操作が遅れた。
左旋回で機を捻ったが、風岡機は、そのまま、敵機の操縦席に激突していった。
ドッガーン!!
一瞬、真っ赤な炎が噴き出したかと思うと、二つの機体は、そのままもつれるようにして墜落していった。
他の機は、銃撃を終えると回避行動に移っていったが、その爆発の衝撃は空中にいても感じることができた。
何があったのか…?
と振り向くと、そこには、自分たちの隊長である風岡大尉機が敵の先頭機に体当たりした姿を認めたのだった。
「た、隊長…!」
隊員たちが、そう叫んだときであった。
敵の爆撃機の二機が、編隊を崩して下降していくのが見えた。
そして、それを追うように、三機が追撃戦に入っていった。
三番機の檜曹長が上空を見上げると、他の七機が爆弾を放棄するのが見えた。そして、急旋回をして遁走を図っているのがわかった。
爆弾は、ロンドン市街には到達することなく、近くの森に落下していった。
その逃げる敵機に向かって、高射砲が盛んに撃っているのが見えた。
檜曹長は、
「隊長機の壮烈な体当たりを見て、驚いたに違いない…」
「だから、慌てて逃げたしたんだな…」
そう思うと、いつも温厚で優しかった風岡大尉の面影が浮かんだ。
「隊長…」
戦場での兵隊の死は、日常である。しかし、日本から遠くイギリスの地まで一緒に連れて来て貰った風岡隊長の壮烈な死を目の当たりにして、ベテランの檜曹長に目にも涙が浮かんだ。
「隊長…。隊長のお陰で、ロンドンは助かりましたよ…」
「任務は、無事に達成出来ましたよ…」
そう、操縦席の中から、隊長が散華した空に向かって声をかけずにはいられなかった。
そして、隊長機に替わって他の鍾馗隊を呼び、
「隊長は、散華された。俺たちは帰ろう…」
と伝えると、翼を翻すのだった。
第五章 Uボートとの戦い
こうして、三ヶ月を超えるバトル・オブ・ブリテンの戦いは終わった。
ドイツ空軍は、戦力を消耗し、これ以上の作戦の継続は難しくなっていた。この作戦の成功で、講和に持ち込みたいというヒットラーの計画は水疱に帰し、改めて、作戦計画を練り直さねばならなかった。
このころロンドンでは、この戦いの一部始終が報道されており、ロンドンのマスコミは、戦火の中でもしっかり取材を行い写真を撮り、正確な情報を市民や国民に知らせる努力を怠らなかった。
こうした姿勢は、日本でも大いに学ぶべきものが多いと、零戦隊の横山保少佐は考えていた。まして、先に来て戦い続けた進藤少佐を亡くした喪失感は、横山に冷静な判断をするきっかけにもなっていた。
それに、一緒に来た陸軍の風岡大尉まで短期間のうちに死なせてしまっていた。
そんな冷静な横山少佐を横目に、イギリス国民は、日本の義勇隊の活躍を大きく取り上げていた。特に、戦死した風岡大尉の最期は、ロンドン上空での戦闘だったこともあり、多くの国民がハラハラしながら上空を見上げていたのだ。
そして、小さな戦闘機が大型爆撃機に体当たりした姿は、ロンドン市民を感動させていた。
「キャプテン風岡」の名は、今やロンドン中の話題であり、「トーゴー」と並んで救国の英雄とまで賞賛されていた。
イギリス女王も、バッキンガム宮殿の庭から、この空中戦を見ていたということで、日本政府に直々にメッセージを寄せられた。そこには、
「大和飛行隊の進藤、風岡両隊長、そして多くの義勇飛行兵の勇敢な戦いに、イギリス国民を代表して謝意も申し上げる。特に、キャプテン風岡は、ロンドン市民の目の前で壮烈な体当たり攻撃を見せてくれた。ありがとう。心より感謝いたします」
と、あったそうだ。
