老人の独り言13「皇室論」にもの申す。

国民の一人として、あまり「皇室」について論評はしたくないのですが、どうも、最近のマスコミの「皇室報道」が酷いので、敢えて「一国民」として言いたくなりました。私の記憶では、昭和の時代までは、マスコミも皇室に対して一定の尊敬の気持ちを持って報道していたように思いますが、今では、何か「皇室憎し」のような論調で報道し、「これは、あまりにも酷いな…?」と不快になることが度々あります。おそらく、それで「溜飲を下げて」いる人がいるから報道するのでしょうが、どうも、それ以外に「大きな力」が働いているような気がします。そのあたりを戦後の占領時代にまで遡って考えてみたいと思います。

1 「皇室」とは…

日本の歴史を遡ると、「日本」という国が「皇室」と共にあることがわかります。「天皇」の始まりは、神武天皇を初代として数えますが、古事記や日本書紀には、その前の「神代の時代」まで遡って書かれています。これが、日本の歴史を記した「公文書」とされていますので、「日本建国」の物語は「神様の物語」が正式なのです。よく、「神話は科学的ではない…」と非難する人もいますが、それなら、何処の国が「科学的」なのでしょう。歴史のある国ほど、古代から神代の時代にまで遡って「建国の歴史」が創られています。もちろん、これが「科学的か…?」と聞かれれば、それは「違うでしょ…」と答える他はありません。しかし、そんな「古代の歴史」を恰も「正確」であるかのように語ったところで、それを証明する術はありません。さらに言えば「証明できないのだから、書くべきではない!」と言ってしまえば、「歴史」は語り継がれないことになってしまいます。つい、100年前の歴史でさえ「曖昧」な事実が多く、公文書の公開さえされていないわけですから、正確な「事実」など、証明したくても「できない」というのが現実なのです。ただし、日本はその「神代」のことが書かれた「公文書」が存在しているわけですから、そこから「歴史を語る」のは当然のことだと思います。

日本の古代の天皇は「一地方豪族」だったことはわかっています。神話にも見られるように「日本武尊」の物語は、日本統一に向けた戦いの物語でした。初代「神武天皇」の東征物語も同じです。古代とはいえ、おそらくは激しい戦の連続の中で、日本列島を九州から関東、東北に至るまで「力」で制圧していったのでしょう。そして、日本最大の権力者として「天皇像」が出来上がったはずです。この時点までは、諸外国にも見られるような「征服者=王」となり、絶対的な権力と権威を併せ持つ「支配者」になるのです。しかし、日本の場合は、その後の展開が他国とは異なります。隣国の中国を見れば明らかですが、そもそも、「中国」という連続した歴史を持つ「国」はありません。今の「中国」は戦後に誕生した「中華人民共和国」であって、古代からの歴史や伝統は何も受け継いではいないのです。なぜなら、彼らは「易姓革命」という「天に選ばれた者が中国大陸の支配者になる」といった思想を今でも受け継いでいるからです。つまり、今の中国は「中国共産党」という「皇帝」が支配する国なのです。それを「中国四千年の歴史」と言っているのは、飽くまでも「観光用語」だということです。まずは、そのことを知っておくべきでしょう。あの「アメリカ合衆国」などは、日本の江戸時代後期にイギリスからの「移民」によって創られた国であり、歴史や伝統というものがありません。そのために、その時代の権力者や流行などによって政治が左右されます。国家元首は「大統領」になりますが、飽くまでも民主主義に基づいた「選挙」で選ばれる人ですから、任期が終われば、「普通の国民」に戻るだけのことです。そういう意味では、日本の「天皇」とは、まったく違う思想の下に創られた「制度」ということができます。

