教育雑学24 心を壊される「教師」たち

文部科学省から、令和4年度の「教職員に関する統計」資料が公表されました。その中で気になるのが、「精神疾患による休職者数」の増加です。令和4年度では、既に、全国で「6500人以上」が、休職を取得しているとの報告でした。これは、全国の教職員数の「0.7%」に当たるそうです。「0.7」という数字だけを見ると少ないように見えますが、「休職」を取るには、相当のハードルがあることを知っておかなければなりません。公務員にとって「休職」は、いわゆる「処分」ですので、気軽に「休職を取りたいので、ください」という性質のものではありません。公務員の処分には、「懲戒」によるものと「分限」によるものがあります。「懲戒」は、マスコミ報道でもよく耳にしますので、理解されていると思いますが、要するに「懲らしめる・戒める」ために行われる処分で、違法行為があった場合に使われます。しかし、「分限」は違います。これは、本人の「適格性」に関する処分で、もし、本人に違法行為がなかったとしても「適格性に欠ける」と判断されれば、処分して退職させることが可能なのです。つまり、「精神疾患による休職」は、この「適格性」が問われる疾病であり、3年が経過して完治(寛解)しない場合は、復職をさせずに「退職」させることが可能なのです。

もちろん、この「休職」に入る前に「療養休暇」という「休暇」を取得することは可能ですが、それでも、この休暇の期間は短く、「精神疾患」という心の病を治療するには、あまりにも短いとしか言いようがありません。多くの公務員の中でも、教員の処分率は高く、こうした「心の病」で勤務ができない人が多いことからも、「学校」が如何に特殊な環境だということがわかると思います。現代の「人権感覚」からすれば、「一生懸命に働いて心を病み、治療に専念したにも関わらず、一定期間で治らなかった」ことを理由に「クビ」にするという公の判断は、あまりにも冷たい処置に見えるでしょうが、公務員が国民の「税金」によって雇われていることを考えれば、やむを得ないのかも知れません。これは、企業でも同じことで、完治の目処が立たない社員をずっと雇用し続けることもできないでしょう。したがって、このような場合は「クビ」ではなく、「自己都合」で退職するのが穏当なやり方と言えます。どの都道府県でも「分限」による「免職」は、そうそうない事例ではないでしょうか。それにしても、一生懸命に働いた結果「心の病」を発症して、長い期間治療をせざるを得ないことは、気の毒としか言いようがありません。本人と家族にしてみれば、泣く泣く、その職を失うことになります。そして、その「傷」は、その人間の生涯にわたって癒えることはないのです。

私自身は、昭和の後期から教員になりましたので、学校教育の「移り変わり」を肌で感じている世代です。その感覚から申せば、今の学校教育の現場は「異常」としか言いようがありません。元々、教師になろうとする若者は、自らが「教師という道」を選択した人たちです。昭和の中頃から後期にかけて、マスコミは「デモシカ教師」という言い方で、学校の教員を揶揄し、腹の中ではばかにしていました。それは、「反体制側」に身を置くマスコミ関係者にとって、「体制側」に阿るような教育公務員が憎くてならなかったのでしょう。それに、昭和の時代は、指導に「体罰」は付きものでした。当時は「学校は厳しい場所」「厳しく管理する場所」「鍛える場所」という認識が国民にありましたから、生意気な子供は、教師から眼を付けられて、よく殴られていました。そして、子供も親も、それを「当然」と考えていたのです。しかし、殴られた子供にしてみれば、たまったものではありません。心の中では(いつか見てろ!)と思っていたことでしょう。そして、その反動が大人になって出てきたことは否めません。

社会が今のような「人権」に疎く、「子供のうちに厳しく鍛える文化」が日本という国全体に容認されていた時代のことです。学校では、教師の力は「絶対」であり、子供は「校則」によって、学校外での生活までコントロールされていました。私の通った中学校でも「学校外でも制服着用」「喫茶店は入店禁止」「映画は保護者同伴」などの規則があり、いわゆる「私服」なるものは、持っていてもわずかでした。それに「小遣い」も少なく、買う場所も制限されていましたので、「子供らしい」生活ができたのは、小学校までのことでした。お陰で、保護者である「親」は、学校に子供を預けておけば、心配なく外で働くことができたのです。子供が悪さをすれば、学校にばれていなくても「先生に言うよ!」が、決め手であり、それを言われると「父親よりも怖い」と感じていたものです。当時は、「猛烈社員」「24時間働けますか?」というキャッチコピーが流行る時代ですから、「労働=善」であり「経済的豊かさ=幸福」という方程式が成り立ち、だれもが「自家用車の購入」と「新築一戸建て」に憧れを抱いていました。それを実現することが「男の甲斐性」だったのです。それに、親世代は戦争世代ですから、「兵隊上がり」の教師や親は多く、何かと戦場話を持ち出し、「それに比べれば、おまえ等は幸せだ!」と言われ、殴られることを容認させらました。もちろん、「過労死」なんていう言葉はありませんし「精神疾患」なんていう言葉を知っているのは、医師ぐらいなものだったでしょう。

そのうち、「子供の教育は、学校に任せておけばいい」という風潮が広がり、政府も子供の教育を「学校任せ」にするような施策が増えて行きました。そのために、家庭教育や社会教育の重要性を認識していながら、「困ったことは学校へ」という流れが自然に出来上がって行ったのです。政府や政治家にしてみれば、「子供の教育なんかより、経済発展が優先だろ!」という論理がまかり通っていたのです。親たちにしてみれば、少しでも働いて「夢のマイホーム」を手に入れたいと考えているわけですから、政府の考え方に乗るのは当然でした。そのために、教師は、子供たちが学校にいる時間帯だけでなく、放課後も休日も関係なく対応することが求められたのです。警察でさえ、子供を補導しても学校に電話をしてきて、「すみません。親が引き取りに来ないんで、先生の方で引き取ってもらえませんか?」と言ってくるのですから、どうしようもありません。本当なら、すぐにでも家庭に警察官が出向き「ふざけるな!」「おまえが親だろ!」「責任を持って指導しろ!」と言うべきだし、もし、家庭裁判所が入れば、そのことを厳しく問うべきだったのです。

しかし、だれもが「まあ、学校の先生が引き取って説諭してくれるんだから、一件落着でいいよな…」ですから、学校の仕事が減ることはありませんでした。官僚や政治家たちも「子供のことは、学校に任せて一生懸命働いてください…」といった「経済中心主義経営」が「国民が幸せになれる道」だと信じ込ませて、ひたすら「国の経済発展」のために邁進して行ったのです。そして、それを疑うような人は、だれもいませんでした。それほど、あの戦争は人々の心を傷つけていたのです。それが、平成の時代が過ぎ、令和の時代になるころから崩れ始めました。それは、世界に蔓延した「グローバリズム」の大波が原因です。日本は、GHQによる占領が終わっても、実質的に「アメリカ」に支配されている国です。もちろん、表だってそんなことを言う政治家はいませんが、だれが見ても「同盟国」という名の属国となっています。それは、政治や経済だけでなく、日本のあらゆる文化に浸透し、アメリカの主唱する「グローバリズム」は、日本の教育界にも浸透していきました。

平成の初め頃から、日本の政治家は、よく「人権」という言葉を使うようになりました。そして、「差別は絶対に許されない」思想となり、「国境」の垣根を取り払うと共に「男女」の垣根、「大人と子供」の垣根も取り払い「世界の人々は、すべて平等なのだ」という思想が、強い力を持ったのです。確かに、「人としての基本的な権利」や「差別のない社会」が望ましいことはわかります。しかし、これが行き過ぎると、社会は「秩序」を壊す危険性があるのです。つい、先日問題になった「LGBT法(性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」などは、その典型的な例でしょう。「グローバル化」が世界的規模で進められている昨今、「人間は、あらゆる場所において平等に扱われなければならない」と政治家が声高に叫んでいます。その流れの中で、これまで注目を集めていなかった「性的指向」にまで眼を向けて「理解促進」を謳っています。しかし、この法律が、日本にどうしても必要不可欠な法律だったのでしょうか。国会の中でも相当に議論された問題だったようですが、政府主導の形で法律化されてしまいました。そして、その教育を学校でも行い、そうした配慮を学校にも求めてきています。

この法律が適応されれば、たとえば「自分は、心が女性なんだから、女性として扱われる権利がある」という主張ができます。それが、たとえ「トイレ」や「更衣室」「浴室」「寝室」など、非常にプライバシーに配慮しなければならない場所でも、権利が「配慮」より重視される危険性があるのです。これが、悪用されれば、社会は大混乱に陥ることは間違いありません。政治家は、「飽くまで理念法だから…」と言って逃げますが、現実は、政治家が考えるような甘いものではありません。「人権」「平等」「差別」…と、様々な配慮が求められる中で、学校では毎日のように子供同士のトラブルが起きます。そして、それがすぐに「人権」「差別」「いじめ」などの問題となれば、早急に解決する方法はありません。要するに、こうした「グローバル化」した社会の要求に応えられるほど、学校は環境的にも整備されておらず、教師にも権限はないのです。もし、子供の中で「自分は、見た目は男子だが、心は女子なので、女子と同じ扱いをしてくれ」と要求された場合、学校としてできる方策は何でしょう。更衣室を同じにして、女子トイレを使うことを許可するのでしょうか。「配慮」と「権利」は違います。「配慮」であれば、双方の話し合いによって歩み寄ることはできますが、「権利」を主張されれば、最早、為す術がないのです。

それに、学校では子供同士のトラブルや「いじめ」は、日常茶飯に起きています。多くの未熟な人間が集団を作るのですから、摩擦が起きて当然です。そうした生徒指導の問題は、早急に対応することが求められますが、「対応する」と「解決する」は違います。即座に対応したとしても、人間の感情が急に収まるものでもありません。双方に「言い分」があれば尚更のことです。教師は、お互いの話を十分に聞き取って「納得する道」を探りますが、そのためには、お互いが「共感」できる共通点を探さなければなりません。単に「いい、悪い」なら、解決は可能かも知れませんが、子供の心理は複雑で、単純ではないのです。話を聞いてみると「なるほど…」と思うようなことはありますが、厄介なのは、そうした問題は、必ず保護者である「親」が出て来ることです。子供同士なら、お互いの気持ちを確かめ合って謝罪し、「また、頑張ろう…」と励ますこともできますが、それでは「納得できない」親は、子供ではなく「自分」が納得できるまで追究し始めるのです。

