最近、ネット上でも頻りに学校の「働き方改革」に言及した記事を多く眼にします。実際、これだけ教員志望者が減れば、文部科学省も財務省も「予算がない」ではすまされないでしょう。遂に政府も本腰を入れて改革に乗り出そうとしているようですが、50年近くも放置してきた「ツケ」は、すぐに解消するとは思えません。与党の政治家たちも様々な意見を出し合い、取り敢えず「教職調整額」の引き上げ等を議論しているようですが、ここまで放置してきたために、そんな小手先の対応では、教員志望者が劇的に増えるとは思えません。「少子化問題」もそうですが、どうも日本政府は気がついてから実行に移すまでの時間がかかり過ぎて、二進も三進も行かなくなって始めて動き出すので、さらに状況は悪化する一方です。せめて、裁判所くらいは教員に寄り添うような判決でも出してくれればいいのですが、先日の最高裁でも今の「教職調整額4%」を「是」とし、どんなにたくさんの仕事をしていても、それは「飽くまで、教師個々の自主的な活動だ…」と裁定されてしまいました。これで、万事休すです。もちろん、法律的には瑕疵がないのかも知れませんが、現実にまったく合っていない法律を改正もせず、「法的に問題なし!」とされても納得する教師はいません。まあ、法律家は法律に叶っているのであればいいのであって、教師がどうなろうと知ったことじゃない…という理屈はわかります。それを考えるのが政治家であり官僚なのですから、至極当然の判決でした。しかし、これで益々、教員志望者は減ることでしょう。こうして、日本の誇るべき「教育」は崩れ去り、国力が衰退していくのだろうな…と思います。
しかしながら、法律論だけを振りかざしていても問題の解決にはなりません。それなら、今、学校や各教育委員会でできることから始める方法はあります。それが、学校教職員の「意識改革」です。それには、まず、管理職である「校長」の意識を変え、教育委員会や自治体の意識を変えるところから始めては如何でしょうか。そもそも、一般の教職員は「これまでどおり…」という意識が刷り込まれていて、それ以外の「仕事の進め方」がわからない…といった状態だろうと思います。何処の職場も同じだと思いますが、「昔から、こうしてやってきた…」と言われると、それに反論することは難しく「おかしいなあ…」と思いながらも体制に順うという日本人らしい行動を取ることは珍しくありません。それに、その職場の大多数が「それでいい…」と思えば、それに順うのが大人の処世術みたいなものなのです。したがって、「えっ、これもやるの?」「また、新しいことをやるの?」と思っても、いつも「やむを得ず」文部科学省や教育委員会、校長の指示に従ってきたのです。もちろん、「私は、そんなやり方はできない!」と反発し我が道を進む人もいますが、組織の一員として動いていると、そんな勇気のある行動は取りにくいものです。それに小さな職場で喧嘩をしても、何も得る物はないのです。
そうであるならば、まずは学校の「校長」を徹底的に研修させ、「働き方改革」の旗手にしてしまえばいいのです。それを校長自身の「勤務評定(業績評価)」に反映させ、指導と助言を教育委員会が行っていけば、自ずと学校の「働き方」は変わるはずです。国が行うような「制度改革」には文部科学大臣が答弁しているように時間がかかります。確か、今の女性の大臣は「中教審に諮問して、来春までには、何とか方向性を示したいと思います…」みたいなことを言っていましたが、まあ、腰掛け程度で任命された大臣ですから、官僚たちからタイムスケジュールを示されれば、「早くやれ!」などとは言えないでしょう。まして、教育現場など見たこともないような政治家さんですから、教師たちの「肌感覚」がわかるはずもありません。日本の政府内では、文部行政を担当する官僚や役所は「末端」の位置に置かれ、力のある政治家は文部科学大臣などやりたくもないそうですから、仕方がありません。本当は、日本の将来を担う「人材育成」は最も重要なポジションなのだと思いますが、今の日本は、「米百俵の精神」など忘れてしまっているのでしょう。後は、力のある与党政治家か総理大臣自らが音頭を取って教育改革の「旗振り役」をするしかありませんが、それも期待できないようです。それでも、今、できることはあるはずですので、私なりの考えを述べたいと思います。
1 「働く」ということ