日本の場合は、「天皇」を国家元首として定め、世襲を以てその「皇位」を継承してきました。時には、強大な軍事力を持った武将が現れ、天皇が政治を司る政府(朝廷)を下に置き「天下を治める」と称して政治の実権を握りましたが、それでも形式上は「天皇の臣下」という立場に甘んじました。そこが外国にはない「日本」という国の特殊性かも知れません。そうした人物たちが強大な武力を背景に「天皇」を襲い、自らが皇位に就く方法もあったはずですが、だれもそれをしようとはしませんでした。なぜなら、その時点で自分が天皇に弓を引く「逆賊」となってしまうからです。この「逆賊」という言葉は、外国人には理解できないかも知れませんが、日本人にとってあってはならない「不道徳な行為」なのです。どうして、そのような感覚を持つようになったのかは定かではありませんが、現代の日本人でも理解できる「日本人として、一番許し難い行為」なのだと思います。理由があるとすれば、日本は建国以来「天皇が治める国」であり、それを破壊することは、日本人が「日本人」であることを捨てることになるからでしょう。国内では様々な考えを持つ人はいますが、「天皇や皇室をなくしてしまえ!」と思う人は、少数だと思います。それだけ、「天皇」という存在があるだけで、「日本人だ!」という安心感を持てるのです。それを理屈で覆そうとしても、多数の日本人はそんな言質には靡かないはずです。それは、頭で考える問題ではなく、心で感じる問題だからです。しかし、そんな日本のあり方も一度の敗戦によって大きく歪められてしまいました。それが、昭和20年8月15日以降の日本なのです。

2 GHQの「皇室」抹殺計画

日本は大東亜戦争敗戦後、アメリカ軍を中心とした「GHQ」によって7年間の占領を受けました。これによって、戦前までの「日本」は悉く破壊されたのです。もし、戦前に「これからの戦争は、国の破壊にまで行き着く戦争になる」ことが予想されていれば、どんな我慢を強いられても「開戦」の決断はできなかったはずです。しかし、情報戦について疎かった日本は、そこまでの考えが及ばず、「窮鼠猫を嚙む」気持ちで、自ら、戦いの火蓋を切ったのです。しかし、日本の想像を遥かに超えて連合国軍は容赦のない戦いを日本に仕掛けてきました。これほど「妥協」を知らない戦争は、これまでになかったことです。まして、日本は敗戦によって国を失うような危機感の中での戦いでしたが、アメリカは、たとえ敗れたとしても、そのときの指導者が権力の座から下りるだけのことで、「国を失う」ような恐怖を味わうことはありません。要するに「大国相手に戦争を起こすような無謀なことは考えるな!」ということだったのです。

従来の戦争であれば、日本が「絶対国防圏」と称したマリアナ諸島、サイパン島の戦いに敗れた時点で、連合国軍から「降伏勧告」が出されたでしょう。アメリカ軍の戦略爆撃機B29は、その飛行能力を持ってすれば、日本全土が空襲できるのですから、日本にしてみれば万事休すです。その時点で、アメリカ軍もかなりの戦死傷者を出しており、これ以上の血を流す必要はありません。「アメリカ青年」の命を大事にするのであれば、これ以上の戦争は「無益」なのです。当然、アメリカ国民もそれがわかっていましたので、「このあたりで、降伏勧告が出されるに違いない」と思っていたはずです。それが、次のフィリピンでも硫黄島でも、沖縄でも、アメリカ政府は「降伏」を日本に求めませんでした。いや、「無条件降伏なら、戦争を止めてやってもいい…」という態度なのですから呆れる他はありません。国と国が戦争という手段を使って政治的決着を付けようとしているのに、相手に「無条件で降伏しろ!」とは、「国が奪われても文句は言わない」という意味ですから、これで戦争を止めるわけにはいかないでしょう。アメリカは、それ以上に「日本本土上陸作戦」まで計画していたのですから、まさに「殲滅」する気で戦争を継続させていたのです。

やっと、アメリカ政府が降伏勧告を行ったのは、東京を初めとする日本全国の都市を空襲し、止めに広島と長崎に「原子爆弾」を投下し、ソ連軍の参戦を確認した時点でした。もし、「本土上陸作戦」が行われれば、日本人は後100万人以上が死に、天皇ご自身に危害が及ぶところまでいったことでしょう。そうなれば、アメリカ兵も10万人程度は戦死する可能性がありました。そうなれば、アメリカ国民がそれを許すとは思えませんが、アメリカ政府は、そこまでやる気だったのです。これには、日本の首脳たちも驚きおののきました。「もし、そんな敵に降伏したら、どんなことになるんだ…?」という恐怖心は、軍人であれば尚更です。多くの日本人が、「降伏すれば、男はみんな強制労働に連れて行かれ、女は敵兵の慰み者になるんだ!」と言ったのも頷けます。これほど酷い殺戮を繰り返すアメリカ軍が、自分に逆らった日本を許すはずがないのです。しかし、敗戦後もアメリカは、日本を許すことはありませんでしたが、その占領政策は実に巧妙でした。そのために、多くの日本人は騙され、今日まで来ているのです。こうした巧妙な作戦を計画できるのが、アメリカという国なのです。