最後は、親同士のトラブルにまで発展し、弁護士が登場することもあります。そして、挙げ句の果てに「訴訟」にまで持ち込む話になると、最早、学校で解決の道を探ることは不可能です。学校や教師には、親を指導できるような、強い「権力」は与えられておらず、警察のような「捜査権」もありません。子供の「言い分」や「理由」を聞いて和解させるのが精一杯の対応なのです。確かに、欧米流で考えれば、「白黒つける」ことが、いわゆる「正義」には叶うのかも知れませんが、子供同士のトラブルに「白黒」は似合いません。そのうち、その「白黒」が逆転するのが子供ですから、大人がある程度「寛容」になって、大人としての判断を下す必要があるのです。実際、最後まで「白黒つける!」と興奮していた保護者は、後で真実がわかり、転居を余儀なくされた話も聞きます。何処の世界でも「人間関係」がうまくできない人は、なかなか「生きづらい」世の中かも知れません。それに、子供の問題の原因は、その子供の内面にあることが多く、一概に表面的な事象で判断してしまうと、後から後悔することにもなりかねません。特に「親子関係」は、他人が見えないだけに難しく、親として一生懸命「子供のために」頑張ったことが、逆に子供の信頼を失い家庭でのトラブルになるケースもあります。要するに、「子供を尊重」できているかどうかが、トラブル解決の「鍵」でしょう。

教師は、どんなトラブルに遭遇したとしても、常に冷静で「大所高所」から判断して、発言をする必要があります。どちらか一方に偏れば、問題は複雑化してしまいます。しかし、「何とか、当座の問題を回避したい…」と考えると、発する言葉に「強さ」がなくなり、そこに付け込まれるものです。要は、教育者としての「信念」の問題なのですが、今の「上意下達」の雰囲気では、そんな良質な教師は誕生しないでしょう。結局は、子供のトラブルから親同士のトラブルにまで発展し、興奮した親から、「こんな問題も解決できないような無能な教師は辞めろ!」とまで言われては、立つ瀬がありません。教師とて、ひとりの人間です。我慢にも限界があります。自分が一生懸命努めても、教育委員会や校長がそれを認めてくれなければ、自分一人で戦うことはできないのです。そして、つまらないトラブルのために、多くの教師が教壇から去って行きました。そして、どんな要請があっても「二度と教師には戻るまい!」と決意しているのです。これまでのキャリアや実績が無視されて、教え子や保護者、管理職、教育委員会から「無能」呼ばわれされた屈辱を忘れることはできないでしょう。したがって、いくら人員不足を嘆いても、能力のある優秀な「元教師」は、絶対に教育現場に戻ることはないのです。

1 「管理教育」批判

昭和の終わりころになると、マスコミは挙って学校批判を始めました。それまで、学校は「子供に教育を施す場」として社会に認知され、家庭でも学校の教師には一目置いていたものです。保護者が学校に来る際には、身嗜みを整え、教師には敬語で接するのが常識でした。教師側も、教え子については長所も欠点も包み隠さず親に伝え、家庭で指導して欲しい点は特に強調して伝えたものです。それは、どちらかというとお願いというよりは「助言」に近いものでした。それは、教師が「教育専門職」として認知されていた証拠でもあります。したがって、保護者も教師に対しては常に礼儀正しく接し、軽口を叩く保護者はいませんでした。学校は、社会にとっても「聖域」となっており、教育を「尊い仕事」「大切な仕事」という共通認識があり、会えば「いつも、ありがとうございます」「子供がお世話になっております」「今後ともよろしくお願いいたします」といった御礼を口にしたものです。したがって、子供が悪いことをすれば、子供の言い分よりも教師の言を信用し、子供を叱るのが常でした。こうした態度は子供にも大きく影響し、「学校では、先生に叱られないように気をつけよう」と思って行動し、できれば、教師から「誉めてもらいたい」と考えていました。それが、子供自身の「評価」になったからです。

ところが、日本の高度経済成長が鈍化するに伴い、マスコミが学校の「管理教育」を批判し始めました。特に愛知県と千葉県はやり玉に挙げられ、「学校は、子供を管理して自由を奪っている」といった論調で、社会を煽り始めたのです。確かに、高度経済成長期の日本では、若者は「金の卵」と呼ばれ、貴重な労働力として期待されており、「管理教育」は、採用する企業にとっても都合のいい「即戦力教育」でした。東京の上野駅には、集団就職列車が到着する度に制服姿の中学校卒業生が続々と降り立ちました。そして、引率の会社の社員に連れられて会社の寮へと向かったのです。この当時の労働者の資質として求められたのが、「真面目で素直」「勤勉で実直」「覚えが早く、要領が良い」「人間関係が円滑で人に好かれる」「挨拶が上手で、キビキビしている」などでした。そして、これらの「社会人能力」を学校で育ててもらうことを社会が期待していたのです。

当然、マスコミもそれを承知していましたが、日本経済が鈍化するに連れて「管理教育は不要」とばかりに学校批判を始めたのです。それは、まるで「掌返し」のようなやり方でした。それまで、学校に求めていた「即戦力教育」を自ら否定して見せたのですから、社会は驚きました。これまで、「当たり前」に思っていた教育をマスコミが批判するのですから、驚くのは当然です。当時の人は、「いったい、何が悪いのか?」わからなかったと思います。学校や教師がマスコミから批判されるようになったのは、この時から始まったような気がします。学校では、常に「社会に出たときに役立つ人間づくり」を目指し、少しでも「社会のニーズ」に応えようと努めていました。子供たちを管理し、健全な成長を促そうとするのは、学校の責務でもあったのです。しかし、社会の要請に応えようとし過ぎたために、子供たちにかなり「無理を強いていた」ことも反省しなければなりません。それに、学校の教師は、自分の頭で考えて行動していたのではなく、単に「社会の風潮」に乗って指導していただけですから、批判されるようになった理由が見つかりませんでした。

どんな教育でも同じですが、指導する側の人間が、特に考えることもなく、流されるように指導するようになると、そこには「愛情」がなくなり、「管理のための指導」になりかねないのです。それは、先の戦争で十分経験したことなのに、同じ過ちを繰り返した責任は、日本政府にも社会全体にも、もちろん、学校の教職員にもあります。そのため、子供たちには「個性」がなくなり、集団の中に埋没するかのように「画一的」な人間が育ちました。きちんと制服に身を固め、頭髪は坊主かお下げ髪、靴下は無地の白、靴も白い運動靴(紐結び)。中に着るカッターシャツやブラウス、下着の種類や色まで指定されていました。学校では、度々「持ち物検査」や「頭髪検査」などが行われ、違反でもすれば、当然のようにビンタが飛んでくる始末です。格好付けて少し髪を伸ばした生徒は、職員室に呼ばれ、その場でバリカンを入れられました。きれいに刈るのではなく、虎刈りにしておけば、理髪店で坊主にするしかないからです。今考えれば、こんなことはすべて「体罰」に当たります。しかし、それは、「時代が望んでいたこと」ですから、学校や教師だけを責めても仕方がないことですが、マスコミが騒ぎ出しても、政府や教育委員会は、学校や教師を庇ってもくれませんでした。実際、そのマスコミの取材方法も乱暴で、相手の人権や立場も顧みず、「夜討ち、朝駆け」「突撃!取材」は、社会の批判を浴びていました。今でも、マスコミは「表現の自由」を笠に着てやりたい放題な取材をしているため、多くの国民の信頼を失ってしまったのです。

ただ、この「管理教育批判」は、日本の高度経済成長期に必要だった「人材育成法」の終焉を暗示していました。所詮、学校教育は、そうした社会情勢と密接に関係していることが、ここで証明されたとも言えるのです。そして、日本は、昭和の終わりに「バブル景気」の時代を迎えました。この「バブル景気」は、それまでの「高度経済成長期」とは、根本においてまったく違う好景気現象でした。戦後の日本は、戦争によって破壊されたすべての分野の産業を再生するために必死の努力をしてきました。そのためには、家庭教育や学校教育に眼を向ける余裕など何処にもなかったのです。そして、その努力が実を結び、昭和39年に「東京オリンピック」を開催することができました。敗戦後、僅か20年足らずで、戦後復興を成し遂げたのです。日本は、資源を持たない国ですから、今も昔も「加工貿易」で経済を動かしていかなければなりません。そのため、「ものづくり」は、日本社会に欠かせない産業となりました。戦後は、石炭産業、造船業、繊維業、自動車産業、鉄工業と次々と良質な製品を安価で生み出し、海外へと輸出して行ったのです。しかし、「バブル」は違います。国内の「不動産」である「土地価格」が高騰し、実態がよく見えない「泡(バブル)」が急激に膨れ上がることで、日本は空前の好景気を迎えました。

しかし、それは、所詮は実態のない「泡(バブル)」でしかありません。そんな得体の知れない好景気は、理由もなく、突然終わりを迎えました。大して努力しなくても「金が金を生む」ような好景気は、人々の心を高揚させ、日本は得意の絶頂期にありました。そして、「俺に怖い物はないんだ!」とばかりに、世界の資産を買い漁りましたが、それも束の間の出来事でした。確か、政府が、全国の各自治体に「一億円」ずつプレゼントしたのも大きな話題になりました。まさに「浮かれきった状態」が、当時の日本だったのです。しかし、それが「あっ…」と言う間もなく、急速に萎むと、二度と実態のない「泡」が日本社会に訪れることはありませんでした。そして、日本経済は平成の時代と共に停滞期から下降期に入り、「失われた30年」と呼ばれるようになったのです。

こうなると、最早、学校教育は「未来の人材育成」の役割を担えなくなって行きました。各企業もバブル崩壊で失った資産を取り戻そうと躍起になり、利益を社会に還元することもしなくなりました。この当時、企業家たちが口を揃えて言っていたのが、「会社は、社員のものではない。株主のものだ!」という言葉です。これは、「アメリカ型の経営論」に出て来る言葉であり、法律上の解釈に基づきます。しかし、以前の日本の経営者は、わかっていてもそんなことは言いませんでした。明治の偉大な企業家である「渋沢栄一」は、その著書にあるように「企業経営は、論語と算盤でなければならない」と主張していたのです。それは、松下幸之助の「会社は、社会の公器である」に通じる言葉であり、「儲け第一主義」や「株主優先主義」を堂々と宣う人はいなかったのですが、このあたりから日本の「潮目」が変わったように思います。そして、たとえ利益が出ても、社会に還元せずに、「内部留保」という形で、資産として貯め込むようになりました。さらに、安い人件費につられて、中国や東南アジアに工場を移転し、国内産業は「空洞化」していったのです。

