架空戦記 「銀時計戦記」ー時空を超えた飛行兵ー

架空戦記 「銀時計戦記」ー時空を超えた飛行兵ー
矢吹直彦
序章 消えた零戦

昭和17年8月7日。
あの悪夢のような「ハワイ攻撃」から、半年が過ぎていた。
だれもが無謀だと思っていた真珠湾攻撃が成功し、一時は国中が興奮したが、冷静に分析してみれば、太平洋艦隊の旧式艦ばかりを沈めたところで、アメリカに大打撃を与えるどころか、戦意ばかりを昂揚させてしまっていた。
それも、肝腎の航空母艦は不在とかで、早々に引き揚げるという大失態を犯してしまった。これでは、敵の空からの攻撃を防ぐことはできない。
海軍内部では、そんな分析が出来ていたにも拘わらず、小さな戦捷に酔い、だれもが現実から眼を背けていた結果、ミッドウェイで惨敗し、あっという間に守勢に立たされたのだ。
大本営では、未だに「勝った、勝った!」とマスコミを使い、国民を煽っているが、現実はそう甘くはない。
ラバウルの台南航空隊指揮所で空を睨む小園の眼には、厳しい現実が見えていた。
「連合艦隊の阿呆共め、前線に出て来て現実を見ればいいんだ…」
そう呟くほど、やることなすこと、頓珍漢な作戦ばかりで、腹が立って仕方がなかった。
台南航空隊副長小園安名中佐は、苦虫を嚙んだような顔で、西の空を見ながら、還ってこない1機の戦闘機をいつまでも待っていた。
指揮所の外では、戻らない小隊長機を待つ二人の二等飛行兵曹がいた。そして、指揮所の端には、今日、一緒にガダルカナルに飛んだ台南空の精鋭である笹井中尉、西沢、太田の両一飛曹が、やはり不安そうな面持ちで、南の空を睨んでいた。
(おかしい、あんなベテラン搭乗員が還って来ないなんてことが、あるはずがない…)
(あの先任下士官の坂井だぞ…?)
司令の斎藤正久大佐も、腕組みをしながら口を真一文字にしたまま指揮所の籐の椅子に深く腰をかけ、微動だにすることなく眼を閉じていた。
いつも温厚な笑顔を絶やさない斎藤司令が、沈痛な面持ちで、じっと何かを考えているようだった。
「司令…」
小園副長の声に静かに眼を開けた斎藤ではあったが、その額には脂汗が滲んでいることを小園は見逃さなかった。
(司令も苦しいのだろう…)
小園は、台南航空隊の司令として、この作戦を実行させた責任を痛感しているのだろう…と斎藤司令の心中を思いやった。
このガダルカナルへの攻撃は、ラバウルに本拠地を置く台南航空隊でも反対論が多かった。それでも、連合艦隊からの命令でやむを得ず従ったのが本音だったのだ。
小園中佐にしてみれば、
「いくら零戦が優秀機だと言っても、いくら何でも遠すぎる…」
「ラバウルからガダルカナルまでは、地図を見ただけでも1000㎞はあるんだぞ!」
「航空作戦に戦闘機を8時間も飛行させるなんて、飛行兵を何だと思っているんだ!」
「操縦しているのは、貴様らと同じ人間なんだ!」
と、説明に来た若い少佐参謀に食って掛かったが、
「連合艦隊司令長官決裁の上で、お願いに上がりました…」
「山本長官はこの攻防戦が、戦争の行方を左右する天王山だ…と申しております!」
そう言うと、斎藤司令の前で深々と頭を下げるのだった。
この参謀も、その辺の事情が分かって来ているのだろう。
そう言われ、斎藤司令も、泣く泣く了承したのだった。
指揮官となる笹井中尉は、
「まあ、行けと言われれば命令に従いますが、これでは、ベテランが頑張っても、すぐに消耗してしまいますよ…」
と、厳しい眼を参謀に向けたが、その若い少佐参謀は、笹井と視線を合わせることなく、説明が終わるとサッサと逃げるようにして宿舎に帰ってしまった。
(ふん…、これまで天王山が何回あったことやら…)
笹井は、そんな言い回しに辟易としていた。
それに、実際に飛ぶのは自分たちであって、連合艦隊じゃない。
とにかく、命令を受領した以上、作戦の有無を議論する余地はないのだ。
早速、飛行長の中島少佐を中心に編成に取り掛かり、初回は、ベテランの搭乗員を中心にガダルカナルに送りこむことに決した。
その命令を笹井中尉から聞いた先任下士官搭乗員の坂井直は、
「中隊長。中隊長にこんなことを言っては申し訳ないのですが、我々搭乗員も所詮は人間です。人間の限界を超えた作戦は、最早、作戦とは言いません…」
「今回は、連合艦隊の命令に従いますが、あまりにも無謀な命令が続くようであれば、私も下士官搭乗員の先任として黙っているわけにはいきませんよ…」
と、その非道を説いたのである。
確かに、ガダルカナル島は、豪州を孤立化させるために日本軍が飛行場を建設し、アメリカとの交通を遮断する目的があった。それは、半年前なら合理的判断として採用されていただろう。しかし、今の段階で無理に飛行場を建設しても、それを維持するだけの機材も人員もないのだ。
戦闘機も、やっと九六式艦戦から零式艦戦に交換できたばかりで、その零戦も補充がままならない状態なのだ。
一会戦ならともかく、長期消耗戦となれば、機材も搭乗員も、次々とこんな遠隔地まで運ばなければならない。
実際、機材や部品すら届かない状態の中で、そんなことが可能なのか…。
坂井は、こんな単純な理屈が分からない連合艦隊司令部に、不満と反感を持ち始めていた。

ガダルカナル島は、昭和17年7月に海軍の設営隊によって突貫工事で飛行場の設営が始まったものである。
ガダルカナル島は、ソロモン諸島の南にある比較的大きな島で、中央部に平地があるため、飛行場建設の適地とされていたのだ。
日本海軍とすれば、ここに航空拠点を置くことができれば、豪州の制空権を確保し、米豪の交通路を遮断できると考えていた。
豪州は、イギリスの太平洋における重要拠点であることから、豪州を抑え込めれば、日本軍は、南太平洋から中部太平洋までの広大な地域を支配下に置き、イギリスを牽制することができるという目算があったのだ。
欧州戦争の推移によっては、ドイツがイギリスを屈服させることもできる。そうなれば、豪州から南太平洋を抑えている日本と、大西洋からインド洋を抑えたドイツが地球の三分の二を支配下に置くことになるのだ。
そのときが、日本に「講和」の機会が巡ってくると海軍上層部は考えていたらしい。
それを笹井中尉から聞かされたとき、坂井は、
「愚かだ…」
と、口に出してしまった。
「おろか…?」
笹井中尉が、その言葉を咎めるような口調になったが、坂井は、
「今の段階でさえ、我々搭乗員が必死に戦って五分五分の戦をしておりますが、アメリカが本格的に反攻体制を整えれば、我が軍などひとたまりもありませんよ」
「少数精鋭で育てられた搭乗員は貴重です。これを、こんな無謀な作戦で消耗すれば、もう、日本軍機がアメリカの戦闘機を破ることはできません!」
「中尉、それだけは断言できます!」
下士官から反論されて、笹井中尉もムッとしたが、自分を搭乗員として育ててくれた坂井の話を無碍に退けることはできなかった。
笹井は、その感情を抑えて、
「貴様の言うとおりかも知れんな…」
「だが、俺たちは、最期まで戦うしかない…。それが軍人としての運命なのだ」
そう言って、寂しく笑いながら、坂井の背中をポンと叩くのだった。

坂井や笹井が危惧したように、ガダルカナル攻撃は、台南航空隊にとっても一大事だった。
当然、斎藤司令や小園副長も、さすがにこの作戦は無謀だ…と感じていた。だが、連合艦隊命令となれば、従わないわけにはいかない。
海軍将校による意見の具申は、海軍の伝統として許されたが、それでも、決裁者が「行け!」と命じれば、議論を捨てて決裁者に従わないわけにはいかない。そう教えられていた坂井も笹井も、それ以上何も言わなかった。
最後に、斎藤司令も小園副長も、
(とにかく、最初の数回だけだろうから、やるしかあるまい…)
と腹を決めたが、よもや、初日で、海軍航空隊の至宝ともいうべき「坂井直」という飛行時間3000時間を誇る先任搭乗員を失うことになるとは、思いもよらなかった。
(あの坂井でも無理なら、もう、どうしようもないではないか…?)
その気持ちを斎藤司令にぶつけようにも、斎藤司令自身が苦悩の表情を浮かべているのだ。
こうして、陽が落ちるまで指揮所に佇んでいた二人だが、坂井機の零戦が還って来ることが不可能な時間になると、
「やっぱり、ダメだったか?」
「おい、通信兵。零戦の不時着の報せはないか?」
小園は、悔しそうに近くにいた若い兵隊にそう尋ねたが、少年兵はオロオロするばかりで、要領のいい返事はできなかった。
「おい、笹井、西沢…。もう、だめだ。貴様らは、また出撃して貰わねばならん身だ。もう、帰って休め…」
小園のその声に推されるように、5人の搭乗員たちは、無言で自分の宿舎へと戻っていくのだった。
彼らにとって、ラバウルにある台南航空隊の至宝ともいうべき坂井直という熟練搭乗員を、攻撃の初日で失ったことは、航空母艦を失ったほどの痛手に思えた。
それに、この日だけで坂井機を含めて3機の零戦が戻らなかった。

「よし、間もなくガダルカナルだ…」
「そろそろ、敵の戦闘機が現れるぞ…」
昭和17年8月7日。
ラバウル航空基地から遙々ガダルカナル島まで飛行してきた台南航空隊の精鋭の面々は、眼下に見下ろすガダルカナル島に多数の艦船が集結しているのが見えた。
(これは、厄介だな…)
坂井がそう思うのは無理もなかった。
今朝方、指揮所で副長から聞かされたことと、現実に大きな乖離があったからである。
小園副長は、
「敵は着々と上陸準備を整え、ガダルカナルに集結している模様である!」
「我々は、敵が強大になる前にガダルカナル湾に攻撃をかける中攻の掩護にあたる!」
「零戦の航続距離から考えて、向こうで敵と空戦できる時間は10分!」
「中攻が攻撃する間、上空を制圧せよ!」
「ただ、敵機はまだ十分配備されてはおらん。とにかく、攻撃を成功させて無理をせずに還って来い!」
そう言って送り出した。
だが、坂井はその判断は甘い…と考えていた。
「敵が反攻してくる以上、相当の準備をしてきているはずだ…。戦場は、そんなに甘いところじゃない」
独り言のようにそう呟く坂井だったが、列機には、余計な不安を抱かせないように明るく振る舞った。
それにしても既に4時間近く経過し、体が硬くなって来るのがわかった。
(行きは、中攻に付いてくればいいから問題ないが、帰りは単機になる可能性もある。若い搭乗員は不安だな…)
そう思い、再度、航空図に自分が飛んできた航路を書き込みながら、還る航路をいくつか想定するのだった。
こうしたマメな行動が、これまで、坂井の命を拾って来た…と言ってよかった。
坂井は、部下の下士官兵にも、常々、
「いいか。戦闘機乗りは一人で何でも出来ねばならん。常に整理整頓、記録を付ける習慣をつけろ!」
「どんなときでも用心を怠りなく、自分の健康維持も戦闘だと思え!」
「飯を食うのも、寝るのも、戦争のための準備なのだ。いいな!」
そう訓示していた。
どんなに空戦技術が優れていても、用心深い人間でなければ生き残れないのが大空の宿命だった。
飛行機は、精密機械だ。
たったひとつの故障で、飛行機はその性能を失う。そして、それは、一個の人間の死を意味する。
戦闘機搭乗員は、自分の愛機と一心同体にならなければ、戦場で戦うことはできない…というのが、坂井の持論だった。

「そろそろ、攻撃に入る時刻だな…?」
そう思いながら中攻を見ると、偵察員がこちらを見て右手で前方を指さしている。
坂井が指示どおりにそちらに眼をやると、右翼の下に大きな島が見えてきた。ガダルカナル島である。
ところが、眼下に広がるガダルカナル湾には、既に数十隻の輸送船が見えるではないか。それに、遠くには駆逐艦や戦艦、航空母艦らしき艦影まで見える。
その大型の輸送船の脇を小さなボートが何十隻も波を蹴立てて島に向かっているのがわかった。
(あのボートで、島に物資を運んでいるんだな…)
それは、上空から見ると、数えきれるものではなく、既に相当の武器弾薬が運び込まれているのが見て取れた。
島へ運び込まれる物資の量は夥しく、小園副長が言うような事態ではなかった。
「こりゃあ、本格的な敵の反攻作戦だぞ!」
だれもがそう思い、たった10機の中攻などでは、どうしようもない規模に膨れ上がっているのがわかった。
これに参加する零式戦闘機は20機である。
指揮官には、中隊長の笹井醇一中尉が任命され、それぞれの小隊には、坂井直一飛曹、西沢広義一飛曹、太田敏夫一飛曹たち日中戦争からのベテラン搭乗員が任命され、各小隊3機の零戦で編成されていた。
坂井の列機は、本田二飛曹と佐々木二飛曹である。この二人は、これまで常に坂井兵曹と行動を共にしてきた部下であり、坂井も、
「この二人なら、安心して飛べる…」
と全幅の信頼を寄せていたのだ。
本田も佐々木も予科練出の搭乗員で、本田の家は農家、佐々木の親は教員をしているとのことだった。
二人は二飛曹だが、800時間ほどは飛んでおり、そろそろ搭乗員としても一人前になる手前だったから、最近は、小隊長の坂井にも意見を言うまでになっていた。
二人とも二十歳の若者で、坂井には可愛い弟のような気がしていた。

ガダルカナル島上空に達すると間もなく、遥か上空を見上げる坂井の眼は間違いなく、数機の敵機の姿を捉えていた。
「おっと、お出でなさったな…」
そう呟くとサッと翼を翻し、バンクを振って隊長機に合図を送り、そのまま列機を連れて敵編隊に飛び込んで行った。それを見た西沢小隊も同じように急上昇して行く。
中攻隊10機は、そのまま敵艦隊上空に到達するやいなや抱えてきた60㎏爆弾を次々と投下していった。
笹井中尉もそれを見届けると、敵編隊に向かうのだった。
上空では、既に敵味方入り乱れての空中戦に入っていた。
笹井は、
「嫌に敵機が多いな。こりゃあ、航空母艦が出て来ているに違いない…」
そう思うと、この戦いが一筋縄ではいかないことを悟り、背筋に冷たいものを感じるのだった。
(だが、任務は任務だ…)
笹井は、そう考え直し、列機を連れて敵の背後を取るべく太陽に向かって上昇して行った。

そのころ、坂井は、得意の左捻り込みの技を駆使して、既に敵戦闘機2機に煙を吹かせていた。
「なんだ、今日の敵は海軍機か?」
「あれが噂のF4Fという奴だな…」
そう思い、後方を確認した。すると、本田と佐々木が、きちんと付いてくるのが見えた。
(奴らも、空戦をしても慌てなくなったな…)
と、バンクをして合図を送るのだった。
すると、2機の零戦が坂井機に近寄ると、本田も佐々木も指1本を出して坂井に「撃墜1」を知らせるのだった。

坂井は、今日の任務は中攻の掩護であるため、敵機を深追いせずに、全体を俯瞰するためにさらに高度を上げていった。
今度は、太陽を背にして敵機を攻撃しようと考えての行動だった。
その間にも、坂井は列機の戦闘の様子を目の端に捉えており、自分の戦闘が終わると列機に近寄り、編隊を組み直すことを繰り返した。
坂井の作戦は功を奏し、坂井自身が1機撃墜、1機撃破。部下の二人も各1機ずつ撃墜していた。
(まあ、小隊で3機撃墜、1機撃破か…。まあ、こんなもんだろう)
(よし、もう10分になる…。そろそろ引き揚げるか?)
そう思って下を見ると、数隻から煙が見えたが、大戦果というほどでもない。
(やはり、中攻の爆撃ではたかが知れている。今度は、魚雷でやるしかないな…)
そう思い、首からぶら下げた航空図を取り出すと、現在地を鉛筆で書き込み、帰路に着くために北に進路を定めたそのときである。
坂井の眼に、遥か前方にキラリと光る何かを発見した。
(ん…?)
坂井が機体を操りながら、その光の点を見詰めていると、それは、間違いなく数機の敵編隊である。
視力2.5を誇る坂井は、昼間の星を見つけることが得意だった。その上、動体視力は動物的だ…といわれるほど優れ、他の搭乗員が舌を巻くほどに敵機を見つけるのが早かった。
その坂井の眼に留まったのが、敵の運の尽きである。
狼のような坂井の眼は、一度捉えた獲物を逃がすようなヘマはしなかった。
坂井は、眼でその動きをしっかりと捉えながら、
(あれは、敵機に間違いない。帰りの駄賃だ…)
そう考えると、列機にバンクを振り、スロットルを全開にして上昇していった。遅れたのは、列機の2機である。
「小隊長、待ってください…」
そう言いながら、後を追う本田と佐々木であったが、この日の坂井機のエンジンは好調なのか、坂井機を見失うのにそんなに時間はかからなかった。

(よし、追いついたぞ!)
一瞬、おいてきてしまった列機のことが頭を過ったが、
(ええい、ままよ。すぐに戻れば大丈夫だ…)
そのとき、坂井にしては珍しく気持ちが高揚していた。
普段は冷静で、気持ちを昂ぶらせることなど皆無だった坂井が、このとき、なぜ、この程度のことで昂揚したのかは、本人もわからなかった。
いつもなら、
(まあ、いいや。無理をしないことだ…)
と早々に諦めたものを、この日に限っては血が騒ぐのを抑えきれなかった。
多分、「魔が差す」とは、こういうときのことを言うのだろう。
とにかく、坂井は燃料ギリギリの中で5機の敵編隊を発見し、追いつくや否や残りの20粍と7.7粍機銃弾を全開でぶっ放した。
ガガガガ…! ドドドド…!
小気味よい発射音が、坂井の体に振動として伝わって来た。
そのときである。
坂井の眼に入ったのは、それが敵戦闘機ではなく、複座の「ドーントレス」と呼ばれた敵の急降下爆撃機なのだ。
(なぜ、こんなところに…爆撃機が…)
そう思う間もなく、5機の爆撃機は編隊を密にしてこちらに向かって銃撃して来るではないか。
それは、アイスキャンデーのような光の束となって真っ直ぐに自分目がけて飛んでくるのが見えた。
坂井機は、5機の爆撃機の後部銃座からもろに攻撃を受けることになった。後部座席に備えられた五門の13粍機銃から一斉に撃たれては勝ち目はない。
(万事休す…)
坂井は、この瞬間に自分の命が消えるのを悟った。
(しまった。俺としたことが…)
しかし、後悔しても始まらない。
加速のついた零戦は、グングンと速力を増し、敵編隊に近づくばかりである。
その瞬間、ガガガガ…、バリバリ…。
もの凄い破裂音が坂井の耳に響いた。そして、ガン、ガン!という衝撃音と共、自分の頭にハンマーが振り下ろされたようなショックを受けると、坂井は意識を失った。
風防が割れ、ガラスが飛び散ると同時に、ものすごい風が操縦席で渦を巻いた。
操縦者が倒れた零戦は、そのまま急速に下降し海面へと消えていくのだった。
そのとき、坂井の飛行ズボンのポケットが青白い光を発した。
だれも気づかない大空で、坂井のズボンのポケットだけが異様な光を発していたが、坂井自身がそれに気づくことはなかった。
坂井が意識を取り戻したのは、それから数秒後のことだった。
「ん…?」
坂井が気がついたとき、坂井の零戦は、急降下状態となって墜落寸前だった。このままでは、後、数秒で海面にぶつかるだろう。
坂井は、本能的に操縦桿を引き起こし、足下のペダルを蹴った。すると、零戦は、緩横転をするような動作で、海面ギリギリに機体を水平に保ったのだ。
エンジンが撃ち抜かれなかったことが救いだった。
しかし、風防が完全に壊れたために、風がビュンビュンとなって操縦席に入ってくる。これでは、どうしようもない。
いくら南国だからといって、このままの状態が続けば、体が冷えて低体温症になるだろう。そうなれば、万事休すである。
それに、頭からの出血も酷い。
坂井は、首に巻いた白い絹のマフラーを口で引き裂くと、出血のある頭部に飛行帽の下から押し込もうと考えたが、もの凄い風で、数枚は吹き飛んでしまった。
坂井は、頭を低くして最後の一枚を辛うじて、飛行帽の下に突っ込むことに成功した。たったこれだけのことをするだけなのに、すべての力を使い果たしてしまったような気がしていた。
(もう、いかん。意識のある間に自爆せねば…)
そのとき、前方に黒い雨雲が立ち籠めているのを坂井は見た。それは、雷雲であった。
当然、その中はもの凄いスコールと雷で、壊れかけた飛行機などひとたまりもないだろう。おそらく、一瞬にして空中分解するはずだ…。
(もう、還ることはできない。よし、ここで、自爆しよう…)
そう思うと少し気が楽になった。
それに、今やガダルカナル島に戻る燃料すらない。どうやら、燃料タンクも被弾したらしい。万事休すである。
海に突っ込めば、それで終わりだが、このとき、坂井は雷雲に飛び込むことを選択していた。
(あの、雷雲が俺を死なせてくれるはずだ…)
「そうだ、それがいい…」
そう言葉にすると、坂井は、眼を瞑ってスロットルレバーを全開にして、大きな黒雲の中に飛び込んで行った。
もの凄い風と豪雨、そして、稲妻が坂井の体を包んだ。
それと同時に、坂井のポケットの光は次第に大きくなり、坂井自身を包み込むように膨れ上がった。それは、まるで蚕を包む繭玉のように見えた。
ゴゴー! ザザザーッ! ピシャッ!
坂井は、雷に撃たれたような衝撃を受けた。
坂井が、覚えているのはそこまでである。
坂井の零戦は、雷の直撃を受けるとエンジンが停止した。
後は、木の葉のようにキリキリと舞いながら零戦はバランスを失い、南洋の海に静かに落下していったのだった。
ただ、それを目撃した者はだれもいなかった。

第1章 大喪の礼

平成元年2月24日。
日本は、深い悲しみの帳の中にいた。
あの偉大な国家元首であった天皇陛下の崩御を受けて「大喪の礼」が厳かに執り行われていたからである。
陛下は、半年にわたる闘病生活を送られた後、1月7日に崩御された。
この偉大なる日本の元首は、まさに、昭和の歴史の象徴だった。
私たちが知っている近現代史の中で、昭和の天皇を語らずして日本の歴史を語ることは出来ない。
天皇は、即位したその日から苦難の道を歩まれた。
父君である大正天皇が倒れられ、若くして皇位を継がれた若き天皇は、側に仕えるはずの政治家や官僚、軍人などから(若造が…)と軽視され、時代の流れを止めることができなかった。それでも、2.26事件と終戦の混乱時に下した決断は、国家元首としての存在感を国民にまざまざと見せつけた。
昭和11年に起きた近衛連隊の反乱時には、普段、温厚で学者然とした天皇が、突如怒りを露わにして、
「朕自ら近衛を率いて鎮圧する!」
とまで言わしめた。これが有名な2.26事件である。
この陸軍部隊の反乱行動は、首謀者である近衛の将校たちにとって、止むなく立ち上がった正義の行動だった。
大正末期に起きた世界大恐慌は、日本にも大きな打撃を与えた。
経済活動は停滞し、農村は疲弊した。そして、兵たちの多くは、その農村出身の若者なのである。それを憂えた将校たちは、国家改造のための「昭和維新」を目指したといわれている。
しかし、天皇は、それを許さなかった。
陸軍上層部の中には、それを容認し、一気に軍事政権樹立を目論む者もいたが、天皇の怒りは凄まじく、言葉を挟む余地はなかった。
こんな天皇の姿を見た軍人たちは、この天皇を初めて怖れた。
これを契機に、これまでの天皇に対する周囲の認識は変わったが、逆に天皇はこれを「やり過ぎた…」と反省し、それ以降、発言を控えるようになったのだった。
ただ、終戦のご決断は、鈴木貫太郎首相の策に天皇が乗るような演出をして「聖断」を下したのだが、立憲君主制の枠を出まい…と必死に堪えた姿は、あまりにもお気の毒であった。
残念ながら、明治維新の負の遺産を整理できなかった日本は、天皇を国家元首とする成熟した社会を創り上げることができなかったことは、陛下ご自身が気づいていた。しかし、天皇がいなければ、もっと悲惨な運命を辿るしか道はなく、他の人間では、為し得なかった偉業を成し遂げた人物として、後世に名を残すことになった。
その偉大な天皇が崩御され、日本国は、新しい時代を迎えようとしていた。

