最近、学校における部活動などでの指導者による「パワーハラスメント」と呼ばれる不祥事が多く取り沙汰されるようになりました。それも、その多くは全国大会に出るような優秀なスポーツ選手を擁する高等学校等の「部活動」での出来事です。ニュース等によると、そこには「カリスマ」的な指導者がおり、その指導者の手腕によって全国大会に出場し、その学校の知名度もアップしているという共通点があります。しかし、訴えられた「パワハラ」の中味を見ると、それは信じられないような「暴力」「暴言」「セクハラ」「いじめ」などの人権をまったく無視したような行為の数々でした。そして、その指導者(教師や外部コーチ)の多くは、分別があるはずの中高年世代以上の大人たちです。これらの部活動の不祥事の前には、日本のスポーツ団体の協会の指導者による「パワハラ」問題が多く発生し、どのスポーツ団体もその組織の運営方法が見直されるきっかけになりました。記憶に残るだけでも、体操、ボクシング、バレーボール、アメフト、柔道、相撲など、忘れているものも含めれば、かなりの団体が「ハラスメント」問題が起きており、日本のスポーツ界の暗部を表に晒すきっかけになりました。今では、芸能界の問題も週刊誌等で賑わわせており、日本社会に蔓延る「ハラスメント」が容赦なく社会の評価を受けようとしています。こうした中で、教育の世界で考えなければならないのが、いわゆる「体罰」問題です。これも今や容認論は少数派となり、「体罰=暴力」という認識になってきたようです。しかしながら、その体罰も今から数十年前までは、学校教育の場においても「当然」のように行われており、特に「部活動」においては、体罰を伴わない指導などあり得ない…くらい一般的な指導でした。
私は昭和30年代前半の生まれで、昭和の後期に小学校の教員になりましたが、自分の経験上でも小学校からずっと「体罰」を受けてきた世代であり、自分も若い頃は指導の一環として行使してきた一人です。もちろん、子供にケガを負わせるような酷いものではありませんが、子供を叱る際には、言葉の後に「げんこつ」や「ビンタ」なる体罰を行っていました。それによって、自分の心が痛んだこともなく、それが「指導だ!」と思い込んでいた節があります。自分自身が子供のころから、家でも学校でも部活動でも、大人たちから受けてきた「指導」ですから、疑う余地もありません。しかし、よく考えてみれば、体罰は「みんながやっている習慣」みたいなもので、それがなければ教育ができない…というものではないことは確かです。ただし、この当時の体罰は、テレビドラマの中でも普通に描かれ、この「体罰」を教育の柱に据えた民間の「塾」なるものも存在し、政治家でさえ容認者が多くいたと思います。
今でこそ、「体罰=悪」という認識で社会が動いていますが、なぜ、それまでの認識が180度変わることになったのか考えてみたいと思います。実際の社会において、価値観が真逆になることは、社会に大きな混乱を招くことになり、社会不安を増大させますので、本来あってはならないことですが、「体罰」が本当に「悪」なのか、もし「悪」として考えるのなら、暴力と体罰の違いは何なのか…という点もしっかり押さえておかなければなりません。価値観が単なる「社会の風潮」だけで変わるとすれば、それは如何にも怖ろしいことであり、だれもが「納得」できる理由づけが欲しいものです。その理由に「納得」できれば、体罰は社会から消えてなくなることでしょう。そうすることが、人間の成長にとって欠かせないものであることを立証するためにも、私なりの考えを整理したいと思います。
1 「体罰」は、日本軍から拡散
そもそも、「体罰」が公の機関で行われるようになったのは、間違いなく「日本軍」が誕生したときからだろうと思います。江戸時代の寺子屋や塾、藩校などで「体罰」が日常的に行われていたという記事を私は見たことがありません。もちろん、子供への「罰」として、「しっぺ」や「げんこつ」などが行われていたことはわかりますが、「教育」と称して「殴る・叩く」などの暴行が行われるのは、やはり、日本に軍隊ができ「階級」という序列がはっきりしたころからだと思います。まして、日本の軍隊は「国民の軍隊」ではなく、「天皇の軍隊」でした。もし、「国民の軍隊」であるならば、国民の代表者である国会議員の議決、若しくは「政府」の命令によって動くはずですが、日本軍は違います。日本軍の場合は、「勅命」によって軍を動かすことができるのです。「勅命」とは、「天皇の命令」という意味ですから、やはり国民の軍隊でないことは明白です。さらに、日本軍の「統帥権」は「天皇」にのみ付与されている大権ですので、政府といえども軍に命令ができない仕組みになっていました。こうした特殊性を帯びた組織であったために、「殴る・叩く」といった暴力を伴う「体罰」が容認されていたものと思われます。
