架空戦記「イ号001潜水艦 真珠湾ヲ攻撃セヨ!」

架空戦記「イ号001潜水艦 真珠湾ヲ攻撃セヨ!」
矢吹直彦

序章 山本五十六からの密命

昭和16年10月1日。
そろそろ秋風が吹き始め、夏の暑さも和らぎ始めていた。
今年の夏は、例年に比べても蒸し暑く、いくつかの台風がやって来ていた。そのためか、秋風が待ち遠しい年でもあった。
横須賀沖に停泊中の旗艦長門に連合艦隊司令長官の山本五十六大将は、一人の若い将校を長官室に呼び出していた。連合艦隊司令長官直々に少佐クラスの将校を呼び出すなど前代未聞のことである。
司令部の参謀たちも訝しんだが、
(まあ、長官の考えは人知を超えるところにあるからな…)
と、特に山本にそれを問う者もいなかった。
山本大将といえば、今の日本海軍の至宝ともいうべき指揮官で、陸軍に対抗するには、この山本長官をおいて他に人なし…とまで言われていた。それは、数年前に務めていた海軍次官時代のことを指す。
社会全体が「三国軍事同盟に賛同しろ!」と海軍に迫る中、海軍大臣米内光政大将、次官の山本五十六中将、軍務局長の井上成美少将の三人でこれを断固拒み、陸軍の横車を阻止した男として、その名を轟かせていたのだ。
三国軍事同盟とは、当時の外務大臣松岡洋右が主導して「対米英」を意識した日本、ドイツ、イタリアによる軍事同盟だった。もちろん、これが戦後言われたような「悪の枢軸同盟」などではない。
このころの国際情勢は、主にアジア大陸の争奪戦の様相を呈していたのである。既にアフリカ諸国はヨーロッパの強国に支配され、その侵略は中東からアジアへと広がり、大国であったインドもイギリスの植民地となった。
インドの社会秩序は崩壊し、インド国民はイギリスの支配と搾取に苦しみ、有色人種全体が差別と偏見の渦の中に放り込まれていたのである。
そして、今や中国は欧米列強の餌食となり、最後の防波堤のような役割を担っていたのが「大日本帝国」だったのだ。
その中国大陸に日本も大きな権益を有していたのだが、日本にしてみても、日清、日露の両戦役で勝ち取った権益を欧米列強に易々と譲り渡すことはできなかった。それは、日清戦争直後に、ドイツ、フランス、ロシアによる圧力をを受け、下関条約で勝ち取った「遼東半島」を中国(清国)に返したという屈辱的敗北があったからである。
当時、政府も国民も「臥薪嘗胆」という言葉を胸に、悔しい気持ちを抑えて、それに従ったことが、国民をして「国力を高めたい」という願望になっていったのである。
日本にしてみれば、満州国の建国にしても、中国大陸への進出にしても、それなりに理由のある行動ではあったが、世界の目から見れば、それを「日本の横暴」という見方もできた。もちろん横暴なのは、欧米列強といわれた軍事強国なのだが、それを問わないのが国際社会のルールである。
有色人種である日本人が、どんなに力を付けようとも、所詮はアジアの小国であり、国際社会が純粋に受け入れる余地はなかった。
日本は、もっと早くそのことに気づけばよかったのだが、国際社会には「正義がある」と信じた日本人の甘さだと言えばそれまでなのだ。
まして、中国の蒋介石政権は欧米と同一歩調で日本に迫り、その宣伝力は侮れないものがあった。
中国という国は不思議な国で、白人の支配を受けても「仕方がない…」と受け入れるが、同じ有色人種である日本人を同胞とは思わない差別意識があった。これは、中国の起源によるものかも知れないが、いち早く近代化に成功した日本への嫉妬の感情が大きかったからかも知れない。とにかく、日本人は、中国人の感情を理解することが最後まで出来なかった。
そんな国際情勢の中で、欧米の中で孤立していたドイツ、イタリアと手を結ぶのは危険な賭ではあったが、日本にとっても「やむを得ない」選択として見られていたことは事実である。
当時の海軍がこれに反対していたのは、「米英との軋轢」を怖れたからに他ならない。ヨーロッパでイギリスと敵対するドイツと手を結ぶことは、自動的にアメリカを敵に回すことになる…という怖れである。
日本は明治維新以降、この米英を目標に近代化を図り、その国家体制を手本としてきたのだ。それが、まさか70年足らずで敵対関係になることを海軍は想定していなかった。なぜなら、日本海軍は、米英の海軍を相手に戦うだけの能力がなかったからである。
日本海海戦に勝利した日本海軍は、日露戦争終結後に仮想敵国を「アメリカ」として軍備を整えてきたが、だれも本気でアメリカ海軍と戦争をする気などなかったし、陸軍に対抗して予算を獲得するための方便でしかないことは、言わなくても、だれもが承知している事実であった。
それが、ドイツと手を結ぶことで、「対米戦争」という言葉が頭を過ったのである。そして、それを現実的なものとして危機感を感じたのが、米内であり山本なのだ。
海軍力とは、科学力に裏付けられた総合力でしかない。
科学力の劣る海軍は、どんなに軍艦や飛行機の数を揃えても、その性能において太刀打ち出来るものではないのだ。いくら、精神力を鍛えても、科学を超える力にはならないことは、まともな海軍軍人であれば、だれでも知っている。それを冷静に分析できていた海軍が、この軍事同盟に反対するのは至極当然なのだ。だが、日本人特有の「忖度」を働かせて、無言を貫く連中も多く、山本を苛立たせていた。
したがって、否応なしに、山本は海軍を代表する形で、日本の政治家やマスコミ、活動家たちを相手にしなければならなかったのだから、まさに孤軍奮闘状態である。
山本は、過激な右翼活動家や陸軍の青年将校たちを海軍省の応接室に招き入れ、まずは茶菓で接待をする。そして、相手の話を相づちを打ちながら聞くことに徹していた。
「ふむ、ふむ。なるほど、貴公の仰る通りですな…」
などと言いながら、肝腎な条約締結の話になると、
「まあ、よく検討させて貰います…」
と相手を煙に巻くのを常套手段としていた。
だが、それも二度、三度と続くと、相手も業を煮やし、
「ふざけるな!」
「のらりくらりと、言い訳ばかりしおって!」
と激高するが、それも、山本は何処吹く風…とばかりに顔色一つ変えなかった。ところが、これが海軍の人間となると、人間が変わったかのように顔色を変え、
「馬鹿者!」
「兵を養うは何ためにあるか!」
「ナチスドイツなどと手を組めば、日本が滅びることがわからんのか!」
「ドイツが本気で有色人種の日本人など、相手にするものか!」
と一喝して、次官室を追い出した話は海軍だけでなく、世間の噂になっていた。
海軍部内では、
「あんな風に扱えば、命がいくらあっても足りないぞ…」
と山本を心配する声が出ていたが、大臣の米内は、
「まあ、次官の命一つで日本が救われるなら、安いもんだがな…」
と言うので、山本も、
「そのときは、大臣と心中ですな…」
と切り返すのを忘れてはいなかった。
それでも、米内はこの辺りを潮時と見たのか、いつもの素っ気ない風で、
「まあ、この辺りで、潮風に当たってこい…」
そう言って、連合艦隊司令長官に山本を送りこんだのだった。
山本自身は、体を張ってでも海軍省で頑張るつもりでいたが、米内が、
「こいつは、どうもいけないね…」
「いずれ、海軍は落ちるよ…。こっちもそのときの準備にかからんとな…」
そう言って、山本の肩をポンと叩くのだった。それは、「開戦準備」命令だと、山本は捉えていた。そして、米内の配慮にしたがってしばらくぶりに海に戻り、連合艦隊の指揮を執ることになった。
海に戻ると、精気が戻るような感じがして、これまでの鬱々とした気分も吹っ飛ぶようだった。
世俗の嫌なしがらみもないし、無理な横車を押されることもない。政治的な駆け引きもなく、マスコミもここまでは追ってこない。
確かに海はいい…。
だが、山本がそれでよくても、このままで済むはずはないのだ。
だが、実際に連合艦隊を指揮してみると、対米戦争どころか、今の中国との戦争にさえ物資が不足するような始末で、これでは、航空機や潜水艦の増産も出来はしないだろう。
こんな状態で対米英戦争なんて出来るはずがない。それを恰も日本海軍は世界一であるかのように語るマスコミの論調には、怒りを通り越してあきれ果てるばかりだった。
しばらくすると、軍務局長の井上成美少将と米内大臣も海軍省を去り、間もなく日独伊三国軍事同盟は締結されたのだった。いくら、三人で頑張っていても、海軍の総意にはならなかったのだ。
その報せを旗艦長門艦上で聞いた山本は、口を結んだまま何も語らなかった。
その山本が、最近になって「ハワイ攻撃案」を軍令部に出したことで、海軍上層部は大騒ぎになっていた。
「日米戦争に反対していた山本が、なぜ、こんな無茶な作戦案を出して来たんだ?」
と、その変貌振りに驚いたが、山本は、
「日米戦争を行うということは、鵯越と桶狭間と川中島を合わせて行うようなもんだ!」
「そんな無茶な戦争をやろうって言うのなら、ハワイ攻撃など普通に出来る戦力を持たねばならん。そんなことは、当たり前じゃないか?」
「中国とやるみたいな戦争をやって、アメリカに勝てるか。イギリスに勝てるのか?」
「米英とどうしても戦うと言うのなら、俺は、この作戦を絶対にやる!」
「それが出来ないというのなら、もっと真剣に和平案を考えたらどうなんだ!」
そう言って、旗艦長門の艦橋に仁王立ちしたのだった。
そのときの山本の顔は、眉がつり上がり、朱に染まった顔はまさに仁王様の化身のようだった…と、それを見た側近の者たちは噂しあった。
その迫力には、だれもが息を飲み、だれも山本の言葉を遮ることが出来なかった。そして、自分たちの認識の甘さを改めて痛感するのだった。
そんな山本が、密かに呼び出したのが、この山吉少佐なのだ。

海軍少佐山吉新九郎。
山吉は、30歳を少し超えたばかりの若い指揮官だった。彼は、海軍兵学校61期卒の潜水艦乗りである。
山形県は米沢の出身で、米沢興譲館中学校出身である。
この山吉家は米沢の名家で、忠臣蔵に登場する上杉家の山吉新八郎をその祖としていた。
山吉家は米沢藩に文武で仕え、山吉自身も真影流の免許皆伝の腕前を持つ剣術家であり、上杉流軍学の師範の免許を持つ兵学者として海軍部内に知られた男だ。
山吉は兵学校時の学業成績の方は芳しくはなかったが、兵学校生徒時代は、最下級生の四号生徒時代から剣道競技で負けたことがなく、一号生徒になると、全校の剣道主任として兵学校の生徒館に君臨した男だった。
兵学校時代は、生徒だけでなく、下士官の教員や将校の教官たちの挑戦も受けたが、だれ一人として、山吉から「一本」を奪うことは出来なかったという逸話を残している。
兵学校卒業後は、潜水艦乗りを志し、横須賀の海軍水雷学校の高等科で1年間学ぶと、そのまま呉の海軍潜水学校に入校し、潜水艦指揮官としての訓練を受けたのだった。
山吉は、さすがに米沢藩に伝わる「真影流」免許皆伝だけあって、勝負勘は鋭い。
潜水艦という兵器は、この「勘」が非常に重要な働きをする。
現代のように、何でも電子機器が判断する時代と異なり、まったくのアナログで、一応「ソナー」と呼ばれる音波探知機と、敵艦の出す音を探る「音響探知機」はあったが、その感度は正確性に欠け、敵駆逐艦に発見されるとなかなか、その包囲から抜け出すことが出来ずに撃沈されることも多かった。それに、この時点で潜水艦用の「レーダー」の装備はなく、結局は乗組員の見張りと艦長の経験と勘だけが頼りなのだ。
それだけに、艦長の瞬時の判断が勝負を左右するケースが多く、潜水艦乗りには、武道を嗜む者は多かった。
山吉が、真影流の遣い手だと聞くと、水雷学校や潜水学校の剣道自慢は、必ず山吉に挑戦してきた。
山吉の真影流は、「無言で敵を撃つ!」ことを心情としており、気合いの雄叫びを上げることはない。ひたすら無言で木刀を振り、敵を一撃の下に屠る豪剣なのだ。
これは、先祖の山吉新八郎が赤穂浪士と戦ったとき、浪士たちが鎖帷子などを身につけ、一撃で倒せなかったことを教訓としていた。
新八郎は、赤穂浪士との激戦の上、顔面や肩、背中に重傷を負って昏倒したが、どういうわけか九死に一生を得た。
厳寒の1月半ばのことである。
並の人間なら、そのまま死んでいただろう…といわれるほどの大けがだったそうだ。しかし、新八郎の鍛え上げた肉体は、大量の出血もこの男の命を奪うことはできなかった。
刀創は各所に及んだが、どれも浅手で内臓にまで達するような傷がなかったことが幸いした。しかし、氷点下を記録するような寒さの中での死闘であり、薄い浴衣一枚で戦った新八郎は、そのまま凍死していてもおかしくなかったが、新八郎の生命力が間近に迫る死をも撃ち払った。
元々、けがや傷に強い体質で、切り傷などは放っておけば一日で治ったそうだ。どうも、人間の中にはこういう傷の治りの早い者もいるようで、この体質は、新九郎自身も受け継いでいた。
赤穂浪士たちが引き揚げた後、大目付が派遣した手の者によって助けられた新八郎は、血だるまの姿で、その救援の侍たちに、
「お手数をおかけ申す…」
と頭を下げた。
既に死んでいるものと思って、新八郎の体を戸板に載せた大目付配下の侍は、蘇生して尚、礼儀を忘れない新八郎に驚き、
「さすが、名門上杉家の侍である。瀕死の重傷を負いながらも、武士としての礼儀を忘れぬとは、大した者じゃ…」
と、その日記に書き残した。
新八郎は、そのまま上杉家下屋敷で養生すると、みるみるうちに傷を治し、故郷の米沢に戻ってからも、元通りの豪剣を振るった…ということだから、並大抵ではない。
だが、新八郎の顔には大きな刀傷が残り、優しい顔立ちに凄味が出来たということで、上杉家ではかなり重きを置いたらしい。
道場で稽古をしていると、新八郎は、稽古をつけている上杉家の者たちに、赤穂浪士との戦いを度々語って聞かせ、
「よいか。一撃で敵を屠る技を身につけよ!」
と命じ、これまで以上に厳しい稽古を課すのだった。
弟子たちは、稽古をつける新八郎の顔面の醜い刀傷を見るたびに、赤穂浪士との戦いの凄まじさを思い出すらしく、新八郎のその言葉は、どんな兵法者の言葉よりも重く上杉侍の心に響いた。
新八郎には、年を重ねても尚、あの夜の吉良邸での出来事は、鮮明に思い出すことができた。
厚手の着込み、鎖帷子、鉄甲、鉄脚絆、鉢金等で重武装した赤穂浪士たちは、自信を持って斬り込んできた。一人一人の剣の技は大したことはなかったが、その必死の撃ち込みは、侮れない気迫に満ちていた。
若い侍も老人も、その裂帛の気合いは、新八郎がこれまで経験した手練れのだれよりも凄まじく、改めて戦場における侍の心底を見る思いだった。
「あの着込みと気迫に打ち勝つには、一撃で相手の骨をも砕く技が必要なのだ…」
そう考えた新八郎は、それ以来、ひたすら重い木刀で固い丸太を叩き続けた。
米沢に戻ってからも、庭に太い丸太を幾重にも縛って立て、朝昼晩と、時間があれば、無言で太い樫の木で作った木刀を撃ち込んだ。そして、一年もすると、その丸太が抉れ、ドッと倒れると、また、同じことを繰り返す。その繰り返しが山吉家の鍛錬方法となった。それが、山吉真影流の極意である。

子供のころからそんな剣を振り続けた山吉に勝てる相手などいるはずがない。たとえ、剣道用の面や籠手を付けていても、その一撃は、撃たれた瞬間に意識を飛ばすような破壊力があった。それに、山吉は「先を読む」能力に長けており、相手の動きを予測して撃ってくるため、これを躱すのは至難といわれていた。
故に山吉は、兵学校、水雷学校、潜水学校と試合で負けたことがなかった。
山本も実際に、兵学校を視察した際に、山吉の試合を見ており、その印象は強く山本の脳裏に刻まれることになった。
今、その山吉は潜水艦乗りとしての実績を積み、今では、中堅の潜水艦長として新型潜水艦の訓練に勤しんでいる最中だった。
潜水艦部隊は、本来、連合艦隊の第六艦隊に所属することになっている。
呉を本拠地とする第六艦隊は、潜水艦専門艦隊として昭和14年に誕生していた。しかし、山吉が命じられた「イ号001潜水艦」は、どの部隊にも属さない潜水艦で、その存在は「極秘」とされていたのだ。
この「イ号001潜」は、昭和13年8月に来日したヒットラーユーゲント一行と共に密かに日本海軍に譲られた最新鋭のUボートである。これを主導したのは、当時の海軍次官であり海軍航空本部長を兼任していた山本五十六中将なのだ。
山本は、将来の潜水艦戦を見据えて、この新型Uボートを手に入れた。
翌年には、連合艦隊司令長官に出ることになっていた山本は、海軍省の予算に、この「新型潜水艦」購入費を盛り込んでおり、「研究」目的での購入としていた。
山本は、三国軍事同盟に反対していながら、密かにドイツ海軍と連携を深めており、通常潜水艦の倍の予算で、この、まだドイツ海軍に軍籍を持たない新造艦を手に入れることに成功したのだ。
その代わり、日本からも「酸素魚雷」や「長門級戦艦の設計図」などがドイツ海軍に譲渡されていた。そして、この新型艦をすぐに第六艦隊所属とせずに、研究艦として海軍航空本部預かりとしていたのだ。
潜水艦を航空本部に預かるというのも妙な話だったが、山本は海軍省部内では、
「これからの戦争は、航空部隊と潜水艦部隊が主力とならねばならない。よって、航空部隊と潜水艦部隊が緊密な連携を図るために必要な研究を行うのだ!」
として、自ら手配して、乗員も各潜水艦や潜水学校から優秀な者たちを集めていた。そして、艦長に指名したのが山吉新九郎少佐なのである。
山吉新九郎が選ばれたのも、山吉が若手艦長ながら抜群の操艦技術を持ち、海軍兵学校出身者の中でも優れた兵法家という評判を聞いての抜擢だった。
実際、水雷学校から潜水学校時代の山吉は、新しい「潜水艦運用法の研究」に取り組んでおり、彼の書いたレポートは、同期の艦長たちの中でも抜群の評価を得ていた。
このレポートを読んだ山本は、将来の潜水艦作戦に一筋の光明を見る思いだった。
「よし、この男に研究をさせてみるか…?」
戦争が間近に迫っていることを予感していた山本は、どうしても潜水艦部隊を独り立ちさせねばならない…と決意していたのだった。

山吉のレポートは面白い。
山吉は、潜水艦を昔の忍者のような「隠密艦」と見立て、
一 潜水艦は、「隠密」行動を最優先とすべし
二 潜水艦は、「単独」行動を優先すべし
三 潜水艦は、「攻撃力」を優先すべし
四 潜水艦は、「航続力」を優先すべし
五 潜水艦は、「情報力」を優先すべし
という五つの章から論を組み立てていた。
山吉は、各国の潜水艦の状況をつぶさに調べ、特にドイツ海軍の「Uボート」に着目していた。
山吉は兵学校時代の成績は下位に甘んじたが、ひとつのことを極める性質は、剣道を見れば分かる。
山吉の剣は、単に稽古量によってのみ培われた豪剣ではない。その攻撃の裏には、緻密な計算が為されているのだ。
山吉新八郎の剣は、一見、ひたすら重い木刀を振り続けて会得した剣のように思われたが、その稽古が終われば、四書五経に親しみ、古来の各武術、忍術等の書物を読み、新しい真影流を創設していた。しかし、その技は、米沢藩でも極秘の剣法とされており、藩士の中でも知る者は少ない。
その集団は、幕末の戊辰戦争で「上杉烏」として暗躍している。
この集団は、常に戦場の闇に潜み、敵将の暗殺や情報を盗み出すような任務に従事した。しかし、その数は少なく、戦局を挽回するには至らなかったが、新政府軍はその存在を怖れ、常に守りを厳重に敷いたが、それでもその正体を突き止めることは出来なかった。
山吉には、その「上杉烏」で戦った侍の血を受け継いでおり、彼の洞察力や勝負勘は、他の追随を許すことはなかった。その男が、潜水艦乗りを志願するのは、当然のことだったのだ。
山吉は、自分の考えを海軍上層部に知らしめるために、このレポートを作成したが、それを試す機会がこうして与えられたのは、偶然ではないだろう。
第一次世界大戦に敗れたとはいえ、ドイツ軍は優秀な兵器を発明し、連合国軍に多大な損害を与えたことはだれもが知っていた。特に大西洋や地中海でのUボートの活躍は、これまでの潜水艦運用法を見直すきっかけになった。
山吉は、
「これからの潜水艦は、Uボートのようでなくてはならん!」
そう思い、このレポートを一気に書き上げたのだった。それは、まさに先祖の山吉新八郎が、赤穂浪士との実戦を経て、実戦向きに新しい真影流を創設したように、山吉も、新しい日本海軍の潜水艦運用を目指したのだ。それこそが、潜水艦乗りになった理由でもある。
潜水艦乗りは、海軍部内では「ドン亀」と呼ばれるのが通例で、なぜ、そう呼ばれるようになったのかは定かではないが、「鈍い亀」と考えれば、初期の潜水艦の性能がわかるというものだろう。だが、山吉は、これを「スッポン」の別名だと解釈していた。
スッポンは、一度食らいついたら雷が鳴るまで離れない…の例えがあるように、一度見つけた敵艦に執拗に食らいつき、沈めるまで離れないしつこさがドン亀乗りの真骨頂だ…と乗組員に話していた。そして、山吉自身が、それを信条としていたのだ。
山吉のレポートについて、少し説明をしておきたい。
山吉は、新しい潜水艦の運用について、重要な五つの視点を明確にした。

第一に、「隠密」行動を最優先とすべし…とは、
潜水艦は、海中に潜んで行動することが出来るために、水上艦艇等からのレーダー探知機で捕捉することは難しく、長く潜れば潜るほど、その隠密性は高まるのである。しかし、日本の潜水艦は他国の潜水艦に比べてエンジン音が高く響き、水上艦艇からの「音波探知機」に反応しやすいという欠点を持っていた。エンジンでスクリューを回転させて推進する以上、海中でのスクリュー音を消すことはできない。
世界各国の海軍では、このスクリュー音をできるだけ小さくする研究が行われており、ドイツ海軍がいち早く、その消音装置の開発に成功していた。
結果、ドイツの潜水艦が、小さく「シュッ、シュ…」という音を出すとしたら、日本の潜水艦は、「ガラ、ガラ、ガラ、ガラ…」という音を立てて進んで行く…ぐらいの違いがあった。
これでは、海中を太鼓を叩きながら走行しているようなもので、潜水艦乗りたちからも改良の要望が強く出されていた。しかし、かなり改善されたとはいえ、今の日本のメーカーの技術では、ここが精一杯だった。そこで、山本はドイツの新型Uボートを手に入れたのだ。
この新型Uボートのエンジンを調べることで、日本の潜水艦の性能の向上を図りたいと考えていたからである。
実際に海中を走行させてみると、これまでのUボートよりさらにスクリュー音は小さくなり、日本の潜水艦の十分の一だと言っても嘘ではなかった。もし、このエンジンとスクリューが全潜水艦に配備できれば、「隠密」行動は、十分に担保されることになる。
山本も山吉も、このエンジンとスクリューには非常に満足だった。
山本は、横須賀の海軍工廠から技術者を呼び、エンジンやスクリューを点検したところ、ドイツの工作技術に眼を見張ることになった。それは、日本にはない工作機械が使われていた。その上、特にスクリューは「削り出し」の技法が使われており、大きな鋼鉄の塊からスクリューの形を削り出すのだ。
回転部分のプロペラが溶接されていないために、回転がスムーズで音が出にくいのだ。そのため、スクリューが一つの彫刻のようで美しい。それは、まさに芸術品の域に達していたのである。だが、日本にはその工作機械はなく、輸入しようにも国際情勢から考えて、今の段階では無理という他はなかった。
それでも、エンジン部分は参考になる点が多く、これは、かなり改良を加えられる可能性があった。
技術者たちは、
「ドイツの科学技術は進んでいると聞いていたが、これほどとは…」
と感嘆するばかりだった。
山吉は、その声を聞くと、ますますこの「イ号001潜水艦」で指揮できることが嬉しかった。
山吉は、
「よし、これなら、潜水艦本来の作戦行動ができるぞ…」
と、その性能を確信したのだった。さらに、隠密行動をするためには、これまでの海軍の潜水艦運用法を改善しなければならなかった。
そもそも、日本海軍は「艦隊決戦思想」一本槍で軍備を整えてきている。それを今さら「長期戦」体制で戦争をすることは不可能だった。だからこそ、山本は、「ハワイ攻撃」を主張したと言ってもいい。
アメリカやイギリス相手に戦争をすれば、それは短期決戦にはならずに、必ず長期戦に持ち込まれるのは必定なのだ。実際、それをやることは、日本海軍の敗北を意味していた。
冷静に考えれば、だれでもわかる理屈が、政府や軍の首脳部には理解出来ない。それより、社会の空気やマスコミの影響力などで、戦争をやってみたい…という風潮を止められずに、ずるずるとここまで来てしまったのだ。
山本は、近衛文麿首相にも明言した。
「戦争は無理です!」
すると、近衛は山本に尋ねた。
「そうか、無理か…?」
近衛は、「無理か…?」と三度呟いた後に、悪魔の囁きをした。
「ところで、もし、戦争になれば海軍はどのくらい戦えるのかね…?」
これは、近衛独特の誘導尋問なのだ。
残念ながら、山本はこの近衛の策略に引っ掛かってしまった。
山本は、本当は「無理だ!」と言い続けることしかなかったのだが、生来の負けん気の虫が顔を出した。
近衛は、山本の顔を見ずにじっと下を向いていた。
山本には、その近衛の顔が、まるで(困った…)とでもいうような表情に見えた。そこで、山本は言葉を継いだ。
「やれと命じられれば、一年や一年半は存分に暴れてご覧に入れますが、その後は、責任が持てません!」
山本にしてみれば、「責任が持てない!」ことを強調したかったのだが、近衛は、山本の、
「一年や一年半は存分に暴れてご覧に入れます」
の箇所だけを頭にインプットしたのだ。
近衛は、その言葉を聞くと、サッと顔を上げて、
「そ、そうか…。一年や一年半は戦えるのだな…?」
それは、無邪気な子供が、小遣いを貰ったときの表情に見えた。
(しまった…)
山本は、その言葉に反論しようと試みたが、近衛は、
「君も忙しいだろう。ご苦労だった…。下がってくれ給え」
と席を立ってスタスタと奥に引っ込んでしまったのだ。
万事休す。山本は、近衛の策略にまんまと乗せられ、言質を取られてしまっていた。
ここに、山本の後悔があったとしても、それを知る者は山本五十六本人しかいない。
近衛は、山本が危惧したとおり、この後、この連合艦隊司令長官の言葉を上手に利用したのだった。
つまり、近衛は、端から対米戦争をする気でいた。
それは、二人で話している間に山本にはよくわかった。それだけに、「無理だ!」と言ったのだが、腹に一物を持つ近衛は、「一年半後」の日本がどうなろうと、そんなことはどうでもいいことだったに違いない。
山本は、近衛の表情を見ていて、
(この男は、何を考えているんだ?)
(本気で、日本という国を守ろうとしているのか?)
という疑念を持った。
近衛は五摂家筆頭という公家の中でも一番天皇に近い存在である。その男が、現実をよく理解しないまま、身近な人間たちの言うがままに操られていたとしたら、日本という国の存在すら危うくなるのだ。
山本は、近衛と直接面談して、そんな危うさを感じ取っていた。
(この男に日本の舵取りを任せたら、とんでもないことになるかも知れない…)
その怖れは、山本がこれまで感じたことのない怖れだった。
だったら、その無謀さを自らの手で示さなければならない。
山本がそう考えたのも無理はなかった。
だからこそ、「ハワイ攻撃をする!」と周囲を脅かすことで、戦争の無謀さを説いたのだが、それすらも了解してしまう海軍首脳部に、唖然とする山本だった。
もし、本当に対米英戦争に勝つつもりなら、ここで「艦隊決戦思想」を捨て、「長期戦」を戦う準備をしなければならないのだが、海軍では、それすら考えることなく、従来の思想のままで戦おうとしているのだ。
従来の決戦思想では、潜水艦は飽くまで艦隊の補助兵力でしかなく、敵艦隊の動静を報告する任務や、先行しして敵艦隊を減殺する任務に従事することとされており、まるで長期戦を考えた計画ではなかった。
山吉は、第一次世界大戦を見ての通り、これからの戦争は総力戦となり、潜水艦や航空機の発達で、艦隊決戦をすることなく、戦争が長く続くことが予想されていた。
日米英戦争が、たとえ海軍同士の戦いは短期で決着が着こうとも、総力戦ともなれば、一会戦の敗戦で敵国を講和や降伏に持ち込むことは出来ない。むしろ、国内のすべての産業を軍事力強化に転換して、再度大がかりに迫ってくるのはわかりきっている。
それが、見えない政府や軍の首脳たちが、いつまでも日露戦争の亡霊に取り憑かれたように短期決戦を夢見て戦争を始めようとしているのだ。
しかし、山吉も軍人である。
「やれ!」と命じられれば、全力で戦うしかない。それには、是が非でも自分のプランを軍令部と海軍省に承認させなければならない…と考えるのだった。

