学校における「ブラック化問題」に端を発した教職員の「働き方の実態」は国民に遍く知られるようになり、その問題の波紋は、燎原の火のように全国へと広がっていきました。今では、あれほど人気だった「学校の先生」になろうとする若者は激減し、「なりたくない職業」のトップを走る勢いです。こんなに不人気にした責任を国民はどう思っているのでしょう。おそらくは、「先生も大変だなあ?」と他人事のように嘆息しているか、「あんなに不祥事を起こしているようじゃあ、だめだなあ…」と呆れているのかも知れません。また、頻繁に報道される「教職員の不祥事」は、文部科学省や各教育委員会からの「綱紀粛正の指導」にも関わらず後を絶たず、マスコミの恰好のネタになっている有様です。今では保護者の雑談の中でも、「そういえば、うちの担任も酷いもんよ…」と仲間内で囁かれるようになり、日頃たまっている鬱憤を晴らす材料に使われているのではないでしょうか。これでは、本当は、「学校の先生になりたいなあ…」と思っている若者も、今の現状を知ると尻込みしてしまうのも大いに頷けます。最初から「ブラック」だとわかっている職業に敢えて就きたいはずがありません。なぜなら、最初から苦労をするのが眼に見えているからです。親でさえ、以前なら我が子が「学校の先生になりたい」と言えば、「そう…、でも大変よ」と言いながらも応援してくれたものが、今では、「あんた、止めときなさい。あんな酷い仕事。他にもっといい仕事があるじゃない!」と真っ向から反対するのではないでしょうか。それもこれも、教育界そのものが「金属疲労」を起こしているのに、国がその問題を放置し続けたからに他なりません。本来、教育は「だれかがやる仕事」ではなく、国民みんなで取り組む「人としての使命」だったはずです。そして、それが果たせたのは、「教育(子育て)」そのものが、人としての「生き甲斐」であり、生きる「張り合い」でもあったからです。だから、イザベラ・バードは、日本人がみんなで子供を可愛がる姿を見て感動したのでしょう。そんな光景は今の日本にはありません。今や「教育」は、親でさえ忌避したくなるような「煩わしい仕事」であり、学校や保育園などの専門機関が担うものになってしまいました。「社会が発展する」ということは、こうした人間らしい営みがなくなることを意味するのでしょう。人間が「動物」としての本能を失いかけているのかも知れません。
学校のブラック化が表面化した原因は、文部科学省や各教育委員会の「公の調査」などからではありませんでした。ましてや、現場で働く教師たちの訴えから始まった問題でもありません。これを研究していた大学の教員が研究論文として発表し、マスコミが取り上げたことが事の発端でした。要するに外部調査で見えてきただけのことで、政府や自治体は、薄々気づいていても「知らぬふり」を決め込み、学校をどんどんと疲弊させていったのです。「どうせ、教師は何も言えないからな?」といった侮りがその背景にあります。当時、政府内での教育問題と言えば、「教職員の組合活動」問題が中心だったようです。組合活動の多くは左翼運動と結びつき、昭和のころは、各地で労働争議やストライキが頻発し、「春闘」という言葉さえ生まれていました。その中で、学校の先生たちも「一労働者」としての権利を勝ち取ろうと立ち上がったのは事実です。しかし、これが政府との対立を生み、全国の左翼的な思想を持つ教職員との軋轢を生んだのです。したがって、マスコミは、今でも学校の教師と「組合活動」を結びつける傾向がありますが、今では組合活動に従事する教職員は少なく、ほとんどの教職員は、そんな活動には熱心ではありません。
もちろん、一部の地域には、左翼政党や左翼団体と結び、政治活動に熱心な教職員がいました。それが国レベルで問題になったこともあります。学校内の職場でも組合幹部の教職員が「オルグ」と称して、若い先生方を組合活動に勧誘する姿も見られました。それでも、それに積極的に賛同する教職員は少なく、だれもが一生懸命「子供のために…」と頑張っていたのです。しかし、国の政治家から見れば、たとえ一部でもそんな過激な組合活動をする教職員は困った存在であり、目障りでもあったでしょう。したがって、そんな団体を憎むような心境になったこともわかります。最近廃止になった「教員免許更新制」は、与党政治家の「左翼教師を選別したい」といった意見から始まったという噂があります。彼らは、日本の教師の「よさを認めよう」とするのではなく、「社会に害を為す異物を排除しよう」という思考から最後まで抜け出せなかったのです。子供たちには「よいところを認めよう」と言っておきながら、働く教職員には、「悪い物を排除しろ」では、伸びるものも伸びないのではないかと思います。この思考で企業経営を行えば、間違いなく社員は腐り、会社が倒産するのは眼に見えています。どんな思想の持ち主であっても、「自分の意に沿わないから排除する」という思考は、民主主義ではありません。