これが、平成時代の日本の特徴になりました。こうした企業側の論理により、国内産業は益々疲弊し、労働者の賃金は抑制されたまま「30年」が経過しました。いくら、学校が厳しい「管理教育」で、子供を「真面目で実直に働く人間」に育てても、社会はそれを歓迎しなくなったのです。学校の教師は、それでも「真面目で、コツコツと働く人間」を育てようと躍起になりましたが、社会は、「もう、そんな人間はいらない!」「そんなことより、すぐに戦力になる優秀な人材を送ってくれ!」と言うばかりです。企業家の言う「優秀」とは、「優れた頭脳」「優れた英語力」「優れた資格」「優れたコミュニケーション能力」などでした。何処にも「生真面目で実直な人間」などという言葉はありません。つまり、学校教育は、既に社会の要請に応えられない「無駄な」教育機関に成り下がったのです。こうなると、これまでの学校は為す術がありません。文部科学省は、大慌てで、学習指導要領の改訂の度毎に「新しい教育」を導入し、「これでもか…」というくらい、学校に「社会が求める」厳しい要求を突きつけました。しかし、10年ごとに「新しい教育」が導入されても、それができる環境は、学校にはなかったのです。まして、そんな人材を育てたことのない教師たちは困惑し、国の要求に応えられないまま、今に至っているのです。こうして、戦後長く続いた、学校における「管理教育」は終わりを迎えました。

2 「ゆとり教育」批判

バブルが崩壊し、日本経済が停滞してきた時期に文部科学省は、学習指導要領の改訂に合わせて「新しい教育」方針を打ち出しました。それは、この時代にしては「大胆な取り組み」でしたが、やはり、これまでの管理教育一辺倒を打破しようとする試みではあったのです。これが、マスコミが言う「ゆとり教育」です。大まかには、「総合的な学習の時間」の設定、各教科等の「時間数の削減」「学習内容の精選」などが、主な改訂の内容でした。なぜ、日本政府がこのような大胆な方針を出したかと言えば、「管理教育」が破綻したこともありますが、昭和の時代に行ってきた「学力向上施策」や「進学率向上施策」に生き詰まりを感じてきたからです。前述した「管理教育」の中でも述べましたが、これまで、企業にとって都合のいい労働者を生み出してきた学校教育でしたが、世界のグローバリズムの流れの中で、既に「単純労働者」は、不要になっていたのです。このころ、内閣総理大臣だった「小泉純一郎」は、アメリカと同調して「規制緩和」に乗り出し、労働者を自由に「雇用・解雇」できる法律を制定しました。それが「労働者派遣法」です。

これは、いわゆる「単純労働者」を正社員として雇用しなくても、「派遣会社」に依頼して派遣してもらう「期限付労働者」として活用することができるものです。また、「契約」という形で一時的に雇用するシステムもできました。企業にとっては、これほどありがたい話はありません。「正社員」でなければ、欲しい労働者を会社の判断で雇用したり、解雇したりすることができるのですから、常に必要最低限の社員数で仕事を行うことができます。こんな「効率的」なやり方はありません。経営者たちは、後にとんでもない「しっぺ返し」が来るとも知らず、この政策に乗りました。そして、令和の時代になると、そんな不安定な待遇しか受けられない労働者が社会に溢れ、日本経済を停滞どころか、沈滞させる要因になってきたのです。やはり、渋沢栄一や松下幸之助たち「先人の知恵」を疎かにしてはいけないのです。

そして、もうひとつには、急速な「機械文明の発達」があります。平成の初め頃までは、コンピュータは各家庭に普及しておらず、パソコンも携帯電話もありませんでした。昭和の終わりころに、やっとテレビゲームが出始めた時代です。それが、10年も経たないうちに「ワープロ」が登場し、次いで「パーソナルコンピュータ」が登場してきました。さらに、各個人は「携帯電話」を持つようになり、それが「スマートフォン」に替わり、子供たちもテレビゲームから「パソコンゲーム」へと移行していきました。各企業は、電子化された機械を次々に導入し、これまで「人の手」に頼っていた作業が、「作業用ロボット」に取って替わられたのです。確かに、ロボットや工作機械は高額ですが、人件費に比べれば、長い期間活用でき、メンテナンスさえ間違えなければ故障も少なく便利な道具です。その上、計画的に働き、作業効率も人間の手よりも遥かに優れていました。こうなると、最早「人力」に頼る企業はなくなり、多くの社員を抱える必要がなくなったのです。その上、人件費の安い中国などに工場を移転させれば、これまでの数倍も利益が上がることに気づきました。経営者たちは、自分の利益だけを考えるようになり「公器」としての役割を放棄したのです。そして、学校も、企業経営者が望む人材を送り出すことができなくなり、社会の関心も薄れて行ったのです。要するに、「真面目で勤勉な社員」は、未来では「コンピュータ内蔵作業ロボット」のことだったということです。そして、ここから日本の教育は「迷走」状態に陥りました。

「ゆとり教育」は、そんな時代背景の中で、文部科学省が「未来の日本の教育」を考えた末に実行した「未来型教育」の試案だったと思います。しかし、そんな計画もマスコミと恥知らずな政治家によって瞬く間に覆され、「ゆとり教育」は崩壊しました。それは、単に「国際学力調査(PISA)」による日本の子供の学力低下(読解力低下)を殊更に取り上げ、計画的に練られた国の試案を葬り去りました。「国際学力調査(PISA)」による学力低下問題を連日、マスコミはあらゆる手段を用いて非難し、国民を煽りました。その結果、与党政治家たちは、その圧力に抗しきれず、「ゆとり教育」を撤回し、従前以上の「学力向上施策」をぶち上げたのです。この政府与党の節操のなさが、その後、日本社会に悪い影響を与えました。それは、「マスコミが挙って政府の施策を叩けば、国は方針を変える」ことを学んだことです。これにより、マスコミは、政治家以上に強い「権力」を持ち、気に入らない政治家がいれば、個人情報保護も関係なく、スキャンダル紛いの事実を暴き立て、徹底的に貶める策を採るようになりました。しかし、こうしたマスコミの思い上がりが、国民の信頼をなくし、凋落していったことも事実です。

現場の教師たちにとって「ゆとり教育」は、歓迎できるものでした。事実、私も現場にいて「今度の改訂なら、思い切った実践ができるぞ!」と喜んだものです。「授業時数の削減」は、学校の教育課程に「ゆとり」を持たせ、学校の「裁量」で、独自の教育活動を創ることができたのです。たとえば、この時間を「自習時間」にすれば、ゆっくりと子供に向き合い、学習内容の定着を図る時間にすることができます。また、「下校時間」が早まるために、午後の3時以降は、教職員の会議や事務作業等に充てることができます。そうすれば、「持ち帰り仕事」も減り、今になって騒いでいる「時間外労働」もかなり減らすことができたはずです。また、新しく誕生した「総合的な学習の時間」は、工夫次第によって、子供の自主性を重んじた活動ができるようになり、まさに「ゆとり教育」の象徴となったことでしょう。そんな現場の教師の声を聞くこともなく、「ゆとり教育」は、散々にこき下ろされ、今でも評価する人はいません。しかし、その「ゆとり世代」から、多くの若い「優秀な人材」が育ったことも事実です。

訳知り顔の大人たちは、そのころ学校で学んだ子供たちを「ゆとり世代」と揶揄して、笑いものにしましたが、それなら「学力重視で勉強してきたあなたたちに何ができるんだ?」と尋ねたいくらいです。今、40代の兵庫県知事が「パワハラ問題」で、議会と県民から「早く辞めてくれ!」と非難されていますが、彼こそ「学力偏重主義」時代の代表選手なのではないですか。また、一方で30代の大谷翔平選手が、アメリカの大リーグで大活躍し、日本人の名を世界に轟かせていますが、彼は、「学力偏重主義」時代の選手ではありません。子供のころは、「ゆとり教育」で育った人間です。まあ、極端な例かも知れませんが、「学力=優秀」という錯覚は、そろそろ気づいた方がいいと思います。経験を積んだはずの大人が、自分の価値基準に照らして「今時の若い奴らは…」とか「だから、ゆとり世代って言われるんだ…」とばかにする傾向がありますが、易々とアメリカや中国のグローバリズムに乗って経済を危うくした世代やセクハラ、パワハラ問題で不祥事だらけの世代に対して、「ゆとり世代」こそ、真から怒っているのです。だからこそ、彼らは「人生安泰」と言われた公務員や官僚にもならず、「使い捨て企業」にも入らず、自ら起業したり、自分のスキルを磨いて「転職」することで自分の人生を切り開いているのではありませんか。もちろん、中にはそうした社会の流れに乗ることができず、悶々とした暮らしをしている若者もいますが、彼らも必死になって「自分探し」をしているのです。「ゆとり教育」がだめと言うのなら、「詰め込み教育」は、どんな成果を挙げたのか示してもらいたいものです。もし、「ゆとり教育」を批判するなら、それに替わる「日本が発展するための教育」を示していただきたいと思います。あの「ゆとり教育」を潰した結果が、現在の「学校崩壊」「教員崩壊」を招いているのです。

3 「現実逃避」する社会

今の学校批判が止まらないのは、戦後の高度経済成長期から続く「学校依存症」だったことが原因と考えられます。政治家は元々、教育には熱心ではなく、教師の待遇は明治時代から現在に至るまで、それほど恵まれてはいませんでした。これは、日本だけでなく諸外国も同じような状況にあります。そのため、教育は、教師個人の主体性に負うところが大きく、学級担任が、自分の受け持ちの子供の責任のすべてを負っていました。「負っていた」と言っても、法的にそうなっていたのではなく、教師自身が、そのくらいの「責任感」を持って指導していたということです。国民は、長年の習慣で「子供は学校に任せておけばいい…」という感覚が強く残り、責任感が希薄だったために、学校や教師が「負わざるを得なかった」というのが、正確でしょう。それは、政治家だろうが家庭の親だろうが一緒です。教師自身がそんなふうに考えていましたので、日本社会は国民の総意として「子供の教育は、学校任せ」だったのです。もし、子供が非行にでも走れば、世間は親を責めるのではなく、挙って「学校は、一体何をしていたんだ!?」と学校と担任教師を責めることに疑問を持ちませんでした。今でも、大人たちは、放課後の子供たちの苦情を学校に持ち込みますが、放課後の子供の責任は、学校にはありません。すべて、「保護者の責任」であることは明白です。よって、苦情があれば、保護者(親)に言うべきことであり、学校が謝罪する義務も責任もないのです。こんな「当たり前」のことが、日本では「常識」になっていないことを知るべきでしょう。外国の学校ではあり得ないことなのです。