この日は終日、霧雨模様で、国民のだれもが喪に服するかのように、日本は静かだった。その国民が喪に服する中を、葬列の行列だけが粛々と進み、1億3千万の国民が、この偉大な元首を手を合わせて見送ったのだった。

その夜。
靖国神社の大鳥居の前で一人の男がびしょ濡れのまま倒れているのを、巡回中の神社の警備員が発見した。
警備員が眼にしたものは、鳥居の前でボウッ…と狐火のような青白い光の球体だった。
警備員の男が目を擦って、再度確認すると、その光の球は次第に周囲に溶け込むように消えていった。そして、その跡に一人の男が横たわっているのを見つけたのである。
その倒れていた男は、茶系の防寒着のような服を着ていたが、昼間の雨にでも当たったのか、体がかなり冷たくなっていた。
警備員は、何度も声をかけたが反応する様子はなく、かなりの低体温であることを確認し、このままでは凍死する危険がある…と判断したのだった。
そこで、警備員は救急車を要請し、近くの明誠大学医学部付属病院に搬送したのだった。
病院の救急外来に運び込まれると、当直医の菅野医師と藤間看護師が立ち会った。
男は、何度呼びかけても反応はなく、かなりの低体温症にかかっており、頭部にも深い裂傷が見られたため、男を診察した菅野正医師は、蘇生処置と同時に頭部の緊急手術を行うことにした。
出血は既に止まっていたが、衣服にはかなりの血の痕が認められた。
それに、この傷では相当に出血した可能性があった。
病院では、緊急手術ということで、看護師の藤間都子が中心となって衣服を脱がせた。男は、茶系の上下つなぎの服を着ており、片袖には何かのマークの入ったワッペンのような物が縫い付けられていた。
看護師たちには初めて見るマークであり、首を傾げたが、それ以上の詮索をする余裕もなかった。
都子がズボンのポケットを探ると、固い物が手に触れた。
取り出してみると、巾着袋に入った丸い銀製の懐中時計であり、不思議なことにその時計は、正確に時刻を刻んでいたのである。そして、その時計は青白い光を発しており、それは、藤間の手にまとわりつくように光っていたが、藤間がそれを振り払うと、光は消え、コチコチ…という秒針を動かすゼンマイの音だけが小さく響くのだった。
後は、胸ポケットに財布がひとつ入っており、何枚かの紙幣が入っているようだったが、それを調べている時間はなく、上下のつなぎの上着と下に着ていた白い作業着を脱がせると、下着ひとつになった体を手術室に運んだ。
体全体を覆うように懸けてあった上掛けを外すと、看護師の一人が、
「あら、今時、ふんどしを締めているのね…」
と感嘆の声を上げた。主任の藤間も(今時、珍しい…)と小首を傾げたが、別に気に留めることはなかった。
男は、看護師たちに消毒液で体を拭かれると、そのままストレッチに乗せられ、手術室に運び込まれた。
担当医となった菅野は、手術室に入ると、この若者の顔を見た。
「随分と引き締まった顔をしているな…。それに、今時、坊主頭か?」
最近の若者の中には、スキンヘッドといって頭髪をそり上げるファッションもあるので、その類いか…と思ったが、どうもそういう類いのものではないようだ…という感覚だけがあった。
男は、かなり衰弱していたが、点滴とカンフル剤を投与したせいか、体温は正常に戻りつつあった。
「それにしても、これだけの低体温だったのに、怖ろしい回復ぶりだな…。何をやっている人なのかな?」
そう呟きながら、頭部を確認すると、何か小さな破片のようなものが、もの凄い速さで男の頭部を掠めたような形跡があった。
既にかなりの出血があったのだろう。血液がかなり凝固し、右眼上部は、顔の半分を覆うほどの血の痕が見られた。
これでは、右眼は見えなかったに違いない。しかし、調べて見ると、眼球に傷はなく、視力に影響は少なそうだった。
掠めた金属らしき破片は残ってはいなかったが、その金属片がもう1㎝でもずれていれば、この男の頭部は、頭蓋骨ごと粉砕されていただろう…。
菅野にしてみても、こんな傷は見たことがない。
詳しく見てみると、確かに頭蓋骨は幾分削られたようだが、それ以上の傷はなかった。
看護師の藤間都子が、
「CTを撮ってみないと何とも言えませんが、脳には異常はないようです…。でも、相当に衰弱しています。心音も非常に弱くなっています…」
と菅野に伝えた。そして、都子は、
(何か、妙な懐中時計を持っていました…)
と言いそうになったが、この場では関係のない情報であり、言いかけて口を噤むのだった。
この藤間都子という看護師は、明誠大学病院のベテラン看護師で、この救急病棟も一番長い看護師だった。
菅野は、何か言いかけた都子の言葉が気になったが、それを聞き返すこともなく、眼で(そうか…)と頷くと、裂傷部分を確かめ、脳への異常がないことを確かめると、出血した裂傷部分を縫合し始めた。
菅野の縫合技術は、大学病院内でも屈指の技を持っており、多少の縫合は麻酔なしで行うのだ。
今回も患者の状態を考えれば、麻酔にはかなりのリスクを伴うことから、無麻酔で縫合したのだった。
外科医の中には、これを批判する者もいたが、菅野は、
「ばかを言うな。昔の明誠堂は、無麻酔が基本だったじゃないか!」
と反論するのだった。
要は、麻酔は非常に危険を伴う薬物であり、本人のアレルギーなどの状態を調べなければ使えない薬物だ…というのが菅野の主張だった。
もちろん、明誠大学ではこれを支持していたのだが、患者にとってはかなり痛みを伴うので、「麻酔」を依頼されることは多かった。
だからといって、無闇に麻酔を使わないのが、明誠大学病院の主義として、医師たちは心得ていたのである。
縫合の後、念のために、右眼の状態を確認したが、幸いなことに眼の神経を傷つけている痕跡を認めることはできなかった。しかし、眼や脳への後遺症はCTを見てみなければわからなかった。
それ以外の箇所は、かなりの打撲痕は見られ青痣になっていたが、骨等には異常は見られなかった。
「それにしても、頑丈な体だな…。まるで、プロの格闘技の選手並だぞ…」
そう言って、周りにいたスタッフにも確認させたが、だれもが、
「うーん、何をしている人なんですかね。今時、こんな体をしている人は、いませんよ…」
「まさか、プロの格闘家とか…?」
「そうかも知れませんが、なぜ、あんな場所に倒れていたんだか…?」
周囲がざわめき始めたので、菅野はそれを制し、次の指示を出した。
「まあ、後は、絶対安静だ。体温が戻ったといっても意識はまだ戻っていない。心音も正常だが、微弱だ…」
「頭に相当の衝撃を受けているから、どこかで出血する可能性もある…。とにかく、安静第一だな…」
「空いている個室で様子をみよう…」
そう言って、縫合を手伝ってくれた看護師たちに指示を出した。

菅野は、40代半ばになる外科医で、病院内では少々変わり者とみられている。
若いころに、一度結婚したことがあるらしいが、今は、独身で大学病院の独身寮で暮らしていた。
病院のすぐ裏手にある古い団地のようなアパートで、間取りは全室2DKなので、独身男には不自由ではないらしい。
看護師たちの中では、年格好や雰囲気から、ベテランの藤間看護師がお似合いだ…という噂もあったが、当人たちは、関心がないらしく、いつも簡単な会話で用を済ませていた。
逆に言えば、大した会話をしなくても通じ合える二人だけの「呼吸」があるともいえた。
この二人が病院の救急病棟担当になったのも、その技術が優れていたこともあったが、このペアは、どんな救急案件でも快く引き受け、多くの患者を救った実績があったからだった。
そのお陰で、明誠大学付属病院は社会からの信頼も厚く、学是である「医は仁術」を体現している病院として、理事長の佐藤明も鼻が高かった。
それだけに、この二人のペアは当分解消されそうになかった。
その藤間看護師は、やはり40手前の女性だが、結婚経験はない。
それだけに、かなりの堅物という評判があった。ただし、美人であることは間違いない。
若いころは、医局でも評判になり、何人もの医師が交際を申し込んだが、どんな男が交際を申し込んでも、返事はいつも、「遠慮します…」で終わってしまうのだ。
経歴も謎めいていて、彼女の昔を知る者は少なかった。
噂では、海外の医療ボランティアとして、南米やアフリカに行っていたらしい…というものもあったが、それを本人に確かめた人はいなかった。それに、それを聞ける雰囲気がないのだ。
それでも、菅野と病院長の井上教授だけは、何かを知っているらしいが、二人とも口を閉ざしているので、藤間都子のプライバシーを探ることは出来なかった。
それに、この菅野医師だけは、藤間に興味がないらしく、そんな美人の看護師が担当になっても、お世辞のひとつも言うでもなく、扱いもぞんざいだった。ただ、院内では二人の評判は頗る高く、特に患者受けは抜群なのだ。
そんな二人が何の巡り合わせか、靖国神社の門前で拾ってきた男の運命に付き合うことになったのも、因縁としかいいようがない。

男は、翌日の朝になっても意識を取り戻さなかった。
検査の結果は、脳にも異常は見られず健康体に見えたが、意識が戻らない以上、視力や聴力、言語能力等の検査は出来ずにいた。ただ、心音は正常に戻り、ここに来ての急変は考えられなかった。
ただ、菅野は、この男が妙に気になって仕方がなかった。
翌日は非番だったが、朝から男の容態を診るために病院に出勤し、藤間看護師に嫌味を言われながら、カルテを読んでいた。
「藤間さん。この人のことで何か気になることはありませんでしたか?」
菅野に聞かれて、都子は、
「そうですね…」
「私が診るところ、この人…、単なる筋肉オタクというわけでもなさそうなんです」
「何か、警察や消防、自衛隊なんかの公務に就いている人じゃないか…と思うんですが、持ち物からもそれはわかりませんでした」
菅野は、
「そうですか…。ところで、彼の衣類や所持品は、どこにありますか?」
「はい、今は、警察が鑑定のために持って行きました。事件性がなければ、すぐに返されるはずですが…、何か?」
「いや、ちょっと気になってね。じゃあ、戻って来たら、拝見してもいいですかね…?」
「はい、すぐに先生にお知らせします…」
都子は、少し間を置くと、
「先生…。実は、彼の持ち物で妙な物を見つけたんです」
「妙なもの…? 何ですかそれは?」
「はい、時計なんですけどね。時計と言っても腕時計ではなくて、懐中時計です。それも銀製の…」
「今時、珍しいでしょ…。若いのに懐中時計なんて…」
「で、その時計、少し青白く光っていたんです。ああ、すぐに消えましたけど、何か不思議な光でした」
「気味が悪かったんで、すぐにしまいましたけど、コチコチ…と正確に動いていたんですよ。何でしょうね…」
都子は、そこが気になるようで腕を組んで首を捻っていたが、すぐに仕事を思い出したらしく、
「あ、患者さんのところに行かなきゃ…」
と、忙しそうに次の患者のところに行ってしまった。
パタパタ…と小走りに走る靴音だけを残して、サッと去って行った後ろ姿を菅野は何気なく見ていた。
すると、それを横目で見ていた同じ医局の清水崇が、
「あの藤間さん。あれで化粧でもすれば、女優でも通るよな?」
そう言いながら、やはり、彼女の後ろ姿を眼で追うのだった。
(この男も、都子ファンか…?)
菅野も一人の男である。藤間看護師の噂くらい耳にしていた。
菅野は、
(そうかな…?)
とでも言いたげな顔で、その患者のいる五階の病棟の「503号室」に上がって行くのだった。

「もしもし、失礼しますよ…」
菅野が病室に入ると、殺風景な室内にきれいな花を入れた花瓶がひとつ置かれていた。(まあ、藤間さんだろうな…)
菅野はそう思いながら、男の顔を見た。
未だに意識は戻らず、酸素吸入をして点滴のチューブを付けているので、表情はわからないが、モニターの数値は正常域を示している。
(この分なら、大丈夫か?)
そう思ったが、いつまでも点滴では栄養不足に陥る可能性があった。やはり、意識を取り戻し、食事を摂らなければ体力も回復しないのだ。
そう思いながら、菅野は浅黒く日焼けしたその男の顔をじっと見詰めていた。
(まあ、明日には眼を覚ますかも知れないな…)
検査での異常も見られず、数値も安定していることから見ても、意識が戻らないはずがないのだ。
菅野は、
(ただ、この人は、相当に精神的なダメージを負っている可能性があるな…)
とも考えていた。
この状態は、何かによって強い衝撃を受け、精神が酷くダメージを受けたときの状態に似ていると感じていたからである。
こういうことは、山岳での遭難や大きな交通事故、親しい人間の急死などで強いショックを受けたとき、意識を飛ばすことで精神を保とうとする人間の本能なのかも知れなかった。
(だとすると、この人は、どんな経験をしたというのだ…?)
それは、本人から聞くしかない。
そう思い、そっと男の肩に触れて、
「お大事に…」
そう言って、病室を出たのだった。

病室内は白で統一されており、掃除が行き届いているせいか、清潔で換気も十分だった。
明誠大学病院では、常に「仁の心」を大切にしており、それは、明治初年に創られた本病院の前身である「明誠堂」の堂主、佐藤明誠の教えであった。
佐藤明誠は、日本の近代医学を築き上げた医学者の一人で、江戸末期の長崎で医学を学ぶと、江戸の本郷で西洋医学塾兼医院「明誠堂」を設立し、大正、昭和と発展してきた学校だった。
明誠は、「技術の明誠」といわれるように、臨床医を育成する医学校としての名声が高く、特に脳外科と心臓外科の分野においては、世界有数の技術力を誇っていた。
菅野も明誠大学医学部の出身で、外科医としての技術は一流だった。
その証拠に、宮内庁から内々に明誠大学に依頼があり、何度か皇族方の外科治療に当たったことがあったくらいだった。ただし、このことはオフレコであり、大学病院内でも少数の人間しか知らない極秘事項であった。
今でも、某宮様の診察に出向くことがあった。
そのとき、当然、藤間看護師も同席したが、二人とも、それを周囲に漏らすようなことはなかった。
その口の固さも、今回の不審な男の対応を任された理由かも知れなかった。
実は、この男のことは、病院内でもすぐに箝口令が敷かれ、外に漏れることはなかったが、こうした情報管理も明誠大学付属病院が社会から信頼される理由の一つになっていた。
菅野正は、大学では医学部の助教授だったが、学生に教えるより患者と接している方が性に合っているらしく、みんなから、「正先生」と慕われている。
患者にしてみれば、医学部助教授の偉い先生が、普段着に白衣を羽織り、フラッと病室に立ち寄って、話を聞いてくれるだけで有り難いのだ。
菅野は、病室に行くと話が長く、都子たち看護師が呼びに行かないと手術の時間も忘れるほどだった。
そんなときは、患者から、
「あら、先生。また、呼びに来られちゃって…」
と叱られたり、
「まあ、藤間さん。先生をよろしくね…」
などと頼まれたりするので、少し閉口するところはあったが、いつもニコニコしているので、患者はみんな嬉しそうだった。

第2章 靖国の男

二日目の夕方、その男がやっと眼を覚ました。
それに気づいたのは、藤間看護師である。
警察から、男の着ていた防寒服や作業衣のような衣服が戻り、受け取るために病院で待っていたのだ。
都子が話を聞くと、特に、目新しい発見はなかったようだが、届けに来た警察官によると、
「まあ、何か軍事オタクのような人物ですかね…」
「着ている服は、旧海軍航空隊の飛行服だったようで、救命胴衣を付けていましたから、どこかのミリタリーショップで揃えたのかも知れませんよ」
「氏名は、坂井直。これは姓名が衣類に書かれていましたので、すぐにわかりました。何でも海軍一等飛行兵曹だとか…」
「まあ、マニアックな人間なら、そう名乗る人もいるでしょう…」
「年齢は、見たところ23、4歳というところでしょう」
「他に、所持品として、革の財布と何枚かの紙幣。まあ、昔の札ですがね。それと、ズボンのポケットに懐中時計がひとつ」
「まあ、そんなところです…」
「これから、警察でも身元の照会をしてみますので、しばらくは、こちらでよろしくお願いします」
「特に事件につながる形跡はありませんでした。以上です!」
「あ、それから、目が覚めたらご一報ください。捜索願が出されているかも知れませんので…」
そう言って、二人の警察官は、さっさとパトカーに乗って戻って行ってしまった。
まあ、行き倒れ事件だと考えれば、この程度の扱いだろう…ということは、最初から想像が付いた。ただ、マスコミに知られるとうるさいので、警察も内々に処理するようだった。
男が発見された日は、昭和天皇の大喪の礼があり、警備も厳しくしていたので、だれも疲れていたのだろう。届けに来た警察官も連日の警備で、かなりお疲れのようだった。
(まあ、雨の中の警備だったから、大変でしたね…)
都子は、私物の入った段ボール箱を受け取ると、五階の病室にそれを運び、備え付けの棚の上に置いたときである。
「あの…」
小さな声が聞こえた。
都子が振り向くと、包帯を巻いた男の顔がこちらを向いており、眼があってしまった。
ギクッ…としたが、都子は心を落ち着かせて、
「ああ、やっと気がつかれましたか?」
「えっと、さ、坂井さんでしたね…」
「あなた、丸一日眠り続けていたんですよ…」
そう言うと、カーテンを開けた。
病室から望む東京の空は、冬晴れで、ちょうど太陽が沈む時刻だったのか、空は、茜空に染まっていた。
「すみません。ありがとうございました…」
また、男の声が聞こえた。
声の質から考えると、この人は、やはり、かなり若いな…と都子は思った。
都子が、
「じゃあ、先生を呼びますね…」
と言うと、男はそれを制した。
「あ、看護婦さん。ち、ちょっと待ってください…」
「このマスク、外して貰っていいですか?」
「わかりました。でも、息苦しかったら言ってくださいね…」
そう言うと、都子は手慣れた手つきでマスクを外すと、坂井の呼吸を確かめた。
「大丈夫そうですね…」
坂井が起きたそうだったので、都子は、手を添えて背中に枕をあてがった。
「いいですか、こんな具合で…?」
「あ、はい…。大丈夫です」
そう言うと、都子は坂井の外したマスクをそっと脇のテーブルの上に置き、その上に置いてあったポットから水をコップに注ぎ、手渡した。
坂井は、ゴクゴクッ…と喉を鳴らして水を飲んだ。そして、もう二杯の水を飲み干すのだった。
「余程、喉が渇いていたみたいですね…」
そう言うと、坂井の顔が一瞬だけ綻ぶのがわかった。
(この人、案外、いい人かも知れない…)
なぜか理由はわからないが、都子は何となく好感が持てた。
坂井は、浅黒く精悍な面構えの男だったが、やはり若い顔で、優しげな眼をしていたことに安心した。
(どうも、悪い人じゃないようだわ…)
そして、
「ところで、頭、痛みません?」
「昨日、けがをされていたんで、うちの先生が縫合したんですよ…」
そう言うと、坂井は、頭の包帯を触り、
「そうだったんですか。本当にお世話を掛けました…」
この男は、何かをするたびに礼を言うので、
「いいんですよ。ここは、病院ですから…?」
すると、男は、怪訝そうな顔で、
「えっ、病院なんですか?」
「じゃあ、ラバウルの海軍病院ですね…」
と周囲を見渡しながら言うので、
(ラバウル…?)
都子は、頭を捻りながら、
「いえ、ここは東京の明誠大学付属病院ですよ…」
「ラバウルって、どこのことですか?」
「えっ、東京?」
「いつ、東京に戻されたんだろう…」
坂井は、信じられない…という顔をして、都子を見詰めるのだった。
意識を取り戻しはしたが、坂井は混乱しているようで、なかなか状況が掴めないでいた。
(なんだ、ここは…?)
(俺は、助かったのか?)
(しかし、あの状況で助かるはずがない。俺は、雷に撃たれてそのまま意識を失って墜落したはずなのに…)
(それに、この病室は何だ?)
窓から見える景色は、坂井が知っている東京ではなく、雑誌で見たアメリカのマンハッタンのように見えた。
窓から見えるだけでも、高層ビルが乱立しており、外から聞こえてくる音は、エンジン音に違いない。
坂井は、都子に頼んで窓のところまで連れて行ってもらった。
窓から下を覗くと、見たことのない光景が広がってるのだ。
「あれは、自動車か…?」
「人も随分、出ているな…?」
「東京は、いつからこんな街になったんだ…?」
坂井は、ブツブツと呟きながら、その光景に見入っていた。
街を歩く人々は、どれも大正時代のモダンガールのようだ。しかし、昭和17年の東京は戦時下だ。
あんな恰好で街を歩けば、すぐに警察か憲兵が飛んでくるだろう。
それに、軍人らしき姿はどこにもない。
最初は、アメリカ軍の捕虜になったのか…と思ったが、最初に会った看護婦は、日本人だ。それに、あの日本語は日系人の発音じゃない。
それに、彼女は、「ここは、東京だ…」と言っていた。
それが真実なら、俺は一体どこにいるんだ。どうなってしまったんだ…?
とにかく、坂井には合点がいかないことばかりだった。
しかし、自分に声をかけてきたのは、間違いなく日本の看護婦なのだ。
もし、自分が捕虜になっていたとしたら、看護婦だってアメリカ人だろう。だから、捕虜になっていないことだけは確かなようだった。
呆然としている坂井に、都子が声をかけた。
「さ、坂井さん。そろそろ、お休みしてください」
「点滴だけじゃ、体力は回復しませんから…」
そう言われ、坂井は、もう一度ベッドに体を横たえた。
坂井は、白い天井を眺め、「フーッ…」と大きく息を吐いた。
なんだか、しばらくぶりに深呼吸をしたような気がした。
坂井も最初はかなり戸惑ったが、意識が覚醒してくるにつれて、全身の疲れが取れていることに気がついた。
この病室では、口元に酸素マスクのようなカバーが付けられ、常に新鮮な酸素が送りこまれてくる。
それに、この装置は、息苦しさを一切感じない。
腕には細い管で注射針が刺さっており、栄養が体の中に送りこまれていくのがわかった。
坂井も「点滴」くらいは知っていたが、病院の治療が進んでいることに感心していた。
それにしても、この点滴の効果は抜群である。
この薬があれば、ガダルカナルへの飛行もそう苦にならないかも知れない。
往復8時間。
そして、緊張を強いられる空戦を行って、単機でラバウルまで還らなければならないのだ。その精神的な重圧は、机上で考えている参謀共に分かるはずがない。
そう思っていたが、これほどの設備があれば戦うのも不可能ではない。
そんな気がしたが、一方で、(そんなことは、あり得ない…)と考える自分がいるのも事実だった。
坂井自身が知っている一番幸福な時代でも、この場所に比べれば天と地ほどの違いがあったのだ。
坂井は入院経験はなかったが、病院内の設備くらいは知っていたが、これほど完璧な設備は、東京のどこを探してもないように思えた。
そんなことを考えていると、都子がお茶を出してきた。
「少し、飲まれますか?」
それは、間違いなく日本茶であり、何かホッとする味だった。
よく見ると、ベッドの脇には割合大きな白い箱がある。
開けてみると、それは冷蔵庫だった。
冷蔵庫の存在は、戦艦比叡にもあったので知っていたが、こんな小さな物ではなかったはずだ。
それに、小さな箪笥の上にはテレビジョンが置いてあった。
確か、雑誌で見たことがあったが、現物は初めてである。
都子がリモコンボタンを押すと、何かの風景が映し出され、声が聞こえてきた。ラジオの中が見えているようで、これも不思議だった。
テレビジョンについては、その理論を海兵団の物理の講義で習った記憶があった。
ベッドは、これまで経験したどの寝台よりも立派で、毛布や布団も軽くて暖かい。着せられている寝間着は上着とズボンが別々になっていて、こんな柔らかい肌触りの服を着たことがない。
それは、すべて坂井の頭では理解出来ないことばかりだったが、今は素直に生還を喜ぼうと考えていた。
そして、ここが日本なら、もう一度零戦で大空を飛べるはずだ…と思うことで、不安を打ち消そうとするのだった。
(よし、こんな、有り難いことはない。これなら、いつでも飛べる…)
そう思ったが、未だにここがどこか、はっきりさせない以上、心を許して話すことは出来ない。坂井の本能が、そう知らせていた。