山吉は、日本の潜水艦の性能をさらに向上させて、「単独行動」できる潜水艦作戦を考えていた。
山吉のいう、潜水艦の「単独行動」とは、潜水艦そのものを艦隊の補助兵力として考えるのではなく、各艦が単独で自由に行動し、敵艦を攻撃する運用を提案したものだった。
日本の潜水艦は建造費が高く、それほど多くの艦を保有できないのが現状だった。旧式艦も多く、なかなか新造艦が造れないでいたのだ。これも、戦艦優先思想の弊害なのだが、山本五十六は、この問題を解消するために、密かに、大型潜水艦の建造に着手していたが、日米開戦には間に合いそうもなかった。
海軍では、大型艦を「イ号型」、中型艦を「ロ号型」、小型艦を「ハ号型」に分類していたが、潜水艦は大きさを競うのではなく、その性能こそが重要なのだ。
単独で行動するには、乗組員の技量や経験は大きいが、それよりも艦隊司令部の思想を変える必要があった。
海軍では、元々軍規に厳しく命令は絶対だ…といわれている。
軍隊では当たり前だと思うかも知れないが、欧米では、たとえ上官であっても理不尽な命令に部下は従う必要はない。命令には、一定の合理性が必要であり、命じる者は、その最終責任を取るという不文律があった。しかし、日本は、命令者は絶対者であり、どんな理不尽な命令でも発すれば、部下は、従うしか方法がないのだ。
山吉は、そんな封建的な軍律に異を唱えていた。
兵学校時代も、しばしば一号生徒や教官の命令に反論し、その都度修正を加えられたが、それでもひと言申さなければ気が済まない性格だった。
先祖の山吉新八郎が、そうであったように、「是非を問う!」という姿勢こそが、国や家を富ます根本であることを山吉は知っていた。それは、山吉家の家訓でもあり、その気概なくして「山吉新八郎」の子孫を名乗れないという自負があった。
ただ、東北人特有の寡黙さの上に、議論好きではなかったために誤解を生むことも多かった。だが、剣の達人として認知されていた山吉の言葉は重く、一号生徒になると、だれもがその言葉に耳を傾けるのだった。
卒業成績が宜しくないのも、そうした上級生や上官に反論するような姿勢が、兵学校では評価を下げた原因かも知れない。
したがって、潜水艦長になってからも、その態度は変わらず、部下たちに、
「この艦においては、たとえ上官であろうと、理不尽な命令には従う必要はない!」
「二等水兵であろうと、おかしなことはおかしい…と言え!」
「そして、最終的な判断は私が下す。それが、精密機械を兵器として扱う者の心構えだ!」
と明言していたのだ。
山吉にしてみれば、海軍のように大型機械を操作して戦う軍隊には、精神論は通用しない…と考えていた。機械はいつも合理的である。
古くなり部品が摩耗すれば故障の原因となり、手入れを怠れば、どんな優秀な機械もその性能を発揮することはできない。人間と違って感情を持たない機械に精神論は通用しないのだ。だから、どんなに偉い人間の命令であろうと、不合理な命令に服従はできない。それが、帝国軍人の矜持だと山吉は考えていた。
それは、たとえ、山本長官の命令であっても、自分の信念を変えるつもりはなかった。そして、そうならないことを祈るのだった。

今の日本海軍は、明治時代と何も変わらず、常に日露戦争時の「日本海海戦」をイメージしている。艦隊での運動をスムーズに行うことによって敵艦隊を殲滅出来ると考えているのだが、時代は変わった。
既に各国では、兵器は限りなく近代化しており、「制空権」のない海上決戦はあり得ず、高性能レーダーなくして先制攻撃のチャンスはないのだ。それに、海中には高性能の装備を持った潜水艦が常に潜んでいる状態で、艦隊決戦など夢物語なのだが、それを信じる海軍将校はいないのだ。
だから、強力な艦隊を保持すれば、戦争に勝利できると信じている。
その思想では、潜水艦も艦隊に付随する予備兵力でしかなく、潜水艦自体の性能向上も図られなかった。それに、欧米が建造している駆逐艦は、それ自体が単独で行動できる戦闘艦であり、艦隊などの護衛任務だけが運用ではなくなっているのだ。潜水艦の一番の敵である「爆雷」は年々進化し、その破壊力は凄まじいものがあった。
潜水艦は駆逐艦に海上を制圧されれば万事休すである。
日本の潜水艦では欧米型の駆逐艦に対抗する術はない。これでは、潜水艦が有効な兵器として活用出来なくなるのは必然だった。それにも拘わらず、相も変わらず水中を太鼓を叩いて進軍するかのように、高いスクリュー音を奏で、レーダーもソナーも持たずに、精神力だけで「敵艦を撃滅せよ!」と命じる神経が山吉にはわからなかった。
山吉は、それ故に潜水艦の「単独作戦行動」を主張しているのだ。
これまで、日本海軍では、潜水艦を二隻以上で艦隊を編成し、相互に連携を取りながら敵艦を捕捉、攻撃するという考え方に縛られていた。確かに、チームで同じ作戦行動を採れば、僚艦がいることで心強く、相互に情報交換出来るというメリットはあった。しかし、問題なのは、各艦で同一行動をしようとするあまり、綿密な打ち合わせをして、命じられた合流地点に向かわなければならなかった。そのため、各艦が自由な航行が出来ずに、敵に発見されるリスクを高めていたのだ。
予定の合流地点に到達しても、潜水艦は艦橋が低いために発見が難しく、そのために無電で交信する必要があった。
もちろん、無電は最少限度とし、暗号に組み替えて発信するのだが、僚艦がいると、相互の位置や状況を伝え合う義務がある。それに、艦隊となると、それを総合的に指揮する艦長が必要となり、ハンモックナンバーの上位者が先任先任艦長として作戦を指揮することになった。
山吉のような若い艦長は、どうしても兵学校卒業時が先の艦長に指揮権を奪われ、自由に行動することが出来ずにいたのだ。
演習時においても、常に正確さを信条とする艦長は、天候や季節などを考慮することなく、決められた日時に合流地点に到着することを最良としていた。
それに反して、山吉は、常に天候や海上の状況を把握して、一番条件が整った時期に到着すればよい…という考えだった。そのために、先任艦長とぶつかることが多く、不満を溜めていたことも事実だった。
山吉は、
「敵は、予定通りに現れるわけではない。それを、予定、予定…とそればかりで戦争ができるか!」
と怒るのだが、多くの艦長たちにはその意味が分からないらしい。
もし、この無電のやり取りが敵に傍受されれば、一気に二隻以上の潜水艦が捕捉され、危機に陥ることになるのだ。まして、太平洋は広く、自然環境も劇的に変化する。言葉では「緊密な連携を取り…」などと言えるが、実際は小艦艇だけに、その連携は非常に難しいものがあった。まして、両艦長の意見に食い違いがあると意思の疎通もままならず、作戦に支障を来すことは明白なのだ。
この不自由さが、潜水艦の特長である「自由」を奪い、その性能を発揮出来ない原因となっている。
本来、潜水艦は自由行動が許される唯一の軍艦で、その機動力を生かして神出鬼没に現れては、敵艦を攻撃する「隠密性」を有していなければならないのだ。
海軍上層部は、いつまでも鎌倉時代のような、堂々と渡り合う「武士」の戦いを想定しており、隠密行動を主とする潜水艦の用法が理解されていない…。
山吉家では、12月14日になると、必ず一族を集めて、山吉新八郎が残した「吉良家討入騒動顛末記」を読む習わしがあった。当主が上座に座り、「討ち入り当夜」の場面を読むのである。
そこには、新八郎の勇敢さもさることながら、戦闘の生々しさや新八郎自身の後悔の念も書かれており、聞く一族はいつも涙を流しながらそれを聞くのだった。
山吉も当然のようにそれを聞きながら育った一人である。
戦いに「正々堂々」はない。
皆が寝静まった夜更けに、47人の武装した侍が徒党を組んで押し入ったのだ。こちらは、寝間着一枚で氷点下になろうとする屋内外で戦えば、勝敗は明らかである。それでも、吉良家は「武士の面目を穢した」として改易の憂き目を見たではないか。しかし、だれも赤穂浪士たちを卑怯者と罵る者はいなかった。なぜなら、それが戦だ…ということを知っていたからである。
新八郎は、その後悔をこのように書き記していた。
「我も、まさか今日は来るまい…と昼間の疲れもあって討ち入りが始まるまで、眼を覚ますことがなかった。武士としての不覚である。物音に気づいた我は、取り敢えず刀を腰に差して表に飛び出したが、寝間着一枚の薄手でもあり、一気に体が硬直してくるのがわかった。この様で、武装し、主君の仇を討たんと気迫を漲らせる赤穂の者共に対峙するなど、無謀としか言いようがない…」
山吉は、この下りを読むたびに涙が零れて仕方がなかった。それは、武士としての新八郎の「無念」が書き残されていたからである。
江戸の元禄の世であっても、戦は「数」と「装備」そして「気迫」であることがわかる。それが、現代ではどうだ。
世界第三位の海軍国だと威張ってみても、実際、使える軍艦や航空機の数は米英に劣り、「装備」は貧弱のままで「気迫」だけを求める軍隊が強いはずがない。
「まるで、ハリボテの軍隊だな…」
と、海軍に長く籍を置いて知れば知るほど、中味が薄いことがわかるのだ。
仲間内では、自嘲的に話すことが多くなった。
我らは未だに「吉良家」なのだ。
そう思うと、心がざわついて収まらなかった。
この指摘は確かに的を射ていたが、参謀たちは頭では理解していても、それを変えようとする意識は低く、潜水艦を飽くまでも「補助艦艇」としか見ていなかった。
山吉たち、水雷学校の仲間が、上に意見を述べても、
「艦隊決戦時には、潜水艦は先行して、敵艦隊を攻撃して貰うのだ!」
と山吉たちの意見を採り上げることはなかった。
潜水艦長として優れた頭脳を持ち、勘のいい山吉だったが、潜水艦の運用面に関して意見が対立することが多かった。
同じ艦長同士であっても、艦隊決戦思想から離れることが出来ず、山吉が、
「ばかなことを言うな!」
「アメリカ海軍の駆逐艦の性能は飛躍的に向上しているではないか?」
「我らが、敵の主力艦に突入しても、その前に敵駆逐艦のレーダーやソナーで探知され、数隻で囲まれれば、何の術もなく爆雷で沈められるのだ!」
「そもそも、こんな旧型の潜水艦ではものの用には立たん!」
そう強く話しても、
「貴様には、敢闘精神が足らんのだ!」
という精神論で終わり、互いの意見を認め合うことができなかった。
山吉には、この精神論に行き着くところが、まさに「吉良家」に思えて仕方がなかった。
山本五十六が、そんな思想の山吉に眼を付け、この新型潜水艦を彼に託したのは、山吉が何かを変えてくれる…という期待があったからだ。それに、いつも異論を発する山吉を快く思わない指揮官は多く、艦隊の参謀たちにしてみれば、「いい厄介払いが出来た…」と喜んでいるに違いなかった。

山吉は、潜水艦の攻撃兵器にも持論を持っていた。
山吉のいう「攻撃力」とは、主に「魚雷戦」を想定してのことである。
当時の潜水艦の主たる攻撃力は、魚雷攻撃にあった。
甲板上には、小型の砲が一門と機関砲等が装備されていたが、それが有効に働く戦闘は皆無に近く、これを使用するのは、戦闘時にはあり得ない。
魚雷攻撃の利点は、敵が気づかないうちに密かにその射程距離まで侵入し、渾身の魚雷を敵艦に撃ち込むことにある。
通常、イ号型の潜水艦は、20本程度の魚雷を格納して出撃する。そのうち、半分は「酸素魚雷」といわれる物である。
日本海軍が開発した酸素魚雷は、魚雷の内燃機関で用いる空気を通常の空気ではなく、濃縮された酸素を用いて燃焼させる。そのため、速度が速く、その爆発エネルギーは通常魚雷よりも何倍も高まっていたのだ。また、酸素は水に溶けやすい性質があることから、水面上での気泡が少なく、敵からの発見を遅らせる効果があった。
さらに、射程距離が長く、およそ10000m先の敵艦に届くといわれている。ただし、機関の設計が複雑なため、空気を使用した魚雷に比べて、その取り扱いには十分注意が必要だったのだ。
潜水艦長の中には、扱いの難しい酸素魚雷を拒み、通常魚雷のみで戦った人も多いのが現実だった。それらの艦長にはベテランが多く、
「航続距離が長くても、的が小さくなるだけで、そんなもんは当たらんよ…」
「敵艦を見つけたら、3000m位まで近づき、6本の通常魚雷を発射した方が確実に仕留められる…」
「俺は、そんな弱腰の作戦は採らん!」
と、酸素魚雷を相手にもしなかった。
山吉もその考えに近く、山吉の艦には、あらゆる場面を想定して各10本ずつを配備していた。それに、通常魚雷なら各基地で補充できるが、酸素魚雷は、扱いが難しいので内地の基地ならば補充できたが、外地ではそうもいかず、水雷長や担当の乗組員は、やはり通常魚雷がいいようだった。
それでも、動き回る軍艦に魚雷を当てることは難しく、後に「回天」という人間が操縦する魚雷が発明されたが、これを操縦して乗りこなすには、相当の訓練を必要としていた。
魚雷という兵器は、単に発射できればいい…という代物ではなく、距離や射角等を計算し、整備した魚雷を適切なタイミングで放つ技術が必要である。
その点、「イ号001潜水艦」の乗組員は水雷学校や実際の潜水艦から山本五十六の命によって選抜されたメンバーであり、日本最強の潜水艦乗りが集められていた。
実際、訓練に入ると、それぞれが魚雷戦のエキスパートであり、その装填の速さは艦隊一のスピードを誇り、発射された魚雷も完璧な整備が施されていた。アメリカのように、整備不良で爆発しない魚雷を発射するようなことは、あり得ないのだ。
山吉は、「イ号001潜」に乗り込み、魚雷発射実験に立ち会うと、それまでの日本の潜水艦との大きな違いに気がついた。それは、魚雷発射時の初速がかなり速いことだ。
魚雷発射管は構造上は日本もドイツも同じなのだが、圧搾空気を効率的に発射管に送りこむ技術は、ドイツの方が高かった。要するに初速が速いということは、魚雷そのものの直進性が高く、的を外しにくいという利点があるのだ。
日本の場合も魚雷そのものは世界標準を超えており、優秀な魚雷であったが、この発射装置があれば命中率が上がるだけでなく、魚雷発射後の退避行動が素早く行うことができる。
潜水艦にとって隠密行動は絶対であったが、攻撃力があって初めて可能になる。そういう意味で、この新型潜水艦は山吉の理想に近かった。それに、この「イ号001潜」は「航続距離」が長い。
潜水艦が有効に使用されるのは、その長大な航続距離にあるといっても間違いではない。
海中を進むためか、海上のように抵抗が少なく、どんな荒天でも海の中は潜れば潜るほど静かで安定しているのだ。
できれば、一度も浮上しないまま海中に潜ったままで作戦行動が採れればいいのだが、今の技術ではそれは不可能だった。
ディーゼル機関を主動力とし、モーターを副動力とするシステムは、日本もドイツも同じである。しかし、この「イ号001潜」は、さすがに最新鋭のUボートだけのことはあって、蓄電池の容量が日本の潜水艦の倍以上もあった。つまり、モーターの電気を蓄えるための浮上航行の時間が短くてすむのだ。それに、この潜水艦の航続距離は、水上航行で50000㎞にも及んだ。
これだけの航続力があれば、単艦で自由行動をしたとしても、燃料の補給を度々行うことなく、作戦行動ができることを意味していた。
さらに、Uボートの装備されているシュノーケルは、換気のために浮上する必要がなくなり、長時間海中に潜むことができる装備だった。
海面上には、小さな空気取り入れ装置が出るが、潜望鏡に比べても小さな物で、夜間であれば、まず発見されることはない。
この航続距離ならば、太平洋からインド洋まで自由に航行することができる。それこそが、山吉が望む潜水艦だった。ただし、この新型兵器もその使い方を誤ると、性能を発揮出来ないまま海の底に沈められる可能性もあるのだ。そのためには、是が非でも連合艦隊に「自由行動」を認めさせたい…というのが、山吉の願いであった。
そんなときに、山本長官からの呼び出しがあったのだ。
山吉は、その「呼び出し」に、何かしらの違和感を感じたが、一少佐風情が海軍大将で、それも連合艦隊の司令長官と直に話ができるとなれば、これは僥倖である。
「よし、山本長官に直談判して、このプランを認めて貰わなければ…」
と意気込んで旗艦長門に向かう山吉だった。

もうひとつ、この「イ号001潜」には大きな長所があった。それが、類い希なる情報収集能力である。これは、隠密行動を主とする潜水艦には絶対に必要な能力なのだが、これまでの日本の潜水艦には技術の問題があって、ほとんど装備されていなかった。
潜水艦は、それ自体が隠密性を有しているために、著しく視野が狭くなる。
そのために、常に周辺の状況が気になるものだが、それを可能にするのが電子機器だった。その点については、残念ながら日本海軍は世界から遅れを取り、レーダーの開発や音波探知機のソナー、通信用の特殊暗号機など、ドイツ軍と比べても10年の開きがあるといわれていた。
戦争は、時代の科学力を飛躍的に進歩させる。
航空機は年々高性能の機体が製造され、ドイツでは既にジェットエンジンまでもが開発され、戦闘機に搭載される準備が整えられていた。
レーダーの開発はイギリスが一番早く取り組み、軍艦だけでなく小型戦闘機にまで配備されつつあった。それも原型は、日本の八木秀次博士が発明した「八木アンテナ」だというから驚きである。
もちろん、八木博士はそれを海軍に持ち込んだが、当時の海軍首脳は、
「こんな妙な形のアンテナより、訓練した見張員の眼の方が信頼できる!」
と一蹴したそうだ。
本来、科学を一番に重んじなければならなかった海軍が、科学で立証された兵器より人間の眼を信じるとは、あまりにもばかばかしくて議論にもならなかった。
艦隊決戦しか目が行かないから、科学を置き去りにしていることに気がつかないのだ。それを水雷学校で聞いたとき、山吉は、本当に海軍を辞めようかとさえ思った程だった。
さらに無線機の性能も向上し、欧米の戦闘機は、無線誘導による編隊空戦法が編み出され、日本のような一対一で戦う巴戦などという古典的な空戦は時代遅れな戦法になっていたのだ。
その点、この「イ号001潜」は、さすがにドイツ海軍の最新鋭艦だけあってそれらの装備が、現時点で世界最高峰にあると言っても過言ではない。それに、ラジオ受信機も高性能で、短いアンテナを海上に出すだけで、世界中の短波放送を拾うことが出来たのだ。
もちろん、乗組員の中には大学で語学を学んできた士官も数人配置されており、英語、ドイツ語、中国語、フランス語など、世界の主要言語を解読することができる。特にアメリカとイギリス、オーストラリア関係の放送には十分注意をしなければならなかった。
こうした最新の情報を海中にいながら傍受できれば、基地に戻るのは補給のためだけでいいことになる。それに、この潜水艦はさすがにドイツ製だけあって、居住性にも優れ、狭いながらも兵員室、士官室、副長室、艦長室、医務室と、それなりにプライバシーにも配慮された構造になっており、新鮮な水を海水から作り出す装置までついていた。
乗組員にしてみれば、海中よりも上陸して新鮮な空気を腹一杯に吸い込み、新鮮な野菜や温かい食事を摂りたいのは当然のことだが、居住性がよいことも正直有り難いことだった。
山吉も、僅か二畳ほどのスペースではあったが、艦長室が与えられ、ベッドで休めるのは何よりの贈り物だった。それに、艦長室からも艦内に指令を送る放送設備もあり、
「これなら、情報伝達の心配もない…」
と安心して指揮を執ることが出来るのだった。だからこそ、この艦を使って大きな戦果を挙げたいと考えていたのである。

最後に、もうひとつ、この潜水艦には秘密兵器が搭載されていた。それが、ドイツ海軍から派遣された海軍技術大尉、カール・フラッツが乗艦していることである。
カールは、見た目は東洋人のように見えるが、ドイツ人男性と日本人女性のハーフであり、歴としたドイツ海軍の将校だった。母親が日本の神戸の出身だったこともあり、このUボートが日本に回航する際に、ドイツから日本にやって来て、そのまま日本海軍にも籍を置いた技術将校だった。
背は180㎝近くもあり、鼻が高く、典型的なドイツ男性の容貌をしているが、肌は白いが髪が黒いため、ドイツでは、エリート軍人としての道は進めなかったようだ。
ただし、語学には堪能で、英語すらままならない日本人の中では、突出した存在だった。また、「イ号001潜」の技術的な顧問という立場で乗艦していた。
この潜水艦には、それでも大学での予備士官が数人おり、どれも工学部を出た予備士官ばかりだったので、カール大尉の指導により、その装置の扱いにはさほど苦労しなかったようだ。また、英語での会話も不自由がないようで、お互いの意思の疎通も万全だった。
カール大尉は、一応、日本在住期間は日本海軍にも籍を置き、通常はカールの名を隠し、日本名で「神戸守」を名乗っていた。神戸は、母親の姓である。カールは、家庭では日本語を母親から習っており、日常会話に困ることはなく、上陸して「神戸大尉」で通しても、あまり違和感を抱く日本人は少なかっただろう。
海軍将校は、日本では一番西洋に近い存在だったこともあり、背の高い海軍将校も稀にいるのだ。ただ、カール大尉は、ドイツ流の戦略思想も身につけており、技術面だけでなく作戦面においても、山吉の大切な補佐役となった。
ドイツ海軍では、技術将校は非常に大切にされており、技術将校だからといって軍隊の指揮が執れないということはない。その点でも日本は遅れていた。
カールほどの知識と技術、そして経験があれば、軍艦の艦長職は十分に務まる逸材だった。
取り敢えず、日本海軍にも籍があるので「イ号001潜」での序列は、芝山副長に次いで三位である。これも山本長官が、将来を考えてドイツ海軍と交渉して得た成果だった。

山吉のこのレポートは海軍用箋で300枚にも及び、海軍水雷学校卒業時の課題として提出されたものだったが、水雷学校長だった小沢治三郎少将が、同じ航空畑の山本長官に見せたことで、連合艦隊司令長官の知るところとなったのである。
山本は、航空戦力の充実の他に、潜水艦を積極的に活用しようと考えており、密かに攻撃型航空母艦構想を抱いていたと言われている。
結局、それは将来を見据えての投資となったが、攻撃型潜水空母として設計され、それらは「イ号400型」として、数隻建造されることになる。それから、20年後には、この攻撃型潜水空母は原子力潜水艦となり、この一艦で当時の連合艦隊数百隻の威力を持つ…といわれるまでになっていったのである。
山吉は、このレポートを作成するに当たって、その多くを第一次世界大戦時のドイツ海軍のUボート作戦の資料に求めた。
山吉は、兵学校在籍時から潜水艦に興味を持ち、兵学校の図書館や休暇で外出したときには、許可を貰って呉鎮守府の図書館で調べるなど意欲的だった。そして、任官した後も「潜水艦乗り」を志望し、時間を見ては横須賀にある鎮守府の資料室に通い、それらを詳細に研究した上で、日本の古武道や忍術なども加味した、日本人的な独自の発想で考えた自信作だった。
その研究の行き着く先は、おそらくは世界の潜水艦を研究している者たちと同様の考えになるのかも知れないが、山吉は間違いなく10年後、20年後の未来を見据えていたことだけは間違いない。

実は、山吉と山本五十六は初対面ではなかった。
海軍兵学校時にも山本は江田島に足を運んで、何度か生徒の様子を見学していた。山吉が一号生徒だったとき、生徒の剣道の試合を見学している。
そのときの優勝者が山吉だった。
当時の兵学校長だった及川古四郎中将は、第一航空戦隊司令官を務めていた山本少将に山吉を紹介していたのだ。
山本は、山吉の試合を見て、その剣の鋭さと太刀さばきの見事さに圧倒されたという。山本にとっても、その印象は強烈だったのだろう。
次に山本が山吉に会ったのは、水雷学校における卒業時の論文審査時に、山本が審査官の一人として加わったときだった。
既に山本は中将になっていたが、水雷学校長の小沢治三郎少将が、
「次官が興味を持ちそうな論文があります。一度、その者から話を聞かれてはどうですか…?」
という誘いを受けて水雷学校に来校したときだった。
建前は、
「海軍次官としての水雷学校訪問」
ということだったが、実際は、山吉という男を見るためである。そして、その日は、偶然にも山吉たちの卒業に当たっての論文審査日でもあった。
山本は、せっかくだから…と審査官の一人として参加出来るよう、小沢校長に要請したのだった。
もちろん、正式な審査官ではなく、見学を兼ねた来賓扱いの予定だった。
当時、海軍次官であり海軍航空本部長を兼任していた山本が、東京から横須賀まで出張して来るだけでも大変なのに、わざわざ足を運んだのは他でもない。
対米英戦争を見据えて、日本の潜水艦部隊の運用について考えていた山本は、水雷学校校長の小沢少将から山吉のレポートの話を聞いて、強く興味を持ったからだった。
山本長官は、一番最後に審査を受ける山吉の時間に合わせて、水雷学校に顔を出した。
中将旗を翻した黒塗りの公用車が正門を入って来たときには、だれもが驚いたが、山吉はその姿を見ることなく、口頭試問に向けて復習をしている最中だった。
山本中将は忙しい合間を縫ってやってきたもので、小沢校長に挨拶をすませると、休憩時間に会議室に入り、審査員席に着いたのだった。
当然、今日の審査官を務めていた水雷学校の幹部や横須賀鎮守府の参謀たちは驚いて敬礼をしたが、山本は、
「敬礼は無用にせい!」
「次の山吉大尉の口頭試問は、私が行う。小沢校長には許可を取ってある…」
「いいな!」
その顔は、何かを考えているような厳しさがあり、他の審査官も息の飲み、頷くことしかできなかった。
山本にしてみれば、これからの潜水艦作戦を左右しかねない重大なテーマである。一水雷学校卒業期恒例の論文審査会かも知れないが、この審査会は、日本海軍の未来を占う意味で大きな意味を持つと考えていた山本は、強い決意で当事者である山吉を待った。
そうとは知らない山吉は、
「次、山吉大尉。入りなさい!」
案内係の声に促されて、山吉は、平静を保ちながら会議室に入っていくのだった。
山吉にとっても、この水雷学校での最終審査で、審査官たちを納得させなければ、上層部が受け入れてくれるはずがない。これは、自分にとっても日本の
潜水艦戦の未来にとっても、重大な審査だと覚悟を決めていた。
まして、この席には「未来の連合艦隊司令長官」とまで噂される小沢治三郎校長が審査官の一人として加わっているのだ。
山吉は、この小沢と対決するつもりで、この場に臨んでいた。
ところが、促されて席に着くと、そこには別の将官が座っているではないか。
山吉が、席に着くなり、その将官は一人立ち上がって山吉に挨拶をした。
「海軍次官、航空本部長の山本五十六です…」
「すまないが、大尉の口頭試問は、私が行わせていただく!」
「大尉。よろしいですかな…?」
山本次官・航空本部長と言えば、海軍部内で知らぬ者はいない。
その山本中将が直々に口頭試問を行うというのだ。
山吉の背中にビリビリ…と電流が走った。
(おい、聞いてないぞ。山本五十六といえば、日本海軍の中枢にいる重鎮ではないか…?)
山吉は、頭が真っ白になりかけたが、日頃の鍛錬がそれを防いだ。
(しかし、山本次官は、俺の何を知っているのだ…?)
そう思ったが、既に真剣勝負の場は整えられているのだ。後は、立ち会うのみである。
そのとき、山吉の頭の奥で先祖山吉新八郎の声が聞こえたような気がした。
「おそれるな新九郎。敵の剣を怖れては戦いは出来ぬぞ…」
その声を聞いた山吉は、逆に腹の底がジーンと痺れるのを感じていた。
(これが、真剣に向き合うときの覚悟なのか?)
そう思うと、妙に心が落ち着き、頭の靄が晴れる思いがした。これこそが、日頃から待ち望んでいた真剣勝負の場なのだ。

「では、山本中将、よろしくお願いします…」
小沢校長の重々しい言葉で、口頭試問が始まった。
本来、この審査会は、水雷学校で学んだことを元に、それぞれが潜水艦長としての課題についてまとめ、レポートを作成して修業の最後を飾る儀式だった。これを以て正式に各潜水艦に配属され、ある者は航海長を、ある者は艦長を命じられ第一線に出て行くのだ。
だから、通常であれば「ご苦労さん…」という労いの言葉で終了するのだが、この日ばかりは違うようだった。そして、今回の審査会は、その意味を大きく違えたものになっていた。
山吉の前の中尉や大尉クラスの者たちの論文も、山吉の影響を受けてか、従来の潜水艦運用法とは異なる意見が多く出されていた。
大半は、艦隊の補助兵力としての位置づけは変わらなかったが、潜水艦そのものの性能の向上に対する意見が多く、レーダーやソナーの配備は、喫緊の課題になっていたのだ。
日本の潜水艦は、艦自体の能力は、世界のそれと比べても遜色なかったが、補助的な装備に遅れが目立っていた。それが、潜水艦乗りにとって積年の課題であり、日本の工業化の遅れでもあった。
日本は、明治維新以来、工業国に転換してから日が浅く、それでも欧米列強に肩を並べるまでに成長はしていたが、急激な成長のために、細かなところへの配慮が不足しているのがわかる。
確かに、航空機や軍艦を動かす動力は自前で製作できるようになったが、それを作り出す工作機械は外国に頼らざるを得なかった。旋盤や溶接技術も甘く、ドイツの潜水艦と比較すると、性能というより全体的なバランスが悪いのだ。
この微妙な違和感は、長年の技術の積み重ねによって改善されるもので、日本のように、数十年の期間でどうなる代物ではない。
これは、実際のそれを使いこなして初めて気がつくもので、短期間では、だれもそれに気づくことはない。だが、既に何年も潜水艦に乗っている士官たちは、それを指摘しているのだ。そういう意味で、今年の水雷学校の卒業生の資質は高いと言えるだろう。