日本国憲法にも「思想信条の自由」は保障されているわけですから、その「思想」を子供に指導しなければ、その教師の内面まで規制することはできないはずです。もし、企業がそんな思想調査をすれば、即「人権問題」として訴えられるでしょう。それは、経営者として失格どころか、経営者自身が憲法違反を犯したことになり、懲戒処分の対象になるのではないでしょうか。国の政治を司る議員が、十分な調査もなしに、自分たちの思い込みによって「教師の選別」を行おうとしたとしたら、「教員免許更新制」は天下の悪法だったということになります。それが「廃止」されたことは喜ばしいことですが、当初から、教職員の間からは、「それなら、医師や弁護士はどうなんだ?」という疑問の声が上がっていました。同じ「免許」による職業であるはずなのに、一方は「更新」が必要で一方は必要なしでは、納得がいきません。まして、更新にかかる費用は教師の「自費」で賄うのですから、本当に腹立たしさしかありませんでした。どうも、政治家の中には、教師に対する「差別感や偏見」を持つ人間が多いようです。
政治家の皆さんの住む世界と違って、普通の学校には「ごく普通の生活」があるものです。そこで働く多くの教職員は生真面目で、「子供のために…」と熱心に取り組む立派な人たちばかりでした。そんな生真面目な先生たちが、自分の働き方を否定されては意欲を失うのは当然です。政府が、「教育はサービスだ!」と言ったときから、学校のブラック化問題が始まったような気がします。その発言を聞いた多くの教師は、「えっ?」と耳を疑ったものです。「私たちの仕事は、サービスなの?」。それまでは、「立派な教育者になって、尊敬される人間になろう」と思っていた教師が「サービス業」では、これまでの自分の「教師としての人生」を否定されたような気分がしたものです。当時は、全国的に「マニュアル化」が流行し、ファミリーレストランの「マニュアル対応」が話題になっていましたので、学校教育も「マニュアル化」の時代なのか…という疑問が湧いていました。そこに出てきた言葉が「教育サービス論」ですから、本当にショックだったことを覚えています。多分、文部科学省あたりの高官が述べた言葉ですから、本人は対して気にもせず、外国で使われる「サービス」という感覚で話されたのでしょうが、日本人は「お客様は神様」が流行するような国です。これでは、子供も保護者もすべて「様扱いしろ!」と言われたようなものです。子供を指導する教師が、子供に謙っては「教育」はできません。保護者に謙っては「助言」もできません。ここから、学校の公的な文書にも「お子様」という文字が頻繁に出るようになりました。教育に「消費者目線」は危険です。おそらく、国は「より質の高い教育を目指そう」としたのでしょうが、それは、教師の質を高めるどころか、肝腎の教師のなり手を失うことになったのですから「失政」という他はありません。しかし、その責任を取る者がいないのも現実です。
先生方が疲弊して教壇を去るのを見るのは本当に辛いことです。若い頃は情熱を持って颯爽と教壇に立ったのに、数年後には夢破れて去って行くのです。知らない人は、「力がなかったんだ!」「早く諦めてよかったじゃん…」とでも言うのでしょうが、事情を知る人間には、本当に心が痛みます。文部科学省は、毎年の教職員の休職者数、療養休暇者数などを発表しますが、とんでもない数になっています。マスコミは淡々と「毎年、学校の先生の休職者数が増え続けています」とアナウンスしますが、それほどの緊迫感は感じません。しかし、実際、心を病んで休んでいる教師一人一人に家庭があり、心配する家族がいるのです。児童虐待も同じです。マスコミは数を公表し、有識者(学者等)のコメントを載せますが、休んでいる教師や虐待を受けた子供の心の「傷」を理解しているのでしょうか。「それは、文部科学省やマスコミの仕事ではない!」と言われてしまえばそれまでですが、現場の教師は、自分自身も傷つき、そんな子供の「心の傷」を毎日のように見ているのです。それでも、「何とかしなければ…」と奮闘している教師に、追い打ちをかけるような「ブラック化問題」は、さすがにタフな人間にも堪える「見えない凶器」と化しています。
今は、定年退職後にも「再任用」で学校に残る教師も多くなりましたが、その大半は、「生活のためにやむを得ない」というものばかりです。もう、学校の教職員の「働き方改革」は待ったなしの崖っぷちに来ています。国民全体が本気でこの問題に取り組まないと、日本の教育どころか、すべての分野に於いて「日本の凋落」が始まると思います。日本という国は、「政治は三流」でも、「日本人は一流」だったはずです。世界から見れば、日本人は「礼儀正しく・賢く・秩序を重んじ・清潔で・道徳性に富み・だれにでも親切」な人々だと思われてきました。その上、「美しい自然と・優れた文化・長い歴史のある国」、それが「日本」だったのではないでしょうか。そのことが少しずつ失われているのは、日本人ならみんな感じているはずです。国民の多くは、昭和の時代のような「高度経済成長」ばかりを夢見ているのではありません。今の「二極化」といわれるような「経済格差」の社会を望んでいるわけではありません。ただ、「普通の平穏な暮らし」がしたいだけなのです。教育も同じです。国民の多くが学校を信頼し「普通の教育」が行われ、親も教師も一緒になって「子育てを考える場」を欲しているだけです。何も特別な教育をしてくれと望んでもいません。子供は「読み書き算盤」ができて「優しく・のびのびと育つ」ことが、親として一番嬉しい成長なのです。国が言う「外国語」も「パソコン」も確かに必要な道具かも知れません。しかし、一番大事なのは「優しく・のびのびと育つ」ことなのです。