都子は、坂井のそんな様子を眺めていたが、特に体調面での変化も見られなかったので、安心して声をかけた。
「坂井さん。もう大丈夫そうですので、点滴を外して食事にいたしましょう」
そう言うと、点滴の針を坂井の腕から抜くと、点滴の器具をさっさと片づけて、
「そろそろ、食事の時間ですので、こちらに持ってまいりますね…」
そう言うと、都子は点滴装置をガラガラ…と転がしながら、一旦病室を出て行った。
病室の中では、坂井がリモコンボタンを押したのか、テレビの音声が聞こえてきた。どうやら、野球中継が始まったようだった。
都子は、少し安心して、
(坂井が意識を取り戻したことを菅野先生に報告しなければ…)
と思いながら、食事の用意のことも考えていた。
本人は何も言わないが、二日間、点滴だけで過ごしたのだから、かなり空腹に違いないのだ。
健康な若者である以上、病院食以外に何か用意しなければ…と、都子は急に多忙になったような気がして早足で歩いた。
点滴の装置を持って、ガタガタ…と歩く都子を周囲の人間は、「あれ…?」という顔で見ていたが、こういう気の回るところが、都子が看護師として優秀な証でもあった。

確かに、坂井は意識が正常に戻ると、急に空腹を感じていた。
看護婦に、「食事を用意する…」と言われて、ほっとしたのが正直な気持ちだった。
坂井たち飛行兵は、通常でも栄養価の高い献立で食事が用意され、飯もどんぶりに大盛りでよそられ、肉や生卵、揚げ物などもよくテーブルに乗っていた。
それでも、あまり疲れすぎると、水物しか喉を通らない日もあったが、坂井は部下たちに、
「いいか。飯を食うのも戦いだ。無理をしてでも腹に詰め込め!」
と、常に「食えるだけ食う」というのが、坂井のモットーになっていた。
それに、飛行兵は消耗が甚だしく、一回の空戦で2~3㎏体重が減っていることがある。それだけ全身の筋力を使い、緊張感を強いられるからだろうと思うのだが、これが毎日続くと、頭の芯まで痛くなり、それが酷くなるとマラリアやデング熱などの感染症にかかるのだ。
病気は、体力のない者から順番にかかった。
坂井も二度ほどデング熱にかかり、隊内の病室で数日間寝たことがあったが、熱が下がっても二日ほどは体力が戻らず、「飛行止め」になるのが普通だった。しかし、作戦中は、いつまでも寝ているわけにも行かず、無理をして出撃し、還らなかった者も多いのだ。
責任感といえばそれまでだが、その責任と取り方が「死」では、納得出来るものではないのだ。
しかし、ここでは、今のところ殺される心配はなさそうだった。
取り敢えず、飯が食えるだけでも有り難い…。
坂井は、子供のように、飯が届くのが待ち遠しかった。

そこに現れたのが、菅野医師である。
扉がガラッと開いたときは、(おっ、来たか?)と心を躍らせたが、入ってきたのは、男の医師であった。
菅野は、優しげな笑顔を見せて、
「坂井さんの担当医の菅野です。よろしくお願いします…」
と礼儀正しく挨拶をされるので、坂井は腰を立てると、恐縮して頭を下げるのだった。
坂井にしてみれば、軍隊で医師といえば、士官以上の軍医である。
海軍で軍医といえば、大体厳しい人が多く、常に命令調で叱られることが多いのだ。
そう思って緊張していると、この医師は、少し違うようだった。
言葉も丁寧だし、何より物腰が柔らかい。
まるで、近所にあった街の医院の先生のようだった。
「ああ、よかった。一時は心配しましたよ…。でも、意識が戻られたんですね」
そう言うと、棚にあった坂井の衣類の入った箱をちらっと見て、
「あなた、坂井直さん。海軍一等飛行兵曹…。そうですね?」
そう言いながら、棚の脇に置いてあった面会用のパイプ椅子を取り出し、坂井のベッドの脇に置くと、「よっこらしょ…」と座りながら、顔を坂井に近づけてきた。
坂井は、思わず立ち上がろうとしたが、菅野はそれを制して、
「だめですよ。無理はしない!」
「ところで、坂井さんお腹が空いたでしょう…?」
そう言って、菅野は、大きなおにぎりを二つ坂井の食事用のテーブルに置いたのだ。
「今、食堂で握ってもらいました。中味は、鮭と梅干しです…」
「今、お茶を煎れますね…」
そう言うと、ポットから急須にお湯を注ぎ、湯飲みにお茶を注いでくれたのだ。
坂井にとって、まさか軍医の士官からお茶を入れて貰うとは思いもよらないことで、吃驚していると、菅野は気さくに、
「はい、一緒に、飲みましょう…」
そう言って、湯飲みを二つ置いて椅子に腰を下ろすのだった。
テーブルの上には、大きな握り飯が二つ。それも、海苔が付いているものだった。
それに、こんな真っ白な握り飯も、日本を離れてからは久しく食べていなかった。
海軍では、白米はほとんど出ない。
士官になれば、食事代は自腹なので白米を食べるようだが、下士官兵は官給品なので、贅沢は言えないのだ。ただ、飛行兵は特別に副食や甘い物が「航空食」として出されるので、他の兵に比べれば、贅沢なのだ。
海軍の主食は「麦飯」が主流で、白米と麦が半々の割合で炊かれるので、飯はいつも麦の匂いがしていた。
だから、白米だけを食べるのは、休暇で上陸した日だけなのだが、日本を離れてからは、ずっと麦飯だけを食わされていた。
それだけに、この白米の握り飯は最高のご馳走だった。
坂井は、菅野の申し出に、
「よろしいのですか…?」
と前置きをして、握り飯にかぶりついた。
まだ、温かさが残っており、塩も利いたその大きな握り飯は、旨かった。
モグモグ…とひたすら飯にかぶりつく坂井の姿を見て、菅野も嬉しかった。
坂井は、あっという間に二つを平らげ、お茶を啜った。
「う、うまい!」
その声は、坂井の本当の声だった。
坂井は、手に付いた米粒までしっかりと口に運ぶと、菅野に頭を下げた。
「あ、ありがとうございます…」
「いやあ、あなた方は間違いなく日本人です。ここは、やっぱり、日本の東京なんですね…」
そう言って、部屋の中を見渡すのだった。そして、
「白い握り飯を食べたのは、何ヶ月ぶりです…」
その声は弾んでおり、菅野は、これが、この男の素の姿だと思った。
これなら、傷も早く治るだろう…。
これが、菅野の人心掌握術の一つだった。

そこに、都子が食事を用意して現れた。しかし、既に大きな握り飯二つを平らげた坂井に、その病院食は不要に見えた。
「あら、もう、食べられたんですか…?」
その声は、少しだけトゲがあり、それは、坂井というより菅野に向けられた響きがあった。
坂井がすまなそうにしていると、菅野が、
「いやあ、あれは前菜ですよ。これからが本番ですから、坂井さん、さあ、どうぞ…」
「今日は、ほう、おでんにカレイの煮魚ですか?」
「ご飯になめこの味噌汁、それにたくあんとサラダですか…。いいですね」
ふと見ると、都子の手には、温めたカレーライスがあった。
「坂井さんが、足りないと思って…、コンビニで買ってきました」
そう言いながら、やはりテーブルの上にそれを置いた。
菅野は都子に、目配せして、
(これは、少し多すぎないか…?)
と注意しようとする間もなく、
「では、いただきます!」
そう言うなり、坂井は、次から次とそれらを口に運び、ものの5分ほどで全部平らげてしまった。
都子は、その一口の大きさに吃驚である。
食べ終えると、お茶をグッと飲み干して、
「ごちそうさまでした!」
と手を合わせるのだった。
今時の青年にしては、しつけの出来た人だな…と二人は感心していると、坂井が、
「あのう、飛行兵は大食漢が多いもんですから、すみません…」
と肩をすぼめたが、二人は、(よく、食うな…)と驚くばかりだった。
こうして、知らず知らずのうちに坂井との関係が穏やかなものになったことに、だれも気がつかなかった。

少し落ち着いたところで、都子が缶コーヒーを買ってきて、坂井と菅野の手渡した。
「これ、コーヒーです。坂井さんはお好きですか?」
坂井は、「缶コーヒー…?」と言いながら、見よう見まねで缶を開けると、ゴクリと一口飲み込んだ。
それは、間違いなく良質なコーヒーに間違いなかった。
坂井は、日本にいたときからコーヒーに嵌まり、休日にはいつも飲んでいたのだが、まさか、コーヒーが缶詰になっていようとは、思ってもみなかった。 そして、この缶コーヒーを飲み干すと、徐に菅野が坂井のそばに近寄り尋ねた。
「坂井さん。いや、坂井一等飛行兵曹。そろそろ、話を聞かせてください…」
坂井が、缶を口元から離すのを見て、
「あなたは、間違いなく日本海軍の零式艦上戦闘機、いわゆる零戦と呼ばれていた戦闘機の搭乗員、坂井一飛曹ですね…」
そう言われて、坂井はビクッと反応し、眉を顰め、喉を鳴らした。
それを見て驚いたのが、都子である。
(さっきまでは、何にもわからない様子で接していたのに、何でそんなことまで知っているの…?)
そう思ったが、
「なんだ、先生。よくわかりましたね…」
すると、菅野は、
「ああ、夕べのうちに調べておいたんです。着ていた飛行服と作業衣の内側に名前と階級が書かれてありましたからね…」
そう言うと、クスッと笑った。
坂井は、
「そのとおりです。私は、海軍一等飛行兵曹の坂井直です。ガダルカナルの攻撃に向かい、不覚にも戦闘中に墜落して、海に落ちたはずなんですが…」
「なぜ、私はここにいるのでしょう?」
「私は、ひょっとしたらもう死んでいて、ここは、あの世の世界なのでしょうか?」
と、逆に質問して来るので、二人とも困惑の苦笑いをするしかなかった。
すると、菅野が、さらに坂井に顔を近づけて、
「ねえ、坂井さん。あのカレンダー見てください…」
病室には、ベッドの脇に小さいながらもテレビと冷蔵庫が置いてあり、壁には、時計とカレンダーが掛けられていた。
そのカレンダーを指さして、
「今がいつだか、わかりますか?」
都子がキョトンとした顔を見せて、カレンダーに視線を送った。
そこには、当然「昭和64年」と書かれたカレンダーしかない。
「今日は、2月の29日。そう、1989年です。そして、1月7日に昭和天皇が崩御され、8日から平成と元号が変わったのです!」
「坂井さん、おわかりですか?」
「今は、平成元年2月29日なんですよ!」
菅野は、坂井を睨み付けるように見詰めると、静かにそう言い放った。
「へ、へいせい…?」
「天皇陛下が崩御された…?」
坂井は、目の前が真っ暗になるような衝撃を受けた。そして、頭を抱え込んでしまった。
(天皇陛下が亡くなられてしまっては、この戦争はどうなるんだ?)
(まさか、これは、敵の謀略じゃないのか?)
坂井の頭は、さらに混乱していた。
そして、
「私が、ガダルカナルに出撃したのが、昭和17年8月7日…。そして、今が、平成元年2月29日…?」
「一体、どうなっているんだ…?」
坂井は、一瞬の目眩が治まると、菅野に顔を向けた。
菅野は、(うむ…)と口を真一文字に結んでから、
「坂井さん。これから私が話すことをよく聞いてください。途中で驚くこともたくさんあると思いますが、とにかく、戦闘機乗りとして敵と戦う気持ちで聞いていてくださいね…」
そう言うと、少し間を置いてから菅野は話し始めた。
坂井も、
「戦闘機乗りとして…」
という言葉が、自分の心を揺り動かした。
もう一度、ゴクリ…と生唾を飲み込むと、小さな声で「どうぞ…」と菅野を促した。

実は、菅野は坂井が救急医療センターに運ばれた瞬間から(これは…?)という疑いを持って観察していたのだ。
菅野は医師でありながら、子供のころから戦記物を読むのが趣味で、医師になった現在でも家庭には、それ関係の書籍が山積みになっていた。
菅野の父親の従兄弟には、やはり戦闘機搭乗員として名を馳せた「菅野直」がいた。
坂井の名前が同じ「直」だったことから、坂井直という人物に興味を持ったことも事実だった。
坂井の場合は「ただし」と読むそうだが、菅野直は、「かんのなおし」である。もし、自分の子が出来たら、「直(なおし)」とつけるつもりでいたが、どうも、そこは難しいようだ。
親戚の菅野直は、戦争後期の搭乗員で、「紫電改」という新型戦闘機を駆使して本土防衛戦に活躍した人物だった。
山形県酒田市の菅野に実家では、毎年の彼岸や盆には、先祖の写真が飾られている仏間に、近しい親族が集まり供養を欠かすことがなかった。そのためか、子供の正も自然と「菅野直」の話は聞いて育っていたのだ。
父の真次は、坂井や菅野直とは同世代で、戦争中は軍医として海軍航空隊に配属となり、終戦後に明誠医院に戻って医師として働いた人である。
父は、軍医として多くの若者の死に立ち会ったのだろう。
若くして死んで行った飛行機の搭乗員を思い、家の仏壇には「航空戦死者之霊」と書かれた位牌を置き、毎日、手を合わせるのを日課としていた。
菅野も子供のころから、それを行うことが日課となり、英霊に対しては日頃から尊崇の念が強かったのである。
それがきっかけとなり、菅野は、自分で調べるようなことまでするようになっていた。
関係本は溜まりすぎると処分に困るので、ときどき、不用になった古い書物は廃品回収に出したり、古本屋に売ったりしていたが、それでも一部屋はそれらで占領されていたのだ。
実は菅野は、「酒田直」というペンネームで月刊誌にコラムを持っており、近現代史の評論本も五冊ほどは出した経験があった。
酒田は、実家のある酒田市で、直はもちろん菅野直から頂戴している。
いくつかの著作本を出版できたのも、長年の研究の蓄積によるものだった。
だが、東京裁判史観が日本社会に蔓延すると、教科書に書かれていることも、当時の政府や連合国に都合のいい記述ばかりとなり、どんなに詳しい研究書であっても、売れ行きは芳しくはなかった。
それでも戦記物を取り扱う月刊誌が発行されているのだから、一部には興味を持つ人がいるのだろう…。そこが救いでもあった。

あの日、坂井が運ばれてきたとき、彼の身に付けている衣服を脱がせ、応急処置をしたのは菅野自身だった。
もちろん、側には藤間看護師が助手で付いていたが、菅野は表情を変えずに黙々と処置をしていたので、都子が気づくことはなかったのだ。
菅野は、飛行服を脱がせるときに既に気づいていた。
坂井がベストのように身につけていたのは、海軍の「ライフジャケット」で、当時の海軍では「カポック」と呼ばれていた。実は、菅野もそのカポックの複製品を持っている。
意外と性能がよく、菅野も実際に海で試してみたが、結構長い時間浮いていられたので、夜釣りに行くときなどは、これを着用していたくらいだった。
軍隊の物は、なかなか機能的に出来ており、今でも登山や海のレジャーなどで日本の物だけでなく、外国の物でも愛用する人は多いのだ。
坂井のカポックは、まだ多く空気を含んでおり、長時間水の中に浸けられていた様子はなかった。
水分を点検すると少し塩味を感じ、
(これは、海の水に違いない…)
と判断したが、靖国神社から海はかなり遠く、人が歩いて来られる距離ではない。それに、坂井が着ていた飛行服が当時の素材でできており、縫製もしっかりしていたことから、本物であることを確信したのだった。
飛行服の生地は厚手の木綿地だったが、さすがに飛行兵用だけあって目地の詰まった生地で、かなり高価な物に見えた。
今、ミリタリーショップに持って行けば、20万円くらいはするだろう…と勝手に値段をつけていた。
当時の飛行兵の中には、軍からの支給品ではなく、自分で仕立屋に頼んで誂える人がいたと聞く。この飛行兵は、自分の軍服の方ではなく、戦闘用の飛行服を誂えたのだろう。そうでなければ、ここまで丁寧な縫製にはならない。
要するに、坂井という人物は、飛行兵としては一流であり、立場も上の人間のように見えた。
その縫製は、ミシン縫いと手縫いの両方が見られたが、今でも、これほどみっちりと針の入った衣類を見ることは珍しい。それに、糸もかなり良質な糸が使われていた。
それは、飛行兵は数千mの高空を飛行するため、寒さ対策は絶対だった。
それでも、飛行服の中は、軍服ではなく通常の海軍の作業衣だったので、この飛行兵が南方勤務ではないか…と推測していたところだった。
飛行服と作業衣を丹念に調べて見ると、服の内側に「海軍一等飛行兵曹 坂井直」と書かれていた。
この飛行服は、上下がつながっている、いわゆる「つなぎ」と呼ばれる形で、前の袷になる部分もダブル形式で、これは日中戦争、大東亜戦争初期の型である。
後期になると、生地も調達が難しくなり、飛行服も粗末な物に変わっていったが、初期型は、結構、手が込んでおり、襟に毛皮を用いる物も多かった。
菅野は、そこで、「海軍一等飛行兵曹」という階級が、後期の「上等飛行兵曹」の位だと気づいた。そうなると、次は「兵曹長」で、准士官の待遇を受ける。
つまり、かなり搭乗員としてはベテランの域に達した飛行兵であることがわかった。
そこで、菅野は、この坂井という飛行兵の応急処置を済ませると、アパートに戻るなり、書棚からその時代の記録が載っている本を取り出した。
それは、それほど時間のかかる作業ではなかった。
そこには、こんな記述が当時の写真と共に掲載されていた。
『海軍飛行兵曹長(戦死後1階級特進)坂井直 昭和17年11月14日 ガダルカナル方面にて戦死』
という記事である。

戦後、生き残った飛行兵が書いた有名なノンフィクション本で、今でも売れている一冊で、外国語訳も出版され、海外にも紹介されたらしい。
確か、映画化もされ、菅野も映画館に足を運んだ一人だった。
映画のタイトルは、「蒼空のサムライ」というもので、主人公に扮したのは、格闘家としても有名な俳優だった。
その映画の中にも、この坂井直の登場してくる場面があった。
かなり剛直な先任搭乗員で、早い段階で戦死したように描かれていたが、若い搭乗員を鍛えるベテランとして好意的に描かれていた。
確か、映画の中では、「坂本忠」という名で登場してきたはずだった。
菅野は、こういう知識だけは、だれにも負けない自信があった。

さて、ノンフィクション小説に書かれている内容を見ると、
『昭和17年11月14日のガダルカナル島への最後の攻撃で、台南航空隊先任下士官の坂井直一等飛行兵曹が空戦中に被弾、戦死された。
この日、列機として一緒に出撃していた矢沢二飛曹は無事にラバウルに還ってきたが、矢沢の報告によると、ガダルカナル島攻撃中、列機であった矢沢機を救おうと、敵のP38ライトニングの急襲を受けて被弾。その後、黒煙を吐きながら墜落中に空中爆発して散華した』
と書かれているではないか…。
そして、その前にも記載があり、
『坂井一飛曹は、ガダルカナル攻撃の初日の昭和17年8月7日に、一時行方不明となったが、ニュージョージア島に不時着。同島海軍部隊によって救出された…』
とあり、おそらく、病院で保護した坂井直は、この坂井一飛曹に間違いない。
どういう経緯で時空を超えたのかはわからないが、現代の世界に、当時の姿のまま現れたということは、時空を超えたとしか考えられない。
掲載されていた写真を見ても、本人である。
それから、菅野は「日本海軍撃墜王列伝」という一冊を取り出し、ページを捲ると、そこにはやはり「坂井直」の欄が設けられていた。
その写真は、飛行服を着て零戦らしき機体をバックにした写真だったが、その飛行服は、まさに、坂井が着ていた飛行服に違いなかった。
出撃前に撮ったものなのか、飛行帽、白いマフラーを巻いた精悍な顔つきの青年が写っていた。撮影者は、戦後有名になった吉田肇というカメラマンだった。おそらく、今でも存命されていることだろう。
その記事によると、坂井直という人物は、福島県の白河の小学校を卒業すると、一旦は、農業学校に進んだが、軍人になろうと志し「海軍志願兵募集」に応募して合格し海軍二等水兵になった。
横須賀の海兵団を首席で卒業すると、軍艦比叡に配属され、副砲分隊に配属されたが、訓練中に落雷に遭い、一緒にいた4名中、坂井だけが奇跡的に助かった…とある。
その後、治療のために横須賀海軍病院に入院。
そこで、飛行兵に興味を持ち、比叡に復帰すると猛勉強をして、操縦練習生に合格。飛行兵としてのスタートを切った。
操縦練習生課程においても首席をとおし、卒業後は、三等航空兵曹として空母鳳翔、次いで中国の漢口基地に配置となり、そこで、初出撃、初撃墜の戦果を挙げた。
大東亜戦争が始まると、台湾に本部を置く「台南航空隊」に配属され、開戦時にはフィリピンのクラーク基地への攻撃に加わった。そこで敵機2機撃墜の戦果を挙げた。そして、その後、昭和17年4月1日、ラバウル基地に進出。
ラバウルでは、およそ7ヶ月の間に31機の敵機を撃墜し、中国での5機を合わせて撃墜数36機を誇るエースとなった。
共同撃墜を合わせると、50機を優に超える撃墜数だった。
11月14日にガダルカナル上空の戦闘で乗機が被弾、墜落したことから、即、戦死と認定された。その後、特別殊勲者ということで全軍布告の栄を賜り、「金鵄勲章」が授与され、兵曹長に進級した…とある。
これが、菅野が調べた坂井直という軍人の経歴である。
航空戦史上、かなり有名な搭乗員だったためか、戦記物に登場する回数は多いようだ。
もし、病室にいる患者が、この坂井直だったとすれば、やはり時空を超えて来たとしか考えようがない。そして、そう考えるのが一番妥当だと菅野は感じていた。

菅野が知る限りの情報を坂井にぶつけると、坂井は、唖然とした顔をして、
「先生、どうしてそれを…?」
と驚いた様子だった。
そして、自分が「11月14日に戦死した」と聞かされると、さらに驚いたようで、菅野に改めて尋ねたのだった。
「11月14日ですか…」
「そうですか。そうなんですね…」
それは、自分に納得させるような言い方に聞こえた。
しかし、菅野が詳しく説明すると合点がいったようで、頷きながら、菅野の顔を見て、再度尋ねた。
「ところで、大東亜戦争は、日本が勝ったのでしょうか?」
「我々は、そのために必死に戦ったのですが…」
しかし、その顔は、すべてを悟った上で聞いているような気がした。
菅野は、
「いや、日本は昭和20年8月15日に連合国軍に降伏して終戦となったんですよ…」
と話すと、坂井は、
「やっぱり、そうですか。そうだろうな…」
そう言うと、残念そうに下を向くのだった。