山本は、山吉の顔を見据えると厳しい眼を向けて尋ねた。
「早速だが、大尉のレポートは読ませていただいた…」
「なかなか、よく書けている。そこでいくつか質問したいんだが…いいかね?」
その声は、落ち着いた優しい口調だったが、それを発する山本の目は、まるで獲物をねらう鷹のように見えた。
山本は、山吉に将来の潜水艦戦について尋ねた。
山吉は、
「潜水艦は、航空機と同じように益々発展していく万能兵器となります」
「ドイツでは、既にミサイルと称する無人攻撃機を計画しているようですが、いずれ、このミサイルを潜水艦にも搭載し、対艦船のみならず、どこからでも都市を攻撃できる能力を持たせるはずです」
「そうなれば、潜水艦は隠密裏に敵国の首都に近づき、そこからミサイル攻撃を行えば、首都機能を一気に消滅させることができるのです」
「また、ディーゼルエンジンに替わる動力源が生まれれば、世界中、どこにでも移動して攻撃できる能力を持ち、さらに海底深く潜水することさえできれば、捕捉は絶対に不可能になります」
「いずれは、深海500m程度は、潜水可能になるはずです」
「今は、その段階にはありませんが、50年後を見据えれば、当然の結果だと思います」
山吉は、これまで自分が研究してきた成果を元に、予測される未来像を語って聞かせた。
山本は、それを「ふむ、ふむ…」と頷きながら聞いていた。そして、
「大尉の眼から見た日本海軍の潜水艦に関する問題点を指摘したまえ!」
と言うのだった。
隣に座っている水雷学校の幹部や横須賀鎮守府の参謀たちが、驚いたような視線を山本に向けた。
山吉は、その動きに気づいたが、ここは、堂々と持論を述べるしかない。
口の中で、(ふむ…)と質問の意味を考え、こう言い切った。
「現在の潜水艦の運用方法は、適切とは申せません!」
それは、面と向かって自分の所属する組織への厳しい指摘だった。
このころの潜水艦の運用は、2隻から3隻で一緒に行動することが多く、演習などでも、
「〇月〇日〇〇時に予定海面にて攻撃命令を受けよ!」
といった航海術に力点を置いた作戦が多く、時間通りに現地に到着し、無電で到着の連絡をいち早くした艦が「優秀」とされていたのだ。そのために、各艦の艦長は、航海長と共に海図を見ては、必死に期日に到着しようと頑張るのだが、山吉は、これを批判したのだ。
山吉が言うのはこうである。
「第一次大戦で、ドイツは連合国軍に破れはしましたが、潜水艦戦だけは圧勝でした。それは、私のレポートのあるように、五つの基本原則を守ったからです!」
「Uボートは、艦隊の補助戦力ではありません。一艦で戦える遊撃戦闘艦です。日本流でいえば隠密行動を主とする忍者部隊なのです…」
「日本の戦国時代には、織田信長に紀州根来衆、豊臣秀吉に甲賀者、徳川家康に伊賀者といわれるように、必ず諜報を担当する影の軍団が控えていました。しかし、今の日本海軍には、隠密、忍を専門とする機関がありません」
「それを担うのが、本来であればここ水雷学校なのですが、規模があまりにも小さい…」
「諜報部門では、一人一人の行動に制限は設けません」
「大目標となる指示は与えますが、それ以外は、忍の頭領が指図し、結果をもたらすことが出来なければ、その集団は無用とされます」
「表にいる軍師が、軍の組織系統の中に忍衆を入れることはなく、その存在もすべて闇の中です」
「計画的に動く隠密や忍など、戦国時代ならとっくに滅ぼされています…」
「孫子は言いました。兵とは詭道なり…と。だからこそ、私は、潜水艦の本来の使命である隠密行動を中心にこのレポートを作成したのです!」
海軍用箋300枚にも及ぶ山吉のレポートは、できる限り一次資料に基づいた分析が中心で、憶測や希望などは皆無に近かった。
これまで海軍大学校においても、潜水艦の運用法を研究した学生はおらず、連合艦隊の参謀たちに尋ねても、さほどの見識は持っていなかった。だからこそ、山本はこのレポートに着目し、それを書いた山吉新九郎という男を見てみたかったのだ。
山本は、それからいくつかの質問を山吉にぶつけたが、その都度、跳ね返され、降参したのは山本の方だったのである。
口頭試問は、30分を予定していたが、山本の質問が多かったせいもあって1時間を過ぎた時点で、校長の小沢が山本に声をかけた。
「次官、そろそろ、お戻りになりませんと…」
山本は、ふと柱時計を眺め、納得したように眼を伏せた。
最後に、山本は、
「うむ。山吉大尉の献策、見事である!」
そう言うと、「海軍航空本部長賞」を山吉に与えたのだった。
山本は、
「他のレポートも聞かずに、順番を付けることはできないが、君のレポートは、海軍次官ではなく、海軍航空本部長としての私からの評価だ!」
「山吉大尉、君の将来に本官は期待しておる…。頑張ってくれ給え」
「では、失礼する…」
そう言うと、さっさと会議室を出て行くのだった。
山本は、小沢治三郎少将に、
「小沢君。あの山吉大尉は面白いね。海軍大学校への推薦なら、私も書かせて貰うよ…」
そう言ったが、小沢は、
「どうですかね。あの男は、米沢の山吉新八郎の血縁ですからな…。気骨はありますよ」
そう言って、にやりと笑うのだった。
山本は、
「そうか。奴は上杉侍の末裔か。まあ、俺の主人の牧野家からは堀部安兵衛が出ているからな…。200年前の昔なら吉良と浅野で、仇同士というわけだ?」
小沢は、
「そうなりますね…。でも、私は宮崎ですから、戊辰戦争では、米沢や長岡とはこれも仇同士の関係になりますよ…」
そう言って、笑うのだった。
山本五十六は、潜水艦の運用問題を研究させようと、山吉に海軍大学校の受験を勧めたが、山吉は校長の小沢に、
「いえ、私は、兵学校の成績も悪く、それに参謀になるような器ではありません。それより、いつ戦争が始まるかわかりませんので、まずは、第一戦の現場で働きますよ…」
と言って、取り合おうとはしなかった。
こんな経緯があって、山本はこの山吉を旗艦長門に呼んだのだった。

その日は、「天高く馬肥ゆる秋」とでもいうような、爽やかな秋晴れの日だった。山吉が危惧したように、既に日米関係は最悪の関係に陥っており、山吉たちのような現場の軍人にも、「戦雲近し」の噂はしきりに入っていた。
指揮下の乗組員たちには心配をかけないように努めて明るく振る舞っていたが、部下たちからも、
「日米戦になれば、まずは、どこを攻撃するのでしょうか?」
などという質問が出る始末で、どの顔も不安の色は隠せなかった。
潜水艦は、他艦に比べて損耗率が高く、撃沈されれば全員が戦死となる。
暗い海の底に沈み、遺体が上がることはほとんどない兵器なのだ。
そう思うと、できる限り戦争はしたくなかったが、海軍軍人として、それは口が裂けても言えることではなかった。
山吉は、そんな不安な空気を察しながら、山本長官を長門に訪ねた。

山本は、長官室に入ってくるなり、
「やあ、山吉少佐。久しぶりだね…」
その話し方は、非常に気さくで、海軍航空本部長時代と変わらない様子だったが、一点だけ違うのは、その顔の黒さであった。
山吉が敬礼をして挨拶をすると、山本は、
「なあ、俺も随分焼けただろう…。これでも、訓練時は、露天艦橋に出て訓練の様子を見ておるんでな…。この通りだ」
「だが、これで少しは連合艦隊司令長官らしく見えるだろう…」
そう言って、豪快に笑うのだった。
まあ、色の黒さは山吉も負けてはいないが、潜水艦乗りは長期作戦に出ると、逆に色白になる。海中と夜間航行だけでは、日に焼ける暇がないのだ。
山本は、従兵に冷たいサイダーを持ってくるように言いつけると、応接用のソファーに山吉を誘った。
出撃時になれば、可燃物はすべて陸揚げされるので、こんな重厚な応接用のソファーは片付けられるが、今は、これも必需品なのだ。
革張りのソファーには、真っ白なカバーが掛けてあり、そこには染み一つ付いてない。毎日、艦内のクリーニングで洗濯するのだろうが、連日、潜水艦で訓練をしている山吉には、まるで別世界だった。
サイダーが届くと、山本自身がその炭酸の液体をグラスに注ぎながら、
「まあ、少し肌寒いが、甘い物もたまにはいいだろう…」
そう言うと、自分のグラスにも炭酸を注ぎ、グッと飲み干した。
勧められて、山吉もそれを喉に流し込んだが、さすがに炭酸飲料は一気には飲み込めたものではなかった。しかも、甘い…。
最近、こんなに甘い物を口にすることもなくなり、町に出ても以前ほどは甘味は少なくなったように思う。それも、中国との戦いが泥沼化しているためだった。
(こんなときに、アメリカやイギリスとも戦うなんて、あり得ない…)
そう思う山吉だったが、そのあり得ない話が着実に迫っている空気だけは感じるのだった。

山本は、従兵を下がらせると長官用の机の中から一冊の資料を取り出してきた。それには、『ハワイ軍港攻撃作戦要領』と墨書で書かれ、その右上には『軍機』と朱書きされているではないか。
(ハワイ…?)
山吉には、それが何を意味するのか…、山本長官の顔を見ただけで察しがついた。
「長官…、まさか、ハワイを…?」
山吉はそれから先の言葉を出す前にグッと飲み込んだ。
それは、あまりにも怖ろしい計画だったからである。
海軍が、アメリカ太平洋艦隊の本拠地であるハワイ軍港を攻撃するということは、日米戦争の開戦を意味していた。それも、敵地の奥深くに侵入し、決戦兵器である艦隊を叩こうというのである。
「長官…、それは、あまりにも無謀ではありませんか?」
そんな山吉を見て、山本はこう言い放った。
「だれもがそう言うな…」
「だが、日米戦をやるということは、それくらい怖ろしいことなんだよ。みんな、それがわかっておらん!」
「ハワイの真珠湾軍港を開戦初日に叩き潰すぐらいの気持ちがなくて、何が日米開戦か?」
「甘い、甘すぎる…!」
「敵はあのアメリカ海軍だぞ!」
「私は、この一戦にすべてを賭けるつもりだ。山吉少佐、君にも手伝って貰うよ…。いいね」
「ただし、私は戦争はしたくない。本気でそう思っている…。しかし、やれと言われれば、死力を尽くして戦うのが軍人の使命だからな」
「だから、私はこんなばかな作戦を立てたんだよ…」
「それでも、戦争をしたがっている勢力はある。たとえ亡国になろうとも、アメリカとの戦争を望む勢力がこの日本にはあるのだよ…」
「いつから、こんな愚かな国になったのかな…?」
「だから、私は、この戦争を本気で止めたい。そのために、君の力を借りたいのだ…」
「わかるかね…」
そう言う山本長官の顔は、暗く悲しみに満ちていた。まるで、長岡藩の河井継之助が必死の思いで臨んだ小千谷会談が決裂したときのようだ…と山吉は思った。
山吉の米沢藩も戊辰戦争では、東軍の一員として会津と共に戦い、敗れて賊軍の汚名を着せられたのだ。その悔しさは、次の世代に脈々と受け継がれ、今の上杉魂のような士魂を創り上げた。
それがわかるだけに、山本が、長岡藩の屈辱を忘れなていないことに激しく同意するのだった。
山本が言う、
「いつから、こんな愚かな国になったのかな…?」
という言葉に同意しながらも、山吉には、
(明治維新そのものが、愚かな革命だったからではないか…)
と思えてならなかった。
だから、いくら山本が戦争に反対しようが、革命の血を受け継ぐ者たちは、たとえ国を滅ぼすことになっても、構わないと思っている。それが「革命」なのだと…。
山吉は、そう言いたかったが、山本長官にその言葉をぶつけるのは、あまりにも気の毒だった。そして、これほど苦悩している山本長官を見るとは、思いもしなかったのである。
山本は、
「この秘密を打ち明けた以上、この作戦は絶対にやる。日米交渉が失敗すれば、日本は終わる。戦争をできる限り阻止するつもりだが、それが叶わなければ、ハワイを攻撃してアメリカ太平洋艦隊を殲滅する。そして、一気にハワイを落とし講話に持ち込む。これしか日本を救う道はない!」
山吉は驚いた。なぜなら、山本の口から「ハワイ攻略」の言葉が出たからである。
要するに、開戦初日にすべてを終わらせる…と山本は言っているのだ。
(ハワイを人質に、アメリカ政府に交渉のテーブルに着かせるのか?)
頭では理解できても、そんなことが本当に可能なのか…と疑う自分がいた。
自分から見たら、この山本五十六という人物は、とんでもなく大きく見えた。そして、そのためなら、自分の命など惜しくはない…と考えるのだった。
山本はそう言うと、山吉の方を向いて、
「君に頼みとは、君のプランに則って、あの新型Uボートで戦ってほしいのだ…。そして、私の最初で最後の作戦を支援してほしい…」
「だが、これは正式な命令ではない…。君には、自由作戦行動を命じる!」
「後は、君が判断することだ」
「私の意図するところは、わかるな…?」
そう言うと、静かに席を立ち、舷窓から見える海を眺めるのだった。そして、
「なあ、山吉少佐。この平和な海をなぜ好き好んで荒そうとするのかな…?」
「もう、しばらくは、君と会う機会はないだろう。君は、君とあのイ号001潜水艦の命がある限り、精一杯戦って貰いたい…」
「以上だ。ご苦労だったね…」
そう言うと、山本長官は自席に戻り、長官の椅子に静かに腰を下ろすのだった。
山吉は、ただひと言、
「わかりました。全力を尽くします…」
それだけ言うと、静かに敬礼をして長官室を出た。
山本長官は、コクリと頷き、小さく右手を振って見送ってくれた。そして、山吉は、早々に旗艦長門から内火艇で呉桟橋に戻るのだった。
そのとき、内火艇のデッキに立つ山吉の目に、長門の甲板上からこちらを見ている将官が眼に入った。山本長官である。
山本は、山吉に秘密の命令を与えると、今生の別れになるかも知れない若い少佐の姿を帽子を振って見送るのだった。

第1章 イ号001潜水艦出港

山吉は急いで呉基地に戻ると、待っていたかのように、呉鎮守府に呼び出された。そして、連合艦隊司令長官命令を受領したのだった。それには、
「イ号001潜水艦は、研究目的のための航海を命ずる」
とあった。
鎮守府の参謀もそれを山吉に手渡しながら、首を傾げ、
「こんな出港命令は見たことがない…。何だ、研究目的って…?」
そう聞かれても山吉が答えるわけにもいかず、一緒に首を傾げていると、そこに呉鎮守府司令長官が現れた。
呉鎮守府の司令長官は、近い将来、連合艦隊司令長官になるだろうと言われている豊田副武中将である。山本長官の兵学校の一期下で、陸軍嫌いの豪傑で通っていた。
豊田は、山吉を見ると、
「ほう、君が山吉少佐か?」
「山本長官からは、君の話はよく聞いている。研究目的とは、君のイ号001潜水艦の性能を調査し、今後の潜水艦建造に役立てたい…という長官の意向だ」
「あの艦は、ドイツから高い金で買った物だろう。だが、ドイツの科学は、日本の10年先を進んでいるらしいからな…」
「長官から聞かされたとき、私も驚いたが、これは、将来の潜水艦作戦の研究に資するものだそうだから、頑張ってくれ給え…」
そう言われて、参謀も納得がいったようで、
「なるほど、そういうことですか。それにしても、山本長官は、不思議な人ですな…」
と感心するばかりだった。
よく見ると、連合艦隊司令長官の印と山本五十六の花押がある辞令である。
これで、堂々と行動できる…と思うと、山吉は嬉しかったが、それ以上に、山本長官の自分への期待が、山吉の背中に重くのし掛かるのだった。
豊田長官は、帰り際に山吉に向かい、
「あ、そうそう。山本長官は、準備でき次第直ちに出港せよ…と伝えてくれとのことだ…」
「方面は言わなかったが、研究航海だから、自分の判断で出港しろということだろう」
「ただ、山吉少佐。貴艦が出港中に戦争になる可能性もあるから、そのつもりでな…」
そう言うと、口を歪め不敵な笑みを浮かべるのだった。
既に豊田長官の頭の中にも日米戦争はあるのだろう…と山吉は思った。

山吉は急ぎ艦に戻ると、直ちに出港準備に入った。
山吉は、山本長官と約束したように、出港後は直ちにハワイ方面に向かい、情報収集を行い、来たるべき連合艦隊の攻撃の結果次第で対応するつもりでいた。
おそらく、あの言い方からして長官自らが連合艦隊を率いてハワイに出撃することは間違いない。日本海軍の機動部隊と戦艦部隊がハワイを包囲すれば、ハワイに戦う術はないのだ。
ただ、それで戦争が終わればいいが、もし、アメリカが戦争継続の意思を示せば、ハワイ占領は、日本の足枷になる可能性もある。
ハワイは日本からは遠く、たとえ占領しても長期間維持することは不可能だ。
まあ、とにかく、今は、ハワイに向かうことだけだ。それ以降のことは、戦いが始まってみなければわからない。
山吉は、副長の芝山と神戸に、
「ハワイ方面に向かって出港する…」
とだけ伝えた。もちろん、研究航海であることは既に全員が知っていた。
この出港は、表向きは研究を目的とした訓練航海だが、実際は、開戦を想定しての出撃準備である。
普段から臨戦態勢は整えていたので、後は食糧を積み込むくらいだったが、三月以上の航海となれば、かなりの量の食糧を積み込まなければならなかった。その大半は缶詰類だったが、それに文句を言わないのが潜水艦乗りである。
山吉は、全乗組員が持ち場に着くと、艦内放送を使ってこう訓示した。
「よく聞け。艦長の山吉である。いいか、諸君。我々は、これより本艦は研究航海に出る!」
その声に、乗組員の顔が変わった。
これまでの訓練が何かを想定していたことはわかっていたが、それがいよいよ始動するときが来たのだ。
「山本連合艦隊司令長官より、ただ今命令を受領してきた。読み上げるので、よく聞いてくれ!」
「イ号001潜水艦は、研究目的のために、出港を命ずる!」
そして、次の言葉を添えた。
「尚、長官からは直々に自由行動を認める…旨の命令も受けている!」
「よって、本艦は、司令部からの命令に関係なく、独自の判断で航行し、研究目的を果たすものである」
「研究目的は、日本海軍の潜水艦戦のあり方である。この航海を成功させることで、日本海軍潜水艦部隊の未来を開かなければならない」
「研究テーマは、それぞれの責任者に示してあるので、そのテーマに沿って航海訓練をして貰いたい。そして、将来の潜水艦戦のあり方について、答えを出して欲しい!」
乗組員の多くは、この「自由行動」という言葉に驚いた様子だった。
ベテランであればあるほど、帝国海軍の命令に「自由」などという文言が入ることはないことを知っている。それだけに、緊張が走った。そして山吉は、
「これより、本艦はハワイ方面に向かって出港する!」
「以上だ!」
山吉の言葉に全員が頷き、芝山副長の、
「直ちに出港準備。かかれ!」
の声で、各自が出港準備に入っていった。
乗組員がそれぞれ動き出すと、副長の芝山大尉と神戸技術大尉(カール)が近づいてきて、
「艦長、ハワイですか…?」
「ああ、ハワイだ。ハワイオアフ島の南東で待機する…。すまんが、出港準備を急がせてくれ!」
「はい、了解です!」
芝山大尉はそう告げると、早速、航海長として海図に最短航路を書き込むのだった。
神戸は、
「山本長官という人は、なかなかユニークな人物ですね。でも、面白い…」
「このドイツ最新鋭のUボートが、太平洋でどのくらい暴れるか見物ですよ」そう言って、静かに笑みを見せるのだった。
この神戸(カール)大尉がいれば、艦の操作に不自由なないだろう。それに、既に乗組員は連日の訓練で、相当にドイツ製の精密機器にも慣れてきた。
このまま訓練を続ければ、開戦に間に合う…。
山吉は、艦長としてそう判断していた。それに、この神戸がいなければ、こんなに早く出港態勢はとれなかったと思うと、ドイツ人将校の技術と頭脳に感心するのだった。

出港は、その翌々日の11月2日の早朝となった。
朝5時という時刻は、まだ、総員起こし前で、静かなものだった。
晩秋になり、早朝はさすがに寒い。
それでも、出港準備に出てきてくれている基地の兵隊たちには頭が下がる思いだった。
山吉は、桟橋で指揮を執る基地隊の五十嵐少佐に礼を言うと、五十嵐は、
「いや、本当は新鋭艦の晴れの出港だから、盛大に見送ってやりたかったが、極秘任務じゃ仕方がない。とにかく、無事に還って来いよ…」
そう言うと、山吉の背中をポンと叩いた。
五十嵐は、機関学校出の将校で、山吉の一期先輩に当たる。その五十嵐が、急な出港にも拘わらず、全面協力してくれたのだ。
「はい、ありがとうございます。任務を果たして戻って来ますよ…」
そう言って、固い握手を交わすのだった。そして、午前5時、イ号001潜水艦は、基地隊の20名ほどに見送られて呉桟橋を離れて行ったのだった。
暗がりの中、艦橋から桟橋に向かって敬礼をすると、桟橋から懐中電灯の光がいくつも灯されていた。それは、よく見るとモールス信号になっており、「イ 001 ケントー ヲ イノル…」と読めた。
五十嵐少佐からの心ばかりのメッセージなのだろう。だれも見送りのない出港だと思っていただけに、山吉たちには、そんな基地隊の心配りが嬉しかった。
呉から外海に出ると、すぐに琉球海溝が広がっている。ここは深さ7000mを超える深海がある。潜水艦の潜水深度は、よくて100m程度だが、この「イ号001潜」は、200mまでは潜れるようだ。
そこで、山吉は、神戸大尉に指揮を任せて限界深度まで潜ってみることにした。これも貴重な研究の一つである。
日本の潜水艦の場合、深度100mを超えた記録はあるが、かなりの水圧が艦体にかかり、たとえ非常時でもそこからの回復操作は難しいといわれている。
山吉は、神戸大尉に尋ねると、
「Uボートの潜水深度は、200mは普通です。このイ号001潜は、最新鋭ですから、それ以上でも大丈夫です…」
「まあ、見ててください」
神戸は、かなりの自信を持っているようだった。
確かに深度200mまで潜ることができれば、アメリカの駆逐艦が爆雷を投下しても、そこまで想定することはないだろう。これに成功すれば、対駆逐艦戦もかなり有利に戦えることになる。
山吉は、躊躇わずに深度200mまで琉球海溝を潜ってみることにした。ただし、ゆっくり潜らないと、艦体は大丈夫でも乗組員が水圧の急激な変化で体が保たないのだ。
山吉が神戸大尉を見て頷くと、神戸は艦内放送を使用して命令を下した。「これより、潜水訓練に入る。深度200…まで潜行する。かかれ!」
艦内の乗組員は、「深度200」に驚いたが、全員が通常の訓練通りに、所定の位置に着き、艦が潜行するのを感じ取っていた。
艦内には、静かにエンジン音が響くが、これまでのイ号潜水艦と異なり、一定のリズムで「シュ、シュ、シュ…」と聞こえるだけである。
中にいても、艦が沈降していくのを感じるのは、気分がいいものではない。だれもが無口で、不安な感覚が乗組員全員にまとわりつくが、ベテランの多いこの艦では、それを表情に出す者はいなかった。
深度計を読む兵曹の声だけが聞こえていた。
「深度50…」
「深度80…」
艦は、水圧で軋む音がしない。何事もなかったかのように深い海に沈んでいくのだ。
通常の潜水艦なら、この辺りで浸水が起こるのだが、その気配すらない。
副長の芝山が、
「各所、異常の有無を報せ!」
と命じたが、どの担当部署からも「異常なし…」の報告だけが届いた。
「深度100…」
日本の潜水艦ならここらが限界点である。しかし、「イ号001潜」は、まだまだ、沈降を止める気配がない。
今、まさに海溝の内部に入り込んでいる。
海溝内部は、地図が作製されていないので、大雑把にかなり広い海溝部分で潜行に入ったが、後は、ソナーだけが頼りだった。しかし、そのソナーも特に反応はなく、周囲に障害物がないことはわかる。
実際に海の様子が見えるのは、密閉艦橋にある4つの舷窓からだけだが、ここに四人の見張員を配置し、逐一海の変化を報告させることができた。また、前方と後方に強力なライトが装備されており、一時的であっても周囲を照射できるので、近くの障害物は視認することも可能なのだ。
報告によると、深度70mを超えた辺りから太陽光が海の中に届きにくくなり、少しずつ闇の世界になるようだった。
「深度150…」
その報せを聞くと、乗組員からざわめきが起こった。
これまで、日本の潜水艦では「深度100」が限界値であり、たとえ訓練であってもそれ以上は「危険!」ということで制限が加えられていたからである。
その声を聞いても神戸(カール)大尉は、涼しげな顔をしている。
まあ、奴らにしてみれば深度150m程度は、特に心配するような深度ではないらしい。
「深度180…」
いよいよ、深海の世界に入る深さになってきた。
見張員からも、
「もう、ライトが点灯していなければ何も見えません。辛うじて、薄く光らしき物が届いていますが、間もなく、闇の中に入ります…」
その声も、若干不安そうだった。
山吉は、ソナーのモニターを見続けている兵曹に、
「周囲に障害物はないか?」
と尋ねたが、「いえ、何も感知しませ…ん」との答えだけだった。
「深度200を超えます…」
相変わらず、シュ、シュ…というスクリュー音だけが聞こえるだけで、とにかく静かである。
山吉が神戸(カール)に尋ねた。
「神戸大尉、どのくらい潜るか?」
すると、神戸は、
「おそらく、250mは潜れるはずですが、後、30mでいいでしょう。これで、この新鋭艦の潜行能力がわかりました…」
そして、「深度230…」の声を聞くと、
「深度、そのまま。5分後に浮上する!」
「メインタンクを少しずつ吐き出せ…。時間をかけて浮上する!」
今の状態は、非常に高い水圧を艦全体にかけられている状態であり、艦内もその影響をかなり受けているのだ。
この水圧の状態を少しずつ緩和していかないと、人間の鼓膜が破れたり、鼻血が止まらなくなったりする危険性があった。それは、日本もドイツも同じらしい。すると、神戸は、
「この艦には、艦内の圧力を調整する装置が付いています。これは、自動制御でコントロールしますので、心配は要りません。でも、日本の潜水艦なら、水圧で艦自体が圧壊してしまうはずです…」
山吉は、
(なるほど、自動で中の気圧を調整するのか?)
(やはり、日本は10年は遅れているな…)
と実感するのだった。
「イ号001潜」は、周囲の心配を余所に、ゆっくりと時間をかけて明るい海面を目指して浮上していくのがわかった。
艦橋にいる見張員からも、「あ、明かりが見え始めました…」などという嬉しそうな声も届いた。
やはり、未知の世界への探検は、だれもが緊張するものなのだ。
深度10mの所で、山吉が命令を下した。
「潜望鏡上げ!」
艦は一旦、深度10mで停止した。周囲を潜望鏡で確認するためである。この艦には、2本の潜望鏡が装備されており、山吉は副長の芝山と共に、潜望鏡に眼を当てた。
ちょうど、太陽が高い位置まで上がっており、太平洋は晴天に恵まれているようだった。ただ、海上に船舶は見えず、潜望鏡を360度回転させたが、異常は見られなかった。
「よし、異常なし。潜望鏡下ろせ!」
「浮上する!」
山吉の命令で、深海近くまで潜った「イ号001潜」は、静かに海面にその姿を現したのだった。
「イ号001潜」は、太平洋の海を想定して、やや黒に近い濃緑色で塗られていたが、どうもドイツ海軍の神戸(カール)大尉には、お気に召さないようで、
「ドイツでは、艦の色は、地中海の淡いブルーがかったグレーなんですが、日本は、ブラックなんですね…」
と顔を歪めるのだった。
もちろん、軍艦の色が海の色に合わせることは承知しているが、何となく野暮ったく見えるのだろう。
浮上して、潜行した地点を確認すると、その位置はほぼ変わっておらず、この艦の方位測定器とジャイロコンパスの優秀さがわかった。

山吉は、露天艦橋に出ると、自ら周囲の状況を確認した。
11月の空は蒼く澄み渡り、風もない穏やかな航海日和だった。だが、この穏やかな海が大荒れになる日も近いのだ。
そう思うと、「日米交渉を上手くやってくれ…」と願わずにはいられなかった。
山吉は、この航海中にこの艦のすべてを試してみるつもりでいた。
水上航行速度、潜行中の速度、レーダーの実効性等、これまでも何度か試してはいたが、やはり外洋での訓練は、内海とは違う結果をもたらすようだった。
それにしても、この艦に通信システムは目を見張るものがあった。
水上航行中は、アンテナを特に高く伸ばさなくても、非常に感度良く世界中の短波が入って来た。
太平洋上にも関わらず、イギリスやフランス、ロシアの電波も入るのだ。もちろん、アメリカからの情報は逐一傍受し、日米関係の進展にやきもきしていたが、やはり、一向にはかばかしい情報がもたらされることはなかった。
「イ号001潜」は、対米戦を想定して、沖縄からフィリピンを回り、パラオ経由で南からハワイ諸島を目指すことにした。
もし、山本長官が出撃するとなれば、あの計画案にあったように、冬の北ルートを進むことになる。おそらく、アメリカは既にその動きを察知し、対策を採ってくるはずだった。
もし、そのまま無事にハワイ近郊まで連合艦隊が到達したとすれば、それは、アメリカの謀略を疑わなければならない。
どちらにしても、山本長官は、伸るか反るかの大勝負に出たことになる。そして、山吉は、山本の言葉を思い出していた。
「私は、この戦争を本気で止めたい。そのために、君の力を借りたい…」
そう言った山本の言葉には嘘はないだろう。もし、アメリカ艦隊と戦うにしても、山本は本気なのだ。そして、自分の死を覚悟して突っ込んで行く山本長官のために、俺たちも必死で戦わなければならない。山吉は、そう覚悟を決めるのだった。

