右衛門七の小柄 -忠臣蔵外伝-

右衛門七の小柄 -忠臣蔵外伝-
矢吹直彦

序章
東京は浅草の古い土蔵を壊していた時のことである。
今まで、何十年も入ったことのない二階の奥から古い文箱が出てきた。かなり年季の入った文箱で、おそらくは江戸時代中期の頃の物だろうと推察することができた。
この蔵は、江戸時代に塩問屋を営んでいた鍵屋善兵衛が建てた物らしいが、幕末、明治、大正、昭和と時代が移り変わるうちに使われなくなり、物置小屋同然の姿で、都会化された浅草の雑木林の一角に佇んでいた。
その土蔵は、今でも浅草で塩や砂糖、乾物類を商いとしている鍵家が所有していた。
その当主、鍵善一も高齢になり、東京下町の都市開発の煽りを受けて、土地を東京都に渡すことになったのだ。但し、その土蔵は、かなり古びており改修には相当の費用がかかると見て、東京都も積極的に保存する気はなく、都の担当者も、
「できれば、そちらで解体していただければ、こちらも相応の値段で土地を買い取らせていただきます…」
などと、調子のいいことを言うばかりで、仕方なく、解体に乗り出すことになった。それに、鍵家としては、その少しばかりの雑木林の土地を利用する予定もなく、東京都に譲渡した上は、妻を亡くした善一の介護付老人ホームへの入居資金に充てたいと考えていた。
善一と亡くなった房子夫婦にしてみれば、戦災に見舞われたが、どうにか逃げ延び、すべてが焼き尽くされた町で、家を再建することができたのも、この蔵のお陰だった。
家屋や店は焼失したが、この蔵が焼け残ったことで、当座の暮らしはできたし、主な家事道具も焼けずに残ったことで、鍵屋の再建も早かった。
近所の人たちも多くは空襲で死んでしまったらしく、戻ってきても再建の道は諦め、小さな荷物をまとめて郷里へと帰っていく者が多かった。
善一と房子は、蔵に残された塩や砂糖、昆布などを近くで拾ったリヤカーに乗せて、空襲を受けなかった山の手に売りにでかけた。これが、飛ぶように売れたのだ。
あるときは、闇屋の親父が訪ねて来て、「今の売値の三倍で買う」とまで言い切り、札束を見せたが、善一は、これを拒んだ。
「やいやい、こちとら赤穂浪士縁の江戸っ子だ。人の弱みにつけ込んだ阿漕な商売は、絶対しねえのさ!」
「さっさと、出て行きやがれ!」
と、若いころに街のごろつきと喧嘩したこともある善一が睨みを利かすと、その闇屋は、尻尾を巻いて逃げていってしまった。
そして、家族には、
「こうして街は焼けちまったが、ご先祖さんが残してくださった蔵のお陰で今がある。こんな時こそ、助け合いってもんだよな…」
そう言って、息子の善雄の頭を撫でるのだった。
だから、鍵家は生活には困窮しなかったが、あまり儲けにはならなかった。それでも、善一は家族に、
「商人は、信用を買うものだ。儲けは、いずれついて来る…」
そう言って、大した儲けにもならない商売に精を出して働いていた。

この蔵は、江戸中期に塩・乾物問屋として羽振りのよかった鍵屋が、盗賊や火事などの被害に遭わないようにと、かなりの予算を投資して建てたものだった。近隣にもこれほど立派な蔵を持つ商店はなく、近所から「お大尽」呼ばわりされたが、それでも善兵衛は、身分不相応だとも思ったが、「いつか役に立つさ…」と言って豪快に笑っていたそうだ。
この蔵は、善兵衛が予言したように、火にも強い漆喰で壁を何重にも塗り固めてくれたお陰で、関東大震災でも東京大空襲でも鍵屋を守ってくれていた。
祖父の善一の代になり、大東亜戦争のころは、特に蔵の中にしまう物も少なくなっていた。塩も乾物も統制品となり、簡単に手に入らなくなっていたのだ。それでも、昔の伝手を頼って、細々と商いをしていたが、昭和二十年になると、東京が度々アメリカ軍にねらわれるようになり、千葉の九十九里に疎開していた。
ここは、漁師町で、佐久間という網元が住居から仕事まで世話をしてくれたお陰で、商売を中断することはなかった。そして、終戦の八月十五日を迎え、慌ただしく、千葉の避難先から戻ってくると、すべてが焼き尽くされた中で、この蔵だけがポツンと建っていたのである。
あの空襲の炎は、この蔵の中に入ることはなく、中の物は、すべて無事だった。祖母の房子は、それを見て泣き崩れた。善一もこのときばかりは、ご先祖に心から感謝した…と語っていた。
それから五十年、平成の御代となり、この蔵も相当に傷んではいたが、補修さえすれば、まだまだ利用価値はあった。しかし、その修繕を請け負う技術が、その辺りの工務店にはなく、調べて見ると漆喰を塗るだけでもとんでもない費用がかかることがわかった。
いずれ処分することを考えれば、今が潮時と考えた善一は、これを壊して更地にすることにしたのだった。
蔵の中には、もう大した物は残っていなかった。
戦後の物のない時代に、金目の物はあらかた売り払い、多少の陶器や売れ残った長持などがある程度だったのだ。
善一に言わせれば、
「あのとき二束三文で売ってしまったが、探幽の掛軸や古九谷の壺など、今なら相当に値の張る逸品があったのに、もったいなかったな…」
と、骨董品などを扱うテレビ番組を見ては、嘆いていた。
そして、古びた道具類を外に運び出し、粗方片付けが終わった夏のある日。
善一の孫である高校生の衛が、片付けた長持の奥から、ひとつの文箱を見つけてきた。
かなり古い物で、当時としては立派な蒔絵を施した黒漆の上物のようだったが、長い時間放置されていたのだろう、白茶けた文箱は、既に変色しているように見えた。
衛が、
「ねえ、こんな物があったけど、どうする…?」
表で片付け物を整理していた父親の善雄に尋ねた。
善雄は、全身汗で汚れ、顔に巻いた手ぬぐいも、既に埃で茶色になっていた。
衛の言葉に反応はしたが、暑さのためか、碌に確認もしないまま、
「まあ、そこらに放っておけ…」
「後で、燃やすから…」
そう言うと、面倒臭そうに軍手を嵌めた手を振り、また、別の作業に戻っていった。
善雄にしてみれば、ここを片付けないと蔵の解体工事ができないのだ。
この夏の間に、解体まで済ませて、ここを更地にするつもりだった。そうしておかないと、都が買い取ってくれないのだ。
本当は、善雄の母、房子が生きていれば、父、善一と暮らす「隠居」用の平屋でも建てたいところだったが、善一は、それを望まなかった。
「たった独りで、新築の家なんて、儂はいやだね…」
これで終わりである。
それに、どうにも介護が必要になれば、有料老人ホームへの入居を考えていた。
善一にしてみれば、介護も仕事と割り切れる人にやって貰った方が気楽でいいや…という心境だった。
そんなことも知らずに、衛は、その文箱が気になっていた。
なんだ、後で、燃やすのか…?
そう思って、腰に下げた手ぬぐいで、その文箱をひと拭きしてみると、意外と、キラリと陽の光が反射するではないか?
お、こりゃあ、まだ、使えるかも知れないなあ…。
まあ、せっかくだから、貰っておこう…。
そう考え、衛は、こっそりと文箱を側に置き、残りの仕事を片付けるのだった。

真夏の太陽は、高度が高くいつまでも強烈な熱射光線を放出し、気温をどんどんと上昇させていった。午後二時の気温は、既に三六度を超えている。
路上には蜃気楼が現れるような靄がかかり、立ち昇る水蒸気が見えるようだった。
それでも体力に自信のある衛は、黙々と荷物を運び、使える物と捨てる物の仕分けを手伝っていた。
衛が解放されたのは、午後五時を少し回ったところだった。
途中、休み休みの作業ではあったが、よほど集中していないと体温が上昇し倒れるかと思った。
水だって、既に何リットル飲んだろうか?
それでも持ち堪えているのは、剣道のお陰である。
真夏の剣道の稽古も同じような酷暑の中で、あの重い防具を着けての特訓だったから、このくらいは、まだ耐えられる範囲だった。それでも、五時を過ぎたころには、体の熱はピークになり、爆発寸前になっていた。
蝉の声だけが雑木林に谺し、否が応にも暑さを増幅させていた。

「ああ、疲れた…」
「夏休みに手伝えって言うから、やったけど、これで五千円は安いよなあ…」
風呂上がりに、バスタオルで頭を拭きながら、そんな愚痴を言うと、母親の咲子が、
「何言ってんの?」
「あんた、受験勉強も碌にしないで、剣道の練習ばかりしているから、ちょうどいいじゃない」
「それに、高校二年生に五千円は大金よ…」
この母親とこれ以上議論しても負けるのは決まっているから、ふうん…と口をとがらせ、不満は顔だけにしておいた。
衛は仕方がない…といった風情で、台所のテーブルに置いてあった麦茶の入った薬缶を掴んで、大きなガラスコップに冷たい麦茶を注いだ。
そして、無言で冷たい麦茶をグーッと生ビールのように飲み干すと、出された冷やし中華の大盛りを黙々と口に運んだ。
咲子の作る冷やし中華は、希に見る旨さだった。
これだけは、街の中華屋に負けない味だと衛は思っていた。だから、五千円のバイト代でも我慢できたのだ。
そんな大盛りの皿を、五分もかけないで飲み込んでしまった。本当は、「もう一杯!」と言いたいところだが、あまり体重を増やしたくなかったので、「これくらいかな…」と腹を撫でると、自分を納得させていた。
さて、これを食ったら、勉強でもするか…?
そんなことを考えていると、祖父の善一が声をかけてきた。
「おい、衛。知っとるか?」
「我が鍵家は、江戸の初めのころから塩商いをしてきた大坂商人の血筋なんだぞ…」
「あの蔵はな、そんな鍵屋の歴史を知る生き証人みたいなものだ」
「本当は、残したいんだが、あれも既に死にかけとるしな…」
「そろそろ、成仏させてやらんとな…」
「それに、大坂商人は、信用商いをする立派な人が多かったんだ。義商鍵屋善兵衛は、我が家の誇りなんじゃ…」
「だから、我が家の姓は、鍵。儂は善一、おまえの親父は善雄、おまえは、衛」
「なあ、鍵屋善兵衛の善、衛が名についておるだろう…」
「それに、おまえは、鍵衛じゃないか。まさに鍵家を衛るという名じゃ。いつか、善兵衛のような立派な商人にならにゃあな…」
そう言って、衛の肩をポンポンと叩いて、自分の部屋に戻ってしまった。
鍵衛…か?
なんか、学校のガードマンみたいな名前で、よくからかわれたっけ…。
先生たちからも、
「鍵…?」
「変わった姓だな…」
「それに、名が衛か…」
「えらく用心深そうな名前だが、おまえを見ていると、そうは見えんがな…」と言っては笑われたものだった。
幸い、衛は剣道部のレギュラーを務める有段者で、背も一七五㎝と高く、都内でも有数の剣士として有名でもあった。そのためか、小中学校でも、いじめの対象になることはなかったが、道着の垂れに「鍵」という一文字が書かれるので、すぐに正体がわかり、困ることは度々あった。
これまで衛は、中学校の全国大会準優勝。高校二年生の高校総体では、三位の成績を取り、来年は優勝するんじゃないか…とさえ期待される選手だった。
中学校のころから注目されており、剣道雑誌にも数回紹介されたことがある。衛の得意技は抜き胴で、相手が面に来たところを一瞬竹刀を合わせ、その瞬間に胴を抜くのだが、手首の使い方が柔らかい衛だけができる高等技術だった。
他にも手首の柔らかさを生かした出小手は、切れ味が鋭く、決まると鞭で手首を打たれたような激痛が走るという噂が立ったこともある。
この二つの得意技に面撃ちを入れて攻撃するので、なかなか相手に自分の構えをさせることがなかった。
卒業時には、多くの高校から誘われたが、結局近くの両国一高に通うことになった。ここも、東京都の強豪校のひとつに数えられており、稽古の厳しさには定評があった。
その衛が、珍しく家の手伝いが出来たのも、高校総体が終わり、学校の稽古もなく、束の間の休養日に「蔵の掃除」を命じられたというわけだった。と言うより、その衛の休養日を当て込んで、蔵の掃除に取りかかったと言った方が正しい。