日本人にとって「勤労」は、けっして苦役などではありません。そもそも、日本の神々はみんな稲作に従事し、「米づくり」を尊いものと考えられていました。今でも天皇陛下は、毎年、田植えや稲刈りなどに勤しみ、皇后陛下は蚕を育てて生糸を紡ぎます。こうした文化があるからこそ、日本人は「勤勉」なのでしょう。しかしながら、この「勤勉さ」故に、学校は「働き方改革」を軽んじてきました。日本人にとって、学校の教師は「教育者」であり「聖職者」というイメージがあり、「子供のため」なら、親以上に「骨身を惜しまずに」働き、子供の健全な育成(幸せ)を願ったものです。しかし、それは、社会全体がそれを支援し、そうまでして我が子を心配してくれる「先生」に強い「尊敬の念」と「信頼」を置いていたからです。戦後作られた映画に壺井栄原作の「二十四の瞳」がありますが、あの主人公である「大石先生(おなご先生)」は、子供と一緒に笑い、泣き、自分が何も力になれないことを嘆き、その一生を教育に捧げた人として描かれ、何度も映画化されました。名もない小さな島の分教場の話です。そして、この映画には「反戦」の意味も込められていました。当時の日本は貧しく、学校の教師といえば、村の「インテリ」であり、子供たちを導いてくれる立派な職業と見られていました。だからこそ、親たちは、我が子に「先生の言うことを聞かぬと承知せんぞ!」と厳しく諭し、教育を大切に思っていたのです。もちろん、それを肌で感じている教師たちは、そんな社会の期待に応えようと日々奮闘していたことは間違いありません。
しかしながら、現代に於いて、そんな親(大人)がどのくらいいるでしょうか。社会は学校の教師に「尊敬の念」や「信頼」を置いているでしょうか。特別に統計などを取らなくても、それがほとんど「ない」ことは、教師であれば十分感じています。マスコミなどは、揶揄するように「教育者」だの「聖職者」だのと勝手に言葉を遣いますが、ほとんどが、「…のくせに」という虐めに似た表現で教師を貶めるのを楽しんでいます。余程、学校時代に叱られたことが悔しくて、仕返しでもしているつもりなのでしょう。こうした社会の背景が180度変わってしまった「教師像」が、あの時代のままであるはずがありません。もし、今でも昔のように、社会全体が「大石先生」を見るかのように学校や教師を信頼してくれるのであれば、今の「働き方改革」は議論にもならないはずです。たとえ「定額働かせ放題」と言われる理不尽な労働環境であっても、教師は黙々とその職責を果たすために奮闘していたと思います。しかし、雇用側に立つ文部科学省や都道府県、そして管理する側の各教育委員会が学校に無理難題を押し付け、教育を「サービス業だ!」と言う時代になっては、さすがの教師たちも疲弊するばかりです。傍で見ていても、それはあまりにも「気の毒」でなりません。社会が変わり、大人が変わり、親が変わっても学校は何も変わらない…では通用するはずもないのです。だから、ここに来て、教師たちも「我々も同じ日本国民です!」「私たちも労働者の一人です!」「私たちにも家族はあるのです!」「もう、体が保ちません!」と声を上げざるを得なかったのです。
それでも、日本の教師たちは「大声」を上げようとはしません。外国の教師なら、当然のように「授業ボイコット」や「ストライキ」「抗議デモ」で抵抗を示したことでしょう。しかし、この問題が起きてから全国で教師たちが「ストライキを起こした」というニュースはひとつも聞きません。だれもが黙々と日々の指導に邁進し、子供たちと向き合っているのです。これは、日本ならではの姿だと私は思います。一人一人の教師には、思うところはたくさんあるはずです。しかし、それに反論したところで社会が変わるわけではありません。それに、目の前にいる子供たちに迷惑をかけることは本意ではないのです。そして、静かに「日本」という国が、「教育という仕事の尊さ」を理解して動いてくれることを期待しているのです。「きっと、わかってくれる…」「きっと、良い方向に変わるはずだ…」と信じているからこそ、だれもその理不尽さを大声で訴えないのです。そのことをわかって欲しいと思います。日本はもう昔の日本ではありません。政府が「グローバル化」と言い出したころから、日本人は「世界標準」に飲み込まれてしまったのです。だったら、教師も教育も「世界標準」に合わせて行くしか方法がなかったではありませんか。それを教育には手をつけず放置したことは、日本政府の怠慢以外にはありません。これからの時代は、日本人的な「勤労は美徳」ではなく、世界と同じように「苦役」か「利潤追求」ということになって行くのでしょう。それが、「グローバル化する」ということだったのです。
2 「労働」という意識