「GHQ」という組織は、アメリカ人にとっては、日本の「戦後処理」のための組織でしかなく、それほど興味の対象ではありませんでした。なぜなら、敗戦国になった日本など、これからの国際社会で活躍できるような力がないからです。このとき、アメリカは「世界の支配者になった!」と本気で思っていたはずです。そして、その日本占領の司令官に、日本軍によってフィリピンから追い出されたダグラス・マッカーサー元帥を任命しました。これは、マッカーサー自身が、日本への「恨み」を晴らすために、自ら手を挙げてそのポストを手に入れたと言われています。まあ、他に適任者がいなかったのかも知れませんが、アメリカ政府にとっては、口うるさく、言うことを聞かないマッカーサーを日本に体よく追い払ったというところでしょう。個人的に言えば、海軍のニミッツ提督の方が、日本人にとってはよかったかも知れません。ニミッツは、日本海軍と真っ向から勝負して勝った提督ですから、ある意味で日本人や日本軍を尊敬していました。彼は、東郷平八郎に憧れて海軍に入ったという人物で、その東郷が創り上げた日本海軍と戦えたのですから、軍人としてこれ以上の名誉なことはありません。野心の塊だったマッカーサーとは人間の質が違うのです。そのマッカーサーは、当初から「日本解体」を目論んで乗り込んできました。彼は、何かしらの思想を持った人間ではありません。単に「名誉欲」と「物欲」の塊のような軍人です。後に、日本占領の功績をバックに「アメリカ大統領」になろうと画策したようですが、アメリカ人にとって「日本占領政策」などどうでもよかったのです。そのために、アメリカ国民の人気もなく「老兵は消え去るのみ…」という名言を残して中央から去って行きました。アメリカ人にとっては、マッカーサーなんかより、ヨーロッパを解放したアイゼンハワーの方が人気が高く、戦後の大統領に選ばれました。それでも、マッカーサーとGHQの連中が日本に行った占領政策は巧妙で、最大の目標が「皇室の消滅」だったのです。

(1)日本破壊計画

日本が降伏を渋った原因の多くは「国体の保持」が保障されないからでした。戦争自体は、日本が「絶対国防圏」と称したマリアナ諸島が破られた時点で詰んでいます。本土が空襲によって蹂躙されれば日本に勝ち目がないことは、だれの目にも明らかでした。しかし、「国体(天皇の地位・日本の国柄)」が守られなければ、日本はたとえ降伏したとしても、それは「亡国」なのです。さすがに、開戦当初は「まさか…、そんなことはしないだろう…」と思っていた日本政府や軍部も、連合国軍の容赦のない戦い方を見て、「これは、日本そのものを滅ぼすつもりだ…」ということに気がついたのです。実際、アメリカが作成した「オレンジ計画」では、完全に日本を滅ぼすための計画が策定されており、そこには、一寸の容赦もありませんでした。つまり、「日本」という国は欧米にとって「邪魔者」以外の何ものでもなかったのです。それに気づいたからこそ、日本政府も日本軍も降伏できずにいたのです。まさか、天皇に対して「退位して皇室をなくしてくれ!」と言えるような日本人はいません。それこそ「不忠」であり「逆賊」の汚名を着ることになります。それは、日本国民が死に絶えたとしても許されないことだったのでしょう。だからこそ、「本土決戦」が叫ばれたのです。