衛の家は、大坂の老舗、鍵屋善兵衛直系の家ということで、戦前から戦後にかけて塩や砂糖、乾物を扱う商店を東京の浅草で開いていた。
江戸の後期には、江戸に支店を出しており、そこから数えても善一で十五代目を数えていた。
善雄が十六代、衛が十七代になる予定だが、衛には、るりという姉が一人おり、既に銀行員と結婚して家を出ていた。
この「るり」という姉の名も、忠臣蔵の大石内蔵助の娘の名を頂戴している。姉は、それをあまり気にしている様子もなく、単にひらがなで書く「るり」が気に入っていたらしい。
「だって、小学校一年生のとき、ひらがな名前ですぐに書けたもん…」
と、気楽なことを言っていた。
その姉の嫁ぎ先が「大石」だったから、みんなで吃驚したものだった。
その姉も既に二人の子供の母親である。
大石るりは、実は、実家である「鍵善商店」で事務員として働いていた。
衛は、鍵家の長男として育てられ、社員たちからも「十七代目」と言われてからかわれる。
長男だから…と言うわけではないが、ここ「株式会社 鍵善商店」の十七代目として、大学は明正大学商学部を受験するつもりだった。
今時の子供にしては珍しい…と言われることもあったが、子供のころから店の中に出入りし、社員たちと仲良くしていたことで、何となく水が合うとでもいうのか、こうした商売が面白いと感じていたのだ。
それに、学校に上がるころから、近くの剣道場に通い、稽古を続けてきたことから、考え方も昔風なのかも知れなかった。
その剣道は、高校までで終わりにするつもりだった。
既に数校の大学から誘われていたが、そこに進学する気はない。
高校の顧問なども、
「どうせ店を継ぐんだから、大学で剣道をやっても無駄ではないだろう」
と言うのだが、衛は、所詮は、競技剣道だろう…という意識があった。
剣道場は、北辰一刀流玄武館の流れを汲む流派で、競技のための剣道の他に、実戦的な剣術も教えていたのだ。
衛は、どちらかというと、そっちの剣術に魅力を感じていたので、大学剣道に進む気はなかった。
それに、大学ではやらなくても、剣道自体は、子供のころから通っている「刀心館道場」で続けるつもりだった。それに、剣道場の稽古で五段を取り、全日本剣道選手権にも出るのが当面の目標となっていた。
警察官でも大学生でもなく、民間の道場から全日本に出場し、天皇杯を取れば、気持ちがいいだろうな…と衛は考えていたが、そんなに甘くないこともよく知っていた。
衛の家には、母屋の片隅に小さな道場があり、祖父善一は範士七段、善雄も教士六段だった。嫁いだ姉のるりも大学生時代は、全国女子剣道大会に出場し六位入賞を果たしている。
だから、こんな小さな道場でも、稽古に困ることはなかったのだ。
それに、刀心館道場の松戸力七段は、無骨な剣士で、この人の厳しさと言ったら、天下無双という言葉がぴったりだった。
職業は、町の中華食堂「胡弓」の親父だが、中華鍋を降り続けるのも、剣道の修行だというような人で、町のヤクザもこの先生にかかっては、ひとたまりもない。そんな人たちに囲まれて衛は高校生活を過ごしていた。

その晩、大盛り冷やし中華を平らげて、衛は部屋に戻ると、こっそりと部屋に持ち込んだ文箱を取り出してみた。
外で土埃りは十分に払ったが、家の中で、木工用の油を少し付けて乾いた布でそっと表面を拭ってみると、その下から、漆黒の肌が見えて来るではないか。
こりゃあ、掘り出し物かもしれんぞ…。
そう思いながら、全部を綺麗に拭き取ってみると、そこには、「違い矢」の家紋が金で施されていた。それは、衛も見たことがあり、鍵善のマークも同じ違い矢で、家のは丸の中に違い矢がある紋所だった。
そうか、違い矢か…。じゃあ、家の先祖の何かが入っているのかな…。
そう思って蓋を外して中を見ると、一瞬、何かしら妖しい蛍火のような青白い光が灯ったような気がしたが、それもすぐに消えた。
「な、なんだったんだ?妙な光だな…」
箱の中に、何かが入っている。
緊張しながらも好奇心に満ちた衛は、おずおずとそれを手に取ってみた。
ただの古い布きれかと思ったが、その中に何かが包まれているような重さを感じた。
布をそっと開いて見ると、布は、ホロホロと崩れ、細かな粉のようになってしまった。しかし、そこには、一本の金属が汚れた布にくるまれて入っているのだ。
なんだ、ペーパーナイフか…?
衛はそう思ったが、よく見ると、それは日本刀に付いている小柄(こづか)と呼ばれる小さな小刀だった。
小柄は、日本刀の付属品として柄に挿してある小刀だが、武器というより装飾品として扱われることが多かった。
道場で居合いも稽古していた衛には、小柄だとすぐに気づいたが、布に包まれていたせいか、小柄は当時のままの美しさを保っているようだった。
それに比べて、布は既に風化し、触るとホロホロと繊維が崩れていくのがわかった。
「まあ、布はもたないなあ…。いったいいつの物なんだ?」
粉になった布の埃を払い、その小柄を取り出してみた。
小柄をよく眺めてみると、その手元の細工も細かく、職人の丁寧な仕事を思わせるものだったが、不思議なことに、さびも付いていない。さっき、使ったのか…と思わせるような状態で布に包まれていたのだった。
但し、先の方だけが少し黒く変色しており、そこの部位を使用したのだということはわかった。
まあ、おそらくは先祖の形見みたいなものだろう…と考えた衛は、その小柄を文箱に戻すと、その文箱は、布団の枕元にそっと置いた。
そして、蓋を閉めようとしたとき、また、あの青白い蛍火のような光が一瞬だけ灯ったのだった。
衛は、何か不思議な感覚に囚われたが、参考書を開いて勉強を始めると、もう文箱のことは忘れてしまった。だが、この「文箱と小柄」が、衛をとんでもない世界に誘うことになるのだった。

第一章  夢の中
その晩、衛がベッドに入ったのは、深夜一時を少し過ぎたころだった。
夜八時頃から机に向かった衛は、明正大学に向けて自宅で勉強を始めていた。
明正大学は、東京の私立大学の中でも上位校で、明治の元勲の一人が設立した大学として知られていた。
特に商学部は、建学の精神を体現する学部として知られ、難易度が高く、ゼミにもアメリカから専門家を招き、IT関係の技術も学べることで有名になっていた。
衛もパソコンは得意で、中学生のころから自宅で買って貰ったパソコンを使って様々な学習に取り組んでおり、今の両国一高校でも剣道部の傍ら、パソコン部に出入りし、顧問の岩崎という教師からサーバーの構築などを教わっていたのだ。
ときには、会社の経理担当から最新のIT経理管理システムを教えて貰い、十七代目としての修行を始めていた。それは、父や祖父にとっても嬉しいことであり、経理部長の山田久志も、
「十七代目は、なかなか経営の才がありそうですね…」
なんて言うものだから、本人もなった気になって少し得意だった。
こうして商人は煽てられながら、商売を身につけていったのだろう。
昔の丁稚さんの気持ちが分かるようなきがしていた。
衛は、大学に進学したら、商学部の中にある情報マネジメント科で学ぶつもりだった。そのためには、偏差値を今の数値から5ポイントほどは上げておきたかった。
大学模試でも、今のところ「B」判定止まりで、なかなか「A」判定には辿り着けなかった。それというのも、剣道部の稽古がきつく、次の主将として指名されている衛にとっては、それも併行して取り組まねばならない課題でもあったのだ。しかし、衛は、それを当然と考えていたし、自分の将来が見えているのも、けっして嫌いではなかった。
衛は、この「鍵善」を自分の代になったら、「株式会社 KAGIZEN」として、塩や砂糖、乾物だけでなく、日本全国の特徴のある産物を扱い、ネットを使って世界中に販売しようと考えていたのだ。そして、自分の特技である剣道は、日本の「SAMURAI」文化を一緒に売り出すチャンスだと考えていた。そのためには、剣道五段、全国剣道選手権大会出場の看板は欲しかった。
衛のこうしたそつのなさは、大坂商人の濃い血のつながりかも知れなかった。
しばらくぶりに、受験英語の参考書を開き、問題に取り組んでいると、剣道と同じように自分が集中していくのがわかって心地よかった。
まあ、勉強も剣道も集中力の問題だな…。
そう考えた衛だったが、さすがに、ぶっ続けの五時間はきつかった。
ふと、時計を見ると、午前一時を指すところだった。
問題集とノートを閉じ、パジャマに着替えて敷いた布団に入ると、少し蒸し暑さを感じて、エアコンの温度を少しだけ下げた。
このころは、まだエアコンも全部屋にはなく、受験生ということで姉の部屋にあった物をこちらに動かした物だった。
衛は新品を強請ったが、
「質素倹約は、武士の心得じゃないの?」
と、母たちに言われると、二の句がつけなかった。だから、あまり効きがいいわけではない。
やはり、都心の八月は暑い。
衛は、常に暑さ寒さの中で稽古をしているので、他の人より体内での温度管理はできている。要するに、機械を頼らず、自分の体の中で温度調整をする機能が高いのだ。
昔の人間であれば、だれもが持っていた機能を、機械文明はそれを奪ってしまった。だから、エアコンが普及し、自分の体内ではなく機械にその調整を委ねてしまっているのだが、それに気がつく者はいなかった。
だから、衛は、あまりエアコンを付けるのが好きではなかったが、それでも、勉強中と布団の中に入ってからの一時間程度は、必要不可欠だった。
新品を強請ったのは、単純に「買ってくれたら、儲けもの」という大坂商人魂の為せる技である。されど、相手も商売人の娘では、手の内は読まれていた。
しかし、それにしても今年の夏は暑すぎる。
テレビの気象予報士も、異常気象を言っているのだから、全室にエアコンが欲しいと思った。特に、小さいとはいえ、家の道場は、さしずめ灼熱地獄だった。
もう、昔とは違う。
こんなコンクリートで覆われた都市は、昔より気温が数度は違うのだ。
熱帯夜と呼ばれる夜も増え、エアコンは、どの家でも必需品で、マスコミも「熱中症に注意」を四六時中、呼びかけていた。
徹は、自分の枕元の電気を消す直前に、もう一度、時計を見た。
「もう、一時十分か…?」
「明日は、もう一度、蔵の掃除かな…」
そんなことを考えながら、いつものように眠りについた。
若いせいか、瞼を閉じると、眠りにつくのは早かった。この夜も、衛はすぐに深い眠りに入っていった。