日本軍に関する多くの記録を読むと、陸軍でも海軍でも「体罰」は日常茶飯事でした。それでも、海軍に比べれば陸軍の体罰の方が「まし」だったかも知れません。陸軍では、徴兵で集められた普通の人々を「兵隊」に仕上げなければなりません。「兵隊」とは、要するに戦争をするための「戦闘員」になることです。普通のサラリーマンや自営業、僧侶から教師まで、社会生活を営んでいた一般人が簡単に「戦闘員」になれるはずがありません。そのため、陸軍では「内務班」と呼ばれる兵舎で新兵から上等兵までが一緒になって寝起きし、軍隊の習慣や生活、そして教育まで行っていたのです。もちろん、階級社会ですから上官と二等兵が対等であるはずがありません。まして、日本の軍隊は天皇の軍隊ですから、「上官の命令は天皇陛下のご命令である!」という理屈が成り立ち、無理難題も押し付けられました。そんな生活の中で「体罰」が公然と行われていたのです。私も中学生の頃(昭和40年代後半)、学校の教師には軍隊経験者が多く勤務しており、体罰は日常化していました。中には、軍隊時代に覚えた体罰を「俺たちのころは、こんなふうにやられたんだ!」と、「でこピン」「人間椅子」「けつバット」「ビンタ」などを喰らいました。そして、自分の軍隊時代を懐かしむように授業中に話をするのです。まあ、昭和の時代ですから、それも特に問題にもならず、私たち仲間の噂話で終わった程度です。教師たちからしてみれば「軽い体罰」は、子供の指導には欠かせないものだったと思います。中には、女性の教師も生徒に手を挙げていましたので、先生たちも「体罰が悪い」などとは夢にも思わなかったでしょう。
しかし、「しつけ」の中で軽く「叩く」ことと軍隊の「体罰」は、意味がまったく違います。近代の軍隊において体罰と称する「暴行」が当然だと考えていたのは、先進国では日本くらいのものだったはずです。それは、「人権」という視点ではなく、「軍」としてのあり方の問題として問われるべきでした。そもそも、軍隊が各国に置かれるのは「国の防衛」という独立国としての「生存」を確保するための最重要な「機能」です。もし、「軍事力」がその国になければ、若しくは脆弱な力しかなければ、たちまち軍事強国の侵略を受けて「植民地化」されてしまいます。今の「日本国憲法」では、「軍事力は保持しない」ことになっていますので、日本はアメリカの「植民地」と言えないこともありません。事実上、国内にはアメリカ軍の基地があり、政治においても、アメリカ政府の意向に逆らった政治はできませんので「半植民地」と言われても反論することもできないでしょう。しかし、アメリカ軍という「世界最大の軍事力」が背景にある日本は、今のところ易々と他国の侵略は受けないでしょう。そんなアメリカ軍の教育の中に「体罰」はあるのでしょうか。アメリカという国は、「民主主義」を標榜する世界のリーダー国です。そんな国の軍隊内で「体罰」が当然のように行われていれば、「差別問題」「人権問題」として糾弾され、そんな組織は解体されるはずです。これまで、私が見たアメリカ映画の中でもそんなシーンは一度もありませんでした。但し、「虐めじゃないか?」と思わせるような厳しい訓練のシーンは度々登場し、特に「海兵隊」のしごきは、日本軍以上かも知れません。それでも、これは飽くまで「訓練」であり、「罰」ではないのです。