あの戦争が終戦に持ち込めたのは、昭和天皇の「決断」でした。当時の首相は鈴木貫太郎元侍従長(元海軍大将)でしたが、あのとき昭和天皇の決断がなければ、日本は間違いなく「本土決戦」の道を辿り、この後、百万人の日本人が死んだはずです。この決断こそがギリギリの選択でした。昭和天皇は、ポツダム宣言を知らされると重臣たちに「私は、自信がある…」と仰せになり、陸軍大臣の阿南惟幾や重臣たちを説き伏せました。もちろん、「自信」などあるはずがありません。あるのは、昭和天皇ご自身の「生命」を賭けることしかなかったのです。それを「自信」という言葉で言い切り、重臣たちの反論を封じ込めました。戦後、昭和天皇に対しては様々な議論がありますが、ご自身が常に「公」にあることを自覚され、国家元首として真摯に生きて来られたことは間違いありません。結果として、戦後も昭和天皇は退位することなく、日本人統合の「象徴」として国民の前に立たれましたが、日本が「日本」でいられるのは、昭和天皇が国民の支えになり、世界の人々の尊敬の対象となっていたことが大きかったと思います。左翼思想に洗脳されたマスコミは、いたずらに「天皇制」という言い方で、皇室や天皇を愚弄することに熱心ですが、そうした左翼的態度が今の日本の「凋落」の原因になっているのです。

当初、GHQとマッカーサーは、本気で日本を弱体化させ、貧しい「農業国」にしようと企んでいました。そして、ソ連は、この機に日本を「共産化」し、自分の「衛星国」として統治しようと考えていたのです。あの7年に及ぶ占領政策の大半は、ポツダム宣言違反の「日本改造計画」でした。その象徴が「日本国憲法」の制定です。そもそも、その国の最高法規である「憲法」を占領期に占領軍によって作っていいはずがありません。それは、その国や民族への最大の無礼であり、国際社会はそれを容認しないでしょう。これは、第一次世界大戦後のドイツとまったく同じやり方でした。今でこそ、悪名高き「ワイマール憲法」をドイツ国民に押し付け、「二度と、立ち上がれない農業国にしてしまえ!」という企みが「ナチスドイツ」を生んだと言われています。たとえ、戦争に敗れたとはいえ、戦争が「外交の一手段」であるならば、どの国にも「戦争を選ぶ権利」はあるはずです。そこで敗れたとしても、その国を消滅させたり、勝手に戦勝国の都合のいい国に作り替えたりすることは許されません。それは、国家間の「差別問題」であり、「人権問題」でもあるからです。そんなことをすれば、強大な軍事力を持つ国が「世界を支配する」ことが許されることになります。もし、世界がアメリカ、ソ連(ロシア)、中国の三カ国で支配されれば、この世界は「終わり」です。それと同じことをマッカーサーとGHQが行ったことを日本人は忘れてはなりません。

事実、GHQは「マッカーサー司令官の命令だ!」のひと言で、日本政府を黙らせました。そして、次々と日本のこれまでの国家体制を壊して行ったのです。これも、ポツダム宣言違反です。日本の陸海軍が解体されるのはやむを得ないとしても、すべての国家体制を破壊するなどという暴挙が許されるはずがありません。しかし、当時の日本政府は「それもやむなし」として受け入れました。なぜなら、「国体を守るため」という弱味を握られているからです。「皇室廃止阻止」が日本政府にとって一番重要な問題であり、もし、実際に「皇室廃止」が実行に移されれば、日本国民は激怒し、各地で武装蜂起が起きていた可能性がありました。いくら、天皇の命令で「降伏」を受け入れたとしても、「国体を守る」ことが降伏の絶対条件であり、それを力ずくで破壊するのであれば、日本人はマッカーサーと占領軍に対して武器を取り、もう一度、連合国軍に抵抗したはずです。もちろん、その結果は見えていますが、それを「アメリカ本国」が許すのか…ということです。既に「アメリカ国民」には、これ以上戦争をする意思などありませんでした。もう、戦争に懲りていたのです。第一次、第二次と続いた大戦争によって、アメリカ青年がどれほどの血を流したのかを考えれば、国民に「反戦思想」が広がって当然です。あの「ベトナム戦争」を見ればわかります。国民は「なぜ、あんなに遠い国で、アメリカ人の若者が死なねばならないのか?」という疑問が、「もう、これ以上たくさんだ!」という怨嗟の声になり、アメリカ全土に広がっていったからです。