教師の多くは、自分が「働いている」という意識が何処まであるのか…疑問になるときがあります。長い間、「子供のために身を粉にして働く」ことが「善」であると教え込まれてきた教師は、自分が公務員となり、学校という職場で働いていることの意味が、あまり分かっていなかったような気がします。これを「慣習」と言ってしまえばそれまでですが、日本に学校教育という「制度」が整備されて以降、この思想は、その後もずっと教師に受け継がれてきました。そのために、教師にはあまり「勤務時間」という意識がありません。私自身も若い頃は、休日に学校に行って翌週の授業準備をしたり、教材を手作りしていたりと勤務時間の感覚など関係なしに「仕事らしき作業」をしていました。それも、だれから命じられたわけでもなく、学校は、常に何人かの教師が来ていて、門は開いていたのですから、だれもが「自主的」に行動していました。そんなときに電話が鳴れば普通に出て対応しますし、緊急連絡であれば、そのまま出動します。それで、注意を受けたこともありませんし、逆に「先生がいてくれて助かったよ…」と教頭あたりから誉められたりもしたものです。今考えれば、「こんな態度で勤務していていいのか?」と思いますが、当時はそれが「普通」だと思い込んでいました。
家に帰ってからも、暇な時間があれば「教材研究」などを行い、プリントの一枚も作成したり、持ち帰った子供のノートをチェックしたり、指導案を書いたりするなど、何処までが「仕事」で、何処からが「自己研修」の世界なのかも分かっていません。それでも、学校に出勤し子供たちが喜んでくれたり、他の先生方に誉められたりすると、また同じようなスタイルで仕事をしていたものです。こんな感覚は、おそらく民間にはあまりなかったか…と思います。要するに「残業手当」が付くような職種であれば、管理職も簡単に学校に出入りすることを許さなかったはずです。しかし、どれだけ働いても「残業手当」の対象にはなりませんから、管理職も勤務時間については「無頓着」で、平日の「休憩時間」もあってないようなものでした。本来、休憩するべき時間の昼食の時間でさえ、「給食指導」という勤務が命じられているわけですから、暢気に「お昼御飯(給食)」を食べている場合ではありません。子供たちが楽しく会食できているか、配膳に不備はないか、好き嫌いの多い子はどうしているか…など、四六時中チェックしながら給食を食べているのですから、何処にご飯が入ったかもわからないくらい「早食い」が身につきました。今の時代は、それに「アレルギー」による除去給食がありますので、間違いがあったら大変です。いつも以上に眼を光らせているのが「給食の時間」なのです。しかも、給食の時間は小学校で僅か「45分」しかありません。これは、給食室から給食を教室まで運んで配膳し、子供に食べさせて、後片付けまで入れる時間です。「短すぎやしませんか?」これで、「食育までやれ!」というのですから、正直無茶苦茶です。中学校になると、この時間が「30分」になります。
子供の「休み時間」ともなると、「教師は子供から目を離すな!」という指示が管理職から出ていますので、グラウンドを見たり、教室内の様子を見たりと、食後の休憩はできません。そして、次は「清掃の時間」ですから、子供と一緒に掃除をしながら、各掃除場所を点検に回ります。子供をよく指導しておかないと清掃もいい加減になり、子供同士のトラブルの原因になったりするので要注意です。そして、次のチャイムと同時に「5校時」が始まるのです。したがって、教師は朝出勤すると、子供が帰るまで息を吐く暇がないのです。これも「労働基準法」では違反だと思いますが、如何でしょうか。その後も、会議やら打ち合わせがあり、自分の時間が取れるのは、大体午後6時過ぎになります。お母さん先生方はこれで帰宅しますが、ほとんどの人は大きな荷物を抱えて帰るのが普通の光景でした。その鞄には「子供のノート」や「答案用紙」が入っています。間違いなく、自宅で時間を見つけて作業をするために持っていく書類等です。これも、「公文書・個人情報保管」の考え方からすれば、間違いなく「違反」だと思いますが、そんな悠長なことを言っていれば、仕事は終わらないのが教師という仕事なのです。
これで「労働時間」などを考えたら、教師という仕事が続けられるわけはありません。今になって、「定額働かせ放題」と言われていますが、そんなものは、昔から「当たり前」だったと思います。そして、それを何処からも「注意」や「指導」をされたことがないわけですから、国も自治体もみんな承知していたに決まっています。古株の校長などは、それを「提灯学校」と言って誇っていましたから、校長自身に「労務管理」などするつもりは最初からなかったのです。そして、「24時間教師」でいることが奨励され、何処からも問題視されませんでした。寧ろ、そういう教師は「模範教師」として表彰されたのではないでしょうか。それを考えると、今の「学校ブラック化問題」が起きたのは、遅いくらいです。日本という国は「法治国家」といいながら、慣習さえあれば「法」など関係ない国です。今でも様々な法律が整備されていますが、その法律が形骸化しているものはたくさんあります。法の「運用」段階で解釈が変えられ、「いいんだよ。昔から、そうなんだから…」とか、「政治家が強く言っているから、解釈は緩くていいんだよ…」などと、勝手に解釈を変更し、元の法律自体を変えることはありません。それは、日本国憲法が一番如実に表しています。憲法からして「解釈」でどうにでもなるお国柄ですから、末端の法律など関係がないのでしょう。だからこそ、「定額働かせ放題」は違法ではないのです。