一度壊したものが、再生できたためしはありません。日本の教育もこのままでは、間違いなく崩壊します。それは、貴重な「人材」を失うからです。大きな組織にいる人は、現場で働く人を「駒」にように見ていますが、その駒を磨いて割れない駒にするのは大変な年月を伴います。大切に扱われない「駒」はすぐに劣化し、長持ちしません。今、まさに長い年月をかけて磨いてきた大切な「駒」を簡単に廃棄し、新しい「駒」と入れ替えようとしていますが、残念ながら新しい「駒」が一人前の働きをするには最低10年の時間が必要です。それに、その「駒」さえも手に入らない状態が続いています。昔の日本軍もそうでした。優秀な飛行機搭乗員を無理な作戦で消耗した後、いくら頭数だけ揃えても「勝てる戦」はありませんでした。「磨かれた駒」は何も言いませんが、その隠れた力(実力)は、優秀な頭脳を100人集めても敵わないと思います。「たかが教育、されど教育」。忘れたくないものです。
1 「労務管理」意識の低い管理職
健全な企業というものは、この「労務管理」意識が非常に高く、個々の社員の状況を把握して「ベストの状態」で働けるように企業体として配慮するものです。そのために「労働基準法」があり、労働時間が「8時間」と設定されているはずです。しかし、日本人は昔から「労働を美徳」とする考え方があり、「働かざる者、食うべからず」とか、「月月火水木金金」といった休みなく働くことを誇りました。そして、それを厳しく管理監督する上司が評価されたのです。以前、学校においても、管理職(校長)の中で、「提灯学校」という言葉を誇る傾向にありました。それは、「夜遅くまで学校の灯りが点いている」ことを意味していますが、要するに「うちの職員は、夜遅くまで一生懸命働いている」と、周囲に自慢しているのです。しかし、現実はその職場に「帰りたくても帰れない雰囲気」があり、若い教師などはベテランの教師が帰らないと「先に帰りづらかった」といいます。これも、教師自身に「労務管理意識」がない証拠です。そして、二言目には「子供のために尽くすのが教師の役目」だと諭す校長もいて、教師は知らず知らずのうちに「24時間教師」を続けることが立派だと教え込まれていたのです。
これでは、生活すべてが「仕事」であり、自分個人の「生活や家庭」を顧みる余裕はありません。したがって、女性教師は早期に退職を余儀なくされ、定年まで勤められる人は稀でした。こうした時代が長く続くと、管理職であっても「労務管理」の意識は低いままで、もし意識が高い管理職がいたとしても、それは義務ではなく「配慮レベル」の問題でしかありませんでした。しかし、それでは職員の労務管理はできません。「労務管理」をしないですむ管理職なら、仕事は楽に決まっています。「時間外手当」の心配をすることなく、深夜でも土日でも関係なく仕事が頼めるのですから、学校経営者は、通常の企業経営者の半分も仕事をしていないことになります。いくら教師には、時間外勤務を命じることが法律上できなくても、自主的な「時間外勤務」を黙認し、働かせ放題では「管理している」とは言えません。「管理」とは、『労働者が適切に労働できる環境を作り、働いている状況を確認し、必要に応じて指導・監督する』ことにあります。それは、労働者の権利を保障することであり、彼らの健康を維持させる上で必要不可欠な管理職の義務なのです。「子供のため」だからと言って、労働者の「勤務時間外労働」を黙認するようでは、管理職失格だけでなく、労働基準法違反で罰せられても仕方がありません。しかし、日本の場合は「職務命令」でなければ、無償の労働は、飽くまで「労働者個人の問題」として扱われるでしょう。こうした「暗黙の命令」に近い働かせ方は、前時代的であり、許されるものではないと思います。
2 学校への「依頼」の選択
なぜ、学校が忙しくなるかという理由の一つに、各関係機関等からの「依頼」が多く舞い込むからです。公の機関で言えば、その学校の設置者である市町村、教職員の人事を司る都道府県、そして教育内容を司る文部科学省、さらには政府各省庁とその下部機関まで数えれば、とんでもない数の「依頼」が学校に下ろされてきます。その大半は、子供が参加する「ポスター」「作文」「習字」などの図画工作関係のものが多く、各機関毎に「賞」を設けており、子供たちの参加を促しているのです。その依頼を受けた学校にしてみれば、学校に直接関係のある機関からの依頼は断りにくく、子供たちや保護者に紹介することになります。実際、それに取り組むとなると、本人や家庭だけでは「入賞」するようなレベルまで達しないので、やむを得ず、学校の教師が指導することになります。どの機関に於いても、何かの催しをするような場合は、そこに「子供の作品」があるだけで周囲の納得感を得られるようで、担当者が頭を下げてお願いに来ることさえあります。あれほど、学校を批判しているマスコミでさえ、都合よく子供を使いたいらしく、そういうときは、学校の教師たちに頭を下げるのですから、報道というのもご都合主義に見えてきます。まずは、こうした「依頼」が排除できれば、教師の負担は大きく軽減されることでしょう。教師の本音からすれば、「都合良く、学校や子供を利用するな!」というところでしょうが、それを我慢するのも教師の常なのです。