日本の場合は、この「体罰」は訓練中ではなく、日常生活の中で頻繁に行われていました。陸軍では、「ビンタ」と称する平手で顔を叩く行為が多かったようですが、海軍では拳で「殴る」のが一般的でした。理由はわかりませんが、ある体験者の記録によると、「陸軍は、兵隊は全員銃を持っている。日頃から恨みを買っていると、戦場で後ろからドンと撃たれてもわからないから、海軍ほど酷い殴り方はしないんだ…」というものがあります。確かに、海軍では戦闘中に各自が銃を持っていることはありません。兵器を操作して戦うわけですから、後ろから「撃たれる」危険はないのです。この話が本当かどうかはわかりませんが、海軍の方が陸軍より酷い体罰を加えていたことは事実です。その上、海軍では「海軍精神注入棒」と書かれた「バッター」と称する固い木の棒で兵隊の「尻」を叩いたのです。上官が新兵や下級兵に対して数十発も殴打し、腰骨を折られて死にかけた話もあり、これを「海軍精神」と称していたわけですから、兵隊はまるで「奴隷以下」の扱いです。それでも、幹部(士官)はこれを黙認し、自分たちも兵学校や機関学校で「修正」と称して下級生を殴っていたわけですから、「あれくらい、仕方ない…」と考えていたはずです。
要するに、日本軍では下級の者は「命令に従う」だけの存在であり、思考を停止させられた「兵器」だということがわかります。考えるのは上級学校を出た「士官・将校」であり、下士官兵はその指揮官の命じるままに戦い、「黙って死ね」ばいいのです。だからこそ、大東亜戦争末期に「体当たり(自爆)攻撃」である「特別攻撃作戦」が軍の「戦法」として正式に採用されたのでしょう。「体罰」というより、滅茶苦茶な暴力は、常識的な判断ができる「日本人」を強制的に「奴隷化」する方法であり、「兵隊」という戦闘員を無力化する方法でもあったのです。逆にアメリカ軍などの兵隊の教育は、「思考停止」させることではなく、たとえ一人になっても「生き抜ける」ように訓練することにありました。すぐに「自殺」を強要するような思考ではなく、「生きて戦う」ことを使命としていたことが「強さ」の秘密だったのでしょう。もちろん、アメリカ軍には当時の社会にあったような露骨な「人種差別」はありました。海兵隊の上陸作戦では、その先頭を進むのは決まって「黒人兵」だったという日本兵の証言もあります。当時の有色人種は、白人種とは異なり、人間としてもかなり劣っていると思われていましたので、アメリカが日本との戦争を決めたのも、そうした偏見が大統領にあったからだ…とする意見もあり、「体罰」以上に「差別」の問題は、根が深く、今でも世界中の問題になっています。
2 戦後の「体罰容認論」
学校教育法第11条には、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、監督庁の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。但し、体罰を加えることはできない。」とあります。この法律ができたのが、昭和22年3月29日ですから、まさにGHQによる占領期に制定されたことになります。簡単に言えば、「占領国軍の命令」だったのです。この時期のGHQの力は絶大で、日本政府がGHQに反対意見を述べるなどということは、あり得ませんでした。そんな時期に作られた法律がずっと「蔑ろ」にされた事実は、どう考えればいいのでしょうか。この第11条は、教員の児童生徒に対する「懲戒権」を規定したものです。「懲戒」とは、文字の如く「懲らしめる」「戒める」という意味になります。要するに、子供が学校でのきまりを守り、秩序を保持させるために、教師が子供を「叱る」「注意する」「諭す」ことのできる権利のことを指します。したがって、罰として「教室の後方に短時間立たせる」ような行為は、この懲戒権の範囲とされているのです。しかし、現在では、こんな「懲戒権を行使」するのも「クレーム」の原因になることでしょう。そうなると、学校の教師はまさに「無力」です。そういう意味でも、これまでの「学校制度」は見直されなければならないのです。
おそらく、GHQはこの法律を日本に求めたとき、アメリカ教育使節団の「勧告」そのままに要求したのだと思います。当時のアメリカ教育使節団は、日本をアメリカ式の「民主主義国」にしたいという使命感を持っていました。いや、それ以上の「理想国家」を創りたかったのでしょう。アメリカにとってアジア最大の「敵」であった「天皇の国」を完膚なきまでに叩き潰したのです。まして、とっておきの「原子爆弾」まで使用して、やっと無条件降伏にまで辿り着いた大戦争の勝利です。だれもが「有頂天」にならないはずがありません。そして、ひとつの国を「自由」に造り替える権限を与えられたのですから、それは嬉しかったことでしょう。その実験のひとつが「教育改革」でした。