女王は、その後も時々、この空中戦のことを思い出し、日本の使節団が訪れると自ら足を運び、「コンバットヤマト」「メジャーシンド-」「キャプテンカザオカ」の名を出して、その功績を讃え続けた。
そのころインド洋では、小沢治三郎率いる戦艦部隊と機動部隊が、監視体制を整え、戦況を見守っていた。
旗艦の戦艦大和の艦上でバトル・オブ・ブリテンの戦いの状況が報告されると艦内放送で全乗員に司令長官自らが語って聞かせた。これは、戦闘できない乗組員の士気を少しでも下げないための方策の一つだった。
彼らは、戦況に一喜一憂し、大和飛行隊の活躍を願わずにはいられなかった。それに、同じ「大和」の名を持つ同志感があったためか、大和の乗組員は特に熱が入っていたようだった。放送が終わると、あちらこちらで、
「ようし、俺もやってやるぞ!」とか、
「飛行隊には、負けねえぞ!」
と言った大きな声が谺していた。
さすがに、これには高柳艦長も苦い顔をしていたが、小沢司令長官自らが、「よし、よし…」と頷くので、仕方ない…と思うようにしていたようだった。
高柳艦長にしてみれば、旗艦としての矜持と節度を重んじたかったのだろうが、乗組員の自然な高揚感を止める手立てがないことは、だれもが承知しているところだった。
小沢は、時折、艦長に、
「高柳さん。済まないな…」
「だが、乗組員の士気も上げとかんとなあ…」
と、頭を下げるので、高柳も恐縮するばかりだった。
そんな平穏なインド洋であったが、急報が入ったのは、イギリスでの戦いが終わって数週間後のことだった。
軍令部から至急電が小沢の元に入った。
相手は、永野軍令部総長である。
「お、小沢さん。欧州のドイツ軍が動いた。最終決戦になる!」
電話で永野が話す内容は、こうであった。
ドイツ軍はイギリス上陸作戦を成功させて講和に持ち込む腹だったが、これに失敗したために、最後の決戦を海上戦に求めたのだった。
ドイツ海軍は、インド洋を押さえている日本海軍の艦艇を地中海に誘い込み、得意のUボートをすべてインド洋に回し、日本の小沢艦隊を殲滅し、それをもって講和への交渉にしたいと考えたらしい。
それに、バトル・オブ・ブリテンで破れたドイツ軍に地中海の制空権を奪うだけの航空戦力は残されてはいなかった。
だからこそ、最後の砦は、ドイツ海軍が誇る「海底の悪魔」Uボートである。ドイツ海軍のUボートは、大西洋、地中海、北極海、インド洋に至るまで、あらゆる海域に投入されていた。
日本にも友好の使者として何度も訪問しているし、新型のUボートを二隻譲り受け、ロ号潜水艦として日本海軍でも使用した経験があった。
一隻、二隻では大した攻撃力にはならないが、すべてのUボートをインド洋に回したとなれば、百隻は下るまい。
いつ、どこから攻撃されるか知れない海底の悪魔だ。
いくら大型戦艦といえども、単艦ではひとたまりもなかった。
戦艦の吃水線の下を小型魚雷でねらわれ、機関が故障すれば、軍艦の価値はない。戦う方法は、艦隊を編成して、小型の駆逐艦や駆潜艇で爆雷攻撃をするしか方法はなかったが、これもお互いの我慢比べだった。
それに、Uボートは、ドイツの科学技術の結晶であり、エンジン音が、日本やアメリカの潜水艦に比べて非常に小さく、魚雷も日本の「酸素魚雷」を既に模倣して無航跡魚雷を製造していたはずである。
それが、密かにインド洋に終結してくるのだ。どこに潜んでいるかはわからないが、わかっていることは一つある。それは、日本の艦隊をねらっているということだ。