他にも、音楽関係の部活動(合唱や吹奏楽)がある学校には、正式なコンクールではなく、地域の行事等での「演奏会」への参加を依頼されることがあります。その引率はもちろん、部活動の担当教師であり、校長から依頼された数名の教職員になります。学校では、おそらく、教頭あたりから、「すまないが、例年参加している行事だから今年もお願いしますよ…」と言ってお終いです。その演奏のために楽器を運んだり子供を輸送したり、その場の安全を確保したりと一日中教師は、子供の側を離れることはできません。そして、それを保護者や地域の住民は嬉しそうに拍手をして見物をしているのです。しかし、だれもそれを指導してきた教師や引率教師に労いの言葉をかける人はいません。最初に主催者は挨拶に来ますが、そこで謝礼が出るわけでもなく、まったくのボランティアです。それを「当然」のように見ている人々に、「こういうことが、教師に負担を強いているのです」と言っても、理解されないと思います。もちろん、その仕事を終えても報酬は出ませんし、勤務の振り替えも行われません。
それから、学校によく来る「依頼」に「各種チラシの配付」があります。何でも子供をとおして家庭に持ち帰らせれば「簡単で早い」と思うのか、スポーツ少年団の勧誘やボランティア参加の誘い、地域の催しなど、あらゆる団体から依頼が来ます。もし、それをすべて受け取ってしまえば、一体何時間の授業時間を削ることになるのでしょうか。学校には「教育課程」という計画があり、そこには「余剰時間」はありません。授業時間が何単位時間、休憩時間が何回、給食の時間、清掃の時間、朝と帰りの会等、学校は分刻みで動いていますので、チラシの配布に5分取られたとしたら、大変なロスになります。なぜなら、貴重な「5分」で子供たちへの安全や生活等の指導ができるのです。もちろん、そこには担任教師等の裁量は可能ですが、大事な教育課程を使うとなれば、主催者、教育的意義、内容の吟味、管理職の許可等を確認した上で行われるべきものであり、安易に引き受けることはできません。こうした「依頼」がなくなれば、かなりの負担軽減につながるはずです。一般の方々も「これくらいやってくれてもいいだろう…」という安易な考えは避けるべきです。
3 学校の「管理責任」の範囲
今の日本では、子供のことはすべて「学校が把握している」という勘違いで動いています。学校では、「生徒指導」という言葉を遣いますが、たとえば、中学生の非行問題がありますが、学校外での生徒の非行は、だれの責任なのでしょう。もちろん「保護者に責任がある」と、だれもが言うと思います。しかし、実際に警察がそうした生徒を補導した場合、学校に連絡が来るのがほとんどです。何故かと言うと、学校なら当該生徒を引き取り、説諭して家まで送り届けてくれるからです。そして、その家庭に対しても警察官以上に親身になって指導し、保護者が至らない部分まで教師がフォローしてくれるのです。こうなると、だれがこの生徒の保護者なのかわからなくなります。問題の多い家庭になると、保護者がきちんと対応しないために、すべてを学校の教師が行うことにもなりかねません。国民の多くは、それが「いい先生」の条件だと思っていると思います。昔の中学校を舞台にしたテレビドラマがヒットしたのも、そうした親以上に「子供に寄り添う教師」が主人公だったからです。しかし、本当に学校外の子供の生活まで、学校や教師が「責任」を持てるのでしょうか。もし、責任を負えないことにまで介入していたとしたら、それは教師の指導の「逸脱行為」と見做されても仕方がないと思います。
また、子供の「登下校」の問題があります。学校が子供の安全について責任を負えるのは、学校内での生活についてのみです。登下校の責任は当然「保護者」にあります。しかし、登下校中の事故やトラブルが起きると、必ず学校に苦情が寄せられます。ましてや、下校後の生活の中で事故に遭ったとしても学校や教師の関知できるとことではありません。ところが、実際はそういうわけにもいかないのです。もし、法律に基づいて「学校は、関知せず」といった態度で対応すれば、社会全体から大きな非難を浴びることは必定です。「なんて酷い学校だ!」「そんな冷たい学校に子供は通わせられない!」くらいの罵声は浴びせられるはずです。当然、日本の教師は絶対にそんな非情な態度で対応することはありません。親以上に子供を心配し、まずは安否を確認し迅速に手続きに入るはずです。保護者にも見舞いの言葉を述べ、子供が入院したとなれば、すぐに駆けつけ励まし、安心させようと考えるはずです。しかし、それも教師の「善意」から生まれる行動であり、職務としての範疇を超えていることは間違いありません。