そこに都子が口を挟んだ。
「まあ、坂井直さんという名前もわかったし、取り敢えず良かったんですが…、タイムスリップでは、警察に説明できません」
確かに、その通りだった。
「こんな話を大学病院の医師がしたら、こっちが疑われてしまいます…」
「藤間さん、いい考えはありませんか?」
菅野はそうは言ってみたものの、いい案は浮かばず途方に暮れていると、坂井が言い出した。
「先生、私が言うのもなんですが…。私の記憶が戻らない…ということにして貰えませんか?」
「もし、私が過去の人間なら、今の時代に知り合いはいません。いや、親兄弟や知人が生き残っていたとしても、みんな年をとったわけですし、私を認識することは出来ないでしょう」
「差し支えなければ、身元不明ということで、警察にお話しください…」
「いや、記憶が戻ったことは一切喋りませんし、戦争のことや飛行機のことも言いません」
すると、菅野はしばらく考えていたが、
「わかりました。坂井さんがそう仰るのなら、記憶が戻らない…ということで処理します」
「そして、このことは、取り敢えず、三人だけの秘密ということにして…、今後のことは私が考えます」
「いいですね…。それで、いきましょう」
そう言うと、坂井はホッとした表情を見せた。
「まあ、難しく考えず、為るようになるだけのことです」
「それに、坂井さんは、今でも靖国神社に祀られている英霊なのですから、粗末な扱いはできません。私にお任せ下さい…」
そう言って、胸を張って見せるのだった。
坂井も都子も、その姿がおかしく、しばらく病室に笑う声が小さく響いていた。

第3章 坂井直の真実

二人が帰ると、坂井は一人で考えていた。
(まさか、俺は時を超えて未来に来てしまったのか…?)
(だが、来られたのだから、還る術はある。いや、必ずあるはずだ…)
とにかく、今はそう考えるしかない。
そう思い、警察から届けられた自分の衣類を確認してみた。
段ボール箱に入っていた物は、汚れた飛行服、作業衣、それに飛行服の内ポケットに締まっておいた革の財布だけだった。
飛行帽や飛行靴は、海に落ちたときにでも脱げたのだろう。マフラーもないし、拳銃もない。懐中時計は…ないか。残念だが、そう思って飛行服をしまおうとしたそのときである。
飛行服のズボンのポケットに何かが光るのが見えた。
当時の飛行服は、上下のつなぎになっており、腰のベルトで締める形になっていた。その両膝の脇にもポケットが付いており、通常はここに航空地図などを入れておくことになっている。
もちろん、航空地図は入っていなかったが、そこに、あの懐中時計が入っていたのだ。
どうして、そこに時計が入っていたのかは、坂井にも分からなかったが、その時計だけが唯一、自分が空戦を行った証のように思えるのだった。
ポケットから、その時計を取り出すと、不思議なことに海水に浸かっていたにも関わらず、正常に針が動いているのだ。
それは、壁に掛けてある時計と寸分の違いもない。そして、その懐中時計はなぜか、青白い淡い光を仄かに発していた。
(こんな手巻きの懐中時計が、なぜ、正常に動いてるんだ?)
(この妖しい光はなんだ…?)
そう思ったが、夜光虫のようなその光は、何か、坂井に希望のようなものを与えた。
それに、この懐中時計は、自分が海兵団の首席で卒業したときの恩賜の銀時計であり、坂井の「お守り」のようにいつも携帯していた物である。
革の財布には、300円程度の紙幣が入っていたが、この時代に使えるかどうかも分からない。
他に金目の物はないし、今の自分にはどうしようもないのだ。
そう思うと、あの菅野という医師と藤間という看護婦だけが頼りだった。
(それにしても、本田や佐々木は無事に帰還しただろうか…?)
(笹井中尉は、心配していることだろう…。それに、俺は、死んだことになっているのだろうな…)
つい、そんなことが頭を過った。
(だが、さっきの菅野という先生の話が正しければ、俺は、戻れることになっている。あの小説を書いた搭乗員は、俺たちの後に入ってきた水島…とかいう二飛曹だったはずだ。ガダルカナル攻撃の直前に着任した搭乗員だったから、俺も記憶がない…)
(だが、最後まで生き残ったのだから、かなり優秀な男に違いない。それなら、いい加減なことは書くまい…)
そう思うと、坂井は、一縷の望みを感じることが出来たのだった。
しかし、ものは考えようである。
どの道、自分はガダルカナルでヘマをして撃墜されたのだ。
それは、即、死を意味していたし、今、この未来で生きていようが死んでいようが、もう、どちらでもいいことなのだ。
まして、靖国神社に祀られている英霊となれば、後のことは分からないが、英霊らしく、また、戦えばいい…。
そう思うと、少しは気楽になった。
まして、この寝台と布団は格別なのだ。
もし、あの時代でもこの寝台があれば、もっといい働きが出来たかも知れない。
(ああ、みんなにも、こんな布団で寝させてやりたかったな…)
そんなことを考えていると、また、頭の芯が痺れ、深い眠りが襲ってくるのだった。
こんな充実した睡眠は、何年もしたことがなかった。
いや、坂井にとっては人生で初のゆっくりとした時間だったのだ。

第2章 恩賜の銀時計

坂井は、貧しい農村の生まれだった。
坂井の家は、元々は白河地方の名家の一つだったが、坂井が生まれる以前に没落して、小作人として本家に傭って貰う身分になっていた。
それでも、坂井の祖父は先祖を誇りとし、
「我が家は、今でこそ没落しておるが、かの伊達正宗公を助け、人取橋の戦で一番槍を突けたのは、我が先祖であるぞ!」
と子供にも吹聴していたが、他に家族でそれを言う者はいなかった。
そんなことより、日々の飯をどうするかが先決で、坂井には明るい未来を望むべくもなかった。
兄弟は、三つ上の兄と下に妹が二人。
兄は、農業学校を出ると役場の農事課に勤めながら、米の品種改良に取り組んでいた。
坂井は、この優秀な兄が誇りで、いつも兄のようになりたいと思っていた。
取り敢えず尋常小学校の高等科を首席で卒業した坂井は、教師の勧めもあって、やはり兄と同じ地元の農業学校に進んだ。
本当は中学校に行きたかったが、家の経済事情では、それは贅沢しかなく、許されるものではないのだ。
しかし、農業学校では所詮百姓になるだけのことである。
確かに優秀な者は役場や組合に務め、下級役人になることも可能だったが、それでも百姓には違いない。
坂井は、弟だから坂井の家は継げない。
まあ、継ぐほどの財産はなく、兄が家族を持てば、坂井も妹たちも家にはいられないのだ。
だから、坂井は、やはり軍人になって偉くなりたい…と考えるようになった。それは、田舎の次男、三男に産まれた者の宿命みたいなものだった。
坂井の同級生たちは、どうせ軍人になるなら見慣れた「陸軍」がいい…と言ったが、坂井一人は、だれも行っていない海軍がいい…と思うような変わった少年だった。
海のない白河では、大して泳ぎも上手くないし、そもそも船という物を見たことがない。その点、陸軍なら、会津若松には連隊が置かれていたし、地元でも兵役を終えた人がたくさんいて、陸軍の情報ならたくさん入ってきた。だが、それでも将校になった…という話は聞いたことがなかった。
坂井は、
「俺は、海軍に入って海軍士官になるんだ!」
と決めていた。
理由は特にないが、海軍の方が格好良く見えただけのことである。
それに、学校や役場の掲示板には、「海軍志願兵募集」などのポスターが貼られており、農業学校からも毎年何人かがこれを受験した。
しかし、合格した者はなく、いずれ徴兵検査を受けて、地元の会津連隊に入るのが精々だった。
村では、上等兵になったとか、伍長になった…などという噂話もあったが、それも所詮は兵隊でしかない。
坂井にしてみれば、兵隊よりもずっと上の「将校」と呼ばれる軍人になってみたかった。
陸軍でも「将校」は、馬に乗りサーベルを下げて颯爽としていた。
海軍の将校のことは知らないが、ポスターや雑誌で見る限り、真っ白な制服に短剣を下げて、如何にも「海軍」という恰好で、坂井には眩しくさえ見えたのだ。
それに、坂井には、勉強にも体力にも自信はあった。
走っても小学校では近隣で一番だったし、級長もずっと務めていた坂井は、子供心に大きな夢を抱いていたのである。
それでも真面目に農業学校に通い、農業について一生懸命学んでいたが、心の中では海軍志願兵への憧れは増すばかりだった。
兄の聡には、内々で相談し了解を得ていたが、父や母には内緒にしていた。
普段から両親は、
「直は、兄に似て成績がいいから、県庁にでも入ってくれればいいがな…」
と、地元にいることを望んだが、その大半は、家に金を入れて欲しいからだということは分かっていた。
兄は跡取りだからいいとして、妹二人を嫁がせるには、しばらく金はかかるのだ。だから、次男の坂井をあてにする両親の気持ちも分からないでもなかった。
だから、坂井は、学校や家には内緒で志願書を取り寄せると、兄に承諾して貰い、海軍志願兵を受験をしたのだった。
受験勉強は、農作業や授業の合間、そして深夜に行った。
問題集でわからないところは、兄に聞いた。
この兄なら、大学だって入れるだろう…と思ったが、それ以上は口に出さなかった。
その頑張りの甲斐があって、坂井は50倍近い競争率を突破して、海軍志願兵に合格したのだった。
その合格通知が届くと、父親は怒り、猛反対したが、祖父は、
「ああ、行ってこい…。我が家には侍の血が流れているんじゃ」
「先祖の魂が、おまえを呼んでいるんじゃろう…」
「帝国海軍が、おまえを必要としておるんなら、堂々と行けばいい…」
そう言って、周囲の反対を制止してくれたのだった。
兄が、
「いいじゃないか。直は、別に家を継げる田畑があるわけじゃないんだから、好きにさせてやれよ」
と両親に言ってくれたのが大きかった。
それに、この当時、軍からの命令は絶対である。
軍に採用されたということは、国の命令、いや、天皇陛下のご命令なのだ。
母親は、
「遅かれ早かれ、兵隊には行かねばなんねえ…。ちっとばかし早くなっただけだ…」
「まあ、体に気をつけてな…」
そう言って送り出してくれた。
坂井が海軍に入ったことで、家の仕事は妹たちの負担になったが、妹の芳や貞は、
「私らも学校で自慢できるからな…。兄ちゃん、ちゃんと将校さんになれよ」         そう言って、励ましてくれたのだった。
そんな妹たちに、海兵団のころから「学費」を送り続けた。
飛行兵になると、航空加俸が付くので給料が増えるのだ。
坂井は、特に酒も飲まないし煙草もあまり得意ではない。
どちらかというと甘党だったので、そんなに金を遣うこともなかった。
それに、妹たちからのお礼の手紙を読むのが何よりの楽しみで、学費を送るのだった。

坂井が横須賀の海兵団に入ったのは、昭和7年の5月である。
海兵団では、連日殴られ、バッターと称する「海軍精神注入棒」で尻を叩かれ、それこそ地獄の一丁目の経験をした。それが、いいか悪いかという議論はあるが、軍隊が理不尽であることを悟った瞬間でもあった。
中には、
「ちぇっ、こんなに殴られるんなら海軍なんかに志願するんじゃなかった…」
とぼやく同期生もいたが、坂井は、
「我慢して年数が過ぎれば、何とかなるさ…」
とあまり悲観することもなかった。それに、坂井はここでも成績優秀者として常に上位にいて、教班長からも励まして貰っていたことが、幸いだったのかも知れない。
実は、この年の海軍志願兵の中で、坂井の成績は全国で3番だったのである。つまり、横須賀海兵団では、新兵の首席ということになる。
それは、海兵団の幹部しか知らないことだったが、坂井が周囲の期待を担っていたことは間違いない。
坂井は、元々理数系に強く、農業学校時代も中学校4年生程度の内容は十分理解していた。
幹部の中には、坂井に、
「おい、坂井四水。貴様なら兵学校も受かるかも知れんぞ…」
と言ってくれたが、そのときは、毎日の訓練で疲れ切っており、そんな言葉に耳を傾ける余裕はなかった。
それでも、座学の試験はほぼ満点であり、海兵団を出るときは恩賜の銀時計を拝領したのだ。そして、自分でもかなりの自信を持って軍艦に乗り込んだのである。
坂井が貰った「恩賜の銀時計」は少し変わっていて、普通、精工舎製の新品の懐中時計が渡されるものだが、坂井に下された物は、かなり年代物の懐中時計だった。
まあ、海兵団の二等水兵に下される物だから形式上は「下賜」だが、どうもそれに準じる形で渡されたものらしいのだ。
坂井がこの時計や箱をいくら見ても「下賜」の文字は、どこにも刻まれてはいなかった。だから、当時の横須賀海兵団司令の配慮だったのかも知れない。
ところが、この銀時計は、噂によると、横須賀に日本初の製鉄所やドッグを造った江戸幕府の小栗忠順が持っていた物らしいのだ。
小栗は、アメリカ使節団にも参加した幕臣の中でも優れた人物で、日米の金の比率を交渉して、日本の面目を施した人物だった。
常に日本の将来を見据えたビジョンを持ち、小栗が幕府軍の全権を握っていたら、維新は成功しなかった…とさえ言われている。
残念ながら、戊辰戦争が起きると、小栗の才を怖れた新政府軍によって、朝敵として故郷である群馬県の権田村で斬首された。
だれが命じたかはわからないが、特に罪があっての裁きではなかったようだ。
確かに、新政府としては生かしておきたくない人物だったようだが、明治維新とは、そういう理不尽な革命の結果だと知っていた坂井には、この銀時計のゆかりを聞いて、逆に有り難かった。
坂井の故郷である白河も、賊軍の汚名を着た会津藩ゆかりの土地で、子供のころから明治維新については、賊軍の立場で散々聞かされていた。
その小栗忠順ゆかりの銀時計が、どうして横須賀の海兵団に持ち込まれたのかはわからなかったが、戴いた瞬間から、この時計と気持ちが通じるような感覚があったことは事実であり、自分でも不思議に思った。
そして、珍しいことに、この銀時計は、時々妖しい青白い光を発するのだった。
それは、「いつ」と決まっていたわけではないが、気がつくとボウッ…と光っている時があった。まるで狐火のようで気味が悪かったが、小栗の霊が付いているのかも知れないと思うと、坂井は、その光を見るのが楽しみになっていた。
坂井が航空兵を志願しようと考えたのは、戦艦比叡乗り組みを命じられた後に起きた、ある事故がきっかけだった。
坂井の配置は、比叡の副砲分隊に決まった。
このころ、兵隊の中でも一番人気は、主砲分隊配置だった。
大艦巨砲主義は、当時の世界中の海軍の主流であり、「弩弓」戦艦を建造できるかが、その国の力を示すものになっていた。
日本では、戦艦陸奥や長門が建造され、さらにそれ以上の巨大戦艦の建造が計画されていた。
坂井にしてみれば、天皇が観艦式などで乗られる「お召し艦」の配置は満足するものだったが、主砲分隊ではなく副砲配置は少し不満だった。
やはり、坂井も当時の花形部署への配置を望んでいたのだ。
それでも、副砲であれば、いずれ他艦への転勤に合わせて主砲分隊に配属される可能性も高く、修行の身とすれば、不満が言える配置ではない。
それに、先輩の中には、海軍砲術学校の特修科に行き、砲術の専門兵として戦艦の主砲発射を担う配置に就いた人もいる。そして、選修科学生に合格すれば、海軍将校養成機関である海軍兵学校で学ぶことができるのだ。
そうなれば、海軍士官になれる。憧れの将校になれるのだ。
海兵団出の志願兵の中には、「海軍特務少佐」になった人がいると聞いたことがある。
坂井も、それくらいの野心を持つ普通の青年だった。
新兵時代はとにかく副砲弾を砲に装填する作業に従事したが、その重さは、一弾が優に30㎏近くもあり、余程の筋力がなければ副砲弾の運搬は出来ない。比叡のような旧式の軍艦では、すべてを機械で操作することができず、一部は、どうしても人力になる。
弾薬庫から上甲板まではエレベーターに載せるが、そこから先の副砲までの運搬は、台車に載せて運んでいくしかない。一弾ずつ木箱に入った弾丸を一度に4箱載せて鉄の台車に載せて運ぶのだが、その重量を押すのも半端ではないのだ。
坂井は、新兵時代に、それを1年近くやらされた。
お陰で足腰は、海兵団時代より数倍も鍛えられ、裸になれば足も腕も胸も筋肉で引き締まっていた。
こういう体になって始めて「海の男」と呼ばれるのだ。
ただ、新兵時代は、「恩賜の銀時計組」などという過去の栄光は関係なく、とにかく鍛えられた。そこで、坂井は、無類の筋肉と「なにくそ!」という頑張り精神を養ったのだった。

ところが、運命とは皮肉なものである。
坂井が比叡乗り組みになって1年半が過ぎたころである。
比叡が属する第一艦隊の訓練の中で、大きな事故に遭遇したのだ。
比叡は、大正時代と共に誕生した戦艦で「お召し艦」としての役割を担う、海軍でも重要な戦艦だった。
天皇ご自身が何度も比叡に足を運ばれ、観艦式などでは天皇が座乗し、大元帥として連合艦隊の指揮を執られる。
たとえ形式上ではあっても、大元帥陛下が直々に指揮を執る軍艦の兵ともなれば、それはまさに「御親兵」だろう。
乗組員は、それを誇りとしており、天皇が座乗されたときには、必ず乗組員全員に恩賜の煙草が配られ、乗組員の志気を高めたものだった。
その比叡で事故が起きたのは、比叡が訓練航海に出た夜のことだった。
この日は波も高く、実際の副砲発射訓練は行われなかったが、荒天を想定した装填訓練は実施された。
副砲弾は、甲板下の弾薬庫から模擬弾がエレベーターで運ばれて来るのだが、上甲板に上がってからは、人力で副砲まで運ばなければならなかった。
比叡は、大改装されたとはいえ大正初期の軍艦で、最新式の装備は構造上の問題があり、多くは人力に頼るところが大きかったのである。
坂井は大荒れの海上を進む比叡の甲板上で、必死に台車に乗せられた30㎏の砲弾を4人がかりで運搬した。
当然、戦闘用の鉄兜を被り、足には脚絆を履いての本格的な訓練だった。
風雨の中、既に三度にわたり運搬していた坂井たちの運搬班もすでに限界に来ていた。しかし、海軍はここからが勝負である。
気合いを入れて、最後の砲弾を台車に載せて甲板を走ったそのときだった。これまで遠くで光っていた稲光が、比叡の後方で炸裂し、想像を絶する光と雷鳴を轟かせた。
そして、次の瞬間、その稲妻は突如として坂井たちを襲ったのである。
バリバリバリ…! ガガガーン! ドーン!
その稲光は、間違いなく坂井を直撃したかに見えた。
甲板上にいた4人は落雷の衝撃で吹き飛ばされ、4人の内の二人はそのまま海に弾き飛ばされた。
一人は、雷の直撃を受けて即死。
坂井だけがたまたま艦の内側に弾き飛ばされたために、海に飛ばされることはなかったが、背中に酷い火傷を負い、意識を失ったのである。
その後、訓練が中止となって海に飛ばされた二人の捜索と坂井たちの救命が行われたが、荒天の中、海に墜ちた兵隊を見つけ出すことは到底不可能だった。
それに、坂井と一緒に直撃を受けた新兵の体は全身が焼けただれ、一目で蘇生は無駄なことはわかった。
一人生き残った坂井だったが、背中全面に大やけどを負い、生死の境を彷徨うことになった。
当然、訓練を強行した艦長を始め、第一艦隊は査問会議にかけられ、
「雷鳴が聞こえたにも拘わらず、訓練を実行し、殉職者と負傷者を出した責任は重い」
との結論が出され、艦隊の司令長官は罷免。艦長の稲田大佐も閑職に回された。
この事故は、お召し艦比叡で起きた事故でもあり、公にはされず、海軍内部で処理されたが、結論としては厳しいものであった。
死んだ三人の兵隊は、海兵団を出たばかりの新兵が二人と、二年目の二等水兵で、坂井を除く三人は殉職扱いとなった。
坂井は、即、横須賀の海軍病院に入院となり三ヶ月間の療養を取ることになった。一時は、危ない状態だったが、持ち前の頑健な体が幸いして命を取り留めると、若い故に回復も早かった。
坂井が唯一、現場を知る人間として海軍省事故調査官から当時の状況を聞かれたが、
「雷鳴は、まだ遠くにあり、もう一回の運搬は可能だと判断しておりました。しかし、急に稲妻が走り、比叡の後部甲板付近に直撃したような音が響くと、息を吐く暇もなく、次の稲妻が私を、いや、私たちを襲いました…」
「それは、真っ直ぐ、私たちを直撃するかのように見えたのです」
「そして、ドーン!という大音響を耳にしました。私が覚えているのは、そこまでです」
そう答えた。
この証言が決め手となって、艦長は退役を免れたということだった。
坂井にしてみれば、あの時点での艦長の判断は間違いではなく、あの稲妻は予測できないものだった。
そのとき、坂井の後ろポケットには、海兵団卒業時に戴いた恩賜の銀時計が入っていたが、不思議なことに、この銀時計には傷一つなく、戦闘服の上着は焼けただれたが、ズボンはまったく焼け跡ひとつ付いていなかった。
少し大きめの巾着袋に入れていた銀時計は、坂井が手術を受けている間も、自分の私物の箱の中でコチ、コチ…と時を刻んでいたである。
「やはり、この時計は自分のお守り時計だな…」
そう思い、それからは、いつも自分のポケットに忍ばせていた。
ガダルカナルで墜落した時も、銀時計は、飛行服のズボンのポケットに入っていた。
菅野から「時空を超えて来たのかも知れない…」と言われたが、それでも絶望しなかったのは、この「銀時計」があったからかも知れない。