3 本来できる「労務管理」
「定額働かせ放題」になった原因は、簡単に言うと、「教員という職は一般公務員と異なる特殊性があって、勤務時間外手当を支給するのは不適当である」という政府の考え方にありました。何が「特殊性」かと言うと、要するに「子供のためなら、時間に関係なく働いてくれ!」という教師に対する「願望」みたいなものが社会全体にあったからでしょう。時代は昭和46年ころですから、まさに社会は、「24時間働けますか?」というCMが流行ったころのことです。日本は高度経済成長期の中にあり、大人たちは時間に関係なく働き、日本の経済成長を支えました。「モーレツ社員」とか「エコノミック・アニマル」などと言われ、日本人のがめつさが外国人に嫌われていたころで、ちょうど、「大阪万国博覧会」が開かれていました。
社会が豊かになる一方で水俣病やイタイイタイ病、光化学スモッグなどの「公害問題」が発生し、自動車の排気ガス、騒音、工場の廃液の垂れ流しや残土の放置など、だれも「環境」に眼を向ける人もいなくなり、河川や湖沼なども家庭排水等の垂れ流しで汚染され、魚介類が死滅しました。今でこそ、「環境保護」は日本では徹底されるようになりましたが、企業側は、儲けたい一心で環境保護などの配慮は何もありませんでした。とにかく、「稼げるうちに稼げ!」という社会が未成熟な時代に「教職調整額4%」という教師に対する給与(勤務外手当)が法律で定められたのです。この「4%」というのは、時間外で言うと「月8時間分の時間外手当」に対する報酬なのだそうです。「毎月8時間」が、教師の残業手当として「適当」だと言うのですから、如何に当時の政治家も国民も、教師に対する認識が不足しているかが分かります。
そもそも、当時から教師の給与は安く、先輩教師に聞いた話では、「夫婦共稼ぎでやっとこ生活ができる…」という暮らしぶりで、あまり人気のある職業ではなかったようです。多くは採用された都道府県が用意した「教職員住宅」に住み、薄給の中で細々と暮らしていましたが、民間の景気がいい中で、「公務員」そのものが人気のない職業だったわけですから、この4%でも「貰えるだけ有り難い」という感覚があったのでしょう。国としては、戦前の反省もあって「教員を優遇する」ようなこともできなかったのだと思います。教師の中には、戦前に「子供を戦場に送った責任」を感じている人がいる一方、組合活動も盛んになり、共産主義的思想が教育界に蔓延していたことも見逃せません。「子供を二度と戦場におくるな!」は、組合のスローガンでもありました。当時の組合活動は、「平和主義」の名を借りた共産主義思想を広めるための活動が主で、常に「権利、権利!」を叫んでいましたが、一般教職員に恩恵があるような活動は少なく、学校内でも「オルグ」と称する啓蒙活動が盛んに行われ、管理職と対立していたことを覚えています。それにしても、「毎月8時間」程度しか時間外で仕事をしていないはずがありません。どんな調査をしたのか分かりませんが、これは絶対に「デタラメ」です。
したがって、「残業という考え方は、教員には馴染まない」という妙な意見が支配的でした。やっと令和の時代になって、このいい加減な「労務管理を正す」とすれば、まずは、国や都道府県、市町村の首長が本気にならなければできないと思います。首長の中には、「そんなもんは、国に任せておけばいいんだ…」という教育などに関心のない人もいると思います。そういうところの学校教育は、益々弱体化していくだけでしょう。首長が本気になり、その部下である「教育長」を指導すれば、教育委員会は本気になって取り組まなければなりません。そのためには、まず、校長の研修が必須なのです。校長だって「教師」の一人です。自分がかつて行ってきた仕事を考えれば、今の状態を理解できないはずがありません。ただ、上からの命令として「やれ!」と言われない限り、自分から率先して行うのは躊躇うものです。「こんことを勝手にやって大丈夫かな?」「上から怒られ弥しないか…?」などとヒラメのように上を見る習慣がある人には、絶対にできません。その方が何処からも苦情がなくて「安全」だからです。しかし、その自治体の首長が「やれ!」となれば、話は違います。「お墨付き」をいただけば、怖いものはありません。まして、それが自分の「評価」につながるのであれば、率先して頑張ろうとするはずです。