また、小学校などでは「登校班」なる小グループを作り、朝の登校を上級生を班長にして6~7人程度で登校する仕組みを採っている例があります。これなどは、昔からある仕組みで、保護者の「子供を安全に登校させたい」という願いから生まれたものだと思います。しかし、これも長年のうちに「学校が作っている」と思い込んでいる保護者が大勢います。先ほども述べたように登下校は「保護者」に責任があり、学校は責任ある立場にはないのです。その責任のない学校が、たとえ保護者からの要請とはいえ「登校班」なる仕組みを作り、恰も「学校が責任をとる」ような誤解を生じさせたとしたら、かなりの問題を孕んでいることになります。ここでよくある問題は、子供同士のトラブルです。「集合時間に来ない」「グループ内で喧嘩をする」「班長の指示を聞かない」などはよく入ってくる苦情のひとつです。本来、これは保護者間で解決する種類のトラブルですが、そのほとんどは、学校の中で子供たちを呼び、「指導・説諭」して解決しています。中には、「そんな面倒な班には入りたくない!」といった考えの保護者もいて、そんな相談に応じるのも教師なのです。要するに、こうした「依頼」がなくなるだけで、教師の負担はかなり軽減されるのです。
4 学校の「人手不足」の弊害
もし、日本と同じ位の先進国が、日本の教師と同じような職務を行うとすれば、おそらく、今の「倍」の職員配置が必要だと思います。外国では「分業制」が進んでいて、校舎内の清掃も民間業者に委ねられています。給食もありません。しかし、日本では「清掃指導」「給食指導」の名の下に、これらすべてが「教育」として扱われています。個人的見解で申せば、これらの指導は日本人的で、今後も継続されて然るべきだと思いますが、それも含めて、一担任教師が行っている現実を知るべきでしょう。したがって、学校の担任教師に「休憩時間」はありません。もちろん、形式上は取っていることになっていますが、では、「いつ、休めと言うのでしょうか?」。清掃中はもちろん、食事中も指導を行っていますから、「ゆっくり、ランチでお喋り」というわけにはいきません。子供が遊んでいる場合でも、教師が眼を離した隙に事故でもあれば、「学校の管理責任」が問われます。まあ、ここまでは学校の教育課程内での問題ですから、教師が子供の安全に関して責任を持つことは当然です。しかし、これが学校外のトラブルや事故まで、学校がその「安全管理」を負うのは、あまりにも無茶なような気がします。日本人はよく、「昔から、そうやって来たのだから甘えるな!」とか、「他の民間企業でも同じようなことをやっている!」と、問題化されている環境と比べる傾向にありますが、「それでいい」とは、だれも思わないでしょう。そんな無理や無茶を「みんなやっている…」というのは、先進国ではあり得ません。これこそ、人権問題であり職業差別だと私は思います。
実際、学校には「最低限」の職員しか配置されていないのが現状です。管理職は「校長と教頭」それに、事務職1、養護教諭1、各学級担任、そして専科と呼ばれる音楽や理科を担当する教員1乃至2程度です。規模の大きな学校では「教務」を行う教員は担任を持たないことがありますが、小規模校ではそれは兼務になります。中学校では、生徒指導主事や学年主任が学級を持たない例はありますが、小学校ではそれはありません。中学校は教科担任制ですから、学級に「副担任」を置く余裕もありますが、今では教師不足が深刻のため、専門性の高い「技術科」「美術科」などの教員を配置できずに、免許を持たない教師が教えている実状がありますので、副担任は絶対ではないでしょう。さらに、対外試合の多い中学校では「部活動」が盛んですので、教師の負担は小学校以上です。因みにこの「部活動」も日本では、「教育課程外の活動」と位置づけられており、学校の安全管理の下に実施されるすばらしいシステムだと思います。これを外国並みに「社会スポーツ」に移行するとなると、とんでもない費用がかかり、保護者負担は学習塾並みに増えることを覚悟しておく必要があります。なぜなら、この部活動の指導者は学校の教師であり、学校教育の延長上にあるわけですから、施設は学校の施設を使用し、経費も最低限の費用で賄うのが普通です。全国規模の大会に出場しても、その経費の半分以上は学校が所属する地方自治体が負担してくれます。引率も教師が責任を持って行ってくれますので、保護者が責任を負うことはほとんどありません。こうした「至れり尽くせり」状態を「当然」だと考える裏で、学校のブラック化問題が進行しているのです。