子供のことで親に注意をすると、「私だって働いていて、子供に構っている余裕はないんだ!」と怒りを学校の教師にぶつけることがありますが、これも自分が子供に対する「責任者」である自覚がない証拠です。自覚がないために、公的機関の場で堂々と「私に責任はありません!」と言ってしまうのですから、長年の習慣とは如何に怖ろしいかがわかります。まずは、この無自覚さを徹底的に排除しなければ、日本は健全な「子育て」をする国にはなれません。「児童虐待」が増え続けるのも、こうした親の無自覚が原因している可能性があります。確かに、半世紀以上もこうした習慣に慣れてしまえば、「無自覚」であることを責めることもできません。そして、いつのまにか学校も「できないことはできない!」と言えなくなってしまったのです。要するに「できもしないこと」まで「やります」なんて、調子のいいことを言い続けた結果が、今の「学校ブラック化」につながっていることを、教師自身が自覚すべきなのです。人間は、所詮「弱い生き物」です。相手が強く出て来れば、怯むのも人間の弱さなのです。教師たちも、「みんなが、そう言うなら…」と、イヤイヤながら、多くの「〇〇教育」を引き受けてきました。本来であれば、「こっちだって忙しいんだ!」「そんなこと、できるわけないだろう!」と、強く断ればいいのですが、立場の弱い学校は、泣く泣く引き受けてしまうのです。そんな調子で半世紀も過ぎれば、それが「当たり前」になるのはやむを得ないと思いますが…。

だからこそ、学校で問題が起きると、子育てに自信のない親は、自分のことを棚に上げて「学校に預けているんだから…」と学校の責任を問おうとします。心の中では、自分がダメなことも知っているのですが、「私に責任はない!」と思い込まなければ、その場から逃げることはできないのです。これが、仕事上のトラブルであれば、謝罪しなければすむ話ではありませんが、学校は職場ではありません。それに「守秘義務」があることも親たちはよく知っていますから、外に漏れる心配もないのです。いくら「嘘」で誤魔化しても、だれにも知られなければ「嘘も方便」で逃げられる世界ですから、弱い人間ほど平気で「嘘を吐き」ます。そして、学校で子供が問題を起こすと、さっさと逃げに入り、「学校で起きたことは、学校で解決してくれ!」と開き直るのが常なのです。もし、「学校だけで子供の問題を解決できる…」なんて本気で思っているとしたら、余程暢気な性格か、学校をばかにしているとしか考えられません。「子供の教育は、親に全責任があるのであって、学校は、教育専門職として、子供に公民としての常識を教えている」だけのことなのです。もし、学校が子供の教育の責任のすべてを負うことになったとしたら、日本では、親も家庭も不要ということになります。そんな国が、何処にあるのでしょう。

そもそも、学校は「勉強」をしに来る場所であって、そのための「学習準備」を家庭で怠りなく行い、学校では、「礼儀」を重んじ「規律」を守り、社会の一員としての自覚を持って生活を送る必要があります。もし、それができないのであれば、「できない事情」を学校に説明し、保護者共々話し合いを行った上で登校を認めなければならないでしょう。学校は、まったく家庭教育を受けていない者に学びを提供する機関ではありません。各家庭で就学前までに、「学校入学後の態勢」ができているという了解の下に入学許可を出しているのであって、「何も教わっていない子供をゼロから教育いたします」と宣言したことは、江戸時代の寺子屋ですらなかったと思います。もし、そうした子供もすべて受け入れて、学校で何もかも教えるのであれば、「集団教育」である現体制を捨て、徹底した「個別教育」ができる体制を作らなければなりません。そのためには、さらに莫大な予算を投入して人員を確保し、「0歳児」から教育を施すことができる施設を作り、大改革を実行する必要があるでしょう。そんな覚悟が、今の政府にあるのでしょうか。「口だけ」で綺麗事を並べるのは簡単ですが、それを実践する教師の身になって考える「知能」と「心」が備わっていなければ、国のリーダーとは言えません。そんなことが、不可能なことくらい少し考えればわかることです。要するに「子供の教育のすべてを学校に任せて」は、いけないのです。

4 教師を便利に使う政府

政治家にとって、学校や教師は「便利な道具」でしかないようです。「ゆとり教育」をマスコミによって潰された政府は、その後、常に世論を気にして「ビジョン」を描けないまま「大衆迎合政治」に転換していきました。「大衆」と言っても、マスコミが自分の主張に合うように新聞やテレビなどのメディアを使った「世論誘導」でしかありませんでしたが、それでも、これが大きな力になると感じたマスコミや政治家は、常にターゲットの「粗(欠点・弱点)」を探し、それをネタに政治を思うがままに操ろうとしたのです。しかし、国民はいつまでも、それに騙されることはありませんでした。「なんか、最近のマスコミは信用できないな…」「おい、週刊誌ネタで国会質問をしているぜ…」「なんで、あんなデモに国会議員が参加してるんだよ?」などの声は、巷に溢れ、マスコミも政治家もその「信頼」を失っていったのです。昔なら、「政治記者」や「国会議員」は、なりたくてもなれない「エリート」であり、だれもが羨む職業でしたが、今の若者が憧れる職業でしょうか。所詮、「大衆迎合政治」が行き着く先は、こんなものでしょう。

こうした中で、学校教育は政治家やマスコミの餌食になり、「何でも学校で…」と、上から命じられるままに彼らの施策に利用されるようになりました。最近の事例で一番大きかったのが、あの「コロナ対応」です。国民の多くが忘れてしまったと思いますが、時の安倍晋三総理大臣は、テレビを使って「コロナ対応緊急対策」を発表しましたが、その中で、「子供は学校で預かる」と宣言してしまったのです。要するに、学校は「教育を施す場」ではなく「子供を預かる避難場所」となったのです。そして、それに対応するのが「学校の教師たち」でした。国民には「不要の外出を避けろ!」とか、「人とできるだけ接触するな!」と言っておきながら、教師に対しては、「子供の面倒を見ろ!」では、納得できるものではありません。学校に子供が大勢来れば「濃厚接触」は避けられず、それをコントロールすることはほとんど不可能でしたが、教師に対してだけは、有無を言わせず危険な行動を強いたのです。教師にだって家族はあり、体の弱い人もいます。幼子を抱えている女性も多くいたのです。政府は、そんなことはお構いなしに次々と学校に命令を出して、「安全を確保しろ!」「濃厚接触者を出すな!」「消毒を徹底しろ!」「換気を忘れるな!」「子供を守れ!」と無理難題を押し付けました。教師の多くは「えっ…?」「嘘でしょ?」と驚きましたが、その後訂正されることなく、教師たちは厳重な消毒をして学校に向かいました。

あのとき、各自治体は「なんだ、学校でやるんだ?」「俺たちは、何もしなくていいのか…?」と、ほっとため息を吐いたことでしょう。本来であれば、「各市町村の総力を挙げて対応してくれ!」と檄を飛ばし、学校にも役所の専門職などが支援に入るべきでした。そうすれば、日本人は団結して「コロナ」に立ち向かったことでしょう。「子供を守れ!」は大義となり、それによって、「怖れずに立ち向かう勇気」が湧いたかも知れませんが、そうはなりませんでした。ただでさえ人手が足りない学校は、そのために疲弊し、教師たちには政府に対する不平・不満が溜まっていったのです。それに、それだけ頑張っても、教師たちに対して感謝の言葉ひとつありませんでした。逆に、学校には保護者や市民からの要望や苦情が殺到し、その対応にも苦慮していたのです。本当は、命令を下した安倍晋三総理大臣から、改めてマスコミをとおして頑張った全国の教職員に「御礼の言葉」のひとつも述べるべきでした。しかし、学校や教師を端から軽んじている政治家や官僚に、それを進言できる人間はいなかったのでしょう。教師たちからも、それに対して表だっての不満は出ませんでした。だれもが、「どうせ、言っても仕方がない…」「緊急事態だから仕方がない…」と諦めていたのです。こうした政治家の態度は、国民にも蔓延し、以前にも増して、学校に対する苦情が増えて行ったのです。国のトップが軽んじれば、国民が同調するのは当たり前の現象です。もちろん、問われれば、そんなことは言いませんが、心の中では(それが、おまえたちの仕事だろ…?)くらいの感覚だろうと思います。

本当は、それだけ「頼りにしている」のだと思いますが、権利を強く主張することが「正義」だと教えられると、人間は「仕事なんだから、当たり前だろ…?」という意識になり、だれに対しても「感謝の心」を忘れてしまうものです。今でも「自衛隊」は、災害派遣に投入されますが、それ自体が彼らの本来の任務ではなく、「自治体の要請」に基づいて行動しているものですが、度重なる出動となると、国民はそれを「当たり前」に思ってしまい、「感謝の気持ち」を忘れてしまうのではないでしょうか。「仕事なんだから、当たり前だろ」は、本当に怖い言葉だと思います。そして、それは、学校の教師ばかりでなく、身近な人に対しても同じような態度を取るようになり、国民の「道徳性」は、低下していくばかりです。そうした国民の意識の低下は、もちろん子供たちにも広がります。マスコミが教師を叩き、学校の旧態以前とした指導が批判されるようになると、まず、親たちが学校に対して批判の眼を向け始めました。

本当は、我が子が「世話になっている」のですが、学校での子供の教育に関心のない保護者は、社会の風潮にすぐに同調していきます。なぜなら、その方が「生きやすい」からです。職場で、周囲の人間と軽口を叩いているうちに、それが真実だと思い込み、「そう言えば、うちの子もそんなことがあった…」とばかりに、学校や教師を批判し始めます。また、それが妙に楽しいから止められません。面と向かって言えば、理不尽な悪口ですが、陰でこそこそと言う分には、罪はありません。特に「偉そうに見える教師」の粗を探すのを楽しむのは、人間の「邪な心」がそうさせるのでしょう。よく、高齢者が「年金が足りない。年寄りいじめだ!」と騒ぎますが、自分が納めた以上にサービスを受け、年金を受け取っておきながら、少しでも不利な扱いを受けると、「年寄りいじめだ!」は、ないでしょう。それでも、高齢者は、自分の主張が正しいと思い込んでいるのです。それと同じ事が、学校にも起きているのですが、教育に端から関心のない人々には一向に響かないのが現実です。