事実、サイパン島、硫黄島、沖縄と続く激戦で、多くのアメリカ兵が亡くなりました。負傷者も多く、アメリカ政府もその現実を報道しないわけにはいきませんでした。そうなると、若者の軍への志願者が減ります。戦時国債も売れなくなると、軍や政府は、次々と英雄を仕立てて「宣伝活動」を行いましたが、「そろそろ、日本に降伏勧告をしないのか?」という声が高まり、だれもが戦争継続を望む者はいなくなりました。それでも、アメリカ政府や軍部は、日本の「無条件降伏」を唱えて、日本本土への上陸作戦を考えていたのです。そうなれば、アメリカ軍の犠牲者は格段に増えます。それは、これまでの壮絶な戦いを見ればわかることです。そして、遂にアメリカ政府は「原子爆弾」という「禁断の果実」に手を触れてしまったのです。おそらく、これを製造した研究者たちは、自分の研究の成果を形にしたくて原子爆弾を造ったのでしょう。そして、それを手にしたアメリカ大統領トルーマンは、「世界初」という栄誉を手に入れたかったのです。元々、副大統領だったトルーマンは選挙で選ばれた大統領ではありません。そんな卑屈な精神が、「原子爆弾」という魔物に魅入られた原因でした。そして、だれも「その後」のことなど眼中にはありませんでした。まさに「悪魔に魅入られた国」が、当時のアメリカでした。そのため、アメリカは「原子爆弾を投下した国」としての未来永劫、汚名を着ることになったのです。今でこそ、大国アメリカにそれを突きつける国や人はいませんが、いずれ、アメリカが弱くなったとき、その非難の声はアメリカ人を苦しめることになるはずです。今でも「人種差別問題」で騒いでいる勢力は、いずれ外の世界に眼を向け、アメリカ政府やアメリカ軍がやってきた「非道」の数々を暴露し、非難する運動を展開することでしょう。アメリカ国内にも自国を貶めて利益を得ようと企む勢力はあるものです。

日本がGHQによって「共産化」することを免れたのは、昭和25年に起きた「朝鮮戦争」がきっかけでした。それは、戦争中にアメリカが支援し続けた「ソ連」と「中国」が明らかな「敵」として民主主義を唱える国々の前に立ちはだかったからです。特に「中国」は、日中戦争のころから米英の多大な支援を受けて日本と戦争をしていました。当時の中国の指導者は、国民党を率いた「蒋介石」ですが、その蒋介石をけしかけ、日本との「和平」を潰してきたのが欧米です。それは、中国のためというより「日本」を弱体化させるための戦略でした。蒋介石は本当の敵である「中国共産党」を潰したかったのに、日本との戦争を強いられていたのです。それでも、「日本に勝てば、中国の支配者になれる」と思わされていた蒋介石は、渋々ながらも欧米の言うがままに従いました。そして、ようやく、日本に勝利することができたのです。しかし、それが自分の実力でないことを蒋介石は百も承知していました。日本に勝利したことで「これで、中国の支配者は自分だ!」と、改めて、旧敵である毛沢東率いる「共産党」と闘うことになりましたが、なんと、これまで蒋介石を支援していたアメリカが掌を返し、中国共産党を支援し始めたのです。これでは、蒋介石に勝ち目はありません。結局、中国の「内戦」は中国共産党が勝利し、「中華人民共和国」という共産党政権の「新国」が誕生したのです。蒋介石はアメリカに騙されたことを悟り、台湾に逃げました。しかし、その「台湾」で蒋介石軍がしたことは、アメリカ軍以上の非道なものだったのです。

