教師立志録
ー若い教師のための教授録ー
矢吹 直彦
はじめに
令和という時代を迎えて僅か数年の間に、新型コロナ感染症が世界中に蔓延し世界大戦クラスの被害が世界中を覆いました。そして、それは、これからも戦い続けなければならない大災厄になるでしょう。その感染症と闘っている最中にロシアはウクライナに軍事侵攻し、ヨーロッパで戦争が始まりました。まさか…とだれもが思っているうちに戦争は拡大し、多くのウクライナ人が亡くなっています。今の時代にこんなことが…と思うのは私たち日本人だけではないはずです。曲がりなりにも先進国といわれる国々は、国際連合にも加盟し、国際平和と世界秩序の大切さをだれよりも知っていると思っていたところに、まさかの侵略戦争でした。当事国であるロシアは、国際連合の常任理事国として、国連の意思を左右するほどの力を持っており、そのリーダーの国が自ら平和を蹂躙し、主権国家に軍事侵攻したとなれば、国際秩序は崩壊したも同然です。ここに、改めて「国際連合」という組織の脆弱さが露呈しました。こうなると、対岸の火事どころではありません。まさに「ロシア」という巨大な隣国が行った戦争ですから、いつ、日本が標的にならないとも限らないのです。日本を取り巻く環境は日に日に悪化し、隣国の韓国、北朝鮮、中国、ロシアと日本を敵視している国々に囲まれ、日本単独の防衛力では、到底太刀打ちできないでしょう。それでも、日本は未だに憲法改正に踏み切ることができず、一部勢力は「平和憲法が国を守る」と言い続け、現実を見ようともしません。
テレビに出演している有名な元知事が、ウクライナの戦争初期に、「国民の命を守るために、早く降伏をした方がいい」とか、「中国に頼んで仲介をしてもらったらどうか…」などと発言し、ネット上で炎上しました。どうやら、命には替えられない…という主張をすれば、国民が賛同し、納得するだろう…という意識で発言したのでしょうが、中国に侵略されたチベットやウィグルの人たちがどうなったか、考えてみれば一目瞭然です。日本も敗戦時には、連合国軍によって、かなり理不尽な目に遭ってきました。敗戦国だから仕方がない…という諦めはありますが、ウクライナがロシアに降伏すれば、間違いなく理不尽な要求を飲まされ、国が「亡国」の危機に陥ることは明らかです。主権国家として、理不尽な戦争を仕掛けられ、やむなく降伏し、そして敗戦国として悲惨な状況に陥るのであれば、「戦う」選択をするのは当然です。まして、現代は情報が一市民からも世界中に発信できる時代になっています。どれが真実かもわからなくなってきましたが、どんな理由があれ、「侵略戦争」は紛れもなく「悪」だと定めたのは、国際連合ではなかったのでしょうか。いくら戦後世代とはいえ、50も過ぎたキャリアのある評論家が安易に発言していい内容ではありません。おそらく、自分個人の意見というよりも、その番組の趣旨に合わせて発言したものでしょうから、そのテレビ局としての考え方なのでしょう。
普通に考えれば、家族や友人が理不尽に殺されても反撃できないような国のリーダーは無能の誹りを免れません。敵の攻撃を受けても、すぐに反撃することなく降伏を検討するようでは、まさに、「蛙の楽園」です。次々と人が殺され家が焼かれても、「話し合いが大切だ」などと呆けたことを言う政治家にだれがついていくのでしょう。「国が戦わないのなら、自分が戦う!」というのが、自然な国民の感情だと思います。それが、人間としての本能であり、家族愛だからです。おそらく、偏った発言をした評論家も個人的には思うこともあるのでしょうが、マスコミ業界で職を得ていれば、言いたくないことも言わざるを得ないのかも知れません。気の毒ではありますが、心が動かないからこそ、そんな愚にもつかない意見が言えるのでしょう。こんな世界情勢を見れば、既に戦後の国際秩序は崩壊し、新たな枠組みを作る時代に入ったことが分かります。それは、きっと出来上がるまでには、様々な混乱が起きることでしょう。それは、歴史が物語っています。
さて、そんな混沌とした社会情勢の中で、学校の教職員の勤務実態が広く知られるようになり、「学校のブラック化」問題が明らかにされてきました。では、教職員は昔からそんな扱いをされてきたのか…と問われれば、けっしてそうではありません。経験上で言えば、このブラック問題は、ここ20年くらい前から出て来た問題です。日本の教育が急に変わったのは、平成元年の学習指導要領の改訂で決まったいわゆる「ゆとり教育」がいきなり批判され、学力向上に文部科学省が切り替えた時からだと思います。時の文部科学省は、中教審に諮問して答申を受けた学習指導要領の趣旨を無視するかのように、全国の学校で進めていた「ゆとり教育」を撤廃し、逆の方向へと大転換を図りました。それも、マスコミが「国際学力調査(PISA)の順位が、大きく下がった」ことをスクープし、世論を煽ったからです。どうも、一部の反対勢力に謀られたような気もしますが、実態は分かりません。とにかく、マスコミ全社が挙って学習指導要領を批判し、政府を追及していったのです。これは、後に、某首相を追及した手法とよく似ています。マスコミが火を点けて連日のように報道し、それに国会議員(野党)が便乗するという手法です。当時は、まだ、新聞やテレビがマスコミの主流でしたから、国民は半信半疑ながらもこれを受け入れ、学校現場は翻弄されました。学習指導要領は、改訂されたからと言ってすぐに対応できるものではありません。「移行期間」といって、3年ほどかけてその趣旨を全国の教職員に理解させ、教科書を改訂していくのです。その作業たるや膨大な労力が必要です。しかし、マスコミや一般国民は、そんな詳細は知る由もなく、教育を政治問題にしてしまいました。マスコミは、当然知っていたのでしょう。しかし、政治的イデオロギーで動くマスコミに、学校や子供の混乱を説明しても聞く耳は持たなかったでしょう。ここから、今の「学校ブラック化」問題が生まれました。
戦後の日本の教育は、敗戦国として占領政策を受け入れた7年間の間に、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって決められ、現在に至っています。学校体系の6・3・3制もそうですし、社会科などの教科等もその時に決められました。最近、「道徳」が教科になりましたが、戦前までの「修身科」が徹底的に批判されたことで、戦後は道徳教育すら満足にできないまま放置され、社会の共通の価値がどんどんと失われていきました。日本全体が敗戦のショックで何を信じていいかも分からない状況の中で、GHQは、「新しい民主主義」と称する政策を打ち出していきました。アメリカが巧みだったのは、その統治方法です。日本は、朝鮮でも台湾でもパラオでも、常に「同化政策」中心の統治を行いました。もちろん、これは、「外国の人々を差別する」というよりも、「同胞として一緒にやっていこう」という政策ですが、これは飽くまで日本人の目線に立ったもので、外国人がどう感じていたかの忖度はありませんでした。国の政治の失敗で、外国勢力の支配を受けることになったとしても、理由の如何を問わず、自分たちの生活が外国人によって命令されることを由とする人はいません。どちらかといえば、反発が先に来るはずです。満州でも朝鮮でも、日本側からすれば「精一杯のことをしてやった」と言うのでしょうが、それは支配された人々には屈辱でしかないのです。いくら親切な物言いをしたところで、上から目線でものを言っていることはわかります。当然、生活も現地の人よりもいい暮らしをしています。政治のことはわからなくても、その場で暮らす庶民の感覚は敏感なのです。施しは、する側には「善行」であっても、される側には素直になれない複雑な感情が湧き上がるものです。その辺りの配慮が当時の日本人には欠けていました。ところが、GHQの占領政策は「間接統治」といわれるもので、命令自体は占領軍であるGHQから発せられますが、その命令は日本政府に伝えられ、日本政府の名で国民に知らされたのです。こういう形であれば、占領政策の実態を国民が知ることはありません。不満の矛先は、日本政府に向かい、占領軍に向かうことはほとんどなかったと言います。まして、GHQは、日本の新聞やラジオなどのマスコミを使って、宣伝工作を行っていましたので、情報源の少ない国民は、その情報を疑うことなく、日々の生活さえ平穏であればいい…と考えていました。この間接統治によって、日本は敗戦後の大改革を強いられましたが、多くの国民は、それを諦めに似た気持ちで傍観していたのです。まして、戦争に負けた責任のある軍人や政治家、企業家が落ちぶれていく姿は、愉快であったろうと想像できます。そういう心理さえも上手く突いた占領政策は、アメリカ政府が思う以上に成功しました。
結局、日本人の手によって改革されたものでないために、その改革の意味も分からず、闇雲に命令にしたがっただけのことでした。後付けのように、その意義を解説する学者もいましたが、日本国憲法も同様で、真理の見極めもないまま詭弁のような説明は、だれも納得させられないのです。ただ、「戦争に負けたから仕方がない…」という諦めだけが日本を支配していました。今も、学校教育に対しては、国の方針が明確ではなく、少しでも批判を受けると、その問題を学校に押し付けるのが慣習となってしまい、日本の学校では、「〇〇教育」と称する内容が山ほど国や県から下ろされてきます。そのどれもが中途半端で、本当に子供のためになるのか疑問ですが、それでも、上部機関からの要請があれば、それをやるのも学校の使命だと思わされているのです。そんな時代が長く続くと、日本人の脳裏から「子供の教育」を真剣に考えることはなくなりました。「子供は、勝手に育つ」とか、「子供は学校に任せればいいんだ」という風潮が一般的になり、大人が子育てに参加しなくても、世間は非難しなくなりました。
イギリスの女性探検家イザベラバードは、明治初期の日本を訪れたとき、大人が子供も可愛がる姿に感動したそうです。たとえ、貧しそうな暮らしの中でも、子供が生き生きと遊ぶ姿は微笑ましいものです。しかし、少子高齢化の今、子供を愛せる大人がどれほどいるのでしょう。特に高齢者は、子供の甲高い声を聴くと、それが耳障りなようです。今や学校や保育園などは、地域の「迷惑施設」になってしまいました。明治初期の日本人と比べて、日本人の生活は豊かになったかも知れませんが、心は貧しくなったようです。さらに、児童虐待事件は後を絶たず、地域のコミュニティも崩壊してしまったために、若い親が一人で子育てせざる得ない状況が見られます。これでは、少子化に歯止めが利くはずもありません。こうして、GHQの占領政策は長い年月をかけて日本社会を蝕み、「骨のない日本人」を育てることに成功したのです。
第1章 なぜ、学校はブラック化したのか
(1)戦後の日本の不可思議
私たちは、今の教育制度を当たり前のように受け止めていますが、これは、GHQ(連合国軍総司令部)による日本の占領政策の一環として行われた「改革」によるものだということは、先に述べたとおりです。つまり、彼らは、日本の将来を憂えて制度を整えたのではなく、「日本が二度とアメリカに逆らわないようにする」ために行った改革であることを忘れてはなりません。ただ、アメリカの改革は、見た目には、敗戦前に思っていたほど酷いものではなく、日本の教育の気に入らない部分だけを削除し、後は実験的に6・3・3制を導入したくらいでした。ただし、歴史や道徳の教育だけは、彼らには到底容認できるものではなく、徹底的に破壊されました。そして、この新しい制度は、アメリカの教育使節団の勧告によるものでした。アメリカの教育使節団は、日本の教育をつぶさに調べ、昭和21年と25年に来日し、GHQに教育改革の提言を行いました。主なものには、①教育委員会の設置、②国定教科書の廃止、③国史、修身、地理の停止と社会科の導入、④男女共学、⑤義務教育課程の9年制、⑥6・3・3制の導入、⑦国語改革、⑧PTAの導入などがあります。これらの提言のほとんどは導入され、今の日本の教育の根幹を為していることは、だれもが承知していることです。この中で、一番議論を呼んだのが、⑦の「国語改革」でしたが、当初、使節団では、漢字の弊害を指摘し、「日本語のすべてローマ字表記にしたらどうか?」という提言を行っています。アルファベッドでしか学んでいない人々が、音訓を使い分ける日本語は、習得不可能の文字に見えたはずです。国内においても、志賀直哉の「国語のフランス語化」や朝日新聞社の「漢字廃止論」などが出され、一歩間違えば日本語がなくなる寸前でした。しかし、辛うじて日本語廃止論は政策に採用されることはありませんでした。さすがに、言語まで占領政策で行ったとなれば、ポツダム宣言違反が明らかにされてしまいます。そもそもポツダム宣言は、日本軍の無条件降伏を提示したものであり、日本国の無条件降伏を求めたものではありませんでした。ところが、GHQは、日本国民向けの宣伝として「無条件降伏」のみを言い立て、恰も日本政府がそれを容認したかのような雰囲気を創り上げていったのです。もし、日本が国としての「無条件降伏」を求められたら、おそらく、本土決戦が行われていたはずです。当時の日本政府は、日本の国体(天皇中心の国家)を守る条件で「陸海軍の無条件降伏」を受け入れたのです。したがって、GHQが日本国民に無条件に命令を出す権限はありませんでした。まして、当時の国際法でも、降伏した国の歴史や文化まで戦勝国の自由にすることは許されなかったのです。ただし、GHQの主体がアメリカだったために、ある程度は、ポツダム宣言の趣旨を占領政策に採り入れられましたが、これが、ソ連や中国だったら、そんな約束はすぐに反故にされ、日本は、国そのものが消滅していた可能性があります。少なくても、ドイツのように分割統治され「〇〇の壁」ができていたはずです。そういう意味では、アメリカが占領軍の主体であったことは幸いだったと考えるべきなのでしょう。
日本語が国語から排除されなかったことは、日本の文化や日本人の精神性を辛うじて守ることにつながりました。もちろん、今使われている日本語、特に漢字は、戦前とは比べものにならないほどに縮小されましたが、それでも「音訓」が残されたことは幸いだったと思います。この漢字廃止論は、明治維新のころにも起き、初代文部大臣の森有礼などが、「これからの時代は、古くさい漢字などは廃止すべきだ!」と唱えましたが、それに同調する人々は現れず、日本語は守られた経緯があります。どうも外国人や外国かぶれの人間は、いつも脳が「グローバル化」していて、先進国と同じにしたくて仕方がないようです。そして、自分でも勉強していながら、「漢字を勉強するのが苦痛に違いない…」と思っているところが不思議です。普通に考えれば、日本語の漢字には、音訓があり、自分の感情を表現する上で非常に優れた文字ですが、外国から見ると、やはり英語やフランス語が国際共通語として格好いいと思ってしまうのでしょう。それでも戦後は、旧字体が新字体になり、覚える漢字がかなり減らされ、「当用漢字」が使われるようになると、日本語がかなり歪なものになったのは事実です。今でも「点(點)」や「体(體)」「溶(熔)」など、旧字体の方が意味が分かりやすい漢字もあり、難しいから簡略化すればいいというものでもないだろうと思いますが、GHQに忠実だった学者たちは、さほど抵抗するでもなく、いつも「仕方ない…」という諦めの心境で文字を作り替えていったのです。これだけを見れば、かなり穏当な改革だったように見えますが、漢字が廃止され、日本語すべてローマ字表記が現実となったら、それはもう日本ではありません。このローマ字だって、なぜ、勉強しているのかさえ分からないまま、今でも使用されています。
GHQも皇室を残した以上、そこまでの改革はできなかったのでしょう。まして、昭和25年といえば、朝鮮戦争が起きた年で、アメリカ政府やGHQの官僚たちも、終戦直後のように「日本を解体しろ!」などという過激なことを言う人もいなくなり、日本との同盟関係が欠かせないという意見に転換されていたので、日本人が激しく怒るようなことはできなかったのだと思います。こうして、日本の教育は否応なしに変えられていったのですが、これにより、日本の教育界が混乱を来したのは当然でした。
まず、問題になったのが、③の「国史、修身、地理」の停止でした。今の日本人は、歴史や地理に対してあまり興味を持たず、単なる暗記物(年代、語句を覚える)として捉えているようですが、国の歴史や地理を知らないということは、国を理解しないことと同じです。戦後、これらの内容は、「社会科」という教科にまとめられてしまったために、指導する時間も少ない上、学校でも熱心に行われる教科でないために、あまり子供たちは興味を持たなくなってしまいました。さらに、今の学生は、特に日本の歴史を学ばなくても高校や大学を卒業することができます。高等学校では、日本史と世界史は選択制なので、受験に都合がいいという理由で、世界史を選択する生徒が多いのが現状でした。最近になって「歴史総合」という教科が誕生して、高校生も日本史を履修するのが必修になったそうですが、「今ごろ…」感は否めません。そもそも、「自分の国の歴史を学んでも、学ばなくてもいい…」という教育政策を採ってきた文部科学省は、一体、何処の国の行政機関なのでしょうか。最近になって、やっと「知識偏重」から「思考重視」へと学校教育も転換を図ろうとしていますが、戦後、長く続いた習慣を一朝一夕に変えられるものでもありません。そういう意味で、日本は、世界の流れから相当に遅れをとってしまったのです。まして、「道徳」など、あってもなくてもどちらでも構わない…くらいに考えているはずです。学校の教師も道徳を熱心に指導する人は少なく、経験上、「息抜き」の時間程度の扱いでした。これは、日本の戦後の歪な社会体制が作った負の遺産ですが、他の国々では、歴史や地理、宗教教育は、最も大事な教科として指導されています。たとえば、アメリカが合衆国の建国の歴史を知らなければ、「合衆国」の意味すら分からないことになります。多民族国家の国民が建国の意味も知らずに、ただのアメリカという国に移住するだけであれば、それは、単なる移民国家でしかなく、合衆国としての柱を無くすことになります。
アメリカ人は、市民権を得るためには、アメリカという国に忠誠を誓わせますが、生活様式や文化の違う人々が同じ国で暮らすには、「国家への忠誠」が絶対に必要なのです。だからこそ「国史」をとおして、国民にアメリカ人としての誇りと忠誠心を養うのです。しかし、今のアメリカを見ていると、その絆も弱まり、建国の歴史を否定する勢力まで現れていますので、さらなる混乱が生じる可能性があります。今のアメリカは、学校や家庭で、あまり「建国の歴史」を教えていないのかも知れません。
日本の場合、建国の歴史は「天皇の歴史」になります。昭和15年が天皇暦でいう「皇紀2600年」ですから、西暦よりずっと長い歴史を持っている国が日本なのです。さらに、今の天皇は、天照大御神を祖神とし、初代神武天皇からつながる126代目の天皇となる徳仁天皇陛下です。これが、日本の歴史なのですが、学校で勉強した人はあまりいません。戦前までは、社会科という教科はありませんので、歴史は「国史」として勉強しましたし、地理は、「大日本帝国」の地理として勉強していました。しかし、これも敗戦によってすべてが塗り替えられてしまいましたので、教えるには都合が悪かったのでしょう。さらに、今の道徳になる「修身」が停止されたことは、日本人の歴史や文化の支えであった「心」を失わせる効果があり、後世に非常に大きな影響を与えることになりました。GHQにとっても、日本で一番怖ろしいのが「大和魂」といわれるスピリッツです。一度でも、日本軍と戦ったことのある兵士なら、その日本兵の強さは痛感していました。兵器の質や戦術などはお粗末でも、個々の兵士の強さは違います。あの精強を誇るアメリカ海兵隊ですら多くの死傷者を出した戦いは、未だに記憶に新しかった時代です。GHQは、真っ先に日本人の「スピリッツ」を破壊しようと企みました。それが「修身科」と「神道」の廃止だったといわれています。マッカーサーは、英霊たちを祀る靖国神社も破壊しようとしましたが、当時、日本に滞在していたのローマ法王庁のブルーノ・ビッテル神父の助言によって破壊は免れました。ビッテル神父は、「たとえ敗戦国であろうと、英霊たちを祀る宗教施設を破壊することは許されない。もし、それを行えば、アメリカ軍の歴史に汚点を残すだろう」と諫めたそうです。それくらい、日本人の精神性をGHQは怖れたのです。
GHQにとって、一番怖ろしかったのは、日本人の精神力(大和魂)でした。そして、日本人の精神的支柱であった「天皇」の存在を怖れたのです。マッカーサーが、天皇陛下に会った際、軍服も身につけずラフな恰好でポケットに手を入れたまま尊大な振る舞いをして見せましたが、あれは、逆に見れば「畏れ」があるからこそ、尊大に振る舞うしかなかった…とも言えるのでしょう。二人の写真が新聞にも掲載されましたが、静かに佇む昭和天皇と尊大に振る舞おうとするマッカーサーの対比が面白い構図になっています。後に、マッカーサーはこの写真を見て、さぞや恥ずかしかったろうと思います。所詮、一時の権力でのし上がってきた軍人と、2600年に及ぶ国の歴史と文化を背負っている元首を同列に扱う方が無理なのです。マッカーサーは、昭和天皇と会った瞬間にそれを悟ったようです。それが、普通の人間です。そして、マッカーサーは、自分が直接対峙した日本軍を思い出したはずです。実際に戦場で戦った日本軍兵士は頑強で、けっして侮れない男たちでした。特に、ペリリュー、ガダルカナル、サイパン、硫黄島、沖縄と続く陸海空の大決戦は、アメリカ軍の将兵の精神をも狂わすほどの衝撃でした。どの戦いも日本軍の玉砕で終わっていますが、何日も続く日本軍兵士の突撃に晒されたアメリカ兵は、必死に銃弾を日本兵に撃ち込んだといいます。また、昭和19年末から始まった体当たり攻撃(特攻作戦)は、空から翼を広げて突っ込んで来る悪魔のように感じたといいますから、その怖ろしさは尋常ではありません。そのために、多くの兵士が精神障害を病み、戦線から離脱していきました。そういった兵士は、戦後も後遺症に悩まされた者も多かったようです。そのために、アメリカ軍は、日本軍の攻撃の被害をなるべく隠すようにして発表しましたが、実際の戦場ではまさに地獄の光景が広がっていたのです。
アメリカという国にとってだれと戦おうと、勝利は当然です。問題なのは、その死傷者の数にありました。自分の愛する息子が、惨たらしく敵兵に殺されるのを喜ぶ親はいません。アメリカ人にとって、戦争とは、単に勝利することではなく、息子たちが無事に還って来ることなのです。この感覚は、日本人以上に強いと思います。日本人は、「死んで還れ」と励まして見送りましたが、アメリカ人は、「無事に還ってきて」と祈りながら見送ったのです。歴史の上での戦争は、数字の羅列でしかありませんが、実際の戦争は、生身の人間の生活そのものでもありました。一人の若い兵士の死が、その家族に及ぼした影響を考えれば、戦争によるメリットはありません。それによって国は栄えようとも、家族が滅んでは意味がないのです。そんな当たり前のことが、意外と忘れられているような気がします。だからこそ、アメリカは、これ以上の犠牲者を出したくなかったのです。そんな日本兵の精神力である「大和魂」を教えたのが「修身」だと感じたGHQは、即座に学校での指導を停止させ、一切の「精神教育」ができないように命じました。教育の力によって、「国の誇り」も「精神力」も「大和魂」も日本人から奪い、二度と立ち上がれない民族に造り替えようとした大改革が占領政策なのです。
戦勝国が敗戦国に行う占領政策というのは、目に見える虐待や差別、奴隷化ばかりではありません。第一次世界大戦の敗戦国ドイツは、帝政を潰されてワイマール憲法を押し付けられました。一見民主的な憲法に見えますが、今の日本国憲法と同じで、当時のドイツの状況や国際情勢を無視した憲法で、ドイツ国民をこれで縛ろうとする意図がありありでした。その上、多額の賠償金を請求され、ドイツ国民は塗炭の苦しみを味わうことになったのです。そのため、ドイツ人が、戦勝国の欧米を憎む気持ちがヒットラー政権を誕生させたといわれています。今でも、ドイツ人が他のヨーロッパの国々と一線を画しているのは、そんな、歴史的な背景があるからなのでしょう。アメリカが狡猾なのは、こうした巧妙な手口で、その民族の「骨を抜く」のことにあるからです。特に、その国の「歴史と精神性」は、国家としての「背骨」にあたる重要な柱なのですが、その背骨がなくなれば、たとえ肉体が残ったとしても、人としては死んだも同然です。日本の占領政策は、表面上は穏やかに見えますが、日本を二度と立ち上がらせないという目的は、十分に達成できたことは、当の日本人が知っていることです。こうして7年間の占領政策に成功したGHQは、日本に多くの置土産を残して去って行きました。結果、これまでの日本の教育は徹底的に破壊され、新しい戦後教育が始まったのです。しかし、それが完全に定着するまでに50年という年月が必要でした。なぜなら、GHQによる教育改革で学校の教育制度は大きく変わりましたが、子供は学校のみで育つわけではありません。家庭に帰れば家庭の教育があり、地域社会での教育もあり、それらが急激に変わるわけではないのです。要するに、GUQの撒いた種が十分育つのには、約50年という月日が必要でした。戦後に生まれて、占領政策による教育を受けた世代が50代に入ったころ、日本は昭和という時代を閉じました。つまり、昭和は、「戦前に教育を受けた人たちが創り上げた時代」なのです。戦後教育世代は、まだ、社会の中核ではありませんでした。この世代が社会の中核として活躍し始めるのは、まさに「平成」「令和」の時代ということになります。今、GHQの残した教育遺産は、ここに来て花開こうとしているのです。
終戦直後のアメリカは、戦勝国という驕りと核兵器を持ったという自信で、世界の支配者になったような錯覚に陥っていました。日本を共産化しようと企んだアメリカ政府やGHQの一派もありましたが、数年後には彼ら自身がアメリカ議会の追及を受けて失脚して行きました。それは、アメリカ政府がソ連のスパイに牛耳られていたことが、ある議員の調査によって発覚したからです。大戦中の大統領だったルーズベルトも、次のトルーマンも、政府内に蔓延る親ソ派の共産スパイによって操られていたことが議会によって暴露され、レッド・パージ(共産主義者追放運動)が起こったのです。日本では、戦後すぐに国策に協力した人々を「軍国主義者」というレッテルを貼り、有力な政治家や学者、軍人などが「公職追放」の憂き目に遭いました。彼らがいたのでは、GHQの改革は進みません。戦前まで日本の政治、経済、軍事、マスコミ、教育の各分野で中心となっていた人々を追放することで、GHQの意を汲んだ日本人を登用することができます。それが、「左翼思想」を持った日本人たちでした。治安維持法で収監されていた共産主義者たちが解放され、国の重要ポストに就き、学者たちも左翼の学者が、教育界を牛耳りました。マスコミも同じです。こうした体制をGHQは7年という年月をかけて創り上げたのです。そして、極めつけは、極東国際軍事裁判(東京裁判)を行い、日本の指導者を裁判にかけ、その多くを重罪にしました。ABC級に分けられた裁判で死刑になった日本人は、およそ1000人に上ります。その多くは、B、C級といわれた戦争犯罪行為の容疑で死刑にされた人たちです。今でも、当時の裁判の様子が記録されていますが、「えっ、これで死刑なのか?」と思うような事例がたくさん見られます。まさに、復讐裁判以外の何ものでもありません。そして、GHQは、日本の戦争を「共同謀議による侵略戦争」だと断定しました。GHQは、日本は国策として「世界制覇を企んだ侵略戦争」を起こしたと結論付けたのです。常識的な日本人なら、「そんな、ばかな…?」と思うでしょうが、当時は、日本が起こした戦争は、国際社会に対する挑戦と受け止められており、東京裁判もそれを基に開かれたのです。
公職追放命令は、これまでの日本を支えてきた人々が、あらゆる分野から追放されることを意味します。その期間は未定で、日本を動かしてきた人たちのほとんどが、その職を追われました。たとえば、企業でいえば、課長職以上が全員追放されたようなものです。そうなると、企業はそれに替わる人間をその職に充てなければなりません。それは、企業経営自体を根本から変えることになる危険性を孕んでいました。実際、役所も企業も大学も、経営陣が総入れ替えになり、GHQの命令を従順な人間が、そのポストに収まったのです。教育界も同じでした。戦争中に国の政策に忠実に従い、教え子を戦場の送った教師たちは、敗戦により心を痛めました。「立派に戦ってこい!」と励ました生徒や学生が次々と戦死し、敗戦によって彼らの死が不当な扱いを受けることに、教師たちは耐えられなかったのです。また、GHQの指令によって、学校で教えられる内容が制限され、正しいと思って指導したことが否定されれば、もう、教師としての自信は失われます。昨日まで「鬼畜米英」を叫ばせていた教師が、今日は、「アメリカ万歳!」では、恥ずかしくて子供の前に立つこともできません。こうして、優秀な教師は教壇を去っていったのです。
当時のGHQの幹部には「容共主義」が蔓延り、親ソ派が多くいたことから、その政策は民主化というよりは、共産化に近いものが選ばれました。実際、財閥解体や農地解放、労働組合などは、まさに「平等主義」の典型的な政策です。こうした一連の共産化政策の最後に皇室を潰せば、ソ連のような共産主義国の誕生となります。だれが企んだかは分かりませんが、やっていることを見れば、そのねらいが天皇と皇室にあったことだけは間違いありません。力ずくで潰せないのなら、周りから徐々に時間をかけて牙城を崩す作戦を彼らは考えました。もし、アメリカで「レッド・パージ」(共産主義者追放運動)が起こらなければ、日本は、共産主義国になっていた可能性がかなりの確率であったと思います。当然、日本でも「レッド・パージ」が起こり、各界から共産主義者が追放されましたが、既に公職追放で、教育界にも多くのそのシンパが登用されており、これを一掃することは不可能でした。まして、できたばかりの日本国憲法は改正することもできず、教育改革もさすがに変更できなかったのです。唯一、アメリカ政府の求めに応じて、軍隊ではない「自衛隊」を発足させることはできました。しかし、軍隊としての規定がないために、形式上は多くの兵器を保有していますが、その使用に関しては、すべて国内法で整備しなければならず、軍としての機能を有することができませんでした。それにしても、占領期間の数年の間にコロコロとその方針を変えるアメリカという国も不思議な国です。あれほどの情報機関を持ちながら、易々とソ連のスパイを政府の中枢に受け入れ、国策に関わらせていたのですから、各地に放っている諜報員の情報はどう扱われていたのでしょうか。いくら親ソ派の人間が多かったとしても、共産主義を認めてはアメリカという国の存在が危ぶまれるはずです。マッカーサーももう少しアメリカの国内問題を見て、日本の占領政策を行っていれば、日本国憲法を押し付けることもなく、同盟国として強固な関係を築けたに違いありません。あの時点で日本国憲法を制定したのは、アメリカ政府とマッカーサーの勇み足だったといえます。マッカーサーは、占領直後は天皇を単なる権力者の一人に過ぎないと思い込み、敗戦になった以上、国民がついてくるとは思わなかったでしょう。そして、敗戦国の皇帝など自分の意のままに操れると思い、傲慢な態度に終始しました。しかし、初めて会ったとき、昭和天皇の純粋な心に触れ、生まれて初めての衝撃を受けたのです。その後、二人だけの会談をとおして、マッカーサーは天皇の訴追を断念したと言われています。しかし、あの天皇と一緒に撮った写真ほど、無礼な態度はありません。あれが、マッカーサーという人間の限界であり、生涯の汚点だったと思います。後に、マッカーサーがGHQの司令官を罷免され本国に戻るとき、天皇の見送りを期待しましたが、天皇はそれを無視しました。また、天皇がアメリカ訪問をされたときも、マッカーサー夫人からのマッカーサー記念館への訪問要請を拒否し、天皇ご自身の意思を明確に示されたのです。
日本の天皇は、アメリカ大統領のような選挙による国家元首と違い、家柄、血筋の継承で決まる建国以来の地位で、日本国の歴史を背負う日本国の象徴です。他国のような一時期の権力者とは違う存在なのです。そのマッカーサーも、朝鮮戦争を機に、アメリカ政府から疎まれ、連合国軍総司令官の地位を追われると、本国に送還され、その栄光は短いものとなりました。そして、昭和26年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で答弁に立ち、日本の戦争についてこう語りました。「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」(したがって、彼らが戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだったのだ)と…。これをどう訳すのが適当かはわかりませんが、日本の占領政策をとおして、彼なりに気づいたこともあったのでしょう。
その後、日本は何度も日本国憲法の改正のチャンスがありましたが、高度経済成長を目指す日本政府は、このチャンスを生かさず、日米同盟を強化することで国の安全保障を得たのです。それが、今も続く日本のアメリカの同盟関係になりました。こうした時代背景の中で、戦後の日本社会は創られて行きました。それは、国としては非常に歪な形であることは、冷静に見ればだれもが分かることです。建国以来、2700年になろうとする国が、昭和20年8月15日で途絶え、大きな溝を造ってしまったのですから、歪な社会になるのは当然です。辛うじて、天皇と皇室が残されたことで日本という国は存続しましたが、社会構造が変わり、道徳観が変わったことで、戦前までとは違う日本人が創られていったのです。今の人たちは、それが当たり前なので何の疑問も持ちませんが、これを壮大な「社会実験」だとすると、戦争に敗れるということが如何に怖ろしいかが分かります。たとえば、日本国憲法ですら慎重に検討した形跡は見当たらず、GHQに指名された学者や軍人たちが、ドイツのワイマール憲法等を参考し、一週間程度で素案を完成させたということですから、いい加減なものです。後の取材に当時の作成者は、「まさか、占領期間が終われば、すぐにでも改正されると思った…」と答えていますが、さて、この回答も眉唾物です。取材を受ける側も、今の日本を敵に回したくないために、そんな言い訳をしたというところでしょう。この日本国憲法は、恰も大学のゼミで学生が討論して創り上げたようなもので、しかも、その中に日本人はだれも入っていないのです。それでも「天皇の名」で公布されれば、これまでの大日本帝国憲法に替わる憲法となってしまいました。よく、政治家は「憲法は不磨の大典」などという言葉を遣いますが、碌な検討もせずに作られ、占領軍に押し付けられた憲法が、何故「不磨」なのか、子供に尋ねられても答えようがありません。いくら改正のハードルが高いといっても、日本人の手によって改正できるのですから、国民の意思さえあれば改正は可能なのです。それを放置した戦後の政治家は、無責任の誹りを受けても仕方がないと思います。
日本の戦後教育が、こうして始まったことを若い先生方には知っておいてもらいたいのです。今の大学で、この戦後史を本気になって教える先生はいないと思います。たとえ知っていても、それを教えて得になる人はだれもいないからです。今の社会では真実を語れば語るほど、危険思想の持ち主であるかのようなレッテルを貼られ、組織から排除される危険性すらあります。各地方自治体でも、左派の地方議員は多く、少しでも自分たちの主張する思想と違うことをすれば、危険思想の持ち主として糾弾されることは目に見えています。日本政府も、そんな圧力に怯え、真実を語ろうとはしません。結局、長い物には巻かれろ…の精神で口を閉ざすしかないのです。教える先生も、教わる学生も、それを知って、周囲に語ったところで何の得にもならないでしょう。しかし、逆に知らなければ、自分の立ち位置すらも気づかないまま教壇に立つことになるのです。確かに、今の社会では「知る必要のない歴史」かも知れませんが、知っていながら口を閉ざすのは、如何にも卑怯な気がします。教師とは「真実を語る」人間であろうとする存在だから「聖職」と呼ばれるのだと思います。いくら民主主義の世の中になった…とはいえ、それぞれのイデオロギーで生きている人は多く、それを冒されそうになれば、死に物狂いで潰しにかかるのです。今の政治を見ていても、当たり障りのないことだけを言う調整型の政治家は人気がありますが、率直に自分の思いをぶつける政治家は、人気がありません。しかし、真実はひとつしかないのも事実です。日本には、「見ざる、言わざる、聞かざる」という諺がありますが、教師もその方がいいのでしょうか。
(2)戦後教育の失敗
さて、GHQによる占領政策が終わり、日本もサンフランシスコ講和条約の締結によって、国際社会に復帰することができました。正式には昭和27年4月28日のことです。今は、この日が特別な日と定められていないために思い出す人は少ないと思いますが、日本の「主権」が回復した日として、心に留めておきたい日です。それから12年後の昭和39年10月10日に「オリンピック東京大会」が開催され、日本は戦後の復興を成し遂げたことを世界中に知らしめることに成功しました。敗戦から僅か20年足らずでの復興は、世界中が驚きの声を上げるとともに、賞賛の声で溢れたといいます。日本人も、この世界的イベントをテレビを通して夢中になって見ました。テレビが一気に普及したのは、このオリンピックがきっかけでした。このころになると、街の復興も進み、戦後生まれの子供たちも平和が当たり前の感覚になっていました。しかし、ベトナムでは戦争が始まっており、地球規模で見れば、そんなに平和な時代ではなかったのです。それに、この「奇跡」と呼ばれた復興ができたのは、いくつもの「運」が重なったお陰でもあったのです。その一つ目が、昭和25年に起きた「朝鮮戦争」でした。第二次世界大戦の勝利者となったアメリカ合衆国が、「これで、世界の支配者になった」と思ったのは、錯覚だったのです。時系列で追ってみましょう。
昭和20年 8月15日 第二次世界大戦終結
10月24日 国際連合設立
昭和21年11月 3日 日本国憲法公布
昭和22年 冷戦の始まり
昭和23年 アメリカでレッド・パージ起こる
昭和24年 9月25日 ソ連核実験成功
10月 1日 中華人民共和国建国
昭和25年 6月25日 朝鮮戦争勃発
昭和26年 9月 8日 サンフランシスコ講和条約締結
昭和30年11月 ベトナム戦争勃発
昭和39年10月10日 東京オリンピック開幕
これを見ても分かるとおり、日本の敗戦から僅か2年後には、アメリカは同じ連合国としてドイツ、日本と戦ったソ連と対立を深めているのです。そして、すぐに共産主義者の追放運動が起こり、それと同時期にソ連は核保有国になりました。次いで、中国に共産主義国家である「中華人民共和国」が建国され、アメリカが支援していた毛沢東にまで裏切られました。アメリカ政府は、戦争中は中国国民党の蒋介石を支援し、日本と戦争を継続するように促し、日本が敗戦するや否や、掌を返して今度は共産党の毛沢東を支援するといった二枚舌外交を行っていました。日本軍がいなくなった中国では、国共内戦が勃発し、アメリカの支援を受けた共産党軍が国民党軍に勝利し、中華人民共和国を建国しました。そして、敗れた蒋介石は台湾島に逃げ、「中華民国」を名乗ったのです。要するに、アメリカは日本を叩くためだけに中国を利用し、日本を排除すると共産党支援に回ると言った異常な行動に出ています。結局、アメリカは、何のために中国を支援し、共産党政権の国家を作らせたのか理由が分かりません。朝鮮戦争では、マッカーサー率いる国連軍(中味はアメリカ軍)は、その毛沢東の中国義勇軍と戦う嵌めに陥り、とんでもない犠牲を出しています。マッカーサーが罷免されたのは、その中国義勇軍との戦い方について、アメリカ政府と対立したためだと言われています。そもそも、第二次世界大戦というのは、米英ソの連携によってドイツと日本が敗れた戦争でした。特にアメリカは、ヨーロッパに大量の武器弾薬を送り、英ソを支援し続け、中国に対しても同じように武器弾薬を送り、日本との戦いを支援していました。要するに、アメリカがいなければ、ソ連も中国もドイツや日本に勝利できなかったのです。それが、僅か2年も経たないうちに、両国共にアメリカを裏切り、世界を二分するような状態を作ってしまったのですから、第二次世界大戦が「仕組まれた戦争」と言われる所以なのかも知れません。まるで、裏切られることを承知していながら、アメリカはソ連や中国に支援していたとしか思えないのです。つまり、当時のアメリカ政府や大統領は、スターリンや毛沢東に操られ、彼らにとって邪魔なドイツと日本をアメリカの手で潰させただけなのです。そのスターリンや毛沢東も別な何者かによって操られていたに違いないのですが、それが分かるまでには、まだ、相当の時間がかかることでしょう。だから、戦後は、日本やドイツに替わってアメリカが単独で、共産主義と戦う嵌めになったのです。アメリカの国民は「戦争反対」を叫び、「二度と世界大戦には参加しない」という公約で大統領を選んだのに見事に裏切られ、その後も多くのアメリカの若者が戦場で亡くなりました。こんな大義のない戦争に駆り立てられたアメリカ青年と国民は気の毒でなりません。これを愚かと言わずに何と言うべきなのでしょうか。こうした世界情勢の中で日本は解体され、理不尽な改革を強いられて現在に至っているのです。それを前提に教育問題も考えなければ真実は見えてきません。
前述したとおり、敗戦によって日本の教育は大きく歪められました。戦前の教育を「悪」と見做し、それをアメリカ主導の「民主化教育を施す」とするところからすべてが始まっているのです。このころ、社会では「労働組合運動」が盛んに行われるようになりました。いわゆる「スト」です。私の子供のころは、このスト(ストライキ)は日常茶飯事で、今でも、賃上げのための「春闘」という報道を耳にすると思いますが、当時は、それはすごい勢いがありました。これも、GHQがやらせた労働運動です。国民も「労働運動」に参加することが、民主主義だと思っているところがありましたので、「労働者の声を会社(経営者)に伝えよう!」というスローガンは、全国に広がって行きました。何処の会社でも雇用される側は「労働組合」を作り、経営者側と対立する構図になっていくのは自然の成り行きでした。それに呼応するかのように、学校の教職員も「教職員組合」を作りました。そこでは、「教師は労働者だ!」というスローガンを打ち出し、国や政府と対立するようになったのです。もちろん、労働組合そのものが悪いということではありません。大正時代にも民主化運動が起こり、学校にも自由化の波が押し寄せたことがありますので、日本人は経験済みだったのです。しかし、当時は、まだ「教師=聖職」という意識があり、戦後の労働運動のような動きにはなりませんでした。教師(教職員)も公務員として勤務する以上、労働基準法に則った労働とそれに伴う対価が必要ですから、それなりの正当な要求は必要でした。しかし、この組合活動が問題だったのは、その組織を「共産思想」を啓蒙する組織になって行ったことです。各学校では、「分会」と称する組合員の組織ができ、常に「オルグ(宣伝・勧誘活動)」が行われていました。組合に入らない教職員には、執拗にその必要性を説くだけでなく、共産主義的な指導が行われ、教師から真実を追究する眼を奪っていったのです。組合員の多くは日本の戦争を「侵略戦争」と呼び、占領軍が撤収した後も忠実に「東京裁判史観」を受け入れ、それを宣伝し続けたのです。その組織力は侮れず、学校によっては組合に入らなければ仲間外れにされる危険性もあり、教育委員会も黙認せざるを得ない状況でした。こうした状況の中での教育は、当然、左に偏り、真実を語ろうにも職場の雰囲気はそれを許しませんでした。今では、全国の労働組合もその勢いを失い、組織率も低下の一途を辿っています。今、大規模なストを打てる組織は、何処にもないでしょう。それがいいのか、どうかはわかりませんが、昭和という時代は、そんな熱量のある時代でもあったのです。
若い人たちは、日本の戦争を「太平洋戦争」若しくは、「アジア・太平洋戦争」と呼ぶことになれてしまっていますが、これはGHQが命令した呼称であり、「アジア」を付け加えたのは左派系の学者たちです。日本は、天皇の詔勅にもあるとおり「大東亜戦争」を戦ったのであり、歴史に太平洋戦争と書き記すのは適当ではありません。しかし、教科書に堂々とその用語が使われていますので、もう変更はできないでしょう。マスコミや学者も当然のように「太平洋戦争」を使い、特に痛痒は感じないようです。この太平洋戦争史観は、昭和21年5月3日から昭和23年11月12日まで行われた「極東国際軍事裁判」(いわゆる東京裁判)にも受け継がれ、日本人の多くが戦犯として裁かれ処刑されました。まさに、アメリカが世界の支配者として君臨し、「我こそが絶対者である!」と振る舞った時期と重なります。しかし、既にこの裁判中もソ連は常に傲慢な態度に終始し、アメリカやイギリスとの軋轢が生じ始めていました。なぜなら、ソ連は既に世界制覇を企んでおり、核開発に着手していたのです。そして、この裁判が終わる頃には原子爆弾が完成し、冷戦が始まっていました。「日本やドイツを叩き潰せば、世界は平和になる!」という英米の政治家たちの思い込みは脆くも崩れ、アジアもヨーロッパもアメリカも共産主義との戦いが待っていたのです。こうした世界情勢の中で、日本はGHQの親ソ派・共産主義者による占領政策に振り回されていました。実際、戦後の教育が始まると、これまでの「国定教科書」は使えなくなりましたが、当座は、教科書の不都合な部分に墨を塗って使用することになりました。既に、国史や地理、修身は停止されており、事実上、学校が再開されても教えることは「読み、書き、計算」だけだったのです。修身科がなくなって、道徳(領域)が誕生するまでには、13年もの年月を要しました。それまでは、新しく誕生した「社会科」の一部で道徳的な内容が教えられていましたが、それは一般的なモラル(倫理)で、道徳とは呼べない内容でした。そして、昭和33年に「道徳の時間」が特設されましたが、日本の教育界が既に左派(親共産派)によって支配されており、学校で「道徳の時間」を有効に使って教える教師は皆無だったと思います。私の経験上で言うと、道徳の授業といえば、教育番組の道徳関係ドラマを見せてお終い…という授業が多く、酷いものになると、道徳の時間がホームルームになり、遠足の計画や係決め、席替えの時間などに使われた例も多いのです。たった週に1時間の道徳の時間が、テレビの視聴やホームルームでは、道徳教育などあってない状態でした。さらに、日本の歴史の授業の多くは、明治時代までで終わることが多く、当時の教師たちは、敢えて、現代史の授業をボイコットしたのです。それは、おそらく教職員組合のオルグによる宣伝効果だったと思いますが、どの教師も平気な顔をして現代史の授業を放棄し、教科書の内容を教えないまま卒業させるのですから恐れ入ります。学校の雰囲気もあるのかも知れませんが、こうした違法行為が学校で堂々と罷り通っており、高校や大学入試などにも現代史が出題されない時代が長く続きました。それを不思議と感じない神経が、教師に蔓延していたのです。これも、占領政策の成果のひとつでしょう。
世界では、歴史を学ぶには過去からではなく、現代から教えるといいます。何処の国でも、歴史を「先祖の物語」として学び、愛国心を育てるものですが、日本だけは、その「愛国心」を否定し、自分の先祖の物語を頭から否定してきたのが戦後教育です。この傾向は現在も続き、左派(親共産派)の勢力が強いために、日本の国会ですら正常な政治ができないでいるのが現実です。こうした偏った教育が、70年以上続けば、日本人の精神構造が改造されるのは当然かも知れません。特に、GHQの影響を強く残したマスコミは、常に左派に有利な記事を書き、テレビ放送等を利用して宣伝活動を行ってきました。それが、「マスコミの使命」のように感じている記者がいることも事実です。過激でショッキングな記事を書く記者は、自分の仲間であるマスコミによって持ち上げられ、時代の寵児のように扱われましたが、多くは、時間と共に嘘が暴かれ、社会から消えていきました。当然といえば当然ですが、日本人はマスコミ情報を信じやすく、そうした報道を聴くと、明らかな嘘であっても「テレビや新聞がそう言うから…」と、疑わない習慣がありました。私の父も左派系の新聞を取り、「〇〇新聞は、インテリが読む新聞なんだ…」とか、「この新聞の記事は、よく入試問題に取り上げられるんだ…」と言って嬉しそうにその記事を読んでいました。小学校の高等科卒の父にとって、新聞を読むことで「インテリ」の仲間入りができたように思ったのでしょう。マスコミは、それを上手く利用して今日まで来ましたが、最近では、インターネットのお陰で、様々な意見を聴くことができるようになり、国民の多くは、自分の力でものを考えるようになりました。これは、非常によい傾向だと思います。
日本人は農耕民族の性質を有しているために「付和雷同」的なところがあり、常に周囲と歩調を合わせようとします。多数派の意見に左右され、正しいと思っていても、多くの意見の方に流されます。個人としては別の意見を持っていても、周囲の目を気にして、多数派に追随しがちなのです。
たとえ政府があやふやな方針を出しても、それに反論するでもなく従順にしたがう気質は、日本人の特性かも知れません。しかし、言葉には出さなくても一人一人は自分の考えもあり、けっして個性がないというわけでもありません。とにかく、外国人に比べて非常に掴み所のない性質を有しているのが日本人です。それを上手く利用したマスコミは、新聞、雑誌、テレビ、ラジオ等を使って新しい歴史観を植え付けていったのです。この「洗脳」は現代も継続しており、マスコミは完全に左派(親共産派)の色を隠さなくなり、多くの日本人が、さすがにあきれ果て、マスコミ離れを起こしています。しかし、親共産派は、政界、財界、教育界等に深く侵入しており、これを排除するのは容易ではないでしょう。彼らが権力側にある限り、左派(親共産派)の影響は免れないと思います。
日本には表現の自由が保障されていますので、容共主義であっても否定はできません。問題なのは、事実をねじ曲げてまで自分たちの考えに同調させようとする運動にあります。自分たちは「表現の自由」「人権の重視」を謳いながら、それに反する言論や表現を封じ込めようとする動きに、国民の多くは呆れ、見放しているのです。だから、新聞も雑誌も売れず、テレビの視聴率も年々「過去最低」を更新しています。この現実を直視せず、これまでと同じ運動を続ければ、近い将来、日本の旧来型のマスコミは消滅するに違いありません。
ここまで読んできて、若い先生方は、日本の戦後史が少しは理解戴けたでしょうか。最初から邪な気持ちで創られた「教育」が、国のためにも国民のためにもならないことは明らかです。いずれ、修正される日が来るとは思いますが、敗戦後の日本の歪んだ姿は、いずれ「暗黒の時代」として歴史に刻まれるに違いありません。見た目は豊かになりましたが、日本人の精神性は破壊され、心を改造された経験は、その国の恥辱として記録されるべきなのです。
GHQは、日本の学校制度だけでなく、その指導する学習内容に手を伸ばし、徹底した日本人改造教育を始めました。そこにこそ問題がありました。今の制度では、国は児童生徒の学習内容に関して制限を設けています。それが「学習指導要領」です。この学習指導要領は10年に一回の見直しが行われ、新しい教育課題を解消するために改訂されることになっています。この内容の改訂に当たっては、文部科学省は「中央教育審議会」なる有識者会議を開いて内容を検討しており、そこに諮問し答申を受けるという形で新しい学習指導要領が改訂されてきました。もちろん、有識者には文部科学省の意向は伝えてあり、それに応じた答申がなされるのです。しかし、この改訂にはひとつ大きな問題があります。それは、日本としての「教育のあり方」の問題です。今の日本の教育には肝腎な「背骨」がありません。つまり、歴史教育が曖昧なまま放置されてきたために、この70年間、日本で教育を受けてきた人には、「国に対する誇りや愛情」が持てないでいるのです。おそらく、世界の国々と比較しても「自分の国が好き」という人の割合は、最低だと思います。
戦後、しばらくは近現代史が疎かにされ、歴史や地理を学ばなくても大学入試には何の支障もないのですから、敢えて、面倒臭い教科を勉強しようとする学生はいません。小学校から高校まで現代史を学ばなければ、入ってくる情報はテレビや映画などの「作り物」の世界だけです。テレビ番組の「水戸黄門」を見て、あれが真実だとは思わないでしょうが、映画で描かれる粗野な日本兵の姿を見れば、勉強していない人から見れば、「あれが、日本軍だ」と思うでしょう。それに、戦中を経験した人たちから見れば、敗戦のショックもあって、当時の政治家や軍人をよく言う人はいません。昔、「うちの旦那は、赤紙一枚で戦争に取られ、骨も戻らなかった…」と言う声を聞きましたが、それは、当時の国や社会に対する怒りの表れでもあるのです。敗戦によって、それまでの価値観が悉く覆されたのですから、不満や怒りが湧くのは自然の感情です。それを、GHQが唆し、マスコミが煽れば、国民が靡くのは簡単でした。戦後、77年間、こうした社会の中に私たちは暮らしているのです。今でも中国や韓国などでは、日本人は「野蛮で粗野な悪人」として描かれることが多いそうです。こうした映像は、国の宣伝活動にも使われ、見ている人は次第にそう思い込むという効果をもたらしています。それに、戦後の日本人は、「国際理解」というと、すぐに「相手国の歴史や文化を知ること」と言いますが、現実は違います。実際に仕事上のパートナーとなる外国人は、自分の国のことを語り、相手国の歴史や文化を知ろうとします。ところが、日本人は、勉強不足のために、自分の国の歴史や文化を語ることができないのです。これでは国際理解どころか、世界中から相手にもされなくなります。外国に旅行に行っても、日本人だけで群れ、自分から話しかけることもできないのでは、恥を掻くばかりです。いくら「英語」で会話ができても、相手と仲良くなろうとするなら、自分の国の紹介もできなければならないはずです。外国人、特に欧米人は、日本の戦争のことなど大して関心を持ちません。勝者側の人間というものは、そんなものです。そんなことより、日本の歴史や文化、観光地や名物、和食など「楽しい」話が聞きたいはずです。そして、彼らは一様に自分の祖先(ルーツ)を大切にしています。
30年程前にアメリカのテレビドラマで「ルーツ」という物語が日本でも放映され、爆発的な人気を博しました。主人公の「クンタ・キンテ」という名は、今でも覚えています。そのとき、「ああ、外国人も自分の祖先には関心があるんだ…」と素朴に感心したものです。つまり、歴史とは「祖先の物語」のことなのです。今も、NHKで「ファミリーヒストリー」という有名人の祖先を訪ねる番組が放映されていますが、みんな口にはしなくても、自分の歴史を知りたがっているのは間違いありません。だったら、日本の歴史もしっかり勉強して、自分の祖先のことを知るべきなのです。こうしたことを疎かにして「国際理解」と言っても、何か方向性を間違えているのではないでしょうか。
それでも、文部科学省は、ここ数回の改訂で学習指導要領に「愛国心」を盛り込み、日本の「歴史や文化、伝統」を重んじるような内容に変えてきましたが、反対勢力はそれにも反対し、新しい教科書の採択にも圧力を加えています。また、文部科学省は「日本語」の指導にも力を入れ、古典なども小学校段階から学べるようにしてきましたが、なかなか定着はしません。教科書は、戦前の国定教科書から文部科学省の「検定」を受けて教科書会社が出版することに変更されましたが、その内容に関して、多くの議論を巻き起こしているのが現状です。ここ何回かの改訂では、新しい出版社が教科書作成に参入してきました。どれも「日本史」に関する内容への挑戦でした。それだけ見ても、日本の歴史に対する考え方の相違があるということを証明しています。特に近現代史は、あまりにも酷いとしか言いようがありません。幕末から明治にかけての歴史は、今や、何が真実かも分からないほどにいじり回されて、どれが真実なのか…が曖昧なまま現在に至っています。
明治政府は、江戸時代をすべて批判するところからスタートしていますので、明治、大正、昭和初期の歴史は、「明治維新史観」というべき色に染められています。明治維新そのものが、政治クーデターですので、たとえ教科書に書かれていても疑って読むのが正しいと思います。冷静になって考えれば、明治維新は「結果オーライ」の革命でした。今でも、法治国家である以上、法を無視した暴力が正当に受け入れられるはずがありません。この明治維新が成功したことで、後の5.15事件や2.26事件が起きています。実際、クーデターを起こした青年将校たちの中には、戦後も革命家気取りで生涯を終えた者もいます。戦後の赤軍派による暴力テロ事件も「革命が成功すれば、自分たちが英雄なのだ!」という誤った思想をもたらしたのも、明治維新というクーデターが成功したためです。たとえ「結果オーライ」であったとしても、そこは、歴史の真実として記録されるべきでした。そして、敗戦後に学んだ歴史は、GHQによる「太平洋戦争史観」ですから、もう占領政策とイデオロギーに満ちた歴史観で、真実が何処になるかも分からない状態になっています。
これらの歴史は、日本やアメリカが「情報公開」を積極的に行えばいいのですが、それを知られると困る勢力がいる以上、公開は難しいでしょう。そんな曖昧な歴史を小学校から大学まで教えられており、それを鵜呑みにしないと試験には通らないのですから、今の大人たちの歴史観が分かるというものです。まして、これまで「日本史」は高校の必修科目ではありませんでしたので、優秀だと言われている官僚や政治家にも、真っ当な歴史観を持つ人が少ないのは当然です。だから、マスコミも政治家も官僚も、首を傾げるような言論を吐いても、特に非難されることは少なく、昇進や生活に響くことはありませんでした。このいい加減さが、GHQの置土産としたら、当時のGHQには相当の策士がいたということになります。こうした日本人の精神を骨抜きにする政策は、日本社会にジワジワと浸透し、戦後世代が社会の中核になると、それは顕著に顕われ始めました。それは、まさに「昭和」という時代の終焉と共に始まった…と言っても過言ではありません。
昭和天皇という人は、日本の歴史上においても希な君主だったと思います。お若いころから天皇(大正)に替わって摂政として政務に関わり、即位したころは関東大震災の復興問題、世界大恐慌の不況時代で、社会不安が増大していました。このころは大きなテロ事件も頻発し、日本社会そのものが暗黒の時代でした。そして、中国での戦争にのめり込み、次いで大東亜戦争が起きてしまいました。昭和天皇ご自身は、若いころに英国に留学し、英国王室に学んだためか、「君臨すれど統治せず」を頑なに守られ、ご自身の意見を述べたのは「2.26事件」と「終戦の決断」の二回だけだと言われています。大東亜戦争の開戦に際しても、数度にわたり外交力による解決を指示されましたが、日本の努力不足というより、アメリカ側の意図によって戦争に引き摺り込まれました。
戦後は、あのマッカーサー元帥と対峙し、「自分の命を引き換えに国民を救いたい…」とまで申され、敗戦国の元首としての矜持を示されました。一時は連合国側で「退位」の声も高まりましたが、日本国民の精神的な柱であり、敗戦後も多くの国民に慕われている天皇を罰することができず、日本の「国体」は守られたのです。その昭和天皇が崩御されると、それに合わせるかのように「バブル経済」が弾け、日本の高度経済成長も止まりました。そのころ、社会の中核には、戦後教育を受けた人たちが座り、新しい視点で日本を動かそうとしましたが、以前のような勤勉さも協調性も失われた日本人に多くを望むのは難しくなっていたのです。
教育においても「個人主義」が持て囃され、「個性教育」「個別化教育」「主体的活動」など、敗戦直後に導入された「経験主義」のような教育施策が実施され、子供は「自由」という大人たちから見放されたかのような教育を受け続けたのです。大人にしてみれば、「子供を尊重」したつもりなのでしょうが、子供からしてみれば、「好きにしろ」「自分の好きな道を進め」では、何をしていいかも分かりません。経験が乏しい人間に「好きにしろ」は、大人から見放されることと同じ感覚なのです。よく大人は、都合よく「見守る」と言いますが、ただ見守っていても次の子供へのアクションがなければ、子供は気づきません。そのうち、大人たちにも「自己実現」という言葉が流行り出し、「子育てばかりじゃつまらない…」と子供を保育園や学校に預けることを躊躇わなくなっていきました。
昔は、「子育て」は大人の生き甲斐だった時代もあったのですが、現代は、そうではないようです。今や子育ては大人の「苦役」になってしまいました。まさに、GHQのねらっていた日本人が完成したのです。これからは、「ジェンダーフリー」とか「夫婦別姓」が流行し、日本社会は加速度的に崩壊していくことでしょう。これこそ「新しい時代の到来だ!」と諸手を挙げて賛成する人もいるようですが、今までの歴史や文化を「古い慣習」と切り捨てれば、それは、もはや「日本」ではありません。「新しい国造り」は、政治を志す人たちにとって自己実現の理想なのだと思います。しかし、その「新しさ」が、国を危うくしたのでは、自分や自分の家族すらも危うくすることを忘れてはなりません。そして、そんな日本人の隙を虎視眈々とねらっているのが、中国やロシア、北朝鮮、韓国などの周辺諸国です。日本の周辺国は、皆、日本の没落を願い、そうなった暁には日本列島を我が物にしようと企んでいるのです。
私たち日本人は、環境に恵まれた日本列島に暮らし、平和な政治、民主的な政治が行われていることを当然の権利だと思っていますが、それは、世界の共通ではないことを知るべきです。ロシアも中国も、国民はけっして豊かな暮らしが保障されているわけではありません。朝鮮半島の二国も同じです。外国から見れば、日本列島は喉から手が出るほどに欲しい「黄金の国」だということです。そろそろ、日本もGHQによる占領政策の軛から脱出し、正常な日本の歴史や文化、教育を取り戻す時期が来ていると思いますが、さて、日本人は覚醒するのでしょうか。
(3)今の教育課題
今から20年程前、文部科学省はいわゆる「ゆとり教育」を推奨し、学習指導要領の改訂に併せて、授業時間の削減や教科書の内容の精選を図りました。これは、非常に画期的な改革で「子供たちにゆとりを持たせ、個性を尊重する教育を行おう」とする趣旨で始められたものでした。この「ゆとり」の考え方自体は、そんなに間違った考え方ではないと思います。特に多忙を極めていた学校現場の教師には、「これで、少しはゆとりができる…」と歓迎ムードが高まりました。戦後の高度経済成長が終わり、日本が低成長時代に入ったのは平成の時代になったころです。それまでの日本の教育は「知識詰め込み方式」が主流で、「創造的な思考」などは、今のように重要視されていませんでした。
当時の日本を支えたのは、勤勉な労働者たちです。中卒や高卒で就職し、オートメーション化された工場でマニュアルにしたがって忠実に職務を遂行する能力が求められており、この「会社に忠実に尽くす」社員こそが、理想的な日本人像であり労働者像だったのです。「会社は家族だ」とでもいうように、労働者にとって社内での人間関係や協調性が求められ、その秩序を壊すような言動は慎まなければなりませんでした。各企業は業績を順調に伸ばし、だれがそのポジションに就こうとも、特に大きな問題はなく、「学歴」こそが人間の価値のように思われた時代です。不動産においても「土地神話」と言われ、僅かな土地でも持っていれば値上がりを続け、国民は小さな土地を購入し、自分の家を持つことが人生の「夢」になりました。小さくても「一国一城の主」の現代版です。それが、バブルの崩壊によって一気に崩れたのが、この「ゆとり教育」が行われようとしていた時代でもありました。しかし、当時の日本人は、長く続いた高度経済成長期の夢が忘れられず、「大企業・大学・終身雇用」こそが、「自分の未来を保障する切り札だ!」と思い込んでしまったのです。今でも、その傾向は中高年以上の日本人に残り、高齢者ほど「公務員指向」が強い傾向にあります。
文部科学省では、バブル崩壊以前から、こういう時代が来ることを予測し、中央教育審議会に「未来の日本の教育」を諮問し、新しい教育改革を目指そうとしていました。そのころの受験生は、今の中国や韓国のように、「受験戦争」と呼ばれるような過酷な競争を強いられ、多くの子供が悲鳴を上げていました。それも「知識偏重主義」の教育では、個性を伸ばしようもありません。学校でも常に「偏差値」を使った学力査定を行い、生徒に少しでも偏差値の高い学校(高校・大学)を目指させたのです。そのために、親たちは偏差値の高さが、子供の「幸せのバロメーター」であるかのような錯覚に囚われ、学歴社会を増長させていきました。この長く続いた「学歴神話」は、教育産業を生み出し、何処の町の駅前にも。必ず有名な進学塾が軒を並べ、高校や大学の進学率を誇っています。それに同調するかのように、高等学校までも大学への進学率を学校の「実績」としてPRするようになりました。そのためか、全国に「大学」と称される学校が「タケノコ」のように生まれたのも、このバブル期以降のことです。今では、少子化が進んだせいで、希望さえ言わなければ、大学全入時代になり、定員を満たさない大学は潰れる運命にあります。
この「ゆとり教育」が文部科学省から示されると国民の多くは驚きましたが、国から、「日本人は既に豊かになった」と言われると納得できる部分も多く、ゆとり教育はそれほどの反対もなく国民に受け入れられました。子供たちにしても、教科書のページ数が減り下校時間が早くなれば、友だちと自由に遊ぶ時間ができます。それまで、子供でさえ忙しかった生活が少しは改善されると期待されたのです。教科として、低学年の「生活」や高学年の「総合的な学習の時間」などが誕生したのもこのころでした。ところが、一部左派勢力はマスコミを使い、これを批判しました。教育問題が「政治問題化」した最初の出来事でした。マスコミは、「PISA」と呼ばれる国際学力調査の順位が低下したことを殊更に取り上げ、「学力問題」として、国民の不安を煽ったのです。それまで、学力偏重主義、学歴社会を批判していたマスコミは、この問題が政府を追い詰めるための切り札だと感じると、一転して国の方針を批判し始めました。連日、テレビや新聞等では、「子供の将来が心配だ!」とするコメントを発表し、政府を追い詰めて行きました。これに敏感に反応した政府、文部科学省、そして政府与党はこの運動に屈し、早々に学習指導要領の趣旨を撤回し、学力向上に切り替えたのです。今でこそ「PISA」の調査は、かなり偏った調査であることがわかってきましたが、当時は、「国際競争力の低下」は、日本の死活問題だと感じていたのです。これも「バブル経済」の影響だったと思います。
マスコミや野党の執拗な攻撃を受けた政府や文部科学省は、わざわざ、時の文部科学大臣をテレビカメラの前に立たせて記者会見を行い、「ゆとり教育」の撤回を明言させました。この映像を見た国民や教師は、「えっ、嘘だろう?」と驚きましたが、大臣自らがカメラの前で発言しては万事休すです。早々に、文部科学省が打ち出した「ゆとり教育」は崩壊し、学習指導要領は空中分解してしまいました。そのために準備をしていた学校は、マスコミと世論のために梯子を外され、一気に「学力向上」にチェンジさせられたのです。素人が聞けば、「いい加減なゆとり教育をやめて、子供の学力を上げる!」と言われれば、「そんなものか?」と思うに決まっています。まして、テレビや新聞で連日報道されれば、信じるのが当たり前な時代です。しかし、国が自らの手で「失政」を認めてしまったことは、その後に大きな禍根を残しました。一部勢力やマスコミは、「何だ、マスコミを使って世論を誘導すれば、政府は方針をひっくり返すんだ?」と思い、次々と政府や政治家批判を始めたのです。週刊誌による「〇〇砲」なる言葉も生まれ、一民間出版社のすっぱ抜き報道が、国会議員を動かし社会を変えるまでになったのです。それもこれも、出版業界が「斜陽産業」だからです。昔は良質な記事を書いていた雑誌も、今や三流スキャンダルを暴露する雑誌に様変わりし、それに易々と飛びつく国会議員もどうなんだろう…という疑問は残りますが、それも「社会の縮図」だと考えれば、時代だと諦めるしかありません。今なら、どんな報道でも、インターネット上で議論が交わされ、マスコミ報道の怪しさも暴露されるところですが、当時は、まだまだ、テレビや新聞の力は強く批判をする術がありませんでした。要するに、時代がその国の人間を作り、その国の社会を作るのだと悟る次第です。
さて、最近、ようやく日本の「学力観」も転換を見せようとしています。ここ数年で、高校や大学の入試問題から「知識偏重」が弱まり、「思考力」や「表現力」を問う問題が増えてきているようなのです。さすがに、文部科学省も「第五次産業革命」と称される時代に、旧来のままの「知識偏重主義」では、世界の潮流に乗り遅れると気づき始めたようです。これまでの大学入試は、昭和50年代に「マークシート方式」が採り入れられてから「知識偏重」が加速しました。確かに、マークシートは、効率的で客観的です。これなら採点は簡単で、すべて機械で処理することができます。不公平感はなく、だれもが、その合否に不服を言う者もいません。何とすばらしい入試方法を導入したのでしょうか…。ところが、入試を受ける高校生は、大学に合格したい一心で、このマークシート対策を学習塾や学校の教師と一緒になって行い、「正解らしさ…」の確率まで出しているのだそうです。そうなると、入試もゲームと一緒で、「どこに、正解が潜んでいるかを楽しむ」ような世界になってしまいました。もちろん、難関大学では難易度の高い問題を出して、少しでも能力の高い学生を採用しようとしていますが、どれも、所詮は「過去問」の類似問題ばかりです。そこに、盲点がありました。時代が「マニュアル」通りを求める社会なら知識偏重は有効です。しかし、「AI」と呼ばれる人工知能が登場すると、状況は一変しました。知識が必要なものは、すべて「AI」が即座にやってくれるのです。人間もスマホがあれば、知りたいことや調べたいことは、即座に検索をかければ、何処にいても調べることができます。もう、「物知り」の人間は必要がないのです。そうなると、人間に求められる能力は「創造する力」です。
今や、日本人の中でも外国で活躍する人が増えてきました。それは、学力や学歴ではなく、まさに「創造」の分野で世界で活躍しているのです。それは、昔風に言えば「個性」だと思います。芸能人でもスポーツ選手でも、料理やデザインの世界でも、「光る個性」の日本人が世界で活躍しています。プロ野球の世界では、これまであり得ないとされていた「投手」と「バッター」を兼ねた二刀流の若者がアメリカ大リーグで大活躍をしています。つまり、今までの価値観では「あり得ない」人間が、世界で評価される時代になったのです。そうなると、「知識」も「マニュアル」は、逆に不要になります。「時代が変わる」とは、こういうことを言うのか…と驚くばかりです。これからの時代の教育は、おそらく、学校だけで完結することは不可能になります。もちろん、家庭での教育は「愛情」という点で不可欠ですが、社会全体が「教育の場」にならなければ、才能ある個性を伸ばすことができないからです。
昔のように「横並び」教育では、才能のある個性は間違いなく潰されます。不登校であろうが、発達に障害があろうが、その人間に備わった才能を潰していいはずがありません。その子供には、その子供の個性に合った教育を施す「教育システム」が必要になるのです。既に、外国では、新しい教育システムの導入が図られています。今や「情報」は、国の大きな力となりました。インターネットが世界中に張り巡らされ、個人情報もすべてネット上で管理される時代です。紙媒体はどんどん減り、紙幣や硬貨もなくなる時代です。還暦を過ぎた私などには到底理解できない世界ですが、子供世代は、当然のようにネットで操作して、時代を掴んでいます。その貴重な情報が、易々と漏れるようなことがあれば、日本の防衛も経済も丸裸状態に晒されるのです。だから、外国では、優秀な「情報エンジニア」を養成して、政府の重要な機関で採用し、セキュリティを万全にしています。彼らの多くは、子供のころから突出した能力があり、「ギフト(ギフティ)」と呼ばれる存在でした。その才能は、日本のような「平等」を旨とする教育機関で育てることは無理です。やはり、国が率先して、優秀な才能を伸ばす教育機関を設立して、将来の日本を担うリーダーに育てるしかありません。もう、そんな時代が来ているのです。
今思うことは、あのとき「ゆとり教育」が続いていたら、今ごろ、どうなっていただろうか…ということです。マスコミが火を点け、野党が政府を叩き、それに屈した政府が「学力向上」に大きく転換しました。今も路線は「学力向上」のままで、「全国学力学習状況調査」も行われています。しかし、文部科学大臣が「学習指導要領は最低基準だ」と言ったがために、学年を超えた指導も可能になりました。教科書の内容も増え、教科書はA4サイズの大型版で子供がランドセルに入れると、重くて1年生では持ちきれません。今では、「家で不用な教科書は学校に置いていっても可」という通知があり、これも驚きました。そもそも、学校の机やロッカーは大変小さく、そんなスペースはほとんどないのです。授業時間は長くなり、1年生でも毎日6時間の授業が続きます。教師も指導すべき内容が増え、そのための準備に苦労をしています。さらに、今は、英語と道徳の教科化、「ギガスクール構想」で子供各自にタブレットが配付され、それを活用した授業もしなければなりません。「本当にこれで多忙化が解消できるのか…」と思うくらいです。子供にしてみても、ゆとり教育は一瞬で終わり、あっという間に「学力向上」で、負担はこれまで以上に増えました。そして、この2年は、コロナ騒動に巻き込まれ、授業も碌に受けられない…という事態に陥り、本当に「混乱の極み」を経験したのです。だからこそ、「もし、ゆとり教育が続いていたら…?」と考えてしまうのです。
「ゆとり教育」の特長は、「個性の尊重」「主体性の育成」でした。生活科や総合的な学習の時間は、子供たちの「気づき」を大切にし、主体的にテーマを決めさせて「研究」をさせよう…という意図がありました。そして、その内容は、学校の状況に応じて決めることができたのです。その間に英語や道徳の教科化、タブレットを使用した授業が入っても、各教科の時間数の調整によって十分指導は可能だったはずです。まして、「研究」には、タブレットは必要な教具だったからです。確かに、当時も言われていた「PISA」の国際学力調査の結果からは、どう評価されていたかわかりませんが、子供が自分の個性に応じて主体的に研究を進めることができれば、けっして世界の子供に負けるはずがありません。よく「読解力」が問題になりましたが、それは、マークシートのような単に正解に「〇」をつけるだけの入試制度では、文章力は低下するに決まっています。学校や塾の教師も、誤答を避けるために「いいか、余計なことは書くな!」「指定された文字数に合わせて書く練習をしろ!」と指導されていたからです。だから、これは「ゆとり教育」の問題ではありません。結論から言えば、「ゆとり教育」は当時の日本人には早すぎたのかも知れません。高度経済成長期の夢を忘れられない日本人は、バブルが弾け、経済の停滞期から下降期に入っても、一度味わった豊かさという「夢」を捨てられなかったのです。だから、文部科学省が、「日本は、十分に豊かになりました」という説明も、話半分でしか聞けなかったのでしょう。今でも、マスコミは「ゆとり教育は失敗だった!」と主張していますが、失敗だったと言えるほどやりもしないで、責任だけを「ゆとり教育」に押し付けたのは、卑怯な振る舞いだと思います。今の30代後半が「ゆとり教育世代」になりますが、世間からは「ゆとり世代」と揶揄されますが、あらゆる分野で活躍している世代です。逆に、「学力世代」だったはずの40代、50代の人たちがリストラの対象になり、目立った活躍を見せていないのはどういうわけでしょうか。そして、「引き籠もり」「8050問題」と呼ばれる人が多いのも、確か「学力世代」だと思うのですが、間違っているでしょうか…。
次の課題が、「学校の閉鎖性」の問題です。後に、文部科学省は「開かれた学校づくり」などと言い始めましたが、昔は、学校は安全上の問題で「開かれない」のが普通でした。教師は、正規でも臨時でも子供の前に立つ前に、必ず、大きな病院で「健康診断」を受けなければなりませんでした。それは、「はしか」や「結核」などの感染症予防の意味があったからです。したがって、今のように、簡単に外からゲストと称する一般人を招き入れることはありませんでした。逆に、外部の人間を積極的に入れれば、上部機関から注意されたのです。「安易に外部の人間と子供を接触させてはいけない」というのが通知されていました。ところが、いつの間にか、「外部の人間の力」を借りることが「いい教育」に変わり、今では、「学校ボランティア」と称する地域の人を積極的に活用しています。それは、「登下校の見守り」「学校図書館(図書室)の運営」「学習支援」…と、常時、十数人は学校に入っているはずです。時代と共に価値観が変わるのはわかりますが、学校ほど、社会の要請に応じて対応が目まぐるしく変わる(教育)機関もなかなかないでしょう。それに、昭和の終わりころから「学校の荒れ」や「いじめ」「登校拒否」等の問題が出て来ており、文部科学省も「教育は、学校だけで完結できるものではない。家庭や地域の協力が不可欠だ」と言い始めたのです。それで、「開かれた学校づくり」が言われ始めました。
確かに、理念的に言えばそのとおりですが、それまで「閉鎖的」に学校運営を行ってきた学校や教師にとっては、さすがにノウハウがありません。外部からの人間をどのように扱っていいのかも、正直わかりませんでした。当初は、家庭や地域の人も「恐る恐る…」という感じで、学校に協力し始めたと思います。今でこそ、家庭や地域の協力なしに学校運営はできませんが、当時は、本当に試行錯誤でした。そして、「学校施設」も「開かれた学校づくり」とでもいうような、「オープン」な学校建築が登場してきました。しかし、ここで、全国の教師にとってショッキングな事件が起こりました。平成13年6月8日に起きた「大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件」です。この事件は、地域に住む男が、刃物を持って小学校に乱入し、突然子供たちを襲い始めたのです。学校は、「開かれた学校」に取り組んでおり、当然、警備員や防犯パトロールのボランティアもいませんでした。そして、無防備な小学校の低学年児童が襲われたのです。そして、この事件で子供8人が殺害され、子供8人と教師2人が負傷しました。文部科学省では、開かれた学校づくりを推進するために、各学校に「学校は、家庭や地域との信頼関係を築く」とか、「学校が変われば地域が変わる」などと説明してきましたが、地域に、こんな「怖ろしい人間」が暮らしている危険性を考えもしなかったのです。学校が避難訓練の一環として、「不審者対応訓練」を行うようになったのは、この事件がきっかけでした。その後、このような異常者による「無差別殺人事件」は度々起こり、地域が必ずしも「安全」とは言い切れない時代になっていることに、国民の多くは驚きました。今でも政治家の中には「理想論」に固執し、現実を見ない人もいますが、現実の社会を動かす政府や行政機関が理想論だけでは、こうした悲劇を防ぐことはできません。今でも「児童虐待」による子供の死亡事故が連日報道されますが、異常者は、地域だけでなく「家庭にもいる」ことを忘れてはなりません。今や日本は、安全な国ではなくなったのです。
この「開かれた学校づくり」は、その後も方針を変えることなく現在も続けられています。平成16年には、文部科学省の主導で「学校運営協議会」制度が設けられ、全国に「コミュニティ・スクール」と称する地域一体型学校の設立が強く求められました。これは、「学校と地域」がさらに連携を深め、学校運営に地域の代表者が加わるというものでした。しかし、これまで日本の歴史で、このような制度で学校を運営した例はありません。欧米では、そうした取り組みはあるのでしょうが、日本の実態に合わない制度を採り入れても、運営する日本人にはやはり無理があるようです。学校は、「学習指導要領」に基づいて年間計画を定め、各教科領域の時数を配当し、授業を円滑に進めていく責任があります。まして、国が「学力向上」に舵を切って以降、授業時数の確保は「絶対的な責務」となりました。授業時数には若干の余裕はありますが、各種行事や災害時等で時間を使ってしまうと、肝腎な教科の授業時間の確保が難しくなります。
コミュニティ・スクールで、地域の方から様々な教育の要望が出されても、それに応えるのは非常に難しいのです。たとえば、「地域の行事に子供たちを参加させたい」という要望があったとします。そうすると、教師はその行事の歴史や教育的意義を調べます。その上で下見を行い。周囲の状況の確認、集合場所の確保、学校からの往復の時間、関係者との打ち合わせ、当日の天候の確認、引率人数の確保、保護者への連絡、参加後の地域へのお礼…等、通常の仕事以外の業務が増え、多忙化の解消どころではありません。まして、教育活動は常に「安全」が最優先ですから、ひとつでも「△」がつけば、「検討の要あり」として再考する必要も出てきます。地域の大人にとっては、「これくらい、何でもないじゃないか?」とか、「今時の子供は弱いな…」などと言うかも知れませんが、子供が30人もいれば、病弱の子、障害のある子、アレルギーを持つ子など、何らかの課題を抱えており、素人の大人が考えるほど単純ではないのです。遠足や修学旅行でも、何度も打ち合わせを重ねて安全に実施しなければ、保護者の信頼に応えることができません。常に保護者に知らせたとおりの時間で、「計画通り」に実施できて「合格」なのです。
確かに、政府がやろうとしていることは理解できます。しかし、それがあまりにも多すぎて対応できない現実があるのです。「ゆとり教育」の項でも書きましたが、何年もかけて準備をしていかなければならない教育を政治家の判断で、一瞬にして覆されては現場はたまりません。それでも、粛々と対応するのが日本の学校であり、教師なのです。「人がいいにも程がある」と言いますが、これまで、学校に要請された各省庁、自治体の事業はどのくらいあるのでしょうか。「絵画」や「書道」「工作」などは、例年いくつもの要請があり、それを取捨選択するのも大変なのです。
「開かれた学校づくり」も突然でしたが、「コミュニティ・スクール」の法制化も突然でした。そして、国はそれを強引に推し進めようとしましたが、現在、それを行っている学校数は何校あるのでしょうか。調べて見ると、全国で約5500校が導入しているようです。全国には約30000校の小中学校がありますので、計算すると、約18%になります。さて、この数は妥当な数なのでしょうか。そして、実際、運営は上手くいっているのでしょうか。甚だ疑問です。いくら制度を整えても、実際に行うのは人間です。だれもが、自分なりの考えがあり理想があります。しかし、人数が集まればその調整が難しいのも現実です。余程の強いリーダーシップが必要ですが、日本人の多くは「調整型」の人間ばかりです。ひとつの課題に何時間も時間をかけて説明し、参加者全員の賛同を得ることがどのくらい難しいことかは、やった人間でしかわからないはずです。理想を語るのは簡単なことですが、それを行うのは一人の人間だという現実を知るべきなのです。
今、各学校では多くのボランティアが活躍するようになりました。「防犯ボランティア」「図書ボランティア」「環境整備ボランティア」等の家庭や地域の人たちが、学校運営に参加しています。しかし、それは「コミュニティ・スクール」ではありません。飽くまでも「学校ボランティア」なのです。年齢は様々ですが、定年延長や年金支給の先延ばしなどで、60代でも働く人が多くなり、ボランティアの人数を揃えるのも一苦労です。しかし、学校ボランティアは、学校運営には関知しませんので、教師がボランティアと調整することは少なく、その運営も自主的なものが多いので、管理職が少し助言するだけで運営はスムーズにできているようです。学校運営といっても、この程度であればお互いに負担感は少なく、「時間があるときに、お手伝い」程度の感覚で学校に出向くことができます。まして、こういう機会に学校の教師や子供たちと触れ合うことができれば、双方にとってメリットは大きいものがあります。何も法整備までして「コミュニティ・スクール」を名乗らなくても、日本人らしい運営方法はあるものです。
最近では、学校の「部活動」問題が表面化しており、この指導を「外部人材」に頼もうとする動きがありますが、越えなければならないハードルはいくつもあります。部活動とはいえ、教育活動の一環として行うのであれば、外から来た指導者も、子供たちから見れば「先生」です。保護者もそう見るでしょう。そうなると、学校の教師と同じような配慮が必要になり、単なるコーチング以上の資質が求められるはずです。今の子供たちは、部活動に必ずしも「勝利」だけを望んでいるわけではありません。友だちとの触れ合いやスポーツをする喜び、自分の記録への挑戦など、それぞれが既に別々の目的を持っているものです。それを昔風の「根性論」で指導すれば、子供や親からの反発を招き、指導者として続けることはできなくなります。まして、「ハラスメント」的な行為は、絶対にあってはなりません。体罰を行えば、逮捕される可能性もあるのです。社会全体が人間関係の難しさに悩んでいる現在、自分の理想論だけで子供に向き合っても、上手くいかないと思います。だからこそ、学校の教師は昔に比べて何倍も苦労をしているのです。文部科学省は、教師の負担を減らそうと策を練っているようですが、実際、教育は素人が簡単にできる仕事ではありません。さて、日本人は、それを乗り越えて、未来に向けた新しい教育体制を構築していけるのでしょうか。
最後に、最大の課題である「いじめ問題」について、述べたいと思います。
子供による「いじめ」は、いつの時代でもありました。いや、子供だけでなく大人も含めて「人間」であれば、いじめを経験したことのない人はいないでしょう。ただ、それが、短期で終わるのか、それとも長期に渡るのか、からかい程度のいじめなのか、陰湿で限度を超えたいじめなのか…という問題にぶつかります。正論から言えば、「いじめは、どんな場合でも絶対にしてはならない」と大人は子供に諭すはずです。しかし、一方、虐められたと聞けば、「ふざけるな、やり返せ!」と叱咤する場合もあるはずです。どちらにしても、理不尽な仕打ちを受けて黙って見過ごすことはできません。たとえ子供であっても、「悪いことは悪い」と言える強さは必要だと思います。昔から、人間は他者を受け入れるために様々な苦労を重ねてきました。それが、たとえ親であっても、お互いを理解する努力なくして信頼関係を築くことはできないのです。
社会で起きる子供の問題の原因が何処にあるのか、正直わかりません。もちろん、直接的な原因はわかるでしょうが、それで済む話でもありません。たとえば、いじめが学校で起きたから、「学校の指導の問題」ですませていいのでしょうか。子供は学校だけで育つわけではありません。いじめた子供にも、「いじめた理由」があるものです。「いじめられた子供を守る」のは、一時避難としては当然の措置です。いじめた側が厳しく叱られるのも当然です。なぜなら、それは「いじめという行為」を罰しなければならないからです。これを見逃せば、その社会は「秩序」をなくし、「社会正義」が通らなくなるからです。以前、ある本を読んでいたとき、こんな言葉を目にしました。「戦争とは、武器を取って戦うことだけを指すのではなく、秩序をなくした状態を言うのだ…」と。私は、これまで「戦争」とは、国と国が武力で戦うことを言うのだとばかり思っていましたが、「秩序がなくなることは、戦争と同じなんだ」と思うと、腑に落ちました。要するに、「平和」とは「秩序のある暮らし」なのです。辞書で「秩序」という言葉を調べて見ると、「物事を行う場合の正しい順序・筋道」「その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり」とあります。至極当然の意味ですが、「いじめ問題」を考えるとき、様々な情報を入れる前に、シンプルに考えてみる必要がありそうです。
学校や学級という集団で考えると、いじめは、人間が生活するに際して大切な「秩序を破壊する行為」だと捉えることです。理由から先に考えると、この「秩序」の回復が遅れ、整理がつかないまま放置されることになります。それは、いつまでも戦争状態が続いているようなもので、その個人のみならず、集団そのものが秩序をなくし壊れてしまいます。だからこそ、その行為が「正しい順序で行った行為なのか?」「二人にとって望ましい状態なのか?」を問うべきでしょう。そして、もう一度「望ましい状態」に戻すために、双方に考えさせることです。その上で、子供の個人的な事情を聞き、「同情」しながら、本来持っている「素の子供」に戻す努力を周囲や大人たちがするべきなのです。人間は、生まれながらの悪人はいません。生まれた時は純粋無垢な「赤ちゃん」です。しかし、その後の生活環境、養育者の態度、周囲の支援等によって人格が作られていきます。子供は、「真似をしながら学び」ます。大人が欲しないことも、周囲の大人たちを真似、次第にそれがその子供の性格になっていきます。最近、幼児や低学年の子供が、「死ね…」とか「殺す」という言葉を安易に使いますが、それは、周囲で使っているからこそ、真似て「学んだ」成果なのです。
日本には「言霊」という考え方がありますが、口から出た「言葉」は、生き物のように動き始め、発した人の意思に拘わらず、とんでもない影響を周囲に与えてしまうことすらあります。先ほどの「死ね…」と言った子供は、大した意味も考えずに発した言葉かも知れませんが、受け取った子供にしてみると、これほどショックな言葉はありません。なぜなら、「この人は、私がこの世からいなくなった方がいい…と思っているんだ?」と感じるからです。普通なら、これでこの二人の関係は終わりです。そして、この「死ね」という言葉を遣った人間として、周囲からも拒絶されるかも知れません。後から、「そうではない…」と否定しても、一度、口から出た言葉は、もう、取り返しがつかないのです。つまり、発する「言葉」には、責任が伴うということです。もし、この言葉を訂正できるとしたら、相手の心に伝わるような「謝罪」しかありません。それは、自分という人間の愚かさを恥、反省することでしか生まれません。それができれば、日本人なら「水に流す」ことができるのです。難しいのは、国際社会時代になり、「水に流す」文化がない国の人に遣ってしまえば、それは、間違いなく「戦争」をするしかなくなります。大東亜戦争もそんな戦争だったような気がします。日本人がよかれと思って採った行動が、外国人の癇にさわり、修正を求めても日本人はその提案に乗りませんでした。日本人の強気な行動が、さらに、彼らの憎しみを買い、最後には「戦争」という対決姿勢にまで及んだのです。日本は、日本人の道徳観で「正義」を貫いたつもりが、文化と価値の異なる国には通用しませんでした。こうして、国際社会は秩序を失ったのです。そして、秩序を回復したいのなら、どちらかが屈服するまで戦うしかなくなりました。そして、相手がどんなに傷つこうとも、勝利を得た者が支配者となる構図は、「いじめ」の構図とよく似ています。しかし、それは、日本の文化には馴染みません。日本は、「やまとのくに」なのです。聖徳太子が「和を以て貴しと為す」国造りを目指したことを、私たちはもう一度考えてみるべきなのです。
人間は、好き好んで「他者をいじめたい…」とは思わないはずです。いじめは、自分の満たされない心が起こす行為であって、その人間の本質であるはずがありません。人間の本質は「善」にあるはずです。それが、社会という修業の場に出て、苦労をしているうちに善を忘れ、悪に走る人間も出てくるのでしょう。心の強い人は、簡単に「強い心を持て!」と言いますが、生まれてこの方、理不尽な目にばかり遭っていると、どんな人間も心が萎えます。子供にとってみれば、大人はみんな「理不尽」な存在なのです。子供の目から見れば、大人は「自分の都合のいいことばかりを子供に押し付ける」と思っています。大人が、子供には「偉そうに」振る舞っても、陰では姑息なことをしていることも知っています。または、子供に過剰な期待をして、無理な要求をするのも大人です。「どうも、言っていることとやっていることが随分違うな…」というのが、子供の言い分なのです。そして、それは子供のストレスとなり、長い期間、ストレス状態が続くと「自分で何も考えない…」子供も出てきます。大人にしても、毎日毎日、家庭や仕事場で無理な要求ばかりされていたら、逃げ出したくもなるでしょう。それが、「いじめ」の温床なのです。いじめをしている子もいじめられている子も、このままでいいとは、だれも思ってはいません。もし、この嫌な関係を終わらせたければ、子供たちを責めるのばかりでなく、周囲の大人が「自分を反省する」しか、方法がないのです。自分が何も変わらず、子供だけを変えたい…というのは、大人の都合のいい願望でしかありません。常に自分だけは「安全地帯」に置き、周囲を責めることで安心感を得ようとする防衛本能だとは思いますが、大人になっても子供を理解できない人は、厳しい言い方かも知れませんが、「子を持つ資格がない」と言うほかはありません。心の弱い人ほど、この防衛本能は強く出るようです。攻撃的な人間は、自分の攻撃でしか自分を守る術を知らないので、どんな状況に陥っても攻撃を止めることができません。本当に気の毒な人だと思います。
児童虐待は、親による我が子への最大の「虐め」ですが、いい大人が、我が子にさえ理不尽な虐めを繰り返し、逮捕されなければならない事態を多くの日本人はどう思っているのでしょうか。子供より分別があり、判断力も備わっているはずの大人が、それも「親」が、子供を「虐め抜く」という神経は、異常としかいいようがありません。他にも「夫婦間のDV」の問題もあります。それも、ストレスが大きな要因になっていると思いますが、日本人の耐性が弱くなっているのは、間違いありません。国は、児童虐待の増加を真剣に受け止め、「子供の命を守る」という視点を最優先にして法律を整備してほしいと思います。それに、今の児童相談所では、実際、対応できるはずがないのです。一度でも行ってみればわかりますが、施設は驚くほど小さく、収容スペースも限られています。職員が受け持つ案件は多く、十分に目を配ることもできません。一時保護しようにも、親権が強く、余程の強制力がなければ、虐待をしている親が事の発覚を怖れて、子供を児相に預けるはずもないのです。常識で考えてもわかりそうなことが、一向に改善されないのは、どうしたことでしょう。そもそも、子供には選挙権がありません。そして、表現も未熟です。言いたくても言う場がありません。「困ったときは、相談してください」という公式メッセージはわかりますが、「知らない人には近づくな」という時代に、だれかもわからない大人に相談する子供はいません。自分の身近な大人を信用していないから困っているのに、知らない大人を信用しろ…という方が無理なのです。それに、子供の話し方には、あまり緊迫感がありません。その子供の性格もありますが、緊張すると言葉もしどろもどろになり、言いたいことの半分を伝わらないでしょう。そうなると、聞く方もあまり真剣に受け止めず、「また、困ったら聞いてあげるね…」という程度の受け止め方しかできないのが通常です。子供からしてみれば、「言っても大人はまともに取り合って貰えない…」というのが本音です。それに、裁判では子供の証言は、「証言」として信用度に欠けるのだそうです。大人の方が巧みに嘘を吐くと思うのですが、「子供」というだけで、大人とは違う扱いを受けるのは、日本社会が未成熟な証拠なのでしょうか。
もちろん、公には「子どもの権利の尊重」とか、「子供は国の宝」などと言いますが、実際、子供の苦労など大して話題にもならず、学校の勉強量が格段に増え、重たいランドセルを毎日背負っていても、「学力向上」の言葉には為す術がないのです。コロナ禍で、遊びに行けない子供が、外に出ただけで大人は眉を顰めます。「子供の声がうるさい」と苦情を言う高齢者がいます。子供の気持ちを考えず、いつも尻を叩き、自分の夢も子供に託す親がいます。子供の側に立ってみれば、如何に社会が子供に理不尽な要求をしているかがわかります。子供の気持ちの「半分」でもわかってやれば、いじめは相当減ってくると思いますが、如何でしょう。
最近は、子供より大人の問題が多く取り沙汰されるようになりました。タクシーで暴言・暴行を働いたり、電車の中で事件を起こしたり、盗撮事件も後を絶ちません。それも、社会的地位にあるような人まで犯すとなれば、これは、もう、大きな社会問題です。それだけ、今の社会が「ストレス社会」であることを証明しています。日本経済は、平成のバブル崩壊後に長い停滞期に入り、国民の生活は苦しくなるばかりです。このコロナ騒動、そしてロシア・ウクライナ戦争によって世界経済も怪しくなり、電力不足からくる物価の高騰は、驚くような勢いで全商品に及び、国民の負担は増しています。それに、給与所得者の年収は長い期間上がらず、目に見えないストレスは相当なものです。その影響は子供にも及び、「子ども食堂」なるボランティア活動による子供支援も多く耳にするようになりました。学校から家に帰ってもだれもいない部屋で、一人ポツンと過ごす子供たちがいます。一人で夕ご飯を食べなければならない辛さは、子供でなくても寂しいものです。そして、一人で寝て、朝、目覚めても親はまだ寝ているか、既に仕事に出ているか…。どっちみち、一人の生活が続くのです。もちろん、子供は親の苦労も知っています。だから、親の悪口は言いません。でも、辛い気持ちの捌け口がないのです。それが、つい、恵まれた友人を見て、妬ましいい気持ちが芽生えても仕方がないのです。実は、この「恵まれている」と思う子供も、悩みを抱えていものなのですが、コミュニケーションが取れないと、なかなか気づけないのが今の社会かも知れません。それが、小さな「いたずら」や「ちょっかい」から、小さないじめに発展し、そのまま注意されることなく放置されれば、そのいじめは続きます。一度始まったいじめを自分の力で止めるには、相当の勇気と努力が必要なのですが、このときの子供は気がつきません。最後には、とんでもなく大きな問題になり、どうしようもなくなるところまで追い詰められ、終末を迎えるのです。そして、いじめた子は、とことん「悪い子」になってしまいます。一度貼られたレッテルを剥がす術がないことは、今の社会を見ればわかります。その子の「背景」がわかるだけに、不憫で仕方ありません。
私も「いじめは、絶対に許してはいけない」と思っています。でも、その子供が犯した「罪」を憎む一方で、それを犯した人間の「辛さ、悲しさ」に少しでも同情し、再起の希望を残してあげて欲しいと思います。「罪を憎んで人を憎まず」という聖書の言葉がありますが、子供の「いじめ」の場合も、秩序を壊した責任は厳しく問わなければなりませんが、一方で、自分の過ちを悟り、相手方への謝罪が済み、秩序が回復されれば、「よく、反省できたね。また、一緒にがんばろうね…」と励ましてやりたいものです。そして、親や教師は、「そんなに辛く、悲しい思いをしていたなんて、気づかずに申し訳ない」と謝るべきなのです。本来、諭すべき立場の大人が感情的になり、相手を憎むような態度をとり続ければ、秩序の回復は遅れ、混沌とした関係ができるだけのことなのです。日本には、「水に流す」という言葉があるように、一度犯した過ちであっても、素の自分に戻り反省できれば、「水に流す」懐の深さがあるはずです。それを言うと、必ず「覆水盆に返らず」と反論する人がいますが、そういう人には、「では、また、水を盆に入れればいい…」と言ってやります。「悪い水は、さっさと流し、新しい水に入れ替えて頑張ろう」が、秩序回復の方法だと思います。
「いじめをなくす」と言うよりは、学校という集団の中で、「秩序を保つ」ためには何が必要かを考える必要があります。それには、まず、お互いを「敬う」ような関係作りが必要です。学校でも、教師が子供に対して敬意を持たない教師ばかりでは、子供も教師を信用しません。若い教師の中には、「舐められたら負けだ!」とばかりに強圧的な態度で子供に向き合おうとする人がいますが、これが通用するのは、5年生の半ばころまでで、それ以降は子供の反発を招き、学級は崩壊します。確かに、指導には厳しさと一貫性が求められることは事実ですが、指導者の「道徳性」が最も重要なのです。意外とそのことは、あまり話題になりません。子供はいずれ、日本社会を支える存在になります。その人生の僅か20年程度を「子供」として扱うに過ぎません。そのころ、大人たちは子供を養育しますが、それも、20年も過ぎれば立場は逆転するのです。子供が大人になり、大人が老人になれば、老人は「子供世代」の世話になって生きていくのが「社会の循環」の法則です。それを勘違いしたまま老後を迎えると、こんなに生きづらい人生はありません。それは、その人間が、どれだけ資産があり、社会的地位があっても、人を見下すような道徳心のない人間は社会が受け入れないからです。死んでしまえば、生前の地位も名誉も関係ありません。だれもが、神仏の導くままに魂が安らげる場に旅をするだけのことです。そんな「死生観」があってもいいのではないでしょうか。
これは、個人だけでなく企業などの組織体にも言えることですが、「道徳のない企業」が栄えることはないと思います。確かに、一時期は社会に持て囃され、急成長する企業はあるでしょう。しかし、「世のため、人のため」にならない我欲だけの企業が栄えるとは思えません。昔、日本の経済界を創った渋沢栄一が「論語と算盤」を表したのは、この人が持つ「道徳性」を重んじなければ、算盤(企業経営)が成り立たないことを知っていたからです。なぜなら、企業は「我欲」のために経営するのではなく、「公」のために経営しなければならないからです。それが、「世のため、人のため」の企業理念であり、働く者たちの誇りや意欲につながるはずだからです。しかし、戦後の日本は、外国人から「エコノミックアニマル」と揶揄されたように、夢中になって金儲けに走る日本人が、「金を漁る獣」のように映ったのでしょう。もちろん、嫉妬による偏った見方ではありますが、こうした評価があったことも知っておくべきです。自分だけの価値観に固執し、周囲を見ることを忘れると足下を掬われ、信頼を失いかねません。したがって、現在、道徳が「道徳科」という教科になり、子供たちに日本人らしい道徳を教えることは、大変意義があると思います。
「いじめ」の背景には、この道徳性の欠如からくるものも多いのです。幼児期から、親の強いプレッシャーを受け、親の偏った考え方によって躾けられた子供は、普通の日本人の持つ感覚を失っていきます。たとえば、極度な「学力重視」の親は、小さいころから「習い事」や「学習塾」に夢中になり、偏差値の高い学校に進学させたいと焦りを募らせます。もちろん、ある程度は許容できますが、これが過ぎると子供への精神的な「圧力」になり、虐待につながるのです。親の期待と強い圧に耐えられなくなった子供は、心の蝕み自分の殻に閉じこもってしまったり、逆に外に捌け口を求めたりします。10歳も超えれば、体も大きくなり、親のコントロールも利かなくなるはずです。それが、外に向かえば、自分より弱いと思える子供への「いじめ」につながる可能性は大きいのです。中には、親への反抗心から家庭崩壊につながるケースもあります。また、家を飛び出して、自分を受け入れてくれる他人にすがる子供もいます。どちらにしても、いい結果は招きません。そこに、正論を持ち込んでも、大人を信用しなくなった子供にはけっして届くことはありません。長年培ってきた大人への「不信感」を解きほぐすには、相当の時間が必要になるのです。しかし、その心を解きほぐす道があるとすれば、それは、唯一、「道徳」しかありません。
幸い、学校は「望ましい社会集団を創る場」でもあります。教師が道徳を学び、それを学校全体で意識し、子供の道徳的行動を常に評価し続けることで、子供は変わります。「変わる」と言うより、「気づく」という方が正確でしょう。今まで心の奥に潜んでいた人間らしい「道徳性」に気づき、それを表に出していい環境に置けば、子供は間違いなく「優しく」なれます。その間、教師や学校は苦労をすることでしょう。今までの子供の概念を崩す作業は、簡単ではありません。家に帰れば、学校で勉強したことと違うことを親に言われ、渋々従わざる得ないこともあるでしょう。その戦いをするのですから、教師や学校も信念を持って指導しなければ、周囲から簡単に崩されてしまいます。しかし、それが1年、2年と続くうちに「日本人としての美しさ」に気づくのです。「お互いがお互いを思いやる」集団に、いじめが起きるはずがありません。陰でいじめようとしても、周囲の正義感溢れる友人の目は誤魔化せません。いじめのような行為をしても、すぐに自分で気づき反省することができれば、みんな「水に流せる」のです。本当は、そういう「社会」を日本という国が目指すべきなのですが、大人には常に利害関係やイデオロギーがつきまとい、道徳性を高める集団にはならないのでしょう。それが、我欲というものだと思います。
「いじめ」は、人間である以上、避けては通れない人間の業のようなものでしょう。それは、子供にだけある「業」ではなく、人間が等しく持っている「弱さ」なのです。その弱さを知りながら、知らないふりをしても、その弱さから逃れる術はありません。しかし、克服する道はあるのです。学校の教師であれば、なおのこと、自分を見つめ直し、自分のための修業だと思って道徳を勉強してみることです。そうすれば、きっと「いじめ」の解決の道は見つかるはずです。子供も人間です。人間に人間の言葉が伝わらないはずはありません。心が通えば、きっと人間は「素」に戻ることができるはずです。そのとき、人間は一歩だけ成長できるのだと思います。
序章 日本の教育の不易とは…
【教育は、その国の歴史や伝統を語る行為である。お国柄がなければ、不易とは呼べない】
いきなり、教育の話とは逸れますが、元内閣総理大臣安倍晋三氏が奈良県で銃撃され死亡するというショッキングな報道に接しました。長きにわたり日本国を導き、外国にまでその名を知られた安倍元総理が、特に背景のない男に自作の「銃」で殺されるとは、日本も本当に怖ろしい国になったものだと唖然とします。安倍元総理は「戦後レジーム(体制)からの脱却」「美しい国日本を創る」という政治理念を掲げて戦った政治家でもありました。その人気は、多くのスキャンダル報道がありながらも高く、国民の支持を得ていた人物です。それを、あろうことか白昼堂々と選挙応援演説中に背後から銃撃するとは、言語道断。日本男児の風上にも置けない卑劣な男に命を奪われました。確かに、報道にもあるように、奈良県の要人警備体制はあまりにも稚拙で、警察官の資質のレベルが思いやられますが、それより、この犯人を創り上げてしまった「教育」を考え直す必要があるように思います。ネット上では、奈良県でも有名な進学校の出身者で、多くの難しい資格を持つ男だったようです。そして、自衛隊勤務経験もあり、なぜ、こんな短絡的な犯行に及んだのか、謎は深まるばかりです。この犯人も道を誤らなければ、その優秀な頭脳を生かしてどんな仕事でもできたはずなのに、40歳を過ぎても「無職」で、部屋で違法な拳銃製作に明け暮れていたとしたら、いったい、何がこの男をここまでおかしくしてしまったのでしょうか。家庭教育、学校教育、とこの男の二十歳までの生活を知りたいと思います。そして、もし、何かしら教育にょって心が歪められるきっかけがあったとしたら、その教育を施した人間は深く反省するべきなのです。「教育の不易」とは、人を「善に導く教育」でなければなりません。どんなに賢くても、悪に加担するような人間を作ってしまえば、教育は負けです。残念ながら、最近のあまりにも理不尽な事件を見るにつけ、「日本の教育は、失敗だった」と思います。安倍元総理は、政治家としての志半ばで凶弾に倒れ、本当に無念であったろうと思います。どうか、これからも日本の行く末を見守っていただければ幸いに存じます。(合掌)
現代ほど、教育を疎かにしている時代はないのではないか…とさえ思える今日このごろです。学校の教職員のブラック化問題もそうですが、世界に比べて教育予算が非常に少ないという国の姿勢にも問題があります。政治家は、二言目には「子供は国の宝」と連呼しますが、それに見合った予算が付いているようには思えません。もし、本気で日本の教育を進めたいのなら、「児童虐待問題」と「教職員の待遇改善」「学校への投資」に舵を切って欲しいものです。このまま放置すれば、近いうちに日本の学校は崩壊の危機を迎えると思います。日本の教職員は他国に比べて大人しく、自分たちの意思を示すような「抗議行動」は起こしませんので、国に直接、教職員の声が届くことはありません。ところが、文部科学省が教職員の声を投稿させると、多くの政府に対する批判の声や、現状を訴える声が届いたそうです。外国なら、間違いなく「授業ボイコット」などの抵抗運動が起こり、社会が大混乱するところです。政府の政策に対して、現場の声が届かないというのは、社会構造上問題があると思います。その問題は、既に多くの数値に表されています。現在の教職員の療養休暇者数や休職者数、早期退職者数、そして各都道府県の採用倍率などを見れば一目瞭然です。「声がないから、何もない」という意識では、政治家は無能の誹りを免れません。行政に携わる官僚方も机上の空論だけで指揮しているとすれば、それは昔の「大本営」のようなものです。「現代の参謀」である官僚は、自ら現場の声を拾い、政策や行政に生かすべきなのです。自分や自分の所属する部署ばかりのことを考えるのではなく、「国」の行く末を考えた政策を望みます。そのためには、教職員や子供の声に耳を傾けることです。有名は台詞ではありませんが、「事件は、現場で起きている」のです。
さて、そもそも、なぜ、人間には「教育」が必要なのでしょうか。こんな当たり前の問いに対して、日本人はなんて答えるのでしょう。日本政府的に言えば「人格の完成を目指して教育が施される」というのが、教育基本法の建前ですが、あまり「人格の完成」を目指しているという話を聞いたことがありません。普通に考えれば、「日本人として生活できる最低限の知識や技能、道徳を身に付けるため」とでも言えるのでしょう。つまり、人間はそれだけでは、「人間」にはなれないということでもあります。生物学的には「人」として分類されても、教育を施さなければ、人間として生きていくことは難しいということでもあります。それだけ、人間は「未熟」な存在なのです。だからこそ、子供のころから学び続け、それは「死を迎える瞬間まで続く営み」とさえ言われます。それが、単なる「流行」であっていいはずがありません。ところが、今の日本の教育を見ると、その多くが「流行」でしかないことに気づかされます。「教育」という言葉で連想されることは、「勉強」「学校」「進学」など、「学校教育」に集約されます。本来であれば、教育の場には、「家庭」「学校」「社会」があるはずですが、今の日本では、家庭や社会が「教育の場」として機能しているようには見えません。それは、この三者に共通する「哲学・思想」がなく、すべてが「流行」でしかないからです。辛うじて、学校だけが「道徳」を教える場として機能していますが、それも十分とは言えません。
要するに、教育というのは、その基盤に「道徳」がなければ成り立たないのです。家庭教育においては、「人としての最低限の道徳」を「しつけ」という形で学ばなければなりません。私は、祖母から「お天道様の教え」を受けました。常に「お天道様」を意識することで、堂々と昼間に公道を歩くことができます。「天地神明にかけて、悪いことはいたしません」というのが、「お天道様の教え」です。だから、勉強ができなくても、「天に恥じることはない」と教わりました。これが、家庭教育の役割なのです。しかし、残念ながら、その思想はなくなり、子供のうちから「我欲」と「損得」ばかりを教えるようになってしまいました。親に聞けば、「善悪はちゃんと教えた…」と言うでしょうが、それなら、現代のような悲惨は事件はもっと少ないはずです。無差別殺人、衝動殺人、児童虐待殺人など、「まさか、あり得ない…」という事件は毎日のように報道されています。安倍元総理を射殺した男も、高校までは優秀な生徒だったようです。それが、40を過ぎ自暴自棄になって短絡的な理由で人を殺す。本当なら分別のある大人です。善悪の判断も、自分のしていることも、みんなわかっているはずです。それが、何の躊躇いもなく人を殺める道具を作り、実行に移せる神経は、人間ではありません。そんな優秀な頭脳と体力があれば、如何様にも生きる術はあるはずです。この男も、まともな教育(しつけ)を受けていれば、学歴などなくても、その才覚で世に出られたはずです。もし、子供のころに「お天道様の教え」を学んでいれば…きっと、今ごろは自立した立派な大人になっていたはずです。家族が悪い、宗教が悪い、政治が悪い…。そう言って責任を他に転嫁して、自分の境遇を呪うのは筋違いです。この男は、これまで、自分の祖先や日本のことなど考えてこともないはずです。そして、これからもないと思います。所詮は「流行」の中だけで生きてきた人間は、流れに乗れなくなった時点で、すべてを失ったかのような錯覚に陥るのです。「不易」とは、人として「変わらないもの」「変わってはいけないもの」なのですが、本来、受けるべき教育(しつけ)を受けられなかった人生は、悲惨な末路を辿るのかも知れません。
そこで、日本における「お天道様の教え」に通じる「不易な教育」について考えてみたいと思います。それは、日本人の生き方そのものに由来していることなのです。「日本の不易」を考える上で、大切なのは次の五点です。
1 農耕民族であること
2 大自然そのものが神であること
3 知恵と工夫が、国を豊かにしてきたこと
4 信頼関係作りが生きる基本であること
5 村を護ることが、使命であること
1 農耕民族であること
日本人が、この日本列島で生きられたのは、「米作り」があったからです。日本人のルーツがどこにあるのかはわかりません。恐らくは、日本列島ができたころから定住していた人がいたかも知れませんし、その後、大陸の南や北から海を渡り日本列島に辿り着いた古代人もいたことでしょう。そして、多くの人間が混じり合ううちに、「日本人」になったのだと思います。しかし、日本列島は、そのほとんどが急峻な山岳地帯で、人が暮らせる平地は少ないのが特徴です。それでも、豊富な清水があり、湿地がありました。気候も温暖で、米作りには適しています。青森県に「三内丸山遺跡」がありますが、約二千年の集落の暮らしがそこに見られます。行ってみればわかりますが、「地の利」を得た地域は、海もあり山もあり、川もありました。「ここなら、定住は可能だな…」と思わせる自然豊かな場所です。その古代人が、小集団ではなく、場合によっては大規模集落を作り、組織的に運営されていることを考えれば、縄文人の能力は非常に高いものを感じます。私たちは、その見た目で人間を判定しようとしますが、私たちが無人島で暮らすことを考えれば、同じ事です。人間としての能力は、縄文人の方が現代人より数倍も高いものがあったはずです。その、残された多くの建物群は、当時の建築技術の高さがわかります。そして、それらの土木建築は、監督する者がいた証拠でもあるのです。さらに、食糧の貯蔵、他地域との交流などを考えれば、自然条件さえ整えば、数百年の年月を経て、村から国へと発展していく過程が読み取れます。稲穂が日本列島に持ち込まれるのは、長い縄文期の終わり頃かも知れませんが、穀物の栽培が、一気に古代人の暮らしを変えたことは想像に難くありません。当時、大規模集落を営んでいた南の地域では、この「米作り」の栽培技術は、天の恵みのようなものだったはずです。あの一粒の米は、小さく頼りないものですが、それが、数百、数千、数万と集まれば、とてつもない力になったのですから、人間も同じです。人の暮らしも「一粒の米」の如く、集まって協力し戦えば、大きな「国」になり、生活が豊かになっていったのですから、人間が米を手放すはずがありません。歴史を考えるとき、この「米」がひとつのキーワードになる所以です。