特に小沢が座乗している戦艦大和は、日米会談の象徴であり、日本海軍のシンボルだった。これを撃沈できれば、これほど世界にアピールできる材料はない。
Uボートなど何隻沈もうが、ヒットラーには関係なかった。あるのは、小沢治三郎という男の抹殺である。それも、戦場においてドイツ海軍と戦い、壮烈な戦死をしてもらわなければならないのだ。
小沢は、イギリスやアメリカから、Uボートがインド洋に集まっていると聞くや否や、すぐに、作戦会議を大和の作戦室で開いた。
集まったのは、連合艦隊の森下参謀長以下の各参謀。第一艦隊からは、駆逐艦雪風の寺内正道中佐が出席していた。元々、大和の高柳艦長が戦艦部隊を代表して出ているので、対潜水艦戦闘に詳しい駆逐艦隊の寺内中佐に出て貰うことにしていた。
第一航空艦隊からは、司令長官の山口多聞中将が自ら足を運んで来た。航空作戦も重要だったことから、意思の齟齬が出ないようにとの配慮だった。
会議では、まず、情報の詳細を通信参謀の高安少佐が説明した。
「イギリス及びアメリカからの情報によりますと、イギリスでの戦いは、ほぼ終息し、連合国軍が勝利いたします。しかし、ドイツは、まだ降伏せずにいます。それどころか、今度は、インド洋に展開する我が連合艦隊を標的にするとのことです。要は、ドイツにしても、何かしらの口実を設けて戦争を終わらせたいと考えているのですが、最後に大きな勝利が必要だと考えています」
そこまで説明したところで、山口中将が言葉を発した。
「それが、このUボート作戦というわけか?」
「はい。そのようです…」
「Uボートか、結構厄介な荷物だな…」
そこで、作戦参謀の高田中佐が、高安少佐の言葉を引き継いだ。
「それで、連合艦隊としては、これを次のような作戦で、Uボートを殲滅したいと考えています」
それは、次のような作戦要領だった。
一 艦隊は、航空母艦を中心とした輪形陣とする。
二 戦艦部隊は、航空母艦を護衛し、敵の魚雷攻撃の楯となる。
三 戦艦部隊は、敵潜発見の報せを受けたときは、大和からの命令で、全方位
にできる限りの砲弾を撃ち込む。
四 駆逐艦隊は、艦隊の全周囲をカバーして、敵潜発見に努める。
五 航空部隊は、全方位を対空から見張り、敵潜発見に努める。
六 可能な限りの装備を活用して、敵潜を発見すること。
七 この作戦の司令部は、連合艦隊旗艦大和に置く。
説明が終わると、小沢が口を開いた。
「残念ながら、ドイツ軍は、ここに来ても降伏を申し出ない。Uボートの乗員に対しては、同じ海軍の人間として同情を禁じ得ない。明日から電波を発信し、ドイツ語で降伏勧告はしていきたいと思う。それでも最後まで戦おうとする敵潜があるのなら、こちらも防衛上、敵を排除しなければならない。もし、降伏を受け入れ、浮上した際には、武器をすべて放棄し、白旗を確認して武装解除と捕虜としての手続を進めて貰いたい」
「なお、敵の魚雷攻撃は、この戦艦群が引き受けた。航空母艦には、一切手を出させはしない」
「駆逐艦隊のみんなは、アメリカ供与のソナーをフル活用して、Uボート発見に努めて貰いたい。以上だ…」
この小沢の話を聞いて、会議室に参加した者たちの敵愾心は薄れていった。
「もう、勝てないとわかった戦だ。早く降伏して、家族の元に還ればいいんだ…」
「ばかな意地で突っ込んで来なければいいんだが…」
そう言う声も聴かれたが、山口多聞中将は、
「たとえ、そうであっても、我々は任務を果たすのみだ。油断してかかれば、こっちが寝首を掻かれるぞ!」
と叱咤し、全員の気持ちを引き締めたのだった。