いよいよ昭和16年も12月の師走を迎えた。
「イ号001潜」が、東回りでハワイに近づいたのは、そのころである。
ここまで、各国の短波放送からは、日米交渉がまとまった…という話はなく、既に両国は膠着状態に陥っていることは間違いない。
既にハワイへも警報が出されており、いつ開戦を迎えても不思議ではなかった。
このハワイ沖も、既にアメリカ太平洋艦隊の警戒網に入っており、微弱な電波ながら、駆逐艦が頻繁に出て来ているのがわかった。
山吉は、芝山と神戸(カール)を司令塔に呼んだ。
「どうやら、ここまでは無事に来られたが、ハワイ周辺は警戒が厳重だ。山本長官がこっちに向かっているとすれば、間もなくアメリカの領海に到着するだろう…」
「さて、アメリカ太平洋艦隊はどう出るかな?」
すると、神戸が口火を切った。
「無論、敵艦隊が自国の領海を侵犯すれば、アメリカ軍はそれを先制攻撃と見做し、全力を挙げて応戦することは間違いありません」
「太平洋艦隊には、戦艦は少なくても5隻、航空母艦4隻はいます。それに、巡洋艦や駆逐艦、潜水艦を合わせれば、100隻は下りません」
「基地には、航空部隊が100機以上…」
「それらが、全力で連合艦隊を攻撃してくるとなれば、連合艦隊は、間違いなく全滅します」
神戸の洞察力は、的を得ていた。
「島と船で戦って、本当に勝てるのでしょうか?」
神戸の指摘はまさにその通りなのだが、山本長官は、「全力で戦わなければ、勝利は覚束ない!」との信念で遮二無二突っ込んで行くはずだった。それに、日本には、出来たばかりの新鋭戦艦「大和」がある。おそらく、山本長官は、大和に座乗して突っ込むつもりだろう。
そのとき、我々に何が出来るのだろうか?
この大海戦は、これまでの世界の歴史上類を見ないもの凄い海戦になることは間違いない。
上手くいけば、戦艦群の巨砲を以て、ハワイの軍事基地を徹底的に破壊することができる。その間に、航空部隊が、アメリカの機動部隊を全滅させれば、勝利の女神は、こちらに微笑むだろう。
それ以外に策があるのだろうか?
とにかく、「Xデー」が近づいていることだけは、間違いなかった。

ハワイに近づいた「イ号001潜」は、昼間は、完全に潜行したまま少しずつハワイの情勢を探るべく、ハワイオアフ島が見える位置まで進んでいた。
この辺りは昼間は駆逐艦が頻繁に警戒している海域で、敵艦に覚られたら、大騒ぎになるだろう。
それでも、できる限り深く潜りながらオアフ島に近づいて行った。
このハワイ周辺の海は火山活動で出来た海で、かなりの凹凸があり、潜水艦には操艦が難しい所でもあった。深いところは、1000mを超える深さがあり、身を潜めるのは最適である。
「イ号001潜」は、昼間はそんな深海付近に停止し、夜になると海面付近まで浮上して敵情を視察していた。これも、高性能のレーダーとソナーなどが装備されているお陰である。
ドイツの潜水艦レーダーは反応が早く、敵の航空機や駆逐艦がモニターに映ると警戒音が発せられるのだ。
浮上して見張員の2.5の視力でも発見は難しいだろう。それを瞬時にモニターに映す能力は、感動ものである。
こうして「イ号001潜」は、約1週間にわたってハワイオアフ島のパールハーバーやアメリカ太平洋艦隊の動きを探り続けた。それは、まさに赤穂浪士の「吉良邸探索」によく似ていた。
その間、アメリカ太平洋艦隊は、「イ号001潜」が近くに潜んでいることは、まったく気づかなかったのである。

第2章 「東郷メッセージ」

山吉少佐の率いる「イ号001潜」が、山本五十六長官の密命を帯びて、ハワイに潜行していたころ、国際情勢は大きな変化を見せ始めていた。
アメリカ政府は、ルーズベルト大統領とその側近たちによって日本を経済的に追い詰め、日本から攻撃させるように謀を巡らしていた。それには、共産主義者の暗躍があったのだが、アメリカ国民も連邦議会もまったく知らないことだった。
日本のいよいよ袋小路に追い詰められ、どうにもならない事態が迫っていたのである。
「イ号001潜」が密かに日本を離れたころ、日本はいよいよ対米英戦争に突入することを決定した。山本が危惧していたことが、まさにその通りになったのである。
近衛首相は、ルーズベルト大統領との首脳会談に一縷の望みを託したが、強硬なアメリカ政府によってそれも拒絶され、既に妥協案として提出していた二つの提案に対してもにべもなかった。
元々、日米交渉に消極的だった近衛首相は、それを見ると内閣を放り出した。戦争を目前にして、政治責任を果たさぬまま逃げた近衛に、だれもが失望したが、所詮、貴族の政治ではこうなることは火を見るより明らかだったのかも知れない。そして、火中の栗を拾ったのは、陸軍大臣を務めていた東條英機大将だった。
東條は、無論こんな時期の首相など断りたい気持ちはあったが、実直な男だけに「大命が降下した…」といわれると、それを断る勇気はこの男にはなかった。
ただ、東條という男は、人が言うほど悪い人間ではない。
山本も、同じ軍人としての東條は知っており、頑固者だが生真面目な男だと評価していたのである。その証拠に、東郷外務大臣を留任させ、何かと相談するようになっていた。
しかしながら、アメリカの圧力は弱まる様子はなく、日本がどんなに譲歩しても、交渉はまとまらなかった。
山本は、ここに来て、この交渉自体が大きな謀略の中にあることに気がついた。
「アメリカ政府は、日本との交渉で妥結する意思はないようだ…。そうなると、戦争しかない」
「我らが戦争を望まなくても、アメリカ政府が戦争を望むのであれば、結果、戦うしかないのだろう…」
山本は、だれにも話したことがなかったが、自分がアメリカ大使館に駐在武官として派遣されていた時代を思い出していた。

時代は、大正の終わりから昭和初年の2年間である。それまでもハーバード大学に留学経験のある山本は、アメリカ人の知己も多い。
久しぶりにアメリカに渡った山本に近づいてきたのは、ハーバード大学時代の友人でもあったエドワード・スミスである。エドワードは、アメリカの有力紙であるワシントンポストの記者をしており、特に日本通を自負していたせいか、アジア関係の記事を任されていた。
スミスが山本に近づいてきたのは、旧交を温めたい…という感情もあったろうが、日本海軍の内情を探りたいという野心もあった。
当然、山本にしてみれば、そんなことは百も承知の上で、スミスとの再会を喜び、昔のように一緒に酒を飲み、遊び、時間を見つけては、アメリカの実際の姿を見るために案内もして貰っていたのだ。
女好きの山本は、アメリカ女性にも興味を示し、酒の席でも遊びの場でも、若い女性が山本の側にいることは日常茶飯なことになっていた。
スミスは、「俺の紹介する女は、絶対に安心な連中だ…」と、アメリカ女性の中でも、とびっきりの美女を山本に紹介した。それが、メアリー・シンプソンである。
メアリーは、ワシントン州立大学で秘書をしている才媛で、スミスとは、遠縁にあたるとのことだった。
メアリーは、やはり大学の日本語学科を卒業しており、「江戸時代」を研究していたとかで、山本が長岡藩の出身だと聞くと、とても興味を持った。そして、山本に会うといつも体をピタッと寄せ、顔を近づけて質問してくるので、山本も驚いたが、ブロンドの髪と真っ白な肌、蒼い瞳は、山本の心を鷲掴みにした。
背はもちろん、メアリーの方が高い。それでも、メアリーはあまり気にする様子もなく、山本のことを「山本少佐…」と呼んだ。
最初は、スミスが一緒だったが、そのうち二人きりで会うことも多くなり、二人が男女の関係になるのも時間の問題だった。
山本自身は、男女の普通の恋愛と割り切っていたが、その裏に隠されている意図に気づくことはなかった。あった…としても、山本にはそんなトラップには引っ掛からない…という自負もあった。
その山本にハワイを案内してくれたのも、このメアリーとスミスだった。
スミスは、恋人のナタリーを連れて来ていた。
四人は、レンタカーを借りてハワイ中を走り回り、ハワイ軍港パール・ハーバーも訪れた。
スミスは、車を港が俯瞰できる高台に走らせると、その高台からハワイ軍港を見下ろしながら、
「いずれ、ここはアメリカの太平洋軍の拠点となるだろう。ここから先は、アジアまで広大な太平洋が広がっているだけだ…」
「俺が、日本の司令官なら、まず、ここを叩くね。そうすれば、アメリカはその片腕を失ったようなものだからね…」
「今、アメリカ政府は、大西洋艦隊と太平洋艦隊を置き、世界をアメリカの意のままに操ろうとしているんだ」
「俺は、ジャーナリストだから、そんな野望をすっぱ抜きスクープしてやるのさ。そうすれば、俺は有名人だ」
これは、スミスの本音だろう。
アメリカにはこの手の野心家が多いのだ。だから逆に、アメリカは強いとも言える…。この強烈な個性が日本人にあればな…と思うのだが、日本人はいつも周りを見て気遣いばかりしている。
国際社会においても、そんな気遣い外交では、足下を見られるのに…と日本の立場を心配するのだった。
スミスは、軍事基地にも拘わらず、カメラのシャッターを切り続けていた。
そして、
「後で、現像して君にあげるよ。参考にしてくれたまえ…」
と平気な顔をして言うのだ。
もちろん、メアリーと山本が一緒に並んだ写真を数枚は撮ってくれた。それは、アメリカ時代の思い出として、今でも長門の長官室の机の奥深くにしまってある。
メアリーとの関係は、山本がアメリカを離れるその日まで続いた。
山本は、既に結婚していたが、もし、メアリーさえよかったら、海軍を辞めてアメリカでメアリーと暮らしたい…とさえ考えたが、その話になると、メアリーは言葉を濁し、他のことに話題を変えるのだった。そして、案の定、山本が帰国すると、メアリーやスミスとの交流は途絶えた。
山本自身は、何度も国際郵便を出したのだが、返事が返ってくることは一度もなかった。そのうち、山本自身も忘れてしまったが、日米が危機を迎えて、そのことを思い出したのだった。
山本は、自分でも自覚がなかったが、酒の席やベッドの中で、自分が何を口走ったか…正直覚えていなかった。だが、もし、彼らがアメリカのスパイで、日本海軍の軍人である自分に近づいてきたのだとしたら、自分は、彼らに操られていたのかも知れないのだ。
そうやって考えてみれば、スミスは、アメリカの情報を自分に流してくれたし、アメリカの主要都市や基地などを隠そうともしないで案内もしてくれた。 新聞記者として知り得る政治的な情報も貰い、大使館に告げたこともある。 メアリーは日本文化の研究者だったから、日本の歴史や風俗、習慣みたいなことはよく聞いてきた。その中には、日本人の思想的なことも含まれていた。
山本は、恋人同士の日常会話として、得意気にメアリーに話してやった。すると、メアリーは子供のように眼を輝かせて喜ぶのだ。それも、もし、メアリーの策略だとしたら、自分は騙されていたことになる。
そう考えると、これまで行ってきた日米交渉も日本に戦争を始めさせるための謀略なのかも知れないのだ。だが、既にことは決した。
御前会議で開戦の決定が示された以上、何としても勝つしかない。
もし、ハワイに自分を誘き出そうとしているのなら、それを逆手にとってアメリカを騙し、彼らが誇る太平洋艦隊を叩き潰すしかない。
山本は、自分と日本の命運を握る戦いに臨もうとしていた。

山本が危惧したとおり、アメリカ滞在中の山本に近づいてきたスミスもメアリーもアメリカ政府機関に属する諜報部員だった。彼らの目的は、山本自身が気づいていたように、日本海軍の戦力を把握することと、日本人の生活習慣や思想、宗教等を分析し、戦争に役立つ情報を得ることだった。
このスミスとメアリーは愛人関係にあり、山本はそういう意味においてもまんまと騙されていたことになる。
山本からの情報が多岐にわたり、酒の席やベッドの中で囁かれた情報は、すべて政府機関にもたらされた。それに、スミスが山本をアメリカ各地に案内したのも、日本海軍の将来を担う男に、アメリカの国力を知らせるためのものだった。そして、ハワイを念入りに見せたのは、山本を「ハワイ攻撃」という餌に食いつかせるための仕掛けなのだ。
山本は、実際にハワイ軍港を眺め、スミスの話と併せてハワイ攻撃の可能性を探っていた。こうした洗脳工作は、渡米した多くの日本人に行われており、山本の純粋な脳は、それらを受け入れ自分のものにしていったのだった。
スミスとメアリーは、山本が帰国後も国際郵便が来るのを見て、自分たちの計画が成功したことを覚った。
その後、この二人がどうなったのかを知る術はない。
諜報機関の人間として、他国に派遣された可能性もあったが、密かに消された可能性もあった。日本と違い、世界はこうした謀略の中で政治が行われていたのだ。

山本は、戦争やむなし…という結論が出ると、新たな作戦計画を軍令部に提出した。それには、航空母艦6隻の他に、戦艦大和、長門の他に進水したばかりの武蔵を入れた10隻の大型戦艦部隊を編成し、機動部隊の前衛部隊としてハワイ攻撃に投入することにした。そして、その指揮官は、無論、山本自身が直々に執るというものである。
この作戦案に海軍軍令部も海軍省も驚き、山本自身を海軍省に呼んだ。
軍令部総長永野修身大将は、山本に、
「山本さん、何だ、これは!」
と怒鳴ったが、山本は口をへの字に結んだまま、永野を睨み付けるばかりだった。そして、「総長!」と怒鳴り返し、
「対米英戦争は行うべきではない…とあなたに何度も申し上げたが、聞く耳を持たなかったのは、あなた方ではないか?」
「日独伊三国軍事同盟のときも、私は反対したが、やむを得ない…と言ったのは、海軍省の及川大将ではないのか!」
「今も、やむを得ない…のひと言で対米英戦争に突入しようとしている。それなら、連合艦隊としては、乾坤一擲の策に出る以外に勝てる見込みはない!」
「今、総長は、何だこれは!と私を罵倒したが、それを言いたいのは私の方だ!」
「日米交渉が上手くいかないのなら、世界中に日本は戦う意思はない!と宣言すればいいではないか!」
「敵の手の内は分かっている。敵は、日本に開戦の火蓋を切らせ、邪悪な日本を滅ぼすとの大義名分を得たいのだ。あんたたちには、そんなことがわからんのか!」
「この作戦案が通らないのであれば、私は、海軍を辞める。他の人間に替わってくれ!」
「やるなら、開戦劈頭、ハワイ軍港を叩き潰し、ハワイを一気に占領する。そして、アメリカの非を世界中に知らしめることだ。それ以外に勝利の道はない!」
山本の銅鑼のように響く声は、海軍省の煉瓦造りの建物中に響き渡った。
そう怒鳴られては、永野も言葉を失った。
隣に座っていた嶋田繁太郎海軍大臣も、山本の声に驚き、ハッとなって山本を見ると、山本は同期のこの男を見据え、
「嶋田!」
「貴様は、何の成算があって戦争に賛成しているのだ!」
「貴様のような男に、戦争が任せられるか!」
「即刻、辞表を書いて田舎にでも引っ込め!」
「だから、貴様は、昔から‘めでたい嶋はん’などと呼ばれるんだ!」
と永野以上に怒鳴られ、顔を紅潮させたかと思うと、冷や汗を掻いて首を縮めるのだった。
この嶋田という男は、山本の兵学校の同期生で、あだ名は「嶋ハン」。同期の中でもお調子者で、いつもバンカラな山本たちの後ろに隠れていた男である。それが、今や海軍大臣の椅子に座り、首相となった東條英機の後ろに引っ付いている。だから、山本は満座の中で嶋田を怒鳴りつけたのだ。そして、
「連合艦隊は、俺が全部を引き連れてハワイを攻撃する!」
「アメリカだろうが、どこだろうが、阻止する者は悉く殲滅するのみである!」
「ハワイを攻略した暁には、再度日米交渉をやる!」
「貴様らのような腰抜けには、任せられん!」
そう言うと、連合艦隊の幕僚を引き連れてサッサと海軍省を出て行ってしまった。
山本にしてみれば、
(これで、俺を辞めさせるのなら辞めさせればいい。こんなばかげた戦争をする以上、必敗は間違いない。馬鹿者共め!)
その怒りは、全身からメラメラと燃えさかる炎のように立ち上っており、参謀たちも何も言うことは出来なかった。
これを聞いた連合艦隊の将兵は、
「よし、俺たちでハワイをやってやる!」
「さすが、俺たちのオヤジだ。死んでもオヤジについていくぞ!」
と興奮の坩堝と化した。
こうなると、だれもが止めようもなかった。
海軍省も軍令部も山本の迫力に牙を抜かれ、永野や嶋田は、
「仕方がない。山本の案に賭けよう…」
と腰が砕けたようになってしまった。
山本を連合艦隊司令長官の座から引き摺り下ろしても、それを引き継ぐ者がいない。だれもが日米戦争に尻込みし、引き受けようとする人間がいないのだ。
永野総長は仕方なく、
「嶋田さん。あんた、大臣辞めて長官になればいいじゃないか?」
そう言うと、嶋田大臣は、顔を引きつらせ、「冗談じゃない…。無理です!」と断ってしまうのだ。
連合艦隊司令長官といえば、海軍軍人なら一度は座りたい顕職なのに、それを「無理!」と断るとは…、これで対米戦争など出来るはずもないのだ。
永野はフーッとため息を漏らしたが、特に策があるわけでもなく、(仕方ない。山本にやらせるしかないかな…)という優柔不断振りであった。
山本が言うように、いつからか日本海軍も官僚海軍になり、政治家のように「やむを得ない…」が流行語のようになってしまっていた。大きな官僚組織にいると危機が目の前に迫っていても、「自分だけは大丈夫…」とでもいうような正常性バイアスにかかってしまうものらしい。
対米英戦争が無理なことは、どの研究機関でも出されている正解なのだが、「やむを得ない…」という言葉を得ると、その正解が否定され、別の解が導き出される。愚かだと言えば、愚かだが、これと同じことが実はアメリカでも起こっていたのだ。

当時のアメリカ政府は、ソ連に強いシンパシーを感じているらしく、ルーズベルト大統領自らが容共主義者であり、ソ連建国をいち早く認めたのもアメリカ政府だった。
ソ連から、「アメリカ政府の仕事を勉強したい…」という申し出があると、大して調べもしないで、ソ連側の人間を政府職員として採用していた。
ソ連から推薦された男たちは非常に優秀で、しばらくすると、政府の要職を占め、ルーズベルト大統領の側近のほとんどが、そういう男たちばかりになっていた。
それに苦言を申すような官僚は、即座に左遷され、だれもが政府人事には口を出せなくなってしまっていた。そのために、アメリカの政策はかなりの部分で社会主義政策に偏り、有名な「ニューディール政策」が失敗したのも、これまでのアメリカの経済政策を無視したことが原因だった。
大統領は、その側近に多くの容共主義者を入れ、日本滅亡を意図していたことは明白であった。
ソ連のスターリンもアメリカのルーズベルトも、アジアに共産主義国を造りたいと念願していた。そして、その土地から有無を言わさずに果実を搾り取る政策を夢見ていたのである。
実際、アメリカの唱える民主主義は、権力者にとっては厄介な代物に見えた。どんな政策も、まずは議会を通し、各省庁での折衝を重ねて予算を取らなければならない。権力者が「やりたい」と願っても、賛成者が少数であれば、権力の行使は出来ないのだ。
そんなまどろっこしい手続きを踏んでいる時間が惜しい。
時の権力者たちは、みんな、民主主義が理想の政治手法だとは考えていなかったのである。時間を惜しむのなら、間違いなく共産主義は手っ取り早い。
権力者の鶴の一声で、国民が一斉にそれに従順にしたがい、それによって得た果実の多くは権力者の物になるのだ。
そんな企みをアジアに持っていたソ連とアメリカは、新しくできた新興国家日本が邪魔でならなかった。
日本には「天皇」がいるが、絶対権力者ではない。そう振る舞おうと思えば出来るものを日本の最高権力者は、自らそれを拒否するのだ。
当初、アメリカもソ連も、「そんなばかな…?」と首を傾げたが、どうもそれは間違いないらしい…ということに気がついた。
日本は、江戸時代という封建社会を経験しながら、民主主義国へと脱皮を図っている最中だった。
スターリンやルーズベルトにしてみれば、「封建主義」こそ、現代に形を変えた「共産主義」であり、絶対者が存在することは、どちらも変わりがなかった。しかし、日本は違う…と気づいた時点で、この両国は、日本を「滅亡」させることに舵を切ったのである。そのために、「ハワイ攻撃」という手の込んだ仕掛けを企んだのだ。
連合艦隊司令長官になった山本五十六という指揮官が、「ハワイ攻撃を考えている…」というニュースが飛び込んできたとき、ルーズベルトは、小躍りして喜んだという。
あの面倒臭い日本が、自ら滅亡しようと死地に飛び込んで来てくれるのだ。「これで、正義はアメリカにある…」
ルーズベルトは側近たちに命じて、このプランが覆らないように徹底した謀略を行った。

昭和16年に入るや否や、
「太平洋の防波堤として、ハワイにアメリカ太平洋艦隊を置く!」
と命じたルーズベルト大統領は、突貫工事でハワイの真珠湾を整備し、アメリカ海軍の艦艇を配備したのだった。それも、その多くは旧式艦で、いずれスクラップにする艦ばかりだった。
見かけは大きいが燃費が悪く、今時、艦隊決戦などありはしない…というのが政府の大方の見方だった。ただ、アメリカ軍には大艦巨砲主義を信奉する勢力があり、「海軍軍人の夢は、大型艦の艦長である」という神話が罷り通っていた。そのために、巨大な旧式戦艦をスクラップしようものなら、現役軍人だけでなく、そのOBや軍人上がりに政治家たちの反発も覚悟しなければならなかった。
それはそれで対応が難しく、この際、日本に一気にやられてしまう方が都合がいい…と嘯く官僚もいるくらいだった。
もし、日本軍が攻撃してきたとしても、旧式軍艦などいくら沈められても大したことはない。人命も海軍軍人が数千人程度死んでも大して問題ならない…と大統領とその側近たちは考えていた。ただ、配備したばかりの航空母艦だけは惜しいので、どこかに退避させておく必要があった。
日本は、開戦前から微弱な電文を発信して、その作戦の準備に入っていたが、そんなものは、既にイギリス製の暗号解読装置によってすべて筒抜けだった。
アメリカ政府は、対日戦勝利に向けて着々と準備を整えていたのである。

ところが…である。
その電文が、とんでもない事実を突きつけてきた。それは、連合艦隊の総力を挙げてハワイに侵攻してくる…という怖ろしい事態だった。
日本海軍の連合艦隊と言えば、世界三大海軍国の一つである日本の主力である。それが、一気にハワイに攻め寄せられれば、いくら無線を傍受していようがいまいが、結果は同じである。
ハワイは軍港だけでなく、ハワイ諸島全島が日本軍の占領下に置かれることを意味していた。
アメリカ政府は、慌てて戦力分析を行ったが、今のままでは、太平洋艦隊は連合艦隊に勝つことは不可能で、基地航空隊なども数時間で壊滅させられるというシュミレーション結果が出たのである。
もし、アメリカに勝利の確率があるとすれば、連合艦隊が北太平洋上に集結し、こちらに向かって進軍してくる公海上で決戦を挑むしかないが、それでは、日本に最初の爆弾を落とさせることが出来ない。
ルーズベルトとその側近たちは、まさかの事態に狼狽していた。それでも、ルーズベルトは、ソ連との密約通り「日本に最初の爆弾を落とさせる」ことに固執した。それが、自分の命取りになろうとは、このときは考えもしなかったのである。
この僅かな時間のロスが、この戦争の行く末を決定づけた。
ルーズベルトの側近たちは、
「もうだめです。日本海軍は、全力を挙げてハワイ攻撃に向かっています。このままでは、ハワイの軍港だけでなく、住民にも多くの死傷者を出してしまいます!」
「こうなった以上、こちらも全力で日本海軍を阻止しましょう…!」
国務大臣のコーデル・ハルも大統領に必死に訴えたが、ルーズベルトは、
「だめだ!」
「それでは、私が日本に謀略を仕掛けたことが分かってしまう危険性がある…。それに、スターリンとの約束が果たせない…」
そう言って、阻止命令を出すことを躊躇ったのだ。
その間にも、山本五十六が指揮する200隻の連合艦隊主力は、刻々とハワイ沖に近づいてきていた。

日本時間、昭和16年12月6日。
遂に、アメリカ大統領は連邦議会に対して「日本がハワイ攻撃に向かっている」という声明を出した。そして、全アメリカ軍に対して、日本海軍への迎撃命令と各基地の防衛強化を指示したのだった。
アメリカ政府が狼狽しながらも対策を採っていたそのときである。世界中の短波放送がある放送を流し始めていた。
なんと、それは、日本の東郷茂徳外務大臣による「日本政府の声明文」だった。それは、朝から三度に渡って流されると、アメリカ国内では大騒ぎになった。
アメリカ人の多くは、朝からラジオのスイッチを入れ、朝のモダンジャズなどを聴くのを楽しみにしていた。それが、この日ばかりは違っていた。
聴くとはなしにチャンネルを回していると、普段とは違う放送が流されているではないか…。
耳を傾けてみると、それは、どうやら日本からの放送らしいのだ。
今、日本とアメリカは、貿易関係を巡って日米交渉を行っているというニュースは、新聞にも度々掲載されており、外交的にも、両国があまり芳しくない関係であることは分かっていたが、それでも、だれもが戦争までのことは予想だにしてはいなかった。
そんなときだけに、多くのアメリカ人は、耳を側立てた。

「こちらは、日本政府外務大臣の東郷茂徳であります。全世界の皆さん。これから、私の話を聞いてください。この放送は、大日本帝国の天皇陛下からのメッセージでもあります…」
そう言うと、東郷は切々と日本が置かれている状況を説明し、日本が戦争などを望まない国民であることを訴えていた。そして、
「…にも関わらず、アメリカ政府は、日本との交渉の座に着くことなく、日本から出されたすべての提案を拒否されました。それだけでなく、アメリカ政府の国務大臣名で我々が妥協出来ない最終案を一方的に提示されました。これから全文を読み上げますので、一緒にお聞きください…」
そう言うと、いわゆる「ハル・ノート」を読み上げ始めたのである。
その東郷外相の沈痛な声の響きは、全世界の人々の心に訴えた。
半ば頃からは、涙声になり、日本国民がどれだけ追い詰められているかを感じさせる悲しみに彩られていった。
最後に、東郷はこう付け加えた。
「アメリカ政府の大統領閣下は、戦争を望まない人物だと思い、私どもも精一杯の妥協案を示したつもりです。しかしながら、経済活動に必要なすべての資源を止められ、我々は決死の覚悟で開戦を決意するに至りました」
「間もなく、日本海軍の主力部隊がハワイ沖に到達します。我が国は、直ちにハワイを攻撃し、これを占領するつもりです。もちろん、ハワイの人々に迷惑をかけることになりますが、日本の心中を察していただきたく思います」
「これを以て、大日本帝国の開戦の決意とさせていただきます。…ありがとうございました」
と結んだ。
ルーズベルトとその側近たちは、その放送が流されたことを知ると「チッ…」と舌打ちをしたが、そのころ、アメリカ国内でとんでもない事件が起ころうとしていた。
それは、アメリカのジョージア州アトランタから始まった。
アトランタは、映画「風と共に去りぬ」の舞台となったアメリカ南部の田舎町である。政治の世界からは遠い、こんな田舎でアメリカを揺るがしかねない問題が起きていた。その当事者は、アトランタの女性たちだった。
彼女たちも、普段からラジオを付けたまま朝の作業に取り組む習慣があった。この日も、ラジオは軽快な音楽を流していた。そのときである。だれかが、いつもと違う外国の音楽でも聞きたい…と短波放送に切り替えた。
その瞬間である。あの日本からの「東郷メッセージ」が耳に入ってきた。その英語は、東洋人が話しているらしいことはすぐにわかった。
「何よ…、音楽に切り替えてよ!」
周囲からそういう声が上がったが、その女性が、
「ちょっと待って!今、何か面白い演説をやっているよ…」
そう言うので、数人がラジオの前に集まって来た。
ラジオから流れる男性の声は、とても誠実で、声質もやや低く、発音も明瞭であった。
「このアナウンサーいいわね…。いい声よ」
そう思いながら聞いていると、とんでもない内容であることに気がついた。          「ち、ちょっと、大変よ。日本海軍が、ハワイ沖まで迫っているんだって…」       「え、戦争…?」
「何で…?」
「でも、大統領は、いかなる戦争にも参加しないって言ったじゃない!」
こうしたやり取りを交わしているうちに、ことの次第がはっきりしてきた。それは、このアナウンサーが、最後には涙声になって切々と日本の窮状を訴えていたからである。
「本当なの?」
「アメリカが戦争を望んでいたなんて?」
「ハル・ノートって何よ?」
そんな不満な声が充満してくると、
「じゃあ、市役所で聞いてきましょうよ」
と小集団の動きとなって始まったものらしい。
もちろん、このラジオ放送の真偽を確かめられる人がいるはずがない。
「だって、戦争よ。戦争になったら、うちの子はどうなるのよ!」
「この前の戦争だって、子供たちが何人もヨーロッパで死んでいるのよ!」
「じゃあ、あんた、説明できる人を呼びなさい!」
こうして、アトランタの田舎町で始まった女性たちの叫び声は、アメリカ政府が気づかないうちに、静かにアメリカ全土に燃え広がっていったのだった。
最初は、アトランタの農村の女性10名で始まった「反戦運動」擬きだったが、アトランタの地元新聞社やラジオ局が取材をすると、その賛同の声はジョージア州全域に広がって行った。
だれもが口々に、
「ねえ、あのトーゴーメッセージ、聞いた…?」
「やっぱり、日本は不思議な国ね…。あんな哀切に満ちた演説を聴かされたら、可哀想になっちゃう…」
「あの声は、日本人の声かしら…」
アメリカ女性が何を見て東郷外務大臣のメッセージに感動したのかは、わからないが、確かにアメリカの政治家が演説をするような激しさは微塵もなく、静かな語り口は、東郷らしさが出ていた。
それにもまして、現職のルーズベルト大統領が、自分たちに嘘を吐いたことの方が重大だった。女性たちは、口々に、
「あのペテン野郎!」
「アメリカ青年を二度と戦争に駆り出さないって言っておきながら、私たちをを騙して戦争に引き摺り込もうなんて…ふざけてる!」
「絶対に戦争は、させないわよ!」
アメリカのマスコミも、まさか、日本からの放送がすべて真実だとは思わなかったが、アメリカ議会が追及すると、大統領は、「ハル・ノート」の存在を認めた。その写しを読んだ議員たちは、
「なんだ、これは?」
「これは、日本への最後通告ではないのか?」
「大統領の議会軽視だ!」
とルーズベルトへの非難の声は高まった。
大手新聞社は、一面に『アメリカ政府、日本に宣戦布告文書交付!』という見出しを付けて、アメリカ政府の対応を非難した。
日本は、最後の最後に、すべての手の内を明かし、世界中の良心に訴えかけたのが功を奏したのだった。しかし、アメリカ政府とルーズベルト大統領は、日本海軍接近の報を聞くと、直ちに、アメリカ太平洋艦隊とハワイ州軍に日本艦隊への備えを命じたのだった。
まさに、日米は最大の緊張状態に入った。