長年の慣習というものは、今、受けているサービスが「当たり前」で「基準」になってしまうので、常にそれ以上のサービスを求めようとします。学校が崩壊寸前にまで追い込まれ、教師が心を病んでいなくなっても、この「サービス」だけはずっと受けられると錯覚するのです。マスコミから、「教職員が不足して各自治体は困っています」「教職員の精神疾患による休職者数が増え続けています」「教員の採用倍率が2倍を切りました」と報道されても所詮は「他人事」でしかありません。そこでは、教育サービスを受けられない子供がいるのですが、そこに眼を向ける人もいません。本当は、国の根本を揺るがす「大問題」なのですが、「どうせ、何とかなるんだろ…?」と考えてしまうと、危機が危機に見えなくなるようです。昔から「対岸の火事」という言葉がありますが、本当は「危機」がそこまで迫っているのに、「火事見物」でもするつもりで眺められるのは、一種の脳の「危機回避能力」が働いているからなのだそうですが、国のリーダーまでが、そうであったとしたら、日本はどうなるのでしょう。そして、急にパタンとそのサービスが停止されたとき、人間は混乱状態に陥りパニックを引き起こします。そして、その矛先は何処に向かって行くのでしょうか。そうなる前に「打つ手」はあるのですが、それを決断できる政治家がいなければ、だれもが「手を拱いて」いるうちに最悪な事態を招き、すべてが「ゼロ」になるまで気がつかないのかも知れません。

現在、日本の教師はその能力の「限界」にまで達してしまいました。政府から次から次へと難題を押し付けられ、「子供のために…」という美名で働き続けた結果、心も体も疲弊し、その意思だけでは動けなくなってしまったのです。やっと、そのことに気がついた政府は、当座の対応に乗り出しましたが、いくら「教職調整額(残業手当)」を増やしても、「勤務時間」を減らしても、「学習内容」を削っても、すべて手遅れになってしまいました。もし、やれたとしたら、それは「平成10年」の学習指導要領の改訂時しかありませんでした。それは、国民が挙って反対した「ゆとり教育」の時代です。繰り言になりますが、もし、あのとき、文部科学省が示した学習指導要領の趣旨が徹底され、少しの我慢が国民にできれば、今ごろは「新しい時代の教育」が展開されていたはずなのです。それを妨害したマスコミや政治家、そして、それに同調した国民は反省すべきでしょう。

これから先、若者たちが学校の「教師を目指す」ことはないと思います。本気になって「いい教育をしよう」と思っている若者は、何も手を出せない現実に幻滅しているのです。一生懸命、やればやるだけ批判を浴び、自分の本音を子供にぶつけただけで批判され責任問題にされる職場で、本気になって働けるはずがありません。人間の「意欲」は、周囲に自分の頑張りが評価され、承認されて初めて湧き出すものです。そんなことは、大人ならみんな知っていることです。マスコミの記者たちだって、自分の記事によって国民が拍手を送ってくれたら、こんなに嬉しいことはないでしょう。それが、いくら書いても読者は減り続け、SNSで批判され続けては、自分の仕事に誇りがもてるのでしょうか。教師も同じです。だれからも認めて貰えない、誉めても貰えない、同情しかされない仕事を選ぶ若者はいません。それなら、別の「自分らしい仕事」ができる場を探します。もう、教師は「便利屋」扱いされることに幻滅を覚え、国に対して不信感を抱いているのです。

5 理不尽に耐えてきた教師たち

どうも、日本の人たちは、日本の教育を「三流」であるかのように考えているようですが、正直、小中学校の「義務教育」段階を見る限り、こんなに熱心に教育を行う先生たちがいる国はないだろうと思います。この段階の子供は、外国の子供と比べてもよく勉強をします。「国際学力調査(PISA)」においても、成績は常にトップクラスでした。「学力低下論争」が出たときも、マスコミは「読解力」の低さを問題にしましたが、いつも「マークシート」みたいな「〇×問題」ばかりをやっていたら、読解力がつくはずがないのです。あれは、日本の「受験制度」が問題なのであって、学校の教え方の問題ではありません。それに、「国際」と名のつく調査は、欧米人を主な対象としていますので、学力観は日本とは違います。その点も考慮せず、「日本人の学力が下がった!」「一大事だ!」と騒いで、報道しただけのことであり、長年、文部科学省が研究を進めてきた「未来型教育」を否定するものではありませんでした。しかし、「熱しやすく冷めやすい国民性」が発揮され、文部科学省の計画は、大した論議もなしに「政治判断」とやらで潰されてしまったのです。その後の「迷走」ぶりは、先に述べたとおりです。

日本は島国のために、自分の足で「情報」を取ることが、なかなかできません。テレビにしても新聞にしても、ネットにしても、第三者が調べたニュースを見聞きして判断しているだけのことで、他国の実際を知る機会はほとんどないのです。私は、一度「オーストラリア」の先生方と数日間、話し合った経験がありますが、だれもが、「日本の教育は、すばらしい」と誉めてくれました。それは、「学習」にしても「掃除」にしても、「給食」にしても、みんなが協力して仲良く進めている姿を見るからです。こうした「仲間作り」は、やはり貴重な体験に見えるのでしょう。若い女の先生は、私が持っていた「論語」の本を「ぜひ、読みたい…」と言って、国に持って帰りました。やはり、外国の先生方も教育については、悩むことが多いのだろうと思います。こうした経験は、日本のような島国では、大変貴重なのです。それは、オーストラリアでも同じなのでしょう。したがって、私たちは、第三者の「意図」が入った情報で物事を判断していますので、正しい判断なのかどうか、自信が持てないのが現状です。

よく、戦争中に「大本営発表」を聞いていて、「日本の勝利は近い」と考えて、政府や軍に協力していた人たちが、急に「玉音放送」が流されて吃驚した…という話を聞きます。そして、自分が国に騙されていたことに気づかされるのです。だからといって、国が全部悪いとも言えません。こうした情報を流すのも、国民の戦意を喪失させないための方策でしたから、正直「やむを得ない」事情を汲むべきでしょう。「情報」というものは「情報戦」という言葉があるように、戦略として使える武器だということを知っておくべきでしょう。今の時代は、多くの情報が飛び交い、判断することが難しい時代だと言われますが、一方向の情報だけを頼りにしていると「とんでもない過ち」を犯すことになるのです。今では「大本営発表」と言えば「嘘・誤魔化し・デタラメ」といった意味で使われますが、これも当時の「政府・軍発表」ですから、戦後の日本人が国を信用しなくなった理由がわかるというものです。戦後になると、今度はアメリカ等占領軍(GHQ)の指令に基づいて情報が流されましたが、戦争の責任をすべて「日本政府」と「日本軍」に押し付けて、自分たちは「正義の解放軍」を気取ったわけですから、どちらがよかったか…という話でもないです。

GHQが行った「情報統制」は、国民には知らされず、国の指導者たちにのみ強制されたものですから、表面上は何事もなかったかのように装ったのです。これも、今では「情報戦」のひとつであることがわかっています。要するに、世界各国では、未だに「情報戦」は行われており、私たちの知らない水面下では、激しい戦いになっているのです。最近、テレビの番組を見ていると、「〇〇銀行が、サイバー攻撃を受けたらしい…」といったニュースが、時々飛び込んできますが、「IT・AIの時代」を迎えた現代は、人間の能力を超えた「精密機械・頭脳」同士の情報戦が行われており、「フェイク」と呼ばれる「騙し」の手法が横行しているのだそうです。それは、非常に精密で、人間の眼では判断できないものがあるらしく、「騙し」のテクニックもかなり巧妙になり、人間がそれに振り回されているのが現実なのです。20世紀のころは、「機械文明の発達が、人々を豊かにする」と信じてきましたが、どうも「そうではないらしい…」と言うのが実感でしょう。それが、私たちが望んだ「未来」の姿だとすれば、もう、昔のように子供が子供らしく遊び、近所みんな顔見知り…といった、人間が「人間らしい」穏やかに暮らす時代は、もう来ないのかも知れません。そんなことを言うと、すぐに「らしく…って何ですか?」と叱られるのが現代の気風のようです。

マスコミの「学校嫌い、教育ぎらい」は、今に始まったことではありませんが、以前も「北欧の国の教育がいい…」となると、マスコミは諸手を挙げてその国の教育を賞賛し、決まって「だから、日本は遅れているんだ!」という印象を持たせます。そして、しばらくすると「飽きが来た」かのように、サッとその国のニュースは流さなくなるのです。おそらく、マスコミに取って不都合な真実が見つかったのでしょう。そして、また、違う国の教育を褒めそやし、また、「だから、日本の教育は遅れているんだ!」と繰り返すのです。私も以前、ある自治体の教育(中部地方)がすばらしいと話題になったので、早速、現地の自治体と学校を訪ねて取材をしたことがありますが、「見ると聞くでは大違い」の典型のような現実を目の当たりにしました。キャッチコピーだけは格好よく、「〇〇の教育は、〇〇で」と大きく宣伝しました。要するに「国や県には期待しない」「自分のところだけでやる」といった大風呂敷でしたが、理想と現実は違います。そんな大風呂敷に乗ったのは、マスコミだけで現地の人も首を傾げていただけでした。そして、しばらくして効果がないとわかると、あれだけ騒いだマスコミも「知らぬ顔」です。

こうした繰り返しが何度もありましたが、それでも、自分の国の教育を評価することは滅多にありません。日本の学校の教師は、高くもない給料をもらい、「時間外勤務」など関係なしに働き、少しでも子供にわかってもらおうと「身銭」を切って教材を作るのです。学級で必要な消耗品もなかなか買って貰えないので、これも自分で「ホームセンター」に買いに行き、子供たちが困らないように配慮していました。そして、毎日、家に帰ってから「教材研究」に勤しみ、翌日、5時間から6時間の授業を行うのです。そして、子供の休み時間には、提出させた「ノート」を小まめにチェックしてコメントを書きます。その「朱書きされたコメントが、励みになっている」と、ノートに書いてきた「お母さん」がいました。そうなると、教師は止めるに止められません。さらに、放課後には部活動を指導し、休日も子供たちの練習を指導し安全に帰宅するのを見届けます。子供たちだけの練習は「禁止」ですので、必ず責任ある教師が付くのが、学校の「常識」なのです。そうした日常の中に子供同士のトラブルやいじめ問題等があり、その対応にかなりの時間を割くことになるのです。最近では、それに加えて「保護者対応」が入ってきました。こうして、教師になったその日から、「24時間教師体制」のまま40年間働き続けるのです。これで、体を壊さない方が不思議ですが、真面目な日本人は、それを黙々とこなすのですから「立派なものだ」と感心してしまいます。それを言うと、また、「だって、それが仕事だろ?」「みんな、やってるよ!」でお終いです。本当に、日本人は「お人好し」と言うか、「真面目」と言うか、そうやって無理なことも引き受けながら一生を終えることを「やむを得ない…」ですませるのですから、外国人には理解できなくて当然でしょう。