そうであるならば、「体罰禁止」条項が入っていることは当然でした。おそらく、「日本人は生真面目だから、法律は守るだろう…」と考えていたに違いありません。そして、そのことに対して、後々、注視することもなく占領期は終わりました。ところが、実際の学校現場に入ってきた教師の多くは、戦前からの人たちか「復員兵」でした。私の高校の英語の教師も元予科練出の復員兵で、東京大学卒の人でした。しかし、この教師曰く「俺たちのときは、唯一、東大に入試がなく、中学校(旧制)の卒業証書を添えて願書を出せば入学させてくれたんだ…」と嘯いていました。そして、「碌に勉強もせず、卒業のときに教員免許状を一枚くれたから教師になった」という人間です。まあ、今考えれば、まさに「いい加減」な人でした。
そんな復員兵たちが、法律を無視したまま、学校内で好きなように「体罰」を行っていたのです。学校によっては、校長自らが生徒を殴る中学校もありましたから、そんな法律があることも知らなかったのではないでしょうか。そんな習慣がずっと続き、「申し送り」にように学校では体罰が普通に行われて行ったのです。そのことについて、もうアメリカが何か言うということもなく、日本の裁判所も訴えがなければ、それを咎めることもありません。もちろん、マスコミ等も職場は似たようなものですから、だれも「問題」にすることはありませんでした。昭和30年代以降は、日本も高度経済成長期に入り、学校に求められるのは、「忠実でまじめで無口な従業員」になるための基礎教育ですから、「体罰」でも何でもして「管理」しやすい日本人を育てて欲しかったのです。これでは、昔の「日本軍」と何も変わりがありません。法律はアメリカ民主主義の先取りでしたが、実態は、戦前の「兵隊養成時代」のままだったのです。だから、「学歴偏重」「偏差値教育主義」がずっと続くことになったのです。
3 世界の流れが「人権尊重・差別撤廃」
平成の世が終わり、日本も「令和」の時代になりました。日本の高度経済成長は、昭和の末期に起きた「バブル景気」とその崩壊によって終焉を迎えました。そして、世界が大きく変わり、日本社会も経済成長期から経済停滞期そして「下降期」へと移って行ったことは、だれもが承知しているところです。それまでの日本は、歴史的風土があり、企業に属する従業員を「家族」同様に遇する習慣がありました。特に高度経済成長期には、そんな「家族主義」的な企業経営で成功を収めていたのです。ところが、平成の時代になると、アメリカ政府の要求に応じて「自由で開かれた経済活動」が政府主導で行われるようになり、多くの「規制」が撤廃されることになりました。その上、「会社は社員のもの」ではなく「株主のもの」という考え方がアメリカから持ち込まれ、企業の「家族主義」は瞬く間に崩壊しました。このとき、「年功序列制」や「退職金制度」がなくなり、「年金制度」も大きく変えられました。そのため、これまでの日本人の「働き方」は、突然、梯子を外されるようにして変革を余儀なくされたのです。
それは、現在見られるように、正社員という雇用が減り、「派遣・契約社員」が企業で働く中心となっていきました。正社員ならば、昇級や福利厚生面まで会社が面倒を看なければなりません。(最近は、そうでもありませんが…)要するに企業にとって一番費用が嵩む「人件費」を抑制するための「打出の小槌」が「派遣・契約社員」だったのです。企業にとっては、嬉しい制度でどの企業も諸手を挙げて賛成し、この制度に飛びつきました。そのため、企業が利益を「溜め込む(内部留保という…)」ことができ、支出を嫌う体質になっていきました。日本の労働者の賃金がずっと「横ばい」なのは、この制度の「せい」なのです。今では、先進国の中で「一番給料が安い」のが日本の労働者です。これにより、日本人の「中流意識」はなくなり、アメリカのように貧富の差が大きくなる「二極化」が進みました。また、このころになると、「リストラ」という名の「人員整理」が普通に行われるようになり、「終身雇用」時代が終わりました。今では、「転職」が普通に行われるようになり「副業」も奨励されています。そのため、若い社員に「愛社精神」などはありません。そうなると、企業も「業績が悪い」と社員から「見捨てられる」時代になり、社会の「競争」は著しく激しさを増していったのです。