ハワイでは、このニュースが入ると、市民はパニックに陥った。
「日本海軍が、ハワイを占領するらしい…」
「おい、もの凄い艦隊が近づいているって話だ…」
「日系人が、集団で襲ってくるかも知れない」
などという噂話は、勝手に想像して創られ、人々は我先にとハワイから脱出しようと港に急いだが、既に港はアメリカ軍が封鎖し、市民との間で騒動が起きていた。
ハワイ州では、
「港は危険なので少しでも港から離れるように…」
とのアナウンスをすると、多くの市民は渋々家の中に籠もり、銃を手にして日本海軍の来襲に備えるのだった。
このハワイ州でも、東郷メッセージは大きな反響を呼んでおり、反政府運動が各所で起こっていた。
こうして、アメリカ国民とハワイの人々にとって、恐怖の日が来ようとしていたのだった。

第3章 ハワイ沖海中の死闘

そのころ、アメリカ政府内ではルーズベルト大統領やハル国務長官たちが集まって対応を協議していた。
日本の「東郷メッセージ」の放送によって、国内世論は激変し、大統領の罷免運動や反戦運動が広がり、アメリカ政府は窮地に立たされることになった。
アメリカ議会も、政府の日本への経済的圧迫の現状を知ると、大統領に対して、「日本と本気で戦争をする気なのか?」と、上院、下院問わず、説明を求めるために臨時議会を招集するよう強く要請してきていた。
しかし、ルーズベルトとその側近たちは、日本海軍が既にハワイ沖に迫っていることを逆手に取って、
「日本海軍は、その総力を挙げて既にハワイ沖に迫ってきているのだ!」
「これは、アメリカが宣戦布告を受けたことと同じではないか!」
と、強い口調で日本を責めたが、日本政府が、
「交渉のテーブルに着いてくれれば、日本海軍は速やかに引き揚げるであろう…」
という声明を出すと、アメリカ世論は、アメリカ政府が日本政府と交渉するよう求めたのである。
ここに来て、ルーズベルト大統領は苦境に立たされることになった。
アメリカ世論の圧力に屈する形で、日米交渉を再開することになれば、これまで日本に仕掛けてきた謀略が暴かれないとも限らない。もし、アメリカ大統領が二枚舌を使い、国内には「戦争には参加しない」という宣言をして大統領選に勝利しておきながら、一方では、日本をとことんまで追い詰め、罠を仕掛けて日本海軍に初弾を撃たせようと企んでいる。そして、それは、ソ連のスターリンもイギリスのチャーチルも既に承知している…となれば、アメリカ国民への最大に裏切り行為としてマスコミの餌食になるのは必定だった。
もし、こんなことが公に晒されれば、ルーズベルトは一気にその支持を失い、「卑怯者」「裏切り者」と罵られ、弾劾されることは眼に見えている。
これは、アメリカ政府としては、死んでも守らなければならない国家機密なのだ。
しかし、あの誇り高き武士の国である日本が、まさか、日米交渉のすべてを世界にぶちまけるとは、大統領を初め、政府のだれもが想像もしていなかった出来事であった。
ルーズベルトは、怒りに顔を紅潮させ、
「だれでもいい。日本海軍に一泡吹かせて見せろ!」
「あいつらを完膚なきまでに叩き潰すのだ!」
と怒鳴ったが、だれもが下を向き、それに返事をする者はいなかった。
国務大臣のコーデル・ハルが、大統領を宥めようとすると、ルーズベルトは、
「貴様が、あんなものを日本政府に突きつけるから、こんな様になったんだ!」
「全部、貴様のせいだぞ!」
そうハルを罵った瞬間、ルーズベルトは胸を押さえて蹲ってしまった。
高血圧症による狭心症の症状だった。
大統領は、ハア、ハア…と荒い息をしながら、周囲の者の手によって病室へと運ばれるのだった。
それを見ていた海軍長官のウィリアム・ノックスは、一人、日本に対する敵愾心を燃え立たせていた。
(このままでは終われない。こんな連中と一緒に弾劾されれば、俺のキャリアはすべて灰になる。冗談じゃない。見てろ東郷、山本…!)
そして、ノックス長官は、一人動き出したのだった。
大統領が執務室で倒れた…という噂は政府内に広がったが、ノックスは、自分の側近に命じて、あらゆる手を講じ始めていた。

12月7日、午前9時。
一通の電報がハワイの太平洋艦隊司令部に届いた。
それは、アメリカ大統領からの極秘電で送られ、その内容は、直接太平洋艦隊司令長官のみが見ることの出来る電文になっていた。
大統領電は、特殊な暗号化されており、その解読書は司令官の事務室の机の中に一冊あるだけだった。
太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、その電文を受け取ると、チッ…と下を鳴らし、その電文を訳してみた。そこには、極秘の作戦命令が書かれていたのだ。
「大統領発 太平洋艦隊司令長官宛テ
極秘に潜水艦10隻ヲ出撃サセ、山本五十六ガ乗ル戦艦大和ヲ撃沈セヨ!」
というものだった。
要するに、日米交渉にあたり、この作戦の指揮を執っている日本の頭脳を葬ることで、交渉を有利に運びたいという大統領の意思が隠されているのが、すぐに理解出来た。
(あの男は、何を考えているんだ?)
(そんなことをしても、国内世論は収まらないぞ…)
と、そのとき、
(大統領は、確か、執務室で倒れたんじゃないのか…?)
そう考えたが、この電報は間違いなく大統領府から発信されている。
(だとしたら、だれが、これを作成したかだ…?)
ニミッツは、少し考えていたが、すぐに「ノックスだ…」と気がついた。
(奴は野心家だ。あんな大統領と心中するような男じゃない。だとすれば、少しでも日米交渉がアメリカ海軍に有利になるようにと、余計な画策をしているに違いない…)
(そうか、奴は、自分だけでも生き延びようとしているんだ…。ノックスらしい)
そう思い、この電文をゴミ箱に捨ててやろうか…とも考えたが、もう一度、それを開いて見直した。そして、
(だが、この策に乗ってみるのも面白いかも知れんな…)
ニミッツにしてみても、このまま日本の思うがままにしてやられるのは、アメリカ海軍の司令長官として面白くはない。だったら、この電報が正式である以上、乗ってみるのも一興だと考えたのだった。
ニミッツは、その電文を睨みながら、どうするべきかを考えていたが、大統領命令が極秘電で来たものを無視することは出来ない。それに、この命令を発することができるのは、大統領だけなのだ。
もし、これに逆らえば、海軍大将まで上り詰めた自分のキャリアがすべてフイになり、即座に予備役に回されるだろう。場合によっては「抗命罪」に問われることだってあり得る。
ニミッツに選択の余地はなかった。
(くそっ、ノックスの野郎。あの男を海軍長官なんぞにするんじゃなかった…!)
そう罵ったが、大統領命令となれば仕方がない。
(これからは、俺は俺でやってやるぜ…)
ニミッツは、潜水艦部隊のハワード部長に電話をかけた。
「本日、午前11時に10名の潜水艦長を司令部に出頭させよ!」
ハワード部長は、不審に思ったが、ニミッツは、
「極秘命令が出された。有無を言う権利は我々にはない!」
そう告げると、怒りに震える手で受話器を荒々しく置くのだった。
ハワード部長は、ニミッツの「極秘命令…」に引っ掛かったが、海軍士官になったとき、「大統領からの極秘電は、拒否できない!」と指示されていたことを思い出していた。そのときは、(大統領って偉いんだな…)ぐらいしか思わなかったが、実際にその言葉を聞くと、背中にゾクッとする悪寒を感じたのだった。それは、(もし、この指令がとんでもない事態を招いたら…)という怖れだった。
と言うのも、既にアメリカ全土では大統領に対する不信感は高まり、反政府運動や反戦運動は、合衆国全土に広がっていたからである。しかし、アメリカ合衆国に忠誠を誓った海軍軍人として、大統領命令に背くことは死んでもできない…掟があった。
そう思うと、ハワードの心も固まった。
ハワードは、副官のリチャード中尉を呼ぶと、現在パール・ハーバーに在泊している潜水艦名と艦長名の名簿を持ってくるように指示を出した。そして、その名簿順にしたがって司令部への出頭を命じたのだった。

12月7日、午後1時。
10人の潜水艦長が、太平洋艦隊司令部に出頭した。
その10人の隣にいるのが艦隊の潜水艦部隊の部長であるハワード大佐である。10人は最高司令官であるニミッツ大将から直々に話があると聞かされ、緊張した面持ちでその場に立っていた。
そこに、ニミッツ大将が、副官と共に10人の男たちの前に現れた。
ハワード大佐は、「敬礼!」と号令をかけると、男たちは一斉に敬礼し、無言のままじっと前を見据えていた。
アメリカ海軍といえども、正式な命令を受領するときは、厳粛な儀式を伴うのだ。まして、自分たちの最高司令官から直接声をかけて貰う機会など滅多にあるものではなく、10人は、それぞれが緊張して顔を赤らめていた。
ニミッツは、10人を前にすると、緊張した面持ちで話し始めた。
どうみても、ニミッツ司令長官は動揺を隠せないようだったが、それでも、自分に言い聞かせるように、
「まあ、潜水艦艦長の諸君。そう固くならずに…」
と少しだけ笑顔を見せたが、それは、艦長たちの緊張を解こうという優しさではなく、自分の緊張を和らげる言葉だったのかも知れない。そして、急に大きな声を上げて、
「これより、大統領閣下からの極秘任務を申し渡す!」
と宣言してから、ゴホン…と咳払いを一つして、トーンを下げた声で、
「ハワイ沖に向かっている日本海軍の戦艦大和を撃沈せよ!」
と命じたのだった。
艦長たちは、心の中で(戦艦大和…? なんだ、それは?)と自問自答したが、答えは見つからなかった。
なぜなら、日本海軍の戦艦「大和」はこの12月に初めて洋上に出て来た日本の秘密兵器だったからである。
すると、各艦長たちにその写真が手渡された。
ニミッツ司令官の側に来ていた情報部長のマック少将が説明をした。
「これは、ミッドウェイ島の航空部隊が、大和を写した貴重な写真である。見ての通り、これまでにない大型艦で、これが日本海軍の旗艦だと思われる」
「相当の武装を施されているだけでなく、周囲には、大和を取り囲むように駆逐艦が厳戒態勢を敷いている」
「さらに、潜水艦が10隻ほどは前線に潜んでいるという情報もある。したがって、この包囲網を潜り抜けて大和に魚雷を当てるのは至難だということは、わかるだろう…」
「だが、大統領命令が出た以上、海軍に拒否権はない。そのつもりで、出撃して貰いたい。以上だ…。何か、質問はあるかね…?」
すると、一番端にいた小柄な男が一人手を挙げた。デビル・フィッシュの艦長、サンダース少佐である。
サンダースは、
「司令官、了解いたしました。ただし、条件があります…」
そう言うと、ニミッツ司令官の方を向き、
「失礼ながら、この作戦は、私には非常に無謀な作戦のように思われます。したがって、本作戦にあたり、我々、各潜水艦の艦長にすべての権限を与えてください」
「もう、時間がありません。各艦、各々の判断で出撃し、大和を攻撃します。失礼ながら、司令部への連絡は自由とさせていただきたい…」
「如何ですか?」
それは、アメリカ海軍の指揮命令を受けずに行動するということを意味していた。
思わずハワード大佐が、口を挟もうとしたそのときである。ニミッツ司令官は、サンダースの顔を見詰めながら、
「いいだろう。必要な物は何でも積んで行け!」
「司令部が君たちの行動が把握できないとすれば、当然、日本海軍も君たちの動きに幻惑されることだろう…。一か八かの勝負だ。認めよう…」
そう言うと、10人の男たちは、納得したような顔をしてニミッツ司令官に敬礼をするのだった。
こうして、サンダース少佐のデビル・フィッシュ号を初めとした10隻のアメリカ海軍の潜水艦は、人知れずにパール・ハーバーを出撃していったのだった。
表向きには、訓練航海ということだったが、実際は、「大統領の刺客」としての密命を帯びた出撃であり、それは、命懸けの仕事でもあった。
艦長たちは、それぞれの考えに従って攻撃方法を練っていた。
ただし、敵艦隊は強大であり、これまで経験したことのない大物である。こうして敵の巣の中に飛び込むのだから、生きて還れる可能性は著しく低かった。その上、成功して帰還しても賞賛を得られる可能性もない。
だれもが、今のアメリカ政府に対する世間の評価は低く、「裏切り者」の声は、このハワイにも響いているのだ。
だが、合衆国軍人として、強大な敵を前にして怯むことは出来ない。逆に、そんな大きな獲物が目の前に現れたのだ。ハンターとして、これを見逃すことは海軍軍人としてプライドが許さなかった。それが、アメリカの「スピリッツ」なのだ。
サンダースは、腹の底からメラメラと敵愾心が湧いてくるのを抑えきれなかった。
(大統領命令だか何だか知らないが、敵を目の前にしておめおめと引き下がれるか!)
(やってやる! 絶対に、俺が仕留める!)
(俺の獲物だ! だれにも邪魔させやしないぜ!)
それは、アメリカに南米移民として入国して以来、偏見や差別と戦い続けてきたサンダース一族の闘争本能だったのかも知れない。
サンダースが、乗組員に声をかけた。
「おい、野郎共!」
「敵はでっかい大物だ!」
「大統領からのお墨付きも貰った!」
「こいつを仕留めて、世界中にデビル・フィッシュの名を轟かせてやろうぜ!」
そう叫ぶと、艦内から一斉に歓声が上がるのだった。
太平洋艦隊の兵隊たちにしてみれば、ここまで日本にいいようにやられては、アメリカ海軍の沽券に関わる…と、拳を握りしめていたのだが、ようやく、潜水艦部隊にその拳を振り下ろすチャンスが巡ってきたのだ。
だれもが、おめおめと白旗なんて揚げてたまるか…という敵愾心に燃えていたのだった。
彼らからしてみれば、大統領やアメリカ政府はどうしようもない連中かも知れないが、戦いとなれば別なのだ。
やる以上は、敵を徹底的に殲滅するまでやる…というのが、フロンティア・スピリッツというやつだ…ということを当時の日本人で知る者はいなかった。

サンダース艦長たちは、必要な物資を艦内に積み込むと、各々の判断で静かに港を離れていった。そして、それは非常な戦いの幕開けであった。
サンダース艦長が指揮するデビル・フィッシュは、比較的新しい艦ではあったが、それでも潜行深度は120mが限界だった。ただ、レーダーやソナーなどの装備品は一流で、ドイツ製の物と遜色ないくらい性能がよかった。それに、艦長のサンダースは、アリゾナ州の海育ちで、子供のころから漁船に乗って漁をしていたような男だった。そのためか、動物的直感力があり、部下たちは、最新の装備よりも艦長の勘を信じるような不思議な力を持っていた。
ある訓練航海のときなどは、急に艦を浮上させたかと思うと、艦橋に上がり、じっと空を見上げるなり、
「おい、急いで帰港する。天気が急変するから、これから深度50に潜行!」
それは、だれもがまったく予想していない事態だった。レーダーにもそんな反応はなく、波を穏やかで、だれもが艦長の言葉を疑ったが、それは間もなく現実となった。
潜水艦は、海中では強いが浮上時が一番弱いのだ。
大波が艦に当たれば、ひっくり返ることも考えられるし、衝撃によって艦体に傷つくこともあった。そのために、荒天侍には深く潜ることが鉄則だったが、こんな晴天時にそれはない…と部下たちは艦長の命令を半信半疑で聞いていた。
ところがである。デビル・フィッシュが深度30を過ぎたころになると、艦が大きく揺れ始めるではないか。
海上では艦長が言うとおり、急なスコールがやって来て、強風が吹き荒れたのだった。
デビル・フィッシュは、深度50mで停止し、しばらく様子を見た上で、浮上してみた。すると、周囲の船から「SOS信号」が多く入り、そのまま民間船の救助に当たった経験があった。
それ以来、デビル・フィッシュの乗組員は、最新機器よりサンダース艦長の方を見て判断することが多くなっていたのだ。
今回も、乗組員たちは、(艦長を信じてついていけば間違いない…)と進路を北に取るのだった。

そのころ「イ号001潜」の山吉は、ハワイ沖の海中に潜み、アメリカや各国の情報をいち早くキャッチし、連合艦隊旗艦大和に暗号無電で送信していた。
当然、ハワイの太平洋艦隊司令部では、微弱な電波が、ハワイ南西沖から発信されていることに気づいていたが、それを突き止めるまでには至っていなかった。ただ、海上艦艇でないことだけは確かであり、日本の潜水艦からの発信であることは見当がついていた。
情報部のマック少将ことマクドナルド少将は、その無電を傍受すると、すぐにニミッツ司令官の元に、その電文を報せるのだった。
「司令官、ハワイ南西沖の海中から頻繁にある無電が発信されております」
ニミッツは、怪訝な表情を見せて、その電文のコピーを手に取ると、
「…ふん。暗号数字のようだね…。解読はできるのか?」
マック情報部長は、
「いえ、文が短く、すべて数字で表されておりますので、情報量が少なすぎます…」
「ただ、かなり微弱な電波ですので、そう遠くに送っている可能性は低く、あるとすれば、潜水艦からかなりの情報機器を備えた戦艦に送っているものと想定できますが…」
「なるほど、ヤマモト宛てか…?」
「おそらくは…」
ニミッツはしばらく考えると、一つの結論を出した。
「こちらの動きを察知されても困る。今のところは、知らん振りをしておけ…」
そう言って、不安気な表情で港に眼を向けるのだった。

山吉は、危険を冒しながら、ハワイ周辺とパール・ハーバーの状況を詳細に調べ上げていた。夜には、各地で灯りが煌々と点灯され、町に戦時体制が敷かれている様子は見られなかった。
軍港内も賑やかで、小艦艇の出港はあるが、どれも訓練のために出港のようで、慌ただしい動きは見られなかった。
その間にも、日本海軍の連合艦隊は、少しずつハワイ沖まで進んでいるのだ。ここまで来れば、その動向は、アメリカ政府に把握されているはずだが、敵が攻撃のために出撃してくる兆候はない。それが、逆に疑わしくもあった。
技術将校の神戸(カール)は、そんなアメリカの動きをこう分析していた。
「今のアメリカは、あの東郷メッセージによって、国民世論に火がついてしまっています」
「それに、ルーズベルト大統領は、戦争には参加しないという公約を破ったことで、国民の批判に晒され、政治家生命の危機に晒されています」
「でも、もし、仮に日本がハワイに先制攻撃をかけてきた…ということになれば、話は変わります。まして、連合艦隊は間もなくハワイ近海にまで近づいているのですから…」
「ここで、不測の事態が起きて、アメリカ軍が攻撃を受ければ、当然、アメリカ軍は国土防衛戦と称して、全力で日本海軍に向かって来るはずです。そのときが、大統領が世論を覆すことの出来る唯一のチャンスなのですよ…」
「だとしたら、そうするように、何かを仕掛けてくると考えるのが自然でしょう…」
「今、アメリカ海軍が静寂を保っているのは、その機会を窺っているからに違いありません」
そこまで聞くと、山吉も副長の芝山も(うーん…)と唸るばかりだった。
そこで「あっ!」という声を上げたのは芝山だった。
芝山大尉は、
「おい、神戸。おまえの言う通りだとしたら、アメリカは密かに動き出していることになる…」
「だとそれば、ねらいは…」
「大和だ!」
山吉と芝山が同時に声を上げた。
神戸は、
「そうですよ…。敵は潜水艦を使って大和を攻撃させ、反撃するための攻撃を以て、日本が先制攻撃をかけてきた…と宣伝するのです。そうすれば、アメリカ軍は堂々と正義を主張して戦うことが出来ますからね…」
「潜水艦なら大和を密かに魚雷で狙い撃ちをすることが可能です」
山吉は、そこまで聞くと(なるほど…)と感心するのだった。
「そうか。その潜水艦に対して連合艦隊が反撃すれば、日本の先制攻撃にも見えるという寸法か…?」
そう言うと、三人は、海図を前に、敵の潜水艦が潜みそうな箇所を探し始めた。
山吉は、神戸に、
「敵の潜水艦は、何隻ぐらいが出てくるんだ?」
「おそらく、多くて10隻…。それ以上は無理です。それも、極秘任務として秘密裏に動き出しているはずです」
(ふむ…)と頷いて、「おい、副長、しばらく指揮を任せる…」そう言うと、山吉は艦長室に入っていった。

山吉は、この10隻の潜水艦と戦う覚悟をしていた。
おそらく、このアメリカの意図に気づいたのは、我々「イ号001潜」だけだろう。そうなると、容易にこのことを大和の山本長官に報せることも出来ない。
いくら特殊暗号を打つにしても、万が一、解読されないとも限らないからだ。
こちらが有利なのは、敵がまだ我々の位置を特定出来ていない…ということだ。それに、日本の潜水艦だと気づかれても、それが新型Uボートだと気づくには相当の時間がかかる。
幸い、こちらには最新式の装備と深海にまで潜る性能を持った艦を持っている。こちらの性能が把握されなければ、勝負は数ではない。
山吉が、艦長室に籠もって1時間が経過したころ、神戸たちも海図に敵が潜みそうな地点を割り出していた。
潜水艦は、国によって性能は様々だが、戦い安い海域は決まっている。それは、第一に、広く深い海であることが第一条件になる。
深度が浅いと南国の海では、上空から発見されてしまうのだ。それに、爆雷攻撃を受けやすくなり、狭く浅い海では、どんなに性能のいい潜水艦であっても駆逐艦に勝てる術はない。
そして、広い海なら岩場や珊瑚礁が少なく、潜水艦にとって動きやすい海域になる。だが、腕のいい艦長なら、敢えて岩場や珊瑚の多い海域を選ぶかも知れない。それは、ソナーが岩などに反響して隠れやすいのだ。
そう想定してみると、海域は限られていた。
そこに、大和が入ってくる時間は限られている。そうなると、優秀な艦長なら、一旦は岩場に潜み、大和の動向を見てその海域に出て魚雷を撃つだろう。それしか、大和に勝つ道はない。
なら、こちらは一隻の敵潜を発見した時点で、無電で「敵潜発見!」を報せると同時に、その敵を先に潰さなければならない。逆に発見が遅れれば、こちらに敵潜の魚雷が撃ち込まれることになる。
(これは、かなりの神経戦になるな…?)
山吉は、山本五十六から言われた最後の言葉を思い出していた。
(私の最初で最後の作戦を支援してほしい…)
確かに「最初で最後の作戦」だと山本長官は言っていた。そのためには、ここでアメリカ海軍との一大決戦の上、決着をつけるつもりなのだ。
今なら、世界中の眼は、ここハワイ沖に注がれていることは明白である。
この世界が注目している中で日米決戦が行われれば、新たな時代が開かれるかも知れない…。それは、山吉自身の願望だったのかも知れないが、一か八かでも賭けるしかない勝負に思えた。
(よし、アメリカの潜水艦部隊が相手なら、相手に不足はない…。この「イ号001潜」の力を見せてやる)
そして、この戦いで戦争を終わらせようと誓うのだった。

山吉の率いる「イ号001潜」は、深度150mの海底を静かに敵潜が潜んでいると思われる海域に進んで行った。
アメリカの潜水艦の限界深度はおよそ120mで、日本の潜水艦とそう変わらなかった。そうなると、通常は70m程度で潜んでいるはずで、限界深度にまで潜るのは、余程の緊急事態が起きた時だけである。
潜水艦のソナーは通常、海上の駆逐艦などの小艦艇を探知するために海上に向けられていることが多い。したがって、水深150mを通常深度で進んで行く「イ号001潜」を発見することは極めて難しいことになる。
そう判断した山吉は、速度をできる限り落とし、スクリューの回転数を減らすことで、音を極限まで消し去った。この回転数なら、日本の艦艇にはまず見つかることはない。
逆に、こちらのソナーと音響探知機はできる限りの音を拾うために、感度を最高にしてあった。そのため、ヘッドホンを付けている担当兵曹は、常に高音を耳にすることになり、10分程度で交替する必要があった。
神戸大尉もその仲間に加わり、苦しそうな顔をしながらヘッドホンから聞こえる微細な音に神経を尖らせていた。

サンダース少佐の率いるアメリカ潜水艦デビル・フィッシュは、山吉たちの考えていたとおり、ハワイの海溝に入る直前の岩場に潜み、その時を待ち構えていた。
サンダースは海図を眺め、絶好の位置に艦を誘導していた。ここなら、敵のソナーや音響探知機も乱反射して潜水艦が潜んでいることに気づく確率はかなり低くなる。まして、連合艦隊の戦艦群が来るとなれば、まるでラッパを吹きながら行進するようなもので、勝負はこちらのものとなる。
おそらく他の9隻の味方潜水艦も同様に、岩場の陰に潜み、敵艦隊の通過を待っているはずだ。
チャンスは一回しか訪れない。出会い頭にすべての魚雷を大和に放つ。
サンダースはそう考えていた。
サンダースは、乗組員にも、
「いいか、絶対に物音を立てるんじゃない!」
「敵艦に気づかれたら、一巻の終わりだ。奴らは、オーケストラの大行進でやって来る。それまでの辛抱だ!」
そう言って、乗組員を励ました。それでも、休息を取る乗組員には、多少の音楽や煙草を許可しなければならなかった。
そんな辛抱の時間が20時間を超えたときである。
サンダースは、自らヘッドホンを耳にしていたとき、嫌な胸騒ぎを覚えた。これは、一種の勘みたいなものだったが、子供のころから海で暮らしていたサンダースだけが身につけた「野性の勘」というものかも知れなかった。
サンダースは、
「おい、下に何かいるぞ…」
「よく聞いて見ろ。下だ、下だ。俺たちよりずっと下に何かいる!」
しかし、副長のリチャード大尉が聞いても、航海士のスペンサー少尉が聞いても答えは「NO…!」だった。
だが、サンダースは、己の勘を信じることにした。
「おい、リチャード。何かが来る。前進全速だ!」
命令を受けたエンジンルームは、急いでエンジンの回転数を上げてスクリューを回した。
その瞬間である。
キーン!という大きな金属音を残して、何かが艦の脇をすり抜けていく気配をだれもが感じていた。
「魚雷だ。敵の魚雷攻撃だ!」
サンダースが潜望鏡で音のする方角を見ると、たくさんの気泡が見えた。
間違いない。魚雷攻撃を受けたのだ。
もし、一瞬でも起動が遅れれば、間違いなくこのデビル・フィッシュは為す術なく、轟沈していたはずなのだ。
艦内は一時パニックに陥ったが、サンダースがマイクに向かって、
「落ち着け!魚雷は回避した!」
「次が来るぞ。このまま限界深度120mに向かう!」
「スクリューを回せ!」
「ソナーに何か映ったか?」
「敵潜を発見次第、後方から魚雷を発射する!」
「準備、急げ!」
このデビル・フィッシュには、後方に二基の魚雷発射管が装備されており、対潜水艦戦が想定されていたのだ。
要するに、深い海に逃げると見せかけて、2本の魚雷を発射するのだ。真っ直ぐに追いかけてくる敵なら、間違いなく魚雷は命中する。サンダースは、逆転勝利をねらっていた。

「魚雷。目標から遠ざかります!」
魚雷発射室から落胆の声が聞こえてきた。
「やはり、敵潜はいたな…」
山吉は、そう呟くと、
「よし、敵潜を追う。ただし、あまり接近するな。敵潜には後部魚雷発射管がある…。注意せよ!」
これは、既にアメリカにいる日本の諜報員から日本の潜水艦部隊にもたらされていた情報だった。
戦前、アメリカ海軍は新鋭艦のカタログを専門誌に掲載し、その性能を広く周知していたのだ。もちろん、一般向けではないが、特に手に入りにくい代物ではない。そこに、「後部発射管」が写っている写真が掲載されていたのだった。それで、山吉も事前に知っていたのだが、この敵潜にそれが装備されている可能性があった。
だからこそ、敵の性能をこの際見極めたいと魚雷発射のタイミングを少しずらしたのだ。もし、魚雷が命中すれば、それは敵潜の艦長の能力がそこまでしかない…ということになる。
所詮は死ぬ運命だった…と諦めるしかないのが軍人というものだろう。
それに、こちらから攻撃して敵潜水艦を撃沈してしまえば、アメリカ政府に戦争の口実を敵に与えることになる。
山本長官もそれを怖れていたからこそ、未だにハワイの領海には侵入していないのだ。公海上であれば、それが軍艦であろうと「戦争開始」とはならないギリギリのところで、交渉を勝ち取る気でいることは、山吉にも察しはついていた。
だが、これも大きな賭には違いない。
戦闘は、先を制した者が勝つ…のは、兵法のイロハである。
先祖の山吉新八郎が、吉良邸で深手を負うことになったのも、先手を赤穂浪士に打たれたからである。だからこそ、「先手必勝」こそが、山吉の家に代々伝わる家訓ではあったが、今回ばかりは「後を制した」ことになった。
次は、間違いなく敵潜からの攻撃がある。
それを予測し、敵潜を叩かなければならない。それは、潜水艦乗りとして非常に難しい作戦でもあった。一歩間違えば、こちらがやられる。それは、乗組員70名の命を的にするようなものなのだ。
「それでも、やるしかない!」
山吉は、「イ号001潜」の乗組員全員を信じた。そして、自分の判断を信じたのだ。