私が昔読んだ「壺井栄」の小説に「二十四の瞳」という名作があります。瀬戸内海に浮かぶ小豆島を舞台に描いた戦前の「小学校教師」の物語ですので、読まれた方も多いと思います。戦後も何度か映画化され、人々の涙を誘いました。あの小説に描かれている「大石久子先生」こそが、日本の教師の姿なのです。もちろん、何にも例外はあります。しかし、特別な能力を持った先生でもなく、特に立派な業績を残した先生でもありません。小豆島の小さな「分教場(分校)」に赴任した若い女性の先生です。学歴は、おそらく「女学校卒」だったのでしょう。小説の中では、40歳になったころ、校長から「後進に道を譲るように…」と言われて、退職を余儀なくされる場面が描かれていましたので、本当に「名もなき女教師」の一生でした。ところが、この小説が「名作」と呼ばれるのは、どうしてなのでしょう。それは、一度でも教壇に立ったことがある人にはわかるはずです。そして、一度でも、学校の教師に助けられた経験がある人ならわかるはずです。学校というところは、「強い人」や「優秀な人」には、退屈でつまらないところかも知れませんが、本当に「苦労をした人」や「弱い立場の人」の中には、「かけがえのない時間だった」と語る人がいるのです。「二十四の瞳」の大石先生は、そんな人たちに共感を得るような「心優しい」先生に描かれているのです。

もちろん、あの時代に、そんな教師たちばかりではなかったことは承知しています。政府や軍に協力して「戦争を戦い抜こう」と考える教師がいて当然の時代です。それを非難することはできません。しかし、敗戦後、そうした戦時中の自分の行いを恥じて、教壇を去った先生たちがいたことも私は知っています。戦時中、中学校(旧制)では、陸海軍からの要請に応じて「生徒を軍に志願するよう」強く指導したことがありました。有名なのが「愛知一中」ですが、名門中学校だけに、軍への志願者数「日本一」を目指して生徒を鼓舞したのでしょう。そして、多くの戦死者を出したのです。これは、希なケースではなく、全国の何処の中学校でも行われていたことで、今ではひとつの「悲劇」として語られています。当時の陸海軍には、少年兵制度がいくつもありましたので、徴兵を待たずとも、多くの少年が軍隊に「志願」して行ったのです。そして、それは「名誉」な行動であり、周囲から賞賛されました。当時の教師たちは、政府や軍からの命令がなくても、「聖戦に勝利する」ために努力を惜しまないことが「愛国心」だと子供たちに教えていましたので、生徒の方から積極的に志願してくれるような校風は、望ましく映っていたことでしょう。

しかし、心優しい先生たちは、表面ではそう指導しながらも、陰では「どうか、無事に還ってきますように…」と毎日、手を合わせていたのです。戦後、そうした教師たちは、教え子の「死」を知ると、自分の取った行動が本当に正しかったのか…と考えるようになり、一人、二人と静かに教壇を去って行きました。また、敗戦後、戦争中の教育方針とまったく異なる政府からの指示に反発を覚え、「もう、いい加減にしてくれ!」と、やはり教壇を去って行きました。「二十四の瞳」の「大石先生」は、どんな子供にも寄り添い、一緒に涙を流す教師でした。しかし、戦争に向かう日本に対して何もものを申す力はありません。ただ、ひたすら無事を祈り、「戦争が終わる」ことだけを願う普通の人でした。それでも、教え子を愛し、一生懸命に自分の情熱を注いだのです。

正直、私が教師を目指したのも、この「大石久子先生」に憧れたからです。彼女は、スーツを着て自転車に乗り、颯爽と学校に赴任してきました。周りは「今度の女子先生は、気取っとる…」と嫌味を言いますが、別に彼女の家が裕福だったわけではなく、仕立て直したスーツに中古の自転車で遠い家から走って来るしかなかったのです。和装では、自転車には乗れませんし、定期バスでは間に合いません。そんな理由は後からわかるのですが、古い小さな村では、よそ者というだけでよそよそしく、環境に馴染むには相応の時間が必要だったのです。当時の教師の給料は安く、そんな立派な暮らしはできませんでしたが、それでも地域では「学校を出た人」というだけで、尊敬を受ける存在でもあったのです。子供の家は、どこも貧しく、弁当ひとつ持って来れない子供もいました。アルマイトの弁当箱が買えず、竹の包みに麦の握り飯がせいぜいです。修学旅行にも行けず、奉公に出された子もいました。その度に「大石先生」は気の毒に思い、一緒に涙を流すのです。時には、子供たちのいたずらで足にけがを負い、学校に来られない日が続きました。すると、12人の子供たちが、さみしがり、徒歩で大石先生の自宅まで来るのです。それを「みんな、ごめんね…」「でも、ありがとう」そう言って、一人一人の頭を撫でてやるのです。たったこれだけのことが、12人の子供たちと大石先生とのエピソードなのです。

これは、特段の「美談」ではありません。大石先生の「反戦」は、自分の心の中だけにあるものであり、それを声高に言ったこともありません。戦争が始まると教え子の男の子たちが召集されて行きました。先生は一生懸命「無事」を祈りますが、やがて「戦死の公報」が届き、涙を流すのです。そして、敗戦となり、日本は大きく変わりました。最早、戦争は遠い昔話のようになり、人々の口から語られることもなくなりました。それでも、大石先生は片時も「教え子」のことを忘れることはありませんでした。戦後、大きくなった子供たちが「同窓会」らしきものを開いてくれました。そこでの会話も淡々としたものであり、戦争についての話はあまり出ません。戦地で眼を負傷して眼が見えなくなった教え子に、そっと寄り添い、優しく「あんたも苦労したね…」と肩に手を置きます。その何気ない仕種が、やはり涙を誘うのです。周りの元気な教え子たちは、自分の身の上話をすると「先生もお元気でね…」と、あっさり別れて行きます。彼らは、彼らなりに戦争を生き抜き、戦後の苦労を背負って生きているのです。それでも、明るく振る舞い「じゃあね…」と別れていく姿は、先生に心配をかけまいとする精一杯の芝居のように見えました。

年老いた大石先生は、そんな子供たちに感謝の言葉を述べ、にこやかな微笑みを残して彼らを見送るのです。きっと、大石先生の心の中には、教え子を戦地に送り出さなければならなかった後悔と、もっと何かしてやれなかったか…という後悔が過っていたのだと思います。何にもできない無力な「教師」ですが、彼らに対する思いは純粋なのです。年老いて杖を付くような姿になっても、心は昔の「大石先生」だったことは、読者としての喜びでした。そこに、私は強い「共感」を覚え教師になろうと思ったのです。そして、この「二十四の瞳」は、私のバイブルとなり、教員人生の中で何度も読み返し、「大石先生でありたい…」と強く願うようになっていきました。私の中では、この大石久子先生こそが、「日本の先生」の理想像なのです。そして、昭和のあの時代だからこそ、この小説は評判を呼び、何度もテレビドラマ化や映画化されたのでしょう。そこには、日本人の「琴線」に触れる何かが存在するのです。しかし、令和の現在、この物語を理解できる日本人はどのくらいいるのでしょう。「いくら心で思っていたって、何もできなけりゃ無駄だろ…?」とか、「そんなの独り善がりじゃん…」とでも言われたら、私はもうその人間とは二度と口を利こうとは思いません。そうでないことを祈りますが、そこに、日本人が抱える「深い闇」があるような気がしてなりません。

現代の日本人は、物事をすぐに「損得」だけで考えるようになってしまいました。たとえ、子供に好きなことがあっても、大人の尺度で測り、大人が理解できないと「そんなことをしても無駄だ!」とか、「何の役に立つんだ?」「そんなんで飯が食えるのか?」と、子供の考えも聞かず「全否定」をしてしまいがちです。それは、大人の「経験値」に基づく判断かも知れませんが、子供の「可能性」の芽を摘んでしまうことにもなるのです。まして、現在のように「第五次産業革命」などと呼ばれる時代の未来など、だれにも予測不可能なのに、これまでの経験値で子供の将来を判断するのは大変危険なことです。それでいながら、周囲には「子供の好きな道を進ませたい…」などと、綺麗事ですまそうとします。こうした「二枚舌」は、大人の得意とするところで、子供心に「大人は嘘つきだ…」と思わせてしまっているのです。こうした思考は、教師にもよく向けられます。「今度の先生は、当たりだね…」とか、「うちははずれ!」などと勝手なことを言い合い、最初から、教師を値踏みする傾向にあります。人に対して、こうした見下したような「評価」をするようになったのは、いつごろからなのでしょうか。それとも、元々日本人には、こうした人を「蔑む」心があったのでしょうか。そして、若い教師が担任になると「あんなんで大丈夫かしらね?」とか、「頼りないわね…」と見下し、問題でも起きようものなら、買った商品を取り替えるような感覚で「担任を換えてくれ!」では、教師が育つ時間もありません。今の消費者感覚からすれば、「いい商品を選ぶのは、当然の権利」であり、「質が悪ければ、交換して何が悪い」という感覚は正常なのでしょう。これも、突き詰めれば、資本主義社会でありながら「選択の自由」がないことに起因しています。これからの義務教育は、「学校選択制」「担任教師選択制」「学習スタイルの選択制」がよいのかも知れません。

要するに、スーパーマーケットの商品と教師は、同じ次元の中にいるということなのです。こうした扱いを受けた教師は、若ければ若いほど、保護者に対して萎縮し、ご機嫌が悪くならないように努めようとするものです。本来は、子供と向き合うのが仕事なのに、その後ろに控えている親に媚びているようでは、教育は成り立ちません。しかし、「何事も穏便に…」という今の学校態勢では、保護者と面と向かって対峙し、対等に話し合うこともできなくなりました。最悪なのが、「児童虐待」を発見したときです。毅然とした校長ならば、有無も言わせず児童相談所に通報し、子供の保護を求めるでしょう。なぜなら、それが「児童虐待防止法」の趣旨だからです。しかし、「穏便派」の校長は、報告を受けても「しばらく、様子を見ましょう…」とお茶を濁し、次いで「保護者の話を聞きましょう」となります。普通は、これは「まさか?」の対応ですが、結果を怖れる管理職は、「もし、間違っていたらどうするんだ?」と怯え、文句や苦情を言われるのを怖れるのです。なぜなら、学校での問題は即教育委員会に通告されますので、保身に走る校長は、それを怖れるあまり「何事も穏便に」すませたいのです。