十月二十日。遂に、最後の戦いが始まろうとしていた。
連合艦隊は、四隻の航空母艦を中心に輪形陣を作り、防御態勢を整えた。
輪形陣は、かなりの距離を取り、それぞれが敵襲に備えることになった。
駆逐艦と駆潜艇は、全方位に索敵に駆け回り、航空母艦の飛行機は、上空からの監視体制を整えたのだった。
戦艦や巡洋艦の各艦艇は、一斉射撃が命じられていたため、砲弾を用意し、敵潜発見の報せを待ち受けていた。
これまで、防空戦闘については、かなり研究も進んでいたが、海中戦闘は、あまり研究したことがなく、小沢自身も初めての経験だった。
「これからは、潜水艦の性能も飛躍的に高まるだろう…。そうなると、海中からの攻撃にも備えないとな…」
と考えていたとき、やはり、飛行機からの無電が入った。
かなり遠くからの発見無電ではあったが、間違いなくUボート発見の報である。
すかさず、小沢は、砲術参謀に指示し、砲撃準備を命じた。
そして、その十分後、連合艦隊数十隻の戦艦、巡洋艦から一斉に砲撃が開始された。
ドゴーン! ドゴーン!という砲撃音が響くと、戦艦自体が揺れた。
大和も左舷上空目がけて、四六センチ砲が唸りを上げていた。砲術指揮官や兵たちは、初めての砲撃に興奮し、「撃ち方止め!」の命令が下るまで、数十発を敵潜の潜む海中に撃ち込んだのだった。
実際、これによりかなりの数のUボートが損傷を受け、帰還が不可能な艦は浮上して白旗を揚げた。
敵潜にしても、通常爆雷程度なら、なんとか耐えられても、大型砲弾が海中で炸裂すれば、その衝撃度は計り知れなかった。
この一斉砲撃で、Uボートの三分の一は無力化されてしまっていた。
やはり、空からでは、余程深度を保って接近しなければ、発見は容易かったのかも知れない。
航空部隊は、交替で、二四時間体制を採っていたために敵潜も気を緩めることもできなかったのだ。
偵察機の積まれたこのアメリカ製のレーダーという装置は、暗闇でもよく見える優れた兵器だった。
そのうち、駆逐艦隊もUボートを発見したらしく、次々と爆雷攻撃が開始された。爆雷は、戦艦にも多く積まれており、その数は無尽蔵だった。
レーダーとソナーによって、ほとんどの敵潜は発見され、魚雷を発射できたのは、十発にも満たなかった。
ただ、数発が小沢の言ったとおり、戦艦に命中したが、遠くからの発射であり、その損傷は軽微だった。
そして、Uボートからの攻撃も鳴りを潜めたころ、一隻のUボートが、大和の真下に潜り込んでいることにソナー担当の下士官が気づいた。
「艦長。大和の真下に敵潜らしき物体が潜んでおります!」
報告を受けた高柳大佐は、
「真下か…?」
「どうやって、真下に潜り込んだんだ?」
と訝しんだが、即座に爆雷攻撃を命じた。
すると、小沢が、
「艦長。爆雷攻撃を待って下さい」
「降伏の勧告をいたします…」
それを聞いた高柳は、すぐに攻撃停止を命じたのだった。
小沢は、
「ここまでよくやって来たではないか…」
「敬意を表して、降伏を勧告しなさい。文面はこれだ…」
そう言って高安通信参謀に、その場で書いたメモを手渡した。
それには、こう書かれていた。
「勇敢なるドイツ海軍潜水艦艦長に告ぐ。私は、日本海軍連合艦隊司令長官小沢治三郎である。貴職のこれまでの奮闘に敬意を表するとともに、戦闘を停止されることを勧告するものである。既に貴職の祖国は、敗戦を免れない。ドイツ海軍の名誉と誇りを懸けて戦おうとする気持ちは理解するが、貴職の部下将兵の若い命を救い、名誉ある降伏をしていただきたい。そして、我が日本と共に、正義と平和のために、新たな戦いの場に立とうではないか」