サンダース艦長は、一瞬の判断で最大の危機を脱したかに思えたが、敵が目の前にいることに戦慄を覚えていた。
(気づかなかった…。俺は何も気づかなかった…。この俺が…)
それは、今までに味わったことのない屈辱だった。
幸い回避したとはいえ、すぐ側にいた敵に気づかないとは…。
頭が熱くなり、冷静さを失いかけたが、それでも命令は着実だった。
「そのまま、急速潜行!」
を命じると、一気に汗が噴き出してきた。
(くそっ、これが実戦か?)
フロンティア・スピリッツの塊のような男でも、死を目前にすると冷静ではいられなかった。こめかみの血管が浮き出て来て、ドクン、ドクン…と脈打っているのがわかる。
息を殺してはいるが、心臓が通常の三倍ほどの速さで波打っていた。
頭の芯はボウッ…と痺れたままだったが、いつ、さっきの敵潜が襲ってくるかも分からないのだ。
サンダースは、息を整えながら、後部魚雷室を呼び出した。
「副水雷長。後部発射管に魚雷装填!」
「いつでも発射できるようにしておけ! いいな!」
そう命じると、ソナーと音響探知機のモニターに眼を凝らし、
「発見次第、後部魚雷を撃つ!」
「敵が真後ろに来たときがチャンスだ!」
そう言うと、グングン沈降していく艦と深度計の針の動きを見ていた。
角度がつきすぎると、制御出来なくなり、そのまま深海に引き込まれ艦は圧壊してしまうのだ。
真後ろに敵艦がいないことを確認すると、深度100mで艦を水平に戻した。
(だが、敵潜は必ずいる。俺たちの真後ろについて、魚雷を撃つはずだ…)
「そのときが、貴様の終わりだ…」
勝負は、どちらが先に撃つか…にかかっている。しかし、敵潜は真後ろに映らない。
(おかしい。何処へ消えたと言うのだ?)
そう思ったとき、いきなり、音響探知機が反応した。
「感度4!」
「敵潜です!」
「魚雷発射管が開きました!」
ヘッドホンを付けている探知機担当の兵曹が叫ぶのと、サンダース少佐が魚雷発射を命じるのが同時だった。
「後部魚雷、撃て!」
ガゴーン!という音と共に後部から二本の魚雷が真後ろに発射された。しかし、サンダースは確信があって撃ったのではない。
敵が魚雷を発射した…という恐怖心から命じただけだった。そして、
「面舵いっぱい! 急げ!」
そう叫んで、操舵手に転舵を命じたのだった。
そのときである。
ガゴーン…!
衝撃が艦全体を襲った。
ライトが点滅したかと思うとフッと消えた。
「非常灯を点けろ!」
艦は、ガタガタと揺れながら次第に静かになっていった。
非常灯はオレンジ色に光っていたが、既に手元の計器を見るぐらいが精一杯の明るさだった。
そして、再度、デビル・フィッシュの最後尾で爆発音が響き渡った。
間違いない、被弾したのだ。
「畜生!」
サンダースは、唇を嚙むとそう叫んでいた。
そこに、
「スクリュー破損!」
「後部魚雷室に浸水!」
「だめです。もう、持ちません!」
サンダースは、もう一度命令をするのだった。
「メインタンク、ブロー!」
「急速浮上に移る…」
「後部魚雷室はハッチを閉めて、避難せよ!」
デビル・フィッシュは、そのスクリューを敵潜の魚雷で破壊され、潜水艦としての動力を失ったのだった。そして、サンダース艦長の必死の操艦でハワイ沖に浮上したときに彼が見た物は、巨大な戦艦と無数の艦艇の姿だった。

山吉が予想した通り、敵潜は深度100mで直進するのがわかった。それは、間違いなく「イ号001潜」を誘う動きだった。
もし、山吉がそのまま追尾を命じ、敵艦の背後につけば、間違いなく敵艦は、後部に備えた魚雷を発射しただろう。そうなれば、万事休すである。
「イ号001潜」は正面から敵の魚雷を喰らい、瞬時にして海の藻屑となったことは間違いない。しかし、山吉は、深度を120mに保ち、20m差を付けて追尾していたのだ。
アメリカ海軍が入手している日本の潜水艦のカタログでは、深度性能はおよそ90mでしかない。無理をしても100mが限界なのだ。敵潜の艦長は、それを想定していたはずだが、この「イ号001潜」は、新型Uボートであることは極秘中の極秘事項だった。だからこそ、山本長官はこの艦をどこの所属にも置かず、自由作戦行動を認めたのだ。それが、ここに来て功を奏した。
山吉は、敵潜を追尾するのに20m差を設けることで、敵艦の後部魚雷攻撃を未然に防ぎ、自らは装備されているドイツ製のホーミング魚雷を発射したのだった。
ホーミング魚雷は、敵艦のスクリュー音を探知して追尾する魚雷である。
もちろん、まともに当たれば、敵潜などは木っ葉微塵になってしまうが、敵潜の艦長が優れていれば、当然、素早く回避行動を取るに決まっている。
上手くいけば、敵潜を破壊しないで戦闘不能にすることが可能なのだ。
山吉は、それに賭けた。
ソナーと音響探知機のモニターを集中している神戸から声がかかった。
「艦長。間もなく敵潜との距離がホーミングの射程に入ります…」
「わかった…。射程内の入った時点でホーミングを撃つ」
「水雷長。魚雷戦用意!」
「ホーミング2本で攻撃する!」
神戸が、モニターを見ながら発射のタイミングを計った。
「10秒前…、5秒前、3、2、1!」
山吉がすかさず、命令を発した。
「撃て!」
「イ号001潜」の前部魚雷発射管が、ガゴン!という音を立てると2本のホーミング魚雷が発射された。これで、敵潜は、魚雷攻撃を受けたことを覚るだろう。
(さあ、来い!)
(上手く退避してくれよ!)
すると、神戸が声を上げた。
「敵潜、回避行動に入りました。ホーミングが追尾しています!」
そして、その10秒後に爆発音が響いた。
ドカーン! ガラガラガラ…。
「ホーミング1本、敵艦に命中!」
それと同時に、艦内が湧いた。そして、
「さすがドイツ製だ…。うまく当たりおった…」
との声があちこちから聞こえた。
2本のホーミング魚雷のうち1本は、敵艦の急激な操作のために目標を見失って敵艦の脇をすり抜けたようだった。しかし、残りの1本が山吉が考えていた通り、敵艦のスクリュー周辺に命中したのだ。これで、敵潜が浮上してくれれば、満点である。
山吉にしても、戦争開始前に敵潜を沈没させ、乗組員全員を戦死させるのは忍びなかった。できれば、浮上したところを連合艦隊の手で捕虜にして欲しかったのだ。
山吉は、敵潜一隻大破の戦果を見届けると、旗艦大和に無電を打った。
「敵潜水艦一隻大破。浮上シダイ拿捕サレタシ…」
「尚、他ニ複数ノ潜水艦アリ。厳重警戒ヲ要ス」
これで、敵の潜水艦による隠密作戦は暴かれた。
後は、駆逐艦部隊が敵潜を制圧するだけである。
神戸は、ホッとした顔をしてヘッドホンを置くと、司令塔にいる山吉、芝山と固い握手を交わすのだった。そして、山吉に向かって、
「艦長は、すばらしい戦略家だ。ドイツ海軍のどの指揮官より優秀かも知れません…」
と笑顔を見せるのだった。

第3章 ハワイ沖大海戦

「イ号001潜」がハワイ沖の海中で戦闘を繰り広げていたとき、山本五十六率いる連合艦隊の主力は、ゆっくりとハワイの領海に近づいていた。
その間に「イ号001潜」から特殊暗号電報が送られ、ハワイ周辺の状況を知ることが出来ていた。
側に来た山口参謀長は、
「山吉…でしたっけ。さすがに長官が眼を付けた男です。冷静ですな…」
そう言うと、山本は、
「奴は、こんなもんじゃない。本当の潜水艦戦を知る男だよ。あいつなら、日本海軍の潜水艦を180度変えてくれるんじゃないのか…?」
そう言うと、自信ありげに山口を見るのだった。
しばらくすると、通信参謀から、
「間もなく、日本からの短波放送が入ります。全艦に流します…」
「おう、そうしてくれ!」
山本が答えると、ジジジジ…という雑音に続いて英語での放送が耳に入った。英語で話はしているが、声は間違いなく東郷外務大臣である。
(東郷さん…、やりましたね)
それは、天皇陛下に裁可されたことを意味していた。
山本は、この東郷外務大臣の短波放送を旗艦大和の艦橋で聴いていた。そして、外務大臣の決断に頭を下げるのだった。

山本は、出撃する前、必死になって日米開戦を止めようと画策したが、どれも上手くはいかなかった。閣議では東郷外相が一人、日米開戦に反対し続けたが、だれもが「やむを得ない…」のひと言で片づけようとする軽さに腹を立てていた。
当時の外務省は、陸軍や海軍と同じように、その庁舎の地下に「情報・暗号解析班」を持ち、常に世界中から集められる情報を収集し、外交に生かす努力を重ねていた。
山本は、海軍次官のころから東郷茂徳とは親しくしており、お互いの情報を共有する関係性を築いていたのだ。外務省の「解析班」の分析力は、海軍のそれ以上に信憑性が高く、海軍でも驚くような情報がもたらされることがあった。
東郷は、ドイツ通の外交官で、もし外交官でなかったらドイツ文学の学者として有名になっていただろうと言われていた。夫人もドイツ人である。
東郷の思考は、まさにドイツ仕込みの合理性と科学性にあった。その東郷が、この日米戦争を了とするはずがない。外務省が数年にわたって日本の国力とアメリカのそれを分析した結果、勝算は「30%」と出た。
そして、この30%の勝つ可能性は、たったの「一日」なのだ。
東郷は、この分析結果を持って山本を訪れた。そして、
「いいですか、山本さん。日米がもし戦えば、今のところ、勝算は3割しかありません。それも、たった一日で決着をつけなければ、確率はさらに悪化し、一週間後には、2割を切ることになります」
「後は、この2割が限りなく0になるだけのことです…」
「そして、戦争が3年も続けば、日本人の死傷者数は約300万人という試算が出ています。これでも、あなたは、戦争をやりますか?」
「私は、政府内で必死にこの無謀な戦争を止める努力をしますが、あなたも海軍の実戦部隊の指揮官として、戦争にならないよう…お願いします」
そう言って頭を下げるのだった。
山本は、東郷外務大臣と密かに連携し、開戦阻止に動いていたのだ。しかし、二人の奮闘も空しく、最後の御前会議で陛下の平和を望むお言葉を賜りながら、永野軍令部総長は、
「戦わざれば亡国。戦うもまた亡国につながるやもしれぬ。しかし、戦わずして国亡びた場合、魂まで失った真の亡国である。しかして、最後の一兵まで戦うことによってのみ、死中に活路を見出せるであろう。戦ってよしんば勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残れば、我等の子孫は再三再起するであろう。そして、いったん戦争と決定せられた場合、我等軍人はただただ大命一下戦いに赴くのみである」
そう語り、海軍の開戦の決意を述べたのだった。
それを東郷から聞いた山本は、
「ああ、永野さんらしい言葉だな…」
「ああやって綺麗事で、悲劇を誤魔化してしまう癖がある」
「戦争は、綺麗事では済まぬのだ!」
「だが、俺は亡国にはさせぬ!させてなるものか!」
そして、山本と東郷が考えた秘策が、連合艦隊総力による「ハワイ攻撃」と外務省による「東郷メッセージ」だったのだ。
もし、これに敗れれば間違いなく日本は亡国となるだろう。そのときは、永野の言うとおりだと思う。しかし、山本は、日本国民と世界の人々を信じようと思った。
なぜなら、アメリカ国民にも普通の人々の暮らしがあり家庭があるのだ。
若いころに行ったアメリカの人々は、だれもが優しく愛に溢れていた。
田舎の小さな町では、年寄りから子供まで一緒になって農場で働き、若者は、その働き手の中心だった。
だれが、こんな訳のわからない戦争で命を賭けたいなどと思うものか。
あの人たちには、きっと日本の窮状を理解し、アメリカの戦いを止める力になるはずだ…と二人は考えていた。
後は、伸るか反るかの大博打である。
東郷と山本は、その日本と自分の命を賭けた大勝負に打って出たのだ。

御前会議が開戦と決した翌日、東郷は、密かに参内し山本との計画を陛下に打ち明けた。それこそ、大日本帝国の真意であり、その真意を曲解されたまま戦争は出来ないと考えていたからである。しかし、御前会議前に政府内に知られれば、どんな妨害に遭うかも分からず、敢えて、開戦決定後に上奏したのだった。
内容を訝しんだ内大臣の木戸幸一は、しきりに東郷が参内した真意を問うたが、東郷は、
「国家の一大事ゆえ、内大臣同席の上、陛下に上奏申し上げたい…」
と述べるに止まった。
それでも木戸は、東郷の参内を認めようとしなかったが、それに助け船を出しのは、前軍令部総長を務めた伏見宮博恭王大将だった。もちろん、手を回したのは山本五十六である。
山本は出撃前に伏見宮邸を訪ね、東郷との秘策を打ち明けていた。そして、そのために連合艦隊の主力艦全艦を率いてハワイ攻撃に向かうことを告げ、東郷が苦境に立たされたときに助力してくれるように頼んだのだった。
最初は返事に渋っていた伏見宮だったが、山本の必死の形相を見ると、
「貴様…、死ぬ気だな…」
と悟り、山本の願いを聞き入れたのだ。
内務大臣室で押し問答を繰り返していた木戸の前に、海軍大将の軍服を着た伏見宮が現れた。
伏見宮は木戸に、
「馬鹿者。東郷の衷心が貴様にはわからぬのか?」
「東郷とて、一国の外交を預かる外務大臣だ。その外務大臣が外交上の問題で陛下に上奏しようとするのを、なぜ内務大臣が止めるのか!」
「儂も同席する故、早く、参内の手続きをせよ!」
木戸も伏見宮が出て来ては、どうにもならなかった。
そして、東郷は伏見宮と共に参内し「東郷メッセージ」を発する認可を受けたのだった。
東郷は、必死の形相でこう述べた。
「我が帝国は、建国以来、他国との交わりを大切にし、大いなる和を以て今日に至りました。明治以降は、国際社会の一員としての責務を果たし、誠実に生きようとしてまいりました。しかしながら、現在の状況に至りましたことは、ひとえに我らの不徳の致すところでございます」
「私も海軍の山本も、我が国の真を、我が国民と世界の民に知らしめぬまま、破滅の戦をすることは残念でなりません」
「我が国の真意を世界の民に伝え、その人々の心情に訴えることで、この戦の大義としたいと考えております」
「勝手な申し分ながら、ご裁可を賜りたく参上した次第でございます」
そう言って、放送用の原稿を陛下に手渡したのだった。
原稿を差し出す東郷の手はブルブルと震えていた。
内大臣の木戸が、それを受け取ろうとするのを陛下が静止し、自らの手で、その原稿を受け取ったのである。これも、これまでの仕来りにはないことだった。
陛下は、自らそれを開くと、じっと見詰めながら、最後まで読まれていた。
その時間は、僅か10分程度であったが、だれもが息を飲み、静寂が室内に緊張感をもたらしていた。
最後に、陛下はその原稿を丁寧に畳まれると、無言のまま、眼を静かに下に向けられ、「東郷、頼みます…」とだけ仰られた…。

その報せが山本の下に届いたのは、開戦決定を報せる「新高山ノボレ。1208」の暗号電報が届くのと同時だった。
これで開戦は、日本時間の12月8日に決定した。そして、機動部隊からハワイ空襲部隊が発進するのは、早朝5時と決した。
その報せを受けると、山本は「これで、最後の武器が手に入った…」とホッとすると同時に、東郷外相に感謝せずにはおられなかった。本来は、自分が命に替えてでも成し遂げなければならないことを、出撃する自分に替わって外務大臣自らが買って出てくれたことは、山本にとっても天佑以外の何ものでもなかったのだ。
天皇への奏上と世界の人々に対して、日本の真意を伝えられたことは、まさに天佑としか考えられなかった。そして、それを東郷茂徳という文官である外務大臣に委ねたことで奇跡が起こったのだ。
(これで、戦争が回避出来るかも知れない…)
そう願わずにはいられなかった。そして、最後の指揮官会議の席上で山本は各戦隊の司令官、艦長たちを前にこう訓示した。
「皆も、東郷茂徳外務大臣のメッセージを各艦で聴いてくれたものと思う。天皇陛下のご裁可を受け、大日本帝国の真意が世界に人々に伝えられたことを、まず喜びとしたい…」
「我々は、決して戦を望むものではないのだ。これによって、アメリカの世論がアメリカ政府を動かしてくれることを期待している。しかし、本日、開戦日が12月8日と決した」
「ただし、もし、攻撃隊が出撃中であっても、日米交渉再開の報が入ったら、即座に攻撃隊を呼び戻すからそのつもりでいてくれ!」
「戦いは、陛下の本意ではないし、大日本帝国の意思でもないのだ。そのことを弁えて作戦行動に従事してほしい…」
すると、数人の艦長たちから異論が出た。
「しかし、既に上空で編隊を組んで、一路ハワイ真珠湾を目指して飛行している搭乗員に、帰れ…とは、あまりにも厳しい命令かと思います」
一人がそう言うと、集まった指揮官たちから同意するようなざわめきが起こった。
だが、山本は、眦を上げると、さらに厳しい言葉で、こう命じたのだった。「皆の言いたいことはわかる。しかし、今は、帝国存亡の危機なのだ。もし、攻撃中止命令が出ても戻って来れない…という搭乗員がいるのなら、艦に戻り次第、攻撃機に乗ることを禁じる!」
「皆もよく考えて貰いたい。これは演習ではないのだ。100年兵を養うのは、何のためか…。国家安寧のための兵であることを忘れてもらっては困る!」
その声は厳しく、普段、優しい笑顔を見せる山本にしては、有無を言わさぬ強い響きがあった。

山本は、これでアメリカ政府とアメリカ海軍が動く…と考えていた。
あの東郷メッセージが世界中の人々に届き、日本海軍がその総力を以てハワイ近海にまで迫っていると知ったら、アメリカ政府や軍は、その面子を潰されることになる。このまま、おめおめと引き下がるアメリカ人ではない。
日本人のことを「ジャップ!」と呼び、アメリカ兵の新兵教育で「日本兵は、人間ではない!」と洗脳教育をしていることを山本は知っていた。
彼らは、人種差別と偏見に満ちた映画を製作し、新兵教育に使っているという情報もあった。
もちろん、それはアメリカばかりでなく、日本でも偏った差別主義者は存在している。だが、そんな差別と偏見に満ちた思想で、世界平和が訪れるとは到底思えないのだ。
そして、一国の元首であるルーズベルト大統領自らが、典型的な差別主義者で、有色人種の日本人を蔑んでいることは有名な話だった。
そんなアメリカ政府や軍の連中が、このまま引き下がるはずがないのだ。
おそらく、東郷メッセージが放送されるまでは、日本軍をハワイにおびき寄せ、先制攻撃をかけさせるための謀略に沿ったものだろうが、これからは、そうはいかなくなる。
これまで、「敵に発見された…」という報せがないのは、アメリカ政府が日本の出方を見ていたからに違いない。しかし、「開戦決定」の暗号電報がアメリカ政府に解読された時点で、アメリカは臨戦体制に移り、アメリカの領海に入った瞬間にハワイにある軍の全戦力を以て攻撃してくるはずだ。
既にアメリカ太平洋艦隊が出撃している可能性もある。
これからは、常に臨戦体制で望めなければならない…。
山本は、直ちに全軍に向けて命令を発した。
「既に、アメリカ軍は臨戦体制に入ったと考えられる。こちらも、直ちに公海上に索敵機を放ち、敵の動向を探れ!」
「ただし、決して、アメリカの領空及ぶ領海に侵入してはならない!」
「必ず、アメリカ軍は攻撃をかけてくる。我が軍は、それを待って攻撃を開始する!」
連合艦隊の前衛部隊を務める山本が指揮する戦艦部隊は、山本の命令が発せられると同時に、三つの輪形陣を作って三方に別れた。
三角形を形作る頂点には、戦艦大和を中心に置き、後方に戦艦長門、そして巡洋艦4隻、駆逐艦10隻ほどで輪形陣を構成した。
後方の左翼には、戦艦武蔵と比叡、右翼には、戦艦金剛と榛名が続いた。
さらに下がって、小沢治三郎中将が率いる機動部隊がやはり三つの輪形陣を作って進んでいた。
小沢中将は、水雷学校長の後、山本に請われて機動部隊を率いていたのだ。
この連合艦隊のハワイ遠征部隊は、大小の艦艇合わせて200隻もの大艦隊であった。
これほどの艦隊を一度に動員できるのは、おそらく、日本とアメリカくらいなものだろう。あの海軍国であるイギリスでさえ、難しいと思われた。
これに比べれば、アメリカ太平洋艦隊は、その半分にも満たない。
その大艦隊が、威風堂々と太平洋を横断し、ハワイに刻々と接近しているのだ。
もはや、この情報を隠す理由もなく、世界各国は、日本の動きを注視するまでになっていた。
逆に山本は、戦艦大和から連合艦隊の動きを世界に向けて発信し続けた。それは、アメリカ政府や海軍への挑戦の意味を込めていた。
(大国アメリカが、これほどの挑発を受けて出て来ないわけにはいかないはずだ…)
山本は、長いアメリカ生活の経験から、アメリカ人の気質をそう読んでいた。まして、政府と軍の人間のプライドは高い。後進国で有色人種の国に侮られて済む話ではないのだ。
もし、このままアメリカが何もせずに妥協したら、アメリカの威信は地に墜ちることになる。それは、あの誇り高き大統領に耐えられるはずがない。
山本は落ち着いてそう分析すると、次の命令を発した。
「敵がこちらに向けて攻撃をしかけて来次第、反撃に移る!」
「機動部隊は、敵航空母艦発見に備え発艦準備開始!」
「各部隊は、打ち合わせ通り、各々予定通りに攻撃に移れ!」
山本は、こうなることを予測していた。
東郷外務大臣と練った最後の策は、功を奏したようだが、それだけで開戦を回避出来そうもなかった。だが、追い詰められているのは、日本ではない。アメリカ政府なのだ。

大和の受信班からの報告によると、アメリカでの反戦運動は次第に広がってきているようだった。アメリカの放送局から臨時ニュースが頻繁に流されている…という報告があった。
それに、既に、首都のワシントンでも抗議デモが起きているらしい。

この時、ルーズベルト大統領は、焦っていた。
本当は、頭の軽い山本五十六という男を上手く操り、旧式艦ばかりで揃えた太平洋艦隊を攻撃させ、「騙し討ちに遭った!」とスピーチする方針だったのだ。だからこそ、日本海軍がハワイを目指して出港した後も、知らぬ振りを決め込んでみせた。
もうすぐ、日本を叩き潰すチャンスが到来したものを、あの、東郷メッセージがすべてを無にしてしまった。
その怒りが、ルーズベルトやその側近に冷静さを失わせていた。
ルーズベルトは、(このまま失脚するくらいなら…)と、急遽マスコミを集め、記者会見の場で吠えたのだった。
「日本は、卑怯にも、既に大艦隊をハワイ海域にまで送りこんでいる。こんなとんでもない砲艦外交を我が国は容認出来ない。我が領海に入り次第、ハワイ州及び太平洋艦隊全軍を以てこれを迎撃し、完膚なきまでに日本海軍を叩き潰す!」
「あんな、日本の放送など謀略放送以外のなにものでもないのです!」
「いずれ、真実は暴かれます。合衆国市民のみなさん、どうか、私を信じてください。野蛮な日本人の謀略に騙されないでください!」
と訴えた。しかし、各マスコミは、「東郷メッセージ」の全文と、これまでの日米交渉の推移を新聞紙上に掲載した。
さらに、翌日には、日本への最後通告とも言える「ハル・ノート」の全文を解説付きで掲載した。
特に「ハル・ノート」は、連邦議会の承認のないままに大統領決裁で出された外交文書であり、その内容の厳しさは、だれの目にも「宣戦布告文書」に見えた。
連邦議会は、これを問題視して大統領と関係者の喚問を要求したのだった。
こうなると、アメリカの日系人たちが、
「こんなの、宣戦布告文書と同じじゃないか?」
「俺たち日系人を差別したように、あの大統領とアメリカ政府は、日本そのものを差別しているんだ!」
「アメリカは、日本を滅ぼそうとしている!」
と各州役所に猛烈な抗議を行ったのだ。
日系人たちの凄まじい怒りの行動に、各州では警察や州兵まで動員して抗議デモを弾圧したことから、マスコミが騒ぎ出していた。
アメリカの反戦運動は「我が子を戦場に送るな!」というスローガンを掲げたアメリカ女性たちと、「人種差別を許すな!」と叫んだ日系人たちが同時に各地で蜂起し、それは、有色人種層全部の問題であるかのような運動になっていったのである。

山本の率いる連合艦隊は、着実にハワイ諸島に向けて速力を上げていた。
ミッドウェイ沖で、油槽船の曙丸、日東丸、信濃丸、桜丸、蝦夷丸他10隻が最後の給油を終えて引き揚げて行った。各船上からは、
「頑張れよ…!」
「無事に還って来いよぅ!」
と乗組員が鈴なりになって帽子や旗を振って見送っているのが、大和を初め、各艦艇からも見えた。
これから戦場に向かう200隻にも及ぶ艦隊からは、こちらも乗組員の返礼の叫びが海鳴りのように響いて来ていた。だれもが泣いていた。
涙を拭きつつ、大きく手を振り、別れを惜しんでいるのである。
後で聞くところによると、船団長である曙丸船長の猪谷予備中佐は、帰りの駆逐艦の護衛を断ったそうだ。
「これから戦場に赴く連合艦隊の戦闘艦を一隻でも減らすことはできません!これは、船団全員の意思でもあります!」
そう言って、10数隻の船団を率いて丸腰で帰国していった。
山本はそれを聞いたとき、目頭が熱くなった。
(本当に申し訳ない。是が非でも戦争を終わらせてみせるからな…。ありがとう)
そう心の中で叫んだ。
戦闘態勢を採っている中で、返事も出来なかったが、その期待の声に応えなければならなかった。
油槽船団が離れて間もなく、敵の接触が始まった。
おそらくは、ミッドウェイ基地から飛んできたカタリナ飛行艇だと思われるが、数機が常に上空から艦隊を監視するように飛行しているのがわかる。
「艦長、撃墜しましょうか?」
と、大和艦内では艦長の森下信衛大佐に意見具申をする者もいたが、森下は、
「ふん、構わん。放っておけ…」
「こっちは正々堂々と戦うだけだ。これからは、五分と五分の勝負だよ…」
森下は山本の顔を見て、逸る部下を諭すのだった。

そこに一本の特殊暗号無電が入って来た。
無線室では、その「ヤマモトチョウカン アテ…」と書かれた暗号文を急いで艦橋に届けたのだった。
そこには、ハワイ太平洋艦隊の敵艦の動きが書かれているではないか。
それは、時間を置いて数度にわたって送られてきた。
そして最後に、「イ001」の文字が読めた。
山吉が率いる「イ号001潜」は、既にハワイ南東沖に到着し、太平洋艦隊の全容を1週間に渡って調べ上げていたのだ。それが、東郷メッセージが放送される以前であったので、特に警戒が厳重にされておらず、その僅かな隙をついての隠密行動が成功したのだ。
山本はその電文を握ると、
(山吉少佐、よくやってくれた…)
と感謝するのだった。
連合艦隊の山脇通信参謀などは、
「長官、これは敵の謀略ではありませんか?」
「それに、日本海軍にイ001などという潜水艦は存在しません!」
と断言するのだったが、山本は、
「通信参謀、戦いには表と裏があるんだよ…」
「これは、信に足る情報だ。有り難く活用せよ!」
と命じられて、山脇参謀は、眼を白黒させるばかりだったが、参謀長の山口多聞少将が、
「山脇、まだまだ修養が足らんな…」
と言うので、艦橋内では笑いが起こった。
この山本五十六長官、山口多聞参謀長のコンビは、出撃前に山本が海軍省に直談判して第二航空艦隊司令官だった山口少将を強引に引き抜いたものだった。そして、連合艦隊の参謀たちも総入れ替えを行い、山脇通信参謀もその頭脳を買われての抜擢人事だった。そして、笑いの裏には、アメリカ太平洋艦隊との大決戦が待っていることをだれもが予感していた。
だが、正義の戦いを貫く信念だけは、200隻の艦隊のどの将兵にも漲っていた。