坂井が航空兵を志したのは、この海軍病院での入院がきっかけだった。
それは、自分のベッドの隣に、同じ位の年齢の航空兵がいたからである。
その男は、安西飛行兵長と言った。
安西兵長は、予科練の飛行実習中の事故で入院していたのだった。
このころ、海軍飛行予科練習生は、横須賀に本部を置き、ここで飛行訓練が行われていたが、少数精鋭だったために、あまり少年航空兵を見る機会はなかった。
歳が近いこともあって、お互いに気が合い、何かと面倒を見合う戦友のような関係になった。
坂井は背中の火傷が主な傷だが、安西は、左足を複雑骨折していた。
どうも安西兵長は、飛行訓練中に僚機と接触事故を起こして緊急不時着し、九死に一生を得たということだった。
それも、僚機を操縦していたのは同期の予科練生で、この練習生が着陸時の確認を怠り、先に着陸態勢に入っていた安西機の尾翼にぶつけたのだ。
乗っていた九三式中間練習機は、失速し操縦不能状態に陥ったが、安西兵長は、これまでの訓練の賜物か、飛行機を立て直して、やっとの思いで着陸したが、速度がつきすぎていて、そのまま横転したとのことだった。そして、その不時着の代償として、「左足複雑骨折」という重傷を負ったのだ。
そんな安西だったが、坂井が戦艦勤務だと聞くと興味を持ったらしく、二人は、それぞれの境遇を話し合った。
安西は大阪の出身で、希望は「急降下爆撃機」ということだった。
坂井は、戦艦の様子を話すと、その替わりに安西は飛行機の操縦のことを教えてくれた。そして、最後には、坂井を説得するのだった。
「なあ、坂井。予科練じゃなくても操縦練習生という制度があるんだ」
「要するに砲術科から飛行科への転科になるんだが、飛行機はいいぞ。だって、大空に上がれば後は自分の思うままに飛べるんだぜ…」
「大空には上官もいないし、やることはひとつ。敵機を墜としたり、敵艦を撃沈したりすることさ…」
「俺は、高度1000mから思いっきり急降下して、250㎏爆弾を敵艦にぶち当てたいのさ。なあ、いいだろう」
「戦闘機では、所詮、小さな戦闘機を数機撃墜するだけだが、急降下爆撃なら、一撃で敵艦を沈めることだってできるんだ。俺は、大戦果をねらうよ…」そう言って、大笑いをするのだった。
坂井もあんな大変な訓練をしても、所詮は大砲を撃つまでになるには時間がかかる。それに、このけがで三月も休んでしまった代償は大きい。
上官からは、「気にせず、よく治療に専念せよ…」と言われたが、せっかく、海兵団を首席で卒業して出世も一番早かったのに、これでは、かなり順位は下がるだろう。それなら、いっそ大空に挑戦するのも悪くないな…と安西がいう「大空は自由だ」という言葉に、魅力を感じたのだった。
それからは、病院で空いた時間には安西が持ってきてくれた参考書を借りて勉強を始めた。
入院患者は、診察と治療、リハビリが終われば、特にやることもない。
もちろん、二人とも退院後のことを考えて体力づくりには励んでいたが、それでも時間は余る。
そこで、空いた時間は勉強をすることにしたのだ。
安西は、ほぼ完治し、間もなく原隊に復帰する予定だったが、坂井は後ひと月はリハビリが必要だった。
背中の火傷は、概ね皮が再生されたが、どうも背中が突っ張るような感じがして痛みもまだ残っていた。
それを何度も繰り返して動かすことで、再生した皮と背中の肉を馴染ませるのだそうだ。
それでも、毎日、何度も薬を塗り、包帯をされて過ごすのは、気持ちのいいものではない。それに、一等水兵の階級では、上級者に敬礼をしなければならず、面倒で仕方がなかった。
ただ、頭に障害はなかったので、安西が驚くほどに勉強が捗り、安西が、
「へえ、坂井はよくできるな…」
「これなら、予科練でも即合格間違いなしだ。後は、比叡に戻ったら飛行科を訪ねるといいよ。飛行科の搭乗員なら、便宜を図ってくれると思うぜ…」
そう言って、先に退院して行った。
その後、安西兵長とは会う機会はなかったが、聞いたところによると、安西は、希望どおり急降下爆撃の搭乗員となった。
そして、真珠湾、そしてミッドウェイ海戦に参加し、敵空母に急降下爆撃を敢行し、壮烈な戦死を遂げたとのことだった。
坂井がそれを知ったのは、ラバウルでの航空戦が激しくなってきた頃だった。転勤してきた同じ一飛曹に安西の同期がいて、話を聞くことが出来たのだ。
もう一度会いたい戦友だったが、きっと、思い切りのいい急降下爆撃を見せてくれたに違いない。
ラバウルの空を見上げながら、坂井は少年時代の安西兵長を思うのだった。

坂井が、戦艦比叡に復帰すると、安西の助言の通りに、まずは、自分の分隊の分隊士に相談してみた。分隊士は、海軍兵学校出の中尉で、山本健と言った。
山本中尉は、温厚な人柄でよく部下の話を聞いてくれた。
坂井が、自分の希望を伝えると、
「そうか…。坂井は飛行機に行きたいのか?」
「まあ、俺もそう考えた頃もあったが、適性が無くてな…」
「ああ、わかった。俺から分隊長に話しておくよ…」
それから話はトントン拍子に進み、分隊士から飛行科の山崎仁中尉に話が行き、操縦練習生試験の手続をしてくれたのだった。
実は、この話には裏があり、戦艦比叡では、あの事故のことが尾を引いており、「お召し艦」を他艦に譲る話まで出ていたのだ。
一人生き残った坂井が証言してくれたお陰で艦長の予備役編入はなくなり、不可抗力が認定されたのだが、それでも「不吉艦」としての汚名だけは残った。
比叡の幹部にしてみても、このまま坂井を残しておくのは、どうも具合が悪い…ということで、転勤の話が出ていた矢先に、本人から飛行科への転科の希望が出てきたのだから、これ幸いである。
そこで、上層部が動いて、操縦練習生試験を受けられることになったのだった。
後から聞く話では、転科話をすると、とかく、今の分隊で虐められ、追い出されるようにして出て行くらしいが、坂井にとっては、幸いだった。
横須賀海兵団首席で、優秀の折紙のついた坂井は、操縦練習生の難関の試験も無事に合格することができた。それも、合格者の一番である。
試験官も、
「これなら、海軍兵学校でも合格間違いなしだな…」
と評価したが、比叡の雷事件の当事者だと知ると、だれもが口を閉じてしまった。やはり、「訳あり」の兵隊をエリート将校にするわけにはいかなかったのだろう。
坂井にしてみれば、そんなことは関係のない話で、勇躍、安西のいた横須賀航空隊に操縦練習生として赴任したのだった。
このときも、坂井のポケットに、あの銀時計がしまわれていたのは、言うまでもない。

第3章 帝国警備「坂井小隊」

菅野は、坂井直が未だに記憶が戻らず、処置に困っている…と警察に連絡し、明誠大学医学部付属病院長に報告した。
院長は、
「で、どうする?」
と菅野の意見を待った。
菅野は、これまでの経緯を語り、
「どうでしょう。本病院で経過観察ということにして、何か仕事を与えては…?」
「仕事…。何かあるかね?」
菅野は、この言葉を待っていたかのように、
「そうですね…。体は極めて頑健のようですので、本人の親族なりが分かるまで、本病院の警備を委託している帝国警備さんに任せては…?」
「帝国警備の橋本社長なら佐藤理事長も懇意にされていますし、正式でなくても契約社員としてなら構わないでしょう」
とにかく、時空を超えて来た英霊を放置することも出来ず、戻る機会があるまで菅野は、自分で面倒を看ようと覚悟していた。
それに、病院の寮なら空き部屋もあり、好都合だった。
それも院長に話すと、
「そうか…。だが、私は君の話を100%信じたわけではないが、身元不明者を預かってくれるところもないからな…」
「まして、君が言うとおりなら、彼は英霊だ。粗末な扱いは出来んしな…」
そう言うことで、話はまとまった。

この夜のうちに都子に電話をした菅野は、
「まあ、行きがかり上、そういうことになったから…」
「それで、もし、よかったら、秘密を共有している仲間として、彼の保護を手伝ってくれないかな…」
都子は、少し考えるふうだったが、
「はい、わかりました。坂井さんの面倒は、私も引き受けます」
そう言ってくれた。
菅野にしてみれば、面倒を看ると言っても、衣食住のことになると女性は頼りになる。まして、藤間看護師は、患者の受けもいい…。
まあ、自分たちの患者だと思えば当然なのだが、「時空を超えた英霊」となると、どう扱っていいのか正直分からなかった。

翌日、早朝7時に朝の食事が出された。
献立は、味噌汁とご飯、それに塩鯖の焼き魚が付いた。
脇には、ほうれん草のお浸しと梅干しが一つ付いている。
ご飯は、都子の指示で大盛りによそられていた。
坂井は、
「こりゃ、朝からご馳走ですね…。私の好きなものばかりです」
そう言うと、パクパク…と気持ちのいいくらい大きな口に米の飯を放り込むのだった。そして、
「出来れば、納豆が食べたいです。南じゃ、納豆は出ませんので、しばらく口にしていません…」
そう言うと、都子が、
「なあんだ、納豆ですか。そう言えば、坂井さんは福島ですもんね。納豆は、私も大好きですよ…」
と言って、場を和ませるのだった。

取り敢えず、退院の手続をするために、菅野が坂井の胸に聴診器を当て、脈を測った。
どれも正常で、「退院に問題なし…」という結論をカルテに記入するのだった。

食事を終えると、菅野と都子は、テーブル席に坂井を促し、今後のことについて説明をした。
坂井は、下を向いたまま唇を嚙んでいたが、それを素直に了承した。
「菅野先生、申し訳ありません。とても迷惑をかけているようで恐縮です…」        「ただ、私も出来ることなら、元の時代に戻り、もう一度戦いたいと願っております」
「今でも、私の仲間が戦場で戦い、命を散らしているかと思うと、本当は、飛んでいってやりたいんです。でも、このざまでは、どうしようもない…」
「ただ、私も一度は死んだ人間です。悪足掻きはいたしません。どうぞ、先生方のいいようにしてください。お願いします…」
そう言って、深々と頭を下げるのだった。
都子は、
「でも、戻るということは、また、命を捨てる覚悟をすることなんですよ…」         「私たちは、その命を守るために日々働いて…」
そこまで言うと、都子の眼に涙が浮かんだ。
それを見た坂井は、
「も、申し訳ありません…」
「でも、私は軍人です。私が戦わなければ、日本の国民が死ぬんです…。だから、私は戦います。どうか、私を元の世界に戻してください」
坂井は、女性としての都子の気持ちはよく理解出来た。しかし、これは理屈ではない。     戦いは、始まってしまった以上、人の力で止められるものではないのだ。
自分は自分の責任を果たさなければならない…。
坂井にとって、それを譲ることは、死ぬこと以上に辛いことだったのだ。

菅野は、思いがけない展開に戸惑ったが、それが二人の正直な気持ちなら、無碍にどちらかを否定することはできなかった。
時代が違うのだ。
そんな過酷な経験をしたことがない現代の我々に、何も語る資格はないのだ。だが、都子の女性として、看護師としての気持ちを考えれば、人として間違ってはいないし、当然の感情なんだろうと思うのだった。

菅野が坂井を連れて寮に戻ったのは、坂井の頭の傷が治り抜糸もすんだ翌日だった。      頭の傷は、その場の処置がよかったのか、特に化膿することもなく傷口もしっかり塞がっていた。まあ傷跡は残ったが、「男の勲章」だと思えば、そう恥ずかしいこともない。         坂井は、自分の手で傷口を触れてみると、既に肉が盛り上がり、触ると少し痛みはあったが、それも次第に消えていくだろう。それに、自分の自慢である視力が落ちなかったことが有り難かった。        (これで、また、戦闘機に乗れるな…)                          そう思うだけで、心が弾むのを抑えられなかった。                     ただ、それがいつになるのか…だけが心配だったが、当分は、気にしないようにしていた。   そもそも戦闘機乗りは、物事に拘っていては、戦場で生き抜くことは難しいと言われている。  これまで、ベテランといわれる搭乗員は、だれが戦死しても湿っぽくなることを嫌い、戦死者に線香のひとつもあげると、後は、いつものように冗談を言い、飯だ、風呂だ…とワイワイ騒ぎながら寝てしまうものだった。それをいつまでもくよくよしたり、反省ばかりしているような男は、間違いなく次の戦闘で還っては来なかったのだ。だから、坂井は、自分の身に何が起ころうと、深く考えようとはしなかった。それが、長く生き残る術だったのである。

菅野は、坂井の退院を祝うと、気楽な口調で話しかけた。                 「この寮は、もう、あまり住んでいないんだよ。みんな、洒落たマンションがいいらしくて…」「まあ、埋まっているのは三分の二くらいかな…」                     そんなふうに言われても、坂井にしてみれば、まるで海軍の将校が使うような立派な寮に思えてならなかった。                                      昭和の初め頃は、こんな立派なコンクリートの建物は少なく、ほとんどが木造だった。それに、東京に出来た「アパートメント」と呼ばれた住宅は、かなりの収入の人間しか入れない…と聞いたことがあった。一度、その写真を見たことがあったが、それでも、ここよりもう少し手狭のように見えたものだった。                                    坂井が、                                       「いえ、こんな将官クラスが入るような住宅は、私には、贅沢過ぎます…」          と恐縮したが、菅野にしてみれば、それも驚きでしかない。                 菅野は、                                       「まあ、そう言わずに、上の階には私もいるので遠慮しないでくださいよ…」         そう言って、部屋を案内するのだった。                           菅野が部屋を見ながら、                                「これから、家財道具も用意しなくちゃならないからね…」
そう言うと、坂井は、
「私は特に必要な物はありません。布団と日用品さえあれば結構…」
「病院にいたときのような贅沢をしたことがありませんので、勘弁願います」          頑固にそう言い張るのだった。
そこに、都子が細々とした台所用品などを大きなレジ袋に三つ分も持ってきた。
「ちょっと、ホームセンターで買って来たわよ…」
そう言うと、こちらが何か言い出す前に、台所を片付け始めるではないか。
それを見ていた坂井が、
「藤間さん、ありがとうございます…。でも、自分で出来るので…」
そう言う間もなく、都子は、どんどんと拭き掃除を始め、二人に口出しをさせずに進めていくのだった。そして、
「そうそう、後で布団が届くから、それ使って…」
「私の家で、余っていた布団だから気にしないでね…」
こうなると、女性は強い。
この日の夕方までには、すべて準備が整い、いつの間にか食器棚からテーブル、冷蔵庫、ラジオ、座布団の類いまで用意され、落ち着いたころに、宅配の寿司が届いた。
とにかく、都子はやることが早い。
坂井は、恐縮して、
「こんな贅沢品、私には勿体ないです…」
と言うのだが、都子は、
「これは、この時代では普通です。それに、こういうことは、女がやった方がいいの!」
「坂井さんも菅野先生も男性だから、家事のことは、あまり分からないでしょう…」
「でね。食事は私が夜来て用意します。ご飯は鍋でも炊けるから、炊飯器は買わなかったわ…」
そう言うと、寿司桶の寿司をパクパクと口に放り込むのだった。
坂井もご馳走になったが、下士官の身で生の寿司を食べることは稀で、その美味しさに驚いたが、あまりの旨さに手が伸びるのだった。そして、心の中で、(日本の未来は幸せなんだな…)と思うと、少し安心できた。

翌日、菅野は坂井を連れて「帝国警備株式会社」の社長室を訪ねた。
既に院長から電話を入れてもらっており、すぐに契約社員として採用して貰えることになった。
「事故の記憶が戻らないので、治療のためにしばらく病院で預かることになった…」
ということにしておいてくれたので、しばらくは大丈夫だと思う。              坂井の着る服は都子が調達してきており、スーツとネクタイは、菅野の若い頃の物を着て貰うことになった。
少し大きめではあったが、着れないことはない。
靴だけは新調したが、こざっぱりすると、精悍な坂井がさらに精悍に見える。さすがに本物の海軍軍人だけに、その姿勢のよさが際だって見えた。
「こんなに精悍な若者は、珍しいな…」
「何かやっていた人ですか?」
社長の橋本隆二も驚いて眼を見張った。
側にいた警備部長の須藤謙治が、
「はい。履歴書には、柔道、剣道、銃剣道、相撲等のスポーツ歴があるようです…」
と口を添えた。
この履歴書も、菅野が坂井に話を聞いて、多少、色をつけて書いたものだった。
確かに、正直に生年月日や軍歴を書いても信じて貰えるはずがなく、その辺は菅野の創作である。
すると、橋本社長が、
「じゃあ、一度、実力を見せて貰いたいな…。その上で、採用としよう」
と言ってきたので、菅野が、
「えっと、それはちょっと…」
と口ごもったが、坂井は、困った様子もなく、
「はい。結構です。こちらも警備を専門とする会社ですから、それは当然でしょう…。こちらから、願います」
そう言うので、すぐにでも道場で…ということになってしまった。
菅野が坂井に、「大丈夫ですか…?」と囁くと、坂井は、
「まあ、少し手加減してやりますよ…」
そう言って、にやりと笑みをこぼすのだった。
それを聞いて、菅野は安心するというより、余計に不安になったのが正直な気持ちだった。
(いやあ、ここの警備部は猛者揃いで、訓練も半端じゃないからな…)
そう思いながら、社長について行くのだが、当の本人は、けろっとした顔をしているのだ。

帝国警備の建物の地下には、トレーニングジム、サウナ、大浴場、それに柔道場と剣道場が設けられていた。
東京の警備会社の中でも、これだけの設備を誇る会社は少ない。
そのためか、帝国警備は、首都圏を中心とするエリアの半分以上の企業と契約していた。
警備員(ガードマン)には、制服組と私服組があり、警備を担当する社員は、全員、格闘系スポーツの有段者である。それも、三段以上の実力が求められていた。
坂井に段位を尋ねると、
「そうですね。柔道は講道館二段、剣道は武徳会のやはり二段です…」
と言うものだから、部長の須藤は、
「じゃあ、うちの連中の方が上ですね…」
と嬉しそうだった。
取り敢えず、今回は「柔道」で…ということになり、坂井は借りた柔道着に着替えると、畳の上に上がった。
ちょうど、帝国警備の柔道部が20人ほどで練習中であり、須藤部長が部員に声をかけた。
「いいか、聞いてくれ!」
「今日から契約社員として入った坂井直さんだ。少しだけ、稽古をさせてもらうので、相手をしてやってくれ!」
「今日は、社長もお見えだ…」
すると、部員の間から少しざわめきが起こった。
やはり、稽古を社長が見るのは珍しいのだろう。
それに、ここの柔道部は、実業団大会でも常に上位に入る実力者揃いで、国体選手やオリンピック候補選手も輩出していた。
坂井が、「願います…」と挨拶すると、早速、副部長の柴田という警備長が名乗りを上げた。
「じゃあ、坂井さん。私と少しやってみますか?」
そう言って、坂井を畳の中央に誘うのだった。
部員たちは、自分の稽古を止めると脇に移動して正座した。
部員たちの顔は少しにやついていて、(実力はどうかな…?)と、坂井を値踏みしているようだった。
須藤部長は、
「ああ、大丈夫だよ。みんなも稽古をしていてくれ…」
と言いかけたのを、橋本社長が静止し、
「いいじゃないか。試合を見せて貰うよ…」
その一言で、副部長の柴田四段と坂井が試合をすることになった。
それを聞いて菅野が驚いたが、坂井は、何でもない…というふうで、無言で畳の中央に歩いて行くのだった。
体つきは、柴田の方が大きく、坂井は小柄で細くさえ見えた。
ところが…である。
中央で挨拶し、二人が対峙するや否や、柴田の動きがぎこちないのだ。
「おい、副部長、遠慮はするな!」
と周囲から檄が飛ぶが、柴田は、すぐに組むこともできないでいた。
坂井は、余裕の構えで、相手をじっと観察しているようだった。
周囲の声に押されるように、柴田が前に出て坂井の襟元を掴んだ。
すると、坂井も柴田の胸元を握ると、軽い稽古でもしているかのように、柴田がクルッと回転して畳に叩きつけられたのだ。
驚いたのは、柴田だけではない。
周囲の部員たちは、
「副部長、試合ですよ。試合…!」
と声をかけると、柴田は頭を振りながら、もう一度、坂井の胸に飛び込んだ。
今度は、柴田の大外刈りが決まったかに見えた、そのときである。
坂井は、それを軽く空かすと、そのまま逆に体落としをかけ、柴田を宙に放り投げてしまったのである。
「まいった…!」
柴田は、完全に戦意を喪失して、手で坂井を制し、畳に頭をつけた。
一番驚いたのは、警備部長の須藤である。
「柴田、何やってんだ。それでも国体選手か!」
と怒鳴ったが、それを制したのは、橋本社長だった。
橋本は、
「やはりな…。坂井さんは、会ったときから只者ではないと思っていたよ」
そう言うと、静かに拍手を送るのだった。
橋本社長は、既に70近くになっており、元は海軍の特攻隊の生き残りだと噂される人物だったのである。
実際、橋本は学徒出陣で日本大学から海軍予備学生を志願し、水中特攻隊「回天」の搭乗員だった人物であった。
終戦間際に潜水艦で出撃し、敵と遭遇できないまま終戦を迎えた。それも、出撃は二度目だったそうだ。
橋本は、呆然とそれを見ていた菅野に、
「この人は、昔であれば筋金入りの海軍軍人だよ。どこで身につけたかわからんが、あの体全体からオーラのように出ている殺気は、今時の柔道家では、話にならんよ…」
「あれは、実際に何度も実戦を潜り抜けた人間の為せる技だな…」
そう言うと、菅野を見た。
菅野は、眼を合わせることなく知らぬ振りをしていたが、橋本は何も聞かず、
「菅野先生。いい人を紹介していただきました…」
そう言うと、菅野は、須藤部長をお供に社長室に戻っていくのを頭を下げて見送るのだった。

社長の計らいで、坂井は主に夜間の明誠大学付属病院の警備を任されることになった。
ここでは、4人で一チームを作り「バディ」を組んで建物を巡回するのである。それを3チーム24時間体制で警備するのだ。
夜間警備は、夜の11時から朝の7時までの勤務である。
深夜のために、シフトを組んで行っているが、なかなか辛い時間帯であった。しかし、坂井は、それを自分から志願してチームに入ったのである。
早速、須藤部長は、坂井をチームのリーダーに指名した。これは、当然、橋本社長の指示によるものである。
帝国警備では、このチームを「小隊」と称し、リーダーは「小隊長」と呼ばれていた。
ここに、坂井小隊と坂井小隊長が誕生したのである。
坂井は、契約社員ではあったが、その実力を認められ、「警備長」として採用して貰っていた。
坂井小隊は、小隊長に坂井直警備長に本田勇二上級警備士、佐々木章警備士、矢沢守警備士の4人で構成されたチームとなった。
坂井は、一番初心者の矢沢とバディを組み、本田が佐々木と組んだ。
4人は、決められた時刻に「定時巡回」を行い、病院内のすべてを決められたルートで回ることになっていた。中には、自由に巡回する「不時巡回」が課せられる場合もあったが、基本は「定時巡回」である。
それ以外が、病院1階の「警備室」に詰め、モニターで全館をチェックしていくのである。
もちろん、警報装置は各階に取り付けられており、発報音が響くと、ひとつのバディが急行し、もうひとつのバディは、警備室のモニターから指示をすることになっていた。
万が一、大きな事件や事故の場合は、警備室のボタンを押すと、即、警察署と警備会社本部に通報され、緊急出動となるのだ。
坂井は、このシステムを見せられ、目が飛び出る程に驚いた。
もし、このシステムが軍艦に設置されていれば、伝声管などを使うより、より速く、より確実に対応できるのだ。そして、改めて自分がとんでもない世界にいることに驚かされていた。しかし、それに即座に順応出来るのが坂井の強みだったかも知れない。
坂井は、取り敢えず、そのシステムを頭に入れると、行動を開始した。
坂井は、他の三人よりも夜目が利く。
いつも明るい世界だけで暮らしていると、人間の能力は低下するらしい。
警備士たちは、すぐにライトと点けたがるので、極力点灯を止め、夜目に慣れる訓練を行った。
最初は怖がったり、何も見えない…と混乱したりもしたが、坂井が平気で闇の中を歩くので、付いていっているうちに、三人もどうにか暗い廊下を歩けるようになっていた。
坂井にしてみれば、ビルの中は小さな非常灯などがあり、どこにも闇はない。それを闇と感じてしまうから照明が必要となるのだ。
戦闘機では、夜間飛行訓練や夜間着陸などを行うが、僚機の翼端灯の仄かな灯りだけで水平飛行をするのだ。
慣れてくれば、夜間の編隊飛行も苦にならなくなる。
それに、航空母艦への夜間の着艦は、まるで仄かな蛍の灯りを求めて航空母艦の甲板に降りるようなもので、現代人ではまず無理だろう。
坂井は、少しでも戻ったときに困らないよう、暗い中で生活を送ることにしていた。

そんな勤務がひと月も過ぎた頃である。
病院内に不審者が出没する事案が発生した。
何かが盗まれたというわけではないのだが、夜間、人が廊下を歩く気配がする…と看護師に訴える患者が増えてきたのだ。
確かに、防犯カメラには黒い人影が何カ所かで見つかっているが、それが特定できなかった。
警察に相談しても「実害がない…」とのことで、警備会社に、その事実確認をするよう依頼があったところである。
坂井は、その防犯カメラの映像を見ると、あることに気がついた。
この影が歩く場所は、大体、3階が主で、時々、4階に影が映ることがあった。そして、どうも、カメラの位置が分かっており、それを避けるような動きをしていることに気がついた。
それにしても、この影は、闇の中をよく灯りもなしに歩けるものだ…と坂井を除く三人は感心するばかりだった。