この当時のアメリカは何を考えていたのかわかりません。国内では「共産主義は認めない!」という方針が明らかであったのに、ルーズベルト大統領は、ソ連が誕生すると世界に先駆けてこれを承認し、政府内をソ連共産主義の信者たちで固め、第二次世界大戦もソ連を積極的に支援し、アメリカに対抗できる勢力に創り上げました。その上、あの中国までも共産主義国家になるように支援して、日本や国民党の蒋介石を追い落としました。これでは、間もなくアメリカも「共産主義国」になるのかと思えば、第二次世界大戦が終了するや否や、今度は「レッド・パージ」なる「共産主義者追放運動」が起こります。要するにやっていることが滅茶苦茶なのです。それに翻弄されたのが「日本」でした。今考えれば、あのときのアメリカは、表に出てきているルーズベルトやチャーチルなどの他に、アメリカやイギリスを操る「闇の力」が働いていたと考える方が自然だと思います。それが、何者なのかはわかりませんが、最近の研究者の中では、これを「ディープ・ステート」と呼んでいます。最近のアメリカ大統領選挙の「一大不正選挙問題」も、間違いなく「闇の力」によって操られたと見た方がいいでしょう。もちろん、証拠がありませんので断言はできませんが、世界中で、「怪しい…」現象が起きていることは明らかです。

兎にも角にも、朝鮮戦争が起きたことで日本の経済は復活しました。そして、アメリカで「レッド・パージ」(共産主義者追放運動)が起きたことで、日本の共産化に歯止めがかかりました。これによって「皇室」は維持されることになりました。しかし、それは、飽くまで「一時的な存続」でしかなかったのです。それでも、もし、あのままアメリカの政策が続けば、日本はGHQによる占領期の間に、皇室が廃止されたことは間違いありません。あの「東京裁判」で天皇が被告にされていれば、間違いなく「有罪」の判決が出たでしょう。ソ連や中国はそれを強く望んでたわけですから、アメリカ政府の考えひとつでどうにでもなった話です。一般的には、マッカーサーが昭和天皇と面談されたとき、その態度がご立派だったことで、考えを改めた…とされていますが、そんな都合のいい話はありません。その指示を出したのは、間違いなくアメリカ政府です。アメリカ政府としても、これ以上、世界に共産化が広がれば、アメリカの脅威になることがわかってきたからです。まして、朝鮮戦争になると、ソ連の衛生国になっていた「北朝鮮」をソ連や中国が支援していたわけですから、まさに「民主主義」対「共産主義」の戦いです。それを仕組んだのも「ディープ・ステート」だという意見もありますが、アメリカにとっても国防上、日本がソ連の衛星国になれば、それは脅威以外の何ものでもありません。「あの勇敢な日本人が、また、アメリカの脅威になる」などと言うことがあってはなりません。もう一度、「対日戦争」などやるつもりは、アメリカ人にはありませんでした。

(2)「WGIP」の罠

朝鮮戦争とアメリカで起きた「レッド・パージ」によって、日本の共産化は辛うじて防ぐことができましたが、「皇室抹殺計画」は水面下で進められて行きました。GHQは、皇室を弱体化させるために「直宮家」以外の皇族を認めませんでした。これによって、これまで皇族の身分であった人々が、その身分を離れ「一国民」になったのです。そのため、天皇の地位を継承できる「男系男子」が減少し、皇室の存続が危ぶまれる事態に陥るまでになってしまいました。昭和天皇がお元気な時代は、皇太子殿下やそのご兄弟もおり、特に切実な問題にはなりませんでしたが、平成、令和と続く中で、皇族の数は激減し、最近では「女性天皇」が話題に上るまでになっています。日本の歴史では、「男系男子」が継承するとなっている「天皇」の地位に女性皇族が就けば、これまでの「歴史」が途絶えることになり、そのときは、おそらく、国民を巻き込んでの大論争になるに違いありません。それは、まさに、GHQが仕掛けた「罠」だと言うことができるでしょう。