衛が、寝付いて数時間経った午前四時。
衛の知らないところで、不思議な現象が起きていた。それは、文箱にしまったはずの小柄光り出し、それと同時に枕元に置いた文箱が同じように蓋の中から、青白い妖しい光を発し始めたのだ。
そして、その光は、次第に外に漏れ出すと、暗い闇の中にボーッと溶け込み、布団に横たわっている衛の体を包み始めた。それは、まるで衛の体を光る絹糸の繭で包み込むような不思議な光景だった。
衛は、深い眠りの中で、遠くからだれかが自分の名を呼ぶような懐かしい響きを感じていた。
だれだ…?
俺の名を呼ぶのは、だれだ…?
そう問いかけるが、だれも、それには答えてはくれなかった。
そして、その声は、段々と近づいてきたが、衛は、不思議とそれを怖ろしいとは思わなかった。寧ろ、その声に懐かしさを覚え、頭の中に一人の少年の姿が、朧気ながら見えてくるような気がしていた。

朝になり、朝食に起きてこない衛を起こしに部屋に入ったのは、母の咲子だった。
咲子は、衛を起こしに行くことは滅多にあることではなかった。
小学生のころから早寝早起きの習慣が付いており、朝は母の咲子よりも早く起きて庭に出て素振りをしているような子供だった。
逆に、「お母さん、遅いよ。いつまで寝てんだよ…」と言われる始末で、「あの子は、朝型かな…」なんて思っていたくらいだったのだ。
その衛が、七時になっても起きてこないことなんてなかったが、
「遅くまで、勉強していたのかな…」
と思い、ドアをノックした。
しかし、中から反応はなく、「入るわよ…」とドアを開けて、咲子が目にしたものは、意識を失いぐったりとした衛の姿だった。
既に、あの妖しい光は消え、外からは真夏の強い日差しが差し込んでいた。
咲子は、横たわる衛を見て仰天し、
「衛!衛…!」
と、咄嗟に衛の体に飛びつき、揺り起こそうとした。
体温はある…。死んではいない…。
咲子は、ほっと、安堵感を得たが、それでも衛は首を落とすだけで、眼を覚ます気配がなかった。
それを異常だと感じた咲子は、「お父さん、お祖父ちゃん!」と、二人を呼び、慌てて救急車を要請したのだった。
祖父の善一が、衛の体に触れると、体温はかなり下がっていたが、生きていることは間違いなかった。
呼吸も小さく、心音も微弱だったが、それでも生命反応はあった。
父の善雄や咲子は、何度も衛に声をかけたが、救急車が到着しても、衛が意識を回復することはなかった。
衛の体は、そのまま、浅草の中央病院に運ばれた。
すぐに救急外来に回され、当直医が衛を診断したが、診察をした医師も、衛の体に異常は認められない…と言うばかりだった。
しかし、叩いても揺すっても、担当医がどんな処置を施しても、衛が意識を取り戻すことはなかった。
こうして、衛は、原因不明のまま意識を失い、個室のベッドの上で仮死状態のまま体を横たえることになった。
ただし、衛の体には栄養を取り込む術がなく、点滴だけが唯一の栄養補給であったが、それも「一週間」というのが、医師の見立てだった。それ以上になれば、切開手術を行い、喉を切って栄養をチューブで胃に流し込むことも検討され始めた。
それに、このまま、時間が過ぎれば、いくら頑健な衛であっても体力を消耗し、微弱な反応しか示さない心臓が持たないだろう…と言うのが、医師が家族に告げた言葉だった。
こうして、衛は、夢の中に彷徨うことになったのだ。そして、それは、衛自身が不思議な体験をする原因となった。

第二章  夢の中のタイムトラベル
「寒い…」
眠い目を擦って、起き上がろうとすると、だれかがそれを制止した。
「まだ、動くでない…」
「大丈夫だ。小袖は少しばかり裂けたが、体に刀は当たってはおらぬ」
「しばし、そのままにしておれ…」
衛は、何を言われているのか、まだ、わからなかったが、どうやら夢の世界にいるらしい…。
それにしても、真夏だと言うのに、この寒さは尋常ではない。
そんなことを考えていると、また、その男の声が聞こえた。
「儂は、先を見てくる。ここにじっとしておれよ…」
衛は、白い雪の中に身を横たえているのがわかった。
すると、もう一人の男が戻ってくるように、ひたひたと足を忍ばせて、衛の横に片膝をついた。
「でも、よかったな右衛門七。おぬしの腹巻胴と鎖帷子が身を守ってくれたわ…」
そう言うと、衛の肩をポンポンと子供をあやすように叩いた。
右衛門七…?
俺の名は、鍵衛だ。なんだ、その名は…?
しかし、夢の中の出来事をあれこれ文句を言っても仕方がない。
それに、脇腹は少し痛むが、確かに、腹を触るとそこには男たちが言っていたように、硬い鉄の胴と鎖があることに気づいた。
それに、今し方、何か硬い棒のような物で叩かれたような感覚が残っていた。
あれは、棒と言うより、刀…?
俺は、刀で斬られたのか?
まさか…。今の時代に刀などあるはずがない。
そう思いながら、鈍い頭で体を見回すと、それは目の前の男たちの服装と同じ装束を着ていることに気がついた。
着物…?
これは、袴か?
それに、頭は妙な鉄の鉢巻きをしている上に、頭のてっぺんは、髪の毛まで剃られているではないか…。
衛は、怪訝な顔をして頭を振り、立とうとするのを二人の男が支えてくれた。
「す、すみません…」
「ところで、今は…」
衛は、こんなところで何をしているのか?と尋ねたはずだったが、言葉が終わらないうちに、男たちは、
「ああ、今、突然敵が現れて、一番後ろにいたおぬしに斬りかかったのじゃ」「寸手のところで、おぬしが身を躱し抜刀したので、儂らが二人で倒したわ…ほれ…」
言われるままに男が指さした方を見ると、一人の侍が刀を握ったまま雪の中で喘いでいた。
まだ、息があるらしい…。
よく見ると、左肩を深々と斬られている。
血が薄い浴衣のような着物を汚し、雪の上にも血だまりができていた。
衛が、駆け寄ろうとすると、
「右衛門七、今は戦じゃ。此奴も武士ならば、覚悟はある…」
「要らぬ助けは、武士の面目を穢すことになるぞ…」
そう言って、衛を止めるのだった。
衛は、
「右衛門七?」
「戦…?」
そう口の中で呟くと、急に頭が痛み出し、衛の記憶とは違う記憶が頭を駆け巡るのがわかった。
「わかりました、早水様…」
衛はそう応えて、自分の体を点検したが、それ以上の傷はなかった。
剣道の竹刀とは違う、鈍い痛みが断続的に続いていたが、耐えられないというほどではなかった。
そこに、もう一人の男が、
「それにしても、右衛門七は身が軽いのう…?」
「儂では、後ろから脳天を割られるところじゃ…」
そう言って、大笑いをするのだった。
「では、参ろうか、神崎殿」
早水藤左衛門は、神崎与五郎と矢頭右衛門七を連れて、再度、敵陣に向かって行くのだった。

衛は、次第に別の記憶の中で、動けるようになっていった。
左袖を見ると、「播州赤穂 矢頭右衛門七教兼」の文字がよく見えた。
まだ夜が明けない時刻ではあったが、真っ白な雪景色と黒の小袖の袖に巻いた白い晒に、墨痕鮮やかに氏名が書いてあるのを見て、衛…、いや右衛門七は記憶を取り戻していた。
「そうか、急に後ろから斬りかかられ、咄嗟に体を捩って倒れ込んだんだ。そのとき、敵の刀が脇腹に当たったんだ…」
そう思うと、その瞬間の記憶が蘇った。
だれかは分からなかったが、「右衛門七、危ない!」というような声が聞こえ、体を捻った覚えがあった。
もし、あの声が聞こえなければ、確かに、後ろから脳天を割られていたに違いない。本当に危ういところだった…。
しかし、あの声は、だれの声だ?
聞き覚えのある声には、違いないのだが、それがだれなのかは、定かではなかった。
まだ、頭は混乱していたが、体の中は、右衛門七と衛が交互に現れるような状態になっていたのだが、それを理解することはできるはずもなく、倒された衝撃で混乱したのだと考えることにした。
それにしても、戦は、一瞬が命取りになる。ここは、神経を研ぎ澄ませて周囲の気配を感じるしかない…と右衛門七は思った。
今、右衛門七の体の中には、現代の鍵衛と矢頭右衛門七が同居していたのだが、それも少しずつ融合し合い、ひとつになるのもそう遠くはなかった。
まったく考えられない異常な事態ではあったが、幸いなことに、二人とも、それが苦しくはなかった。それ以上に、常に心が通い合う魂の交流のようなものがあり、これまで以上に平静を保てる自分があった。
それにしても夢とはいえ、衛には、自分がとんでもない格好をしているように思えた。それに、立ち上がってみると、これがやたら重い。それに、自分の刀を握り直すと、これもずっしりと重く、衛は、すぐに「やっぱり本物だ…」と気がついた。
その刀を腰に挿した鞘に戻すと、また、刀の重みが腰全体にかかってきた。
しかし、不思議なもので、刀を挿した方がバランスがいいのだ。
居合刀を腰に挿したときも、それは感じていたが、さらに重い日本刀は、腰に挿すことによって体全体を安定させる効果があった。それに、これだけの重武装にも拘わらず、走り回れるのは、単に重量物を着けているのではなく、腰さえしっかりと座っていれば、その方が動きやすいという利点があることもわかってきた。
但し、それが理解できたのは、衛自身が剣道三段の実力があり、長年剣道の稽古を続けてきた賜物だった。要するに、右衛門七の体と衛の体は、ほぼ同じくらい鍛えられていたことになる。
おそらく剣術の腕前は大きく違うだろうが、衛も赤穂浪士の一員になれたような気がして嬉しくもあった。
そして、それまでは、暗闇の中でぼんやりしていた視界が、雪の光に照らされて、目が次第に慣れてきた。
まだ、遠くをボーッと見ているような表情をしていたのだろうか、早水藤左衛門と神崎与五郎が、体についた雪をはたいてくれるではないか…。
衛は思わず、
「いや、もう大丈夫でござる」
「かたじけない、早水殿、神崎殿…」
そんな言葉が、ふと口をついだ。
ござる…、早水殿とか神崎殿とか…、どうしてそんな名がすらすら出るのだ?
衛は、少しだけ混乱していたが、その二人が側にいることも、この装束を身につけていることも特に違和感を感じなくなっていた。それに、刀の柄を握りしめると、その感触はこれまでの竹刀や木刀の感触に近く、何年も振っていたかのような親しみさえ感じていたのだ。
体を触ると、左脇腹の着物が少し裂けていたが、その下の腹巻胴が敵の刃を防いでくれていた。
神崎与五郎が、
「右衛門七、大事ないか?」
と尋ねるので、
「はい…」と言いながら、衛は自分の体をパンパンと叩いて見せた。
それにしても、体中に鎖の下着のような物を着込み、腕には鉄で出来た鉄甲籠手、足にも鉄製の脚絆が巻いてある。そして、頭には、厚い鉄製の兜のような鉢金を巻いていた。
それだけで二十㎏は超える重さがあった。
衛がそれを着用して平気でいられたのは、普段からの鍛錬の賜物であった。 それにしても、この重さの装備を身につけて、戦の最中の雪の中にいるということは、これは、もう、あの忠臣蔵の吉良邸にいるとしか考えられなかった。
そうか、この二人は、赤穂浪士の早水藤左衛門と神崎与五郎なのか?
なら、やはり、ここは「あの夜の吉良邸!」に違いない。
すると、俺はやっぱり。播州赤穂 矢頭右衛門七教兼なのだ。
そうか、俺と矢頭右衛門七の魂は、同じなんだ…。
衛の魂は、あの朝、時空を超えて自分の先祖である右衛門七の体に戻ってしまったに違いない。
そう考えると、衛は、右衛門七の生まれ変わりということになる。
まさか、そんなことが…と考えても、このリアルな夢は、そうとしか言いようがなかった。