4 「労務管理」の実際
日本には、既に「労働安全衛生法」なる法律があり、「職場環境」を一定レベルにまで整備する必要があります。たとえば、休憩スペースの確保や勤務場所の環境整備など、やっておかなければならない事業所としての責務があります。これは、学校も適用を受けますので、管理者である校長は教職員の「労働環境整備」については、責任を負う立場にあるということです。一応、日本でも「労働者」の健康を考えた適正な措置は採らなければならないのですが、これを「学校」に当て嵌めて見ると非常に「危なっかしい」状況にあると言えます。最近では「メンタルチェック」という「心の診断」をするチェックシートが配られますが、多くの教師の結果は「働き過ぎ」と出てくるようです。それでも、「じゃあ、どうすればいいんだよ…」ということになり、何の効果もありません。「産業医」といわれる医師が年に1回程度、各教職員と面談をしますが、それによって、仕事環境が変わったという話もありませんので、「国がやれって言うから、やるんだろう…」という認識が教職員共通になっています。それでも、何処かに「悪い点」が指摘されれば、「じゃあ、早く寝よう…」とか、「酒は控えよう…」くらいのことは考えますので、けっして無駄だと言うつもりはありません。それを校長が気に掛けてくれればいいのですが、自分もストレスが溜まっていると、そんな余裕もないのかも知れません。
(1)子供の登校時間等の見直し
教員の勤務時間は、概ね「朝8時」から「夕4時30分」が通常です。しかしながら、子供の登校時刻は、小学校で「朝7時」で、下校時刻は「夕4時」でしょう。なぜ、朝が教師の出勤時刻より子供の登校時刻が早いのかというと、多くの学校で「部活動」があるからです。部活動には、音楽系と体育系に別れますが、早朝「1時間」程度の練習時間は必要です。そして、子供の下校時刻は「午後4時」になります。これは、学習指導要領に定められた「授業時数」を年間で割り振っていくと6校時が終わり、帰りの会等を行うと、どうしても下校が午後4時になってしまうからです。教師の勤務時間は4時30分までですから、残りは「30分」しかありません。これでは、だれが考えても「時間外の勤務時間」が増えて当然です。文部科学省は、このことを承知していながら授業時間数を増やして「子供の学力向上」を各学校に命じているのです。もし、時間外勤務を命じたくなければ、子供の登校を遅らせるしかありませんが、そうなると、各小学校では「部活動」を廃止するしかなくなります。部活動は、任意の参加ではありますが、昔から「〇〇体育大会」や「〇〇音楽コンクール」などがありますので、これを「中止」にしなければ、学校が独自で「部活動廃止」の決定はできません。もし、そんなことをすれば、保護者や子供が黙ってはいないでしょう。
中学校ではもっと早く、「朝6時」から部活動の練習をしている学校が多く、放課後の練習が行われると、子供の下校時刻は「午後6時過ぎ」になります。これでは、まるで教師の勤務時間を相当に超過してしまいます。この部活動も「中止」となれば、「小中体連」という組織が黙っていないと思います。なぜなら、各部活動には「全国大会」にまでつながる地区大会があるからです。夏は「総合体育大会」と呼ばれ、秋は「新人戦大会」と呼ばれて一年中練習をしなければ、大会で勝利することはできません。これらは、ニュースになったりネットで配信されたりしていますので、見たことのある人は多いはずです。要するに、最初から教師の「時間外」など眼中になかったから、こんなことが平気でできたのです。今さら、文部科学省や政府が、じたばたしたところで、解決できるはずがありません。もし、これらを全部「廃止」となれば、日本の体育界だけでなくスポーツ界全体に影響を及ぼし、オリンピック選手の育成もままならなくなるはずです。それでも「やれ!」と言える政治家はいるでしょうか。そうなれば、保護者や子供だけでなく「全国民」を敵に回すことになり、政治家は次の選挙で「ただの人」になることは確定です。したがって、これをこのまま継続したいのなら、部活動に教師は一切関わらせないことです。そして、予算を付けて「外部コーチ」を傭うことですが、そんな暇な「スポーツ」や「音楽」の専門家がいるとは思えません。政府は、「外部ボランティア」で賄おうとしているようですが、「一億総活躍社会」と銘打って「70歳まで働いて欲しい…」と言ったのは政府なのですから、外部ボランティアが集まるはずがないのです。何か、自分に都合の言いように言葉を使い分けするのが政治家の癖みたいですから、言うことが矛盾だらけで国民は信用していないでしょう。