それは、ちょうど坂井小隊が夜間の当番に当たった日のことである。
坂井は、この日が来たら、試してみたいことがあった。
それは、戦闘でいう「陽動作戦」である。
まず、定時巡回をした後に、坂井のバディが、3階の空き病室に潜むのである。当然、防犯カメラにかからないように移動する必要がある。そして、ライトを一切用いず、暗闇の中で移動し待機するのだ。
これまでの経緯からすれば、影が映るのは、午前1時過ぎの時刻に決まっていた。そして、およそ1時間くらいの間で、影が映ることがあった。
カメラには全体像は映っておらず、それが人間であるかどうかもわからない。
場合によっては、外の樹木の影がカメラに映り込んでいる可能性もないではない。
坂井たちは、それを確かめるべく、その日は巡回にライトを用い、特に3階と4階のフロアを全部念入りに点検を行った。
午後11時の時点では、異常が認められなかった。そして、全員が警備室に戻り、カメラで監視を続けていると思う隙に、密かに坂井と矢沢が3階の空き病室に忍び込んだのだ。
坂井は矢沢に、
「いいか、物音に耳を澄ませろ…」
「今日あたり、何かが起こる可能性がある…」
「もし、何かと盗もうとしているのなら、可能性があるのは、4階の保管庫しかない」
「確か、あそこには最新の医療データが揃っているはずだ…」
この時代、まだ、ノートパソコンは普及しておらず、コンピュータは、固定式の大型コンピュータしかなく、そのデータは、フロッピーディスクで管理されていた。
ただ、この保管庫の鍵は、院長室と総務部の執務室にしかないのだ。
もちろん、警備室にはマスターキーが保管されていたが、これを取り出せるのは、警備長以上の幹部だけである。したがって、今日もそのキーは坂井が持っていた。
もし、この鍵のどちらかがコピーされて、この影の主が持っていたとしたら、必ず保管庫にやって来るに違いない…と坂井は睨んでいた。
だが、ライトを点け、足音を響かせながら巡回したのでは、影に気づかれてしまう。そこで、普段通りに巡回した後に、足音の立たないようにゴム靴に履き替え、3階の空き病室に入ったのだ。
影は、いつも3階から4階に移動している。
直接4階に上がることも出来るのだが、それでは、建物の構造上、防犯カメラに映ってしまうのである。
坂井は、一度3階に来るのは、3階から外階段を使い4階に出ようとしているのではないか…と考えた。
シュミレーションしてみると、この方法なら防犯カメラに映り込む可能性はかなり低くなることがわかった。しかし、絶対に映らないというわけではない。そこで、影は、ライトを用いず、暗闇の中を忍者のように移動する術を身につけた者の仕業かも知れなかった。
坂井くらい夜目が利けば、それも可能だろう。
間もなく、時計の針は午前1時を指す時刻になった。
坂井と矢沢は身構えたが、物音ひとつしない。
10分が過ぎても、特に変化は認められなかった。
「坂井小隊長…、今日は、影は来ないのではないですか…?」
矢沢がそう呟くのを、坂井は首を横に振って制止した。
そして、それから10分程が過ぎたとき、3階の奥の扉が開くような微かな音が聞こえた。
今日は、風が強く吹き、木々が揺れる音や葉が擦れるような音、風が空気を斬り裂くような音が聞こえ、扉の音に反応できたのは、坂井の耳が特に優れていたからである。
坂井は、自分の戦闘機のエンジン音の微妙な違いを的確に聞き分ける力があった。
以前、大陸で戦っていたときも、九六式艦戦のエンジン音が変化したことに気がついた。
ちょうど、離陸した直後で、坂井が耳をそばだてると、ブーン…!という中島飛行機製の「寿二型」エンジン音が、ブーン…ッ!と変わったのだ。
もう一度確かめると、また、それが聞こえた。
坂井は、僚機にバンクを振って「エンジン故障!」を伝えると急いで基地に引き返したのだった。そして、着陸態勢に入ったとき、エンジンから真っ黒な煙が出たかと思う間もなく、やはり黒いオイルが前の遮風板にかかり、操縦席が風防で覆われていないために、坂井は真っ黒なオイルまみれになってしまったのだ。
「まずい…!」
そう判断した坂井は、すぐにエンジンを切り、プロペラが止まった状態で滑空し、飛行場に滑り込んだことがあった。
幸い、気づくのが早かったために、基地に戻ることができたが、もう少し遅ければ、不時着は免れないところだったのだ。それに、あのままエンジンを回していれば、間違いなく火災が起きて、坂井は、火達磨になって戦死していただろう。
それだけに、些細なエンジン音の変化を見逃さない緻密さが坂井にはあった。
今日も、これほどの強風が吹く中で、ほんの小さな扉の開く音に気づいたのは、訓練の賜物だった。
坂井は、
「来た!」
「だれかが、3階の外に通じる扉を開けた…」
「矢沢は、このまま待機。無線で、警備室に知らせろ。そして、警察と本部にも通報するんだ…」
「いいな…!」
そう言うと、坂井は足音を忍ばせて4階へと向かうのだった。

4階に上がると、間違いなく影はいた。
その影は、黒い装束を身に纏い、保管庫の鍵を開けると中に入って行くではないか。
(よし、これで間違いない。不法侵入で現行犯逮捕だ…)
そう思いながら、見張りを続けた。
そのときである。
保管庫の中で、何か物音が聞こえた。
ひょっとすると、影は、保管庫のコンピュータを破壊するかも知れない。
そう考えた坂井は、腰に下げた特殊警棒を取り出し、保管庫のドアをけり開けた。
ガーン…!
という音は、病院中に響き渡った。
そこに、黒い影が慌てて飛び出して来るのが見えた。
坂井と影がぶつかる寸前に、坂井は身を躱して影の足を思い切り蹴った。
バーン!
という音と共に、黒い影は廊下に跳ね飛ばされ、壁に強かに体をぶつけたようだが、それでも必死に逃げようとするので、坂井は、影に飛びつくと、警棒を思い切り、その左腕に振り下ろした。
ゴン…!
という鈍い音が聞こえ、影の体から力が抜けるのがわかった。
どうやら、強烈な痛みのために、声を出す間もなく、ショックで気を失ったらしい…。
そのとき、病院内のすべての照明が点灯した。
坂井が特殊警棒を腰のホルダーにしまい、影の方を見ると、そこには一人の男が、黒装束を着たまま、白目を剝いて横たわっていた。

そこに、下の階から本田や佐々木、そして通報した矢沢が駆けつけてきた。
表では、パトカーのサイレン音が響き、病院の周辺は深夜にも拘わらず、大騒ぎになっていた。
こうして、影の男は住居不法侵入と器物破損の罪で警察官に逮捕されたのだった。
男の名は忘れたが、元自衛官で、かなり特殊訓練を受けた人間だったようだ。だが、後で聞くと、坂井が蹴り上げた足は、かなりの打撲傷を負って青黒く腫れ上がり、特殊警棒で殴りつけた左腕は、酷い打撲の上に骨折まで負っていたとのことだった。
男は、やはりプロの窃盗犯で、警視庁からもマークされている男だった。
今回は、保管庫にあるデータを盗み出し、それをブローカーに売り渡すつもりだったようである。
このころの医療技術は日進月歩で、医学者たちは、新しい治療法や特効薬の開発に余念がなかったのだ。
明誠大学付属病院は、日本屈指の医学研究所を持ち、一流のスタッフが揃い、その機材も日本有数の設備を誇っていたことから、ねらわれたのだろう。
坂井は、保管庫の中にある新型コンピュータが破壊されるのではないか…と危惧して飛び込んだが、そうではなくて、この犯人が暗闇の中で椅子につまずいただけのことだった。
だから、データを盗む前に坂井に見つかり、逮捕されたというわけなのだ。
この一件で、坂井小隊は会社から「社長賞」と報奨金を頂戴することになり、それが社内報に掲載された。
マスコミの方は、取り押さえたのが警備会社の警備員だったこともあり、記事に坂井の名が載ることはなかった。
こうして、坂井は「警備のプロ」として、首都圏の警備会社では話題になったのである。

第4章 銀時計の秘密

実は、坂井は警備会社に就職下の後も、あの銀時計をポケットに忍ばせて肌身離さず身につけていた。
最近は、警備員として制服を着用する機会が多いので、ベルトに装着している革の小物入れに入れて持ち歩いていた。
あの窃盗犯を逮捕するときも、そこにあったのだが、夢中になっていて、銀時計を触ることを忘れるくらいだった。
坂井は、以前から戦闘が始まる前に、この銀時計を触り自分の心を鎮めようとしていたのだが、最近は、それほど触る機会が少なくなっていた。
やはり、平和な暮らしが身につき、以前ほどの緊張感がなくなったせいかも知れなかった。
坂井にしてみれば、「いつでも戻る」覚悟で、質素な暮らしをしていたが、それでも、空襲もなく射撃音も響かない長閑な暮らしは、自分の張り詰めた神経を緩めるに十分な環境と時間だった。
自分では、「これじゃあ、だめだ!」と強く思うのだが、こればかりは思うようにならない。それが、坂井には歯痒くてならなかった。
最近、食事も自分一人で摂れるようになり、都子が寮に訪ねて来る日も少なくなっていた。
菅野医師は、それでも、ちょくちょく部屋に顔を出してくれるが、それは、坂井自身の戦闘体験を聞くのが目的らしく、自分で調べていてわからないところがあると、部屋に飛び込んで来て、
「坂井さん。ちょっといいかな…?」
と、数冊の書籍を持ち込み、当時の状況を詳しく聞いて帰るのだった。
それには、坂井も知らない事実がたくさん書かれていて、如何に自分たちが、何も知らないまま戦争をしていたことに愕然となった。
坂井が菅野に、
「本当ですか?」
と尋ねると、菅野は自分の知識だけでなく、その証拠になる記録を引っ張り出して坂井に見せるので、坂井自身も信じるしかなかった。
確かに、坂井にも腑に落ちないところは多々あった。
たとえば、ラバウルに移動命令が出たときも、みんなが口々に、
「おう、ラバウルってどこだ…?」
「まさか、南半球まで戦争に征くのか?」
「おい、冗談だろう。俺は、北国育ちだぜ…」
と冗談だか本気だか分からない会話を仲間としたことを覚えていた。
坂井も、
「まあ、仕方がない。命令だからな。俺たちは、命じるままに戦うのが商売だ…。考えるな!」
と注意をしたが、それにしても遠すぎることが気がかりだった。
それが、大消耗戦を招き、日本の敗北の原因になるのだから、「やっぱり…」としか言いようがない。

そんな休日のある日、白い飯を炊いて納豆で朝食を摂っていると、慌てた様子で菅野が部屋に飛び込んで来た。
入ってくるなり、
「坂井さん。ほれ、あの懐中時計、ちょっと見せて!」
そう言うのである。
坂井にとっては、お守り代わりの大切な品だから、断ろうとすると、菅野は、
「いや、ここに、そのことが書いてあるんだ?」
「確か、君は横須賀でこれを貰った…って言っていたよな」
そう言って、古い書籍のページをめくり、そこを読め…と指すのであった。 そこには、間違いなく、坂井が持っているのと同じような懐中時計の写真があるではないか。
坂井は食事を止め、
「ほう、確かにこれは、私のと似ていますね…」
「何か、いわれでも書いてあるのですか?」
話がよくわからない坂井は、ぼんやりと菅野にそれを正すと、菅野は「まず、落ち着いて聞いてくれ…」と前置きをして、説明をしてくれた。
坂井は、確かめるために、銀時計をテーブルの上に置き、話を聞くために、納豆をかけた飯をかき込んだ。

それは、ほんの偶然から見つけた資料だった。
菅野は、近現代史の研究が趣味で、子供の頃から、友だちと遊びもせずに本を読み漁っているような子供だった。ただ、勉強がよく出来たために、その趣味も大目に見て貰い、現在まで続いているのだ。
坂井がこの世に現れたときも、すぐに気づいたのは菅野だった。
その菅野が、再度、坂井の足取りを資料を基に辿っているときだった。
横須賀海軍ドッグの記事の中に、あるエピソードとして「銀時計」の話が出て来た。
それは、元海軍中将だった人が、人伝手に聞いた話…という但し書きがついていたが、こんな内容だった。

「この横須賀には、『幻の銀時計』という伝説が残されています。その銀時計は、ロンドン製で、実は幕末の勘定奉行小栗忠順が所持していたというものなのです。
小栗は、この銀時計をアメリカのニューヨークの骨董屋で求めたらしいのです。
1860年(安政7)、小栗は幕府派遣の使節団としてアメリカに渡りました。これは、日米修好通商条約に基づく詳細をアメリカ政府と交渉するための使節でした。
小栗は、この交渉の担当者として通貨の交換比率の改正に臨んだのです。
小栗の説明は論理的で非の打ち所のないものでしたが、不平等条約が当たり前の力関係の前に改定成功には至りませんでしたが、日本人の優秀さをアメリカ政府に認めさせた功績が大きかったようです。
その小栗ですが、一時、アメリカで行方不明となり、使節団は大騒ぎになりました。既にアメリカとの交渉は終わっており、実務に支障はありませんでしたが、指定されたホテルに夜になっても帰って来なかったのです。
もちろん、アメリカのニューヨーク市警にも依頼して探して貰いましたが、見つかりません。和装で刀を挿し、髷を結った風体ですから、情報が入らないわけはないのです。
ところが、小栗は翌朝、飄々と…という態度でホテルに現れました。
周りの者が、「どこに行っていたのか?」と尋ねると、「未来…」と答えるのみだったのです。
そして、小栗は親しかった通詞の原某に、「ちょっと、いい物が手に入った…」と見せたのが、銀製の懐中時計だったのです。その時計は、時々妖しく光、その通詞も驚いたそうです。「何処で手に入れたのか?」と聞くと、小栗は、「ああ、街の骨董屋さ…」と言うばかりでした。
その通詞が借りて手に取ってみると、裏に「london」の文字が眼に入り、ロンドン製だとわかったそうですが、小栗はそれを大事そうに袋にしまうと、「このことは、内緒にしてくれたまえ…」と言って、にやりと笑ったそうです。
その日から、小栗は急激に言うことが変わり、日本の近代化を熱く語るようになりました。そして、近代海軍を造るために奔走したのです。
もし、幕府があのまま小栗を重用し、幕府軍の指揮を執らせていれば、間違いなく幕府軍は新政府軍を圧倒したでしょう。それだけの策を小栗は考えていたのですから…。
ところが、小栗はその後新政府によって尋問されることなく、権田村の河原で家来共々斬首されてしまいました。
これで、小栗の話は終わりなのですが、実は、小栗の持っていた銀時計が出て来たのです。それは、明治中頃になって、横須賀鎮守府の長官室の机の中からでした。この机は、幕末に横須賀製鉄所を建設したときの所長室で使われていた物で、年代的にもかなり古い物でした。
もしかしたら、当時、視察に来ていた小栗が使ったのかも知れません。
だから、この机の中に、ロンドン製の銀の懐中時計が入っていたということは、小栗忠順の物だった可能性が高いのです。
発見された当時、この時計は桐生織の袋に入っていました。
桐生といえば群馬県です。小栗の知行地のあったところです。
ただ、その机の中にあった懐中時計が、いつの間にか紛失してしまい、今はどこにあるのかも分かりません。ただ、発見された当時、貴重な品だと思ったのか、この時計は、横須賀鎮守府の陳列棚に飾られていました。
出所はわかりませんでしたが、立派な物であることには違いありません。
そして、特徴的なのが、時々、ぼんやりと青白い妖しい光を放つことでした。でも、そのうち、その光も消えて、ただの懐中時計になってしまったようです。
その後、この銀時計は、見つかっていません。
戦争中の混乱の中で、どこかに紛れてしまった可能性もあります。
でも、そのときの机や陳列棚は、今でも海上自衛隊横須賀総監部で使われているはずです。建物がそのまま使われていますので、机だけ交換することもないと思いますよ」
こんな記事だった。
掲載されている写真は、白黒で、画像も粗いが、坂井が持っている時計に酷似していることは間違いない。しかし、懐中時計など、どれも似たような物で、この写真一枚で「そうだ!」と断定するのは無理があった。

菅野の話を聞き終えると、坂井は、この銀時計を下賜された経緯を話すことにした。
ひょっとしたら、そこに、自分が元の時代に戻れるヒントが隠されてるかの知れない…という淡い期待を抱いたからである。
坂井は、記憶を辿るように話し始めた。
「私がこれを戴いたのは、横須賀の海兵団を卒業するとき、首席の成績だったので、海兵団司令の猪熊大佐から直々に頂戴しました。
確か、首席の私だけが恩賜の銀時計で、その他の成績優秀者は銅製だったと思います。ただ、桐の箱を開けたとき、銀時計が新品ではなく年代物だったにには、驚きました。
人からは、「精工舎の銀時計だ…」と聞かされていたのに、時計の裏を見ると「london」の文字が刻まれていました。そして、どうして新品でなかったかは、わかりません。
まあ、海兵団の卒業式ですから、そんなに深く考えていたわけではないのかも知れません。たまたま、陳列棚にあった物を与えただけ…ということもありますから。
それから、この銀時計は私の「お守り」のようになりました。
なぜかというと、この時計は不思議なことに、時々、妖しい光を発するのです。それは決まってはいませんが、ひと月一回だったり、二月に一回だったりしましたが、間違いなく妖しい光を発するのです。そして、それが光ったときは、要注意なのです。
私も何度か危ない目に遭ってきましたが、この時計のお陰で命拾いをしてきました。
あのガダルカナルのときは、ポケットに入れたままで、その光に気づかなかったのです。いつもは、ポケットに入れておいても、そこだけが少し熱を持ち、ポケットの外に光が漏れるのです。
あのときの私は、燃料が少なくなる中で、敵機を見つけたことで、冷静な判断が出来なかったのだと思います。本当に不覚でした。
ですが、雷雲に飛び込み、機体に稲妻があたる寸前まで、この時計は間違いなく光っていました。
だから、これは私の勝手な推測ですが、あの光が私を助けてくれたのかも知れない…と今でも思っています。
時空を超えることで、私の命を救ってくれたとしたら、やはり、この銀時計は、私の「守り神」なんでしょう…」

改めて、坂井の話を聞いた菅野は、不思議な気持ちになったが、ひょっとしたら、小栗忠順も同じ経験をしたのかも知れないと考えた。
「そうか、小栗はニューヨークでこの銀時計を見つけたんだ。
そして、この古い銀時計はそのときも妖しい光を発していた。だから、小栗は心が惹かれて、それを購入したに違いない。そして、それをじっと眺めているうちに、何かの弾みで、銀時計の不思議な力で未来にタイムスリップしたのだ。
小栗は聡明な男だから、どういう現象かまでは分からなくても、自分が未来に立っていることに気づくのに、そう時間はかからなかっただろう。
そして、その未来の日本の姿を見たことで、徳川幕府が崩壊することを知り、急いで横須賀に製鉄所や造船所、ドッグなどを造る計画を立てたんだ」
「そして、また、この銀時計の力を借りて、元の時代に戻ったとすれば、辻褄は合う…」
「だけど、なぜ、幕府が崩壊すると、その銀時計を横須賀製鉄所の机の中にしまったんだんだろう…?」
「持っていれば、助かったのかも知れないのに…」
そこまで考えると、菅野は、改めて小栗の最期の様子を調べて見た。
すると、小栗の最期が見えてきた。
小栗は、将軍徳川慶喜が謹慎すると、自分の知行地である群馬の高崎に戻り、そこで農民のように暮らしていた…と書かれていた。
小栗ほどの人間なら、イギリスやフランスにも顔が利いたはずだ。それを頼った形跡もない。
淡々と戦争のことなど関係がない…と言わんばかりに、権田村から動かなかった。それは、まるで自分の最期を待っているかのようだった。
新政府軍が来ると、家来たちが逃げるように勧めるのを拒み、新政府軍の指揮官に、自ら「小栗です。ご苦労様です…」と挨拶をしている。
そして、数人の家来を制止し、即座に近くの河原で斬首されたのだ。
小栗の手には、真鍮で出来た一本の小さな「ネジ」が握られていたそうだ。
他のだれもが気づかなかった真鍮製のネジ一本が未来を変えることを小栗は知っていたのだ。
つまり、小栗は既に自分の死を覚悟していたことになる。
多分、僅かな時間であっても未来を見てきた小栗にとって、今の日本人の姿が憐れに思ったのかも知れない。しかし、絶望はしていなかったはずなのだ。
なぜなら、彼は未来を見ている。
こういう未来なら、これからの日本人にこの国を託すことが出来る…。そう考えたに違いない。
だから、今となっては、時空を超える銀時計は不要なのだ。

坂井と菅野は、顔を見合わせると、この推理が正しいものと考えることにした。
「だったら、この銀時計を持つ者が、時空を超えられるんじゃないのか?」
菅野が叫んだ。
「坂井さん。あなた、絶対帰れますよ…」
「あの、小栗だって出来たんだ。あなたに出来ないはずがない」
「坂井さん。もう一度、ここに来るときのことを思い出して下さい。そこに、時空を超える何かがあるんですよ…!」
菅野は興奮して坂井の手を強く握りしめていた。

第5章 戦場への帰還

その日の夜から、坂井はあの日のことを思い出していた。
菅野からは、あの日にあったことを書き出すようにと言われていた。
坂井にとっても、あの日のことは忘れたくても忘れることなどできるはずもなかった。
思い出してみれば、あのガダルカナル島への攻撃中は、特に変わったこともなかったが、帰ろうとしたそのとき、遠くで雷鳴が聞こえ、雷雲が近づいて来るのが見えた。
そこで、坂井は列機に集合をかけ、急いで帰路に着くはずだった。
ところが、どうしたわけか、自分だけ敵機の編隊を発見し、攻撃をかけたのだ。そして、逆襲に遭い、零戦は被弾。自分の体にも傷を負った。
そこで、自爆をしようと雷雲の中に飛び込んだ。
雷雲の中は猛烈なスコールで、飛行機の操縦は不可能に思えた。
そのとき、雷鳴が間近で聞こえたかと思った次の瞬間、稲妻が走り、機体に雷が落ちたような衝撃を受けて、俺は気を失ったのだ。いや、死んだと思った。
そして、気がついた時には、病院のベッドに寝かされていたのだ。
そうなると、時空を超えるきっかけになるものは、
「雷雲と稲妻だ!」
「その中に飛び込んだ衝撃で、銀時計が作用して時空の扉が開いたのかも知れない…」
「だったら、それをもう一度経験すれば、俺は帰れるに違いない…」
「そうだ、きっとそうだ!」

そこまで思い出すと、坂井は病院の医局に駆け込み、菅野と都子を呼び出した。
二人が急いで坂井の元に駆けつけると、坂井は、一気に捲し立てた。
「わかりました、先生。都子さん…」
「雷です。雷は、いつ来ますか?」
そう言われて、さすがに今の気象予報では、そこまでは無理があった。
「そうですか…」
と肩を落とす坂井だったが、菅野が、
「だけど、坂井さん。もうひとつありますよ」
「あなたが倒れていた場所です…」
「靖国神社ですよ。靖国の大鳥居の前…!」
「あそこに行ってみましょう…」
坂井は、
「そうか、靖国神社か…?」
「そうだ。それに違いない。ありがとうございます。先生…!」
そう叫んだとき、都子が声を発した。
都子の顔は、青ざめ、その表情は苦悶で歪んで見えた。
「やめて、やめて下さい。先生も坂井さんもどうかしています…!」
それは、悲鳴のような叫びだった。