最近、文部科学大臣が国会の答弁で、「年度の後半から人手不足になっている」と発言しましたが、それを当然のように発言できる姿勢に問題があると思います。「人手不足」に陥るのは、必要な人員を確保しないままスタートを切らせる「管理問題」がそこにあることを自ら語っているようなものです。もし、企業が人員不足のままで工場の作業を行わせていたとしたら、どうでしょう。おそらく、各所で事故が発生し、その会社は「操業停止処分」を受けるのではないかと思いますが、学校では、国の教育行政のトップが「人手不足になっています」と平然と答弁できるのですから吃驚です。それこそ、保護者は「子供の教育や安全を何だと思っているんだ!」と猛然と抗議をする問題だと思いますが、この国では、「まあ、そんなもんだろう…」と眺めている人がほとんどです。もちろん、国や自治体が「一生懸命、募集をかけている」ことは承知しています。地域にチラシを配ったり、ハローワークに求人募集をしたり、知り合いに電話をかけまくったりと担当者は本当に苦労をしているはずです。しかし、根本的な問題を解決できていないわけですから、いくら末端の担当者が四苦八苦しても改善される見通しはありません。それをすべて「現場の努力不足」と言われては、離職者が多く出て当然です。国民には「職業選択の自由」が保障されているのですから、だれも好き好んで「泥船」に乗る人はいないでしょう。
私が大学生だった昭和50年代前半のころ、大学の教師が、「みなさんが教職に就く頃には、学校にスクールカウンセラーが配置されるはずです」と言っていたことを思い出します。既に欧米の国々では、子供の相談に応じる「スクールカウンセラー」なる職種があり、学校に教師以外の専門職が配置されていることに驚きました。そして、それを楽しみにしていたものです。しかし、待てど暮らせどその日は退職するまでに実現しませんでした。僅かに非常勤のスクールカウンセラーが中学校に週に2日ほど配置され、それも予算の関係で週に1回となり、小学校ではほとんど会うことはありませんでした。要するに40年もの間、スクールカウンセラーひとつ、国は予算化もせずすべてを「教師」に委ねていたのです。これで「日本の教育は世界のトップクラス」になるはずがありません。
国は、おそらく「学校の教職員の給与を半分も負担しているんだ!」と教育費を増額できない理由を述べることでしょう。それなら、学校の教員をすべて「契約社員」にすればいいのです。そして、教師の働き方を根本から見直し、日本の教育制度を作り替えるべきでしょう。それもできずに、学校ブラック化の現状を「やむを得ない」としか答弁できないとしたら、これ以上何を言っても「無駄」だということです。日本の子供の学力だけでなく、道徳性も社会秩序も崩壊し、警察権力や罰則を強化した「厳罰主義」で社会を制御するしか方法がなくなります。今でも、犯罪率が低下しているといいながら、凶悪犯罪や詐欺犯罪、児童虐待、DVなどは増え続けています。日本人は「自律性が高い」と言われてきましたが、それがあるのは「教育の成果」だと思わないのなら、自分たちの思うような社会を創ればいいのです。国会で議論し、民主主義の結果としてそう考えるのなら、国民は甘んじてその結果を受け入れることでしょう。そうなったとき、世界の心ある人々は日本に幻滅し、日本に対して足を向けなくなるのは当然です。日本の信用度も下がり、同盟国のアメリカからも見放されるのかも知れません。言い過ぎかも知れませんが、「教育」を蔑ろにした国に未来がないことは、日本自身が過去に経験しているではありませんか。
日本は明治維新以降、欧米に倣い教育制度を西洋化してきました。6年間の義務教育制度を設け、複線型の学校体制を整え、子供たちに基礎的な学問を教えてきたのです。しかし、何を勘違いしたのか、何処の学校でも「詰め込み式教育」が流行し、知識偏重主義は戦後も長く続きました。結果、日本人は「模倣は上手いが、独創性がない」と世界から揶揄されたものです。それでも、個性の強い日本人は学校外で学んだ知恵を生かし、戦後も次々と新しい産業を興しましたが、それもここに来て「頭打ち」のような気がします。企業もその多くは「安価な労働力」を求めて中国や東南アジアに進出しましたが、このコロナ禍でマスクも国内生産ができなかったり、半導体も作れなかったりする現状が明らかになり、日本経済が如何に外国に頼っているかがわかってしまいました。これでは、国内産業が育つはずがありません。もう「ものつくり大国」の看板は下ろした方がいいでしょう。確かに、一時的に見れば「安価な労働力」は魅力的です。しかし、その国の経済が向上し生活が安定すれば、その国の労働者も黙ってはいません。日本が高度経済成長後に起きたことと同じことが起こるだけなのです。しかし、そのとき、日本国内は「空洞化」しており、多くの産業のノウハウは、外国人のものになっているのです。これを「じり貧」と言います。つまり、経済界ばかりでなく、教育界もこの「じり貧」状態に陥っており、これを再生させるのは至難だということだけは言っておきたいと思います。
5 教師が「尊敬」されることが豊かさの基準