子供のころに、祖父善一から聞いたことがあった。
「我が家は、忠臣蔵で名高い大石内蔵助殿、縁の家でな…」
「元々は、大坂で塩問屋を商っていたが、赤穂藩とのつながりが深く、大石殿が決起されるとき、少しばかりお手伝いをさせて貰ったんじゃ」
「それで、江戸の浅草に出て来たというわけだ」
「それに、赤穂浪士の矢頭右衛門七殿とは、遠い縁者でな。右衛門七殿が江戸に出て来た際は、何かと初代善兵衛が面倒を看ておったそうだ…」
「右衛門七殿が切腹した後は、善兵衛が母や妹三人を大坂から江戸に呼び寄せて、数年後に、白河藩の親戚に送り届けたということだ」
「ほら、だから、今でも、当主は、赤穂浪士たちが切腹した二月十四日の命日には、欠かさず泉岳寺に参っているではないか…」
「我が家には、大石内蔵助殿から拝領した脇差しが一振りある。あれは、大石殿が江戸に下向され、いよいよ討ち入りという前日、浅草の店を訪ねて来られ、お礼にと初代善兵衛に手渡されたものだ。それ以降、我が家では、仏壇のお供えし、家宝としておる…」
衛は、急にそんなことを思い出した。
もし、俺の魂が時空を超えて、元禄の世に来て、右衛門七の体内に入ったとしたら、俺は、俺でありながら右衛門七であるのかも知れない。
そんなことを考えながら、先の二人についていくと、組頭の早水藤左衛門が、
「大丈夫か、右衛門七。行くぞ!まだ吉良殿は見つかってはおらぬ。そのよい目でよく見張れ…」
「見つければ、大手柄じゃ…」
そう言うと、三人で邸内の庭を神崎の持つ龕灯を目印に、周囲に眼を配りながら上野介の探索に戻った。

第三章  もう一人の右衛門七
衛は、体が次第に慣れてきていることに気がついた。
最初は、気だるく頭も重かったが、次第にそれも取れ、状況が分かるにつれて、意識を集中できるようになっていた。
ひょっとしたら、俺の魂が本物の右衛門七の魂に融合してきているのかも知れない…。
そう考えると、最初に感じていた違和感が無くなってきた理由がわかるような気がした。
少し目を閉じると、そこには、目に見えない右衛門七の気配を感じていた。
右衛門七も、衛を感じているに違いなかった。
だから、衛の眼は右衛門七の眼であり、衛の言葉は、右衛門七の言葉なのだ。
それが、十分理解できるほどに、心身が整っていくのがわかった。

そうだ、あのときだ…。
衛と右衛門七は、同時に、そう考えた。
確か、右衛門七は、表門組に配置され、早水藤左衛門と神崎与五郎の組に入ることになった。早水殿は四十歳、神崎殿は三十八歳の壮年である。それに比べて右衛門七は十七歳の少年であった。
二人とも、弓や剣の遣い手で、その体は稽古によって十分に鍛えられていた。右衛門七も若年ながら剣は、二人に劣らぬ程度には上達していたが、まだまだ体が華奢なため、討ち入りの装束は負担だった。
必死に走り回るが、その重量のためか、寒い冬にも拘わらず汗が流れ、肩で息をすることが多かった。それに比べて二人の大人は、どんなに動いても息が乱れることはない。
本物の武士とは、そうありたいと思うが、如何せんついていくだけで必死の右衛門七だった。
それは、衛も同じことである。
現代の高校生に比べれば、長年剣道で鍛えた体は丈夫ではあったが、筋肉量が赤穂の侍とは違い過ぎた。
それでも、右衛門七も衛も、二人の前で弱音を吐くような無様な真似はしなかった。それもこれも、この腹巻胴を身につけているからである。
本来、この討ち入りには、父である矢頭長助が加わるはずだった。
長助は、首領である大石内蔵助の竹馬の友で、この討ち入り費用の一切を任されていた元赤穂藩勘定方の役人だった。
算盤に長けており、暗算を得意とする長助は、帳簿の数字を諳んじるほどの記憶力の持ち主でもあったのだ。
それが、大坂に出てから、肺病に苦しむことになった。
咳をしながらも会合に出向き、大石内蔵助とも何度も顔を合わせては、大坂の天野屋や鍵屋に出入りし、計画を進めていたのだった。
ところが、長助は無理が祟ったのか、討ち入りの半年前には、布団から起き上がれなくなっていた。
そこで、嫡男である右衛門七を呼んで、
「よいか右衛門七。儂はこの体じゃ。もう長くはあるまい…」
「内蔵助殿には、既に伝えてあるが、このたびの企てに、おぬしを加えて貰うように手筈は整えた」
「おぬしも、本来、赤穂藩浅野家の勘定方に就く男だった」
「既に算盤は、儂に追いついてきておる。暗算もできる」
「他藩へ仕官しようと思えば、おぬしの才覚じゃ、造作も無いことだろう。しかし、右衛門七よ、おぬしには、儂の存念を引き継いで貰いたい。済まぬ…、ゆくゆくは、勘定方として出世し、幸せな家庭を築くこともできたであろうに、父の我儘を許せ…」
「そして、来月には江戸に上り、内蔵助殿を助け、本懐を遂げるのじゃ…」
「よいな…」
そう言うと、奥から先祖伝来の「腹巻胴」を出し、
「これは、我が矢頭家が、関ヶ原の戦で用いた具足じゃ…」
「本当は儂がこれを着けて戦うのだが、おぬしに託す故、頼んだぞ…」
そう言って、涙を流すのだった。
右衛門七は、江戸に上ると、まずは父に言われたとおり、浅草で店を構えた「鍵屋」を訪ねた。ここの鍵屋善兵衛は、元は大坂の塩問屋だったが、大石内蔵助殿に肩入れし、大坂の店を弟の善吾に任せると、浅草で海産物の乾物を商う問屋を開いたのだった。
善兵衛は、塩の商いをとおして、蝦夷や津軽の昆布やワカメ、ホタテの貝柱や海鼠などを仕入れる方法を知っており、それらを乾物に加工し、浅草の店で商っていたのだった。
善兵衛は、大石内蔵助に金銭的な援助を惜しまなかった。内蔵助は、「借用書を書く」申し出たが、善兵衛は、
「これまでのご恩返しをするまでのこと、それほどの大金を用意できる筈もなく、私一存ですること故、お許しください」
と、内蔵助の頭を下げるのだった。
それに、大坂の天野屋義平は、今回の仇討ちの武器を取り揃えたという噂もあり、善兵衛にしてみても、天野屋への対抗心がないわけではなかった。
一説によれば鍵屋善兵衛は、およそ一千両の大金を無償で大石内蔵助に渡したと言われている。
余談になるが、討ち入り後、鍵屋は幕府から相当に厳しく取り調べを受け、
闕所を覚悟したが、六代将軍徳川家宣公即位の恩赦があり、商売を続けられたと聞く。
それでも一千両の負担は、鍵屋には大きく、その借財を返し終わったのは、明治になってからと言うから、初代鍵屋善兵衛一世一代の我儘だった。
鍵屋より所帯の大きかった天野屋は、その後、鍵屋と同じ目に遭い、江戸時代後期には、店を畳んだのであった。
しかし、家族や店の者も善兵衛の気持ちをよく理解し、その後の店の記録にも、「借金返済」の文字がたくさん躍っていたが、善兵衛の行動に対して非難がましい記述は見られず、全員で一致団結して店を守ってきたことがわかった。
右衛門七のことも、討ち入りまでは、長助の嫡男であることもあって、面倒を看るつもりでいたが、右衛門七は、母と妹たちのことを善兵衛に託すと、仲間と共に暮らし、滅多に店に顔を出すようなことはしなかった。
それでも、文は度々届き、「善兵衛殿の深い恩義には、仇討ちを以て応えたい」旨の言葉が綴られていた。
右衛門七の切腹後、その遺言によって、右衛門七の私物はすべて善兵衛の元に届けられた。
そして、善兵衛は、そのほとんどを母のいる白河に送ったが、刀だけは、迷惑がかかるといけない…という配慮で、鍵屋で預かることにしていたのだった。
それが、現代にまで引き継がれ、右衛門七の大小の刀は、代々の当主だけが手入れを許されており、衛の祖父善一も、週に一度は刀身が錆びないように手入れをするのが日課となっていた。
それでも、「刃毀れなどは一切修繕せぬように…」との言い伝えがあり、間違っても刀を研ぐようなことはなかった。
そして、その大小の刀には、無数の刃毀れがあり、討ち入りに際して、かなりの戦闘が行われたことを物語っていた。
ただ、あの「小柄」だけは、元々、文箱に入れられて鍵屋に届けられたことから、そのまま預かっていたものだった。実は、その「小柄」も、討ち入りの実相を物語る貴重な遺品であったことは、この後、衛が知ることになる。