(2)学校「管理下」の周知徹底
本来、学校が在籍している子供に対して責任を負わなければならないのは、学校の「教育課程内」で「学習活動している場合のみ」であるはずです。部活動などは、「教育課程外の活動」と学習指導要領に明記されていますので、学校の管理下と言うことができますが、本来、「教育課程外での活動」が学校の職務であるはずがありません。これも、戦後「取り敢えず、学校にやってもらえ…」的な発想から生まれたもので、学校が社会にとって「便利な教育機関」だったことが窺えます。よく、「登下校は、学校管理下ではないのか…」という指摘がありますが、まさか、そんなことまで学校が責任を負えるわけはありません。確かに今でも「登下校の指導」は行っていますが、それは飽くまで「注意喚起」であって、「生活指導」の一環で行っていることです。また、万が一登下校中に事故が起きた場合は、「日本スポーツ振興センターの災害共済給付制度」があり、入学と同時に加入してもらう「保険」の適用を受けます。それは、「登下校での事故」も「学校管理下」の扱いとして適用になりますが、それを以て「登下校が学校管理下」と言うことではありません。学校では、そのいわゆる「学校保険」に加入してもらうとき、保護者に「登下校も保険の適用範囲になります」と説明してきたために、そんな誤解が生じているのでしょう。
当然、「登下校」は保護者の責任で行うべきものです。となると、学校の教育課程外で起こった様々なトラブルに教師が介入する法的根拠も責任もないことになります。責任を負えない者が警察に呼ばれて「子供を引き取る」などということがあっていいはずがありません。警察という行政執行機関が、安易に学校に連絡し教師に「子供の引き取り」等を依頼するのは、そもそも間違っているのです。ならば、それらはすべて「保護者の責任」で行うよう指導するべきです。そして、教師は絶対に介入してはならないということになります。もし、その後のフォローが必要であれば、公的な「カウンセラー」や「心理」の専門家を訪ねてお願いするべきもので、学校に「スクール・カウンセラー」が配置されていれば、それを活用する手もあるということです。学校の教師は、飽くまで「第三者」の立場でそのことを承知しておくことはありますが、恰も「責任ある立場」であるかのように振る舞うことは許されないということです。
また、学校には「PTA」組織がありますが、これも今、大きな転換期に差し掛かっています。多くの学校では、その「役員」になる人(保護者)がおらず、年度当初から揉めるケースがあります。そもそも、この組織が本当に必要か…という議論が必要なはずです。そもそも、PTAなる組織は、戦後の占領期にアメリカから持ち込まれたものですが、日本にはあまり馴染まなかったように思います。もちろん、学校にとって保護者に様々な援助をしていただけるのは有り難いことですが、その保護者が「負担だ」というのであれば、解散もやむを得ない選択です。確かに、年間、多くの行事にPTAが活動します。たとえば、学校の「除草作業」は自治体の予算が少ないために、PTA活動の中で行われることが多く、人もあまり集まりません。運動会では、運営そのものに関わり、朝早くから夜遅くまでお手伝いをしていただいています。また、子供たちの「校外学習」(地域探検等)の際の付き添いなどをお願いすることがありますが、飽くまで「時間の許す方」という前提があります。それも、ボランティアとしての活動なので、報酬はありません。せめて「費用弁償」くらいはあって然るべきだと思います。
まして、今のようにだれもが「フル勤務」で働くような時代になると、「PTA活動があるので、休暇をください…」とは会社に言いにくい雰囲気があると聞きます。それなら、国や自治体がもっと積極的にPTA活動に予算を投入すればいいのです。若しくは、PTA活動を「公の活動」として国が認め、企業等に「公的活動」としての「勤務扱い」ができるよう法律を作ればいいと思いますが、そうした動きはありません。そうなれば、保護者も堂々とPTA活動ができます。何でも「奉仕の心」では、国民に負担ばかりを強いることになるのではないでしょうか。国民が「負担になる」という制度は、やはり見直しが必要なのです。このPTAという組織は、学校単位だけでなく、全国に広がっており、様々な行事や活動を持っていますので、それに参加するとなると、やはり限られた人しか参加できないという状況があるようです。そのために、学校のPTAによっては、全国組織から脱退したり、学校での活動を止めるところも出てきています。それだけ「負担感」が強いのでしょう。