こうした態度のために、これまで、どれだけ多くの子供たちの命が失われたことか…。この体質は、何も学校ばかりではありません。各自治体の職員も児童相談所の職員も同じです。数年前にも地方の自治体の課長職にある人間が、見せてはいけない「個人情報資料」を父親の脅しに屈して開示してしまったために、小学校の女児が父親によって殺害されました。このニュースは、大々的に報じられ、だれもが「まさか?」と驚いたはずです。しかし、この課長職の元校長(おそらく)は、「児童虐待防止」と「親権」の狭間で悩んだ末、開示を決めたものと思われます。そのくらい、日本では、この「親権」が重く受け止められており、この「親権の壁」に阻まれ、多くの子供が保護できない実態があるのです。もし、強く拒絶して、当該保護者(親権者)から「何か証拠でもあるのか?」と凄まれれば、それで万事休すです。法の趣旨から言えば「疑わしいは、保護!」が前提だったはずですが、刑事事件と同様に「証拠主義」という感覚に陥ってしまっているのは、どうした理由でしょうか。

このとき、あの「大石先生」なら、どうしたでしょう。きっと、涙ながらに事の真相を訴え、「この子を守ってあげたい!」と叫んだはずです。場合によっては、身を挺して子供を庇ったのではないでしょうか。そして、そのことが問題となり教壇を去ることになっても、大石先生には本望だったはずです。大石先生は、失礼ながら、そんなに「法律」に詳しいわけではなく、官僚たちが唱えるような高尚な理屈など皆無な普通の先生です。子供たちを教えるにしても、「この子たちの成長を見守りたい」一心で教えていたに違いありません。そんな教師が、子供の異変に気づかないはずがないのです。それは、証拠などではなく、教師としての「勘」に近いものでしょう。それでも、愛情深く接していれば、わかる「子供の異変」に気づき、「だれにも渡してなるものか!」という強い思いだけで、その子を守ろうとするのです。それは、戦場で戦う兵士に近い感情かも知れません。そして、そうした自分への愛情を感じた子供は、そんな教師を信頼し、「生きる力」を育むのです。今、文部科学省も殊更に「生きる力」を宣伝していますが、書かれている文章を見ても、心は一切動きません。なぜなら、そこに、子供に対する深い「愛情」を感じないからです。教育とは、本来は、そうした「愛情」が根底にあって初めて成り立つものであることをもう一度考えてみる必要があると思います。

また、こうした大人の態度は、子供に影響しないはずがありません。もし、現代において「大石先生」のような教師がいたら、子供たちは間違いなく、大石先生について行くと思います。いくら高学歴で専門性が高く、スマートな教師がいても、子供は自分に愛情を注いでくれる人についていくのです。常に周囲に忖度して、子供にまで「気を遣う」教師が慕われることは金輪際ありません。最近は、教師は子供の「長所」を認め、それを評価することが仕事のようですが、本当に子供の「長所」なんて見抜けるものでしょうか。それは、余程、親身になって関わらなければ気づけないものです。表面上に現れるものを「長所」として捉え、誉めているようでは、子供の心はわかりません。子供が喜ぶのは、教師が本気になって自分にぶつかってきてくれたときだけなのです。それは、時には厳しく「叱られる」ことでもあります。辛いことがあったとき、親身になって話を聞いてくれて、最後まで見捨てずに励まし続けてくれたとき、子供は、「この先生は、本物だ…」と気づくのです。問題にならないように「当たり障りのない対応」に終始する人間をだれが信用すると言うのでしょう。

私も、若い頃はよく子供たちに「先生、しっかりしてよ!」と叱られた記憶があります。それは、自分が判断に迷い、周りへの気遣いのあまり、中途半端な意見しか言えないときでした。子供は、そんな教師を見て「頼りない」と感じ、それをそのまま言葉にして、私も叱咤してくれたのです。そのときの子供の眼は厳しく、私自身、「はっ」と気づかされました。「一体、自分はなんのためにここに立っているのだろう?」そう考えたとき、結論はひとつでした。それは、大人の事情を排除した「正義」に基づく答えであり、子供の期待に応える答えだったのです。今の子供たちも同じです。親たちの話を聞いている子供たちは、子供なりに大人を評価しています。そして、「この教師は頼りない…」と見るや、それを言葉で表現し、それでも「直らない」教師には、さらに辛辣な言葉をぶつけます。それ以上に、もっと迷惑がかかる行動を採るかも知れません。そうして、「この先生は、本気で考えてくれるのか?」観察しているのです。それは、自分の親に対しても同じ行動を採ります。やはり、子供は自分の親が自分の期待に応えてくれる「正義の人」であって欲しいと願っているのです。それが、子供にできる唯一の「抵抗」なのかも知れません。そうした子供の「抵抗行動」にぶつかったとき、教師は、その真価が問われます。そのとき、何かしらの「言い訳」をして、逃げるようでは、二度と教壇に立つ資格はないでしょう。教師は、違法行為をしたから教壇に立てないのではなく「子供の期待に応えられない」から、教壇に立てなくなるのです。

こうした行動は、何も幼い子供ばかりではありません。中学生などにも、よく見られる傾向です。たとえば、弱そうな同級生にちょっかいを出してからかい、教師がどの程度の力で注意をしてくるか、試すのです。そして、「こいつは、大したことはないな…」と感じると、そんな「お試し行動」は拡大し、教師への挑発を繰り返して行くことになります。もちろん、こうした行動を採る子供は、様々な環境要因によって「満たされない欲求」があるものですが、最初からそれを忖度して指導することは不可能です。まして、今の教師は教育委員会や校長から「子供への指導の仕方」まで注意されていますので、思い切った行動を採ることができません。ここで言う「注意」とは、「人権への配慮」「体罰の禁止」「言葉遣い」「圧のかけ方」にまで及びます。要するに、昔の教師のように「力づく」で指導しようものなら、「子供が、先生から酷い言葉で怒られた」と教育委員会へ訴えられて、場合によっては「体罰(暴力)教師」というレッテルまで貼られかねません。教師にしてみれば、「この子には、このくらいの厳しさがないと効かないだろう?」という加減があるものですが、大人を信頼できない子供は、それを素直に受け止めることができないのです。

確かに、最初から「暴言」と思われるような接し方で叱りつけるようなやり方は、あまりにも稚拙で教育の専門職とは思えない指導の仕方ですが、教師も人間である以上、子供の誤った行動に対して「怒り」の態度を示すことも、時には必要だと思います。何でも「宥める」「あやす」「誤魔化す」だけで対応していると、子供心にも「自分が軽く見られている」ことに気づくものです。大人が、子供の「悪さ」に対して叱れないのは、「自分のことを真剣に考えてくれない証拠」であると子供は考えます。立場の弱い子供にしてみれば、親や教師などの身近な大人から「見放される」ことほど怖ろしいことはありません。だからこそ、「自分に向き合ってもらう為」に「お試し行動」などを採るのですが、その対応を誤ると、教師としての資質まで問われ、最悪「職を失う」事態に陥るのですから慎重にならざるを得ません。それが、子供には、周囲への「忖度」に見えるのです。そして、子供の発した「何気ないひと言」が親の導火線に火をつけ、収拾できない事態にまで追い込まれる事例は、増え続けています。実際、その結果として処分(懲戒)された教師は、たくさんいるはずです。それが、子供自身が深く考えた結果でなくても、事が公になれば、子供の気持ちよりも「事実」だけが一人歩きを始めて、思ってもいない結果を招くのです。まるで「ブレーキの利かない車」のように見えるのは、私だけでしょうか。したがって、教師ができる指導は「丁寧な言葉遣いによる説諭」しか、方法がありません。そして、それが大して「効果がない」ことは、みんな知っています。

敢えて「挑発」してくる子供に「説諭」が効果的でないことは、百も承知していながら、それしか採る方法がなく、それが限界となると、最早、教師は「無力」です。それでも、マスコミや政府は、「教師は、毅然とした態度で子供を指導すること」と上から目線で命じますが、まるで、丸腰で戦う「日本兵」のように見えます。子供や保護者、市民には「強い武器」を持っているのに、何の武器も持たず、ひたすら「話し合い」を訴えるだけの仕事が、長続きするはずがありません。結果、教師は最後の切り札である「退職願」を出すのです。それも、飽くまで「自己都合」が建前ですが…。子供にしてみても、挑発に乗らない教師は面白くなく、所詮は「からかい」の対象でしかありません。本当は、「本気」で叱って欲しいと思っているのですが、こんな中途半端な指導しかできない教師に幻滅し、もっと暴れるか、学校に来なくなるか、どちらにしても「良い結果」にはなりません。この「よそよそしさ」が、学校の力をさらに弱めているのですが、「人権尊重」で頭がいっぱいの政府や政治家は、こうした教師や子供の「苦悩」など、興味もないのだろう…と思います。今、学校で「いじめ」問題が解決できずに、大騒ぎになるのは、こうした背景があることを忘れてはなりません。そして、教師自身も自分の「本音」を隠して、教育を「仕事」と割り切らなければならない現実に幻滅し、教壇を去って行くのです。ここには、もう、昔、みんなが憧れていた「大石先生」はいないのです。

6 「心を病む」異常な世界

人間が、自分の「本音」を隠して働かなければならない状況は、まさに「異常」な世界です。歴史的に見れば、「戦時中の暮らし」とさほど違いはありません。普通の若者が、軍隊という異常な世界に放り込まれ、戦う戦士にされる過程においては、本来、その人間が持っている「人間性」を捨てなければなりません。平和な時代の「常識」は、戦場では通用しないからです。また、軍隊にいなくても、暮らしの中で、相互「監視」が常態化し、顔見知り同士が「疑いの眼を向ける」関係を作らされ、常に「政府や軍、警察」の顔色見ながら生きていく世界は、苦痛なほどに「息苦しく」、今の私たちでは到底耐えられないでしょう。今の日本は、あまりにも「人権尊重」に偏り、たとえ友人であっても「プライバシー」に踏み込むことはできません。異性に好意を持っても、その言動ひとつで「セクハラ」となれば、異性を「好きになる」ことも躊躇うようになります。また、職場の同僚や仲間が悩んでいることがわかっても、余計なお節介を焼けば、「個人情報保護法違反」に問われるかも知れません。要するに「有資格者」でなければ、相談に乗ることもできないのです。それも、正規の手続きを踏んだ上での「相談」ですから、どれほどの効果があるか不明です。