まして、敗戦後、GHQは、「WGIP」(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)、いわゆる「戦争についての罪悪感を日本人に植えつけるための計画」に基づいて、様々な宣伝工作が行われました。それは、主に日本のマスコミを使って行われ、新聞やラジオなどから毎日のように日本軍が酷い戦争をやっていたかを暴いていったのです。その多くは「宣伝活動」であり、現実に起きた出来事をベースに脚色し、如何に日本政府や軍が国民を騙して戦争に駆り立てたのかを触れて回ったのです。その上、戦前出されたような書籍は粗方処分(焚書)され、連合国軍にとって都合の悪い事実は隠蔽するなど、日本人が真実に気づかないように「洗脳」する計画だったのです。そして、それは政治、経済、マスコミ、教育の各界に及び、今の日本が作られました。最近になって日本社会全体がガタガタと揺らいで見えるのは、そんな「戦後体制」が壊れてきてるせいかも知れません。亡くなられた安倍晋三元総理が「戦後体制(レジーム)からの脱却」「美しい国づくり」を提唱されたのは、そうしたGHQの「WGIP」の「洗脳」を解き、新しい日本を創ろうとしたからです。それを阻止する勢力が「暗殺」という強硬手段を採ったとしたら、日本は未だに「闇の中」にいることになります。最近になって、安倍元首相の暗殺に疑義を挟む言論人や一部マスコミが現れ始めました。まだ、大きな力にはなっていませんが、裁判が始まれば警察や検察、一部政治家の「嘘」が表面化してくるかも知れません。

(3)度重なる皇室批判

昭和天皇が亡くなられ、平成の時代に入ると、マスコミは箍が外れたかのような皇室批判を始めました。ちょうど、バブル経済が弾け、日本が停滞期から後退期に入った時期に当たります。イギリスでも同じように王室批判が高まり、「パパラッチ」と称する反社会のような人間たちが、有名人の写真を盗み撮りし、週刊誌などに売り込むような暴力的行為が横行していました。特に王族のスキャンダルネタは高く売れるようで、イギリス王室がその餌食になったのです。有名な元皇太子妃であったダイアナ氏が、そのパパラッチに追いかけられ事故死した事件は世界中に衝撃を与えました。そして、間もなく日本でも同質の現象が起こり、皇太子妃などが闇雲にパパラッチの餌食になり、週刊誌やテレビは、猛烈な批判を皇太子妃に浴びせかけたのです。こうなると、最早、皇族方に対する尊敬の念もなくなり、単なる「いじめ」がマスコミによって繰り広げられました。こうした大人の「いじめ」が横行している間に、子供にも影響を及ぼし、子供が仲間に酷いいじめをするような事件が起こると、マスコミは自分を省みることなく学校を批判しました。この「二枚舌報道」は、マスコミが得意とする手法です。日本では「報道の自由」を笠に着たマスコミの横暴が目に余るようになってきましたが、これも「WGIP」の影響だろうと思います。

令和の時代になると、いじめは子供どころか大人社会に蔓延し「ハラスメント」事件は日常的に報道され、それなりの立場の人間が処罰されて社会的な制裁が加えられています。それは、政治家であろうが、有名芸能人であろうが、大企業の社長であろうが、関係なく、謝罪記者会見が開かれるのが恒例になってしまいました。また、「法令遵守」が叫ばれる中での有名企業の不祥事は、経営者たちの経営能力や資質が問われています。大きな企業になればなるほど、トップは単なる「軽い神輿」扱いされているのかも知れません。そして、そんな隠蔽体質の会社の責任だけを取らされるのですから、気の毒ではあります。おそらくは、トップが気づいても「昔からの慣習ですので、見て見ぬふりをしてください…」とでも言い含められ、「自分に与えられた任期だけを全う出来ればいい…」とでも考えているのでしょう。「平和ぼけ」もここまで来れば本物です。

連日、ここまで酷い事件ばかりを耳にすると、「日本は、本当に大丈夫か?」と考えてしまいます。これまでは、「政治は二流でも、経済は一流」みたいな言葉がありましたが、今では「政治も経済も教育も三流」になってしまいました。これは、おそらく戦後「最低」の評価だろうと思います。しかし、こうなった原因を「戦後体制の崩壊」と論じるマスコミはありません。それはそうでしょう。日本のマスコミは、GHQによって骨抜きにされ、左翼思想で生き残ることを選択した組織ですから、それを否定しては、自分たちの「存在理由」がなくなってしまうからです。もちろん、それは「教育界」も同じです。既に壊れている「学校教育体制」なのに、政府も文部科学省も小手先の改善策しか出すことができません。最早、日本の将来を憂える政治家も官僚もいなくなったということでしょう。この先、日本が迷走に入るのは間違いありませんが、もし、復活することがあるとすれば、それは「皇室」の存在だけだろうと思います。もちろん、天皇陛下が政治や経済に口を挟むことはありませんが、それでも、社会全体が崩壊したとき、天皇の「お言葉」だけが、日本人の心の支えとなるはずです。それは、まさに、昭和20年8月15日の「玉音放送」なのです。あのとき、天皇のお言葉がなければ、日本は、いや日本軍将兵は武器を置くことはなかったはずです。それと同じことが、令和の時代にも求められる日が来るかも知れません。