江戸時代、明治時代と日本の教師は社会全体から「尊敬」される存在でした。大正時代には欧米から「自由主義教育」が入り、日本国内でも積極的な「自由教育」を行った学校や教師がいました。それまでの固定的な教育に飽き足らなくなった教師たちは、自ら教育学を学び、新しい教育方法を模索し始めたのです。その中には、今でも「なるほど…」と思うような教育論があり、参考にすることが多くあります。しかし、戦時中、日本の教育は発展することを停止しました。敵国を憎むことを教え、外国語すらも教えなくなり、ひたすら国や天皇に忠誠を誓うことばかり教えたのでは、子供が「のびのび」と育つはずがありません。そして、敗戦になるとこれまでの反動のように、GHQの命令に従順にしたがう「民主主義教育」が始まりました。少なくても、こうした戦中・戦後の10年間ほどは、日本には「まともな教育」はなかったのです。しかし、連合国軍の占領が終わってからも日本の教育は右往左往するばかりで、文部省(後の文部科学省)もしっかりとした方針を定められないまま、学習指導要領の改訂を繰り返してきたのです。
それでも、昭和の時代が終わるころまでは、日本の教師には「権威」がありました。子供たちの中でも「学校の先生」は将来の夢のひとつであり、人気の職業だったのです。子供たちに「将来の夢」というアンケートを採れば、必ず「ベスト3」までには入っていたはずです。それは、毎日接する教師の中には、本気になって自分に向かって来てくれる情熱的な先生がいたからです。確かに、このころまでは、子供を叩くようないわゆる「体罰」がありました。小学校より、中学校の方がしつけは厳しく、部活動などでは「根性論」が流行し、それに伴って「殴る指導」が当たり前に行われていたのです。校則も厳しく、制服の着方、髪の長さ・デザイン、靴下の色、私服の制限など、「えっ、ここまで言うの?」というレベルまで規制され、中学生に「自由」はなかったと思います。子供たちにとって、教師は「怖い」存在であり、反抗するのは、ほんの一部の「非行少年」ばかりです。そんな状態がいいとは思えませんが、それも時代だったと思います。それでも、子供の人気職業ですから、何がよいのかわかりません。しかし、私の経験上でも尊敬できる教師がいたことは事実です。国語科の「文学を語る先生」や数学科の「理論をわかりやすく教える先生」、理科の「実験が楽しい先生」など、個性的ですが、「すごいな…?」と生徒を唸らせる知識と技術を持つ教師は多かったと思います。部活動でも、全国大会を目標にするなど、「この先生についていきたい」と思わせるようなカリスマ教師もいて、学校は活気がありました。もちろん、教師の中にもバンカラを気取る人間もいて、管理職にさえ逆らうような言動をする人もいましたが、人間味はあったと思います。
テレビでも「学園もの」は人気を博し、スポーツをとおした教師と生徒の交流は、体罰はあっても心を熱くしたものです。アニメでも、その多くは「スポ根もの」と呼ばれ、主人公が歯を食いしばって頑張る姿は、多くの子供たちの共感を生みました。子供心には、「どんなに才能があっても、努力しないとダメなんだな…」ということがわかり、その後に大きな影響を受けたものです。それに家に帰れば、「地震・雷・火事・おやじ」が健在で、母親には文句が言えても、父親には逆らえないという事情があり、男の権威は相当に高かったと思います。今でこそ、こうした時代は批判の対象になるのでしょうが、本音からいえば、本当に「懐かしい」いい時代でした。父親や教師に権威があるということは、ある意味「安心材料」なのです。何かあっても、父親や教師に相談すれば、「なんだ、そんなことか?」「くよくよするな、大丈夫だ。俺に任せておけ!」と胸を叩いて笑うような人柄は、子供心に「ホッ」とするような安心感で溢れ、頼もしくさえ見えたものです。きっと母親に言えば、オロオロと心配ばかりするだけで、解決方法が出てこないような気がします。(おっと、これは私の家の場合ですので悪しからず…。)
家庭でも教師は尊敬の対象であり、「先生がこう言ってた…」と言うと、母親はそれに反対意見を持っていても、「まあ、先生がそう仰るのなら、そうしましょう」と納得するのです。そして、母親が学校に出向くときは必ず「余所行き」を着て行きました。やはり、親にとっても学校は敷居が高かったのだと思います。そして、学級担任は、親との面談になっても子供に対して厳しい評価を下しました。「〇〇くんは、これをもっと努力してください」「こういうよくないところがあります」などと厳しく親に伝えますし、通知表にも同様なことが書かれていますので、通知表を親に渡すのはかなりの勇気が必要でした。それをまず母親が見て、夜、おずおずと父親に見せて小言を受けるのが一つの儀式でした。それが終わらない限り、楽しい「夏休み・冬休み」はやって来ないのです。こうした社会を作り替えたのが、現代社会です。もちろん、時代の変化と社会の進歩、国際情勢等が複雑に絡み合って「現代社会」が出来上がっているのですから、昔を「懐かしむ」ばかりでは、仕方がありません。しかし、教師が「尊敬の対象」であっても、社会に於いて不都合な話ではないように思います。