最後に言いたいことは、国民が学校や教師に「甘えてきたのではないか…?」ということです。確かに、「国民のニーズに応えてきた」と言えば、そうなのでしょうが、そもそも「教育」は、だれが担うものなのか…という大事な視点を無視してきた政府に責任があります。民主主義国家では、国民が主権者ですから、政治は公正な「選挙」によって選ばれた「国民の代表者」が権利を行使する体制になっています。しかしながら、この国民の代表者が冷静な判断力や真っ当な歴史観、公正・公平な態度を貫かないと、社会は大きく歪んでしまうのです。実際、「家庭は聖域」にしてしまったのは国民であり政治家です。子供の教育にしても、保護者が教育を受けさせる責任者ですから、子供の問題には率先して対応する「義務」があるはずです。しかし、それを学校に委ね「自分たちは働くことに専念したい…」では、子育ての義務を果たしたことにはなりません。しかし、政府は「国民がそう要望しているから…」という理由で、教育(子育てを含む)の多くを学校に任せてしまいました。その結果、「教育課程外」の子供の行動にまで教師が介入して解決するような歪な「習慣」ができてしまったのです。それが、これまで上手く機能していたために、国や各自治体も多くの子供に関する課題を学校に依頼するようになりました。簡単に言えば、その方が「手っ取り早い」からです。
まずは、この公的機関からの依頼をすべて「禁止」にすることです。様々なイベントで子供の絵画や習字などの作品が欲しいのなら、直接家庭に呼びかけて「公募」すればいいだけのことです。訳のわからない「〇〇教育」などという省庁からの研究依頼も「禁止」です。学校は、学習指導要領に則った授業をするだけで精一杯ですから、そうした研究は相応の予算を付けて「私立学校」にでも依頼されては如何でしょうか。こうした外部からの依頼がすべて「禁止」になれば、学校は授業に専念できます。そうなれば、時間外勤務は相当に軽減されるはずです。また、学校外の「子供の非行や事故等」についても、責任のある「保護者」に連絡し、警察と家庭が連携して対応するべきです。そこに「学校」が絡む必要はありません。そうした「割り切り」をしてこなかったために、今の「学校ブラック化」問題があるのです。要するに、「学校管理下とはなにか?」ということを明確にすることで、教師の負担は随分と軽減され、教育基本法に則った教育体制になるのではないでしょうか。これまでのように、「学校に頼めば何とかしてくれる…」という体質を改めなければ、いつまでも教師の負担は減らず、「教育再生」の道はほど遠いものになります。政治家のみなさんは、いくら、当選するためとはいえ、教師の負担も考えずに適当な「公約」をすることは止めていただきたいと思います。
(3)「時間外労働」手当を予算化する
今の公務員の感覚からすると、時間外労働は報酬(手当)として「時給2千円」程度にはなるはずです。月40時間(一日2時間)の時間外勤務に対しては、40×2千=8万円を毎月支給しなければなりません。一校に30人の教師がいたとすると、一校で毎月30×8万=240万円が必要になります。全国にはおよそ小中学校だけで3万校ありますので、3万×240万=720億円が毎月かかる時間外手当の金額です。毎月700億円が12ヶ月となれば、年間7,000億以上の予算を政府は組まなければ、現在と同じ水準の対応はできない…ということなのです。如何に「教職4%調整手当」がいい加減な代物(数値)かわかるというものです。もし、これを各学校の校長命令で「時間外勤務」を行わせようとすれば、校長は毎日頭の中で「電卓」を叩かなければなりません。そうすれば、自ずと「時間外勤務」を減らそうと努力するはずです。もし、これを「教職調整手当」で継続しようとするのなら、様々な努力をして3倍の「12%」が適当でしょうか。それでも、よほど校長が「教師の働き方の改善」を行わないと、この金額では「見合わない」ことになり、また、大きな問題になっていくはずです。まあ、「教育にはお金がかかる」ことを前提にすれば、これくらいの出費は大したことではないでしょう。これまで「経済優先」の社会を作ってきたのですから、それを転換する意味でも、政府は惜しみなく予算を計上して欲しいと思います。
5 「予算」の要らない再生方法