これまで培ってきた村の組織的運営は、即、「米作り」にも応用されました。縄文時代というのは、各々が自由に動いて生活していたのではなく、次第に小集団から大集団になり、「長」を中心にまとまり、多くの作業を分担してこなしていたようです。三内丸山遺跡でも、山の果実を栽培、収穫する班、海で魚を捕る班、建築を請け負う班、食事を賄う班など、多くのグループに分かれて生活していた様子がわかっています。「稲作」が入って来たから「村」ができたのではなく、既に村があったところに、「稲作」が伝わったということなのでしょう。そして、稲作によって収穫できる「米」が、日本の文化を著しく発展させたのです。稲作によって、恒常的な食糧の確保ができるようになり、小さな村から大きな村へと変貌を遂げ、「国」として整っていったのでしょう。この「米作り」こそが、日本人のルーツなのです。
米作りは、狩猟と違い一朝一夕に収穫は望めません。春先から「八十八」の手間をかけ、天候を読み、台風などの自然災害から田を守り、やっと秋の収穫を迎えるのです。それは、その村に暮らす人々にとって、「生きる」ことに直結した一大行事でもありました。人々は、豊作を祝い、自然界を司る神々に感謝し、神様に「畏敬の念」を抱いたことは当然でした。目には見えなくても、その偉大な力で「この世」が治められている姿を感じる瞬間はあったはずです。「暖かな日射し」「蒼い空」「豊かな大地」「気紛れに降る雨」など、人間が「欲しい…」と思うときに、突然「恵み」が訪れるのです。時には、神がお怒りになり、地上界にとんでもない災害をもたらしますが、それは一時のことです。地震や台風、雷、豪雨などは、人間が至らない為に神が下される人間への「罰」だと考えれば、人間は常に「謙虚」でいられるのです。私も子供のころ、よく、「そんなことをすると、バチが当たるぞ!」と怒られたものです。些細ないたずらやいじめであっても、人に迷惑をかける行為は、「神様が許さない!」と信じられていたのです。この「畏れ」と「謙虚さ」があるからこそ、日本人は、身を慎んで生きてこられたのでしょう。
一人の人間ができることは小さい…。しかし、大勢で力を合わせれば、できることも増えます。それは、弱い者たちにとって最高の「恵み」ではなかったのか…と思います。医学などなかった時代、人が死ぬことは日常茶飯事でした。家族を持っても、死に順番はありません。幼児は体力がないだけに、すぐに死んでしまいます。軽いけがや病気でも、状態によっては「命取り」になります。だから、「小集団より大集団に身を寄せたい…」と思うのは、人間の心理として当然です。それが、縄文時代を創り、弥生時代に引き継がれていったのでしょう。
日本が建国された頃、朝廷の命により「古事記」がまとめられましたが、高天原から「神」が稲穂を手にして地上界を治めた話は、この米作りが、自分たちの「生命線」であることを知っていたからでしょう。それにしても、「米」という穀物がなければ、人間の歴史がなかったのではないか…と考えると、まさに「神からの贈り物」という気がします。特に日本人にとっては、「建国の歴史」そのものですから、「米」のない歴史は考えられないのです。今でこそ、主食は米に限ったことではないのでしょうが、日本が国として存続する限り、「米」は神様からの贈り物なのです。だからこそ、日本人は、どんなに科学が発達しようとも、純粋に「農耕民族」として生きていくのです。その農耕民族の血が、私たちの体にもしっかりと受け継がれています。たとえ、農業に携わっていなくても、その生活習慣や思考は、農耕民族のそれでしかありません。他の狩猟民族や遊牧民族のような思考に憧れたとしても、それができないことは、自分の「体」がよく知っています。だからこそ、日本人の教育は、「農耕民族の知恵と工夫」を基盤に置かなければならないのです。今の時代は、世界各国からインターネットを通して様々な情報が入ってきます。教育情報も同じです。しかし、他国で成功したからと言って、日本で成功するとは限らないのは、日本人の原点(歴史や文化)が他国とは異なるからです。狩猟民族系の国は、常に「競争」をよしとして、子供のころから競い合い、お互いを高めようとします。それは、スポーツ等の競技を見ていればわかります。常に同じ条件の中で競い合い、勝ち抜いた者が勝者として君臨し、名声を独り占めにします。ところが、日本ではあまり「競争」を好みません。学校などでも常に「平等」を心がけ、「なかよく」することが大切な価値だと教えます。したがって、才能が豊かな者も、子供のころはそれを隠し、みんなと同じようにすることを教えられます。これでは、協調性は生まれても、その才能を伸ばすことができません。しかし、こうした考え方や生き方の違いが教育にも大きな影響を与えているのです。「人間であれば、だれにでも当てはまる…」と考えるのは、その国の歴史や文化の重みを無視した暴論です。学者の多くは、外国で流行した教育論を引っ提げ、日本でも流行らせようとしますが、上手くいかないのも事実です。「子育て」ひとつをとっても、日本には日本の型があり、外国の理論が成功するとは限らないのです。
2 大自然そのものが「神」であること
日本は、「一神教」のお国柄ではありません。「八百万の神々」と言うように、「森羅万象神は宿る」の教えは、日本人には納得できる考え方であり、日本人の歴史観と合致します。今でも、日本の神を祀る「社」は、鬱蒼とした杜の中に静かに佇んでいます。私も何度か伊勢神宮や出雲大社に行ったことがありますが、その質素な佇まいは、心の中に清らかな水が流れてくるような清々しい気分になります。森も川も鳥居もけっして絢爛豪華ではありませんが、これこそ「神の社だ…」という神々しさを感じるのは私だけではないでしょう。外国のように金ピカな宮殿もすばらしいとは思いますが、そこに、自分の「魂」は入れないという気がしています。社に入ると、だれもが無口になり、その静かな佇まいを体全体で感じようと五感を研ぎ澄ませて玉砂利を進むと、野鳥の声やせせらぎの音、森の木の葉が揺れる音などが耳に入り、自然に頭が下がる思いがします。ここでは、無粋な笑い声などあり得ません。そして、この空間にいつまでも自分の身を置いておきたいとさえ思うのです。そこには、世俗の身分はありません。ただ、同じ人間として、神の前に額づく姿があるだけなのです。こういう気持ちは、外国人には理解できないかも知れません。それは、だれに教えられたというよりも、自分が日本人だからだと思っています。
さて、昔の日本人は、特に「米つぶ」に強い拘りを持っていました。「一つ一つの米つぶにも神様が宿る」という教えは、「物を大切にする」ということだけでなく、もっと命の尊厳につながるような、大切な教えであったような気がします。「米」は、日本人の主食であるばかりでなく、仏事にも神事にも欠かせません。そして、その米から作られた清酒は「御神酒」となり、「浄め」の仏事や神事には欠かせないのです。そして、「極楽浄土」という言葉があるように、「極楽」とは、「清浄」は場所なのです。日本の神々は、「古事記」の中でも語られているように、非常に人間的に描かれています。優しい神もいれば、意地悪な神もいます。ぼんやりした神も、慌てん坊の神もいるのが日本の神々です。その上、貧乏神や疫病神など、来て貰っては困る神もいるのですから、まるで「漫画」の世界のようです。さらに、「出雲の国譲り」の物語のように、話し合いで争いに決着をつけるような人間臭さもあります。したがって、日本の神様は「奇跡」は起こしません。神社に参拝に行っても、神様が願い事を叶えてくれるわけではないのです。
日本の神は、願い事を聞いてはくれますが、願いを実現するのは、「己自信の努力しかない」と無言で神様に諭されるのです。そして、神は、森や巨石、巨木、山や川にも存在します。世界自然遺産となった富士山は、山自体がご神体として祀られているではありませんか。こうした信仰は、日本人ならではのものでしょう。私も子供のころから、神社に参拝に行っては無理なお願い事をしたものです。特別なときは、お賽銭を奮発しましたが、それは、まるで賄賂を贈っているようなものです。そんな邪な心で神の前に出て行くのですから、「罰当たり」ことを随分してきたと反省をしています。しかし、奇跡を起こせないからこそ、日本の神は尊いのだと最近になって思い知らされました。もし、一度でも「奇跡」を味わってしまったら、二度目、三度目の奇跡を期待する自分になるにきまっています。そして、奇跡が起こらないと、八つ当たり的に神様を詰るような気がするのです。それは、まさに神への冒涜です。そんな自分にならないですんだことに、私は感謝したいと思います。神様は「優しく見守ってくれる」から安心できるのであって、損得勘定抜きだからこそ、有り難く思えるのだと、最近になって悟りました。やはり、還暦を過ぎて老境に入ったからこそわかる境地かも知れません。
ところで、私たちの暮らす日本列島は、温かな海に囲まれ、四季折々の季節があり、水も豊かです。古代中国では、東方の海の彼方には仙人が棲む仙境があると囁かれていたそうです。その地を「蓬莱」と呼び、蓬莱を目指して大陸から船出した「徐福伝説」が残されていますが、海の果てにある日本列島は、そのくらい豊かな土地に見えたのでしょう。しかし、その蓬莱に行き着くには、日本海という荒海を渡らなければなりません。当時の船や航海技術では日本海を渡るには必死の覚悟が必要でした。おそらくは、何人もの人間が挑戦し、二度と還っては来なかったはずです。それでも、未知な物に対する憧れが消えることはありませんでした。危険であればあるほど、挑戦してみたいのが人間の欲求です。それがあるから、人間の文明は発展してきたのです。さて、その日本列島は、山の幸、海の幸に恵まれた土地である一方、火山活動も盛んで、大海に浮かんだ小舟のように、自然の猛威に晒され、災害は毎年のように起きました。それでも日本人は、自然の恐ろしさを、ただ怖がるだけでなく、様々な知恵と工夫で立ち向かって行ったのです。
10年前の東日本大震災でも、2万人もの人々が犠牲となりましたが、海や自然を恨む者はいません。逆に、それに備えなかった自分を責めるのです。「海」は、確かに怖ろしい存在です。普段は穏やかで鏡のような表情を見せますが、一旦荒れると、それは、怖ろしい八岐大蛇のような大蛇の群れにも見えます。あの日の大津波は、まるでスローモーションを見ているかのように次々と街を飲み込んでいきました。そして、人間は逃げ惑うだけで、それに抵抗する術を持たないのです。それでも、多くの人々は、そんな大津波が襲った「ふるさと」を離れず、また、復興しようと努力しています。その繰り返しが、日本の歴史なのです。日本列島は細長い島国です。中央部は急峻な山岳地帯が続き、人が暮らせる場所は限られています。したがって、街が津波に飲み込まれようと、多くの仲間が死のうと、その土地にしがみついてでも生きていくのが日本人なのです。大陸のように、よその土地に引っ越して生きていくなんてことは考えたこともありません。なぜなら、そこに自分の「先祖」がいるからです。自分の信じる「神」がいるからです。だから、何があっても「逃げない」のが、日本人の生き方なのです。こうした人間性は、外国人には理解できないのかも知れません。
大災害にも関わらず東北の人々は整然とルールを守り、救助に来た人々には感謝の言葉を述べ、頭を下げました。その姿が世界中に配信されると、世界中の人々が驚きました。こんな大災害が起きれば、パニックが起こり、「秩序が破壊される」と思っていた外国人から見れば、日本人の振る舞いは自分たちの常識にはない行動だったのです。しかし、多くの国民は大災害に遭われた人々に同情はしても、その行動は当然のことのように見ていました。日本人の中でおかしな動きをしていたのは、マスコミ関係者だけです。日本人は仕事に忠実なためか、与えられた仕事ができると、あまり周囲への忖度や配慮ができなくなるようです。個人としては忸怩たる思いの記者もいたと思いますが、会社からの命令となれば、個人の感情を捨ててマイクを被災者に向けることも厭わない無神経さがありました。それも含めて「日本人らしさ」が出ていると思います。これは、所謂「教育」の成果ではなく、長い年月をかけて培われた日本人の気質でもあるのです。大自然を「神」と崇める日本人の精神は、他の宗教にはない感覚でしょう。その大自然が起こした現象で、大災害を被ったとしても、それを恨むのではなく「受け入れる」精神が日本人にはあります。それは、辛く悲しいことです。それでも、「自分たちを慈しみ育ててくれる自然(海、山、川)と共にありたい」と願うのが日本人だということです。
3 知恵と工夫が、国を豊かにしてきたこと
「米作り」は、常に自然との闘いであり共存でもありました。日本は、急峻な山岳地帯が多い国です。それが、稲作には大きな恵みとなったのです。日本は、雨や雪が多い気候を持っています。そのために山に降った雨や雪は、地下水となり川に流れ込みます。その水は、平地に流れ着く間に山の養分をたっぷりと含み、田を潤すのです。稲は、その恵みを吸ってぐんぐんと育ち、秋には大きな実をつけます。そして、冬には田を休ませ、また、春に元気になった田に種を蒔くのです。こうした循環が、「稲作の知恵」として、日本の農家に受け継がれているのです。それは、だれかの知恵や発明によって作られたものではありません。日本という国が持っている特殊性でもあります。もし、日本列島の中央部に急峻な山並みがなかったら、日本で稲作が定着することはなかったはずです。災害が少ない代わりに恵みも少ない土地でしかなく、日本列島は「蓬莱の国」「黄金の国」にはならなかったでしょう。この特殊な自然を持つ国だからこそ、米文化が定着したのです。
日本は、貨幣経済に移行するまで「米本位」による経済活動を行ってきました。要するに、米の相場によって貨幣の価値が決まるのです。たとえ豊作であっても、採れ過ぎては貨幣の価値を下げ、不作であれば、貨幣に交換することもできなくなります。こうした不安定な経済活動が続けられたのも、米を「神聖なもの」と考える日本人の歴史観に基づくものでしょう。 だからこそ、日本人は稲作に拘り、少しでも収穫量が確保できる米、食味のよい旨い米、自然災害に強い米、病気に強い米、どんな田でも栽培できる米、冷害に強い米…を目指し、品種改良を続けたのです。日本の米作りは、「品種改良の歴史」と言っても過言ではありません。今でも、北海道から沖縄まで、日本全国津々浦々で、水田を見ない土地はありません。山の段々畑のような場所にさえ、水を引き、米を作ってきたのです。今でもそうですが、米価はけっして高いものではありません。もちろん、日本政府が「米を守る」ために、多くの予算を付けているから米価が安定しているのですが、それ以上に、日本人が「米作り」を単なる「栽培」と捉えるのではなく、「神聖なもの」として扱ってきたために、国民全体が「米」に対して特別な感情を抱いているのだと思います。昔、祖母から「米粒には、仏様が宿っている」という話を聞いたことがあります。また、そうした昔話もありました。だから、「米粒は、一粒残らず食べる」のが礼儀だったのです。今でも、米が粗末に扱われていると心が痛みます。そして、「罰が当たるぞ…」と心の中で呟いています。そんな米だからこそ、全国で新田が開発され、品種改良が行われてきたのでしょう。この「米作り」の精神は、日本人の道徳観とつながっています。祖母が、「米粒には、仏様が宿る」と考えていたように、米作りは「神事」なのです。だから、農民はその神事に携わる尊い仕事をする人々なのです。そんな感覚があるからこそ、日本の農民は「誇り」を持つことができたのです。そして、神に仕える人間として、常に神の前で恥ずかしい姿を見せないように振る舞い、努力することを忘れませんでした。それが、日本人の遺伝子に残り、今の日本人の性格を創り上げています。この「米作り」こそが、日本人の粘り強さや勤勉さのルーツなのです。
4 信頼関係作りが生きる基本であること
日本人は、人を疑うことを嫌います。「人を見たら泥棒と思え」という諺がありますが、そのくらい日本人は他人を信用してしまうのでしょう。まあ、「お人好し」という言葉もあるように、人間としては、騙す人間より騙される人間の方が数倍ましですが…。これも農耕民族の性格なのでしょう。それに、農作業は一人ではできません。年齢や性差、体力差も大きく、だれもが等分に仕事がこなせるわけではありません。仕事は、それぞれの年齢や能力等に応じて分担が決まりますが、農作業ができなくても、掃除や洗濯、料理など、やるべきことは山ほどあるものです。だからこそ、それぞれが自分の役割を担い、「自分も米作りに参加している」という協働意識が働くのです。
子供は子供なりに手伝い、妊婦は、子を産むために節制し、老人は、子守でも飯炊きでも、できることで村に貢献することができました。農村には、不要な人間はいないのです。これが農業の極意です。
現代のように、能力の乏しい者や病気の者を戦力外として、リストラ(解雇)の対象にしてしまうような理不尽さは、米を作る村にはありませんでした。自分が劣っていると感じている者も、自分の能力でできる限りのことはしたはずです。草取りでも水汲みでも、子守でも、やろうという意思さえあればできることはあります。この「できることはやる」という精神こそが、自分を生かす道なのですが、今の時代のように「自分探しの旅」に出ているようでは、何が自分なのかさえわからなくなってしまうのではないですか?。昔のように「汗をかき」「黙って働いて」いるうちに気づくこともあるはずです。そういう悟りは、現代では通用しないのかも知れません。本当に、どちらが幸せなのか、それは、一人一人の日本人の心の中にあるのでしょう。こうした「勤労観」があれば、社会や学校での差別や「いじめ」などは起きないのではないかとさえ思います。弱者を皆で助け合う姿こそ、健全な社会なのです。
最近では、あまり使われなくなりましたが、昔は、周囲の大人たちは、よく「お互い様」とか、「人様」という言い方をしていました。「遠慮」という言葉があるように「慮(おもんぱか)る」といった感情表現は、外国にはないような気がします。まして、英語でこれをどう訳すのでしょう。意味としては、「思いを測る」なのだと思いますが、要するに「相手が言葉にしなくても、相手の気持ちを察して同情する」というような意味になるはずです。「遠慮」とは、それを「遠くからでも、相手の気持ちを察しなさい!」と言うのですから、どれだけ神経が細やかなのか…と畏れ入ります。こうした感情があるから、昔の人は、他人に対して「様」を付けて呼ぶ習慣ができたのでしょう。この文化は、日本独特のすばらしい「心の文化」だと思います。そして、「お互い様」「人様」と言うような言い方で、他人に敬意を持って接しようとするのは、やはりどんなときでも「和」を尊ぶ「お国柄」なのだと思います。古代日本で、聖徳太子が「和を以て貴しと為す」という言葉を残したと言われていますが、それが、現代の私たちにも受け継がれていることに感動します。もちろん、一般的にはあまり使われなくなった言い方かも知れませんが、それでも、多くの人の心の中には残っている感覚です。その言語感覚が残っている限り、必ずそれが発揮されるときが訪れます。今は、世間の風潮が歴史や文化を軽視する時代です。「グローバル化」と呼ばれるような時代は、「国境がなくなり、世界中の人々が分け隔てなく暮らしていける社会」がすばらしい世界であるかのように宣伝されますが、それは、とんでもない間違いです。明治維新や敗戦直後に日本語を廃止し英語を「国語」にしようという企みがあったように、その国の言語を変えるということは、その国の「文化」を破壊することに他なりません。文化は、その国の歴史と共に築かれてきた国の宝(財産)です。日本人が、その宝を失い、グローバル化した世界で生きられると思いますか?。もし、そこに「日本国」という国があったとしても、それは、私たちが知る「日本」であるはずがありません。外国の文化や思想が日本の文化と混じり合った「別の日本」ができるだけのことなのです。当然、時の施政者はそれを「新しい文明の誕生だ!」と喜ぶのでしょうが、そこで楽しく暮らせるのは、残念ながら、私たちのような「日本人」ではないことだけは確かです。
日本には「親しき仲にも礼儀あり」という言葉があるように、どんなに仲良くなっても、その人のプライバシーにはなかなか立ち入りません。なぜなら、それは「失礼」なことだと教わっているからです。だから、夫婦や兄弟間であってもお互いのプライバシーを守り、必要以上に接触することを避ける傾向にあります。若い恋人同士でも、あまり個人的な情報を聞き出そうとしないのが礼儀です。もちろん、日本人にも例外はあります。嫉妬深い人間は、猜疑心が強く何でも知りたがりますが、それは人間関係を壊す原因にもなります。たとえ、夫婦間であっても「ほどよい距離」を保てるのが夫婦円満のコツでしょう。我が子に対しても同じことが言えます。親にとって子供は可愛い存在だと思います。虐待事件もあるので、最近はその意識も薄らいでいるのかも知れませんが、常識的にはそう考えられています。そして、特に母親は自分の体内から生まれた子供ですから、可愛くないはずがありません。どちらかというと、自分と一心同体のように考えてしまう母親がいても不思議ではないのです。ところが、子供は違います。母親に対する愛情はあったとしても、それよりも「自立心」が勝るのです。小学校の中学年くらいまでは、愛情たっぷりに育てられてもそんなにトラブルは起きません。しかし、子供が思春期に入っても尚、子供と「一心同体」的な思考を持つ母親は、家庭内でとんでもないトラブルを引き起こしかねません。長く愛情を持って育ててきただけに、恰も自分の分身であるかのように我が子に接すると、子供の中で「反抗心」が芽生えてきます。これが成長期の当然の現象なのですが、それを理解しておかないと家庭内で母子による壮絶なバトルが始まってしまうのです。これも、子供をひとつの人格として見ていない母親の失敗です。子供といえども、別人格の人間に対してプライバシーに深く入り込みすぎると、それは「失礼」な行為になるということです。よく「親ばか」と言いますが、子供は思春期頃になれば、成長としては十分に大人として扱える存在になります。もちろん、社会に巣立つまでの支援は必要ですが、それ以外は個人(一人の人間)として尊重しなければなりません。そういう意味でも、「親しき仲にも礼儀あり」は、私たちの教訓なのです。
5 「村を護る」ことが使命であったこと
農耕社会は、小さな村社会です。村には、数世帯から数十世帯まで、家族を作って暮らしています。古代の弥生遺跡の中にも、竪穴式住居の中に、家族がいた痕跡が残されているものも多くあります。この「家族を持つ」という概念は、男女が存在する以上、自然なことなのでしょう。出生率は、断然、男が多く、幼児期の死亡者も男の方が圧倒的に多いのが人間の特徴でした。女性は、子を産み育てる役割があるので、元々身体的には、強くなければなりません。今でも平均寿命は、女性が男性を大きく上回っているのは、元々の体質として女性は強くできているのでしょう。しかし、成年期になると、男は体も大きく、筋力も女性を大きく凌駕していきます。それは、人間である以上、今も変わることはありません。こうした家族構成の中で、男の役割は、自然に「家族を養い護る」ことになっていきました。古代は、今のような優れた科学技術がありませんから、「力が強い」だけのことで、万能感があったはずです。木を切るにも、獲物を獲るにも、家を建てるにも「男手」は必要です。この「男手」という言い方にも、「男の方が、力が強く危険に立ち向かえる」という暗黙の了解が見て取れます。それに対して、男性は特に反論するでもなく、女性の指示で動かされることを嫌がる様子も見られません。やはり、本能的に「女性を護る」という意識があるからだろうと思います。最近では、軍隊の中でも女性の指揮官が多く出ているようですが、それは、飽くまでも「科学技術」を使うという点においては、男女の比はなく、優秀な頭脳を生かした女性指揮官が誕生するのは、喜ばしいことだと思います。日本では、まだまだ管理職になる女性が少ないようですが、その能力においては男女比があるようには思えません。女性でも決断力があり、志操堅固な人はたくさんいます。しかし、「危険な場」に女性を率先して赴かせていいのか…と問われれば、意地でも「男性が向かうべきだ」と私は思いますが、この考えは古いのかも知れません。しかし、男女は間違いなくこれからも存在します。そして、女性が子供を産む能力があるのです。それが変わらない以上、男女の役割は確かにあるように思います。どちらかが無理をしてまでイデオロギーに流される必要もありません。相応に役割を分担し、日本人らしい営みを築いて行くことが幸福につながるものと私は信じています。
第一章 学校の課題
第一節 学校が疲弊した理由
なぜ今、学校がこんなにも疲弊してしまったのでしょうか。小学校から大学まで、学校のほとんどが機能不全に陥っているように見えます。大学は、経営上の問題として学生を一定数集めなければなりません。国からの補助金は減り、大学独自の経営戦略が求められましたが、成功した大学の例はあまり聞こえてきません。スポンサーに大企業がついているとか、特化した学部を創設して世界に通じる研究に取り組んでいるとか、何かしらの特長を出さねば生き残ることは難しい状況にあるようです。失礼ながら、学生にとって「大学」は、社会に出て行くための「予備校」化しており、学生時代に何を学んだのか…とか、何を研究したのか…という話が聞こえてこないのは、私のアンテナが低いせいでしょうか。最近、就職試験の面接でも、大学でのサークル活動やボランティア活動などは評価されるそうですが、大学での「研究」を評価点に入れている企業はどのくらいあるのか聞いてみたいものです。企業側にしてみれば、「意欲」や「協調性」「リーダーシップ」などを見たいという気持ちはわかりますが、大学といえば「研究機関」なのではないですか。たとえば、文学部であっても「森鴎外」や「夏目漱石」を評論家以上に語れる学生がいたら、それはそれで評価できると思いますが、どうも違うようです。それに、大学生は3年生になると早速「就職活動」に入らなければならないようで、研究をしたくても、入学して僅か2年では大した研究ができるはずがありません。この体制が変わらないかぎり、学生の「青春を謳歌したい」という欲求には勝てないと思います。
彼らは、現実がわからないわけではありません。先輩たちを見ていれば、自分たちの境遇がどのようなものかわかります。就職にしてもその時期の景気の動向によって左右され、「氷河期・超氷河期」と呼ばれる時代の学生は、自分の希望する職に就くことは難しく、多くの若者が社会の現実に打ちのめされました。先日、安倍元総理を射殺した男は、まさに、この「氷河期」に社会に出た若者の一人でした。それでも、努力をして、多くの難しい資格まで取得し、就職に生かそうとしたようです。ここまでは、けっして非難される行動は採っていません。しかし、それも叶わないと悟ると、自暴自棄になってしまったのか、人間として一番卑劣な方法を用いて人の人生を奪うという大それた事件を引き起こしてしまいました。もちろん、宗教や家庭の問題等が報道され、同情できる一面もあるようですが、それと「殺人」が同列に考える話でもありません。もし、政治的な背景のある「政治テロ事件」ならば、問題はさらに複雑化し、国として安全保障体制を改めて見直す必要に迫られるはずです。理由は、今後、警察の取り調べや裁判の中で明らかにされるのでしょうが、犯人の男が、素の自分に戻ったとき、ぜひ、人間らしい反省をして欲しいと思います。そして、後悔に苛まれるほどの苦悩を味わうとしたら、更生の道を歩めるかも知れません。
一見、青春を謳歌しているように見える若者も、実は、多くの葛藤を抱え、苦しんでいるかと思うと気の毒で仕方ありません。実際、現実社会は厳しいものがあります。自分の思うようになることは少なく、学生時代は自己評価が高かった分、現実の厳しさは身に堪えます。自分の力を知れば知るほど、不安は尽きないものです。だから、「その瞬間だけでも楽しみたい…」と考えてしまいがちですが、それも人間の弱さなのです。一方で無理な借金(奨学金)を重ねて学費を払い、就職後もその返済に追われる現実があります。何とか企業に就職しても、停滞した経済の中で、右肩上がりの昇給も考えられず、借金の返済が自分の肩に重くのし掛かってきます。子供の頃に聞いた、「勉強さえしていれば、幸せになれる」とか、「大学に入れば、いい会社に入って幸せになれる」といった教師や親たちの神話は、どうなったのでしょう。それを言った親世代は、五十代でリストラに喘ぎ、自分の収入以上の支出を強いられています。子供の学費ぐらい出してやりたくても、教育費が高い日本では、それもままなりません。なぜなら、自分たちの老後の心配もしなければならないからです。
平成から令和の時代になり、日本の「学歴神話」も幕を下ろそうとしています。今回の参議院選挙を見ても、労働組合などの団体の支援を受けた候補者が、必ずしも当選したかと言えば、そうではありませんでした。昔なら「組織票」を頼んで選挙に出たものですが、今や「ネット」での動画配信がかなり有利に働いたようです。つまり、従来の考え方に固執した政治家は、新しい時代の考え方について行かれない…という現実が見えてしまったのです。平成の終わりころから「第五次産業革命が起こっており、これまでの常識が通用しない時代が来る」と言われていましたが、今、まさに、新しい時代が到来しているだと実感できます。それは、日本政府も文部科学省も各学校も、家庭も、「子供の教育」についての考え方を大きく変えざるを得なくなったということです。
これまでは、学校の教師も、「大学は、どうする…?」といった進学の話しかしませんでした。高校は常に進学率を競い、推薦入試だろうがAO入試だろうが、とにかく親や生徒に大学進学を勧めていたのです。これほど煽られれば、だれもが「大学に進学しなければ…」という脅迫観念に縛られてしまいます。もちろん、大学も千差万別で、「ここでしか学べない専門性」を有する大学もあるでしょう。優秀な教授陣が揃い、真摯に学生に向き合う大学もあります。しかし、多くの大学はそれほどの個性があるようには思えません。この2年間のコロナの影響で、大学も休校せざるを得ない状況に追い込まれ、リモート授業も増えたといいます。そうなると、学生にとって「大学の質」がはっきり見えてくるようになりました。学生の立場に立って配慮し丁寧に指導してくれた学校と、すべてが後手に回り、学生の不満が高まった学校とに別れています。年間の授業料が「100万円」を超えるのが当たり前の時代に、その授業料に見合った教育が行われなければ、その大学の信用は失墜するでしょう。多くなりすぎた大学が淘汰されるにはいい機会だと思います。実際、有名大学であっても、そこで教鞭を執る教員たちの質の低下には驚くばかりです。今や従来のメディアだけでなく、ネットによる情報が拾えますので、「えっ、この先生、こんな思想を持っているの?」と驚く人がたくさんいることに気づかされます。有名大学、大学院を出て著作も多い教員であっても、その思想は別です。政府や政治家を批判するのは個人としては勝手ですが、怪しい思想や理論を持ち出して学生に指導しているとなれば、それは「大問題」です。大学名だけで受験し、その教育の中味を知らないまま我が子が偏った思想に被れたとしたら、親はそれで納得できるのでしょうか。最近でもマスコミに「時代の寵児」にように取り上げられた学生グループがありましたが、一瞬のブームが去ると、その学生たちの行く末が報道されることはありません。利用した政治家たちが、彼らの支援をしている話も聞きません。要するに「使い捨て」です。これも「自己判断」の結果といわれれば、それまでですが、学校とは「善」に導くための機関だと思いますが、逆に学生に「負の遺産」ばかり背負わせ、知らんぷりをする教員がいるとしたら、言語道断です。教育者としてあるまじき行為をしていることになります。個人的に言わせて貰えば、テレビに出てくる「大学教授」と称する人の多くは、思想的に「危険」な人が多いように思います。これからは、大学の名前や偏差値だけでなく、中で指導する教員たちの思想や行動などもチェックした上で、学校を選択しないと後悔することになりかねません。親としても、危険思想の持ち主に大切な子供を預けられないでしょう。その「評判」こそが、「大学の価値」を決めるのだと思います。
さて、日本の高等学校進学率は99%だそうです。非常に高い数値を表しています。つまり、国民のほとんどが「高等教育」を受けているということになります。大学や短期大学、専門学校の進学率も高校の卒業生の80%を超え、これだけ見ると「日本人は、本当に勉強好きなんだなあ…」と感心してしまいます。しかし、実感からすると、「本当に、これだけの人間が進学する必要があるのかな…?」という疑問だけが残ります。それは、一重に学校の「質」の問題です。日本の進学率が高いのは、「勉強したい…」という学生個々の学習欲求より、社会の雰囲気に飲まれて決断を先送りした結果なのではないか…という疑問です。そして、それは親たち世代の焦りから来ているようにも見えます。「みんなが、大学に行くんだから、うちの子も行かせなきゃ…」とか、「今時、大学くらい出ていないと、碌な仕事に就けない」という勝手な思い込みを社会全体が煽り、教育産業が拡大しした結果ではないかと思います。今、駅前だけでなく、その周辺にも「学習塾」と称する受験を支援する「店舗」が乱立しており、各家庭に配られるチラシも工夫をされたカラフルな物ばかりです。しかし、よく見ると授業料は高く、これからは「夏合宿」などの特別授業が宣伝されてくるでしょう。もちろん、私は教育産業を否定する立場ではありません。国民が必要とするからその産業が生まれ、発展していく過程はよくわかります。ニーズがなければ、その産業が廃れるのは民主主義国の常ですから、教育産業が発展していくのは結構なことだと思います。しかし、そのために、親が子供にかける教育費はどんどん高騰し、親の収入だけでは足りず「教育ローン・奨学金」と称する借金をせざるを得ないのも事実です。そうなると、少子化が進むのはやむを得ません。就労年齢も年々上がり、今や25歳で就職する者も多いと思います。まあ、「人生100年時代」ですから、70歳まで現役で働くとして「45年」という年月がありますから、それくらいでいいのでしょうが、18歳にもなれば十分に仕事に就き働ける年齢なのに、「高卒では不利だ」と言われては、折角の若い労働力を失うことになってしまいます。実際、子供たちはそんなに長い間勉強ばかりしていたいものでしょうか。「周囲がそうするなら、自分もそうする…」程度の雰囲気で進学する高校生も多いような気がします。
ところで、戦前の「高等学校」と言えば、帝国大学の定員数しか入れない超エリート校でした。それが、戦後の教育改革で「新制中学校」が誕生し、それまでの中学校が高等学校になったのです。戦前までは、義務教育は小学校(昭和16年から国民学校)6年間で終わりました。但し、小学校には同じ敷地に「高等科」が併設されていましたので、多くの子供は、後2年間小学校で勉強したのです。したがって、義務教育を終えると「14~15歳」になっていました。この年齢に達すると、大体大人と同じような作業がこなせるので、就労年齢としては適当だったと思います。私の父親も小学校の高等科卒で、その後、繊維企業(工場労働者)に就職しています。それでも、当時は、定年が55歳でしたから、満期まで勤めて約「40年」が就労期間だったようです。今、65歳定年が勧められていますが、やはり40年というのは、ひとつの目安のような気がします。
戦前までの中学校や高等学校は、一部のエリート層の子弟が通う学校で、田舎の学校でいうと、クラスに多くて2、3人が進学する程度だったようです。それが、日本の発展に障害になったかというととんでもありません。小学校しか出ていなくても、新制高校の数学程度の内容は理解していましたし、毎日新聞も読み、小説も読むような教養は持ち合わせていました。単なる「労働力」としての雇用ではなく、企業も「下級幹部」への登用は積極的に行っていたのです。それは、軍隊も同じでした。軍は、小学校卒程度の志願兵を集めて訓練を施しましたが、平時には、陸軍であれば「大尉」程度の階級まで出世した人もいたのです。なぜなら、優秀な兵隊は、軍の各種学校に入校させ専門教育を施したので、その道にかけてはエリート将校でさえ叶わなかったと言われています。日本人は、何も学校制度を整えたから勉強をするようになったのではなく、元々勤勉は人たちが多く、自分の希望を叶えるために様々な機会を使って勉強していました。戦後も、夜間の中学校や高校、大学に進む者も多く、その大半は、地方から都市へ出て来た「集団就職」の若者たちだったのです。日本が戦後、「奇跡の復興」を成し遂げることができたのは、こうした戦前に教育を受けてきた人たちだったことを忘れてはなりません。戦後の教育が花開くのは、昭和が終わり平成、令和となった現代だということです。それを勘違いしてしまうと、教育の本質を見誤ると思います。
それでは、「戦後の教育」は成功したのでしょうか。確かに進学率は高まり、子供の多くは立派な高等教育を受け、社会に巣立っています。ところが、今、日本各地でこの「高等教育」について様々な意見が飛び交っています。実際、今のノーマルな高等学校では生徒の「学力不足」を嘆き、改めて入学後に、中学生以下の内容を教えざるを得ないと言われています。それは、大学も同様で、そもそも高校や大学に入学してくる子供の「基礎学力」が低下しているのです。文部科学省は、常に「学力向上」を叫び続け、少しでも学力低下が見られると学習指導要領の内容を改訂し、高い要求をしてきます。そのために、子供たちの使用する教科書は厚くなり、指導する時間が不足する始末です。特に外国との比較が好きな日本人は、「〇〇国の教育がすごい」と聞くと、マスコミは挙って外国を賛美し、日本の教育の欠点を暴き「だから、日本はダメなんだ」と言い続けるのが常です。国民は、こうしたネガティブな情報が大好きで、「だから、ダメ論」は、教育ばかりではなく、どんな分野においても通用する思考になってしまいました。だから、マスコミ報道も「ポジティブ報道3割・ネガティブ報道7割」に終始しているようです。よく、「日本人は自己肯定感が低い」と言われますが、これだけネガティブ情報に晒されれば、自己肯定感が高まるはずがありません。とにかく、教育においては、常に「学力向上」と「国際競争力」が絶対です。しかし、現実には、高等教育(高校・大学)の場でありながら「学力不足」の生徒が多く存在しているのです。
そもそも、日本の高等学校には「普通科」が異常に多いのが特徴です。義務教育が小中9カ年を考えれば、高校まで普通科の学習内容を施す必要があるのでしょうか。中学校までの学習をきちんと履修していれば、一般社会における教養は十分なはずです。それを高等学校普通科に進学するということは、「大学進学」を目指せすように促しているようにしか見えません。もちろん、普通科を卒業して一般の民間企業に就職する人も多いと思いますが、それならば、商業科(簿記や経理事務等)や工業科(金属加工・整備技術等)などの技術系を学ばせた方が「即戦力」になるのではないかと思います。現在のようにコンピュータ社会でありながら、県内の高校で「コンピュータ技術」が学べる学校は少なく、工業高校や私立高校に「情報処理科」を持つ学校が数校あるだけです。農業に至っては、何処にあるのか…というくらい少なく、これでは、新しい農業技術者が育つはずがありません。それでも、現代の若者は、農業に「新しい未来」を見ている人もいます。農業は昔から「後継者問題」が悩みですが、意外と農業に特化した専門高校を新設すれば、優秀な人材が集まるような気がします。昔は、「若者は3Kを嫌う」などと言われ、汗をかく仕事を嫌がる傾向にあったそうですが、これもちょっと眉唾です。何か、マスコミが誘導して「3K」という言葉を流行らせたような気もします。実際、企業に入って「組織の中で働くことが苦手」な人も多くいます。
コミュニケーション能力は低くても、個人としての才能は豊かな人は多いのです。そういう点では、「農業」は、基本が自然相手ですから、絶対に向く人はいるはずです。「ニーズがないから、作らない」ではなく、本気になってニーズの調査を行い、子供や親が欲している「学校」作りができないものでしょうか。もし、子供たちにニーズがあるのなら、普通科の高校にも「専門科(商業・工業・農業・漁業・林業…等)」を開設して生徒を募集する方法もあると思います。穿った見方をすれば、大学をたくさん認可してしまったために、子供たちに「進学を促さなければならない」という大人の事情があるように思えてしまいます。もちろん、文部科学省はこれを否定するでしょうが、今の時代、普通科が国民のニーズだとは思えません。「学習効果」を考えるのであれば、高等学校3年間は、専門教育に特化した方がいいと思います。そして、その道の「専門職」を育てることで、日本が「ものづくり大国」として、世界をリードしていけるのではないでしょうか。
今、社会では、情報・経済・工業・農業・漁業・林業・料理・服飾・木工…など、多様な技術職(職人)を必要としています。「情報」であれば、コンピュータから「AI」までの基礎技術が学べれば、新しい時代の要請に応えられる人材を育てられるし、「工業」であれば、造船や飛行機製造、エンジン製造などの特殊技術者の養成が可能になります。「農業」においても、バイオテクノロジーなどの新しい農業技術が学べれば、農業従事者の後継問題の解消に寄与できるではないでしょうか。それにしても、この専門分野への投資が少なく、学校も少ないのは異常です。日本が「ものつくり」先進国を謳っておきながら、なぜ、高校3年間で学ばせようとしないのか…日本政府の方針を伺いたいと思っている子供や教師、保護者は多いはずです。今の状態が続けば、結局、子供たちはノーマルな大学進学以外の道を選ぶ機会が少ないのが現状です。高等学校にしても、未だに「大学進学率」を学校のパンフレットに載せ、「〇〇大学 〇人合格」といった学習塾や予備校のようなことをしています。そんな進学率を誇るなら、将来役に立つような「資格」の合格率でも載せてくれれば、子供たちの選択肢は広がります。私の家の近くの私立高校では、商業科の生徒が「簿記検定1級合格」などの記載が学校案内に書かれており、人気は上々なようです。ただし、日本の一部の専門学校は、本気で「技術者養成」に力を入れているのも事実です。それらの専門学校では、入学してからの内部競争も激しく、安易な単位認定はしません。成績不良であれば落第もあるし、退学勧告もあります。のんびりと大学でのキャンパス生活を送る大学生がいる一方、将来を見据えて、専門学校で鍛えられる学生がいます。話を聞くと、毎月行われる試験によって「クラス」も変わり、全員が国家資格を目指して猛勉強しているそうです。それは、まさに「切磋琢磨」の世界です。専門学校時代に「国家資格」を取得できる認定校も増えており、本気になって取り組む学生が出てきたことは喜ばしい限りです。しかし、これらの学校は全国に数も少なく、実績校は数えるほどしかありません。そうなると、親の理解と経済的支援が欠かせないのが課題です。
失礼を承知で言えば、横文字を並べただけの学部を設置して学生募集に喘いでいる大学は、早々に「特殊専門学校」に切り替え、徹底した専門教育ができる体制を整えることをお勧めしたいと思います。
実は、16歳から18歳までの時代は、本当に可能性のある時代のような気がします。「人生の伸び盛り」というのか、この時代に基礎を作って後に活躍する人は多いはずです。「鉄は熱いうちに打て!」の鉄則があるように、この若い時代にこそ「鍛える」ことが重要なのですが、今の日本の教育政策は、「鉄は熱いうちは見守る!」になっています。これでは、鉄は強い「鋼」にはなりません。既に歴史が証明していることを政府はやろうとしないし、国民もいつの間にか「子供時代は、見守る」ことが一番大事なことのように考えるようになりました。だから、自己肯定感の低い子供が出来上がるのです。「鍛える」というのは、何も理不尽に怒ったり、体罰を加えたりすることを言うのではなく、必要な教育(訓練)を施すことを言います。政府や文部科学省も「学力向上」を目標に掲げますが、本来は、教育基本法にあるように、教育の目的は「人格の完成」にあるのですから、真っ先に言わなければならないのは「道徳」のはずです。しかし、政治家や官僚の皆さんも教育基本法にはあまり関心がないのでしょう。だからこそ、「心身を鍛える」ことから始めるべきなのです。たとえば、スポーツなどは一部の競技を除けば、ピークは、25歳ころだといわれています。確かに、プロ野球選手やサッカー選手、ゴルファーなども、この年代に活躍している選手は多いはずです。そう仮定すると、10代は、「基礎教育」の時代だということがわかります。それがわかっている人は、学校に期待するのではなく各家庭の責任で我が子を鍛え、将来に備えています。そして、その家庭が大切にしているのが「人間性」です。何でもそうですが、「一流」と呼ばれる人の多くは、その技術や結果ばかりでなく「人間性」を高く評価されているはずです。彼らは皆、自分を自分で鍛え、目標に向かってひたむきに努力する人たちです。そして、結果を出しても驕ることなく周囲への感謝の気持ちを忘れません。だからこそ、多くの日本人はそれを賞賛し、憧れを抱くのです。「私も、ああいう人になりたい…」というような気持ちは、自分自身を鼓舞し、同じように努力しようとする意欲を喚起します。それこそが、「教育」と言えるのではないでしょうか。
「人間性」という言葉を最近よく耳にするようになりました。学校でも「豊かな人間性を育む」といった言い方をしますが、具体的な方法はあまり示されません。よく「知・徳 体」の三つが大事だと言われますが、教育の目的な「人格の完成」にあるのなら、「徳」そして「知・体」でなければならないはずです。多分、「知・徳・体」は戦後に言われたのではないでしょうか。戦後の経済発展の時代を見れば、一番に「知」が来るのは頷けます。時代がそれほど進んでいない時代は、人間は貴重な労働力でした。戦後、「大量生産時代」に入ったとはいえ、工場で働く人がいなければ製品ができなかったのです。今でも昔の工場での「流れ作業」の様子をネットなどで見ることができますが、同じ制服を着た工員が、ベルトコンベアで流れてくる製品を順番に組み立てていきます。その姿からは、個性を感じることはできません。だれもが「無言」で黙々と作業をこなしていきますが、今の工場と比べるとあることに気づきます。それは、工程がまったく同じだということです。ただし、工場内は同じように静かですが、今の工場には人はいません。あるのは「機械」だけです。「人は…?」と見ると、遠くの方にその作業を見ているような人が数人います。つまり、人間は機械(ロボット)が行う作業の「管理」をしているのです。これなら、人間を大量に雇う必要もないし、人件費(コスト)も初期投資とメンテナンスだけでしょう。賃上げも要求されないし、苦情も来ない。その上、メンテナンスさえしっかりやっておけば、病気や事故のリスクも軽減できます。これが、今の時代なのです。おそらく、昔必要だった「知」とは、「マニュアルが正確に読める知」であり、「上司の命令に忠実に従う知」であったことは想像できます。そういう時代だからこそ、「知」は最上位にあり、「徳」や「体」の重要度はそれほど高くはなかったのでしょう。ところが、今の時代はほとんどが高等教育を受けているので、企業が求める「知」は十分です。そして、「体」は一応健康体であれば、それ以上は求めなくてもいいはずです。そうなると、残るは「徳」だけになりますが、世の中が「個」を重んじる社会になると、組織としての協調性やコミュニケーション能力が重要になってきました。「ハラスメント」が問題視されていますが、これもお互いのコミュニケーション不足から来る厄介な問題です。親や教師から大切に扱われてきた子供が大人になり、いきなり「圧力」と感じられる言い方や態度で迫られれば、それは「ハラスメント」として扱われても仕方がないのです。本当は理解し合える部分がたくさんあるのに、たったひと言のために誤解を生じ、お互いが不信感でいっぱいになれば、組織としての大問題です。まして、大量採用時代は終わり、少数精鋭主義で仕事を行う時代に「ハラスメント」は、組織の大問題になるのです。こういう時代だからこそ、実は「心」の問題が大切なのです。お互いに「徳」を大切にした教育を受け、自分自身も「人間性」を高めようとしている存在ならば、「ハラスメント」が起きる可能性は低く、「いじめ」と受け取られる誤解も生じないはずです。そういう時代だからこそ、もう一度「教育の原点」に帰り、日本人らしい人間性(徳性)を磨くべきなのです。
「人間性を磨く」ことが大切なことは、国民の多くはそう感じていると思います。まして、学校で子供に直接指導している教師なら尚のことです。しかし、毎日の指導で忙しく、「自分のやっていることが子供の人間性を育てているのか…?」と問われると、自信が持てないのが現状だと思います。そもそも、人間性を高める妙薬があるはずもなく、もし、できるとすれば、それは社会全体がそれを重んじ、「日本という国は、道徳を重んじる国だ」ということを世界中にアピールすることでしょう。今の現状を見ていると、政治がそれを推進している様子もなく、昔からの日本の歴史や伝統に甘えているだけのようにしか見えません。東京オリンピックの誘致の際に女性タレントが「おもてなし」という言葉を遣い、世界中に日本をアピールしましたが、実際の東京オリンピックでは、政治家や主催者側の「おもてなし」が評価されたことはありませんでした。逆に、一度決まっていた企画に問題が生じ、二転三転したことは承知のとおりです。そして、この「おもてなし」を実現させたのは、日本側のスポンサーであったり、ボランティアスタッフであったりと、主催者側が意図しない部分で、「日本人らしさ」が発揮されたのです。今では、「東京オリンピックは成功だった」という意見も多いようですが、それは、「日本人力」とでもいう普通の庶民の感覚と努力によるものであって、政治家が誇る理由はないはずです。しかし、大会に参加した各国の選手の多くは、日本のきめ細かなサービスを喜び、日本人の「おもてなし」に感動したといいます。ならば、この日本人が持つ「思いやり」や「優しさ」を「国の力」として育てていく努力をするべきなのです。
今、世界はまさに混沌とした時代を迎えています。ここ最近は、「まさか…?」という言葉の連発でした。国際連合の常任理事国であるロシアが、突如、隣国ウクライナに軍事侵攻し戦争を始めた衝撃は、最初の「まさか」でした。「二度と戦争を起こさない」ために創られた国際連合の主要国が自ら戦争を起こし、悪びれもせずに自分の正当性のみを主張する世界は異常です。もちろん、当事国にはそれなりの理由があることは承知していますが、それなら、そのことを世界中に訴え、公の場で議論するべきだったのです。そして、それを仲介するのが国際連合という機関なのでしょう。しかし、現実の世界がそうではないことを今回のロシアの侵攻は、証明して見せました。次の「まさか」は、安倍晋三元総理大臣の暗殺事件です。現段階の報道では、一人の中年男性によって逆恨みされ、手製の拳銃で撃たれ死亡したというものでした。戦後、日本の総理大臣経験者が暗殺された事件はなく、国民の多くは衝撃をもってこの事件を受け止めました。そして、犯人はともかく、その杜撰な警備体制に驚き、警察組織に対する非難の声は高まるばかりです。有識者の中には「平和ぼけ」という言葉で、護衛を全う出来なかった警察に怒りをぶつける人もいますが、そんな人間が出てくるような社会を創ってきたことを反省するべきなのです。これをひとつの「特殊な例」として片づけるのは簡単ですが、日本という国の「闇」の部分を見ずして、表面にだけ現れた現象だけに囚われると、また、同じことが起こるだけのような気がします。既に日本は、「サリン事件」という無差別殺人を意図したテロ事件を経験しており、国民が危機に晒されている現実を知ったはずです。それなのに、相も変わらず「平和ぼけ」のひと言で済ませるのなら、日本という国が変わることはないでしょう。今後、何も決められず「平和ぼけ」と言い続けながら国が壊れていくとしたら、それも日本という国の運命なのでしょうか。今尚、日本人の「道徳」は、すばらしいものがあります。「いじめ」や「」ハラスメント」の話題も尽きませんが、それも考えようによっては、国民の「自浄努力」を促す行動でもあるのです。日本という国が「おもてなし」を大切にする国として、世界に認めてもらおうとするのなら、それに相応しい努力も世界に見せるべきです。安倍晋三元総理の死は、本当に悲しい事件です。しかし、安倍元総理は、「戦後レジーム(体制)からの脱却」「美しい日本」を目指して政治を進めた人でもあります。この理想は、国民の多くが賛同し、8年8ヶ月にもわたる政権運営を委ねた政治家なのです。その理想は共感できるものです。それなら、教育の分野においても、その理想を実現すべく努力をして欲しいと願うばかりです。
もし、人間性を高める方法があるとしたら、それは、まず「読書」から始めてみることです。「なんだ、そんなことか?」と思われるかも知れませんが、「井の中の蛙、大海を知らず」という諺があるように、人間が読書を知らずして、自分の生きている環境から外に出て行くことはできません。今の人たちですから、「ネット機能を駆使して世界中の情報をゲットできるから、井の中の蛙もはならない」と思うでしょう。そう考えている人は、間違いなく「井の中」の世界から外界に出て行くことはできないと思います。なぜなら、ネットから得られる情報は、飽くまで切り取られた情報であって、知識としては有効かも知れませんが、自分の「心の琴線」に触れることは考えられません。読書は、自分と活字の「対話」のようなものです。やましい文章は、自分の素直な心が必ず拒否をします。「もう、これ以上読むに堪えない」という本もあります。そして、それらの書籍は、早々に廃棄されていきます。たとえば、雑誌であっても、心が動く記事に出会うと、思わずそのページだけ切り取って保存したくなるものです。それに、読書はだれかに本を与えられて始めるものではありません。自分で気に入った書籍を手に取って吟味し、決心した上で、購入したり借りたりするものです。その多くは自分の嗜好に合っており、同じ内容であっても何度も繰り返して読みたくなるものです。その経験があれば、自分の世界から解き放たれ、広い世界へと目を向けることができるのです。
私の経験を言えば、私は基本的に「ノンフィクション」が好きです。特に歴史の真実を知りたいと願っていました。そこで、同じ時代であっても多くの著書を読み、作者によって異なる解釈を目にするうちに、自分なりの解釈ができてくるのです。したがって、「教科書」類の公文書であっても、まずは疑ってかかる習性を持っています。また、推理小説も好きで、そのトリックの巧みさに驚かされることもありました。特に横溝正史や高木彬光などの古典的な日本の推理小説に惹かれます。推理小説を読んでいると、やはり、その推理に「納得」がいくかどうかが鍵になります。作者がこじつけたような推理は、小説上ではあり得ても現実的ではありません。これは、現実社会でも度々起こっているのです。たとえば、ここで書いている「戦後教育」そのものが怪しい言論で彩られています。要するに「権力に逆らえない嘘」です。そもそも、歴史は「時の権力者」によって創られた「創作」でしかありません。だれもが、自分に都合のいいように書き、真実など、どうでもいいのです。それを歴史学者と称する人たちが、裏付けるような論評をするために、恰も「真実」のように偽装され公にされるのです。これは、別に非難しているのではなく、世界中に歴史はそういうものだ…と思っているだけのことです。特に公が認めた「真実」は、推理小説より論理に矛盾があり、ときどき、「えっ?」と思うことがありました。子供のころは、それを言うと先生から注意されるので口を閉ざすしかありませんでしたが、子供心に大人の詭弁を見抜いていたのです。本当は、それを信じて素直になれば、もっと高得点を取れたのでしょうが、根っからの天邪鬼体質はどうしようもありません。もちろん、「井の中の蛙」で一生を終えるのも人生ですから、特に咎め立てる必要もありませんが、私のような「天邪鬼」体質の人は、どうぞ、読書をして真実を見極める努力をされるようお勧めいたします。
次に、「義務教育」について見ていきたいと思います。最初に中学校です。義務教育最後の3年間、社会に出ていくための最終段階として国民に義務が課せられています。もちろん、義務教育の義務は「保護者の義務」であって、子供の義務ではありません。子供には「教育を受ける権利」が保障されているのです。しかし、その中学校も今や高等学校へ進学するための準備期間と化し、教育の最終段階という意識はありません。中学生のほぼ全員が進学するのであれば、義務教育を「高等学校」まで延ばせばいいのですが、政府はそこまで考えてはいないようです。では、中学校は、いったい何のためにあるのでしょうか。何となく、次の高等学校が控えているので、「高校受験と部活動」のためにあるかのようにさえ思えます。本来の中等教育の目的は、小学校の初等教育の上に、より専門的な学習を施すことにあるはずです。しかし、現実には「高校受験のための学校」になってしまっています。もちろん、国民が「それでいい…」と考えるのであれば、特に異論はありませんが、「義務教育の最終段階」と考えるのと、「次の高等学校への橋渡し」と考えるのでは、教育を施す教師の意識はまったく異なります。前者であれば、「社会人として恥ずかしくない教養を身に付けさせた」とか、「最低限の学力は付けさせて社会に送り出したい」などの意識になるでしょうが、「後、3年間高校生活があるからな…」と思えば、中学生といえども、まだ「子供扱い」から抜け出せないでしょう。事実、保護者も中学生をいつまでも子供扱いし、子供に代わって学校に苦情を言う家庭も少なくありません。「いつまでも親のコントロールの中に置いておきたい」という気持ちはわかりますが、ここにも「社会に出るのは、ずっと先のことだ」と考えれば、「子供扱い」も仕方がないことです。そうなると、子供の「自立・自律」は、もっと先になります。
最近、中学校の問題として「部活動」が取り沙汰されるようになってきました。そもそも、部活動は、「教育課程外の教育」といわれ、生徒の自主性に基づき行われる「課外活動」でした。それは、戦後の貧しい時代、曲がりなりにも教育が機能していたのは「学校」だけでした。民間は、日本の復興がメインで、子供に目を向ける余裕もなく、家庭もその日をどう暮らすかという毎日を送っていたのです。そんな時代に、子供の教育に本気になって取り組む人はいませんでした。その時代の感覚を最近まで引き摺っていたのが、日本社会なのです。本当は、昭和の終わりころには、日本の教育制度を根本的に見直せばよかったのですが、勤勉な教職員が頑張っていた学校は、それなりの成果を挙げていましたので、政府も国民も「子供の教育は、学校に任せればいい」と、混乱期にやむを得ず行ってきた施策を変えることをしませんでした。「意識」というものは怖ろしく、数十年も続くと、人の意識の中に定着し、それが「常識」となってしまいます。みんながそう思い込むことで、多少の問題が生じても「特殊な例」として扱われ、固まった「体制」を変える議論にはなりません。寧ろ、わざわざ議論の俎上に載せ、社会の批判を浴びることの方が怖ろしく、気づいていても「そのまま…」という現状維持が選択されるのです。最近、東日本大震災での原子力発電所の爆発事故による会社幹部の責任を問う裁判がありました。それによると、株主側の請求が認められ、幹部数人に賠償責任を認める判決が出されました。その額は、数兆円に上るそうです。これも、責任のある幹部たちが、危険が予測されていたにも拘わらず、適切な対応ができなかった非を公が認めたことになります。安倍元総理の事件もそうですが、大企業の幹部や警察の幹部が、危険が予想されるのにも拘わらず、それを放置できる感覚は、やはり「平和ぼけ」なのでしょう。事件が起きれば、政府や企業のトップは、すぐに「綱紀粛正」の通知を出し、厳重な取り締まりを命じますが、実際、「平和ぼけ」しているのは、幹部も同じだったというオチです。教育も実は同じことが起きているのです。
中学校や高校における「部活動」も、本来は、「子供たちの主体的活動の場」として設定されたものが、いつの間にか、「勝利至上主義」的な活動に変容し、実態を把握しないまま過度な期待をし過ぎたのです。確かに、スポーツは何処の国でも「娯楽」として見れば、一番わかりやすく楽しいものです。自分でやっても、過度でなければ健康にもいいし、そもそも、勝敗のつく競技は、自分が成長していくような気持ちになり、生きる張りにもなるでしょう。好きなスポーツを観るのも、その勝敗に一喜一憂し、日頃のストレス解消にも役立っています。だからこそ、各種競技がプロ化して、テレビ中継をしても視聴率が稼げるのです。特に趣味を持たない日本人の多くは、余暇を持て余し、権利として与えられている「休暇」でさえ、それを取得することに抵抗感を示します。働くことに生き甲斐を持つ日本人は、勤勉で真面目な人が多く、政府にしても企業にしても、非常に頼もしい存在だったでしょう。「権利」ばかりを主張する人よりは、何倍もの作業が進み、こんなに有り難い人たちはいませんでした。これは、教育の成果というよりは、農耕民族だった日本人が、その体内に持っている遺伝子がそうさせているのかも知れません。
たとえば、「働く」を「傍が楽になる」と言った解釈をして、「みんなの幸せのために働くのだ」という思想は、まさに神代の時代から続いている日本の哲学です。そんな思想が根強くある日本で、学校体育のひとつである「部活動」もいつのまにか、自分たちで高い目標を掲げ、それに向けて邁進し結果を残すのが「使命」のようになってしまいました。高校も、学校のPRに部活動の実績を殊更に取り上げるようになり、部活動に熱心な生徒を別枠で合格させるような傾向が見られ、それが問題化しました。既に私立高校や大学では当たり前のように「スポーツ推薦枠」を設け、優秀な選手を全国から入学させようと躍起になっています。特に「野球」においては、その傾向は顕著で、高校野球の全国大会である「甲子園」を会場にした大会は、そのファンの応援もあり、過度な練習などが問題になっています。また、真夏に開かれる大会は、「熱中症」の危険も叫ばれながら、その興業のために改善が図られません。こうなると、「子供の健康より大会運営が優先された」と言われても仕方のないことで、それを監督する文部科学省も指導できないのが現状のようです。本来は、教育に「大人の論理」を持ち込むべきではないのですが、その決断ができないのも「平和ぼけ」の一種なのでしょうか。
これまでは、中学校の教員も、肝腎な授業より部活動が優先されることを「よし」とする傾向が見られ、教育課程外の指導の曖昧さが問題になっていました。中学校の教師に「教師になった理由」を聞くと、以前は、「部活動を指導したかったから…」と答える人が多くいました。それは、自分も大学まで同じ種目のスポーツをしてきて、全国大会等を目指した経験があるからです。「その喜びを子供たちにも伝えたい」とか、「子供たちを全国大会に連れて行きたい」という目標から中学校の教師を志す学生も多いのです。これが、部活動を盛んにした原因でもあります。もちろん、それが教員になる動機だとしても、けっして悪いことではありません。明治以降、日本は常に「世界」を意識していました。その世界で活躍できる日本人の育成は急務でもあったのです。あれほど、無理な「明治維新」を行ったのも、当時の帝国主義と呼ばれる国際情勢が原因だったからです。欧米列強は、世界中に「植民地」を求め、弱小国と見られたら、すぐにでも軍隊を派遣するような怖ろしい時代です。日本が近代化したと言っても、「弱味」を握られては、国の独立すら危うかったのです。明治政府は、とにかく世界に向けてアピールできるものを欲していました。その一つがスポーツでもあったのです。数年前に「いだてん」というオリンピック話のドラマがNHKで放送されましたが、あれを見ても、日本が如何に世界に出て行こうとしていたかがわかります。あのドラマの主人公も「東京高等師範学校」というエリート校の学生でした。学校を舞台に陸上で鍛えた技能を駆使してオリンピックで活躍する姿は、視聴者に「努力の大切さ」や「頑張り精神」「挫けない強い心」を訴えたと思います。要するに、この精神こそが日本人が好む姿なのです。部活動は、それを現実のものとして体現しているに過ぎません。だからこそ、学校で指導する価値があったのです。それに、当時は「学校」以外に、優秀なスポーツ選手を育成する素地がありませんでした。各地方のインテリと言えば学校の「教師」です。新しい欧米の進んだ指導方法を勉強し、子供に指導できる人間が、学校以外にはあり得ないのです。そこが、急激な近代化を進めた日本の脆弱さでした。
欧米であれば、スポーツにしろ芸術にしろ、長い歴史と文化に彩られた社会では、どこにでも優秀な指導者はいたのです。だから、「地域サークル」的なスポーツの場があっても不思議ではありません。これは「余暇を楽しむ」人か、「余暇を持て余す」人かの違いでもあります。日本人はもちろん後者ですが、部活動なども日本人は「余暇を楽しむスポーツ」ではなく、「余暇に取り組むスポーツ」であって、「楽しむ」という概念がありません。だから、指導する教師も、指導される生徒も苦しくなるのです。先ほどのドラマでは、オリンピックに出場する際の悲愴感が描かれていましたが、外国選手は試合前にも拘わらず、和気藹々と過ごしているのとは大違いです。これでは、まるで武士が命を懸けた決闘に向かう前のようで、見ている方が気の毒になってしまいます。未だに日本人がオリンピックのメダル数や色に拘るのも、やはり「楽しむ」という概念が乏しいからだと思います。これが、今につながる日本人のスポーツに対する考え方です。多分、これを改善することは無理でしょう。それは、日本人自身が気づいておらず、やはり「勝つ」ことに意味を見出す国民性があるからです。こうして、明治以降、日本はスポーツを「学校」に委ねてきました。そして、それが問題だとは思わず、指導者養成にしても、学校の教師を中心に講習会等が行われ、優秀な監督や指導者は賞賛され、全国的にも有名になっていきました。指導する教師にとっても、それは眩しい存在として見えたことでしょう。部活動を指導する教師が、それに「憧れ」たとしても、それを責めることはできないはずです。国も地域も保護者も、みんなが自分を応援してくれるのです。教える生徒も「勝利」に向かって必死に練習し頑張っている姿を、だれが批判できるのでしょう。そこに、「部活動指導」の難しさがあるのです。
結局は、国が、日本のスポーツ競技力を学校に委ねすぎた結果なのです。戦前から戦後の貧しい時代、日本でスポーツと言えば「道楽」と同義語に使われるような時代がありました。食うや食わずの毎日を送っていると、スポーツの発展が「国の文化を高め、国際的な地位を向上させる」大きな要因になるといった発想がありませんでした。もちろん、政府の中にもわかっている人はいたはずです。だからこそ、昭和39年に「東京オリンピック」が開かれたのです。しかし、このオリンピックは「戦後の復興」を世界に知らしめるためのオリンピックで、選手たちに過度な負担をかけたのも事実です。「世界の代表選手と戦って勝つ」ことが、日本選手の使命であり、負けることは許されない雰囲気がありました。そのため、選手の中には「理不尽な扱いを受けた」と後年、語る人もいたくらいです。このときの女子バレーボールチームを率いた監督は、軍隊にいたときと同じように厳しい管理の下で練習を行わせ、「鬼監督」とまで呼ばれましたが、彼女たちが金メダルを取ると、日本中が熱狂し、この監督の指導方法は賞賛されました。そして、この「厳しさ」こそが、日本流の指導方法として、定着していったのです。他にも銅メダルを取ったマラソン選手は、その悔しさをバネに次のオリンピックを目指して練習を重ねましたが体調が戻らず、「国民の期待に応えられず、申し訳ない」と遺書を残し自殺してしまいました。これが、日本のトップアスリートの現実だったのです。そういう意味では、今も似たようなところがあります。アメリカのプロスポーツなどは、早々に科学的トレーニングを取り入れ、「体は消耗品」だと考えて、けっして選手に無理な要求はしません。日本ではつい先頃まで、「学校の名誉やチームのために…」と炎天下のマウンドに立ち続け、肩を壊して選手生命を絶たれた野球選手がたくさんいました。周囲には、教師や大人たちが見ていながら、それを止めることはなかったのです。国民もこれを「美談」だとして、一時期は賞賛しますが、その後、第一線を退いた選手たちを手厚く支援したような話は聞いたことがありません。結局は、スポーツは「娯楽」なのです。その瞬間に「楽しめればいい」のであって、テレビドラマでタレントが芝居をするのも、スポーツ選手が国際大会で競技をするのも同じ感覚で見ているのです。これでは、日本はいつまでも「スポーツ後進国」でしかないと思います。
私、個人的な考えとしては、そもそも日本人には、「余暇を楽しむ…」という概念がないような気がしています。神代の時代から働くことが美徳であり、「働かざる者、食うべからず」的な思想が強くありました。最近は、さすがにそう考える人も少なくなりましたが、意識の底には残っている考え方です。昔は、スポーツなどをするのは、一種の「道楽」だと言われる時代がありました。戦中・戦後の名残りなのか、趣味を持つことさえ非難がましく言われたものです。この当時のスポーツ選手や芸能人は、少し偏見を持って見られていたようで、申し訳ない気がします。「道楽」という言い方も失礼ですが、スポーツや芸能・芸術が一般に広まったのは、あの「東京オリンピック」以降と言われていますが、それでも、明治期の「国威発揚」的な思考から、あまり進んではいませんでした。日本にもスポーツは別にして、芸能、芸術に関しては古くからの歴史や文化もありましたが、何故か「特別な人」だけに許された「道」であり、一般の人が行うには、相当の覚悟と金銭が必要でした。
今でも「茶道」や「華道」などを教養として習う人はいますが、なかなか、「ちょっとやってみよう…」と言ってできる「習い事」ではありません。その点、スポーツは随分と気楽に楽しめる娯楽になってきたと思います。しかし、スポーツも芸術も、一般の人の楽しみとしての歴史は浅く、欧米のように文化として定着していないのが現実です。この「特別」という考え方があったために、「学校」という教育の場に持ち込まれたのかも知れません。それに、生活が豊かではない一般人が、スポーツに親しむためには、様々な初期費用やコーチ、器具、場所の確保などの問題があります。取り敢えず、学校であれば、国が援助する形で全国に設置されていましたので、グラウンドも体育館も、教師というコーチも用意できました。これが、一番手っ取り早くスポーツ等を普及させる方策だったのです。その「東京オリンピック」時代の思想が、今も尚、残っているために、様々な問題を生じさせることになったのでしょう。あの東京オリンピックから約60年が過ぎ、日本も世界も大きく変わりました。日本も高度経済成長期は、今や過去の歴史の一コマでしかありません。バブルが崩壊し、平成が終わり令和を迎えた今日、過去の体制がいつまでも維持できるはずがないのです。しかし、ここに来て、学校における「部活動問題」が表面化してきたことは、よかったと思います。学校教師の勤務実態も公になり、国民の多くは「まさか…?」と驚いていますが、簡単に言えば、みんな学校のことなど、大して関心がなかったということです。それだけ、学校は安定した「教育機関」だったという証明でもありますが、子供の「いじめ問題」以降、国民も「学校」や「教師」を批判するだけでは、どうにもならない現実に気づいてきたのです。
当初は、マスコミの報道に操られるように、学校批判の声が高まり、「先生は何をしているんだ?」と自分たちを省みずに批判のための批判を繰り返しました。「子供のいじめ」「学力低下」「道徳性の低下」など、子供の問題はすべて学校批判につながったのです。このとき、国民も政府もマスコミも、だれもが冷静さを欠き、「学校の改革」を叫んで見せたのです。ところが、実際に調べて見ると、学校が家庭に代わってどれだけ子供たちのために頑張ってきたかが証明される時代がやってきました。それが、家庭における「児童虐待問題」です。年間の通報件数は約20万件を超えると言われていますが、一日あたり約550件の通報があることになります。通報されるということは、「虐待が顕著」に見られるから通報されるのであって、通報されない件数を数えれば、それは、ほとんどあり得ない数字になります。もし、学校で「虐待行為」が教師によって行われれば、毎年、20万人の教師が懲戒免職になる数です。これでは、日本の学校教育は崩壊しています。
厳しい言い方をすれば、毎年20万件の家庭が崩壊しており、それは、国家的な危機なのではないでしょうか。数値的に見れば、今の日本は約4885万の世帯数があります。そのうち、単独世帯数が1453万、夫婦のみが1069万、65歳以上の世帯数は1718万になるそうです。全体から、この数を引くと「645万世帯」が残ります。この「645万世帯」の中で、児童虐待が起こっているとすれば、その割合は、3%になります。この数字も大雑把な数字でしかありませんが、「子供のいる100世帯の内、3世帯に児童虐待の通報がある」計算になります。その疑いまで入れれば、限りなく「1割」になるのではないでしょうか。実際、家庭の中で何が行われているのかはわかりませんが、学校を批判しているうちに、子供にとって肝心要の「家庭」がとんでもないことになっていることに、社会は気づくべきなのです。毎年、20万世帯が崩壊し続ければ、244年で全世帯が崩壊する計算になります。もちろん、計算上のことでしかありませんが、この驚くべき数字をしっかりと受け止めて、日本の教育問題に国民全員で取り組むべき時がきているような気がします。
次に「小学校」の問題点を探ってみたいと思います。現在、小学校は、辛うじて教育の体裁を整えていますが、それも間もなく厳しい状況に追い込まれると思います。そもそも、家庭教育や地域の教育力が崩れた今、学校教育に子供の教育を委ねたところで、上手くいくはずもないのです。昔から、子供の教育は「三位一体型」でしか成立しないのは、当たり前の考え方でした。これが、大きく議論されなかったのは、それまでの日本において、学校、家庭、地域の連携のない教育が行われた例しがないからです。江戸時代はもちろん、明治時代においても子供は「国の宝」でした。もちろん、国の体制が違いますので、一概に「国の宝」と言っても、その目指す方向には違いがあります。江戸時代は、その身分によって役割が異なっており、どんな教育を施すかは、それぞれに考えるところはあったでしょう。たとえば、商人の家の子ならば、幼少期からの「読み書き算盤」は必須です。そして、「商い」という商売のコツを伝授するのも大切な教育でした。さらに、商人には「如才ない」という言葉があるように、客商売ですから「コミュニケーション能力」に長けている人は多かったと思います。商売のコツは、「誠実さと笑顔」と言うくらいですから、人と付き合うにも「算盤勘定」をしながら、如才なく付き合う方法が教えられたはずです。
農民なら、如何にして「米」の収穫量を増やすかが肝腎でした。ただ、黙々と汗をかくだけでなく、少しでも偉くなろうと思えば、二宮金次郎のように勉学にも励んだのです。この時代の「偉さ」とは、「公に尽くす」ことです。武士であろうが、農民であろうが、自分のためだけに頑張っても人は認めてはくれません。人の何倍も働いて頑張ったからこそ、人は他人に認められる価値があるのです。この「人が認める」評価こそが、日本人の意欲を掻き立てる要因でした。だからこそ、だれもが「世のため、人のため」に尽くす「仁」の心を持とうとしたのです。今でも「清貧」という言葉が残されていますが、日本人は、貧しいからといって蔑まれることはありません。その中に「清い心」や「美しい佇まい」があれば、尊敬されたのです。他国のように「富」だけが、尊敬の対象にはならないのが、日本という国の有り様なのです。それは、武士の身分であっても同じでした。武士には、「忠義を以て主君に仕える」という武士道がありました。そして、領地経営という大きな政治も必要です。そこには、上に立つ者としての深い教養と学識、実行力が求められます。できることなら、そういう「一廉の武士」になるのが、武士という身分の者たちの目標だったはずです。だからこそ、今でも、各地方にはその時代に活躍した偉人の名前が多く残されているのです。
では、これらの人物は、学校教育だけで育ったのでしょうか。そんなことはありません。まずは、「父母の教え」は絶対的な意味を持っていました。それは「父母」というより、その「家」の教えでもありました。父母は、それを受け継いだ人です。今でこそ「家」という概念は薄れてしまいましたが、「家を継ぐ」とは、単に家系の継承のみを指すのではなく、その家に伝わる「歴史」や「伝統」を受け継ぐことにあります。そして、それを継承することが子孫の役割とされていたのです。今でも、日本という国の「歴史や文化を次世代に継承しよう」という国の政策がありますが、それを無視した国の経営はあり得ないと思います。日本には、「老舗」と呼ばれる企業や商店などがありますが、「老舗」と聞いただけで「信用」されるのは、それだけ長い間、誠実な仕事をしてきた「証」だからです。だからこそ、「父母の教え」が、その家の者の人格を創っていったのです。もちろん、子供時代から青年期に移れば、このような「家の教え」と同時に「寺子屋」から「塾」へと学び続けた人もいたでしょう。これらの「学校」に入ることで、社会で必要な知識や教養を身に付けられるからです。ここで、多くの人々は社会が求めている「知識」「技術」「道徳」を学びました。こうして、人間は「父母の教え」を基盤に、社会に出て行くための準備をしていったのです。
また、たとえ「学校」という教育の場で学ぶことができなくても、少し年長になれば「奉公」という形で社会に出され、一人前の社会人になるための修業が始まりました。よく「丁稚奉公」という言葉が使われますが、上の学校に進ませることのできない家庭では、子供を早い段階で手放し、商店などに採用されると、商売の基本を一から教えられました。商店にとっても、何も分からない年端のいかない子供を預かるわけですから、主人や奥さんは、まさに「親代わり」です。本当は、何もできない子供より、即戦力になる経験者を採用したいところでしょうが、この時代は「育てる」ことも大人たちの大切な役割だったのです。しかし、傭われた子供にしてみれば、教えられることは、すべて厳しく、きっと辛い毎日だったと思います。しかし、給金をいただく以上、もう子供ではありません。一社員としての義務があります。子供の年齢とはいっても、それくらいの分別はありました。以前、NHKで「おしん」というドラマが大ヒットしましたが、小学校3年生くらいの女の子が、口減らしのために奉公に出ていく物語です。それは、親子の情として辛い別れでした。しかし、彼女は、奉公先での厳しい修業に耐え、一廉の人物に成長していくのです。この物語は、世界中でヒットし、どの国でも共感を呼び、評判になりました。学校には満足に通えない子供でしたが、「奉公先」での修業が、彼女自身の「学びの場(学校)」であったのです。こうした苦労があったからこそ、大人になったとき、若い人に教えてあげられる「知恵」があったのでしょう。
昔の日本人の多くは、学校だけで「生きる上での基礎」を学んだのではなく、家庭や社会で多くのことを学びました。そして、だれもが「生きる」ということを真剣に考えていたのです。確かに、奉公は辛いでしょう。別に意地悪な先輩や主人がいなくても、最初の1年は辛抱しかありません。周囲の人が、流れるように仕事をこなしていく中で、新人の丁稚さんは言われるがままに、右往左往する毎日です。仕事は「できて当たり前」、できなければ叱られ、できるようになるまで練習するしかありません。ここは学校ではなく、「社会」という働く場だからです。昔の人はよく「石の上にも3年」と言いました。最初から苦労をしない人はいません。「そこで諦めては何も身につかない」という教えのとおり、「石にかじりついてでも…」3年間という時間を過ごし、その修業に耐えました。今でも料理の世界では、「味を盗む」と言うそうですが、主人や先輩たちの味の秘密を知りたければ、教えられるのを待つのではなく、こっそりと皿に残ったソースを舐めてでも「盗め」ということです。これは、上達する上での「コツ」みたいなものだと思います。「一流のプロ野球選手は、自分の道具をとても大事にしている」という話を聞きます。そして、それらの道具に「感謝」の気持ちを持って丁寧に手入れをするのだそうです。それは、日本では「森羅万象神が宿る」の言葉があるように、バットやグローブ、スパイクに至るまで、「神が宿る」と考えている証拠です。最初は工場で作られた製品かも知れません。しかし、何度も使い、自分と苦楽を共にしているうちに、道具に対して人間に対するような「愛情」が芽生えることがあります。別に普通の生活の中でも「捨てられない」道具があるはずです。そこには、他の物には代え難い「思い出」が詰まっているからです。そして、そういう人間に対する愛情のような気持ちが芽生えていくうちに「神が宿る」のでしょう。何も科学的な根拠などなくてもいいのです。それが、自分を納得させる方法なら、それが真実なのだと思います。
一人前の大人になろうとするのなら、最初の修業である「石の上にも3年」に耐え、そして、本格的な長い「修業」の場に入ることです。そして、10年ほど無我夢中で頑張っているうちに、何か悟りのような「気づき」が見えてきます。それは、口に出して説明しようとしても、自分の中にある気づきなので、だれもが理解できるとは限りません。それでも、その「気づき」に気づいた瞬間、「わかったあ!」とでも言うような喜びが溢れてきます。それが「修業」の成果なのです。この経験を味わうことなく、途中で諦めてしまえば、この喜びを一生味わうことはできません。そして、こうした喜びを感じることができた人間が、「一人前の大人」として社会に認知されていくのです。それは、学校ではない、社会の厳しい「修業の道」です。今でも学校を出てから厳しい修業を重ねて、その道で一流になった人物がたくさんいます。よく、「学校時代の成績は芳しくなかったが、今では立派になられた」人の話を聞くことがあります。人は、「学校時代の成績」が人生を決めるような錯覚をしていますが、そんなことはありません。たとえ一流企業に入社できたとしても、その中で一流になっていく人は、学歴ではなく、その人の「才能と努力」そして「人脈」の賜物だと思います。学生時代は長くて15年~20年程度でしかありません。人生は、その何倍もの長さがあるのです。学生時代の成績が将来を決めるとしたら、社会は、発展していかないでしょう。人の「知恵」は、学校での勉強程度で発揮できるものではありません。与えられた課題をこなすだけの勉強は、自分の生き死にには関係ないからです。淡々と時間だけが過ぎ、社会が用意したレールに乗って前に進むだけの生活では、新しい「知恵」は生まれようもありません。それは、自分の将来を賭けるぐらいの切羽詰まった状況の中で、必死に考え、努力した結果として生み出される自分だけの「発見」なのです。その「知恵」が発揮され、新しい「発見」をした者だけが、社会に認知され、その世界のリーダーになっていくのです。それには、その人に備わった「才能(センス)」と弛まぬ「努力」が不可欠です。そして、それを周囲に認めてもらえる人間力が、「人脈」になっていくのです。こんなことは、学校教育には不可能です。逆に、不可能だからこそ、人には学校を離れた世界に、多くの「チャンス」が待っているのです。
昔の人は、人生が「才能と努力」と「人脈」であることを知っていました。そして、「努力できる」ことも、才能だと考えていたのです。だから、不器用で要領の悪い人でも、「弛まぬ努力を続ければ、一廉の人物になれる」と教えました。そして、社会全体が、それを当然のことと考え、そこから逃げ出すことを諫めたのです。それくらい、学校も家庭も社会も厳しかったのです。これの「善し悪し」を論じるつもりはありませんが、社会全体が同じ価値観を持って、教育に当たっていたことだけは確かです。よく、戦争中の教育を例に、「全体主義」とか「軍国主義」という言い方で、当時の社会全体を「悪」であるかのように批判する人がいますが、それは何処の国も同じです。戦争中、それも劣勢に立たされた国が、平時にはあり得ない政策を打ち出すことはありがちなことです。そして、国家統制の下に、国民を戦争に駆り立てたことも事実でしょう。その方法は、平時ではあり得ませんが、国家存亡の危機に陥った国が採った政策としては、やむを得ないとしか、言いようがありません。だからこそ、二度とそんな事態を招かないよう、国民は努力しなければならないのです。そして、もうひとつ大切なのが「人脈」です。残念ながら、人は一人で生きていくことはできません。どんなに才能溢れる人間でも、その才能を認めてくれる人がいて、才能が開花するのです。人知れず「開花」しても、だれも知らなければ、どんな素敵な「花」でも、人目に触れることなく朽ち果てるのみです。よって、「他人との関係」を良好に保てるかどうかが、人生の鍵になります。そういう意味では、学校で指導する「仲間作り」には意味があります。これも意外と学校での「評価」にはつながりません。学校が誤解されるのは、学力が「偏差値」という物差しで測ることができるため、それのみに視点がいくからです。しかし、子供がもらう「通知表」を見ると、教師による「総合所見」があります。各教科の数値は低くても、総合所見に子供の「よさ」が書かれています。最近は、「長所」を見る教育が流行しているので、総合所見に子供の欠点が指摘されることはありませんが、以前は、教師の目で見た厳しい指摘が書かれていました。因みに私は「陰日向があります」と書かれた経験があります。まさに、そのとおり。よく、私の性格を見抜いていたと感心するばかりです。しかし、今の所見には絶対に書かれません。なぜなら、公文書の記載には、必ず「説明責任」が伴うからです。だから、欠点が見えても、それを敢えて書く教師はいません。だったら、その「よさ」に着目してみましょう。そこにこそ、子供自身の「長所」が、教師という他人の手によって評価されているはずです。教科の数値にばかり拘っていると、実は、子供の「真の実力」に気づかないものです。
日本の教育において、何が「普通」なのか、よくわかりません。今の時代の教育が普通なのか、それとも江戸・明治時代の教育が普通なのか、はたまた、戦時中の教育が普通なのか、その受け止め方は人それぞれでしょう。国によっては、日本を貶めるために書かれたような教科書を使用している例もあり、教育を「普通」という概念で見るのが難しいことがよくわかります。しかし、その教育の主体が「学校」にあるというのも、先進国と呼ばれる民主主義国として如何なものか…と思います。そもそも、教育は、どんな時代においても「家庭、学校、社会」が協力して行うことが前提としてあるはずです。もちろん、学校で行う教育は、家庭の「躾」とは異なります。なぜなら、公教育の目的は、「人格の完成」目指しながら、「日本国民」としての「資質」を高めることにあるからです。それが、戦後の教育改革以降、教育の中心(主体)は家庭や地域から「学校」へと移ってしまいました。建前としては「教育基本法」にあるように、「教育の第一義的責任は、家庭にある」のは、はっきりとしています。これが正論です。
我が子を慈しみ、教育していく責任が「親」にあるのは当然です。国民の義務でもある「教育の義務」は、子供の保護者にあるのであって、子供自身にはありません。子供は飽くまで「教育を受ける権利」があるのです。そう考えると、現在のように、「子供のこと=学校」という認識は改める必要があるということです。確かに、学校は「子供の教育を司る」専門機関であり、日本全国のすべての子供を把握しています。したがって、文部科学省だけでなく各省庁、各自治体等も「学校に依頼すれば、何とかなる」といった心情がわからないわけではありません。しかし、これが、過剰になれば家庭の教育力は益々低下するといった事態を招きます。今でも学校には、「子供の歩き方が悪い」とか、「お喋りの声がうるさい」とか、「空き地でボールを蹴っていて困る」といったことまで、電話で苦情が入ります。その都度、職員は「すみません。よく、指導しておきます」と謝罪するのが常でした。そして、このことを、学校も地域も「おかしい?」とは、だれも思わないのです。でも、ちょっと考えてみてください。学校が子供を管理できる範囲は、「学校の管理下」にある場合のみです。したがって、登下校も学校の管理下ではありません。その責任の及ばない事項に関して、「指導しておきます」は、問題にならないのでしょうか。もちろん、注意喚起をすることは「安全上」大切なことですが、それを考えるのなら、地域住民自ら、「ここは、危ないから気をつけなさい…」などの注意喚起が必要なはずです。そして、苦情が言いたいのなら「家庭」に伝えるべきです。少し、理屈を言うようで申し訳ありませんが、「学校の管理下」にない状態の子供に指導する権限が、学校にはないことを社会は知るべきです。そして、「学校の管理下」とは、簡単に言えば「登校してから下校するまでの時間」を言います。それ以外の責任は「家庭」にあるのです。また、「子供のことは、学校で解決する」といった暗黙の了解があるようですが、それも不思議な話です。学校での「いじめ」が社会問題化されたとき、学校にだけ「いじめ防止対策」が求められましたが、それ以降、会社等でのセクハラ、パワハラ、モラハラ等の「いじめ」が社会問題になりました。しかし、残念ながら「ハラスメント防止法」は未だに施行されていません。子供に「いじめはするな!」「いじめは許さない!」と大人が豪語するのであれば、大人自身が自分を反省し、「ハラスメントをするな!」「ハラスメントは許さない!」というメッセージを出すべきです。子供には強く言えるのに、大人には言えないという忖度が生まれるのは、子供には「選挙権」がないからでしょうか。とにかく、「子供のことは、何でも学校」というのは、本来の教育基本法の趣旨に外れます。こうした「慣例」を知らず知らずのうちに作っていったことが、今の「学校ブラック化問題」につながっているのです。
昔の日本人は、子供をよく可愛がったと言われています。明治の英国の女性探検家「イザベラ・バード」は、その著書「日本紀行」の中で、こう述べています。「これほど、自分の子供たちをかわいがる人々を見たことはありません。だっこやおんぶをしたり、手をつないで歩いたり、ゲームをやっているのを眺めたり、いっしょにやったり、しょっちゅうおもちゃを与えたり、遠足やお祭りに連れていったり、子供がいなくては気がすまず、また他人の子供に対してもそれ相応にかわいがり、世話を焼きます。なぜか、子供は男の子が好まれるとはいえ、女の子も同じようにかわいがられます。子供たちはわたしたちの抱いている概念から言えば、おとなしすぎるし、しゃっちこばってもいますが、外見や態度は非常に好感が持てます… 」と。彼女が日本に来たのは、明治11年のころです。そして、人力車を傭い日本各地を巡ったと、その著書に書いています。当時の日本人は、まだ江戸時代の風俗のままで、着物に丁髷という姿で、見た目には貧相に見えたことでしょう。しかし、彼女は、そんな日本の貧しい生活を見ながらも、日本人の「誠実さ」や「我慢強さ」、「情け深さ」などに気づいたそうです。今の人に言わせれば、野蛮で教養もなく、粗野な日本人のいた時代かも知れません。しかし、今の日本人にここまで子供を可愛がる大人はいるのでしょうか。時代が違うと言えばそれまでですが、今のような児童虐待が頻繁に起きた時代ではないと思います。もちろん、貧困はありました。娘が奉公に出されたり、毎日、家の農作業を手伝ったりと、苦労は多かったに違いありません。しかし、傍から見れば野蛮で教養もなく、粗野な日本人だったかも知れませんが、人間としてはけっして劣ってはいないということです。
最近では、子供関係の施設は「迷惑施設」になってしまいました。保育園や幼稚園、学校を建てるにも住民の反対が多く、なかなか進まないのが現状です。その地域にとって、子供は「迷惑」な存在であり、「できれば側にいて欲しくない」という意思を示すまでになりました。もちろん、高齢者施設もダメ、ゴミ処理場もダメ、福祉施設もダメでは、地域社会が成り立ちません。それでも、「それは、エゴだ!」と言うこともできないのです。昔なら、「子供の声」はエネルギーの源であり、「子供の声を聞くことで、もう少し頑張れる」という声も聞かれましたが、今では、甲高い子供の声は雑音になってしまったのです。しかし、私も還暦を過ぎた老人の一人ですが、老人の嗄れた声も味わいがあるのかも知れませんが、やはり、子供の声には敵いません。それに、ずっと静かな暮らしだけでは刺激がなく、益々老化してしまいそうです。本当に、日本人は、そんなに大人だけの静かな暮らしを望んでいるのでしょうか。もちろん、元気な高齢者の方もいます。スポーツに励んだり、趣味の世界で活躍したり、ボランティアとして子供のために働いている人も大勢います。「子ども食堂」を作り、週に何回か子供のために食事を提供する人もいます。本当は子供好きで、「子供のために何かをしたやりたい…」と考えている人は多いのだと思いますが、「事故でも起きれば…」という責任問題が生じるとなると、一般の人は消極的になるのも無理もありません。まして、これだけ不審者が出没する社会になると、子供に声をかけただけで、「知らないおじさん(おばさん)に声をかけられて怖かった…」と言われてしまいます。折角、よかれと思ってしたことが仇にでもなれば、だれも動かなくなるのが現実なのです。こうした社会は、正直「健全」だとは言えません。しかし、人間には、「子育て」を喜びとする本能があるはずなのです。もし、動物が、「子育て」を苦しいものとして脳が認識すれば、間違っても親は、子を産もうとはしないでしょう。そして、たとえ子が産まれても放置し、その種は絶滅するに違いありません。人間も「種の保存」という本能が衰退し、今の自分だけの人生でよいと考えるのなら、遠からず滅んでいくはずです。それは、人類の運命を暗示しているようにさえ感じます。
今、日本政府が行っている政策の柱は、「個人の権利の尊重」です。日本国憲法にも「基本的人権の尊重」が謳われていますから、「人としての権利」が重んじられるのは当然です。しかしながら、この「基本」が何処までも指すのかは曖昧です。時代と共に、その「基本」の基準が変わるのは仕方がないとして、「国の運命をすべて憲法に委ねて良いか?」という議論もあります。確かに、子供は「授かり物」というように、計画的に出産ができるものではありません。政治家が時々、「子供を産んで欲しい…」というような発言をしてマスコミに叩かれることがあります。政治家としては、少しでもこの国の「少子化」を憂えた発言なのかも知れませんが、政治家(他人)に頼まれる筋合いのものでないことは確かです。しかし、少子化の現実を考えると、こうした発言が出るのもやむを得ない気がします。平成の時代になったころから政府は、「自己実現」とか「自分探し」などと「個」に関する発言を多くするようになりました。どういう影響でそういう発言になるのかわかりませんが、国が「個」を言い出すと、だれが「公」を言うのでしょう。「公」とは、私たちの暮らす社会全体のことです。そこには、歴史もあり文化もあります。日本語という「国語」も「公」のものです。これを「個」つまり、「私」が優先される社会は、如何にも先進的に見えるのかも知れませんが、個が優先されれば、「公」である「国」は必要なくなるといった議論になるような気がします。何でも「個」で見れば、家族でさえ煩わしい存在になり、税金を納めるのも、学校に行くのも、すべて煩わしさの対象になってしまいます。「それは、極論だ…」と言われるかも知れませんが、「個」が優先される社会は、「秩序の崩壊」につながる元だと思いますが、如何でしょう。これらがすべて「善意」で始まったことなら改善すべき余地はあると思いますが、何か政治的な意図があるとしたら、この思想は危険です。
実際、「個」を優先させすぎると、「周囲のことをあまり考えない」風潮が出てきます。最近起きている、考えられないような事件は、今の社会を端的に表しているのではないでしょうか。自動車による「あおり運転」が社会問題になり、ドライブレコーダーの搭載が勧められています。成人した大人が、些細なことを恨んで、見知らぬ車を必要以上に牽制し、事故につながるような危険運転をするといった悪質な行為は、人間が「異常」になったとしか言いようがありません。その上、相手ドライバーを威喝し、狂ったように喚き散らす様は、見ている人の心を凍らせます。当然、こうした行為には厳罰で臨むしかないと思いますが、大人を狂わせる原因はどこにあるのでしょう。また、「キレる」という言い方が流行ったように、子供から大人まで、感情のコントロールができずに、錯乱状態に陥る行為が「キレる」です。これが、子供に向けられれば、間違いなく「児童虐待行為」になります。もし、これが自分の意思に関係なく起こる脳内現象だとしたら、その人は間違いなく病に冒されていることになるでしょう。こうした「理性」で考えられない人が増えてくる事態を、日本人は真剣に考えないと、「責任論」で済む話ではないと思います。さらに、「個」に閉じこもり、他と協調できない人格を作ると、社会の中で「生きづらさ」が生まれます。
今の人は、ときどき、「自分のことを周りがわかってくれない…」という不満を口にしますが、自分のことを周囲の人間が理解するためには、相当の時間をかけてお互いが深く知り合う必要があります。たとえば、思春期の子供が自分の部屋にばかりいて、家族との接触がなければ、親であっても「子供が何を考えているか、わからない」状態に陥ります。子供が何かに苦しんでいるとしても、会話のない関係で理解しろという方が無理な相談なのです。実は、そうなる前に、親は自分のエゴを捨て、本気になって子供と向き合わなければなりません。それは、子供を一人の「人間」として対応することです。勘違いをして、自分と「一心同体」のように考えては、子供は心を開きません。子供を養育するのは親の責任であって、それを「〇〇してやっている」と考えれば、子供の心は離れるばかりです。その分別が良好な親子関係を築くコツなのかも知れません。とにかく、思春期の子供は難しいものです。だからこそ、親は子供に寄り添い「大丈夫」「信じているよ」のひと言をかけてあげてください。
今、社会では「引き籠もり」といわれる成人が、100万人とも200万人とも言われています。「8050問題」というように、高齢の親が成人の子供を抱えては、生きていくこともできません。まして、親が亡くなれば、子供は路頭に迷うばかりです。もちろん、こうした問題を抱えている家庭には支援が必要ですが、教育のあり方も考え直す必要がありそうです。戦後、子供の教育が学校任せになり、子供の大事な成長期に「親の関わり」が薄くなってしまいました。昔から、「子供は親の背中を見て育つ」と言われましたが、まさにその通りです。親が子育てを学校に依存すれば、子供は親から離れていくのは当然です。失礼ながら、子供が見ている「親の背中」からは、「愛情」が感じられなくなっていたからです。本来は、「苦労をして子育てをしている親の背中」から感じられる「愛情」こそが、親子の絆だったはずですが、忙しさを理由に、親自らがその絆を切ってしまったのかも知れません。もちろん、親にそんなつもりはなかったでしょう。「忙しくて、それどころじゃなかった…」という言い訳もよくわかります。でも、現実は、現実として受け止めなければならないのです。よく、大人はしたり顔で、「自分の好きに生きればいい…」と言いますが、経験も知恵もない時代の子供に「好きに生きろ」は、受け止め方によっては「放任」につながります。大人は、自活する道さえあれば「好きに生きる」選択はできるでしょう。しかし、「好きに生きた結果」まで、親は責任を持ってはくれません。要するに「好きに生きていけばいいが、どうなろうと俺は知らない」と言われたようなものです。もし、これが小中学生の時代に言われたとしたらどうでしょう。子供は、そんな親でもついて行きたいと思うのでしょうか。「教育」は、方法論ではありません。基本は「愛情」です。「いい子の育て方」的な子育て本があるかも知れませんが、方法の前に「愛情」があるかどうかを確かめてください。親は、子供の「4歳」までの記憶で、その後の子育てを頑張ることができると言われています。何のことかと言うと、本当に愛らしい乳児期、そして「這えば立て、立てば歩めの親心」の幼児期、そして、やっと会話ができるようになり、自己が出てきます。この期間に本気になって子供と関わり、愛情を注ぐことで、子供と親は、本物の「親子」になるのです。逆に言えば、この時期に疎遠であった親子は、生涯、戸籍上は親子であっても、「真の親子」にはなれないことを暗示しています。そして、5歳以降の子供と親の関係は、時にはライバルであり、時には親しい友人になり、時には厳しい先輩にもなります。「親子の対立」と言われますが、おそらく、小学校高学年から高校生のころまでが、一番難しい時期かも知れません。時にはお互いを「憎む」ような関係になることもあります。しかし、4歳までの深い関わりがあれば、そして、その記憶があれば、親子の絆が切れることはありません。そして、子供が大人になり、自分も人の親になるような年齢になると、子供は親の思いに気づくのかも知れません。
第二節 リーダー不在の時代
今の日本には、強い「リーダー」は必要ないのでしょうか。先日の安倍晋三元総理の射殺事件の後からも、元総理を悼む声に異論を差し挟むように、かなり辛辣な言葉がSNSなどで発せられています。また、安倍嫌いを明言していた某大新聞社は、読者投稿の「〇〇川柳」で、元総理の死を悼むどころか、それを蔑むような句を選び、大っぴらに世間に公表しているのですから、呆れるどころか、怒りさえ感じました。確かに、元総理は政治家ですから、すべてが綺麗事で片付けられないことは承知していますが、たとえ権力者だった政治家であっても、ここまで不幸な死を弄ぶ神経がわかりません。彼らには「人の死を悼む」という神経すら、忘れてしまったようです。この川柳を読んで賛同する国民がどのくらいいるのか、ぜひ、調査して欲しいものです。つまり、元総理が憎まれるのは、自分たちにとって都合の悪い政治を行ったことによる「恨み」なのだと思いますが、逆に言えば、それだけ賛同する人も多かったということにもなります。マスコミは、こうして国民を誘導するのが得意ですが、今は、インターネットが発達しましたので、テレビや新聞だけが報道ではありません。テレビの視聴率が下がり続け、スポンサー離れも起きていると聞きます。新聞を定期購読する家庭も減り、新聞を読むことが「インテリ」の証と勘違いした時代は終わりました。それでも、愚かな記事を掲載して国民を誘導しようとしています。もし、彼らの好む政治家が登場するとしたら、本当に日本はよくなるのでしょうか。そんなことをだれも信じないから、大新聞社の新聞購読を止めるのではないかと思いますが、私の勘違いでしょうか。申し訳ありませんが、もう、他人に言われたから、自分で考えもせずに「こうする」という時代は終わりました。そろそろ、多くの情報を分析、考察して自分なりの納得できる「判断」を下したいと思います。そういう意味では、強い「リーダー」は必要ないのかも知れません。
私が個人的に、日本のリーダーとして思い出すのが、第一に「大石内蔵助」です。彼は、いわゆる強いリーダーの枠からは外れる人物だったと思います。しかし、弱いリーダーではありませんでした。強いて言えば、「内に秘めた強さを持ったリーダー」だったと言えるでしょう。そして、大石は、リーダーと共に「作戦参謀」も兼ねていました。あの「忠臣蔵」と呼ばれるようになった事件は、すべて大石内蔵助がコーディネートした事件でした。「企画・立案・演出・出演」までこなしたリーダーは、大石しかいません。第二には、「徳川家康」を推します。戦乱の世を自分の手で終わらせ、300年近く続く太平の世を築いた功績は、日本の歴史上最大の偉業です。さらに、日本人の教養を高め、日本人の「道徳」を確立しました。これにより、日本は明治維新という革命後、近代化の道を進めることができたのです。もし、こうしたリーダーが存在しなければ、日本の歴史や思想は随分と違うものになっていたはずです。こうした歴史上の偉人ばかりでなく、身近な中にも優れたリーダーはいるはずです。中小企業の経営者の中にも、新しい取り組みをしている人はたくさんいます。今、日本では「ベンチャー」と呼ばれる起業家が増えてきましたが、学生も敢えて大企業に入社せず、小さなベンチャーに入り、「会社を自分の手で大きくしたい」という夢を持って取り組む若者が増えているそうです。また、学生時代から起業し、自ら経営者として立ち上がる若者もいます。彼らは、大人が言う「今時の若者」なのです。敗戦後の復興期には、今に残る大企業の元を築いた経営者が多く世に出ました。松下幸之助、本田宗一郎、井深大、盛田昭夫など、今でも立志伝の人物として有名です。こうした人々は、だれも気づかない点に気づき、だれもできないことに挑戦し、辛い時期を耐え、成功を夢見たリーダーたちなのです。私たちは結果を知っているので、その偉業を讃えますが、もし、同時期に生きていたとしたら、彼らを応援できたでしょうか。もちろん、応援する人がいる一方、痛烈に批判する人が現れたり、その努力を妬む人だって現れたことでしょう。それでも自分の夢に向かって突き進んだ人たちだから「偉人」なのです。それが、後に「偉大なリーダー」と呼ばれるようになりました。つまり、リーダーとは、そうした「苦難の道」を自ら歩める「強固な意思」を持つ人を指す言葉だと思います。それは、「教育」の名で育成できるものではありません。現在のベンチャーの経営者も、現代の教育を受けた人たちです。多くの人々は、常に安全で無難な道を歩もうとします。親もそれを望み、安定した生活こそが幸福の道だと諭します。しかし、それでは自分の人生に納得できないのです。そういう資質は「教育」によって育成できる資質ではなく、どんな悪条件下でも出てくる「個性」なのでしょう。その強烈な個性は、その人だけに備わった資質であり、その「進もう」とするエネルギーを止める手立てはないのかも知れません。それが、「リーダー」の資質なのでしょう。
日本は、太古の時代から「農耕民族」として生きてきました。各地に残る縄文遺跡を見ても、日本人は「村」を作り、多くの人々が協力して生活を営んできたのです。それは、日本人の性格にもよりますが、気候が比較的温暖で作物が手に入りやすい土地柄が、「穏やかで、大人しい」性格を創り上げてきたのかも知れません。人と争うことを好まず、人の悪口もあまり言わないような性格は、集団生活には適しています。自己主張が強く、納得できるまで議論しようとする人は、日本型の話し合いが苦手です。なぜなら、日本人の「話し合い」は、妥協点を見出すための調整の場だからです。それは、自分が「納得」することとは、少し違います。多少、納得できなくても、「まあ、この辺りでいいかな…?」という妥協点が見つかれば「折り合い」がつきます。そういう性格だからこそ、稲作文化が入って来ない時代でさえ、日本人は集団生活を送ることができたのです。私の子供時代は、「縄文人は狩猟生活で、小グループ単位で動いていた」というのが定説でした。そして、弥生時代に入り、「稲作が入って来たことで、定住するようになった」と教わったのです。しかし、今は、三内丸山遺跡等の発見により、縄文時代から日本人が定住して集団生活を送っていたことが分かってきました。歴史というものは、こうした「発見」によって、定説が覆ることが度々起こる学問で、「それが面白い」という人もいます。
日本人のような集団を作る人々は、確かに、あまり強いリーダーは苦手です。欧米型のはっきりものを言う人には、表面上は従っているふりをしていても、心から慕う人はいません。そして、陰口を言います。本音が言えない分、陰に回ると、親しい仲間内ではかなり辛辣な評価をしているものです。今でも、日本では、隣国のロシアや中国のような独裁的なリーダーは好まれません。日本人は、基本的には道徳的な生活習慣が身についているので、どんなに出世をしても「謙虚さ」が尊ばれます。態度が偉そうなだけで、その場は笑顔で取り繕っても、家に帰れば「あいつ、本当に偉そうなんだよな…」と不満を口にしがちです。しかし、こちらが「偉い人」と認識していても、謙虚で優しい笑顔を見せてくれただけで、心を掴まれてしまいます。そして、「あんなに偉い人が、声をかけてくれた」と感謝する始末です。だから、態度が横柄で偉そうにする人間を嫌います。今の日本の政治家の中にも、選挙の時だけ謙り、当選しようものなら「先生、先生…」と持ち上げられていい気になっている人がいますが、実力のない人は、人望もないようです。ただ、物事を強く押し進めたいときは、日本的な調整型のリーダーでは決断が遅く、他に先を越されることがあるはずです。国際社会は、日本型の調整力だけでは力を発揮できないようです。昔、日本との戦争中に英国の首相だったチャーチルは、日本人に対してこう評論したそうです。「日本人は、いつもニコニコしていて、言いたいことも言わない。だから、いいんだな…と思う。それが、何度か繰り返すうちに、急に怒り出してとんでもないことをしでかす。困った連中だ」と。やはり、欧米人には日本人の心を理解するのは無理なようです。当時の日本は国際社会では「妥協」し続けました。日清戦争後の三国干渉で「遼東半島を清国に還せ!」と迫られ、我慢してそれに従いました。きっと、欧米では「大したことのない交渉」だったという認識だと思いますが、明治の日本は、「臥薪嘗胆」という言葉で天皇以下国民全体が、その屈辱に耐えたと言われています。この話をチャーチルが聞いたら、「まさか。なんだそれは…。言いたいことがあるなら、はっきり言えよ!」と怒鳴りつけたでしょう。そんなチャーチルは、日本人を軽く見ていたために、大東亜戦争が始まると、日本軍の電撃作戦でアジアの拠点であるシンガポールが落とされ、英国海軍が誇る二大戦艦も、あっという間に日本海軍航空隊よって沈められてしまいました。ここで初めて、日本人の怒りの大きさに気づいたのです。そして、ドイツと日本に攻められ、二進も三進も行かなくなった挙げ句にアメリカに救いを求めたために、あの大英帝国は没落していくのです。今でもチャーチルは、英国の英雄扱いなのだそうですが、日本から見れば「大英帝国を没落させた張本人」のように見えますが、これも見方の違いなのでしょう。
今の時代、リーダーは余程の「信念」がなければ務まらないのではないかと思います。とにかく、情報公開が叫ばれる時代、「公明正大」がリーダーの資質の重要な要素となりました。どんな人間にも「表の顔と裏の顔」があるものです。もちろん、「裏」の顔といってもたかが知れていますが、知られると少し「恥ずかしい」程度のものでも、あまり知られたくはないものです。それでも、企業のトップや政治家などは、いつ何どき、その場面を映像に撮られ、拡散されるかわかりません。いくら責任のある立場だと言っても、そこまでやるのは「人権」軽視だと思います。これは、芸能人も同じで、この世界では「週刊誌にねらわれるようになって一人前」なのだそうです。こういう職種の人たちの「人権」も軽視されています。マスコミは、何かあるたびに「人権の尊重」「個人情報の保護」を叫びますが、都合に合わせて報道するので基準は曖昧です。マスコミは、何かあるとすぐに「表現の自由」をかざして反論しますが、表現の自由より「基本的人権の尊重」の方が、憲法上、上位にあると思いますが、違うのでしょうか。まあ、それほど大物ではなくても、今の社会では「ハラスメントの禁止」「プライバシーの保護」「情報公開の徹底」「公明正大な業務」が基本ですから、それに反するような行為は、間違いなく処罰の対象となります。最近では、大企業や政府の幹部による汚職や口利き問題など、多くの不祥事が暴かれ、裁判で有罪判決を受けています。学校教師の不祥事の多くは、「懲戒免職」処分が科せられます。まして、免職扱いにならなくても、一度報道されたような教師は、退職を余儀なくされています。今の日本社会は、常に「正義」を全うする人間しか生きられない社会なのです。それは時代と共に作られてきた考え方ですから否定するつもりはありませんが、そういう時代だからこそ、「黙って俺について来い!」的なワンマン経営者は、淘汰されていくのでしょう。
聞いた話では、プロ野球に入ってくる選手も、昔とは随分と違うようです。昔なら、コーチや監督が厳しく指導しても、黙ってついてきたそうですが、今の選手は、常に「どうしてですか?」という質問をしてくるのだそうです。そして、それにきちんと答えなければ、コーチや監督失格なのです。これは、学校の教師も同じです。何か目的があるにしても、「いいから、やれ!」的な指導は許されません。それが、小学校1年生であっても理由を説明し、子供を「納得」させなければ、子供とはいえ動きません。逆に不平不満が募り、保護者からクレームが来る原因になります。校長職も同じです。地域や保護者に丁寧に説明し、学校経営を理解してもらい賛同を得ないと、なかなか上手く経営ができないのです。逆に、それが成功すると、みんなが納得し、想像以上に成果を挙げることもできます。そういう意味では、今のリーダーは大変ですが、昔の人以上にアンテナを高くして、「勉強」をしないといけないようです。
最後に、「子供のリーダー論」について述べたいと思います。今の子供は、多くの人は「自己中心的」で集団を好まないように考える人が多いと思います。確かに、子供の行動を見ていると、テレビゲームで過ごしたり、遊んでいても少人数で遊んでいることが多く、昔のように「集団」で遊ぶことが少なくなっているようです。少子化の影響もあってか、家庭でも兄弟が少なく、家でも一人で過ごすことも多いのが現実でしょう。これは、時代に適応した姿であって、子供に責任はありません。その時代に応じて、暮らし方が変わるように、子供の遊び方や過ごし方が変わって当然なのです。もし、「昔のように、のびのびと遊ばせたい」と考えるのなら、政府が明確にそれを指示し、社会のあり方を変えていくしかないのです。今のように「学力向上」「道徳性の向上」「情報機器の習得」「英語の技能向上」…と、次々と新しい課題を子供に求めるのなら、昔風の「のびのび」は、難しいに決まっています。そんな中でも、間違いなく子供の「個性」は育っています。それは、社会構造が少しずつ変化してきたことも理由のひとつです。昭和の時代から平成にかけては、極端な「学歴社会」でした。今でも、それを信奉する人がいることは事実ですが、先ほど述べたように、「ベンチャー」と呼ばれる起業家の人たちは、その「学歴社会」を俯瞰して見ている人たちだと思います。以前なら「公務員」は、大人気の職業でした。特に政府の省庁の官僚になり、国を動かす仕事に携われる公務員は、一流の証でもあったのです。しかし、現在、その公務員人気が下がり、日本のトップ大学の優秀な人材が志願しなくなったようです。それは、職業としての「魅力」の問題であり、自分の個性(能力)を生かせないと判断しているからです。私の子供の時代は「親方、日の丸」と言われたように、不安定な民間企業より、生涯安定した地位が得られる公務員に憧れを持ちました。子供は、もっと別のことがしたくても、苦労した親世代は「役人」という言葉に、よほどの魅力を感じていたのでしょう。もちろん、今でも地方公務員などは、競争倍率も高く人気はありますが、さて、その「安定志向」がいつまで続くかは疑問です。子供は、いつまでも子供ではありません。その時代、時代に合わせて強かに生きていくのです。今は、「リーダー不在の時代」だと言われますが、それは、社会が作ったイメージだと思います。潜在的に強いリーダーを欲しない社会だからこそ、リーダーに相応しい人間が登場しないだけのことなのです。近い将来、私たち世代では考えられないようなリーダーが登場し、日本を引っ張っていくような気がしてなりません。