3 「皇室」のない日本の未来

日本人の中には、皇族方を「特権階級」であるかのように論評し、「共産主義」こそが理想郷のように言う人がいますが、もし、そんなことになれば、日本は確実に世界から忘れられた中国の属国に成り下がることでしょう。国内の首長や政治家の中にもそれを隠そうともせず、皇室を非難する人たちがいます。マスコミも同様です。こんな報道に晒されてる皇族方は、プライバシーの保護もなく、常にマスコミや国民の好奇な眼に晒されているのです。それを「苦痛」と感じる方がおられても仕方がありません。戦後、学校教育の場においても、現在の皇族方のお立場を教育する機会はなく、むしろ、学校において現在の天皇や皇室について論評することは「タブー」となっているのです。無論、日本国憲法での天皇の地位は教えますが、それだけのことです。つまり、今の日本人は、皇族方を恰も芸能人でも見るかのような感覚で眺め、勝手に自分の考えを喋っているだけのことであり、日本のお国柄とか歴史とか、伝統などには無頓着なのです。だから、自分と比べて「同じ人間なのにおかしい…」といった感覚に陥るのだと思います。これもGHQが仕組んだ「日本改造計画」の一環なのでしょう。そして、近い将来、「女性天皇」が誕生すれば、マスコミは挙ってその「正統性」を論じ、いずれは「皇統を継ぐ人物がいない」という理由で皇室を「廃止」するのだと思います。それは、日本という長い歴史を持つ国の「終わり」なのです。

昭和天皇が、敗戦後GHQに命じられて「人間宣言」なるものを出されましたが、当時の日本人の多くは「そんなことは、百も承知だ…」と心の中で叫んでいました。「現人神と呼んでいたじゃないか?」という声も聞こえますが、「現人神」とは、「天皇は神聖なもの」という意識があったということです。本来であれば、ずっと京都御所におられて、日本を統治する「象徴」として、あまり表にお出になられない方がよかったと思います。しかし、明治政府は近代化を急ぐあまり、天皇を世俗的な「国家元首」にしてしまいました。さらに、軍を統帥する「大元帥」として軍服まで着させてしまったのです。当時の朝廷に仕える方々は、これを屈辱と考えていたはずです。なぜなら、軍服を着るということは「武士階級」になったことを意味するからです。昔なら「令外の官」と言われた「武士」になるなど、考えもしないことだったでしょう。しかし、世の習いではありませんが、それも「やむを得ない」選択だったのだろうと思います。そして、ご自身で平和を望みながら起きてしまった戦争で惨めな敗戦となり、今度は「人間宣言」までさせられ、外国人の言うがままにしなければならない屈辱は、言葉にされないだけにお気の毒としか言いようがありません。

それを今度は、マスコミや政治家による誹謗中傷に晒され、挙げ句に一部の国民に蔑まれてるのです。「これに耐えろ」というのは、あまりに人権を無視した暴論のように思います。こうした社会風潮が、日本人や日本という国を弱体化させているのです。よくスポーツが例に挙げられますが、強いチームを作るには、信念を持った監督の指導の下、選手が同じ目標を持って鍛錬し「一人はみんなのために、みんなは一人のために」と、その役割をきちんと果たすことだと言われますが、今の日本はどうでしょう。信念も目標もなく、己の欲得だけで生きている人が多くなってきているのではないでしょうか。政治も経済も教育も混乱を極め、国際社会の信用も失いかけている今だからこそ、もう一度、日本の歴史を学び直し、各人が「天皇」の存在を認識すべきだろうと思います。いつまでも、GHQの「WGIP」に操られるような人生はまっぴら御免です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です