高安参謀は、小沢からメモを受け取ると、短波無線で、このメモを読み上げた。それは、合わせて三度に及び、その間、すべての艦艇の戦闘を停止したのである。
高田作戦参謀は、
「長官、それは危険です!」
と小沢に詰め寄ろうとしたが、それを制したのは、森下参謀長だった。
「作戦参謀、日本は正義と平和を尊ぶ国だぞ…」
「ここで、大和に魚雷を受けても、大和は沈んだりはせん」
「しかし、Uボートの艦長が、絶体絶命の中で、この勧告書を受け取り、隙を突いて魚雷攻撃ができようか?」
「それこそ、誇り高きゲルマン民族だぞ」
「それを、小沢長官は待っておられるのだ…」
はっと気づいた高田参謀は、小沢の姿を見た。
小沢は、艦橋の司令長官席に座ったまま、瞑目しているではないか。
それは、同じ海軍軍人同士のシーマンシップが、交差する瞬間だったのかも知れない。
その時間は、約十分が過ぎたころだった。
見張員が、絶叫に近い大声を出した。
「左舷!潜水艦、浮上します!」
艦橋にいた参謀たちも慌てて、左舷に集まった。すると、大和の左舷後方百mほどのところにザバーッ!とドイツ潜水艦が浮上してきたではないか。
あまりに近い距離に浮上してきたので、だれもが驚いたが、すると、スルスルと敵潜艦橋の上に白旗が揚げられるのが見えた。
小沢たちが、双眼鏡で艦橋を見ると、敵潜水艦の艦長らしき髭の男が、こちらに向かって敬礼しているのがわかった。
小沢は、
「直ちにモールスで、貴艦の決断に敬意を表する…と打電せよ!」
と命じた。すると、早速、探照灯がライトの光を点滅させ、モールス信号を発信するのが見えた。
しかし、この包囲網の中で、どうやってこの大和の下に潜り込んだのか…、謎は深まるばかりだった。
小沢は、全艦に、「降伏したドイツ海軍将兵には敬意を持って遇するように!」という通達を出すと、この潜水艦の艦長を大和に招待することにしたのだった。
このドイツ潜水艦は、U-XXI型といって、ドイツ海軍の科学力の粋を集めた新鋭潜水艦だった。艦長は、オットー・クレッチマー中佐で、彼はこれまでに四十隻以上の艦船を沈めた有名な潜水艦乗りだった。
このU-XXI型が降伏したことによって、その多くの潜水艦は白旗を揚げたのだった。
大和に乗り込んできたオットー中佐は、既に何日も海底に潜んでいた勇者らしく、顔は青白く、髭は伸び、眼だけが爛々と輝いていたが、小沢を見ると、親しげに英語で、
「小沢提督の心温まる勧告に感激いたしました。母国においても、このような温かい言葉をかけて貰ったことがありません」
「さすがは、正義と平和を愛する日本海軍です」
と、小沢の差し出した右手を強く握りしめるのだった。
こうして、インド洋における潜水艦作戦も不成功に終わり、いよいよドイツ帝国は、終焉を迎えることになった。
第六章 欧州大戦の終結
ここに来て、ヒットラーはいよいよ、「降伏か、戦争継続か」の選択を迫られることになった。
ヒットラーは、飽くまで戦争継続を主張したが、側近の者たちは、最後のインド洋でのUボートによる作戦に失敗し、降伏もやむなし…という考えに傾いていた。
地上戦においても、制空権のない戦いは無謀だった。アメリカ軍が本格的にイギリス軍に加わり、戦線を立て直すと、さすがのドイツ陸軍も後退を余儀なくされた。
中には、ロンメル将軍のように、アフリカ戦線で降伏する部隊も出ていた。既にドイツ軍に戦闘意欲はなく、命令が出ても各部隊の行動は緩慢だった。