第三節 合理的思考の欠如
私も同じですが、日本人の特徴として、非常に「情緒的」な感性の持ち主が多いように思います。よく、「涙もろい」という言い方をしますが、何となく「悲しい話」や「辛い話」などを聴くと、心が揺さぶられ涙が滲んできます。映画やテレビドラマでも、演じる俳優の演技に引き込まれ、いつの間にかハンカチを手にしているようなことがあるはずです。年長者は、「何だか、年をとると涙もろくなって困る…」と言っては、ハンカチを片手に喜んでドラマを見ています。制作者側もそういった日本人の気質を見抜いた上で、必ず、涙を流せる場面を作るものです。これは虚構の世界ですから問題になりませんが、現実で起きると大変です。巧みに人の心を操り、金品を奪えばそれは犯罪です。以前は、「オレオレ詐欺」と言いましたが、こうした電話等を使用した詐欺行為が頻繁に起こっています。それも、個人で行うのではなく、犯罪行為とわかった上で組織を作り、マニュアルまで存在しているといいますから、大規模な組織犯罪になります。それほど、犯人にとっては、簡単で早く金品を手に入れる方法なのでしょう。高齢者にとって「息子」や「孫」は、可愛いものです。それだけに、「困っているなら、何とか力になってやりたい…」という気持ちは尊いものがあります。それが「人間の情」なのですから…。そんな、たとえ「嘘」であっても、情に絡めた巧みな話術や演技にかかれば、詐欺に引っ掛かる要素をたくさん持っているのが日本人なのです。これだけテレビ等で毎日、「危険」を周知しているにも拘わらず、なかなか撲滅できないのは、それだけ日本人は情緒的で「お人好し」が多いという証拠でもあります。まあ、「騙す人間になるより、騙される人間になった方がいい」という言い方もありますから、日本人にとって「お人好し」は、けっして悪口ではないようです。しかし、こうした「情緒」が優先される思考は、時として大きな過ちを犯すことにもなります。
「日本人の思考」は、今でも「精神論」が幅を利かせています。もちろん、何事も「気持ち」が入らなければ、いい仕事ができないことは承知していますが、これをあまり多用すると、安易な方法に走り、望ましい結果にならないようです。たとえば、昔のスポーツでの「根性論」がその典型かも知れません。今では禁止されている「兎跳び」や「水を飲まさない」などの指導は、一体何のために行われていたのでしょうか。確かに苦痛を伴いますので、自分では「頑張った」感があるのでしょうが、科学的に見れば、けがにつながったり、体調を崩したりと、何のために練習をしているのかもわからなくなります。それに、監督やコーチが、子供を大声で怒鳴り、叱咤する光景は気持ちのいいものではありません。これでは、「スポーツ嫌い」の子供を増やすだけのような気がします。おそらくは、戦前からの指導法が受け継がれていただけのことで、科学的な根拠は、何もなかったと思います。戦前の軍隊では、明治時代の薩摩や長州の兵隊が持ち込んだ陰湿なリンチなどが行われており、「殴って兵隊を強くする」という思想がありました。だから、陸軍でも海軍でもやたら下級の兵隊を殴りました。海軍はバットで尻を殴るといった暴力も認められており、近代の軍隊とは思えない思考に陥っていたのです。簡単に「精神論」と言いますが、これで「兵隊の精神が鍛えられる」と思うところに、日本人の「浅はかさ」を露呈しています。日本兵が強いのは、「郷土愛」「家族愛」という情緒的な心情が強いからに他なりません。そして、日本人には、「道徳的思考」が身についていたから強いのです。常に自分を脇に置き、「仲間のため」「家族のため」という「利他の心」は、特に日本人には強いようです。これは、江戸時代に行われていた「論語」を柱とした日本的な「教え」の賜物です。そして、仏教が身近な宗教としてあったことも重要です。
武士には「武士道」があるように、商人には「商人道」、農民には「農民道」がありました。そして、そのどれも「人の道」を教え、それに背く行為は厳しく罰せられるという不文律があったのです。この考えは、新しい時代を迎えても、日本人の根本的思考ですから変えようがありません。だから、日本の兵隊は強いのです。それを「殴ったから強くなった」などと考える人は、余程知恵のない者の台詞です。しかし、戦後も教育の場において、この「殴ると強くなる」という思想は、変えることができませんでした。いくら科学的な証明ができなくても、「勝てば官軍」です。勝った者の理屈が正論となり、社会に蔓延していきました。そして、世界の先進国が、科学的トレーニングや科学的な食事、専門医やカウンセラーによる精神的なケア、万全な医療体制を整えていても、日本はなかなか昔からの指導を改善することができませんでした。最近になって、ようやく国も本格的に「科学的トレーニング」に乗り出しましたが、スポーツ選手の養成などは、先進国と比べて10年以上遅れていると思います。今ごろになって、ようやく「科学的・論理的な思考」が必要だということに気づき始めたようですが、それが切り替えられるまでには、まだ、10年くらいの時間が必要でしょう。施設や器具が整備されても、それを指導する監督やコーチが昔風の根性論では、何も変わらないのと同じです。少し前、日本の各スポーツ界の不祥事が世間を騒がせました。そこでは、選手に対する様々な圧力の実態が暴かれ、日本のスポーツ界は大きく揺れました。今でも、幹部による不祥事が明るみに出て問題になっています。「何処の国にもある」と言ってしまえばそれまでですが、この「甘さ」も、昔からの体質を受け継いでいる証拠だと思います。
ある目的を持って仕事を進めようとするとき、考えなければならないことは「新しい視点」で見ているかどうかです。その仕事に前例があったとしても、本当にそのやり方が正しいのか、もっと効率的に行う方法はないのか、自分なりに分析して考察してみることです。確かに前例をなぞっていけば、それほどの失敗にはならないでしょう。しかし、それでは進歩がありません。時代も変わっている現在、10年前の手法が適切だとは思えません。それでも、人間はその時点で一番「安心」な方法を採ろうとします。たとえば、今の社会を見てみましょう。AI革命、第五次産業革命といわれ、これまでの考え方では、「これからの時代に生き残るのは難しい」と言われます。しかし、だからといって、今までの社会構造が変わったようにも見えません。しかし、着実に「学歴神話」は壊れ始め、「転職」を勧めるテレビコマーシャルも頻繁に流されています。以前であれば、転職などを勧める人はいなかったはずです。「新卒で会社に入り、生涯その会社に勤務し、めでたく定年を迎えて退職金、年金で優雅な老後を送る」ことが、失敗しない人生設計だったはずです。ところが、今や「キャリア採用」という経験者を各企業は競って採用をしています。つまり、「新卒を育て、ゆっくり成長する会社」から「即戦力で業績を伸ばす会社」に企業の意識が変わったことを意味しています。そうなると、単に「学歴」だけを求めても、それ以降に「実力」をつけなければサラリーマンとして生き残ることができません。まさに、「実力社会」への転換です。それは、おそらく、学校や役所などの公務員の社会にも導入されるはずです。そもそも、教師には転職組があまりいません。新卒で教師になり、そのまま数十年働く人ばかりです。もし、新卒ではなく、10年程度サラリーマンや自営業などを経験した人が学校現場に入ってくれば、どんな変化が起こるでしょう。きっと、自分の社会人経験を生かし、子供たちにもっと視野の広い目で見た教育を行う可能性もあります。また、働き方も、「昔からそうだから…」と諦めるのではなく、「もっと、こうした方がいい…」と、従来の形を変えようと努力するはずです。そういう新しい血を入れるためにも、教師の「キャリア採用」は、大賛成です。これからの学校には、様々な職種を経験した人たちの「知恵」が必要なのです。
さて、ここで、学校の教師に求められる能力について述べてみたいと思います。人は皆、自分なりの「願い」というものを持っています。「こうなりたい」「あんな人になりたい」といった願望は、いくつになっても消えるものではありません。死が近づいても、「あんなふうに死にたい…」という願望があるものです。この「あきらめない」思考は、長生きの秘訣かもしれません。しかし、「願望」は、必ずしも叶うものではありません。当たり前のことですが、だれもが「願望」を口にはしますが、それが叶わなくても、それほど気にする人もいないものです。なぜなら、それは飽くまでも自分の「夢」を口にしただけのことで、夢と現実の区別がつかないほど愚かではないからです。しかし、その「願い」を夢で終わらせずに実現する人がいます。それは、やはり「合理的」な精神を持ち、「科学的」に分析して思考できる能力を持っているからだと思います。たとえば、「幸せになりたい」と神社で神様に願をかけるとします。しかし、神様に自分の望みを託しただけでは、まさに「困った時の神頼み」でしかなく、現実的ではありません。自分の「願い」を神様に託すとしても、それ以降の自分自身の「努力」なくして、願いが叶うはずがないからです。学校の教師であれば、「いい先生になりたい…」という願いを持って教壇に立ちます。しかし、「なりたい」だけで、なれるものなら、だれも苦労などはしないのです。これは、子供にもわかる理屈ですが、意外と大人は他力本願で、上手くいかないと「〇〇のせいだ…」とか、「〇〇が悪いんだ」と言って、自己責任を回避しようとします。本当は、自分の努力不足が原因だということを承知しているのですが、それを言うのが「恥ずかしい」とか、「みっともない」といったプライドが邪魔をして正確な分析ができなくなっているのです。そもそも、自分の「願い」を叶えるためには、そこに到達するまでの計画が必要です。その過程のイメージができなければ、成果を得ることはできません。学校の教師が、まず、やらなければならないことは、自分にとっての「いい教師」像を作ることです。
たとえば、(1)子供に好かれる教師、(2)上司に認められる教師、(3)同僚の信頼の厚い教師、(4)保護者の信頼の厚い教師、(5)指導力のある教師、こうした五つの「いい教師像」の条件があるとします。これを成し遂げるためには、①どうすればできるようになるのか。②どのくらいの時間をかければできるのか。③自分の能力を超えてはいないか。(自分には、無理ではないのか)などの分析をしてみることです。「〇〇になりたい…」は、その職業に就く前に使う言葉で、「教師」になった人が使ってはいけない言葉です。それは、子供にとって「教師」は、年齢も経験も関係がないからです。教壇に立った時点で、教師は「なりたい」ではなく、「なろう」という決意を述べることです。それは、別に他人に言う必要はありません。自分自身の決意として心に秘めて努力を重ねていくべきでしょう。それでは、この「五つの条件」について、考えてみたいと思います。
(1)子供に好かれる教師
これは、教師だけでなく、子供に関わろうとする人に言えることですが、「子供に好かれよう」と思って好かれる人はいません。それは「おもねり」です。子供をだって人を見ます。いや、大人以上に警戒心が強く、笑顔で近づいてくる大人を胡散臭く感じるものです。その警戒心を解くためには、自分の「素」の心で、子供と向き合うしか方法がないのです。したがって、「子供に嫌われる覚悟」ができていなければ、子供に関わってはいけません。よく「世間体」を気にして、子供に接しようとする人がいます。もちろん、1時間程度の関わり合いなら、子供も仕方なく「世間体」で付き合ってくれますが、これが何日にもなれば、さすがにそれはできません。子供は「機嫌」だけ取る大人が嫌いです。大人でも、仕事絡みで「よいしょ…」だけをする人間には近づかないはずです。昭和バブルのころ、「お客様は神様です」という言葉が流行り、店員が必要以上に客に阿り、不快な気分になったことがあります。
10年ほど前も、怒った客が店員を「土下座」させるといった事件が度々起こりました。これは、もちろん犯罪行為ですが、客という一般市民が本来対等なはずの店員(会社員)に対して、その名誉を毀損するような命令を下す権限はないはずです。それを店員がしてしまうのは、客のクレームを極端に怖れるあまりの行為でしかありません。それに、その謝罪は店員個人の謝罪なのか、その店を運営する「会社」の方針としての謝罪なのかを考える必要があります。客はもちろん「個人」ですが、その個人に対して「会社」経営として、謝罪をするべきなのかは別問題だと思います。もし、これが「会社の方針」だとしたら、この会社は随分と客に阿る社風であり、自分たちの経営や運営に自信がないのか、それとも、謝罪する程度の商品しか置いていないのか…どちらかだと思います。どんな場合においても「暴力に屈した」会社が、優良会社であるはずがない…というのが、一般国民の考えだと思います。それに、たとえば、どんな商品を販売しても、100%「高評価」が得られるはずもないのです。おそらく、企業も「〇〇%」以上を目標にしているはずですが、それは、サービスも同じです。社員は、客に対して丁寧な言葉や態度で接しますが、それは「社会的儀礼」であって、特に客に「阿っている」わけではありません。時々、「俺が金を払うんだ!」と言う愚かな日本人がいますが、それは商品を購入するための対価であって、どちらが「上位にある」というものではないはずです。気に入らなければ買わなければいいし、店員も売らなければいいだけのことです。したがって、「客」は神様ではありません。「お客様は神様です」は、それだけ「丁寧に接しなさい」という教えであり、「阿りなさい」という教えではないことを知るべきです。子供も同じです。自分を人間として「対等」に見てくれる人には、心を開きますが、そうでない人には「警戒心を解かない」という、それだけのことです。子供に阿って「いい先生」になった人を私は知りません。
平成の時代に入ったころから、文部科学省も「子供を誉めて伸ばす」という言い方で、「長所」を評価の観点とすることを推奨するようになりました。その考え方は間違ってはいません。人間は「短所」ばかりを指摘され、矯正され続けると、自分のよさに気づくことなく一生を終えることになります。確かに、人間をロボットのように忠実に使おうとするのなら、欠点を矯正する教育に利があります。それは、日本の軍隊が行ってきた教育方法で、一定の成果を挙げました。しかし、いくら欠点を矯正しても、だれも同じ顔の日本人が大量生産できるだけのことです。今の時代のように、「創造的な知恵」が必要な時代に、同じ思考だけをする人間を大量に創っても国は発展しません。一人一人の個性を見極め、その人間の長所を伸ばした方が、社会全体のためにはなるはずです。したがって、文部科学省の方針は正しいのです。しかしながら、今の学校教育体制の中で、本当にそんなことができるのでしょうか。教室内に30人以上の個性的な子供がおり、一定のカリキュラムが設定され、文部科学省からの新しい課題が次々と現場に下りてくる現状を考えると、教師は、あまりの多忙さの中で、子供の個性を見極めるどころか、その「長所」にさえ振り回されかねないのです。子供の「よさ」とは、大人が想定しているものを遥かに超え、場合によっては「学校」という範疇さえ超えるような才能を持つ子もいるのです。それが、その子供の個性であり長所なのですが、学校という集団の中で、一定のカリキュラムをこなす中での「個性」となると、かなり限定的にならざるを得ません。もちろん、文部科学省がそれを言っていることはわかります。しかし、「個性尊重の教育」「子供のよさを認める教育」と目標を掲げたとき、それが「限定的」であることを国民は理解するのでしょうか。教師でさえ理解できないものを子供や保護者が理解するのは、無理と言うものです。国が考える「理念」は立派ですが、それが可能かどうかを吟味しないまま、国民に知らせることが、如何に現場を混乱させるかを考えてもらいたいものです。
この「よさを認める」「誉めて伸ばす」と言われたころから、教師は子供を叱らなくなりました。この「誉めて伸ばす」は、教師の「懲戒権」の行使を躊躇わせたのです。「懲戒権」とは、簡単に言えば「子供を叱る」権限のことです。教師には体罰は認められていませんが、子供を叱ることまで禁止されているわけではありません。それでも、「誉めて指導しろ」と言われれば、叱ることに対して躊躇うのは当然です。この風潮は家庭においても見られるようになり、特に父親は子供を叱らなくなりました。と、言うより「叱れなくなった」という方が正確だと思います。昔は、大人は子供に対して理不尽であり、大人の話に子供が同席することはありませんでした。「そんな話を子供の前でするもんじゃない!」と言われ、子供も「大人の話に口を挟むな!」と叱られたものです。父親が酒を飲んだり、煙草を吹かしていても咎められることはなく、家に他人が来て宴会をするのも普通に行われていました。この当時、人との「付き合い」は、人間関係を円滑に進める唯一の方法で、男たちはそれを「ノミニケーション」などと言っては、宴会を繰り返し、大人として自由に振る舞っていたのです。しかし、今は、そんなことを言えば「パワハラ」扱いされてしまいます。公共の場での煙草は禁止、飲酒を伴う宴会はこのコロナ禍で激減し、数年後に以前のように戻るかは疑問です。スーパーなどにも「ノンアルコール」表示の炭酸飲料がたくさん置かれ、売り上げも伸びているようです。つまり、ここ10年で、これまでの「大人」の概念が崩れ、「新しい大人像」とでも言うような姿が主流になりました。学校も、最近では、子供の問題に父親が出てくる場面が多くなり、場合によっては、父親の勝手な思い込みで問題を混乱させ、教師だけでなく、母親や子供まで困らせるといったケースも出て来ています。以前なら、父親が母親や子供を諭し、うまい「落としどころ」を見つけたものですが、今は、親自身が納得できなければ、問題が解決しないという状況が増えたようです。それだけ、「叱る」ことが難しくなってきたのかも知れません。
簡単に「叱る」と言いますが、では、「叱る」と「怒る」はどう違うのでしょう。大人は子供を「叱る」と言いますが、子供は大人に「怒られた」と言います。別にはっきりとした区別があるわけではありませんが、教師の「懲戒権」は、「叱る」方だと私は解釈しています。「怒る」は、自分の感情を優先しているように見えますが、「叱る」は、「叱責」という言葉があるように、感情ではなく、その間違った言動に対して「注意」をしているという感覚が強いからです。どちらにしても、効果は期待できますが、理性で叱る場合は「得々と諭すように反省を促す」ことを目的とするべきです。ただし、人間ですから感情を顕わにして「怒る」ことも必要です。何でも相手を傷つけないように配慮していると、子供は、何故叱られているのかわからない場合があるからです。大人であっても、自分では「大したことではない」と考え、相手が傷つくことを平気で口走る人がいますが、自己中心的で、あまり親しくはなりたくない人たちです。子供も同じで、その「なぜ」がはっきりわからないと同じことを繰り返してしまうからです。たとえば「命に関わる危険な行為」や「相手を傷つけるいじめ」などの行為を咎めるときは、最初に「叱る」というよりは、大人として、人間として「怒りの感情」を見せるべきだと私は思います。それは、自分が第三者として振る舞うのではなく、当事者と同じ心境で向き合う必要があるからです。子供によっては、「先生に怒鳴られた」となるのでしょうが、そこは仕方がないことです。この判断を誤ると、二度目、三度目は効果が低下します。子供によっては、「また、怒ってる?」と半ば白け気味で聞いていることもありますので、反省を促す意味でも「人間としての怒り」は必要です。そして、次に大切なのは「大人」として子供が「納得できる振る舞い」を見せることだと思います。子供はああ見えて、よく大人を観察しています。特に親や教師に対しては、日頃から注意されるので、「じゃあ、おまえはどうなんだ?」という感覚で見ているようです。もちろん、これも年齢差はありますが、元気な男の子より、シャイな女の子の方が冷静に見ているかも知れません。親や教師も、子供たちが「口に出さない」うちは気になりませんが、そのうち、不満は表情や態度に現れ、最後に口に出すようになります。そうなると、問題は厄介で、いくら正論をぶつけても「だって、先生(父母)だって、〇〇じゃん…」となるわけです。こういう「都合のいい大人」が嫌われるのは、大人の世界も同じです。子供は純粋だけに、信じようとしている教師や親に嘘を吐かれると、一気に信頼を失い、言うことを聞かなくなるのです。それを一方的に「素直じゃない」とか、「ちっとも言うことを聞かない」と不満を口にすればするほど、関係は拗れ、いずれ修復できないところまで行き着くのです。それは、お互いに不幸なことだと思います。
教師に限って言えば、子供に「好かれる教師」の条件として、①時間に厳しいこと、②授業が丁寧で上手いこと、③子供への愛情は見えるが、甘えさせないこと、④道徳的な指導ができること、⑤
専門的知識が豊富であること…などが上げられます。そして、子供がその教師という「人間」に憧れを抱くようであれば、子供は間違いなくその教師を信頼しているはずです。こんな、たった五つの条件ですが、これを徹底することは意外と難しいのです。特に、教師としての専門性が低ければ、いくら人格的に優れていても、子供には好かれません。なぜなら、子供が学校にいる時間の半分以上は「授業時間」だからです。教師にとって、子供からの「教え方が上手い」「勉強がわかるようになった」「授業が楽しい」は、最高の褒め言葉です。それができたら、教師は「合格」です。こういう教師は、①、③、④も普通にこなします。やはり、「人にものを教える」という作業は昔も今も、その教師の知識と教養如何にかかっていると言って過言ではないのです。したがって、努力を惜しむ教師は「教師には向かない人」なのです。
(2)上司に認められる教師
「上司に認めて欲しい」という願望は、どんな職業に就いても同じだと思います。人間は生まれた時から「承認欲求」を持っています。だからこそ、文部科学省は「誉めて伸ばす」教育を推奨しているのです。しかし、上司も人間です。必ずしも公正・公平な人間ばかりとは限りません。人間は、だれしも偏りを持って生きています。それが、その人「らしさ」なのかも知れません。しかし、ひとつ言えることは、どんな職業でも人に認めてもらうには、その職業に関する「実績」を作ることです。サラリーマンも、単に命じられたことだけをこなす社員より、自分で考え、工夫して成果を挙げる社員が認められるのは道理です。そこには、もう、学歴も家柄もありません。スタートラインに着けば、みんな同じ扱いなのです。最初のうちは、見た目のよさや学歴などが有利に働くこともあるでしょう。しかし、ひと月もすれば、その人間の能力はわかってきます。そして、努力を惜しむ人間は、どこの職場でも評価されないのです。また、人に好かれる要素として大切なのが、その人の「人間性」です。真面目さ、誠実さ、明るさ、優しさなどは、その人の持つ「魅力」です。こうした性格は、放っておいても人を惹き付けるのです。逆に、不真面目、暗い、意地悪、嫉妬深いなどは、最も嫌われる要素です。上司に対しては、誠実に接し、信頼を得るように研鑽を積むことが大切です。あまり余計なことを考えて行動しても、人は必ずしも評価するとは限らないことを知るべきです。
学校の場合、上司である管理職は、大抵、自分たちと同じ教師です。したがって、教師としての「先輩」として助言を受ける機会も多いはずです。まして、ベテラン管理職ともなれば、小中高の様々な学校種を経験した人もいます。また、県や市町村の教育行政を経験した人もいます。さらに、各学年や教科等の主任としての経験も豊富で、各教科等の研究会で活躍している人もいます。そうした上司から学ばない手はありません。若いからと言って、自分の学級、学年だけで満足していると、なかなか外の世界を知ることができません。職場である学校と家の往復だけで、教師としての資質が向上するはずがないのです。自分の与えられた職責を全うすることはもちろん大切ですが、他校の教師や上司等との交流をとおして学ぶことは多く、それが、自分の将来の血になり肉になるはずです。そういう意味で、上司を上手に使うのも、大切な「研修」の一つだと思います。
さて、最近は「民間人登用」が行われ、学校の校長に就任する民間出身者も増えてきています。しかし、現実に仕事をしてみると、学校は、民間出身者には「理解できない」ことが多いというニュースを耳にします。それは、やはり「働き方」の問題だと思います。通常、経営者は「作業管理」ばかりでなく、「労務管理」を意識せざるを得ません。「作業効率」を上げるには、いくつかの方法があります。しかし、そればかりを見ていては、実際に働いている教職員の様々な問題に対応することができません。学校も民間の職場と同じで、職員の健康管理から家庭の問題、様々な人間関係の悩みなど、プライバシーに関することや職場環境に関することまで、広い視野で監督していく必要があります。経営者は、それらを把握した上で子供や保護者に納得して貰える教育を行っていくことが使命なのです。組織というものは、だれ一人として「不要」な人はいません。だれもが大きな戦力であり、チームの一員なのです。その一人が欠けると、だれかがそれを補い、また、それを補うために、別な人が必要になるという悪循環に陥る可能性があるのです。それを防ぐためには、職場の人間関係作りや労務管理は、絶対に必要な業務なのです。なのですが…、その肝心要の「労務管理」ができていないのが、学校という職場です。それは、一重に「時間外労働」という概念が乏しいからです。民間出の管理職は、そんな「あたりまえ」のことがないことにまず驚きます。民間なら、「時間外勤務時間」を把握し、厳しくチェックをしているはずです。なぜなら、そこには「手当」が発生するからです。経営者として、まず、考えなければならないのは、予算の適正な執行でしょう。特に「人件費」は総予算のかなりの部分を占めていますので、それを「抑制」し、効率よく働いてもらうのが経営者の手腕でもあります。つまり、「時間外労働」を抑制することは、経営者と社員双方にメリットのある考え方で、どの企業でもそれを目標としてきました。それを無視した「サービス残業」を強いるような会社があれば、それは労働基準法違反となり、世にいう「ブラック企業」というレッテルを貼られることになります。そういう意味では、経営者にとって、「労務管理」が一番気になるところです。
ところが、学校では、その「労務管理」がほぼ不要なのです。教師が勤務時間を超えて働くことは常態化しており、中学校の部活動などは、そもそも、終了時刻が午後の6時なので、既に超過勤務になっています。その後に、打ち合わせや会議、翌日の教材研究などが入ると、早くても帰宅する時間が、午後9時を回ることはざらにあります。早く帰りたくても、子供の答案の採点や日記の点検、作品整理など、仕事が減ることはありません。学校の校舎に夜遅くまで煌々と電気が灯っているのを見たことがあると思います。その上、生徒の問題行動や事故等が起きれば、即日対応を求められます。それは、保護者以上のスピードで対応しているはずです。なぜなら、学校が子供のことに関して「知らない」「気づかない」は、社会が許さないからです。こういう実態を見ていると、「労務管理」などと言っている場合ではなく、民間人校長は、「こんなのは、仕事じゃない」と呆れてしまうのが実状でしょう。そして、この時間外労働は、いわゆる「残業代」が支払われません。元々、教師の仕事は際限がないために、国も調整手当という考え方で一律給料の「4%」を支給するという形で済ませてしまいました。要するに後は、「教師の自覚に任せる」といった管理放棄です。50年前の当時は、それでも穏当な判断だったと思いますが、それが改訂されないまま半世紀が過ぎるというのは、行政府としての「怠慢」の誹りは免れません。教職員組合が弱体化している今、それを「敢えて言う組合幹部もいなかった」というのが本当のところでしょう。
これに慣れてしまった(知らなかった…)教師は、残業代などという感覚がないまま毎日の業務に追われていました。管理職も自分がその形態で働いていましたので、違和感はないのです。そうなると、勤務時間に関係なく仕事は続きます。もちろん、国もそんなことは百も承知していたはずです。所管は文部科学省ですが、「4%」の調整額を支給しているという大義名分は、法律上、何の問題もないからです。その4%以上の勤務が常態化していても、特に教員側から苦情が出てこなければ、それを敢えて問題にする人はいません。関係のない部署では、「先生も大変だな…」と言うばかりで、真剣に受け取る国民も政治家もいませんでした。実態を知らない国民は、「先生はいいな。夏休みもあるし、公務員だし…」と、羨むことはあっても心配してくれる人はいませんでした。それが、日本の教師の働く姿なのです。要するに、教師は普通の「労働者の基準」の例外ということになります。しかし、それは広く周知されていたわけではなく、なってから気づいた教師も多かったと思います。
今や「学校のブラック化」問題が、世間に知られるようになり、文部科学省も対策に乗り出しましたが、それは今まで知らなかったのではなく、知っていても対策を怠っていただけのことです。それは、学校の経営者も同じです。長い慣習の中で仕事をしていますから、「昔からそうだった…」という感覚は、一朝一夕に変えられるものではありません。その意識を変えていかないと、これから教師という仕事を続けていくことはできないでしょう。「上司に認められる」ことは、確かに、職業として働いている以上、必要な感覚ですが、それに「慣れる」ことも一面危険だということを忘れないでいたいものです。「ずっと、そうだった…」「昔からそうだった…」では、理由になりません。本当は、教育基本法にあるように、家庭、地域、学校が相応に教育を負担し、行政がそれを支援する形が一番理想的だったと思います。実は、日本人は「憲法問題」には敏感ですが、「教育基本法」には鈍感です。ここに重要箇所を抜粋しておきますので、ぜひ、確認をしてください。
(教育の目的)
・第一条 教育は、「人格の完成」を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた「心身ともに健康な国民」の育成を期して行われなければならない。
(教員)
・第九条 法律に定める学校の教員は、自己の「崇高な使命」を深く自覚し、絶えず「研究と修養」に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
・2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、「待遇の適正」が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。
(家庭教育)
・第十条 父母その他の保護者は、「子の教育について第一義的責任を有する」ものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、「自立心」を育成し、「心身の調和のとれた発達」を図るよう努めるものとする。
(社会教育)(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)
・第十三条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、「教育におけるそれぞれの役割と責任」を自覚するとともに、「相互の連携及び協力」に努めるものとする。
(3)同僚の信頼の厚い教師
人間は、本音で言えば、「人柄」がすべての評価の基準になります。テレビ等に出ている著名人を見ていても、気づく人は多いはずです。人間は、人を評価するとき、①見た目、②学歴・経歴、③話し方、④誠実さ、⑤優しさ…などが基準になるはずです。芸能人は特に①の見た目が一番気になるところでしょう。ところが、若いころより中年以降の方が人気の出る俳優さんがいます。いわゆる「味のある」演技ができる年齢です。若くて美しい見た目より、年輪が刻まれた深味のある雰囲気に人は惹かれるものです。また、「性格は顔に出る」と言われるように、いくら隠しているつもりでも胡散臭さは、その人の持つ雰囲気に出ています。逆に「人のよさ」も隠せるものではないのです。日本人は、何も仕事のできる人を「よい」と評価しているわけではありません。多少、仕事ができなくても、その人柄のよさで欠点をカバーすることもできるのです。そして、子供たちにとっても「人のよさ」は安心感を与えるでしょう。したがって、急に「同僚の信頼を得たい」と思っても、なかなか思い通りには行かないものです。しかし、人間何事も「努力」です。自分の人間性を高めようと努力していれば、いつの間にか、自分が考えていたような理想の人間になれるかも知れません。そのためには、あまり「邪」な心を持たないことです。普段から文句を言わず、「困ったときはお互い様」の精神を発揮することです。どんなことでも、頼まれれば、「ああ、いいですよ。お役に立てれば…」と謙虚な態度で助けてあげることです。そして見返りを求めない姿が、人の信頼を得る唯一の方法なのです。そして、気がつくと周囲から「あの人は、なかなかの人物だ…」という評価になるかも知れません。
「恩を売る」という言葉がありますが、人間の世界は、実は、今でも「義理と人情」でできているのです。鎌倉時代の「ご恩と奉公」ではありませんが、日本人は「恩を仇で返す」ことは、卑劣な行為だと嫌われます。逆に「恩は返す」のが礼儀の基本です。この意識は、日本人ならだれもが持っている感性でしょう。たとえ科学が発達し、AIやロボットの時代になろうと、人が「機械」でない限り、受けた「恩」を忘れることなく、「義理と人情」が廃れることはありません。昔、昭和30年代、任侠映画が流行っていた頃、映画館から出てくる人が、皆、「健さん」を気取っていたという話がありました。映画の中に出てくる健さんは、義理と人情に厚く、常に謙虚でした。しかし、その実力は周囲を圧倒し、どんな親分よりも凄味の利いたヤクザとして描かれたものです。また、渥美清主演の「男はつらいよ」は、爆発的な大ヒット映画となり、私の子供のころは、お盆と正月は「寅さん映画」で過ごしたものです。ここに出てくる主人公の「車寅次郎」は、「フーテンの寅」と揶揄され、近所では「ばか」で有名な男でした。いつもきれいな女性に恋をしてはフラれ、失意の内に旅に出るという物語です。それでも、母違いの妹を可愛がり、悪態を吐きながらも育ててくれた伯父伯母を大切にする、気のいい中年おやじでした。こんな冴えない男の物語が、なぜ、日本中で大ヒットしたかと言えば、それは、彼が「国民の期待」をけっして裏切らないからです。商売は、いわゆる「テキ屋」です。昔風に言えば、半端物のやる「ヤクザ稼業」でしょう。しかし、その口上はその辺のタレントや落語家よりも上手く、その語りに釣り込まれて商品を買ってしまう機微は、さすが「江戸っ子!」と声をかけたくなります。そして、あくどい商売はやらず、義理と人情を大切にする日本人でした。今でもDVDでこの映画を見ると、涙が出るくらい笑います。そして、「ばかだなあ…」と言いながらも、心がほっこりするのです。こうした「義理と人情」が廃れない限り、日本人はだめにはならないと思います。教師も、この「義理と人情」の世界で生きています。
子供にしても親にしても、学校に来るときは「余所行き」です。「余所行き」とは、「自分を飾って、恥をかかないように振る舞う」ことを言います。しかし、家庭の内情はそれぞれです。だれもが「幸福だ」と思って暮らしているわけではありません。これも昔の映画で「東京物語」という小津安二郎監督の名作がありました。昭和30年ころの日本のある一家の数日を描いた物語です。だれもが「よかれ」と思ってやることが、だれかの迷惑だったり、何気ないひと言が、だれかを傷つけていたり…と家族でありながら人間関係は複雑です。そして、親は、多少の不満を抱えつつも、「私らは、けっこう幸せですね…」と夫婦で語り合うのです。傍から見ていれば、「もっと、こうしてやればいいいのに…」とか、「みんな薄情なんだから…」と不満を口にしますが、当人たちは、それでも一生懸命生きているのです。学校の子供たちも同じです。「こうすれば…」「こうしてやれば…」という思いは尽きませんが、それは、他人が口に出すことではありません。幸福感は、他人が考えることではないのです。それでも、「東京物語」の主人公の女性(死んだ次男の嫁)のような、「ほんの小さな優しさ」が人の心を救うことがあるのです。最後に、この若い嫁に義父が言います。「ありがとう。本当にありがとう。あんたは、本当にいい人じゃ。死んだ女房も言っておった…。わしらのことは心配せんでいいから、いい人がおったら嫁に行きなさい…」と。すると、この女性は「いいえ、私はそんないい人間じゃありません。ずるいんです…」と涙を溢しますが、さらに義父は言います。「ええんじゃ。それでええんじゃ…」と。この台詞は本当に映画史上に残る名台詞だと私は思っています。単に綺麗事で済ませるのではなく、自分が「ずるい人間」だと吐露しても、それを素直に認め、慰める義父のような人間に私もなりたいと思いました。そして、そういう人間であればこそ、人は信じられるのかも知れません。
(4)保護者の信頼の厚い教師
「学校」に子供たちが通うのは、憲法にあるように「教育の義務」が保護者に課せられているからです。まずは、それを押さえておきましょう。日本の学校制度は、9年間の義務教育がベースになっています。そんなことは、今さら言われるまでもないことですが、この「義務」というのが厄介なのです。日本国憲法に謳われる日本人の三大義務といえば、①労働の義務、②納税の義務、そして③教育を義務です。しかし、①の労働は、かなり自由選択に委ねられる部分が大きく、「働かない」と言っても罰則規定はありません。②の納税は、今、数えることができないほど、たくさんの物に税金が課せられ、納税を怠れば厳しい罰則が待っています。③の教育は、将来を考えれば子供に教育を受けさせない保護者はいないでしょう。それに、子供には「教育を受ける権利」が保障されていますので、もし、教育を敢えて受けさせない親がいれば、それは即「児童虐待」で通告されるはずです。要するに「国民の義務」である以上、それに「従わない権利は国民にはない」ということになります。昔であれば、「国の命令」に敢えて背いてまで生きようとする人はいませんでしたが、現在のように豊かな暮らしに慣れると、どうも、この「義務」という言葉に抵抗を示す人が出て来ます。「別に働かなくたっていいじゃないか?」「なんで、税金を取るんだよ?」「学校なんか、行かなくてもいいんじゃないの?」。こういう声を聞いたことがあると思います。要するに、「必要ない物」「無駄な物」「役に立たない物」にわざわざ労力をかけたくないのも正直な気持ちだと思います。教育も同じです。「義務だと言うから、子供を学校に行かせたのに、いじめられて帰って来るような学校に行かせるつもりはありません」と言われて、「国民の義務ですから…」と説得できるのでしょうか。要するに今の時代は、「質」が問われているのです。「働く価値があり」「税金を納める価値がある」「学校に通う価値がある」とでも言うように、そこに何らかの「利益」がなければ、いくら「義務だ」と騒いでも、だれも納得しないということなのです。
それでは、どうしたらそこに「意味」を見出すことができるのでしょうか。その意味が答えられたら教師「合格」です。親が子供を学校に通わせるのは、第1に「学力をつける」ことです。昔から人としての基本は「読み・書き・算盤」です。これがある一定水準までマスターできれば、日本で生活するのには困りません。だから、これが「第一」なのです。第2には、「社会を学ぶ」ことです。今のような少子化の時代、家庭だけで社会性を身に付けさせることはできません。やはり、集団の中で揉まれながら、人間関係を学び、社会に出て行く準備をします。中学校に行けば、親が習わせることのできないスポーツや芸術等を学ばせることができるのです。それには費用もかかりません。第3には、「道徳性を身に付ける」ことです。考えてもみてください。学校時代以外で、「道徳」を学ぶ機会がありますか?。残念ながら、学校を離れれば、普通の「道徳性」はあって当たり前で、なければ、社会に適応できない人間になってしまいます。社会生活は、基本的に「常識」といわれる日本人共通の「道徳」によって営まれています。欲しいものがあって店舗を訪れれば、そこの社員は、必ず「いらっしゃいませ」と温かく迎えてくれます。そして、品物を購入すると、必ず「ありがとうございました」とお礼を言います。それは「なぜ」ですか?。それが、日本人の礼儀であり「常識」だからです。そして、多少気に障ることがあっても、大人は、それを穏便にまとめようとします。大声で怒鳴りつけたり、物に当たったり、ましてや、社員を土下座させたりするような行為は、「常識外れ」として糾弾され、犯罪行為が認定されれば、所属先から懲戒処分を受けることになります。要するに、常識を守れない人は、社会の構成員として認められないのが、「常識」なのです。
保護者にとって教師に求めるものは、自分にとっての「理想」なのかも知れません。人間はだれしも、「こうあってほしい」という理想像があります。それは、それぞれの職業観と一体になっているような気がします。たとえば、警察官に求めるのは、「正義感」「礼儀正しさ」「勇気」「力強さ」「優しさ」などでしょう。同じように政治家には、「清廉さ」「賢さ」「爽やかさ」「信念」などでしょうか。そうなると、教師に求めるのは、「賢さ」「真面目さ」「清潔感」「信念」「子供好き」「優しさ」「強さ」などが上げられるようです。それは、実際、現場で働いている教師には難しい課題かも知れませんが、このいくつかの要素を感じられる人が、保護者に信頼されるのだと思います。
子供は、いつも正直です。勉強が楽しければ「楽しい」といい、つまらなければ「つまらない」と言います。先生のことが好きなら「好き」といい、嫌いなら「嫌い」と言います。そこには、あまり忖度はありません。親にとって多少気に入らない点があったとしても、子供に「先生が好き」と言われてしまえば、親としてそれ以上反論する術はありません。子供と一緒に「先生、好き」になればいいのです。そうなれば、毎日、その教師のことが食卓の話題に上り、親子の交流は深まるはずです。そういう意味で「好かれる教師」は、「親子の潤滑油」の役割を果たしているのです。だったら、教師自身は何をすればいいか…ということです。子供も親も、教師の素の姿を見たいとは思っていません。学校にいる「先生」の姿がすべてなのです。だからこそ、子供の前で「素」を出してしまう教師は、まだ未熟だと言わざるを得ないのです。よく、「教室は舞台だと思え」という話を聞いたことがあります。つまり、教師は演出家であり、脚本家であり、舞台俳優でもあるということです。その上、効果音や照明も担当しています。こうした演劇に似た世界が教師だというたとえです。確かに、準備を整えた授業は、子供を惹き付けるようです。理科の実験でも、個々に実験キットを用意し、学習のめあてを持って真剣に取り組んだ授業は、45分の時間があっという間に過ぎていきます。それは、だれもが「集中」しているからです。そんな授業ができたときは、子供から「ああ、今日の授業は楽しかったな…」という言葉が漏れるはずです。そして、子供はいつの間にか、観客だったものが、舞台に上がり俳優として演じていることに気づきます。そうなれば、間違いなく「勉強は、楽しい」ものになるはずです。そんな話を家に帰った子供から聞かされた親たちは、教師をどう思うでしょう。きっと、子供の前で、「いい先生でよかったね…」と笑顔で話すはずです。もちろん、親が家庭で教師の悪口を言うのはタブーですが、それでも不満はつい口に出るものです。「言わないようにしよう…」と思いながらも、「こうしてくれれば…」という思いは尽きません。これが、いじめやけが、体罰ともなれば、親が怒るのは無理もありません。自分の中の理想がガラガラと音を立てて崩れたとき、人は、信頼しようとしていた分、「裏切られた」という思いが強くなるはずです。だからこそ、教師は常に「プロ」意識を持ち、その期待に応えようと努力し続けなければならないのです。
(5)指導力のある教師
教師には、「指導力が必要だ」と言うことは、だれもが知っていることです。しかし、その「指導力」は、「いつ、どこで、どうやって」身につけたのでしょうか。教員免許状を所得する大学の講義の中で、「教師としての指導力養成」という講義を受けたことがありません。そして、採用試験においても、「教師の指導力について」の設問はなかったように思います。こんなに一番大切な「資質」でありながら、その「養成」については、まったく個人任せなのです。そして、不思議なことに、教師の評価は、常に「指導力の有無」というのですから、日本人は、余程、教師になろうとする人間を信用しているのでしょう。実は、この「指導力」という能力は、ペーパーテストなどで測れるようなものではないのです。もちろん、試験の面接時に「集団討論」をさせたり、「口頭試問」をしたりする中で、その人間の「リーダー性」に「気づく」ことはあるかも知れませんが、明確な基準がない以上、「指導力の有無」を測ることは難しいようです。要するに、「指導力」とは、その教師個人の「性格」そして、「生き方」や「思想」「信念」に基づいているもので、その教師の「人格」そのものと言ってもいいでしょう。
私も経験がありますが、学級担任初日に、教室で子供の前に立ったとき、緊張で心臓が高鳴りました。40人の子供の眼が一斉に自分に注がれて来るのですから、緊張しないはずがありません。普段、偉そうに話している人でも、「人前」に出れば緊張するでしょう。学級の子供とは、長い付き合いになるのですから、双方が緊張感を持って対峙するのは当然です。日本の学校は、それを「当然」とするのですから、日本人の精神力は強いはずです。それでも、これまで経験した中で一番「緊張」した瞬間でした。そのとき、私の脳裏を過ったのは、「負けてなるものか!」という強い決意だったと思います。別に子供を敵と見做しているのでありません。自分の対して「負けたくない!」と思っていたのです。地方の大学を出て、出身県ではない別の県に採用になった私は、まったく見ず知らずの場所で、教員生活が始まりました。本音で言えば、「逃げたしたくなる」ような心境です。しかし、私には、「これで、飯を食っていかなければならないんだ!」という覚悟がありました。昭和の後期の時代でしたが、就職するということは、即、「飯を食うため」でもあったのです。「こんなのは無理だ!」と田舎に逃げ帰っても、受け入れてくれる場所はありません。「自分探しの旅」など、している時間も金銭的余裕もないのです。とにかく「働く」ことが、大事でした。それに、特に教育に情熱を持っていたわけではありません。「教員」もひとつの仕事としての選択だったのです。ですから、最初から「教師」になれたわけではなく、毎日が試行錯誤の連続だったことを思い出します。
子供を担任していたとき、4年生の子供から、全員がいる前で、「先生は、子供が好きで先生になったの?」と尋ねられました。そのとき、私はこう答えたことを覚えています。「いや、別に子供が好きでなったわけじゃない」そう言うと、40人全員が「キョトン」という顔をしました。ひょっとしたら、「そうだよ。先生は子供が大好きなんだ…」とでも言ってくれるものと期待していたのかも知れません。でも、私は子供に「嘘」を吐くわけにはいかなかったのです。そして、こう話しました。「先生は、生活のために先生になりました。働くことが目的だったんです」と。それが、私の本音ですから、それをまず言いました。そして続けて、「でもね。好き嫌いを言うと、好きなことでも、嫌いになることがあるってことじゃないの?」「先生は、好き嫌いで仕事はしません。君たちを教えるのが先生の大事な仕事なのだから、一生懸命、みんなを教えます!」と言いました。すると、全員が「ホッ…」したような顔になり、それから、私のクラスの子供は、そんなつまらない質問はしなくなりました。今の人たちは、子供のころから自分なりの「夢」を持ちます。それは、けっして悪いことではありませんが、「好き嫌い」が基準になった「夢」では、叶わないと悟ったとき、どう気持ちを切り替えていくのでしょう。時代が違うのかも知れませんが、その職業に就いて「努力」しているうちに、それが「生甲斐」になれば、それでいいような気がします。「好き嫌い」で物事を判断すると、眼が曇り、「あんな子は?」とか、「あんな仕事は?」などという差別感を生み出すような気がしています。したがって、私に「好き嫌い」の基準はありません。まして、教師が「好き嫌い」を言い出したらお終いだと思っています。
教育をすることも、「仕事」と割り切っていると、どんな問題が起きても「まさか?」がないのです。「そうか?」「まあ、仕方がないな…」と思う程度です。どんな状況に置かれても冷静に判断して行動するためには、「仕事と割り切る」ことが大切です。そして、自分の感情を極力抑え、子供を指導する際も冷静に指導するように心がけていました。子供の心理、子供の家庭環境、親の考え・態度、周囲の眼、そして、それが正義か不正義かなど、いくつも頭に入れておかなければならない項目があります。感情が優先すると、それらの「情報」を整理しないまま、子供に向き合うことになります。それでは、子供は絶対に心を開いてはくれません。相手の心を開かせるには、相手をよく「分析」して、相手の身になって考えてみることです。しかし、「好き嫌い」の感情が先に立つと、この判断は曇ります。よく、職員室で、子供の「評価」を口に出したがらる教師がいますが、それを言っている自分が他の教師から、どう評価されているかには、まったく気がついていないものです。感情のままに「人の評価」を口にすることは禍の元なのです。それでも、時には、大声で子供を叱りつけたこともあります。しかし、それは、「この子(たち)には必要」だと感じたからです。「先生は、猛烈に怒っているんだ!」という大人の「怒りの感情」も見せておかないと、子供(たち)は本気で反省できないことがあるものです。ただし、その「怒り」は、「正義ではない」ことに対する怒りでなければなりません。教師は常に「正義」を貫く者なのです。その「正義」が揺るげば、教育は成り立ちません。そして、子供の犯した「行為」に対しては、厳しく叱責することもありますが、その「人格」を否定したことは一度もありません。「罪は憎んでも人は憎まない」のが、私の教師としての「信念」でした。
もし、私が、「指導力がある」と評価されていたとしたら、それは、私の「信念」が揺るがなかったからだと思います。それは、きっと上司に言われても、保護者に言われても、何も変わらなかったと思います。口では、「長い物には巻かれろ…」と、冗談めかして言いますが、最後の最後は、けっして譲るつもりはないのです。もし、それを「しろ!」と命じられれば、教師を辞めるだけのことです。確かに、生活の糧を得るために「教員」という職業を選びましたが、自分の信念を曲げてまでやるつもりはありませんでした。それが、私個人のささやかな「誇り」なのです。「指導力」とは、そうしたものではないでしょうか。もし、若い教師が、その指導力を身につけたければ、「本を読む」ことです。必死に本を読み、ひたすら、自分という存在を見つめ直すことです。それは、周囲のだれにも理解されない行為かも知れませんが、「教師になりたい」と思うのなら、その地道な作業が必要なのです。そのうち、「腹」ができてきます。
第四節 発達等に課題を抱えた子供たち
近年、所謂「発達障害」と言われる課題を抱える子供が増加しています。従来からの知的障害や情緒障害と言われる子供は、全体の6%ほどいることはわかっていましたが、この発達系に課題がある子供の増加は、近年著しいものがあります。原因は、なかなか特定できませんが、恐らくは「後天的」なものが多いと言われています。これは、私見になりますが、その要因はいくつか考えられます。まず第一に、昔と違って医学や医療が発達し、精神系や神経系の疾患を診断できる病院やクリニックが増えてきたことにより、診察を受ける子供が増えたことがあげられます。これは、日本だけに限らず、世界的な傾向だと思います。しかし、「発達障害」という言葉は広まったとしても、日本人の多くは、その内容まで知る人はごく少数だと思います。それより、「障害」という言葉に反応し、異質なものを見るかのように反応するのは、愚かな行為です。人間は、だれしも「完全無欠」ではないのです。自分では「普通」だと思っていても、どこかに拘りを持っていたり、偏りがあったりするものです。病気だって多くの人が患い、「私は、何の不自由もありません…」という人の方が珍しいと言わざるを得ないのです。発達障害という診断が下されれば、「そうなのか…」と思うだけのことで、それによって自分の態度を変えることはありません。
医学的には、かなり細かく分類されているようで、「発達障害支援法」という法律には、「自閉症・アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害・学習障害・注意欠陥多動性障害、その他これに類する脳機能の障害であってその症状が通常低年齢において発現するものとして政令で定めるもの」(2条1項)とあります。この解説を読んでも、何を言っているのか専門家でない限り、それを理解できる人はいないでしょう。要するに、「生活上の様々なことに対して“困り感“がある人(子供)がいる」ということです。たとえば、「友だちと一緒のことができない」「みんなが理解していることがわからない」「言葉の機微がわからず、何でも真剣に受け止めてしまう」「少しでも予定が変わると混乱してしまう」「気分にムラがある」「落ち着いて、椅子に座っていられない」など、周囲と歩調を合わせることのできない人(子供)が医療機関で診察を受けると、このような診断が下される傾向にあると言うことです。本人にしてみれば、どれも本当に「困る」ことなのですが、周囲がそれを理解していないと、「あいつ、何か変じゃないか…?」と疑われ、人間関係を難しくする要因になってしまうのです。しかし、この「困り感」を取り除けば、素直であったり、元気であったり、楽しい会話ができたりと「いいところ」は、いっぱいあるのですが、学校や職場という集団の中で生活していくには、多少の配慮を必要とするため、余計な苦労をすることになります。大人であっても、何となく「あれ…?」と思う性格の人がいると思いますが、余程のことがない限り、生活に支障が出るわけではありません。
「発達障害」という診断を受けた人の中には、知的には頗る高く、天才的な閃きを見せる人(子供)がいます。彼らは、外国では「ギフティ」と呼ばれているそうですが、IQ「130以上」の知能指数を示し、今の日本の学校教育には馴染めず、「浮きこぼれ」という状態になるという話を聞きました。IQが130以上という数値は、一般的な尺度から見れば「天才」に分類される人のことをいいます。芸能人の中でも「台本を一度見れば、人の台詞まで全部頭に入る」と語っていた人の話を聞きましたが、確かに天才肌の人の中には、そういう類い希な才能を持つ人がいるのでしょう。確かに、こういう天才型の人は、子供時代もその才能を発揮させますので、親にとって「育てにくさ」があったと思います。私たちが知っている子育ては、多くの経験の中で知り得た「知識」であり、常識です。たとえば、発語は〇歳、立ち歩きが〇歳、トイレが〇歳…という具合に、「〇歳ころ」がひとつの目安となっていますが、そうでない子供の場合は、親が心配になって当然なのです。しかし、脳の一部の発育が異常に進んでいたとしたら、どうでしょう。昔のアニメなら、そういう天才ベイビーが登場しても面白いものがありますが、現実に起きると、親も周囲も混乱すると思います。実際、既に日本以外の先進国では、こうした天才的な頭脳を持った人を政府が積極的に雇用し、サイバー攻撃に対応するための技術者として養成しているとのことです。日本のマスコミは、あまり詳細に報道しませんが、「サイバーテロ」などの用語は一般的に使われるようになりました。21世紀に入ると、世界中がネットワークでつながるようになりました。各国では、極秘情報はすべて紙媒体ではなく、コンピュータで管理されているはずです。そうなると、どんな情報も、現地に行かなくても「操作」ひとつで、密かに入手することも可能だということです。私たちの身の回りでも、個人情報保護といいながら、その多くがコンピュータ管理されているわけですから、それがサイバー攻撃を受ければ、個人情報はあっと言う間に盗まれてしまいます。最近でも「暗証番号」を盗まれて、預金通帳から現金がどこかに流れたという報道もありました。こうなると、コンピュータの扱いに不慣れな高齢者はたまったものではありません。日本も早く優秀な技術者を養成し、サイバーテロに備えて欲しいと思います。そういう点からも「ギフト」と呼ばれる人たちの活躍が待たれるのです。
第2の問題として気になるのが、「親子関係の希薄さ」です。
何も、虐待とまでは言えなくても、「愛着障害」とか「教育ネグレクト」という言葉があるように、幼児期に親の愛情をたっぷり受けることなく育ち、「情緒を司る脳」が十分に育っていない子供が増えているのではないかと心配しています。これは、言語(日本語)研究家や脳科学者などが、既に指摘されていることですが、幼児期の教育が、少しおざなりにされているような気がしてなりません。今の保育制度では、「0歳時」から受け入れ可能になっており、時間外保育も年々延長されつつあるのが現状です。休日でも保育可能な園もあり、働く母親にとっては確かに有り難いシステムなのだと思います。しかし、それではいつ子供は親の愛情を受けるのでしょう。
政府は、「一億総活躍社会」を目指すと言いますが、それは、少子高齢化の時代になって、「大人は、外に出て働いて欲しい」という政府のメッセージに他なりません。定年延長や年金支給を遅らせるなどの措置がとられていますが、肝腎な「乳幼児期・少年期」の子供たちには、あまり目が向いていないようです。さらに、現在の日本では「親と子だけの世帯」が普通になり、「三世代同居」は珍しくなりました。その上、離婚率が高まり「片親家庭」が激増しています。こうした中で、生まれた子供は、乳幼児の頃から保育園等で育ち、親の愛情を受ける機会がないまま成長しているように思います。もちろん、親世代にしてみれば、「今の社会で、精一杯生きている」という反論があることは承知しています。そのとおりです。だれもがそうなりたい…と考えて、今の状況があるわけではありません。しかし、子供の立場になってみれば、「いつも、一人ぼっち…」という感覚は拭えないでしょう。だれかに側にいて欲しくても、保育園では多くの子供を預かっている以上、子供が一人になる時間帯は多いはずです。そして、午後5時過ぎに母親が迎えに来ても、母親は忙しく動き回り、自分の話し相手になることもありません。まして、夜の仕事に就いている母などは、帰宅時間も遅く、朝も起きられないといった現実があります。また、再婚率も高く、子供にとっては、血縁関係のない父親や兄弟と暮らさなければならないこともあり、その苦労は察してあまりあります。古い考えなのかも知れませんが、子供は、母親を中心とした「家族の愛情」に満ちた中で生活するのが一番落ち着くと思うのですが、どうなのでしょう。もし、愛情不足が「発達障害」の原因になっているとしたら、早急に改善を図る必要がありますが、政府もこの問題を本格的に取り組む姿勢は見られません。女性政治家の方も多い時代ですから、この「子育て」については、有識者を募り、本格的に議論して欲しいと思います。今や、「リモート」での仕事が当たり前になりつつあります。もし、女性の仕事の何割かでも家庭でできるようになれば、それだけ、「子供と一緒に過ごせる」時間が増えることになるのです。
今は過渡期かも知れませんが、子育てを「教育・福祉」施設に任せるのではなく、家庭が中心となる「子育て環境」を整備し、学校(保育園・幼稚園)と家庭、福祉行政が常に連携を図ることのできる体制ができれば、少子化問題にも明るい未来が見えてくるような気がします。個人的には、子育てをする保護者には、「支援金の給付」や「減税措置」「就労の斡旋」、そして、福祉施設職員による「見守り支援」などを行って欲しいと思います。そうなれば、母親が子供に寄り添う時間が確保でき、よりよい親子関係が築けるような気がします。
第3の問題として、「ゲーム依存」「スマホ脳」といわれるような現代的課題があるように思います。確かに、「第五次産業革命」といわれるような「情報社会」が加速度的に進んでいることはわかります。しかし、それは「経済」や「産業」として考えた場合のことで、それによって人間の生活が豊かになったり、幸福度が増したりしているわけではありません。もちろん、生活が便利になり、以前より「煩わしさ」は減ったかも知れません。しかし、弊害が大きいのも事実です。昔、イギリスで産業革命が起こり、ヨーロッパ諸国は一気に工業国へと変貌を遂げました。そのお陰で、イギリスは「大英帝国」と呼ばれるまでに発展し、世界を支配するまでに成長しました。しかし、一方、産業革命は、世界の人々の暮らしを一変させてしまいました。欧米による工業化、近代化は、世界中に影響を及ぼし、「植民地主義」とか「帝国主義」という時代を迎えたのです。その結果、度重なる戦争が起き、世界中は大混乱に陥りました。無論、それによって利益を得た国や資本家はいたでしょう。しかし、その恩恵は一般庶民には届かなかったのです。日本が開国を迫られたのも、日本の意思ではなく、世界の情勢を考え、やむなく「開国」の道を選択せざるを得なくなったということであって、日本人が望んだ近代化ではありませんでした。国民にしてみれば、税負担は重くなり、その上、働き手を戦争に奪われ、挙げ句の果てに敗戦の憂き目に遭い、塗炭の苦しみを味わうことになったのです。戦勝国であるアメリカやイギリスも同様です。戦争に勝利したのは国としては、よかったでしょう。しかし、アメリカ国民に待っていたのは、度重なる戦争への協力でした。自分の息子が戦場に次々と送られて行く姿に涙した家族も多かったことと思います。イギリスは、辛うじて戦勝国になりましたが、その力は削がれ、今や昔の大国の面影はありません。結局、産業革命が起きても、人類が幸福になる保障はないと言うことです。ならば、今次の「AI・ロボット革命」とでも言うような「第五次産業革命」は、人々にどんな影響を及ぼすのでしょうか。
20年程前には、よく地方議会でも「電磁波」による健康被害の問題が取り沙汰されていました。「今の電気製品からは、この電磁波が出ており、子供の健康に問題がある」という主張です。確かに、それは全面的に否定はできないでしょう。だから、「使用頻度を控える」ことが勧められたのです。しかし、今やそんなことを言う人はだれもいません。学校も、政府が進める「GIGAスクール構想」で、子供全員にタブレットが配付され、リモート授業が始まりました。今や、コンピュータは子供の教具の第一位を占めています。学校でタブレット、家に帰っても宿題はタブレット。余暇を楽しもうとすると「パソコン・スマホでゲーム」。友だちとの連絡は、スマホを使っての「メール」でしょうか。さすがに、昔のように「テレビに齧り付く」子供はいなくなったようですが、その代わり、「パソコン(スマホ)ゲーム」は、もの凄い勢いで伸びています。今や、立派な大人でさえ、ゲームに嵌まり、電車に乗っても静かにスマホを開いているのが日常的になりました。ところで、「電磁波問題」は、どうなったのでしょう。もちろん、優秀なメーカーのことですから、電磁波を抑える工夫はされていると思いますが、長時間、明るい画像を見ていて、健康に問題が出ないわけがありません。家庭によっては、余裕があれば運動系の「習い事」をさせたり、昔ながらの「書道」や「算盤」の塾に通う子供もいるでしょう。しかし、それらは飽くまで各家庭の責任で行われることで、国の教育施策とは関係がないのです。つまり、日本では、電磁波問題は社会に何の影響を与えることなく、ほとんど無視され、今まで以上に電子機器は社会に広がって行くことになりました。しかし、そのために起こる弊害は、無視することはできません。今の段階では、「発達障害」が、スマホやパソコンに起因するとは断定できませんが、脳科学の専門家が警鐘を鳴らしていることだけは確かです。それ以上に、子供の孤立化の問題を考えたとき、せめて学校教育においては、「コンピュータ万能主義」にならないことを祈るばかりです。
最後に、日本の「障害児教育」の問題について述べたいと思います。
日本の障害児教育は、戦後になっても、世界の歩んだ道とは異なる道を進んでいました。世界の先進国では、日本より「人権」や「差別」意識に敏感でした。それは、各国共に人種問題があったからです。人種問題は、今でも深刻な差別問題として取り上げられ、公には「差別はない」ような建前になっていますが、実際はかなり残っていると言わざるを得ません。有色人種である日本人に対しても差別的な言動をする外国人の話はよく耳にします。また、知り合いの黒人の教師(ALT)と話をしていたとき、「日本人は、同じ有色人種だから信用できる…」と言われたことがあります。もちろん、例外なのかも知れませんが、今のアメリカでの騒動を見ていると、やはり「人種差別」は根が深いことがわかります。しかし、障害者に対してはどうなのでしょう。日本は、戦後、積極的に障害者に対しての政策を採ってきませんでした。もし、それが目に見える形で行われていれば、私たちが気づかないはずがないのです。それに、昔の大人たちは平気で「差別用語」を使い、それを咎める人もいませんでした。戦争が終わり、敗戦国になっても、人々の意識が急に変わるものではありません。子供のころから「当たり前」に考えていたことが、たとえGHQの命令だと言われても、心まで従属する人はいないのです。そういう意味で、障害者に対する意識も、けっして誉められたものではありませんでした。自分のことで言えば、近所に住む知的に遅れている同級生や貧しい鍛冶屋の子などに酷いあだ名をつけて、平気でばかにしていた記憶があります。心の底からそう思っていたわけではありませんが、「みんなが言うから…」という理由で、差別することが平気になる自分に対して嫌悪感を覚えます。実際、学校では「みんな仲良く」と言われながら、学校を離れれば、同級生に理不尽なことを言い、人を差別しても平気だったわけですから、私は人間として最低の行為をしていたのです。後に、様々なことを勉強して「差別」の怖ろしさを実感し、障害児と接することで、彼らの温かさや人間性に触れることができました。もし、そうした体験がなければ、今でも心の中に偏見を持っていたかも知れないのです。やはり、人間は何でも「体験」してみることが大切なのです。そういう意味では、この「差別問題」は、一朝一夕に解決できる問題ではなさそうです。
さて、戦後、日本は世界の国際会議の場で、日本の「障害児教育」の問題点を指摘されていましたが、当時の政府はこれを無視するかのように、日本の立場を説明するのに終始していました。新聞にも政府見解が大きく紹介されており、しばらくの間、日本政府は、独自の立場を貫こうとしていたことがわかります。おそらく、政府内でも議論されたはずですが、当時の政治家にとっても、どこに問題があるのか、理解できなかったのだと思います。それほど、日本人の障害児教育に対する理解は遅れていました。
外国の関係者が指摘した一番の問題点は、日本の「分離教育」にあります。昭和の時代も後半に入ると、日本でも、「健常者と障害者が区別されることはおかしい」といった論調が目立つようになってきましたが、それでも、「分離教育にも長所はたくさんある」と、政府は、従来の主張を変えようとはしませんでした。一度作られた「体制」を変えるのは至難です。国会等での質問に政府として答弁した記録は、政治家や官僚の考え方を縛るものです。たとえ、さらによい方法があっても、それを選択できないのが行政というものかも知れません。確かに、「分離教育」にも優れた点はあったと思います。当時としても、障害児教育には、通常の学校の数倍の予算をかけ、様々な設備投資をして、「養護学校」という特別な学校を設け、その指導に当たる教員は、特別な「免許」が必要でしたから、政府が「手厚い」教育を行っているという自負はあったと思います。もちろん、それは、だれもが承知していることです。そうではなくて、「障害者の扱い方の方向性が違う」と指摘されていることに気がつかないことが問題でした。日本のこの「特別扱い」が、分離教育を生んだのです。既に先進国では、「ノーマライゼーション」という言葉で、「障害の有無に関わらず、だれもが共に生活できる社会」を目指して取り組んでいました。日本でも最近では、「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」という言葉で、だれもが「困らない」環境づくりに配慮し、街を整備しています。今の時代で考えれば、当然すぎる考え方ですが、当時の日本は、それでも「分離教育」に固執したために、国際会議等の場で、世界から批判されるようになっていたのです。この「ノーマライゼーション」の考え方は、世界中に広まり、日本だけが次第に孤立する事態になって初めて、政府も慌て始めたのでしょう。これまでの主張を変え、世界に準じた障害児教育へと転換を図るようになりました。もう、時代は「平成13年」になっていました。感覚的には、「特殊教育」から「特別支援教育」、「養護学校」が「特別支援学校」に名称を変更したときからだったと思います。
最近、日本でも「バリアフリー」という言葉が日常語として認知され、日本も少しずつ障害者に優しい国に変わろうとしています。しかし、スタートが遅れたために、なかなか国際水準に追いついていけないのが現実です。確かに、ハード面は早く改善できますが、ソフト面となると、そうはいきません。日本人の長年培われてきた感覚ですから、少しずつ意識を変えていく時間が必要なのです。実際、平成13年から意識改革が行われてきたとして、日本人から「障害者は分離する」的な発想がなくなるのは、50年後でしょう。まだ、30年近くかかりそうです。これをせめて平成元年にスタートしていれば…と考えてしまいます。それでも、前に少しでも歩みを進められたことは評価すべきだと思います。昨年の東京オリンピックやパラリンピックにおいても、世界の選手が、その会場や選手村、ボランティアスタッフに感謝の言葉を述べていました。テレビ等でそれらの紹介はされていましたが、確かに、パラリンピックの選手にも配慮したすばらしい「環境」だったと思います。もし、今でも「分離教育」という考え方で、日本社会が動いていたとしたら、世界の人々はどう思ったでしょう。だれもが「自由に暮らせる社会」を目指しているときに、「障害者には、予算をかけて特別な施設を用意しています」的な発想では、どんなに環境に優れていても、それは「差別」に当たるのです。もし、障害のある人(子)も、ない人(子)も、分け隔てなく暮らせることができれば、本当に幸せだと思います。私も多くの障害を持つ子供と接して、あることに気がつきました。それは、人間にとって大切なのは、その「心」だということです。人間はだれしも、体に不自由を抱える時がやってきます。けがをすれば松葉杖が必要になります。眼を患えば眼帯が必要です。重い病にかかれば、手術や服薬も必要でしょう。さらに、年齢が上がれば老眼にもあり、足下も覚束なくなります。今、外に出て、点字ブロックや音の鳴る信号機、ちょっとしたベンチなどが有り難く、その小さな配慮が嬉しいことに気づきます。若いころは、段差があろうが、溝があろうが平気でした。しかし、還暦も過ぎて老人の仲間入りをするようになってからは、「バリアフリー」の考え方には、感謝しかありません。今は、小さな文字もよく見えなくなりました。そのうち、老人特有の病気になったり、けがをしたりすることでしょう。車椅子が必要になるかも知れません。認知症の心配もあります。それは、若い健常な人から見れば迷惑な存在かも知れませんが、やはり、分離されることは「疎外」されることなのです。どんなに立派な「高齢者施設」に入居しても、どんなに手厚い「看護」体制の中で生活しても、やはり、他の人と同じ空間にいたいのです。人間は「感情」で生きる生物です。理屈がどうあろうと、自分が「納得」若しくは「理解」できなければ、感情は動きません。障害児教育も同じです。「障害を持つ身」になって考える、「障害を持つ親の身」になって考えることができれば、人は今以上に優しくなれると思います。それは、教師も同じなのです。
この年齢になって、人間に大切なのは「人柄」「心ばえ」なのだと実感する毎日です。40年以上働いた職を離れ、一人の年金受給者になってみれば、できることは限られています。人と話すことも減り、友人も少なくなりました。それでも、私の側には妻がおり、成人した子供がいます。自分にとって残りの人生は、「余生」なのです。こうして生きてきて、また、昔と同じ「肩書きのない」一人の人間になりました。それは、まさに子供時代と同じです。では、子供はどんな子供が人に愛されるのでしょうか。勉強のできる子ですか、運動の得意な子ですか?。違います。「思いやりのある優しい子」が人から愛されるのです。この性格に障害の有無は関係ありません。私も多くの子供と接していて、そういう子供はきまって保護者である親が素敵です。障害を持って生まれたことは、親にとっても辛いことだったと思います。しかし、それを受け入れ、「この子のために頑張ろう」と前向きになったとき、人は成長するのです。そして、家族で一生懸命子育てに励んでいる家庭は本当に幸せそうです。そして、その家の子は、みんな可愛いのです。そんな彼らも成長し大人になりました。ある子は小さな町工場で働き、一人前の工員として給料を親に渡しています。ある子は、福祉の作業場でお弁当作りと販売をしています。ある子は、スポーツが得意で、今でも大会に出場して活躍しています。その子たちは、確かに障害者かも知れません。でも、明るく元気に生きています。仲間も多く、親たちも自分たちのネットワークを大切にして、交流を深めているそうです。日本語で「障害」という言葉は、とても重たい言葉です。しかし、彼らを知れば知るほど、自分にはその言葉が遠く離れて行くことに気がつきます。それは、何年も関わってきた「自分なりの成長」があった証拠なのだと思うようにしています。日本人が、「心のバリアフリー」を獲得するには、後、30年の年月が必要なのかも知れませんが、日本は、世界に先駆けて「人種差別撤廃」を国際連盟に訴えた国なのです。そういう自負を持って、差別のない国になって欲しいと願うばかりです。
第五節 学校制度の問題
学校の問題として、問題提起しておかなければならないのが、現在の「6・3・3制」の単線型の学校制度です。最近、政府が、「就学年齢」を早めるような意見をマスコミを通して公表しましたが、5歳で小学校入学というのは、如何なものでしょう。どこの学者が言い出したのかは知りませんが、小学校で「幼児教育」まで行え…と言われているようなもので、これでは、学校の負担は益々増え、「学校ブラック化」問題の改善に真剣に取り組む気持ちがないように感じられます。そもそも、小学校に入学する前提として「家庭」において、しっかりと躾がなされ、「幼稚園、保育園」の幼児教育の場において、「集団生活への適応」ができていることが暗黙の了解事項だったはずです。今から60年近く前の保育園では、先生方の指導は小学校以上に厳しく、徹底した集団での訓練を受けました。大きな声で、「はい!」と返事をする。「我儘」は言わない。「友だち」とは仲良くする。などの訓練は徹底され、できなければ容赦なく叱られました。これは、私自身の経験ですので、間違いないことです。私の通ったこの保育園は、地元の寺が運営しており、園長はその寺の住職が務めていました。そのために、私たちは、小学校に入学しても、最初から集団生活に適応しており、教師の指導は「絶対」だという価値観を6歳にして持っていたのです。これをすべて肯定するつもりはありませんが、「6・3・3制」は、そういう時代に始まっていることを忘れてはなりません。
また、就学年齢に達した子供は、役所からの「葉書一枚」で指定された学校に通わなければならないという制度も、如何にも昔風で、今時、「葉書一枚」で命令されるように学校が指定されるというのにも違和感を覚えます。もちろん、「教育の義務」が国民に課せられているのですから、保護者である親は、子供を学校に通わせるのは「義務」であることに疑いの余地はありません。したがって、この方法が間違っているわけではないと思います。しかし、これだけ世の中が「自由」とか、「人権」、「プライバシーの保護」などと言っている時代に、たとえ国民の義務だとはいえ、「葉書一枚」で子供の学校が決められるのは、乱暴なような気がします。せめて、事前に保護者の意思を確認するなり、「自由学区制」を認めるなりする工夫は必要でしょう。以前、東京都でそのような取り組みが見られましたが、全国に広がることはありませんでした。しかし、「学校を選択したい」という保護者や子供の意見は尊重するべきでしょう。政府にしてみれば、「多額の予算を使って各地域毎に学校を建設し、設備を整え、教員まで配置して子供たちを迎え入れる制度のどこが悪いのか?」と言いたくもなるでしょう。それは、行政側の立場としては当然です。しかし、今の「特別支援教育」と同じで、自分たちの論理が正しいと思っていても、時代と共に国民の意識は変わります。戦後間もなく、占領期の中で、アメリカの教育使節団によって提言された制度が、何の変更もされずに80年近く続いているのは、やはり異常としか言いようがありません。
さて、日本の学校制度は、明治5年の「学制」の発布によって始まりました。江戸時代までは、武士階級の子弟は、各藩(国)ごとに教育が行われ、優秀な人材を育成することは「国家繁栄の基」という意識がありました。江戸の昌平坂学問所(湯島聖堂)は、徳川家の学問所でしたが、幕府は、これを全国に開放し、各藩の優秀な人材はここで学ぶことができたのです。地方で「昌平坂学問所に留学できた」ということは、その藩のみならず、その家の誉れとして認知されていたのです。さらに、専門分野においては、今とは異なる「塾」によって、高度な教育が施されていました。たとえば、医学でいえば大阪(緒方洪庵)の「適塾」、佐倉(佐藤泰然)の「順天堂」、和歌山(華岡青洲)の「春林軒」などが有名です。他にも吉田松陰の「松下村塾」や広瀬淡窓の「咸宜園」などが知られています。また、一般の子弟は、全国的に広がっていた「寺子屋」で学び、当時の日本の識字率は、欧米と比べても、かなり高かったといわれています。明治維新という革命が成功した理由のひとつに、江戸時代までの教育があったことは否定できません。明治政府は、幕藩体制を批判することで政権を保とうと考えましたが、大きな「日本」という国の制度を改革するには、明治政府には人材が乏しく、結局は、「賊軍」として差別的に扱ってきた徳川家や旧幕府方の優秀な人間を登用するしかなかったのです。先年、NHKで渋沢栄一が主人公のドラマが放映されましたが、彼は「農民階級」の出身で、それも徳川慶喜に仕えた幕臣でした。それでも、明治時代の日本の産業界を担った人物として、この人の名を出さないわけにはいきません。つまり、明治時代になって人材が育成されたのではなく、既に江戸時代に育成されていた人材によって新しい時代を築くことができたのです。しかし、残念なことに、明治政府はその江戸時代の教育方法を踏襲することはありませんでした。
明治政府は、明治5年に「学制」を出して日本の近代的な学校制度を整えましたが、飽くまでも外国の学校制度に倣っただけのことで、日本の独自性は失われていました。確かに、就学率は上がったという記録はありますが、中味を見ると「富国強兵政策」に都合のいい教育制度だったように思います。当時の日本政府は、「とにかく近代化を急がなければ列強の植民地になってしまう」という危機感でいっぱいでした。それは、自分たちが起こした明治維新というクーデターの動機が「攘夷」なのですから当然と言えば当然です。要するに教育も目的は「富国強兵」ですから、現代のように「人格の完成」や「個性の尊重」などは二の次でした。国民に学校で学ばせる目的は、軍隊であれば、「命令に忠実に従う強い兵隊」を作ることにあります。民間であれば、「会社に奉仕する労働者」を作ることにあったはずです。戦後でも「企業戦士」などという勇ましい言葉があったくらいですから、軍隊であれ、企業であれ発想は同じです。そして、就学を勧めるために、「学問は立身出世の道」だと教えたのです。
これは、教育の本来の目的からすれば、邪道というものでしょう。今の教育基本法にもあるように、教育の目的は、その人間が「人として成長する」ことを目指すべきもので、「富国強兵」や「立身出世」のためでは、国民は政府に利用されているようなものです。「教育を施す」という言葉がありますが、政府の役人にしてみれば、国民に教育を施してやるのだから、その代わり、国民は、「国に忠実に奉公するのが義務だ」とでも言いたかったのではないでしょうか。この傲慢さが明治政府以降の政府に受け継がれました。その結果、日本は近代化を成し遂げ、富国強兵政策は一見成功したかのように見えましたが、その弊害は昭和の軍閥政治を見れば明らかです。結局、だれもが自分にとって都合のいいような政治を望み、国民を望むのでしょう。力があればあるほど、その既得権にしがみつき、大局を忘れるのはどうしてでしょうか。実際に政治や軍を動かした政治家や官僚は、少年時代は「最優秀」の折紙のついた日本のエリートと呼ばれる人たちでした。だれもが尊敬の眼差しで見詰め、「ああなりたい」と願った憧れの目標たる人物なのです。それが、判断を誤り「国家滅亡の淵」にまで追いやるような、大きな「過ち」を犯してしまうのですから、「教育が如何に難しいか」が、わかるというものです。いくら多くの人が、その時代の価値観に合わせて評価をしても、元々の「価値観」が間違っていれば、その評価も怪しいと言わざるを得ません。そこに気づかない限り、日本に未来はないと思います。
明治時代は、日本にとって、まさに「有事」対応の時代でした。世界の帝国主義の波に波込まれないように必死に防波堤を造り、国内に目を向ける余裕もなかったのです。それは、教育においても同様で、「富国強兵」さえ完成すれば日本は世界の強国となり、世界と対等に生きていけると思ったとしても仕方がないことです。そのために、「教育とは…」という哲学も持たずに明治の教育は始まりました。もちろん、それを否定するものではありません。当時とすれば、それ以外に方法がなかったこともよくわかります。この間に起きた国内外の戦争を遂行することは、政府の人間にとっては、まさに「薄氷を踏む」思いだったはずです。しかし、その思想は、大正、昭和という新しい時代を迎えても転換を図ることはできませんでした。せっかく、大正時代初期には、民主主義や自由主義の思想が入って来たのですから、有事体制から平時体制へと舵を切ることは可能だったのです。しかし、その貴重な時間も軍人や政治家の圧力によって無駄に費やされてしまいました。結局、軍隊は大きくなったまま「軍縮」もできず、国際条約も批准できないまま、「富国強兵」政策は継続されたのです。その結果、日本は世界の帝国主義の波に飲み込まれ、関東大震災や世界大恐慌が起きると、問題を国内で解決することができず、世界との軋轢を生む結果となったのです。
次の転換のチャンスは、戦後にありました。日本は「富国強兵」政策を次の時代に変えられなかったために失敗し、敗戦の憂き目を味わいましたが、敗戦後、もう一度、教育を見直す機会が訪れたのです。それは、連合国軍による占領政策が終わった昭和20年の末期にありました。確かに、この7年にも及ぶ占領期間に日本の教育は大きく変えられましたが、それは日本の「富国強兵」時代の終焉を意味していました。ところが、今度は日本の戦後復興という「富国政策」が待っていたのです。軍隊がなくなり、「強兵政策」はなくなりましたが、「復興」という別の意味での「企業戦士政策」が誕生してしまったのです。そして、占領軍(GHQ)の残した「6・3・3制」がその後押しをしたのです。この単線型の学校体系は、「戦後価値観」を指導する上で非常に有効に機能しました。いわゆる「東京裁判史観」の教育の徹底です。これにより、日本人は「大東亜戦争」というアジア解放戦争を戦ったはずなのに、いつの間にか「太平洋戦争」という侵略戦争を起こした張本人として裁かれ、日本人としての「誇り」を失ってしまいました。そうなると、残された道は、「復興」と「経済発展」しかありませんでした。そのために、教育は「没個性化」の道を選択したのです。思い出してみてください。昭和30年~40年代は高度経済成長期の真っ只中にあり、多くの若者が「集団就職」という形で、都市部の工場に労働者として雇用されていきました。まさに、戦争中の「勤労動員」のようです。中学校や高等学校には、軍服のような黒の「詰め襟服」と「セーラー(水兵)服」が採用され、入学と同時に男子は頭を丸め、女性は「三つ編み」が奨励されたのです。この時代は「管理教育」の全盛時代で、学校では普通に教師による「体罰」が行われていました。それは、主に軍隊経験者によってもたらされたと思います。私の中学校時代も体罰は日常茶飯事に行われ、男性教師は陸軍の内務班時代に覚えた体罰を行っていたのです。それは、まるで新兵を鍛える上等兵のようなものでした。さらに学校では「集団訓練」に力が入れられ、運動会ともなれば、小中学校では一糸乱れぬ「入場行進」が名物行事でした。オリンピックでも日本選手団だけが整然とした入場行進を行い、世界との違いを感じたものです。そして、生徒は「偏差値」でその能力を評価され、「偏差値の低い生徒」は、それだけで、学校の中では劣等生だったのです。
こんなことを書くと、戦後の教育をすべて否定しているように見えるのかも知れませんが、私自身が受けてきた教育ですから「嘘」は書けません。そして、その教育が「一定の成果」を挙げたことも事実なのです。確かに、日本からは軍隊はなくなりましたが、軍隊で行われていた教育は、歪な形で戦後の「学校」という教育機関に受け継がれていました。社会は、まさに高度経済成長のバブル期のころです。こうした教育を受けて学校から送り出された人々は、次の「企業」という管理された社会に適応していったのです。それは、おそらく「絶対的な価値観」だったと思います。大人たちは、会社人間となって工場で働き、自分が叶えられなかった夢を子供に託しました。それは、管理された社会に適応し「出世」することです。そのためには「学歴」は絶対条件だったのです。特に進学率が高まると、「大学」進学に大きな期待が寄せられました。「大学さえ出れば、出世は約束される」という神話は、いつの間にか現実であるかのように国民は思い始めていました。親世代は戦争中に「碌に勉強もできなかった…」と言うのが口癖でした。だから、「平和な時代に、思い切り勉強させてやりたい」と、その夢を語ったのです。しかし、それは、明治時代の「立身出世主義」教育と同じです。そのためには、子供一人一人の「個性」は関係ないのです。よく、当時は「平等主義が蔓延った」と言われますが、それは、考えてみれば当然です。そもそも、管理教育を行う理由は、「個性を隠し、全体のために奉仕する人間」を育成することにあります。したがって、能力は「社会が期待する能力」が欲しいのであって、その人間の持つ「個性」に期待する人はほとんどいませんでした。それでも、強烈な個性を持つ人は現れます。ただし、それは、ほんの一部の恵まれた才能を持つ人のことで、学校教育で育てるものではありませんでした。そういう人は、この当時の「学校」に対して相当な反発を持っていたはずです。とにかく、自分という人間を隠し、従順に大人の言うことに従い、社会に出れば上司の命に背かない人間こそが、「求められる日本人像」だったのです。
元々、日本の学校制度は複線型で、様々なオプションが用意されていました。明治時代に「学制」が発布されたと言っても、江戸時代の塾や寺子屋に馴染んでいた当時の日本人が、簡単に新しい学校制度に順応するはずがありません。教科書では、日本の学校制度を「近代化の第一歩」と賞賛しますが、国民はどう思っていたのでしょうか。先にも述べましたが、江戸時代の教育は、まさに「個性化教育」でした。「寺子屋」にしても、様々な専門分野の「塾」にしても、志のある人間がその門を自分で叩くのです。だれかに強制的に入れられるものではありませんでした。したがって、その選択は自分の「個性」に従うしかないのです。そして、学問が苦手な者は「職人」になりました。今でも「手に職をつける」という言い方をしますが、「技術」も学問と同じような価値を持っていたことがわかります。それも「個性」なのです。当然、学校設立も容易で、戦前でさえ、黒柳徹子氏が書いて有名になった「トモエ学園」もそんな個人経営の学校でした。今では、学校は個人で設立することは不可能です。なぜなら、義務教育制度が完備された日本では、たとえ、学校という形を整えても文部科学省が認可しないからです。しかし、人間は本来「個性的」であるべきです。だれもが、国が定めた「学校」という形に適応できるわけではありません。もちろん、それを国として整えて置くことは大切なことです。しかし、「それ以外の学校は認めない」という頑なな姿勢は、未来の日本にとって有益だとは思えません。今でこそ政府は「個性重視」を謳いますが、今の「学校」という体制の中で子供一人一人の個性を伸ばすことは、だれが考えても無理なのです。その無理を承知で「やれ!」と命じるのであれば、それができる体制に本格的に取り組む必要があります。それには、予算も人員も今の数倍はかかることでしょう。
もし、政府がこれまでの学校体制を変革し、個性重視の教育に転換しようとするならば、やはり、単線型の「6・3・3制」を見直し、戦前のような「複線型」に変えていくべきです。今の学校体制が歪なのは、小学校から高等学校まで「普通教育」に偏り過ぎていることにあります。さすがに、高等学校には普通科以外の専門学科がありますが、その数は少なく、それを指導できる教師もあまり養成していないというのが現実です。今も中学校では、「専門教科」を専門の免許を持った教員が指導することになっていますが、現実には、それらの教師の採用が少なく、他教科の教員が臨時免許等で指導しています。たとえば、美術科や技術家庭科などの免許を持つ教師は少なく、子供のニーズに応えることができていません。こうした弊害が起きるのは、やはり、日本人の思考の中に、「普通科目重視」があるからです。高等学校も「普通科」専門の学校は多く、工業科、商業科、農業かなどの専門科のみの高等学校は僅かしかありません。おそらく政府は、「国民のニーズがない」とその理由を説明すると思いますが、それは、戦後、長年「偏差値教育」を推進し「大学進学」に価値を置きすぎた弊害で、子供たちが希望していないわけではないのです。その証拠に、全国にある特色ある専門科(調理、デザイン、コンピュータ等)の競争率は高く、普通科で欠員ができる学校でも、専門科は常に定員以上に志願者が集まってきます。もちろん、高校卒業後に工業高等専門学校や民間の各種専門学校、専門性の高い学科を持つ大学等に進学することはできますが、年齢を考えれば、既に成人年齢に達しており、子供の個性(興味関心)に応えているとは言えません。
たとえば、複線型であれば、小学校卒業と同時に専門教育が受けられる中学校を選ぶことができます。中学校教育ですから、当然、専門教科の他に普通科教育が必要ですが、その比率が専門教科に重きが置かれていれば、生徒の意欲を維持することができるはずです。事実、専門科に入学した高校生の退学率は低く、その後の進路もその道に沿ったものになっています。就職する生徒も、自分の夢を叶えようと、自分の身に付けた技術を基に「修業の道」に励んでいると聞きます。これからの時代は「AI革命」とか「ロボットの時代」といわれるように、益々、コンピュータ社会が加速し、昭和時代のような工場での既製品の「大量生産」は行われなくなります。そこで働く労働者も、自分の手足を使った労働ではなく、オートメーション化されたコンピュータやロボットを操作し、管理する側に回るはずです。そして、人は、管理しやすい均質性の高い人が望まれるのではなく、「個性的で創造的な人」が必要になってきます。今でもコロナ禍の影響で、毎日会社に出社する制度を無くし、自宅で勤務する「リモート化」が加速度的に進んでいます。さらに、テレビコマーシャルでも「転職サイト」が有名な俳優を使って製作され、連日放映されるようになりました。少し前なら、大人たちは挙って「石の上にも3年」「辛抱がないから転職するんだ」と転職する人間に問題があるかのように発言していました。それらの大人は「終身雇用」と「退職金制度」に守られた幸せな人たちばかりです。自分が会社をくび(リストラ)になった経験があれば、そんなことは言えないはずですが、終身雇用時代の人たちは、今の時代の現実を知りません。それは、人生の先輩として、とても残念なことです。これだけ見ても、昭和時代の求められる人材と令和の時代に求められる人材が大きく違うことに気がつくでしょう。そういう時代を迎えながら、学校教育だけは、戦後とまったく変わらない内容と考え方で行われているとすれば、それは国民の支持を失うことは明白です。既に、学校には多くの要望が寄せられています。これを、その「学校の教師だけで対応しろ」と言うのは、そもそも無理な注文であり、国として方針を示さなければならない国家規模の問題だという認識が必要なのです。
ここで私が提案できることは、まずは「学校認可の門戸を広くすること」です。最近では、高等学校においては「通信制高校」が拡大し、子供のニーズや状況に応じて学習保障ができる学校が登場しています。これらの高校では、通学する日が少なく、自分でそれを選択することもできます。また、パソコンを使ってのリモート授業も多く、無理なカリキュラムに自分を合わせることもありません。もちろん、これも子供の個性やニーズに応じてのことですが、拡大しているということは、保護者や生徒のニーズに合っている証拠でもあります。それなら、これを小中学校に拡大しても無理はないはずです。学校も厳しい認可制度を緩め、今の民間の学習塾でも意欲のある経営者であれば、審査の上、小中学校として認可することも可能になります。通信制高校を運営している会社も参入してくることでしょう。こうした「教育の開放」が進めば、参入する企業や個人も増え、「選択できる」学校制度となり得るのだと思います。
令和という時代に入り、日本社会も成熟期を迎えようとしています。戦後、日本人に与えられたアメリカ型「民主主義」という思想は、もう変えようがありません。そして、その民主主義には、「人権」も大切ですが、何より個人として「自由な選択」が認められなければなりません。職業を選ぶ自由、学校を選ぶ自由、結婚の自由、居住地選択の自由…と、私たち日本人は、社会の秩序を乱さない限りにおいて、個人の「自由」が保障されていると考えています。もし、これが否定されるのであれば、それは民主主義という思想自体が誤りだったということになります。既に世界の国の多くは、「民主主義国」ではありません。日本を取り巻く周辺諸国においても、中国、北朝鮮、ロシアと国境を接する国々が、「非民主主義国」です。そのことを日本人はもう一度考えてみるべきです。つまり、民主主義は物事を「多数決」によって決める制度です。その国の人々全員が賛成するような法律や制度ができるはずがありません。それを話し合いによって意見を調整し、最終的には多数派の意見で決するという制度は、如何にも時間がかかります。そして、少数派の意見は尊重はされますが、その意見が法律になることはないでしょう。そうなると、不満を持つ人が現れるのも民主主義の姿です。しかし、一方。非民主主義国では、その手続を省くことができます。つまり、最終判断は、その国を代表する「党」や選挙で選ばれた「大統領」若しくは、世襲で代表者になった「独裁者」が、決裁権を持ちます。今、ロシアは隣国のウクライナに攻め入り、侵略戦争を行っていますが、これができるのもロシアが民主主義の手続きがないからです。中国がチベットやウィグルの人々を弾圧しても国内的に問題にならないのは、民主主義の要である「人権尊重」の概念がないからです。国民にとって、どちらがいいのかわかりませんが、日本人にとって、歴史的にも「独裁」的なリーダーは嫌われますので、やはり、「調整」型のリーダーを擁する民主主義が肌に合っているのだと思います。
「学校制度」というものは、その国の教育の基盤を作るものです。日本は明治時代以降、「富国強兵」政策を採用し、忠実に「国家に忠誠を尽くせる人材」を育てました。そして、それは、一時期に限っていえば成功しました。しかし、政府はそれに甘んじ、時代が進んでも、新しい教育政策を生み出すことができませんでした。戦後は、敗戦によって「富国強兵」政策はなくなりましたが、代わって「復興・経済成長」政策が主流となりました。特に、この「経済成長」政策は、今も、尚、続けられています。しかし、これからの日本に大きな経済成長が訪れるとは思えません。世界がグローバル化していく中で日本だけで利益を独占することは、国際社会が許さないからです。それでも、マスコミは常に経済成長を期待して、総理大臣や時の政府を責めますが、もう時代が違うことに気づくべきでしょう。これまでは、時代と共に日本の特色ある産業が、日本経済を支えましたが、これからの日本に「基幹産業」と呼べる産業が生まれるのかは、甚だ疑問です。既にコンピュータ関連産業は、ハードもソフトも外国企業に敗れ、世界の後塵を拝しています。自動車産業も電気自動車の発達によっては、日本の優位性はなくなるかも知れません。そういう中で、教育は何を目指せばいいのでしょう。既に「富国強兵政策」を目指すような教育は時代遅れになりました。学歴主義、偏差値教育も、それほどの価値はありません。大人が管理しやすく従順な子供を育ててても、そんな「没個性」の人間を必要とする産業は少ないのです。つまり、今の学校体制の価値観で「優秀」な生徒も、未来の価値観に照らせば「凡人」にもなれないかも知れないのです。戦後、80年近くも「6・3・3制」の学校体制で行われた日本の教育も、真剣に見直すときが来ているような気がします。
第六節 教師の奮起
「学校の教員の質」は、大丈夫か…? 。教員採用試験の競争倍率が報道されるたびに必ず話題になるテーマの一つです。最近の競争倍率の低下は、これまで以上に拍車がかかっている現状があります。それは、学校の教員の勤務実態が公になってからのことです。これまで、政府も国民も教員の勤務実態などに興味はありませんでした。大人にとって「学校」という存在が身近でありながら、それを否定するような論調が見られるのには理由があります。それは、「学校」だけが戦後民主主義時代の中で、取り残された存在だったからです。そもそも、教育というものは「普遍性」がなければなりません。単に学力(知識)を高めるだけならば、学校以外の場所でもできるはずです。しかし、「社会性」や「人間性」「道徳性」といった、人間として生活していく上での「良識」を学ぶためには、学校は絶対に必要な機関なのです。まして、未成熟な子供を預かり一人前の大人にしていく作業は、親以上に苦労の多い仕事です。子供は、大人のように「取り繕う」ことができません。感情がストレートで、トラブルは日常茶飯事です。大人でさえ人間関係に苦労し、様々なトラブルを起こしているのに、子供だけが大人にとって都合のいい「いい子」であるはずがないのです。学校では、そのたびに教師に厳しく指導され、泣いたことがある子もたくさんいたはずです。そして、少しずつ成長し、親や教師が叱った「意味」を悟るのです。しかし、教師も人間です。感情的に叱ったり、子供の話も碌に聞かずに決めつけたり、過去のことを持ち出して責めたり…と、子供にとってみれば理不尽なことも多かったと思います。だから、子供が成人後に、学校や教師に対して複雑な感情を抱くのはやむを得ないと思います。中には、学校や教師に「恨み」に似た感情を持つ者もいるでしょう。それは、子供の教育を司る「学校」や「教師」の宿命だと思います。
こうした複雑な感情を抱く学校や教師に対して、今の人たちが、素直に「感謝」する気持ちが持てるのでしょうか。大人になればなるほど、そのころの自分を「反省」することよりも、親や教師の自分に対する「接し方や態度」が気になるものです。それに、子供時代に覚えていることと言えば、誉められたことよりも叱られたことの方が多いはずです。子供は自分が幼いために、あまり深く物事を判断して考えることが苦手です。相手のことや周囲のことよりも、つい「自分の感情」が優先されがちです。そのために、親や教師に叱られることになるのですが、自分の犯した失敗よりも、「自分の心が傷ついた」記憶の方が強く残るものです。そして、そうした嫌な「思い出」は、ずっとその人につきまとうのかも知れません。もちろん、「すばらしい経験をしたお陰で今がある」と自信を持って答えられる人はいるでしょう。しかし、比率的に見れば、学校や教師を「疎ましい存在」と考える人の方が多いのではないでしょうか。こうした感情を大人になって以降も持っているとすれば、教師の不祥事に対して社会が寛容であるはずがありません。まして、今の時代のように「叱ることよりも誉めること」が優先される社会では、「子供の心に傷を残す」ことは許されないのです。そうなると、学校や教師の不祥事は、他のだれよりも許し難い問題になります。これは、社会的地位がある人ほど顕著に現れる現象でしょう。
新聞やテレビ等で報道をされると、社会は、「学校は、何をやっているんだ?」「教師のくせに!」と非難することを躊躇いません。もちろん、人間として許せない事件や事故は、そう思われて当然ですし、それを教訓として学校や教師も反省しなければならないでしょう。しかし、これを機会に日頃の鬱憤晴らしをしている人も大勢いるはずです。今の時代は、とにかく「人権」という言葉で、強い指導を拒否する傾向にあります。もちろん、行き過ぎが問題なのは承知していますが、少し厳しい指導をしただけで、「パワハラを受けた」と感じる人が多くなったのではないでしょうか。「昔がすべてよかった…」と言うつもりはありませんが、よかれと思って指導したことが、「パワハラ扱い」されるのなら、たとえ「よかれ」と思っても口を噤むのが当然の心理です。特に子供時代は、「叱られる」ことも「子供の権利」だと私は思います。学級の中で、子供同士の喧嘩があったり、差別的ないじめがあったりしても、担任教師が厳しく叱りもせずに、諭すばかりでは子供たちの信頼を失うことは間違いありません。教師は、常に「正義」を貫く信念がなければ、人を導くことなどできるはずもないのです。それが、周囲の目を気にして、日頃の態度を変えるのであれば、子供の希望は失われます。「この先生だけは、自分たちを守ってくれる」と信じていた教師に裏切られたショックは計り知れないのです。しかし、未熟な教師は、世間に迎合して「叱らない教師」を演じようとします。そして、自分の指導に自信を失っていくのです。
今の時代、保護者である親でさえ、子供を叱らなくなりました。親は子供の最大の理解者になろうと努力し、子供に寄り添うことが親としての「理想の姿」になりました。そして、子供の話をよく聞き、大人として理解ある姿を見せることが、「親」としてのあるべき姿だと考えるようになったのです。こうした考え方は、昭和の時代にはあまりなかったように思います。昭和のころは、大人は理不尽な存在であり、家庭内での飲酒や喫煙は当たり前でした。子供は親には逆らえず、軽い体罰は日常茶飯でした。子供にとって怖ろしいのは、「地震・雷・火事・親父」と言われ、悪いことをすれば、親父に叩かれ、場合によっては押し入れや物置に放り込まれるのは、当たり前でした。昔の「サザエさん」にも、そんな場面はたびたび登場してきます。しかし、今はどうでしょうか。そんなことを世間に知れれば、間違いなく「児童虐待」で通報されることでしょう。昔は「これも愛情を持った躾なんだ!」という言い訳が通用したと思いますが、今は、「無自覚な親」というレッテルを貼られるだけのことです。教師も同じです。「地震・雷・火事・親父」に次いで、子供が怖ろしかったのは、「先生に叱られる」ことだったと思います。確かに、子供時分はいたずらもしましたし、いじめもありました。しかし、親や教師に露見して叱られれば、それを続ける勇気はなく、それで決着は着いたのです。今の時代は、親も教師も子供を「誉めて伸ばす」時代だと言われています。それが、どんな効果をもたらすかは、今後の彼らの「人生の生き様」にかかってくると思いますが、傍から見れば、親も教師も「弱くなった」と見えることは間違いありません。さて、そこで、これからの学校や教師には、どんな力が必要なのか考えてみたいと思います。
(1)教員免許状という資格
日本の教員免許状は、ほとんどの大学で、教職に関する単位さえ取得すれば貰える仕組みになっています。これも戦後の教育改革のひとつでした。それまでは、教師になるのはとても難しく、旧制の中学校に相当する「師範学校」で学ばなければ、正式な教師とは認められませんでした。もちろん、臨時教員として教壇に立つ道はありましたが、「師範学校」という敷居は高く、学ぶ生徒も「教師になる」ことを目標として頑張っていたのです。当然、「学費は免除」の待遇を受け、男子は徴兵で軍隊に入ることがあっても、他の兵隊より短期で除隊することができました。そのため、家が貧しくても「官費」で賄える師範学校なら進学する道はあったのです。それくらい、教育に携わる仕事は、社会の重要な仕事として認知されていました。ただし、それによる弊害もありました。昔も「学校の先生」は、子供たちの憧れの職業であり、女性にとっても自分の可能性を確かめられる自立した職業でした。しかし、ここでも明確な序列があり、若い教師には発言することを遠慮するような雰囲気すらあったと言います。まして、師範学校出とそうでない学校の出身者では、その序列も違い、あからさまな差別につながりました。これでは、まるで軍隊と同じです。こうした差別感は、明治時代以降の日本社会に強く残された課題でした。しかし、それでも教師は、「特別待遇の職業」という社会の評価に変わりはありません。周囲から「先生」と呼ばれるだけで身を引き締め、人々の模範になろうと努力する人も多かったのです。しかし、敗戦により、社会の教師に対する眼は、時代と共に変わっていきました。
まずは「敗戦」です。それまで教師は、国に命じられた尊い職業という意識がありましたから、国策に対しては従順でした。寧ろ、国策を応援し、子供たちを励まし続けたのは事実です。戦争中は、各中学校では、軍隊に入る生徒の多さを競い合ったと言われています。まさに、今の受験合格者数を競い合うのと同じです。中には、生徒に檄を飛ばし、半強制的に志願するように仕向けた学校もあったといいますから、教師が如何に国策に従順で支援する組織だったかがわかります。ところが、いきなりの敗戦によって、教師の誇りは著しく傷つけられました。GHQの命令によって国史や修身の授業は停止され、その他の教科も都合の悪い部分は墨で黒く塗って使用することを命じられたのです。また、国策に協力して生徒を戦場に送った多くの教師は、敗戦によって自分の仕事に自信を失い、教壇を去った人が多かったといいます。当時の警察官や軍人なども、肩身の狭い思いをしたといいますから、敗戦が如何に日本人の心に大きな傷を残したかがわかります。
教員の資格も、師範学校が廃止されたことで、各大学で教員免許状を取得することができるようになりました。それでも、師範学校の流れを汲む大学の「教育学部」が、専ら教員養成の中心になっていきました。戦後の特徴として、短期大学が多く設立されたことです。今では短期大学は期間が短く、取得できる資格も少ないことから、全国的には大学に吸収されたり、その役割を終えて学生の募集を停止した学校も多く、今はかなり少数になりました。この短期大学では、小学校の教員免許状が取得できました。そのために、地元で小学校の教員を目指すような人は、短期大学で免許を取得し、地元の都道府県に採用された人が多かったのです。特に女性の場合は、民間と違って長く勤められることも魅力のひとつでした。このころ、民間企業では「寿退社」と言われるように、結婚をした女性は退職を勧められるケースが多かったのです。戦争に敗れて民主主義国として改革が進んだと言っても、昔からの習慣はなくなりませんでした。そうなると、20代後半で会社を退職し、家に入らなければなりません。しかし、短大、大学まで卒業し、キャリアを積もうにも「寿退社」を余儀なくされれば、女性の地位が上がるはずがないのです。その点、学校の教師は、あまり寿退社の習慣がなく、産休、育休と呼ばれる特別休暇を取得した女性教師も職場に復帰し、活躍しました。もちろん、家庭と職場の両立が大変なことは、言うまでもありません。「子育て」が専ら女性に役割のように言われていた時代です。その両立は、男性や周囲の理解がなければできるものではありませんでした。それでも、50歳の年齢を迎えるころには「肩叩き」という言い方で、退職を勧告されました。そのため、定年まで働いた人は少なかったようです。
この時代は、教師も二通りの人がいました。方や「教育に情熱を傾けて熱心に子供に向き合う教師」です。ちょうど、壺井栄原作の「二十四の瞳」がテレビドラマや映画化され、人気を博したころのことです。内容的には反戦映画のジャンルになるのでしょうが、それよりも「若い女性教師と子供の心の交流」が丁寧に描かれ、感動を呼びました。その後も何回か制作されましたが、初回の物が一番よかったと思います。この映画に登場してくる「大石先生」のように、「子供に寄り添う教師」が理想とされていました。それは、本当に実の親以上の愛情を持った教師像でした。私自身も、この「二十四の瞳」を読んで、教師になってもいいかな…と思った一人です。私の知る女性教師の中には、家に「印刷室」なる部屋を作り、学校の勤務が終わると自宅に帰り、夕飯の支度、子供の世話、次の日の準備を済ませた後、この印刷室で作業をしてプリントを作成するのです。それも自主的に毎日行っているのです。おそらく、管理職もそのことは知らなかったと思います。もし、知っていたとしても咎めるようなことはできません。寧ろ、「教師の手本」として評価していたのではないかと思います。こういう、「子供のために寝食を忘れる」といった行為は、教師にとって「美談」でこそあれ、時間外勤務などという発想はどこにもありませんでした。まさに、リアルな「大石先生」を見る思いがします。それは、本当にこの先生の「真心」からくる子供への愛情であって、教師としての「職務」とは、また違う感覚だったと思います。それだけ、社会も子供も貧しかった時代のことです。もう一方に、左翼的な考え方が強く、常に「戦う姿勢」を見せる教師がいました。組合活動にも熱心で、若い教師へのオルグも率先してやっていました。とにかく、子供を管理することが嫌いで、「子供は自由に、のびのびと育てるんだ!」と主張し、戦争は「人殺しだ!」と言ってしまうような教師たちです。そういう人たちは、他校の同じ思想の仲間と連携しており、かなり言動も過激でしたから、管理職と対立することは屡々でした。それでも、特に保護者から苦情もなく、教師という仕事を全うできたのですから、よい点もたくさんあったのでしょう。
要するに、教員免許状は確かに「教師」になるために必要な許可証ですが、教師の質とは何の関係もないということです。つい最近まで、教員にだけ「免許更新制」という名で、更新講習が義務化されていましたが、これを考えた人は、教師という仕事がまったく理解できない人たちだと思います。教師には、もちろん「研修」は必要です。そして、研修もしない人が教師になってはいけません。そもそも、教師には「研修権」が認められてるだけでなく、法律で定められた「義務」でもありますから、文部科学省でも各自治体においても年間計画に基づいて「研修」の機会は設けられています。それでも、まだ不足だとばかりに「免許更新制」を設けるのは、政府や政治家が「教師」を信用していない証拠でもあります。公が認めた制度で教員免許状を取得し、各自治体の採用試験を受けて教壇に立つ資格を得た教師が「信用できない」のなら、それは政府が定めた法律や規則が破綻していることを自ら宣言しているようなものです。だから、国民も教師を信頼せず、マスコミと一緒になって過度な要求をし続けた結果が、今の「学校ブラック化問題」として現れました。世界の中で、これほど学校や教師を政府や国民自らが貶めた国はないでしょう。それでも、日本の教育に学ぼうとする国はたくさんあります。①清掃の行き届いた学校・教室、②規律正しい授業、③礼儀正しい子供たち、④みんなで食べる給食、④みんなで行う清掃活動…などは、今でも誇るべき日本の文化なのです。それは、政府やマスコミが創ってきた文化ではなく、日本の教師たちが、戦前からずっと守り続けてきた「学校像・教師像」に他なりません。これを否定されては、日本の学校教育は間違いなく崩壊します。
ところで、近年、小学校教員免許状を取得できる大学が異常に増えました。以前は、旧師範学校が大学に移行した教育学部か、短期大学が主でしたが、教員不足が生じた際に認可されたのでしょう。しかし、新設の教育学部には、それまでの実績とノウハウがありません。そこで学んだ学生にしてみても、教員採用試験に受かるための講義は受けたかも知れませんが、「教師とは…」といった哲学はどこまで学んだのでしょうか。実際、学校の教師が「授業」をして、「カリキュラム」をこなすだけなら、それもいいでしょう。しかし、教師としてやらなければならないのは「学級担任」です。この「学級担任」という仕事が教師としての生命線なのです。大学で都道府県の「教員採用試験」に合格するための授業を受けても、現場ではまったく通用しません。今の「学校ブラック化問題」で、大学の教育学部への志願者も減っていると聞きますが、安易な気持ちで教師を目指しているとすれば、早々に別の道を選択された方がいいと思います。「学級担任」は、30人以上の子供との生身の勝負の場です。それは、家庭の親よりも過酷な厳しい世界です。家庭ですら、一人か二人の子供を満足に育てられないのに、なぜ、学校で30人以上の子供を正しく導くことができるのでしょう。こんな当たり前のことがわからないから、「学校ブラック化問題」も解消できないのだと思います。要するに、「教師」とは、教員免許状取得して都道府県に採用されたから教師なのではなく、「常に子供に寄り添い、子供の将来のことを真剣に考えて行動できる人」が「教師」と呼ばれるべきなのです。