戦後、教員志望者が急造したのにはわけがあります。それは、政府の施策の成果などではなく、たった一人の日本人の「声」がきっかけでした。その日本人とは「田中角栄」です。田中角栄といえば、日本の歴代総理大臣の中でも「今太閤」とまで呼ばれた歴史にその名を刻む「大総理大臣」です。「日本列島改造論」を引っ提げ、日本全国に「新幹線網」を作るのだと息巻いて、着実に実績を作った人です。アメリカを差し置いて「日中友好」の条約を中国と結んだのも田中首相でした。今になれば、この「日中友好」政策も怪しい状態になっていますが、これを上手くコントロールできる政治家がいたなら、中国共産党の政治家は日本に対してもう少し遠慮があったかも知れませんが、親中派と呼ばれる政治家が平身低頭では、田中角栄のいう「日中友好」とはだいぶ違うような気がします。その田中首相は、学校の教師に対して「私が今日あるのは、先生の教えのお陰である!」と高らかに褒め称えたのです。戦前の義務教育しか出ていない田中にとって、勉強した機会は「小学校」しかありません。しかし、貧しい中で通った小学校の教師たちの「教え」が「今の自分を作った」と考えているとしたら、これほどすばらしいことはありません。きっと、田中角栄という子供を教えた先生方は泣いて喜んだろうと思います。
田中首相は、それまで低賃金だった教員の給与を上げてくれ、普通に生活ができるようになりました。一般行政職よりも「高い給料が貰える」となれば、希望者が増えるのは当然です。「時間外手当」などというものは、最初から当てにしてはいないのです。それに、優秀な教師には「海外研修」まで公費でさせてくれました。毎年、全国から選ばれた教師は、アメリカやヨーロッパで一ヶ月ほどの短期留学ができたのです。各都道府県から選抜された教師は、地元の「エリート」です。その後も「海外研修組」の教師は、その自覚を持って地域のリーダーになっていきました。こうした待遇改善が、教師志望者の後押しをしたことを今の政府も文部科学省も忘れているのではないでしょうか。要するに、田中角栄首相がやったことは、①教師への感謝を伝えたこと、②教師の給料を一般職より高く設定したこと、③研修の機会を保障したこと…の三点が挙げられます。
これは、私自身の体験によるものですので、他にもあるのかも知れませんが、私はこの三点が強く印象に残っています。ところが、今の時代、田中首相が行ったことが蔑ろにされている事実があります。第一に「教師への感謝」など、ここ最近聞かれなくなりました。逆にネガティブキャンペーンを張ろうとしているのか、ここ数十年、学校や教師はマスコミの餌食になり酷く叩かれ続けたのです。第二に、教師の給料は名目上は一般職より高めの設定ですが、これを「一般職並」に引き下げる動きが活発で、どの自治体でも給与の改定が行われ「昇給」も50歳になると行われなくなりました。また、東日本大震災以降、管理職手当のカットも続き、退職金も大きく減額されています。第三に文部科学省主催の海外研修も減り、最近では身近でそれに出た人の話を聞くことはなくなりました。逆に「官製研修」は大幅に増え、あの「教員免許更新制」などは、「免許を更新したければ、自費で講習を受けて免許を更新しろ!」と言われ、だれもが泣く泣く数万円を支払い大学で学生のような講義を受けさせられたのです。大学のある助教授は、「私たちも嫌ですよ。ベテラン先生を前に、何を言えばいいんですか?」と嘆いていたほどです。これを「悪法」と言わずに何と言えばいいのでしょう。
要するに、この「3点」を復活させることです。そして一番大切なのが、①なのだと思います。保護者や子供の中には、いい教師に巡り会って、「本当に有り難かった…」と思っている人はたくさんいるはずです。本気になって叱り、励まし、自分の時間を割いても「我が子のため」に頑張ってくれた教師に感謝している人は大勢いるはずです。そうした思いをどうして政府や文部科学省の偉い人たちは何も言わないのでしょうか。国会答弁を聞いても、素っ気ない答弁ばかりで、政治家にとっては「面倒臭い仕事」なのでしょう。そうした日本人の空気が社会全体に蔓延し、今の状態を作っていることを自覚するべきです。後の二つは、①が広がれば、自ずとついて来る話です。それがないままに、たとえ教職調整額を「10%」にしたところで、教員志望者が増えることはありません。日本の教師は常に「教育者足らん」ことを目指し、「清貧に甘んじ」てでも「聖職者の道」を進もうとしているのです。そうした「志」を足蹴にするような施策を国民はよく見ています。「学校ブラック化問題」は、目先の給与の引き上げと言った単純なものではありません。そのことを管理職がしっかりと認識して国を挙げて取り組めば、この問題は早々に解決できるはずです。
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