三人が、表門から裏門へと続く広大な庭に出たときだった。
剣戟の声が大きく響いてきた。まだ、庭では仲間の浪士たちと吉良方の侍が戦っていたのだ。
ここまでかなりの吉良侍が倒れ、戦力として残されている者は少なくなっているはずだったが、この庭での攻防は、決着がついていなかった。
「いいか、油断するな!」
先頭を行く与五郎が二人に声をかけた。
衛が、「先を見て参ります…」と声をかけると、
「いや、待て!」
「どんな場合も三位一体が基本だ!」
「敵と出会ったら三人ひと組で戦う。いいな!」
「はい!」
衛は、いよいよ真剣で戦う戦場へと足を踏み入れたのだ。
木の木陰から回り込むように庭に出ると、数名の浪士が、敵方と互角の戦いを強いられていた。
その中の一人は、二刀流の構えで、隙がない。
既に、仲間の何人かが倒されたようだが、これだけの装備をしているため、簡単に深手を負うことはない。それが、実戦経験のない者たちには、精神的な支えとなっていた。
「この鎖帷子が、身を守ってくれる」
それは、真剣勝負の場では、一歩踏み出す勇気を与えてくれた。
庭に出るやいなや、与五郎が、
「よし、突っ込むぞ!」
「右衛門七、離れるでないぞ!」
そう言うや否や、三人は敵前に飛び出した。
「おう、武林殿。ここは我ら三人、助太刀申す!」
かなり追い詰められていた武林唯七は、「おう!」と応えた。
こうなると、こちらは六人になる。
武林唯七、近松勘六、前原伊助の三人が対峙していた相手は、吉良方の遣い手、清水一学のようだった。それ以外に三人が刀を交えていた。
その清水が先頭に立って、三人を圧していたのだった。
そこに、早水組の三人が加わったことで、六対四になり、形勢は逆転されたかに見えた。
「早水殿、この男は相当の遣い手。他の三人を相手してくれまいか?」
勘六がそう叫ぶ。
「わかった。後の三人は我らが引き受けた!」
藤左衛門がそう叫ぶと、衛も一緒に敵の前面に躍り出た。
こうなれば、やるしかない。
衛は、手に馴染み始めた刀をすらりと抜くと、手に雪をつけ、ぎゅっと握りしめた。
俺も、剣道三段。北辰一刀流の門弟の一人だ。よし、いくぞ!
そう覚悟して、一人の侍に対峙した。
藤左衛門も与五郎も既に敵と相対しており、右衛門七に構う余裕はなかった。
「うおーっ!」
吉良侍が、上段から撃ってくる。
一拍遅れた…と感じたが、衛は、腰を落とし、相手の刀に自分の刀の鍔元を合わせた一瞬、得意の抜き胴を放った。
ギャン…。バグッ、ググググ…。
刀が吉良侍の腹にもろに食い込んでいくのがわかった。
そのまま素早く抜かねば、刀が肉に食い込んで抜けなくなる…。
そう思った瞬間に、ザシュッ…という音と共に、刀が抜けた。
ングッ!
というくぐもった声を残して、その吉良侍は雪の中に身を転がしていた。
「おう、見事。右衛門七殿!」
そんな声が近くから聞こえた。
衛は、そのまま、与五郎の側に走り寄り、もう一人の吉良侍と対峙した。
年嵩の吉良侍は、鬼のような形相で衛に向かってきた。
きえーっ!という甲高い声と共に、その強烈な刃を衛は、またもや鍔元で受けた。
ガキーン!
という金属同士がぶつかり合う音が響き、目の前の火花が散った。
んぐぐぐぐ…、という敵の必死の刃が、体に迫ってくる。
この腕力は、衛の力では跳ね返すことはできない。
そのとき、衛の後方から与五郎が飛び込んで来た。
すると、その剛力の吉良侍が、与五郎の刀を跳ね返した瞬間に、藤左衛門が渾身の突きを喰らわした。
グサッ!
という音と共に、藤左衛門の刀の剣先が、吉良侍の喉を掻き斬っていた。
その瞬間、ザザーッと、吉良侍の噴き出した血潮が、衛の顔に降りかかった。
ぐっ!
その温かく生臭い匂いの液体こそ、人間の断末魔の血潮であった。
それが、さらに衛の闘争心を掻き立てた。
これで、二人…。
三人は、踵を返すと、もう一人に向かって行った。
清水一学は、三人がかりで戦っていたが、それでも、もの凄い剣風で、近づくのも容易ではなかった。
もう一人の男は、一学の側で必死に剣を構え、少しでも一学を守ろうとしているかのようだった。
とにかく、残るは、二人…。
「おう!おう!」
と、清水一学ともう一人の侍を六人で威嚇していたそのとき、大声で飛び出して来る者がいた。
「ここは、儂に任せろ!」
「堀部安兵衛武庸!見参!」
現れたのは、剣豪で名高い堀部安兵衛だった。
飛び出すなり、一学の側で身構えていた一人を袈裟懸けに斬り、どっと倒れる体を蹴り倒すと、一学に対峙した。
安兵衛は、
「ほう、清水一学殿とお見受けした…」
「拙者が、堀部安兵衛だ。参る!」
既に息を整え、静かな呼吸をしていた。
フーッ、フーッという息づかいと、ジリッ、ジリッと雪を踏みしめる安兵衛の足音が響く。
一学も、先ほどまでの興奮した姿からは、信じられないほどに、落ち着きを取り戻し、脇差しをしまうと、大刀を正眼に構えた。
おそらくは、堀部安兵衛ほどの手練れと戦うには、腕一本というわけにはいかなかったのだろう。
静寂の中に、二人の呼吸だけが聞こえていた。
衛や与五郎たちは、それをじっと眼を凝らして見詰めていた。
だれも、この場を離れることのできないほど、緊張していた。
衛は、剣道の試合でも、こんな緊張感は初めてだった。
「生死を剣に賭けた瞬間とは、こういうものか…?」
衛の眼は、二人に釘付けになっていた。
一学は、堀部安兵衛の名を当然、知っていたはずだ。
衛の記憶でも、安兵衛は、「高田の馬場の決闘」で一躍有名人となり、その戦い振りは、当時の瓦版で何回も紹介されていたと小説で読んだことがあった。
一学は、息を潜め、声を落として安兵衛に対して静かに応えた。
「左様。私が清水一学だ…」
「堀部殿、武士とは因果なものよのう…」
「しかし、この場で堀部殿と刀を交えるのは、本望…」
「清水一学、参る!」
そう言うと、安兵衛殿の面を割ろうと飛び込んでくるのが見えた。
その刀風は、ブーンという唸りを上げ、安兵衛の頭上を襲った瞬間だった。 安兵衛の刀は、そのまま真っ直ぐに突き出された。
その速さは、衛も見たことのない速さの突き技だった。
そして、一瞬先に一学の首筋を捉えていた。
一学の刀は、安兵衛の鉄の鉢金に跳ね返され、その首筋からは猛烈な血飛沫が舞った。
白い雪景色の中に舞った真っ赤な血飛沫は、壮絶な戦いの結末を彩っていた。
一学の首は、辛うじて残されたが、安兵衛の豪腕は、首筋の動脈を確実に捉えていたのである。
衛は、驚きのあまり声も出なかった。
それより、こんな剛剣の遣い手を現代で見ることはなかった。
それにもまして、あの頭に巻いた鉢金がなければ、先に安兵衛殿の頭が真っ二つに裂かれていたに違いない。
剣道の試合なら、当然、首を捻り竹刀を躱すのだが、それでは首を断ち切られる。だから、安兵衛殿は、その刀の軌道を読み、鉢金に合わせたのだ。
どうしたら、そんな豪胆なことが出来るのだろう…。
真剣で向き合うだけで、あんなに怖ろしいのに、それを冷静に見極めた堀部安兵衛という侍は、本当に人間なのか?
しかし、決着は着いた。
安兵衛は、一学が倒れるのを見届けると、大きく「フーッ!」と白い息を吐いた。そして、何度も肩で息をし、呼吸を整える姿が見えた。
あれほどの剣豪であっても、あの時間、呼吸を止め、集中していたのだろう。敗れたとはいえ、清水一学という侍も見事だった。
そして、
「さすがに、吉良随一の遣い手…。成仏されよ…」
そう言って、目で一学の骸に合図を送って、次の戦いの場に走って行った。
我々も、はたと我に返り、改めて吉良上野介の行方の探索に向かった。
その後も、各所で、吉良の生き残りと小競り合う音が聞こえたが、既に勝敗はついていた。
そろそろ陽が昇るのではないか…という明け方近くなったころに、笛の音が吉良邸に響き渡った。
与五郎殿が、
「おい、笛の音じゃ!」
「吉良が見つかったに違いない。我らも参ろう…」
笛の音は、わりあい近くで聞こえていた。
衛も藤左衛門に促されて、笛の音を頼りに、裏の炭小屋まで走った。
そこには、既に多くの浪士が集まっており、衛たちのすぐ後ろから、首領の大石内蔵助たち、本部付の浪士が到着した。
衛は、それを少し離れたところで眺めていた。
衛と右衛門七は、同体だとしても、右衛門七の意識が残っている衛としては、歴史の証言者になるような気持ちで、吉良上野介の最期を見ていたのだ。
そこに現れたのは、裏門隊の主将を務めた大石主税だった。
「おう、右衛門七、随分働いたそうじゃないか?」
「幼なじみの右衛門七が、活躍するのを聞いて、俺も嬉しかったぞ…」
主税は、いつもの人なつこい笑顔を右衛門七に見せると、背中を小突いた。
これは、主税がやるいつもの挨拶だった。
衛は、右衛門七の心を借りて、
「いや、主税様こそ、裏門隊の指揮、ご苦労様でした…」
そう言うと、主税は、寂しそうにこう呟いた。
「これで、我らの本懐も遂げられたな…」
「はい…」
そう応える衛には、右衛門七同様、何か寂しさのようなものを感じていた。
「そうなると、次は、我らに何が待っているのだろうか?」
「また、右衛門七と一緒だといいのだが…」
「それにしても吉良様は気の毒だ…」
「右衛門七よ、あの吉良様のお姿を見よ!」
「この冬空に肌着一枚でいるのに、あの毅然としたお姿はどうじゃ…」
「あの事件は、吉良様の責任ではない」
「あれは、我が殿、内匠頭様の不始末じゃ」
「父上もそれを承知していた。だが、吉良様を討たねばならない…」
「それが、武士道なのじゃ…と」
「我々が、倒した吉良の侍たちにも同じ武士道があるのにな…」
そう言うと、遠くから吉良の首が落とされるのを、二人で見詰めていた。
衛は、そうか…、大石主税という少年は、そんなふうにこの事件を見ていたのか…と思った。
今まで知識として知っている忠臣蔵は、みんな殿様の無念を晴らすために吉良上野介の首を獲らんと、艱難辛苦を乗り越えて本望を遂げた…とばかり思い込んでいたが、主税の言う「それが、武士道なのじゃ…」という淡々とした響きが、いつまでも耳に残っていた。
きっと、大石主税という侍は、矢頭右衛門七という侍にだけは、本心を打ち明けることができたのだろう。父にも仲間にも言えない心の声を、右衛門七にだけは打ち明けていたのだと思うと、同じ齢の若者として、同情を禁じ得なかった。そして、いつの日か、生まれ変わった姿で、この大石主税という人間に会いたいと思う衛だった。