航空部隊は既に使い果たし、海軍は、大型艦艇がのこされても、有力なUボート部隊のほとんどが降伏するか、自沈したとなれば、どうしようもない。
そうなると、ドイツ軍が崩れるのは早かった。
前線では、名将ロンメルに刺激されたかのように、降伏が相次ぎ、正規軍はベルリンに数個師団しか残らなかった。それも予備兵で構成された臨時部隊が中心で、どこを探しても精鋭部隊は残されていなかったのだ。
地中海でも、海軍の各艦艇は、スエズ運河を通ってインド洋に出ようと逃亡を図ったが、紅海の出口を小沢が率いる戦艦部隊が抑えていたために、多くの艦艇が拿捕された。
こうして、欧州大戦は終末を迎えたのだった。
それでも、ヒットラーは、徹底抗戦を叫び、
「原爆はまだか?」
「あれさえできれば、こんな世界など、木っ葉微塵だ!」
と科学研究所に督促したが、その研究所も研究員の多くが逃亡し、中途半端な爆弾が、放置されているだけだった。
ヒットラーの親衛隊や秘密警察が、取り締まりを強化するためにベルリン市街を出ても、協力する市民はだれもおらず、逆に瓦礫の隙間からレジスタンスによって射殺された。
あるゲシュタポ警官は、二人でパトロールに出ていて、二人とも市民の手によって惨殺された。
物陰から近づいてきた数人の男女に襲われ、絞殺されたのだった。一人は、ナイフで心臓を抉られ、その惨殺したいは、ベルリンの中心部に晒されていた。
もう、ドイツ国民がヒットラーを信じることはなかった。
あれほど熱狂的に支持した国民が離反しては、ヒットラーとて為す術はなかったのである。
ヒットラーは、専用機による亡命を考えたが、この男を受け入れる国もなく、そのパイロット自身が逃亡していた。
ヒットラーの最期は惨めなものだった。
あれほどあった強大な戦力もすべて使い果たし、逆にイギリス空軍とアメリカ空軍の圧倒的物量の前に、首都ベルリンも軍需工場もすべて爆撃に晒され、灰燼に帰した。
最後はベルリンの市街戦になったが、数万の連合国軍が入城しても、抵抗する者はほとんどなく、爆撃の被害だけが生々しく映るだけだった。
ベルリン市民は、連合国軍兵士を歓迎して迎えた。市民は、森の中や地下に潜み、静かに戦闘が終わるのを待つと、白旗を掲げて地上に出てきた。それは、歓喜の瞬間だった。
その中で、数名のドイツ軍兵士が連合国軍兵士によって連行されたが、その男にベルリン市民は、ありったけの罵声を浴びせた。捕らえられた兵士が大きな体を小刻みに震わせ、小声で、「助けて、助けて…」という弱々しい声だけが響いたいた。
そのころ、ヒットラーは、ベルリンを追われ、ドイツ南東端、オーストリア近くのイーグル・ネスト(鷹の巣)と呼ばれた山荘に避難していた。しかし、ここも間もなく連合国軍が包囲するだろう。
側近たちは、ヒットラーに再三にわたり降伏するように勧めたが、ヒットラーは、
「どうせ捕まれば縛り首だ。あんな奴らの自由にされてたまるか!」
と、眼をギラギラと光らせて叫んでいた。
もう、彼自身、生きる力も残されていなかった。そして、
「何もかも、日本のせいだ。あの裏切り者どもが、勝手にアメリカとの戦争を止めたことで、こうなったんだ…」
「くそったれめ!」
そして、ヒットラーは、側近のヒスを呼ぶと、
「いいか、ヒス。全軍に無電を発信せよ!」
「最後の一兵となっても、ドイツ帝国に降伏はない!」
「以上だ!」
ヒスは、心の中では、そんなことが無理だということはわかっていたが、この狂った男のために、最後の嘘を吐いた。
「はい、総統。ドイツ国軍は最後の勝利を信じて戦います!」
そう言い残すと、一人、供も連れずに山荘を脱出していった。