江戸時代、寺子屋の師匠は浪人であったり、僧であったりしたそうです。おそらくは、子供のいる長屋の大家にでも頼まれて、寺子屋を始めたのでしょう。このころの武士や僧は、教養人、知識人として知られていました。子供のころより漢詩や論語を学び、その学問はかなりのレベルに達していたはずです。たとえ「浪人者」と言えども、大名家に仕官しなければ「武士」に戻ることはできません。また、多くの檀家を抱える僧の修業は深く、檀家の人々を納得させるだけの行動を取らなければ、寺自体が滅びてしまいます。そうした人間だからこそ、子供に「人の道」を説き、生きるための知恵と技を教えたのでしょう。もちろん、教員免許状などある時代ではありませんが、それが「人のため」になるのなら…と引き受けたに違いないのです。明治時代初期、幕藩体制が崩れると、そうした寺子屋は廃れてしまいました。しかし、子供に学ぶ場は必要です。大人たちも寺子屋に代わる学びの場を求めていました。そして、できたのが「私塾」と呼ばれる学問所でした。政府は、「学制」を発布し、義務教育制度を始めましたが、寺子屋の経験をしている大人たちは、そんな学校より「私塾」を選ぶ人も多かったと言います。そして、それを教えたのが、地域の知識人たちだったのです。学校制度が整うに従い、それらの私塾は姿を消していきましたが、明治の人々にも江戸時代の「学び」は継承されており、我が子に知識と教養を身に付けさせるのは、親の使命と心得ている人が多かったのです。教科書的に言えば、「親の教育への関心が低く、就学率を上げるのに明治政府は苦労していた」とでもなるのでしょうが、日本人は子供を単なる労働力として見ていたわけではありません。イザベラ・バードが書き残したように、「子供を可愛がり、子供の成長を願う親」が、教育を怠るはずがないのです。学校や教師は「公」だからレベルが高いのではなく、「私」であっても、質の高い教育は行われていました。有名な「松下村塾」「適塾」「順天堂」「春林軒」「咸宜園」などは、すべて「私塾」です。そして、教えた吉田松陰も緒方洪庵、佐藤泰然たちも教員免許状など持っていません。今の時代のように「免許」「資格」にだけ拘るのではなく、それは制度として取得するだけのことで、それを取得した後の「努力」こそが、教師としての資質だろうと思います。
さて、それでは、教師に求められる能力には、どのようなものがあるのでしょうか。ここに並べて見たいと思います。
1 授業を適切に指導できる知識と技術。
2 子供の発達に応じた心理学の知識。
3 適切な相談ができるカウンセリング力。
4 様々な病気やけがの予防に関する知識と技術。
5 災害時への対応と危機管理能力。
6 強い意思と自己管理能力。
7 教育に関する法律の知識と理解。
8 適切に処理することのできる事務能力。
9 高いコミュニケーション能力。
10 どんな長時間労働にも耐えられる気力と体力。
思いつく順に書き並べれば、その10項目がすぐに頭に浮かびました。要するに、教育のプロとしての高い専門性が求められ、国民の大多数の期待に応えられない教師は、社会から淘汰される運命なのです。これは、大学で学んできただけの学生には、けっして理解できないと思います。誤解のないように言いますが、それは「学生が悪い」と言っているのではありません。「学生気分のまま教師になってはいけない」という教えだと思ってください。つまり、「学生時代」というのは、社会からしてみれば、「子供扱い」されている期間のことです。この日本では、「子供は誉めて伸ばす」のが原則ですから、大人は、できる限りその子供の長所を見つけ、それを誉めて伸ばすことで、全体的な力をつけさせようとしています。さらに、学校は「偏差値」によって序列が決まっています。難易度の高い大学の学生は、その学生の人柄や能力を知らなくても、「高い評価」の印象を持ちます。したがって、それが就職にも有利に働くことはだれでも知っています。しかし、学校を卒業して社会人になれば、学校名よりもその「仕事」で評価されるのは当然です。仕事で高い評価を得た人が、たまたま難易度の高い大学の卒業生であれば、だれもが、「やっぱり…」と納得できるのですが、期待を裏切られれば、失望感しか残りません。それは、おそらく就職して1年で評価は定まるものと思われます。これは、どんな仕事に就いても同じことです。その現実をしっかりと受け止めて、「教師」という仕事に没頭してほしいと思います。
現役の学生の多くに尋ねると、教師を志す動機が「子供が好きだから…」とか、「いい先生に巡り会ったから…」といった情緒的な理由を語る人が多いように感じます。本当にそれでいいのでしょうか。採用試験の面接官にはそれでいいのでしょうが、そんな情緒的な発想では、現実の教師は勤まりません。もちろん、そういった動機があるから教師を目指すのでしょうから、一概に否定はできませんが、現実の世界を目の当たりにしたとき、そこで、どう踏ん張れるかが、その教師の持つ隠された「才能」が発揮できる瞬間だと思います。それでは、ここで、先の10項目について、私なりの解説してみます。
1 授業を適切に指導できる知識と技術
学校で教師の仕事の中心は、日々の「授業」を行うことです。当たり前のことですが、一日、5時間(単位時間)から6時間が教科等の授業に充てられています。毎日のことですから、小学校の教師であっても、かなり幅広い知識は必要になります。小学校では、国語科、算数科、社会科、理科、生活科、体育科、図画工作科、音楽科、家庭科、外国語科、道徳科の各教科の他に、「総合的な学習の時間」がカリキュラムに組み込まれています。低学年では社会科、理科の代わりに生活科が置かれていますが、どの教科でも十分に指導できなければ、「小学校教師」としての使命を果たすことができません。さらに、内容的には1年生から6年生までの年齢差があり、内容もそれに合わせて高度になっていきますので、教師にはかなりの学力が求められているのです。それに、子供の中にはかなり高い学力を持つ者がいたり、学力的には厳しい者がいたりします。学級の中にいる30人の子供の学力差は大きく、どの子にも「楽しく理解」させることが、教師に求められていますので、「自分がわかる」程度の知識と理解度では、到底授業にはなりません。多分、小学校5年生の算数を教えるためには、中学校2年生程度の数学の知識がなければ、子供のニーズに応えるのは難しいと思います。また、学級には様々な面で配慮を必要とする子供が複数は在籍しており、その子供への支援も欠かせない指導となっているのです。
小学校と中学校の授業は、子供の成長がありますので、同じような「一斉授業」に見えても、指導方法には大きな違いがあります。特に小学校は「問題解決的学習」といわれるように、「説明調」で「問題を解く」学習は馴染みません。学習塾なら、試験問題を「解く」方法に特化して指導できますが、小中学校は「考える学習」が基本になります。問題を解くだけなら「解法」を覚えたり、「例文」を解いたり、ひたすら「暗記」をしたりすればできます。これは、飽くまでも、「子供の努力」で補う部分であり、授業としては成立していません。「授業」と呼ばれる以上、教師の意図に基づいた「学びの追究」が必要でしょう。しかし、「なぜ、どうして…?」といった思考を伴う授業を行うには、後に子供が納得できる「論理的な説明」が必要になります。たとえば、国語科では物語文を学習するとき、その「一文」に拘って議論させることがあります。そして、その一文から「作者の気持ち」や「登場人物の気持ち」を読み解くのです。単純に「文章が読める」とか、「漢字を覚える」のが国語科のねらいではありません。そうなると、教師は、その物語に精通した上で、子供たちを納得させるだけの「解釈論」を持っていなければなりません。それができないと、子供の知的好奇心を刺激して、その「物語を味わう」レベルにまで深めることができないのです。子供たちは、元々「勉強が嫌い」なのではなく、本気になって学んだ経験がないために、勉強の面白さに気づいていないだけのことなのです。要するに「覚えるだけの授業」では、子供たちの集中力を高めることもできず、子供たちから「先生の授業はつまらない…」という評価を下され、教師は信頼を失っていくのです。
最近では、中学校でも小学校で行っているような「問題解決的学習」が行われるようになってきましたが、45分(中学校は50分)の授業をテンポよく進めていくためには、教師自身の相当の勉強が必要なのです。文章には「起承転結」があるように、授業においてもそれはあります。①問題把握(導入)、②予想(仮説)、③調べる(読む・考える)、④話し合う(議論)、⑤まとめる、⑥応用する(一般化)といった過程で学習は進んでいきます。この「学習の流れ」が教師だけでなく子供にも理解されていると、その授業はスムーズに進み、子供は集中して学習に取り組むことができるのです。その間に教師が「資料提示」をしたり、「問い」を投げかけたり、「評価」したりすることは当然です。これを経験のない大人に「やれ」と言っても、絶対にできません。だから、大学の教師には無理なのです。さらに、小学校1年生だからといって、その教材に精通していなければ、子供が幼いだけに相当に難しさを感じるはずです。教師を批判する人は、一度、1年生が使用する教科書を見るとすぐにわかると思います。たとえば、国語の教科書には見開きのページに「絵」しか描かれていません。しかし、その単元では、子供たちに「言葉」を教えなければならないのです。さて、30人の1年生を前に45分間授業をして、子供たちに言葉を習得させることができるでしょうか。自信のある方は、どうぞやってみてください。子供は、最初から、黙って座っているわけではないのです。楽しければ「楽しい」と表現しますが、つまらなければ、忖度抜きに「つまらない」と態度で示します。そもそも、「つまらない」と言われたら、もう、どうしようもないのが授業なのです。いくら教壇の前で大声で注意をしても、つまらないものを変えるマジックはありません。きっと、その場に立ち尽くし、だれかの助けを求めるはずです。これでは、教師は失格です。よく、授業参観に来る保護者が、授業がつまらないと勝手にお喋りを始めます。それは、大人でさえ自然の行動なのです。確かに「失礼」な行動ですが、教師にも問題があります。大人がつまらないと感じるものは、子供も「つまらない」と感じ、子供がつまらないと感じているものは、大人も「つまらない」のです。だったら、大人も子供も楽しくなるような授業を工夫するしかありません。そこに、教師としての「研修」の必要性が生まれるのです。要するに、たった45分間の授業をやるだけでも、その単元に精通した上で学習問題を考え、①思考させる場面、②作業(自力解決)させる場面、③話し合わせる場面、④説明させる場面と、多様な活動が詰まっているのです。授業を知らない人は、「講義」を黙って聞くのが授業だと思ってしまうかも知れませんが、この技術を習得するために、教師は日々研修を積んでいるのです。
2 子供の発達に応じた心理学の知識
子供を理解することが、親や教師には大切なことですが、大人は、子供の発達をほとんど理解していないと思います。子供が生まれて育てるのは、ある意味当たり前のことですが、わかってやっていると言うよりは、「多分、こんなものだろう…」という感覚でやっているはずです。もちろん、子育ては「人間の営み」の基本ですから、あまり理屈で考えるのではなく、これまでも経験やその人の感覚で行うものなのでしょう。しかし、現代は、昔ほど単純ではありません。環境も違いますし、周りとの関わりも複雑化しています。それに、そもそも、若い親には「経験」がありません。昔であれば兄弟も多く、女性であれば何らかの形で「子守り」なども経験して、乳幼児の特性に気づいているものですが、少子化の現在、母親が「子守り」などの経験は皆無でしょう。それを、「子供ができたから何とかしろ…」というのは、無謀なような気がします。それだけに、親自身の勝手な思い込みで子育てをすることは、非常に「危険」な一面も持っているのです。最近の児童虐待などは、その典型です。虐待問題で逮捕された母親を見ていると、意外に、生まれた当初は我が子を可愛がり親として愛情を注いでいることがわかります。やはり「母性」は、こういう人物にも備わっているのでしょう。しかしながら、人間は日々成長していきます。そして、一人の人格ができてくれば、子育てはさらに難しくなります。親にとって都合のいい「子育て」などありません。マニュアルがあるわけではありませんので、「こうして欲しい…」と願っても、子供は無邪気に反応するだけです。若い母親にとって、自分の感情が通らなくなったとき、これまで、どう対処してきたのでしょうか。おそらく、子供のころから感情コントロールが苦手で、上手くいかないときは、それを放置するようなことがあったのではないでしょうか。これが、もし、子育て中に起こったら、それは間違いなく「虐待」という形になってしまいます。そして、そのまま子育てを諦め、我が子を放置すれば、子供は生きていくことはできません。「子育て」とは、本当に難しいものなのです。
子供は「愛情」によって育つ…と言われますが、周囲から愛されて育った子供は基本的に素直です。なぜなら、自分の周囲には「危険」がないからです。人間は、母親の胎内で十月十日過ごし、この世に誕生してきます。しかし、人間としては胎内にいたときから、一人の人間として存在しているはずです。ならば、この「十月十日」は、非常に重要な期間でもあるはずです。他の動物は、この世に生まれ出てすぐに立ち上がり、母親から離れないように自分で行動すると言われています。それは、自分の周りには「危険」が多く潜んでいるからです。しかし、人間は、その強さによって「天敵」に侵されないために、自立するまでの間、親たちによって保護されるのです。これは、自然界の摂理であり、人間だけに与えられた特権なのでしょう。ところが、この「保護」されるべき期間に多くの危険に晒されたとしたら、子供は健全に育つのでしょうか。これは、けっして能力の問題ではありません。危険を察知した乳児は、おそらく周囲が驚くほどに「泣き叫び」、食事も口に入れないかも知れません。暴力や暴言を受けた乳児は、心を閉ざし、言葉を発しなくなるかも知れません。これが、人間が持つ「防衛本能」です。乳児だからといって、心がないわけではないのです。
子供のころに、苦みのある野菜が苦手だったものが、大人になって好きになることがあります。これは、子供のころは「口に入れてはいけないもの」を感じる味覚が鋭敏だからだそうです。体が未成熟な時期ですから、体に害を及ぼすものは排除しなければなりません。それも「防衛本能」のひとつだと言われています。それでも、好奇心が先に立ち危険な行為をすることがありますが、それを見守るのが、大人の役目でもあります。このことは、食べ物でなくても言えることです。「危険な匂いのする大人」を排除するのも、子供の「防衛本能」です。子供は基本的に用心深く、知らない人間に無闇についていくことはありません。だから、見知らぬ人が善意で言葉をかけても、子供から見れば「不審者」でしかありません。よく、ボランティアを始めたような人が、「せっかく親切でやっているのに、今時の子供は挨拶もできない!」と怒る人がいますが、私はこう返すことにしています。「どうか、一年も続けてくだされば、きっと子供と仲良くなって、いろいろな話ができるようになりますよ…」と。つまり、「邪」な気持ちを持つ人間が近づくと、子供なりに敏感に危険を察知し離れようとします。それでも、危険が身近に迫ると感じれば、泣いたり騒いだりします。それを大人は世間体を気にして、「静かにしなさい…」と、子供の我儘のように思って窘めますが、子供にしてみれば、身の危険を感じているからこその行動なのです。ところが、泣き叫んでいた子供が、母親があやそうと側に寄り、その胸に抱かれた瞬間に泣き止み、穏やかな表情に変わります。これこそ、母親だけが持つ「母性」なのでしょう。幼い子供にとって「母親の匂い」こそが、最も「安全」な場所である証拠でもあるのです。こうした心理を理解しないと、子供を理解することはできません。
では、こうした「母を求める」心理は、乳幼児期だけなのでしょうか。とんでもありません。それは、おそらく人として生きている限り続く、人間の本能だと思います。よく、戦場で兵士が最期を迎えたとき、「母の名を叫ぶ」と言いますが、わかるような気がします。大人になれば、母を恋しいと思う気持ちは薄れ、心の奥底にしまい込まれますが、その思慕の思いは消えてなくなることはありません。そして、その母親との思い出が温かいものであればあるほど、子供は母を裏切ろうとはしないものです。しかし、その母親に自分が「裏切られた」と思ったとき、人間は絶望感に苛まれ、自分を信じることもできなくなるのでしょう。それくらい、「母親の愛情の記憶」は人間を支えるのです。子供は成長と共に、その人格を形成していきますが、そんな乳幼児期の「愛情」こそが成長の鍵を握るのだと思います。
教師にも、やはり乳幼児期の体験があり、親に愛されて育った人とそうでない人がいます。そして、その後の環境要因によって、その人の思想や考え方ができてきます。こればかりは、試験によって判別できるものではなく、その教師自身の「個性」となって現れてくるものでしょう。しかし、ひとつだけ言えることは、やはり、愛情深く育てられた教師は、やはり、我が子にも教え子にも「愛情」を持って接することができるという事実です。この「愛情」こそが、教師としての基本なのです。現在は、教師に求められる能力が非常に高くなり、教師を評価する観点も、情緒的な「愛情」よりも、その「技術」の有無にあることが多いような気がします。「コンピュータが上手に扱える」「英語力がある」「心理学を学んだ」などの技術力はその教師の大きな武器になります。しかし、根本的な部分で、「人が人を導く」ためには、人間的な「魅力」が絶対的に必要ですし、愛情は欠かせません。どんな高度に発展した時代になっても、人間が「動物」である以上、その本能を磨くことは重要なのだと思います。
子供は、大人の知らないうちに成長していきます。「いつまでも子供だ…」と思っていたら、親や教師を客観的に評価し、自分なりの行動を取るようになります。そのうち、親や教師を批判する目を持つようになり、大人が子供に期待するような「素直さ」はなくなっていきます。それを嘆く親や教師がいますが、それは単に「大人にとって都合のいい子供」が欲しいだけのことで、子供の成長を喜ぶ感性に乏しいことを表しています。子供も人間ですから、そういった「自我」に目覚め、周囲を客観的に見る目が育たなければ、一人前の人間に成長できるはずもないのです。子供の成長段階を承知していれば、それを喜び、「ちゃんと成長している…」と安心して、その後の計画を立てればいいのです。このとき、教師は子供を一人前の人間として扱い、子供に話すときも、保護者や一般市民に話すときと同じように丁寧にわかりやすく話すべきでしょう。このとき、いつまでも自分が上の位置にいて命令調で指示を出したり、不親切な言い方は子供の反発を招きます。何も子供は、その教師の好き嫌いでそのような態度を取るのではなく、自分を「一個の人間」として扱ってくれないことに反発をしているのです。9歳、10歳までは命令調でよかったかも知れませんが、11歳以上となれば、それは子供に失礼というものです。「親しき仲にも礼儀あり」というように、教師だからこそ、この切替ができなければ、子供の信頼を得ることは難しいと思います。そして、賞罰をしっかりつける「公平性」が大切です。誉めるべきときはしっかりと誉め、叱るべきときは、教師としての懲戒権の範囲で叱ることが、「公平・公正」を保つための心得になります。
3 適切な相談ができるカウンセリング力
教師が、学級担任ともなれば「子供の悩みに向き合う」場面が多く出てきます。大人はすぐに、「悩みがあれば、相談するように…」というメッセージを出したがりますが、子供にしてみれば、だれに相談すればいいのでしょう。親ですか、教師ですか、それとも専門のカウンセラーでしょうか。どれも間違いです。正解は、「信頼できる人」なのです。それが、たまたま親や教師であれば幸せですが、その子供にしてみれば、「友だち」や「先輩」ということも十分にあり得ます。まして、親や教師にとって都合の悪い「友だち」や「先輩」だとしたら、問題は解決どころかさらに複雑化していきます。大人は常に「自分は子供から信頼されている」と思いたいのですが、現実は、そんなに甘くありません。子供にとって「優しい」から信頼するわけではありません。たとえ、厳しくても、その子供が「納得する答え」が出せる人が信頼できる人であって、いくら相談しても「間違い」ばかりでは、二度と相談することはないでしょう。
子供にしてみても、世間的には「格好はつけたい…」と思っています。自分の恥を晒してまで、悩みを解決して欲しいとは思っていません。また、親がしゃしゃり出て学校の教師に文句を言って欲しいとも思っていません。飽くまでも「自分のプライド」は守りつつ、適当な「落としどころ」を見つけて「解決」したいのです。たとえば、友だちにいじめられたりしても、人には言いたくはありません。親にだって知られたくないのが本音です。でも、助けてももらいたい…。さて、そんなとき、教師に何ができるのでしょうか。社会は、「教師は万能」であって欲しいと思うかも知れませんが、子供の世界に入り込むことは、とても難しいのです。この問題を解決できるとしたら、それは、教師自身が常に「正義の人」であることを子供たちに知らしめ、「強いリーダー」であることを示しておかなければなりません。しかし、今の社会はリーダーに「強さ」を求めてはいません。もちろん、「弱いリーダー」でも困りますが、世間的な理想論で言えば、「思いやりがあって、優しい先生」が万人受けするのであって、「俺について来い!」型のリーダーはほとんど消えてしまいました。しかし、いじめのような厄介な問題を解決するには、調整型や思いやり型のリーダーでは、解決は難しいでしょう。なぜなら、こうしたリーダーは「平時型のリーダー」であって、「有事型のリーダー」ではないからです。簡単に言えば、「本気で叱れるリーダー」に子供はついてくるのです。確かに、子供にとって「叱られる」ことは嫌なことに決まっています。それが誤解に基づく叱責であれば、その教師を恨みに思うかも知れません。そして、その悔しさを親に告げれば、親はその教師に苦情を申し立てる可能性もあります。「うちの子は、何もしていないのに叱られた。酷く傷ついている。どう責任を取るんだ!」などという台詞をよく耳にします。こうなると、公務員である教師は弱く、原因の追及どころではなくなり、立ち所に管理職共々謝罪に追い込まれるでしょう。教育委員会から強い指導を受ける可能性もあります。そうなれば、この教師は面目を失うことになるのです。だったら、敢えてこんなリスクを背負いながら、問題解決に当たろうとするのでしょうか。それは、あり得ません。教師が問題から逃げれば、その時点で「教師失格」のレッテルが貼られ、だれからも信頼されなくなるのは目に見えています。だったら、そう言われない教師になるしかありません。そのためには、最初から「調整型」や「思いやり型」の教師を目指さないことです。子供の前では常に「自分は正義を貫く人間である」こと、そして、「常に公平、公正であるように努める」こと、「善悪をはっきりして、悪を正す」ことを宣言して教壇に立つことです。
よく「カウンセリング力」と言われますが、前提として、こうした教師の姿勢が明確でなければ、いくら「カウンセリング」の手法だけを学んでも、それが有効に働くことはないでしょう。そして、もし、いじめのような行為を犯した子供がいた場合、しっかり「叱ってやる」ことです。たとえ親が同情した言い方をしたとしても、「悪いことは悪い!」と叱らなければ、次の一歩が踏み出せません。ただし、「悪い」のは「行為」であって、その子供の「人格」ではないのです。「君の行為を私は許せない。私が叱るのは、その行為であって、君自身ではない!」「君は、本当は心根の優しいいい人間だということは、教師である私が一番よく知っている。しかし、今回の行為は、卑怯だ。これを今反省しなければ、君は一生後悔することになる」「だから、よく考えて欲しい」と諭すことでしょう。その上で、よくよく話を聞き、そうした行為に及んでしまった心情を汲み取ってやることです。
そもそも、子供は、みんな暢気に生活しているわけではありません。大人以上に気を遣い、苦労をして生きている者も大勢います。その子供もきっとそれなりの苦悩を抱えていたのでしょう。そこには同情を寄せて、「君も苦労をしているんだな…」と子供の気持ちを理解してあげることです。そして、一緒に泣いてやることができれば、きっと、本人は自分のやってしまった行為を悔い、謝罪の言葉が自然と出てくるはずです。そして、いじめられた子供を呼んで、謝罪させてやることで、もう一度、いい人間関係が築けるのだと思います。これは、調整型のリーダーにはけっしてできない解決方法です。教師自身が、宣言どおりの人間であることを常に見せているからこそ、子供は、教師の言葉に納得するのです。今や、カウンセラーは特別な心理学を学んだ「資格」として、多方面で活躍をしていますが、子供理解は、親以上に接している教師だからこそできるものだと思います。それは、カウンセラーという資格以上に有効に働くことがあるのです。
4 様々な病気やけがの予防に関する知識と技術
子供は、幼児期に入ると幾度も病気にかかり、親たちを悩ませます。子供が熱を出せば、仕事を休まなければならないのですが、それが言い出しにくい雰囲気があるのも日本の社会です。日本という国は、「親切で思いやりのある国」というイメージを外国人は持っているかも知れませんが、それは「お客様」に対してだけのことで、「身内」になれば、そうでもありません。特に職場では、「迷惑をかけない」ことが一定のルールですから、子供のことで「休みたい…」というのも、言い出しにくいものがあります。それでも、熱を出して苦しんでいる我が子を放っておくこともできません。子供だって、そんなことは、よくわかっていますから、少しくらい体調が悪くても、「だいじょうぶ…」と親に声をかけてしまうのです。親も、「このくらいなら、大丈夫かな…?」といった判断をしがちで、いざとなれば「保健室で寝ていればいい…」と考える人も結構いるのではないでしょうか。特に日本の場合は、「風邪」が風土病のように流行し、年末から春先にかけては「インフルエンザ」が猛威を振るいます。ここ数年は、新型コロナウィルスが蔓延し、インフルエンザの流行はなかったようですが、どちらにしても厄介な病気であることは間違いありません。今回のコロナ騒動のように、発熱が見られても主治医に診て貰えないとか、適切な治療薬がなく市販の解熱剤で回復を待つといった治療方法では、不安が消えることはないでしょう。だから、余計に気を遣って過ごすことが多いのです。
学校の教師は、感染症予防もありますが、常日頃から、子供のけがについては万全を期す必要があります。登下校時の交通事故、校内での「ケガ」、友だち同士の喧嘩による事故、そして、修学旅行や自然教室などでの不注意による事故等、教師が万全を期して対応してきたつもりでも、起きる事故は様々です。そして、特に気をつけたいのが、「頭部(首から上)」に関するケガです。学校でよく起こる事故は、転んだ拍子に頭を床や地面に強打することです。これを安易に考えていると、後に「頭部骨折」の診断が出たり、「脳内出血」などで命に関わったりする危険性を孕んでいますので、養護教諭や校長の判断だけに頼らず、教師自身が自分の目で確認し、不安があるのなら至急「かかりつけ医」に搬送することをお勧めします。もちろん、救急車という方法もありますが、タクシーを利用すれば「公的」には問題ありません。その上で、保護者に連絡し、医師の診断は保護者自身に確認してもらうことです。本人の不注意によるものであれば、保護者に事情を丁寧に説明し、「学校の管理下での事故」として手続きを行えば問題になることはありません。しかし、「これくらい、大丈夫だろう…」と学校だけで判断し、保護者への連絡が遅くなれば、ケガ自体が大したことはなくても、保護者からの信頼は失われます。後から苦情を言われるかどうかの問題ではなく、「子供優先の適切な措置」と「保護者への丁寧な説明」そして、「素早い手続き」が、信頼を得るための最善の方策なのです。
次に、気をつけたいのが「校外学習」での事故です。教師は計画を立てる際に、昨年度の計画を参考にすることがあります。同じ計画での行事であれば、それは当然でしょう。しかし、現地で確認をしないまま実施をすることはお勧めしません。なぜなら、現地の状況は1年で大きく変わっていることがあるからです。そのために「下見」を「出張扱い」として行わせているはずです。担当教師は、子供が行動するルートを確認して、安全を自分の目で確かめた上で計画を行わなければなりません。昨年度と同じ季節で同じルートでも、その日の天候が違えば、子供の行動はかなり制限されたものになるのです。まして、自然(山、海、川)が相手の場合は、二重、三重のチェックが必要です。これまでの校外学習での事故で多いのが「遭難」事故です。「海で遊ばせていて、沖に流される」、「登山中に滑落してケガをする」、「登山ルートを間違えて道に迷う」などで子供が死亡する事故が度々起こっています。そして、後でわかったことは、計画が杜撰だったことです。「まあ、これくらい大丈夫だろう…」という安易な姿勢が事故を招いています。まして、子供の装備は貧弱です。軽登山程度でも、普段着に運動靴、雨具も安価なビニルカッパでは、余程天候に恵まれなければ実施は不可能ですが、これを気持ちだけで「やらせたい」と考える教師がいることも事実です。事故は、起きてから反省をしても手遅れなのです。十分な下見と計画、そして装備を整えて実施してこそ、「安全を確認した」と言えるのです。
5 災害時への対応と危機管理能力
病気やけがの安全確保の他に、自然災害等に関する安全確保も教師の重要な仕事です。近年でも、震度5以上に及ぶ地震、火山の噴火、線状降水帯の出現による豪雨、台風に雷雨、竜巻など、もし、その場に子供がいたとしたら、どう対処してらよいか常日頃から考えておかなければなりません。子供自身にも、常に「守って貰える」と信じるのではなく、「自分の命を自分で守る」意識を持ち、咄嗟に「何をすればいいか」ということを考えさせておくことが大切です。特に、教師にとっては、校外学習や自然教室などの体験型の学習を実施する際に大きな危険が潜んでいることを忘れてはなりません。やはり、教師自身に登山経験があったり、何回も自然教室等の引率をした経験のある教師には敵いません。少しでもハイキングや軽登山をした人ならわかると思いますが、その装備品は非常に優秀な物が揃っています。衣類にしても靴にしても、値段は様々ですが、それらを買い揃えるだけで危険度は2割は軽減されるはずです。
次に、日常的な「安全のための訓練」を行うことが必要です。最近の学校出は、「ワンポイント避難訓練」などが行われているようですが、その際の、集合の仕方」や「集中して話を聞く態度」「大きな声を出す訓練」など、実際を想定した訓練でなければ意味がありません。年に数回の避難訓練時に拡声器を持ち、ストップウヲッチで校庭に集合する時間を計る訓練をしている様子が見られますが、どれも「授業中」に行われています。子供たちは教師の指示を素直に聞き、無言で避難することを求められますが、これでは、効果としては「30点」くらいなものでしょう。第一、災害は「授業中」に起きるわけではないのです。「いつでも、どこでも」起きるのが災害です。子供が一人の場合だって関係ありません。教師も「訓練のための訓練」をしているようでは、子供の「安全」どころか、自分の安全すら確保できないでしょう。まして、避難訓練とは言え「拡声器」がなければ、子供に的確な指示が出せないでは、どうしようもありません。それなら、日頃から「大声」を出す訓練をしておけばいいのです。そして、子供に話を聞かせる際には、「1回」以上同じ話は不要です。避難は「一瞬の判断」が重要になります。東日本大震災のときも、各自の一瞬の判断が生死を分けました。その場に立ち止まり、躊躇している時間が長ければ長いほど危険度は増大するのです。そうなると、たとえ子供といえども、指示は「1回」で理解できるように訓練するべきでしょう。そして、常に集中して話を聞くように訓練しておき、「いざ!」という時に備えておければ、危険度は3割は軽減できるはずです。
東日本大震災時に「てんでんこ」という昔の言い伝えが評判になりました。これは、「万が一の時は、怯まずに一人でもいいから逃げろ!」という教えです。確かに、この言い伝えは、まさにその通りです。しかし、現実的ではありません。大災害時に何が起きるかというと、だれもが「パニック状態」に陥るということです。もの凄い衝撃的な事実に出くわすと、人間は「腰を抜かす」といった状態になります。そんなときに「一人で逃げる」という冷静な判断ができるはずもありません。人間が「火事場のばか力」が発揮出来るのは、「だれかを助けたい!」と思うような強い動機付けが必要です。たとえ、自分の腰が抜けても、助けなければならない「教え子」がいたら、教師は身を挺して子供を守ろうと走るはずです。親であってもそうすることでしょう。そのとき、間違いなく「足が動く」のです。したがって、普段の訓練の中では、「自分だけ逃げろ!」と教えるのではなく、「弱い人に声をかけて一緒に逃げろ!」と教えます。それは、自分より年下の子供でもいいし、高齢者でもいいのです。とにかく、「自分の役割」を明確にすることで「足は動く」のだと思います。それだけ、「一人」というものは怖ろしく不安なものだということを忘れてはなりません。
教師には、そうした「安全」に関する知識や経験、指導技術なども身につけておいてほしいものです。特に、子供たちには、避難訓練を行う場合は、「真剣勝負」で臨ませたいものです。「なんだ、いつもの訓練か?」と遊び半分で訓練に参加しても、まったく意味がありません。災害が襲ってくるということは、そこに「命の危険」が迫っていることを意味しています。あの東日本大震災以降、教科書にも「自然災害」が大きく取り上げられるようになりました。もはや、「怖いものから目を逸らす」のではなく、たとえ、「怖ろしい」ものであっても、自分の身を守るためには、背けてはならない現実があるのです。たとえば、3月10日には「東京大空襲」を指導し、3月11日には「東日本大震災」、8月6日・9日には「広島・長崎への原爆投下」、8月15日には「敗戦」、9月1日には「関東大震災」、12月6日には「大東亜戦争の開戦」と、日本が被った歴史的事実を子供たちに伝え、「命の尊さ」や「平和の有り難さ」を実感する授業を行うべきなのです。そして、教師は何度でも、辛い経験を話してやるべきなのです。教師自身が経験をしなかったことでも、研修をすればわかります。教師が「辛い現実」から逃げては、子供の「命」を守ることもできなくなることを肝に銘じておくべきです。
6 強い意思と自己管理能力
学校の教師は、一度その職に就くと、人から「先生」と呼ばれることになります。これは、確かに有り難い尊称でありますが、教師にとって、非常に大きなプレッシャーになるのも事実です。医師や弁護士などもそうなのかも知れませんが、特段、高い席に祀られているようで、最初の頃は、「居心地が悪い」と感じるときもありました。また、教職員の不祥事が報道されたりするたびに、たとえ退職した後の出来事であっても「元教師」の肩書きは消えないのです。そして、その間には、多くの教え子を社会に送り出し、在学中は、彼らを励まし、諭し、人として進むべき道を示してきたのです。ときには、教師として、未熟な子供たちを厳しく叱り、生き方を教えたこともあります。そういう自分が、人の道に外れるようなことは、けっしてあってはならないのです。「身を慎む」という言葉がありますが、教師は、一生涯「身を慎み」、人に恥じない生き方をしなければ、教え子たちに申し訳が立ちません。そういう意味で、「自己管理」については、人並み以上に努める必要があるのだと思います。そのためには、やはり「哲学」を学ぶことです。戦後の日本人は哲学を学ぶことを疎かにしてきました。無論、それが占領国軍(GHQ)による占領政策であり、日本人を改造するための洗脳教育の結果なのですが、戦後、満足に「道徳教育」さえ行ってこなかった日本人が、「哲学」を学ぶはずもないのです。常に目先の利を得るための「方法論」を模索し、何処かで成功した例があれば、すぐに飛びつき「真似」をしようとします。経済界においても、中国や韓国の経済が調子がいいときは、挙ってアジアに進出し日本国内の空洞化を招いたのは、つい最近の話です。お陰で、日本が蓄積してきた技術も情報も、あっと言う間に外国に流れ、日本が誇るべき「ものづくり」が廃れる要因を作ったのです。これも、戦後の日本人に「哲学」がなくなった証拠です。
もし、これから「哲学」を学ぼうとするなら、それは、日本人の言葉や思想がしっくりと来るような気がします。以前、よく外国人の経済学者や教育学者の説を引用した「思想めいた」話はありましたが、どれも日本に定着した話は聞きません。一時的には成果を挙げても、長い目で見れば、日本人の生活には馴染まないのでしょう。これは、宗教も同じです。日本人は戦後、「私は無宗教です」と言うのが流行りました。葬式は仏教で行っても、結婚式は教会で挙げ、クリスマスも平気でお祝いをします。最近では「パワースポット」という言葉が流行り、若者を中心に神社や寺院に出かけて、神仏の「パワー」をもらうのだそうです。しかし、だからといって「日本人が無宗教か?」と問われればそうでもないような気がします。日本人の宗教観は非常に柔軟で、どんな教えであっても「いいところ」は受け入れる体質があり、様々な宗教的な感覚も日本人は持っているものです。このように、外国から入ってきた思想や哲学であっても、そのままの原理主義者は少なく、日本の風土や歴史、文化などと融合して生活に取り入れるスタイルが、日本人らしい形になっているのです。だから、日本人には「宗教戦争」はありません。
さて、そんな日本人に馴染みの深い「哲学」的な事例を紹介しましょう。まず、忘れてならないのが、聖徳太子の「和を以て貴しと為す」です。まさに、日本人の思想・哲学は、ここから始まったと言っても過言ではありません。「日本=大和の国」と言われるように「大いなる和」こそが、日本という国の「お国柄」なのです。したがって、日本の歴史上のリーダーもこの「和」を重んじた「調整型」の人物が多く、敵対する者を力でねじ伏せるようなリーダーは、あまりいません。強いて言えば、織田信長などが該当するのかも知れませんが、あの信長でさえ、かなり「根回し」をする調整型の部分を多く見せています。その典型は豊臣秀吉で、彼の出世物語である「太閤記」などを読むと、まさに「根回し」の人で、且つ、「ひとたらし」としても有名です。日本人は、国内で戦っていても、やはり「同胞」意識があり、敵の大将やその一族は滅ぼしても、敵の領地で暮らす領民を虐殺するような真似はしませんでした。新に、その土地で政治を行うわけですから、領民が逃げないように善政を施さなければならなかったのです。江戸時代の年貢も「四公六民」がほとんどで、すべてを搾取するといった悪政を行えば、「天罰が下る」といった思想があったのです。
米沢藩(山形県)の藩政改革を成し遂げた、藩主「上杉鷹山公」は、「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」という言葉を残しました。つまり、「どんなことでも、自分で動かなければ、何も成果は生まれない。どうせだめだろうと諦める前に、行動を起こせ!」と、人々を励ましてくれているのです。鷹山公が米沢藩を継いだときには、既に藩財政は逼迫し「幕府の藩を返上しよう」という動きさえあったと言われています。江戸時代の各大名家は、江戸時代初期からの石高で藩(国)を切り盛りしていました。米経済の武士に対して、商人は貨幣経済に移行しています。そして、その商人からは「税」を徴収することができなかったのです。江戸時代の身分制度と言えば、「士農工商」ですが、儒教の考え方からすれば、「商売」は「正業」とは認められないものでした。そのために、身分としては最下位に置かれましたが、貨幣経済を牛耳る「商人」は、身分を捨てる代わりに「実」を得ていたのです。それなら、身分制度を改め、商人たちからも税を徴収すればいいのですが、それができないのが「武士」のプライドだったのでしょう。とにかく、そんなプライドだけの米沢藩は既に傾き、借財が山になっていたと言います。それを、改革したのが「上杉鷹山公」なのです。それは、単に「質素倹約」ではなく、「殖産興業」でした。今でも米沢の名産として「米沢織」「米沢牛」「漆」「民芸品」「鯉の養殖」などがありますが、一地方で、これだけの名産品がある町は少ないはずです。これらの産業を育てることで、米沢藩は持ち直しました。「為せば成る」は、すばらしい思想だと思います。
陽明学にも「知行合一」という言葉がありますが、これは、「学問をして知識を得たとしても、行動が伴わなければ、学んだことにはならない」という教えです。陽明学は、吉田松陰も西郷隆盛も学んだ哲学です。今では、あまり使われなくなったかも知れませんが、「世のため、人のため」こそが、人生の哲学ではないでしょうか。教師も人の子です。たとえ頑張っても、結果が出ずに挫折したり、悔しくて涙を流したりすることもあるでしょう。しかし、そこで自暴自棄になり、諦めてしまえば、子供に伝えられることは何もありません。「教師が子供の模範にならなくて、どうする!」。そういった覚悟を持って、己を節制し、人に恥じない生き方をして欲しいと思います。
7 教育に関する法律の知識と理解
これからの教師は、今まで以上に、より高い資質が求められるでしょう。今でさえ、教師への要求度は高く、コンピュータや外国語などは、簡単な研修程度では、子供に教授することはできません。国が子供に対する要求も年々増加し、どこまで理解させられるのか、不安が大きいのも現実です。それくらい、時代の流れる速さは、50年前の倍以上の速さで進み、世界の人々を混乱させています。確かに、日本だけが悠長に構えていることもできず、国が焦る気持ちもわかります。それでも、教育システムが追いついていない以上、政府や学者がいくら焦っても、目標が近づくことはありません。人間は、機械ではないのです。それぞれの持つ能力、体力、性格等には差があり、求められる能力に応えられる人間は、全人口の3割もいないはずです。教師も同じです。社会のニーズに合わせて学校や教師に求められる内容は多岐に渡り、20年前と現在とでは、感覚的には仕事が「倍」以上になったような気がします。政府にとっても、教師には「教職調整手当4%」が支給されていますので、仕事量が増えても、特段の予算措置は要りません。社会のニーズが出てくれば、「即座」に学校現場に下ろすことができるのです。これが、教師を疲弊させた原因なのですが、便利な「打ち出の小槌」を手にした官僚たちは、そんな事情を考える暇もなく、新しい要求を次々と学校や教師に求めたのです。しかし、これは違法ではありませんので、だれも責任を取る性質のものではありませんでした。法律上、制度上の欠陥は、こうして傷口を広げていくのです。
さて、教師は、常に子供たちの前に立ち、「教師」という指導者の顔と「公務員」としての身分上の職務上の顔を持つことになります。公務員である以上、法律や制度に基づいて仕事をするのは当然です。したがって、違法性のない指示や命令には「絶対服従」でなければならないのです。そして、公務員である以上、日本国憲法や教育基本法、学校教育法などの法令から、都道府県の教育に関する条例まで、承知しておかなければなりません。特に、指導の指針である「学習指導要領」の内容を知らずして授業を行うことなど、あってはならないのです。教師には、幅広い「裁量権」が認められていますが、それは、各種法令違反がなく、学習指導要領の趣旨に沿った学習が展開されているという前提があって初めて、成り立つのです。たとえば、以前から「体罰」論争が取り沙汰されていますが、教育効果としての「ある」「なし」に関係なく、教師に体罰権はありません。
ときどき、「懲らしめる程度の力の行使は、教育的効果があり、愛情のある体罰なら許されるべきだ」という意見が聞こえますが、日本の教師には「体罰権」はありませんので、絶対に行ってはいけないのです。しかし、一方、教師には「懲戒権」が付与されています。体罰は許されませんが、子供を「叱責」することは、懲戒権の範囲なのです。最近では、「行き過ぎた指導」として懲戒権が問題になることがありますが、「行き過ぎ」という概念がはっきりしていない以上、懲戒権を行使することまで躊躇うようでは、学校という場において「教育」を行うことは不可能だと思います。もちろん、現在の「学校教育体制」を根本から見直すと言うのなら話は別ですが、現行の体制のままで、教師から懲戒権を奪えば、だれも教師を志願する人はいなくなることでしょう。要するに、「職業」として成り立たない制約を課せば、体制そのものが崩壊するのです。
最近、教師ばかりではありませんが、違法行為で逮捕される人が増えているように思います。もちろん、比較しているわけではなく、マスコミ等の発表からの印象ですが、これだけ「コンプライアンス」が叫ばれる今日でありながら、連日のように報道されると、「この人たちはどんな常識を持って生活しているのだろう?」と不思議な気がします。特に公務員による違法行為は、「違法な行為をしている」という自覚があるだけに厄介な案件です。それに、一般公務員ばかりでなく高級官僚の違法行為も発覚し、「バレなければ構わない」という二面性は、その人間の生育歴にも問題がありそうです。確かに、現代は「ストレス社会」と言われるように、いろいろなところに厳しい眼が光っており、政治家だろうが芸能人だろうが、その「監視の眼」から逃れる術はありません。昔から、「公私の区別」と言われましたが、今では、「公私も公」で、区別してはいけないのでしょう。しかし、さすがに「私(プライバシー)」に関することだけは、公に晒したくないものです。
教師という仕事をしていると、あまり法律や規則に疎くても「何となく…」やれてしまうところがあります。最近話題になっている「教職調整額」についても、あまり気にせずに受け取り、「残業」という意識もないままに働いていることがよくあります。意識をして残業をしているのならいいのですが、「意識がない」ままに夜遅くまで学校に残り、仕事をしているとすれば、「自己管理」もできないままに働いていることになります。「子供のため」という意識は大切ですが、一方で「労働」の意味も考えて欲しいものです。学校の管理職も意外と「労務管理」の意識が低く、職員の「勤務時間」「健康」「家庭状況」等の管理が甘く、本人任せになっているのではないでしょうか。これでは、組織を管理することにはなりません。管理職は、①勤務実態を把握し、適切な労働時間に見合う職務命令を出すこと。②職員全員の健康状況を把握し、必要に応じて治療勧告を行い、産業医等に相談すること。③職場環境に配慮し、適切な休憩場所を確保すること。④職員の家庭環境等に配慮し、私的な部分であっても適切な助言を与えること…などが考えられます。さらに、「年次休暇」「療養休暇」「看護休暇」「産前産後休暇」「育児休業」「休職」等の職員の権利に関する内容に精通し、職員が「公務員」として不利益を被らないように配慮する責任があります。何でも「子供のためだから、頑張れ!」といった叱咤激励ばかりでは、管理職は疎か、教師としての適性が疑われるところです。
8 適切に処理することのできる事務能力
教師の仕事で、意外と知られていないのが、事務量の多さです。保護者に出す文書も、子供の日頃の様子から、行事のお知らせまで多種にわたります。最近は、これらも公文書なので、単なる「お手紙」とは違い、ある程度は書式に則る必要があります。それに、教材費や学級費など、集金した金銭を管理しなければなりません。これは、できる限り早急に業者に支払う必要があるのですが、その間は、学校の「金庫」に保管されることになります。それでも、一両日中には、手元に残さないことが基本です。学級費は、しっかりと明細を残し、会計報告を保護者に出さなければなりません。学級費は、概ね「月額100円」程度の集金だと思いますが、子供が日常的に遣う文房具などがこの費用に充てられます。さらに、子供たちの学習や生活の記録、授業の評価、指導要録への記入、通知表の作成と、その事務量の多さは、教師になって初めて気づかされるものばかりです。
子供のノートやテスト結果などは、「個人情報保護」の観点からも重要な機密書類であり、管理が杜撰であれば、公務員の「守秘義務違反」が問われます。以前なら、家への「持ち帰り仕事」も、暗黙の了解がありましたが、今では、盗難や紛失の事件もあって、持ち帰りは許されていないはずです。そのため、学校に残って仕事をする時間が増え、時間外勤務が長時間になる原因ともなっています。その上、国や県、所属する市町村からの調査物も多く、それにも相当に時間が取られています。面白いところでは、「大学」などの研究機関からの調査依頼もあり、内容を見てみると「大学院生」若しくは、その大学の教員の研究のために調査物で、それまで対応するとなると時間はいくらでも必要になります。依頼する方は、ひとつでも、受ける方は各方面からの依頼ですから、取捨選択をする必要があります。いくらマスコミが学校批判を繰り返そうが、そのマスコミ自体が、学校に図画や作文、校外学習の見学などを依頼しなければ、会社のイメージを高めることができない現状があるのです。
事務を効率的に行うためには、事務に「優先順位」をつけることです。当然、「公簿」に関わることは第一優先になります。そして、次に「家庭」への通知です。最近では、どの家庭でも家にパソコンが置いてあったり、スマホを各自が持っていたりしますので、連絡もペーパーレスになってきました。これは、これで印刷の無駄が省けて節約にもなりますし、保護者に一斉に通知できるメリットがあります。ただし、こうした家庭への通知文も「公文書」の扱いになりますので、その扱いには慎重になるべきです。まして、決裁のない文書が発送されることは許されません。他にも、教師が授業以外に行わなければならない「事務」や「作業」も多く、余程、効率よくやらないと時間がいくらあっても足りないということになります。もちろん、「いい加減にやれ」というわけではありませんが、優先順位をつけて進めないと「教職調整手当4%」の範囲で終わるはずがないのです。担任の教師によっては、自分の学級経営の一環として、「作文」「日記」「学級通信」「宿題」等を行う場合もありますが、それらは「義務」ではありませんので、最初からすべてを行うのではなく、自分の力量に応じて徐々に行っていくのが大切です。最初から「あれもこれも」と手をつけると、子供への効果は少なく、自分の心身への負担だけが増えるといったことになりかねません。
今は、コンピュータ時代ですから、優れた機材を利用して効率的に事務が進められるよう、政府の方でも考えているようです。若い教師などは、少しでも時間ができると職員室等に置いてあるパソコンに向かい、校務の処理をしている姿を見かけます。放課後にまとめて行うよりも、少しでも時間を見つけては処理していく方が、効率的で負担は少ないはずです。特に、学期末の成績処理などは、普段からの「観察記録」があれば、さほど時間がかかることはないと思いますが、そうした日々の努力を怠ると、その短い期間だけ、とんでもない量の作業が待っていることになります。やはり、どの職場でも「効率的」に行うことが大切なのです。そして、「無理・無駄・無茶」の「3無」をしないことです。これは、管理職も同じで、「無理・無駄・無茶な仕事を要求する」ことは、その管理職の能力が疑われます。そして、これを子供に要求すれば、即、子供からの信頼を失います。ところが、今までの「慣例」に従い、学校には意外とこの「3無」があることに気づかされます。特に保護者からの「3無」は、絶対に対応してはいけないのです。「よかれ」と思って手を出せば、その瞬間は結果オーライかも知れませんが、これを続けてきたために学校は疲弊し、家庭の教育力を奪いました。それは、地域も同じです。「学校に言えば、何でもやってくれる」と思わせたことが、結果として日本の教育をダメにしたのです。国も同じです。各省庁の多くの事業に「学校」や「児童生徒」という言葉が使われています。絵画やポスターの募集、コンクールへの参加募集、新しい事業への協力依頼、子供をとおした啓発活動…など、これらはすべて学校の「授業」中に行われることが多く、その頻度は高まるばかりです。こうした「学校依存体質」を改めない限り、学校の効率化を進めることは難しいでしょう。とにかく、「三つの無」をなくす努力なくして、学校改革はあり得ないと言うことです。
9 高いコミュニケーション能力。
教師は、学者ではありません。高い専門性は求められていますが、どちらかと言うと「町のお医者さん」的なイメージが強いと思います。今回のコロナ騒動でも「医学者」たちと「医師」たちとの間に意見の対立がありました。やはり、現場で患者に向き合っている医師たちは、患者の切実な声を耳にします。苦しんでいる患者に処方箋がないという現実は、本当に辛かっただろうと思います。一方、医学者たちは、新型コロナウィルスという未知の「ウィルス」に対して、どう戦っていけばいいのかわからず混乱していました。それは、政治家も同じです。未知であればあるほど、「国民の安全」という視点に立ったとき、常に「最悪」を想定した対策を採らざるを得なかったのだろうと思います。これは、国民性の問題もあり、世界共通とはいかなかったのでしょう。しかし、患者が頼りにするのは、やはり、現場の「医師」なのです。その医師の判断が最優先されるべきですが、医師にしても自分の判断が間違いとなれば、後に「医療訴訟」にだってなりかねません。人間が診察し治療方針を決める以上、「絶対」はあり得ないのですが、これだけ医療が進んで行くと、「絶対があるのではないか?」という勘違いをするのも人間なのでしょう。そう考えると、患者に向き合っている医師は、本当に苦労が多いことと思います。教師も同じです。常に「子供と向き合う」仕事は、本来は尊敬されるべき仕事だと思いますが、そのときの判断が誤りとなれば、職を辞する覚悟も必要です。「先生の言う通りにやっても、効果がなかった」と言われてしまえば、立場がありません。子供の教育に「絶対」という処方箋はないのですが、自分に自信がない以上、人に頼りたくなるのもわかるような気がします。そういう意味では、医師も教師も、常に「正解」を導き出さなければならないプレッシャーは、大変なものなのです。
これからの教師には、高い「コミュニケーション能力」が求められる…と言われています。文部科学省は、学校を家庭や地域に「開き」、家庭、地域と一体となった学校運営を求めています。そのために、各学校には「学校支援ボランティア」と称する地域の支援者が多く入るようになりました。「コミュニティ・スクール」もさらに増やしていきたい方針は変わらず、「地域一体型」の学校運営が求められています。これが、成功するかどうかはわかりませんが、「学校だけで教育を完結する」方針の転換だと思えば、試してみる価値はありそうです。しかし、これによって、学校が大きなリスクを背負ったのも事実です。忘れもしない平成13年6月、大阪府の池田小学校で地域の不審者による児童殺傷事件が起きました。当時は、まさに「開かれた学校づくり」の真っ最中でした。「学校は、閉鎖的だ!」という声に押されるような形で、国は、「開かれた学校づくり」を進めるよう、全国の教育委員会に指示を出したころです。この頃、学校施設のオープン化が進められ、教室の壁をなくし、学校の塀を取り去ったスタイルの学校が注目を浴びていたのです。「地域の人、みんなで子供を育てよう」といった理念は、耳障りが良く、否定できるものではありませんでしたが、実際は、社会は、そんなに安全ではなくなっていたのです。日本の「安全神話」は、国民の中に「道徳」意識が高かった時代の話です。「夜になっても一人で歩ける」だの、「社会ルールをしっかり守る」などという日本人の規範意識は、当時としては「世界一」だったかも知れません。学校や社会で大した「道徳教育」をしなくても、日本人は道徳的な心を失ってはいなかったのです。しかし、この池田小学校事件は、そんな暢気な風潮を一気に吹き飛ばしてしまいました。「子供の身近に、怖ろしい人間が潜んでいる」という事実は、人々の心を凍らせたのです。池田小学校の事件以降、校内への立ち入りを厳しくチェックし、「信用のある人間」かどうかの選別をしなければ、子供を外部の人間に任せられないという現実に、日本人全体が驚いたはずです。「いよいよ、日本も安全な国ではなくなったのか…」という思いは、今でも続いています。その後も、全国で不審者情報は後を絶たず、今では、学校においても、「防犯メール」で、毎日、注意を喚起している有様です。昔なら、「そんなに、地域住民を信用できないのか!」という叱責を受けそうですが、不審者による度重なる事件が起きている以上、そんな悠長なことを言っている場合ではありません。間違いなく、不審者は「子供の側」にいるのです。そして、こうなってしまった責任は、過度に「個人」を尊重し、「戦後民主主義」の名の下に「道徳教育」の重要性を忘れてしまった社会全体にあるのではないかとさえ思います。その上、日本人は昔ほど「会話」を楽しまなくなりました。昔は「井戸端会議」と言われたように、よく近所の人が集まって「お喋り」を楽しんだものですが、コロナ禍以降、社会全体で「会話」が抑制され、加速度的に「孤立化」が進みました。そして、益々、地域のつながりも薄れていったのです。若者も高齢者も一日中スマホの画面を眺め、会話よりスマホのゲームの方が楽しいという時代です。これでは、家族の中でさえ会話がなくなって当然です。人間関係は、本来なら、濃密な地域社会の中で長年かけて培われるのですが、今は、それが難しい状況になりました。学校においても、子供の「安全確保」が教師だけで行うことは難しくなり、多くの善意ある人の眼が必要になったのです。
したがって、学校の教師は公の立場の人間として、学校に関わるより多くの人たちと接し、人間関係を構築して、「信用できる人間」を見極め、子供たちを護って貰わなければならないのです。まして、子供は学校にいるだけの存在ではありません。放課後、休日、子供はいつも家庭や地域にいるのです。そのとき、信頼できる大人の眼が多くあれば、不審者から子供を守って貰えるではないか、自然災害の時に、子供に声をかけて貰えるではないか…と期待を込めて学校は多くのネットワークを作ろうと努力してきました。今や、学校は子供だけの存在ではなく、その地域をまとめるための中心的な役割を担うまでになっているのです。こうした努力は、マスコミもあまり取り上げませんので、実態が広く知られることはありませんが、学校や教師の存在を軽んじれば、その地域は間違いなく荒れていくことでしょう。まして、親は、いつも子供の側にいられるわけではありません。子供も子供なりに、安全確保のために訓練を受けてはいますが、それでも実際は、不十分だろうと思います。そのとき、人間関係ができている地域の大人がいれば、救える命は多くなるはずです。あの東日本大震災のときも、学校にいた多くの子供は地域の大人や中学生と一緒に避難しました。こうした地域は、未だに昔からのコミュニティが残されており、地域の協力体制ができていたのだろうと思います。そのためには、学校の教師も学校内のことだけを知るのではなく、進んで地域に出て、多くの人と接触を持つことをお勧めします。「顔見知り」という言葉があるように、子供だけでなく、地域の人と「顔見知り」になっておくことで、学校を理解してくれるようになるだけでなく、そこから「深い絆」が生まれ、学校が「地域コミュニティ」を育てる場としても機能するはずです。
10 どんな長時間労働にも耐えられる体力
国は、今のところ「働き方改革」を推進し、学校が担わされた様々な「教育」を見直そうとしています。しかし、今さら「教育のあり方」を見直すと言っても、長い時間をかけて壊してきた社会構造を改編するのは簡単なことではありません。今や、教育を担うはずの家庭も地域も崩壊寸前の危機に直面しています。政府は、それでも「家庭や地域に教育力はある」と信じているようですが、本気で信じているのか、「信じていたい」のか、正直わかりません。戦争中も同じことがありました。「勝っている」と本気で信じているのか、「信じていたい」のか、わかりませんが、天皇陛下自らがラジオ放送で終戦を告げなければ、国民のだれもが戦争を終わらせることはできなかったでしょう。教育問題も冷静に考えれば、学校以外に「教育を担える場」はないのです。今や、家庭や地域も学校に頼る時代になりました。しかし、その学校や教師の力も低下し、今や本当に力のある教師は僅かです。一生懸命頑張っても報われない職場にいたい人はいません。これから益々、教育界に優秀な人材は集まらないでしょう。とにかく、戦後、「教育」と名がつけば、すべて学校に押し付けてきた「つけ」が、今、学校や教師を疲弊させてしまっているということだけは確かなようです。
学校には、本来、学習指導要領の制限があり、それに書かれている以上のことを行う必要がないはずなのですが、社会の要請は、止まることがありませんでした。今、問題になっている「部活動」も、学習指導要領では、「教育課程外の活動」という扱いでしかなく、本来の業務として扱われてはいないのです。そこに、大きな比重がかけられてしまったところに、問題の深い根があります。
もし、戦後のある時期に、日本の「スポーツのあり方」を検討しておけば、こんな問題は起きなかったはずです。しかし、すべてが「経済優先」で進んだ社会に、そんな余裕がなかったのもわかります。戦後間もなくは、スポーツなどは「贅沢」な遊びでした。日本人みんなが汗を流して働いているのに、スポーツなどにうつつを抜かすのは、間違いなく「不良」なのです。それでも、才能のある選手たちは、そのスポーツに打ち込みました。そして、それを支えたのが学校の教師たちだったのです。しかし、社会が豊になっていっても、スポーツが学校から離れることはありませんでした。要するにスポーツは「教育の一環」であり、建前的には「結果」ではなく、その努力の過程を評価する「体育」として、スポーツが学校中心に行われていったのです。今でも、高校野球が教育の一環として「阪神甲子園球場」で全国大会が開かれますが、あれを「教育」として捉えている人はどのくらいいるのでしょう。真夏の炎天下の中で、高校生が熱中症の危険を冒してまでプレイする姿に感動するのでしょうが、教育として考えれば絶対に間違っています。もし、これも「教育だ」と主張するのなら、生徒の健康管理が本当に十分なのか考えてみるべきでしょう。スタンドにいる高校生も教育の一環として母校の「応援」に参加しています。今や学校の運動会も時間を短縮し、熱中症対策を万全に行い、実施時期を変更するのが当たり前になっている時代に、気温35度を超える野球場で長時間野球をやらせるなど、あってはならないのです。これを文部科学省も各学校も保護者も、国民も納得して認めているのですから、怖ろしいとしか言いようがありません。「教育」という名前の下に、子供にリスクを負わせるような行事を行ってはいけないのです。こうした伝統主義的な発想を改めない限り、新しい教育改革は絶対に生まれないと思います。
今や、どの行政機関も、教育に対しては自主性を持てないでいます。つまり、ノウハウがないのです。警察も、子供の非行を発見し補導しても、親から引き取りを拒否されれば、学校に依頼してくるのが、当たり前になっています。本当は、強制的に親を呼び、児童相談所の職員を同行させ、説諭しなければならないはずなのに、手っ取り早く、学校の教師を呼んで、後の処置を依頼するのです。学校は、警察からの依頼であれば「やむを得ない」と受け止め、子供を引き取り、説諭し、家庭に返します。その際、保護者に説明をするのも教師がやってきたのです。子供にしてみれば、「先生に助けて貰った…」と思うかも知れませんが、逆に、「何で、教師が出てくるんだ!」と腹を立てる子供もいるでしょう。さらに、親が引き取りに来ない現実を見せつけられて、親との絆を自ら切る子供もいるはずです。本当であれば、子供だけでなく親自身も自らの子育てを反省し、警察官や教師の説諭に従い、もう一度、子供に向き合えればいいのですが、「そんな奴は知らない…」とばかりに、親が我が子を拒否してしまえば、その家庭は必ず崩壊します。そうなることをわかっていながら、教師は黙って子供を引き取り説諭するのです。こうして、矢面に立たなくてもいい事案まで請け負わされ、仕事は限りなく増えていくのです。そして、それをしたからと言って、感謝されることは少ないのも現実です。それを社会は、「先生だから、当たり前じゃないのか…」と、学校や教師の努力に報いる意識もありません。「教育」の未発達な国なら、こういうこともあるのかも知れません。しかし、経済大国を自負し、世界を代表する国の一つになった日本が、教育に関してこうまで遅れているとすれば、それらを整備していかない限り、真の国際的なリーダーにはなれないと思います。日本人は、二言目には「グローバル化」と言いつつ、眼につくところばかりのグローバル化では、真の文明国とは言えないでしょう。
戦前の日本も、富国強兵の名の下に、眼に見える軍事力や産業は興しましたが、国民生活にまで気持ちを向けることはありませんでした。その突出した軍事力は世界の脅威となり、望まない形で徹底的に潰されてしまった歴史があります。私たちは、この反省を生かして、未来を築く責任があったのですが、やはり同じ過ちを犯しているのです。しかし、学校の教師は、すべて理屈で動いているわけではありません。理屈がどうあろうと、そこに困っている子供がいて、だれも手を差し伸べようとしないのであれば、「自分が出て行くしかない」と覚悟を決めています。まだまだ、整備が進んでいない教育の世界で、頼れるのは教師一人一人の「聖職者意識」なのかも知れません。こうした日本型の教育は、世界的に見ればまったく異質な世界でしかないでしょう。日本の教育を見て、感心する外国人は多いと聞きます。日本の学校を視察する外国の学校の教師は、素直に日本の子供たちや教師を見て、心から驚き、日本から学びたいと考えています。日本のマスコミは、常に外国の優れた教育を取り上げ、賞賛することを常としていますが、外国の失敗例を取り上げることはほとんどありません。そして、日本人はだれもが「教育について」語ります。そのほとんどは、日本が「如何に外国に遅れているか」という批評ばかりです。とんでもありません。日本の教師ほど「子供のため」に熱心に働く教師はいません。中には、自分の熱量が大きすぎて、子供や保護者に疎まれる教師もいますが、自分の時間を削ってでも「子供のため」に働く人は大勢います。だから、教師は常に「24時間体制」の中で仕事をしているのです。それは、「労働」という意味では、間違った働き方だと思います。そうした教師の情熱に日本社会は甘え、それを当然としてきたからこそ、今の「学校ブラック化」問題が出て来たのですから、大いに反省するべきでしょう。しかし、それでも、日本の教師は「子供のため」に働くことを生き甲斐とするはずです。日本の教育者といわれるような人物は、二宮尊徳にしても吉田松陰にしても、広瀬淡窓にしても、皆、清貧でした。そして、自分のことより国を憂い、教え子を慈しみ、未来の日本を若い世代に託そうとしたのです。日本の教育者なら、それが一番いいのかも知れません。最後に、広瀬淡窓の漢詩を紹介します。教師を志すのであれば、一度読んでおいてほしい名文です。
桂林荘雑詠 諸生に示す (けいりんそう ざつえい しょせいにしめす)
道ふを休めよ 他郷 苦辛多しと (いうをやめよ たきょう くしんおおしと)
同袍友有り 自ら相親しむ (どうほうともあり みずからあいしたしむ)
柴扉暁に出づれば 霜雪の如し (さいひあかつきにいずれば しもゆきのごとし)
君は川流を汲め 我は薪を拾はん (きみはせんりゅうをくめ われはまきをひろわん)
第二章 子供の心理と発達
「子供を知ろうとしなければ、子供は育たない。子供を愛せなければ、本当の愛は わからない。」
第一節 親はなくても子は育つのか
昔から、「親はなくても子は育つ」と言いますが、実際、そんなことはあり得ません。生物学的に言うのなら別ですが、人間が人間らしく生きるためには、それを導いてくれる「親」の存在は必要不可欠です。動物は、犬や猫であっても、子育てに手を抜くことはしません。必死に子供を育てることは、「種の保存の法則」から言っても理に適っているからです。しかし、何故か人間だけが、「子育て」を「苦行」のように考える人たちがいることも事実です。これは、どちらかというと最近の傾向なのかも知れません。昔の子育てを手放しで賞賛するつもりもありませんが、動物としての人間を見たとき、子供が生まれることは「慶事」です。自分の子孫が残ることは、本能として大切なことなのですから、我が子が生まれて悲しむ親がいたとすれば、それは余程の事情がある人だけです。しかし、最近の児童虐待事件の報道を見るたびに、「あんなに可愛らしい子供が、なぜ…?」と悲しい気持ちになります。それだけ、今の日本人の心の中から本能的な部分が薄れて来ているのかも知れません。社会のシステムが、そうなってしまったから…と言うべきなのか、理由はわかりませんが、間違いなく親子の接する時間は短くなり、子育てに悩む人が多くなったのは事実でしょう。
今、社会は「育児休業」の長期化や男性の「育児休暇」の取得を促す議論が盛んに行われていますが、どうも、「子育ては大変だから…」というところから始まった議論のように見えます。そして、「子育て」は「親だけでやるもの」と言った意識の変化に気づかされます。今から50年ほど前までは、子育ては公が支援しなくても、近所で助け合って行っていたように思います。子供が泣いていれば、だれかがあやし、忙しければ、子供を知り合いに預けることもできました。若い母親が子供をあやしていれば、必ずだれかが寄ってきて「あら、かわいい赤ちゃんね…」とか、「いい子ね…」などと言いながら、その若い母親と関わろうとしたものです。若い母親も、そんな近所の先輩母親を頼りにして、子育てを少しずつ学んだのではないでしょうか。しかし、社会が豊かになり、家事労働も短縮されたにも関わらず、「子育て」が親にとって「大変な労働」になってしまったのは、なぜなのでしょう。日本は、本来、農耕社会であり、人々の助け合いによって「村」を守って来た歴史があります。一人では、自然災害にも立ち向かえないし、米作りのノウハウも、長老に聞かなければ何もできなかった時代が長く続きました。しかし、今の時代の長老は、失礼ながら昔ほどの役割を果たす存在になってはいません。一部の心ない老人は、いつも「年寄り扱いするな!」と騒ぎ、ブツブツと社会に対して不平不満を口にします。以前、政府が「後期高齢者」と言ったら、「後期高齢者とはなんだ!」と一部のマスコミと共に騒いだことを覚えています。もちろん、それは、ほんの一部の老人なのですが、マスコミが煽ると、すべての高齢者がそう思っているのか…と誤解が生じてしまいます。70歳(古稀)を過ぎたら、地域で「長老」と呼ばれるような頼りになる存在になってほしいものです。
「子供は親の背中を見て育つ」のたとえがあるように、子供は間違いなく「大人」のやることをよく見ています。それは、「親」に限らず、社会一般の「大人」の為すことを観察し、自分も同じようなことをするのです。「真似」の語源は「学ぶ」だという説がありますが、今の子供たちは大人たちをよく真似て学んでいるように見えます。それも立派に見える肩書きを持つ大人が、平気で詭弁を弄し、いじめと思われるような報道を垂れ流しても、「いじめをやめろ!」という大人はいません。逆に世論を煽り、いじめはその人間が潰れるまで続きます。子供には「いじめは許さない!」と言う大人が、自分事になると、平気で相手をいじめるような神経は、子供には理解できないでしょう。確か、「いじめの定義」は、「いじめと感じたらいじめ」だったはずですが、「社会正義」を振りかざせば、それは関係なくなる…という解釈で子供に教えていいのでしょうね。だとしたら、子供だけを責めるのは卑怯というものです。建前としての言葉だけで、実際にやっていることが「いじめ」であれば、子供は大人の話など聞かなくなります。それが、人間として当然の姿だと思います。子供に尊敬される大人になりたければ、自分自身が己を反省し、せめて嘘のない人生を歩んで行くべきでしょう。
戦後、日本の大人たちは敗戦のショックによって自信を失い、「自分の生きる道」すら見えなくなっていました。戦争体験者の多くは口を閉ざし、敗れた戦争のことなど話す人はいなかったのです。つまり、敗戦は自分にとっての「恥」と考えたのです。そのために、社会全体が我を忘れて経済復興に邁進しました。それが、今の日本の基礎となったのですが、多くの大切なものを忘れてきたように思います。「自分たちの歴史を大切にしない国は滅びる」と言いますが、今の日本の状況はまさに危うい状況にあります。「子育て」ひとつとっても、若い親の負担になり、「公」が支援するしか方法がないとなれば、経験のない若い母親にとって、子育ては「負担」でしかありません。「ママ友」という言葉があるように、保育園や幼稚園の先輩ママは、確かに頼りになる存在だとは思いますが、年が近いせいか、人間関係で苦労する話をよく聞きます。子育てのアドバイスを得たいと思ってママ友になってもらっても、その世界の人間関係で疲れるのでは、良好なコミュニティは築けません。人間はお互いを尊敬し合う関係の中からしか、本当のコミュニティは生まれないのです。そういう意味では、昔はだれもが貧しく「お互い様」の精神がなければ、生きていくことも難しい時代でした。だからこそ、自分たちの生き甲斐であり、将来の支えである「子供」を大事にできたのでしょう。現代のように、物質の「豊かさ」だけに眼を奪われていると、それだけ心が貧しくなっていくことに気づかず、気づいたときには、「嫌な人間」になっているものです。「そうは、なりたくない」と思いつつも、それに染められている自分が悲しくなります。
子供は「親」を見て育ちます。生活の貧富によって「親」の価値が決まるのではありません。親の中には、「人を見たら泥棒と思え!」と教える人もいるようですが、まさに「傲慢」そのものです。常に損得勘定だけを頭に入れ、目先の損得に左右されるような生き方は、子供から尊敬を受けることはありません。子供の前で、他人の「悪口」を言い続ける親を子供が尊敬できるのでしょうか。おそらく、「ばかな親だ」と心の中で蔑み、憐れな人間として見ているのです。そして、我が子を溺愛し、自分の分身であるかのように接してくる親に愛情を持つ子供もいません。単に「疎ましい」大人が側にいるといった感覚でしかないのです。自分の果たせなかった夢を子供に託すような親は最低です。自分の才能がないために夢が夢で終わった話を、我が子に求めてどうするのでしょうか。その子の人生はその子供のものなのです。逆に、どんなに貧しくても、嘘を吐かず、人を侮らず、常に慎ましく生きている親を持った子供は幸せです。そんな親の生き方に心が動かされ、自分も「そうありたい」と願うことでしょう。そこから、「人」としての人生が始まるのです。
第二節 子供の情緒(心)を育てよう
人間の情緒(心)を司るのは、頭の額の部分にある「前頭葉」だと言うことは、脳科学者が既に証明しています。その「前頭葉」をよい意味で刺激するのは、大人による「言葉かけ」が幼児期には、一番効果があると言われているのですが、今の子供は、そんな育ち方をしているでしょうか。言葉を獲得する一番大切な時期に保育園等の施設に預けられ、一番求めている母親との接触も僅かな時間しか持てないとなれば、情緒が健全に育つのか心配です。人として未熟な時代だからこそ、母親の存在が大切なのだと思うのですが、どうも、日本の社会は違うようです。この「前頭葉」の話は、一部の脳科学者の著作本などで知りましたが、世間一般に広まることがありません。そもそも、日本では「脳科学」の分野は、あまり尊重されておらず、「そういう考えもある…」程度の説としてしか取り上げられないのが現実です。私も科学者ではありませんので、専門的な意見は述べられませんが、「前頭葉」は、たとえば事故等で損傷してしまった場合、その人格をも変える働きがあるといいます。それまで情緒が安定し、優しかった人柄が一変し、凶暴になり善悪の判断すらできなくなった事例があるという外国の話も聞きます。そのくらい、前頭葉が「人間の心」と密接な関係にあるのだそうです。
生まれてから10歳になる頃までに、人間の脳は、ほぼ完成すると言われていますが、まず第一に考えなければならないのが、やはり心の成長のための「情緒の安定」だろうと思います。情緒が安定しない人間は、たとえ、学力が高くても、周囲の人間には大変迷惑な存在となり、社会生活を営むことが困難になります。人間は、社会生活の中で「常識」に照らし合わせて、多くの事柄を想定して生活をしています。それは、幼児期からの「経験」に基づくものがほとんどで、「知識」で得たものより、自分の経験を重視しがちなのが人間の特徴です。したがって、多くの人は、「みんな、こうするだろうな…」と、これまでの経験を基にして判断します。こうした「みんな…」というのは、どの程度の数を想定しているかはわかりませんが、何となく「空気を読む…」とでも言うような雰囲気で、「みんな」という言葉を遣っているのです。逆に考えれば、この「みんな」と違うことをするのは、とても勇気がいることで、自分では「何となく違うな…」と思っていても、その場の雰囲気に流されるのも人間の弱さでしょう。しかし、情緒が不安定になると、この「想定」ができなくなり、自分の生活に混乱を来すだけでなく、周囲に迷惑をかける原因ともなります。簡単な例でいえば、飲酒時・後の酩酊した状態を想像すればわかりやすいと思います。「急に場にそぐわないことを言う」「何故か、急に怒り出す」「話していることの意味がわからない」「他人に絡み出す」「暴力を振るう」「泣き上戸になる」…。こんな状態は、飲酒時の一時のことなので許せますが、これが日常的に起これば、周囲が混乱することは間違いありません。要するに、人間生活は、この人々の「情緒の安定」によって営まれているのです。特に日本人は、情緒的に安定している人が多く、人前で大声を出したり、騒いだりする人間を嫌います。逆に、落ち着いた佇まいで、喜怒哀楽をあまり見せない人を好みます。「穏やか」「お淑やか」な人は、外見ばかりでなく、その心さえも「美しく」見えるのが日本の特徴的な情緒なのだと思います。
私たち日本人は、否応なしに日常的に「日本語」に接しています。これは、当たり前ですが「子供」も同じです。いくら早期の英語教育をしたくても、日常生活では日本語は欠かせません。この日本語をとおして、日本人は「日本人」になれるのです。もし、アメリカ人のようになりたければ、アメリカ合衆国という国で暮らすのが一番いいでしょう。やはり、人間の感性は言葉によって育まれます。日本語の持つ「穏やかさ」「謙虚さ」「優しさ」…などは、英語では表現が難しく、日常会話の中に日本語的な情緒を求めるのは無理というものです。そのため、英語圏の人々は、物事をはっきりと言います。それは、「言う」というより、それしか「表現する言葉を持たない」という方が正確だと思います。だから、彼らは言葉ではなく「形」で表そうとするのです。日本人に比べて表現が大袈裟に見えるのは、体での表現自体も相手に自分の気持ちを伝える「表現方法」だと考えれば、納得できるはずです。その点、日本語は、それを「言葉」にして表すことができるので、体は大きく動かす必要がありません。強いて言えば、顔の表情が「言葉」になっている場合がありますので、「眼は口ほどにものを言う」のです。
若い親たちの中には、自分の感性だけで子供を育ててしまう人がいます。所謂、「キラキラネーム」もその一つですが、自分がゲーム好きだからといって、子供にもゲームのキャラクターのような名前をつけて楽しむのは、結局は、子育ても所詮「ゲーム感覚」だと周囲から思われてしまうものです。そういう感覚では、恐らく、ゲームに飽きれば捨てるし、また新しいゲームが出れば、それに夢中になってしまう…ということを疑われても仕方がありません。子育てをゲームにたとえれば、苦労して産んだ瞬間は、「かわいい」と思えますが、しばらくすると、ゲームに飽きるように、子育てに飽きがきます。自分の中のイメージと違う顔だったり、親が思うほどの才能がなかったりすると、がっかりして、子育てに熱意がなくなってしまうのかも知れません。そうなると、また、違う刺激が欲しくなり、新しいゲームを探すといった繰り返しです。「まさか、こんなばかなことを考える親がいるはずがない…」と思いたいところですが、実際、児童虐待事件で逮捕された親の供述からも、「子育て」に対する意識が欠如していることがわかります。こういう親に「心」や「情緒」の話をしても、聞く耳を持つかどうかもわかりません。それでも、子供は間違いなく成長していくのです。
現代の「ゲーム依存」は、もう子供だけの問題ではありません。三十代以上の世代にも「ゲーム依存症」の人は、たくさんいます。もちろん、新しい時代を迎え、コンピュータが世の中を席巻しているような時代に「ゲーム」をとやかく言う資格はだれにもありません。「昔がよかった」と懐古しても仕方のないことだということはわかっています。しかし、ものには「限度」というものがあります。酒でもギャンブルでも、何でも「依存症」になってしまえば、それを奪われては生きていくことすらできなくなるのです。子供のころの「遊び」が、いつの間にか「習慣」になり、最後には「依存症」になれば、子供の「心」はどうなるのでしょう。多忙な親にとって、部屋に閉じ籠もり静かにゲームに夢中にでもなってくれれば、一時は凌ぐことができるでしょう。「今日は、子供の相手をしなくて済む…」とばかりに、自分の少ない余暇を楽しみたい気持ちも理解できます。しかし、それが慢性化すれば、二度と親子関係を築くことはできなくなります。気がついた時は、子供の心は親を離れ、別の友人やゲームの世界に入り込み、だれが手を出そうとも、どうにもなりません。親たちが学校や公の機関に相談してくるのは、この段階に入ってからです。そして、「早期に問題を解決したい」と要求しますが、そんな都合のいい話はないのです。病院等へ受診する親子の中にも、「早く治る薬をください…」といった要望が出されるそうですが、子供の心の病を「薬」などで治るのなら、だれも苦労はしないのです。人間を育てることをあまりにも安易に考え過ぎている現状を憂えるばかりです。
大人でも子供でも、依存症になる最大の理由は「孤独」です。一人にさせられ、先が何も見えなくなったとき、人は「快楽」に走ろうとします。それが、昔は、酒やギャンブルだったのかも知れませんが、今では、それに「ゲーム」が入って来ました。休日には一日中部屋に閉じ籠もり、ゲーム三昧な暮らしをしているサラリーマンの話も聞きますが、多くのストレスを抱え、だれにも自分を理解して貰えない悲しさが、「ゲーム依存」になるとすれば、これからの社会はどうなって行くのでしょう。もし、こうした人たちにも「温かい声」をかけてくれる人がいれば、この依存症から立ち直れるのかも知れません。それが、だれかはわかりませんが、そうした人間としての「関わり」なくして、健全な心を育てることはできません。心が健全でなければ、「情緒」が安定するはずもないのです。日本の社会が何となくギスギスとして見えるのは、社会全体が孤立化し、多くのストレスを抱えているためかも知れません。だから、人間は、孤立してはいけないのです。
子供の前頭葉は、一番身近な「親」による「声かけ」から成長が始まります。「かわいいね」「好きだよ」「愛してる」…。そんな愛情に溢れた言葉かけが、子供の情緒を安定させていきます。不思議と意味がわからなくても、そういう声かけをされているときの赤ちゃんは、とても穏やかで笑顔も可愛いはずです。大人の恋愛でも同じでしょう。外国映画を見ると、日本人より、オーバーアクションで愛情溢れる言葉を相手に投げかけますが、それによって前頭葉が刺激され、ドーパミンが多く出ているのではないでしょうか。こうした話は、別段、脳科学の話を持ち出さなくても経験上で理解できます。人間は否定され続けて生きていけるほど、心は強くありません。逆に肯定されて励まされると、胸は高鳴り、意欲も高まります。そして、それを言葉にしてくれた人を好きになり、信頼するようにもなるのです。学校の教師も同じで、子供を叱るばかりでなく、その子供にとって「嬉しいひと言」をかけてあげるだけで、教師を信頼し学校生活に前向きになれるものです。もし、自信をなくしている子供が側にいたら、ぜひ、その子のいいところを見つけて誉め、励ましてあげて欲しいと思います。たとえ「ゲーム依存」の子供であっても、そこには何か光るものが見つかるものです。心配の種は尽きませんが、子供が笑顔になれば、きっと明るい兆しが見えてくるはずです。
さて、日本人の「言葉遣いやマナーが悪くなった」ことに気づかれている人は多いと思います。昔は「よそ様」という言葉があったように、家庭内で遣う言葉と外で遣う言葉は使い分けをしたものです。目上の人に対しては敬語を用い、失礼のないように心がけました。また、子供であっても、よその家に入るときは、家人に対して、「お邪魔します…」「失礼します…」などの声をかけることを常識としていました。大人も、子供に対しては乱暴な言葉は慎み、優しい言葉で接したものです。しかし、最近では、親が子に対して、かなり乱暴な言い方で接したり、外で大声で叱ったりする場面に出くわすことがあります。レストランで、食事中でも立ち歩いたり、帽子を被ったまま食べ物を口に運ぶ姿は、あまりいい気持ちはしません。そんなことを言うと、若い人から「古いなあ…」と嫌がられるかも知れませんが、たとえ子供を愛していたとしても、「常識的なマナー」は教えるべきだと思いますが、如何でしょうか。
今では、幼児でも「殺す」とか、「死ね」などという暴言を簡単に吐きますが、どこで学んできたのでしょう。子供の言語は、身近な人の話し方を真似て獲得していきます。よく、「子供だからといって、あまり幼児語を使わないように…」というと注意されますが、「です…」を表情を崩して「でちゅ…」という大人もどうか…とは思います。可愛いあまり、幼児語を使いたがる気持ちはわかりますが、やはり、適切ではないでしょう。しかし、「てめえ…」「ふざけんな…」「ばかやろう…」などという暴言を子供に聞かせるのは慎みたいものです。幼児や小学校低学年児童が遣う言葉のほとんどは、「親」が遣っている日常語だと考えて差し支えないと思います。こそこそと、小さな紙に「殺す…」とか、「死ね…」と書いて、だれかをいじめるといった陰湿な方法を採る子供がいますが、その子も家庭が思い遣られます。本当なら、高校生くらいまでに卒業しなければならない幼児性が、三十代になっても残ってしまい、いつまでも「うぜー」と叫んでいる青年を見ると、本人だけでなく、その家の子供の情緒はどうなるのか…と心配になります。言葉を安易に用いるのではなく、こうした科学的な根拠を元に、大人への啓発活動も、これからは必要なのかも知れません。大人になると必要以上に周囲が遠慮し、愚かな行動を助長させるのは、治安上も、教育上も問題があります。選挙権を持たない子供だからこそ、子供の立場に立った「教育論議」が求められます。それに、子供の情緒を育てるには、「愛情溢れる言葉かけ」が第一なのですが、そのためには、親と子の「密着した時間」も十分に確保してやりたいと思うのは、国民の素直な気持ちだと思います。
そもそも、子供の世界観は、親子の関わりから始まります。人間は、「十月十日」でこの世に生まれてきますが、母親のお腹の中にいたときから、既に「人格」が形成されつつあると言われています。「胎教」の話は昔から伝えられていますが、お腹の中で子供が成長していく過程で、母親が落ち着いて過ごすことができれば、その子も安心して成長していくことができますが、母親に心配事が多く、悩んでいたり、病気をしたりすれば、子供の成長にどんな影響を与えるかわかりません。特に「飲酒や喫煙」は禁止でしょうが、母親の心が安定していることが一番大切なように思います。そして、出生後も、夫婦共に、子供を大切に「慈しむ時間」が必要なのです。ところが、日本の社会は、その「ゆとり」さえ、なかなか確保できないのが現実です。「仕事が忙しい」は、大人の常套句ですが、事実、忙しいのも理解できます。最近では、男性にも「育児休暇」を所得するよう勧める動きがありますが、日本ではなかなか定着できないでしょう。若い世代でも、「子育ては女がやるもんだ…」という偏った思考の人も多く、男性が「子育て」に積極的に関わろうとしない風潮があります。今の時代のように「人権」とか、「差別」に対して敏感な世の中なのに、なぜか「子育て」に関しては、男性が後ろ向きなのはどうした理由なのでしょう。この点においては、日本ももう少し教育に力を入れてもいいと思います。「忙しい時間」を夫婦で分かち合い、お互いのよさを生かした子育てを行えば、我が子により深い愛情を伝えられ、子供の「情緒」を間違いなく安定させていくに違いありません。
最近、小学校では、「言葉の大切さ」に気づき、「読み聞かせ」を行う学校が増えてきました。これは、教師ばかりでなく、保護者や地域のボランティアの女性たちも参加して、結構な日数を確保して行われています。今の子供は「ゲーム世代」などと言われますが、やってみると、この「読み聞かせ」は大変好評で、子供たちの多くは眼を輝かせて聞き入っています。それにしても、子供は、どうしてあんなに「読み聞かせ」が好きなのだろう…と思います。自分では、「読書の時間」があっても碌に本を読まないのに、「読み聞かせ」になると、喜んで聴いているのです。やはり、言葉かけと同じように、リズムに乗った優しい語り口は、「心を落ち着かせる」効果があるのかも知れません。それに、女性特有の声の響きは心地よいものです。だれもが母親の胎内で、その声を聴いて育ったわけですから、本能的に母親(女性)の声に魅力を感じてしまうのかも知れません。若い親たちには、ぜひ、我が子に添い寝する際、ぜひ、「読み聞かせ」を習慣にして貰いたいものです。そして、少しずつ絵本や民話、伝記などの良書を与え、読書好きの子供に育てて欲しいと思います。読書は、子供に「夢を与える力」があります。そして、子供は多くの、「美しい文章」から想像を膨らませ、空想の世界で「遊ぶ」ことを覚えるのです。そうした想像力は、いずれ「創造力」の源となり、その子供らしい、新しい世界を見つけることができるようになるはずです。言葉によって開発された脳は、表現力を高め、自分の深い思考を助けることにつながります。「思考」を司る脳は、鍛えなければ、流行に流されるだけの働きしかしません。「真実を見極める眼」は、一人一人の「深い思考」にかかっています。最近でも、マスコミの論調だけを聞いていると、「そうなのかな?」と思ってしまいますが、本を読んだり、他の人の意見を聞いたりしていくと次第に自分の頭の整理がつき、「論理的な思考」ができるようになります。そして、その中で矛盾点が見つかれば、それを再度洗い出し、自分が「納得」できなければ、どんなに偉い先生が話そうとも鵜呑みにはできません。その上で、自分が「判断」することが大切なのです。
戦前の日本の教育は、一人一人の日本人に「深い思考」を求めるような教育はしませんでした。国民は、一部の政治や軍のリーダーたちの意見に従うことが、国民としてのあるべき姿だったのです。軍やマスコミ、社会風潮に流された国民は、自分の「判断」ができず、戦争が始まってからも、真実を知らされないまま、「国への奉公」だけを求められたのです。もちろん、戦争に至る経緯を見れば、日本政府や日本軍だけに原因を求めることはできません。当時の国際社会が「帝国主義」という悪魔の思想に蹂躙され、善悪の判断もできないまま、強国が傲慢な態度に終始したために起こった戦争であることは疑う余地はありません。それでも、当時の日本政府や軍がもう少し柔軟な発想を持っていれば、別な道の選択があったような気がします。当時の日本の指導者たちも、それまでの教育から、柔軟な発想力を育てることができず、「深い思考」をするような訓練もされていなかったのでしょう。人間は単純であればあるほど操り易いと言いますが、戦前の日本人の欠点は、物事を深く考えず「単純化」した思考で判断したところに過ちがあったように思えます。
戦後、GHQは、「日本国民は、日本の指導者によって騙されていた…」と、国民の責任を問うことはしませんでしたが、「騙されていた…」と言われて、それを納得してしまう国民性もやはり問題だろうと思います。自分の目で確かめようともしないで、国策に従っていながら、敗戦となると、「自分は、騙されていただけだ…」と言い訳をするようでは、日本人もGHQにばかにされているようなものです。「騙された責任」は、国民にあったのではないか…と思うべきなのです。要するに、これからの時代は、流行や煽動に惑わされることなく、自分の目で確かめ、自分で考え判断し、自分の生き方を決めなければなりません。「騙されていた…」では、納得できる人生を送ることは難しいのです。
日本人が、言葉の大切さに気づき、子供が大人になるまで続いた「言葉の習慣」は、豊かな人間性を育て、AIにも負けない発想を生み出す力になるでしょう。それに、読書は、「入試」対策などという「狭い学力」にもなりません。明治維新以降、日本の学校制度は、根本的なところで間違いを犯しました。それは、「知識の多い者が優秀である」という価値観です。これは、大東亜戦争の敗戦後も引き継がれ、現代にまで続いています。だれも、そのことに疑問を持つ人はいないようですが、この「知識=学力」と定義した時点で、「思考力」を学力として考えなくなってしまいました。故に、学校でも評価は常に「ペーパー」中心で測ります。そうなると、記憶力に優れ、努力して多くの知識を獲得した者が、偏差値の高い学校に入り、社会のリーダーに登用されていったのです。しかし、この偏った「学力観」が、日本人から「発想力や創造力」を奪っていったのかも知れません。もちろん、記憶力に優れた者が、「発想力や創造力がない」と断定しているわけではありません。社会全体が、「勉強=知識の獲得」という偏った学力観に支配されたことが問題なのです。よく、「アメリカの大学は、入るのは易しいが出るのは難しい」と言われますが、日本の大学はどうでしょう。つい最近まで、「大学は、学生のレジャーランド」とまで揶揄されたことを忘れてはなりません。日本の大学生が、本来の大学の使命である「学問の研究」を怠ったことは、日本の未来に大きな禍根を残しました。戦前までは、大学生は日本のエリートであり、彼らは入学当初から、「社会のリーダー」としての矜持を持っていました。だからこそ、進んで戦場にも赴いたのです。しかし、戦後の大学生にそれはありません。今や、大学は就職するための準備期間であり、学問の研究とはほど遠い世界になってしまっています。もはや、社会のエリート養成も行われず、単に義務教育の延長上に「大学」という学校があるだけのことです。これでは、「真の学力」が育つことはないでしょう。日本の大学も「卒業」認定をしっかりと行い、相応の「研究実績」のない者には、卒業証明を出さないことです。そうなれば、学生はもっと勉強に励むのでしょうが、今の社会構造では、それは難しい課題だと思います。
人間は、人間が生み出した「社会体制」の中で生きることだけが幸せではありません。多少、社会からはみ出しても「自分らしく」生きられれば、人がとやかく言う問題ではないのです。その時代に生まれて過ごしていると、歴史を勉強しない限りその時代の価値観が絶対になり、それ以外の生き方をする人を奇異の目で見がちです。これも一種の保守的な思考なのでしょうが、それが「正しい生き方」などと、だれが決めたのでしょう。その時代や体制に流されれば、世間から批判を受けることがありません。戦時中も「鬼畜米英」を叫んで国策に協力してさえいれば、僅かながらでも「社会の恩恵」は受けられたのです。そして、敗戦後はGHQの命令に従い、それまでのことを忘れたかのように振る舞えば、新しい体制の中で生きられました。しかし、そこには「自分で考え判断する」という人間らしい作用はありません。日和見的に周りに同調し、自分に火の粉がかからないように身を縮めていただけのことです。もちろん、それを否定するわけではありません。「生きる」ということは、それほど難しいことなのです。しかし、それを学校という教育の場で子供に教えるのが正しい指導者のあり方なのかと問われれば、それは、違います。人間が人間として生きていく以上、自分の考えを持ち判断する能力が必要です。もし、その判断が間違っていれば、自分の責任において、自分がその責めを負えばいいのです。傍からは「愚かな奴…」と蔑まれるかも知れませんが、それが「正しい選択」と思えるのなら、その道を進むべきでしょう。
人間は、多くの学びをとおして、その人格を磨き、自分の人生を「豊かに生きる」ことが幸せなのです。それは、社会の評価とは異なる生き方かも知れませんが、限られた人生をどう生きるかは、その人個人が生涯をかけて決めていくことです。そして、損得だけで生きることを絶対的な価値と考え、道徳もない、情緒もない国が、世界の人々から尊敬されることは、未来永劫ないことだけは確かなのです。日本人には、「日本人らしさ」があります。自分たちが気づかなくても、世界の良識ある人々はみんな気づいています。逆に言えば、日本人の嫌なところも世界の人々は気づいていると言うことです。その冷静で客観的な眼が日本と日本人を評価しています。だれが考えても「おかしい…」と思うことをやっていると、良識ある人々から日本人が見放されてしまうでしょう。一度「信用」や「尊敬」を失った国や国民が生きる道はありません。グローバル化とは、「自国の価値観だけで生きない」ことを諭しています。どんな国でも、「優しく、思いやり」のある人々を見捨てようとはしません。逆に、「自分の世界」に閉じ籠もり、「傲慢」で「損得勘定」だけを見ている人間を軽蔑し、遠ざけようとします。これがグローバル化の怖ろしさなのです。
第三節 子供と発達リズム
子供は大人とは違います。「あたりまえ」のことですが、本当にわかっている大人がどれほどいるかは、甚だ疑問です。何が違うのかと言うと、子供は未だ脳や神経も発達途上であり、未熟な存在だという事実です。何か、こうしたことを言うと、子供を差別しているかのように訴える人がいますが、そもそも、同じ扱いをすること自体に無理があるのに、なぜ、気がつかないのでしょう。よく、「うちの子は、言えばわかる…」と、幼い子供が、言葉で十分理解できると信じ込んでいる若い親がいますが、そんなことはありません。身体的にも精神的にも未成熟で、経験の浅い子供が、言葉だけでわかるはずはないのです。たとえば、「熱い、冷たい」という感覚にしても、一度くらいは熱い物に触って感じる経験が必要です。「焼けた物は熱い」とか、「凍った物は冷たい」などは、体験して覚える感覚的なものでしょう。「言えば、わかる」のなら、なぜ、自分で行動が自制できないのでしょう。繰り返し言っても行動が止まないから、親は仕方なく「強制力」を発揮せざるを得ないのです。そして、子供は叱られることも屡々ですが、それで子供の心が歪むことはありません。大人も、子供を叱る行為は、感情を子供にぶつけているのではなく、「危険防止策」として大きな声で叱っているのであり、危険が取り除かれれば、優しい大人に戻るだけのことなのです。その子供に愛情があるからこその「叱責」だということを忘れてはなりません。
今の時代は、余所の子供が危険な行為や迷惑行為をしていても、見ていた大人が「怒鳴る」こともできなくなりました。「注意」すらも躊躇うのではないでしょうか。今時「怒鳴る」などの怒りを外で見せれば、間違いなく「不審者扱い」されてしまいます。「注意」したとしても、その程度で話を聞く子供ではありません。関われば関わるほど、大人にとっては不利な状況に追い込まれ、後々、厄介な問題になりかねないという想像が働きます。ましてや、見知らぬ大人が、子供の体に触れようものなら、大騒ぎになって警察官が飛んでくるでしょう。だから、心ある大人でも、心配をしながらも、「見て見ぬふり」をせざるを得ないのです。余計なお世話をして、「不審者」呼ばわりされたり、言いがかりをつけられたりしたのでは、たまったものではありません。本来、日本人は自分のことだけでなく、周囲にまで気を配り、「みんなで一緒に…」という共同体意識を持っていました。仏教にも「利他の心」という言葉があるように、「人のために働くこと」を喜びと感じる感性が日本人にはあったはずです。しかし、最近では、犯罪行為に走るような不審者が横行しているせいか、子供も昔のように無邪気ではなくなりました。普段から危険を知らせる「警報器」を持っている子供も多くなり、万が一の時には、もの凄い音で周囲に危険を知らせることになります。学校で使用している「名札」さえ、登下校時には余所の大人に見られないように、学校で預かっているケースも増えてきました。社会がギスギスしてきたせいか、本当は「子供好き」の大人でも、やたらに声もかけられないのです。だから、子供が危険な行為や迷惑行為に及んでも、周囲の大人は眉を顰めるだけで、行動に移してくれる人は稀なのです。仕方なく、若い親たちは、道路でも店の中でも子供を「怒鳴る」しかなく、見ていて気の毒になることがあります。それでも、「助けてください…」とでも、お願いされない限り手を出すことはできません。本当に、子育てが難しい時代になったと思います。
子供にしてみても、周囲の大人たちから注意されたり、声をかけられたりすれば、安心して遊ぶこともできますが、まったくの「無視」では、大人に対して警戒心を抱くのは当然です。今回のコロナ騒動においても、子供は被害者でした。学校にも通えず、公園でも遊べず、外に出ていれば知らない大人から「通報」され、迷惑この上ない状況にあったのです。それでも、大人たちは自分のことで精一杯で子供の心配をしてくれる人は稀でした。子供が無視されたり、迷惑がられる存在になってしまった現代は、国として破綻する一歩手前まで来ているように思います。政治家は、選挙のたび毎に「子供は国の宝」と絶叫しますが、その子供を蔑ろにした政策を採っているのが実際の政治でしょう。社会が、まず「子供のために」何ができるかを考え、大人がそれに合わせていくという社会こそが、「だれにも優しい社会」を創るのだと思いますが、間違っているのでしょうか。
子供の時代は、言って聞かせても「わからない」ことがあります。それは、常に安全が確保され、大人の庇護の下に暮らしているからです。大人は常に先回りをして、子供が危険な目に遭わないように気を配りますが、子供にとってはいい迷惑なのかも知れません。子供が何でも口に入れようとするのは、安全か危険かを確認する意味があるようです。しかし、危険な物を万が一飲み込むようなことが起きれば一大事です。そのために、子供の行動範囲には危険な物は置かず、その動きを注視しておかなければなりません。しかし、「安全」ばかり言っていても、子供は着実に成長していきます。その成長段階に合わせて、様々な「体験」をさせるのも親の務めでしょう。もちろん、何でも体験させられわけではありませんが、「危険」だと思われることについては、親が側について丁寧に教えていく必要があります。大人から見れば、子供は何事もゆっくりで、不器用に見えます。神経回路が完全につながっていない幼児が不器用なのは当然ですが、大人に時間がないときには、いらいらさせられることもあります。しかし、それをできないからと言って、罵声を浴びせたり、人格を否定するような行為で接すれば、子供といえども「心」は深く傷つくものです。虐待の案件の多くは、こうした些細なことから始まるように思います。「子供なのだから、できなくて当たり前。そのうち、ちゃんとできるようになるものさ…」という心の余裕が必要です。昔の人なら、きっと、そう言ったことでしょう。
子供は、昔も今も「子供」には違いないのです。生まれた瞬間から、少しずつ時間をかけて様々な神経が体全体に延び、10歳頃までに完成されていくと言われています。数年前に、東京の目黒区で、5歳の幼い女の子が親の虐待によって亡くなった事件がありましたが、男は、その娘に様々な約束を強制し、「守らなかった」と言っては虐待を繰り返していたと報道されました。できるはずもない無茶な要求を幼子に突き付け、できないと言っては殴り、反省文を書かせ、またできないと難癖をつけては殴る…といった行為が許されるはずがありません。人がこれほど「凶暴な鬼」になれるものなのか…と背筋が凍る思いがしますが、この男は、既に心を病んでおり、自分で自分の行為を冷静に判断する能力すら失われていたのでしょう。外では、人当たりのいい仮面を被り、家では、悪鬼のような物の怪に変わる弱い人間なのだと思います。既に裁判も始まり、重い刑罰が待っていると思いますが、病を治し、素の自分を取り戻した上で、殺してしまった我が子の冥福を祈って欲しいと願うばかりです。そして、この事件では、それを見ていた母親も「自己保身」に走り、我が子の殺される様を傍観していたといいます。この母親も毎日、虐待を受ける生活の中で心を病み、自分が何をすればいいのかさえわからなくなり、男の暴力を止める術を失っていたと考えられます。こうした事件は、この20年で次々と明るみに出て社会を騒がせました。「まさか、実の親が…?」という言葉が飛び交いましたが、もう、日本の家庭は壊れ始めているのです。イザベラ・バードの見た日本の世界は、もう、見られなくなったと言うことでしょう。社会は便利になり、生活は豊かになったように見えますが、心はそれに反比例するように荒んで行っている現実を、私たちは直視するべきなのです。
虐待を疑っていた児童相談所も「親権」の壁に阻まれ、疑いは持ちながらも、その危険度を察知することができず、幼い女の子は親に虐められて亡くなりました。そして、目黒区の事件があった翌年には、千葉県の野田市で、小学校4年生の女児が、実の父親に惨たらしい虐めを受け亡くなっています。こうした現実を、私たちは、どう考えたらいいのでしょうか。「見たくない物には蓋をする」と言いますが、政府も各自治体も、そんな日本人がたくさんいることを信じられないのだと思います。「いや、一部の大人には、そういう人間もいるが、多くの日本人は、まじめで子供を大切にする人が多い」と思いたいのです。しかし、現実に考えると、最早、日本における児童虐待数は、信じられない数に膨れ上がり、悲惨な家庭が増え、そこで子供たちが恐怖に怯えながら暮らしているのです。この「親鬼」たちは、これからどんな人生を送るのでしょう。やはり、死んで地獄に落ちるまで気づかないのでしょうか。とにかく、亡くなった子供たちが不憫でなりません。
大人は、子供を叱るときに、「自分の考えをきちんと言いなさい!」と、言い訳に苦慮し「もじもじ」している子供を叱りつけますが、なぜ、「もじもじ」しているのかを考えたことはあるのでしょうか。子供が自分の意思を口にする時こそ大袈裟に言えば、「人生最大の勇気」を振り絞る時なのです。親や教師は、すぐに、「正直に言えばいいじゃないか…」と子供の気持ちを考えている…かのような台詞を吐きますが、子供にしてみれば、「あなたを納得させる言葉が見つからないから、困っているんだよ…」という本音が垣間見えます。親や教師が子供を詰問しているとき、既に大人は、自分の想定した「答え」を用意して待っているものなのです。子供がそれを覆し、自分の意見をぶつけた瞬間に、大人はそれを真っ向から否定するでしょう。まして、自分に矛先が向けられたら、動揺し、「あんた、何言ってるの!?」と真っ赤な顔をして反論するのが目に見えているから、子供は口籠もるのです。大人だって同じことです。事件を起こして警察等で取り調べを受けると、普通の人ならば「しどろもどろ」になって当たり前です。そして、詰問されれば、必死になって抗弁するでしょう。挙げ句に、「法律に違反していない!」と嘯き、何とか罪から逃れようとするのではないでしょうか。これと同じことが子供の身に降りかかっているのですから、「もじもじ」して当然なのです。大人でさえ、人前で「恥」をかかされれば、その場にいることもできず、「取り乱す」のは、普通の神経の持ち主です。「オロオロ」したり、「バタバタ」と歩き回ったりと落ち着きをなくし、混乱状態に陥るのです。それは、子供にとっても人前では見せたくない姿に違いありません。
親や教師が「期待どおり」の答えを用意し、自分の言い訳を「納得」して貰えるのであれば、子供は、当然嘘も吐きます。人のせいにもするでしょう。それが、自分の身を守る唯一の手段であれば、仲のよい友だちすらも裏切るしかないのです。それが、未熟な子供、人間というものではないかと思います。子供は、子供なりに必死に嘘を吐き、自分の身を守ろうとしますが、その嘘は、多分、本当に吐きたかった嘘ではないでしょう。しかし、「吐かざるを得ない嘘」もあるということです。本音を言えば、角が立つことは多く、子供なりに忖度を働かせることもあります。親が傷つく、先生が傷つく…となれば、自分がすべて悪いことにして、始末をつける方法だって子供は考えます。大人はすぐに「正直じゃない…」と怒りますが、正直が何よりも優先されるわけではないことを、大人自身が知っているのに、子供には「正直」を求めるのは偽善というものです。そして、嘘を吐いた子供自身が大いに傷つき、その後、大きな後悔となって自分にのしかかってくるのです。そして、そういう立場に追い込んだ人間を一生忘れることはありません。それが、自分の親であっても、「金輪際、こいつの言うことは信じないぞ!」と心に固く誓うのです。
そもそも、大人自身が「自己否定」することができません。まあ、自己否定まではいかなくても「反省」くらいはして欲しいものです。そして、「自己弁護」だけは必死になって行います。これくらいの勢いで反省ができれば、人間は成長するのでしょうが、やはり人間の心は、それほど強くはならないのでしょう。一生、自己反省のないままに死を迎えるのだとすれば、人間とは如何にも憐れな生き物のように思います。何か失敗をしたら、「私が悪かった…」と頭を下げれば済むものを、「法律は犯してない!」「そんなんで罪に問えるのか?」「俺は悪くない!」と開き直る姿が報道されることがあります。まあ、立場や肩書きがあるので、そんなことくらいで「人生を棒に振る」のはご免だ…くらいに考えているのかも知れませんが、不祥事が起きるたびに醜い姿を晒すことになります。特に「ハラスメント」絡みの犯罪等は、自分でも「大したことはない」と思っているのでしょう。だから、動かぬ証拠を突き付けられても「黙秘」で逃げようと足掻き、挙げ句に「弁護士を呼べ!」だとか、「自分だけが悪いわけじゃない…」と必死に抗弁し、「反省」する姿は見られません。そして、最後にどうしようもなくなると、「仕方がなかったんだ…」とぼやき始めるのです。それも大人としては、当然の心理でしょう。自分の犯した過ちを認めてしまえば、罪に問われなくても、多くの人の信頼を失い、地位や立場を失うかも知れないのです。それは、大人の社会で生きていれば、死ぬことよりも恐怖かも知れません。そうして社会から脱落していった人たちは、その後、どうやって生きていくのでしょうか。「反省」でもしていれば、もう一度チャンスは訪れるかも知れませんが、反省なき人生では、二度とチャンスは巡ってくることはないでしょう。そういう嫌な姿を見せておきながら、子供には、「嘘をつくな!」とか、「正直に言え!」と詰め寄る大人の姿は、子供からしてみれば、自分のことを棚に上げた本物の「嘘つき」に見えてくるはずです。
子供の感情は、複雑なものです。生まれてこの方、親の保護の下にしか生きてこなかったのです。
どんな愚かな親であろうと、その親子関係を断ち切る術はありません。そんな弱い立場の子供が、親を怒らせ、親から見捨てられて、どう生きていけばいいのかわかるはずもありません。大人たちが、国に保護され、施設に入るか、里子に出された方が「ずっと幸せになれる」と思っていても、子供が、そんな未知な世界に飛び込めるわけもありません。だから、どんなに酷い仕打ちを受けても、「家に帰りたいか?」と尋ねられれば、「うん…」と返事をするに決まっているのです。児童相談所の職員などは、平然と、「子供の意思を確認した」と言いますが、だれが考えたって、そう言うしかない状況は、わかるだろうに…と情けなくなります。それでも、「家には帰りたくない!」と答える子供がいたとしたら、それは、余程のことがあったと考えるしかありません。弱い立場の子供が、必死に生きていこうとする最後の「決断」だとすれば、その子の勇気に拍手を送りたいと思います。
厚生労働省は、平成29年度の全国児童相談所における児童虐待相談対応件数を公表しました。速報値として13万3778件(前年度比1万1203件増)だそうです。これは、過去最多になります。統計を取り始めた1990年度から27年連続で増加しています。要するに、この数値は、有効な手立てを講じない限り、これからも「減少」に転じることはないのです。もし、これを放置すれば、日本の教育は、間違いなく「家庭から崩壊」していくことでしょう。早く、虐待防止の「監視システム」の構築が求められるところです。そして、法律を改正して、早期に裁判所で親の「親権」を停止する措置が執れるようにして欲しいものです。それにしても、日本の大人たちは、どうしてしまったのでしょう。あれほど子供を可愛がっていた日本人が、我が子に対して、ここまで理不尽な扱いができるようになろうとは、あのイザベラ・バードでさえ想像もできないことでしょう。貧しくても「子供さえいれば…」という母性や父性は何処に行ってしまったのでしょう。これは、道徳観というよりは、人間としての「本能」の部分で、「生存」に関しての意欲が低下している傾向なのかも知れません。「少子化」問題が騒がれていますが、それでも、具体的な対策が講じられないのは、日本人が、既に「生存意欲」を失いかけている証拠なのかも知れません。動物も植物も、本能として「種を残す」という使命を持って生きています。だから、どんな小さな動物でも、必死に子供を守り、その種を守ることを最優先に考えます。しかし、「少子化」になっても、「児童虐待」が行われていても、大して問題意識を持たず、具体的な対策を講じられないまま数十年が経過すれば、自ずと子供の数は減少し、人口も減り続けていくことでしょう。そして、いずれ「日本」という国が消滅していくのです。それも国の運命ならば、やむを得ないと思いますが、「種の保存」という本能すらも忘れてしまっているとすれば、問題は解決しないに決まっています。それは、日本人にとっての「最大の不幸」です。
逆説的な言い方で失礼ですが、「子供を落ち着かない、情緒不安定にする方法」ならすぐに見つかります。それは、次の三つを実行することです。親の意思に関わらず、劣悪な環境に置かれている子供は大勢います。子供に深い愛情を持っていながらも、やむを得ずそうなってしまう場合もあるでしょう。すべて、「親の責任」ではありますが、親は親で苦労を重ね、現状として、子供に何もしてやれないことを心苦しく思っている人もいると思います。「個人や人権の尊重」という言葉は美しい言葉ですが、それによって家庭が孤立し、だれの援助を受けられないまま「自己責任だ」と放置されれば、社会の弱者が増えるだけではないのか…という疑問が生まれます。何とか、救いの手を差し伸べる方策はないのでしょうか。さて、その「三つ」とは、次のことを言います。
① 子供に、昼夜逆転の生活を送らせる。
② 子供を、常に飢餓状態に置く。
③ 子供を、常に命令し、大声で怒鳴る。
どれも、虐待に近い子育てですが、こういう生活を日常的に送らせれば、子供は間違いなく「情緒不安定」になり、健全に育つことはありません。だれもが、「あり得ない!」と叫ぶだろうと思われる行為ですが、しかし、親に悪意がなくても、こういう状態に近い環境におかれている子供がいることは確かです。そして、それは年々増加しているという現実を考えると、日本は既に世界の「先進国」でないことを証明していると思います。
(① 昼夜逆転の生活を送らせる)