第四章 右衛門七、切腹の座へ
討ち入りの騒動が終わると、赤穂浪士四十六人は寺坂吉右衛門を除いた全員が各大名屋敷へとお預けとなった。右衛門七は、軽輩のために大石主税とは、休息を取っていた殿様の菩提寺である泉岳寺で別れることになった。
この日は、夕方から雨になり、真っ白な雪景色で討ち入った後は、泥だらけの江戸の町に変貌していた。
これも天の演出かも知れなかった。
十二月十四日の夜半から降り続いた雪は、十五日になるとその勢いは増し、夜中過ぎには、江戸の町は、真っ白な雪化粧を纏った。そのためか、深夜に徘徊するような人もおらず、夜泣きそば屋も早々に店じまいをして、通りから姿を消していたのだった。
火事場装束の赤穂浪士の一団は、木戸門を「火事の見回りにござる」と大名火消しを装って通過し、本所の吉良邸に集合したのが寅の刻限であった。
そして真っ白な雪を蹴散らしながら、二時間にわたる戦闘を行い、その邸内は、多くの真っ赤な鮮血で無惨な姿に変わり果てていた。
それでも、右衛門七や主税たちは、火の用心にだけは努めて吉良邸を退散していた。
本来ならば、ここで上杉勢を待ち、上杉十五万石を道連れに殿の恨みを晴らそうと考えたが、上杉勢が現れないために、泉岳寺に向かった次第だった。
上杉は、越後の虎と怖れられた上杉謙信の流れを汲む外様大名だったが、跡継ぎ問題が発生し、縁戚だった吉良上野介の子を養子として迎え、三〇万石が十五万石に減らされながらも、幕末まで生き残った大名家である。
当時の当主、上杉綱憲の実父は吉良上野介であり、上野介の跡を継いだ義周は、綱憲の実子という深い関係にあった。
赤穂の浪士たちは、討ち入りとなれば上杉が必ず出てくる…と予想しており、上野介の首を奪った後は、この上杉家と一戦交えて死ぬつもりだったのだが、上杉家にも知恵者はおり、結局、上杉家は出兵することはなかった。
赤穂浪士四十七人が、全員無事で泉岳寺まで辿り着くことが出来たのは、幸運としかいいようがない。
やはり、天が味方した…と各自が思っていた。
右衛門七が、泉岳寺で休息を取る中で刀を改めると、あの吉良侍との戦いで刃の中ほどに酷い刃毀れを見つけた。
それに、数度の小競り合いがあり、刀は鋸のようになっていたが、戦い抜いた右衛門七には、それで満足だった。
夜遅く、浪士たちは、各大名家からの迎えの籠が到着し、各大名家へと向かうことになった。
泉岳寺の大広間には、四十六人の浪士がそれぞれに別れの挨拶を交わしていた。
右衛門七のところには、早水藤左衛門が早々に挨拶に来られた。
早水組に所属し、組頭の藤左衛門が何くれと面倒を看てくれたが、藤左衛門は、百五十石取の上士であったために、ここで別れとなった。
与五郎と右衛門七は、同じ水野監物邸にお預けだったが、藤左衛門は、細川家だった。
藤左衛門は、右衛門七の前に来ると、
「右衛門七、若い身ながらよく働いたの…。儂も嬉しい」
「父の長助殿も喜んでおられるだろう。最期は、潔く…な」
そう言って、右衛門七の手を強く握りしめてくれたのだ。
側にいた与五郎も藤左衛門に礼を言い、別れ際に、
「右衛門七は、私が必ず最期を見届けます…」
と伝えると、藤左衛門は、涙を拭ってコクリと頭を下げ立ち去って行った。
それは、同じ戦場で働いた戦友として、別れがたい瞬間でもあった。
そして、最後に、右衛門七が別れを告げたのが親友の大石主税だった。
主税は、裏門組の大将だったので、多くの浪士が挨拶に出向き、その労を労っていた。主税もその都度、頭を下げ、感謝の言葉を述べるのだった。
その波が途切れると、右衛門七は、立って主税の前に座った。
もう、二人には何も交わす言葉もなかったが、主税が、そっと自分の刀の小柄を布に包んで右衛門七に手渡すではないか…。
「右衛門七、俺の小柄だ。もう、ここで刀も没収されるそうだ。形見になる物もないが、お互いの小柄を交換しようではないか…」
「懐の奥に忍ばせておけば、そこまで詮索はしないだろう」
「どうだ。死ぬその瞬間まで、俺はおまえと共にいたい…」
「頼む、右衛門七、そうしてくれ!」
右衛門七は、うんと頷き、自分の刀から小柄を引き抜き、その剣先で自分の指を傷つけ、その血を小柄につけてから布で包むと、そっと主税の手に置いた。
すると、主税も右衛門七と同じように小柄に自分の血をつけると、右衛門七に渡した。そして、右衛門七の手を取り、
「ああ、もっと生きたかったなあ…右衛門七よ」
「来世では、俺は、町人に生まれる。そして、商いで日本中を旅するんだ…」
「そのときは、右衛門七、おぬしも一緒に参ろうぞ…」
そう言って、両肩に手を置くと、右衛門七の眼を覗き込むように見詰め、さらに肩を二度、ポンポンと叩いて去って行った。
その後ろ姿をじっと見詰める右衛門七の姿があったが、主税は二度と振り返ることはしなかった。

その場には、最後に水野邸に向かう九人が残された。
しばらくすると、公儀の目付が、
「水野様、お預かりの浪士共、立ちませい!」
と声高に命じ、赤穂浪士最後の九人が、泉岳寺を退いていった。
それは、間十次郎、奥田貞右衛門、矢頭右衛門七、村松三太夫、間瀬孫九郎、茅野和助、横川勘平、三村次郎左衛門、神崎与五郎の九人であった。
衛は、右衛門七の辛さ、悲しさが痛いほどにわかるのだった。そして、それは主税の辛さであり、悲しみであった。
「主君の仇を奉じる」という一点において、何も恥じるものではなかったが、本望を遂げて見ると、他の大人たちとは違う感慨が湧いてくるのも事実だった。
数えの十八歳といえば、まだ高校二年生の年頃である。主税は、高校一年生でしかない。
二人とも、女性と付き合ったこともなければ、手を握ったこともない。内蔵助は、そんな二人を不憫に思い、伏見の橦木町にも二人を誘ったが、二人は、頑なにそれを拒んだ。
彼らの純粋な武士道は、そんな淫らな行為で穢してはならない。自分たちの武士道は、美しいものでならなければならない…と思い込んでいたのだ。
それを後悔するものではなかったが、人として生きたか…?と問われれば、空しい気持ちを埋めることはできなかった。
衛は、右衛門七の心を借りて考えていた。
わずか十七歳で武士道という思想のために、命を捨てる覚悟を決め、父親に代わって討ち入りを果たしてみたが、あの吉良上野介の立派な佇まいを目の当たりにして、どちらに正義があったのかわからなくなっていた。
それに、何の因縁があろうと、事件を起こしたのは、殿様である浅野内匠頭なのだ。
それを徒党を組んで、吉良邸に押し入り、主人である吉良様を殺す理由がどこにあるのか、衛には理解することはできなかった。それは、武士道に生きる右衛門七であっても、迷うところだったろう。
ただ、武士道という思想の中では、主君の仇を討つことは正義であり、絶対的な価値なのだ。
そんな矛盾を抱えながら、若い右衛門七や主税は死んでいくのだ。そう考えると、命とは何なのか…衛にはわからなかった。
それでも、衛は、右衛門七の心を借りてそれを体験するしかない。そう思うと、恐ろしさがこみ上げてきたが、それを右衛門七の強い武士の心が抑え込んだ。
「衛、いいんだ。武士道とは、死ぬことに価値があるのだ…」
「死ぬ意味など考える必要はない」
「主君の馬前で死ぬことこそ、武士道の誉れと信じて来たのだ」
「衛には、辛いことかも知れぬが、これが侍なのだ…」
そんな心の声が、聞こえてきた。

右衛門七たち九人は、水野監物邸で、まさに罪人としての扱いを受けた。
与五郎は、
「右衛門七、所詮、軽輩の我らに与えられるものは、この程度だ…」
「本当なら、町奉行所の牢に入るところを、こうして大名家に預けられただけでも有り難いと思わねばな…」
そう言って、右衛門七たちを慰めた。しかし、漏れ聞こえる話では、大名家によって、その処遇に大きな差があるようだった。それは、九人を預かる水野家の用人が、与五郎たち大人に囁いた噂だった。
それによれば、細川家では、特別に座敷が与えられ、殿様自ら謁見し、再仕官の話まで出ているらしい。
それに比べて水野家では、中屋敷の長屋に牢を造り、一つの仕切りに三人ずつ押し込められていた。畳は一人一畳が与えられたが、座敷と言うにはほど遠かった。それに、飯も罪人の物と変わりなく、挟みやカミソリなど、刃物は一切与えられなかった。
そのため、右衛門七は、主税の小柄を腹の下に収め、絶対に見つからないように気をつけねばならなかった。
外に出るのも一日一度と決められ、囚人のような衣服で、髭も剃らず、月代もそのままでは、散歩もできなかった。
水野家の家臣たちも用人数名が対応に当たっており、まるで厄介者を扱うように、邪険にする武士もいた。
それでも、用人頭の須藤伝五は、九人に同情的で、
「皆様方は、武士の鑑でござれば、当家のやり方は納得出来申さぬ!」
と、水野家の重臣たちの処置に不満を持っていた。そして、何くれと面倒を看てくれるだけでなく、様々な情報を大人たちに伝えてくれていたのだ。
「神崎殿、町の評判は鰻上りで、皆様方のことは、義士と叫ぶ者もおり、幕閣でも議論になっているようでございます」
などと、巷の噂まで教えてくれた。
そのうち、水野家でも対応が変わり、座敷牢から屋敷内の二部屋が与えられ、衣服も元の侍らしい紋服になった。それに、食事も一汁三菜となり、器にも漆の食器が使われるようになっていった。
これも、どうやら細川家や松平家を見倣った結果だったらしい。
用人の須藤伝五が言うには、
「いやあ、巷では、我が家の評判は最低で、殿様がそれでは恥ずかしいと思われて皆様方の処遇を変えたとのことでございます」
「私としてみれば、ほれ見ろ!という心境ですな…」
と言って笑うので、与五郎が、
「まあまあ、須藤殿。他に聞かれては、その方が困るであろう…」
と窘めたが、水野監物は、幕府の側用人柳沢吉保に近い人物のために、赤穂浪士にぞんざいなのだ…と言われていた。
まあ、どのみち死が近いことだけは、だれもが感じ取っていた。
それでも、九人は元々身分の軽い者たちで、部屋住みや台所役人など、貧乏暮らしが長かったためか、あまり不平を言う者もいなかった。
逆に、上士の侍たちがいない分、気を遣うこともなく、気楽な雑談に華を咲かせ、右衛門七も末席の軽輩であったが、その扱いは対等だった。
特に台所役だった三村次郎左衛門は、この長屋暮らしが気に入ったらしく、右衛門七にも、
「なあ、右衛門七殿。こうして何も考えず、のんびりと暮らしておると、故郷の赤穂を思い出しますなあ…」
「赤穂は、瀬戸内故、魚が旨い。それに、赤穂塩じゃ、これで干物にして白飯を食えば、ああ、極楽であるな…」
などと言うものだから、みんなで赤穂話に花が咲いてしまった。
個々には、家族持ちも多く、独身者は、それが羨ましくてならなかった。中には、隠れて娘と付き合っていた者もおり、娘の肌が恋しい…と嘆いていたり、小さな娘自慢をする父親がいたりと、上士がいたのでは話せない下世話な話で盛り上がったりしていた。
ここでは、意外と討ち入りのときの話はあまり出ることなく、用人の伝五などに聞かれて、話す程度だった。
せっかくなので、水野邸に預けられた九人について衛の見た姿を紹介しよう。