日本には、たくさんの「資格」があり、「心理カウンセラー」なる専門職の資格もあります。また、心理学を学ぶ学生も多く、人気の職種だといえます。さらに、最近になって、街中には「心の病クリニック」がたくさんでき、多くの人が通院しているようです。つまり、それだけ「心の病」に罹る人が増えているということでしょう。学校でも、10年以上前から「小児うつ」といった診断を受ける子供が増えてきており、令和の時代は、こうした「心の病」の治療が、ひとつの社会問題になってきています。それなら、なぜ、学校に「スクール・カウンセラー」が配置できないのでしょう。そう言うと、「今は、配置されている…」と言うのでしょうが、「確かに、週に1~2回程度、来校しますね…」という程度で、これで「配置された」とは、言えないでしょう。はっきり申せば、「配置する必要性を感じないので、配置しなかった」だけのことです。確かに「資格」があり、それなりの勉強をして、正式な「試験」に合格しないと取得できない難しい資格ですが、政府は、これをそれほど「信用」してはいなかったという証です。「なんだ、そんなことは、学校の先生にやらせればいいじゃないか?」と軽く考えていたことは明らかです。

「保健室」の「養護教諭」も、いつの間にか「子供の相談窓口」のようになり、「カウンセラー」の役割を担わされてきました。政府にしてみれば、「別にカウンセラーを配置しなくても、先生たちで、できるんじゃないの…?」といった感覚で「カウンセラー」の配置を見送り、既存の予算と人員で対応するよう求めたのです。おそらく、問われれば、「子供と教師が、お互いの信頼関係を築く中で、適切に助言することで、十分カウンセラーと同等の効果が得られるものと考えております…」と答弁するのでしょうが、今、その「信頼関係」が築けなくて困っているのに、「信頼関係を築け」だけでは、どうにもならないことを理解しようとはしません。つまり、政府は現実を見ようともせず、「現状維持」で「何とかならないか?」と考えていたようですが、何とかなりようもなく、ここまで来てしまった…といったところが実態です。それに、文部科学省が何とかしたくても、財務省を説得できないのですから、予算が通るはずがありません。それに、有力な政治家も「教育問題」には無関心ですので、問題は「先送り」され続けているのです。

一般の人は、こうした学校の問題を聞いても、「なんだ、たかが学校のことじゃないか?」「俺たちには、関係ないだろ…?」くらいの感覚かも知れません。しかし、考えてみてください。一般社会においても、「心の病」は他人事ではないはずです。厚労省の統計資料を見ても、ここ10年で「1.4培」に増え、全国では約420万人が「心の病」に罹患しているのです。戦後、日本は「人に優しい豊かな国」を目指して発展してきたはずが、どうして、これほどの国民が病に苦しむのでしょう。「人権尊重」や「個人情報保護」「ハラスメントの禁止」「男女平等施策」と、次々と「人に優しい」政治を行ってきたのに、実際はこの有様です。これで、「豊かな国」と言えるのでしょうか。学校においても、不登校児童生徒は増え続け、いじめ問題もあれほど騒ぎながら、一向に収まるどころか、問題は拗れるばかりです。「子供は、いじめをしてはいけない」とは、「児童虐待防止法」に書かれている文言ですが、大人は、「パワハラ・セクハラ問題」で、社会的地位の高い人までが、その実態を暴かれ、マスコミを賑わす始末です。こんな社会で、子供だけが「健全に育成」できるとは、到底思えません。何か、根本的なところに間違いがあったような気がしますが、如何でしょう。

学校の教師という職業上、子供たちと「信頼関係」が築けない状態にあることは、やはり「異常事態」としか、言いようがありません。教師が、子供の指導に臆病になり、当たり障りのない無難な注意に終わる教育なら、やらない方がましです。そんな教師を信頼する子供はいませんし、そんな指導しかできない教師が、この先、教育に携わることもできないでしょう。しかしながら、こうした状態にしてしまった責任は、教師側だけにあるわけではありません。ひとつは、マスコミが平成になるころから、「学校批判」をずっと続けてきたことですが、これは、マスコミの常套手段ですから想定内と言わざるを得ません。しかし、一番の問題は、日本政府が、あの「学力低下問題」をネタにマスコミと一部政治家に揺さぶられ、文部科学省が示した「ゆとり教育」を大転換させたことにあります。あのときのことは、今でも鮮明に覚えていますが、わざわざ文部科学大臣がテレビの前に出てきて、方針転換を宣言したときには、驚いてひっくり返りそうになりました。「えっ…?」「今まで準備してきたことは、一体なんだったんだ?」と呆れる暇もなく、「授業時間数の増加」「学習内容の増加」そして、挙げ句の果てに、文部科学省は、「学校は、サービス業」と宣言し、「何でも学校のご相談ください」とばかりに「開かれた学校づくり」に転換していったのです。これによって、「教師多忙化」に拍車がかかりました。酷いのは、官僚が言った「学校が変われば地域が変わる」というキャッチコピーです。これでは、悪いのは全部「学校」ではありませんか。

その後、政府は「学校コミュニティー化」を推進し、学校運営に「地域住民を入れろ!」と命令し、法律を作ってまで「学校の構造改革」を進めたのです。実際、そのために教師は、多忙化に拍車がかかり、これを機に退職する人もいたほどです。そして、選ばれた「地域の代表者」との意見調整は管理職の大きな仕事となり、校長のリーダーシップが発揮できない事態にまでなったのです。最初の頃は、地域の代表者の声も大きく、かなり理想的な意見が多く占めました。それは、教師の実際を知らない人の「理想論」でしたが、こうした理想論は、反論することが難しく、多くの学校では、地域の意見に動かされるようにして「学校運営」が行われたのです。また、同時期に始まった「学校評価」は、保護者からの一方的評価のため、その「優劣」が、個々の教師に強いプレッシャーを与え続けました。要するに、地域住民と保護者の「監視」の下に学校経営・運営が行われ、「地域が気に入る学校づくり」が進められたのです。それまでは、「子供のために」と、自主的に土日も出勤して教材づくりなどに勤しんでいた教師も、今度は「地域の要望に応えるために」土日も出勤せざるを得なくなったのです。もちろん、強制ではありませんが、翌週に「地域ぐるみの行事」が予定されていれば、そのための準備をしなければなりません。もし、準備不足で計画通りに進まなければ、これまで以上に「苦情」が増えますので、教師たちも「致し方なし」の心境で働いていたのです。本当に、このころの政府は何を考えていたのでしょう。「あいつらは、言えば言っただけ働くから、やらせておけ!」くらいの感覚だったろうと思います。

これでは、体調を崩す人が出て当然です。元々持病を抱えている人には、学校の教師は絶対に務まりません。普通に勤務していても、時間がいくらあっても足りないのに、文部科学省から各都道府県、市町村の教育委員会を通して、次から次への「通達文書」が届きます。それを理解し、学校行事等の中に組み入れ、実施した後は、必ず「報告書」をまとめなければなりません。それも、政府が望んでいるような成果を書いて提出するのです。もちろん、一部には、本音も書きますが、すべてを「否定」しては、報告書になりません。そのあたりの忖度があることを文部科学省は、当然承知していますので、結果、「一定の成果が挙げられた」ことになるのです。おそらくは、国の予算の関係で、財務省や国会への資料となるはずですので、「成果」が強調されるのです。しかし、現場では、その度毎に教職員は「ため息」を吐きながら「休日返上」で「働いているのですが、「残業手当」のない教師が、どれだけ働いても政府が関心を示すことはないのです。こうして、常に「結果」を求められ続けた教師は、自分が如何に無理をしているのかも気づかず、働き続け、ある日、突然倒れるのです。それは、上の人から言わせると、「自己管理ができていないから…」だそうです。

今、学校の教職員だけでなく、「心療内科」を受診する人は確実に増えています。戦後、日本は高度経済成長を成し遂げ、世界の先進国の仲間入りを果たしましたが、結局は、そこまでで、それ移行の「未来」を築けないまま、令和の現代を迎えています。もし、この先、日本に明るい未来があるとすれば、それは、単に「経済力の回復」などではなく、江戸時代のような「道義国家」として「道徳心に溢れた国民性」を取り戻すことしかありません。世界で「グローバル化」が叫ばれて以降、各地で紛争が起こり、戦争も各地で起こっています。当初は、「世界の国境をなくし、だれにでも優しい世界を創ろう」という理想で始まった「グローバル化」でしたが、結局は大国のエゴが剥き出しになり、「俺が、俺が…」と自国優先の主義主張を繰り返しています。そして、最後は「力」による現状変更に行き着きました。こうなると、いくら「理想」を唱えても、最早、聞く耳を持つ人は少数です。未だに日本は、そのグローバル化の中にいて足掻いていますが、近い将来、この理想主義が「眉唾もの」であったことが明らかにされることでしょう。そして、いくら「人権」を振り回しても、それをひとつの「武器」と考える人がいる以上は、理想主義が世界に理解されることはありません。

今の学校に必要なことは、学校に「権威」を取り戻すことです。斜陽産業に陥っているマスコミが煽る「批判主義」では、学校だけでなく、国そのものが立ち行かなくなります。政府ももう一度、世界に尊敬される国を創りたいのであれば、まずは、「日本の教育」を立て直すことでしょう。それには、学校や教師の働きを「正当に評価」し、世界の人々から「すばらしい」と賞賛された実践を見直すことです。そして、だれもが、「教師」を敬い、感謝の心を忘れなければ、日本の先生たちは、どんな環境下でも頑張ることができるはずです。それこそが、全国の教職員が求めていた「二十四の瞳」の「大石久子先生」なのです。確かに、教師の労働環境は過酷です。教育を「何でも学校で行う」時代は、もう終わりました。親も教師も国民も、すべての日本人が「教育者」として、子供の健全育成に関わらなければなりません。「子供が笑顔」にならない社会に未来はないのです。今回、ここに書いたことは、教師の実態のほんの一部でしかありません。全国の教職員に聞けば、もっと過酷な労働実態が浮かび上がってくるはずです。そんな理不尽で過酷な労働環境の中であっても、多くの教職員が黙っているのは、だれもが「教育者」としてのプライドを持っているからです。その「プライド」も、最早限界に達しています。今、日本の「教育の未来」を本気で考えるリーダーが出てこなければ、日本という国は、永久に「三流国」に落ちぶれてしまうでしょう。「教育」とは、そのくらい重要な「国の柱」なのです。

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