その間に国際情勢は大きな変化を見せ、戦後長く続いた「アメリカ中心主義」もアメリカ自らがその座から下り、「アメリカファースト」という言葉とともに「自国の利益のみを考える」ようになりました。その中で台頭してきたのが隣国の「中華人民共和国」です。今の中国は昔からの中国ではありません。「共産党」が政権を取った「共産主義国」なのです。その中国が「農本主義」を捨て、経済を発展させようと「資本主義」を採り入れたことで「世界第二位」の経済大国にのし上がり、今や強大な軍隊を持つ大国になったのです。その中国を戦前から肩入れし、共産主義国にしたのは、アメリカでした。しかし、今になって、その中国からライバル視され、「太平洋をアメリカと中国で分けよう」とまで言われる始末です。今でこそアメリカは、中国に対して「厳しい対応」をするようになりましたが、それまでは日本より中国を優先し、その「市場」の大きさに期待して、軍拡を抑えることもできませんでした。そのために、日本は常に脅威に晒されるようになり、今や、中国は「台湾侵攻」を口に出し、日本の領土である「尖閣諸島」から「沖縄県」までも「自国の領土だ!」と主張するまでになったのです。さらに、これも隣国の「北朝鮮」や「韓国」では、「反日」を政治の中心に据えるような政権が誕生し、今や日本は数カ国の「敵国」に囲まれている状態です。その上、隣国の大国ロシアがウクライナへの侵略戦争を始めたことで、世界は先行き不透明な混沌とした状態になってしまいました。
日本政府は、一時の世界情勢を見て「グローバル化」を官民一体になって推進してきましたが、ここに来て、そのグローバル化も怪しくなっています。特に「移民問題」は欧米各国で社会問題になり、その国の政府は、国民から批判されるようになっています。しかし、その「グローバル化」の中で、各国では「人権」や「差別」などの問題が表面化し、アメリカでは建国の時代にまで遡り、「有色人種差別」が各州都で問題になっています。これは、アメリカにとっても「建国の歴史」を揺るがす大問題なのです。これは、アメリカに限らず、奴隷制度を推進してきた欧米諸国の「恥の歴史」であり、これまで「タブー視」されてきましたが、移民が増え、こうした先祖を持つ有色人種の人々が反政府勢力と結んで運動を盛り上げているようです。幸い、日本には「奴隷制度」がないばかりか、戦前に「人種差別撤廃」を訴えていた国ですから、何も恥ずべきことはありませんが、それでも「人権」や「差別」問題を採り上げられれば、敏感にならざるを得ません。そういう時代背景を考えれば、「体罰行為」などは絶対に許されない…という考え方が出てきて当然だと思います。
4 「虐待」と「しつけ」の違い
戦前の日本軍の遺産のように「体罰」を容認する雰囲気が長い間社会に広がっていましたが、ここに来て急速にその考えは否定されるようになりました。それは、それで社会が成熟してきた証拠なのかも知れません。それなら、それに替わる「指導法」があるべきなのですが、その議論は今のところ見えません。そもそも、この「体罰」は、学校にだけあった指導法ではなく、元々は家庭内でも普通に行われていた指導法です。私自身、親に叩かれることは日常茶飯であり、「悪いことをすれば、げんこつ!」は当然でした。物を投げつけられたり、長い「竹の物差し」で叩かれたこともあります。さらに、「食事抜き」や「押し入れに閉じ込める」などの方法もあり、家庭で子供に対する「体罰」は、特に咎められる性質のものではなく、「しつけ」として容認されていました。しかし、近年、子供が親からの「しつけ」と称する暴言、暴力等によって死亡するケースが出てきて社会問題化してきたのです。親自身は、それを「しつけ」と称しますが、実態は、愛情の感じられない「虐待」が多いのです。そのために、「児童虐待防止法」ができて、「子供を虐待から守る」ことが確認されました。しかしながら、この親による子への虐待は止まることを知らず、警察庁の調査によっても、ずっと右肩上がりで毎年のように子供が亡くなっています。ある人は、「あんなことは、昔からあった…」と言いますが、昔はそれを訴える場もなく、泣き寝入りしていただけのことです。こうした痛ましい事件が続くと、今の日本人は「感情コントロール」ができなくなっているのではないか…という疑問が湧いてきます。子供が悪いことをして、手や足、尻を親に「ピシッ!」と叩かれることはあるでしょう。それは、確かに「しつけ」の範疇だと思います。しかし、それ以上に暴言や暴力を伴う行為は、親というより「人間」としてやってはいけない行為です。もし、感情の中に「偏見」や「差別」があったとしたら、それこそ「人権問題」として扱われるべきでしょう。