間十次郎殿は、間喜兵衛殿の長男で弟の新六殿も参加していた。親子三人での討ち入りだった。この十次郎殿が吉良上野介に槍をつけた誉れの武士で、上野介の介錯をしたのも十次郎だった。普段は無口で書物を読んでいることが多く、間家の嫡男として育った立派な人物だった。右衛門七にも殊の外優しく、よく戦記物を語って聞かせてくれた。こういう物静かな男がいざとなると、勇気をふるい、とんでもない活躍をするものだと感心していた。

奥田貞右衛門殿は、剣客で有名な江戸詰めの奥田孫太夫殿の養子で、養父について最初から最後まで存念を変えることなく、武士道を貫いた侍だった。やはり剣の遣い手で、いずれは父親以上の遣い手になるのではないか…と期待された人物だった。右衛門七とは、表門、裏門に別れたために接点は少なかったが、討ち入り前に堀部安兵衛殿が開いた道場で、時々、剣の稽古をつけてくれて、「筋がいい」と褒めてくれたものだった。剣豪らしく、背中の筋肉が盛り上がり、丸太のような腕で振る木刀は、速すぎて見えなかった覚えがある。

村松三太夫殿は、村松喜兵衛殿の長男で、数学を得意とした学者の家柄の侍だった。やはり父と共に討ち入りに参加した武士で、強い信念の持ち主だった。右衛門七も預かりの水野邸で数学を教わり、右衛門七が教え方が上手なので、「三太夫殿は、数学者としても大成されましたね…」と言うと、「本当は、学者になりたかったんだがな…」と本音を漏らす若者だった。もし、刃傷事件が起きなければ、その才能を生かして数学者として大成したものを…と考えると、本当に気の毒だった。右衛門七には理解できても、衛には到底理解できない時代だった。

間瀬孫九郎殿は、間瀬久太夫殿の長男で右衛門七とも年齢の近い二十三歳だった。それでも水野家では、何くれと右衛門七の相談に乗ってくれて、頼もしい兄貴的存在だった。部屋住みの身ながら、当初から大石内蔵助殿に従い、仇討ち一筋に突き進んだ人物だった。孫九郎殿は、とにかく美男で、赤穂時代も町娘が塾で勉強している姿を一目見ようと、覗きに来る始末だった。付け文も多く、孫九郎殿が水野邸に入ったときも、「おい、赤穂浪士に女が混じっておるぞ…」と、噂が立ったらしい。さほど器量のよくない衛には、嫉妬を覚える侍だった。

茅野和助殿は、若いが妻子のある身だった。裏門隊にいたため右衛門七とは、会う機会は少なかったが、主税殿に付き従い、最後まで主税殿を守り通した武士だった。俳人としても有名で、水野家では、右衛門七も俳句の手解きを受けたが、なかなか身につくものではなかった。衛が右衛門七と下手な俳句を創っても笑うことなく、必ずいいところを褒めてくれるので、「和助殿、褒めすぎです…」と言うと、「いや、中々瑞々しい感性をしておられる…」などと褒めるので、与五郎殿に披露すると、笑われてしまった。

横川勘平殿は、役職は徒目付で年齢も三十七歳と分別のある大人だった。家禄は低いが、清廉潔白の士で不正を嫌う正義感の塊のような侍だった。とにかく実直で、討ち入りも最初から大石内蔵助殿に従い、一度も迷うことなく突進した人物だった。右衛門七は、そんな勘平殿に信頼を置き、切腹の作法などの教えを請うたのだ。そして切腹の稽古の最後に、「なあに、今の切腹はほとんど打ち首じゃ。とっとと首を差し出せば、スパッとやってくれるから、心配せぬことじゃ」と言うので、右衛門七も、まあ、そんなものか…と思ったが、周りで大勢が見ていると聞いてからは、冗談抜きで真剣に教えて貰った。

三村次郎左衛門殿は、軽輩の台所役で、その料理の腕は殿様を唸らせるくらいの技を持ち、その仕事に誇りを持っていた。しかし、軽輩が故に、赤穂での評定にもなかなか加えて貰えず、大石殿に直談判したという話を聞いている。とにかく力持ちで、掛矢を自由に振るい、裏門の扉を叩き壊したのは、この次郎左衛門殿であった。水野邸に来てからは、話すことが多く、冗談ばかり言うので、みんなで大笑いした張本人だった。よほど、気持ちが楽になったのだろう。

最後に、早水組の一人として、右衛門七を支えてくれたのが、神崎与五郎殿だった。弓の名手として知られ、討ち入り当初は、大屋根に乗り、そこから吉良侍が飛び出して来るのを次々と矢を放ち、五、六人に傷を負わせたはずだった。地上に降りては、三人ひと組となって庭を回り、出てくる吉良方の侍と刃を交えたのは、数回に及んだ。右衛門七の手柄も、ひとえに与五郎殿の助けがあったからこそ…だった。最後まで右衛門七を心配し、九人の中では最期に腹を切った赤穂侍だった。

右衛門七も、赤穂にいたのでは、こんな経験をすることはなかったし、侍同士でこんな楽しいひとときを過ごすことなど考えたこともなかった。右衛門七は、生真面目な男だと思われていたようだが、よく主税と示し合わせて、可愛い町娘に声をかけたりして遊ぶこともあった。内蔵助殿のようにいきなり遊郭に連れて行く…と言われても、恥ずかしいが先に立ち、老練な女たちと遊ぶより、同年の町娘との会話の方が何倍も楽しかった。主税も自分も背は高いが、容姿は、美男とまではいかず、正式な交際をしたことはなかったが、塾や道場の帰りに茶店により、そこの娘と雑談したり、昔からの知り合いの商家の娘を誘って祭りに出かけたりと、親には言えない秘密も持っていた。
それを次郎左衛門殿に話すと、また尾鰭を付けてみんなに話すので、恥ずかしくて仕方がなかったが、それも楽しい思い出になった。

そんなひと月半が過ぎたころ、公儀からお達しが出た。
それは、座敷の床の間に飾られた切り花が暗示していた。
それを素早く見つけた神崎与五郎は、横川勘平に確かめるように声をかけると、そのまま頷き、みんなを床の間のある座敷に集めた。そして、
「さあ、いよいよそのときが参った…」
「どこのお預け先でも、このように切り花が生けられているであろう」
それを聞くと、それぞれが顔を見合わせ、頷き合うのだった。
「では、早速、支度をせぬとな…」
だれともなく、そんな声を交わしていると、水野家の須藤伝五殿初め、五人ほどの用人が座敷に入ってきた。
伝五殿も、いつもの陽気な笑顔を引っ込め、緊張に顔を強ばらせ、
「皆様、これより公儀お目付殿から、上意の伝達がござる…」
との話があり、九人は、早速、浅葱の死装束に着替え、髷を茶筅に結うと、座敷で上意の趣旨を承った。
衛は、その言葉の意味はわからなかったが、「切腹申しつけるものなり」という最後の言葉だけは、はっきりと聞き取ることができた。
切腹…?
確かに、右衛門七は赤穂浪士だ。
切腹は、覚悟の上であろう。しかし、衛は、右衛門七ではない。心は同化しているが、衛には、衛の意識が残されているのだ。
それに、切腹の覚悟が出来ていない。
そう考えると、顔は青ざめ、歯がカタカタと震えた。
しかし、その上意の声を聴きながら、少しずつ意識が右衛門七に変わっていくのがわかった。
そして、最後に、右衛門七の声が衛に届いた。
「衛殿。よくぞ、ここまで一緒にいてくれたものじゃ…。礼を申す」
「ここから先は、拙者の務めである。おぬしは、もう、自分の住む世界に戻る準備をなされよ…」
「ここから先は、拙者が務める故、よしなにな…。体を厭えよ」
そう耳にすると同時に、右衛門七の体から、衛が消えた。

右衛門七は、腹の中から何かが抜け出すような気配を感じていた。
そして、今まで以上に意識が覚醒し、頭の中の霞が取れたかのような清々しさを感じていた。
さっ、いよいよ自分の身を始末せねば…。
右衛門七は、若いとはいえ、既に十八歳。武士としての覚悟は出来ていた。
これで、泉下の父上に顔向けができる…。
そう思うことで、右衛門七は平常心を保ち、切腹を待つ座に着いた。
もう、何も考えまい。
それに、みんなで泉岳寺の殿様の墓の前で集まることを誓い合っていた。ここで一人だけ遅れを取るわけにもいかぬ。
瞑目しながら、そんなことを考えていると、切腹の儀式が始まった。

切腹は、申の刻(午後四時)から始められた。
最初に呼び出されたのは、間十次郎であった。
右衛門七は、奥田貞右衛門に次いで三番目である。
頼りにしていた神崎与五郎は、最後の順番になっていた。
二人は、泰然として立ち上がり、表情一つ変えることなく、切腹の座へと静かに向かって行くのがわかった。そして、
「奥田貞右衛門殿、お仕舞いなされ候…」
という声が聞こえると同時に、
「矢頭右衛門七殿、お出で候え…」
という声がかかり、外廊下には、用人の須藤伝五が控えていた。
右衛門七は、つい、「はい…」と返事をして立ち上がった。
ずっと正座をしていたが、特に足の痺れはない。
心は、澄み切った青空のようであった。
実際は、やや曇り空で、陽の光は見えなかったが、初春とはいえ、ほんのり温かさを感じる夕刻であった。
廊下に出ようとする寸前に、与五郎が右衛門七に声をかけた。
「右衛門七殿、儂もすぐに参るでの…」
その顔は、いつもの優しさに満ち、二重の瞼からは、うっすらと涙が見えた。
与五郎殿は、最後まで、心配をしてくれているのか…。
そう思うと、本当に有り難かった。
右衛門七は、コクリと与五郎に頷き返すと、唇の端が少しだけ歪んだ。
さらばでござる…。
右衛門七は、心の中でそう叫んでいた。

中庭に拵えられた切腹の座は、既に二人の始末を終え、血の臭いで満ちていた。いくら布団を替え、砂と砂利で隠しても、飛び散った鮮血の匂いは隠しおおせるものでもなかった。しかし、右衛門七には、この血の匂いこそが、我ら赤穂浪士の最期の誇りだと思っていた。
右衛門七は、作法通り、検死役と介錯人に会釈をして、中央の三宝の前に座った。
静かに浅葱の裃を脱ぎ、その端を交差して膝下に入れると、介錯人が立つのがわかる。
胸をはだけ、徐に白い晒を巻いた腹を出した。
もうこれで、後は、三宝に乗せたある短刀を腹に突き立てるだけである。  そのとき、ふと、もう一人の自分を思い出した。
あっ、衛…。衛は、無事に戻れたであろうか…?
そして、衛の声が耳に届いた。
右衛門七殿…。
その懐かしい声を聴き、安心したかのように、三宝の短刀を手に取った。
後方では、介錯人が、いつでも首を刎ねる用意をしているのがわかる。
右衛門七は、改めて背筋を伸ばし、胸を張ると、その勢いで左腹に短刀を突き立てた。
その一瞬である。
刀風が、聞こえたような気がした。ヒュン…。
右衛門七の首は、皮一枚残して見事に切断されていた。
若いためか、切断された首の動脈から夥しい鮮血が宙を舞った。それは、まさに右衛門七の生きた証であった。