子供は昔も今も「育てる」対象であることに変わりはありません。今と比べて昔の子育てや教育が間違っているとも思えません。教師自身も教育に熱心に取り組んでいますし、親が子供を心配するのは、昔も今も変わらないでしょう。変わったのは社会の認識の方です。文部科学省は、「学校が開かれないから、地域が変わらないのだ」と言いましたが、学校を「開いて」も、地域が活性化された話は聞きません。逆に少子高齢化が加速度的に進み、地域の60歳以上の老人はみんな働きに出ています。平日から学校に来てボランティアをされる方は、ごく少数の人たちです。そして、「子供はほめて育てる」と言われ、以前のように厳しい評価もしなくなり、「いい点・いいところ」ばかり伝えていますので、子供も親も「そうかなあ…?」と学校の評価をあまり見なくなりました。それだけ信用度が下がったのでしょう。逆に学習塾などは、我が子の欠点を厳しく指摘してくれますので、塾の講師の方が学校の教師より人気も信用度も高いくらいです。それに、国が「学校は、サービス業です」と発言して以降、教師と保護者の意思の疎通が悪くなったように感じます。これまでのように信頼関係の中で本音で話し合えたものが、何か奥歯に物が挟まったような言い方で、「当たり障りなく」話をするので、どちらも核心に迫ることができません。それでは、保護者も学校に「相談」しなくなるのは当然です。これでは、教師は益々「サービス業」になり、社会の尊敬を集めることはできないでしょう。
6 子供は「叱られる」のを待っている
最後に、子供の気持ちを忖度してみたいと思います。今の子供たちは生まれたときから「褒められて」育ってきました。そのためか、いつも物足りなさを感じているようです。大人には「子供は、周囲の人から温かく見守られる存在」でいさせたいという思想(願い)があるのでしょう。とにかく「褒めて伸ばす」教育が、ここ30年ほどで主流になりました。しかし、実際の子供はそんなに弱くはありません。寧ろ、元気で逞しい子供が多いような気がします。子供にとって人気のある教師は、「悪いことを悪いと言ってくれる先生」なのです。これは、私の40年にわたる教師人生で子供から何度も言われたことです。私自身も何度も子供を叱り、泣かせて反省させたことは何度もあります。いじめをしたり、嘘を吐いたり、卑怯な真似をしたり、羽目を外しすぎたり…と子供ですからいつでも叱られる材料を提供してくれるのです。それを聞いたとき、私は大声で叱ります。そのときの私の表情は、子供にしてみれば「鬼」のように険しかったと思います。しかし、その子供が自分の過ちを認め反省すると、私は声のトーンを落とし、静かに「諭す」ことを常としていました。散々泣いた子供は、憑き物が落ちたように素直に自分の気持ちを語ってくれます。それは、子供なりの苦労であり、辛い経験に満ちていました。それを聞いた私は、教師というより一人の人間として涙が零れるのです。そして、こう言います。「先生は、君のすべてを悪いと言っているのではない。君の今回の行為が許せないだけだ」「でも、君はしっかり反省し自分の過ちを認める勇気があったじゃないか」「君は、すばらしい気持ちを持った子供だよ…」「これから君のやるべきことは、まずは、その子に謝ることだ…」「日本にはいい言葉がある。それは“水に流す”という言葉だ。きちんと反省して謝れば、その子もきっと水に流してくれるよ。さあ、行こうか?」そう言うと、その子の頭をそっと撫でてあげるのです。その子供の顔は、叱られたときの「へたり顔」ではなく、眉を上げた「凜々しい顔」になっていました。
その後、その子がどう変わったかは説明をする必要はないと思います。これまでの行動が嘘のように自分を戒め、学級のため、みんなのために働く姿を眼にすることができました。それは、いつの日か周りの子供たちも認めるようになり、学級・学校のリーダーに育っていくのです。保護者は、そんな変わった我が子を見て驚き、私に、「先生、何かあったのでしょうか?」と尋ねて来られますが、「いいえ、彼も大人になったということでしょう。本当にいいお子さんですね…」と返すと、その母親は少し涙ぐんで「先生、ありがとうございました…」と深々と頭を下げられるのです。もし、私の叱責が逆効果となり、私自身が責任を取らねばならない事態になれば、私は、言い訳をせずに「退職する」つもりでいました。それくらいのプライドは私にもあります。そんな子供たちも今ではすっかり成人して、私の退職祝を仲間を集めてしてくれました。その席で、ある大人になった教え子の女子から、「私、先生に言われた言葉、今でも大切にしています」と言われました。自分ではまったく記憶はありませんが、その教え子の笑顔を見たとき、「きっと、何か励ます言葉を言ったのだろう」と自分なりに納得することができました。「どんな言葉だった…?」と聞かなくても、通じるものがあったように思います。
子供を叱るのは、今も昔も勇気がいることです。エネルギーも使います。しかし、子供はそんな真剣に向き合ってくれる教師を待っているのです。言葉だけ当たり障りのない「励まし」や「褒め言葉」では、子供との信頼関係は築けないと思います。社会全体が、そんな教師を理解し応援してくれる時代になれば、きっと日本の教育は再生できるはずです。そうすれば、学校のブラック化問題や教師の働き方も大きく変わって来るのではないでしょうか。
完
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