さて、最近、保育園での「体罰問題」がマスコミで大きく取り上げられました。要するに保育園での「不適切な指導」の問題です。確かに、こうした事件を起こした保育士にも問題はありますが、「保育園」自体を「不適切な運営をしている!」と糾弾しても、結局、若い親たちは保育園を頼らなければ働きに行くこともできません。したがって、簡単に潰していい話ではないのです。子供は幼ければ幼いほど「コントロール」が利きません。まして、「0歳児」から預かる保育園では、保育士の手が足りない状態であると聞きます。一人の幼児でも大変なのに、一人で数人の子供を見るような場合は、保育士の疲労度は計り知れません。政府も根本的な解決方法を見出せないまま、現場にのみ責任を押し付けると、学校と同じように保育士のなり手がいなくなり、園そのものの運営ができなくなります。まして、多くの「保育園」は民間で、公立ではありません。数年前まで「待機児童の解消問題」が社会問題化していた事実があります。今や、日本の「子育て・教育」は、家庭ではなく保育園や学校などの「教育機関」に委ねられてしまったのです。まして、「少子高齢化」の時代になり、「年金支給年齢」が65歳以降になった今、「祖父母」が孫の面倒を看ることもできません。親世代も祖父母世代も働き続けるとなると、幼稚園や保育園、小学校の役割は益々増大することでしょう。今の現行の制度を変えることなく、しつけや教育が、そうした「福祉・教育機関」に委ねられるとなると、単純に「体罰問題」として扱うだけでは解決はできないはずです。
今、一番深刻なのが、やはり、家庭での「虐待問題」です。政府は「家庭庁」を設けて、子供の福祉や教育に特化した施策を実施しようとしてますが、文部科学省、厚生労働省とある中で、小規模な「家庭庁」が何をどこまで踏み込めるのかは甚だ疑問です。これまでのように、家庭は「聖域」として何も踏み込まず、現場の保育園や学校にだけ「指導」と称する命令をくだしてお終いにするようでは、問題は何ら解決できないでしょう。思い切って、日本の「家庭」に踏み込んで実態を調査し、権限のある「職」を設けるべきです。今でも、虐待問題で通報しても「親権」を楯に児童相談所の職員が身動きできないまま、「見守り」という形で放置され、大きな事件に発展しました。ここを切り崩さなければ、日本の子供たちは救われないのです。もう、昔のように「殴る・叩く」を「しつけ」と称するようなやり方は通用しません。確かに、昔は社会全体が人権などに配慮することなく、人を差別しても平気な時代が長く続いたことは事実です。私たち東北の人間にとって、戊辰戦争以降「賊軍」の扱いを受けて、社会から「田舎者扱い」されたことを知っています。「お国言葉」である「訛り」をばかにされ、東京で遣われる言葉を「標準語」と称してこれを使用するように勧められました。それに、「〇〇のくせに…」という言葉は生活の中で普通に遣われていましたし、外国人や障害者に対する「差別語」も多かったと思います。だから、「仕方がない…」で諦めてはいけないのです。
5 「スマート」なコミュニケーション
今、社会が求めているのは、「人間として真っ当な扱いをしてもらいたい…」という切実な願いだと思います。よく言われるのが「機会の平等」です。「結果」は、本人の努力や「運」もあるでしょから、必ずしも「同じ」ということはありませんが、「やってみたい!」と思うのなら、最初から「だめだ!」ではなく、やらせて欲しい…と言うのが人間の願いだと思います。今、大リーグで活躍している「大谷翔平選手」が世界から賞賛を浴びているのは、その「結果」だけでなく、「チャンス」が与えられ、きちんと「評価」されているからなのです。しかし、当初、日本の野球評論家の多くは、「だめに決まっているから、止めておけ…」というものばかりで、応援してくれる人は少数でした。しかし、今や、世界中の専門家が彼の活躍を認め賞賛しています。これこそが、人間が欲していることを「社会が認める」ということなのです。こうした考え方が広まれば、だれもが「人間らしく」生きられる社会ができるのではないでしょうか。