このような状態に置かれれば、子供は、生活リズムを作ることができません。そもそも人間は、「体内時計」によって体をコントロールし、精神的安定を得ています。特に幼い子供にとって、生活リズムが崩れることは致命的でさえあります。「就寝、睡眠、起床、朝食、登校、授業、給食、清掃、授業、下校、宿題、夕食、風呂、そして就寝」と毎日の生活は規則正しくあることが望ましいことは、だれもが承知していることです。世界中の軍隊で規律が重視されるのは、何も「命令に服従させる訓練」というだけのものではなく、規則正しい生活を送らせることで、体調を管理し、病気やけがに強い肉体を保持させることにあるのです。そして、栄養価の高い食事を摂らせることで、脳の働きを活性化させ、瞬時に行動できる反射神経を養っています。そして、優秀な軍隊は「休養」を重視します。「軍隊」は一見、不合理なことをするように見えますが、不合理な事態に陥っても、「冷静に判断し行動できる人間を養成する」という意味においては、見習うべき点は多いはずです。まして、まだ神経が未成熟な子供の段階で、不規則な生活は絶対にしてはなりません。小学校に入学すれば、登校後も、45分間授業、10分の休憩時間、45分の給食時間等、分刻みで日課表が組まれていますが、これを教師の判断で勝手に変更することは許されません。子供の頭と体には、この「リズム」がインプットされていますので、子供にしてみれば、これが、学校と自分との「約束」なのです。この「約束」を一方的に破棄したり、約束を歪めたりすると、子供は、「ええっ…?」「何で…?」と不満を表情に表します。もし、子供との約束を守れない状態になることがわかっていれば、事前に説明し、子供たちの了解を得る必要があります。それは、直前ではなく、できれば「前日」には、謝罪と説明、変更点を十分理解させたいものです。安易に「子供だから…」と侮ると、子供から、「この人間(教師・親)は信用ならない」というレッテルを貼られることになります。それは、親でも教師でも関係ありません。約束は人間同士の「信用手形」なのです。子供といえども、信用のできない人間とは、金輪際、約束してはならないのです。それくらい「生活リズム」は子供の成長には不可欠です。大人は仕事で「徹夜をした…」などと、誇らしげに語ることがありますが、仕事の効率を考えれば、けっして誉められる働き方でないことは確かです。それが、頻繁に繰り返される企業は「危ない…」と考えた方がいいでしょう。
(② 常に飢餓状態に置く)
「飢餓状態」とは、何も、「食事」のことだけを指すわけではありません。肉親としての「愛情」や人間らしく生きていく上での「清潔」な環境、十分な「栄養バランス」を考えた食事、多くの人との「関わり合い」など、人が成長する上で欠かすことのできない「最低限の暮らし」はあるものです。しかし、それらが如何にも不十分で、その多くが欠乏しているような「飢餓状態」に置かれている子供が多いのも現実です。食事は、何も、体を維持するための栄養を摂取するといった意味だけでなく、「食卓を囲む」環境を整えることによって、自分が「親から愛されている」ことに気づく機会となっています。家族で冗談を言い合う、笑いがある、困れば、相談できる…など、食卓を囲む効果は大きいのです。しかし、近年のように一人親家庭が増えていくと、親の多忙化のために子供の食事は疎かになります。「孤食」も増え、黙々と腹を満たすためだけに飯を食うという有様です。これが愛情の「飢餓状態」を作ることになるのです。時々、子供に対して、「何も言わなくても、わかっているはずだ…」と大人にとって都合のいい「言い訳」をする親がいますが、そんな言い訳が辛い毎日を送っている子供に理解できるはずがありません。子供は「聖人君子」ではないのです。そんな何でも悟って理解できるようなら、そんな家庭にいるはずがありません。詭弁を弄されて困るのは、子供の方なのです。子供は生まれた瞬間から、親とは「別人格」を持っています。親子という血縁関係はありますが、人生を共にすることはできません。まして、親の思考など「言葉」にしなければ、わかるはずがないのです。「わかるはずだ…」は、親の身勝手な思考そのものであり、子供を自分の所有物であるかのような錯覚の賜物でしかないのです。
いつもイライラと機嫌が悪く、子供の顔を見れば叱ってばかりいる親は、遠からず子供から見捨てられることになるでしょう。そして、親に与えて貰えなかった愛情を他に求めようとするのです。
それが、恋人であったり、友人であったりするなら、まだいい方です。「反社会的グループ」に自分の居場所を求め、転落していく子供や若者が多いのは、そうした「愛情飢餓」が原因していると思われます。もちろん、親にだって言い訳はあるでしょう。だったら、正直に話せばいいのです。そして、子供に「すまない…」とひと言、謝ればいいのです。その「正直」さは、子供にも伝わります。だから、どんなに辛くても「親子」として生きていこうと決心できるのではないでしょうか。「子供のくせに…」は、大人の困ったときの常套句です。自分の至らなさを指摘され、子供に言い負かされようものなら、後は、怒鳴るか、殴るか、それとも、食事抜きの制裁を加えるか…、まあ、どちらにしても子供にとって、いいことはありません。そして、愚かな親の捨て台詞は、きまって、「子供のくせに…」です。このひと言で、この親子関係は決まります。いずれ、自分が年老い、子供が大人になったとき、この言葉の重さを知ることになるでしょう。人は、簡単に「親子関係」と言いますが、身近であればあるほど、お互いを「尊重する態度」が必要です。確かに子供は親に「甘え」ます。しかし、それは、依存しているのではなく、本能として自分の唯一の「理解者」としての確認をしているのです。それは、ときには無理を言い、親を困らせることもあるでしょう。そして、失敗をすれば親に叱られます。それも、子供が自分の理解者としての「親」を確認している姿なのです。だから、子供もけっして「飢餓状態」に置いてはいけません。特に「愛情」の飢餓は、食以上に苦しいものです。衣食住が満ち足りたとしても、本当に必要な「愛情」を得られなければ、子供は健全には育たないのです。
(③ 常に命令し、大声で怒鳴る)
こういう大人は、本当に「始末の悪い」大人です。子供だからといって大声で罵声を浴びせていいはずがありません。大声を出すには出すなりの理由があり、年中、大声で騒がれては周囲が迷惑をします。最近では、若者だけでなく中高年や高齢の男性でも、興奮して他人に「狼藉」を働く事件が多発しています。特に最近眼につくのが、「駅員や店員への横暴な振る舞い」です。社会が何でも「質の高いサービス」を求めた結果、客が勘違いをし始め、「金を払っているんだから、おまえ等は俺の言うことを聞け!」とばかりに横柄に振る舞う人が増えました。特に電車は、事故や災害があれば臨時停車もありますし、運休も考えられます。それを承知で「公共交通機関」を使っているのですが、やはり、勘違いをした人は、「自分の思い通りにならない…」と言っては、駅で騒ぎ、駅員や周囲の客に迷惑をかけています。いつ頃からかは、わかりませんが、有名な演歌歌手の台詞のように「お客様は、神様」になってしまったようです。こうした勘違いが起こるのも、何でも「サービス業」という扱いをして、「客が偉い」という教育を企業等がしてきたからだと思います。確かに、駅で切符を買い電車にも乗りますが、あんなに安い運賃で乗車できるのも、たくさんの人が利用しているからであって、客は、その運行の費用の一部として運賃を負担している程度のことでしょう。けっして「客が偉い」などということはありません。そして、学校では、そんな教育は絶対にしません。また、学校も「サービス業」として扱われています。記憶では、以前、文部科学省が「教育もサービスのひとつ」だという説明をしたことがありました。最近は、あまり聞かなくなりましたが、日本では、「サービス=奉仕=無償の提供」といった意味合いがあり、外国のサービスとは捉え方が違います。この考え方で行くと、日本の学校は、子供や保護者が「客」であり、その「客」に「高いレベルの無償の奉仕」を捧げて当然だという理屈になります。これでは、対等な関係は築けません。まして、「お客様」である子供を叱るなど、以ての外の所業ということになります。おそらく、文部科学省の役人は、そういう意味で使用したのではないと思いますが、受け取られ方に気をつけないと、とんでもない行動をとる人間が登場するのです。
介護の世界でも、世話を受けている老人が「介護士」に対して暴言を吐き、トラブルになるケースの話も最近よく聞く話です。確かに、高齢となり脳が萎縮することで、自分が発している言葉(毒)に本人は気づかないのかも知れませんが、「俺は金を払っているんだ!」という傲慢さが見えています。駅の客も老人も、何故、こんなにも勘違いをしてしまうのか、不思議でなりません。そもそも、人間は「謙虚さ」を学ばなければなりません。人に対して「謙る」という文化は、けっして恥ずかしい文化ではありません。国際社会は、何でも積極的に前に出て発言するとことをよしとしますが、本当に外国人みんながそう思っているのでしょうか。もちろん、政治やビジネスの世界では、謙虚さは通用しないのかも知れませんが、人間として見れば、謙虚さを持つ人間は「美しく」見えます。外国人であっても、普段の生活の中で、常に競争しあうような暮らしは疲れるはずです。やはり、顔見知り同士が「譲り合い」、お互いを「敬い」ながら暮らすのが一番穏やかで心地よいものです。そして、その謙虚さは、子供の頃から「世のため、人のため」という「仁」の心を学んできたからこそ、自分の心に深く刻み込まれていくものなのです。しかし、それを忘れ、「己の利益」だけを夢見て生きていけば、人として大切なことを何も学ばず、生涯を終えることになります。情けない話ですが、老人になり、経済的に恵まれていたとしても、死んで立派な戒名を戴いたとしても、あの世で「お釈迦様」は、許してはくれないでしょう。「金さえ払えば…」という経済神話の世界だけで生きていくと、大切な人間性を失い、残るのは「傲慢さ」だけになるのです。若い介護士に、「早くしろ!」「何してる!」「ばか野郎!」…。自分の体を自分で面倒も見られない老人に、四六時中こんな暴言を吐き続けられて、我慢できる人間などいるはずもありません。「お年寄りのためになれば…」と、優しい心根で介護職を目指した純粋な若者が、こうして、夢破れて離職していくのだと思うと情けなくなります。晩年になって、若い人間の人生を壊した老人は、往生際に、残される妻や子に、何を語るというのでしょうか。「死んでもらって清々した…」では、長い人生、憐れとしか言いようがありません。もう少し、自分の人生を考えてみたらいいと思います。
さて、そう言った乱暴な言葉が、子供に四六時中浴びせられたとしたらどうでしょう。愚かな教師が、それをやれば「懲戒免職」という「教員不適格」の烙印が押されて、二度と、教育の世界に戻ることはできなくなります。しかし、家庭内で起きているとすれば、親から「親権」を取り上げることができるのでしょうか。同じ子供が、教師の暴言なんかより酷い「言葉の虐待」を受けていても、親を諫める手段がないのが現実です。今の児童虐待防止法には、家庭内の親の暴言も「虐待」として定義されていますが、それを取り締まれるほど児童相談所や警察は、権限を持たされていません。結局は、「乱暴な親だ…」程度の認識でしかなく、子供はその親に怒鳴られながら、生きていくしか道はないのです。つまり、教師は非常に厳しい「法律」の中で管理されていますが、親は、法の盲点の中で自分勝手に生きられるのです。子供への「暴力行為」も、他人の子供なら「傷害罪」や「暴行罪」で即逮捕となり、氏名が公に晒され、いわゆる「社会的制裁」を受けることになります。悪質ならば、顔写真も報道されるでしょう。結局、勤めていた会社は懲戒免職、家族も一家離散の憂き目に遭い、親権どころの話ではないのです。にも関わらず、我が子であれば「お咎めなし」では、暴言、暴力を受け続けた子供は、あまりにも理不尽ではありませんか。「親は、無条件に子を愛するもの」という認識が、あまりにも常識過ぎて法で規制することに馴染まなかったことはわかります。しかし、現代日本は、そうではないのです。たとえ親であっても、我が子を愛せない人間もいるし、虐待をしてしまう人間もいるのです。親子だから、家庭内の問題だから…といって放置されれば、生涯に渡って苦しむ子供は大勢いることを私たちは、知らなければなりません。法律は、時代に合わせて作られてはいませんので、早急な法改正が求められますが、これまでの日本人の「常識」や「道徳性」に期待ばかりしていると、いつの間にか、国が内部から崩壊してしまうかも知れないのです。戦争などの行為は、目に見える「危機」ですが、「道徳の荒廃」は、目に見えにくい「危機」として捉える必要があります。日本人が「自律」という言葉をもう一度思い出して、「謙虚さ」を一日も早く取り戻して欲しいと願うばかりです。
第四節 日本人は「日本語」で育てたい
日本人は、自国の言葉である「日本語」をどう思っているのでしょう。「国語は、その国の文化」
という言葉がありますが、日本は、日本語で「歴史と文化」を育んできたという事実を忘れてはなりません。その「国語」である日本語を、今の日本人は、疎かにしてはいないか…という疑問が常に頭に過ります。政府は、小学校から「英語教育」を導入しましたが、国語も覚束ない頃から外国語を学んでも、よい効果は得られないと思うのですが、やはり、世界の共通言語である「英語」を学ばなければ、これからの「グローバルな時代」には通用しないと考えているのでしょうか。よく、「日本人は、何年も学校で英語を勉強しているのに、英語が身につかない。これは、教え方が悪いからだ…」と言う意見を耳にしますが、本当にそうなのでしょうか。「日本人に英語が身についていない」というのは、何を根拠にしているのか、私には疑問です。そもそも、英語=「英会話」と言われるようになったのは、戦後のことです。それも、つい最近まで、英語は「読む」ことが主流で、「会話」は二次的な扱いだったように記憶しています。それどころか、私には、日本の英語教育はとても成功しているように見えるのですが、如何でしょう。
そもそも、明治維新を迎えた日本は、急速な近代化のために、西洋の技術を習得することに躍起になりました。それはそれで、日本の「独立」を保持するためには、必要な施策だったと思います。その中で、「英語」の必要性が出てきて、学校で教えることになったことは理解できます。文部大臣を務めた薩摩の森有礼などは、「日本語廃止論」まで叫んだくらいですから、当時の政治家たちが、如何に日本語が「国際化の障害」になると思っていたかがわかる逸話です。しかし、森たちが忘れていたのは、日本人は「日本語で生きてきた」という事実です。森有礼という人物の肖像写真が残されていますが、どこからどう見ても日本人にしか見えません。どんな立派なフロックコートを着て、シルクハットを被り、立派な髭を蓄えようとも、その黄色い肌と、小さな体、体に比して頭の大きい姿を見れば、白人種に見えるわけがないのです。そんな日本人が日常会話を英語で話そうと、「日本語はどうした?」「東洋人のくせに英語を喋るのか?」と、陰では外国人に笑われていたのではないでしょうか。下手な英語を必死になって喋る日本人を見て、当時の西洋人は、気の毒に思っていたことでしょう。精一杯背を伸ばし、高級な洋服に身を包んでいても、隣に西洋人の男性が並べば一目瞭然です。他と比較するのが大好きな日本人が、その「差」に気づかないはずがありません。それでも、必死になって西洋に「追いつこう」とした努力は、涙ぐましいものがあったと思います。しかし、今なら、和服(羽織袴)に脇差しでも挿して、堂々と振る舞っていた方が見栄えも良く、尊敬されるのではないかとさえ思います。無理に「形」だけ真似をしても、立派に見えないのは今も昔も同じです。
では、なぜ、日本人が長い時間勉強をしてきたにも拘わらず、英語が流暢に遣えないのかと言えば、要するに「遣う必要がない」からです。少し、冷静になって考えてみればいいと思います。今の日本では、家から一歩外に出れば、「アルファベット文字」が街中に乱立しているではありませんか。日本語の会話の中にも「英単語」はひっきりなしに出てきます。特に政治家や学者、有識者と言われるような人たちは、日本語の適切な単語があるにも拘わらず、敢えて英単語を遣うことで、自分が少しでも「教養」のある人間と見せたいらしいのですが、教養とはそんなものではありません。日本語の中に英単語が混じると、何を言いたいのか、その話の趣旨がわからなくなります。以前、ある政治家が「リスペクト」という単語を遣い、慌てて辞書で調べたことがあります。単に「尊敬」と言えばいいのに、それを「リスペクト」などと言うものだから、その政治家の私の評価は一気に下がりました。特別に英単語を遣わなくてもいい場面で、敢えて遣って見せることで自分を大きく見せたいのでしょう。政治家とは、本当に「卑屈」な職業になったと思います。もっと、自分の本音で国民に語りかけ、本気で「国のため」に仕事をして欲しいものです。
これだけ、社会に英語が入り込んでくると、英語の文章を見ても、今の日本人はそんなに違和感は持ちません。ただ、辞書がないと意味が掴めないだけです。個人経営の企業や飲食店などでは、アルファベットを上手に組み合わせて「社(店)名」にしたりしていますので、あまり意味は考えない方がいいのかも知れません。しかし、よく考えてみてください。これは、日本に英語が定着している証拠なのではありませんか。日本語の文章の中に英単語がひょっこり出て来たり、企業や店名に「横文字表記」が出て来たりと、私たちの生活の中で「英語」は、最早、「日常語」と化しているのです。確かに、私たちの英会話は未熟です。英単語もたくさんは知りません。それでも、生活圏内に外国人の姿を見るのは普通になりました。飲食店も多国籍の料理が、いつでも食べられます。英語表記の店を見つけても、美味しければ進んで入ります。ただ、会話がちょっと苦手なだけで、外国文化は十分に日本に溶け込んでいるのです。これで、何が「失敗」だったのでしょう。
明治維新以降、英語教育を取り入れた日本は、遣わない「会話」を重視した英語教育とはなりませんでした。もちろん、一部の政治家や外交官、経済人には、英語の会話能力は必須だったことでしょう。しかし、90%以上の日本人には、特別、身につけなければならない能力ではなかったのです。学校の授業で習う英語も、主は「英文和訳」でした。そもそも、会話を主と考えれば、英文和訳など「百害あって一利理なし」に決まっています。折角、英語の文章に慣れようとしている矢先に、「日本語に訳せ」では、何の為の英語なのかわかりません。「英語の文章を英語で理解できる」から英語の学習があるのであって、それを、わざわざ自分たちの国の言語に改めて意味を考えるようでは、会話は到底覚束ないでしょう。しかし、国としては「それで、いい」のです。なぜ、日本が「英語」を学校教育に取り入れたかと言えば、「英語の文章」を理解する必要があったからです。幕末、開国が進んだ日本には、洋書がどんどん入ってくるようになりました。最初は、オランダ語の洋書でしたが、最終的には、すべて英語に訳されていることを知った日本人は、こぞって英語で書かれた洋書を購入するようになったと言われています。日本に来日した外国人のほとんどは、英語で会話をしました。だから、日本人は、その「発音」を聞き、その発音のままに日本語の辞書にまとめたのです。そして、日本語は、どんな英単語や文章も訳すことができました。たとえば、「democracy」 という思想が入ってきたとき、これを日本人は、「民主主義」と訳して見せました。「Free」を「自由」と訳せたのも日本語だからです。これは、日本語の持てる力なのです。
日本語が「難しい言語」だと言われるのは、日常会話にあるのではありません。日本語には、ご承知のように、「音」と「訓」があります。音は、「発音」ですが、訓は「意味」を表します。だから、「はし」とひらがな表記されても意味はわかりません。しかし、漢字に直せば「箸」「端」「橋」にもなるです。こうした漢字は、意味を持たせることで、外国語も、その意味に合わせて漢字で表記することができたのです。その上、日本語は、同じ意味でも、季節や時間、相手、場所などによって、適切だと思われる使い方が無数に存在します。たとえば、「明け方」の様子を表す日本語には、「暁(あかつき)」、「東雲(しののめ)」、「曙(あけぼの)」、「黎明(れいめい)」、「払暁(ふつぎょう)」などの漢字があります。この微妙な違いは、だんだんと夜が明け、陽が昇る様を表しますが、これを英語に訳しても、日本語のような情緒的な言い回しにはならないでしょう。そして、日本人は、言葉に対して「道具」という考え方はしません。「言霊(ことだま)」という言葉があるように、言葉が「生きている」と考えるのは、日本人くらいではないでしょうか。日本人は、古代から「言葉を大切にしてきた」民族です。そのために、歴史に残された文書も多く、平安時代の暮らしがわかるのも「源氏物語」などの文学が残されているからです。これらは、すべて「日本語」で表記された日本の貴重な財産なのです。そのために、今でも、科学的な根拠のないような「迷信」の類いが信じられたりもします。若者が言い始めた「パワースポット」などと言いながら神社仏閣を巡る「旅」などは、日本人的で楽しい旅行の仕方だと思います。また、「縁起がいい」と言いながら、美味しい地方の名物を見つけたり、「茶柱」に一喜一憂したりするのも、日本人らしい文化の一つです。こうした文化に接した外国人は、日本という国に興味を持ち、自分たちの文化とは違う世界を日本に見つけることができるのです。だれしも「神秘」的なものに対しては、憧れのような心情を抱くものです。何でも「科学」で立証してしまい、できなければ「迷信」と片付けてしまえば、神秘さを感じることもできません。人間は、必ずしも「現世」だけを信じているのではありません。世界中で「宗教」があるのは、人間がそれだけ弱い生き物だからだと思います。奇跡など起こらなくても、「何かに縋りたい」という思いは、人間であれば、国籍に関係なく持っている心情でしょう。そういう意味で、それを「言葉」で表現できる日本人は幸せだと思います。
さて、日本が明治時代に「開国」された後、日本の研究を始めた外国の学者は一様に驚いたと言われています。それは、アジア極東の島国に、中国にも、他のアジア諸国にも、欧米にもない新しい文明があったからです。アメリカの政治学者「サミュエル・ハンティントン」は、今から20年ほど前に「文明の衝突」を著し、その中で日本を「中華文明から独立して成立した独自の文明である」と結論づけました。それを是とするか否とするかは、意見の分かれるところかも知れませんが、外国人の研究者でさえ、そう見える「独特の文化」が日本に存在していることは否定できないでしょう。それを育んできたものは、紛れもなく「日本語」だと言うことです。そう言うと、評論好きの大人たちは、「そんなことは、承知している」としたり顔で言うでしょう。そして、「これからのグローバル化された社会には、英語は必須だ。既に隣の韓国では、徹底的に英語教育を進めているではないか!」と、必ず比較論で叫ぶのです。この何でも外国と「比較」して、自分の国を貶めたような言い方をするのは、戦後の特徴のような気がします。今でも「反政府論」は、一定の国民の支持を得ているようで、特にマスコミは、政府の政策に反論することを会社の方針としているようです。しかし、比較論は日本には馴染みません。なぜなら、日本が「グローバル化」して、他国と同じようになることを多くの日本人は望んではいないからです。だから、日本人の多くは、未だに「英語必須論」には、賛成を表明していません。なぜなら、英語は既に日本の私たちの生活に溶け込んでいる言語だからです。
中学校からの英語教育の改革を行わないまま小学校に英語を導入しても、中学校英語の前倒し教育が行われるだけで、子供にとっては、「難しい教科がひとつ増えた」と言うだけのことでしょう。
本当は、もっと穏やかな「楽しい英会話」や「楽しい英語活動」でよかったはずなのに、政府は何を焦って導入したのか、反対論がある中での「小学校英語」の解禁でした。しかし、国語である日本語をしっかり習得しないまま、英語教育が前のめりになると、子供から嫌われる可能性があります。何でも「コミュニケーション能力」と言われても、外国人と同じような形にはなれないのが日本人です。それでも、日本を知る外国人の多くは、日本人に「日本人らしさ」を求めているのです。同じ服を着て、同じ髪型をして、いくら流暢な英語を喋っても、外国人は日本人を認めるとは到底思えません。逆に、「おい、日本人はどうしたんだ?」「日本人の文化はどこに行ったんだ?」と嘆くのではないでしょうか。外国人は、日本人に「自分たちと同じようになれ!」などと言ったことは一度もないと思います。それより、早く、高性能の「携帯翻訳機」の普及を促した方が、日本らしいと思います。日本は、「ものつくり」の国だからこそ、下手な英語を難しい顔で操るより、携帯翻訳機を遣いながら、笑顔で外国人と会話をするうちに英会話にも慣れ、コミュニケーション能力を高めていった方がいいと思うのですが、どうも、そういう議論はされなかったようです。
政府や学者は二言目には、「グローバル、グローバル」と叫びますが、グローバル化で必要なのはいったい何なのでしょうか。本当に「英会話能力」なんだろうか…と思います。そもそも、グローバル化自体が、「本当にそれでいいのか?」という疑問を持ちます。今回のコロナ騒動で、世界の各国が行ったことは、グローバル化などではなく、国境を閉じた「封鎖化」でした。もちろん、怖ろしい感染症ですから、それはわかります。しかし、度々、このような事態に陥れば各国は、グローバル化などと言ってはいられない…というのが現実です。日本は、正直にグローバル化の波に飲み込まれて、日本の工場を海外に移転して「グローバル企業」をアピールしていましたが、結局は、マスクすらも国内で生産することができず、海外(中国)に頼っていたという現実がわかりました。半導体も今や品不足で、国内で作りたくても原材料が手に入らないとのことです。これでは、電気製品に囲まれた日本人の暮らしは成り立ちません。まして、日本が頼りにしていた中国は、西側諸国と一緒に経済を発展しようという気持ちはなく、日本にも無理な要求ばかりをしてきています。また、ロシアは、突然に隣国ウクライナに侵攻し、日本とロシアとの関係も最悪な状況になっています。こうした中で、本当に「グローバル化」することが、日本の発展に有益なのでしょうか。もう一度考えてもらいたいと思います。日本人は「素直で正直」なので、政府や知識人がそう言うと、「そんなものか…」とあまり疑わずに従おうとしますが、今の世界情勢を見ていると、この方針には「危うさ」しか感じません。教育の世界にもグローバル化の波はどんどんと押し寄せてきていますが、本当に政府を信じていいのでしょうか。
ところで、今、日本の中で、一番外国人との「コミュニケーション」が上手に取れるのはだれかご存知ですか。それは、下町商店街やお土産屋の「おばさんたち」なのです。一度、そんな店や観光地に行ってみればいいと思います。店のおばさんは、確かに、英語は片言でしか話せません。外国人客が訪れても日常会話は基本「日本語」です。ただし、このおばさんたちは、人に対しての忖度はありません。偉い人だろうが、見知らぬ外国人だろうが、遣う言葉は常に一緒なのです。もちろん、本人はそれなりに気を遣ってはいるのでしょうが、傍から見ていてもそれはわかりません。それでも一生懸命笑顔を振りまき、客を選ばず、茶を勧め、さりげなく商品の宣伝をします。しかし、無理な「押し売り」はしません。おばさんにも、「日本婦人」としてのプライドはあるのです。それでも、外国人が客として来れば、どこの国の人間でも構わない…という態度は一貫しています。だれでも来れば、知っている英単語を駆使して接客を行います。しかし、その会話の8割は日本語です。それでも、客の外国人は嬉しそうに日本語混じりの母国語で話し、最後にはおばさんと握手をしたり、「ハグ」をしたりして店を出て行きます。そして、もう一度振り返り、「サヨナラ…」と日本語で挨拶し、手を振って別れていくのです。中には、お辞儀をしたり、手を合わせる人もいます。見ていると、これが、なかなか「面白い」風景なのです。お互いが一生懸命理解し合おうと知っている単語を並べ、話をしているうちに何となく打ち解け、人間同士の交流が生まれます。そして、最後には「ほっこり」とさせてくれる温かさがあります。それは、商品が売れたかどうかではなく、人間同士の「いい関わり」だけだ残るのです。グローバル化を叫ぶ人たちは、やはり、「それでは、ダメ!」だと言うのでしょうか。おそらく、英語推進論者の偉い人にしてみれば、「こんなのは、グローバル社会と何の関係もない!」と怒られることでしょう。彼らは、「ディベート」のように、言葉を駆使して外国人と議論しても負けない国民を作りたいのでしょうが、それでは、日本人ではなくなってしまいます。もちろん、一部の政治や外交を司るような人たちには必須なのでしょうが、一般国民にまでそれを求めるのはどうでしょう。ちょっと向かっている方向が違うような気がします。
それより、日本人として必須な「日本語」の勉強はどうするのでしょうか。成人しても「礼儀」も知らず「言葉遣い」もままならず、子供がそのまま大人になったような「日本人」がたくさん世の中に出てきている現実をどう考えるのでしょう。それが「若者」だけなら、まだ許せます。しかし、今や高齢者たちも、あきれた言動をする人たちが大勢います。最近の事件報道の中でも、高齢者の事件が多く目につくのは事実でしょう。反政府運動のデモ行進を見ても、その顔ぶれは高齢者ばかりです。これは、偏見かも知れませんが、昔は「老人」といえば尊敬の対象でしたが、今や子供以上に迷惑な存在になっています。もちろん、良識ある人がたくさんいることは承知していますが、一部でも、社会に迷惑をかける老人が出てくれば、その全体の評価は下がります。そして、その言葉遣いも若者と同じように幼く、昔の面影はなくなりました。それが、「社会の進歩」と言うのならやむを得ないことですが、日本人としての「よさ」まで見失うような社会は、けっして「豊か」ではありません。こうなった原因は一体何だったのでしょう。
最近、町の書店が次々と閉店しています。どうやら、需要がないのだそうです。少し前から出版業界が苦しくなった…という話は聞いていましたが、現実に町の書店が閉店になると、出版業界が既に時代遅れになっていることがわかります。社会全体にコンピュータが導入され初めて以降、印刷物は「古い産業」の代表のようになってしまいました。電車に乗っても、以前のように週刊誌を読んでいる人も、新聞を読んでいる人も見かけません。みんな、黙ってスマホを弄っています。確かに、タイムリーに情報が入ってくるスマートフォンは、非常に便利な道具です。活字を読みたければ、その画面上で読めばいいのです。今や「電子書籍」まで登場している時代ですから、わざわざ、書店に行って本を選ぶ必要もないのでしょう。しかし、これで「読書」になるか…と言われれば、判断は難しいところです。それに、電車の車内で過ごすのなら、やはり、読書よりゲームの方が面白いと思います。しかし、日本人としての「教養」という視点で考えると、どうも「スマホで学ぶ」というのも、なかなか理解できません。もう少し、時間が経過すれば、書籍自体がなくなり、すべてタブレット端末で「読む」時代が来るのかも知れませんが、やはり「本を読む」という学びを通さないと、言葉は身に付きません。最近、だれもが「メール」という手段で、人との関係を作っているようですが、あまり長く文章を書かなくても要件だけで済ますことができるので、手軽な道具になっています。しかし、手軽な分だけ面倒なことは避けがちになり、益々、日本語力は低下していくことでしょう。確かに、「言葉」には流行がありますので、一概に今の世相を批判もできませんが、日本人が日本語を粗末に扱えば、その未来はけっして明るいものにはならないと思います。
「言葉」は生きものなようなものだと言われます。大事にすれば「元気」に育ちますが、粗末に扱えば言葉も死んでしまうのです。一度死んだ「言葉」は、二度とその人間に宿ることはないのです。日本語には、「言霊が宿る」と言われています。言葉には不思議な力があり、その言葉が持つ力は人を動かすほどのエネルギーを秘めてもいるのです。今でも、日本人は何か目標を定めて頑張ろうとしているときは、自分の見えるところに「努力」や「根性」などの文字を貼り、自分の気持ちを奮い立たせることがあります。受験生が鉢巻きに「必勝」などと書くのも、昔からの習慣の一つでしょう。そして、自分の口から「言葉」として発したものには、霊力が宿り、力を与えると言われているのです。こうした感性を「迷信だ…」と片付けてしまえばそれまでですが、それをやることで、自分の気持ちが高まるのであれば、現代でも十分価値のある行為でしょう。こうした日本の伝統に基づいた習慣をばかにして、一生懸命日本語を勉強している子供に、「そんな難しい言葉を覚えてどうするんだ…?」などと、如何にも「無駄」なことでもしているかのように尋ねる人がいます。自分の狭い価値観に合わせて、何でも「そんなことをして、どうする?」と聞くのです。人生を「損得」だけで生きている現代人にはありがちですが、どうも「即効性」のない勉強は、価値がないと思っているようです。
自分が学ぼうとしない大人は、すぐに「無駄だ!」「意味がない!」「やめとおけ!」と、人の努力を邪魔しようとします。子供が「読書」を楽しんでいても、「本ばかり読んで、どうする?作家にでもなるのか?」と、人を小馬鹿にしたような言い方で、子供の心を平気で傷つけます。要は、
「利益にも、得にもならないことは、するな!」と言いたいのでしょうが、それを言っている人間が、幸せそうに見えないのはなぜでしょう。損得に聡い昔の「商人」だって、そんなばかなことは言わなかったはずです。なぜなら、彼らは「教養」が商売をする上で大切な資質だということを知っていたからです。一見、無駄なようなことでも、巡り巡って自分に返ってくることを知らないのでしょうか。たとえば、有名なプロ野球選手が音楽を聴いたり、読書に親しんだりしていたら、無駄だと笑うのか…ということです。「教養」と言われるものの多くは、心が育っていないと、どうも無駄に見えるようなのです。そう考えると、現代では、「難しい日本語を学ぶことは無駄」なのかも知れません。それより実利的な「英語」を学べば、「外国に行っても困らないだろう…」とか、「就職に有利だ…」とかの話になってしまうのです。まさか、政府自体がそう考えているとは思いませんが、失礼ながら、「言葉の貧しい」人間は、「心まで貧しくなる」という典型だと思います。そういう日本人は、言葉の大切さを知らず、いつでも「流行言葉」で用を済ませようとします。新聞や雑誌の類いもつまらなくなったのは、そういった社会の風潮に乗った結果なのかも知れません。いくら高尚な評論や文章を載せても買ってくれなければ、商売は成り立ちません。そのために、新聞や雑誌が社会に合わせて内容の質を落としているうちに、今のような斜陽産業になってしまったともいえます。
それだけではありません。言葉を粗末に扱えば、「情緒」が育たないのです。だから、最近の日本人は、やたら攻撃的になり、良質な言葉を持たないから手や足が出るのかも知れません。いい老人が、「うるせーっ!」「ばかやろう!」と、人前で怒鳴る姿は、日本人の悲しい末路を感じます。
それを見て、「ああは、なりたくない…」と思うのですが、多くの日本人がそう言う行動を取れば、そんな醜さも日常になってしまうのでしょう。最近、「あおり運転」の罰則が強化され、自動車には「ドライブレコーダー」が必須になってきました。何が気に入らないのか、他人の車に対して危険運転を誘い、傍若無人に振る舞うドライバーの姿からは、日本人らしい品性は感じられません。実際に、逮捕されて社会的制裁を受けるのでしょうが、その場の雰囲気だけで行動してしまう「判断能力」は、きっと動物以下なのかも知れません。本能というよりも、精神的な部分で「病」に罹っているような気がします。こういう人間が、どういう生い立ちをしたのかは、わかりませんが、余程、心が酷く傷つく経験を何度もしたことで、人が信用できなくなり、大人になっても過激な行動を採らせてしまう…と考えると、そうした人も気の毒になります。子供のうちに、愛情に満たされた環境で育てば、そんな偏った人間にならずに済んだのに…と思いますが、社会全体が病んで行くと、日本人としての「感性」を失い、何事にも攻撃的な言動になっていくような気がします。今のマスコミや政治家、評論家たちの言動を見ても、年々言葉が過激になり、自分が気に入らなければ、相手をとことん追い詰めるやり方は、どうも日本人には馴染みません。本人は、悦に入って楽しいのかも知れませんが、自分の「醜い顔と言葉」をもう一度見直した方がいいと思います。とにかく、「言葉」を疎かにした国民に明るい未来など絶対に来ないことを早く悟るべきなのです。
子供の学びの基本は、国語である「日本語」の習得にこそあります。学校でも一生懸命「読み聞かせ」や「読書の時間」を設け、「音読」なども取り入れて「読む」習慣を身につけさせようと取り組んでいますが、如何せん「結果主義」の風潮は、こうした地道な教育を嫌う傾向にあります。すぐに、「そんなことをして、何の役に立つんだ!」とか、「そんな暇があったら、漢字のひとつも書かせろ!」と、音読や読書などの活動を否定的に見る大人がいることも事実です。また、古典の漢詩や論語などを扱おうとしても「古くさい」「時代錯誤」だのという誹謗中傷も浴びせられ、教師の意欲を挫く意見を耳にします。自分の信じる教育があることは自由ですが、学習指導要領に則った教育を行うことすら否定的に評価され、学校の教育実践に口を出されれば、教師の多くは何もできなくなります。地域や保護者の意見を尊重するのは「当然」かも知れませんが、意見を聞きすぎると、学校の主体性がなくなり、地域や一部保護者に振り回されかねません。全国の学校では、こうした問題が起きているのです。
まして、今の学校には「ゆとり」がありません。悠長に「読書」や「読み聞かせ」などをしている時間があるのなら、「計算ドリル」や「漢字ドリル」でもやらせて、少しでもテストの点数を稼がせる方が親が喜ぶとばかりに、一番安直な方法を選ぶ学校もあります。そして、少しばかり平均点が上がれば、「学力が向上した」と言うのですから、どういう評価をしているのか…と疑問だけが残ります。特に、国が実施している「全国学力調査」は、マスコミによって都道府県別の序列が発表されるようになり、各都道府県は、その平均点を少しでも上げるために学校に発破をかけています。学校では、過去問に取り組ませたり、宿題を増やすなどして、少しでも得点が取れるような努力をしているようですが、「学力」の捉え方が、あまりにも狭く、この「平均点」によって自分の地域の教育力を計ろうとすること自体に無理があります。「学力」とは、そんな狭い学力観ではありません。もっと、「教養」や「道徳」という価値も含めた「広義の学力観」が必要だと思います。もっと学校や子供に「ゆとり」を持たせることができたら、学校や教師は、自由な発想で教育を考え、子供と一緒に学びながら成果を挙げていくだろうと思います。日本の学校や教師は、世界的に見ても非常に優秀です。彼らに「裁量権」を与え、各地方に、ある程度の教育を委ねることが政府にできれば、日本の教育は、さらに充実したものになるでしょう。実際に指導する教師や学校を信頼せずに教育を行おうとしているところに、日本の教育行政の過ちがあるのです。
第三章 日本の教育の未来
「日本の価値に気づかなければ、日本の教育に未来はない。 教育の未来を失えば、日本は終わる。」
第一節 学校経営の未来
夢のような話だとは思いますが、もし、先見性のある政治家が登場し、日本の教育を根本的に見直す施策が出されたら、どんなに素晴らしいことかと考えるときがあります。そもそも、日本には、「和魂洋才」の精神があったはずですが、今の日本は、残念ながら「和魂」をどこかに置いてきてしまったようです。明治維新の頃、思想家の福沢諭吉や西村茂樹、渋沢栄一たちも皆、「和魂」の大切さを知っていました。彼らが新しい時代の「防波堤」になってくれたお陰で日本は、日本らしさを失うことなく、近代化を進めることができたのです。しかし、今や、その近代化もグローバリズムの波に飲み込まれ、「日本らしさ」を捨てなければ、生きられなくなったのかも知れません。と言うより、グローバル化を推進する「グローバリスト」と呼ばれる人たちの政策によって、「日本人らしさ」を捨て去るような動きがあるように見えて仕方がありません。このままでは、「戦後100年」は、「日本を喪失した時代だった…」と、未来の日本人に嘆かれる可能性があります。いや、それよりも、「昔、ここに日本という国があったんだ…」と言われるような時代を迎えていないとも限らないのです。そのくらい、現代の日本には絶望感が漂っています。
教育の世界は、いつも欧米の「流行」に乗せられ、新しい教育論が登場すると、闇雲に学校に導入しては失敗を繰り返してきたのは、何故でしょうか。戦後は、「経験主義」なる思想が入ってくると、教育界は、子供たちに碌に指導もしないまま、「自主性を重んじる」と称した学習に取り組み大失敗をしました。当時、「這い回る経験主義」と揶揄され、子供の発達段階も考慮しないまま、学習を子供に預けるような真似をして、貴重な時間を無駄にしたのです。その後も、なかなか「道徳教育」が実施されず、やっと昭和30年代に「領域道徳」が誕生しましたが、それも左翼が牛耳る「日教組」の反対運動を受けて形骸化し、日本の学校では、碌な道徳教育をしないまま半世紀を過ごしてしまったのです。それからの日本の教育は、常に右往左往し、文部科学省お抱えの学者が持ち込んできた「新しい教育観」を導入しては失敗を繰り返しています。最近できた「生活科」や「総合的な学習の時間」も半ば形骸化し、これなら、以前の「理科・社会科」で十分だという話も現場の教師から多く出されています。10年に一度の「学習指導要領」の改訂は、そのたびに、現場の教師たちに発破をかけ、やっと学校に定着しかけたころに、また改訂ですから、実際、身についたものはほとんどない有様です。特に、「ゆとり教育」の転換は、現場を大混乱に陥れ、今の学校の「ブラック化」の原因を作りました。本当に、「和魂」の精神は、いったい何処に行ってしまったのでしょう。
昔、こんなことがありました。「子供の権利条約」が批准された頃、日本の中学生が国連の場で、演説をしたそうです。何を言い出すかと思えば、「日本の学校は制服があり、校則が厳しい。私たちは、権利を奪われている!」と言う訴えだったそうです。だれが言わせたのかわかりませんが、日本人として本当に恥ずかしい演説だという批判が、後に沸き起こりました。なぜなら、それを聞いた外国人参加者は、その演説に呆れ、こう諭したそうです。「世界には、教育を受けられない子供たちがたくさんいる。制服を着せてもらって、有り難いじゃないか。何を贅沢を言っているんだ!」と…。既に欧米では、あまりにも過度に「個人」を尊重するあまり、学校教育が混乱し、何とか立て直しをしようと躍起になっていた頃のことです。それらの国は、縋る思いで日本の学校を視察し、こう感想を述べたそうです。「日本は、素晴らしい。同じ制服を着ることで一体感が生まれる。給食をみんなで食べることや、みんなで学校を掃除していることもそうだ。こんな教育ができたら、私たちの国の子供たちも、もっと連帯感が生まれ、うまくいくだろうに…」と。確かに、人権を無視したかのような過度な管理教育は見直されるべきです。しかし、制服をなくし自由な服装で登校し、何でも「自由」であればいいというものではありません。自由には、重大な「責任」が伴うことを知らなければならないのです。せっかく、自由な国に生まれたのですから、自分で選択して、自分の思うように生きたらいいと思います。しかし、それで失敗をしてもだれかに責任を押し付けてはなりません。人に迷惑をかけず、我が儘な振る舞いをせず、堂々と生きるのなら、どういう生き方を選択してもいいでしょう。子供とはいえ、もっと広い視野でものを見て、自分の頭で考えて判断し、行動することが大切なのです。小賢しい大人が出て来て子供を洗脳し、自分たちの主張を子供に代弁させるなど、あってはならないことだと思います。
さて、学校は、本来、リーダーである校長の指示(職務命令)と指導の下に運営されなければなりません。それは、教職員ばかりでなく、子供たちも同様です。小学生なら、1年生から6年生に至るまで、学校の教育方針を理解し、それに則った行動と評価が必要になります。学校が一番良好な状態というのは、教師と子供たちの価値観が共通していることです。学校には、その学校や地域の歴史、保護者の願い、そして、学習指導要領に基づいた「学校教育目標」が掲げられています。たとえば、「みんな仲良く、元気な子」という目標があるとします。これを漠然と見ていると、何のことかよくわかりません。しかし、ひとつひとつをしっかり定義付けしてみると、その意味がわかってくるのです。「みんな」は、その学校に通う子供、教職員、保護者、ボランティア等の学校に関わる人たち全員を指します。そして、「仲良く」とは、常になれ合いになるのではなく、お互いが切磋琢磨しながらお互いを高め合うことを指します。さらに、「元気」は、単に肉体の健康だけでなく、心の健康、病気への備え(予防)、安全への配慮等を指します。これが、明確に示されると、この学校教育目標の意味がわかるのです。そして、この目標が達成できるように、常に実践と評価が為されなければなりません。それを行うのは、教師であり校長なのです。これを子供たちが理解していると、子供の頑張りの視点が明確になり、子供は生き生きと活動するようになります。なぜなら、「これをすることが、いいことなんだ」という視点が子供の側にも理解され、その目標に向かって努力すればいいのですから、自分なりの目標が立てやすいという利点があるのです。これを漠然としたままにしておくと目標が大過ぎて、自分の目標が立てづらく、しばらくすると形骸化して、だれも学校教育目標など覚えている者もいなくなるのです。これでは、組織としての経営はできません。
これからの学校は、教員個々の「個人経営主義」ではなく、「組織経営主義」でなければ社会の大きな変化に対応することはできません。「組織経営主義」とは、教職員や子供の意思をまとめ、同じ方向に「ベクトル」を合わせ、組織的に動くことを指します。それは、「学校」を遠洋航海に出る船に見立てて考えるとわかりやすいと思います。そもそも、外洋に出て行くような船には、船長の他に航海士や機関士、甲板員などの多くの船員が乗り組んでおり、安全な航海をするためには、各自が相応の役割を忠実に果たし、臨機応変的な対応で困難を乗り切らなければなりません。だれか一人でもその職務を怠れば、船は座礁し沈んでしまうかも知れないのです。もし、大型の台風にでも遭遇すれば、その操船ひとつに全乗組員の生命がかかってくるのです。本来、学校もそのくらいの緊張感を持って経営に当たらなければならないのです。たとえ、海が凪いでいる状態でも四方八方に眼を配り、想定できる「安全」確保をしつつ、海図に従って運行させなければなりません。「油断大敵」という言葉があるように、一人の判断ミスがとんでもない事態を招くことを肝に銘じるべきでしょう。
海は広く、外洋にでれば、常に「自然との闘い」が待っています。たとえ、個人として卓越した能力を持った船員がいたとしても、一人では無力です。たとえ、素人の集団であろうと、強いリーダーシップを持った船長の指示の下に、一丸となって難局に立ち向かえば、自ずと道は開けるのです。そして、指示は、間違いなくそんな船長(リーダー)から発信されなければなりません。船長が発信できなければ、次席の副長が出すしかないのですが、リーダー不在の状況は如何にも頼りなく、乗組員の心が決まらないために、不安定な状況が続いてしまうのです。平和な時代は、そんな頼りないリーダーでも何とかなりますが、有事では絶対にあり得ません。事件や事故、災害時の対応は、リーダーの即断即決にかかっているのです。自然の怖ろしさは、瞬時にその姿を変えることです。そのために、「何も起こらないだろう…」という安易は判断は絶対にやってはいけません。船長の決断が鈍く、突然襲う「三角波」に舵を切り損ねれば、船は間違いなく海底に引き摺り込まれるのです。今こそ、船長には、強い「リーダーシップ」が求められるのです。
何事も起きない「平時」が、ずっと続くことは有り難いことですが、人生の中でそれはあり得ません。日本も戦後、たまたま国際社会のバランスの中で「平和」という穏やかな時代を過ごすことができましたが、これが「普通」ではないのです。忠臣蔵で有名な「大石内蔵助」が「昼行灯」と侮られ、部下に笑われていても、平和な時代の国家老は、そんな程度が丁度いいのです。しかし、いざ、「お国の大事」となれば、そうはいきません。あの大石内蔵助も昼行灯から目覚め、燃えさかる炎のような激しい「サムライ」の姿を見せました。芝居では、その一つ一つを面白く脚色していますが、現実には、わずか一年半の間にことを成し遂げた大石内蔵助の策謀の数々は、恐ろしいほどの戦略だと言わざるを得ません。この事件は、大石内蔵助というカリスマ的なリーダーがいて、はじめて成し遂げられた快挙であり、それについていった四十六人の侍たちも、その不動明王のような姿を見て、自分の生きる道を見つけたのかも知れません。有事に際して、「和を以て貴し」はないのです。あるのは、命を懸けた「強い信念」だけだということを覚えておきたいものです。
企業でも学校でも、小さな学級でも「経営」はあります。経営と「運営」を混同しがちですが、経営には、大きな「達成目標」がなければなりません。その目標に到達するために「戦略」を練ることが大切なのです。「運営」は、その目標に向かって「効率的、効果的」に組織を動かす仕組みを整え、人や物を動かすことを言います。経営と運営の関係は「車の両輪」みたいなものですが、未来に向かってハンドルを操る「運転手」がいてはじめて、タイヤは進むべき方向へと向かうのです。先の大戦を見てみると、この「達成目標」が曖昧だったことに気づかされます。実際、戦争に引き摺り込まれたのは「日本」であり、日本が大きな目標を立てて戦争を仕掛けたのではありません。いわゆる「真珠湾攻撃」は奇襲作戦ですが、あれは、初戦において敵の急所を襲い、戦いを有利に進めるための作戦であり、戦略とは異なります。もし、日本に「戦略」があるとすれば、真珠湾攻撃の成功の後、ハワイを占領し、ハワイのアメリカ人を人質に「和平交渉」に持ち込まなければなりません。そして、日本が最大限の譲歩をしても日米戦争を長引かせず、早期に同盟関係を結ぶというのが「戦略」です。あのとき、日本海軍は、湾内に停泊しているアメリカ海軍の軍艦数隻を沈めて、意気揚々と引き揚げていますが、あれでは何の為に危険を冒してまで、ハワイまで遠征したのか意味がありません。あれが、日本に「戦略」がなかった証拠です。戦争というものは、「外交の一手段」と言われるように、戦いの後に「交渉のテーブル」を用意しなければならないのですが、日本からそれを申し出た事実はありません。「戦争」そのものが目的化してしまい、達成目標がないために、最期は自滅するしかなかったのです。これなどは、「経営戦略の失敗」として、現代のビジネスの参考になるはずです。
企業のいう「経営戦略」とは、目先の利益を追求するための方針ではなく、結果として企業が「生き残る」ための方針でなければなりません。それでは、「生き残る」戦略とはなんでしょう。今、日本でも多くの「ベンチャー」と呼ばれる新興企業が誕生しています。これらの会社は、小規模ではありますが、革新的なアイデアや技術を開発し、それを元に「ビジネス」を展開していますが、その意欲は賞賛されるものでしょう。しかし、この中で、10年持ち堪える企業は「一割」にも満たないというデータもあります。もちろん、経営者は「会社を持続させよう…」などとは考えていないかも知れません。もう、既に日本の「ビジネスモデル」が変化しており、目まぐるしい社会の変化に対応していくためには、同じ会社が、そのまま継続することが「成功」だとは、限らないからです。しかし、会社を起業した以上、それ相応の成功は得たいと思うのは当然です。そこで、生き残るためには、何が大切かを考えてみましょう。「AI社会の到来」という、まさに新しい時代を迎えて注目を浴びているのが、日本の「伝統工芸」「伝統技術」だと言うことに気づいているでしょうか。それは、単に「昔からの製品を売る」という「守りの戦略」ではないのです。これまでは、日本国内のマーケットしか見ていなかったものを、「世界」をターゲットにした戦略に転換する動きが、各所で見え始めているのです。昔、フランスの万国博覧会が開催されたとき、「ジャポニズム」という、日本ブームが起きました。日本が出品した陶芸や漆器、浮世絵などでしょうか。日本人でもそれらの工芸品には眼を奪われ、単に感心するだけでなく、「いずれは、手に入れない」逸品ではありますが、なかなか高価なために欲しくても買えない事情がありました。それでも、目にする機会は多く、それらが外国人の目に止まるとは考えてもいなかったでしょう。やはり「文化」というものは、本当に世界規模で広がって行くものだと感心します。日本の有田焼が、ヨーロッパ陶器の「マイセン」に影響を与えたり、浮世絵が、「ゴッホ」の絵に影響を与えた話は有名です。今、国の伝統工芸品として認められている「会津漆器」は、自動車や飛行機の企業と連携して、漆器の技術をその「内装」に使おうとする試みが始まっているようです。既にJRの新型の高級車両には、有田焼などの漆器を使った内装に拘り、高級志向の客を迎える戦略を立てているそうです。こうした伝統的な日本の「ものづくり」を、古い物として斬り捨てるのではなく、新しい素材や技術と組み合わせることによって、新しい形が生まれるのです。こうした考えは、既に農業分野にも出ています。
米でも野菜でも果物でも、日本の風土にあった作物を時間をかけて丁寧に栽培していくことで、「安全で安心」、その上「美味しい」食材となるのです。それは、海外の人たちにとって、得がたい「宝石」のようなものではないでしょうか。日本は自然が豊かで水も「軟水」のために、日本酒やワイン、乳製品に至るまで、外国の「硬水」で作った物とは違う風味の食品ができるようです。そうなると、好みも問題もありますが、日本の食品を「美味しい」と感じる人も出てくるでしょう。自分の国で得られない物を海外から輸入できれば、それは貴重品となり、購買意欲をそそられます。手に入りにくければにくいほど、欲求が高まるのは人間の当然の心理です。そう考えれば、「生き残り戦略」も見えてくるというものです。今や世界は、「一瞬にしてつながる」時代を迎えています。これまでは、国内にだけ眼を向け、「こんなものだろう…」と半ば諦め気味に考えていた人たちも、日本の「ものつくり」の素晴らしさが海外で評価されれば、自分のやって来たことに自信が蘇り、「もっと、いい物を作りたい」という意欲が喚起されるものです。そして、それは、自分の生活を見直すきっかけにもなっていくのです。
ここ何年も、日本の家電メーカーやパソコンメーカーは、軒並みアジア諸国の台頭に苦しめられてきました。それは、考えてみれば当然のことです。テレビや冷蔵庫などの簡単な部品で製造できる家電製品造りのノウハウは、既に海外に持ち出されているのです。したがって、いくら人件費を削って安い商品を作っても、海外の人件費の安さに勝てるはずがありません。その繰り返しでは、いずれ、会社の経営が傾くのも当然でしょう。では、そうなる前に、なぜ、「生き残るための戦略」を立てておかなかったか…ということです。今の日本企業の経営を見る限り、「目先の利益」追求に追われているような気がしてなりません。中国や韓国、アジア諸国に多くの日本企業が進出しましたが、何のためかといえば、安い人件費で他社との「競争に勝とう」とした結果でしょう。しかし、一時はそれで凌いだとしても、国の政治体制や国民性がまったく異なる国々に大きな投資をすることは、非常に危険なのです。なぜなら、昔、日本は、今の中国東北部に「満州国」を建国し、莫大な投資を行った結果、どうなったのでしょう…。まさに、歴史が証明しています。かの「満州国」では、五族協和をスローガンに掲げながら、結局は日本の傀儡国家となってしまいました。韓国併合問題も同じです。日本人にしてみれば、上から目線で、「そんなやり方では、生き残れないぞ。暫くは、俺たちがやってやるから、よく見ていろ!」そう言いながら、恩着せがましく同じアジア人を見下していたのです。いや、当の日本人は「見下す…」という意識すら、なかったかも知れません。日本のいわゆる植民地政策は、「同化主義」を採っており、基本的に他国から搾取する思想はありませんでした。したがって、国策としては穏当なものだったことはわかります。それでも、難しい政治的なことがわからない現地の人々にしてみれば、他国の国民が堂々と入って来て、命令されるのを喜ぶ人はいないでしょう。もちろん、一時的には「恩恵」もありますので喜んだ人もいたと思いますが、これが長期に渡ると不満が溜まることは予想されます。今の日本を見ても、敗戦後の米軍基地問題は、何処の基地でも様々な問題が起きています。当然、アメリカ兵の規律は十分に管理され、日本人との融合も図られていますが、日本人の「感情」として、複雑な思いがあることも事実です。それと同じことが、満州や朝鮮、台湾でもあったということです。
国が違えば、歴史や文化も違います。国家体制も大きく異なり、日本人の常識がそのまま通用するはずもありません。お国柄が違えば、必ずしも「親切=善」ではないとうことです。結局、当時の日本は、多額の予算を費やしながら、現地の人々の不満や反感を買い、敗戦と同時に無一文になって逃げ帰らなければならなくなってしまいました。それが、中国や韓国の「反日運動」のきっかけとなったわけですから、「相手をよく知る」ということが、如何に大切かを証明しています。だからこそ、政治的な日中友好や日韓友好は理解できますが、それと同じように他国の国家体制や政治を信頼して企業が投資を続けていいのかというと、大いに疑問とするところです。結局、一時の隆盛はあっても、会社がなくなってしまっては「経営戦略」としては、大失敗ということになります。そして、既に多くの日本企業が、他国で苦境に立たされていることを忘れてはなりません。
確かに、日本の「ものづくり」の技術は世界一かも知れません。しかし、その技術がいつの間にか、他国に流出したのも事実です。「情報管理」の甘さが、各企業の経営そのものを揺さぶる事態に陥りました。日本人の多くは、外国人に対して非常に寛大で優しい面があります。辿々しくても、日本語を遣って話されれば、それだけで相手を信じてしまいます。生活に困っていれば、助けてあげる同僚もいたでしょう。仕事でわからないことがあれば、進んで教え、感謝もされたはずです。そして、何かを頼まれれば無碍にもできず、「貴重な情報」を親切心で教えた人もいたと思います。場合によっては「データ」まで渡して便宜を図った人もいたのではないでしょうか。そのうち、定年退職した技術者が、外国企業に再就職した話が伝わってきました。それも、これまでの年収の数倍で契約するのだそうです。日本では、どんな企業でも定年を迎えれば、退職金を払ってお終いです。本人が希望すれば「再雇用」の道はありますが、収入は、現役時代の半分程度でしょう。どんな特殊な技術を持つ人にも、同じような扱いをしたはずです。だから、外国企業が好条件で引き抜いても、日本の企業はそれを止める手段を持ってはいませんでした。こうして、優秀な技術が外国に流れていったのです。日本のこうした「特殊な技術」を持つ技術者を易々と手放すようでは、日本の「最新技術」が海外に流れてもやむを得ないでしょう。それで、会社自体が傾いたとしても「自業自得」なのかも知れません。これでは「経営」としては零点です。
今の時代は、昔のように「会社は家族」の時代ではありません。そして、ひとつの企業に終身雇用で働く時代でもないのです。外国なら「転職」が当たり前の時代に、いつまでもひとつの企業に固執する理由がわかりません。自分の「能力を高く買ってくれる」企業があるなら、その誘いに乗って自分の能力をさらに磨くのもひとつの生き方です。もし、企業がその社員を手放したくないのなら、外国企業や他社よりも、よい待遇を提示して引き止めるしか方法はありません。日本型の年功序列と年功賃金制度では、能力のある人間の意欲を維持することは難しいのです。そうした実態を把握もせずに、従来型に固執した経営しかできない経営者は、早々に第一線から身を退くべきなのです。もし、こんな経営者しか日本の企業に残っていないとすれば、若者が「起業」しようとするのは当然でしょう。今の時代は、まさに、古い体質の企業が去り、新しい人材と企業が生まれる時代の「転換期」なのです。
江戸時代を分析してみると、身分的には「商人」は最下層に置かれていましたが、実際は「日本の経済」を回した商人たちによって、日本は着実に発展していったのです。江戸時代を「停滞した時代」と呼ぶ学者もいるようですが、そんなことは絶対にありません。日本の「陸運」も「海運」も整備され、日本全国の物資が商人たちの手によって売買され、「米相場」を操り、実質的な日本の支配者になっていったのが「商人」たちなのです。武士は、身分の最上位に君臨し、政治の実権を握って満足だったかも知れませんが、所詮、経済を牛耳った商人たちには逆うことはできませんでした。「利益」を重視する商人にとって、社会的な身分など何の価値もないのです。最下層に甘んじながらも、税を納める必要のない「特権」を得たことこそ、商人たちが臨んだ姿でした。そこには、商人の未来像を描いた知恵者が、徳川家康の側近にいたはずなのです。その人物がだれかは定かではありませんが、京の豪商「茶屋四郎次郎」あたりかも知れません。そうでなければ、商人が「名誉を捨てて実を取る」算段ができるはずがないのです。こうした人物こそが、大局を見誤ることのない「戦略家」と言えるでしょう。もし、この商人たちから特権を奪い、身分を上げれば、日本の「商業」は、今のように発展していったのでしょうか。おそらく、江戸時代のような「自由経済」的な動きにはならず、商人が「武士化」していった可能性があります。ここでいう「武士化」とは、「道徳律に縛られた身分」という意味です。確かに「武士道」は、人間の究極的な生き方としては「正道」かも知れませんが、それでは、国民みんなが「清貧」に甘んじなければなりません。明治維新によって、日本は「国民皆兵制度」を創り、国民全員が「武士道精神」で生きるように求めましたが、当然の如く無理がありました。江戸時代までの日本人は、戦争をするのは「武士」であり、他の町人や農民は、余程のことがない限り戦闘には参加しませんでした。なぜなら、豊臣秀吉の「刀狩り令」以降、日本は「兵農分離」の社会だったのです。それを無理矢理に「徴兵令」を定めて国民皆兵制度を設けたのですから、国民が納得するはずがありません。やはり、西郷隆盛の言うように、全国の「士族」を集めて軍隊を創った方が理に適っていたように思います。特に、商人たちは、これまでの特権を剥奪されたのですから面白いはずがありません。日本の「商人道」が廃れたのは、この明治維新がきっかけだったような気がします。
こうして、西洋とは形こそ違え、今の「経済の基盤」は江戸時代には完成されていました。江戸時代は、確かに「米本位制」の下で日本経済は回っていましたが、商人たちは既に「為替」を用い、現在のような「変動相場制」に似たシステムを創り上げていたのです。江戸では、取引は「金」で行われていましたが、大阪では主に「銀」で行われていました。金と銀では、価値が異なるので、その都度、交換比率が違うことになります。日本では「金1:銀5」の比率で交換が行われていたようです。ところが、幕末になって日本が開国し、外国との貿易を行うようになると、この「交換比率」が問題になりました。それは、欧米では「金1:銀15」の比率で交換が行われており、これを日本に合わせると「金3:銀5」ということになります。つまり、外国の銀を日本で交換すれば、3倍の価値を持つことになります。これでは、日本から金が大量に海外に流失することになります。この不均衡を是正するために、江戸幕府や明治政府は必死に諸外国と交渉を重ねることになったのです。しかし、日本では開国以前に「経済」の仕組みができていたために、欧米諸国と対等に交渉できたことが、日本の近代化を早めた原因でもあったのです。これは、武士たちが創った制度ではなく、商人たちがいち早く「貨幣経済」の意味を知り、武士とは違う「経済体制」を構築していたからに他なりません。
武士たちは、いつまでも米の「石高」に拘り、「米本位」の経済から抜け出すことができずに藻掻いていましたが、税を納めない商人たちは、自由に金銀を扱い、為替を扱うことができたのです。逆に、武士たちは、その商人の創った制度の中で米を金銀に換え生活をしていたのですから、それだけで、どちらが経済を回していたかがわかります。徳川家康は、大名たちが「貨幣経済」の旨味を知り「金儲け」ができないよう、「儒学」を勧め、「武士道」で生き方を縛ったのかも知れません。その代わり、国の発展を考えて「商人」に自由経済を認めていたとしたら、徳川家康という人物は、相当な戦略家ということになるでしょう。明治時代になると、元々は商人でありながら、武士階級にも属した渋沢栄一は、新しい日本の経済界に君臨し「商人道」を説きました。渋沢栄一のような「経済」がわかっている人物が、日本の近代化に貢献できたことは日本という国にとっては幸いでした。もし、経済の分野まで外国人に教えを請う状態になっていたら、日本は早々に欧米型の経済体制に飲み込まれていたことでしょう。実際、日本の近代化の多くは外国人の指導の下に行われており、その体制が昭和の時代まで受け継がれてきていたのです。特に「教育」は、外国の模倣が多く、そのために、日本の伝統的な教育方法が廃れ、今のような形になってしまいましたが、もし、江戸時代の教育制度が採り入れられていたら、もっと柔軟な思考のできる人材が育成されてていただろうと残念でなりません。
渋沢栄一の著書、「論語と算盤」は有名ですが、論語とは「仁」という「高潔な心」のことを指します。人に対する思いやり、配慮、優しさ…と、「論語」には人としての道が諭されています。紀元前に当時の中国の思想家「孔子」の言葉を記録したものですが、今の中国人にその思想が受け継がれているかは甚だ疑問です。日本に入ってきたことで、日本流に解釈され「武士」に広まったことだけは確かなようです。それが、徳川家康によって儒教が武士の「戒律」となり、論語が「武士道」という道徳に昇華されました。渋沢栄一も、その武士道を生きた当時の「サムライ」に違いありません。明治という新しい西洋化の時代を迎えて、欧米のシステムを日本に採り入れながらも、日本人らしい「人の道」を経済にも採り入れたのは、やはり、渋沢栄一の心の中にも「和魂洋才」の精神があったからに違いありません。そして、江戸時代のような「商人道」を忘れることなく、国家に尽くすことを求めたのでしょう。渋沢栄一は、子供のころからの商いの経験で、商人にも商人の「道」があることを知っていたのです。身分が解放されたと言っても、そもそも、商人が最低身分だからと、差別されたこともなかったわけですから、これからは、堂々と「表舞台」で自由経済を回すことができる喜びに溢れていたのかも知れません。しかし、そうなると、一部の商人の中には、「儲け主義」に走る者が出ないとも限りません。そこで、「商人にも商人としての人の道がある」と説くことによって、商人の「誇り」を思い出させ、人の道に外れた商いができないように、管理したに違いありません。その「誇り」さえあれば、世界を相手にしても、騙されることも騙すこともない「信用取引」ができると考えたのでしょう。ここに「和魂洋才」の真理があります。それが渋沢栄一という経済人の「生き残り戦略」だったのです。
江戸時代、武士たちは、「金銭を扱うことは卑しい」ことだと教えられていました。これは「儒教思想」ですが、現実的ではありません。そのために多くの武士は苦しんでいました。明治維新が成功した理由のひとつに、各大名が領国経営に行き詰まり、国元の財政が逼迫していたことが挙げられます。どの大名家でも有力商人に借金のない家はありませんでした。まして、戊辰戦争などの幕末の動乱で多額の借財が増え、明治政府が行った「版籍奉還」は渡りに船だったようです。何でもそうですが、物事を成し遂げるには「資本」は必要なのです。明治維新を成し遂げたといわれる「勤皇の志士」たちにも、多くの「義商」と呼ばれた商人たちの暗躍がありました。商人は、単なる思想に共鳴したわけではありません。徳川の時代に見切りをつけたのも、恐らくは武士よりも商人が先だったのではないでしょうか。小さくても、外国との交易をとおして、商人たちはいち早く、欧米の産業革命を知っていたのでしょう。そうなれば、日本が遠からず「開国」せざるを得ないこともわかります。それでは、だれの手で「開国」が行われるかが商人には大きな問題になります。薩摩藩や長州藩についた有力な商人たちにとって、都合のいい担い手は、徳川家ではなかったということです。イギリスの支援を受けた薩摩や長州と比べてフランスと結んだ幕府は、如何にも弱く見えたことでしょう。当時のイギリスは「大英帝国」です。このころのアメリカは、まだまだ新興国の域を出ず、南北戦争で疲弊していました。当然、イギリスと結べば、世界と交易することができるのです。そう読んだ有力商人たちは、こぞって薩摩や長州の支援に回ったという構図が見えてきます。「恩を売る」ことによって、後の利益を勘定に入れるのが、商人というものでしょう。それが本来の「投資」というものなのです。
こうして「投資」に成功した商人たちは、明治になっても、政府と一体となってその規模を拡大し、百年後の今でも積極的な企業活動を行っています。まさに「生き残り戦略」の見本です。「商人にとって、一番大事なことは何か?」と尋ねれば、ほとんどの商人は、「信用」だと答えるはずです。「あの商品には、高い金を払う価値がある」「あの商人は嘘を吐かない」「あの暖簾は、信用の証だ」こんな言い方を聞いたことがあるでしょう。この「信用」という価値こそが、世界中の人々から信頼を得るための秘訣なのです。目先の利益に拘って、いい加減な「品物」を渡せば、二度と取引はして貰えません。この「信用」こそが、商人、いや、日本という国の生命線なのだと思います。渋沢栄一は、単に「儲ければいい」といった経済界を作ることはしませんでした。後の三菱財閥の岩崎弥太郎と対立したのも、岩崎のやり方が「商人道に悖る」と思ったからこそ、自分の商人としての誇りをかけて戦ったのです。昔から「近江商人」の教えに「三方良し」というものがあります。これは、商売においては、売り手と買い手が満足(納得)するのは当然のことですが、もうひとつ、「社会に貢献」できてこそよい商売といえる…という教えです。つまり、論語で言うところの「世のため、人のため」という大切な教えを、新しい時代の商人にも伝えたかったのだと思います。今でも各企業の「社会貢献」は、社会に大きな役割を果たしています。そして、それを実践できる企業に対して国民は、「信頼の眼」を向けるのです。
それでは、学校の「経営戦略」とは何でしょうか。それは、「教育」という結果の見えにくい事業において、「信用を得る」ことに他なりません。それは、そこで学んだ一人一人の人間の未来を見ればわかります。それが子供であろうと教師であろうと、親であろうと、10年後、20年後、「いい教育(指導)を受けたな…」という実感があれば、自分が大人になった後も人を信用することができるし、人にも信頼され「納得した人生」を歩むことができるのだと思います。老人になり、何もできなくなっても、周囲から慕われ、信用を得て「後悔しない人生」を送れたとしたら、それこそ、子供のころに受けた「教育の賜物」でしょう。子供の感性は敏感です。「正しい教え」というものは、その時点では「理想論」にしか聞こえないのかも知れませんが、自分が何か、問題に直面したとき、そのとき受けた教育が蘇ってくるのです。「大丈夫だ。正義を貫け…」と、密かにそんな声が聞こえてきたとき、人間は「ハッ…」と我に還るのです。そのひと言が聞こえれば、道を踏み外すことはないでしょう。それが「教育」の成果なのだと思います。それでは、今の「日本」という国は、傍から見れば、「どう見えている」のでしょう。日本は「信用できる国」と世界から評価されているのでしょうか。日本人は、本当に「信用」できるのでしょうか。戦後教育を受けた老人は、皆から慕われ、「信用を得るような人生」を送ってきたのでしょうか。そんなふうに眺めてみれば、自ずと「評価は定まる」と思います。
学校であろうが家庭であろうが、「教育」はどこにでも存在します。問題は、そこで「道」を持つ人間に出会うかどうかが「鍵」となります。失礼な言い方ですが「道」を持たない人間は、必ず「損得」で動きます。「こうしたら、儲かる…」とか、「こうしたら、得をする…」ことばかりを蕩々と語りたがりますが、それを納得して聞いているのは、国民の半数くらいでしょう。子供になれば、ほとんどいません。なぜなら、子供は人生経験が浅いために、「人間の醜さ」を知らないで育っているからです。教育の世界で教師が「損得話」ばかりしていたら、保護者はどう思うのでしょう。「これをやったら、評価が上がりますよ…」とか、「こうしたら、〇〇中学に合格しますよ」などという戯れ言は、「教育」には馴染みません。もちろん、進学塾等でそんな話はされるでしょうが、学習塾は「学校」ではありませんから、目先の「進学」とか「合格」の話をするのは当然です。しかし、もし、学校でこれをやれば、間違いなく「差別感」を生むことでしょう。たとえば、みんなで協力して行う「清掃」や「給食」なども、自分の得にならなければ「やらなくてもいい」ことになってしまいます。「協力」や「協働」には、「みんなのため」という「公」の精神が必要なのです。損得は、「私的感情」でしかありません。したがって、学校で「私」が優先されれば、教育は成り立たないのです。
今の時代ほど、「多様な価値観」が許される時代はありません。それは一見、「すばらしいこと」のように見えますが、これほど「生きることが難しくなった」時代もありません。多様な価値が認められるということは、人と違う道を生きることも、許されるということです。しかし、何故か人は、人と違う道を進むことを極端に怖がります。もちろん、日頃の生活の中で、小さな価値の主張はあります。「自分らしく生きたい」とか、「子供には、夢を持たせたい」…などと、少しだけ他人と違うことを試してみますが、上手くいった話はあまり聞きません。結局は、周囲と同じように学校の成績を気にして、子供を学習塾に通わせ、少しでも偏差値の高い学校を選ぼうとするのです。確かに、一部の人の中には、子供の「才能」を見抜き、プロのスポーツ選手や俳優に育てたりする親もいますが、その失敗のリスクを考えれば、成功者はほんの「数%」にも満たないでしょう。なぜなら、子供のうちこそ親の期待に応えようと頑張りますが、自我が出てくれば、自分の人生を自分で選ぼうとするからです。もちろん、親と子の気持ちが一致していればいいのですが、なかなか、そうはならないと思います。よく、年老いた親が、「こうしたかった…」という愚痴を言いますが、親の願望を子供に押し付けてはなりません。人生を生きるのは、その「人」だけのものなのです。
日本のように、多様な価値が認められる国にいられることは幸せなことですが、多くの人は、「自分は、何を大切にして生きていけばいいのか、わからない…」と言うのが本音だろうと思います。だから、だれかにそれを求め「共感」できる人や場所を探すのです。しかし、それもしばらくすると「空しさ」に襲われるのではないでしょうか。「自分なりの考え」がないのに、他人の意見に同調しても、いずれ無理が来ます。やはり、人は人なのです。人間が個々に立っているように、たとえ共感する部分があったとしても、他人と自分がまったく同じ人生を歩めるわけではありません。親兄弟でさえ、同じ人生は歩むことはできないのです。人は、それぞれが、それぞれに与えられた場で必死に努力し、戦っていかなければ人生を切り開くことはできないのです。そのとき、自分なりの「価値観」をしっかり持っていなければ、社会の風潮に流され、上手くいかなかったときに後悔をするのではないでしょうか。よく、「みんながやっているから…」的な考えで、自分の判断を人や風潮に委ねようとしがちですが、生き方としては「楽」でも、それで上手くいくことは少ないものです。人は、一生に一度くらいは「生き方」について、考えることがあるはずです。「自分は、どう生きればいいのか…」「何を大切にして生きればいいのか…」「人は勝手なことを言うし…」「でも、自分は自分らしく生きたい…」しかし、その「自分らしさ」が見つからない…。そんなジレンマに悩みながら、結局は、自分らしい「生き方」に気づくこともなく、流された生き方しかできないのも人間なのです。
これからの時代は「AI革命」と呼ばれるように、人間がコンピュータと共存していく時代になりました。今でもそうですが、街中にはAI搭載の「コンピュータシステム」が導入され、人の姿が見えなくなってきています。そして、従来型の大企業が凋落し、ベンチャーと呼ばれる新興企業が次々と誕生しています。マスコミや出版業界は既に斜陽産業となり、ネットをとおしての情報発信が主流となってきました。以前のように「情報」を管理したくても、一度出た情報は、瞬く間に拡散し、管理しようもありません。中には匿名で誹謗中傷を書く卑劣な人間も現れましたが、それも逆に特定されると、逮捕されるような事態にまでなっています。街中には、至る所に「防犯カメラ」が設置されており、今や「人の眼」どころか、「カメラの眼」から逃れる術はありません。自動車にも「車載カメラ」が標準化され、乱暴な運転も厳しく取り締まられるようになりました。そのために、これまで表に出にくかった情報まで広く周知されることになり、特に有名人は生きづらさを感じていることでしょう。さて、そういう時代に、学校はどうやって生き残っていけばいいのでしょう。今や「開かれた学校」は当たり前の時代になりました。逆に学校の情報が開かれていなかったら、保護者や地域の信頼を得ることはできません。既に何処の学校にも「ホームページ」が作られ、できる限りの情報を発信しています。スマホの普及で、これまで紙媒体で発信していた「お知らせ」も、メールを通して瞬時に保護者に通知されています。子供の出欠席の連絡も、電話ではなくメールで行う時代になりました。要するに、これだけ「情報社会」になれば、都合の悪いことを「隠す」ことなど無理だと言うことです。だったら、学校は、「教育」に関して持っている情報をどんどんと発信していくべきです。これまでの学校は、どちらかというと「謙虚さ」が売り物で、自分の意見を述べると言うよりも、相手の話を「聞く」態度に終始していましたが、これを改め、学校として、実績に基づいた「教育論」を発信し、地域や保護者の「リーダー」として、社会を導いていく存在になるべきです。そして、みんなの教育に対する「ベクトル」を合わせ、子供の教育に当たることが大切だと思います。経営者である「校長」は、「教育の専門家」としての誇りを持って子供を教育することに専念し、保護者や地域の「相談」に積極的に応じる態度が求められます。そのためには、自らが常に「アンテナ」を高くして、勉強を怠ることにないように、努力することです。
第二節 学校における経営戦略1(バイオリズムを知る)
「バイオリズム」という言葉を聞いたことがあると思いますが、人間には、一定の周波(バイオリズム)があります。「何処に?」と尋ねられても答えようがありませんが、地球にも、やはり一定の「波」があるようで、それと人間の体や心が連動しているのかも知れません。科学的なことはわかりませんが、地球の自転や公転と関係があるのかも知れませんし、地球の磁場が関係しているのかも知れません。とにかく、人間の生活が「24時間」という限られた「一日」の中で営まれている以上、何らかの「周期のリズム」を感じるのは、当然でしょう。この一定周期の中で巡ってくる「波」があると考えた方が、いろいろな現象がわかりやすいと思います。たとえば、一日で考えたとき、朝から晩まで「絶好調」という人はいません。朝は目覚めたばかりでは体も重く感じますが、午前10時頃になると頭も冴え、動きも活発になってきます。滑舌もよくなり、反応も速くなるように感じます。その後、昼食を挟んだ午後2時頃になると、食べた物が消化され、また意欲が出てくるような気がします。やはり疲れてくるのは、午後4時を過ぎたころでしょうか。だから、人間は一日を「三分割」にして生活するようになったのだと思います。8時間は「睡眠」を取り、次の8時間で「働き(勉強)」、最後8時間は「休息を取る」というのが一般的なリズムでしょう。最近では、このリズムも崩れ、睡眠を削ってまで働いたり勉強をしたりすることが「立派」なことでもしているように言われますが、それは、現代社会に合わせた考え方であって、人間そのものの「生活の仕方」としては、疑問が残ります。私自身は、この「リズム」を著しく崩すことが、社会を歪にし、人間が不健康にした原因だと考えています。今でも「24時間営業」の看板を出す店がありますが、ここのところ、めっきりその数も減り、きちんと「休むときは休む」といった思考に戻って来たようです。それに、子供を見ればわかります。子供なりに一生懸命頑張っていても、生活リズムの整わない子供たちは体調を崩しがちです。不登校や怠学の原因の多くは、こうした「生活リズム」を無視した生活を送ってきたせいなのではないかと思います。もちろん、それは、子供ばかりを責めることはできません。そのことに注意を払わなかった親に問題があるのですが、その親自身も「生きていくために」という切実な理由があるのも事実です。
そのバイオリズムを「学校の生活」で考えてみれば、子供は、早朝すぐの学習より、2時間目から3時間目が一番集中できることになります。そして、午後は、午後3時を迎える5時間目が限界でしょう。4時近くになる6時間目は「不調の波」がやってくる時間帯なので、授業は5時限で終了させるのがいいように思います。その後の、いわゆる「6時間目」にあたる時間は、「部活動」などの課外活動に充てれば、体の疲れを取れて生活リズムは整うはずです。国は、授業時間を増やせば勉強時間が増えて「学力が高まる」と仮説を立てているようですが、ぜひ、脳科学者や心理学者の意見も聞いて貰いたいものです。多分、専門家の意見は「否定的」だろうと思います。日本人は、何でも「忙しい…」と言う言葉が「免罪符」のように使われています。家でも父親が「忙しい」と言えば、雑用から解放されますし、企業でも「忙しい」と言えば、さも業績が上がっているかのように見えるものです。子供にしても、「忙しい」毎日を送らせることで、余計なことを考えず「健全に育つ」ようなことを言う人がいますが、とんでもありません。子供を忙しくさせると、自分で考える時間が不足し、社会の風潮や親の言う通りに従わざるを得なくなるのです。それは、大人としては簡単な「コントロールの方法」かも知れませんが、子供から「ゆとり」を奪い、子供が自分の頭で「考える」ことを奪っていることになるのです。子供の成長は、大人に比べて急速です。おそらく、10歳になるまでが人間の成長として「一番」大切な時期だと思います。昔から、「つが付く年齢までが子供」という扱われ方をしましたが、まさに、10歳になるまでが「子育て」の大事な時期になります。そこで大切なのは、子供に多くの「学びの場」「気づきの場」を与えてやることなのです。大人の「都合のいい人間」に育てるための教育を行うとしたら、それは「洗脳」でしかありません。幼い時期の子供は、一番好きな「親の喜ぶ顔」を見たいがために頑張ろうとしますが、それを利用して子供を洗脳するのは、非常に危険な行為であることを知らなければなりません。たとえ親であっても、「やってはいけない」ことはあるのです。その辺りの「弁え」がないと、子供は健全に育たないことを知るべきです。
次に、これを、学校生活の「一年」で考えてみます。個人的な印象を言わせて貰えば、新しい学年、新入学の4月から5月の連休にかけては、子供たちの「新たな気持ち」が見えますので、「好調期」となります。しかし、「梅雨」の匂いがしてくる6月になると、一回「どん」と落ち込む時期がやってきます。きっと、年度初めの「張り切っていた緊張感」が薄れ、天候の悪化と共に、気分も落ち込むのでしょう。以前から、「五月病」という言葉が囁かれますが、確かに、大人であっても、年度当初の緊張感の薄れた時期に「ガクッ」と気持ちが落ちるときがありますので、同じようなことが子供にも言えそうです。この時期に学級は、一時的に「荒れ」の兆候を見せます。子供が学級に慣れ、教師の人間性もわかることから、子供が自分の「素の姿」を出し始めるのです。学校は、子供にとっても「公の場」ですから、子供が自分の「素の姿」を出すことは、ほとんどありません。もし、家庭いるときと同じ気持ちで学校に来れば、お互いの「我」がぶつかり合い、それこそ収拾がつかなくなるでしょう。学校という場は、子供にとっては「学びの場」であり、自分を「鍛える場」でなければならないのです。そして、それを指導するのが「教師」という専門職なのです。
子供は、日々の天気に左右されやすい「敏感な感性」を持っています。大人でも曇り空や雨の日は、気持ちが落ち込みやすく、体調を崩しやすいものですが、子供はもっとそれに反応します。梅雨の時期は、子供の「生活リズム」に注意を払い、淡々と授業を進めていくのが最良の方法です。この時期は、教師は「子供の話」をよく聞く姿勢で臨み、大声で叱ったり、罰を与えたりすることを極力避けたいものです。「低気圧」は大人でも苦しいのです。だからこそ、子供に同情するつもりで「丁寧」な対応を心がけたいものです。そして、この時期には、「生活ルール」や「学級の約束」をきちんと指導し、「習慣化」を図りたいものです。そのためには、教師の指示だけでルールや約束を守らせるのではなく、子供たちと一緒に考えて、「過ごしやすい生活習慣」として学級の目標にしたいものです。たとえば、「挨拶」ひとつ取っても、習慣化させるのはなかなか難しいものです。それでも、教師が率先して取り組めば、次第に上手な挨拶ができるようになります。そして、しっかりと指導した後は「評価」を行い、子供を誉めることです。何でもそうですが「やりっぱなし」では、何一つ定着するものはありません。それは、教師にとっても「根気」のいる仕事ですが、「挨拶」が完璧にできるようになれば、自ずと他のこともできるようになるものです。
6月中に、こうした取り組みができてくれば、学級が「荒れる」ことはありませんが、これを疎かにすると、子供たちは、教師の「いい加減さ」を見抜き、教師の指示や命令を真剣に聞かなくなるのです。逆に、それが「徹底」されれば、子供は教師を尊敬し、教師の話を集中して聞くことができるようになります。これは、学校全体も同じです。校長のリーダーシップの下に指導の徹底が全学年で図られれば、子供は次第に自分の通う学校に「誇り」を持つようになり、教師から指示を受けなくても、様々な場面で「気を働かせる」ようになるのです。それは、学校外に出たときに地域の人や関係施設等の人から高く評価されるはずです。そういう意味で、遠足や修学旅行などの機会は必要なのです。
7月になると、暑い季節になりますが、ちょうど鬱陶しい「梅雨」が明ける時季になりますので、気分が少しずつ「楽」になっていきます。そして後半は夏休みに入りますので、少し「ホッ…」とした気分になり、子供たちの「気持ち」が安定するようです。今の子供は、昔に比べて「耐性」が弱くなっており、強いプレッシャーを受けると、すぐに体調を崩す傾向にあります。昔のように、何でも「根性論」でも困りますが、子供への「負荷」のかけ方も考慮しつつ、「目標」を持たせて頑張らせていかないと、子供の意欲を喚起することができません。あまり過度に期待し過ぎると、すぐに音を上げて、諦めてしまう子供もいますので要注意です。子供もそうですが、若い親世代も厳しい教育を受けてはいませんので、子供が頑張っていても、「かわいそう…」と言って、すぐにかばい立てする傾向があります。そして、教師に対して、「そんなに厳しくしなくても…」という抗議をする親もいますので、負荷をかけるにも案配が必要です。
8月は夏休みのために、子供たちも少し「のんびり」としていますが、お盆の頃から少しずつエンジンが掛かりだし、9月1日は意外と緊張感を持って登校してきます。このとき、教師は「夏休み明けだから、ゆっくりリズムを作ればいい…」と考えがちですが、それは間違いです。子供自身が緊張している間に、早い段階で学校の「生活リズム」に戻してやる必要があります。それは、まず「時間」に厳しく守らせることです。1学期に作った学級のルールや約束がありますので、それに基づいた指導を行えば、子供の体は自然に反応できます。よい生活リズムは、自転車と同じです。一度、自転車に乗れるようになると、しばらく乗っていなくても「乗れる」のと同じ理屈です。一度、体で覚えた「リズム」は、その気にさえなれば、すぐに思い出して体が反応します。だからこそ、早い段階で、生活リズムを取り戻してやれば、今までのような生活に戻れるのです。もちろん、中には、夏休み中に「生活リズム」を大きく崩し、始業式の日に学校に来られない子供もいますが、そこは、親の「働きかけ」と教師のアプローチが必要になります。そういう子供でも、1学期に身についた生活リズムは、早々になくなってはおらず、学校に登校さえすれば以前と同じようなリズムに戻るのに、そんなに時間はかかりません。
そして、秋風が吹き始める10月ころまでは、それなりの「好調期」が続きます。気候がよくなってくるせいか、気分的にも楽になってくるのでしょう。それに、運動会や遠足などの行事も「秋」に計画されることが多く、子供の気持ちも上向きになるようです。ところが、馬肥ゆる秋になり、涼しくなって「勉強がはかどる」ようになる…と思いきや、各行事が終わり、まさに本格的な秋を迎える頃になると、意外と気持ちが落ち込み「低調期」を迎えます。夏の疲れが、遅れてやってくるように、秋風が吹き、ほっとした瞬間に、疲れがどっと出るのかも知れません。11月に入るころになると、「倦怠感」のような空気が流れ、一部の子供は落ち着かなくなり、いわゆる「荒れ」の兆しが見え始めます。6月ころの一度目の「荒れの兆し」のときにきちんと指導できたかどうかが、この、二度目の「荒れ」に対処できるかどうかの分かれ目になります。初夏の時期に、「学級のルールと約束」が徹底されている学級は、それを再確認するだけで、この難しい時期を乗り越えますが、それができなかった学級は、この時点で、教師の指導が通らなくなってきます。
注意をしても「無視」したり、いつまでも「ふざける」子供が眼につき、学級は騒々しく落ち着きがなくなってくるのです。一応、授業は成立しますが、これが酷くなると、授業どころではなくなります。このときが、学級における「勝負の時」で、これを見過ごすようでは「教育のプロ」とは言えません。この「倦怠感」のある時期こそ、教師もしっかりと教材研究を行い「工夫」した授業に取り組みたいものです。折角の「秋」ですから、教室から離れて「野外観察」や近くの「施設見学」等を入れてもいいでしょう。また、外部から「ゲストティーチャー」を招いて「専門的」な話を聞くのも効果的です。校内であれば、「朝清掃」や「挨拶運動」を積極的に採り入れる学校もあるようです。こうした「倦怠期」こそ、何もせずに放置しておくより、教師側が積極的に働きかけを行い、子供たちの気持ちを再度「前向き」にする方法を考えたいものです。
それでも、12月に入ると、年末から「冬休み」に「クリスマス」、年が明けて「お正月」と、気分が盛り上がる季節となりますので、子供の心は自然に高まってきます。クリスマスとお正月は子供にとって「一大イベント」ですから、冬休みを迎える時期になると、気持ちがそちらに向かうのは、今も昔も同じでしょう。さて、その一大イベントも終わると新しい年がスタートします。「一年の計は元旦にあり」と言いますが、その決意も日が経つにつれて鈍りがちなのが人間というものです。各家庭も、いよいよ「緊縮財政」になります。学校も3学期になり、その学年も、後、僅かふた月で終わります。6月、11月と「荒れ」の兆候を防いだ学級は、いよいよ、最後のまとめの時期に入り、学級活動も充実してきますが、「荒れ」の予防ができなかった学級は、もう立て直しは難しい状況に追い込まれるのです。本格的な寒さの2月になると、また、「落ち込む」季節となります。クリスマスから正月までの行事が楽しかっただけに、その「反動」は大きく、「自律心」の育っていない子供は、勝手に動き始め、担任の言うことなど関係ないとばかりに「授業妨害」さえ始まってしまいます。もちろん、一部にはそれを苦々しく見ている子供はいますが、最初は数人の子供が火をつけた「荒れ」は、次第に広がって行き、学級の半数が「自由気まま」に動き出すと、もうどうしようもありません。「集団心理」というものかも知れませんが、その雰囲気に飲まれるのは人間の弱さなのです。別に、「子供の質」の問題ではありません。よく、「今年の子供は…」というような言い方をして、子供を評価することがありますが、教師の話を「よく聞く」子供だけが優秀なのではありません。気持ちが強く、トラブルの多い子供たちであっても、「自律心」を育てれば、自分の感情を抑え「みんなのために」働くことを厭わなくなります。逆に、自分の気持ちが強い分、「リーダー」となって「学級をまとめる」子供に育つこともよくあることです。そこには、指導する教師の「教育観」や、揺るがない「信念」が必要なのです。
3月になると、季節は暖かな春を迎え、苦しい冬を乗り越えた充実感が漲ってきます。まして、進級、卒業、異動の時季となり、子供たちの気持ちも前を向くようになります。ただし、この時期に浮かれてばかりもいられません。確かに、学校全体も慌ただしくなり、落ち着いて授業に取り組めないかも知れませんが、教師は常に「生活リズム」を保つことに努力するべきなのです。ここで、「思い出づくり」と称して、授業を軽く扱うようなことはお勧めしません。進学するにしても、進級するにしても、その学年で学んだことをしっかりと「定着」させなければならないのです。特に、6年生は、4月になれば「中学校」の生徒になります。小学校の学習が疎かなまま進学させていいのでしょうか。ここ数年は、コロナ禍の影響をもろに受けた子供たちは、十分、学習内容が定着しないままに進学、進級しました。それが、翌年度に大きな影響を与えているのです。もちろん、帰宅後に学習塾等で十分フォローできた子供は、何とかなったかも知れませんが、それができなかった子供や不登校気味の子供にとっては、かなり学習に遅れが出たはずです。そう考えると、年度末の一日は、とても「貴重」な数時間になるはずです。気持ちが前向きになっている時期だからこそ、しっかりと「復習」に力を入れて、もう一度「基礎基本」の学びを徹底したいものです。
学校で、子供たちの「生徒指導」の問題が起きてくるのが、この「低調期」に多い傾向があります。「6月・11月・2月」は、学校の教師たちは、注意を喚起する意味で「魔の月」と呼んでいます。どうしても、一年を通してこの月あたりが「要注意月間」になるようです。理由は先に述べたとおりですが、この「要注意月間」を知っているだけでも、心構えが違ってくるはずです。これを、「バイオリズム」として考えると、納得できる部分もあると思います。人間は、一年を通してずっと「好調」をキープしていられるはずがありません。たとえば、年間140試合もこなすプロ野球選手を見ても、好不調の波がやって来ているのがわかります。調子のいいときは、打率3割台をキープしていても、突然打てなくなり、バランスを崩し、なかなか調子が上がらないときがあります。本人なりには、体調面も含めて十分なケアをしているはずですが、それでも「好調」をキープすることは、とても難しいことなのでしょう。まして、特にそんなことも考えていたい子供たちが、ずっと「好調」いるはずがないのです。どんなに「今年こそは、頑張るぞ」と年度当初に誓いを立てても、それを「持続」させるのは至難の技なのです。だから、普段の生活には「リズム」が大切になります。おそらく、プロと呼ばれるようなスポーツ選手たちは、この「リズム」を崩さないように気をつけて生活をしているはずです。特に「睡眠時間」は、重要です。十分な睡眠を取らないままに登校し、勉強しても、それほど学習が身につきません。そのうち、机に向かう習慣もなくなり、意欲すら低下していくのです。これらは、すべて「生活リズム」を甘く見た結果だと思います。人間には、こうしたバイオリズムがありますが、それをよりよい形でキープするためには、「時間」を守った「生活リズム」を大切にしてほしいものです。
一例を挙げますと、戦争中、アメリカ軍は、この「バイオリズム理論」に則って戦い、日本軍は「月月火水木金金」と休みなく戦いました。もちろん、国力に差がありますから、負けていた日本軍がアメリカ軍のような余裕がなかったのは事実です。しかし、たとえ「戦争」であろうと、この理論はあり得る話だと思います。結果、効率よく戦ったのはアメリカ軍で、日本軍は、闇雲に戦い、敗北しました。それは、まさに「国力」の差と言うしか仕方がありません。要するに「レギュラーメンバー」を1セットしか持たない日本軍と、3セット持っているアメリカ軍とでは、個々の能力は同じかどれ以上であっても、好不調の波や疲労度を考えれば、日本軍に勝ち目はないのです。アメリカ軍は、戦場に出た兵士は「3ヶ月」戦えば、その後の3ヶ月は後方に下がって休養を取らせました。休養するための軍艦も備えており、たとえ前線であっても、兵士との約束は守ったのです。そして、「1年」戦場で戦えば、そのまま本土に帰還し後方勤務に就けるのですから、何とも贅沢な話です。それに比べて日本軍は、最初のうちは精鋭部隊を送りますので、士気も高く、能力はアメリカ軍以上だったかも知れません。特に「航空隊」は、零式艦上戦闘機を中心とした部隊が活躍し、一時は南太平洋の制空権を日本軍が取っていた時期もあったのです。しかし、その「レギュラーメンバー」が戦死したり、負傷したりすれば、次の兵士のレベルは急激に下がりました。そのため、補充がままならず、消耗戦へと追い込まれて行ったのです。
「持てる国と持たざる国の違い」と言えばそれまでですが、戦略に基づいて戦えるかどうかが、勝敗の鍵を握る典型的な逸話です。日本人は、これまで、インドからアジア、太平洋に至る広大な戦場で、同時期に複数の決戦が行われるような、戦い方をしたことがありませんでした。日露戦争でも、「満州周辺」に限られた戦いで、決戦は、数度にわたって行われましたが、それが同時期に行われたことはありません。一会戦、一会戦に国の運命を懸けた戦いでもあったのです。そもそも、日本軍は、「世界戦争」を戦えるような組織でもありませんし、「長期戦」に耐えられるような準備をしてはいなかったのです。国の予算からして、そんな戦争計画自体、立てられる余裕もなく、無理をして強大は軍隊を持ちましたが、飽くまで「防衛戦争」を意図した軍隊を創ってきたのです。もし、アメリカのような体制になれば、国民生活は疲弊し、数年で、経済的に破滅してしまうでしょう。どんな国でも、その国にあった規模の軍隊しか持てないのは道理なのです。だからこそ、日本は、無理の利く「短期決戦」で勝利を掴むしかありませんでした。そんな軍隊が、第一次世界大戦を経験したアメリカ軍と戦うこと自体が無謀としか言いようがありません。アメリカのように国家予算や資源が豊富であれば、常に3セットの軍隊を持ち、「バイオリズム」の理論を使って、効率的に運用することができます。それに、その方が、損耗率も低く補充もしやすいのですが、ぎりぎりで戦っていると、次の予備軍を適宜回すなどという芸当は、優れた戦略家がいたとしても、できない相談だったと思います。
ここで、学校に戻しますと、学校が軍隊ではありませんが、同じ「集団組織」に違いありません。学校の「子供や教職員」は、当然「ワンセット」です。もちろん、「戦力」という考え方はしませんので、消耗することはありませんが、学校には、子供を教育して「成長」させる責任があります。しかしながら、当然のように「調子の波」はやってきます。その「調子のよいリズム」を見極め、そのときに集中して頑張らせるのが、学校の「教育戦略」なのです。リズムの波が「上向き」のときは、自ずと成果が上がります。ひとつ例を挙げますと、最近、この暑さのせいで従来の9月開催を止め、5月末に「運動会」を開催する学校が増えました。また、ここ数年はコロナ禍で以前のような「大運動会」はできませんが、それでも、各学校は工夫して「運動会」を行っているようです。子供たちは、運動会が大好きで、学校行事の中でも一番の「ビッグイベント」だったと思います。しかし、練習時間(期間)が長く、それが本当に教育効果があったかどうかの検証もなく、長い期間続けられてきました。以前は、ひと月近く練習に時間を割いていたかも知れません。当時は、「全校行進」があり、オリンピックや国民体育大会などをイメージして実施されていたようですが、これが、なかなか揃わなくて大変なのです。それでも、練習は続きます。そして、当日の運動会は盛り上がりますが、そのために費やした労力を考えると、非常に「無駄」が多かったように思います。ところが、この運動会を「半日」で終わらせるように計画したところ、非常に効率よく、そして大いに盛り上がった運動会を行うことができました。それは、半日にしたことで、従来の種目を減らし、だれもが行事の「スリム化」を考えるようになったのです。それでも、子供の種目はすべて行い、昼食時の「家族で弁当」もなくなりましたので、保護者は大喜びです。恒例の「場所取り」もなくなり、練習もおよそ「2週間」ですむようになったのです。「2週間」と言っても、練習時間は「1日2時間」が限度ですので、それ以上はやってはいけません。午前中の1~2単位時間なら、まさに「体ほぐし」程度の練習ですみます。中学生くらいになると「物足りなさ」があるのかも知れませんが、子供の集中力を考えると、この程度が最適です。それに、運動会が「半日」で行われるようになると、種目の難易度も下がるので、これで十分なのです。近年は昼間の気温が初夏でも30度を超えることもあり、子供や保護者の健康面を考えても、「半日運動会」は正解だろうと思います。
そもそも、人間は同じことを繰り返すと、まずは「飽きて」しまいます。そして、次に「だれ」ます。そうなると「集中力」が落ちてきて「けがや事故」につながるという連鎖が起こるのです。よく、運動会練習での事故が報道されますが、あれなどは、過度な練習を何日も繰り返し、子供たちが練習に「飽き」がきており、集中力が落ちたために起きた事故がほとんどだろうと思います。実際、練習期間も「1週間」では物足りないと思いますが、2週間程度なら、「もう一回練習してみようか?」ぐらいの気持ちで、当日の「運動会」を迎えられる長さなのです。それに、何事も「新鮮さ」が大切です。たとえ、自分たちの行う「競技」であっても、練習ばかりさせられれば、新鮮な驚きはなくなり、その競技そのものに飽きが来てしまいます。そうなると、せっかく楽しみにしていた運動会への関心も下がることになるのです。たとえば、「高級レストラン」の食事も、1年に1回程度だから新鮮で「旨い」と感じるものですが、毎月だったら、間違いなく飽きるでしょう。それが人間なのです。だから、昔の日本軍のように「頑張れ、頑張れ!」と叱咤激励するだけでは、「心と体」が反応しなくなり、それほどの意欲は保たないのです。
「上り調子」の時には、少しくらい頑張らせても子供の意欲は落ちません。それ以上に、「先の見える目標」は意欲を喚起します。「こうすれば、必ずこうなる」という、いわゆる「方程式」になれば、目標への道筋が見えるので、闇雲に働くのとは違います。しかし、目標への道筋が見えず、叱咤激励だけでは、まるで「雲」を掴むような話で、何をしていいのかわかりません。人間は、「努力」を惜しむのではなく、自分が努力している「過程」を評価したい生き物なのです。それは、おそらく、人間の「脳」が発達しているために起こる感情で、「評価」が曖昧だと、人間は、働くことに意味を持てなくなるようです。企業でも、その「評価基準」を曖昧にしては、会社の業績は伸びないはずです。したがって、経営者といえども「努力」を怠らず、社員の「正当な評価」を受けるべきなのです。経営者自らが怠惰な生活を送り、権力だけを振りかざすようになれば、その企業は近いうちに内部から崩壊していくことでしょう。「組織」というものは、その大小に拘わらず人間が運営している以上、人間の正常な感覚が生き残るための「生命線」なのです。
教師は、そうした人間の感情部分を理解しつつ、子供に「成功体験」を積ませることが大切です。子供にしてみても、自分が頑張って来た成果が形に表れれば嬉しくないはずがありません。一度でも「成功体験」を味わった者は、体がそれを覚えています。そして、また、「好調期」に入ったときに頑張らせると、自然と体が反応し、子供の自主性に任せておいても、結果を出すことができるようになるのです。逆に、「停滞期」の時は、敢えて「日常のリズム」を崩さないように努め、正課授業に集中させることが重要です。このときに、あまり「無理」な要求はしないことです。意外と指導者は、停滞期などに叱咤激励し「頑張ればできる!」と励ましがちですが、そうではなく、「淡々」と日常を送らせることに努めるべきでしょう。教師が焦れば、子供はさらに焦りを募らせ、自分の気持ちに反するようなことまでやってしまいがちです。これでは、せっかく作ってきた「リズム」を壊すだけになりかねません。たとえば、野球の優秀な「監督」を参考にすればいいと思います。やはり、野球の「監督」の手腕は、この調子が「下り坂」のときの敗戦を、どう、次の上昇気流につなげるかにかかっています。「リズム」が崩れ下降しているときに怒っても、選手の体はついてきません。これは、個人だけでなくチーム力にも影響してくるのです。よく、優秀な選手を数年で潰してしまうコーチや監督の話を聞きますが、「強い指導」を心情にしている人ほど、自分の過去の栄光に縛られ、指導方法を変えられないと言います。あの「イチロー選手」がすばらしい野球選手として成功できたのも、自分を貫く「信念」と「我慢強さ」があったからに違いありません。「調子が悪い」と言っては、焦って新しい「練習メニュー」を持ってきたり、メンバーを入れ替えたり、食事を変えたり、だれかに責任を押し付けたりすれば、さらにリズムは崩れ、低迷期を脱することができないでしょう。最悪は、「監督解任」となってしまうのです。こういうときこそ、「やせ我慢」する強さが必要なのです。
会社でも、雇われ社長は、先代社長や役員OBから叩かれるのが恐くて、「小手先」の改善策を弄しますが、結局は元の木阿弥になります。今の大企業が凋落傾向にあるのは、そうした「事なかれ主義」で、昔の「成功体験」を碌に考えもせずに踏襲してきた「つけ」が回って来ただけのことです。そして、会社や従業員のことより自分の「立場」を守ろうと躍起になった結果が、企業の停滞期を招いてしまったのです。その点、「ベンチャー」企業は違います。一日、一日が必死で考え、業績を上げるための方法を考えます。そして、常に「評価」を意識して、経営者も謙虚になろうと努力しています。そうでなければ、「生き残れ」ないのが現実なのです。それでも、多くのベンチャー企業は潰れていきます。そして、辛うじて「生き残った」企業だけが、次の競争の舞台に立つことが許されるのです。
停滞期こそ「泰然自若」と、動じないふうを装って余裕を見せていれば、戦力は次第に回復し、短い停滞期で終わります。そして、長い「好調期」をキープできるのです。学校では、みんなが、
「大丈夫だよ。好不調の波は必ずやってくる。今は、その不調の時だ。また、頑張って貰うから、今は、リズムを崩さないようにして貰いたい」と、言えばいいのです。この間に、時間を取って「教育相談」や「学習の復習の時間」に使うことも考えられます。学校や学級の停滞期は、何かを焦って動くのではなく、そこの所属している人間の心を落ち着かせ、時間をかけて「点検作業」をさせるべきです。そうすると、何か「マンネリ化」しているものが見つかるはずです。たとえ、すばらしい取り組みでも、マンネリ化してしまえば、刺激がなく意欲も高まりません。そこにこそ、「問題点」が潜んでいるのです。そして、それを隠すのではなく、すべて「オープン」にして、もう一度再検討してみたらいいでしょう。きっと、いい「知恵」が見つかるはずです。この「バイオリズム」を覚えておくだけで、こちらの「心構え」や「対応」に備えができるのものです。「魔の月」に、たとえ問題が生じたとしても、それは「想定内」で対応することができます。「まさか…」と思うのは、人間を知らない者の言い草でしかありません。いつも、バイオリズムを信じて想定しておけば、「まさか…」は、絶対に起きないものです。
第三節 学校における経営戦略2(三ヶ月マジック)
某小学校では、12月の終業式に各学年の「交替式」を行っていると聞きました。これは、次の学年に向けての「心の準備」をさせるための行事です。この学校では、校長が率先して教職員の意識改革を行い、「物事を進めるためには、何でも、3ヶ月の準備期間が必要だ」と言う理論で学校経営を進めているそうです。人は、「3ヶ月」と聞くと意外とできそうに思うようですが、やってみるとなかなか難しいものです。勉強でも運動でも、趣味の世界でも「3ヶ月」続けば、それなりの成果が出てくるようですが、自分一人で頑張っても、いいところ「ひと月」が限界かも知れません。そして、たとえ猛勉強をしても「ふた月目」「三月目」では、思うような結果が出ないのですから不思議なものです。勉強を始めても、運動をしても、結果が伴わない努力は空しいものです。それに、「三ヶ月目」に入ると「飽きて」きて辛抱ができなくなります。「これをやりきらないと結果は出ない」と言われても、苦しいことに変わりはありません。
昔から「石の上にも3年」や「三日坊主」という言葉があるように、「3」という数字には、何かを暗示している「言霊」があるのかも知れません。子供に話を戻すと、新年度を迎えて「さあ、頑張るぞ!」と意気込むものですが、準備もしないままエンジンを吹かせば、オーバーヒート状態になって、すぐに壊れてしまいます。そこで、年末から「三ヶ月」かけて次の学年に進む準備をしなければならないのです。そうすれば、新2年生に「1年生気分」の子供はいなくなるという理屈です。それに、学校の「顔」でもある新6年生が新年度から「最高学年」として頑張ってくれれば、学校運営は非常にスムーズに動きます。子供とはいえ、小学校の6年生と中学校の3年生の働き如何によって、その1年間が決まると言われるくらい「最高学年」は、学校運営の要なのです。そのために、校内の「実力」のある教師が、担任に就きますが、この学年が崩れれば、他の学年が頑張っていても、学校運営としては「失敗」だと言うほかはありません。不思議なもので、「交替式」をすませると、6年生はいよいよ「中学校進学」に向けての準備に入ります。中学校は、勉強も難しくなり、部活動への参加もありますので、忙しさは小学校の比ではありません。そのために、6年生には「特別メニュー」を組んで、中学校に向けての勉強を始めさせるのです。そして、それに代わって学校の「顔」となるのが、5年生になります。5年生のとっても、後3ヶ月後には新1年生を迎え、学校運営を切り盛りしていかなければなりません。そのために、学校の「スタッフ」として育てていく必要があるのです。
小学校は、特に「6カ年」と修業期間が長い教育の場です。人間として、日本人としての「基礎基本」を学ぶ期間でもありますので疎かにはできません。しかし、学年が進むに連れて、最初の頃の緊張感もなくなり、親も子も「中弛み」が出て来ます。特に、小学校は「3、4年生」がその時期にあたるようです。ちょうど、成長過程の中で「ギャングエイジ」と呼ばれる「自我」の成長期でもありますので、扱いが難しくなってくる時期にあたります。また、「小学校1年生」は、入学した塗炭に「赤ちゃん返り」をする子供が出てくるのもひとつの特徴です。これまでの生活環境が一変し戸惑うことが多く、周囲が必要以上に不安を口にすると、なかなか学校生活に馴染むことができません。以前、「小1プロブレム」という言葉が流行った時期がありましたが、幼稚園が自由保育で「のびのび」と過ごさせていたころ、全国の小学校で1年生の「不適応問題」が起きたのです。この責任は、実は「国」にあるのではないかと考えているのですが、如何でしょう。幼稚園には、「教育要領」でカリキュラムが定められていますが、その中で「自由保育」が協調された時代が、平成元年以降に見られたのです。要するに、「子供が夢中になって遊んでいるものを無理に取り上げることなく、教師や大人はそれを温かく見守ることが大切」という教育論なのですが、確かに、これが数人規模であったり、家庭内での教育であれば、その理屈も頷けます。しかし、30人以上もいる園で教育課程(カリキュラム)を無視してまで、子供の興味関心に付き合えば、それは「学校」ではありません。確か、幼稚園は文部科学省の管轄であり、「学校」としての位置づけがあるのですから、あまり「自由」は、それ以降の教育に馴染まないのは明白です。ここでも、幼稚園教育と義務教育の間の溝があることがわかります。
これも、一つの「実験」だったのかも知れませんが、幼稚園や保育園で「自由保育」を奨励するのならば、日本の学校教育制度そのものを変革しなければならないはずです。たとえ、外国の一部で成功しているのは、そのシステムが根本的に日本とは異なっているからであって、日本の学校教育の取り入れるのは時期尚早だったような気がします。現実を話せば、3月まで自由保育でのびのびと過ごしてきた幼児は、学校に入学した塗炭、「一斉授業方式」では、頭も心もついていくはずがないのです。入学式当日から式典会場の「椅子」に座っていることができずに立ち歩く子供が続出しました。教室にも入れず、廊下で大泣きしている子供もいます。数ヶ月が経過しても、立ち歩きやお喋りが止まず、担任の教師がその都度注意をする始末ですが、それでも、自由に育った子供たちは、勝手気ままに行動するのです。もし、これが「子供の正常な姿」だと捉えるのであれば、学校教育を「一」から見直さなければ、全国の小学校は立ち往生してしまいます。こうした「実験教育」も、今の「学校ブラック化」問題のきっかけになっているのです。結局は、子供も親も教師も困惑し、最近では、積極的な自由保育を実施している園は少なくなっているようです。こうして、全国で問題化し、マスコミが騒いだことで「自由保育」の波は一旦収まりましたが、この流行にばかり左右される国の教育方針は、学校現場にとって頭の痛い問題なのです。
小学校1年生は、確かに幼く見えますが、意外と能力は育っています。幼稚園や保育園での教育を侮ってはいけません。鍛えれば、如何様にも伸びる素質があるのに、学校では「一番小さい」からと言って、何でも世話をしたがる傾向があります。確かに、入学した当初は、学校生活に慣れるために、いろいろと教えることはありますが、それと「できること」は違います。どうも、教師も教育のプロでありながら、その見た目の印象で判断するところがあり、反省しなければならないでしょう。その1年生でも「君たちは、先月まで、幼稚園や保育園のリーダーだったのだろう?」と激励し、そのプライドをくすぐってやれば、できることは多いものです。その証拠に、一年間頑張って2年生に進級すると、「見違えるような姿」に変貌することがあります。それは、担任教師たちの努力もありますが、「6歳」という年齢に相応しい教育を施した成果でもあるのです。教育現場を知らない大人の中には、「無理をさせてかわいそうに…」と、人ごとのように嘆く人もいますが、日本という国で生きていく以上、その社会が「期待している人間」に育てていくことは、教育に携わる者の責任です。それを自分勝手な印象や「イデオロギー」で語られれば、学校制度は成り立ちません。子供には、1年生のプライドを刺激し、「今度、入学する新しい1年生の模範となること」を期待することです。そして、「学校生活の基礎基本」をしっかりと教え、できたことを褒めてやればいいのです。「小さいからできることは少ない…」と思うのは、大人の勝手な考えであり、6歳くらいになると、自我が芽生え「自立」しようとする意欲も高まるので、こちらが期待すれば、それに応えようと頑張るのも1年生の特徴です。