そして、そのときは突然にやって来た。
日本の連合艦隊の前衛部隊が、ハワイの領海に入るデッドラインに到達したそのときである。
上空から数機の敵攻撃機が姿を現し、大和目がけて突っ込んで来るではないか。
キーン…!という急降下音を響かせて、10機の急降下爆撃機が大和に向かって来る。
森下参謀長は、山本の顔を見て頷くと、
「対空射撃始め!」
の命令を発した。
満を持して対空戦闘を用意していた各機銃は、一斉に敵攻撃機に向けて猛烈な射撃を開始した。
その弾幕は、大和の上空を覆い尽くし、輪形陣の艦艇からの射撃と合わさって、蟻の這い出る隙間さえないように思えた。
急降下を始めた敵機だったが、その弾幕に怖れをなしたのか、大和よりずっと外側に位置した艦艇めがけて爆弾を投下していった。
その一弾を一番先頭を進んでいた駆逐艦「雷」の後部に直撃弾を与えた。
雷の後部甲板に命中したらしく、大きな火柱が立ち、ドーン!という轟音が響き渡った。そして、猛烈な黒煙が上空を覆った。
その黒煙が少し消えると、そこには無惨にも「雷」の残骸だけが残されているのだった。
「雷、敵急降下爆撃の直撃弾を受けた模様!」
ついに、ここに日米戦争の幕が切って落とされたのである。
すると、南の空から雲霞の如く敵攻撃機が、入道雲が湧く如く、こちらに向かってくるのが見えた。その数、およそ100機。
小さな点が、少しずつ大きくなるにつれ、アメリカが本気になった姿が垣間見えた。
大和の森下艦長は、山本を見ると、
「では、長官、手筈通りに攻撃を開始します!」
そう言うと、敬礼をして防空指揮所に上がって行った。
山本は、側にいる砲術参謀の下村少佐に、
「各戦艦に主砲の発射を命じる!」
「かかれ!」
下村少佐は、命令を受領すると、小さな声で「はい…」と応えると、各戦艦部隊に「主砲発射!」を命じるのだった。
予定の行動とはいえ、この一弾が日本の運命を握っているのかと思うと、下村少佐も、喉の奥がヒリヒリと痛むのを感じていた。
この命令により、大和を初めとした戦艦部隊は、既にハワイ軍港の航空基地及び軍港に照準を合わせていた主砲から榴弾砲が一斉に放たれた。
ドゴーン! ドゴーン! と続く艦砲射撃音は凄まじく、兵隊たちも艦の中で耳を塞いでいる他はなかった。
そして、主砲弾の発射が終わると、対空戦闘のために自分の機銃に取り付くのだった。
この位置から主砲弾を発射すれば、地上の攻撃目標などひとたまりもない。
まずは、敵航空基地の殲滅である。
大和からは、榴弾砲に続いて徹甲弾が発射され、それを交互に撃ち続ける計画になっていた。これにより、ハワイのパール・ハーバーは、数分もかからずに壊滅したのだった。
こうなると、攻撃機が還る基地がなくなり、再攻撃が不可能になるという計算もあった。
既に上空では、敵攻撃機と味方戦闘機との間で壮絶な空中戦が繰り広げられていたが、墜ちていくのはアメリカ軍機ばかりに見えた。
それもそのはずである。
日本の機動部隊の航空母艦は6隻で機動部隊を編成していたが、戦艦部隊の護衛にも2隻の航空母艦が随行していた。それが、龍驤と祥鳳である。どちらも小型空母に属する大きさだが、その搭載機の90%を新型の零式艦上戦闘機に切り替えており、今回は護衛空母としての役割を担っていた。
双方共に、戦闘機を各30機搭載しており、合計60機が敵攻撃機との戦いに向かっていたのだった。
敵機が100機いようとも、爆撃機や雷撃機が戦闘機に敵うはずがない。
アメリカの攻撃部隊も護衛の戦闘機を付けて来てはいたが、日本の新型戦闘機である零式艦上戦闘機は、アメリカの主力戦闘機であるカーチスP40の性能を遥かに凌駕していたのだ。
それに、日本海軍の戦闘機隊の搭乗員の多くは、中国大陸で戦ってきた歴戦の猛者たちであり、ハワイの基地航空隊のレベルでは、到底太刀打ち出来るものではなかった。
その間、主力機動部隊は、ハワイ周辺にいた敵航空母艦3隻の攻撃に飛び立って行くのだった。
「イ号001潜」からの情報では、ハワイに在泊していた航空母艦は、エンタープライズ、ホーネット、ヨークタウンの3隻である。これら3隻の航空母艦は、事前に何か命令でもあったのか訓練航海に出港していたが、ハワイ沖で日米海戦が起きると、直ちに攻撃機を発進させ、陸上基地と共同で、日本艦隊に向かってきていた。
アメリカの潜水艦部隊も10隻は、攻撃に向かってきているようだったが、こちらも同じく10隻のイ号潜水艦が戦艦部隊に同伴して攻撃態勢を敷いていたのである。そして、単艦で行動しながら、情報を逐一報せてきたのが、山吉艦長指揮の「イ号001潜水艦」だった。
ただし、この「イ号001潜」だけは、アメリカ軍も把握できていなかった。そのために、隠密裏に出撃させたアメリカ潜水艦の攻撃が阻止されたことを両軍共に気づいてはいなかった。

日米決戦は、昭和16年12月8日の早朝に開始された。
一週間前には、日本から「東郷メッセージ」が短波放送で発信されており、これによって日米交渉が再開されるのではないか…という淡い期待を抱いたが、アメリカ政府はこれを無視した。しかし、アトランタから始まったアメリカ女性の「反戦運動」は、たった一週間で全土に飛び火し、既にワシントンのホワイトハウス周辺でも抗議活動が始まっていた。それに合わせて日系アメリカ人の「人種差別反対運動」は、有色人種全体への広がりとなり、今や収拾がつかない状態になっていたのである。
ルーズベルト大統領とその側近は、「東郷メッセージ」によって日本艦隊のハワイ諸島接近が公に知らされると、何も知らなかった風を装い、
「私たちは、何も知らない。最後通牒など出した覚えもない。あれは、我々の妥協案だ!」
「日本は、アメリカ政府を一方的に非難しているが、日米交渉を終わらせたのは、日本の方だ!」
「その証拠に、日本海軍は大艦隊でアメリカ領土に攻めて来ているではないか!」
「こうなった以上、こちらも対抗措置を採る!」
と宣言した。そして、
「卑怯な日本を、アメリカ政府は絶対に許さない!」
と日本に対して抗議文を出したが、日本側が、
「アメリカ軍が攻撃してこなければ、こちらから攻撃はしない!」
「そして、アメリカ軍の攻撃を受けなければ、アメリカの領海内には決して入ることはない!」
という声明を出していた。
日本にとっては、戦争より「日米交渉」が優先されるのだ。だから、山本も、
「連合艦隊は、アメリカ軍がこちらを攻撃してこない以上、発砲を許可しない!」
と各部隊に通達していた。
中には、
「攻撃されてからでは遅い!」
と抗議してくる指揮官もいたが、山本は、
「もし、アメリカ軍が攻撃してくるのであれば、これを受け、直ちに反撃する!」
と説得していた。そして、まさに、アメリカの航空部隊からの攻撃を受け、前衛に位置していた駆逐艦「雷」が直撃弾を受けて轟沈したのだった。
この様子は、アメリカのマーチン飛行艇からも無電でアメリカ太平洋艦隊司令部の打電され、その写真が送られていた。
大和では、この無電を傍受しただけでなく、録音し、そのまま短波で世界中に発信したのだった。これで、先に手を出したのは、アメリカ軍だということになった。
山本は、
(雷には、すまないことをした…)
(確か、艦長は新潟出身の工藤少佐だったな…)
と一人静かに眼を閉じ、工藤艦長を初めとした雷の将兵の冥福を祈るのだった。
今は、こんな形でしか冥福を祈れないのが残念だったが、これで、戦争を終わらせることができれば、亡くなった雷の将兵にも言い訳ができる…と辛い心に蓋をするのだった。

前衛の戦艦部隊上空の空中戦は、明らかに日本軍の勝利だった。
さすがに新型の零式艦上戦闘機の20粍機関砲の威力は凄まじく、敵のカーチスP40程度の軽戦闘機では零戦には対抗できなかった。もちろん、鈍重の爆撃機も次々と撃墜し、これで基地航空隊の敵機はあらかた墜としたことになる。そうなると、次は3隻の航空母艦から来る海軍機である。
既に、6隻の航空母艦が攻撃隊の発艦命令を待っている。攻撃隊は、各艦30機で180機の大編隊である。
指揮官は、戦闘機隊は源田実中佐、攻撃隊は渕田美津夫中佐である。
源田も渕田も、本来は航空参謀職だったが、山本は、この二人を呼んで攻撃隊の指揮官を命じたのだった。
「貴様らほどの空中指揮官はおらん。ここは、是が非でも攻撃隊指揮官をやって貰いたい!」
と命じたのだ。
源田は操縦の名手で、10年ほど前は「源田サーカス」の異名を取る程のチームを作り、航空機の有効性を広報するために、全国を回ったことがあった。
その6機の編隊飛行は評判を呼び、各新聞紙面を飾ったものだった。
渕田は、源田の兵学校の同期で、偵察員として修練を積み、空中指揮官としての適性は抜群だった。
この二人の中佐に攻撃隊の指揮官を命じたことは、この一戦は如何に重要かを物語っていた。
6隻の航空母艦は、各航空母艦を中心に三重の円を作り、輪形陣体制を敷いていた。そして、その先には、戦艦大和を中心とする戦艦部隊がいたことから、敵の目は、どうしても先に大型艦に眼が向くことになる。それが、山本のねらいでもあった。
事実、ハワイから飛んできた攻撃機は、すべて前衛の護衛戦闘機群に攻撃を阻まれ、海の藻屑と消えるか、早々に爆弾を海に投棄して、慌ててハワイに逃げ還るしかなかったのである。
今度は、こちらが仕掛ける番だ。
旗艦大和から機動部隊に「全機発艦!」命令が出たのだ。
まずは、戦闘機隊の総隊長、源田中佐機が航空母艦赤城の先頭を切って発艦した。そして、6隻の航空母艦から約200機の戦爆連合の攻撃機が発艦し、大和上空で編隊を組み直した。
攻撃機は、99式艦上爆撃機と97式艦上攻撃機である。99艦爆には、250㎏の徹甲爆弾が装備され、97艦攻には800㎏の航空魚雷が吊されていた。
渕田は、赤城から発艦し、上空で編隊が組まれるのを見届けていた。
ここからは、渕田の命令で攻撃隊は行動することになる。
各機には、新型の無線通信機が装備され、各機同士、母艦からの無線と自由に会話ができるようになっていた。渕田は、
「何だ、一年前とは大違いだな…」
そう呟くと、操縦士の松永特務少尉が、
「この一戦に合わせて、採用になった新型無線機らしいですよ。何でも、ドイツから贈られた設計図を基に海軍の空技敞が航空機用に製作したものらしいです…」
すると、一番奥にいた電信員兼射撃手の水木二等兵曹が、
「最近では、何でも、ドイツ、ドイツって言ってますよ…」
「そう言えば、新型のUボートがこの作戦に参加しているって…噂で聞きました」
「へえ、そうなのか…?初耳だな…」
そんな他愛のない会話をするほど、日本の攻撃隊には余裕があった。それもこれも、戦艦大和、武蔵を初めとする戦艦部隊が自分たちを護衛しているかのような布陣は、だれの心にも安心感を抱かせたのだ。その上、この無線機さえあれば、攻撃後に単機なろうと、母艦が誘導してくれることは間違いない。
こうした安心材料が、各将兵の士気を上げた。
すると、旗艦大和から無線が入った。
「敵空母、ホーネット、発見!」
「赤城、加賀の攻撃隊は、その位置から南西30㎞地点!」
そして、間もなく二隻目の発見の報が入った。
「敵空母、エンタープライズ、発見!」
「蒼龍、飛龍の攻撃隊は、現在位置から北に進路を取れ!敵は近い!」
それから10分後に、三隻目の航空母艦が見つかった。
「瑞鶴、翔鶴の攻撃隊は、現在位置から北西25㎞地点に向かえ!」
この命令を聴くと、各隊は、それぞれの目標に向かって翼を翻すのだった。

それから30分近く飛行すると、金剛の偵察機が渕田隊と遭遇した。
「後、5分で敵が見えます!」
偵察機の搭乗員が、無線でそう伝えると、翼を大きく振りながら母艦に戻って行くのだった。
別れ際に、風防を開けて渕田が大きく手を振ると、フロートを付けた偵察機からも3人の搭乗員が手を振るのが見えた。
「よし、敵空母発見次第、攻撃に入る!」
「戦闘機隊、頼んだぞ!」
渕田は、そう言うと風防を開けて双眼鏡で海面にじっと眼を凝らした。
「おう、いた、いた…。前衛の駆逐艦だ!」
すると、その先に大きなわらじのような艦体が見えた。間違いない、ホーネットだ。
上空では、既に戦闘機同士の空中戦が始まっていた。
おそらく、護衛の零戦隊が敵機に突っかかって行ったのだろう。
「頼んだぞ、源田!」
攻撃隊は、既に突入高度に集まっている。
「ようし、突撃だ!」
「突っ込め!」
渕田が合図を送ると、99艦爆と97艦攻の同時攻撃が始まった。
空には猛烈な弾幕が張られ、金色の光の束がこちらに向かって飛んでくるのが見える。
アメリカの航空母艦は、訓練航海だったためか、護衛の駆逐艦の数が少ない。これなら、撃沈することも難しくはない。
渕田機は、そのまま200mの低空に舞い降り、ホーネットの横っ腹に付けるように旋回を命じた。
訓練通り、反対方向からも雷撃機が突っ込んで行く。これで挟み撃ちができる。そして、その上空からは金属音を奏でながら99艦爆が次々と急降下を開始している。
ホーネットは左右に艦を動かすが、どちらを向いても日本機に腹を向けるしかないのだ。
敵艦隊の中に入ると、さらに敵艦からの射撃が凄まじく、次々と味方機が被弾し炎と共に落下していくのが見えた。
渕田機は、真っ先に突っ込んだためか、敵艦からの砲弾は当たらない。照準が定まらないのだろう。
渕田は、偵察席から命令を出した。
「ようし、松永、そのまま直進!」
もの凄い光のスコールの中に機体が入ったと思った瞬間、
「用意、テー!」
と手元の発射索をグッと引いた。
魚雷が機体から離れ、海中に落ちたことが分かった。
「よし、退避!」
渕田がそう叫んだ瞬間、渕田機は紅蓮の炎に包まれて、そのまま、もの凄い水しぶきを上げて海中に転落して行くのだった。
渕田機の放った魚雷は、母機を失ってもそのまま直進し、数秒後にドーン!という轟音を上げて、ホーネットの前部に命中した。
上空からは、99艦爆の爆弾がホーネットの甲板中央部に命中。
数秒後にホーネットは火薬庫に引火したものか、大爆発を起こして海中に消えていったのである。
上空を護衛していた源田機も低空に降りすぎたためか、敵の護衛戦闘機に背後を取られ、退避行動をしている間に、敵艦の対空射撃の餌食になった。

こうして、機動部隊同士の戦いも日本軍の圧勝で終わった。
敵航空母艦の3隻共に撃沈若しくは大破させたが、200機の攻撃隊で還ってきたのは120機程度で、80機は南洋の海に散っていったのである。
それだけ敵の防空体制は強固だったといえる。
報告を受けた山本は、敵艦は訓練航海のために、護衛艦が少なかったにも拘わらず、それほどの被害を受けたことに衝撃を受けていた。
報告によると、対空射撃の精度もよく、上空を守る護衛戦闘機も効率よくこちらの攻撃隊を阻止していた…ということだった。
数が少なかったために、その隙間を縫うようにして攻撃できたが、敵の数が多ければ、航空母艦の撃沈は難しかっただろう…。
そう思うと、アメリカとの戦争はやはり無謀としかいいようがないことに改めて気づかされるのだった。
さらに、源田と渕田という優秀な指揮官を一度の戦闘で二人とも失うことは、戦闘の激しさを物語っていた。
(もし、アメリカ軍が完璧な準備をしていたら、こちらがやられる番だ…)
それは、考えただけでも怖ろしいことだった。

帰還した攻撃部隊は、約半数になりながらも、次の攻撃目標である敵戦艦部隊への攻撃のために、予備機を甲板に上げると、再度、使用可能な機体に爆装を開始した。
各艦共に、ベテランの搭乗員が多数戦死しており、予備として残されていたのは、まだ、飛行時間500時間にも満たないような若年兵ばかりだった。それでも、山本は、攻撃命令を出した。
既に、敵に機動部隊はなく、陸上航空基地も粉砕し、ハワイからの航空攻撃の怖れはなくなっていた。それでも、旧式艦とはいえ、残された戦艦群はまだまだ脅威なのだ。そのときである。
戦艦大和の周囲に猛烈な水柱が立った。
それは、敵戦艦からの艦砲射撃が始まったことを意味していた。
アメリカ軍は、制空権を失った今でも最後の抵抗を続けるつもりらしい。しかし、戦艦の主砲は、観測機による上空からの修正のないまま射撃を行っても、命中する確率は低く、遠ければ遠いほど、当たるものではない。いくら巨艦とはいえ、海に浮かべば小さな木の葉程度でしかないのだ。
そんな小さな目標に砲弾を命中させるには、1000発近い砲弾を撃ち込まなければならないことは、わかりきっていた。それでも、アメリカ海軍の指揮官たちは、最後の抵抗を見せるのだった。
アメリカ海軍の艦長たちにしてみれば、海軍兵学校や大学校で学んだ「日露戦争」の日本海海戦は、憧れの戦闘になっていた。艦長になったら、一度は、あんな大海戦をやってみたい…という思いは、だれの胸にもあった。
それは、日本海軍の艦長たちも皆同じである。
主力艦同士の砲戦こそが、海軍士官としての夢であり、誇りなのだ。
きっと、アメリカの艦長たちは、いても立ってもおられず、砲戦を挑んできたに違いないのだが、山本は、それに応じる気持ちはなかった。
山本は、機動部隊に敵戦艦部隊の殲滅を命じたのである。
慌ただしく準備が整った航空母艦から、それぞれの攻撃隊が次々と飛び立って行った。この攻撃隊の何機が無事に戻ってくるかはわからないが、この攻撃隊が敵戦艦群の上空に達した時点でアメリカ艦隊は「万事休す」である。
制空権を奪えば、敵の上空から観測したデータが味方戦艦群に送られ、正確な射撃が出来るのだ。
山本は、機動部隊の攻撃が終わった時点で、戦闘を停止するつもりだった。

敵の戦艦群からの艦砲射撃は続いたが、残念ながら至近弾は少なく、誤差が大きいのは初めから分かっていることだった。そして、日本海軍の機動部隊の100機が、ハワイ沖に展開する戦艦群上空に達した。
山本は、その報告を受けると、ハワイの太平洋艦隊司令部宛と全世界向けに短波放送を発信した。
「既に、日米両国海軍の決戦は終わった…」
「アメリカ太平洋艦隊の機動部隊は壊滅し、ハワイの制空権は日本軍の手に落ちた…」
「ハワイ沖の日本海軍の各戦艦の主砲は、ハワイオアフ島に向けている。制空権のない今、無益な抵抗を続ければ、太平洋艦隊の主力艦はすべて砲撃によって沈められるであろう…」
「ハワイ州知事と太平洋艦隊司令長官に申し上げる。直ちに、降伏せよ!」
「直ちに降伏せよ!」
この声明を聞いた太平洋艦隊司令長官のニミッツ大将は、地団駄を踏んで悔しがったが、それでもしばらく何かを考えていたが、フーッと溜めた息を吐くと、
「政府は一体何を考えているんだ…。大体、日本と事を構えてどうするって言うんだ…?」
「敵は、日本じゃない、共産主義者共だ…」
とハワイ州知事に「降伏する」旨の電話連絡をしたのだった。
こうして、この放送の30分後、太平洋艦隊の全艦艇に白旗が掲げられた。
ついに、山本が勝ったのである。

山本は、全攻撃部隊に帰還命令を出した。
100機の攻撃隊は、戦艦部隊に攻撃をかける前に「攻撃中止命令」を聞いた。そして、受信すると隊長の友永丈一郎大尉が、全機に「爆弾投棄!」を命じ、整然と編隊を組んだまま翼を翻すのだった。
山本は、爆弾を海中に投棄した攻撃隊が、無事に全機母艦に着艦したのを確認した。
側にいた大和の森下艦長が、
「だれも、文句を言う奴はいませんでしたね…」
と山本を見た。
山本は、ひと言、
「ああ、本物の戦争を見たからね…」
「戦争は、ゲームでも政治家の駆け引きの道具でもない。命のやり取りなんだよ…」
そう言うと、静かに司令長官室に戻っていくのだった。
そして、ここに、日米決戦は一日で終わりを告げたのだった。

第4章 イ号001潜水艦浮上

山吉少佐率いる「イ号001潜水艦」は、海中で、壮烈な潜水艦戦を戦い、遂にサンダース艦長指揮のデビル・フィッシュを大破させた。そのために、デビル・フィッシュは戦闘能力を失い、浮上するしかなかった。
浮上した先に待っているのは、日本の駆逐艦部隊である。
サンダース艦長は、浮上するとその艦橋のマストに白旗を揚げた。それは、サンダースたち潜水艦乗りが戦った証でもあった。
浮上したデビル・フィッシュは、後部の推進器のすべてをもぎ取られており、あのまま浮上できたのも、サンダース艦長の指示と操艦の賜物だった。
後部機関室と魚雷発射室では、数人の戦死者と負傷者を出したが、それでも、数十人もの他の乗組員の命が救えたのは、艦長の判断と技術によるものだった。
「イ号001潜」からの報せを受けて駆けつけた駆逐艦「漣」は、救命ボートを出してデビル・フィッシュの乗組員全員を助け出した。その懸命な日本兵の努力に敵であるアメリカ兵たちも握手を求め、敬礼し合うのだった。
彼らも決して戦争を望んでいたわけではない。
大統領命令で仕方なく出撃したが、敵が目の前に現れた以上、全力で戦うのは海軍軍人としての礼儀である。そして、戦いに敗れれば、正々堂々と振る舞い、勝者もそれによって驕り高ぶらず…が世界のネイビー・スピリッツなのだ。
デビル・フィッシュが降伏したことによって、他の艦も浮上して白旗を艦橋のマストに掲げた。それは、「イ号001潜」からの降伏勧告によるものだった。
山吉は、デビル・フィッシュの降伏を見届けると、アメリカ無電の周波数に合わせて、艦内から降伏勧告を行ったのである。
「太平洋艦隊ノ潜水艦部隊指揮官ニ告グ。デビル・フィッシュ号ハ、勇敢ニ戦イ降伏シタ。貴艦ノ所在ハ既ニ判明シテイル。降伏シナケレバ、1時間後ニ爆雷攻撃ヲ開始スル…。日本海軍ハ、勇敢ナ将兵ニ敬意ヲ以テ遇スル…。無駄ナ戦ヲシテハナラナイ…。大日本帝国海軍イ号001潜水艦長 ヤマヨシ少佐」
9隻の艦長たちは、デビル・フィッシュの降伏に衝撃を受けた。
これが事実なら、あの大統領命令も太平洋艦隊司令長官命令も意味を為さなくなる。既に、日本海軍にすべてを読まれていては、為す術がなかった。
200隻もの大艦隊の中で、僅か10隻の潜水艦に出来ることはない。
闇雲に戦えば、日本の駆逐艦部隊に制圧され、爆雷攻撃の果てに海の藻屑となるだけなのだ。
それに、まだ、開戦を告げられない時点での命令であり、彼らも命を賭ける理由が見つからなかったのである。まして、最優秀艦として目されていたサンダース艦長のデビル・フィッシュが降伏するということは、余程のことである。まして、アメリカ無電の周波数まで把握されているようでは、戦う相手ではない。
アメリカの艦長たちは、皆、冷静な指揮官だった。
各艦は、静かに潜望鏡を上げて周囲を見渡すと、既に日本の駆逐艦が四方を取り囲み、爆雷攻撃の準備をしているのが見えた。
「やはり、勧告通りの状況になっている。やむを得ない…。直ちに浮上する!」
こうして、太平洋艦隊の10隻の潜水艦は、降伏勧告を受け入れ武装解除に応じたのだった。

山吉は、海中からそれを見届けると、他の味方潜水艦と連絡を取り合い、海戦が行われた海域に急行するのだった。おそらく、そこには、戦闘を終えた多くの日米の将兵が救助を待っているはずだからである。
この戦闘は、全世界がその成り行きを見詰めている戦いなのだ。
戦闘で失われた人命はやむを得ないが、負傷して苦しんでいる者、漂流している者などを助けなければならない。
山本長官の命令を受けた駆逐艦部隊が、戦闘が終わり次第、救助活動に当たっているはずだが、夜になれば発見は遅れ、それだけ死者が増えることになる。人命救助は、一秒を争う大事なのだ。
艦の乗組員たちも、デビル・フィッシュとの戦いでかなり疲労を感じていたが、多くの仲間を助けることには、別の意味で意義を感じていた。それは、使命感といってもいい感情だった。

現場に到着すると、既に救助活動が進められており、駆逐艦だけでなく両軍の艦艇が入り乱れて遭難者を救助していた。
もう、ここでは浮上をしても何の支障もなかった。
山吉は、航空母艦が沈んだであろう地点から少し遠方の捜索に当たった。
すると、やはり潮流に流された兵隊が、ここでも手を挙げて救助を待っているのが複数発見出来た。
「イ号001潜」は、数本のゴムボートを出して敵味方関係なく海から引き揚げた。
中には、白人の少年兵も混じっており、救助した直後に静かに息を引き取る兵もいた。
それでも、命ある者がある限り、最後まで救助を続けるのだった。
それを、アメリカ海軍の艦艇に乗艦していた新聞記者たちが、世界中に記事を送ってくれた。
「日米決戦、終わる!」
「敵味方関係なく救助活動に従事し、日米両軍の兵士が協力して一つの命を救う姿に感動した!」
等の記事が、写真入りで新聞各紙に掲載されると、もう、アメリカ政府も戦争を継続することは出来なかった。

次第に夜の闇がハワイ海域にも訪れた。
各艦はそれでも探照灯を点けて、戦闘海域を中心に生存者を捜し回った。そして、捜索が終了したのは、翌朝の日の出を迎えたころだった。
両軍の指揮官も兵隊たちもだれ一人休むことなく、戦い続けたのだった。
山本長官は、朝5時を迎えると、
「捜索止め!」
を下令し、連合艦隊の全艦艇を予定海域に集合させた。そして、無線を使って全艦艇の乗組員全員に感謝の言葉を伝えたのだった。
「捜索、ご苦労!」
「皆も既に承知しているように、アメリカ政府は日米交渉の再開に応じ、戦闘停止に合意した…」
「僅か一日の戦闘ではあったが、最後まで戦ってくれた皆に、連合艦隊司令長官として熱くお礼を申し上げたい!」
「ありがとう…」
この言葉を各艦で直立不動で聞いていた将校や兵隊たちは、最高指揮官自ら普通の言葉で「ありがとう」と感謝の言葉を述べたことに感動していた。
既に泣いている者もいた。
そして、少しの沈黙の後、山本は続けた。
「戦いは、我らの勝利に見えるかも知れないが、戦場で戦った者たちに勝者も敗者もない。そこにあるのは、痛みであり苦しみであり、仲間を失った悲しみである…」
「我々は、これから、未来永劫、肌の色や言葉の違いに関係なく、手を取り合って平和の道を進まなければならない。どうか、協力をお願いしたい…」
そう言ってマイクの前で頭を下げるのだった。そして、声を改めて、
「これより、日本へ帰還する!」
この「帰還する」という言葉が終わると同時に、どの艦でも万歳三唱の声が沸き起こった。だれが指示したわけでもないのに、連合艦隊の将兵たちは、自然に大声を上げて「バンザイ!」「バンザイ!」と叫ぶのだった。そして、日本の艦艇に救助されていた米軍の兵士も一緒になってバンザイを叫んでいた。 これも新聞記者の手によって世界中に配信された。
それは、まさに「平和」へのメッセージとなり、アメリカの反戦運動や人種差別運動も沈静化していったのである。

山吉の「イ号001潜水艦」は、ハワイでの任務を終えると「帰還スル…」の無電一本を残して、周囲の目から隠れるように深い海の中に潜って行った。
山脇通信参謀が行った通り「イ号001潜」という潜水艦は、正式には日本海軍には存在していない。横須賀から研究航海と称して出港して以来、音信不通。その所在も不明のまま、現在に至っていたのである。しかし、それが山本長官の密命であることは、後から判明するのだが、所属がない以上、単独で還ることに支障はないのだ。そう考えた山吉は、大和に向かって「イ号001潜。コレヨリ帰還スル…」の電文だけを送って、海底深く潜行していくのだった。
相変わらず山脇参謀は、
「何ですか?このイ号001というのは…?」
と、不満を口にするのだが、それを窘めたのは、参謀長の山口少将だった。
「今回の戦闘での001潜の活躍を考えてみろ。貴様たちもあの山吉という艦長を見習わなければならんのだぞ…」
「こうした運用が出来るから、山本長官は英雄なのだ…。わかるか、山脇…?」
そう言われて、山脇少佐も「なるほど…」と頭を掻くのだった。
そんな会話を側で聞いていても、山本は何も言わず、静かに太平洋を眺めているだけだった。そして、山脇に、
「おい、通信参謀。外を見て見ろ、ほら、海鳥がたくさん集まっておるだろう。あの下には、魚の群れがいる。一度、旨いマグロを刺身を食いたいもんだな…」
そう言って、笑うのだった。
山本の胸には、山吉の率いる「イ号001潜」が堂々と浮上して航行している姿が見えていた。どこか飄々として掴み所がないが、山吉新八郎ゆかりの剣豪である山吉新九郎という男が頼もしく思えてならなかった。そして、また会える日を楽しみにするのだった。

第5章 再会

山本五十六連合艦隊司令長官率いる日本艦隊は、昭和17年の1月10日に無事、日本に帰還した。
小笠原諸島で山本自らが「解散の辞」を述べると、それぞれが元の艦隊編成に戻り、各所属基地へと戻って行ったのである。おそらく、何処の基地でも、大歓迎で迎えてくれるだろう。
各艦の乗組員たちは戦死した者の位牌を持って凱旋していくのである。
戦死者は、「小指の骨」一本だけを残して水葬にするのだが、駆逐艦「雷」のように乗組員全員が戦死した艦や大空に散った者たちは遺骨もなく、遺品も残さなかった者も多かった。そのために、白木の箱には何もない…ということもあり、戦友たちは、何とか彼らにゆかりのありそうな品を見つけては、白木の箱に中に入れるのだった。そして、海軍合同慰霊祭が行われるのは、帰国後ひと月が過ぎたころになった。
戦死した者たちには、その勲功に応じて特進が認められ、故郷に凱旋していったのである。

山吉の率いる「イ号001潜」が母港の横須賀軍港に帰還したのは、連合艦隊の各艦が帰還した約1週間後になった。
ここで神戸は、元のカール大尉に戻り、ドイツに帰るために艦を降りた。
神戸は、髪も髭も伸び、色白の顔も垢まみれで、せっかくのドイツ将校も格好いい面影はなかったが、山吉の手を握ると、
「艦長。いい勉強をさせていただきました。ドイツに帰っても、この経験を生かした戦いをして見せますよ…」
そう言って、芝山にも挨拶をして、全乗組員の「帽振れ」の儀式で別れていった。ソナー担当の白井一水は、神戸に抱きついて「大尉、ありがとうございました…」と泣き続けていた。
白井一水は、まだ19歳の若者で、ソナーや音響探知機の操作、モニターの見方、分析方法などを手取り足取りで教えて貰っていたのだ。
帰りの航海では、一人でも担当を任せられるまでに成長し、山吉からも誉められることが多くなっていた。
カールは、白井に、
「君は優秀な兵隊だよ。この潜水艦の情報装置は、世界一だ。だから、君は、世界一のスペシャリストだ。自信を持ち給え…」
そう言って励ますのだった。
彼も飄々とし、感情を見せることなくドイツ大使館迎えの自動車に乗り込むと、振り返らずに走り去って行った。
だが、後部座席に乗るカールの後ろから、「カール大尉!」「神戸大尉!」という声が聞こえると、一人静かに後部座席で涙を流すのだった。
このカール大尉は、本国に戻ると少佐に進級し、新型Uボートの艦長として任命されたようだが、その後の行方は杳として分からなかった。
ある者は「ヒットラー暗殺計画に加担したらしい…」と言い、ある者は、「秘密基地で新型兵器の開発に携わっているらしい…」などと噂し合ったが、どれも噂の範囲を超えず、その消息は掴めなかった。