都子は、泣きながら叫んだ。
「二人とも、何を言っているんですか!?」
「坂井さんが戻る場所は、どこだと思っているんです?」
「あの、ガダルカナルの戦場ですよ!」
「あの戦場が、どういうところか先生は知っているじゃないですか?」
「そんなところに、こんなに仲良くなった坂井さんを送り出すんですか?」
「先生、それって、酷い。あんまりです!」
そう言うと、周りも憚らず大粒の涙を流して泣きじゃくった。
医局の医師や看護師たちが、「何だ…、何だ?」と怪訝な顔をして集まり始めたので、菅野は、二人を隣の応接室に移した。
ソファーに腰掛けた都子は、しばらく嗚咽を漏らしていたが、少し落ち着いたようで、ハンカチで涙を拭うと頭を下げた。そして、
「すみませんでした…。少し、取り乱しました…」
と小声で言うのだった。
しかし、それでも都子は、下を向きながら二人を説得しようと話し続けた。
「先生、だめですよ。絶対にだめ…。坂井さんを元の世界に戻してはだめです…」
「それは、坂井さんの死を意味します。私たちは医療従事者です。人を助けるのが私たちの使命ではありませんか…?」
「それをみすみす、死ぬことが分かっている戦場に、大切な人を送り出すことはできません!」

静かに都子の話を聞いていた坂井は、都子の肩にそっと手を置くと、
「大丈夫ですよ。都子さん」
「私のこの命は、都子さんたちに救って貰った命です」
「命の恩人の前で嘘は言いません。私は、もうこちらの人間です…」
「せっかく警備員の仕事にも慣れましたし、この世界で頑張りますから、もう泣かないで下さい…」
そう言って二人に深々と頭を下げるのだった。
菅野は、
「そうですね。確かに都子さんの言うとおりです…」
「私も少し思慮が足りなかった。つい、他人事のように話してしまいました」
そう言うと、都子は安心したように、
「そうですよ。坂井さんは、もう私たちの大切な友人なんですから、この世界で生きて下さい。後のことは、私たちが何とかしますから…」
そう言って、改めて坂井と都子に頭を下げるのだった。

それから二週間ほどが過ぎた。
坂井は、帝国警備会社でいつものように小隊長として勤務し、橋本社長や社員の信頼を得て、活躍していた。
実際に坂井が道場に出ると、柔道だけでなく剣道や銃剣道で坂井に勝てる人間はいなかった。
たとえ、オリンピック候補選手でも、体幹の強さは坂井以上の選手はおらず、坂井が指導することも屡々だった。
そんな坂井に橋本社長から正式に「正社員」として採用する話が伝えられ、菅野や都子も安心したところだった。
あれから、坂井の口から戦場に戻る…といった類いの話は出なくなり、坂井の顔つきも当初の頃と比べて柔和になったと、からかわれるまでになっていた。
都子は、それでもせっせと坂井の寮を訪ねては、世話を焼くので、
「ねえ、藤間さん…。あの坂井さんが好きなんじゃないのかな?」
と周囲の看護師や医師たちから噂されるくらいだった。
ただ、都子にしてみれば、年も一回り以上も下で、どちらかというと母親や姉のような気持ちで坂井を見ていたのである。
それと、都子には心に少しだけ引っ掛かるものがあった。
それは、あの日以来、坂井が「戻りたい…」と言わなくなったことである。
都子は、あの日、取り乱すまで泣き叫んだことを恥じていたが、坂井がそれを気にして言わないんじゃないか…と勘ぐっていたのだ。
しかし、坂井はいつ会っても屈託のない笑顔を見せて、最近では、他愛のない話もするようになっていた。
そうなると、都子も楽しくなり、連日、料理を作っては坂井を訪ねるので、菅野も少し焼き餅を焼いたくらいだった。
「都子さん…。こっちも独身なんですから、私の方も頼みますよ…」
そう言うのだが、都子は、何処吹く風と言わんばかりに、
「菅野さんはいいでしょ。いつも食堂でご飯を食べているんだから…」
「それに、坂井さんは、夜勤が多くて大変なんですから…」
といって、取り付く島がなかった。
二人の間には、そんな他愛のないやり取りがあったが、坂井に対して不安があったのは、菅野も同じだった。
(坂井直といえば、歴史に名を刻んだ撃墜王だ。それが、本当に現代に生きられるんだろうか…?)
(それに、あの銀時計…?)
そう思って坂井を観察するのだが、あれ以来、坂井の表情も明るく、昔のことは忘れたかのような態度に、安心するのだった。

ところが、それは突然のようにやって来た。
この日は、夕方から雨になり、風が強まってきた。
心配になった都子が、坂井の寮に駆けつけると、ちょうど坂井が部屋の中で筋トレをしている最中だった。
「あら、ごめんね…」
「雨が酷くなって来たんで、少し心配になって…」
と声をかけると、いつものように、
「もう、大丈夫ですよ。筋トレが終わったら寝ますので…」
そう言うので、都子はコンビニで買ってきたカップラーメンを置いて帰った。そして、
「会社から呼び出しがないといいわね…」
と言うと、
「はあ、こういう日は、泥棒にとっては意外に好都合ですからね…」
と坂井が腕立てをしながら、言葉を返してきた。
都子は、
「じゃあ、もし、そうなったら気をつけてね」
と言って、自宅に戻るのだった。
都子の自宅マンションは、この寮から200mくらいの場所にあり、10階建ての落ち着いたマンションだった。
寮の外に出ると、少し雷鳴が聞こえたような気がしたが、それ以上は考えなかった。
その風雨は、夜の11時を過ぎるとさらに酷くなり、季節外れの台風のような感じになって来ていた。
菅野は、停電になると困ると思い、下の階の坂井を訪ねたが、既に出勤しているのか、部屋は暗く、人の気配はなくなっていた。
(そうか、緊急の呼び出しでもあったか?)
そう思い、自分の部屋に戻ると、灯りを消して床に就いた。
それでも、12時を回るころになると、雷鳴が近くなり、稲妻が光り出した。
その瞬間、菅野はあることに気づき、慌てて飛び起きると、「しまった!」と大声を出して外に駆け出した。
外は嵐となっており、もう、外出するのは不可能になっていた。
慌てて、帝国警備会社に電話をかけ、坂井の出勤を確認すると、
「はい。先ほど、緊急出動がかかり、警備員は全員出ております…」
という返事が返ってきた。
実際は、坂井小隊は、いつまでも来ない小隊長を待っていたのである。
「おかしいなあ…。あんなに几帳面な小隊長が来ないなんて…」
「ちょっと、無線で呼び出してみろ」
本田が佐々木に伝えると同時に、坂井から無線が入った。
バディの矢沢が出て、
「小隊長、遅いですよ…」
と文句を言うと、無線の向こうから坂井がこう告げたのだ。
「すまない。矢沢、本田や佐々木にも謝っておいてくれ…」
「俺は、これから自分のいた場所に帰るから…」
「そうだ…。すまないが、明誠大学病院の菅野先生と藤間看護師に礼を言っておいてくれ」
「じゃあ、元気でな…」
そう言うと、無線が切れた。
その後、本田が何回も無線を鳴らしたが、坂井が出ることは二度となかった。

雷鳴は、僅か10分ほどで消え、大風も朝までには収まっていた。
翌日の早朝、都子は坂井の寮を訪ねると、そこには既に菅野が先に来ていた。
「あら、先生、早いですね。坂井さん、います?」
都子の問いに、菅野は大きく首を振って、
「なあ、都子さん。坂井さん、還ってしまったよ…」
そう言うと、菅野はその場に膝をついた。
慌てて都子が、部屋の中を覗くと、元々何もない部屋だったが、ガランとして人がいないことがすぐに理解出来た。
都子が買って来た小さな箪笥の中には、私服と警備の制服がきちんと畳まれて置いてあったが、肝腎の飛行服と作業衣、救命胴衣はなくなっていた。
「やっぱり、坂井さん。戻るつもりで、服装を整えていったんだ…」
「それに、例の銀時計もない」
玄関には、一足だけ黒のスニーカーが残されていたが、警備員の半長靴の安全靴は見当たらなかった。
菅野は、
「そうか、あの日、靴を履いていなかったからな…。だから、替わりに安全靴を履いていったのか?」
「あれだけが、現代の代物だな…」
そう言うと、大きなため息を吐くばかりだった。
都子は、
「やっぱり…」
そう言って、静かに涙を流すのだった。

確かに、あの晩、坂井は行動していた。
それは、あの銀時計が妖しく光り出したからである。
(そうか、銀時計が帰れと言っているのか…?)
それを確信した坂井は、箪笥から飛行服と作業衣を取り出し、久しぶりに身につけた。さらに、その上から救命胴衣をつけると、体が引き締まるように感じた。そして、銀時計を桐生織の巾着袋ごとズボンのポケットに納めた。
「よし!」
坂井は、玄関で安全靴の紐を固く締めると、部屋に一礼して外に出た。
外は、雨が少しずつ降り始めており、遠くで雷鳴が聞こえていた。
坂井は、脇目も振らずに靖国神社に走った。
坂井の寮から靖国神社までは、約1㎞ほどであった。
いつものように、腰に手を当てて走り出すと、気持ちが少しずつあの時代に戻るのがわかった。
靖国神社に着いたころには、12時を過ぎており、風雨はさらに激しさを増し、坂井の全身を濡らした。
そこに、雷雲が近づいたかと思うと、急に雷鳴が轟き、大鳥居目がけて稲妻が光った。
ピシャ…! ドドーン!
一瞬、靖国神社全体が真昼のように明るくなったかと思うと、大鳥居に雷が落ちた。
その寸前に、坂井の体は大きな青白い光に包まれていた。
それは、坂井が身に着けた、あの銀の懐中時計から発せられた光だった。
そして、ドーン!という大音響とと共に、坂井の姿は消えていたのである。

坂井は、闇の中にいた。
「おおーい、おおーい!」
と叫ぶが、一向に返事がない。
すると、坂井の体は地面に叩きつけられるように、何かに体を打ち付けるような衝撃を感じた。
「痛い…」
そう呟きながら、体を起こすと、目の前に見えていた青白い光の雲が次第に薄くなり、坂井のズボンのポケットに吸い込まれていくのが見えた。と同時に目の前に光が差し、南国の風景が坂井の眼に飛び込んできたのだ。
坂井が気がついた場所は、ガダルカナル島にほど近いニュージョージア島の南端だった。
幸いなことにここには、海軍陸戦隊が陣地を設けており、無線で敵の動向を探っていたのだ。
坂井が周囲を見渡して歩き出して間もなく、ジャングルの中から「おうーい!」という日本語が聞こえてきた。
坂井が一生懸命手を振ると、向こうから、
「おうい、いたぞ、いたぞ…」
という声が聞こえ、坂井は日本軍によって救出されたのだった。
現地の小隊長によれば、ガダルカナルの上空で空中戦が行われるのを下から見ていたそうだ。そこに、一機の零戦が雷雲の中から飛び出してきて、沖に不時着したのを見たから、慌てて救出に来たというわけだった。
ところが、坂井が思いのほか元気だったのに驚き、
「いやあ、あんだけ酷い着水をして、あんたは丈夫だな…」
と感心しきりだった。そして、坂井の体をバンバンと叩くと、
「それにしても、搭乗員はいい物を食べているようだな…」
「こんながっしりとした体つきの者は、ここらにはおらんわ…」
と、また、体を触るのである。
この陸戦隊の小隊長は、予備役の少尉で、応召によって再度軍務に就いたということで、非常に気さくな人物だった。
それから間もなく、無線でラバウルの台南航空隊に連絡をして貰うと、急いで飛んできたのか、2時間後には、水上偵察機が島の南端の海上に着水したのだった。
それに乗ってきたのは、本田二飛曹だった。
本田は、
「よかった、小隊長がご無事で…」
「あんときは、みんな小隊長が戦死したと思い込んで、しょげていたんですから…」
そう言って抱きついて来るのだった。
坂井は、
「そうか、すまんかったな…。ところで、今日は何日なんだ?」
そう尋ねると、本田は、
「小隊長、何を言っているんですか?」
「今日は、8月8日ですよ…」
「昭和17年だよな?」
「は、はい…?」
変なことを聞くので、本田は少し首を傾げたが、そんなことより小隊長が無事であったことが余程嬉しいらしく、偵察機に積んできた食糧や酒をどんどんと陸戦隊に土産として渡すのだった。
本田が、隊員たちにしきりに頭を下げ、
「いやあ、ありがとうございます…。これで、台南航空隊も安心です…」
そう言うので、かの小隊長が、
「この人は、どんな人なんですか?」
と本田に尋ねるので、本田は、
「この方は、台南航空隊の先任搭乗員である坂井直一等飛行兵曹です!」
「撃墜数三〇機を誇るラバウルのエース搭乗員で、我らの小隊長です!」
と威張って言うものだから、陸戦隊の面々も、
「いやあ、だから、あんな酷い着水をしても傷一つないんですね…」
と感心するばかりだった。
こうして、坂井は、本田二飛曹の操縦する偵察機の後部座席に乗り込むと、一目散にラバウルに飛んでいくのだった。
坂井は、後部座席に座りながら、じっと眼を閉じていた。
この匂い、この風、このエンジン音。
それは、忘れることの出来ない戦場の匂いだった。
だが、頭の中にいたのは、あの都子だった。
年はかなり上だったが、聡明で美しく、自分のためにあれほど泣いて止めてくれた優しさを思い出すと、無性に恋しくてならなかった。
こんな気持ちは、自分の人生の中で初めての経験だった。
操縦席にある伝声管で本田が、
「小隊長、随分嬉しそうですね。まあ、九死に一生って奴ですから、よく分かりますよ…」
「これで、不死身の小隊長ですね」
などと冷やかしたが、坂井は、それすらも心地よく聞こえていた。

終章 坂井直の遺品

坂井は、無事にラバウルに戻ると、笹井中尉や西沢、太田の一飛曹が駆け寄り、無事を喜び合った。
斎藤司令や小園副長は、眼を細めて、
「さすが先任だな…。今回は坂井も運がよかった…」
「明日は、ゆっくり休め。休養を与える…」
そう言って出撃を免除してくれたのだった。
ただ、ガダルカナルへの攻撃命令は引き続き出されており、台南空の搭乗員は日替わりで出撃して行った。それでも、ガダルカナル島に集結するアメリカ軍は減るどころか、益々増強され、彼我の戦力差は増大するばかりだった。
この戦局を挽回するには、ガダルカナルの制空権を奪うことなのだが、如何せん、戦闘機の不足は否めなかった。
正直、坂井は自分が現世に戻って来た喜びよりも不安の方が大きかったのである。
それは、坂井自身が日本の未来を体験してきたからに他ならない。
あの数ヶ月の生活は、まるで夢のような生活だった。
東京は、これまで自分が知っていた東京ではなく、まさに未来都市に変貌していた。
高く聳え立つビル群。
24時間、昼間のように明るく照らし出された街並み。
どこもかしこも整えられた道路。そして、自動車が走行するエンジン音。
そんな未来都市の中で、坂井は警備小隊長として、曲がりなりにも社会の治安を守り貢献してきたのだ。そして、それを温かく見守ってくれる未来の人々がいた。
菅野医師、そして藤間看護婦。
この二人がいなければ、今の坂井はいないのだ。
そう思うと、坂井の眼に涙が浮かんだ。
以前はこんなに感傷的な人間ではなかったはずだが、あの数ヶ月で坂井は変わってしまったのかも知れない。
いや、そうではないだろう。
本来、坂井直という人間は、そういう人間の機微の分かる男だったのだ。
最後に、藤間都子は、自分のためにあんなに泣き叫び、「還るな!」と止めてくれた。
坂井は、身内でもない女が、あれほど自分の感情を剥き出しにして男を心配する姿を見たことがなかった。
己の母でさえ、感情を抑えて自分の出征を喜んでくれたのに…、都子は違った。
未来の女は感情を表しすぎるのではない。
あの感情こそが、本気の「愛情」なのだ。
真に愛する者を想う、素直な感情なのだ。
そう思うと、坂井は都子が愛おしくてたまらなかった。
写真の一枚もなかったが、坂井は、「あの都子のために戦おう」。
そう誓うのだった。

坂井が斎藤司令から貰った休暇は、二日間だけだった。
見た目は元気そうな坂井だったが、司令は、
「まあ、不時着するほどの衝撃を受けたのだから、一応軍医の診察は受けておけ」
という命令で、ラバウルの山の方にある海軍病院へ行くことになった。
坂井にしてみれば、
(いつも菅野先生に診て貰っていたんだがな…)
と不満はあったが、せっかくの配慮を無碍にもできなかった。
その朝、笹井中尉や西沢たちの出撃を見送ると、用意してくれた司令用の乗用車で海軍病院に向かうのだった。
(まさか、下士官の身で乗用車とは…)
と恐縮したが、司令は、
「遠慮するな。貴様は、本隊、いや日本海軍航空隊の宝だからな…」
そう言うので、言葉に甘えることにしたのだ。
既に海軍病院へも連絡をしてくれたらしく、病院の門の衛兵も直立不動で迎えてくれるではないか。
すると車は、どんどん奥に入り、乗用車専用の駐車場に車を停めた。
運転手を務めてくれた兵長に、
「おい、1時間くらいで戻るから、散歩でもしておれ…」
と命じて、ひとりで病院に続く階段を上がるのだった。
そのとき、坂井の手には、風呂敷包みが抱えられていた。

坂井の診察をしてくれたのは、軍医長の山形大佐だった。
山形大佐は、
「昨日、お宅の斎藤司令から直接電話があってな。今日、君を行かせるから頼む…というわけだ」
「こっちも、台南空の司令に頼まれては断るわけにもいかんでな…」
そう言うと、大きな口を開けて豪快に笑うのだった。
それでも診察は丁寧で、10分ほども時間がかかってしまった。
最後に、軍医長は、
「いや、それにしてもよくその体を維持しておるな…」
「頗る頑健で、異常はまったく見られん。さすが、航空隊の宝と言われる男だ」
そう感心すると、坂井の背中をポンと叩いて、
「よし、合格!」
そう言って笑いながら診察室を出て行くのだった。

待合室に戻ると、坂井は腕時計を見た。
「後、20分か…?」
おそらく、運転手の兵長は間もなく車に戻って待機しているだろう…と思った。なぜなら、海軍では常に「始動、五分前」が徹底されていたからである。 坂井は、手に持った包みを抱えて、キョロキョロと周りを見た。そのときである。
「どうか、されましたか?」
そう尋ねてくる声が後ろから聞こえたのである。
坂井が振り向くと、まだ、あどけない顔をした看護婦がそこに立っていた。
「あ、いや。すみません、さっき診察が終わったのですが…」
どう話していいか分からずに、戸惑っていると看護婦は、何を勘違いしたのか、
「あ、トイレはあちらです…」
そう言って、右を指さすではないか。
坂井は、そのとき、看護師の胸の名札を見た。
「藤間…?」
坂井が声に出すと、その看護婦は、
「はい、私は看護婦の藤間尚子ですが…、何か?」
妙な会話だったが、こうして、二人は、偶然に出会うことになった。
坂井は、単刀直入に、
「私、台南空所属の一等飛行兵曹、坂井直と申します!」
「実は、藤間さんに折り入って頼みがあります…」
そう言うと、強引に藤間を中庭に連れて行くのだった。
今日は、天気もよく、中庭はきれいに整えられていて、南国の花々が色とりどりに植えられ、まるで戦場を感じさせない雰囲気を纏っていた。
尚子は、こんなふうに若い軍人に声をかけられたことがなく、心臓がドキドキと高鳴っていたが、坂井の強引な誘いが好ましくもあった。
坂井は、しきりに時間を気にするように、ベンチに腰を下ろすと、
「お願いがあります」
と顔を近づけて、尚子にその包みを渡すのだった。
そして、
「変なお願いですが、聞いてください。いや、聞いて貰わないと困るんです…」
坂井は、風呂敷を開くと、桐の箱を取り出した。そして、
「藤間さん。藤間さんは若い。きっと、長生きされるでしょう」
「藤間さんが日本に還られるとき、この箱も忘れずに持って還ってもらいたいのです」
「そして、昭和という時代が終わるまで、保管をしておいてください…」
「新しい時代を迎えたら、しばらく様子を見てから、この箱を開けてください」
「そうすれば、すべてがわかります…」
「けっして、怪しい物ではありません。私の遺品です…」
「でも、これを渡すのは、私の家族ではありません。知人です」
「私は、飛行兵ですので、この戦場から生きて還れる可能性は、藤間さんよりずっと少ないのです。だから、あなたにこれを頼みたい…」
「それに、藤間は、私の愛した人の名なのです」
「お願いします。どうか、私の願いを聞いてください…」
そう言うと、坂井は、直立不動の姿勢で頭を下げるのだった。
尚子は、一瞬戸惑いの表情を見せたが、航空隊の飛行兵がここまで頼むのである。尚子には断る理由が見つからなかった。
それに、「藤間は私の愛した人の名…」という言葉が引っ掛かった。
今時の軍人が「愛」などという言葉を遣うとは、考えたこともなかったからである。
その言葉を遣う以上、この坂井という人は、死んでもその人を愛し続ける…という宣言のように聞こえたのだ。
尚子は、坂井の眼を見ると、その眼には「本気で真剣に考えた色」が宿っており、その態度から嘘はない…と確信した。
「はい、確かにお預かりいたします」
そして、自分もスクッと立ち上がると、
「武運長久をお祈りしております。坂井兵曹…」
と、尚子も深々と頭を下げるのだった。

その後、坂井は連日、ガダルカナル島に向かって出撃を繰り返していった。
坂井が復帰して二週間後に、笹井中尉が戦死。それから間もなく、太田一飛曹が戦死。
列機として一緒に飛んだ、本田二飛曹と佐々木二飛曹も、10月の航空戦でいずれも大空に散った。
元々の台南空の搭乗員で残されたのは、坂井と西沢、他数名の下士官だけになっていた。そして、その坂井にも最期の日は近づいていた。

11月14日。
ガダルカナル島への日本軍の逆上陸作戦が行われることになり、台南空の戦闘機部隊にも「全力出動」の命令が下された。
全力出動といっても、出撃出来る零戦は20機にも満たなかった。
これまで補充は少しずつ行われていたが、ほとんど「焼け石に水」の状態で、可動できる戦闘機も、あちらこちらに故障を抱えていたのだ。
それでも、全力出動となれば行くしかない。
坂井も西沢も、覚悟を決めた。
そのとき、坂井の列機になったのが、矢沢一二飛曹だった。
「矢沢…か?」
名前も顔も別人だったが、「矢沢」は、警備小隊長のときの坂井のバディである。その名前を聞いたとき、坂井は、なにかしらの運命を感じていた。
坂井は、矢沢の肩を叩くと、
「いいから、俺の後ろだけを見て飛んで来い!」
そう言って、自分の搭乗機に向かうのだった。
このころになると、昔のように自分の「愛機」という機体はなくなり、修理がすんだ飛行機に乗るだけのことで、その機体に馴染むことはなかった。しかし、機体の側で待っていてくれたのは、台南空当初の仲間である佐藤久男整備兵曹だった。
佐藤は、坂井に向かって、
「よう、坂井さん。今日はバッチリ整備しておいたから、この機体はドンピシャだ!」
そう言うと、坂井にサイダーと羊羹を手渡し、
「途中で食ってくれや…」
そう言うと、坂井の尻を押し上げて飛行機に乗せてくれたのだった。
佐藤も、何かを感じているらしく、いつもに似合わず感傷的になっていた。
「なあ、坂井。貴様とは長い付き合いになるな…」
「いいから、今日も必ず還って来いよ!」
そう言うと、坂井の飛行帽の上からポンと頭を叩いた。
坂井は、その乱暴な優しさが嬉しかった。そして、
「ああ、憎まれっ子世に憚る…だからな!」
そう言って、エンジンを始動させるのだった。