「これで、最期だな…」
ヒットラーは、独り言を呟いたが、それを聴く者はだれもいなかった。ただ一人、ヒットラーが愛した女性、エヴァ・ブラウンだけがヒットラーに寄り添っていた。
二人は、だれもいなくなった階段を地下まで降りると、一番奥の部屋に入り鍵をかけた。
それから一時間後、親衛隊将校がドアをこじ開けると、二人は寄り添うようにして毒を呷って死んでいるのを発見した。
そのドイツ将校は、側に置いてあった灯油を二人にかけると火を放った。
と、同時に拳銃をこめかみに当て、「ハイル・ヒットラー!」と叫んで引き金を引いた。
ドン!という鈍い音が地下通路に谺したが、それに気づく者はだれもいなかった。
インド洋に数ヶ月間、艦を浮かべ、アジアと中東に眼を光らせていた小沢は、ヒットラーの死の報告を受けると、ただひと言、「そうか…」とだけ応えた。
時代の寵児と持て囃され、一時は日独伊三国軍事同盟を結び、まさに世界の皇帝として君臨する勢いのあった男が、最期に愛人と二人で服毒自殺をしたという。わずか数十年の間に、神は彼に何を託したのだろうか?
いや、それは神の仕業ではあるまい。
悪魔に魅入られた男の憐れな最期だったのかも知れない。
ルーズベルト、チャーチル、スターリン、毛沢東…、数え上げたらきりがない。彼ら個人の欲望のために、世界中で何百万という無辜の民が死んだのだ。
ただ一人冷静に世界を見ていたのは、陛下だけだったのかも知れない。
小沢は、この数年間を大和の甲板を歩きながら振り返っていた。
「さて、還ろうか…」
一人、そう呟くと、インド洋の空気を胸いっぱいに吸い込むのだった。
その数日後、ドイツは、正式に連合国軍に無条件降伏をした。
バトル・オブ・ブリテンで戦った大和飛行隊の義勇兵に比べて、Uボートとの戦いは、大きな犠牲を払うことなく終わらせることができた。
それは、大きな戦力と情報の力であった。そして、最後は、何としてでも「正義と平和」を守り抜く信念ではなかったか…。
参加した連合艦隊の指揮官の中には、果敢な攻撃を主張する者もいたが、お互いに血みどろになって戦い、何百という戦死者を出すことにどんな意味があるのか…と小沢は思う。
理想かも知れないが、「戦わずして勝つ」ことこそが、軍人の務めなのではないかと考えるようになっていた。
今回の戦は、航空部隊には迷惑をかけた。しかし、犠牲は最少限度に止めたという自負はあった。そして、それが、本来の姿だと思うことにした。
小沢は、何も言わなかったが、航空参謀の小園安名中佐などは、飛行部隊の活躍を聞くと、地団駄を踏んで悔しがった。
「儂が大和飛行隊を引き連れて行きたかった…」
「儂も零戦に乗って戦いたかった!」
と、作戦室や艦橋で吠えていたが、それを「まあまあ、小園さん…」と言って宥めていたのは、あの森下参謀長だった。
小園の、「儂が…」は、進藤少佐たちに代わって自分が死ねばよかった…ということだと森下や小沢は思っていた。それが、熱血漢の小園中佐らしかった。
森下参謀長は、帰還する計画を立て終わると、いつもと変わらぬ飄々とした口調で、
「連合艦隊の戦力は、存在することに意味があるんですなあ…」
「見てご覧なさい。我々がインド洋に出張ってから、一度も紛争が起きていないではないですか…」
「弾を撃つことだけが、戦ではありますまい…」
そう言うと、プカ-ッと好きな煙草の煙を吐き出すのだった。
完
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