また、どう考えても理屈に合わない「理不尽」なやり方を「昔から、そうしていた」という言い訳で強制されることも、今の若い人には嫌われます。少年野球や高校野球の世界でも、コーチや監督が「文句を言わずにさっさとやれ!」という指導はタブーだそうです。今の子供たちは、「自分の意見を持つこと」「自分の意見を言うこと」が奨励され、「積極性」こそが高い評価を受ける教育を受けています。たとえ、親や教師であろうと、「いいから、黙ってやれ!」では、だれも納得しません。やらせる以上、その意味を教え、具体的な手順を示してこそ「人は動く」のです。ましてや、失敗したことを十分に反省している子供に対して「体罰」を振るえば、間違いなく、その大人は子供の「信頼」を失うことでしょう。そして、お互いの人間関係は崩れ、親、そして教師として「失格」の烙印を押されるのです。
確かに「体罰」は、一時的な効果(即効性)はあると思います。まして、親と子、教師と教え子というような濃密な関係において「信頼」関係が築けていれば、こうした「体罰」が効果を上げることもあるでしょう。しかし、それは「正しい指導法」だとは言えません。大人が「信頼関係がある…」と考えていても、子供がどう感じているかはわからないものです。ましてや権力の側に立つ人間は、あまりにも強く、子供には何の権力もありません。弱い立場の子供を厳しく命じるだけでは、昔の軍隊と何も変わらないことになります。昔、親から「飯抜きだ!」と怒られて一食の「ごはん」が食べられなかったことがあります。たった一食でしかありませんでしたが、そのときの「惨めさ」「悔しさ」は空腹感と共に今でも覚えています。もちろん、反論すれば、もっと酷い罰を受けることはわかっていますので従順に従いますが、命じる側の大人にはわかならいのです。自分では、愛情を持って「懲らしめた」とでも思っているのでしょう。ましてや理不尽な体罰は、もう「暴力」でしかありません。それが、毎日続けば、子供にとってそこは「生き地獄」と化すのです。学校においては、「いじめ防止法」ができて、子供のいじめに対しては親や教師が「監視の眼」を光らせていますが、「児童虐待防止法」ができても、だれも、家庭に眼を光らせているわけではないのです。
人間が人間らしく、正々堂々と生きられれば、これほど幸福なことはないでしょう。いじめも虐待もなく、人から差別されることもなく、自由でありながら「権利」も保障され、お互いに尊敬し合い慈しみ合う社会ができたら、まさに、人類が目指した「理想社会」の誕生です。しかし、多くの人は、そんな社会ができるとは思ってはいません。なぜなら、それほど人間が強くないことも知っているからです。人間が不完全なのは、その肉体が脆いからではなく、「心」が優しいからなのだと思います。人間の「心」は繊細で傷つきやすく、非常に敏感にできあがっています。そして、それは体の何処にあるのか、よくわかっていません。「心臓」が最も近い存在かも知れませんが、心臓は「考える臓器」ではありません。それなら、「脳」なのかと言われれば、それも違うような気がします。やはり、「心は心」なのでしょう。その得体の知れない「もの」に人間は迷わされます。「体罰」は、使い方によっては効果を上げることがあることはわかります。しかし、この「使い方」は未だに確立されてはいません。それ以上に、人の「心」を傷つける危険性の方が大きく、けっして容認できない「罰」なのです。ならば、人間は安易な方法に頼らない指導方法を考えるべきなのでしょう。それが、ないわけではありませんが、日本がそれを行えるかどうかは、さらに社会が成熟するかどうかにかかっているように思います。
6 「心」を育てる教育