小学校2年生になるころには、学校生活にも慣れ、新しい1年生が入学してくることを心待ちにしています。それは、他の学年にはない「気持ち」です。なぜなら、自分たちが、やっと「先輩」になれるからです。1年生にしてみれば、何でも上級生に手伝ってもらう立場より、自分が下級生の「面倒を看てみたい」という欲求があります。これは、人間が持つ「母性・父性」なのかも知れませんが、「だれかの役に立ちたい」というのは、人間の「本能」だと思います。これを否定しては、人間は成長できないのです。常に「新1年生」の模範となり、小学生らしく振る舞うことで、2年生なりのプライドが生まれ、何でも一人でやろうとします。おそらく、家庭でもそうした傾向は強く出てくる年代だと思います。しかし、少子化の現在、家庭でそれを阻害しようとする人たちが現れます。それが、親であり祖父母でもあるのです。特に幼い頃は、その言動のかわいらしさに「いつまでも、素直なままでいて欲しい」と大人たちは願いますが、子供は人間です。脳も体も間違いなく成長していきます。それをいつまでも「子供扱い」し、子供の面倒を看たいばかりに、「甘やかし」が始まります。これが長く続くと「依存心」ばかりが強くなり、成長を阻害するのですが、酷い例になると、中学生になっても成人年齢になっても、「親離れ子離れ」ができない歪な関係を築くことになります。それが、双方の幸せにつながればいいのですが、成長のタイミングを逸した教育を施すことは、「社会不適応」を起こす原因になりますので要注意です。気をつけたいのは、1年生で身につけた生活習慣や学習習慣を崩さないことです。通常、親も1年生のように世話を焼くことはなくなりますので、自分のことを自分で行いながら、「みんなのためにできること」を探して、できたら「褒めてあげる」ことです。間違っても、「自分のことも満足にできないのに、人のことまで心配するな!」などと、叱責してはなりません。人は、人のために働いてこそ満足感が得られ、「生きがい」が生まれるのです。
3年生からは、「ギャングエイジ」と呼ばれる世代になります。体も大きくなり、学校生活にも慣れ、特に困ることもなくなります。元気でいつも動き回っているイメージが強いのは、この年代の特長です。そろそろ自我も出てくるので「扱いにくい」とえば、そうですが、この年代の子供が一番「子供らしい」時期だろうと思います。しかし、この元気は、学校経営上、非常に有り難い存在でもあります。大きな声で返事をしたり、歌を歌ったり、走ったりすることが得意で、年がら年中元気に遊んでいますが、疲れを知りません。子供が、こういう時期を過ごすのは、成長する上で絶対に必要なのだと思います。「知的」にもぐんと伸びる時期で、好奇心一杯で何でも知りたがります。この時期の子供にいい加減な返答をしていると、後でやり込められることになり、教師も親も侮ってはいけません。多少「大人びた」意見も言えますし、集中力も出てきます。大人たちは、こうした特性を見抜いた上で、様々な事柄に挑戦させたいものです。よく、スポーツ選手や芸能人などが、それを始めた年齢を聞かれると、この「3年生」あたりが意外に多いことに気づかされます。やはり、発達的に新しいものに挑戦できる年齢なのでしょう。この年代は、あまり厳しく指導しないで、多少羽目を外すくらいのことがあっても「大目」に見てやりたい年頃です。この時期に「抑え付けるような指導」をすると、その反動が、次の5年生、6年生で出てきがちです。もちろん、善悪については妥協できませんが、厳しく叱ったとしても、後を引くことなく、「さあ、もう一度頑張ろう!」と言って、大いに励ましてやってほしいものです。その「明るさ」が、この年代の子供たちをのびのびとさせる秘訣かも知れません。
4年生は、「ギャングエイジ」の後半期に入ります。騒がしいのは3年生と同様ですが、少しずつ大人の仲間入りをしようとする子供が出てきます。少し大人びた子供だと、奇声を上げて騒ぐ友人を窘めたり、注意したりする子供も現れ、自分もあまり「子供扱いしないでくれ」といった表情をするようになります。この時期の秋以降になると、いよいよギャングエイジも終盤になり、少しずつ落ち着いてくるものです。そろそろ、先のことを教えていく年齢だと思います。それは、学校においては、「学校全体を見る」ことを教えなければならない…と言うことです。自分が通う学校の良さ、学校の課題、気がつくこと、自分なら…と、高学年になったつもりで考えさせたい年齢です。4年生は、高学年と違って特に学校の中で「役割」が決まっていませんので、少し「のんびり」しています。それでも、多くの子供は自立し、教師や親を客観的な眼で見ていますので、何も考えずに生活しているわけでもありません。こういう時期だからこそ、指導できる内容も多いのです。人によっては、「まだ早い…」と思うかも知れませんが、実際は、6年生になるまでに2年間あるとはいえ、その指導のタイミングを見計らえば、やはり「秋」が最適でしょう。もし、12月に「交替式」を行うとなると、準備期間は1年半しかありません。半年後には、5年生の仕事を引き継ぐ4年生なのです。こうして、少しずつ「先を見て」指導していくことで、子供は一生懸命「背伸び」をしようとします。子供を育てるときに注意したいことは、この「背伸び」をさせることです。それは、今、すぐにできる仕事を与えるのではなく、「頑張ればできる仕事」を与えなければ、意味がありません。家の留守番でも、3年生くらいになれば昼間の半日程度はできるはずです。すぐに「できないだろう…」と考えるのではなく、「一回やらせてみよう…」と考えて欲しいものです。大人だって本来は、そうだったはずです。20歳になったから「大人」なのではなく、高校3年生の年齢ともなれば、大人としての自覚ぐらいはあります。しかし、実際は大人扱いはされません。残り2年間をとおして、少しずつ大人としての自覚を促し、将来を考えて、大人になろうとするのではないでしょうか。それができないと、二十歳を過ぎても子供じみた行動で、世間からの非難を浴びることになります。今の大学生が幼く見えるのは、彼らが背伸びをしないからです。「大人」としての自覚は、「そうなろう」とする気持ちが、言動に現れるものです。心の中では、いつまでも「子供でいたい」という気持ちがあります。しかし、一方で、「大人として扱われたい」という気持ちがあり、そこに葛藤が生まれます。そして、「恥はかくまい」というプライドが、人を大人にしていくのです。「人は関係ない。自分は自分のままでいたい…」などという戯言を吐いているようでは、一生涯、子供から成長することはないでしょう。
小学校5年生は、待ったなしに小学校の最高学年が視野に入ってくる学年です。よく「学校の顔」という言い方をしますが、小学校での「顔」は、6年生と「校長」です。この二つの顔で、世間はその学校を評価していると言っても過言ではありません。家庭で言えば、「親父と長男・長女」みたいなもので、組織というものは、「トップ」がどう振る舞うかで、その組織力は決まるといえます。たとえば、プロ野球でも、監督とトップ選手の振る舞い一つで、勝敗が変わることがよくあると思います。ペナントレースのような長期戦は、トップに立つ人間の「人間力」がすべてのような気がします。負けが込んできても、「今は負ける時期」と泰然自若の構えで、どっしりと構えていれば、選手の動揺はかなり抑えられます。そして、チームを「分析」して、「適材適所」で起用すれば、自ずと道は開けるものです。しかし、一つの負けを恐れ、トップが動揺し、「どうする、どうする…?」と眼が泳げば、若い選手ですら落ち着きをなくし、自滅して行くのは当然です。
学校は、それを担うのは、校長と6年生です。下級生は、皆、6年生に「憧れ」を抱いて見ています。唯一、5年生だけが6年生を「冷静」に眺め、次のトップの座を虎視眈々と狙っているのです。もし、このとき、6年生が全校トップの役割を放棄し、勝手気ままに動いていれば、学校は「秩序」を失い崩壊していきます。これは、学校だけでなく「組織」であれば、企業でも同じです。従業員は、ベテランも若手も常に「社長」と「幹部職員」を見ています。彼らの普段からの姿勢と熱意が従業員の意欲を喚起し、業績を少しでも上げようと頑張るものです。逆に、これまでの知名度や実績に胡座をかき、悪い「噂」でも流れようものなら、従業員の不安を煽り業績は低迷します。消費者は、名前だけで商品を手に取るわけではありません。その企業の「姿勢」は、目に見えないようですが、それを感じることができるのも「人間」なのです。学校においても、「次は、君たちだ!」という「強いメッセージ」を5年生に与えなければ、けっして「学校の顔」にはなれません。6年生は、学校全体を俯瞰し、足りないところは自分たちで補う気持ちがあれば、学校は6年生を中心に回ります。「校長」が校長としての「自覚と責任」がなければ、学校の顔の役割を果たせないように、5年生のうちから、その自覚を持って半年間を過ごさせなければ、けっして立派な6年生にもなれないし、学校を背負って立つ気構えもできないのです。
さて、6年生は、4月当初から「学校の顔」「学校のリーダー」としての責任を果たして貰うことになります。そのために、一年間「5年生」として、6年生のやることを見てきたはずなのです。
実は、学校で「交替式」をやる意味はここにあります。年が明ければ、3ヶ月が残されていると言っても、実際の活動の日数でいえば、ひと月程度のものでしかありません。そして、6年生は、いよいよ中学校に向けての進学の準備に取り掛からねばなりません。「中学校」は、わずか3年間の学校生活、高等学校への進学、部活動への取り組み、教科担任制への対応…等。一つ一つが将来に直結するような重要な教育の機会になります。この3年間の間の足踏みは、場合によっては、一生涯悔いを残す結果にもなるのです。
中学生になると、小学校1年生と同様に「中1ギャップ」が生まれます。なぜ、こうしたことが起きるかというと、小学校6年生のときに、中学校を想定しておかないからです。子供にとって、中学校生活で一番負荷がかかるのが、勉強より「部活動」なのです。部活動には、運動部だけでなく文化部もありますが、どちらにしても「自由参加」は認められません。全員加入というわけではありませんが、学校生活の話題に中心が部活動になれば、入部したくなるのは当然です。まして、中学校の部活動は、県大会、地方大会、全国大会へと続くスポーツの一大イベントなのです。文化部でも、吹奏楽部や合唱部、美術部なども全国大会に出場するとなると、中途半端な練習で叶う世界ではありません。そのために、どの部活動も小学生には驚くような真剣さで生徒たちは取り組んでいます。それが、尚更、新入生には大きなプレッシャーを与えるのです。
通常、部活動は、6月に入ればすぐに大きな大会の「予選」が始まります。年度当初の、4月、5月はその調整の一番ピーク時に当たるのです。既に新3年生の主力選手は、冬場から鍛えた体を目一杯に動かし、最終調整に余念がない時期でもあります。5月には、いよいよ、各大会の「レギュラー」が発表され、いよいよ全国大会につながる地区予選を迎えるのです。そんな中に飛び込んでいく新1年生が、のんびり過ごせるわけはありません。まさに、「激流」に跳び込み、その流れに乗って泳ぐ体力と気力が既に備わっていなければならないのです。それに、中学校の部活動は、昔からの伝統で「上下関係」が厳しく、1年生が上級生に親しく口を利くこともできません。また、当初は「雑用」が中心で、本格的に練習ができるようになるのは3年生が引退した秋以降のことになります。それまでの5ヶ月間ほどは、どんな優秀な素質を持った生徒でも、雑用係を免れることはありません。小学校時代には、そんな雑用をしたこともない生徒は、それだけで嫌気がさし、退部したり、不登校になったりする者もいて、学校の悩ましい問題のひとつにもなっています。そう考えると、小学校の最後の「3学期」を「思い出作り」などに現を抜かしている暇などはないのです。この現実がわからないと、そのときになって「とんでもないところに来てしまった」と後悔をしかねません。大人は、だれもが経験してきたはずなのに、意外とそれを忘れ、注意を怠ってしまう傾向にあります。だから、喜び勇んで入学した中学校で、現実の厳しさに触れ、「ギャップ」が生まれるのです。そこに気づかない、教師も親も暢気と言えば相当に暢気だと思います。だから、12月に学年の「交替式」を敢えて行い、「3ヶ月」の準備期間を設けるのが、学校経営戦略のひとつなのです。そのためには、6年生は最後まで気を抜くことを許してはなりません。
この「中1ギャップ」に対応する方法として、「教科担任制」があります。6年生の担任教師は、交替で各学級に入り、教科担任制で授業を行うのです。他にも、校長を初めとした教職員が協力して授業を行い、試験も中学校を想定した「定期試験方式」で実施すると、ある程度中学校での生活が想像できて、子供たちも気を緩めることがなくなります。そして、卒業式練習はできる限り期間を短縮して行い、その時間を中学校を想定した「教科授業」に充てるのです。そして、卒業式の前日までしっかりと授業を行い、「卒業」という言葉に浮かれそうになる気分を引き締め、ひたすら、心身を鍛えることに邁進させたいものです。他にも、部活動は、主力は5年生に譲ったとしても、コーチとして最後まで残り、自分自身でも中学校の部活動に供えた「体づくり」を奨励します。6年生は、卒業式の前まで「早朝練習」に参加し、生活リズムを崩さないように努めさせたいのですが、昨今の「学校ブラック化」や「コロナ禍」の問題を考えると、それも難しくなってきました。しかし、現実に中学校に進学してから体調を崩し、休みがちになる生徒が増えているのは事実です。学習内容も難しくなり、「学力格差」は小学校以上に出てきます。中学校2年生になると、「高校進学」がプレッシャーとなり、親も子も急に勉強が気になり出します。子供にとっては、初めての「人生の選択」を迫られるようで、苦しい時期なのかも知れません。それでも、これを乗り越えなければ、新しい人生は始まらないのです。
第四章 日本の未来予測
「グローバル化を恐れるな。 日本が、世界の「憧れ」となり「目標」 となる日が来る。」
第一節 厳しい挑戦の時代
世界は、今、まさに「グローバル化」を目指すのか、「ローカル化」に戻すのか、大きなうねりの中にあるように思えます。日本も「グローバル化」を指向しながらも、「ローカルのよさ」をどのように生かすかを模索しているようです。本当に、このままグローバル化が進めば、国内市場の小さい日本は、大国の波に飲み込まれるのは必定です。そもそも、国際情勢が危機的状況にある今、グローバル化という言葉をどこまで信じていいのでしょう。ヨーロッパでは、「ロシア・ウクライナ戦争」が長期化しそうな雰囲気があり、アジアでも、中国の「台湾侵攻」が取り沙汰されいます。そして、この両大国は、国際連合の「常任理事国」の地位にあり、国際社会に責任のある立場なのです。さらに、両国共に「民主主義国」ではありません。「政治体制」も「価値観」も違う国同士が、「経済だけは協力できる」ようなことを言い、ここまで日本も付き合ってきましたが、日本が考えていた「グローバル化」とロシアや中国の考えていた「グローバル化」には、相当な違いがあったようです。一説によると、グローバル化とは形を変えた「共産主義」という見方があるようです。確かに、言われてみれば、国の境をなくし「世界がひとつになる」ような思想は、特別な文明を持つ「日本」には馴染まないでしょう。日本が「天皇の国」でなくなれば、そう言った思想を受け入れる余地があるのでしょうが、日本が「天皇を中心とした国」である以上、グローバル化はあり得ないのです。ところが、最近では、経済だけでなく「移民問題」や「外国人参政権」を勧める政治家も多く、各地で不穏な動きも感じられ、単純に「グローバル化賛成」とはなりません。真の「グローバル化」が成功すれば、言語の統一や人々の自由な移動など、国のあり方が大きく変わることになるでしょう。
ヨーロッパでもアメリカでも、グローバル化については、様々な意見があり、だれもが賛成している状況ではありません。それに、アジア諸国も中国や朝鮮半島の情勢など、簡単にグローバル化を容認できる情勢ではないのです。それでも、人工知能(AI)をはじめとする技術革新は急速に進んでいます。これまでの既成概念が崩され、新しい視点をもった企業が業績を伸ばし、所謂大企業の凋落も始まっているのです。人々の働き方も、「終身雇用」の時代が終わり、自分の創造力と技術で「転職」を繰り返す働き方が広く認知されるようになってきました。自分の「能力開発」が、自分の豊かな生き方を決めるキーワードになっているのです。今、多くの若者は、「厳しくても、自分らしい生き方がしたい!」と言います。単に、「厳しいのがいや」なのではなく、「自分の個性(らしさ)」を発揮できないのが辛いのです。未だに学校や社会は、子供たちを「規格内」に押し込めるような教育を行っています。もちろん、それがすべて「悪」だと言うつもりはありません。生きるための「基礎基本」は、自分らしさだけで身につくものではないからです。多くの人の中で、助け合いながら生きていくためには、社会のすべての人の「合意」が必要です。それは、その国独自の歴史や伝統、道徳などが基盤となって創られるもので、今、急に新しい価値によって「合意」を求められても、納得はできません。この「グローバル化」問題も同じです。「明日から、世界共通の生き方にしなさい」と言われても、国民の大半は反対するはずです。古くさくても、時代遅れでも、日本人はやはり、日本の歴史や伝統の中で生きていくのが、一番、落ち着いて暮らせるのです。一時期、学校で「ディベート」が奨励されましたが、実際にやってみると、日本の子供たちは、やはり「議論で遊ぶ」ことはできませんでした。議論を「ゲーム」のように考えることもできず、つい、相手に対して「妥協する」言葉を選んでしまうのです。つまり、最終的には、「お互いを認める」ところに落ち着き、勝敗自体はつきませんでした。それが、子供たち全員が納得する「解決方法」なのです。
現代の若者は若者で、自分の「未来予測」を立てています。大人たちは、いつまでも子供を心配し過去の成功例を示して、「こうした方がいい…」としたり顔で説教をしたがりますが、そんな価値が既に過去の遺物になりつつある現在、それを信じた若者たちは本当に幸せになれるのでしょうか。しかし、それでも「学歴社会」に固執し、大学に行きたがりますが、大事なのは、大学を出たことではなくて、大学で「何を学んだ」かでしょう。なぜ、アメリカが強いのかと言えば、そもそも高等教育の意味が日本とはまるで違うと言うことです。アメリカは、そもそもが「資格社会」です。それも、学び方は日本のような単線型ではありません。仕事をしていても学びたければ、もう一度大学に入り直して「専門教育」を受けても、キャリアに傷がつくことがありません。いや、むしろ、それは当然だと受け止められます。ところが、日本の場合は、キャリアを積んでから大学に入学しても、それを社会はあまり重視してくれません。大学の格付けも明確で、「○○を学ぶには、○○大学」と言うように、何でも「東京大学」という日本とは根本的に違うのです。もちろん、世界規模で活躍できる人材を育てようとするアメリカと、国内で通用する人材を育てればいいだけの日本とでは、大学と言えども、まるで考え方の根本が異なるのはわかりますが、政府がしきりに「グローバル社会で活躍できる人材育成」というわりに、そういった思考で「大学教育」を見直しているようには見えません。まして、議論好きのアメリカでは、指導する教師陣も「優秀」でなければ務まらないでしょう。日本のように、「過去のノート」一本で講義を行うような教師は、淘汰されて当然です。残念ながら、日本の大学の教員は「左翼思想」の強い人が多く、大学を選ぼうにも、偏差値以外で選びようがないのも事実でしょう。
歴史的に見れば、戦後、日本の大学の教員(有名な教授等)の多くは、「公職追放」によって職を追われました。GHQは、自分たちの思想に合う教員たちを残し、彼らに、「連合国軍による戦争史観が正当な歴史だ」と後世に伝えるように命じました。結果、戦前からの指導者層は一掃され、新しい「アメリカ民主主義」や「共産主義」を信奉する若い学者を登用したのです。これは、少し調べて見ればわかる戦後史の事実です。陰謀史観でも「歴史修正史観」でもありません。その結果、大学教育は180度転換され、左翼思想の強い教員が主流派を形成して今に至っています。もちろん、それを「公」に認めることはないでしょうが、テレビや新聞等に登場してくる大学の学者たちは、今では、その「左翼思想」を隠すこともしなくなりました。堂々と顔をテレビ画面に晒し、マスコミの指示通りに「左翼的意見」を述べ、保守的な言論を封じ込めようとしています。その多くは「反政府主義者」で、日本の保守的な発言を嫌います。アジア諸国の中でも中国や韓国には、異常なほどに親しみを持ったコメントを行い、保守政党が「改憲論」「防衛論」を述べると、必ずそれに反対し、「戦争になる」「平和を守れ」といった主張を繰り返し、国民を誘導しようとしています。大学は、昔からの「大学名」を名乗っていますが、その大学のイメージは、戦前のものとは異なり、今や左翼思想を吹き込まれる危険性があるのです。これで「大学を選べ」と言われても選びようがありません。つまり、今の日本人は、こうした左翼思想を自然に受け入れているということなのです。よくよく考えてみれば、共産主義は既に「ソビエト連邦」の崩壊によって、実態がわかったはずです。今の中国も共産党独裁体制の中で、チベットやウィグルの人々がどんな酷い目に遭わされているか、承知しているはずです。北朝鮮では、既に経済が破綻し多くの餓死者が出ても、核開発が止まず、そのミサイルを日本に向けているではないですか。それが「共産主義」の実態なのです。しかし、それにも関わらず、日本のマスコミはそれらの国々を擁護し、報道をしようとはしません。そして、大学の多くの学者も、それには触れないようにしているかのようです。もちろん、これは、私個人の穿った見方なのかも知れませんので、正しい意見だとは言えませんが、常に「?」の気持ちで眺めているのも事実です。
それにしても、日本の「大学」は、入学試験だけを見れば、それぞれの「偏差値」に違いはありますが、いつまでも「過去問」を解く受験勉強で入れる大学に、それほどの魅力は感じなくなりました。それより、「その大学で、自分の興味関心のある専門的な学問を学びたい」という若者の熱意に応えられる「大学」になってほしいと願うばかりです。なぜなら、これからの時代は「過去問」では解けない問題への挑戦ばかりだからです。今、だれもが使うようになった「スマートフォン」だって、連絡ツールの「アプリケーション」だって、どれも日本人の発明品ではありません。「パソコン」や「AI」だって、日本は世界の「発明品」を使用しているだけなのです。以前の日本は、ある特定の分野においては世界の最先端を走っていました。戦前のことを持ち出せば、「零式艦上戦闘機」だって、「戦艦大和」だって、日本の「発明品」です。それらの技術は、日本人が明治の開国以降、必死に努力した成果でもあります。しかし、その基礎は、「江戸時代」に築かれていたことは間違いありません。日本人は、「黒船」を見て大いに驚きましたが、アジア諸国の中で唯一、それを「面白い」と感じ、実際に短期間で「軍艦」を造って見せたのです。「飛行機」の原型も既に江戸時代に「鳥」の羽根の構造を調べて、製作に乗り出した人もいたくらいですから、日本人の「ものつくり」の才能は、伝統でもあったはずです。戦後も、その戦時中の技術者たちが「新幹線」を造り、「自動車産業」を発展させたのです。ところが、今や、世界の技術者に先を越され、国内の研究は遅々として進んでいないように見えます。「ノーベル賞」を取った受賞者の多くは、既に日本を離れ、外国の大学機関等で研究をしている人たちばかりです。政府は、口では、「ものつくり大国」と言いながら、結局は、戦前までの先祖の遺産を誇っているだけではないのでしょうか。
今や、日本にそんな「アカデミック」な研究が満足にできる大学や機関がどれほどあると言うのでしょうか。いくら優秀で「大学院」等で研究を進めたくても、それに投資してくれる政府も企業もなく、多くの研究者は生活のために「研究」を諦め、普通の生活を送っているという話を聞きます。いくら、大学が「飛び級」を認めても、それ以降の研究の支援がなければ、学者として自立していくことができないのです。だから、学者の多くは芸能事務所に籍を置き、テレビ等に出演して生活費等を稼ぐ必要があるのかも知れません。結果、日本の大学は、世界の中でも「評価」が低く、あまり重要視されていません。国内では「優秀」だと言われているような人でも、外国で通用しないのであれば、それは「井の中の蛙」でしかありません。一にとも早く、「一流の研究者」を育てる「大学」を創り、政府の手厚い支援によって、日本人らしい「研究」の成果を挙げられることを期待します。それには、もう、「過去問」に囚われる時代ではないのです。「ユニークな発想」をする天才たちを見い出し、彼らの能力を国をあげて育成する時代が間違いなく来ているのです。「学校教育」も、「同質の人間を育成する教育」から、「本物の個性を大切にした教育」に転換されなければなりません。そうでなければ、いずれ近い将来、日本の産業界は停滞し、他国に誇った「ものつくり」さえ、二流、三流に落ちぶれることなるでしょう。日本人は、そうした「環境」さえ整えば、絶対に外国人に真似のできないすばらしい「発明」をしてくれるはずです。そこには、「和魂」が入っているからです。「和魂」には、常に「世のため、人のため」という思想があり、それは「ものつくり」にも十分込められる「命」でもあるのです。その発明品のひとつひとつに技術者の「和魂」が込められた製品が、世界を救うのです。そうした未来を、日本人全体で共有し応援したいと思います。
第二節 未来予測 1(日本人力)
現行の「学習指導要領」の総則には、こんな言葉が羅列されています。「感性を豊かに働かせる」「未来を創る」「目的を自分で考える」「自分の可能性を発揮する」「人生の創り手となる」…。これらの能力は、「知識の量」だけで測ることのできない個人の資質です。言うならば、「個性」にあたる言葉です。そう言う割に、実際に学校で行われていることは、この国が示した「目標」とは、違う教育が行われているような気がします。まあ、言うのはだれでも言えますので、無責任といえばそれまでですが、これらの「目標」を実現できる支援を国が行っているかと問われれば、それは「?」です。これらの目標を実現するためには、今のカリキュラムのままではどうしようもないことは明らかです。学校社会は未だに「偏差値教育」から抜け出せずにいますし、大学教育にも「能力」を発揮する場所はありません。どんなに「優秀な人材」がいても、それを支援する仕組みがないために、仕方なく社会に合わせた生活をせざるを得ないのです。最近になって「ギフト」と呼ばれる子供への支援策を考えているような報道がありましたが、国が本気で取り組まない限り、外国の「ギフト教育」に敵うはずがないのです。国はその都度、知名度のある学者の言葉を引用して様々な目標や「夢」を語りますが、現実にそれを実現した例がない以上、国民はどうしようもありません。それを「一人一人」に考えると言うのですから、困ったものです。本気になって「日本の未来」を考えているのであれば、それを実現する「政策」を示さなければなりません。しかし、この国の「教育予算」は先進国の中で最低です。大学予算も削られ、授業料は益々高くなるばかりです。国自身が本気になって「人材育成」をしない限り、日本に「豊かな感性」も「未来を創る人材」も育つことはないでしょう。
これからの時代に「生き方の方程式」はありません。学歴があれば幸せになれるとか、大企業や公務員になれば一生安泰だとか…、そんな昔の「幸せ伝説」は、もうどこにもないのです。マスコミは、「全国学力テスト(学力調査)」を取り上げて競争(都道府県別)を煽っていますが、この総則の「趣旨」とは違う意図が見え隠れしています。学力調査は、本来、「子供一人一人の学力の状況を把握し、適切な指導が行えるようにするため」のものとなっていたはずですが、いつも間にか、全国の都道府県の「学力比べ」になってしまいました。マスコミも、こういうやり方が本当に好きなのだと思います。マスコミも一民間企業である以上、「商品」を買ってもらわなければ企業として生き残ることはできません。そうなると、「国民の求めるもの」を提供するのは当然です。したがって、この調査も公になれば、そのように使われることは、実施前からわかっていたことなのです。それでも、実施に踏み切ったわけですから、この「結果」を有効に活用してもらいたいと思います。とにかく、「幸せな生き方」に方程式がなければ、「自分の力」で切り開くだけのことです。そこで必要な力は、やはり、「創造性」「人間性」「個性」「日本人力」なのだと思います。特に「日本人力」は、これからの国際社会で生き残るには、絶対に必要な力なのではないでしょうか。
それでは、ここで「日本人力」について、私の意見を述べたいと思います。近年、日本がその「日本人力」を世界に見せた一番最初の出来事は、幕末の日本にありました。「ペリーの来航」ではじまった開国騒ぎも、戊辰戦争という形で終結し、日本は名実共に統一国家となりました。その際に起きた一連の騒動と内乱は、欧米諸国に衝撃を与えたに違いありません。普段は控えめで、主張の少ない日本人が、あのような凶暴性をもって同じ民族同士で殺し合う姿には、言葉もなかったことでしょう。そんな時代に、「堺事件」という特殊な欧米人を震撼させた事件がありました。この事件は、簡単に言うと、「1868年(慶応4年)に起きた、土佐藩士によるフランス軍水兵への殺傷事件及びその事件後の処理問題」のことを指します。当時、幕府としては外国船やその船員に対して慎重な態度で接するように通知をしていました。しかし、日本をアジアの小国と侮っていたフランス軍艦の水兵たちは、日本の武士として看過できない振る舞いに及び、警備を担当していた土佐藩士が発砲したことをきっかけに、フランス兵が数名死亡するといった事件になってしまいました。
フランス側は、この問題の責任は「土佐藩」にあるとして処罰を要求したため、土佐藩としては、外交上やむを得ず、発砲した土佐藩士20名に「切腹」を命じたのです。処罰の対象となった土佐藩士は、なんと「くじ引き」で切腹する者を決め、フランス軍の前で堂々と武士らしく切腹して果てることを決意したのです。土佐藩士にしてみれば、警備上、乱暴を働いたフランス兵を取り締まらんと行動しただけのことであり、咎められる理由はない…と考えていました。そこで、20人は、順番に切腹の座に着くと、介錯もさせずに自ら腹を切り、はらわたを掴み出して、居並ぶフランス兵に放り投げたそうです。その鬼気迫る形相に恐れをなしたフランスの指揮官が、慌てて切腹の中止を要請し、結局、11人の切腹で終わったという事件です。教科書に載せられるような事件ではありませんが、外国人にとって、こんな凄まじい武士の最期を見せられた衝撃は大きかっただろうと思います。一方、戦いに明け暮れていた欧米諸国にしてみれば、そこに「戦士」としての凄味を感じ、ある意味、武士という戦士のいる日本に尊敬の念を抱いたとしても不思議ではありません。「日本、侮るべからず」という緊張感は、それ以後の日本との交渉に有利に働いたはずです。もし、日本が外国の言うがままに従うような国であったら、明治以降の日本が独立を保てていたかどうかわかりません。今の日本も、70年前の戦争を総力戦で戦い抜いたことが、今でも世界の人々の尊敬を受けている理由だと思います。
始めて日本人を見たとき、欧米人は間違いなく、その体格の貧弱さに驚き、奇妙な風体をしている姿にも驚いたことでしょう。丁髷や羽織袴、その上大刀を日本も挿し背筋を伸ばして歩く日本人(武士)に、興味を抱いたに違いありません。しかし、表情は柔和で、挨拶も非常に丁寧です。物腰も柔らかく品性を保っていました。しかし、一旦、彼らが怒ると、とんでもないことを行うのですから、「日本人を侮ると、危険な眼に遭う…」という気持ちになったことでしょう。そして、「サムライ」は、その誇りを傷つけられると、簡単に腹を切り、死んでしまうことにも驚いたはずです。いくら戦い慣れしている欧米人でも「切腹」は衝撃的でした。だから、今でもそれは「HARAKIRI」としか英語の単語として残されています。しかし、本当の「日本人力」は、サムライの世界にだけあったわけではありません。むしろ、「庶民の生活」の中にこそあったと言うべきでしょう。
日本人は、古代より狭い日本列島と多くの小さな島々で生活を営んできました。大陸より離れ、国土の大半を急峻な山岳が覆い、人々は海か河川の側に小さな村を作って生活していたのです。国土に資源は少なく、農耕だけが唯一生きる道でした。そのため、人々は無用な争いを好まず、毎日の農作業をとおして、日々生きるだけの食糧を手にすることで精一杯でした。その上、日本は自然災害が多く、中央を連なる山岳地帯の多くは火山であり、そのためか地震も多く発生します。海底には、いくつものプレートが折り重なるように広がり、その上に辛うじて日本列島が乗っているのですから、不安定極まりない土地で人々は肩を寄せ合うようにして暮らしていました。また、東から南には広大な太平洋が広がり、そこから先は海しか望むことができません。こうした環境の中では、少人数で生きていくことは難しく、多くの村が災害等で消滅していったことでしょう。狩猟民族であれば、永遠に続く大陸の地で移動を繰り返しながら、多くの獣や魚を獲ることもできたでしょうが、米作りは、「八十八夜」もかかる手のかかる作物なのです。その一粒一粒の小さな米粒を集め、主食とするためには、気が遠くなるような量の収穫がなければなりません。こうした過酷な自然環境や米作りが人々の連帯感を生み、「調和」することを身につけたのです。
聖徳太子の「和を以て貴しと為す」は、日本人そのものの生き方を表現しています。我を張って勝手なことをすれば、そこから綻びが生まれ、運命共同体の「村」は崩壊します。だからこそ、国を統一した「天皇」は、権力者にはならず、人々の象徴的存在である「権威者」として君臨し、常に国と国民の安寧を願う存在となったのでしょう。現代の日本人にも、こうした起源の「DNA」は、間違いなく受け継がれているはずです。それこそが、他国にはない「日本人らしさ」であり、その力を発揮するとき、「日本人力」が試されるのではないでしょうか。今後、ある程度の「グローバル化」はやむを得ないことですが、その中で世界が日本を評価する「基準」は何でしょう。
「穏やかな微笑み」「物腰の柔らかさ」「丁寧なおもてなし」「優しい思い遣り」「繊細な気遣い」「凜とした佇まい」「いざという時の勇気」「真の強さ・頑なさ」…。それが、「日本人力」として評価されるはずです。たとえ「英語」を流暢に話せても、欧米人のように「自己主張」をして見せても、「日本人力」の乏しい日本人は、世界では評価されるはずがありません。今、まさにグローバル化の時代だからこそ、世界の人々は、「歴史・伝統・文化・自然」に強い憧れを抱くのかも知れません。実は、70年前の日本人もまさに、こうした「日本人力」を現代人以上に身につけていたにも関わらず、「戦争」によって、偏見に満ちた「日本人像」を創り上げられてしまっていました。それは、先の大戦の記憶が生々しく、日本の「鬼畜米英」と同じように、敵国であったアメリカが、日本人を「悪魔の化身」の如く描き、世界中にばらまいたからに他なりません。当時描かれた日本人像は、「ちび」で「がに股」、「眼鏡」で「出っ歯」と相場が決まっていました。どんなときも小集団で歩き、わけのわからない言語を操る異星人の如く描くことで、アメリカ人に差別的な意識を刷り込み、敵愾心を燃やさせ、「奴らは、我々と同じ人間ではない。知能も猿以下の下等動物なのだ!」と徹底的に差別したのです。だから、原子爆弾も都市空襲も平気で行ったし、従軍した兵士たちも、日本人を殺すことを躊躇わなかったので。
しかし、そんなプロパガンダも、SNSで情報が自由に世界中を飛び交うようになると、自ずと真実が見えてきました。日本と言えば、「ゲイシャ」「フジヤマ」「ニンジャ」「サムライ」くらいしか知らなかった欧米人が、「本当の日本」の姿に接したとき、自分たちの国が失った歴史や文化や自然が、近代と調和して残されていることを知ったのです。それは、日本への理解が乏しい欧米人にとっては、衝撃的な事実でした。「未だに、こんな国が残されていたのか?」という感動は、世界中に広がって行きました。日本への外国からの観光客が飛躍的に伸びたのも、やはり、「コンピュータ時代」になってからのことでした。それまでの日本は、政府自体が「日本のよさ」を認識してはいなかったのです。何処を見ても古くさい建物と、ウンザリするような人間関係、大して美味くもない名物や田舎くさい自然など、都会の煌びやかなネオンと比べると、日本の多くの自然は「野暮」に見えたのでしょう。それよりも、欧米のキラキラした高層建築物や珍しい食材を使った料理の数々、世界で流行しているファッションやブランド製品などは、日本人を夢中にさせました。その分、自分の国の歴史や文化などは「時代遅れの遺物」に見えたことでしょう。今でこそ、「歴史的建造物や街並み、自然を大切にしよう」などとPRに余念がありませんが、僅か50年ほど前まではどれも否定的で、「西洋文化」こそが、一流の証でもあったのです。ところが、世界の人々は、日本人が見放した日本の歴史や文化にこそ興味を示したのです。外国人の目で日本が再評価されるようになると、日本人の意識も大きく変わりました。それまでの「古い物」を再度見直し、大切な「歴史的文化」として大切にしようとする機運が盛り上がってきました。それが、ここ30年くらいの間に起きた出来事でした。そして、再び、衝撃的な「日本人力」を目の当たりにしたのが、「東日本大震災」時の東北の人々の振るまい方だったのです。
ある東北の人はこんな言い方で、震災を振り返っていました。「仕方ねえ。大昔にも、こんなことはあった。そいでも、先祖は、逃げずにここで踏ん張ったんだ。俺たちも、そうするしかねえんだ!」「それに、東北は、いつも負けっ放しだ。奥州征伐で負け、戊辰の戦で負け、大東亜戦争で負け、そんで、今度も負けだ!」「そいでも、俺たちは、自分には負けねえ。負けるわけにはいかねえんだ…」…。こんな言い方をするのが東北の人らしいのですが、これも、強烈な「日本人力」だと思います。世界の人々は、こんな日本人の姿に感動し、日本人を讃えましたが、それは、日本政府が創ったものではありません。日本の歴史と文化が育んだ「日本人の魂」だということを忘れてはならないと思います。人は、欧米もアジアも日本も関係ないのです。「感動」は、万国共通です。美しいものはどこにいても美しく、美味しいものは、どこで食べても間違いなく美味しいのです。それは、昨日今日の歴史でできることではありません。日本のように、「数千年の歴史」の中で育まれてきたものなのです。それを自分の体の中に持っている「日本人」が、何を恥じると言うのでしょうか。これからは、この「日本人力」こそが、世界の「手本」になっていく時代が必ずやって来ます。国は、早くそのことに気づき、大きな「構造改革」を進めなければならないと思います。そして、「これからの教育」は、未来の日本を動かす「大きな力」になっていかなければなりません。今の瞬間だけを見て右往左往する教育ではなく、2700年近くも続いている「日本」という国の「誇り」を取り戻し、日本らしい教育を進めて行って欲しいと願うばかりです。
第三節 未来予測2(豊かな感性)
学習指導要領のいう「豊かな感性」について考えてみたいと思います。「感性の豊かな人間」という括りで言うと、なかなか身近にはいそうにありません。もちろん、芸術家や芸能人の中には、「すばらしい感性の持ち主だな…」と感心するような人はいます。しかし、それらの人は、何万人に一人というくらいの割合で出てくる、いわゆる「天才」肌の人たちだろうと思います。したがって、自分事として「豊かな感性」と言われても、自覚できるようになることはないだろうと思ってしまいます。そもそも、「感性」というものは、「驚き」を素直に表現できることではないでしょうか。新しい物や美しいものを見、聞(聴)き、味わい、人間としての「五感」をフルに活用し、「素直な表現」ができる人間のことのような気がします。旅をすると、全国各地で新しい「発見」に出会います。それは、美しい「風景」であったり、地元の「焼き物」であったり、珍しい「料理」だったりします。そのときに、「すごい…」とか、「すばらしい…」といった言葉が口をつきます。おそらく、その「瞬間」が、自分の感性が動いたときなのだろうと思います。しかしながら、それ以上に、深く感じることはありません。どちらかと言うと「一過性」の感情の昂ぶりであって、それに深く傾倒するということはないのです。だから、自分は「凡人」なのですが、やはり、そこから、何かしらの「ヒント」を掴むような人が、「感性豊か」な人間なのでしょう。そんな素直な感性をいつまでも持ち続けたいと願うばかりです。
しかしながら、身近な「大人」には、そういう人を見たことがありません。子供には、ときに、「おっ…?」と思わせるような驚きを感じさせる子がいますが、その子供が大人になってどうなったのでしょう。子供時代にはあっても、大人になるに連れて「世の中」というものがわかるようになり、何となく「世俗的」な思考や判断が求められ、自分の感性など何の意味もないように感じてしまうのかも知れません。それは、大人になるに連れ、何かしらの偏見や妬み、思い込みなどによって、大人から、子供のころのような「素直さ」が消えてしまったからなのでしょう。ところが、子供にはまだ十分な素直さが残っています。だからこそ、大人の眼には映らないものが、子供の眼には見えるのだろうと思います。そして、それ故に子供は、「大人の嘘を見抜く本能」が備わっているのです。子供は、幼ければ幼いほど、すべての事柄が新鮮に映っているはずです。そして、それに触れたとき、その喜びを表現することが「上手」なのです。あるときは、絵筆を取り、あるときは、歌を歌い、リズムに合わせて踊り、あるときは、作文や詩に表現します。子供は、自分の「感動」を表現せずにはいられないのです。それが、「豊かな感性」の正体だろうと思います。しかし、そんな感性も「世間を知る大人」たちによって潰されていきます。おそらく、「豊かな感性」が認められるのは、せいぜい小学校低学年までで、それ以降は、人生において「感性」が重視されることはありません。そういう意味で、芸術家や芸能人は、恵まれた一部の人たちだということがわかります。
子供も10歳くらいになると、周囲の大人たちも「子供」であり続けることを否定しようとします。しかし、特別な「豊かな感性」を持つ子供は、それが、なかなか納得できません。「自分がやりたいこと」というのは、理屈ではないのです。心の中から「湧き出る感情」であって、それを周囲の理解の乏しい大人がやめさせようと思っても、そんな素直な感情を抑えさせることはできないのです。「そんなことをする暇があったら、勉強しろ!」「何をくだらないことをしているんだ!」「さっさと片付けてしまわないか!」「他の子に負けていいのか!」こんな大人げない言葉で、素直な感性は萎み、いつも周りの求める「答え」を出すようになるのです。残念ながら、これでは「豊かな感性」は育ちようがありません。もし、歴史上の人物で「豊かな感性」の持ち主を一人挙げろと言われれば、私の浅薄な知識から申せば、「千利休」が頭に浮かびました。それは、彼が「茶」の世界を「茶道」という芸術にまで高めた真の「芸術家」として評価される人物だからです。そして、「茶の湯」の世界でいう、「侘び、寂び」の世界を「美」の極致にまで高めた手法は、未だに例を見ません。利休の育てた茶道は、身分社会にありながら人間世界独特の「嫌らしさ」を一切はぎ取り、徹底した質素な世界を演出して見せました。厳しい「身分」がありながら、同席した者同士は、茶碗を回して飲み合うなど、お茶の世界でしか考えられません。茶懐石でも、大皿から同じ料理を自分で取り分け、隣に回していきます。客に対して、小鉢に分けるでもなく、一人一人のお茶碗があるわけでもなく、みんなで同じ茶碗で茶を啜り、料理を自分で小皿に移して食すなど、他の接待ではあり得ないでしょう。そして、これを「美」と「教養」そして、「品格」にまで高めた感性は、ほとんど天才の為せる技であろうと思います。もちろん、だれもが千利休になれるはずもありませんが、既存の物を単純に受け入れるのではなく、「権力者」に阿るでもなく、己の美を追究していく頑なさは、本当の日本人力の極地でしょう。利休は、最後は秀吉によって死を賜りますが、考えようによっては、それすらも利休が望んだ「美」の完成形なのかも知れないと思うと、利休という人間の芸術に対する怖ろしいまでの執念を感じます。絶大な権力を誇る「豊臣秀吉」にさえ阿らず、自分の生き方を貫きとおすことで、利休の茶道は「永遠」のものとなりました。「豊かな感性」とは、そのくらい遠い世界ではありますが、「目指したい道」であることだけは間違いありません。
第四節 未来予測3(未来を創る)
「未来はだれにもわからない…」とは言っても、今の時代ですから予測くらいはできます。今の世界情勢を見ると、戦後、世界を席巻した「グローバリズム」の波も、そろそろ終わりが見え始めたように見えます。ロシア・ウクライナ戦争、ヨーロッパでのEUの失敗、移民問題、アメリカでのローカリズムの台頭、中国共産党の一党独裁の陰り、香港の抗議デモ、韓国の過剰な反日政策、北朝鮮の度重なるミサイル発射問題と、今まで考えられなかった事件が次々と起きています。どれも、それぞれが別なもののように見えますが、世界が混乱状態にあるからこそ、こうした事態が起きているのであって、国際秩序が安定していれば、各国が牽制し合うために、これほどの混乱にはならないでしょう。日本も一時期、教育の分野でも「グローバル化」が叫ばれ、教育内容にもそれが色濃く反映されていました。しかし、最近では「グローバリズム」は、「共産主義の変形」だという説が多く聞かれるようになり、コロナが流行して以降、あまりグローバル化を推進している国はなくなってきているようです。やはり、世界が「共産化」して喜ぶのは、一部の資本家などの人たちだけであって、多くの国民は受け入れることはできないでしょう。今、国際的に問題を起こしている国は、共産国か独裁国であって、民主主義国ではありません。一見、「平等思想」は素晴らしいように見えますが、現実的でないことは「ソ連の崩壊」や「中国共産党の一党独裁」を見れば明らかです。これまで世界は、できる限り国境の壁を低くし、通貨を共通にしたり、移民を積極的に受け入れたりと、様々な「平等政策」「人権政策」を採ってきました。しかし、現実には移民受け入れ国家は、その人々の処遇に困っている状態です。あのアメリカでさえ、様々な人種問題が顕在化し、建国の歴史さえ否定するような勢力が現れ、アメリカ人の「絆」が切られようとしています。そして、強い国と弱い国が生まれ、「格差社会」が到来してしてしまいました。日本も、この30年ほどの間に「格差」が広がり、国民の大多数は、そんな社会に戸惑っています。
国民のニーズに応じて、男女の平等、賃金格差の是正、人権の重視、開かれた構造改革と、次々と社会を変革していったにも関わらず、国民の多くは以前ほどの「満足感」を味わってはいません。よく、「政治はだれがやっても同じ」とばかりに、選挙の投票率は低く、国民の多くは政治にも選挙にもあまり関心を持ちませんでした。ところが、いい方向に向かうはずだと思っていた社会が、昔以上に格差は広がり、賃金もずっと上がらない状態が続けば、さすがに暢気なことばかり言っていられなくなってきました。もはや、日本に「中流階級」はいないのです。そもそも、日本人の多くは、このような「格差社会」を望んだことはありません。日本も、「グローバル社会」という言葉に惑わされず、「内需の拡大」や「働き方改革」を推進した方がいいように思います。
ここ数年のコロナ問題は、日本人に多くの「教訓」を与えました。それまで、グローバル社会の到来に迎合するかのように、日本の企業は労働力の安価な中国や東南アジアに工場を移転し、利益を得ていましたが、そのために、日本国内が空洞化し産業構造が大きく変わってしまいました。そのために、コロナの感染が広がる中で「マスク」すら手に入らない状態が続いたのです。そして、大切な「医薬品」まで輸入しなければならないと聞き、だれもが唖然としたことを覚えていると思います。今も「半導体」などの電機部品も輸入に頼っており、これでは、各国が「輸出制限」でもすれば、日本は社会生活そのものが維持できなくなるのです。これこそ、「まさか…」の事態なのです。国民の多くが政府の言う「グローバル神話」に踊らされた結果が、この有様では、「ものつくり大国」が幻想だったことが証明されてしまいました。今、まさに日本は、未来を見据えて「国内産業」を充実する機会なのだと思います。こうした話は、一見「教育」とは関係のない話のように見えますが、教育こそが、「グローバル化」を煽動した張本人だということを忘れてはなりません。もちろん、それは、学校の教師たちの責任ではなく、それを「指導するように…」と命令してきた政府の責任であることは明らかです。学習指導要領の改訂のたびに、グローバル化を強調し、教科書にも多くのページを割いて、各教科で扱うようになっていたのです。こうした指導は、子供たちに大きな影響を与えてきたことは事実として残ります。そして、日本の産業が空洞化したときに起きたのが、「就職氷河期」問題でした。学校で世界の「グローバル化」を学んできた学生が、いざ就職しようという年齢になったとき、経済は「低迷期」に入ってしまっていたのです。このころ政府は、若者たちに「自分探しの旅」に出ることを勧めました。そして、多くの若者が目標も定めないまま、「自分」という得体の知れない「もの」を探して彷徨ったのです。これも「グローバル化」の影響だったと思います。
しかし、この「グローバル化」の中でも、生き残りを賭けて頑張ってきた産業がいくつかありました。それは、「本物」を目指した企業や職人、技術者たちでした。まだまだ、日本には「ものつくり」の伝統は残されていたのです。たとえば、日本の農業はずっと「斜陽産業」と言われてきましたが、今では単に政府の指示通りに作物を栽培するのではなく、外国に輸出できるような作物を育てようという機運が盛り上がって来ています。「米農家」は、中途半端な米を作るのではなく、だれが食べても「美味い米」を作ろうと日々頑張っています。そして、米から作られる「日本酒」も、西洋料理にも合う果実酒のような「酒」を作り、海外への輸出が始まりました。また、自動車産業も、一時は中国や韓国等に圧され「電気自動車分野」でも先行を許したように見えますが、日本の技術者たちの底力はこんなものではありません。おそらく、10年以内に最高級の電気自動車の開発に成功することでしょう。そこには、「ものつくり」の伝統技術が「和魂」と共に継承されているからです。「教育」も、もし政府が教育を「教師」たちに委ねてくれたら、「世界最高の教育」をするはずです。政府が口を出して、余計な仕事をさせ過ぎたために「学校ブラック化」問題が起きました。戦前のように、教育を「自由化」して、本物の「教育者」たちに委ねるのです。国は、最低基準だけを示すことで、学校は「活性化」します。そうすれば、「働き方改革」などと言わなくても、教師は皆、子供のために働きます。これが、日本人の「伝統」であることを忘れては困ります。
それでは、もう一度「教育」について考えてみたいと思います。戦後の日本の教育は、「失敗」でした。そう断定していいのか…という意見はあると思いますが、やはりGHQの指令の下に作られた戦後教育体制が、日本の歴史や伝統に沿うものでなかったことだけは確かです。そして、70年物年月をかけて、日本人の「精神構造」を大きく変えてしまいました。それも、すべて「戦前は悪」という前提から始まっているのです。それを言うならば、「明治維新は悪」という前提も成り立つのです。やはり、「勝者」は何処の国であっても、自分たちに都合のいい「歴史」を創り、次の世代につないでいこうとします。本来ならば、占領政策が終わった時点でGHQが押し付けた「日本国憲法」を破棄して、もう一度、「大日本帝国憲法」の改正論議をすればよかったのです。それなら、同じ「日本国憲法」だったとしても、あれほど酷い文章にはならなかったはずです。そうなれば、「教育基本法」も憲法に連動する形で成立し、日本は真の独立国として国際社会に復帰できたのです。しかし、残念ながらそうはなりませんでした。そこには、公にはできない政治の「闇」があり、改正できなかった事情もあったのでしょう。「敗戦国」とは、そういう立場なのだと改めて思い知らされます。
確かに「高校進学率」や「大学進学率」は上がりましたが、それによって、「日本人の資質」が高まったとは到底言えない現実があります。この80年あまりは、「戦前の遺産」で何とかやってきたのではないでしょうか。「教師」も同じです。なぜ、教師たちが、今のように「ブラック」だと言われながらも、文句も言わず、黙々と働いてきたのでしょうか。だから、いいように使われてきたのも事実ですが…。それは、日本の歴史上、教師は「聖職者」という意識があったためです。今でも、学校の教師たちは、「子供のために…」という言葉を好んで遣います。だれに頼まれたわけでもないのに、子供のために「身銭」を切り、授業の準備をしたり、家庭で満足に学習道具の用意のできない子供に「鉛筆やノート」を買い与えたり、休日の「部活動」で子供たちの練習や試合のの面倒を見たりしてきたのです。それを親たちは知りながらも、「当然」のように考えていたのは、それは日本社会に根強く残る「聖職者意識」があるからではないのでしょうか。「子供のためなら、親以上のことをやるのが真の教師だ」とでも言うような意識が国民に植え付けられていたのです。しかし、戦後、国も教職員組合も、教師を「聖職者扱い」をしたことは一度もありません。寧ろ、学校や教師の高い使命感を利用して、様々な要求をしてきたのが実態です。そして、「教師の勤務実態」を把握しても、それに積極的に応えようとはしませんでした。もし、教師に「敬意を払う」といった意識があれば、あの「免許更新制度」などという「教師いじめ」のような制度は作らなかったはずです。政府は、一部の「反政府主義」のような教師集団を見て、この制度を設けたのでしょうが、全国の「心ある教師」は、この制度ができたことで、「自分たちが国に信頼されていない」ことを悟りました。それは「公教育」に携わる者として非常に悲しいことでもあったのです。全国の教師たちは、「自分たちは、聖職者の心を受け継ぐ者たちだ」という高い志を持って指導に当たっていたものが、そう思わない人たちによってその職を汚されました。それは、やはり「戦後教育体制」を作った人たちの企みだったように思います。
やはり、国の根幹を為すのは「教育の力」に待つほかはありません。だからこそ、何処の国でも教育には力を注ぎ、大きな予算を使って国の基盤造りに励むのです。ところが、日本の戦後は、教育を蔑ろにして「経済の発展」にだけ力を注ぎました。それは、確かに一時の成功を見ましたが、綻びは徐々に広がり、今や修復できないところにまで至っています。30年ほど前なら、若者の教師への希望者は多く、各都道府県も優秀な人材の採用に困ることはありませんでした。倍率は高く、なかなか採用されないのも「教師」としての価値を高めたのです。しかし、今ではどうでしょう。教員資格は、昔ほど取りにくいものではなく、大学で規定の「単位」を揃えれば貰えるものです。それでも、志願者は激減してしまいました。以前なら、子供が「学校の教師になりたい…」と言えば、親は喜んだものです。なぜなら、その子供は間違いなく「健全」に育った証だからです。それが、今では、様々な情報から教師を目指す学生もいなくなり、親たちからも、「先生なんか、止めなさい!」と言われる始末です。これで、日本の「未来」は大丈夫なのでしょうか。
これから先、教師と呼ばれる人たちが、日本社会からどんな扱いを受けるのかは定かではありませんが、以前のような「聖職者」になることは難しいかも知れません。本当は、日本の伝統である「聖職」の道を極めて欲しいと思いますが、社会はそれを許さないでしょう。これからは、学校も「分業化」が進み、外国のように教師は「授業」だけに専念する専門職として生きていくようになるかも知れません。これまでのように「親」以上に親身になって子供に寄り添い、一緒に泣いたり、笑ったりする教師ではなく、「授業のプロ」として存在感を高めて行くのでしょう。そして、教育相談には「カウンセラー」が配置され、いずれ、「清掃や給食」なども、今とは違う形態になっているような気がします。もちろん、「部活動」は外部の専門職が担い、地域における「社会スポーツ」的な活動が推奨されることでしょう。それが、本当に日本に合った教育かどうかはわかりませんが、今の流れで行けば「分業制」にならざるを得ません。そのときに考えなければならないのが、「日本人力」の育成なのです。これからの時代は、今までのように「日本人が国際人」になることを目指す時代ではありません。逆に日本人が日本人としての「誇り」を持って、世界に出て行く時代なのです。今や、コンピュータを利用した「情報ネットワーク」は、世界中に網の目のように広がり、いろいろな国の人との交流も盛んになっています。言葉は、便利な「機械」が同時通訳し、母国語で会話をしても困ることもなくなります。そして、そのうち、日本人でも数カ国語を普通に操る子供も登場してくるはずです。それが「コンピュータ文明」の未来でしょう。
そのとき、日本が世界の中で「埋没」してしまわないような「政策」や「教育」が必要になってきます。今のように、とにかく「世界に歩調を合わせる」だけの政策では、いずれ、日本はその魅力を失い、世界から相手にされない「アジアの小国」となることでしょう。実際、日本の政治家の多くは国際会議で発言しても、あまり重要視されません。国としては、「経済大国」として認められていますが、政治は三流で、これといった思想もなく左翼と右翼が常に不毛な「言い争い」に終始しているだけです。これでは、「選挙率をあげよう」と叫んでも、若者たちは振り向きもしません。今や、政治家は「だれを選んでも一緒」ではなく、「だれを選んでもダメ」になってしまいました。それだけ、戦後教育によって日本人の「魂」が抜かれてしまった証です。マスコミも、今や斜陽産業化し「反政府運動」に生き残りをかけているようですが、たとえ、日本に「左翼政権」が誕生しても世界が、それを賞賛することはありません。今でも民主党時代の総理大臣が中国や韓国向けに自説を述べているようですが、国民はその人物にそっぽを向いています。そんなだれの支持も受けない元政治家をマスコミだけは、依然として取り上げるのですから、マスコミにも国民の支持が得られる「ニュース」がないことがわかります。作り手側も既に「斜陽」なのです。もし、間違って日本に新たに「左翼政権」が誕生すれば、逆に「民主主義国」から警戒され、益々国際社会で孤立し、発言力を失うだけのことです。無論、中国やロシアの「属国」として生きることを選択するのならそれもありですが、そのときは、日本から「皇室」がなくなり、日本の歴史が途絶えるときです。
やはり、日本が世界の国々から「一目置かれる存在」として生き残るとすれば、それは、日本の歴史や伝統、文化を大切にして「日本人力」をさらに高めるしか道はありません。確かに、日本は80年近く前に敗戦国になりました。しかし、今や、GHQが押し付けた「太平洋戦争史観」は破綻しています。国の内外の多くの研究者が、これまでの歴史を分析し、如何に戦勝国である連合国軍に虐げられたかを証明し、国民に問うような動きを見せています。国内には、その歴史観を捨てられない勢力があることは承知していますが、各国の情報公開が進み、真実が公の下に晒された時、「真実」は、白日の下に晒されるはずです。教科書に書かれていた「嘘」も修正されることでしょう。もちろん、そのとき、国内では大きな混乱があることは想定できますが、今の若者世代を嘘で誤魔化し続けることは到底不可能なのです。なぜなら、彼らは世界とつながる「ネットワーク」を持ち、あらゆる角度から「情報」を手に入れ、分析する能力を身につけているからです。いくら、教科書に書かれようが、教師が教えようが、政治家が叫ぼうが、「嘘」は嘘でしかありません。もし、教師がその「嘘」で生徒を洗脳しようとすれば、猛烈な「反発」が起こり、その教師は二度と教壇に立つことはできないでしょう。それが、未来の姿なのです。そして、若者たちは、真実の日本の歴史を知ることになります。そして、世界の人々が日本をどのように見ているかを知ることになります。そのとき、若者は「新しい日本人」ろして「覚醒」するのです。
今の若者世代が、真実に気がついたとき、彼らは自ら進んで「日本人らしく」振る舞おうとするはずです。大昔の「敗戦」など、彼らには関係がありません。父でもない、祖父でもない世代の人たちの過ちを孫やひ孫の世代が責任を負う理由はありません。既に中国や韓国の歴史発言の多くは否定され始めました。「南京大虐殺」も「従軍慰安婦」も「徴用工問題」もすべて政治工作のための「宣伝」だったのです。間もなく、それらすべてが暴かれ、彼の国は国際社会から大きな非難を浴びることでしょう。ロシアも今の戦争が終われば、国際社会での発言権を失い、世界をリードしていく力はなくなるはずです。中国は「台湾併合」を目指しているようですが、損得勘定に長けている中国人が、損をしてまで、無理を通すとは思えません。それに、ウクライナと同じように、侵略を受けた国の抵抗は、怖ろしいものがあります。そのとき、「一人っ子政策」で育ってきた中国兵が本気で戦えるのでしょうか。自分の命を賭けてまで戦う理由がないのは、今のロシア兵を見ればわかります。あのベトナム戦争の時でさえ、アメリカ兵は戦争の意義が見出せず、逆にベトナム人の必死の攻撃に敗れたではありませんか。「国を守りたい」という強い意思は、大きな「国の力」なのです。
今の高齢者世代は、まさに「戦後の申し子」たちでした。親たち世代は敗戦に打ちひしがれ、生きるためにGHQの指令もままに生きる道を選択しました。敗戦は、これまでの自分たちの生き方を否定し、自信を失わせたのです。そして、その子供たちは、新しいアメリカ型民主主義教育を受け、日本は「悪い国」と教わりました。戦後の「平和教育」と称する教育の多くは、「反戦教育」であり、「反愛国主義教育」でした。「日本は、悪いことをしたから戦争に敗れ、酷い目に遭った」と言われ、「世界中に迷惑をかけたから、謝罪しなければならない」と教わりました。そして、今の「日本国憲法」を「平和憲法」と教わり、「この憲法がある限り、戦争は起きない!」と教わりました。これらは、すべて「嘘」です。もし、日本国憲法が正しいのであれば、日本には軍備は必要ないはずです。自衛隊はすぐにでも解散して、国際社会にその身を預けるべきなのです。そうすれば、永遠に「平和」が訪れ、世界は、常に争いのない「理想の社会」が出来上がるのです。こんな話をこれからの未来を生きる若者に通用するはずがありません。もし、この理念を世界中が共有しているのなら、なぜ、ロシアはウクライナに侵攻したのでしょう。なぜ、国際連合はロシアの戦争を止めることができないのでしょう。なぜ、ロシアは未だに国際連合の常任理事国なのでしょう。つまり、これまで日本で教えられてきたことはすべて「嘘」なのです。日本だけが「平和」を唱えても、それを支持する国は少なく、国際社会は未だに「力」によって動いているのです。その現実を若者世代は、皆、知っています。だから、もう彼らには「嘘」をついてはならないのです。一部の既得権を持つ人々のために、若者世代が「負の遺産」を背負う必要はありません。若者たちの未来のためにも、日本は「真実」を追究する国にならなければならないのです。
第五節 未来予測4(目的を考える)
明治5年の「学制発布」に際し、国は「学問は、身を立てる本である」と国民に説きました。これ以降、日本の学問は、立身のための「術」と言うことになりましたが、本当にそれでよかったのでしょうか。当時の世界情勢を考えれば、明治政府の「富国強兵」政策がわからないわけではありません。しかし、明治政府は何とか就学率を上げようと「立身出世主義」を煽ってしまいました。就学率が上がれば、国の思想や方針を子供たちに徹底することができます。さらに、均質な兵隊を養成するには、同一の教育を行う必要があったのです。そのための方便として「立身出世」を説いたのでしょう。このころ、「末は博士か大臣か」などという戯れ言が流行したそうですから、頭のいい少年は、挙って「出世の道」を進みました。政府としての本音としては、「国家のために教育がある」と言いたかったのでしょうが、一般庶民にしてみれば、そんなお題目よりも「出世」の方がわかりやすく、子供への期待も大きく膨らんだのだと思います。この思想は、戦後も続いており、今でも「いい大学に入って、いい会社に入れば、一生安泰」などという戯れ言がありますので、頭の中味は、明治初年とあまり違いはなさそうです。
江戸時代までの学問は、「国家安寧の為」という大義名分があったように思います。幕末に「勤皇の志士」と呼ばれる不逞浪人が京の都に跋扈しましたが、やはり、大義名分があれば、ほとんど強請たかりの連中でも「国の大義のために戦っている」という名分があったことで、自分の犯罪行為を誤魔化すことができたのです。武士の世界でよく引用される佐賀藩の「葉隠」には、「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」とありますが、「武士が学問を身につけ武道に励み、国家経営に邁進せんとするのは、一重に国家安寧の為である」という大義名分がありました。「武士は、黙って死ねばいいんだ…」などと、この言葉の本来の意味をねじ曲げ、兵隊を闇雲に死地に追いやった「軍隊」の責任は重いものがあります。戦場を体験した元兵士の記録の中で、「若い指揮官は、死ねばいい…とばかりに闇雲に敵陣に突っ込んで、すぐに死んでしまう。しかし、ベテランの兵隊や下士官になると、そんな命令には従わず、その少尉が一人突っ込んだ後に、こそこそと後退したものだった…」と書いたベテランの元下士官の人がいましたが、日本人がすぐに死にたがるのは、この「葉隠」の言葉を乱用したせいかも知れません。日本人は、周りがそう言うと、あまり深く考えずに条件反射のように従ってしまう傾向があります。そして、「熱し易く、冷め易い」という傾向は、昔も今も同じでしょう。だれかに、ちょっと「火」を点けられると、一気に燃えさかり大騒ぎをしますが、それも、短期間ですぐに消え、次の話題に移って行きます。特に日本のマスコミは、戦前も今も同じように「マッチポンプ」状態にあります。何かしら自分で「ネタ」を探し、面白いと思うと自分で火を点け、世間を煽るのです。そして、数週間もすると、自分たちがしたことをすっかりと忘れて、別の話題で世間を煽り、不安感を焚きつけるのです。これもひとつの「商売」ですから、経営上は「あり」なのでしょうが、あまり気分のいいものではありません。やはり、国民一人一人が自分の性格を知り、「冷静に考える」習慣を身につけないと、いつの間にか何者かに煽動されて「身の破滅」となる危険性があります。戦前もマスコミに煽られて、国民の大多数が「戦争気分」になったことも大いに反省すべきです。
明治以降、「学問」が「公」のものではなくなり、「私」的なものになってしまったことが、日本人を弱くした原因かも知れません。もちろん、明治以降の政治家や商人の中には、権力によって「私腹を肥やす」ような人物も現れましたが、それは、世間的には、「後ろ暗い」行為であり、誉められた所業ではありませんでした。今でも、同じような事件は、度々起きますが、人間はどうしても権力の中枢にいると、「私」的な面が強く出てくるのかも知れません。これが、人間の弱さなのでしょう。それでも、明治期の思想家は、常に「公」を重んじようと、国民に「人としての有り様」を説き、「道徳」の大切さを説きました。それが「教育勅語」となり「修身科」となって、日本人の精神を支えたのです。さらに、思想家たちは、「大アジア主義」とでも言うように世界にも眼を開いていました。「啓蒙」という言葉があるように、アジアで最初に「蒙」を開いた日本が、アジア諸国をリードして「欧米に負けない国造り」をしようと努力をしていたのです。第一次世界大戦後に「人種差別撤廃」を国際連盟で発議したのも日本でした。これは、多くの諸外国の支持を受けましたが、アメリカやオーストラリアの反対によって否決されてしまいました。なぜなら、欧米では、まだ「奴隷制度」が残り、社会が「奴隷」なくして成り立たなかったからです。さらに、欧米の「帝国主義」は、搾取するだけの「植民地経営」が横行し、世界の格差は広がるばかりでした。しかし、日本の外国に対する経営は、搾取するための「植民地経営」ではなく、日本と同じような国を創る(同化政策)ための支援でもあったのです。
今の学問の世界では、日本の政策を殊更に「悪」であるかのように否定していますが、欧米の植民地政策の方が余程酷い政策だったように思います。そもそも、外国を自分の国の領土にしようとする野心こそが、非道徳的なのですが、当時の思想では、「文明国が非文明国の蒙を啓き、文明を教育する」という考え方で、侵略を正当化していったのです。今でも、大国の中には、「経済」の力を使って侵略行為を躊躇わない国がありますが、人間が「公」を忘れ「私」に走ると、その欲望にはキリがないようです。私たちは、現代における「個人主義」「人権主義」「差別撤廃」を理想と考えていますが、それも「一時代」の思想だということを忘れてはなりません。これらは、確かに美しい思想です。しかし、「私」が何よりも優先されれば、身近な「公」である「家族」さえも、失いかねない危険性を孕んでいます。家族が崩壊すれば、当然、「国」は崩壊します。今の「グローバリズム」の先にあるものは、まさに「個」だけの世界であり、それを支配するのはだれなのでしょう。「社会秩序」が崩壊し、新しい「体制」が生まれるとき、人間は多くの「革命」という戦争を繰り返してきました。平和を望んで「個」を優先してきたのに、行き着く先は仲間もいない「個」だけの戦争の世界だとすれば、こんなに怖ろしいことはありません。世界全体が、この愚かな思想に気づき、バランスの取れた思想に立ち返ることを願わずにはいられません。
日本が、次第に「公」を忘れ、「私」的な発想しか生まれなくなったのは、やはり、GHQによる戦後教育の賜物でした。それでも、復興期は「日本の再生」が合言葉になり、「国」を挙げて「公」のために国民が同じ方向に向かって汗を流しましたが、戦後も50年を過ぎた頃から、日本人は「公」を考えなくなってきました。昭和の終わりから平成の初頭に「バブル経済」が萎み、日本はずっと続いた「高度経済成長」を終わらせました。そして、一気に経済の停滞期に入り、それが令和の今も続いています。この「バブル期」は、まさに「我欲」を剥き出しにした時代でした。「儲かれば、何をやってもいい…」かのような風潮が生まれ、その好景気が永遠に続くかのような錯覚に陥ったのです。しかし、大して汗も掻かずに大金が転がり込むような時代は間違っています。そのために、無理な投資をした銀行や商社が倒産し、「日の丸」を背負った航空会社でさえ倒産の危機を迎えたのです。これこそが、「公」を蔑ろにして「私」に走った企業の末路でした。元々、日本人の商売は、渋沢栄一の言葉のように「論語と算盤」でなければやってはいけないのです。近江商人のように「三方よし」の精神がなければ、「人の信用」を得ることはできないのです。しかし、「金」という人間社会で「万能の価値を持つ力」を手に入れた人間は、「信用」という道徳的な価値より、目先の「利益」に眼が奪われ、本質を見誤ったところに大きな落とし穴がありました。人間の一生も同じだろうと思います。人生をすべて「私」に賭けても、幸福感は得られません。莫大な資産を手に入れても「あの世」までは持って行かれないのです。人間として生まれた以上、「個」だけの幸福を追求してもたかが知れています。しかし、少しでも「公」を考えれば、親しい仲間や家族にも恵まれ、社会に少しでも貢献できれば、人としてのささやかな「満足感」も得られるでしょう。今の若者にも早く、そのことに気づいて欲しいものです。
さて、学校教育において、子供たちに指導する際に、教師は何処に「価値」を置いた指導をすればいいのでしょうか。正直に言って、個々の「能力」は遺伝的な要素が大きいものです。本人の「努力」が必要ないとは言いませんが、遺伝的に受け継いだものがあるとすれば、それは自分の「ご先祖様」からの素晴らしい「贈り物」なのだと考えるべきでしょう。それを、恰も自分の努力によって手に入れたものであるかのように考えるのは間違いです。そして、その大切な「贈り物」をただ、自分の「欲」のためにだけ使うのは、如何にも勿体なく、それを与えてくれたご先祖様への感謝にはつながりません。ただ、誤解のないように言えば、才能とは何も「周囲に認められる」ものばかりではないということです。子供のころは、「勉強ができる」「運動ができる」才能を持つ子供は誉められます。今のオリンピック選手やプロ野球選手などは、おそらく、子供時代は「神童」だったはずです。また、成績が抜群で有名な進学校に入学したような子供は、その学校の誇りでもありました。しかし、子供時代の栄光には限界があります。小さな世界で優秀な子供でも、世界は広く、さらに優秀な人間は星の数ほどもいるでしょう。その世界を知れば知るほど、「自分の能力の限界に気づく」とも言います。それでも、こうして眼に見える才能を持つ子供は幸せかも知れません。しかし、「昆虫が好き」とか、「ゲームに夢中になる」とか、「おしゃべり」などという才能は、子供の才能としてはあまり高く評価されないかも知れません。逆に、そんなことに夢中になっていると、「少しは、勉強でもしなさい!」と叱られ、自分の才能の眼を親によって潰されかねないのです。しかし、たとえば、漫画家になるような人は、子供のころから「マンガばっかり描いて」いたはずです。落語家や漫才師になるような人は、ずっと「おしゃべり」だったはずです。周囲から見れば「少し、困った子供」かも知れませんが、その才能が将来、多くの人を喜ばせる人間になれるとしたら、先祖から受け継いだその「才能」は、本当に有り難いと思うはずです。ならば、そういった、せっかくの才能を「世のため、人のため」に使いたいものです。子供たちに、「自分なりの目標を持ちなさい」と言うのであれば、自分の「成功」だけではなく、自分の生涯をかけて「公」に尽くそうとする「使命感」を育てるべきなのです。しかし、今の日本人にそんな大きな「目的意識」があるのでしょうか。「私的」には、「こうした方が、幸せになれる…」と思うのでしょうが、自分が幸せになることよりも、「人のために役に立ちたい」と思う心情の方が尊いのではないでしょうか。
今の子供たちは、「あなたの夢は何ですか?」と尋ねると、必ず「職業」を選びます。しかし、大人になって、憧れの「職業」に就いたとしても、そこがゴールであるはずがありません。要するに、「夢」とは、大人になったときの「入口」でしかなく、そこから数十年の「仕事」が続くのですから、夢が夢のままであっていいはずがないのです。本当は、「夢を語る」のなら、夢の入口の話ではなく、「夢の続き」の話をしてもらいたいと思います。たとえば、「プロ野球選手」が夢の入口としたら、その後には、「大谷選手のようになりたい…」という具体的な人物像が続き、そして、「そのためには、毎日、500本の素振りをして、シャドーピッチングを500回します!」と言えば、聞いている方も「なるほど…」と納得できるはずです。さらに付け加えれば、「そして、世界中の子供たちの憧れになるような選手になります!」なら、100点満点でしょう。それは、「大谷選手」のような超一流選手でなくても、どんな「職業」であっても実は同じなのです。
「一人前の仕事人」になろうとするなら、歯を食いしばってでも、最低「10年間」の修行を積まなければなりません。最初からのスーパースターはいないのです。まずは、その仕事に慣れる「心と体」が必要です。そして、「仕事の内容に精通」し「多くの体験」をすることで、自分なりの「方程式」が生まれてきます。それは、だれかが作った「マニュアル」とは違います。自分の性格や才能、知識や技術の「総合力」として生まれて来る「方程式」であって、借り物のマニュアルとは、根本的に違うのです。もし、その夢の職業に就いても、1年も持たずに音を上げるようなら、既に才能がないと考えるべきです。今の親や子供の目的は、「目先の進学や就職」といった「人よりいい条件」を求めているだけに過ぎないように見えます。昔、進学校で理数科のできた友だちがいました。彼は「エンジニアになりたい…」という夢を持っていましたが、教師や親は、「この成績なら医学部に入れる…」としきりに、医師になることを勧めました。しかし、彼は初志を貫徹し、大手鉄鋼メーカーでエンジニアとして働き、先頃、定年を迎えました。彼に尋ねたところ、「いや、俺は人の血を見るのが苦手なんだ…」と顔を顰めるのです。昔は、何故か本人の性格等も考慮せずに、偏差値だけで学校を選ぶようなおかしな感覚がありました。これこそ、今の「個性尊重」とは、ほど遠い教育だと思います。
子供自身が、「本気」で取り組もうとする才能を見い出し、その上で「目的」を持たせるのなら、すばらしい将来が期待できます。しかし、他者と比較して我が子の才能のなさを嘆き、世間がいう「エリートコース」を辿らせようとしても、その人間の「感覚」が受け付けない場合もあるのです。しかし、「好きなこと」ならどうでしょう。「好きになれる」ということは、既にその道に「才能がある」とは考えられでしょうか。不思議なもので、才能はだれにも止めることはできません。幼児期からよく「絵」を描く子供は、大人になっても時間を見つけては「絵」を描いています。作文の好きな子供は、放っておいても本を読み漁り、好きな文章を書いて過ごします。そして、それは、大人になっても「仕事に生かせる」から不思議です。何でも10年以上修行をすれば一人前です。師匠に就こうが就くまいが、たとえ我流であっても、趣味でやっていることは「修行」なのです。それが、30年続けば本物(プロ)でしょう。大人は、つい目先の損得で動きやすいものですが、子供には「無限の可能性」が広がっています。大人の都合で判断するのではなく、子供の才能を信じて、「やりたいことをやらせる」のも教育だと思います。好きなことをやらせてもらえる子供が、他のことを疎かにすることはありません。そして、自分の才能を見つけ、そこから目的を探し出すことができれば、いつの日か、「社会に貢献できる」人間に育つはずなのです。
第六節 未来予測5(自分の可能性)
子供には、「可能性」という言葉がよく使われます。確かに人間である以上、「いつでも、どこでも、だれにでも」可能性はあります。まして、日本のように「生きる」ことに制限を加えられない国では、たくさんの「自由」が保障されています。それが如何に大切で有り難いことなのか、もう少し日本人は認識するべきでしょう。しかしながら、自分の可能性を見つけ、それを引き出し、「開花」せることはなかなか難しく、一生涯かけて実現できた人は僅かだろうと思います。なぜなら、可能性はあっても、「常識人」と称する人々は、それを勝手な理由をつけて潰してしまうからです。人は、未来予測ができる世界を好む傾向にあります。「安定した生活がしたい…」という欲求は、社会全体が不景気になるたびによく聞かれる言葉です。そういう時代は、公務員志向の若者が増え、公務員なら一生安泰であるかのような錯覚をしてしまうのです。だから、国民すべてが公務員になってしまえばよさそうなものですが、そうはなりません。なぜなら、それは既に「共産主義国家」が実験し、国を破綻させたことを見ているからです。所詮、「競争」の働かない場所に、質の担保はできないということなのです。「可能性」に挑戦できるのは、日本のような資本主義を前提とした民主主義国家だからこそ、可能にしていることを忘れてはなりません。ただし、可能性に挑戦するのは、自分の「意思」でなければならず、その「結果の責任」も自分が負う覚悟が必要です。もちろん、挑戦には、長い時間と費用と苦難に耐える気力が必要になりますが、自分に強い信念があれば、それを成し遂げることも可能でしょう。
たとえば、今、芸能界は「芸人」と呼ばれる人たちが、いろいろな場所で活躍をしています。それは、「お笑い」と呼ばれる場所だけでなく、俳優として、司会者として、コメンテーターとして、その「マルチな才能」を発揮して活躍している姿は、子供たちから見ても、本当に「格好よく」見えるでしょう。若者たちの中にも、その世界を志す者も多く、せっかく入った大学すら中退したり、就職後に夢を断ち切りがたく、無謀とも思われるような「挑戦」をする人もいるようです。確かに「人生は冒険」です。このくらいの冒険を恐れては何もできないでしょう。そういいながらも、我が子が、これまでのキャリアを捨てて「チャレンジする」と言われても、親としては困惑するばかりです。しかし、「人生一度きり」だと考えれば、リスクを怖れずチャレンジしようとする子供を誇らしくも思います。さて、いやらしい言い方ですが、そう言った若者のうち、どのくらいの割合で成功者は生まれるものなのでしょうか。おそらくは「1%」程度あればいいくらいかな…と思います。現実を見れば、99%の若者は夢破れ、挫折した傷を持ちながら、その後の人生を歩まなければなりません。親にしてみても、せっかく大学まで学費を出して行かせた我が子が、「芸人になりたい…」では、「育て方を間違えた」と考えても不思議ではありません。この「可能性に挑戦する」という言葉は、耳障りのいい言葉ですが、酷く恐ろしいリスクが待っているのです。だから、「挑戦することをやめておけ」と言うつもりはありません。むしろ、挑戦するべきでしょう。なぜなら、自分の人生は、自分で切り開くことしかできないからです。
たとえば、親に心配をかけまいと地元の会社に就職し、家庭も持ち、穏やかな暮らしが待っていたとします。年を経て、過去を振り返ったとき、そんな「無謀な挑戦」をしようとした自分をどう思うのでしょうか。本気で悩んだ自分をどう思うのでしょうか。きっと、残念な気持ちを残しつつ、「言い夢を見た…」と諦めの境地に達するのではないか…と思います。そして、それに近いことを仕事の中で見いだし、それに喜びを感じるのではないでしょうか。「可能性への挑戦」は、けっして平坦な道のりではありません。しかし、心の奥底で、挑戦する気持ちを持ち続けることで、それが自然と自分の「生きる糧」となり、それを生かした仕事ができるようになるものなのです。先ほども例にあげましたが、芸人になろうとして頑張った人間は、そこで培った「発想力」や「コミュニケーション能力」、そして「表現力」など、他の人間には真似のできない才能を磨いているのです。それが、他の仕事に生きないはずはありません。確かに、夢が破れたときは、ショックで立ち直れないほどに落ち込むかも知れません。後悔ばかりが先に立ち、先の人生を考えられないかも知れません。それでも、もう一度、歯を食いしばって立ち上がったとき、その「経験」は、何ものにも代え難い貴重な時間だったはずです。自分の「好きなこと」があること自体が、その人に備わった才能だと思います。それが、上手く花開くかどうかはわかりませんが、人間の一生の中で「努力」が無駄になることだけは絶対にないのです。だから、「可能性に挑戦する」ことは大切なことなのだと思います。
第七節 未来予測6(人生の創り手)
人生は、その人のものであって、たとえ親であろうと、他の人間は触れてはいけない領域だろうと思います。しかし、敢えて、一人一人が、「人生の創り手」とならなければならないとすれば、自分の人生を他人に委ねてはいけません。最近の多くの事件を見ると、自分の「人生に絶望」したかのような、暴力事件が多発しています。特にアニメーションの製作会社に、ガソリンを撒いて火を放ち、数十人を殺傷した事件は、人間の本当の弱さと凶暴さを国民に実感させた怖ろしい事件でした。人間は、状況によっては、ここまで「狂う」ことができるのだ…という事例でした。おそらくこの男は、自分の人生を呪い、自分を顧みない社会を呪い、そして、一番大好きだった「アニメーション」まで憎悪するに至ったのです。最近では、安倍晋三元総理を背後から自作の銃で射殺した男の事件でした。たとえ、そこに不幸な人生が背景にあったとしても、縁もゆかりもない政治家を憎悪し、「殺人」の対象にしたことは、異常としか言いようがありません。知能が人並み以上に高かったせい…だと言う人もいますが、残念ながら、義務教育の段階で、きちんとした「道徳(人の道)」を学ばなかったのか…と思うと、残念でなりません。
国は、簡単に「人生の創り手となれ!」と言いますが、そうなるためには、本当に何が必要なのかを考えなければならないのです。まして、「創る」という文字は、「創造」という意味です。単に物を作ることを指す言葉ではなく、「新しいものを自分で生み出す」ことを言います。もし、国がそれを日本の教育に期待するのなら、それに相応しい「カリキュラム」と「教科書」を作るべきでしょう。残念ながら、日本の教育は、そうではありません。新しい「流行」は積極的に採り入れますが、日本人としての「思想」がないのです。いくら、政府が「グローバル化」を叫んでも、それに懐疑的な国民は多く、グローバル化が日本人の思想にはなり得ないのです。「創り手」となるためには、もっと「個性」を伸ばす教育方法を採用し、学校と教師に多くの「裁量権」を与えるしか方法はありません。政府は、日本の教師の実力を過小評価しています。彼らに大きな「裁量権」を与え、「創造的な授業研究」に取り組ませれば、どの国にも負けない実践をしてみせるはずです。実際、先進国の多くは、日本の教育を参考にして自国の「教育改革」を行おうとさえしているのです。文部科学省は、いつも外国の教育理論が優れているとばかりに、新しい教育観を日本に導入してきますが、何一つ「定着」した教育論はありませんでした。そこには、方法論はあっても「思想」がないからです。日本人の思想は、日本の「歴史」からしか学べないことを知るべきなのです。
戦後、アメリカ民主主義は、「家・家族」などという煩わしい「制度・血縁」より、「個人が優先されるべきだ」と説きました。もちろん、GHQによる占領政策(WGIP)の賜物です。当時の日本人は、長く続いた戦争に飽きていました。さらに、戦争に負けたことで、今までの国の政策が「誤り」であることを自覚したのです。現代の戦争に「正義」はありません。勝者が似非であろうと、「正義の使者」になるのです。敗戦の憂き目に遭った国民が何を言おうと、それが世界で認められることはありません。それが、「パワーゲーム」の現実なのです。しかし、「教育」はそういう性質のものではありません。教育が政治に利用されれば、どんな嘘でも「教育」として成立してしまいます。実際、隣国の指導者たちは、政治に教育を利用し国民を子供のころから「学校」という教育機関を利用して「洗脳」し続けています。日本人も、7年間にも及ぶ占領期に、GHQによって「似非真実」を語られ、その犠牲になったのが、いわゆる「東京裁判」で処刑された「A級戦犯」と呼ばれた日本の指導者たちでした。今でも尚、日本の政治家の多くは東京裁判を「正義の裁き」だと信じ、国会で堂々と「A級裁判分祀論」まで飛び出す有様です。「日本」という国を導く指導者層がこの有様では、日本に本物の「正義」が戻ることはないでしょう。
戦後の日本人は「個人主義」という、新しい民主主義の美酒に酔い、「戦争に負けた責任」を日本の指導者だけでなく、我が国の「歴史」にまで、求めてしまったのです。そのために、日本の歴史そのものであった「家族中心主義」を崩壊させました。日本のような農耕民族は、「家族・一族」
という血縁を大切にしてきました。なぜなら、血の濃さは、「信用」につながるからです。今でも、外国に旅をしたとき、同じ「日本語」を話す人がいれば、どれほど安心できるかわかりません。日本の中にいれば、会話もしないような人でも、異国では、「同じ国の人間」というだけで、親近感が増すものです。こうした感覚を大切にするのが、「家族主義」の特長でしょう。昔、「日本軍が強かった」と言われたのは、こうした「家族の絆(地縁、血縁)」があったからです。それが、今では、家族の中での犯罪が一番多くなったといわれています。「家族は病」と言ったある有名な評論家もいますが、それなら、もう「国」は日本人には不必要だと言うことになります。その国に恩恵を受けて暮らしている人間が、「家族や国は煩わしいだけの存在だ!」と言ってしまえる社会を、日本は創り上げてしまったのです。あのGHQでさえ、日本を弱体化させようと企みましたが、これほど成功しようとは、思わなかったに違いありません。その結果が、「家族の崩壊」であり、「人間の孤立化」なのです。そう考えると、「結婚率の低下」「少子化問題」「墓じまい」8050問題」「家庭内犯罪」…。すべてがここにつながってくるような気がします。こんな状態が後30年も続けば、間違いなく「日本の伝統」は崩壊し、「新生日本」が誕生するに違いありません。それは、流血のない「革命」と呼ばれるはずです。日本人がそれを本気で望むのであれば、それが「民意」であり、民主主義の理念が出した結論ですから、やむを得ません。しかし、それを望まないのであれば、国民一人一人が、自分が願う政治を目指す「働きかけ」が必要なのです。
日本人は、あまり声高に自分の考えを主張することがありません。本来、自分の考えを政治に反映できる場である「選挙」にさえ、なかなか足が向きません。政治に関心が薄く、政治家が尊敬されることもありません。国会では、テレビのワイドショーのような議論が盛んに交わされますが、国民にとって心配な「防衛」や「外交」問題が討議されることは少なく、世界中で「危機」が囁かれていても、日本は別な世界で生きているかのような議論ばかりです。ましてや、「教育問題」は些末な問題であるかのように扱われ、戦後、日本の「学校体制」は、何の改善も見られず、今ごろになって「学校ブラック化問題」やら、「部活動の指導者問題」が取り沙汰されていますが、根本的な解決策も示せず、小手先だけの議論に終始しています。戦後の80年近く、放置してきた「ツケ」が回ってきただけのことですが、文部科学省という役所自体に権限がなく、本気で「日本の教育」を憂える政治家が出てこなかったことが残念です。最近になって、民間の有志が「新しい歴史教科書」作りに取り組み、国の「歴史観」に挑戦していますが、固い岩盤規制の中で風穴を開けるのは至難なようです。そして、それにさえ国民の関心度は低く、社会的な盛り上がりは期待できそうにありません。
日本人は、いつの間にか、「教育を軽んじる国民になってしまった」ようです。そして、隣国の国民の塗炭の苦しみを知りながら、不思議と「日本は安全」と思い込んでいるのですから、根拠のない「平和病」とも言うような「教育」が浸透してしまっているのでしょう。実際は、複数の隣国のよる「核開発」「ミサイル攻撃」「領海侵犯」「自国民弾圧」「侵略戦争」…と、怖ろしい現実が起きているのに、日本の政治家は、それすらも「問題なし…」と扱おうとさえしています。本当は、国民の多くはそんな「危機」を感じ取っているのですが、それを「言葉」にできない「心の抑制」が利いているのかも知れません。日本には「言霊」という言い方がありますが、「縁起の悪いことは口にしない…」習慣が、こうした周辺地域での危機においても働いているとしたら、怖ろしいことです。これも、戦後教育の賜物なのです。日本人は、「教育=善」と考える傾向にありますが、けっしてそうでないことは、歴史が証明しています。たとえ、それが真実であろうと、時の権力者が「違う!」と言っただけで歴史は改竄されるのです。身近なところでも、GHQによる「太平洋戦争史観」がそうですし、「明治維新史観」も新政府(薩長主体政府)による捏造の歴史です。時の権力者は、どうしても自分たちが行った行為を「正義」と主張しなければ、後の政治ができないという葛藤に悩まされます。もちろん、「嘘も方便」という言い方がありますから、昔から真実が隠蔽されることはあったでしょう。しかし、それによって新しい政治体制が作られ、権力者に都合のいい政治になるとすれば、これからの日本もどうなるかわかりません。したがって、「教育」という武器は、権力者にとっては「魔法の杖」のようなものなのです。
しかし、人間はけっして愚かではありません。いくら、用意周到に隠蔽工作を行い、真実を覆い隠しても、いずれ、それが世に晒され、真実が明るみに出る時が来ます。そのとき、時の政権は、これまでの「歴史認識」を問われることでしょう。教育の場においても、それを素直に受け入れてきた人たちは、「自分は騙されていた…」と考えるのか、「それでも、自分は正しい…」と信じるのか、やはり二つに分かれると思います。一度でも「正解」という評価をもらい、それによって世に出た人にとって、「嘘を嘘」と断定することは、自分を否定することにつながるからです。だから、教師は、いい加減に「正解」を出してはいけないのです。いつでも、「今は、こう言われている」という謙虚な態度こそが、教師としての「心構え」であり矜持でしょう。そして、後で「今は…」の意味を説明しておくべきなのです。数学でも理科でも、後の発見によって「定説」が覆ることがありますが、それが「学問」だということを子供たちに「諭す」ことが大切なのです。「いいか、これが正解だから、しっかりと覚えておけ!」的な指導しかできない教師は、早々に教育の場から離れるべきです。そして、子供も、そうした教師の授業を受けてはなりません。もちろん、今の制度では子供の側からの「拒否権」はありませんので、やむを得ないのですが、本来、教師は「真理を説く」人であって、「テストの点数を採らせる」人であってはならないのです。
今の教育を考えたとき、本当に「真理を追究しよう」とする授業が行える教師は、「1割」いるかどうかではないでしょうか。ほとんどの教師は、教科書に沿って授業を行い、「答えを導く指導」や「知識を教える指導」に終始しているように思います。部活動の指導者も、「勝つための練習」や「勝てる方法」に終始し、そこから「人生」を語れる人は稀だと思います。子供にしてみれば、学校で教師と出会い、できれば「人生を教えてくれる」ことを期待しているはずです。授業をとおして、たくさんの歴史のエピソードを知り、「へえ…」とか、「すごいな…」というような感動があれば、勉強は楽しいものです。しかし、単なる「知識の切り売り」は、一人でもできます。部活動でも、「勝つ」ことは大切かも知れませんが、それよりも、「勝つことの意味」を知りたいのです。たとえば、有名な甲子園大会で優勝しても、賞賛は一時期のものでしかありません。それで、人生が完結するわけではないからです。しかし、たとえ1回戦で敗れたとしても、そこに「敗戦の意味」があり、敗戦をとおした「人生哲学」が見えれば、自ずと「道」は開けます。子供たちは、「愚か」ではありません。自分が頑張っていることに「意味」を見出したいのです。それに「納得」できたときに、自分の心の奥底から「力」が湧いてくるような気がして、頑張ることができるのです。
それでも、日本の多くの人は学校での学習を「教育を受けている」と勘違いをしています。「子供たちは、高校受験や大学受験のために、熱心に勉強しているではないか?」「これが、日本の教育だろう?」という疑問を持つことでしょう。しかし、それを「教育」と呼べるなら、日本は、「教育後進国」となっている証拠だと思います。現在の「学力論争」を見てもわかるように、「知識の量=学力」と捉えている日本は、未だに教育が、「個人の立身出世のためにある」という明治時代からの教育論から脱却できないことになります。よく考えてみてください。「知識の量」を学力と勘違いし、日本の舵取りを任せた戦前の「エリート」たちが企画した戦争で、300万人という犠牲者を出し、日本は亡国の危機を迎えたことを忘れてはいないでしょうか。確かに、あの戦争は、アメリカの謀略によって引き込まれた戦争です。しかし、日本の大本営の作戦はあまりにも未熟でした。特に海軍の戦争指導は滅茶苦茶で、勝てる戦いまでも放棄し、最期は捨て身の「特攻作戦」を採用するようでは、戦略も何もあったものではありません。戦争を起こした以上、勝てないまでも「負けない戦略」を考えるのが、エリートというものです。そういう意味では、戦前の日本の教育は「失敗」だったのです。それくらいの「けじめ」をつけなければ、日本が再生する道はありません。
戦後は、GHQによる占領政策の中で、日本の教育も刷新されました。しかし、これも「日本人」のための教育ではなく、二度とアメリカに反抗できないようにするための「WGIP」の一環だということは、歴史の事実です。そして、7年間の占領期間を経て日本は「独立」を果たしました。そのときに、何故、もう一度日本人の手で過去を反省し、「新しい教育制度」を整えようとしなかったのでしょう。それが如何にも残念です。日本国憲法も破棄できず、教育制度もそのまま活用し、アメリカ従属の小国として、これまで歩んできましたが、未だに「WGIP」の呪縛からは逃れられず、真の日本の歴史や教育を取り戻せてはいません。そして、「知識偏重主義」の学力観からも逃れられず、現在に至っています。そんなことをしているうちに、先進国では、徹底した「エリート教育」を進め、新しい価値観に基づいた教育が行われてきました。もちろん、それは国民の「一部」の話です。子供の中には、いわゆる「学力テスト」などでは測れない、すばらしい才能を持った者がいます。今でいう「ギフト・ギフティ」と呼ばれる子供たちです。また、先進国では、「才能」のある子供たちを早期に発見しようと、一生懸命に努め、早い段階で専門教育を受けさせようと「飛び級」制度も整え、社会人になってからも「研究できる場」を国が、用意しているという話です。大学も余程の研究をしなければ卒業も難しく、企業に就職するにしても、学生時代の「学問」や「資格」が採用の基準になっていると聞きます。ところで、日本ではどうなっているのでしょう。だれもが「平等」といいながら、才能のある子供に「特別な教育」を施す体制はありません。大学の「飛び級」はできても、その後の研究や生活保障さえないのです。これでは、優秀な頭脳が外国に流れて当然です。日本人の「ノーベル受賞者」は多くても、そのほとんどが外国の研究機関に「籍」を置く学者たちばかりです。これでは、真の「エリート」は育ちません。
そもそも、時代は「知識偏重」ではなく、新しい「創造力」を求めているというのに、それを開発しようとする教育は、未だに生まれてはいません。「第五次産業革命が起こっている」と言われて、既に10年近くが経過しています。企業家の多くは、そのことに気づいてパソコンやインターネット、AI、ロボットに詳しい人材を新しく採用し、時代の流れに遅れまいと必死に努力しています。ところが、それを育成する「学校」が日本にはあまりありません。学生の中には、時代を予測して専門学校や大学で専門的に技術を身につけてきている人もいるようですが、人数としては少数なので、各企業が、かなりの好条件で勧誘をしているようです。これでは、ただ大学に進学しただけの学生が社会に出たとき、既に時代に取り残され、慌てて学び始めても、学生時代のようなわけにはいきません。こうした現状が既に見られるのに、政府は、やっと議論を始めたような状況です。先進国に比べて、20年近く遅れているのではないでしょうか。もはや、必要な技術(スキル)を身につけ、さらに、常識とはかけ離れた「創造力」をフルに活用し、社会に貢献していくのが最善の方法だと思います。そして、そのためのスキルを与え支援していくのが「教育の役割」に違いありません。しかし、残念ながら、学校に通う子供たちも保護者も、それを指導する教師も「時代の流れ」に気づいてはいません。未だに「知識偏重」のテストを行い、偏差値の高い高校や大学への進学実績を誇ってますが、早く「時代が変わった」ことに気づいて欲しいと願うばかりです。
また、いくら「グローバル」な人間を育てても、それでは「地球市民」を主張するような、どこにも属せない「思想難民」を生み出すだけではないのか…という危惧があります。世界は、既にグローバル化は破綻しつつあります。中国の台頭は、当初のような「経済交流の国」ではなくなりました。露骨に「台湾併合」を打ち出し、日本の「尖閣諸島」を奪おうという野心を隠さなくなりました。政治家の中には、その中国共産党と親しい国会議員も多数いるようですが、日本の情報が漏らされないかと心配になります。さらに、「反日」教育を推し進めている韓国は、経済的にも政治的にも行き詰まり、「孤立」の道を突き進んでいると言われています。既に日本やアメリカからも見放され、財閥系の企業も昔の面影はありません。子供の頃から「受験勉強」に追われ、「立身出世」だけが唯一の「幸せの道」だと教えられた国民が、本当に満足した人生を送れるのでしょうか。夢に見た「大学」を卒業しても、今度は、自分の考えていたような「就職」も満足にできない現実があります。そこで採用されなければ、「受け皿」もありません。周囲の期待だけは大きい…では、自己実現もできませんし、一生、「競争熱」に煽られた人生を歩むことになるだけなのです。いつも人と比べ、勝敗に拘っても、一度でも健康を害すれば、人生のレースから脱落することになります。それは、それで「苦しい人生」だと思います。
では、これからの日本人は、どうやって、「人生の創り手」として生きていけばいいのでしょうか。現代は、「ネット社会」と言われるように、情報は瞬時に個々の手に届くようになりました。価値観は多様化し、それぞれが、それぞれの生き方を求めることも自由です。しかし、その先にあるものは、「自己責任だけ」という厳しい現実を知ることになるのです。子供たちは、大人たちから「自由に生きていけばいい」教えられます。大人から見れば、子供を束縛しない「いい親」と見えるのかも知れません。しかし、子供にしてみれば、その「自由」の意味がわからないのです。子供は、小さい頃から「自由」という言葉に慣れて育ってきました。それでも、周囲の大人たちがやっているように、「学校を出れば社会に出て働く」というくらいの認識はあります。それが、自分の好きな職業であれば、嬉しいことでしょう。どんな「夢」を描こうとも、それは「自由」なのですから…。しかし、「自由」ほど苦しいことはありません。自由に生きるためには、本気になって自分の「個性」を知り、長い時間をかけて「努力」を積み重ねて行かなければならないからです。今、アメリカの大リーグで大活躍をしている「大谷翔平選手」は、子供のころから「プロ野球選手」を夢見て、高校卒業時には「アメリカに行く」と宣言をしていました。つまり、それだけの自信が既にあったことになります。「二刀流」という常識外れの道を選択し、それを実現するには、いわゆる「遊び」はなかったはずです。それでも、それをやりきらない限り「夢」は叶わないのです。こうした現実を若者は、どのくらい知っているのでしょう。何も考えずに、単に面倒臭いから「自由がいい」では、その後の人生を危うくするだけなのです。
確かに「家族」は煩わしいものかも知れません。しかし、一人で生きていくことは、家族の煩わしさ以上に困難なものです。いずれ人間は、年をとります。若いうちは仕事一筋で、バリバリと働けるかも知れません。そんなとき、現実に引き戻される「家族」のことは、考えたくないという人もいるでしょう。しかし、その「若さ」にも陰りが出始め、体力にも自信がなくなる日が必ず訪れるのです。やがて、老人となり、家族もなく、社会保障制度だけを頼りに晩年を迎えても、幸せの姿は見えて来ません。その希望の灯火である「社会保障制度」が、未来永劫続くと信じている方が、おめでたいのではないでしょうか。戦後の「新円切替」の時のように、国の経済が破綻し、政治が混乱すれば、国民生活は真っ先に切られることを、日本既に経験しています。バブルが弾けたときも、各企業は大規模な「リストラ」を敢行しました。数年前には、あれほどの幸福感を味わっていたのに、たった数年で会社を追われ、再就職を探すことに必死になったサラリーマンはたくさんいます。また、平成になってからも、阪神淡路大震災、東日本大震災と続き、多くの家族や友人を失いました。家に長く「引き籠もっていた人」の中には、津波警報が鳴っていても部屋から出られず、家族が逃げるように叫んでも、それを拒み、そのまま流されていった例もあったそうです。病院に入院していた人の中には、やはり逃げられず、看護師さんと一緒に亡くなった人もいたのです。その後、「てんでんこ」という言葉が知られるようになり、「津波の時は、一人で逃げろ」という昔の教えが紹介されていましたが、たった「一人」で逃げた人はどのくらいいたのでしょう。そして、家族や仲間を失い、一人で生きていくことがどのくらい辛いことなのか、身を以て感じているはずです。
今の暮らしが、未来永劫続くと考える方が、「甘い」と言わざるを得ません。そして、運のいい人生を送った戦後生まれの老人たちは、自分が「運のいい時代」に生まれたことにも気づかず、豊かさのために「傲慢」になり、家族や施設の介護士に悪態を吐いてトラブルを起こし、疎まれ、一人寂しく死んでいく話も聞きます。「頑張って人生を己一人の手で創ってきたはずなのに…、なぜ、みんな自分から離れていくのか…」。それは、「自分の行ってきたことの結果」だと言うことを知らなければなりません。人生の終末点において、それを悟ることが、どれほど辛いことか考えるべきでしょう。それでも、「時代の流行」に流されず、貧しいながらも、ささやかな家庭を築き、家族の幸せを思い、家族のために働き、家族の迷惑にならないようにと生き、そして最期の日を迎えたとき、「家族はいらない…」と言っていた人より、本当に、不幸だったのでしょうか。「人生の創り手」でありたいと思いますが、「人の手で創られた人生」に己の人生を賭けるつもりはありません。社会の流行に乗った創り手にもなりたくありません。自分の人生は、「自分だけのもの」なのです。人間の一生は、多くの人の手を借りながら、何とか創っていくものなのですが、その主体は「個人」なのです。その個人が、教育によって「蒙を啓き」、自分の進むべき道を定め生きていかなければなりません。そのためには、「我欲」を捨て、「公」のために尽くそうという気持ちを育てることです。どんなささやかなことであっても、「だれかの為になったかも知れない…」という人生が豊かでないはずがないのです。そして、その人生を「創って」きたのは、紛れもなく、私自身なのです。
第五章 新しい時代をむかえる
「世界の常識が覆る。 たとえAI時代が来ようとも、AIを怖れてはならない。」
第一節 人生を創る深い学び
「学び続ける」
これは、人間にとっての永遠のテーマになるほど、実現することは本当に難しい問題です。しかし、日本人は、世界の識字率が20%だった頃に70%以上の識字率を誇り、明治維新とともに急速な日本の近代化と経済発展を成し遂げました。この「学ぶ」という資質は、日本人に備わった特有の能力であり、子供たちにも間違いなくこの「遺伝子」は受け継がれています。日本は、古代より近世に至るまで、地理的に見れば、アジアの極東に位置し、荒海に囲まれた島国であったために、世界の「情報」を得ようにも、大陸国家には、遠く及びませんでした。それだけに、大陸文化の影響を受けにくい利点もあったと言えます。そんな中で、危険をおしてまで「情報」をもたらしてくれた人物は、貴重な存在だったことでしょう。日本史でいえば、「遣隋(唐)使」や「渡来人」などがそういう存在であったはずです。そして、その、もたらされた断片的な情報であっても、十分検討し、日本人なりの解釈して「新たな知見」として生活に活用していったのです。大昔は、山を一つ越えるだけでも難事であり、生涯、「海」を見ずに死ぬ者も多かったと思います。そんな「山越え」をしてまで、運んでくれた「情報」を現代のように「聞き流す」はずがありません。だれもが「聞き耳」を立てて、深い関心を示し、貴重な情報とわかれば、それを「どう活用すればいいか…」を真剣に話し合ったことでしょう。そして、その情報を上手く活用できた人たちだけが「繁栄」を手に入れることができたのです。そうなると、村社会に生きる人々は、「知恵と工夫」なくして、生きられないことになります。
小さな村同士でさえ、緊密な「友好関係」を結び、情報を交換して、村の発展に尽くしたのだろうと思うと、「学ぶ」ことの大切さが実感できます。今のように「学ぶ機会」に恵まれている社会は、自らそれを欲しなくなります。自分が必要な「情報」は、「スマホ」を操作するだけで簡単に手に入れることができます。それは、飽くまでも「断片的」な情報に過ぎないのですが、深く考えることを苦手とする人には、「単純化」された情報の方が有り難いのでしょう。そのためか、テレビ等の情報を「鵜呑み」にしてしまう人がいますが、それは「危険」なことです。相手の意図も考えて慎重に判断しなければ、「情報」に騙されることもあるのです。それが、日常生活程度の内容なら、騙されることも少ないと思いますが、「政治や思想」「戦争」の話になるとそうはいきません。情報を発信する側も、それを受け取る側も「騙すこと」を意図して行っているのですから油断大敵です。世界は「近代」と呼ばれる時代に入ると「情報戦」が盛んに行われるようになりました。日本はあまり敵を欺く作戦が上手ではありませんでしたが、外国の「宣伝」は、それ自体が戦争の手段の一つなのです。そのために、日本は「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題等で窮地に追い込まれたのは、つい最近のことだと言うことを忘れてはならないのです。今でも、日本政府や企業は、情報の「漏洩」に甘く、日本には「スパイ防止法」すらありません。こうした、「情報管理」の甘さは、いずれ日本社会に大きな影響を与えるようになると思います。
さて、「学ぶ」の語源が「真似る」から来ているという説は、今でもよく語られますが、それには納得できます。何でもそうですが、何かを「身につけたい」と思えば、口を開けて待っているだけでは果実を口にすることはできません。やはり、人のやっていることを見ながら、自分も見よう見真似で「やってみる」以外に方法はないのです。昔の徒弟制度の中では、よく「先輩から盗め」などと言われ、仕事を注意深く「観察」することを教えられたと言います。この「盗む」は言い方はあるにしても、「じっくり観察する」ことの例えとしては、すばらしい言葉だと思います。これもまさに「真似る」ことを示唆しています。古代からの日本人も、すべてが「模倣」から始まり、日本の気候風土、日本人の生活習慣等に合わせて改良を加え、自分にとって「納得」のできる形に変えていったのも、当然の知恵でした。今でも、日本人は、外国人から見れば、「模倣することが得意だ」と言われているようですが、その遺伝子は間違いなく子供世代にも受け継がれているはずです。つまり、日本人は「学び」をとおして国を発展させてきた民族なのです。
日本人はこの小さな島国で、厳しい自然環境と「共存」しながら生きていくことしかできません。
それでも、人々は村を作り、そこで生産を行い、みんなで村を護り、「生きる道」を探ったのです。昔から、よく「古老の知恵」というものが、各村々に残されていた話を聞きます。「月に暈が被ったから明日は雨だろう…」とか、「風の匂いを嗅いで、天気を知る」などという逸話は、数多く残されています。これらは、すべて経験に基づいた「勘」であり、それはよく当たったのです。昔、新田次郎氏の小説が「八甲田山」という映画になりました。これは、日露戦争直前の青森県の八甲田山で起きた遭難事件を元にした映画でした。その中で、軍人は「方位磁針があるから、大丈夫だ!」と言うのに対して、村の古老は、「今日は、山の神の日だから山に入ってはならない!」と説得する場面がありました。しかし、軍隊はそれを無視して、雪の山に入っていくのです。これなどは、まさに「科学万能主義」とでも言うような、現代にも通じる話です。どんなに科学で解明しようとしても、そのときの「一瞬の判断」は、やはり、経験には敵わないような気がします。長年、言い伝えられた「伝承」というものは、その地域においては、けっして侮れないものなのです。それは、こうした知恵の「集積の」上に田畑は作られ、実りの季節を迎えたのですから、たとえ、優れた道具が登場したとしても、人間の勘や知恵を侮ってなならないのです。だからこそ、子供は必死になって大人から学び、いずれ、自分がその立場になると、多くの知恵を授けることを責任としたのです。だからこそ、日本人は「学ぶ」ことを怠りませんでした。なぜなら、怠れば、それは村や一族の「死」を意味したからです。こうした「学び」の遺伝子は、子々孫々に受け継がれてます。それは、たとえ今、気づかなくても心の「奥底」に刻まれ、きっかけさえ与えれば、必ず目覚めるものだと思います。そこにこそ、これからの「未来の教育」の秘密が隠されているような気がします。
国は、新しい学習指導要領から、「アクティブ・ラーニング」と言う言葉を使い出しました。最近では、意味がよくわからない…というクレームがあったらしく、「深い学び」と言い換えていますが、本来の「学力観」からすれば、間違った方向性にはないと思います。しかし、理念はそうであっても、体制がそうはなっていませんので、さて、10年後の改訂でどうなるのか楽しみでもあります。学校には、「主体的・対話的で深い学び」と紹介していますが、実は、古代からの日本人の「学びの遺伝子」を覚醒させようとする意図があるのかも知れません。もちろん、それを提唱された学者が創った考え方だろうと思いますが、以前の「生きる力」よりも、イメージはしやすいと思います。この「深い学び」論は、日本人の「学びの本質」に迫ろうとするものです。そして、これからの子供は、学校で学んだ「知識や技能、思考力、創造力等」を生かして、新しい時代に挑戦していかなければならないのです。しかし、いつものことですが、政府は常に「新しい教育観」を持ち出しては、学校に下ろしますが、実際、その趣旨を理解して授業に生かせる教師は、「約2割」というのが現場の見立てです。それは、教師の側の責任というよりは、政府側の問題でもあります。あの「ゆとり教育」の崩壊のときもそうですが、政府は非常に世論に弱く、世論を誘導するマスコミに弱いという特徴があります。そして、そのマスコミが「左翼」に支配されているわけですから、自ずと日本の教育は「左翼的性格」を持つことになってしまうのです。それでも、熱心な日本の教師は、時間をかけて学習指導要領の趣旨を読み取り、一生懸命、授業に取り組もうとしています。学校の「ブラック化」の問題はありますが、教師一人一人が本気でやりたい教育ならば、いくら自分の時間を使ってでも、授業に取り組もうと考えるものです。そのくらい、「授業」を大切にしているのが、教師たちなのです。
さて、そうなると、これからどんな授業を「目指すべきか」といった議論が出てくるはずです。