山吉が、東京の海軍省に呼ばれたのは、帰国後、2週間も過ぎたころだった。
山吉は帰国すると、横須賀の家族の元に帰って行った。
山吉には、里見という妻と二人の子供がいた。子供は、まだ2歳の女子と4歳の男子である。
山吉が、艦から降りたままで帰宅すると、里見がいつものように迎えてくれた。これは、山吉家の習慣で、「どんな時も、何があっても平常心で迎えよ…」という家訓に基づいている。
山吉自身は、自分の身体すべてを里見に預けたかったくらい疲労感を覚えていたが、それでも、毅然とした態度で玄関を開けると、そこには、いつもの妻の姿があった。
「ああ、今、帰った…」
そう言うと、将校マントを脱ぎ、薄汚れた軍帽と将校用行李を里見に渡して座敷に上がるのだった。
子供たちは、髭面で埃まみれの父親の姿に驚いたようだったが、風呂で垢を落とし、髭を剃ると思い出したらしく、それからは二人とも山吉から離れなかった。
妻と二人きりになれたのは、それからしばらくしてからになった。
食事も山吉家では、質素倹約の米沢藩の習慣が生きており、たとえ、凱旋でも食事は日常と変わらなかった。それでも、ただの白飯や味噌汁、煮魚、漬物が、本当のご馳走のように見えて、涙が零れそうになった。
里見が、
「どうですか…、我が家の味は…?」
と尋ねるので、山吉は、
「うん、旨い!」
「こんな旨い飯は、潜水艦では絶対に出ないからな…」
と呟くのだった。
その晩は、山吉は一晩中、妻を抱き寄せたまま眠った。
その眠りは、これまでの疲れを癒やす深い眠りだった。
出撃中、ずっと緊張し続けていた体は、妻の髪や肌の匂いと温もりで、ゆっくりと弛緩していくようだった。
それは、妻の里見も同様だったのだ。
気丈には振る舞ってはいても、夫の無事を祈らない妻はいない。それは、妻にとっても戦場だったのかも知れない。
久しぶりの夫は、神経を遣い過ぎたのか体は痩せ細り、体全体が小刻みに震えているのがわかった。それを優しくさすり、肌の温もりを交換し合うことで、落ち着いていくのである。
あれほど鍛え抜いた鋼の体が、ものの見事にボロボロになっていたのを見ると、里見は妻として可哀想でならなかった。
(こんな体になってまで、日本を守るために戦ってくれたのか…)
と思うと、堪えていた嗚咽が止まらなかった。
それを山吉は優しく抱き寄せた。
朝になれば、いつもの山吉であり妻の里見だったが、夜になるとそんな日が幾晩も続くのだった。
それでも、山吉は朝夕と重い樫の木で出来た木刀を振り、山吉家の先祖の教えに違わぬ生活を送るのだった。

山吉は横須賀に寄港後、横須賀鎮守府の許可を得て、艦内清掃を終えると乗組員全員に2週間の休暇を与えることにした。
山吉自身は、家族を横須賀に呼び寄せているので問題はないが、兵たちは各地方から集められているので、故郷が懐かしくてならないようだった。まして、凱旋して帰国しているのに、帰郷できないでは、海軍に志願した意味がない。「故郷に錦を飾る」とは、このときを言うのである。
乗組員は、上陸すると、その間の給与や航海加俸、戦闘加俸などが入るため、懐は温かく、さらに抑圧された艦内の生活のストレスを発散したい欲望に駆られていた。そして、その解消の一番が「帰郷」なのである。
不思議なもので、戦闘に参加したような兵は、どんなに宴会を開いて酒や女をあてがっても、最後は故郷に帰りたいのだ。それほど、故郷を恋しがり、親兄弟、友人に会いたいという願望を持っていた。
故郷に帰り、みんなの無事な顔を見ることが、自分の夢であり誇りなのだ。そう思うと、山吉は乗組員一人一人が愛おしくてならなかった。
今晩から休暇という夕方。
副長の芝山大尉から「休暇に関して」のお達しがあり、70名の乗組員は神妙な面持ちで訓示を聞き、緊張した姿を見せていた。そして、芝山が「解散!」と言った瞬間に、彼らの何かが弾けるように歓声が谺したのだ。
それは、本当の彼らの喜びの声だった。
副長は少し驚いた様子だったが、山吉は、うん、うん…と頷くだけだった。 今回の戦闘では、一人の戦死者を出さずにすんだが、海戦に参加した者のうち、約1000人近い将兵が戦死しているのだ。今回は、運がよかっただけかも知れない。
まして、あの神戸大尉がいなければ、実際の戦闘でどうなっていたかもわからないのだ。そう思うと、幸運だったこの日、この時を大事にしてやりたいと思う山吉だった。

乗組員たちに休暇を与えると、山吉はその足で東京に向かった。無論、海軍省からの呼び出しを受けたからである。
築地にある赤い煉瓦造りの海軍省の建物は、如何にも日本海軍の象徴であり、海軍の権威を現していた。
海軍省の受付で官姓名を名乗ると、主計中尉の案内で建物の奥の応接室に案内された。
この日は、まだ寒く外ではコートが欠かせなかったが、海軍省内はガス暖房が効いていて温かだった。同じ海軍でも、実施部隊は過酷な勤務条件の中で生きているのに、ここは、まるで別世界に見えた。
こんな立派な建物の中で戦争の作戦を考えているのかと思うと、なかなか、現場感覚は生まれないだろうな…と漠然と考えながら、主計兵が持ってきてくれたコーヒーを啜っていた。
10分もそうしていただろうか。
廊下から声が聞こえ、この部屋に入ってくる気配を感じた山吉は、その場に立ち、服装の乱れを直していると、ガチャ…と扉が開いた。
そこに入って来たのは、なんと、山本五十六司令長官と山口多聞参謀長であった。
山本は、直立不動で立っている山吉を見ると、
「やあ、山吉少佐、意外と元気そうだな…」
「今度ばかりは、君に助けられたよ。再会できて何よりだ…」
そう言うなり、ガッと右手を強く握られ、左手で肩を何度も叩くのだった。
さすがの山吉も、そんなことまでしてくれる山本長官に驚きながらも、正直嬉しかった。
山本は、何度も強い口調で、
「君と、イ号001潜乗組員のお陰だ!」
「ありがとう。本当にありがとう…」
そう言うと、何度も頭を下げるのだった。
こうした人間味のある姿が、山本五十六という男の魅力なのだろう。
そして、山本に席を勧められるままに、応接用のソファーに腰をかけ海戦時の艦内の様子などを聞かれたので、素直に答えるのだった。
山口少将も、既に山吉のことは知っているらしく、
「私も君のレポートを拝見させて貰ったよ。私も深く同意するところだ…」
「今後は、日本も世界最高水準の潜水艦を建造し、君の言うような潜水艦の運用方法を研究せねばならんな…」
「そのためには、今回のイ号001潜の研究航海の詳しい戦闘記録が必要になる。頼んだぞ、山吉少佐…」
そう言うのである。
山吉は、山口の言う「研究航海」という言葉に、
(そうか、そういう意味があったのか…)
と、改めて山本長官の考えの深さに驚くのだった。
ただ、ひとつ気がかりなのは、一足先に退艦したドイツ海軍将校のカール大尉のことだった。この作戦には欠かせない人物だっただけに、どうしても山本長官には、伝えておかなければならない男だったのだ。
日本名は「神戸守」だが、正式には、「カール・守・シュミット」という。正式なドイツ海軍技術大尉である。
欧州では、ドイツ軍が破竹の勢いで進撃しているようだが、日米が僅か一日で戦争を止めたとなると、日独関係もどうなるかわからないし、新たに日米同盟が結ばれる可能性があった。
そうなると、日独同盟の関係によってドイツから購入されたUボートである「イ号001潜」の問題もある。まして、ドイツに帰国したカールの行く末が気になっていた。
(まさか、敵味方になって戦うようなことにならねばいいが…)
というのが、山吉の心配事であった。
促されるままで、カールの話題になると、さすがに山本長官も、
「日本にとっての功労者だが、正規のドイツ海軍の将校を日本がどうすることもできんしな…」
「だが、今度の活躍については、私からドイツ大使館に伝えておこう。彼、なくして日米決戦の勝利はなかったとな…」
それを聞いて山吉も少し安堵したが、山本に日独関係を尋ねると、山本は、
「正直、それは難しくなる…」
「日本は、世界中に平和のために戦う…と宣言してしまったようなもんだからな…。ドイツには、矛を収めるように既に動いているが、あのヒットラーが易々とこちらの言うことを聞くとは思えない」
「そうなると、君が懸念しているように、我々も欧州戦争に出て行かなければならんかも知れん…」
「まあ、とにかく、今は日米交渉が先だがな…」
そこに、扉を開けて入って来たのが、伊藤整一軍令部次長だった。
伊藤次長は、軽く挨拶をすると、山吉に、
「私が軍令部次長の伊藤です…」
「山吉少佐。君は、今作戦の功労者として中佐に進級します。尚、今度の日米交渉に随員として山本長官、山口参謀長と共に行っていただきますので、そのつもりで…」
そう言うと、山本長官に向かって、
「では、長官、私はこれで。後で、改めてお話に伺います…」
そう言うと、忙しそうに部屋を出て行ってしまった。
唖然としている山吉に向かって、山本長官は、
「今回、出て来て貰ったのは、そういうことだ…」
「実は、アメリカ側からも要請があってね。向こうが君に会いたいそうなんだ…」
「何でも、アメリカの潜水艦部隊の艦長が、君の艦と戦ったと言い張るそうなんだ…」
「まあ、今さら極秘でもないので、日本から10隻程度の潜水艦を先行配置していました…と告げたので、日本の潜水艦戦について知りたいのだろう…」
「そんなわけもあってな。だから、頼むぞ。山吉中佐…」
突然の展開に驚いたが、返事は「はい!」しかないのは当然である。
(これは、えらいことになったな…)
と思ったが、ただ、こちらも、アメリカの潜水艦戦の実際がわかれば、今後の研究に役立つだろうと、前向きに考えることにした。そこが、山吉という男である。
部屋を出て行こうとすると、山本長官は、
「ああ、今夜、一緒に酒を飲もう。夕方5時に海軍省に来てくれ…」
そう言うので、また、「はい!」と返事をするしかなかった。
本当は、堅苦しい宴席は苦手だったが、今回ばかりはそうもいくまい…と考える山吉だった。
受付に戻ると、主計少佐が出て来て、
「中佐。中佐の辞令は既に発令されておりますが、正式には横須賀鎮守府で受けてください…」
「ご苦労さまでした」
そう言うと、さっさと仕事に戻っていくのだった、
(何か、役所ってところは、何でも事務的なんだな…)
と感心するやら驚くやらで、自分には向かないことだけは、分かったような気がした。
こうして、山吉中佐の新しい戦いが始まっていくのだった。

第6章 日米交渉

山吉は、横須賀に戻ると早速鎮守府を訪れ、豊田副武長官から中佐への進級辞令を受け取り、階級章を中佐の物に付け替えた。これで、名実共に海軍中佐である。
ただ、少佐に進級して間がなかったので、「中佐」の階級章が少し重く感じるのは事実だった。
海戦に参加しなかった同期は皆「少佐」だから、兵学校で下位の自分が先に出世してしまったことに、少し面映ゆくもあった。
だが、潜水艦長の仕事が続けられれば、階級は関係ない…と思っていたのである。
ところが、ここで豊田長官から驚きべきことを言い渡された。
「山吉少佐。海軍省から日米交渉の随員として渡米するように言われたと思うが、併せて、イ号001潜水艦艦長の任を解く!」
山吉が、声を上げる前に豊田長官は、
「中佐には、改めてアメリカの日本大使館付駐在武官の辞令が出るようだから、そのつもりでいてくれ」
表情の変えずに、淡々と告げる豊田長官に気持ちは忖度できなかったが、ひと言、「駐在武官ですか…」と言ったきり絶句してしまった。
アメリカ駐在武官といえば、海軍内ではエリートコースである。
あの山本長官も辿ったコースであり、この豊田長官は、確かイギリスの大使館の駐在武官の経験があったはずだった。
海軍大学校も出ていない自分が駐在武官に選ばれるには、何か理由があるのではないか…と考えたが、英語もそんなに堪能というわけでもなく、これまで海外経験といえば、兵学校を卒業した時の遠洋航海でハワイに行ったことぐらいだった。
それに、行政経験はないし、現場しか知らない自分が武官など務まるだろうか…と心配になったが、あきらめも早い山吉は、首をひとつ捻ると、それ以上は深く考えないことにした。
海軍将校にとって人事は絶対であり、どうしようもないことを山吉は知っていた。ただ、それ以上に「イ号001潜」と乗組員のことが気になっていた。

乗組員たちが休暇を終え艦に戻ると、既に山吉艦長は新しい任地に出発した後だと聞かされることになった。そして、乗組員たちにもそれぞれ新しい任地への辞令が下されたのだった。
副長の芝山大尉は少佐に進級し、水雷学校教官配置になった。
そして、驚いたのが、この「イ号001潜水艦」は、研究用の潜水艦として横須賀造船所に送られ、徹底的に調査されることになった。
要は、潜水艦として作戦部隊から外され、日本海軍の新しい潜水艦建造のために解体されるらしい…という噂だった。
それは、この艦が元々、研究用にドイツ海軍から購入した潜水艦であり、先の出撃も飽くまで「研究航海」という名目での出撃だったことを考えれば、当然の措置ではあったが、乗組員にとってハワイ沖での戦闘は、忘れられない生死を賭けた戦いであり、この艦と乗組員は一蓮托生という思いが強くなっていたのだ。しかし、命令が出された以上、有無を言わないのが海軍の伝統である。そして、総員70名が、新しい任地に旅立って行ったのだった。
副長の芝山は、挨拶も出来ずに山吉艦長と別れるのが心残りだったが、それも海軍の仕来りと考え、水雷学校に赴任して行くのだった。

山吉は、横須賀の自宅に戻ると、妻の里見に東京での出来事を話し、
「東京に出たら、次はハワイに向かい、そのままワシントンの日本大使館勤務になる。しばらく会えないが、子供らをよろしく頼む…」
そう言うと、愛刀の米沢藩屈指の名刀「長雲斉」を携えると将校行李を携えて、慌ただしく家を後にするのだった。
里見には、いつもの夫の姿ではあったが、寂しい気持ちを抑え、いつもの顔に戻ると、子供二人との生活に戻るのだった。ただ、里見のお腹の中には、三人目の子供が出来ていたことを、このときは、里見も山吉も気づかなかった。

日米交渉が始まったのが、昭和17年の5月22日からだった。
正使には東郷茂徳外務大臣がなり、副使に山本五十六海軍大臣が務めた。
陸軍からは、天皇の信任が厚い阿南惟幾陸軍中将が副使となった。
この日米交渉は、事前の御前会議で、日本からの「最終案」を基礎に政府最高会議に諮られた。
この会議でもリードしたのは東郷茂徳外相である。
東郷外相は、
「日米交渉妥結の道は、日本が如何に世界平和を望んでいるかを示すことにります。日本としては、先の日米交渉時の最終案を基に交渉に臨むべきと考えております」
そう話すと、それに反対する意見もいくつか出されたが、それを説得したのは、東條英機首相その人だった。
東條は、
「世界平和は、陛下ご自身がお望みであり、先の開戦決定に際しても、それを示された。しかし、私が皆の意見をまとめることができずに、開戦となったが、それは如何にも無念であります…」
「この際は、あの東郷声明にあるとおり、国際信義に基づいた日米交渉をしなければ、大日本帝国の面子がたちませぬ。よって、私は、東郷外相に同意いたします!」
と言い切った。
主戦派と目されていた東條が、東郷案に賛同したことで、政府最高会議は、日米交渉案を了承したのだった。
それを見届けると、東條英機は総理大臣職を辞した。そして、次の首相に、外交官の吉田茂を推薦して、
「ここまでが、私の仕事です。後は、東郷さん、吉田さんを助けてお願いします…」
そう言って、軍服も脱ぎ、二度と政治の世界に戻ることはなかった。
東郷は、吉田茂内閣で引き続き外務大臣職に止まり、副首相として日米交渉の責任者となった。
彼ならば、天皇の信任も厚く、だれもが交渉役として一番相応しい人物だと考えていた。
あの「東郷メッセージ」は、世界中に強烈な印象を残していた。
日米戦争終結後も、メッセージにあったように「平和への希求」と「人種差別撤廃」は、国際社会に大きな影響を与えるものとなっていた。
アメリカでも、連邦議会から追及を受けたルーズベルト大統領が、四面楚歌の中で責任を問われている最中に急死し、替わって急遽、副大統領のトルーマンが大統領職に就いたが、実質的な何も出来ず、前大統領のフーバーが大統領顧問として就任し、日米交渉を担当することになった。
また、当時の大統領の側近たちは、連邦議会から共産主義のスパイの疑いがかけられ、FBIやCIAの追及を受け、何人もの側近が自殺に追い込まれていた。
トルーマンは、アメリカ国民に対して、
「今までの政府の膿をすべて出し切り、自由と民主主義の旗印の下で、日本と協力して世界平和のために戦う…」
という演説を行い、国民の承認を得たのだった。もちろん、この演説がフーバー顧問の知恵の賜物でしかなかったが、トルーマンにしても、これしか選択肢がなかっともいえる。
そして、連邦議会が調査した中で、驚くべき計画が遂行していることに国民の多くが唖然となった事件が発覚していた。それは、アメリカ政府と軍部による「原子爆弾開発計画」である。
アメリカ政府は、ドイツからの亡命科学者を集めて、ドイツに対抗するための「原子爆弾」を開発していたのである。
これが明らかにされると、連邦議会は、「究極の殺人兵器」とアメリカ政府を弾劾した。そして、「完成後には日本に投下する…」という秘密文書まで暴き、騒ぎは大きなものになっていた。
この一連の騒動によるアメリカ国内での逮捕者は1000人に上り、「世界が今や破滅の道を進んでいる…」という実態を国民の多くは知ることになったのである。

そのころ、ヨーロッパでは、ドイツ軍の勢いに陰りが出始め、各地でドイツ軍への妨害工作が広がりを見せるようになっていた。この「レジスタンス」の活動には、密かにアメリカや日本も支援し、多額の軍事資金や武器、食糧等を送り、ドイツ軍も相当に手を焼くようになっていた。
ヨーロッパや中東諸国では、東郷メッセージが出ると、日露戦争時の「東郷平八郎」を思い出したようで、各地で「トーゴーデモ」と呼ばれる反戦運動が起こるようになっていた。
日本政府は、日米交渉の前にドイツとの同盟関係を停止する声明を出し、ドイツの日本大使館を通じて、ヒットラー総統に休戦するように働きかけていた。
イタリアは既に腰が引け、ムッソリーニは日本の提案を受け入れ、ドイツと離れて休戦する旨の声明を発し、軍事行動を停止させていた。
ヒットラーは日本の行動に烈火の如く怒ったが、世界の中で完全に孤立したことを知ると、当初の勢いをなくし、側近たちも次々と亡命するに至った。
そして、密かにヒットラーが乗っていた自動車と共に爆殺されたのは、日米交渉が始まる直前のことだった。
こうして、ドイツは唯一の最高指揮官だった総統を失い、ドイツ軍はすべての軍事行動を停止したのだった。

ドイツに帰国し、新型Uボートの艦長になっていたカール大尉は、少佐になり、日本での新型Uボートの実戦経験を生かそうとしていた矢先に、ドイツ内でクーデターが起こり、急遽、停戦命令が出されたのだった。
既にキール軍港で出撃を控えていた彼の潜水艦のクルーは、
「一体、どういうことなんだ!」
と憤慨し、勝手に出撃しようとしたのをカールは、体を呈して止めようとして部下に撃たれて大きな傷を負ったのだった。それでも、カールは、撃たれた肩を押さえつつ、流血しながら、彼らを説得した。
「や、やめろ。止めるんだ!」
「俺は、日本人とのハーフだ。君たちには気に入らない艦長かも知れない。しかし、俺は日本で戦争を止めさせるためにアメリカの潜水艦と戦った…」
「いいか。大義のない戦争はしてはいけない!」
「ドイツは、降伏したんじゃない。停戦したのは、平和のためなんだ…!」
「分かってくれ、日本と一緒に、これから世界平和のために、戦って貰えないか?」
そこまで言うと、カールは、意識を失い床に崩れ落ちた。
日本にいた山吉が調べてわかったのは、そこまでだった。
おそらく、どこかの病院に運び込まれたらしい…ということだっがた、未だに生死は不明のまま、行方知れずになっていたのだった。
(カール、無事でいてくれよ…)
山吉が今できることは、祈ることでしかなかった。そして、あの戦いで、もしカール大尉がいなかったら、俺や「イ号001潜」はどうなっていたのだろう…と考えるのだった。

山吉は、日米交渉の随員として使節団を乗せた戦艦大和に乗り込んだ。
この巨大戦艦こそが、あのハワイ沖海戦の連合艦隊の旗艦として日本を勝利に導いた戦艦なのだ。
山吉は、深い海の中から何度も大和に向かって情報を送ったことを思い出していた。
微弱な暗号無電でありながら、大和の受信班は正確に山吉のメッセージを受け取り、作戦に生かしてくれた。それは、前線に立つ指揮官として、これ以上有り難いことはなかった。
必死の思いで一文、一文を書き、「頼む、届いてくれ…」と念じながら、打電した通信担当の兵たちも必死の思いで、間違いなく送信したのだ。それは、平常時には大したことのない作業のように見えるが、戦いの最中での送信ほど神経を尖らせる作業はなかった。
あのとき、航海班も通信班も水雷班も機関室も、死に物狂いで戦い、やっとの思いで勝利を得たが、あれも紙一重だったのだ。
それもこれも、「自分たちは正義の戦いをしている…」という自負があったからだと思う。
人間というものは、愚かな生き物だが、確かな生きる意義がなくなったとき、死を迎えるのかも知れないな…と山吉は思うのだった。

山吉の随員としての役割は、山本五十六副使に対しての補佐ということだった。実際に潜水艦戦を戦った指揮官として、アメリカ側に潜水艦戦の状況を伝える責任があった。
あの海戦は、アメリカ側の攻撃から始まった事実は、アメリカ政府も認めているようだが、やはり、詳細が気になっているらしい。それに、アメリカ海軍は、「日本にドイツのUボートが紛れている…」との噂が流れており、大破をした潜水艦の艦長も「ドイツのホーミング魚雷でやられた」と主張しているとのことだった。
まさに、事実はその通りだが、それは飽くまで日本海軍の極秘事項であり、たとえホーミング魚雷であっても、日本が独自に開発した兵器としておきたい思惑があった。
だからこそ、あの「イ号001潜」は、今や解体され、各研究機関で分析が行われているのだ。そして、我々の出撃は極秘任務であり、あの潜水艦戦は、別のイ号潜水艦の戦果だ…ということになっていた。
だから、あの艦にドイツの海軍技術大尉のカールが乗艦していたことは、決して漏らしてはならなかった。飽くまで、カールは「神戸守大尉」なのだ。

戦艦大和が、日米交渉の使節団を乗せてハワイ真珠湾軍港に到着したのは、昭和17年5月20日の午後2時ころだった。
いつもよりゆっくりとした航海で、護衛の駆逐艦も僅か5隻で、大和の乗組員も戦闘時ほどの緊張感はなく、連日、訓練に明け暮れてはいたが、各班長の指示する声も普段より穏やかに聞こえていた。
それに、夜な夜な行われているはずの罰直も副長の野村大佐から禁止令が出されており、甲板上ですれ違う兵たちの顔にもゆとりが見られていた。
彼らも、ハワイに着けば、日本海軍の英雄として歓迎を受けるのだ。
その日のパール・ハーバーの空は、目映いばかりの光が燦々と降り注ぎ、ハワイは、街を上げての大歓迎になった。
それまでに、港の施設は修復が終わり、旧式戦艦は、すべてスクラップに回されていた。
山吉は、あの日、大和を初めとした連合艦隊の戦艦部隊が一斉に艦砲射撃をしたことから、ハワイの軍港や航空基地は、散々に破壊されたと思っていたが、被害は最少限度で済んだらしかった。それは、後から聞くところによると、数機の観測機がハワイ上空に配置され、無線で砲弾の着弾地点を指示していたのだった。
それは、山本長官の配慮によるもので、山本は、
「まずは、人命を第一に考えたい。無用な砲撃は慎み、まずは航空基地の滑走路を破壊すること、そして、軍港の施設を破壊することなく、港内に砲弾を撃ち込むこと!」
と命じたのだった。
戦場では、そんな精密な砲撃をすることは不可能だったが、今回は、観測機を飛ばす余裕があったために、精密砲撃が出来たのだった。その上、艦砲射撃を行う時刻と場所を事前にハワイ州知事宛に打電していたために、ハワイでの死傷者は、港湾施設や航空基地に勤務する数十人だったそうだ。
ほとんどのハワイ在住の人々は、山の方へ避難し、家屋の多くも無事だった。
ハワイには日系人が多く、一時は蜂起する可能性があったが、それも連合艦隊司令長官名で空からビラが撒かれたために、ハワイでは大きな混乱は起きなかった。そのビラには、
「ハワイ在住の日系人の皆さんへ
日本海軍は、けっしてアメリカと戦争をするために、ここに来たわけではありません。平和裏に問題を解決したいと考えています。どうか、落ち着いて行動し、栄えある大日本帝国臣民の誇りの下に、正義ある行動を望みます。
大日本帝国海軍 連合艦隊司令長官 海軍大将 山本五十六 花押」
と書かれていた。
そのために、これを拾った日系人は、整然と退避し、艦砲射撃が終わり次第、その後片付けのために軍港で集まったといわれている。その数、およそ一万人もいたそうだ。
老若男女が挙って清掃に取り組む姿を見て、他のアメリカ人たちも一緒になって片付けを行ったために、修復も早く進み、いち早く正常な生活に戻ったという。
これも、あの「東郷メッセージ」の効果だったのかも知れない。

日米交渉は、世界中のマスコミがハワイに駆けつけ、会談に使用された「ハワイ・パシフィック・ホテル」では、会談が行われた日は毎日記者会見が行われ、特に東郷外務大臣は「ミスタートーゴー」と呼ばれ、大人気を博していた。また、山本大臣は、軍関係者から引っ張りだことなり、あちらこちらで囲みが出来て、丁寧に取材に応じるのだった。
会談は終始、日本ペースで進んだ。それもこれも、日本から出発するとき、全権大使である東郷外務大臣に陛下から手渡された覚え書きには、「全権委任」の文字が書かれており、日本の将来をすべて東郷大臣の決定に委ねられることになったからである。
東郷大臣は、副使の山本大臣と謀り、政府最高会議での決定事項を基本に、
(1)満州国は、10年後に完全に満州人による独立国と為す
(2)10年以内に、日本軍は中国から完全撤退する
(3)中国は、蒋介石を総理とした中華民国と為す
(4)日独伊軍事同盟を即日破棄する
(5)日米平和条約を締結し、同盟関係を築く
の五つを柱としたアメリカ政府に提案したのだった。
そして、付帯条項として、
①「国際平和会議の設立」と②「人種差別主義の撤廃」を求めたのだった。
アメリカ政府は、付帯条項の②に難色を示したが、東郷大臣は、
「では、10年以内としては如何ですか。国内をまとめる時間も必要でありましょう」
「今や国際世論は、平和を希求し、有色人種への差別や偏見を憎むような世論形成が出来つつあります。これに固執しては、国際平和会議を開くことも難しくなり、失礼ながら失墜したアメリカ政府の権威を取り戻すことも難しくなるのではありませんか…?」
そう言われて、アメリカの正使となったフーバー前大統領は、
「もちろん。新生アメリカの姿を世界に見て貰うためには、我が国が率先してあらゆる差別と偏見を捨て去る努力を示さねばなりません」
「そのための、日米同盟にしていきましょう…」
そう言って、東郷の手を強く握りしめるのだった。
この記事は、写真入りでアメリカの有力紙に掲載されると、日を置かずに、ヨーロッパでも大々的に取り上げられ、ラジオのニュースでも何度も放送されることになった。
こうして、日米交渉は成功のうちに幕を閉じ、一行は、表敬訪問のためにそのまま戦艦大和と共に、アメリカ本国へと旅立ったのであった。

山吉は、ハワイの太平洋艦隊司令部に出向くと、司令長官のチェスター・ニミッツ大将の歓迎を受け、潜水艦戦を戦ったサンダース少佐と会うことになった。
サンダースは、率直に敗北を認め、日本の潜水艦の優秀さと艦長である山吉の巧みな戦術に頭を下げた。そして、山吉の顔を見詰めると、
「だが、ひとつ疑問が残る…」
「あの最後に放たれた魚雷は、ドイツ製のホーミング魚雷ではなかったのか?」
そう問われて山吉は、
「確かに、あれは、ホーミングとドイツで呼ばれている技術を使っています」
「日本は、ドイツとの同盟関係にあり、あの魚雷の設計図を手に入れておりました。そして、出来たばかりの日本製の動力追尾装置付魚雷を試験的に発射したものです…」
そう答えると、サンダース少佐は満足したように頷き、
「確かに、あれは私の艦のスクリューをねらって追尾してきた。凄い兵器だ。我が軍も早急に研究させて貰うよ…」
そう言って、改めて山吉に笑顔を見せるのだった。
その後は、ハワイ軍港にあるアメリカ海軍の潜水艦を見学させて貰ったり、戦術を聞かせて貰ったりと、有意義な時間を過ごした後、大和に乗り込み、アメリカ本土を目指したのだった。

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