令和の時代になってから「凶悪犯罪」が目立つようになってきました。社会が不安定な状態を象徴しているとも言われますが、「特殊詐欺」「強盗殺人」「あおり運転」「暗殺・爆弾テロ」など、これまであまり眼にしなかった「凶悪事件」が報道されます。そして、その容疑者の多くは、将来のある「若者」が多いということです。昨年7月の安倍元総理暗殺事件や先日の岸田総理暗殺未遂事件などが印象的ですが、特殊詐欺の末端に加わっている青年などを見ていると、「将来のある身で何をしているんだ?」と怒りすら湧いてきます。しかし、これらの事件も「時代背景」を映しているとも言いますので、冷静に考えてみる必要はありそうです。そもそも、昔と違い、今の時代は、自分が「幸せ」になるための確固たる「方程式」がありません。昭和の高度経済成長期には、中卒者が「金の卵」と呼ばれ、大都市圏で働くことができました。工業地帯が次々と整備され、工場で働く「工員」はいくらでも欲しかった時代です。そして、集団就職などで出てきた彼らの多くはまじめで、上司の言うことをよく聞き一生懸命に働いたのです。そして、それは自分の「幸福」と直接的に結びついていました。賃金は年々上昇し、会社は「家族経営」だったお陰で、衣食住に関する多くの面倒を看てくれました。そんな「会社のため」に働けば、人並みの暮らしは十分にできたのです。その上、高校、大学と進学して「学歴」を得れば、幹部として迎えてくれる企業も多く、その会社に長く勤めれば出世だけでなく、定年時には「退職金」が手に入り、年金と合わせれば老後の心配も要りませんでした。これこそが、昭和の「幸福のための方程式」だったのです。しかし、平成、令和と続く時代の変化で、そんな方程式は何処にも存在していません。今の高齢者には、そんな時代を思い出しては懐かしむ人はいますが、若い世代にとって、それは「遙か昔」の出来事でしかないのです。
結局、10代のころに一生懸命頑張っても、自分の「夢」どころか、満足できる仕事も見つからないようでは、自暴自棄になる者も出てきます。「なぜ、自分だけが…」と思うこともあるでしょう。親や教師に言われるように勉強を頑張っても、なにひとつ「夢」は叶えられないのが現実なのです。今の大人たちは、子供に「夢を持て!」と励ましますが、子供の持つ「夢」の多くは「好きな職業」に就くことにあります。「プロのスポーツ選手」や「ユーチューバー」などが、人気だそうですが、どれも「仕事」として成功するためには、才能と努力、そして「運」が必要になります。そのどれが欠けても、自分の「夢」を叶えることができないでしょう。私なら、子供たちに「夢を持て!」などとは言いません。論語にもあるように「志を立てる」ことを勧めます。「志」とは、自分がこの世に生を受けた「意味」を考えることです。それを「使命感」と言いますが、「自分は、何のために生きているのだろう?」と考えてみてください。このとき、「自分のために生きている」では、如何にも志が小さく、次のつながる「意欲」とはならないでしょう。「立志」とは、「世のため、人のために生きる」こと以外にはありません。小学校から中学校時代にかけて「自分は、どうやって世のために尽くそうか?」と考えたとしたら、どんな「仕事」に就いたとしても「俺は、頑張っているぞ!」と胸を張れるのではないでしょうか。少し街を歩いていると、多くの人の姿を見ます。そして、その多くは「働いている人たち」の姿なのです。道路に出れば、大型トラックが走り過ぎます。ナンバープレートには、遠くの地名が書かれています。小さなスクーターでは、宅配の青年が走り回り荷物を届けています。店に入れば、美味しそうなお菓子が並び、奥から高齢の職人さんが出てきます。たまに「幼子」に出くわすと、側には若い保育士さんたちが見守っています。だれもが、「世のため、人のため」に働いているのです。
こうした「当たり前」のことをしっかりと教え、働くことが尊いことを子供たちに教えてやるべきです。そうすることで、自分が「何のために生きているか?」という問いに答えを出そうとするのではないでしょうか。多くの犯罪を犯す若者たちには、きっと、そうして働いている人々が眼に入っていないのだと思います。いつも、「自分、自分…」と自分のことばかり考え、他の人と比較して「自分は、ついてない…」「自分をわかってくれる人がいない…」と嘆いても人生は変わりません。学校や家庭ばかりでなく、社会全体がそうした「価値」に気づいて動き出せば、日本はもっと「いい国」になれるような気がします。そして、そんな使命感を持つ人たちが、意味のない「体罰」に走ることもなくなるでしょう。どんなことでも、「止めろ!」と叫ぶのは簡単ですが、「止める」ためには何をすればいいか、考えていく必要がありそうです。
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