上空に上がると、戦闘機隊はまともに編隊を組むことも出来なくなっていた。台南空生え抜きの士官や下士官の八割は既に戦場を去っており、後から来た補充兵も次々と散っていく状況では、まともに統一作戦を採ることもままならなかった。
坂井は、
(精強を誇った台南航空隊もこれまでか…)
そう思うと残念だったが、それでも、自分たちの戦いがあの美しい未来を築くのだと考えれば、俺たちの死も無駄ではない…と思えた。
それに、ガダルカナル島の戦いももう終わる。
これ以上は、さすがに頑張って来た日本軍も限界が来ているのは、だれの眼にも明らかなのだ。
途中、20機ほどの中攻と合流したが、その中攻隊も編隊が整わず、まるで単機で飛んでいるかのような操縦振りを見せていた。
道のりの半分も行かないうちに、パラパラと故障機が翼を翻して戻っていくのが見える。エンジンから黒煙を吹いている機さえあった。
坂井は、後ろを振り返ると、あの矢沢が必死に坂井機についてくるのがわかった。
「おう、矢沢は、頑張っているな…」
この矢沢の腕では、往復8時間の飛行は、正直厳しかった。
(だから、無理だ…と言ったのに)
そう思う坂井だったが、それを愚痴ったところで詮ないことである。
とにかく、エンジンを絞るだけ絞って、燃料を節約しなければ空戦も覚束ないのだ。
ついてくる矢沢も必死に坂井の指示を守って飛んでいる。
すると、先頭の方で空戦が始まるのが見えた。
「早いな…?」
坂井は、今日の敵は、随分手前で待っていたことに驚いたが、それだけ、敵に余裕が生まれたということだろう…と思った。
坂井はバンクを振ると、後方にいた数機の零戦を連れて、さらに上空へと上昇していった。
空戦中に同じ高度でぶつかれば、間違いなく敵機に食われるのは零戦の方なのだ。とにかく、零戦は既に旧式機になり、アメリカ軍は、零戦の倍のエンジンを積んだ高速機を次々と戦場に投入し始めていたのだ。
最近の若い搭乗員は、経験も少なく、何も考えずに無我夢中で突っ込んで行くので、それでは、敵機に食らいついても、後方から別の敵機に撃たれるのはわかりきっていた。
こうして、これまで何機も初陣で散っていったのだ。
空戦は、詰め将棋だ。
できる限り敵より上空に位置し、まず空戦域を俯瞰して眺め、目標を一点に絞って攻撃をかける。これしか、勝てる戦法はなかった。
零戦が、その性能において優位な時期は、たとえ劣勢な位置からでも反撃できたが、今や敵は零戦を凌ぐ優秀機を配備し、その高速性能と防御力によって零戦は次々と墜とされていたのである。
坂井は、後方の零戦に合図を送ると、空戦域の端にいる敵機にねらいを定め逆落としに突っ込んで行くのだった。
高度3000mからの急降下は、操縦席にもの凄い重力がかかる。
それに耐えると、真下に敵機数機が見えた。
「よし、P38ライトニング…か?」
この双胴の戦闘機は、時速600㎞を超えるスピードと多数の13粍機銃を持った「悪魔」と呼ばれる新型機だった。
この戦闘機と戦うには、こちらが常に上位に位置しなければ勝ち目はない。
若しくは、低空での巴戦しか方法はないが、今の若い連中の技術では、それも怪しいものだった。
坂井は、急速に迫る先頭のライトニングに照準を合わせると、20粍と7.7粍弾の両方の機銃を開いた。
ドドドドドド…!
ババババ…!
小気味よい発射音を轟かせると、坂井の撃った銃弾は、確実に敵機の風防を貫き、ライトニングは白い煙を吐きながら墜ちていくのが見えた。
(よし、1機撃墜!)
そして、そのまま低空飛行で空域を離れたが、坂井の操縦について来れない零戦がいるではないか…。
よく見ると、矢沢が、上空で敵機に囲まれているのがわかった。
坂井は、そのまま急上昇すると、矢沢機を追うライトニングに照準を合わせ、一連射した。
敵機は、後方から撃たれたことで、慌てて加速し、空戦域から離脱していくのが見えた。
周囲を見渡すと、既に空戦は終盤に入ったのか、敵機も疎らにしか見えなくなっていた。
坂井機が矢沢機に近づくと、矢沢は坂井を確認して、片手で拝む仕草をするのが見えた。しかし、この空域は一番危険な空域であることを坂井は知っていた。
矢沢に指で「低空に逃げろ!」と指示を出したそのときである。
坂井機の上空から太陽を背にして1機のライトニングが、無数の銃弾を撃ちながら接近してくるのが見えた。
坂井は、咄嗟に、矢沢機に覆い被さるようにして、敵機の進路を塞いだそのとき、坂井の零戦には無数の機銃弾が炸裂した。
ガンガンガン…!
そして、その中の一発が、坂井の背中から胸に抜けてエンジンを破壊したのだ。
坂井機は、そのままクルリと回転すると、急激に高度を下げたかと思うと、空中爆発を起こして四散して消えた。この間、僅か10秒足らずだった。
後には、黒い煙の塊が見えるだけだった。
矢沢は、それを低空から見ていた。
「畜生…! 小隊長!」
そう叫んで、その敵機を追おうとしたが、突然、矢沢の耳に坂井の声が響いた。
「ばかやろう。逃げるんだ!」
「空戦は終わりだ!」
その声にハッとした矢沢は、低空を這うようにして逃げ、そのまま零戦の機首をラバウルに向けたのだった。
こうして、ラバウルの撃墜王と謳われた坂井直一等飛行兵曹は、先に逝った戦友の後を追うようにして、ガダルカナルの空に散ったのである。

その後間もなく、坂井が予想したとおり、ラバウル航空隊は解体となり、日本で戦闘機隊の再編成が行われることになった。
迎えの輸送機に乗り込む西沢と矢沢は、何もなくなった飛行場を見詰めると、後は振り返ることもなく、ラバウルを去って行くのだった。しかし、そんな彼らにも生き残る道は残されていなかった。
西沢広義一等飛行兵曹は、その後も次々と敵機を墜としていったが、昭和19年の秋に特攻作戦が始まると、その護衛任務に駆り出された。そして、乗機を特攻隊に引き渡すと、基地に戻る輸送機に乗った。
戦闘機の操縦桿を握らせれば、「空戦の鬼」とまで謳われた西沢も、輸送機ではどうすることもできなかった。
後五分で自分の基地に着陸できるというとき、敵機数機に襲われたのだ。そして、何も出来ないままフィリピンの海に散っていったのである。
坂井に救われた矢沢二飛曹は、昭和20年まで生き延びたが、やはり沖縄への特攻作戦の護衛に飛び立ち、奄美大島付近で消息を絶った。

坂井から遺品を預かったラバウル海軍病院の藤間尚子は、昭和19年3月まで海軍病院に勤務したが、連日の空襲で海軍病院も破壊され、看護婦たちもその山中に逃れた。
尚子の同僚の看護婦たちも空襲の最中、逃げ遅れた患者と共に爆死した者も多かったのである。それでも、尚子は、坂井から預かった遺品を肩掛け鞄に詰め込み、必死になって逃げた。
そして、撤収命令が出されると、空襲の合間を縫って辿り着いた輸送船で、トラック島へと引き揚げ、そのまま日本に戻ったのである。
撤収の日。
輸送船の上空には、数機の戦闘機が護衛についていた。
陸軍機か海軍機かは分からなかったが、輸送船に乗り込んだ兵隊や看護婦は、その機影に向かっていつまでも手を振り続けたのだった。

戦後、藤間尚子は結婚したが、看護婦として働き続けた。
それは、あの過酷な海軍病院での戦いが、彼女を強くしたのかも知れなかった。それに、あの坂井からの遺品のことは、片時も忘れることが出来ずにいた。
そして、昭和64年1月7日に、天皇陛下が崩御されたというニュースを聞くと、既に看護婦を引退していた尚子は、改めて仏壇の奥にしまっておいた遺品の箱を取り出してみた。
その風呂敷は、既に元々の紫の色が消え、随分と白さが目立つようになっていたが、海軍の錨の刺繍だけは、綻びずに残っていた。
包みを開けると、桐の箱もかなり風化したようで、白木の箱が、茶色に変色していた。
「もう、相当な時間が経ったんですね…」
「坂井さん。私ももう還暦を過ぎたおばあちゃんですよ…」
「孫が三人。主人も元気で庭仕事をしています」
「そろそろ、箱を開けてもいいですか?」
そう言う尚子の頭の中では、
「新しい時代になって、しばらくしたら開けて下さい…」
と言った坂井の言葉が蘇った。
「そうですね、坂井さん。後、半年ほどしたら、開けることにしましょう…」
そう言うと、また、仏壇の奥にしまうのだった。

尚子が、再び仏壇から桐箱を取り出したのは、山が紅葉を見せ始めて季節だった。
前の晩、なぜか、夢の中に坂井が出て来たような気がしたからである。それは、ひょっとしたら、坂井さんの意思なのかも知れない…。
そう考えた尚子は、また、仏壇の奥から桐の箱を取り出してみた。
時刻は、まだ、朝の10時を少し過ぎたところである。
箱は、厳重に封印がされており、尚子はカッターナイフを取り出すと、丁寧に切り込みを入れ、封印を解いた。
(一体、何が入っているのかしら?)
そう思うと、あの日の精悍な坂井の顔が浮かんだ。
何か思い詰めたような顔をしていたが、それでも、坂井の眼はけっして絶望した眼ではなかった。
逆に、希望を胸に秘めたような眼に尚子は心を動かされ、この遺品を預かったのだ。
こんなご時世である。
日本から遠く離れた海の果てまで、看護婦としてやって来たが、軍人だけでなく自分の命さえどうなるかわからないのだ。
それでも、この遺品を預かろうとしたのは、尚子自身、坂井の眼に「希望」を感じたからに他ならないのだ。
尚子は、改めて箱を見ると、なぜか、箱の中が少しだけ明るくなっているような気がした。
「えっ…?」
「何が光っているの?」
そう思い、静かに箱を開けてみると、そこには、やはり袋に包まれた何かがある。その袋の中の物が、この光の元らしかった。
袋は、いわゆる巾着袋で、かなり古い物だったが、なかなか品のいい織物だった。さすがにどこの織物かは、尚子にもわからなかった。
その袋の紐を緩め、静かに口を開けると、そこには優しい光を発した懐中時計が一つ入っているではないか…。
「えっ、懐中時計…?」
仄かに光る懐中時計を手に取ると、急に、コチ、コチ…と秒針が動き出したのだ。と、同時に仄かな光は、その懐中時計そのものを包むように光り出した。
尚子が、手に取ってもその光は消えることなく、秒針もコチ、コチ…と動き続けていた。
(どうして、50年近く経っている時計が動くの…?)
そう思ったが、尚子はそれを怖ろしいとは思わなかった。
何か、そこに、あの坂井兵曹がいるような気がして、尚子の心は穏やかになっていくのだった。
すると、その箱の下に、茶封筒がひとつ置かれているのに気がついた。
それを手に取ると、茶封筒の裏には、「海軍台南航空隊」の印刷文字が書かれていた。
「やっぱり、坂井兵曹の物だ…」
そう思い、封を開けようとすると、それには糊付けはされていない。そして、中には、一通の手紙が入っていた。
手紙は便箋一枚に書かれており、おそらく、坂井本人が書いたのだろうと推測できた。
その手紙は、おそらく、この箱を開ける人への物なのだろうと思った。
手紙には、こう書かれていた。

「前略
長い間、私の遺品を大切に保管して戴き、ありがとうございました。
この手紙を読まれているということは、あの戦争を生き延び、幸福にお暮らしなのだろうと拝察いたします。
さて、ここにあります銀時計は、私が海兵団卒業時に戴いた恩賜の品であります。そして、この銀時計は、私の大切な「お守り」でもあったのです。
しかし、今は、この時計を私が持っている資格がありません。
本来、この銀時計を持つべき人がお持ちになり、未来へと引き継いで戴きたく念願する次第です。
もし、私の勝手な願いをご承諾いただけるようでしたら、この銀時計をお二人の方にお渡し下さるようお願い申し上げます。
その方は、
明誠大学付属病院 医師 菅野 正 様並びに、同 看護婦 藤間都子 様
です。
このお二人とは、浅からぬ縁を結び、兄とも姉とも慕った者でございます。
どうか、黄泉の世界にいる人間の願いを叶えて下さるよう、伏して、お願い申し上げます。
昭和17年11月13日
海軍台南航空隊所属
海軍一等飛行兵曹 坂井 直 」

これが文面だった。
これを呼んだとき、尚子は、ヒッ…!という驚きの声を上げた。
なぜなら、明誠大学で看護師をしている藤間都子は、尚子の姪だったからである。
「なぜ、あの坂井兵曹が、都子のことを知っているの?」
「都子が、生まれたのは戦後なのに、どこで坂井さんは、都子と会ったって言うの?」
それは、尚子にとって大きな疑問だった。
(これは、夢よ…。私は、変な夢を見ているんだわ…)
箱を置いてそう思ったとき、その銀時計がさらに輝きを増した。
それは、尚子を促すような光に見えた。
少し落ち着くと、尚子は、
「わかったわ。坂井兵曹、何だかよくわからないけど、都子のところにこの銀時計を届けるわね…」
銀時計にそう誓うと、光は穏やかになり、いつまでもコチ、コチ…という秒針を刻む音だけが静かな部屋に流れていた。
そして、銀時計をしまおうと桐の箱を見ると、さらに奥に二つに畳まれた封書が見えたが、それには糊付けがしっかりとされており、坂井の印が押された封印がされていた。
(これは、坂井さんが都子たちに渡す手紙なんだわ…)
そう考えた尚子は、それには手をつけずに、銀時計の元の位置に納めたのだった。

その晩、尚子は、都子に電話をした。
「あ、都子?」
「私、尚子。明日、ちょっと会いたいんだけど、何時頃なら時間空くかな…?」
「そうそう、そちらにいる菅野という先生も一緒がいいんだけど…」
そう言うと、
「叔母さん、何かあったの?」
電話の向こうからは、何か不安そうな声が聞こえたが、尚子は毅然と、
「何言ってるの。あなたたちにとって、もの凄く大事な話。いい…」
「うん。休憩がお昼の12時からだから、その時間に医局に来て…」
「分かるわよね。明誠大学病院…」
都子がそう言うので、
「何、言ってんの?」
「明誠って、私が昔勤めていたところじゃない。建物は建て替えたけど、私がいた病院よ。失礼ね…」
尚子が、少しふくれてそう言うと、都子は、
「そんなこと、知ってるわよ。最近、物忘れが激しいと思って…、おばさん」
そんな憎まれ口を利くのも、可愛い姪だからだ…と尚子は知っていた。
「じゃあ、明日12時ね。詳しい話はそこで…」
そう言って、受話器を静かに置くのだった。

尚子は、このことは夫には話さなかった。
あの箱のことも夫は知らない。
結婚した頃に知らせようかとも思ったが、なぜか、坂井の顔が浮かび、話すのは躊躇われた。なぜか、言ってはいけないことじゃないか…と考えたからである。
(でも、よく、私もあの箱も無事に50年近くを過ごしたもんだ…?)
そう思うと、坂井からあの箱を渡された瞬間から、こうなることは運命で決められていたような気もした。
もし、あのまま、あの銀時計を坂井兵曹が持っていたら、坂井さんはこの戦争を生き延びられたかも知れないのに…。
そう思うと、坂井兵曹が不憫に思えてならなかった。

翌日、昼前に、尚子は明誠大学付属病院を訪ねた。
尚子にしてみれば、終戦となり横須賀の海軍病院にいた尚子は、原籍のあった日赤病院に戻ったが、昔お世話になった橋本尚太郎院長の明誠堂医院からの依頼があって、戦後しばらくは、ここで看護婦として働いていたのだ。
それが、後に大学となり、現在のような大学病院に建て替えたのは、昭和50年になったころだった。
尚子は、明誠堂医院の医師をしていた斎藤正和と結婚し、出産を機に長年勤めた看護婦を引退したのだった。
それでも、時には看護学校などから依頼があり、看護師としての心構えなどを講義することもあったが、姪の都子が自分の跡を継いでくれたことは、何より嬉しいことでもあったのだ。
尚子の二人の子は、ふたりとも女の子で、今は結婚をして家を離れている。 娘二人も医療関係に就職しており、幸せな生活を送っていた。
ただ、姪の都子だけがいつまでも独身でいることが悩みで、時々、小言を言うのだが、だれに似たのか、いつも憎まれ口を利くので、困った姪でもあった。
その二人と会ったのは、明誠大学付属病院の応接室だった。

尚子は、この話をするのに相応しいと、白いブラウスに濃紺のスーツを着て出かけた。
あの日、坂井兵曹とお会いしたときは、白衣の看護服だったが、これが遺品である以上、華美な服装は慎まなければならなかったのだ。
二人は、ちょうど12時に応接室に入ってきた。
入るなり、都子は、
「ちょっと、尚子叔母さん…」
と言うや否や、普段の尚子と違うことに気がついた。
普段の尚子は、いつも朗らかで冗談をいうような軽い雰囲気を持っていたが、今日の尚子は、いつもと違う雰囲気を醸し出していた。
それに、応接室のテーブルの上には、色褪せた包みがひとつ置いてある。
それは、嫌が応にも二人の眼に止まった。
「おばさん…。何があったの?」
都子がそう尋ねると、尚子は何も言わずにその包みを開け始めた。
二人は、それを息を飲んでじっと見詰めていた。
その包みの中からは、茶色に変色した桐箱が出て来たではないか…。そして、その桐箱からは、覚えのあるあの青白い光が漏れているのが見えた。
それを見たとき、菅野が叫んだ。
「ま、まさか。藤間さん。これ、まさか…、坂井さんの…」
そこまで言うと、二人は絶句して言葉を失った。
尚子は、コクリと頷くと、桐の箱をそっと開けた。
すると、そこには、やはり二人が見覚えのある巾着袋が眼に入った。そして、その口元から仄かな光が漏れているのである。
「菅野先生、開けて下さい…」
尚子に促されて、菅野は、その巾着袋を開け、中から妖しく光る銀時計を取り出した。
「や、やっぱり…」
菅野がそう呟くと同時に、都子は、顔を覆って泣き出した。そして、現実を受け止め切れないかのように、イヤイヤ…と頭を振るのだった。
尚子は、
「そう、やっぱり、おわかりのようね…」
そう言うと、銀時計をテーブルの上にそっと置き、桐箱の底から何も書かれていない封書を取り出すと、菅野に手渡した。
封書の裏を見ると、やはり、そこには「台南航空隊」の印刷文字と、墨で書いたのだろう「坂井直」の署名があった。
「これ、坂井兵曹の遺書よ…」
その封書は、まだ、開封されておらず、菅野は、応接室にある机の中からペーパーナイフを取り出し、静かに、のり付けされた封書を開くのだった。
中には、折り畳まれた手紙が入っていた。
菅野は、都子に促したが、都子は下を向いたまま、まだ、現実を受け入れられない様子だった。
あれほど、坂井を慕い、坂井が還ろうとするのを押し止めた都子である。その辛さ、苦しさは菅野にも分かっていた。
菅野は、
「じゃあ、読みます。藤間さんも立ち会って下さい…」
そう言うので、尚子は、脇に座り、静かに眼を閉じ、菅野が手紙の文字を読む声に集中した。
手紙には、こう書かれていた。

「前略
菅野先生、そして都子さん。
突然、お二人の前から姿を消してしまい、申し訳なく思っています。
やはり、あの晩、私は、いても立ってもおられず、飛行服を着ると靖国神社に走っておりました。
私が靖国神社に近づけば近づくほど、この銀時計の光は強くなりました。
まるで、私をそこに呼んでいるかのように、私を誘うのです。
神社の大鳥居の前に立つと、青白い光が私を包み込みました。すると、次の瞬間、もの凄い稲妻が私目がけて落ちてきたのです。
それは、まさに、あのガダルカナルの雷雲の時と同じでした。
そして、私は、元の世界に戻ることが出来たのです。
しかし、ガダルカナル島を巡る攻防戦は、次第に日本軍の不利となり、私の仲間も次々と大空に散っていきました。
私は、このまま一人、生き残ることはできないと考えたのです。それに、この銀時計は、元々は小栗忠順様の物です。彼も私と同じように未来を見て、未来のためにその命を投げ出しました。
私も、気持ちは同じです。
少なくても、幸せな未来が見られただけ、私は幸せ者でした。
この銀時計と遺書を、一人の若い看護婦さんに託しました。
ラバウルの海軍病院に勤務されている藤間尚子看護婦です。
この遺品と遺書をだれかに託そうと考えていたときに、偶然に都子さんと同じ姓の女性に会いました。これも、銀時計のお導きかも知れません。
その女性は美しく聡明な方でした。
戦局が厳しい折、その方が、生きて祖国に帰られるかはわかりませんが、この銀時計を持っていれば、間違いなく還ることが出来るでしょう。
私はそう確信したのです。
お二人が、この遺書を読むとき、私は、遠い昔に大空に散っているはずです。
私に会いたいと思われたら、靖国神社にお出でください。
お二人には分からなくても、私は必ず、お二人の側にいます。そして、お二人の幸せを祈り続けています。
最後に、大変恐縮ですが、この銀時計は、個人が持っていてはいけない物だと思いますので、ぜひ、私の遺品ということで、靖国神社にお納め戴ければ幸いです。
きっと、小栗様もそう望んでおられることと思います。
それでは、菅野先生、都子さん。ありがとうございました。
そして、長い年月、この遺品を大切に保管戴きました藤間尚子様に心より感謝申し上げます。
昭和17年11月14日 早朝に記す
海軍一等飛行兵曹
株式会社帝国警備保障警備長 坂井直    」

菅野はこれを読み上げると、零れる涙を拭くこともせずに、ひたすら声を上げて泣いた。
40過ぎの男が、声を上げて泣く…。
それでも、泣かずにはいられなかった。
都子も尚子を泣いていた。
その嗚咽は、銀時計をとおして坂井の元にも聞こえただろう。
そして、この物語は終わりを迎えたのだった。

追記

坂井の遺言どおり、あの銀時計は、坂井直一等飛行兵曹(戦死して兵曹長)の遺品であると靖国神社に届け出た。
菅野は、例の書籍の資料と写真を携え、銀時計の由来を説明した。
神社では、
「確かに、坂井兵曹長が海兵団の首席として戴いた恩賜の銀時計である」
と認めて、遊就館に展示されることが決まった。それも、坂井兵曹長の写真と共にである。
菅野と都子は、それ以来、よく靖国神社の遊就館を見学に行くようになった。遊就館の最後の展示室には、戊辰戦争以降の英霊の御写真が飾られているが、坂井の写真も出口付近の一角に飾られていた。
その写真は、零戦の機体をバックに、飛行兵のフル装備で映っている写真である。
顔は厳しく、口を真一文字に結んでいたが、二人の知る坂井は、もっと優しげで愛嬌のある顔だったはずなのだ。
それでも、坂井の写真とあの銀時計を見るたびに、あの日の坂井を思い出し、二人でいつまでも語り合うのだった。
そして、尚子叔母夫婦の仲人で二人が結婚したのは、翌年、平成2年の11月14日だった。そして、その日の披露宴の親戚のテーブルには、帝国警備会社で警備長を務めていたときの坂井の写真が飾られていた。
その写真の中の坂井は、警備会社のパトロールカーをバックに、帝国警備の制服をフル装備で着込み、得意そうに腕組みしている姿だった。そして、その顔は、靖国神社の写真の顔とは違い、満面の笑みを浮かべ、本当に嬉しそうだった。
友人たちから、
「あの人は…?」
と尋ねられた二人は、きまって、
「私たちの縁結びの神様であり、英雄です…」
と答えるのだった。

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