第五章 右衛門七から衛へ
衛の仮死状態は、一昼夜続いた。
医師の診断でも、どこにも異常はなく、体は健康そのものだったが、意識だけが戻らなかった。
脈も細く、辛うじて心臓を止めない程度の動きしか示さなかった。
脳波は微弱で、生命反応ギリギリの波線を打っていた。
そして、夜が明け、朝を迎えた。
徹夜で看病に当たっていた祖父善一や父善雄、姉るりの姿はなく、ただ母の咲子だけが衛のベッドに頭を着けて仮眠を取っていた。
ふと見ると、衛の指が小さく動き出し、母の髪を撫でた。
咲子は、その小さな気配を感じて目を覚ました。
「衛…、衛っ!」
その声は、静かな病室の中に谺した。
廊下で仮眠を取っていた祖父の善一と父の善雄が慌てて病室に走り込むと、ベッドから体を起こした衛が、唇に人差し指を当て、しーっ!と合図を送るではないか。
こうして、衛は仮死状態から脱して意識を取り戻していった。

結局、衛が倒れた原因は不明のまま、二日後に衛は退院した。
周囲の人間は、衛に理由を何度も尋ねたが、衛自身がそれを答えることはなかった。なぜなら、そんなことを言っても、だれも信じないからだ。
しかし、衛の体には、あのときの興奮や緊張感がまざまざと刻み込まれていた。
それをいち早く察知したのは、剣道部の顧問や道場の師範たちだった。なぜなら、衛の剣が変わったからである。
衛の剣は、筋がよく、模範的な動きを見せていた。そのために、強いことは強いのだが、何か物足らなさを感じていたものが、あの日以来、衛は、怖ろしいほどの殺気を込めた剛剣を操るようになっていたからだった。
その殺気は、構えただけで相手を圧倒し、これまで以上に技にキレと冴えを見せた。
相手をした高校生は、一様に、
「構えた瞬間に、背筋が凍るほどの恐ろしさを感じる…」
と怯んだ。
剣道では、それを「居着く」という言い方をしたが、まさに、その場で固まってしまうような緊張感で、身を竦めるのだった。
だが、衛にはその理由がわかっていた。
衛の体には、あの真剣で向かい合った敵との鍔迫り合い、怖ろしいまでの殺気、そして果てしない命のやり取り…、どれを取っても尋常なことではなかった。それに、若い吉良侍の腹を抉った感触は今でも手に残り、いくら洗っても拭いても、消えることはなかった。
その、人の肉を断つ感触は、衛にとって生涯忘れることのできないものとなった。しかし、あのとき、衛は矢頭右衛門七だったのだ。
あの時代の正義である「仇討ち」を成し遂げるために、様々な苦難に立ち向かい決行した大戦であった。それが、武士道というものなのだろう。
現代に戻った衛は、赤穂浪士関係の文献をあたり、ネットで情報を集め、自分が斬った相手が、新貝弥一郎という吉良家の若侍だったことを知った。まだ、二十歳だったそうだ。
新貝殿は、朝になり幕府の役人が入った後で、庭の池の側で骸になって発見されたと書かれていた。衛は、
「やはり、死んでしまったのか…」
それは、高校生の衛にとっては、辛い現実でもあった。
後で、右衛門七が衣服を着替えたとき、その衣服や腹巻胴、鎖帷子などには、数十カ所の刀傷があったそうだ。
右衛門七の刀は、ささらのように刃が毀れ、脇差し以外は、物の役には立たないほどの損傷を受けていた。
こんな体験をしてきた衛の剣が、竹刀の剣道ではない実戦の剣に変わったとしても仕方のないことだった。
衛自身は気がつかなかったが、今でも試合で竹刀を構えると、右衛門七が入ってくるような気がしていた。そして、その瞬間だけが、衛が右衛門七に会える瞬間なのだ。
一心同体であり、互いに言葉を交わすような相手ではなかったが、心はいつも通じ合っていた。数百年の時を超えて、二人はいつも一緒にいたのだ。

衛の部屋には、あの文箱と小柄が、机の上に置かれていた。
きれいに磨き込まれた文箱は、四百年の時代を超えても、黒く光り、漆の黒色は時には紅く、時には緑にその色を変えた。蓋を開けると、中は漆の紅で彩られている。その朱の色も妖しく色を変化させるのだ。
小柄には、手元に龍虎の図柄が彫られ、龍虎の目には小さな翡翠の玉が埋め込まれており、それが妖しい光を放っていた。
衛は、毎日午前四時にその蓋を開けることが習慣となった。
なぜなら、今の午前四時は、江戸時代の「寅の一点」である。つまり、あの吉良邸討ち入りの時刻なのだ。
その時間になると、なぜか文箱と中に入れてある小柄が、妖しい光を発するのだ。それは時には蒼く、時には紅くもなる。そして、それは衛自身の体調によっても変化することに気がついた。
健康で何も問題がないときは、蒼い光だったが、風邪を引いたり体調が優れないときには、紅色や黄色、黄土色にも変化した。そして、そんな色のときには、事故にも気をつけるようになったのだ。
衛は、既に、その文箱の謂われも小柄の意味も知っていた。
文箱は、右衛門七の父長助が、先祖の形見として死ぬ間際まで枕元に置いてあった矢頭家の大切な家宝だった。そして、この見事な彫刻の小柄は、親友でもあった大石主税との別れの際に、自分の物と交換した代物だった。
その際、お互いに自分の小柄で指先を切り、その血痕を残したまま永遠の別れをした友情の証でもあった。
右衛門七の小柄は、今、どこにあるのかわからないが、おそらくは主税縁の者のところにあるはずだった。それは、衛には知る由もなかったが、それは確信に近いものを感じることができた。
「時代が移ろうとも、縁は、こうしてつながっていくのだろうな…」
衛は、そんなことを考えていた。
衛には、この「鍵屋」を次の世代に残す責任があった。それは、老舗の暖簾と言うより、若くして武士道に殉じた矢頭右衛門七という男の遺言のように感じていたからだった。

それから五年後。
衛は、念願の全日本剣道選手権に東京都代表として出場していた。既に、二十二歳になっていた。
明正大学商学部の四年生だったが、大学剣道部出身ではない全日本出場者として注目を集めていた。そして、その大学四年生が、決勝の舞台に上がってきたのだ。
相手は、宮崎正之五段である。
宮崎五段は、警視庁の若手警部補で、既に全日本のタイトルを二度取っている日本屈指の遣い手として有名だった。
衛も、まさか、決勝まで進むとは夢にも思っていなかったが、一回戦から得意の出小手が決まり、五回戦まで小手と面で勝負をつけていた。
武道館の中も、かなりざわつきはじめ、テレビは実況中継を行っていた。
取材陣も多く陣取り、大方の予想は、宮崎五段の連覇とされていたが、ここに来て、新人大学生の初優勝か…という期待が膨らんでいた。
衛の祖父善一は、この試合を見ることなく、昨年亡くなっていたが、衛は、右衛門七を思い出し、祖父の使っていた胴を借用していた。
善一の胴は、鈍い赤銅色の胴で、鍵家では代々の当主が使用することになっていた物である。何度も修理をしており、使い込まれてはいるが、堂々とした立派な防具だった。
控えに着くと、相手の宮崎五段に礼をして、防具を装着した。
ここまで来れば、思い残すことはない。後は、為すがままに戦うのみである。それに、道着の下には、晒で巻いた右衛門七と主税の小柄を抱いていた。 あの、衛を元禄の世に送った小柄である。
それを身につけていると、右衛門七や主税が、側にいてくれるような気がしていた。
ドドーンという和太鼓の響きと共に、決勝戦が始まった。
正面に向かって礼をし、お互いに礼をすると試合は始まる。
衛は、まさか…という思いもあったが、仕切り線に蹲踞し、審判の「始め!」の合図を聞いた瞬間、あの雪の世界に意識が飛んでいくのがわかった。
相手は、宮崎ではなく、あの清水一学である。
まさに、あの堀部安兵衛と戦った清水一学が、正眼に構えて自分をじっと睨み付けているのだ。
衛は、ゴクッとつばを飲んだ。しかし、それでも下がることはしなかった。あのとき、堀部安兵衛殿も一歩も退かず、正眼に構えて息を整えていた。
衛も、眼を細め、息を整えた。
スー、ハー、スーハー…。その息は、もうしていないかのように静かになった。それでも、衛は動かなかった。
いや、動けなかったのかも知れない。そして、時間だけが過ぎていった。
放送しているアナウンサーは、解説者と一緒に、
「どうしたんでしょう。鍵四段が動きません。これでは、宮崎五段も軽率に打ちに行くことも出来ないでしょう…」
などと、解説していたそうだ。
それでも、焦れた宮崎五段は、思い切り面を繰り出してきたが、それを衛の剣は、無造作に打ち払った。
そして、また、静かに正眼に構えると、動かなくなった。
衛は、このじりじりとした瞬間を、あの堀部安兵衛と清水一学の戦いから学んでいた。
戦いは、一瞬で決まる。この一瞬に勝負を賭ける…。
そのとき、宮崎五段渾身の跳び込み面が来た。
場内が、ワーッ!という歓声が巻き起こった。
宮崎五段の面が、決まった! と、だれもが思った。
しかし、その瞬間、真っ白な旗が三本、一糸乱れることなく頭上に掲げられた。白旗こそ、衛の旗である。
その一拍前に、衛の突きが宮崎の喉笛に深々と突き刺さっていたのだ。
宮崎は、面を打ったが、衛の突きが速かったために自分の態勢を維持することができず、そのまま三mほど後方に飛ばされ、口から泡を吹いて失神していた。
テレビでは、改めてスローモーションで、その一瞬を再生したが、それでも、衛の繰り出した突き技を正確に捉えることができなかった。
衛は、そのまま意識の戻らない宮崎を見ていたが、それでも、
「自分の突きは甘い…」
そう感じていた。
あの夜の堀部安兵衛殿の突きこそ、古今無双の一本であったに違いない。
それに比べれば、自分の突き技など、何のことはない平凡な突きに見えた。
それに、あの跳び込み面も、清水一学の命を賭けた渾身の面に比べれば、あまりにも幼く見えてしまった。
「命を賭したあの面こそ、生涯目指すべき面の技だった…」
衛は、侍として武士道に命を賭けた清水一学という若者が、忘れられなかった。
稽古をしていても、衛の脳裏には、堀部安兵衛と清水一学の一戦があった。「あの面が打ちたい。あの突きを打ちたい…」
その願いだけが、衛を道場に誘った。
その思いだけで剣の修行をしてきた五年間だったのだ。
衛には、もう競技剣道には、何の未練もなかった。
こうして、鍵衛は、全日本選手権を制し日本一の剣士になったが、それ以降、衛が人前で剣道の試合をすることはなかった。
試合が終わり、取材陣に対して当たり障りのないコメントを残し、最後に、こう呟いた。
「私の剣など、赤穂浪士の剣に比べれば、恥ずかしい限りです」
「これで、もう、二度と試合に出ることはありません」
「ありがとうございました…」
そう言って、武道館内に深々と頭を下げると、独り静かに去って行った。
衛の腹の下では、あの小柄が、また、青白い妖しい光を発していたが、それを知る者は、衛と右衛門七、主税しかいなかった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です