個人的に言わせてもらえば、ポイントは三点あるように思います。まず、一つ目は、「学習活動の質の向上」です。素人の皆さんは、「子供相手の授業なんて、どうにでもなるんじゃないのか?」と思われている節があります。これは、実は文部科学省の役人も発想は同じようなものなのです。実際に「学級担任」をしたことのない人は、いつも評論家のように子供を分析し、建前を言いたがりますが、実際、30人以上の男女のいる「学級」を掌握し、質の高い授業を行うことは非常に難しいことなのです。だから、若い人は平気で、「子供が好きだから、教師になった」などと言えるのでしょう。もし、それが嘘だと思うのなら、一度でもいいから「やってみる」ことです。おそらく、素人では「一日」持たないはずです。子供にいいように振り回されて、授業になんか絶対になりません。「優しい大人」ほど始末が悪く、子供に揚げ足を取られているうちに泣かされて帰るのが「オチ」でしょう。だから、それを上手にやりこなす日本の教師は「優秀」なのです。
さて、前置きはこれくらいにして、「授業の質」を高めるためには、「授業準備」や子供の「学ぶ姿勢」、授業中の「ルール」などの基本が大切になってきます。「手間を惜しまない」ルールづくりを早急に行うべきなのです。これがわからないまま、授業を行おうとすると、教室は混乱し、45分の間、教師は子供の「質問攻め」に遭い、パニック状態のまま何もできずに終わります。この姿は、けっして「異常」ではなく、子供が集団になれば、こうした行動に出るということを理解しておかないと大変なことになるという教訓です。少し話は逸れますが、戦後、教師は「教壇」から降りるべきではありませんでした。本来、教師は「教壇」という一段高いところから、子供たちを「俯瞰」して見て、指導すべき行動を取るべきだったのです。「子供の目線」という言葉はきれいですが、実際、それでは教師は子供の中に埋没してしまうのです。「リーダー」が見えなくなれば、集団は動きません。どんな「小集団」でも指示をする人間の顔を見て人は動くものです。こんな「当たり前」のことを忘れて、子供の目線にだけ立てば、「個」も生かせないし、「集団」も生かせないのです。個や集団を生かしたければ、リーダーは「人の前」に立たなければならないのです。その上で、集団として守るべき「ルール」を定め、「規律を守る」集団にしなければなりません。
戦後、日本社会は、戦前の後遺症でもあるかのように、「管理」とか、「規律」を嫌う人間が増えてきました。どうも、「規律」は「軍隊」に通じるらしく、「軍隊=悪」と思い込んでいる人たちは、余程、組織の中で働くことが嫌いなようです。それでも、企業はどれも「組織体」であり、「規律や管理」は、余程の才能を持つ人たちが集まる会社でない限りあると思いますが、どうでしょう。戦後教育が言うように、何でも「平和に…」という考え方は大切ですが、国際社会の舞台に出ても、その発想では政治や外交はできないと思います。それに、「平和を守る」ものが、有形の「力」ではなく、自分の「思想」でしかない…というのは如何にも乱暴な考え方です。今でも、「自衛隊があるから、近隣諸国に狙われる」と本気で考えている人がいるようですが、そういう思考の方が私には怖ろしく感じます。日本列島周辺に何発もの「ミサイル」を撃ち込まれても、政治家は「遺憾である」としか言いませんが、そんな言葉より、「とんでもない蛮行だ。断固、抗議し、善処されるまで外交は停止する!」くらいのことを言って欲しいと思います。何でも「友好」や「平和」では、日本は「何もしません」と言っていると思われます。こんな「楽」な国はないでしょう。攻撃を受けても「遺憾に思う」だけで、何らかの対抗手段も打って来ないのですから、何発でもミサイルを撃ち込むはずです。そして、国内に着弾しても、やはり「遺憾」で済ませるのでしょうか。それとも、機能しない「国際連合」に提訴して、日本の立場を説明して終わるのでしょうか。そうなれば、日本は国として終わりです。日本政府が、日本を真の「独立国」だと言うのであれば、諸外国に対しても「対等」な態度で接して欲しいと思います。それに、世界中で軍隊を持たない国はないのに、日本では「自衛隊」すら反対する勢力があるのは如何なものでしょう。自衛隊は、法律的には「軍隊」として運用されていませんが、この「防衛力」こそが、日本が「独立国家」として存在できる源であることは、国民はみんな承知しています。それに、自衛隊の「災害出動」や「救難活動」の実績は目覚ましいものがあります。今や国民の大多数は、自衛隊を認め、その活動に賞賛の声を贈っているではありませんか。では、なぜ自衛隊が自然災害等であれほどの活躍ができるのか、考えて貰いたいものです。
大人は簡単に「訓練の賜物」だと答えますが、その訓練の基本には「規律」や「管理」が存在していることを忘れてはなりません。集団を動かすには、この「規律を守る」意識なくして、十分な力を発揮させることはできないのです。もし、日本の各企業が、その規律や管理なしに業績を上げられたとしたら、それが不要であることが認められるでしょう。しかし、人間である限り、そんなことはあり得ないのです。最近、自衛隊内で女性隊員に対して「暴力的なセクハラ行為」が発覚して、陸上自衛隊のトップが公式にその女性に「謝罪」したというニュースが流れましたが、これこそ、規律や管理が杜撰だった証拠です。要するに、自由度が過ぎると、どんな組織でもこうした不祥事は起こるのです。もちろん、これに加担した隊員は全員懲戒処分を受けることになりますが、おそらく、周囲からの厳しい批判に晒され、退職はやむを得ないと思います。その女性隊員も既に退職され、自分の名前を公表してまでも訴えた事件でした。このときばかり、「規律や管理はどうした?」と騒いでも、被害を被った人は、元の職場にはもう戻れないのです。人の人生を壊しておいて、「自由」が保障されるはずがありません。だからこそ、「教育」は徹底しなければならないのです。
確かに、昔の日本軍のように、有無も言わさず「暴力」によって「規律」を叩き込むような、乱暴な方法は認められませんが、子供と言えども「規律の大切さ」を十分理解させ、学級、いや「学校のルール」として確立させることは可能です。そのためには、「校長」自らが率先し、全体を指導することです。今の時代は、教師も今の教育を受けてきていますので、意外と「規律や管理」を軽んじる人がいます。と言うより、「やり方」を知らないまま教師という職に就いていると言った方がいいかも知れません。自分の学生時代に、教師の話を碌に聞かなくても大学には入れますし、教員免許状は取得できますので、採用試験に合格さえすれば、そのまま教壇に立てるのが日本のシステムですから、特に特別な「研修」は必要ないのです。そうなると、実際に教壇に立ったその日から、子供との戦いは始まります。ですから、それを指導するのも校長や教頭の仕事ということになります。そして、「教員」にも十分諭し、理解させ、「学校の約束」として定着させれば、子供は我が儘を抑えることを覚えるものです。それをすべて「担任教師」に委ね、各担任によってルールが異なれば、子供が「易き」に流れるは必定です。そんな集団には、規律もなく「秩序」も生まれません。規律がなければ秩序もなく、人間が安心して生活できる最低限の「保障」もないまま、教室という狭い空間に30人もの個性の違う子供が集っているわけですから、心の優しい子供たちには、息苦しいはずです。「規律や秩序」もない社会に生きられる人間は、どこにもいないのです。
そもそも、「規律や管理」を嫌う人間に、「集団や組織」で働くことは無理でしょう。社会は、ほとんどが「組織」で運営されていますが、それに背を向けた生き方をしようと言うのなら、自分の特異な才能を生かして、糧を得る算段をするべきなのです。自分が何の努力もせずに、社会の体制だけを自分に合わせようと願うのは、「傲慢」であり、自立できない人間の「言い訳」のように聞こえます。そして、どこにも属さず、死ぬまで一人で生きていく覚悟をするべきだ…と言えば言い過ぎでしょうか。学校に「ルール」がであり、大人も子供も規律を重んじる体勢が整えば、こんなに楽しい場所はありません。高学年は、下級生の「手本」となろうと張り切って働き、低学年は、そんな上級生に憧れを抱くものです。そして、その「伝統」は、その学校に着実に受け継がれていくことになるのです。確かに、「自由」という言葉は、美しい言葉だと思いますが、明治の思想家福沢諭吉は、「自由には、責任が伴う」とも言っています。何処の国でも、「国民」としてその一員として所属している以上、その国の「ルール」に従うのは国民の義務のはずです。そうでなければ、国は成り立ちません。「思想信条の自由」という言葉があるように、一人の人間が何を考えようと「自由」なのです。しかし、それを「言葉」にして口から出ると、とんでもないことが起こることがあります。たとえば、子供が友だちに対して、「死ね!」と言ったとすれば、これは重大な「いじめ案件」として親や学校の指導を受けることになります。実際は、何の行動も起こしていなくても、その「言葉」自体が、相手を侮辱し恐怖心を抱かせる行為だからです。だから、その言葉を発した人間は、相応の「責任」を取らなければ収まらないのです。だからこそ、学校には「規律」が必要であり、最低限の「管理」もあるのです。
二つ目は、授業において、「聞(聴)く」「話す」「考える」「教え(話し)合う」「振り返る」「繰り返す」を柔軟に組み合わせて、子供を「深い学び」へと導くことです。そして、最後に「ものの見方・考え方」に気づかせることなのです。まずは、「聞(聴)く」ことから、物事の学びは始まります。「話」は聞いてから口を開くのが約束です。思考の浅い子供の中には、思ったことがすぐ口に出る者がいます。これは、大人でも同じです。脳が十分に働いていないと、思考が上手くできません。頭に浮かんだ瞬間に、思考回路が回らず、すぐに「言葉」になってしまうのです。こうした現象を「思いつき」と呼びますが、あまり考えずに生きていると、大人の中にも捉え方が「単純」で、すぐに「〇か×」「善か悪」に二分化し、結論を出そうとするのです。今のテレビ番組はその傾向が強く、短時間に視聴者を自分たちの主張に合わせようと、短い議論で結論を出したがります。これを繰り返されると、それを視聴している人は、自然とその主張に合わせることになるのです。特に好きなタレントやコメンテーターがいたりすると、ファン的な感情で、その意見に流される傾向が見られます。しかし、それも思考の「初期段階」では面白いのかも知れませんが、「深い思考」がないので、深まりも発展性もなく、子供たちも次第に飽きてきて勝手なお喋りが始まるのです。
大人の場合は、「過去の経験」に固執し、「我」を通そうとしているのですが、相手が自分を「肯定」してくれない限りは、相手の意見を認めようとはしません。それでも、本人にその自覚はないので、常に「自分が正しく」なるのです。これは、大人の中でも高齢者に多く見られる傾向で、あまり深い思考がないので、相手を思いやったり、場の雰囲気を感じ取ったりすることができず、孤立していくことになります。高齢になれば、それも仕方のないことなのでしょうが、子供は違います。子供は、これから益々思考が深まる時期なのですから、「集中」して話を聞く訓練を施せば、子供はすぐに対応できるようになるものです。日本のような民主主義国で、「子供を管理するな!」という主張は、「教育をしないで、子供の好きにさせろ!」と言っているに過ぎないのです。言っている人たちは、真剣に叫んでいるのでしょうが、個を重んじるあまり、管理をすることに失敗した国では、教育の荒廃が起こり、改めて「日本の教育に見習おう」とする動きが出ているようです。どんな国でも、子供が自由気ままに振るまい、親や教師の言うことを聞かなくなっても困ります。善悪を教えようにも、「自由にさせてもらう」とばかりに拒否されれば、教える機会を失ったまま時間だけが過ぎてしまいます。そうしたとき、大人はどうしたらいいのでしょうか。やはり、子供のうちだからこそ、社会生活を営むための「基礎基本」をしっかりと教える必要があると思うのですが、「管理」を嫌う人々は、それすらも認めないかも知れません。今でも、青少年による犯罪は多く見られます。家庭内での「引き籠もり」も増えるばかりで、健全な子供を育てるマニュアルは既になくなっているかのようです。このまま放置すれば、国の「根幹」を揺るがす事態になる可能性があると思います。そのとき、日本は大きく舵を切ることができるのでしょうか。「自由」は確かに民主主義の「柱」だと思いますが、それと同じくらいに「責任」は重いのです。それをしっかり教えるのが、「教育」の役目だと私は思います。
次に「話す」ことも重要な「学習」のひとつです。日常的に「話す」ということと、公の場で「話す」ことは、自ずと目的を異にします。「公の場で話す」とは、自分の考えを整理して、相手に対して「自分の意見を述べる」ことです。人の「主義主張」は、それぞれの立場や考え方の違いによって異なりますが、どちらにしても、相手に「納得」してもらうためにはその「論理性」が問われるのです。そして、自分の意見を通したければ、最初から、「感情」に訴えてはなりません。「理性」に訴えてこそ初めて人は納得できるのだと思います。そのためには、①先に結論を述べる。②次に、結論に至った理由を述べる。最後に、できれば、③自分の「思い」を述べる…ことが必要です。①は、「自分はこう考えます」というように、まずは、「右か左か」の結論を先に述べるのが重要です。結論のない話は、相手を混乱させるだけで議論にはなりません。自分が「右が正しい」と思うのなら、それを貫かなければ意見とは言えないでしょう。そして、②は、その「右」を選択した理由を「こういう理由で、自分は右を選びました」と言うように、結論に至るまでの過程を「論理的」に説明しなければなりません。但し、それが「正論」だったとしても、人は必ずしも賛同してくれるとは限りません。しかし、自分の「意思」を示すことで、相手はその考えを理解してくれるはずです。そして、最後に、③その結論に至った「思い」を伝えることです。それは、場合によっては理性的ではないかも知れませんが、その「思い」を伝えることで、反対意見を持つ者が自分に「敵対」する意思は沈められます。教科等の授業ならば、最後の③は不要かも知れませんが、「道徳科」の授業などでは、単に「論理」だけで責められても、なかなか「感情」がついて行かない場合があります。それを「自分の体験」等を語ることによって、相手も「この人は、そんな苦労をしてきたのか…」などという「同情に近い感情」を抱くものです。日本人は、常に「和を以て貴しと為す」精神が旺盛ですので、理屈だけで相手を「やり込める」ような話し合いは、しない方が賢明です。
こうした一連の段階を踏んで「述べる」ことを授業では、「話す」と言いますが、大勢の前で、筋道を立てて周りを納得させる技術は、相当の「学習」を積まない限り難しいものです。教師も同じです。よく一般の人間(ゲスト)を教壇に立たせ、説明をしていただくことがありますが、緊張のためか、または、訓練不足のためか、要旨がまとまらず、論理的に説明ができないことが多いような気がします。大人相手なら、多少の「我慢」もしてくれますが、子供はそんな忖度はしません。つまらない話では、「1分」も過ぎれば、おしゃべりが始まり、収拾がつかなくなるものです。子供にこそ、「要旨を整理」した簡潔な説明が求められるのです。この「話す学習」は、段階を踏んで行っていくと着実に力がついてきます。①まずは、二人で話し合います。②次に、四人で話し合います。③次に、六人組で話し合います。そして、最後に④学級全体で話し合うのです。この4段階を「繰り返し」行わせて学習させますが、その際、自分のノートに、「箇条書き」で「話す内容」を書かせる練習をさせておくことが大切です。「表現」させるには、話し言葉をすべて書いてはいけません。要点になる「単語」や「単文」を書かせ、それを常にできるように練習させるのが、効果的なのです。最初の頃は、なかなか「話し合い」にならないものです。自分勝手に好きなことを言っている間は、脳と口が直結していますので、そこに「思考」はありません。しかし、「話し合い」となると、思いつきでは「論理」が破綻してしまう、後から「さっきの話と違う?」と異議を申し立てられます。これでは、本人も「何が言いたいのか」整理できません。しかし、「時間を決めて」何度も練習をしていくと、次第に「論理的な思考」ができるようになるものです。「要旨を短文にまとめる」作業も、慣れてくれば、少しずつ「長文」になり、自分の言いたいことが明確になってくるのです。こうなると、「話し合い」は楽しい学習になっていきます。
三つ目の段階として、いよいよ「思考を鍛える」学習に入ります。「思考」は、人間が最も苦手とする脳の働きであると同時に、これができるようになると、個人の能力は飛躍的に高まるはずです。日本人は、特に「周囲に合わせる」ことを傾向にあります。そこが「個性」発揮出来ない原因でもありますが、やはり、それは日本が小さな島国の中で、周囲に「同調」して暮らしてきた「遺伝」的傾向が原因しているのでしょうか。「おかしいな…」と思うことがあっても、あまり口に出して批判をしませんし、「まあ、いいか…」と、それに同調するようなこともあります。今でも、マスコミが世論を誘導するようなところがありますが、やはり、「流されやすい」性格が、それを容易にするのでしょう。もし、日本人がはっきり意思表示する国民なら、マスコミや政治家の言動も「違うもの」になっていたような気がします。要するに、日本人は「人と違うことをする」ことが苦手で、あまり物事を深く考えないのかも知れません。
「思考力」を高める方法は、まずは「読書」をすることです。人は、「言葉で思考する」生き物です。そして、日本人は、「日本語」で考えます。したがって、日本語に敏感にならなければ、日本人の思考は鍛えられないのです。幸い、日本語は非常に優れた言語で、多くの小説が出版されていますが、それは、平安時代の「源氏物語」から現代小説に至るまで、連綿と続いている日本の「文化」なのです。もちろん、その微妙なニュアンスや情景を描写した言葉などは、奥が深く、すぐに理解して使えるものではありませんが、これほど、人間の「心の機微」を表現できる言語は、世界で「日本語」だけだろうと思います。それを「難しい…」などと言って、避けているようでは「語彙」を増えませんし「思考」も深まりません。今、出版業界は斜陽産業になり、日本人の「活字離れ」が加速度的に進んでいます。その特徴的なのが「新聞」であり「週刊誌」です。もちろん、活字を読む方法が、出版だけに限らず「電子書籍」なども登場してきましたので、日本人が活字を読まなくなったわけではないでしょうが、以前のように「熟読」することは減ったように思います。新聞等の見出しも、かなり「衝撃的」な文字を連ねて、読者を「新聞社の意図」に誘導しようとしているのがよくわかります。ときどき、同じ内容なのに、随分と分析が違うものだと感心することがありますが、マスコミは、事実を「客観的」に報道しているのではなく、会社にとって都合のいいように「報道」していることがわかります。だから、同じ「事実」でも、他の会社の記事と読み比べなければ、「真実」は見えてこない傾向にあります。それならば、スマホを使って各社の記事を読んだ方が1社の新聞を購読するよりお得ですから、さらに新聞の購読者は減るのでしょう。「もの」には、どういう角度で見るかによって、見えるものが違うのです。それを「自分の思考」にまで高めるのが、実は「日本語力」なのです。
子供の頃からの「読書習慣」は、間違いなく、自分でものを考える「本物の思考力」がつきます。今、ネット上に多くの「書き込み」がありますが、自分の意見を「主張する場」として、効果的だと思いますが、書くことそのものを目的とするのではなく、やはり、他の方の意見も聞きつつ、自分の考えを深めていく努力は必要です。できれば、単に自分の「思いつき」を書くのではなく、論理的に思考し、筋道をとおして書いてみることが大切です。現代は、こうした「思考訓練」の場がありますので、自分の感情が上手く「表現」できるようになれば、もどかしさもなくなり、気持ちも「スッキリ」とするはずです。子供がいらつく原因の多くは、自分の感情を上手くコントロールできないだけでなく、それを「言葉」に表せないもどかしさが、暴力的な言葉や行為に出てくるのです。親や教師は、すぐに、「どうして、そんなことをしたの?」と叱りますが、それを上手く悦名できるくらいなら、叱られるようなことはしないのです。そのためにも、「読書」は欠かせません。「文字」は、「書く練習」をしたから頭に入ってくるのではなく、「読む」ことで入ってくるのです。したがって、「読書」は生涯にわたって習慣化していかなければなりません。最近の高齢者が幼いように見えるのは、やはり「読書」が足りないのかも知れません。
四つ目に、人と意見交換を行い「教え合う」ことが、深い学びを助けます。論語の有名な一節に、
「朋遠方より来たる有り また楽しからずや」というものがあります。これは、「同じ学問を志す友人と意見を交換し、交流を温め合う…」というものですが、学問をしていても、一人だけで学んでいても楽しいものではありません。お互いに学んだことを「語り合う」ことによって、自分の考えと友人の考えの違いに気づき、納得したり、議論し合ったりと、「切磋琢磨」することが喜びになるのです。それに、「学問」にも、「競争心」は必要です。昔の学生は、よく「議論」をし合ったものです。集まっては議論し、酒を酌み交わしても議論をしました。そういう関係の中で、相手に対する「尊敬心」も生まれ、生涯の友となるのです。私の経験で言えば、大学の友人たちとの議論は、相当の読書量を必要としていました。小説の話題になれば、昔の有名な文学は、だれもが語れるレベルにあるのです。私も「夏目漱石」や「森鴎外」「太宰治」などは読んでいましたので、友人との議論に混ざることができましたが、まさか、酒を飲みながら「文学論」を語り合うようになるとは思ってもいなかったので、40年経ってもいい思い出として心に残っています。そして、「違う」ものは「違う!」と言い、「賛同」するものは、「そうそう!、だからこういうことなんだよ」と解説をしたものです。それで「納得」できたかどうかはわかりませんが、「こいつ、すげえな…」と密かに友人を讃えていたものです。表面だけの「いい加減」な付き合いをしていても、真の友情は生まれないのです。「同じ釜の飯を食う」「一緒に苦労を共にする」「深い議論をし合う」…、そんなことで、相手の胸のうちを知り、肉親以上の関係になることもあるのです。いたずらに競争心を煽る必要はありませんが、「語り合う」ことによって、自分の思考が深まることだけは間違いありません。
そして、一定の学びの後には、もう一度「振り返り」冷静に判断してみることです。長い文章を書いていても、その時々は「勢い」で筆を走らすことがあります。それは、そこに集中して「夢中」になっているからです。それは、それで「学びの途中」としては非常にいい傾向だと思います。脳内の動きが活発になり、言葉が次々と浮かんでくるようになると、そんなに考えていなくても「言葉」溢れてきます。これは、一定数の「言葉の数」が増えてくると現れる現象で、私は、「脳内の引き出しが開く」と言っています。この「引き出し」には、自分の体験や思い出、読んだ本の内容や勉強したことなどが分類されてしまわれており、あることがきっかけに急に「開き出す」といった感覚です。もちろん、科学的に証明されている話ではありませんが、経験上「ある」といった話です。特に、スピーチなどをしていると集中力が高まり、この現象が起きてきます。人間の「脳」というものは、本当に複雑にできていることがわかります。やはり、「鍛えれば、鍛える」ほど、強い「脳」になってくるのだと思います。しかし、学びが「一段落」ついた頃、もう一度振り返って、自分の書いた文章を見てみましょう。翌日にでも、もう一度読んでみると、己の「未熟さ」に気づくこともあります。子供のころ、己の「情熱」のままに何かの意見を書いたとしましょう。きっと指導者である教師は、その情熱とその才能を愛し、高い評価点をくれるかも知れません。しかし、10年後、いや20年後に、その文章に出会ったとき、どう思うでしょうか。未熟な自分に気づき、恥ずかしい思いをするような気がします。その時は、生意気なことを言って教師を困らせたかも知れませんが、それすらも「未熟」と笑わず、「若さ故の情熱」と解釈してくれた恩師に頭を下げることでしょう。これは極端なたとえですが、一度冷静な自分の眼で「文章」を評価し、もう一度考え直す心の余裕があれば、間違いなく「文章力」も「思考力」もついてくるはずです。
深い思考に辿り着くためには、「思いついた」ときに、過去に考えたことをもう一度「考え直してみる」といった「繰り返し」の作業が必要になります。物事は日進月歩、止まることを知りません。たとえ、過去に偉大な「権威者」が唱えた説であろうと、間違いが見つかれば、過ちを正すことが学問を志す道でもあります。特に「歴史」は、本当に訂正が多い学問です。また、国によって立場も違えば、見方も異なります。政治的な「イデオロギー」にさえ左右され、真実がなかなか見えてこないのが「歴史」なのです。特に、「戦争」に関わる事件には、今でも論戦を繰り返すテーマが多く、それもいつの日か、すべての隠された情報が公開されたとき、真実が暴かれるはずだと思いますが、学問がそこに止まっていない以上、見直しをし続ける気持ちが必要です。しかし、日本の政治家や大学等の研究者は、いつの間にか「真実を追究」することを止め、過去に「定説化」した歴史を後生大事に抱きしめ、見直しすら許さない傾向が見られます。私の60年程度の経験だけでも、多くの定説が覆されました。特に「古代史」は新しい発見があるたびに歴史は書き換えられていきます。そして、近現代史は、今でも戦勝国による「宣伝」が、そのまま「歴史」として採用され、敗戦国の日本国民を苦しめています。それでも、高名な政治家や学者が発言すれば、一般国民の多くはそれを信じます。「あんなに偉い先生が言うのだから、本当だろう…」と思ってしまうのです。ましてや、教科書に記載されれば、教師も子供も「真実」だと疑いもせずに、テストに採用するのですから怖い話です。学問は、本来「真理の探究」のはずなのですが、そうでない勢力が権力を握っている世界では、「嘘も真実」になるということです。しかし、それでは「思考力」は育ちません。心の奥で「自分は嘘を言っている」という思いがあれば、その瞬間に学問ではなくなるからです。それは「宣伝」「謀略」の類いであって「学問」とは呼ばないのです。「純粋な心」を持つ子供たちには、そんな大人の嫌らしい世界の思想を教えたくはありません。
今の日本では、学問は「学校時代のもの」という意識が強いのではないでしょうか。だから、試験に合格するために教科書に書いてあることを諳んじ、徹底的に覚えようと努力しますが、その覚えた知識は、本当に「人生に生かされているのか?」と考えると甚だ疑問です。子供時代は、親たちも一生懸命に「勉強」に力を入れ、少しでも偏差値の高い学校に進学させたがります。そして、大学まで進むと「ほっ」としたかのように、急速に子供から関心が離れていくようです。大学で勉強しようが遊んでいようが、大学に「入る」ことが「ゴール」であるかのように、親は子供に寛大になるのです。だから、新卒者の就職が厳しい時代でも、親世代が騒いでいるといった話は聞きません。確かに「成人」した子供にあれこれ指図するのもおかしな話ではありますが、それまでが、あまりにも「過保護な扱い」をするので、そのギャップに驚いてしまいます。本来、せっかく入学した大学でこそ、真の「学問」に触れたいところですが、大学当局も、あまり学生の「勉強」には関心がないように見えます。まあ、学生を「大人」として扱っているということでしょう。
もちろん、学生時代に身につけたものは、一生涯大切なものですが、それよりも、社会人になってからの人生の方が遥かに長いのです。学生時代は小学校から数えてもわずか「16年」程度でしかありません。ところが、社会人はそれから「40年以上」も第一線で働くのです。そして、退職後も、元気でいれば、「20年」という年月が待っています。この時間を「学び」に使えば、人間はどのくらい賢くなっていくのでしょう。先日行われた安倍元総理の国葬儀に対して、たくさんの人々が献花に訪れ、故人の冥福をお祈りする姿がテレビ画面に映し出されました。一方、多くの色とりどりの旗と拡声器から響く大声、そしてヘルメットとタオルで覆面をした集団が映し出され、国民の顰蹙を買いました。国葬儀に反対する人々と集まりだったそうですが、どうも「共感」する気にはなれませんでした。反対する理由はあるにしても、あの場であんな騒ぎを起こすことに、私自身の心が許さないからです。「人前で恥は掻けない…」というのは、日本人ならわかると思います。その中には、多くの高齢者が混じっていたらしく、「この人たちは、どうしてしまったんだろう?」と思った次第です。中には、大学の教師や著名な芸能人、政治家たちもおり、できれば「見たくない」姿でした。あの方々が、自分の身近にいて何かを語っても、私は尊敬する気になれません。もし、たくさん勉強してきて今の姿があるとしたら、如何にも「残念」です。やはり、賢い人であれば、こんな醜態を公衆の面前に晒すのではなく、正々堂々と「議論する場」で意見を述べるべきなのです。それで、体勢は変わらないかも知れませんが、どんな意見を述べることも「自由」というのが、民主主義の「よい」ところです。それができるのが、成熟した社会だと思います。
第二節 日本人の道徳教育
ここに来て、国は「道徳教育」に力を入れ、教科化に踏み切りました。余程、これまでの道徳教育に愛想を尽かしたのでしょう。戦後、それまでの「修身科」や「教育勅語」を廃止し、それに代わる道徳が見つからず、激しい議論の末、昭和30年代にやっと特設「道徳」の時間が設けられました。しかし、当時の道徳は、「修身科の復活だ!」と騒ぐ勢力(教職員組合他)があり、道徳の指導自体が形骸化されていったのです。教師の中にも、「道徳の指導は、日常の中で十分に行っている」と、「週1時間」設定されていた時間は、「教科書」もない(教科ではないから)ため、適当に他の時間に使用してしまう教師も多くいました。「日本には、道徳の時間はいらない!」という主張は、長く学校の教師にも賛同を得られていたことになります。それほど、「敗戦」の痛手は、長く日本人の心に大きな傷跡を残したのです。あれほどの犠牲を出して、やっと「近代化」を進めた日本は、明治維新以降、緊迫した「国際情勢」の中で、明治、大正、昭和とずっと戦争に明け暮れる毎日でした。そのための戦死者も多く出し、80年にもわたる苦労が「大東亜戦争」の敗戦によって、すべてが水の泡と消えてしまったのです。結局は、「江戸時代」の日本に戻ったかのようでした。いや、それ以上に世界を敵としたために、酷い目に遭い、今も「精神的」には立ち直れてはいません。それまで、「絶対だ」と信じていた価値がすべて吹き飛び、「アメリカ民主主義こそが、日本人を幸せにするのだ」という思想は、敗戦のショックで立ち直れなかった日本人に希望の光を与えたのかも知れません。戦前までの日本をすべて否定された日本人に、何が残されたのでしょうか。何もないからこそ、大人たちは、「経済発展」に恐ろしいほどのエネルギーを注ぎ込んだのです。そして、敗戦の痛手は、各所に現れることになりました。
特に「家庭」では、「教育」に自信を失った大人たちが口を閉ざし、年寄りが若い者に説教をすることもなくなりました。「今の時代の教育は、儂らにはわからん…」と言って、道徳的価値について話すこともなかったし、ましてや、戦場での体験談などもってのほかだ…という風潮で、みんな現実から顔を背けたのです。学校では、「道徳」の時間は設けられていても、教師たちは指導することを忌避していました。かといって、教師が急に優しくなったわけではありません。相も変わらず、教師は恐かったし、しつけは厳しかったのです。それでも、「昔の日本は…」的な話はしなかったし、「戦争」は、タブーなのだなと言うことは、子供にもわかっていました。「歴史の授業」は、幕末まででほぼ終わり、大正、昭和を学習した記憶もないし、テストの問題にもなりませんでした。教師のだれもが、日本の「近現代史」を避け、急に「戦後の民主主義時代」がやってきたのです。きっと、教師の中には、「語りたい」と思う人はいたはずです。その頃、教師の中には、兵隊として戦地で戦った者もいましたし、空襲で被害を蒙った者も多くいたはずです。それが、授業で「子供に教えられない…」というもどかしさは、その教師たちの心を歪めたのだと思います。「道徳」も同じです。本当は、もっとしっかりした「道徳教育」をしたかったのに、してはいけない雰囲気は、どうしようもありません。教師同士が監視し合うようにチェックし、道徳教育からみんなで逃げていたのだと思います。当時の校長もそのことには一切触れず、当時の教育委員会や文部省も特に指導はしなかったのでしょう。社会全体が、敢えて「道徳教育」には踏み込まないようにしていた雰囲気がありました。「道徳=修身の復活=戦前=悪」という図式が教師や社会全体にすり込まれ、教師も生きるために「眼を瞑った」というところが、真実の姿だと思います。そんな時代に、まともな道徳教育はあり得なかったし、あったとしてもアメリカ民主主義による「個人の尊重」や「人権の大切さ」ばかりで、日本人的な「歴史観に基づく道徳教育」は、少なくても50年以上は行われたかったのです。
政治家が最近になって、「教師の中には、道徳教育を疎かにしている者がいる!」と糾弾する声が上がりましたが、そうさせたのはだれなのか、考えて貰いたいものです。「戦争は政治の一手段」と言われるように、日本は、その政治に悉く敗れ、日本の社会と教育を崩壊させ、歴史を分断し、「さあ、新しい教育をやろう!」では、だれがついていくと言うのでしょうか。戦争に至る経緯については、日本にも相応の理由はありましたが、だからと言って、あの戦争の「戦略」は誉められたものではありません。「負けるために戦った」ようにさえ見えます。あれほど勇敢で強い兵隊を持ちながら、指導者層の作戦は悉く的外れで、単に消耗だけを強いる戦争でした。戦争に勝ち負けは付きものですが、勝てないまでも「負けない戦争」をする方法はあったのです。その戦争に敗れると、GHQの指令のままに社会は変革されてしまいました。「過去を清算する」という言い方がありますが、国が自国の歴史をすべて「清算」して、何が残るのでしょう。その結果が、今の日本人の姿なのです。親たちは、それでも、それぞれの「価値観」に基づいて子供を教育しましたが、それも、時代の流れや社会の風潮と共に消えていってしまいました。併せて、高度経済成長期になると、高校や大学への「進学熱」が高まり、みんなが「大学」に幻想を抱くようになったのです。
それでも大学進学率は高校の卒業生の20~30%程度で、大学生は「優秀な人たち」という見方がありました。
その頃には、大学紛争や過激派によるテロ事件、ハイジャック事件、浅間山荘事件と立て続けに社会を震撼させる事件が起き、首謀者が「大学生」や「大学卒」の人間だと知ると、皆が一様に驚きました。大学生は、まだまだ社会の「エリート」であり、そのエリートが無分別な凶悪事件を起こしたことが信じられなかったのです。その頃から、もう既に大学の実態は変質していたのですが、今以て、「幻想」を抱く大人たちがいることを思えば、思想や教育の恐ろしさがわかるというものです。日本人の「道徳的荒廃」は、この頃から既に始まっていたのですが、それに気づいて手を打とうとする者はいませんでした。気づいたときには、青少年による信じられないような事件が起こり、社会全体から「日本人らしさ」が消えかけていたのです。長い年月をかけて培ってきた先人たちの努力を、戦後の我々は、100年も持たせることができず、崩壊させてしまったとすれば、現代人の歴史に対する「罪は重い」と言わざるを得ません。令和の現在においても、過激派を容認するような雰囲気はあり、安倍元総理を暗殺した容疑者の男に支援する人間もいます。政治家を襲う事件は、明治以降も度々起こってますが、「社会に対する不満」が有力政治家に向けられるとすれば、政治家を志す人もいなくなるでしょう。学校の教師の志願者が激減したのも、社会の学校や教師に対する「無理解」が原因しているのです。私たちは、確かに、社会に対して「批判する眼」を持たなければならないことはわかります。しかし、その前提として、自分を「反省する」ところから始めなければなりません。その上で、批判するのは正しいことだと思いますが、自分の至らなさを反省することなく、「責任転嫁」のような態度は、建設的ではありません。こうして、優秀な人材が、日本の重要な地位に就かなくなると、国は何処に向かって進んで行くのでしょうか。
さて、それでもここに来て、小中学校で道徳を「教科」として教えることになったことは「幸い」でした。これまでのいい加減な指導が少なくなり、日本人としての大切な「価値」が子供たちに伝えられれば、未来の社会は明るい兆しが見えてくるかも知れません。しかし、これが「失敗」に終われば、日本に二度とまともな「道徳教育」が復活することはないでしょう。「道徳の価値」というものは、日本人の「歴史観」に基づく価値でなければなりません。そうでないなら、「道徳」という名を使用してはならないのです。「道徳」は、「徳の道」と書きます。徳とは、「仁徳」の徳です。その言葉を、学校教育に遣っている以上、道徳教育は、日本人のものでなければなりません。日本人の道徳観には、論語でいう「仁」の考えが根強くあります。「仁」には、「恭」「寛」「信」「敏」「恵」の五つの言葉に表されるといいますが、どれも日本人に愛されている言葉なのです。この言葉の下に「子」を付けてみればわかると思いますが、多くの日本人女性の名前になるはずです。それくらい、日本人は、生涯にわたって「仁」であろうと努力し、「仁に恥じる行動は、許せない」という思いが強いのです。だから、この道徳観なくして道徳教育は完成しないと思います。
次に、道徳の「授業」について考えてみたいと思います。そもそも、道徳の授業を軽んじてはならないのは、「心を育てる」ということだけでなく、「思考」の源を形成する最も重要な教科となり得るからです。現代の日本人は、「人間関係」を築くことを苦手としています。なぜなら、コンピュータ全盛時代が到来し、日本人が「会話」に費やす時間は大きく減ったからです。それは、おそらく世界中の人々に共通して言えることのような気がします。常に「スマホ」を持ち歩き、必要なことは「メール」で済ませてしまいます。活字離れも進み、本も読まなくなりました。わからないことは、人に尋ねるのではなく、「ネット」で調べるのが当たり前の風景です。確かに「情報」は瞬時に手に入りますが、会話のない「切り取った」情報だけでは、思考にはつながりません。すべての事象が単純化され、「YES」か「NO」で割り切ろうとします。この単純化された思考は、日本人から「曖昧さ」を排除し、「善」と「悪」、「白」と「黒」と言うように、「NOか黒」を突き付けられれば、社会から抹殺されかねない事態となっていくのです。今のネット上の人々の「コメント」は、よく分析されていて、並の専門家では「言い負かされてしまうのではないか」と思うくらい、論理的に評論されています。もちろん、中には単純な「誹謗中傷」コメントもありますが、それらは「無視」できるので、あまり気になりませんが、「なるほど…」と頷かされるレベルの高いコメントは、まさに「正論」なのです。しかし、その「正論」が主流となり、それから外れた行為はすべて「許されない」行為として見做されると、社会は「息苦しさ」を覚えることになります。家族関係においても、「夫婦、家族はこうあるべき」論では、お互いに気詰まりなのではないでしょうか。本当は、親しい関係においては、あまり「白黒」をはっきりさせることなく、多少の「緩さ」も容認していかないと、親しい関係もすぐに崩れていくような気がします。これを「甘い!」と指摘されればそれまでですが、世の中の「厳罰化」の流れは、経済の悪化とともに「息苦しさ」を感じるのは正直な感想です。
「道徳の授業」で肝腎なのは、その「価値」についての見極めだと思います。教師は、指導者でありながら、子供と一緒に考える「仲間」と捉える必要があります。なぜなら、長い歴史に基づいた道徳の価値を瞬時に悟り、実践している者などどこにもいないからです。だからといって、それを責めるものではありません。道徳は、すべてにおいて実践できるものではなく、「価値に気づく」「実践者でありたい」という気持ちが大事なのです。だから、子供に「道徳宣言」をさせてはならないし、教師もみだらに実践を強いてはいけないのです。このことを心しておかないと、道徳が「強制」になってしまい、「先生に言われたからやっている」では、道徳の授業の意味がなくなってしまいます。それでは、道徳の授業を如何にして行えばいいのでしょう。いつの時代でも、道徳の授業は、その価値に迫るための「題材」の用意が必要です。今では「教科書」がありますが、教科書は「主教材」ではありますが、「他の資料を使ってはいけないと」いうことではありません。但し、適切な資料を選ばなければなりませんので、そこは「慎重」を要します。教科書には、扱いたい「価値」に気づくような逸話があり、繰り返し読むことで、自然に考えるようになる工夫がされています。ここで、戦前の「修身科」の教科書の教材を紹介します。「修身」のなんたるかも知らず、「修身はだめだ!」では、評価も評論もできません。「戦争に負けた」から廃止されたとか、GHQが命じたから「だめなんだ」では、いつまでも「占領時代」の洗脳に縛られていることになります。教師は、「論理的思考」ができなければ、教壇に立つ資格がありません。自分の眼で確かめ、吟味する力がないまま子供に教材を「提供」するとなれば、だれが「道徳」を教えることができるのでしょう。そういう意味でも、「修身」の内容も知るべきなのです。
これは、当時の「5年生」の題材です。
【自立自営】
フランクリンは北アメリカの人にして、自立自営の心に富みたりき。その家、貧しくて、兄弟多かりしかば、10歳の時、学校を退き、家業の手助けを成したり。されど、学問を好む心深く、小使銭を蓄えて書物を買い、少しの暇にも、これを読みたり。12歳の時、兄の家に行きて、印刷業の職工となり、良く働きて、やがて、一人前の仕事を成すにいたれり。その間にも、暇あれば、書物を読むことを怠らざりき。16歳の時、兄の家を出でしが、生活の費用を倹約し書物を買い、時を惜しみて、これを読みたり。されば、よく、その職業を励みし間にも、学問を成すことを得たり。
さて、このベンジャミン・フランクリンは、「アメリカ建国の父」と呼ばれた人物です。こうした外国の「偉人」まで取り上げ、大切な価値を教えていたのです。日本人であろうが、外国人であろうが、「自立する」とは、どういうことかを考える良質な教材だと思います。アメリカだって、みんなが豊かだったわけではありません。それでも、学問を志し「読書」だけは忘れなかった逸話は、人間共通の真理だと思います。「戦前の教育」ということだけで、それを憎み。忌避する心を私は「美しい」とは思いません。いいものは、いつの時代でも、何処の国の人でも変わらないのです。戦争に負けたのは、政治が負けたのであって、国民の教育や道徳的価値とは無縁なものです。まして、その国の「歴史や文化」までが責任を負うものではないはずです。これを当時の5年生が学習していたことを考えれば、今の小学生にも十分に理解できるはずです。学習する上で大切なことは、①資料を繰り返して読む(予習)、②教師の話を聞く、③主人公になったつもりで考える、④感想を持ち、自分と比較する、⑤大切な価値について気づく、⑥価値についてひとりで考える、⑦仲間と話し合って考えを深める、⑧自分の考えをノートにまとめる、⑨教師の話を聞く、⑩もう一度資料を読み返す(復習)といった一連の「学習過程」が、思考を深め、道徳的価値に気づく基本なのです。道徳教育は、「価値の追究」にあります。「不易な価値」には、単純な正解はありません。だからこそ、「試行錯誤」を繰り返しながら、考えを深めていく必要があるのです。「道徳科」は、そういう意味で、真の学問を進めていくための入口になっているのです。「思考を深める」とは、「心を耕すこと」でもあることを忘れてはならないと思います。
第三節 AI時代(人工知能社会の到来)
日本の教育は、もう30年前に転換を図るべきでした。日本の高度経済成長期の成功体験が、日本の改革を疎かにしてしまったのかも知れません。確かに、戦後の復興を数十年で成し遂げ、一気に世界の経済大国にのし上がった日本の底力は、世界中が眼を見張りました。しかし、これは、日本人からしてみれば、当然の結果なのです。敗戦までの日本は、「国を護る」ためにとんでもない額の国家予算を必要としていました。明治維新以降、「富国強兵」に始まり、「朝鮮や台湾」の経営、はたまた「満州国」の建国と、凄まじい勢いで海外に進出していったことは歴史の事実です。現在の眼で見れば、とんでもない「領土拡大路線」にように見えますが、当時の世界情勢と国内事情を考えれば、やむを得ない部分があることはわかります。しかし、それによって、膨大な国家予算が海外に流れていったことも事実なのです。そして、それらは、欧米の「植民地政策」とは異なり、「同化政策」であったことから、その国や地域を「丸ごと面倒を見る」といった施策が、現地の人により反感を買う原因となったのだとすれば、皮肉な話です。日本人の場合は、時に「よかれ」と思ってやることが、「余計なお世話」になることがあり、割り切った考え方をする西洋人とは、考え方が根本的に違うのでしょう。その上、「戦費・軍事費」の増大問題がありました。陸海軍ともに、「日清、日露の戦い」の後、「中国」での長い戦い、そして「大東亜戦争」と国家予算は、国民の為というより、そんな「対外政策」に費やされていったのです。「敗戦」は、当然、未曾有の大惨事を引き起こしましたが、もし、戦争途中で「講和」が成って平和が訪れたとしても、賠償金の取れるような戦争ではありませんし、日本の海外での資産は、講和の条件として奪われた可能性の方が大きかったと思います。そうなると、たとえ「満州、朝鮮、台湾」が日本に残されたとしても、それを抱えながら復興ができたかどうか、疑わしい限りです。普通に考えれば、国庫に資金はなく、海外からの帰国者が増大することから、日本は10年以上は、その「後始末」に翻弄されたことでしょう。結局は、それらの国や地域は、早々に自立させ、独立して貰わなければ日本自体が危うくなるのは当然でした。それらの「負の遺産」を敗戦によってすべて手放したことで、日本は身軽になり、その上、日米安全保障条約の下で「軍事費」が大きく軽減されたことも、経済復興に邁進できた理由でもあったのです。まずは、そのことを覚えておかないと、日本の「未来」は語れないと思います。
「大東亜戦争」の敗戦は、残酷な事実ですが、それらの重荷をすべて卸し、国の復興と経済発展にだけ特化して政策を打てた日本政府は、「不幸中の幸いだ…」と喜びました。それは、その後の世界を見れば一目瞭然です。朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争とアメリカは次々と世界の紛争に参加して行きましたが、日本は、そのどれにも参加しませんでした。特に「朝鮮戦争」は、まさに日本が朝鮮半島から撤退した直後に勃発しました。中国では、国共内戦が終わり、蒋介石が率いる「国民党軍」が毛沢東率いる「共産党軍」に敗れると、台湾に逃れて行きました。そして、中国は一気に共産化し「中華人民共和国」が建国されたのです。アメリカは、不思議なことに、大東亜戦争中は「国民党軍」を支援して日本軍と戦わせ、日本が敗れると、掌を返したように「共産党軍」を支援し始めたのです。それは、まさに中国に「共産主義国」を誕生させたのは、アメリカ政府だという証拠にもなりました。そして、今度は、朝鮮戦争でアメリカはその中国と敵対関係になるのですから、国際情勢はわかりません。昔の日本であれば、「世界の強国」として、各国から参加するように要請され、アメリカのように意味のない戦争に多くの若者が動員されることになったでしょう。しかし、軍隊を「解体」されてしまった日本が軍を派遣することはできません。そのため、アメリカ軍は「国連軍」と称して、北朝鮮軍と中国義勇軍を相手に熾烈な戦いをせざるを得なかったのです。そして、北朝鮮の背後には「ソビエト連邦」付いて支援しており、結局、朝鮮半島は日本が支配していた時代と比べても混乱状態が続いており、今でも北朝鮮と韓国は戦争の「終結宣言」が出せずにいます。こうした責任は、すべて当時の「アメリカ政府」にあることを私たちは忘れてはならないのです。
戦争を「近視眼」で見てはいけません。戦争に敗れた日本は、物や人材を多く失いましたが、生き残った者たちの「知恵」や「技術」は確実に残りました。「戦後の復興」と言うので、戦後の教育を受けた人たちが奇跡の復興を成し遂げたように思われがちですが、それはまったく違います。日本は、連合国軍の占領を「7年間」も受け続けたのです。その間に、「まともな教育」が行われるはずがありません。すべてが「占領政策」の一環で行われていたことであり、日本や日本国民のことを考えて行われた政策ではないのです。混乱期だった日本は、教科書でさえ「GHQ」にとって都合の悪い部分は、すべて墨で塗らされました。ラジオからは、「真実」と称した占領軍の宣伝放送が流され、「大東亜戦争」と正式に呼ばれた戦争が、「太平洋戦争」と呼称するように命令され、今でも、有り難く使用しています。自信を失った「教師」の多くは、敗戦と同時に教職を去って行きました。今まで、「正義」だと信じて教えていたことが、一夜にしてひっくり返されれば、すべての「価値」は失われます。軍人は、「人殺し」となり、犠牲となった人たちは、「犬死」にと蔑まれました。これまでの敵は、「解放軍」となり、抑圧された日本人を解放した「天使の軍」となったのです。それを本気で信じる者は、いなかったでしょうが、それによって政治を変革された事実に変わりはありません。戦後の日本人は、それでも、一時の敗戦のショックから立ち直ろうとしていたのです。「もう、軍も政府も信用できない」、しかし、生きていかなければならなかった日本人は、働くことを止めることはできませんでした。それは、「生き残った者」の努めでもあったのです。
昭和25年からの「朝鮮戦争特需」で、日本は一気に回復の兆しを見せ始めました。結局、アメリカは、共産主義を「容認」し、グローバンル化の道を開かんと、それに抵抗する日本を叩き潰しましたが、その代わり、共産主義の勢力と矢面に立って戦わなければならなくなったのは、歴史の大いなる皮肉です。この頃になって、GHQ総司令官であった「マッカーサー」は、政府から罷免され不遇を囲う運命にあったのです。東京裁判を主宰し、絶対者として一時期日本に君臨した「偽国王」も、その美しく着飾った衣を、自分の国によってはぎ取られると、そこには寂しい老人の姿が残されました。最後の最後に、マッカーサーは、日本の戦争をこう評しました。昭和26年5月の米上下院合同会議での出来事でした。「日本は4つの小さい島々に8千万人近い人口を抱えていたことを理解しなければならない。日本の労働力は潜在的に量と質の両面で最良だ。彼らは工場を建設し、労働力を得たが、原料を持っていなかった。綿がない、羊毛がない、石油の産出がない、スズがない、ゴムがない、他にもないものばかりだった。その全てがアジアの海域に存在していた。もし原料供給を断ち切られたら1千万~1千2百万人の失業者が日本で発生するだろう。それを彼らは恐れた。従って日本を戦争に駆り立てた動機は、大部分が安全保障上の必要に迫られてのことだったのだ」と。マッカーサーは、日本を統治し、朝鮮戦争を直接戦ってみて、て初めて、日本の「真の状況」が理解できたのです。それは、地位も名誉も剥奪され、すべてを失った老人だから言える言葉でした。「安全保障上の必要に迫られてのことだった…」と言う発言は、大きいものがありましたが、もう戦争が終わって6年が経ち、それを大きく報道するマスコミもなく、政治家たちも黙殺しました。既に「マッカーサー」は、過去の人でしかなかったのです。戦争の原因は、様々ですが、日本が一方的に「侵略戦争」を行ったという事実は、まったくないのです。
こんなマッカーサーの言葉はともかく、 朝鮮戦争の勃発によって一気に日本の経済が回復したことは事実でした。そして、その中心となったのが、戦地から引き揚げてきた人たちだったのです。復員してきた元兵士たちは、とにかく強かった…。彼らには、占領軍の呪縛はありません。自分たちも強大な敵を前に、命を懸けて戦ってきたという自負は、だれもが心の奥に持っていました。強大な敵に怯むくらいなら、最初から逃げ出すでしょう。そんな敵と「対等」に渡り合い、多くの戦友を失った無念は、「日本の復興」という形で晴らそうとしていたことも事実なのです。私が子供の頃、家に親父世代が集まり、酒をよく飲んでいましたが、集まれば、「戦争話」はよく出たものです。「まあ、子供には、あまり聞かせられないが…」と前置きはしますが、その体験は、生き生きとしており、時折見せる涙も、負けた人間の涙ではなく、亡くなった戦友を弔う涙だったと思います。そんな男たちにとって「戦場」は、けっして「恥ずかしい場所」でなかったことだけは確かです。こうした馬力と情熱がある男たちが、国の復興を目指して、がむしゃらに働いたのが、昭和30年代でした。日本も「教育」の世界は別にして、社会全体は、戦争に対するタブー感も薄かったし、親が子に対する「げんこつ」も日常茶飯時のことでした。戦前の教育を受けてきた人たちの影響は、昭和全期に及んでいたと言って過言ではありません。「昭和天皇」がその地位にある限り、「昭和は昭和」だったというこのなのでしょう。
実際に「戦後の教育」が動き出したのは、占領終了後の昭和30年に入ってからのことです。この世代が、第一線の幹部として経済の最前線に立つのは、実は平成に入ってからのことなのです。だから、昭和と「平成以降」は、ちょうど時代の転換期にあたり、あまり連続的に見ていくと大きな誤解を生じる危険性があります。平成はその始まりととともに「バブル景気」が弾け、長い「停滞期」に入った時代と言われています。「バブル景気」という珍現象も、所詮は、戦後民主主義がもたらした「あだ花」とでも、いうような幻影でした。どこに価値があるのかもわからない「不動産」に天文学的な高値がつき、金が金を生み出す幻は、到底、日本人が生み出したものとは考えられません。日本人は、物を生産して経済を回していた経験しかなかったものが、「投機」といった「不労所得」で儲けようと言うのですから、まさに「バブル」です。今でも「株への投資」が盛んに行われていますが、日本人の感性には合わない気がします。とにかく、昭和の終わりと共に、バブル経済も終焉を迎えました。それは、恰も「天罰」でも下ったかのような勢いで、膨らんだ景気は、一気に萎んでいったのです。そして、平成の30年間は、特に日本は、世界から注目されることもなく、中国や韓国などのアジア諸国の台頭に驚き、企業が、アジア諸国に工場を移転させるなど、「グローバル」という言葉に惑わされるようにして、世界の波に翻弄されてきました。昭和の時代は、「技術大国日本」といわれ、最新技術は日本が第一人者を自負していました。ところが、バブル景気で浮かれているうちに諸外国に追い越され、コンピュータにしても、ロボット、人工知能などの最新分野においても、日本は、国際競争に勝てなくなりました。こうして、「ものつくり日本」の力は、弱体化していったのです。
この戦後教育を受けた世代にバトンが渡された塗炭に、こうした状況になったは、どういうわけでしょうか。バブルが弾け「山一証券」という会社が倒産したとき、当時の社長が、「社員は、悪くありませんから!」と、記者会見の席で号泣しながら訴えた姿は立派でしたが、彼も「バブル」という幻影に踊らされ破滅した一人です。もし、バブルのような状況が起こらなければ、きっと立派な経営者として後世に名を残したかも知れません。それでも、倒産の責任を「社員」に押し付けなかったのは立派な態度でした。その後、彼は多くの社員の「再就職」のために奔走した話は有名です。彼もバブル景気を。心の中では「おかしい?」と思いながらも、会社の成長に目が眩み、本質を忘れた結果、「倒産」という憂き目に遭ったのでしょう。あの涙は、その「後悔の涙」だったに違いありません。しかし、令和の時代になると、多くの企業の謝罪会見が開かれますが、いつも、経営者は、「人ごと」のように淡々と原稿を読んで、頭を下げてみせるのみです。「仕方ないから、謝罪でもするか…」といった態度で、記者会見もインパクトがなくなりました。もう、戦後生まれの経営者に、あの山一の社長のような熱い「情」を持った人間はいなくなったということなのでしょう。こうしてみると、簡単に結論づけることはできませんが、戦後の教育が、「戦前の教育」より優れているという評価は、今の時点では下すことはできないと思います。
さて、これから迎えるであろう「AI時代」を日本人はどう乗り切ればいいのでしょうか。具体的な答えを示した人はいません。それは、日本社会が「AI」に馴染んでいないからです。もし、これが日本の「発明品」であれば、日本人はそれらの道具を上手に使いこなしたと思います。今の社会で日常的に使われている「パソコン」も「スマホ」も所詮は、外国で作られた「発明品」です。発明された国の人には使い易い道具であっても、他国の人間には「戸惑う」ことばかりです。その進化の速度も速く、「道具を使う」というよりも「道具に使われる」といった状態になっています。「新しい時代だから仕方がない…」とは思っていますが、「便利だから、進んで使いたい…」とは思っていません。この思考にも「世代間ギャップ」があるように思います。ところで、今の日本人のほとんどは、戦後世代になります。そして、企業等の経営に携わる人たちも、「東京オリンピック」世代でしょう。「高度経済成長期」に生まれ、勉強して大学に入り、青春を謳歌して企業に入社した世代です。そのころは、企業も安定期に入っており、昭和20年代のようにがむしゃらに働く時代は、終わっていました。むしろ、「レジャー」や「スポーツ」を楽しむ余裕もでき、社会全体が高度経済成長を謳歌していたのです。このころの日本は、その技術力を生かして、その販路を世界中に広げ、経済は右肩上がりでした。家庭にも余裕が生まれ、子供への「投資」が増え、学習塾が盛んになったのも、昭和後期のことでした。それが、昭和の終焉とともに、バブルと言われた好景気が一瞬にして萎んでしまったのです。
マネーゲームのような、不動産投資や株への投資など、「金が金を生む」ような異常事態は、日本人の経済感覚を狂わせてしまったのかも知れません。すると、今度は、企業は、生き残るために、その利益を社会に還元することなく貯め込み(内部留保)、効率化の名の下に大量の「リストラ」が行われるようになっていきました。戦後教育を受けてきた世代は、それに巻き込まれた世代でもあるのです。その上、政府が打ち出した「構造改革」によって、「社員優先」の慣行もなくなり「株主優先」の企業経営になっていったのです。これは、日本政府がアメリカ政府からの圧力に屈した結果であり、日本人が日本の将来のために「選択」した道ではありませんでした。戦後の日本経済が発展した理由のひとつに「家族主義」が挙げられます。「会社は家で、社員は家族」という考え方です。そのために、「右肩上がりの賃金」と「終身雇用制度」「退職金制度」「年金制度」と、とにかく、まじめに働けば一生の暮らしは保障されたのです。だからこそ、学校教育においても、「集団生活に順応出来ること」「まじめに勉強すること」「教師や親の言うことはよく聞くこと」「いい学校に入ること」「いい会社に入ること」が奨励されたのです。この「生涯の方程式」が機能している間は、日本人は「勤勉」で、まじめな「家庭生活」を送ることで「幸せ」を感じていたのです。ところが、これらの「社会体制」がアメリカの圧力によって「規制緩和」の名の下に崩壊していきました。賃金は上がらず、終身雇用や退職金もなくなり、年金も支給年齢が遅れるばかりです。今や、「まじめ」に働いても、一生の暮らしはまったく保障されません。そして、その結果、日本には大きな「格差社会」がもたらされたのです。
学校は、こうした社会の影響をもろに受ける機関です。教師の指導は、こうした「社会体制」が今後も維持されることを前提に行われており、それを信じる子供たちは、近い将来、それを「実感」するはずだったのです。しかし、それは「幻」となってしまいました。成人してまじめに働いても賃金は上がらず、雇用も不安定なままです。「転職」をしようにも、企業の「ブラック化問題」や「能力主義」の壁に阻まれ、思うようには行きません。今や、企業で働く多くの人は、「契約」や「派遣」という不安定な形での雇用で、いつの間にか「家族主義」の企業は、なくなってしまいました。それ以上に、グローバル化の影響で、各企業の生産拠点が海外に移ると、日本人の雇用が国内に生まれなくなります。政府も企業経営者も「それをよし!」とする風潮があり、日本人らしい「思いやり」や「温かさ」などは、いつの間にか消えてしまったのです。それもこれも、国が「グローバル化」の波に乗り遅れないようにするためでした。
そのグローバル化も近年怪しくなり、国際情勢は混沌としているのが現代です。そこに登場してきたのが、「AI」です。確かに「小型コンピュータ」の登場以来、世界は急速にコンピュータ化して行きました。今や、「スマホ(スマートフォン)」を持たない国民は少数です。と言うより、スマホくらいは使えないと「生活」にさえ支障を来す時代になってしまったのです。「流行」が流行を生み、国民が常に「スマホ」という小型コンピュータを操作しなければ日常生活が送れない…ところまで、コンピュータは世界を席巻、人間の生活を大きく変えてしまいました。少なくても後10年で「AI」が社会の中枢に座ることになるだろうとまで言われています。世間では、「人間がAIを使いこなす」と簡単に言いますが、それはあり得ない話です。AIは「人工知能」なのです。それも学習する知能です。学習をしない人間と学習する人工知能が競えば、すべてにおいてAIが上回るのは、眼に見えています。「使いこなす…」と言いますが、膨大な情報を得たAIがはじき出した答えを論理的に論破できる人間などあり得ないでしょう。ときどき、囲碁や将棋の世界で「AIと対決する」みたいな企画がありますが、余程の天才でもAIには勝てないようです。最初の数回は勝っても、学習したAIは衰えも疲れも知りません。いずれは、人間の「天才」を超え、世界一に君臨するのです。そのくらい、AIが持つ能力は「無限大」なのです。
今だって、なぜ「学歴社会」が信仰のように日本社会に根付いたのかと言えば、「知識を多く持つ者ほど、優秀だ!」という仮説から、生み出されたのです。そうであるなら、「AI」は、最高の「頭脳(知識・思考力・洞察力・分析力等)」を持つ機械ということになります。それは、人間の能力を超えるものであり、それを否定したところで、AIの弾き出す「客観的なデータ」は、間違いなく正しいと思います。そうなれば、社会は「AI」の判断で、動くことになるのです。どんなときも、「AIが、言うには…」「AIの分析では…」「AIによる確率では…」と言うように、すべての判断基準はAIに頼るしかなくなるのが現実的です。そうなったとき、日本人は、何をすればいいのでしょうか。そして、何ができるのか、今から考えておく必要があるはずです。今でも「ビッグデータ」を活用している企業は多いと思います。もう、人間の「勘や経験」など、何の価値もないように見えてしまいます。しかし、唯一、AIに人間が勝てるとすれば、それは「情緒(心)」でしょう。「情緒(心情)」的なことは、まだ、今のAIには、情報としてインプットすることはできないかも知れません。但し、今から50年も過ぎれば、それはわかりません。情緒をプログラミングできる方法さえ見つかれば「AI」は、自分で進化し、情緒すらも計算に組み込むことができるようになるはずです。そうなれば、人間の「能力」は、まったく不要になるのです。
人間が「AIを使う」時代から、AIだけで社会を動かせるようになったとしたら…、人間は何をして働けばいいのでしょうか。しかし、それでも「情緒(心)」だけは、人間にだけ備わった能力だと信じたいと思います。
一時期、日本でも「マニュアル」と言う言葉が流行し、何でもマニュアル化すれば事故は起きないとか、失敗はなくなる…などと言われ、様々な企業が採り入れたことがありました。よく、新人に、「いいから、マニュアルを覚えて、その通りにやれ!」と命じる上司がいたそうですが、その上司も完全にマニュアル化したロボットだったのです。しかし、今、それを前面に出す企業はありません。なぜなら、マニュアル化してしまえば「どこも一緒」だからです。たとえば、こんな話がありました。「ファミリーレストラン」が流行っていた頃、どこの店に入っても、同じようなメニューが並び、店員も同じように、「ようこそ、○○(店名)へ」と言って、メニューを差し出し、注文を取りました。しかし、提供される食材のことを聞いても、何も知らなかったのです。腰の屈め方も頭を下げる角度も、皿の置き方も完璧でしたが、それは、どこのレストランでも同じでした。しかし、「高級レストラン」に予約して伺うと、それは、まったく異なる世界があったのです。「ようこそ、○○様」という挨拶から始まり、普通に声をかけても笑顔で答え、天気の話から今日の出来事まで、にこやかに、そしてさりげなく食事を楽しませてくれました。どうやら、ここには、ロボットのようなマニュアルはないように見えたものです。そのうち、世の中からマニュアルが消え、ファミリーレストランも、独自色を出すようになったと思います。人間は機械ではありません。心の通う人間同士の関わりが「人間社会」を豊かなものにしているのです。もし、AIが人間の代わりになったとして、その「人間らしい関わり」方ができるでしょうか。もし、人間の能力が低下してAIロボットに取って代わられるとしたら、やはり、そこには「人間」の質の低下があると言うことなのでしょう。
人間は、本来、欲深い生き物です。人よりいい暮らし。人より優秀な能力。人より豊かな生活。人より特別な扱い…。こうした欲求があるからこそ、人類は進歩し続けてきたのです。だから、何でもマニュアル化し「金太郎飴」のような商品を売っても、低価格でなければだれも買わないのは、当たり前です。最近は、「差別化の時代」と呼ばれる時代になりました。「これが売れる」のではありません。「この商品が売れる」のです。今や、理髪店でも、街中のレストランでも、デパートでも、その人物に応じた対応を考えてくれるようになりました。それは、「常連客」になればなるほど色濃くなり、来店したとき、「○○様」と個人名で呼んでくれるときほど、喜びに感じることはないはずです。そして、「前回は、これでしたので、今回は、こんな感じでは如何ですか?」と尋ねられて、嬉しくなるのも「人情」というものでしょう。それが、「情緒」ではないのか…と思います。人間の脳に刻み込まれる記憶量は、AIに比べれば比較にもなりません。だからこそ、AI搭載のロボットに名前を呼ばれても、そんなに嬉しくもありませんが、たまに入る高級店で、「○○様、お久しぶりです」と言って貰えれば、「たくさんの客の中から、よく自分の名前を覚えてくれていたものだ」と感心するだけでなく、親近感も覚えるはずなのです。だからこそ、「情緒」は、AIを超えることができるのだと思います。
第四節 AIを超える教育
その「AI」を使ってAIを超える教育を行うことができれば、日本は、戦前の教育を超え、高度経済成長以上の成長を成し遂げ、国際社会をリードする国となれるはずです。世界は、未だコンピュータという「技術革新」に酔っている状態です。確かに、その「先進性」は目覚ましく、これからの社会にAIは、必要不可欠なものになるでしょう。しかし、それによる弊害が出てくるのも当然なのです。日本人は、世論に非常に敏感な国民性があります。簡単に言えば、「流行に流されやすい」「人のことが気になる」国民性なのでしょう。やはり、農耕民族は、狩猟民族のように単純な「強さ」ばかりは求めません。強さよりも柔軟な「強かさ」の方を好む傾向にあります。強さは、見た目で判断できますが、強かさは、隠された強さでもあります。それは、「賢さ」と言ってもいいかも知れません。それに、「農耕民族」は、強いだけでは生きてはいけないのです。「知恵」を巡らせて、人々を「自然災害」という危難から救わなければならないからです。そのためには、人が「筋トレ」をしている間に、どれだけ本が読めるかにかかっています。数百、数千、数万冊と本を読み、「知識と知恵」を身につけ、「強か」に生きられれば、日本人は、他国から貶められることはなくなるはずです。そのためには、日本の教育を大きく変えなければなりません。それは、次の六つの改革で日本の100年後の未来が見えてくると思います。
(1)教育の目的を「人格の完成」と「社会への貢献」とする。
(2)個性・能力に応じた教育システムを作る。
(3)徹底した高等教育を行う。
(4)国語教育を教育の柱とする。
(5)道徳教育を、国民全員が学ぶ。
(6)子供は親が育てることを基本とする。
(1)の「教育の目的」については、教育基本法に「人格の完成」とありますが、それに追加して「社会への貢献」を挙げたいと思います。確かに教育は「人格」、つまり人間としての資質を高めることに目的があるにしても、「完成」することがあり得るのだろうか…という疑問が残ります。
「目的なのだから、達成しなくてもよい…」と言う意見はあると思いますが、達成不可能な目的は、目的になりません。そもそも、「人格が完成」できるような教育システムがあるのなら、提示して欲しいものです。「教育システム」は、その時代、時代に応じて適切でものでなければならないはずですが、GHQ時代に作られた「6・3・3制」が改善を加えられることなく、今も尚、日本の体制だとするところに無理があるのです。たとえ、社会に定着した制度だとしても、「改善」する気持ちがなければ、「時代の要請」に応えることはできません。やはり、「単線型」の学校体系ではなく、旧来の「複線型」に戻し、多様な「学ぶ機会」が保障されるようなシステムが求められます。しかし、もう一方で「社会への貢献」が入れば、「人格の完成」にも意味が出てきます。どんなに学問をしても、「己のため」だけにしか使わなければ、学問をする意味がありません。「陽明学」には、「知行合一」という言葉がありますが、「学んだことを生かさなければ、学問とは言えない」という真理は、不易なものです。「人格」を磨くことによって、「社会に貢献」につながる「学び」が奨励されれば、日本人の多くは「目的」を見失うことなく、人として恥ずかしくない人生を歩むことができると思います。「世のため、人のため」こそが、人間を奮い立たせる根幹だと私は思います。
次に、(2)の「個性・能力」に応じた「教育システム」を作らなければ、国民の能力を引き出す術はありません。今のように数百万人に上るような「引き籠もり」は異常であり、日本の教育が失敗している証なのです。完成された社会であれば、そのシステムに合致できる「人材育成」が必要になりますが、この世の中で「完成された社会」など、歴史上見たことがありません。先進国の多くは、「民主主義」「資本主義」の政治形態で国を治めていますが、これも、完成された政治体制ではありません。逆に、未だに「共産主義」「反資本主義」が残るのも、完成された政治システムがないからです。だからこそ、人間は常に「悩み」、新しい体制づくりを模索しますが、今のところ「民主主義・資本主義」体制以外には見つからないようです。戦後の日本の「高度経済成長期」には、「大量生産システム」が効率的な成果を生みました。そのためには、社会の「歯車」として、「従順で生真面目な人材」が必要でした。「学力」としては、高校程度の内容が理解できれば、工場勤務者としては合格です。「オートメーション化」されつつあった工場では、決まった作業を的確に行う「我慢強さ」や、会社の命令に「服従」できる人間は、企業として扱い易く、そういった社員が「優秀」とされたのです。
この時代は、一つの会社を「家庭」と同じように扱い、退職後の面倒もよく見てくれました。社員の多くは、「社宅」と呼ばれた集合住宅に住み、衣食住すべてが会社によって賄われていたのです。大人たちは、「会社内での評価」がすべてであり、「個性」は逆に不必要なものになりました。したがって、学校も厳しい「管理体制」を敷き、子供に制服を着せ、日常のすべてを管理することで、統制を行ったのです。この時代は、「没個性」こそが絶対的な価値だったのかも知れません。戦前、軍や政治に関わった人たちにとって、それは戦前に行おうとしていた「社会統制」の見本のようなものでした。日本人の頭は、たとえ敗戦になり、連合国軍の占領期を過ごしても、それほど大きく変わらなかったのでしょう。だれもがGHQや政府のやることに批判はしませんでしたが、心の中まで忖度することはできません。「戦時統制」を経験した日本人は、一番「効率的」な管理方法を学んでいたのです。実は、「敗戦」によって覆されたのは「社会体制」であって、日本人の「頭の中」は、「戦時体制を維持していた」と言っても過言ではないのかも知れません。そして、日本人は「世界の工場」として、低賃金にも関わらず、勤勉で、時間外労働も厭わずに働きました。戦争ですべてを焼き尽くされた日本人は、働けること自体が「喜び」だったのです。働くことで、「生きている」ことが、実感できたのです。その上、家庭を持つこともできました。妻や子もいます。戦死した戦友に対して「すまない…」という気持ちを持ちながら、家庭生活を営むことは、この時代の「夢」だったのです。
働いていれば、賃金も少しずつ上がり、「社会の発展が自分の豊かさだ…」と実感することもできました。こうした時代に「競争」する対象は、自分の「出世」と子供の「進学」だけでになってしまったような気がします。当時の教育には、「個性」はいりません。あのころ、「個性」などという言葉を聞いたこともありませんから、教師や大人たちに「個性尊重」の意識など、あるはずもなかったのです。そして、「詰め込み」でも何でも、「過去問」が解ければ、どんな「大学」にも入ることができました。医学部でも法学部でも、常に「偏差値」を基準にして子供の進学先を決めて行ったのです。大切なのは「知識」の量ですから、記憶力のいい子供は有利で、周囲から「頭がいい」と言われて期待されて育ったのです。そんな場に、個性などはいりません。「個性」などと言う「怪しい資質」は、「強い兵隊」になるには、不要なものだったのです。敗戦によって、軍が解体されても、「兵隊を作るシステム」は残されたということです。だから、社会では猛烈に働くサラリーマンを「企業戦士」と呼び、優秀な「現代の戦士」になることを期待しました。これでは、戦前の思考と何も違いがありません。「兵隊」が「サラリーマン」に代わっただけのことです。だから、学校でも、子供を鍛えるために「体罰」は当然のように行われ、親も子供が学校で「殴られる」ことを当然と受け止めていました。残念ながら、これでは、「個性」が育つことはありません。
ある学者は、「個性などと言うものは、ほっといても出てくるものだ…」と言いましたが、個性を潰されて、泣く泣く社会に迎合した人だって多くいたはずです。そして、その個性を生かす仕事もなく、日本人が感性を磨く機会は、その後もしばらくは訪れることはありませんでした。学校教育も、そうした社会の影響を強く受けます。私も子供のころ、好きな本を読んだり、好きなことに没頭していると、教師や親から、「そんなことをしていて、何になる?」と言って咎められました。つまり、「何になる?」とは、「社会で使えないものは、無駄だから止めろ!」という意味です。意味があるものは、「勉強」だけで、それ以外のものは「無駄」に見えたのでしょう。そして、自分たちの生き方が「最善」だと自信を持っていたのだと思います。戦争中は、「強い兵隊になる」ことが「善」であり、戦後は、「強いサラリーマンになる」ことが「善」だったのです。そうした考えが、今、大きな「つけ」として社会に回されてきているのです。
今、政府でも学校でも「個性を伸ばす」という言葉が叫ばれていますが、学校制度そのものが個性を発揮しにくい制度である以上、かけ声だけが大きくても実現は難しいと思います。それでも、学校を離れた場所で技能を磨いた若者たちが、世に出てくるようになりました。それは、まだ「スポーツや芸術の分野」がほとんどですが、学校以外の「学びの場」を奨励すれば、文学や科学の分野においても、必ず、「個性豊かな人材」が出てくるはずです。今の子供たちも常に周囲の眼を気にして過ごしています。少し前に、「KY(空気が読めない人)」という若者言葉が話題になりましたが、今時の若い人でさえ「空気」、つまり、「周囲に合わせる」ことに苦労しているのだ…ということがわかりました。自分が思っていることを口にするのではなく、周囲の雰囲気に合わせて行動し、「仲間はずれ」にならないように気を配っているとすれば、それは、それで大変なことだと思います。それでは、あまり「個性的」とは言えません。若者のファッションや言動は個性的に見えても、中味は周囲に合わせている(流行)だけのことで、「自分らしさ」が発揮できているわけでもないのです。それなら、昔も同じです。「みんながやるから、自分もやる」という時代は、いいか悪いかを考えるのではなく、単純に「周囲に合わせている」だけのことです。それが「戦争」だったと思うと、日本人の感覚は、何も変わっていないことに気づかされます。一人では何もできないけれど、仲間が多く集まれば「できる」ことを、個性とは言いません。日本の「個性尊重」型の教育も、なかなか軌道に乗るまでには相当の時間がかかりそうです。そして、それに合わせて、学校制度も早く「複線型」の体系になるよう期待します。
三つ目に、(3)徹底した「高等教育」を行うことだと思います。高等学校は、早く「専門型教育機関」に変え、「普通科」を今の三分の一程度まで減じ、その分、工業、商業、農業、漁業、林業の最新技術を学ぶ教育機関とし再生するべきです。時代のニーズに合わせて、料理やデザイン、陶芸や木工などの技術者養成に特化した学校があってもいいではないでしょうか。そうすれば、子供たちの「ニーズ」に応じた「専門教育機関」へと変わり、子供たちも意欲的になり、教師たちもさらに研修を積む、よい循環が生まれると思います。大学も、今の三分の一は、「単科大学」へと移行させ、徹底した「高度専門教育」を実施すべきです。今のような中途半端な「学部」は不要です。そして、大学入試制度も「入学資格試験」を実施の上、入学後も徹底した「専門教育」を施すべきです。「入学試験」には、その専門課程の「経験度」をレポートにして提出させ、その生徒の「意欲」を見る方法もあります。とにかく、受験生の意欲を加味しながらの試験制度がいいと思います。そのためには、研究も碌にしない大学教員も「資格試験」を実施し、「評価C以下」の教員は、大学での教員資格を剥奪してもよいでしょう。大学教員にも学生や保護者の「評価」も実施し、専門教育を施せない人間を排除すべきだと思います。そして、卒業試験は、かなり専門的な内容を問い、「卒業認定」の他に「専門資格」を授与すれば、その学生の大学時代の努力の成果がきちんと評価されるはずです。申し訳ないが、サークル活動やボランティア活動は、大学生の勉強としては非常に不満です。それよりも、きちんと「学生の本分」を果たして欲しいと思います。
そうなれば、企業も「新卒」などという横並びの採用制度を採る必要がなくなります。今のように大学生を「青田買い」するのは、彼らが企業の「戦力」として実力が乏しいからです。もし、大学で徹底的に学問に打ち込み、卒業資格の「難易度」が高ければ、彼らは即戦力になるはずです。「大学で、これだけ学んできた人材を是非とも欲しい」となれば、時期など関係ありません。そうなれば、大学生も「就職活動」などに力を入れなくても、卒業ギリギリまで研究に励めばいいのです。そして、卒業認定と「専門資格」を得た優秀な人間を、随時、企業は採用すればいいのです。4月でも8月でも、11月でも、採用月はどこでもいいはずです。学生によっては、「後、1年は研究を続けたい」という者もいるはずです。それほど有為な研究であれば、企業はその時点で「採用」として、その研究そのものを「仕事」として認め、給与を払えばいいのではないでしょうか。また、たとえ卒業した元大学生も、自分の「スキルアップ」を目指して「転職」を繰り返しても、それは、社会にとっては非常に有効な方法です。一人の優秀な人材を一企業が抱え込むのではなく、「日本の人材」として遇するならば、日本企業は発展していくことでしょう。
これからの人材は、日本人特有の「調整型」の人間ではありません。個性が強かろうが、その企業にとって「有能な人材」でありさえすれば、企業は間違いなく発展します。それを「調整型」の人間だけで企業を経営していこうとしても、発想も能力も「平凡」であれば、その企業が造る製品も「平凡」と言う他はありません。そうした企業は、社会から淘汰されるだけなのです。これからの人間は、「AI」と言う、とてつもない「化け物」と競争していかなければならないのです。人間も、その能力を最大限に発揮できる環境を整えなければなりません。そして、社会のこれまでの「評価」を改め、「本物の能力を持つ人間の育成」に邁進しなければならないと思います。学校教育においては、これまでの「学校」のあり方を改め、「学校設立基準」を大幅に緩和し、民間の活力を生かすことが賢明な方法です。今では、「フリースクール」や「通信制高校」も学校として認可されるようになってきましたが、「大手学習塾」経営企業等にも呼びかけ、学校設立を促すべきです。そして、政府が「学習指導要領」等で厳しく管理することを止め、教育の「オープン化」を図ることで、日本の教育は戦前のように「自由化教育」が誕生してくると思います。そして、特に優秀な「ギルト」と呼ばれる子供たちへの支援を行い、22世紀の未来を見据えた教育が行われれば、もう一度、「日本の復活」が近づいてくると思います。
四つ目に、(4)「国語教育」を教育の「柱」とすることです。今の教育は、学校だけにその責任を負わせようとしています。「道徳心」が弱いとなれば、学校で道徳教育を充実させようとし、「英語力」が不足すると言えば、やはり外国語を教科化して学校で指導させようとします。「いじめ」が起こると、「子供はいじめをしてはならない」と法律で定め、「学校で指導せよ!」と命じるばかりです。この日本の教育の考え方自体に問題があるのに、多くの国民も政治家もそのことに気がつきません。いや、気がついたとしても、それを「口」にしないのが、今の時代の風潮なのかも知れません。だれもが承知しているように、「子供」は、学校だけで育つわけではないのです。
その生活の大半を「家庭」で過ごし、放課後や休日ともなれば「地域」で過ごすのです。それを「教育は、学校でするものだ!」と言う勝手な思い込みが、日本の社会を脆弱にしていったことは間違いありません。国は、もっと真剣になって「国民」を育てなければならないのです。政治家が選挙のたび毎に、「子供は、国の宝だ!」と言うのなら、国民みんなで子供を育てる「法案」でも作ればいいではないか…とさえ思います。ところが、日本政府は教育に予算を使うことを嫌い、今の「学校ブラック化」問題が出てきても、だれも真剣に取り組もうとはしません。要するに、国民にとって「教育」は、重要な施策だと考えていないのです。「教育を学校だけに任せるな!」「もっと、家庭の教育力をつけろ!」「地域で子供を育てるんだ!」…。こんなメッセージを発する政治家は出て来ないのでしょうか。
「国語教育」も同じです。学校だけで、国語の時間を増やしたところで、家庭に帰れば、乱暴な言葉でしか話のできない大人は、たくさんいます。「児童虐待」がこれほど増加したのも、「物事を単純にしか捉えることができない大人」が増えたからだと思います。物事を単純化する手法は、マスコミが得意ですが、「新聞の見出し」や「ニュースのテロップ」など、物事を単純化して視聴者に届けますが、考えることが苦手な人は、説明を聞くことが苦手で、すぐに「答え」を求めたがります。今の「スマホ」もその典型でしょう。ちょっと、わからないことがあると、すぐに「スマホ」の検索機能を使って調べ、納得してしまいます。あまり、そこに行くまでの「過程」や「事情」を考えることをせずに、「ああ、そうなんだ…」と納得し、次の瞬間には次の話題に移っていきます。こうした思考の人間は、職場で注意を受けても、素直に聞くことができず、すぐに「ウザい」のひと言で、働くのを辞めてしまいがちです。こうした単純思考の人間が「親」になると、家庭内はなかなか落ち着きません。親になっても、子供の「発達段階」を知らず、いつも苛立ち、暴言を吐き、子供に暴力を振るいます。子供が反抗的な態度に出れば、すぐに頭に血が上り、暴力で子供の考えを封じ込めようとします。子供にどんな「正義」があっても、単純思考の大人には通用しません。子供のころから、碌に勉強もせず、経験もしないまま大人になり、親になった人間を教えられる人はいないでしょう。社会は、だれもが納得できる「ルール」に基づいて成り立っていますが、その「約束」がわからない大人は、如何にして教育することができるのでしょう。できることは、そうならない前の「子供時代」にしっかりとした「教育」を授けるべきなのです。
最近の日本の社会は、間違いなく「日本人の劣化」が起きていると思います。国会では、いつの子供の「非行」問題や「いじめ」問題、「学力」問題、「道徳」などが取り上げられますが、大人の話になると、だれも批判的な議論をしたがりません。もちろん、「選挙権」のある成人に対して遠慮していることはわかりますが、日本人はかなり「深刻な問題」を抱えています。たとえば、「生活保護」や「8050問題」などは、特徴的な問題ですが、社会で起きている「事件」も、「まさか?」の連続です。「地位も名誉もある人が、こんな破廉恥な事件を起こすのか?」といった報道もあり、大人がしっかりと「子供の手本」にはなっていないようです。大人の「言葉遣い」もかなり酷く、「美しい日本語」は何処に行ってしまったのでしょうか。その上、「子供の人権」と言いながら、この国は、子供の人権が守られたためしがありません。これだけ「児童虐待」が増え、「こども食堂」なる支援活動が増加している中で、一体、子供のことを本気で考えているのでしょうか。最早、子供を「親」だけに委ねるのは危険すぎます。それを言うと、いつも「親権」の話になりますが、日本は「親権」が強すぎるために、行政等が動くことを阻んでいるのが実状です。家庭での「子供の人権」を守るためにも、「大人への指導」が、欠かせない段階に来ていることを理解するべきです。それもこれも、「日本語力」の低下が原因のひとつではないか…と私は考えています。
子供の頃から、本も読む習慣もなく、「遊び」と言えばテレビゲームで遊ぶしかなく、家族の会話もなく、家庭での愛情を感じたこともない…そんな状況にある子供が日本にはたくさんいます。文句のひとつも言えば殴られ、怒鳴られ、虐げられて生きているのです。これが、現実の子供の置かれている状況なのです。そんな子供たちをだれが守ってくれるというのでしょうか。教育というものは、今の人たちが求めるような「即効性」があるものではありません。100年やってきた教育が、次の世紀に「華開く」のが教育というものでしょう。日本も、明治、大正、昭和前期と続いた教育は、昭和30年代になって開花し、日本の「高度経済成長」を支えました。しかし、その効果も、平成、令和と続くうちに劣化し、今の日本を支えているのは、GHQが行った「戦後教育」を受けてきた人たちです。その結果、日本経済は諸外国の勢力によって空洞化し、あの「半導体」という日本独自の産業まで手放す事態に陥ったのです。今や、昭和の時代に大活躍した企業は斜陽の時を迎え、新しい新興産業(ベンチャー)が芽生え始めています。後10年もすれば、日本の経済界は大きく様変わりしていることでしょう。それを支えるのは、今の「若者」世代です。彼らは、既に日本の教育界を見限っています。学校での勉強は程々にして、自分の趣味や世界で生きようとしています。親や教師が既存の「価値」を押し付けようとしても、賢い若者は、だれもそんな「古びた価値」を信じてはいません。自分の頭で考え、自分で判断して行動しようとしているのです。だから、彼らは、自分で必要だと思うことを勉強し、自分で自分を「鍛える」方法を知っているのです。それは、彼ら自身が「戦後世代」ではない証拠でもあります。「自分には何の関係もない戦争に巻き込まれるのはご免だ!」という意識が彼らにはあります。いくら、「昔、日本は悪いことをした」と言われても、「そんなの関係ない!」と言い切れるのが若者たちだと言うことです。
「国語教育」は、国の根幹を為す教育です。「国語は文化」という言葉があるように、国語(日本語)を疎かにした国民に明るい未来はありません。おそらく、グローバリズムに冒された人たちは、「国語より英語を学べ!」と言いたいのでしょうが、それは、日本人でありながら「国際人」になると言うことです。これこそが、まさに「グローバリスト」の誕生でしょう。そして、日本の中の「国際人」たちによって、日本という国を「解体」しようという企みに他なりません。以前、総理大臣を務めた有名な政治家が、「友愛の海をつくる」と言って、中国や韓国に「謝罪外交」を繰り返した人物がいましたが、彼こそが、真の「国際人(グローバリスト)」だったと思います。常に「日本」を外国の下に置き、「友好(愛)のためなら、土下座でも何でもする」といった姿勢は、多くの国民を呆れさせました。もし、そうした国民を創れば、間違いなく日本は、中国の「一州」になれるでしょう。今のチベットやウィグルのような属国になり、中国共産党の命令に従う国として存続していくのです。政府が言う「グローバル化」とは、そういう意味だということを私たちは知らなければなりません。だから、日本という「国」をグローバル化から守るためにも、「国語」を柱とした教育が絶対に必要なのです。
「日本文明」は、それだけで他国の文明とは異なる進化を遂げてきました。日本人は、意外とその事実を知りません。自分たちにとっては「当たり前」の文化も、他国の人々にとっては、非常に特長のあるすばらしい「文化」として映っているのです。それは、日本の自然や観光地、食事ばかりではありません。「日本人」そのものが「文化」なのです。世界の人々は、日本人が「穏やかで、争いを好まず、謙虚で優しい」ことをよく知っています。自己主張をすることを好まず、常に相手に対する「気配り」に長けていることを知っているのです。そして、「日本語の美しさ」に感動し、少しでも「日本を知りたい」と思っています。数十年前にような「エコノミック・アニマル」の日本人を見ることは、もうありません。その日本人が「劣化」し、他の国の人間と同じように振る舞ってどうしようというのでしょう。それで、外国人が日本人を「尊敬」するとでも言うのでしょうか。日本という国は、政治は三流でも、国民性は「一流」なのです。そのことを私たちは忘れてはなりません。だからこそ、「国語」の勉強が必要なのです。
具体的には、まずは、学校教育から始めるべきでしょう。既に東京の世田谷区では、特別な教科「日本語」を設けて取り組んでいます。そこでは、伝統的な古典から、短歌、俳句、明治の文学まで、積極的に学ばせ、読書を奨励していると聞きます。これは、子供たちに多くの日本語の「語彙」を習得させ、日本語でしっかり「表現」できるよう、未来の「日本」を支える人材を育成しているのです。もし、これが「国民運動」のようになれば、日本は大きく変わることは間違いありません。しかし、そんな教育にさえも「抵抗」しようとする勢力が存在しています。彼らは常に、「復古調だ!」とか、「戦前の教育に戻すのか!」と主張しますが、既に戦前の教育を受けた人はおらず、「戦争につながる教育だ!」と日本の歴史を否定したがります。しかし、もう、今の若者は、そんな言葉に惑わされるほど愚かではありません。ただ、マスコミが左翼思想に染められており、連日、騒ぎ続けるだけのことです。しかし、日本人の多くは、「日本語の素晴らしさ」を実感として持っているはずです。今後、外国人が多く日本に来て、日本のよさをアピールしていただければ、日本人の認識もきっと変わるはずです。「いいものは、いい」と言えるような日本人でありたいと思います。日本人は、日本語で考え、表現し、「日本人らしい心」を育てていることを忘れてはなりません。それが、これからの日本という国が、世界に貢献できる道なのです。
五つ目は、(5)「道徳教育」を、「国民全員」が学ぶ機会を設けることです。今の日本人の「道徳観」は、非常に危うい状況にあります。これまでは、特に「道徳心」などと叫ばなくても、日本人の多くは慎み深く、非常に礼儀正しい人たちばかりでした。しかし、経済が停滞期から下降期に入るようになると、社会の「格差」が進み、国民の多くは政治や経済に対して「不満」を持つようになったのです。「物価は上がれど、賃金は上がらず」では、国民の大多数は将来への不安を抱えるのは当然です。さらに、コロナ騒動以降、日本社会は完全に「孤立化」が進み、「ハラスメント問題」が社会問題化するようになりました。以前であれば、「貧しくても助け合う」精神が各所で発揮され、だれもが「お互い様」を認識していたのに、今や「責任問題」ばかりが取り沙汰され、子供を育てるのは、「親」と「施設」に限定されてしまったかのようです。地域のコミュニティも失われ、人々は「会話」を楽しむこともできません。たとえ、コロナ問題が終息しても、一度、壊れたコミュニティや生活習慣を変えるのは大変なはずです。この状態をそのまま放置していいのでしょうか。今や「国会」も宗教問題で、お互いの足を引っ張り合うだけの組織となり、肝腎な問題がいつも後回しにされています。マスコミはさらに劣化し、まともな「報道」すらできない状態です。こうした国が混乱している時期に、邪な勢力が動き出すのは、歴史が証明しています。
11年前の「東日本大震災」では、東北の人々は「日本人力」を発揮して、世界の賞賛を浴びましたが、そのとき言われた「絆」も、今やかけ声だけになってしまいました。だれもが、自分の世界に閉じ籠もり、「コロナ」に怯えて外に出ようともしません。「マスク」は日常生活に欠かせない物となり、感染症予防の目的を離れて、「顔を隠す」ために用いられているような気がします。これでは、益々、日本人は人と関わることを避け、孤立化に拍車をかけるような気がします。確かに「大災害」が起きても、日本人はルールを守り、暴動に発展することはありません。だからと言って、このままでいいのでしょうか。「人権」や「個」を尊重するあまり、日本人の孤立化を招いてしまったとすれば、「いざ」というときの安全確保ができないのです。今では、「隣に住んでいる人」の存在もわからず、地域のコミュニティもない地域はどんどんと拡大していくばかりです。それに、地域を見ても、「独居老人」は確実に増えています。それも社会と交われない独居老人の大半は、男性なのだそうです。そして、「8050問題」と言われるような、高齢者が引きこもりの大人の面倒を見る異常事態が起きています。それも既に数十万規模に膨れあがっているという話すらあります。こうした問題が起きた原因は、やはり、周囲からの「孤立」があると思います。だれもが、「個人を大切にする社会」を創りたいと願いますが、それが行き過ぎると、「個人にはだれも干渉してはならない」といった極論も生まれてくるのです。
確かに、「人権」や「個人」の尊重は、人として大切な考えには違いありません。しかし、一方で「自己責任」と言う考えも根強くあるのも事実です。「自由だからこそ、その結果の責任は自分で負うしかない」という言葉の意味はわかりますが、人は、それほど強い存在でもなく、人の手を借りて生きている人だって大勢いるのが現実です。いつも、「自己責任」と突き放されると、弱い立場の子供ほど辛いものはありません。確かに、親が今の生活に満足していなくても仕方がないのかも知れませんが、「子供」は家庭を選べるわけではないのです。そんな弱い立場の子供だからこそ、社会の援助が必要なのです。他にも、弱い立場の人はたくさんいます。社会に順応できない人間がいることは、仕方がありませんが、それを「自己責任」と突き放すのではなく、「気にかける」社会であって欲しいと思います。日本は、あまりにも、戦前の「負」の部分だけを見過ぎてきたのではないでしょうか。「あれも嫌だ!」「これも、嫌だ!」「もっと自由にさせろ!」「関わるな!」「勝手だろ!」こんな台詞を何度聞いたことでしょう。社会が豊かになり、生活が便利になると、人々は「自由」を欲するようになりました。子供の遊びも、昔なら、一人で遊べることは限られています。しかし、友だちと一緒なら、木登りも探検も鬼ごっこもできました。川に釣りに出かけたり、自転車で隣町まで走ったり、小さなハイキングに出かけたりと、一人ではできないことがたくさんあったのです。だから、「放っておいてくれ!」などと思ったことはありませんでした。友だちがいてくれたお陰で、苦しいことも分かち合い、「親友」と呼べる関係にもなれたのです。おそらく、一人では何もできなかったでしょう。それは、「本音」では今でも同じ気持ちを持つ人は多いと思います。
ところが、時代が平成から令和の時代になり、パソコンやスマホなどの電子機器が日常的な道具となり、それを使った「ゲーム」が発売されると、大人でさえそれに夢中になりました。子供たちがそれの「虜」になるのは、時間の問題でした。家に帰っても親は仕事で不在です。することと言えば、そんなことくらいだったのでしょう。だれもが夢中になり、高額のゲーム機をねだり、パソコンが使えるようになると、それに「課金」して、ゲームに嵌まって行きました。こうして、子供たちも「孤立化」していったのです。だからといって、別に「ゲーム」を責めているわけではありません。パソコンやスマホの普及は、こうした現象を起こすことは想定内です。そうではなく、教育には、「バランス」が必要なことを、日本人が忘れてしまったことが問題なのです。せめて、学校にいる間くらいは、子供たちに「ゆとり」を持たせた「学びの場」を提供し、スポーツや自然体験、ものづくりなどをやらせてあげたかったと思います。それに、もっと「読書」の時間が取れれば、たとえ、家でゲームで遊ぼうとも、「本を読む」楽しさも味わわせることができたかも知れません。しかし、現在のように、学校でも「タブレット」や「英語」、勉強は常に「学力向上」では、子供は「子供らしく、楽しく学ぶ」ことができません。残念なことです。
日本人は、「道徳教育」が嫌いなわけではありません。以前は、映画やテレビ、雑誌等をとおして、道徳的な「教訓」を啓発していました。時代劇では「勧善懲悪」が人気を博し、「悪を懲らしめ、善の道」を説いたものです。「水戸の黄門様」は、老人の見本のように振る舞い、老人でも「格好いい」存在として、日本人の英雄でした。歌謡曲や漫画、アニメの世界でも、「勇気や助け合いの精神」を学ぶことができました。それが、いつの間にか表現が「過激」になり、それに影響でも受けたのか、日常生活においても、いい大人が、「キャップにサングラス」の出で立ちで、「刺青」を見せびらかし、相手を威圧するようになっては、日本人も終わりです。家族連れでも、街のチンピラを気取り、道の「真ん中」を堂々と歩く姿からは「知性」が感じられません。どうやら、「俺様は強いんだぞ!」と、自己表現しているようなのですが、周囲の人は、皆、心の中で蔑みながら関わらないように避けて通っていくだけです。とにかく「子供っぽい」大人が増えたように思います。こうした大人が、子供の保護者となっているから、学校に来ても、挨拶も碌にできません。そもそも、人の話が聞けず、授業参観でも、後ろで親同士の「お喋り」が止まず、周囲の顰蹙を買っているのも、今の世代の親たちです。さらに、今では後ろからスマホで映像を撮っていたり、カメラを子供たちに向けたりと、親たちの「狼藉」が目立ちます。中には、それをSNSに掲載するようになると、ほとんど犯罪の世界です。そういう大人に限って、いつも人に頼り、自分で考えて行動することができません。そして、「不平不満」だけは真っ先に口にするのです。その上、「声と態度」だけはでかく、周囲に自分の正しさをアピールするような行動に出ます。そんな幼児性の高い大人ばかり増えて、日本の未来はどうなっていくのでしょうか。もう、昔の教育を受けてきた世代は、社会から去って行きます。老人も「現代っ子」になってしまいました。諭すべき側の人間が「率先」して文句を言い、事件、事故を起こしながら、「今時の若い者は…」と嘆いてみせるのですから、まるで「茶番劇」です。おそらくは、こうした現状を憂えた政府が、学校での「道徳教育」を強化しようと考えたのでしょうが、既に遅いような気がします。本当は、子供では、もう、間に合わないのです。こうした大人たちを、もう一度「再教育」しなければ、日本人が日本人ではなくなる日が近いうちに必ずやって来ます。道徳教育は、最早、日本人全体の「喫緊の課題」なのです。
最後に、(6)「子供は親が育てる」ことを基本とすることをもう一度見直して欲しいと思います。多くの人は、「今でも、そうじゃないか!」と反論すると思います。しかし、今の時代ほど親が働いて、子供を「他人に預ける」時代はなかったのではないでしょうか。昭和40年代ころまでは、子育ての中心は母親で、普通に「専業主婦」という言葉があり、子供にとっては、大変有り難い時代でした。もちろん、女性への「不平等」な扱いは、問題になっていましたが、それでも、子供にしてみれば、家に帰れば母親が待っていることくらい「嬉しい」ことはありませんでした。そして、昔の日本人は、貧しくて学問もあまりしてきませんでしたが、子供にかける愛情は「豊か」だったように思います。それに、子育てに困れば、祖父母や親戚、近所の母親たちが相談にも乗り、時には、預かってもくれました。悪いことをすれば、皆で叱り、「子供を諭す」のが大人の役目だったのです。さらに、大人として、「恥ずかしい振る舞い」は、子供の前では見せず、人としての「模範」を示そうと努力もしました。そうした愛情溢れる人々に囲まれて、子供は育ったのです。
もちろん、この時代をすべて「肯定」するつもりはありません。学校や親たちは、子供に対して、その人格を認めず、力によって従わせようとする風潮がありました。さらに、家庭内でも「男尊女卑」的な発想が残っており、男の話に女や子供が口を出すことを極端に嫌いました。座敷に上がり込み酒を酌み交わすのが男で、女は黙って給仕をするのが常だったのです。それを考えれば、今の時代の方がずっと「まとも」です。しかし、「子育て」に限っていえば、昔の方がおおらかで、楽しみながら子育てをしている人が多かったように思います。だから、子供は素直に育ち、子供は子供なりに「社会の一員になろう」と努力し、親や大人の言うことを聞くことが大事だと知っていたのです。とにかく、大人の「嫌らしい」部分は、子供には絶対に見せませんでした。しかし、今や、「大人の真似をするな!」と教えなければなりません。昼日中でも街を徘徊する「不審者」から身を守らなければ生きてはいけない時代になってしまいました。それだけでなく、家庭内でも親からの暴力・暴言に身を縮めている子供もたくさんいるのです。昔も酷い親はいましたが、今は社会が豊かになった分、親の「虐待」がそれだけ鮮明になったのかも知れません。
「子供は、子供らしく…」と言いますが、素直で大人に従順であれば、「命の保障」もできない時代を作ったのは、いったいだれなのでしょうか。だれもが「よかれ…」と思ってやって来たことが、反比例のように多くの問題を炙り出し、家庭の教育力を弱めることになるとは、思ってもみなかったことでしょう。誰しも「楽になりたい…」と思うものです。そして、「人間は理屈だけで動く生き物ではない」という現実が突きつけられています。しかし、「子供」に罪はありません。産んだ以上、親が子育ての「責任」を果たすことは当然です。もし、その責任感が薄いとしたら、だれが「子育て」を担うのでしょうか。以前、ある政治家が選挙活動で、「子育ては社会がします!」と絶叫していた姿を見ました。私は「唖然」として、その候補者を見ていましたが、その女性候補者は、当然のように自信満々で叫んでいたのです。もし、これが実現したら…と思いましたが、それから十数年後に、まさに、その通りの社会になってきました。本当に日本の「大人」が変質してしまったのです。
社会が変わってしまったのに、そのことを顧みることなく、大人の都合で「子供」を評価していいのでしょうか。「愛情」をかけられずに育った大人は、親になっても「愛情のかけ方」がわからず、感情にまかせて子供にぶつかってしまうのです。そして、自分の「思い通り」にならなければ、威圧し、恫喝し、虐待を繰り返し、それでも思い通りにならなければ、ゴミと同じように捨ててしまうのです。「こんな子いらない!」平気でそう言える大人が増えているのです。「虐待」には、殴る蹴るだけではありません。無理に勉強させられたり、習い事を強制され悲鳴を上げている子供もいます。「食事を与えない権利」も親にはあると勘違いする大人もいるのです。こうした環境の中で育った子供は、この先、どう生きていけばいいのでしょう。その後は、すべて「自己責任」と片付けていいのでしょうか。大いなる疑問です。こうした大きな「矛盾」を抱えて、この国は未来に進んでいます。辛うじて、「過去の遺産」で食いつないでいる日本が、どこかで「戦後民主主義」を反省し、これからの社会に何が必要なのか、考えなければなりません。「マスコミ」も支持率が低下している今だからこそ、自分たちのやっている仕事を見つめ直し、「再生」への道を模索するべきなのです。「人間は、死んでも不幸を話さない」という言葉があるそうですが、組織の中で、一度造られた「レール」上を走っていると、その先はたとえ真っ暗な「闇」であっても、ひたすら、その闇に向かって走り続けるのです。しかし、子供にはそんな「レール」を走らせてはいけません。そもそも、「レール」は自分で敷かなければならないからです。
国は、少子化の現状を憂い、「子供を産んで欲しい」と、熱心にその対策を講じているように見えますが、実際に言うこととやっていることに、「大きな齟齬」が生じていることに、気づいていないのでしょうか。こんな、社会構造になった日本で、やっと子供を授かっても、親が「子育て」できない状況が次々と若い親たちを襲います。「低賃金」の時代、長時間働かなければ家族を養うことができません。昔のように中学校卒業でも「正社員」として採用され、「金の卵」と言われていたころなら、「まじめにコツコツ」が、生きる真理でした。道さえ外さなければ、案外、満足出来る生活は送れたのです。しかし、今や、真面目に夫婦二人で一生懸命働いても、満足に「貯金」もできません。子供二人と夫婦が食べていくだけで精一杯の家庭は多いのです。まして、「片親家庭」は、親が朝から晩まで働いて、子供と一緒にいる時間を作ることすら難しい現状があります。
子供は、「子供だけ」で食事を摂り、勉強もし、学校の用意もしなければなりません。生まれてこの方、子供自身が気づいた時には、いつも保育園(他人)に預けられ、親と一緒に過ごした記憶は少ないはずです。親にしてみても、「待機児童」という言葉が示すとおり、子供を「ゼロ歳」からでも働かなければ、生活ができないのです。本当は「自分で育てたい」と思う親はたくさんいるはずです。でも、社会はそれを許しません。「一億総活躍社会」とは、言葉は立派ですが、簡単に言えば、「高齢化社会になったので、国民全員で、死ぬまで働いて欲しい」ということだと、だれもが知っています。
なぜ、可愛い「我が子」を保育園(他人)に預けなければならないのでしょうか。できることなら、子供と一緒にいて子供の成長を「見守りたい」と願う親は多いことでしょう。しかし、現実はそれを許しません。人間として、当たり前の感情すら実現できない社会が、本当に「豊かな社会」だと言えるのでしょうか。夫婦が共に働いて、やっと家族を支えているのです。国は、親たちが家庭で「子育て」ができない状態なのに、そのための環境整備は遅れ、益々少子化に拍車をかけることになっています。これで、どうして子供を産めと言うのでしょうか。子供が産まれても、「産休・育休」が十分取れて、「職場復帰」もスムーズにでき、「会社内保育所」でもあれば、親は、安心して働くことができるのです。ところが、「ブラック」と言われて久しい学校の職場では、子供が欲しくても、代替の教師が見つからず、泣く泣く諦める人もいるのが現状です。教師だって人間です。人並みに「幸せ」な家庭を持つ権利はあるのです。しかし、職場環境が整わないために、法律や規則があっても「運用」が難しく、「画に描いた餅」のようになっているのです。これが、「経済大国」と呼ばれる国の実状です。
普通に考えれば、「家で子供を育てたい」と考える親がいれば、国は「補助金」を出したり、「減税」措置をしてやれば、随分と助かる人も多いと思います。保育士が育てるのと、親が育てるのと、どちらが「子育て」に有効化は、だれもがわかるはずです。それに、「高齢者」がたくさんいるのですから、「高齢者大学」で「保育士養成」をしたらどうでしょう。時間のある高齢者に「資格」を取らせて、自宅で「簡易保育所」を作れば、待機児童などすぐに解消できると思います。そして、「高齢者保育士」には、年に二度ほどの研修を義務づけ、市役所等の専門職員が巡回して歩けば、「高齢者」のケアにもなります。まして、子育ての経験のない保育士よりも、既に経験済みの高齢者の方が、子育てには向いています。因みに私は、「曾祖母」に預けられて育ちました。家が農家のために、祖母も仕事に出ていたので、「子守り」は曾祖母の仕事だったのです。このことは、今でも懐かしく思い出され、母親より「曾祖母」の方が私に強い印象を残しました。
特に、高齢者でも「女性」の能力は頗る高いように思います。「カルチャーセンター通い」もいいと思いますが、「保育士」として働いて貰ったり、「高齢者や子供」専門の「接客」をお願いしたり、会社の「窓口」にいて貰ったりすれば、高齢者や子供は安心できるはずです。女性にとっても「先輩女性」の働く姿は「憧れ」になるはずです。男性にとっても、年齢がかなり上の女性に対しては、あまり強く出られません。その中でも、「子育て」に関しては、頼るべき存在だと思います。「いったい、老人に何ができるんだ?」と、疑惑の眼を向ける現役世代はいるとは思いますが、高齢者としての自覚を持たせ、「社会に貢献できる道」を探っていけば、必ず、高齢者ならではの「特長」が出てくるはずです。今後、「少子高齢化」は、益々、拍車をかけることでしょう。
我が子を自分の手で育てられないのなら、子供を産む喜びも、育てる喜びも味わうことができません。「親」には、「子育てを楽しむ権利」だってあるのです。
「国の発展」と言うのは、何を指して言うのでしょう。日本のように「経済」だけが発展し、その裏で「少子高齢化」が進み人口も激減しています。親が親としての喜びを感じないまま、国の施策どおりに働かされ、子供は親から愛情を受けられないままに成長し、親元から離れて行きます。「高齢者」は、家族や社会からも見放され、役に立たないかのような眼で見られて、「孤独の晩年」を送らされるのです。なんとも、悲しい現実ではありませんか。これを「国の発展」と称するのなら、貧しい時代の方が「ずっとまし」だと言う人もいるでしょう。政治家はよく「国益」と言いますが、何か、目先の利益ばかりを追ってばかりで、「将来」を見据えた国益を考えているようには見えません。もちろん、政治家には「選挙」という国民の「審判」が待っていますので、即効性のある「利益」を欲しがるのは無理もありません。しかし、それだけで「国の運営」ができるものではないのです。戦前、日本は「国益」のために海外に進出し、理想の実現のために必死に働きました。「国益」のために、海外への投資を続け、結果、欧米列強の憎しみを買って不必要な「戦争」を仕掛けられて、すべてを失いました。その時代もすべて「国益」のために行った政策だったのです。今も実は、似たような状況になっています。政府や財界は、未だに「グローバル化」が日本の国益に沿うと考えているようですが、ロシアが戦争を起こし、中国が他国への野心を剥き出しにするようになっては、「グローバル化」も怪しくなってきました。そろそろ、海外へ投資した資本を回収しないと、すべてを失うことになりかねません。世界は「善意」だけで動いていないことは、だれもが知っていることですが、日本人のように「目先の利益」の踊らされると、とんでもない結果を招くような気がします。
今の時代は、「子供」には、本当に「辛い時代」になりました。学校へ入学しても、「学力向上」の旗の下に、分厚い教科書と長い授業時間、そして英語にタブレットと「負担」は増すばかりです。その上、コロナ騒動で、外で遊ぶこともできません。常にマスクを着用し、給食も「黙食」となり、「友だち同士」の触れ合いも少なくなりました。みんなが「大学」に進学すると、挙って大学に入りたいと願い、高い授業料を「奨学金」という名の「ローン」で払い、40歳になっても返し続けている話を聞きます。就職しても雇用形態が変わり、派遣労働や契約社員は当たり前です。正社員に採用されても、「ブラック」と呼ばれる企業はたくさんあります。これでは、自分の「人生設計」すら立てることができません。親世代は常に自分の時代と比較して、「努力が足りない」と叱りますが、今の状況がまったくわかっていないために、まるで「別世界の住人」のようになってしまっています。これでは、親が子供に疎まれて当然です。子供は、好きで「親離れ」をするのではありません。仕方がなく、親を「見限る」のだと思います。それだけ「時代の流れ」は速く、社会がどんどんと変わっていくことに、親世代自体がついて行けてはいないのです。
子供の頃から「肉親の愛情」を受けられなかった子供に、「人を愛せ」とだれが教えるのでしょうか。人を「愛する」ことができるのは、自分が「愛された」経験があるからです。間もなく、「AI社会」が訪れ、否応なしに人間が淘汰される時代が来ることでしょう。働きたくても働けない現実がやって来るのです。働くこともできない。子育てもできない。家族も作れない。そんな時代を作って、この国はどうしようと言うのでしょうか。国や企業は、「AI」によって、さらに「機能的」になり、「効率的な運用」が可能になることでしょう。そうなれば、人間のような存在は邪魔になるだけのことです。「飯を食い」「休みを取り」「病気になり」「不満を言う」、その上、高い「賃金」を要求する人間は、AIを活用する企業にとっては、不要な存在でしかありません。国や企業に必要なのは、「AI」にはない能力を持つ「人間」だけのなのです。つまり、「普通の人」は、けっして「AI」に勝つことはできません。この先、AIだけは進化を続け、必ず人間を凌駕する存在になっていくでしょう。そのとき、世界はどんな未来を創っているのでしょうか。
本当に「国を支える」のは、「経済力や軍事力」などではありません。やっぱり、「人の力」なのです。いくら「AI」が進化し、あらゆる分野にその「頭脳」が入ってきたとしても、国をAIに譲ることはできないでしょう。人間が「生物」である以上、人間が「ロボット化」することは絶対にできないのです。そして、AIに「歴史」を刻むことはできません。人間がインプットしない限り、AIは、その頭脳を発揮することができないからです。もちろん、科学者たちは、「AI」を究極にまで進化させ、政治から経済、軍事に至るまで、フル活用させようとするはずですが、何処かに「人間」としての「弁え」がない限り、世界は人間を淘汰し続けることでしょう。だからこそ、国として「人」を育てる教育に真剣に取り組む必要があるのです。日本人として「日本人らしさ」を失わず、「道徳」を重んじる国であれば、AIに利用されることはありません。なぜなら、日本人の「常識」が、AIを制御するからです。その「常識」がなくなったとき、日本は完全に「グローバル化」の波に飲み込まれ、国の歴史や文化、そして国語も失うことになるのです。
第六章 教師としての使命感
「どの時代でも教師の使命は『子供を守る』ことにある。 子供に『未来』を託そう 」
第一節 それでも、私は教師だ!
今、学校を取り巻く状況は頗るよくありません。しかし、「それでも私(俺)は教師だ!」と叫ぶ人間が必要なのです。日本は、これまでも多くの「絶望的」な状況に陥ったことがあります。戦時中の「大学生」の話をしましょう。当時の大学生は、まさに日本のエリートでした。ほとんどの子供は、尋常小学校の高等科を卒業すると、社会に出て働いたのです。「旧制の中学校」に進学する者は僅かで、優秀で経済的に恵まれない者は、師範学校や軍隊を目指したものです。中学校は五年生で、そこから、また「大学」に通う余裕のある家庭は、日本にはいくらもありませんでした。当時、大学生には「徴兵猶予」の特権があり、二十歳を過ぎても、召集されることはなかったのです。もちろん、その後、召集されることはありましたが、大学卒には、「幹部候補生」になる道があり、短期間で将校になることができました。それに、「師範学校出」の教師には、「短期現役制度」があり、数ヶ月の兵役で、学校に戻ることができたのです。これは、明治以降の日本という国が「人材育成」の重要性を認識していたからです。大学の卒業生には、日本の未来を託さなければなりません。政治や経済だけでなく、この国のあらゆる分野で外国に負けないようにするには、彼らの頭脳がどうしても必要でした。そして、学校の教師には「未来の日本を背負う」子供たちの育成が委ねられていました。優秀な兵隊を育成するには、基礎基本となる「学習」や「しつけ」が重要だったのです。そのために、教師を優遇していたのは当然のことでした。
しかし、戦争が「負け戦」の様相を見せ始めた昭和18年になると、その「大学生」の優遇措置が撤廃され、その多くが召集されて軍隊に入ることになりました。これが、有名な「学徒出陣」です。学生の中には、一般兵として戦場に出ることより「幹部」になる道を選ぶ者も多かったようです。陸軍や海軍の「士官候補生試験」を受けて「士官」となる道です。しかし、下級士官は、第一線の小隊長として最前線で戦う運命にあったのです。特に、飛行機の「搭乗員」は、だれでもできる技術ではなく、優秀な頭脳と体力が必要だと言うことで、大学出の人間を募集していました。それが、「海軍飛行科予備学生」であり、「陸軍特別操縦見習士官」という制度になります。「学徒出陣」で召集された学生は、戦争末期には「特攻隊」に編入され、敵の艦船めがけて体当たり攻撃をかけ、その多くは大空に散っていきました。その時の「遺書」が残されているので紹介したいと思います。
「我々がただ、日本人であり、日本人としての主張にのみ徹するならば、我々は敵米英を憎みつくさねばならないだろう。しかし、僕の気持ちはもっとヒューマニスチックなもの、宮沢賢治の烏と同じようなものなのだ。憎まないでいいものを憎みたくない、そんな気持ちなのだ。正直な所、軍の指導者たちの言う事は単なる民衆扇動のための空念仏としか響かないのだ。そして正しいものには常に味方をしたい。そして不正なもの、心驕れるものに対しては、敵味方の差別なく憎みたい。好悪愛憎、すべて僕にとって純粋に人間的なものであって、国籍の異るというだけで人を愛し、憎むことは出来ない。もちろん国籍の差、民族の差から、理解しあえない所が出て、対立するならまた話は別である。しかし単に国籍が異るというだけで人間としては本当は崇高であり美しいものを尊敬することを怠り、卑劣なことを見逃すことをしたくないのだ」
これは、「神風特別攻撃隊第一昭和隊員」として徳之島沖で戦死した海軍第14期飛行科予備学生、「佐々木八郎少尉」が残した遺書です。佐々木少尉は、東京帝国大学出身の23歳でした。この手記を読むと、彼の苦悩が読み取れます。そして、戦争中とは言いながらも、常に冷静であろうと努めた様子がわかります。軍の指導者を痛烈に批判し、「正義」を貫こうとするエリートの矜恃なのです。今、23歳といえば、まだ青春を謳歌するような若者世代で、このような苦悩を味わうこともなく暮らしていることでしょう。それを考えると、戦ってくれたことへの「感謝」と、その「御霊」に対して「安らかなれ…」と願うばかりです。
「国難」に際し、己の身は特攻隊員として散ろうとも、一人の人間として、まっとうに生きたいという思いは、現代人も同じです。如何に理不尽な政策が行われ、教育の崩壊を招こうとも、そこから一歩も退かず、「教師としての使命を果たそう」とする人間が大勢いることを切望して止みません。少なくても、この佐々木少尉の思いと、彼らの未来に期待する声から、我々は眼を背けてはならないのだと思います。
第二節 教師にできること
私たち国民は「国」や「社会」の流れに逆らうことはできません。どんなに政治が誤った方向に国民を導こうとも、それを覆すことは本当に難しいと思います。戦前にも、日本にはいくつもの「クーデター事件」が起きました。その首謀者となった、陸海軍の下級将校たちは、ときの政治を批判し、「昭和維新」を叫びましたが、「現実」を見誤っていたと思います。彼らの多くは、明治維新以降の国民の窮状を見かねて、真剣に「新しい国家像」を描き、「軍部主導」の政権を樹立しようと企んでいました。しかし、おそらく、そんなことをしても、国民は「納得」しなかったはずです。そんな、「クーデター」や「テロ」で、何が変わるというのでしょうか。そんな単純な思想で、新しい国造りをしようなどとは、「勘違いも甚だしい」と言わざるを得ません。せっかく、優秀な頭脳を持ち、軍のエリートコースを歩んでいながら、間違った思想を身につけ滅んで行くとすれば、人としてあまりにも悲しいと思います。たとえ、熱い思いがあったとしても、冷静に状況を分析し、自分の頭で考えて判断する能力が、指揮官には求められていたはずです。しかし、たとえ優秀な人間であっても、自分の属する組織が「ひとつの方向」に流れると、それを止める手立てはないのです。これは、会社でも学校でも同じです。だれもが心の中では、「間違っている…」と思っているのに、それを修正できないのは、人間の「弱さ」なのでしょう。私たちは、過去の戦争を批判し、「こうすればよかった…」的な意見を述べますが、いつの時代でも「流れ」を止める手立てがない以上、普段から「流れ」を「チェック」する習慣が必要だと言うことです。だれもが、「易きに流れる」では、次の「国難」に遭遇したとき、私たちは判断を誤ることになるのです。そういう意味では、子供の時代から「考える」教育が必要なのです。
今の政治を見ても、国民には多くの「不満」はあると思います。その原因は、すべて日本の「敗戦」にあるのです。そして、その後のGHQによる「占領政策」によって、これまでの日本の「国家体制」は破壊されてしまいました。さらに、巧みな宣伝戦によって連合国軍に都合のいい「太平洋戦争史」が創作され、私たち日本人に植え付けられたのです。こうした「歪んだ」歴史観を持つ国の政治家が「真っ直ぐ」であるはずがありません。よく言えば、「政治的妥協」や「駆け引き」の結果、今の日本の「豊かな暮らし」があるのです。戦前までのような「武士道精神」的な道徳観を持っていては、日本の「未来」はなかったのです。したがって、その時代に作られた「日本国憲法」を改めなければ、日本が独立国としての「誇り」を持って国際社会に出て行くことはできないでしょう。そう考えると、今の政治が国際社会から「三流」と呼ばれるのも、仕方がないのかも知れません。しかし、「教育」は違います。教育は、その国の「根幹」を作るものであり、けっして外国に配慮して行うべきものではありません。まして、現代の子供たちに、先の戦争の「責任」を負わせるようなことをしてはならないのです。もちろん、隣国では、いつまでも日本の「戦争責任」を問うでしょう。しかし、70年以上も前の戦争に、なぜ、今の世代が「謝罪」をしたり「反省」をしたりしなければならないのでしょう。それを子供たちに求めるのは、あまりにも理不尽です。教育は、何処の国であろうと、「卑屈」になることを教えてはならないのです。常に自分の国に「誇り」を持ち、「先祖の教え」を守り、歴史や伝統を「次の世代」に伝える義務があることを教えるのが「教育の使命」なのです。もし、今の政治に不満があるとすれば、日本の「教育」に政治を持ち込んでいることです。教育に政治が介入すれば、それは、「国の教育」ではなくなるのです。それを一政治家の判断で行えば、その政治家は「売国」の誹りを免れないでしょう。政治というものは、自分の「生命」をかけて行うものであり、国に「忠誠」を尽くせない者が政治家になってはいけないのです。「誇りを守る」とは、本来、命懸けの崇高な行為なのだと思います。
確かに、今は教師にとって辛い時期かも知れませんが、それでも、一人一人の教師は最後まで「教師」であって欲しいと思います。日本には、「士魂」という言葉があります。今の日本人の多くは覚えていないかも知れませんが、一部の日本人には受け継がれている精神です。これを「師魂」と読み替えてもいいのではないでしょうか。戦後、様々な「教育改革」が進められ、目指す教師像も時代と共に変化していきました。今、また、「教師のあり方」は大きく変わろうとしています。しかし、国が思うほど、現場の教師は「柔」ではありません。学校が「ブラック」と呼ばれようとも、大切な「子供」を預かっている以上、いい加減な指導はできません。政府は「政治的な配慮」から様々な「課題」を学校に要求し、教師はそのたびに新しい課題に「挑戦」してきました。国が求めるのは、いつも「結果」であり、その教師たちの苦労の「過程」を忖度することはありませんでした。そうでなければ、あの「ゆとり教育」が政府の意向で急に「大転換」を強いられるはずもなかったのです。教師は「学習指導要領」に則って、新しい教育を進めようと準備していた矢先に、政府は文部科学大臣の記者会見ひとつで、方針を変えて見せたのです。それは、学校の教師にとっては、国の「裏切り行為」にしか見えませんでした。それでも、政府は教師に何のコメントも残さず、すべての責任を学校に求めたのです。如何に、教師が「理不尽」な扱いを受けているかの証拠でもあります。それでも、多くの教師は、それを黙って受け入れ、淡々と国が求める「新しい教育」に向かって準備を進めて行ったのです。
多くの教師はいつの時代でも「無口」な存在です。一部の組合系の教師が、左翼的な行動を採りますが、それをまともに聞いているのは、その思想に傾倒した人間だけです。ノーマルな教師は、目の前の「子供」のことで精一杯で、政治的なことは意識にありません。それを「政治的な動きをしている」と邪推し、そうした教師を排除しようとしたのは、紛れもなく「政治家」の人たちです。あの評判の悪かった「免許更新制度」は、そうした左翼系の教師の排除が目的だったことは明白です。そのために、日本中の教師は、自分のお金で講習費用を支払い、数日間の「更新講習」を受けさせられたのです。その程度の研修は、各自治体の教育委員会が従前から行っており、改めて大学等で実施しなければならない内容ではありませんでした。それも、「免許更新制」は、教師にだけ行われ、医師や弁護士等の「免許」を持つ職種には適用されませんでした。そして、今になってこれを廃止するのは、どういう理由なのでしょうか。これもまた、政治が教育に「介入」した悪例になることでしょう。日本人は、自分の国の人間には威圧的な態度に終始しますが、外国人には卑屈なまでに低姿勢になるのはどうしてでしょう。さらに、中国や韓国には気を遣い、「教科書」の内容にまで政治が口を挟みますが、それも、両国の「言い分」をそのまま鵜呑みにするかのような態度です。こうした卑屈な政治が、日本の教育を「弱体化」させてきたのです。それでも、個々の教師はよく頑張っていると思います。それは、目の前に「子供」がいるからです。この子供たちに「真実」や「正義」を教えなければならないと信じているからです。だから、日本の教師はここまで頑張って来たことを忘れないで欲しいと思います。
日本の学校の教師は、何も政府の意のままに動く「ロボット」ではありません。一人一人に教育に対する「思い」もあれば「情熱」もあります。上部機関からの指示は受けますが、それが「絶対」だとも考えてはいません。実際に子供の前に出れば、自分の「人生観」を語り、子供の善なる行動を促そうと日々格闘しているのです。それが、「教師」というものです。もし、権力側に阿るだけの教師集団であれば、日本の教育は戦後間もなく「破綻」していたことでしょう。理不尽なGHQの命令を受けて、それに弱々しく従うだけの教師であれば、日本は「国」として保ちません。よく考えてみてください。なぜ、日本は、あの「8月15日」に一斉に武器を置いたのかを…。まだ、戦おうと思えば、戦えるだけの戦力を残しながらも日本人は「矛」を収めました。それは、「天皇陛下」からのご命令があったからです。連合国軍の占領を受け入れたのも、日本人としての「誇り」があったからです。心の中では沸々と滾る「闘志」は消えてはいませんでした。だからこそ、その燃える心を「復興」に捧げたのです。「死んで行った者たちに顔向けができない…」という思いは、そのときに生きていた日本人なら、だれもが持つ共通の「痛み」でした。理不尽なGHQの命令に従い、黙々と働き、「いつか、見返してやる!」と思いながら生きてきたのです。その「魂」は、教師たちにも受け継がれていました。だから、だれもが「無口」で政府のおかしな政策にも従ってきたのです。それがなくて、どうして「教師」という仕事ができるのでしょう。もし、それがわからない日本人がいるとすれば、それは、私たちの知る「日本人」ではありません。別の人間なのでしょう。残念なことです。
戦前から戦後の教育界で活躍した「森信三先生」は、教師について、その著書にこう書いています。
「『石も叫ばん』という時代ですよ。いつまで甘え心を捨てないのですか。この二度とない人生を、いったいどのように生きようというのですか。教師を志すほどの者が、自分一箇の人生観、世界観を持たなくてどうするのです。眼は広く世界史の流れをとらえながら、しかも足元の紙くずを拾うという実践をおろそかにしてはなりませんぞ。教育とは、流れる水に文字を書くようなはかない仕事なんです。しかし、それをあたかも岩壁にノミで刻みつけるほどの真剣さで取り組まなければならないのです。教師がおのれ自身、あかあかと火を燃やさずにいて、どうして生徒の心に点火できますか。教育とはそれほどに厳粛で崇高な仕事なのです。民族の文化と魂を受け継ぎ、伝えていく大事業なのです」
教師は、単に教科書を教えるだけの仕事ではありません。社会の風潮が教師を軽視しても、教師の志は高くなければならないのです。そして、常に「勉学」に励み、教え子に「真理」を学ばせる責任があるのです。子供は、いつの時代でも「純粋」なものです。大人の振るまい方によって、どんな色にも染まる怖さがあります。しかし、未来のある子供は、今、どんな境遇に置かれていようと、未来に対して希望も抱いているものです。そこが、人生を諦めてしまった「大人」とは違う点だと思います。しかし、中学生や高校生になると否が応にも現実が見えて来ます。そうなったときに、「志」のない子供は、厳しい現実の前に挫折し、人生を諦めてしまうのです。もし、その時、その子に「寄り添う人間」がいたらどうでしょう。それは、親でなくてもいい…。周りの大人に、その子も気持ちを理解し、励ましてくれる人間が一人でもいたら、「前を向いて進もう」とする勇気が湧いてくるかも知れないのです。正直言って、今の時代ほど教師や子供に「冷たい時代」はないと思います。子供同士の人間関係も強い結びつきはなく、スマホのメール機能を使って「疑似会話」を楽しんでいるようですが、言葉だけのやり取りは、一度躓くと修復が難しくなるものです。その上、子供は、表現能力に乏しく、ある面「自分勝手」です。自分の本当に伝えたいことの半分も相手に伝わらずに、「意地悪をしてみせる」のも子供だからでしょう。大人になれば、それが「愛情」の「お試し行動」だということがわかりますが、子供同士のやり取りで、それに気づくことはありません。そして、結局は、「メールが届かない」と言っては怒り、「あんなことを言われた」と言っては怒る…。本当に「傷つきやすい時代」なのです。
だから、「真の友情」を育てることもできず、悶々と苦しむのですが、また、同じ事を繰り返してしまいます。子供の「いじめ」が、大きな社会問題になっていますが、「仲良くしたい…」という欲求が満たされないとき、その反動として「陰湿ないじめ」につながることも多いのです。それだけ、子供は大人に相手にされずに「寂しい」思いをしており、その寂しさが続くと、心が凍え、傷つき、邪悪な気持ちが芽生えてくるのでしょう。何の力も持たない子供の心を傷つけているのは、「大人たち」だということを知るべきなのです。事件が起きると、「なぜ、教師が側にいて、そんなことにも気づかないのだ!」と、学校と教師を責めますが、それなら、「親」は気づいたのでしょうか。気づくはずがありません。子供の心理は、そんな、人が思うほど「単純」ではないからです。一番側にいるはずの「親」が気づかず、と言うより、親自身が子供を傷つけてきた当事者なのです。それを知っていながら「口」を閉ざし、学校や教師に責任を転嫁しても、社会は何も言いません。子供がいじめをするのは、「学校が十分な指導をしていないせいだ…」という理由がマスコミによって作られ、それが「社会正義」として罷り通っているからです。だれもが、「そんな、ばかな…」と思っていますが、「権力者側」にある巨大なマスコミに抗う術を「国民」は持ってはいないのです。
それでも、教師は、できる限り子供と向き合い、一緒に「苦楽」を共にすることで「人間関係」を築き「心を育てたい」と思っていますが、思うようにならないのも人間だからです。何処の家庭でも子供に「よかれ」と思ってやることが、必ずしも「よし」とはならないことがあります。そこには、親のエゴや見栄、立場などが介在し、本当に子供のことを思っている「行動」なのか…ということを問わなければなりません。そして、親自身が自分の未熟な子育てを「反省」し、我が子に謝罪することも時には必要なのです。それを自分のことを「棚に上げて」学校や教師を責めるような親であれば、間違いなく、子供は早々に自分の親を「見限る」ことでしょう。子供は、けっして「愚か」でも、「何も知らない」わけでもありません。冷静に親や教師の言動を見ています。そして、自分なりの「判断」を下しているのです。子供が、「何も言わない」から、了解していると思うのは、親のエゴであり、身勝手な言い訳に過ぎません。そして、本当に「いじめ」は、子供だけにあるのでしょうか。本当は、だれもが承知しています。大人による「虐め」は、もっと辛辣で冷酷なのです。そうでなければ、年間2万人以上の自殺者を出すこともないでしょう。
「電話」を使っての特殊詐欺も日本の「恥部」として知られていますが、大人が大人を騙し、蓄えた老後資金まで根こそぎ奪おうというのですから、まさに「鬼畜」の所業です。おそらく、やっている人間たちにも「良心」はあるはずです。やりながら、「いいんだろうか?」と自問する人間だっているでしょう。しかし、一度手を出して成功すれば、もうその「泥沼」から這い出す手立てはないのです。昔は、「恥を知る」という言葉が生きていましたが、今は、どうやら「死語」になってしまったようです。さらに、最近「流行」している「ハラスメント」も大人の「虐め」でしかありません。権力を笠に着た大人が、立場の弱い大人をいじめて、自分の欲求を晴らそうというのですから、間違いなく「虐め」の定義に嵌まります。それを子供たちの中でいじめが起きたからと言って、慌てて「法律」を作り、「子供は、いじめをしてはならない」と、その条文に書く神経が私には理解できません。大人こそが、いじめの「元凶」であり、道徳が欠如しているのは、間違いなく日本の「大人」たちなのです。そして、こうした社会全体に蔓延している「いじめ」の構図は、子供の心をどんどんと蝕んで行くのです。
「森信三先生」の言うように、教師とは、「岩壁にノミで刻みつけるほどの真剣さ」で取り組まなければならない仕事なのです。傍から見れば、何の成果もない「無駄な努力」に見えたとしても、その無数の小さな「ノミの跡」が、子供にどんな影響を与えるかは、その時点ではわからないかも知れません。しかし、生涯に一度でも、「信じられる大人」に出会ったことは、その子供にとって大きな財産となるに違いないのです。現代人は、すぐに「答え」を欲しがります。ちょっとやってみて、疲れると言っては止め、見返りが少ないと言っては不平を言い、自分に合わないと言っては逃げる…。こんなことを繰り返しても、自分が求める「答え」は一生探すことはできないでしょう。日本人は、「性根を入れて取り組む」ということを、これほどまでに「厭う」人たちだったのでしょうか。いや、それは違うと思います。きっと「気づかない」だけなのです。社会全体が「個」を優先するあまり、だれもが思ったことを口にしなくなりました。また、「責任」があまりにも問われるようになると、人に関わることを避けるようになります。すると、益々「孤立化」が進み、人は、人からの「評価」を受けにくくなり、自分を正当に見ることができなくなるのです。確かに、人を育てるには「誉めて伸ばす」というやり方が効果的であることはわかりますが、「その場凌ぎ」の誉めことは「空虚」です。子供もそんなことは、既に感じているのです。本音では、悪いことをしたら「叱って欲しい」と思っていても、周囲の大人たちが叱らなくなると、子供は益々孤立感を抱くのではないでしょうか。
現在のような情報過多な時代は、何を選んだらいいのか、わからなくなってしまいます。人は、「何が得か?」で生きるのではなく、「何のために生きるのか?」と言う人間として大切な価値に気づけば、きっと「自分の生きる道」が見つかるに違いありません。それを、教師は「全身全霊」を以て「子供に教えること」に躊躇ってはならないのです。
第三節 教師の教養(読書の勧め)
学校の教師は、「教員免許状」を持っているから教師なのではありません。また、都道府県に採用されたから「教師」になったわけでもないのです。そもそも、「教員」「教諭」は、行政用語や法律用語にもありますが、「教師」は、日本人の慣例に基づく「敬称」です。したがって、「教師」になろうとするなら、それ相応の「人格」を持ち「教養」を身につけなければなりません。要するに、教師は、教壇に立ったから「師」となれるわけではないということです。その長年に渡って培ってきた「経験、見識、専門性、人格」が揃って初めて「師」となれる「可能性」を持つのです。そもそも「師」とは、「教え導く者」という意味があります。人を「教える」だけでも大変なことですが、「導く」となると、その人の「人生」に関わることを意味しています。仕事上の「教員」ならば、「導く」意味はありません。「教諭」であったも同じです。それなのに、「教師」となると、まるで意味が違ってきます。このことを教師と呼ばれる人たちは考えなくてはならないと思います。「員」や「諭」なら、それほどの人格や教養のない人物でもできるかも知れません。しかし、「師」ともなれば、事は重大です。そんな重大な職に就くということは、並の努力では「師」の世界に到達できるとは思えません。それこそが、一生涯かけて努力を重ね、辿り着いた境地が、まさに「師」なのでしょう。
そのために、勧めたいのが「読書」です。「なんだ、そんなことか?」と呟く人もいると思います。なぜなら、「本を読む」ことは、意思さえあればだれにでもできることだからです。しかし、一定量を30年以上に渡って読み続けることができるかどうかが、「読書」の別れ道なのです。ざっと数えてみると、1週間で3冊読むとします。ひと月で12冊。1年間で144冊。10年で1440冊。30年で4320冊という計算になります。本の単価を1冊1000円として、合計で432万円の出費になります。ちょうど、国産の高級車一台分でしょうか。この金額を「必要経費」と見るか、「無駄な出費」と見るかによって、教師という「人間の差」は歴然と開くのです。
もし、これを大学生時代から続けていれば、約500万円が必要になります。それでも、大学4年間の「学費」とそれほど大差はありません。つまり、月額に換算して「12000円」を「書籍購入費」に充てられるかが勝負の分かれ道なのです。そこで、読書をすることの効果を何点か指摘したいと思います。
① 学力差が大きく開く。
② 文章力が飛躍的に向上する。
③ 自分の思想が明確になる。
④ 語彙が増え、表現力が高まる。
⑤ 己の生き方に自信が持てる。
⑥ 分析力、考察力が高まる。
⑦ 人に騙されない。
それでは、ひとつずつ解説してみましょう。まずは、①の「学力差」の問題ですが、意外とこれに気づいている人はいません。なぜなら、「学力=偏差値」という基準から抜け出せないでいるからです。これは、学校時代の刷り込みが原因で、学生時代に「頭がいい人」は、すべて「偏差値の高い人」という意味になるからです。しかし、本当にそうでしょうか。本当の「頭のよさ」は「賢さ」であり、ペーパーテストで測るような狭義の学力のことではありません。なぜなら、歴史上の人物で「偉人」と呼ばれる人は、そんな時代に生まれていない人たちばかりだからです。たとえば、江戸時代までは、日本には「ペーパーテスト」という概念はありませんでした。もちろん、寺子屋や藩校、専門塾は存在しましたが、そこでの試験は、大体は「口頭試問」です。塾長や師範が、塾生に口頭で問題を出し、それに「どのように答えるのか」を見極める試験でした。この試験は、そのことの「本質」を見極めていないと答えられず、いくら「知識」だけがあっても「合格」にはならなかったのです。これでは、「問題集」ばかりを解いている今の学生には刃が立ちません。いくら「過去問」を解いて覚えても、すぐに見抜かれ、「勉強が足らん!」と叱られたことでしょう。だから、この時代の人は、常に本を読み、物事の「真理」を探究しようとしていたのです。
それに、人間は、往々にして就職してしまうと、勉強することを怠ってしまう傾向にあります。もちろん、仕事上の勉強はしなければなりませんが、いわゆる「一般教養」はどうでしょう。「仕事が忙しくて、本を読む暇もない…」と言う理屈もありますが、それでは大人としての学力差は開くばかりです。たとえ、偏差値の高い大学を出ていたとしても、そんな受験勉強用の学力は、大人としての教養にもならないのです。たとえば、10年も読書を続けた人は、偏差値など関係ないほどに教養が高まり、学生時代の学力差など、瞬く間に追い抜くことができるはずです。そして、その深く幅広い知識は、教師としてかけがえのない財産となっていくのです。「学歴信仰」のある日本では、優秀な大学を卒業していると、一般的に「頭がいい」と思われるが、意外とそうでもありません。確かに、浅い知識は豊富にあるようですが、「マニアック」な知識と情報が少ないのです。
それに比べて、社会の評価が高い大学でなくても、「得意分野」を持つ人はいます。そういう人は、仕事をしながら得意分野にさらに磨きをかけ、専門職として評価されるようになりますが、浅い知識の人間は、結局、浅い知識のまま終わるケースが多いようです。「広く浅く」は、受験には便利な考え方ですが、それでは「議論」には向きません。大人は大抵、自分の考えを主張し論理的に説明できなければ、相手を納得させることはできないのです。それには、〇や×で答えられる問題ではなく、長い「論文」を書く能力が必要なのです。そして、その論文を読んだ人たちが、本人を呼んで「質疑応答」して初めて、「納得」してもらえるのではないでしょうか。それを勘違いしていると、将来に禍根を残すことになります。つまり、「学歴」などと言うものは、実際の「仕事」とは、関係ないということになります。せっかく、「頭がいい」と言われた経験があるのなら、大人になっても本を読み、「学ぼう」という姿勢を崩さないことです。結局は、本を読んでいる人が「いい仕事もできる」ことは、間違いないようです。
次に②の「文章力」についてですが、教師に必要な資質のひとつは「文章が書ける」ことだと思います。そして、文章を「読み解く力」があるかどうかにかかっています。「国語」は日本語だから指導できると考えがちですが、日本の学校の「国語科」の指導は本当に難しいと思います。たとえば、国語の物語文を読んだとき、一回読んだだけでその要旨を理解し、子供に的確に指導できるかどうかが、授業の善し悪しとセンスが問われます。多くの本を読む習慣のある人は、「乱読」しているうちに、時間をかけなくても、その文章の要旨を掴む訓練ができているものです。文章を一回読めば、作者が何が言いたいのか、作者の知的レベル、文章の巧みさ、作者の心理まで読み取ることができるようになってきます。だから、新聞や雑誌に大見出しをつけようとも、けっして騙されたりはしません。最初の頃は、保護者向けの「一文」を書くことだって意外と苦しいものです。公式な文書には、定型的な言い回しがありますが、それを習得しないと「公」に発する文書にはなりません。自分勝手に書いては、管理職の「決裁印」をもらう前に指導を受けることになります。それに、文章は「だれに出す」ものかをよく考えて、文章を作る必要があります。保護者なのか、職員なのか、子供なのか、他校の教員なのかによって、文書の形式が異なるのです。そう言うと、さすがに「難しい」と思うのかも知れませんが、読書をしている教師なら、すぐに会得できるレベルですので、それほど考えなくても大丈夫です。
文章は、子供も苦手としていることが多く、作文や感想文などは意外と四苦八苦しているようです。「四百字詰め原稿用紙」を埋めることすら難しく、何を書いていいのかわからず、困った経験はだれしもがあると思います。しかし、長年の「読書の習慣」が、それを克服させ自分の頭に浮かんだ言葉を原稿用紙に連ねるだけで、文章は完成していくようになるから不思議です。文章力が向上すれば、どんな「企画書」も苦もなくスラスラと何枚でもかけるようになるだけでなく、その論理性は、他のだれも真似ができないほど上手くなるものです。学校の教師は、「学習指導案」と称する「授業計画案」を作成することがよくあります。これは、研修の一環で行うものですが、同僚の教師や教育委員会の指導主事等から指導を受けますので、最初の頃はなかなか大変なようです。次第に慣れてくるものですが、A4のペーパーで「10枚以上」にはなりますので、「やっと書き上げた」と言っている教師が多いのも事実です。実際、授業を論理的に行うことは難しく、30人以上いる子供と向き合って行う「真剣勝負」は、苦しい一面、教師としての「やり甲斐」に通じるものがあります。
③の「思想」については、私は、多くの経験を積むことによって「確立」する自分の「生き方」だと思っています。または、「経験値」が増えることだと考えてもいいと思います。実は、読書は、実際の体験では得られない貴重な「疑似体験」をしているようなものなのです。たとえば、織田信長の歴史を読んでいるとします。一冊では飽き足らず、数冊、十冊と読書を重ねていくうちに、信長の「心の内」が見えてくるような気がしてきます。それは、作者によって同じ出来事であっても、「解釈」が異なるからです。何冊も読んでいるうちに、その出来事の一連の流れや登場人物が頭に入り、調べなくても、それらが自分で体験したかのように頭の中で動き出すのです。それは、まるで自分が「信長」になったかのような錯覚に陥る現象だろうと思います。そうなると、自分が一番「納得」できる推論が生まれるのです。そこで、やっと「腑に落ちる」という快感を味わうことができるのです。そうなれば、教科書に書いてあるような信長像ではなく、己自信の信長像ができてくるはずなのです。これは、実は「情報戦」に近い感覚だろうと思います。つまり、本という「情報媒体」をとおして様々な情報を「収集」し、「分析、考察」を加え、結論を導き出す方法だと思えばいいのではないでしょうか。「情報戦」に大切なのは、情報を収集することはもちろんですが、それを「分析」し正確に「考察」できるかにかかっています。戦争中の日本の大本営も世界各地に情報将校を派遣し、戦争中も各方面の情報を細かく「暗号」で送らせていました。その中には、日本の未来を予測させるような「貴重」な情報もあったといいます。しかし、既に混乱していた大本営では、それを分析する能力もなく、自分たちにとって不都合な「情報」を一参謀の一存で破り捨てたという話も残されています。こうなると、「情報戦」は完全な敗北です。それと「読書」を同じレベルで考えるのは失礼かも知れませんが、多くの本に触れることで、そこから貴重な情報を見つけ出し、分析、考察する習慣が身につくことは間違いありません。そうなると、間違いなく自分の「思想」が明確になってくるのです。
「嘘、偽りは信じない」「何が真実かを見極める」「結論を出すのは己自身だ」とでも言うような感覚が身につくと、常に「真実」を見極めようとする習慣が身につき、おかしな思想(イデオロギー)には、騙されないのだと思います。この習慣がないと、耳障りのいい思想や宗教に惑わされ、将来を危うくする危険性が生まれるのです。こうして培われた「自分だけの思想」は、どんな仕事でも大きな武器となるはずです。教師にとって、「真実を見極める力」は、人を説得する大きな武器となっていくはずです。
④の「表現力」については、すべて「語彙力」の為せる業なのです。今、子供だけでなく高齢者も含めて、言葉が大変「汚く」なっているように感じます。これは、言葉だけでなく、生活そのものにも現れていないでしょうか。いい大人が「髭」を生やし「刺青」を入れている中年の男性をよく見かけます。この年代は、まさに小中学校の「親世代」なのです。一昔前なら「やくざ者」のスタイルが一般化しているようなのです。そして、その姿から出てくる言葉は、「うぜえ…」では、子供の手本になる大人とは言えません。もちろん、「時代の流行だから仕方がない」とする考えもあるとは思いますが、正直、気持ちがこれを受け入れられないのは、私だけでしょうか。また、高齢者も各所でトラブルを起こし、福祉施設や病院等でも迷惑をしている話はよく聞きます。一番困るのは、職員の話をよく聞かないことです。ましてや、「俺が金を払っているんだ」という「俺様」的な態度は、だれからも好かれない姿でしょう。いつも不満を腹に抱え、ブツブツと文句だけを言っている高齢者が増えたように思うのは、勘違いなのでしょうか。それに、以前は「若者がキレる」話がありましたが、今では中高年まで「キレる」という姿を見せるようになりました。そして、少しでも咎められると、「証拠はあるのか?」「違法行為はしていない!」と、人に迷惑をかけても反省の色すら見せません。これも、「語彙力の低下」による「表現力不足」に違いないのです。
自分の「言いたいこと」も言葉にできない大人に、いい仕事ができるはずがありません。本も読まず、勉強もせず、「何となく」流されるように生きてきた結果、社会に対して「不満」を抱え、それをだれにも理解して貰えないと嘆き、つい口から出るのが「横柄」な言葉であれば、普通の感覚の人なら側に寄ることを躊躇うはずです。もちろん、中には人格の立派な人がいますので、一概に「大人は…」というつもりもありませんが、社会の風潮なのか、そういった類いの人が多く見かけるようになった気がするのです。「ハラスメント」で訴えられたりする「上司」や「有名人」なども、そうした「語彙の不足」から来る「表現力不足」が原因なのかも知れません。実は、子供も同じです。「読書」は、「脳の働き」を活発にし「情緒」を安定させますが、過激なコンピュータゲームやスマホ三昧では、「情緒」は育ちません。学校の勉強程度の知識は、少し「IQ」が高い人なら、それほど苦労をしなくても獲得できるでしょう。不思議なことに、日本の親は、学校で「勉強ができる」程度で満足し、他のことをあまり気にしないようです。普通の感覚で言えば、もちろん学校での勉強も大切ですが、それ以上に「人として」の常識を重んじるはずです。「嘘を吐かない」「努力する」「人に優しい」「礼儀正しい」など、ごく普通の「日本人」としての「道徳的マナー」は身につけて欲しいと思うものです。しかし、それを軽く扱うようでは、子供に「社会性」は身につかないはずです。こうした、間違った「価値」を持つ人が増えてきているのでしょうか。
「教師」にとって一番大切なことは、子供を立派な「日本人」に育てることにあります。これを「社会性を身につける」と言いますが、「学力」より先にやらなければならない人間教育のはずです。そのためには、教師自身が高い「表現力」を備えておく必要があります。それは、大袈裟なアクションではなく、「言葉の重さ」で指導できることです。教師は「教諭」という職名が与えられますが、この中に「諭」は、「さとす」と読みます。「教え、諭す」のが使命なのです。そして、「諭す」ためには、自分の身を以て理解させなければなりません。「嘘を吐かない」「努力する」「人に優しい」「礼儀正しい」などの大切な価値は、教師自らが実践者となって子供に示さなければ「諭す」ことはできないのです。そして、その都度、優しい語り口で、その理由を語り、子供の心に訴えかけて行かなければなりません。その肝腎の「語彙力」がなければ、子供を諭すこともできないのです。中には、それができずに「暴力的」な行為で、子供に価値を押し付けようとする人がいますが、そんな人は「教師」ではありません。子供を指導するということは、それだけ、指導する側の「忍耐」が必要なのです。
⑤の「己の生き方」を見つけることは、大変なことだと思います。周囲に流されず、自分の意思を明確にして、その生き方を貫けたらどんなに幸せなことでしょう。それは、教師も同じです。自分の「教育理念」に基づいて教師という仕事が全う出来たとしたら、それはとても幸せなことだとおもいます。しかし、現実はそんなに甘くはありません。人間は、なかなか、自分で自分の「生き方」を見つけられないものです。生まれてから、ずっと、社会には一定の「価値」と「流行」が混在しており、特に「みんながやっている」という流行は、「まず、間違いない選択」なのかも知れません。しかし、それでは、平凡な人生は送れるかも知れませんが、「自分らしい」かと問われれば、「?」でしょう。それに、流行は時代と共に流れて行きます。以前は「これがよい」とされていたものが、今では、その価値を失っているものがたくさんあります。たとえば、これまでは、「大学信仰」のようなものがあって、高い授業料を納めるにも拘わらず、ローンを組んでも大学に進学する学生が大勢いました。親たちも「大学くらい出ないと…」と不安を煽るので、学生は、あまり考えずに流れに乗ろうとするのです。しかし、今や、その大学も「改革」が叫ばれるようになり、大学同士の統合も進みそうです。また、大学にも「偏差値問題」があり、何処の大学を出たかがその後の評価を決める傾向にあるのです。いくら、「みんながやっている」としても、自分の考えを持たずに「流行」に乗った結果、残ったのは「借金」だけでは、少し惨めな気がします。
「読書」は、普通ではできない「経験をする」場なのだと思います。あるときは、自分の空想の世界で政治家にもなり、戦国武将にもなり、SFのヒーローにもなれるのです。あるときは、自分とは違う「性」として生き、あるときは、人間以外の「生物」として生きられるかも知れません。こういった経験は、「本の世界」でしかできないことです。読書は、まさに「自由な文字の世界」です。映像の世界ではありません。映画のように色もついていませんし、演技する役者もいません。そもそも「音」がない世界なのです。本当に自分の眼を通した「文字」がすべてで、それ以外は自分の脳が描いた空想の世界です。ところが、不思議なことに、その文字を読んでいるだけで、頭の中がその「文字の世界」で一杯になり、次から次へと「自分だけの世界」が広がって行きます。本の中の登場人物は、いつの間にか「自分」になり、自分が「自分以外の人の人生」を歩み、多くの学びを経験するのです。それは、まるで「夢の中」の出来事のようです。実は、こうした多くの「経験」を積むことによって、自分自身の「生き方」まで見えてくるのです。なぜなら、自分の頭の中には、たくさんの人の「成功例」も「失敗例」も刻み付けられているからです。そして、多くの人の「生き様」を本の世界を通して見てきた経験は、何ものにも代え難い貴重な経験になるはずです。その上で、「自分は、こう生きよう!」という思考が生まれてくるのです。それは、周りの流行に流されないということでもあります。「他がどうあれ、自分はこれがしたい」という強い思いは、必ず「行動力」として現れます。そして、その強い「願い」があるからこそ、覚悟が生まれ、どんな苦しいことも乗り切ることができるのです。
⑥の「分析力」については、繰り返しになるかも知れませんが、自然に物事を鵜呑みにするのではなく、多くの情報を収集するかのように本を読み漁り、その蓄積されたデータを基にして「分析」し「考察」するようになります。たとえば、私たちは、先の大戦がどのようにして始まり、どのようにして終わったかを知っています。それは、実際に戦争を経験した人間よりも、より正確に実相を捉えているはずです。経験者は「記憶」で語りますが、後世の人間は本に書かれていることから、「記録」で事実を知るからです。もちろん、数冊程度では、間違った「記録」や、意図的に歪められた「記録」があるかも知れません。しかし、多くの書籍に当たれば、必ず「矛盾点」は見えてきます。戦争も見る「視点」によって、解釈は大きく違うものです。中国に寄れば、中国の記録が真実のように見えますし、アメリカに寄れば、それが真実だと思いがちです。しかし、当事者全部の国の視点で見れば、たくさんの「齟齬」が見えてくるのです。今でも「大東亜戦争史」は、「太平洋戦争史」として、最初から「戦争目的」すらGHQによって歪められたままなのです。単に「教科書に書いてあったから…」などと信じていては、真実に辿り着くことはできません。一番怖いのは、「政府」や「マスコミ」のメッセージを鵜呑みにすることです。いくら矛盾があっても、「公式に言われているから…」では、読書をした意味がありません。
要するに、「読書」は、自分自身が「情報分析官」のような仕事をしているようなものなのです。将来、どんな仕事に就いても、この「情報」を「分析、考察」する能力は欠かせません。それは、「未来」を予測する上で欠かせない仕事だからです。今を生きている私たちは、「過去」を知ることはできても、「未来」を知ることができません。しかし、読書をしなければ、「過去」すら知ることができないのです。つまり、「今」起きている現象だけで物事を考えても、おそらくは30%も「正解」に辿り着くことはできないでしょう。しかし、少なくても「過去の記録」を知っていれば、「今」と「過去の記憶」だけで生きている人よりも、数倍は「正解」に近づけるはずです。それは、持っている「データ」がより正確だからです。どんな仕事に就いても「50年後」の未来を予測することは難しく、「今」で判断しがちです。たとえば、日本の戦後を支えた企業の多くは、今はもう斜陽産業になっています。「石炭・繊維・造船・家電・出版・マスコミ」など、多くはその時代に持て囃され、若者の人気職種で常に上位にあった産業ばかりです。「教育」も同じです。ところが、50年後には、そのほとんどは当時の勢いを失い、残ったのは、遅れて出てきた「自動車」くらいなものでしょう。ならば、今、これらの企業に就職しても、「未来は危うい」と言うことがわかります。一時期、「公務員人気」が高かったことがあります。それは、「安定」だけが魅力でした。しかし、今、エリートと呼ばれた「国家公務員Ⅰ種」を受験する大学生が激減しているそうです。なぜなら、そこに「魅力」がなくなったからです。それに、既に公務員の約半数は、「臨時職員」で賄われており、昔のような「安定」はありません。
もし、これまでに多くの本を読み「情報分析官」としての自信があるのなら、「自分の未来」「日本の未来」「世界の未来」を予測してみてください。さらに、「教育の未来」も予測してみれば、おそらく、自分の「残りの人生」の姿が見えてくるはずです。そして、教師であれば、自分だけでなく、「子供たちの未来」も見えてくるはずです。そうなれば、今やらなければならないことがわかります。文部科学省から出される「学習指導要領」を読むと、さすがに、「未来」を見据えた「メッセージ」が多く書かれています。しかし、一方、「教育施策」として行われることには、政治的な色が強く出されており、「今」の社会の空気感がわかります。たとえば、「ゆとりの撤廃」「学習状況調査の実施」「免許更新制の撤廃」「ギガスクール構想」「英語・道徳の教科化」などは、まさに「今」の政治判断に基づく施策でした。しかし、これだけで「教育」はできません。なぜなら、「未来への保障」がないからです。子供たちには、50年後の「未来」を見せてやる必要があります。だからこそ、「今、やるべきこと」があるはずなのです。それは、一体何でしょうか。パソコンですか、英語ですか、受験勉強ですか…。違います。今、やるべきことは「国語」である「日本語」をしっかりと勉強することです。それは、「良書を読む」こと以外に身につける方法はありません。一人の人間として、日本人としての「教養」を高め、これからの時代に活躍しようとするなら、どうぞ、毎日、欠かさずに「本」を読みましょう。そして、自分の脳を鍛え、一流の「情報分析官」になることです。
そして、最後の⑦の「人に騙されない」生き方をすることです。「騙す」という言葉を遣いましたが、常に「真実」を見極めよう…という趣旨で書いた言葉であることを承知して欲しいと思います。先ほどから述べているように、情報戦には常に「謀略」「宣伝」と称する「騙し合い」が付きものです。孫子の兵法にも「詭道」という言葉が使われていますが、「詭道」とは、「いつわる・あざむく」という意味の言葉です。戦争に勝利するには、正々堂々と戦うだけでなく、情報を駆使して相手の戦力を知り、「天・地・人」の「利」を用いることが大切です。歴史の中でも源義経や織田信長は、この「詭道」を使って勝利した武将として有名です。日本海軍の山本五十六も真珠湾を「奇襲作戦」で勝利したことになっていますが、あれは、アメリカ政府の「謀略」だったことが、わかっています。こうしたことが、生活の中にも度々起こり、今でも「詐欺事件」は後を絶ちません。つまり、たくさんの「本」を読み、膨大な情報を蒐集し、「分析、考察」を加え、未来予想図を描いた人間が、人を騙すような卑劣な人間に騙されるはずがないのです。詐欺師がよく使う、「未来は、こうなりますよ…」的な予測は、単に情報に基づかない「甘言」ですから、注意が必要です。
「教師」という仕事は、子供たちに常に「真実」を伝える使命を持っていますので、簡単に詐欺のような言葉に騙されてはいけないのです。それが、たとえ上部機関から発せられた命令であっても、「真実ではない」ということを見破ることができれば、それに従う必要はありません。「まさか…」と思うかも知れませんが、自治体によっては「革新系」と言われる勢力に政治が支配されている場合があります。首長や議員、有力な経営者等が、そうした思想の持ち主であれば、その地域の教育も「左寄り」になる可能性があるのです。実際、日本の政治で革新系の政党が政権を奪ったことがありましたが、日本はどうなったでしょう。「景気」は落ち込み、「外交」も信頼を失いました。貴重な「情報」も政府が隠し、日本は最悪のときを迎えたのです。そして、そのときの首相経験者は、今でも中国や韓国に招かれ、日本人を貶めるような言動を繰り返しています。しかし、そういう怪しい政党に政権を取らせたのも、「民主主義」の結果なのです。おそらく、今では多く野国民が、「騙された…」と思っているでしょうが、その時代の「就職氷河期」を味わった学生は、今でも苦しんでいるという話を聞きます。如何に国民の目から「真実」を隠し、自分たちに都合のいい話(宣伝)だけを見せられても、いずれ、嘘は暴かれるのです。もし、教師自身がそれに加担し、子供たちを指導していたとすれば、取り返しがつきません。どんなに「いい先生」という評価を得ても、教師としてこれからも仕事が続けられるのでしょうか。それとも、「仕方がない…」と自分をも欺き通すとでしょうか。教師として生きるということは、教師自身の「不断の努力」が必要だということを今一度、考えていただきたいと思います。
しかし、こうした「読書」を地道に続ければ、必ずや立派な教師になれるはずです。それは、教員個々の意思の問題でしょう。その意思の強さも「才能」なのです。これからの教育は、まさに「茨の道」を進むことになります。それまでの経験が通用しなくなるかも知れません。しかし、日本の教育の根本は、絶対に変わってはいけないのです。日本人は、どんな時代であろうとも、必ず「日本人」に還ることができます。それは、古代からの農耕民族の血が、日本人一人一人の「遺伝子」に組み込まれているからなのです。これから間違いなく「AI」中心の社会が到来します。そのとき、流行に流されない教育が必要になるのです。その「要請」があったとき、それに応えられる能力が教師には必要なのです。それができたとき、日本人の多くは、教師を尊敬し、信頼をすることでしょう。
第七章 教師の無念
「 教師も現代を生きる日本人のひとりなのだ。日本の教育の再生なくして、未来は描けない」
第一節 教師の仕事とは…
これまで、学校や教師は「マスコミ」の餌食になり、徹底的に叩かれましたが、特に弁護する報道もなく、「日本人は、そんなに学校を憎んでいたのか…」と暗然たる思いにかられました。そして、日本の学校教育の限界を見た気がしたものです。こう言った報道は、「国鉄解体」のときもそうでした。連日のように、国鉄職員の怠慢さや労働組合のストなど、国民が、「これでは、解体しかないな…」と思わせるような報道ばかりでした。「郵政事業の民営化」のときは、首相自らが、国民を煽り、反対議員の口を封じ「選挙」で徹底的に叩いたのです。結果として現在のように変わったのですが、大きな出血を強いたわりには、その変化を国民が強く実感するまでには至っていません。「学校報道」もこの手法に近く、「如何に学校が管理的で閉鎖的か…」と、国ではなく学校現場の厳しい指導が連日報道されました。確かに、学校は、これまでの「生ぬるい体質」を引きずり、時代の流れの速さについていけなかったのかも知れません。「体罰」や厳しすぎる指導、一方的な授業、髪型や服装にまで及ぶ管理体制、そして勝利至上主義とまで言われた部活動等、どれをとっても、前近代的だったことは否定できないでしょう。テレビドラマでも、「学園もの」は流行し、生徒と一緒に泣き笑う教師や、熱血教師が描かれ、高視聴率を取っていた時代です。要するに、社会は「校則」で厳しく管理したり、受験に子供を煽ったりせずに、もっと「子供らしく」のびのびと育てたかったのだろうと思います。別の意味で言えば、戦前から続く「軍隊式」の教育に辟易としていた国民が、「もう、そんな時代じゃないだろう!」と無言の抗議をした結果、政治家やマスコミが動いたのかも知れません。それは、教師として「反省」すべきことなのだと思いますが、それをやるべきは、「日本政府」だったような気がします。マスコミに騒がれて、政治家が動き、次いで政府が動くといった図式は、日本の社会では往々にして見られるやり方で、あまり健全とは言えません。
当時、中学校は大いに「荒れ」ていた時代です。思春期の子供たちを「スパルタ方式」で厳しく指導しても、もう、時代がそれを求めなかったということに学校や教師は、気づかなかったのです。
時代は、もっと「個性や自主性」「自由な選択」を求めていたのに、相も変わらず、昔ながらの管理、統制的な教育しかできなかった学校や教師の責任は大きいと言わざるを得ません。だからといって、それを以て「教育が崩壊した」とは言えないと思います。昔の教師だって、熱い「情熱」を持った人は多くいました。子供と一緒に汗を流し、怒り、笑い、スマートではありませんが、自分の「個性」で子供を引っ張っていく力がありました。そんな「教師」に憧れて、子供たちの人気職業ランキングの上位から外れたことはなかったのです。しかし、教師の「体罰問題」や厳しい「校則問題」などが、マスコミによって具体的に取り上げられると、社会の「不満」が一気に噴き出したことも事実でした。「時代を見誤る」とすれば、まさに、この時代のことだったような気がします。もし、国民にそれを擁護するような「信頼」があれば、いつまでも問題が尾を引くことはなかったはずです。しかし、多くの国民は、マスコミ報道に賛意を示し、ここから一気に「学校批判」が始まりました。それは、やはり、時代を読み切れなかった学校や教師にも問題があったのだと思います。そして、それを「放置」した国の責任も大きいと言わざるを得ません。
ただし、マスコミを使った外部からの激しいバッシングは、学校現場を「混乱」させたことも事実です。それ以降、国は、矢継ぎ早に教師への「管理体制」を強化し、「教職員組合」も弱体化して行きました。それは、政治的な戦いだったのかも知れません。そのうち、教員だけを狙い撃ちにした「教員免許更新制」が始まりました。建前では「教師の資質向上を目的とする」というものでしたが、既に、教職員は各自治体での研修の機会も多く、それに、教師それぞれが自分で研修を行うような態勢ができており、この制度そのものに多くも教師は、「不信感」を抱いたのです。そして、本当のねらいは、「不良教員のあぶり出し」だったという噂は、今も絶えません。要するに与党の政治家は教師の実態を碌に把握せず、一部の過激な組合系(左派)の教員をチェックするために、強引に推し進めた施策だったのです。しかし、真っ当な教師には、そんなマスコミ報道も組合も関係なかったのですが、教育に関心の薄い政治家に物を申す教師はいません。眼の前にいる子供と毎日向き合い、苦楽を共にするだけで精一杯だったのです。
あれから、20年以上の月日が経過しました。今でも、学校や教師に対する報道は、手厳しいものがありますが、以前ほどの反響はないようです。そんなふうに学校や教師を批判しているうちに、学校の「ブラック化」問題が大きくなり、今では教師になろうと志す学生もいなくなってしまいました。政府も「言えば、いくらでもやるだろう…」くらいに思っていたものが、遂に現場から「悲鳴」が上がり、吃驚しているのではないでしょうか。こんな理不尽な要求ばかり突きつけられ、評価されないのでは、「意欲を持て」と言われても、それは無理な相談です。それより、不祥事が社会全体に蔓延し、国や大企業の官僚、報道していた側のマスコミにも及び、連日の形式的な「謝罪会見」は、見ている方が疲れてしまいます。今や社会は、「セクハラ」「モラハラ」「マタハラ」等の「いやがらせ」が横行し、学校どころの話ではありません。それだけ、社会全体がおかしくなり、日本人の質の低下が明らかになってきたと言うことでしょう。多分、昔からあったことが、今さらながら表に出てきたのかも知れません。だからこそ、「教育の立て直し」が喫緊の課題なのです。
今や学校には、昔のような「個性」の強い教師もいませんし、管理職や上部機関に刃向かうような豪傑もいなくなりました。だれもが清潔感に溢れ、スーツを着用して、まるでビジネスマンのようです。もちろん、乱暴な言葉遣いをする人もいないし、理不尽な罰を与えたり、子供に無理をさせる人もいません。どちらかというと、「いい先生の金太郎飴」と言えばわかりやすいかも知れません。しかし、それでも、昔の名残りか、学校に対して「厳しい眼」を向ける人は多くいます。「信用」されていないのか、「教師」という職業が嫌いなのか、憎しみを持っている人もいるのではないでしょうか。やはり、マスコミ等であれだけ叩かれれば、「これくらい言ってもいいんだ」とばかりに、学校や教師を「軽く見る」人が現れても不思議ではありません。それだけに、教師の権威は、今や「ない」に等しく、常に教師は低姿勢でいることを求められています。だから、世間に対して「反論」することもありません。それが、学校に対する「国民の願い」だったわけですから、仕方がないのですが、それよりも、「国民のニーズ」と「学校のシステム」が、既に「乖離」していることの方が問題のように感じます。「国民」にしてみれば、学校や教師に対して「面白くない」感情を抱いており、「叱られた」とか、「怒られた」「叩かれた」などという「恨み節」は、大人になっても残っている感情だと思います。その学校が低姿勢になったのですから、気持ちはスッキリした人は多いはずです。しかし、それは「教師個人」の問題ではなく、日本の「学校体制」の問題だということに、気づく人は少ないでしょう。
誰しもが、教師が自分を正当に評価して、メリハリのある指導を期待するものですが、40人近くいる子供を一人の「学級担任」が責任を持って指導することの難しさは、実際にやった人でなければわかりません。教師は「スーパーマン」ではないのです。それでも、子供も親も多くのことを学校や教師に期待します。その「期待」に応えられた教師は「いい先生」で、応えられない教師は、「だめな先生」というレッテルが貼られるのです。そして、授業時間が長いのも、部活動があるのも、その学校や教師の責任ではなく、それを定めた「日本」という国にあるのです。その納得できない指導をすべて個人に負わせるとしたら、だれも「教師」になる人間はいなくなると言うことです。今の「学校のブラック化」問題があるように、教師は上からの命令で、かなり無理な要求を子供たちにしてきたのです。そして、社会が求めるような指導を行い、それがかえって「仇」になったとしたら、教師はあまりにも気の毒としか言いようがありません。戦後に大きく変えられたこの体制を変えない限り、子供や親たちの「不満」が解消されることはないでしょう。「プライバシー尊重」の時代に、教師だけが子供のプライバシーに立ち入り、指導せざるを得ない状況を作ったのは、けっして「教師」たちではない…ということを知るべきです。
第二節 戦後「学校体制」でいいのか…
先進国の学校では、「多種多様」な教育の形態があり、保護者や子供の選択の幅は広いと聞きます。アメリカなどでは、一定の資格要件を満たせば、家庭内であっても「学校」として認め、教育の機会を保障しているのだそうです。もちろん、国土の広いアメリカですから、通学できる範囲に学校を作っていては、教育予算が足りなくなってしまいます。そういう意味では、日本とは事情は違います。しかし、柔軟な発想で「義務教育体制」を考えるというのなら、アメリカの方が柔軟で先進的だと思います。今の時代、日本のように「徒歩」で通学できる範囲に「学校」を作ることは、少子化の時代に合わないような気がします。全校で100人にも満たない学校でも、ひとつの学校を維持するためには、かなりの「予算」がかかります。施設維持費や教職員の人件費、光熱水費等、その金額は莫大です。もし、通学自体を「徒歩」という概念を捨て、「スクールバス」での通学を採用すれば、かなり「広い範囲」の地域から、子供が学校に通うことができるのです。そうなれば、学校の「統合」が進み、全校の子供の数も増えます。中学校などでは、充実した行事や部活動もできるようになります。小学校でも全校児童数が増えますので、子供中心の活動が大きく展開することが可能になるはずです。もちろん、小さい学校にもメリットはありますが、小さいからといって、学級の人数は、35人(定数)と決まっていますので、単に「学級数」が減るだけのことです。中学校では、野球やサッカーなどの多くの人数を必要とする部活動ができず、他校との「合同チーム」で試合等に参加せざるを得ません。こうした問題を解消するためにも、学校の「統合問題」は、今後、さらに議論が深まることでしょう。
今の日本の教育問題を解消する方法は、「学校設立」の基準を大幅に緩和するしかありません。簡単に言えば、「学校の民営化」を進めることです。既に多くの「私立」が存在しているのですから、小学校段階から「民間」の力を借りるのも「時代の流れ」だと思います。せっかく、「教員免許制度」があるのですから、その資格を眠らせておくのではなく、たとえば、家庭での「ホーム・スクール」や、小さな私塾のような「スモール・スクール」、そしてインターネットを活用した「ネット・スクール」など、多様な形態の学校を「認可」することです。「認可校」には、国から補助金を出したり、税金を軽減するなどの優遇措置は採るべきですが、通常の学校と同じように、「カリキュラム計画」など、必要な書類を提出させてチェックしていく必要はあります。そして、年に1回以上は、公的な資格を持った職員が「視察」して、授業の様子や帳簿の点検等を行い、「不正」が起こらないように管理するべきです。これは、今でも「学校」では、必ず行われる「点検事務」ですので、特別に管理されていることにはなりません。「公的資金」が入る以上、「監査」は付きものなのです。今の時代なら、こうした柔軟な発想も国民には受け入れられるはずです。そして、学校が「多様化」していくことで、「学校ブラック化」問題も解決していくように思います。
結局、今の「教育体制」は、占領期にGHQによって押し付けられた「制度」であり、アメリカの学者たちの「実験」でした。自分の国でできるかどうかわからない理論を日本に持ち込み、日本という国で「実験」してみたのです。それが、意外に効果があることがわかると、アメリカも一部、日本の教育を取り入れよう考えるようになりました。たとえば、「制服」は、外国人の「自由」を重要視する国では、どちらかというと忌避されてきましたが、今の制服はとても洗練されており、昔の「軍服」を連想させるようなものはありません。逆に「制服」を採用することで、学校の生徒に「統一感」が生まれ、「愛校心」が育ってきたという意見も出されるようになりました。これを、街中でもファッションとして販売する店もあり、時代の流れに上手く乗った例だと思います。また、日本の学校で普通に行われている「給食」や「清掃」は、視察に来る外国人教師には驚かれます。みんなでほかほかに湯気の立つ食事を楽しく摂り、準備から後片付けまで行う習慣は、教師にとって望ましい「生活習慣」なのです。まして、黙って行う「清掃」は、まさに「作業」ではなく「教育」であることが実感できるそうです。こうした日本独特の方法は、「自由」を基本とする外国人教師にも受け入れられ、「勉強になった」と言って帰って行きます。これは、私自身が体験した事実なので、間違いはありません。
ただし、問題なのが「6・3・3制」といわれる「単線型」の学校体系です。今を生きる日本人のだれもが、この制度で育ったために、大きな違和感を持つことなく過ごしてきましたが、硬直した「単線型」では、子供の多様な「ニーズ」に応えることができないのです。戦後、この制度が上手く機能したのは、日本が「敗戦からの復興」という大きな目標があったからです。そのために、国民に多様な「ニーズ」が生まれるはずがありません。とにかく「働くことがすべて」なのですから、脇目も振らずに「国土の復興」を成し遂げなければなりませんでした。そして、それは成功し、日本は「高度経済成長期」を迎えたのです。だれしも、この「成功体験」は自分の誇りとなりました。敗戦によって失われた「自信」が蘇った瞬間かも知れません。そうなると、単線型の学校体系は十分に機能します。とにかく「勉強」をして有名大学に入れば、将来は「安泰」という「方程式」ができたのですから、だれもが、それに向かって夢中になるのは当然です。だから、全国には「普通科」中心の高等学校がタケノコのように生まれ、大学進学熱を煽ったのです。しかし、それも間もなく終焉を迎えるはずです。この単純な学校体系は、ほとんど「マニュアル化」され、「受験」という目標をクリアさえすれば、他に「目標」が見つからなくなってしまったからです。そして、将来は「安泰」になるはずの大学進学が、そうでもないことに気づき始めています。
今の日本は雇用形態も様々になり、「終身雇用制」も「退職金制度」も間もなく終わるでしょう。そうなれば、これまでの「安泰」の二文字は、消えてなくなります。これでは、何のために子供のころから「受験勉強」に勤しんできたのかわかりません。それに、政府は「AI社会」の到来を予測して「個性重視」を打ち出したために、高等学校の「普通科」だけでは、対応できなくなっているのです。大学も一般教養を身につけさせるような「学部」は淘汰され、さらに「専門的」な学問を研究するような「学部」が求められるはずです。単なる大学の卒業証書など意味がなくなり、その人間にどんな「能力」があるのかが問われる時代が来ているのです。それでも、今まで作り上げてきた学校制度が急に覆ることはありません。政府もわかっていながら、少しずつ「改革」を進めて行くはずです。しかし、それを公表しては社会が混乱しますので、自然に「淘汰」されることを待っているのだと思います。つまり、今の日本には高度経済成長期のような「幸せの方程式」は存在せず、「安定志向」としての確率として、僅かに「大学卒の方が将来有利」という程度のものがあるだけです。しかし、人間は、なかなか発想を変えることができません。何も思いつかないのであれば、「従前通りで当座を凌ぐしかない…」といった消極的選択として「大学」を選んでいるのかも知れません。それでは、せっかくの「学生時代」を意味のないものにしているような気がします。学生時代だからこそ、「学べる」ものがあるはずです。
もし、この体制が変わり、「複線型」の学校体系になれば、どんなにか子供たちの「選択」の幅は広がるはずです。先に述べたように、日本の「復興」も「高度経済成長」も終わりました。既に国民の目標が変わってしまったのです。もし、これからの「日本」の未来を考えるのであれば、それは「日本らしさ」の具現化しかありません。では、「日本らしさ」とは、何でしょう。それは第一に「ものつくり」の復活です。それは「機械」でできる「ものつくり」ではなく、「人間の手」でしかできない「ものつくり」を奨励し、それを「メイドインジャパン」として、世界の市場に打って出ることです。それは、農業でも、工業でも漁業でも既に「芽」は膨らんでいます。日本の「米」は、日本の豊かな自然環境と、その丁寧な技術のお陰で、品質は「世界一」だと思います。ならば、「高級米」を栽培し、それを世界の市場に出せば、きっと「富裕層」がいくらでも買うでしょう。「米」ができるのなら、加工品である「日本酒」もワインやウィスキーに劣らない「酒」として売れるはずです。まして、和食がこれほど世界中に広がっているのなら、日本の農業は国際的に高い評価を受けるはずです。そして、国内には農業の「専門高校」や「大学・学部」を作り、AIを使った近代農業に挑戦するべきです。工業は、空洞化した日本の産業を外国から取り戻し、「半導体」や「精密機械」に特化した技術者を養成するべきです。そして、その中の「S・Aランク」の技術者には、国から「マイスター」の称号を与え、その技術が海外に流出しないような「保護政策」を採るべきです。そうした「情報戦」に弱い日本でしたが、法律によって厳しく「制限」を加えれば、国内産業として充実したものになると思います。そうなれば、たとえ、製品は海外で会っても中味の「精密機械」を扱った「部品」は、「日本製」ということになります。こうした「ものつくり」こそが、「日本らしさ」だとすれば、どんな「AI」が登場してこようと、機械工作には負けない「人間の技術」が、世界の産業をリードするはずです。そうした産業が注目されるようになれば、子供たちの将来の「希望」は大きく広がるはずです。子供のなりたい職業に「技術者」や「農業」が登場するようになって初めて、日本人は、日本人としての「誇りと自信」を取り戻すことができるのかも知れません。
第二には「道徳国家」の復活です。これまでのような世界の先進国に合わせるだけの「グローバル化」を止め、もっと国内に目を向けて、「日本を取り戻す教育」を復活させることです。そのためには、GHQ時代の教育をすべて放棄し、新しい日本の教育を見直す必要があります。まずは、「日本の歴史」の見直しから始めなければなりません。中国や朝鮮半島、アメリカに気兼ねする教育から、「日本人が教えたい教育」に転換を図ることです。日本は、「天照大御神」の時代から連綿と続く「天皇家」を中心とする独自の歴史があります。「やまとことば」や「古事記・日本書紀」に始まる「日本語の歴史」があります。「能」や「茶道」「歌舞伎」「落語」などに代表される「芸道」が残されています。最近ブームになっている「俳句」や「和歌」などの言葉の文化もあります。そして、「源氏物語」を初めとする「古典文学」そして、夏目漱石や森鴎外などの「近代文学」等、数え上げたらきりがないくらい多種多様な独自の「文化」があります。これらを基本に、「国語」の授業を充実させ、そして、それらを題材にした「道徳」を行い、全国的な「道徳文化」を再生することです。そして、国際会議においても正々堂々と国としての意見を主張し、新しい「国際秩序」の構築に寄与するべきなのです。もちろん、それがすぐに叶うとは思いません。政治的には様々な事情があり、思ったことが実現できないジレンマもあるでしょう。しかし、せめて国内だけでも、「道徳」を柱とした目標を立てることで、真の民主国家として自立できるような気がします。そのために、学校や教師を使うことに、だれが反対するのでしょうか。「教育」は、政治や外交の一手段ではありません。国の未来を決める「人材育成」なのです。これに失敗すれば、「日本」という国家は、100年の後には、日本列島だけを残して消えていくことでしょう。それを阻止できるのも「教育」なのです。
第三節 教師の本音
今の「教師」は、自分の感情を表に出さなくなりました。先にも述べたように、清潔感に溢れ、言葉遣いも丁寧で、だれもが笑顔を見せて優しげです。子供たちへの目線も低く、低学年では男性教師も「膝を折り」子供と同じ目線で指導するよう教えられてきました。そして、だれとでも冷静に話し、自分の感情を表に出すことがありません。簡単に言えば、「喜怒哀楽」がないのです。昔の教師は、それぞれが「個性的」で、バンカラ風を気取るような男性教師もおり、まさに、夏目漱石の「坊ちゃん」からそのまま飛び出してきたような人もいました。もちろん、美しい「マドンナ」的な女性教師もいて、学校の職員室はいつも賑やかでした。しかし、今は、だれもが「静か」で、職員室の会話も少なくなりました。たとえ、職員室といえども、子供のことをあれこれ話していると、だれの耳に入るかわかりません。「個人情報」の漏洩が厳しい時代ですから、みんな、話すときは「小声」になっているようです。昔は、学校には複数の「怖い先生」がいて、学級担任でなくても、その先生の前では、子供も「直立不動」になり、厳しい指導に涙を見せたものです。だから、若い新卒の教師であっても、そういうベテランの先生方に助けられながら、成長していくことができました。また、保護者も学校の指導には「寛容」で、多少羽目を外すことがあっても、大目に見てくれたものです。そして、失敗すると、そっと「先生、こうすればいいですから…」という助言をくれて、保護者みんなで教師を「バックアップしよう」という気持ちを持っていたのです。ところが、今はそんな「大人の対応」はだれもしてくれません。新人だろうが、ベテランだろうが常に「是々非々」で評価されます。教師が信頼関係を築こうとしても、なかなか「心を開いてくれない」のも今の人たちの特徴でしょう。それは、子供も同じです。教師の指導も何らかの「意図」があって行うものですが、その意図を「丁寧」に説明をしないと、子供たちは動けません。子供たちにも「なぜ?」「どうして?」「何のために?」といった疑問はあるのです。昔なら、「先生が言っているから、やろう」となるところが、今は、教師の話を聞いて「納得」できなければ動けないのです。それは、ある意味で「正しい判断」だと言えます。子供の「人格を尊重」する上では、必要なことだと思います。
ところで、今の人たちは、たとえ教師や上司であっても「命令」されることを嫌います。したがって、「命令」という言い方ではなく「お願い」という言い方で仕事を進めることが多いようです。今、社会では、「ハラスメント」と呼ばれる、いわゆる「いじめ」と感じることを告発することが奨励されるようになりました。やはり、「人権尊重」「平等主義」の思想が広がり、日本人も無理をして「我慢」しなくてもいい雰囲気になった為だと思います。先日も、自衛隊内で酷い「性的ないじめを受けた」との告発があり、幕僚長自らが当該元隊員に謝罪したという報道がありました。未だにこんな卑劣な「いじめ」が横行しているのかと思うと、唖然としてしまいます。ここまでのことをすれば、当然「犯罪」ですが、ものの言い方や態度であっても、「威圧的」と思われるような印象は嫌われます。そのため、たとえ、子供や部下であっても、①厳しい言い方、②意図を説明しない命令、③人前で叱る行為…は、教師も上司も慎まなければなりません。それだけ、日本人の「感性」が敏感になり、社会の風潮から、「人間としての尊厳を重んじること」の重要性を認識するようになってということでしょう。それならば、今こそ、「道徳」をしっかり教えることのできる時代が来ているのかも知れません。
「道徳」は、人間が「社会の秩序を保つ」ためには欠かせない「思想」です。日本人の場合は、昔からの「儒教的な教え」がベースになっていますが、それに、「仏教」の教えなどが混じり、日本人独特の「道徳観」を創り出しました。今の学校でも、「江戸しぐさ」という江戸時代の庶民の何気ない優しい「配慮」を学んでいるところもありますが、この「しぐさ」という言葉自体に日本人の優しさを感じます。漢字では「仕草」や「仕種」と書くのだそうですが、「草や種」が語源というのも「様々」という意味がありそうで、面白いと思います。そんな「何気ない」思いやりや優しさが、日本人に戻ってくることを願わずにはいられません。今の「いじめ」「ハラスメント」という言葉を聞いていると、どうも、「思いやり」や「優しさ」とは縁遠いもののように思えます。もちろん、「意地悪」をされれば悲しい思いもしますし、「理不尽」な行為が身に降りかかれば、「許せない」という感情が湧くのは当然です。だからこそ、相手を「思い遣る心」がお互いに必要なのです。その「お互い・様」の精神が、日本人から失われつつあるのかも知れません。この「お互い様」は、多少迷惑を被っても、相手が謝ってくれれば、「お互い様ですから…」と笑ってすますことができる「しぐさ」です。それを、今のように、すぐに相手を責めたり、「法律に違反していない…」などと嘯くことをするから、その「お互い様」が発揮されずに、問題が大きくなるような気がします。子供同士の喧嘩でも、親同士が、「白黒つけようじゃないか!」とか、「相手の子も悪いんだ!」と言い争えば、問題は拗れるばかりです。それを見ている子供は、たまったものではありません。最後は、「学校は、何をしていたんだ?」と苦情をぶつけて「喧嘩別れ」をしてしまいます。こうした「許せない」「自分が正しい」と主張するばかりでは、人間関係を壊すばかりで、建設的ではありません。狭い国土に暮らす日本人は、そのことをよく弁え、「お互い・様」というように、「相手を慮る」ことを教えとしたのですが、現代は、その「道徳」は廃れてしまったようです。そういう時代の教師は、まったく「無力」なのではないでしょうか。
現代のように、「褒めて伸ばす」教育が「絶対的価値」を持つようになると、「叱る」教育は、時代遅れに見えるし、叱られることの少ない子供は、学校で教師に叱られることにかなり強い「ストレス」を感じるものらしいのです。学校に行くと、宿題を忘れたといっては叱られ、友だちをいじめたといっては叱られるのが普通です。「叱る」と言っても、「ちゃんとやらないと、だめでしょう!」くらいのものですが、子供に言わせれば、「先生に怒られた」となるのです。時には、教師も「絶対に許さないぞ!」といった迫力で叱りつける場面もありますが、それは、よほど酷い「いじめ」や「いたずら」をしたときくらいなものです。要するに、子供が「自律」していれば、そんなに叱ることもないし、子供も場を弁えて行動するものですが、それができていない子供が、一定の割合で存在していることも事実なのです。若い「親世代」にしてみれば、会社の上司に叱られたら「パワハラだ」と言って文句が言える時代に生きています。学校で我が子が、些細なことで叱責されるのは、「納得」いかないのでしょう。おそらく、叱る場合も「自分基準」があり、教師が親自身と同じ基準でなければ気が済まないのかも知れません。つまり、学校は最早、「教育の専門機関」と見做されていないということになります。「保育園」と同じように、「子供を親に代わって預かっている保育施設」であって、「教育の場」という認識がないから、叱る基準も「親目線」なのでしょう。学校もそれを説明してこなかった責任はあります。よく、入学式等で校長が保護者に対して、「大切なお子様をお預かりいたします」という挨拶をされる方がいますが、それ自体が根本的に間違っているのです。それを言うなら、「大切なお子さんの教育をしっかりやらせていただきます」でしょう。子供に「様」をつけたり、「預かる」などと言うものだから保護者は誤解をするのです。もちろん、そのメッセージは、本来「国の責任」でやるべきことであると思います。
これから、日本政府(文部科学省)がやらなければならないことは、「学校や教師の役割」を明確にして、国民に広く周知することです。これまで、教育の「線引き」ができないまま、唯一機能している「学校」に子供の教育を委ねた責任を政府は、取らなければなりません。そのために、家庭教育も地域教育もその力を失い、子供の教育がわからなくなってしまいました。そのため、若い親は、子供を産むことを躊躇うようになり、現在の「少子化」につながっているのです。今後も、学校に子供の教育のすべてを委ねるとしたら、日本の教育は間違いなく崩壊するでしょう。今の「学校ブラック化問題」が解消しない限り、学生が「教員」を志望することはなくなり、政府は必要な「人員確保」ができず、現場の学校と家庭は大混乱に陥るはずです。それは、ときの政権の信用を失墜させ、国際的にも日本の教育の評価がさがることを意味しています。国の未来を担う子供の教育が崩壊すれば、もう、日本に未来はありません。社会の治安は乱れ、生活保護費等の福祉予算ばかりが増え、日本は内部から壊れていくのです。それを防ぐには、文部科学省にだけ「教育行政」を委ねるのではなく、肝腎な「財務省」や「厚生労働省」も含めた省庁の再編成を行う必要があります。その上で、「家庭教育庁」や「社会教育庁」「学校教育庁」「子供庁」などを設立して、各担当局が責任を持って「学校の役割」「家庭の役割」「地域社会の役割」「子供の福祉・健全育成」に取り組まなければなりません。また、教師の「待遇改善」や「労務管理」など、これまでの対応を反省し、新法を作って新しい「教師像」を作るべきなのです。これまで、学校の教師は、昔から続く、「教師は聖職」意識の中で使命感を持って頑張ってきました。だれが知らなくても、自分のプライドにかけて「泣き言」は言わず、待遇の改善も求めて来なかったのです。しかし、すべてが公になった以上、国が勝手に教師を「聖職扱い」することはできません。これまでのように、教師個人にすべてを委ねるのではなく、政府や地方教育委員会が、教師を守る体制を作り、もう一度、国民が「尊敬」できる「聖職」に戻すしかないのです。
最終章 「日本の心」が世界をリードする
学校や教師が、その時代に翻弄されるものであることは、歴史が証明しています。しかし、それは仕方がないことだと思います。教育が「国」の重要施策である以上、教師個人の考えで教育をすることは許されないのは当然です。しかし、「画一的教育」の時代は、既に過去のものとなりました。どこの地方都市でもその「特色」を生かそうと、ようやく、それまでの「歴史」に眼が向くようになってきました。地方には、地方の歴史があり、育まれた「文化」があるのですが、中央にばかり眼を向けていると、意外と自分の「足下」が見えずに「宝の山」を踏んでいることがあります。これまで、「古い!」と言って斬り捨てられようとしていた「祭り」や、「古い街並み」が新しい文化を生み出し始めています。それは、「外国人」のお陰かも知れません。今や年間三千万人を超す「外国人観光客」は、だれも、画一的な都市など求めてはいないのです。一時期、中国人の「爆買」が話題になりましたが、それは、飽くまでも一時的な現象であって、長く続くものではありません。それに乗じて「儲けたい」という野心を持つ人はいるでしょうが、このコロナ禍で、「爆買い現象」も終わるはずです。
地方に行けば、豊かな「自然」が残り、地域全体で自然環境を「観光資源」として再開発をしていけば、環境破壊をすることなく、「日本の四季の風景」を楽しむことができるのです。古い日本家屋も「現代技術」で復元すれば、あばら家も歴史建造物に生まれ変わるでしょう。そして、その中で日本人らしい「おもてなし」文化が花開けば、外国人だけでなく、忘れていた日本人の「郷愁」を誘うに違いありません。バブル期などに行われた「再開発」は、自然環境豊かな土地に近代的な大きな建造物を建て「自慢」することでした。大きな資本を持つ企業が、その土地を買い漁り、社会から顰蹙を買ったのは昨日のことのようです。今でも、北海道や新潟県などは、外国人にかなりの土地を買い占められているといいますが、「国防上」も非常に危険な気がします。何でもかんでも、「古い!」で片付けるのではなく、「古さ」こそが「歴史や伝統である」と思えるようになれば、日本の「復活」はあるでしょう。そして、学校の教育にもぜひ、それらの「歴史や伝統の大切さ」を採り入れて欲しいと思います。
日本は、①近代的な都市、②清潔な街並み、③発達した交通網、④都市郊外の自然、⑤豊富な温泉施設、⑥美しく繊細な日本料理、⑦優しい日本人の笑顔、⑧穏やかな言葉遣い、⑨正直な態度、⑩規律を重んじる道徳性…などが、日本の魅力です。これを内外に「発信」することが、日本の特長を世界にアピールする大きな力となるのです。それは、子供たちにも同様です。日本の子供たちは「自己肯定感が低い」と言われますが、その責任は、政府にあることを忘れたのでしょうか。何度も繰り返しますが、今の教育の大本は、GHQによる「占領政策」にあるのです。だれもが、忘れているように振る舞いますが、それが「事実」でしょう。GHQは、「ヲー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(WGIP)を占領政策の中心に据え、日本人から「自信」や「誇り」を奪いました。それが、二度とアメリカに刃向かうことのできない方法だったからです。そのGHQが、「日本人の心」から「魂」を抜くことを忘れるはずがありません。だから、修身科を廃止し、道徳教育ができないように仕組んだのです。そんな日本の子供が、「自信」や「誇り」が持てるはずがないのです。今でも「自虐史観」と言われる日本の「近現代史」は、日本の「恥部」なのです。だから、政治家の多くは中国や韓国等に謝罪を繰り返し、向こうの国がどんなに日本や日本人に失礼な言動を採っても、反論もできないではありませんか。それで、日本の子供に「自信を持て!」と叱咤しても、大本を覆さない限り、それはあり得ない話なのです。だからこそ、新しい時代に生まれ育った日本人には、冷静な眼で歴史を俯瞰し、GHQの残した「負の遺産」を清算して欲しいと思います。新しい眼で日本を眺めれば、日本の「特長」が見えてきます。まずは、それを知ることから始めるべきでしょう。
①「近代的都市」とは、首都「東京」が世界のモデルにまるはずです。あの「東京駅」を見ると、古さと新しさが「調和」したすばらしい建築物です。東京駅からは、森の中に佇む「江戸城」が見えます。そして、そこは「皇居」となり、日本の「象徴」である「天皇陛下」がおられるのです。外国人がこの東京に来たとき、あの東京駅と皇居のある江戸城を同時に見るはずです。そして、「これが、日本だ!」と納得するはずです。世界有数の都市であり、日本の首都東京は、まさに「日本の象徴」的な街を表現しています。そして、整えられた街には、ゴミひとつ見当たりません。行き交う人々は、日本人も外国人も皆笑顔です。あの「風景」こそが、日本の都市のモデルであり、そんな街を日本中に創って貰いたいと思うのは、私だけではないでしょう。何でもそうですが、「価値」というものは、どちらか一方に傾いたとき、大きな歪みが生まれるように思います。「東京」が都市として完成されているのは、その「バランス」が絶妙だからです。「明治時代の駅舎」「江戸時代の城」そして「皇居を取り囲む豊かな自然」、「石畳の美しい道路」「整えられた街路樹」…。このバランス感覚が東京を「美しい街」として、だれもが認めているのです。これが、どちらか一方に偏れば、それは「野暮」というものでしょう。
②「清潔さ」は、日本文化の「基本」そのものです。この「清」の文字が、日本人を創ってきたと言って過言ではありません。日本人は、「清める」という言葉の意味をよく知っています。学校でも「清掃」という子供たちだけの活動がありますが、外国から来た人は、この姿を見て感動します。実は、私自身、以前、オーストラリアの教員と話したことがありました。学校の交流事業で来日した現地の教師たちでしたが、数日間滞在し、私の勤務していた学校にも来校されました。そして、終日、子供たちの清掃(黙働)する姿を見て、「日本はすばらしい。みんなが黙って清掃している。こんな文化は日本しかない。だから、みんな清潔なのだ…」そう語ってくれたオーストラリアの教員たちは、自分の国ではできないことを、残念そうに話していました。「分業」の進んだ国では、学校などの施設の清掃は「業者」が行うのが一般的で、子供たちに「掃除」をさせることはないそうです。確かに、日本でも学校以外の公的機関の建物は、職員で清掃することはありません。学校だけは、「教育の目的」のために行わせており、特に違和感を感じないのは、日本人だからでしょう。それに、「古事記」には、「神様」が川で体を清める場面が出てきます。そして、そこから日本の神々が誕生するという物語につながるのです。それは、尊いことであり、ここから日本人の「清める」という感性が生まれたのでしょう。それに、日本は「水」の国でもあります。清らかな水が滾々と湧き出る井戸は全国各地にあり、美味しい「水」をたくさん飲んで育ってきました。そうした「自然の豊かさ」も日本という国の特長なのです。この「清める」文化こそが、日本文化の原点なのだと私は思います。
③「発達した交通網」は、人をどの目的地にもスムーズに運んでくれます。鉄道網や高速道路網は、日本全国に張り巡らされており、その「時間の正確さ」は日本人の性格を表しているのかも知れません。江戸時代には、全国の「街道」が整備され、既に主要幹線道路は完成していました。馬や飛脚、旅人が頻繁に往来したために、宿場町が形成され、城下町と宿場町が、各地方の「拠点」となっていったのです。今でもこれらの街道は、「幹線道路」として「国道〇号線」になっています。それに、海上輸送も整備され、日本列島をぐるりと一回りできるように、港が整備され、蝦夷地(北海道)も当然、輸送路の拠点になっていました。こうした「交通網」が整備されたのは、江戸時代が戦乱のない「平和」な時代だったからです。明治政府は、それを基に鉄道網を敷き、戦後に航空路が整備されました。戦後、日本の自動車産業が発展したのは、交通網が整備されていたことと無縁ではないでしょう。ただ、最近では若者の「自動車離れ」が進み、高齢者も「運転が不安」という理由で、国内需要が減少しているように思います。それに、世界的な「環境問題」があり、ガソリン車にあまり未来はなさそうです。それでも、自動車産業は「環境に優しい」をテーマに掲げ、「エコ」な自動車の開発が進んでいるそうですから、将来が楽しみです。
さらに、今、盛んに研究が行われている自動車の「自動運転システム」が完成すれば、高齢者も運転免許を返納することなく、安全に自動車に乗れる日が来るかも知れないのです。既に各メーカーは、鎬を削って開発に取り組んでいると聞きます。それに、日本の自動車産業は、現在でも日本の「基幹産業」です。世界の各メーカーは、日本車以上の製品を誕生させてくるはずですが、「総合点」としては、如何でしょうか。これからの「日本車」は、特に「自動運転」や「安全装置」「エコ」の分野において、日本人らしい「思いやり」「優しさ」に満ちた自動車の開発を進めて欲しいと思います。痛ましい「交通事故」が激減すれば、日本中、どこにでも安全に行ける時代が来るはずです。そして、それは、世界に発信できる日本の「環境に優しいエコな暮らし」として注目を浴びるのではないでしょうか。
都市を一歩離れて郊外に出ると、すぐに豊かな④「自然」が眼に入ってきます。東京の高尾山が外国人には有名ですが、外国人にとっても、整備された「山」は、日本の自然を身近に感じられ、日本の「美しさ」を実感できるでしょう。そもそも、日本の山々の多くは、「自然崇拝」の対象となっており、特に「富士山」は、山そのものが信仰の対象であることは有名です。最近になって、やっと「環境整備」にも力が入れられ、「美しい自然」を取り戻そうとする運動が盛んになってきました。さらに、富士山などの高い山の「伏流水」は、枯れることなく滾々と湧き出て、地域に自然の恵みを与えています。私も「忍野八海」を何度か訪れましたが、外国人観光客が多いことに驚きました。そして、だれもが、その「美しい水」に感動しているのです。その水は、飲んでも抜群に美味しく、手の込んだ「ソース」でも、その美味しさには太刀打ちできないでしょう。日本人は、これまで、そうした「資源」をあまり貴重な「財産」とは見ていなかったのかも知れません。豊富な水は、「工業製品」にも欠かせないものであり、品質の高い製品を造ろうと思うのなら、純度の高い「水」が必要なのです。だから、富士山周辺には多くの「精密機械工場」があります。
日本の多くの山には、戦後の建築材の需要を見込んで「杉の木」が植えられています。それが、外国材の輸入が増えてくると、コストの関係で、国産の「杉材」が使われなくなったそうです。そのために整備されない森は荒れ果て、杉が放出する「花粉」によって、国民の多くは「アレルギー」に悩まされている現状です。こうした事業は、元々は「国の事業」であり、国策として行ったのであれば、政府も「林業」の再生に力を尽くす必要があるはずです。一番いい方法が、「杉材」を初めとした「国産材」を建築に使用することです。最近では、競技場や野球場、劇場などの大型施設に「木材」を使う動きが出てきていますが、まだ、主流ではありません。しかし、大型商業施設や公共施設に「木材」が使用されるようになれば、住宅にもその技術が「応用」されるはずです。日本の「木材」は品質もよく、建築材としては申し分ありませんが、外材と比べれば高価で、庶民の手には届かない高級品だったのです。しかし、今のように「環境の配慮する」時代になれば、何でも安価な「外国産」にばかり頼ってはいられません。これからは、国内の「林業」を盛んにして、国産の「木材」を有効に活用して欲しいと思います。林業が復活すれば、自然を愛する若者たちが、喜んで仕事に就くに違いないのです。日本の若者は、けっして都会にだけ憧れているわけではありません。きつい仕事がいやなわけでもありません。そこに自分の人生をかける魅力がないから躊躇っているのです。林業を初め、農業や漁業も、その「やり方」を見直せば、魅力ある産業に生まれ変わるに違いないのです。日本には、世界に誇れる「豊かな自然」がたくさんあります。それを友好に活用してこなかった責任は、政府にあります。しかし、その「政府」が本気になって「国産」に拘る政策を打ち出せば、日本の国内産業は蘇るはずです。それは、学校教育においても、大きな力になるはずです。子供たちの夢が、「農業や林業、漁業」などに眼が向けられたら、どんなにすばらしいことでしょう。私も生きているうちに、子供たちが「お米を作りたい」とか、「たくさん魚を育てたい」などの声が上がるような時代を見てみたいものです。
日本全国には、⑤「温泉」がたくさんあります。火山列島である日本に「温泉」が湧き出てくるのは当然ですが、それを巧みに利用してきたのが「先人の知恵」というものでしょう。そして、この「温泉」こそが、日本を代表するの重要な「観光資源」なのです。私も温泉が大好きな一人ですが、常々、時間があれば「温泉に入りたい」と思っています。昔、「外国人は湯船に浸かる習慣がないので、温泉には入りたがらない」といった風説がありましたが、それはとんだ「誤解」でした。どうも、日本人は外国人の一面ばかりを見て「知ったかぶり」をする人が多かったようです。魚の刺身や寿司にしても、「外国人は生魚は食べない」と言われていましたが、今では世界中で「寿司」は食べられています。これも、外国人に対する偏見でしかありません。当時は、日本人もあまり海外で出て行きませんでしたので、意味のない「噂話」程度のものが、恰も「真実」であるかのように語られましたが、交流が盛んになると、そんな好き嫌いは飽くまでも「個人差」によることがわかってきました。
今時の「温泉」は、ただ入るのではなく、温泉施設に付随する「サービス」が充実してきています。どの地方にも「名産」と呼ばれる食材があるものです。たとえ、古い温泉街でも、その食材を使って地方ならではない「ご馳走」を作れば、大人気になることは間違いありません。私の子供のころは、何処に行っても「金太郎飴」状態で、温泉旅館に行っても「刺身、天ぷら」が定番料理でした。それも、ありきたりの「マグロの刺身」に「エビの天ぷら」では、その地方に出かけて行った意味がありませんでした。ところが、ここ20年ほどは様子が違います。山の温泉であれば、「キノコ・山菜・蕎麦・鮎・イワナ・鰻・鹿・猪…」など、その土地でしか味わえない食材がたくさんあります。それをどのように料理するかは、その旅館の料理長の腕の見せ所ですが、「珍しくて、美味しい料理」であれば、遠隔地からでも客は集まります。外国人も今や「スマホ」を使って日本のことを詳しく調べて、山奥まで訪ねて来る人もいるようです。既に「情報」は世界中に発信されているのです。その現代的な情報網を利用すれば、「古びた温泉街」も「歴史の香る湯の町」に変身できるのではないでしょうか。
そこでは、温泉施設や周辺地域の「バリアフリー化」や、歩きやすい「路面」、「温泉手形」などを工夫して日本の温泉の素晴らしさをアピールしていただきたいと思います。それは、その自治体の問題でもありますが、今や「観光地」として人気なのは、そうした取り組みを「自治体ぐるみ」で行っていることです。「何処に行っても同じ」という金太郎飴行政では、その町の発展はありません。そして、宿泊施設では、食べきれないほどの料理を出すのではなく、年齢や好み、アレルギー等に配慮した「安全で安心」な食材に拘った料理を提供して欲しいものです。人は、けっして「量」や「豪華さ」だけを求めてはいるのではありません。その施設の対応の「きめ細かさ」や、「優しさ」こそが、最上の「おもてなし」なのです。少し前までは、何でも「マニュアル化」して、だれでも同じサービスができることが「よし」とされましたが、そんな「同じサービス」など、だれも望んではいないのです。その客の様子を見ながら、「どのくらい配慮できるか」が、接待の基本です。人間は、一人として「同じ」人はいません。その一人一人に気を配り、声をかけ、思いやりのある接待に心がけていただければ、客は大満足なのです。確かに、「マニュアル」は、機械には便利な手法ですが、人は「機械」ではありません。たとえ、「AI」に答えを出してもらったとしても、人の温かい「おもてなし」に勝てるものなのありはしないのです。それこそが、まさに「生きる道徳」だと私は思います。
平成の時代になると「グローバル」という言葉が盛んに遣われるようになり、世界の「国境」という壁がなくなることを持て囃す論調が増えてきました。これも、今となっては「怪しげ」な世界戦略のひとつだったようですが、この時代には、だれもがそう信じ込んだのです。その中で、世界の眼は日本にも注がれるようになりました。そして、日本文化の再評価が行われ、⑥「美しく繊細な日本料理」が、注目されたのです。今では、「和食」はユネスコ文化遺産に登録されるまでになり、「フランス料理」「中華料理」と同じように、「和食」は国際的に高い評価を受けています。これまでは、日本独特の文化でしかなかったものが、世界的になったのには理由があります。それは、ひとつに「健康志向」の高まりがありました。要するに、「和食は健康的な料理」という評判です。いつも「肉・脂」ばかりを摂る欧米人にとって、長寿で名高い日本人の食生活を調べて見ると、「野菜・魚」中心の和食は、カロリーも低く、まさに「健康的」な料理に見えたのでしょう。そうなると、「食わず嫌い」な人でも、一度は食べてみたくなるものです。そして、日本に訪れた外国人がSNS等で「絶賛」するようになり、和食は世界を代表する「料理」に選ばれたのです。
和食は、「ユネスコ無形文化遺産」にも登録された世界の「宝」になりました。これまでは、外国人が来日すると、「外国人の好み」に合わせた料理を提供していた日本も、自信を持って「和食」を提供するようになったのです。日本で行われる国際会議などでも、和食や和食器が使われ、日本酒も振る舞われています。そして、世界の要人のだれもが「美味しい!」と絶賛してくれれば、世界の人々は挙って「和食」を食べようと興味を示し始めました。今や、「和食」は外国でも高級な料理のひとつなのです。それに、高級料理ばかりでなく、「ラーメン」や「そば」、「うどん」などの麺料理も、日本ならではの物はたくさんあります。「B級グルメ」と言われるように、庶民が喜んで口にする料理にも、和食の神髄が見られるのです。日本人は、どの世代の人も「探究心」が旺盛で、「この程度でいい」とはしません。繁盛店を見ると、どの店でも「旨さ」と「新しさ」を追究して研究に励んでいます。学校時代は、あんなに勉強嫌いだった人が、好きなことになると、とんでもなく熱心に取り組むのが日本人の特長です。だから、子供時代は「パッ」としない人でも、大人になって、見違えるように活躍する人が出てくるのです。これは、教育の成果というよりは、生まれ持った「先祖の遺伝子」だろうと思います。そのために、日本で「料理店」を開こうとすると、もの凄い激戦の中で戦っていかなければなりません。そのくらい、熾烈な競争がある世界だからこそ、すばらしい料理が生まれるのだと思います。そして、今やSNSを使えば、いつでも、世界中に情報は発信されます。その「情報ツール」を上手く使って、日本をアピールして欲しいと思います。
⑦「優しい日本人の笑顔」は、多くの人を魅了します。それに気がつかない人は多いと思いますが、日本人が見ても、日本人の「笑顔」は最高です。天皇皇后両陛下は、どんな場面でも慎ましい「笑顔」で人々と接し、国民を優しく包んでくれます。日本の「仏像」の多くも「微笑み」を絶やさず、その姿が、「心の痛み」を和らげてくれます。そして、「道徳心」の厚い人ほど、笑顔が素敵です。「顔は、その人の性格を表す」といいますが、「整った顔」というのではなく、「美しい顔」の人は間違いなく存在しているのです。今のことですから、「整った顔」にすることは、医学的に可能ですが、その人の「心」を医学で整えることはできません。しかし、自分の気持ち次第で、美しい「心」を育てることはできるのです。そのことを私たちは、忘れてはならないと思います。
日本人は、元々自己主張を好まず、大声を出して自分の考えを述べることを「恥」と考えています。まして、相手を言葉でやり込め、優越感を持つような「厚かましさ」は、日本人の「美的感覚」にはありません。もし、昔の侍がそんな姿を見せれば、周囲から「恥を知れ!」と厳しく咎められることでしょう。今の学校や社会では、「もっと、自己主張をするように!」と言いますが、本当にそれでいいのでしょうか。そんな「日本人」を外国人は「魅力的」に映るのでしょうか。偏見かも知れませんが、「それはない!」と私は思います。昔、日本人があまり海外に出て行かなかったころ、外国人は日本や日本人のことを知らず、「経済だけが進んだ国」という認識しかなかったと思います。日本人は、すぐに「敗戦」を思い出しますが、それは、日本人だけのことで、勝利した側の人間が、敗れた国のことを気にかける人はいないでしょう。日本人は「自意識」が高いために、「人にどう思われているか?」が、とても気になるようですが、自分たちと同じような「性格」になった日本人が登場してきたら、それはそれで「何だ、こいつらは?」と異様に映るのではないでしょうか。ところが、最近は、多くの外国人が来日し、常に「行きたい国」の上位に入るのだそうです。「不思議な国日本」が「美しい国日本」に近づいている証拠です。その魅力のひとつに、日本人一人一人の「笑顔」があるとすれば、日本人が何を「目指すべきか」わかるというものです。「不思議な国」の時代は、「何を考えているかわからない?」と非難されましたが、今では、その「穏やかな微笑」みこそが、「癒やし」の効果をもたらしているのです。つまり、日本という国が理解されていなかったころ、日本人の微笑みが、は外国人にとって「不気味」に見えていただけのことです。
戦後、イギリスの「チャーチル」は、「第二次世界大戦回顧録」の中で、日本人をこう評しました。「日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑む。それで、もう一度無理難題を要求すると、またこれも呑む。無理を承知でもっと要求してみると、今度は、笑みを浮かべていた日本人はまったく別人の顔になって、『これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは…。ことここにいたっては、刺し違えるしかない』といって突っかかってくるのだ」と。これが本音か嘘かはわかりませんが、有色人種である日本人を蔑み、ばかにしているからこそ、こんな発言が出てくるのだと思います。チャーチルは、アメリカのルーズベルトと並んで、最悪な「人種差別主義者」ですから、こんなふざけた評論をしているのです。たとえ、イギリスの英雄であろうと、「人種差別」に負けるわけにはいきません。確かに、これでは本音の議論にならなかったはずです。しかし、日本人は、誠心誠意、「努力」することを「美徳」としており、虚言を弄してまで、勝利を得ようとは思わない国民なのです。それが、今、やっと世界の人々に理解され、共感されるようになったことは、本当に喜ばしいことだと思います。もちろん、政治の世界には、国益をかけた外交がありますので、どの国でも、政治家や外交官は「言葉」で必死に戦うことでしょう。それは「戦争以上の激しい戦いだ!」とも言われます。しかし、それを国民に求めるのは違います。国民は「友好と親善と平和」があるだけなのです。今、やっと、世界が日本や日本人について「理解」してくれるようになりました。そして、その日本に「興味」を持ち、自分たちと違う「文化」に憧れさえ抱いているのです。それが、日本人の「笑顔」に象徴されているとしたら、これを大事にすることが、「日本を生かす」ことなのではないかと思います。とにかく、この「優しい笑顔」こそが、本当の「日本人の姿」であり、世界が忘れていた「道徳」なのだと思います。
日本語の特長として言えるのは、「語彙」が豊富だということです。英語のようにひとつの単語でいくつもの情景を表現するのではなく、細かくその情景を切り取って言葉に表すことができます。それが、日本語の美しさにつながっているのですが、世界の中でも「難しい言語」だと言われるのは、その「表現の巧みさ」にあると思います。たとえば、「朝の情景」を表す言葉には、「暁(あかつき)」「東雲(しののめ)」「曙(あけぼの)」「黎明(れいめい)」などがありますが、これも、陽の昇る時間によって言い方が変わります。英語では、「モーニング」の他にどんな言い方があるのでしょうか。これほど、細かな表現方法を持つ日本語を習得している日本人が、その「言葉遣い」が粗野になるはずがありません。もちろん、碌に国語を勉強もせずに、日常会話だけで生活を送ってきた人は別です。それは、私たちが「英会話」だけで、英語をマスターしたかのような錯覚に陥るのとよく似ています。「英語ができる」とは、「英会話ができる」というのは間違いです。少なくても「英文小説」が読めて初めて「英語が少しできる」程度のものでしょう。ある学者によれば、「シェークスピア時代の英語と今の英語はまったく違う」ということですが、日本語も江戸時代以前の「古典」を読める人が少ないように、英語にも時代の流れがあるということでしょう。つまり、言葉はその人の「人格」までも形成する力を持つのです。粗野な日本語だけで育った人は、性格も粗野で行動も荒々しく、成長することがありません。しかし、美しい日本語を聞いて育った人は、性格も穏やかで日々成長していきます。そう言うと、「それは、偏見だ!」と言う人が現れることは承知していますが、私自身の経験上、間違いないと確信しています。
⑧「穏やかな言葉遣い」は、人の気持ちを和ませます。残念ながら、一部の日本人には、「日本人らしさ」を忘れ、「言った者勝ち」とばかりに大声で怒鳴る人が増えてきました。しかし、それが日本人の「標準」になることはあり得ません。まさに、「異端の日本人」でしかなく、その周囲の人たちは、皆、眉を顰め、心の中では軽蔑しているに違いないのです。愚かな日本人は、その周囲の冷ややかな眼に気づかないのか、傍若無人に振る舞い、社会の中心から逃げるように消えていくものです。こういう輩が登場するのも、一時のことでしょう。どの時代にもそうした「アウトロー」はいましたし、そういう人たちが自分たちの世界を「縄張り」と称して争っていたことも知っています。「必要悪」とまでは言いませんが、何処の社会にも付きものの「裏社会」があるというのも現実なのです。それが、社会の「秩序」を保つためには必要だったのかも知れません。ただし、その世界の人が「表社会」に出てくることはあってはなりません。最近は、その「裏社会」を気取った犯罪等が多く見られ、日本の恥部を見る思いがします。
ほとんどの「賢い日本人」は、世界の評価に敏感です。それが、日本人の「美徳」だと褒められれば、もっと自信を持って「美しい言葉遣い」に努めることができるのです。何度も繰り返しますが、「言葉は文化」そのものなのです。特に学校の教師は、そのことを忘れてはなりません。たとえ、子供に好かれようと、一緒になって友だち言葉を遣っても、それを「よし」とする子供はいません。家に帰って親に、「うちの先生、面白いよ…」という言葉を発したとします。それを聞いた親は、「面白いってどういうこと?」と尋ねるべきでしょう。それが、「話が面白い」とか、「授業が面白い」ならわかりますが、「ふざけて面白い」なら、即刻、子供に注意するべきです。そして、その教師にも注意勧告をされては如何でしょうか。このような低次元の「面白さ」は所詮一時の感情でしかありません。こうした教師は、次に子供から、「ばかな大人だ…」と蔑まれ、それなら…と無理な要求を持ち出し、「できる…?」と教師を試すようになるのです。こうなれば、いずれ、立場は逆転します。子供の「召使い」になりたいのなら、そうすればいいと思いますが、それでは「教師」を名乗る資格はないでしょう。自治体に「教員」として採用されても「教師」になれないまま教員生活を終わる人も多くいます。途中で挫折して辞めていくのも多いのがこの仕事でもあります。子供は純粋なだけに、「人を見抜く力」は大人以上の鋭さを持っています。どんなに子供に阿って「楽」をさせてあげても、いつまでも「甘いもの」は食べきれません。すぐに「飽きて」次の「楽」をねだるようになるのです。教師としての理想は、「言葉の力」で子供の心を掴むことです。多くの知識、教養、技術等を併せ持ち、教師個人の「魅力」で子供の心を掴むことができれば、立派な「教師」になれるでしょう。それくらい、「日本語」の持つ力は偉大なのです。
日本人の心の基本は、⑨「正直」にこそあります。だれしも、子供の頃から「嘘を吐くな!」と教わってきたはずです。一部の臍の曲がった人間は、平気で嘘を吐きますが、99%の日本人は、嘘を嫌います。そして、人生、「正直」であろうと努めます。これは、何も日本人の特長ではなく、世界中の人々が基本にしている「考え方」ではないでしょうか。ただ、社会は必ずしも「平等」ではありません。理想は「平等」を謳っていても、実際は大きな「格差」が生まれるものです。そして、どんな民主主義国でも、競争の原理によって「富」は平等には配分されません。今の日本でも「富裕層」と呼ばれる人たちは、人口の数%しかいないという話もあります。それでも、それを羨んだり妬んだりしても、自分の人生が変わるわけではありません。そんなことより、「正直に生きる」ことこそが、どれだけ「心の安寧」をもたらすかわかりません。時には、それが「損」をする原因となったり、「詐欺」にあったりすることもあるかも知れませんが、「騙すより、騙されろ」が、日本人の教えなのだと思います。
日本人は、一見、おとなしく消極的に見えますが、「芯」は優しく正直者ばかりです。困っている人を見れば、最初は、「誰かが助けてくれるだろう…」と考えますが、それでも、だれも動かなければ、次には、だれかが声をかけています。そして、声をかけた以上、最後まで「心配している」のも、が日本人らしくて私は好きです。私の勤務校で働いていたガーナ人講師(ALT)が、ある集会のときに、小学校の子供たちにこんな話をしてくれたことがありました。
「私は、初めて日本に来たとき道に迷いました。目的地まで行く道がわからず、駅で途方に暮れていましたが、外国人の私に声をかけてくれる人はだれもいませんでした。時間が30分以上過ぎました。もう、無理だから帰ろうと思ったそのとき、さっき、私の前を自転車で通った中学生の少年が側に寄ってきました。その少年は、英語があまり上手ではありませんでした。でも、一生懸命、私に聞こうとしてくれたのです。だから、私も一生懸命、知っている日本語で話しました。地図を広げ、○○は、どこですか?と聞くと、その少年は、にこっと笑い、自転車を押しながら、私の手を引いてくれたのです。私は、やっと、目的の場所に着くことができました。日本語でありがとう…と言うと、少年は、また、にこっと笑い、手を振って自転車に乗って行ってしまいました。あっ、私は、その少年の名前を学校も聞くことを忘れていました。本当に残念です。でも、もし、この少年がいなかったら、私は、日本人は、なんて冷たい人たちなんだろうと思ったと思います。そして、もう、二度と日本には来なかったでしょう。でも、この少年と出会えたことで、私は日本が大好きになりました。今では、奥さんも日本人です。日本人は、本当に優しいと思います。どうか、皆さんも、そんな優しい人でいてください」
この中学生は、きっとすぐに、この外国人が困っていることを察したのでしょう。でも、英語に自信はありません。それでも、助けてやりたい…というジレンマの中で悩んだ末、声をかけることにしたのだと思います。些細な「日常の一コマ」ですが、これが、「日本人らしさ」なのだと改めて思いました。だから、外国人が来日しても、日本で困ることはけっしてないでしょう。そのALTは、「私は、ガーナと日本の架け橋になりたい…」と今でも頑張っているそうです。
最後に、⑩「規律を重んじる道徳性」は、日本人の「性根」にある国民性というべきものです。うっかりすると忘れていることもありますが、どんな日本人にも必ずある「感性」だと信じたいと思います。日本は「災害大国」と言われますが、どんなに苦しい状況に置かれても、日本人の多くは、不平不満を口に出さず、黙々と耐えることができます。あの「東日本大震災」の時、東北の子供たちが大活躍をした話をご存知でしょうか。教師の指示で、配食や便所掃除、物品の運搬や幼児の世話まで、本当に頑張ったのは子供たちだったのです。それに比べて、最初に不平を口にしていたのは、なんと「大人の男」たちでした。ある避難所でこんなことがあったそうです。
「災害直後に、大勢の避難者が、学校の体育館に逃げてきた。最初は、騒々しく、余震の心配や家族の安否などで避難所もごった返していた。しかし、暫くすると、落ち着きを取り戻したが、だれも、どう動いていいかわからなかった。お互いに遠慮もあったし、知らぬ者同士が狭い中で、イライラする者も多かった。中には、老人もいる。幼児もいる。若い女性は、不安で、着替えも碌にできない。トイレも使えば使いっぱなし、ゴミは増え、匂いも出てくる。後始末をするのさえ、一部の人間だけが黙々とやっているような状態だった。そのとき、大きな声がかかった。『おうい、○○中学校の生徒、いるかあ。いたら、先生のところに集まってくれ!』それを聞いた中学生らしい男女が、バラバラと先生らしき男の人のところに集まり始めた。それは、最初は十人ほどだったそうだ。中には、別の中学校の生徒もそこにいた。先生は、『君たち、すまないが、一緒に便所掃除をしてくれないか…』すると、皆、一瞬『えっ…?』という顔をしたが、すぐに『わかりました!』と返事を返した。十人は、男女に分かれ、他の数人の大人たちと一緒に、便所掃除を始めた。もちろん、水はない。水は、プールから運んでくるしかない。それでも、中学生たちは、一生懸命、汚れた便所掃除に取り組み始めた。それを横目で見ながら、大人たちは、まだ、動かない。
そのとき、救援物資の食糧が運ばれてきた。便所掃除に行かなかった女子生徒数名が手伝いにやってきた。『私たちもやります』そう言って、菓子パンの入ったトレイを持って、避難者に配り始めた。みんな、『ありがとう、ごめんね』と言いながら、家族分を貰っていった。そのとき、大人の男がやって来て、『もっとくれ!』と言うや否や、奪うようにいくつかのパンを持ち去った。女子生徒は、『あっ、待ってください…』そう言ったが、もう、どうしようもなかった。女子生徒は、涙を流して泣いた。ただでさえ家族や友だちが、どうなったかもわからず、心が乱れ、それでも、涙を堪えて頑張っていたのに、こんな仕打ちを受けて、もう、自分の感情を抑えきれなかった。その泣き声が、避難している人たちの心を打った。最初に、女性たちが駆け寄ってきた。『ごめんね、ごめんね』『本当は、大人の私たちがやらなきゃ、いけないのにね…』そう言って、女性たちも泣いた。それから、続々と、大人たちが働き始めた。荷物運びは、男たちがやった。便所掃除は、みんなでやった。小学生も男の子は、水くみを手伝った。小学生の女の子は、小さい子供の面倒を見た。避難所新聞を作って張り出した。こうして、中学生から始まった、避難所運営は、閉鎖されるその日まで続けられた。」
マスコミは、政府の対応への「不平不満」を取材しようと、避難所に押しかけ、悲しみの癒えない人々にマイクを向けました。記者たちは寒くないようにと、メーカーの防寒着を着て、化粧までしていました。取材を受ける方は、着たきり雀で、女性たちに化粧道具すらありません。それでも、記者たちは、自分の仕事のことしか頭にないかのように、傍若無人に振る舞いました。それは、「取材という名の暴力的行為だ!」と避難民たちは、後に怒りを口にしたものです。しかし、東北の人々は、マスコミの挑発には乗りませんでした。一人、若い男が、期待通りにカメラの前に立ちましたが、後で「親類縁者」から酷く叱られたはずです。「おまえ、何、言ってんだ。そんな、恥ずかしい真似をすんな!」と…。それが、日本人の矜恃なのです。こうした規律を重んじる態度の背景には、「恥」という文化があるからです。昔の侍ならば、人に辱めを受ければ、負けるとわかっていても刀を抜き、差し違える覚悟で向かって行ったはずです。
東北地方は、百年前の戊辰戦争で新政府軍に辱めを受け、女子供に至るまで武器を取り、戦った歴史があります。東北人は、戦ったことを後悔しているわけではありません。敗れたことを恨んでいるのでもありません。ただ、「辱めを受けたこと」を、恥辱と感じて忘れないのです。別に、今の鹿児島や山口の人たちに、どうこう言うつもりはありません。しかし、同じ侍として、なぜ、敗れた者たちの「武士道」を辱め、あれほど酷い「差別」をしなければならなかったのでしょうか。同じ「武士道」という道徳を学びながら、戦争になると、そのすべてを忘れ去り、鬼畜同然の姿に変身できるのは、如何なる理由か伺いたいものです。高名な学者の皆さんは、それを「戦争とは、そうしたものです」としたり顔で言うのでしょうが、そんなはずはありません。侍であっても、「武士道」を方便と見做す人たちがいたという証拠です。本心から「武士道」など信じてはいないのに、方便として「武士道」を利用した「似非侍」が向こうには多かったのでしょう。結果、その一点において、明治維新は「大きな過ち」を犯したと思います。
「人の生き方」とは、優劣や勝敗が問題ではありません。どちらに真の「正義」があるかどうかなのです。負けるとわかっていても戦う姿こそ、あの「チャーチル」が理解できなかった日本人の「大和魂」なのです。
最後に、少しだけ、私の考える「日本人論」を述べたいと思います。いくら英語を流暢に話せても、「心」が日本になければ、「日本の歴史と文化を伝承する日本人」と呼ぶことはできません。国籍はたとえ「日本国」にあったとしても、「心」が別のところにある人は、その心が安らぐ「世界」で生きてくべきでしょう。現代は、まさに「グローバル化」された世界だそうですから、その世界で生きていきたければ、日本国籍を捨て、「国際人」として多民族国家で生きていくことをお勧めします。日本国の恩恵を受けながら、日本の伝統や文化を破壊しようとする勢力に私は与しません。日本人一人一人が国を「誇り」に思い、己をとおしてその「魅力」を発信し、世界の中で日本が正当に評価してもらえるよう努力したいと思います。それは、学校や「教師」も同じなのです。日本の教育は、「日本人を育てる教育」でなければなりません。
本来、日本の中で一番冷静で「客観的な情報」を提供できるはずの日本の「マスコミ」は、既に「左翼勢力」によって乗っ取られ、日本の業界でありながら、「違う世界」の誕生を望んでいるようです。おそらく、戦後のGHQの「WGIP」の計画に基づき、日本人が、その精神を取り戻さないようにプログラミングされた組織になっていたのだろうと思います。当時の日本政府もそれを承知していながら、GHQに逆らうような真似はしませんでした。「再軍備」の代わりに「経済発展」を優先し、それをアメリカに認めてもらう代わりに「日本人の心を捨てる」計画に与したのでしょう。そうでなければ、学校での「道徳教育」を長い間放置したり、「反政府」を煽るマスコミを放置してはおかなかったでしょう。実際、法律はあっても、それを厳格に運用するつもりもないのです。国民の多くは、その政治的な企みに気づかず、今も騙され続けています。
マスコミは、残念ながら、自分たちが生き残るために「GHQの指令」を受けるしかなく、その指令の下に活動を続けてきたのです。そう言うと、必ず、「妄想を言うな!」だとか「証拠を出せ!」という人たちが現れますが、今の現状を考えれば、そうとしか思えない「状況証拠」は山のようにあります。それでも、自分たちは、「正しい情報を伝え続けている!」と主張するのでしょうが、一度「魂」を売り渡した企業が、正常に戻る道はありません。しかし、それも「生き残るため」には必要だったのでしょう。そして、それは会社の「社是」となり、危険な「保守的な活動」を「情報の操作」によって潰してきたのです。そして、日中国交回復が成ると、マスコミは、中国の支援を受けて、「日中友好」を旗印に、さらに「反日・反政府」になるように運動を活発化させました。それは、益々「先鋭化」し、今では、「開き直り」とでも言えるような言動を繰り返し、マスコミの信用はがた落ちです。それでも、日本のマスコミが、その方針を転換することは絶対にありません。それほど、根は深いものがあると思います。それは、政界でも経済界でも教育界でも似たようなものですから、マスコミだけを責めるのも酷というものでしょう。
そう考えると、一度の敗戦が、その国の「すべて」を変えてしまう怖ろしさに「身震いする」思いがします。もし、このようなGHQの「呪縛」から逃れ、日本の「歴史と文化」を重んじようとする日本人が一人でも生まれれば、数十年後に日本は大きく変わる時が来るかも知れません。そのとき、日本はもう一度、大きな「内乱」を経験するかも知れませんが、日本という国が「生きるか死ぬか」の瀬戸際には、多くの名もない日本人が一斉に蜂起するような気がします。
既に世界の多くの国々は、日本と日本人を「見直し」始めています。他国がどれほど、日本を貶めようとしても、曇りのない眼で見れば、だれを「信用」していいかは一目瞭然です。確かに日本の政治は「三流」です。世界の中でも、こんなに「現実感のない」な政治はありません。隣国がミサイルを領海のすぐ側まで何発も撃ち込んでいるというのに、国会では騒ぐどころか、「遺憾であります」のひと言で終わらせ、その後の「非難決議」も国連への提訴もありません。普通なら、「国交断絶」くらいの厳しい措置を通告してもいいくらいです。それを国会では、僅かな議論しか行われず、「防衛」については、まるで他人事のような話に終始しています。既にロシアは隣国のウクライナに侵略戦争を行っていると言うのに、まるで「対岸の火事」以上の無関心を装っています。そのロシアは、日本の旧敵であり隣国なのです。
実際に、国土が攻撃され犠牲者が出なければ目覚めないのかも知れません。いや、それでも「目覚めない」かも知れません。国民はそのくらいの「絶望感」で政治を眺めています。そして、「領土」を奪われても、やはり「遺憾」しか言えない政治家は、最早日本には不要です。最近では「台湾有事」が叫ばれていますが、実際にそれが起きたとき、日本はどうするのでしょう。「尖閣諸島」が中国に奪われ、泣き寝入りするようでは、日本は「国」としての誇りも失った証拠です。そうなれば、当然の如く、「日米同盟」が破棄され、日本は民主主義国から見放されることでしょう。もし、それを国民が「選択」するのだとしたら、それも「民意」ということになります。残念ですが、それで「日本国」は、この地球上から消えてなくなるのです。今の暮らしもなくなり、何処かの国の「属国」として、考えられないような「差別」に甘んじる生活が待っているのです。しかし、私は絶望はしていません。日本に「天皇」がおられる限り、その旗(錦旗)の下に心ある日本人が集まり、新生日本を創り上げることでしょう。そうした「精神」を持つ日本人は、たくさんいると信じています。
おわりに
「生きる」ことは、簡単なことではありません。「生涯100年時代」と言われますが、人間が100年生きるには、己の「欲得」だけで生きられるものではないことは、だれもが感じていることでしょう。たとえ、「経済力」があっても、「健康」が保たれていたとしても、それで「心」が満たされるわけではないのです。「生きる」ためには、どうしても「自己満足」が必要なのです。この自己満足というものは、「自分で自分を褒め」ても、得られるものではありません。オリンピック選手の言葉とは違うのです。彼らは、すでに多くの日本国民から賞賛され、十分、自己満足は達成されているからこそ、「自分で自分を褒められる」のです。自己満足は、自分の生きてきた「評価」であり、「証」なのです。それは、自分の「欲得」だけで生きてきた人には、絶対に得られない「果実」だと言ってもいいでしょう。「人は、人のために生きる」とは、単純な理屈ですが、「本来、そうあるべきだ」と言うような「倫理」を説いているわけではなく、人は、そう生きることに喜びを感じる「脳」を持った生物だということなのです。
戦争中も、なぜ、多くの若者が、身を捨てて戦うことができたのか…。それは、けっして、殴られるのが恐いから…とか、洗脳されていたからだ…とか、そんな単純なものなどではありません。心の奥底で、「人のために役立てる」と思っていたからこそ、「ペンを捨て銃を取った」のです。確かに、戦争は醜い。しかし、人は、避けられない危難に際しては、「家族のため」「愛する人のため」「みんなのため」に、命を投げ出す覚悟を決めて戦う使命感が生まれるのです。それを、平和な時代に「安全」な場所に身を置き、人ごとのように評論する人間を、信じてはなりません。教師は、未来に生きる子供たちに「生きる使命を教える」という、崇高な役割があります。だれが何と言おうと、その使命感なくして、教壇に立つ資格はありません。日本の教師は、江戸時代も、明治、大正、昭和の時代も、根底には、そんな心を宿しているのです。そんな日本人が一人でもいる限り、この「日本」という国は滅びません。いや、滅ぼしてはならないのです。
終わり
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