「戦争」論にもの申す。 矢吹直彦
ついにロシアとウクライナの戦争が始まってしまいました。それも傍から見れば間違いなく「侵略戦争」です。どんな経緯と勝算があって作戦行動に出たのかはわかりませんが、表には見えない無数の謀略があり、何らかの意図があっての行動だとは思います。しかし、双方の国民にとって「戦争」は悲劇でしかありません。この戦争によって利益を得る人間がいるはずですが、それはけっして表に出てくることはないでしょう。戦争とは、いつも、そのような「影」がつきまとっています。また、気をつけたいのは世論を惑わす「報道」にあります。今ではSNSという手段がありますが、それすらも双方の「情報戦」の手段として使われ、何が真実で、何がフェイクなのか…冷静な分析が必要です。そういう目で見ていると、日本が嵌められたいわゆる「太平洋戦争」(GHQ命令)を思い起こしながら、この「ウクライナ・ロシア戦争」を考えてみたいと思います。
1 侵略国家論
「太平洋戦争史観」においては、昭和前期の日本は「侵略国家」であり、ドイツと並ぶ「悪の帝国」でした。アジアにおいて、中国の利権を独り占めしようとしている日本(誤解…)を欧米列強は許せなかったのです。特に中国への進出が遅れたアメリカは、日露戦争の終戦を仲介してやったにも拘わらず、恩義を感じることなく、アメリカの国益の邪魔をする日本が憎くて仕方がありませんでした。こうした憎悪の感情が高ぶって、日本を叩き潰してやろう…という邪悪な憎しみが湧いてきたのだろうと思います。そして、この「アメリカ」とは、アメリカ合衆国の裏に蠢く権力(金融界他)のことです。表に出てくる人たちは、その裏の勢力に操られる「人形」です。だから、時の大統領フランクリン・ルーズベルトは、体調不良を隠して4選を果たし、「アメリカは如何なる戦争にも参加しない!」ことを公約しておきながら、結局は世界大戦の主役となってしまいました。そして、長年の無理が祟って、高血圧症であっけなく死んでしまったのです。
自分の意思なら、四度目の大統領選挙に立つことはなかったでしょう。しかし、操り人形となった大統領は、自分の意思に関係なく表舞台に立ち続けなければならなかった…としたら、本当にお気の毒な話です。彼の晩年は、ソ連のスターリンとそのスパイたちに思うように操られ、悪名高い「ヤルタ会談」では、既に朦朧としていて正常な判断が下せなかった…とイギリスのチャーチルが語っています。側近に抱えられるようにして海を渡り、治療と称する薬物でボロボロになりながらもその場にいなければならなかった老人の姿は「憐れ」としか言いようがありません。結局、彼は、戦勝国の国家元首として、莫大な富と権力を手にすることもなく失意のうちに亡くなりました。まさに、「幻の英雄」です。今でも彼はアメリカ合衆国の歴代大統領の中でも「偉人」として扱われているそうですが、第二次世界大戦や東京裁判の情報が公開されれば、偉人の地位を保てるかどうかは疑問です。彼は、ただ、操られるままに国際舞台で踊っていただけの政治家でしたから、こうした最期を迎えるのは当然だったのかも知れません。だから、戦前に、いくら日本がこの大統領と交渉をしようにも、誠意が通じるはずがなかったのです。
こうした「裏の闇」は、ロシアの大統領にも、ウクライナの大統領にもありそうです。最近、その手の話がネット上で囁かれるようになりましたが、戦争には必ず「闇」の部分があることを忘れてはならないと思います。さて、GHQの名付けた「太平洋戦争」は、東京裁判において、一部の軍や政治指導者が、「世界侵略」を意図して共同謀議を行い、意図的、計画的に侵略戦争を起こしたと断定されました。もちろん、日本にそんな意図も実行力もありません。日本が造り上げた軍事力は、所詮は日本の領土・領海を守る「防衛力」でしかないのです。その僅かな防衛力を使って戦争を仕掛けても、所詮は戦力的に限界があります。さすがに、大会戦1回分は戦えますが、2回戦、3回戦を行う実力は日本軍にはありませんでした。それがアメリカとの国力の差でした。戦争は、攻撃力だけを備えても勝つことはできません。国内での生産力や輸送力など、後方の体制が整っていなければ、大戦争を勝ち抜くことなどできるはずがないのです。
軍事用語に「兵站」(へいたん)という言葉がありますが、要するに輸送力がものを言います。前線まで兵員、武器、弾薬、医薬品、食糧、消耗品等を大量に送り、戦いを支える必要があります。日本軍はその専門部隊が貧弱で、その地位も低く見られていました。技術分野も同じです。戦う戦闘部隊の地位が高く、技術将校や工兵などはインテリでも、軍隊では出世しないのです。つまり、「守る」ことを主とした軍隊では、他国への遠征は二の次で、日本の領土内だけのことで精一杯でした。もし、太平洋全域に戦線を拡大するのなら、それに見合う輸送計画がなければならず、専門部隊が充実していなければなりません。しかし、日本の陸海軍は「兵站」を軽視し、アメリカ軍のような専門部隊は存在しませんでした。
輸送といえば、民間の船舶を徴用して僅かな護衛艦(駆逐艦や駆潜艇)で守りながら運んだに過ぎないのです。だから、アメリカの潜水艦に次々と輸送船が撃沈され、軍艦より輸送船の民間人船員の方が戦死者は多かったくらいです。とにかく、局地戦しかイメージしていない日本軍ができる戦争ではなかったのです。そんなことは、アメリカ軍だって分析して、わかっていたはずです。それを国民向けには、恰もアメリカ本土をもねらう邪悪な帝国として宣伝活動を行ったのは、アメリカ政府とアメリカ軍です。そして、その嘘の共同謀議に関わったとされる複数の政治家や軍人がA級戦犯として裁かれ、東條英機元首相以下の7人は首謀者として処刑(絞首刑)されました。それ以外にも戦争中に「戦争犯罪」を犯したとされた一般兵士もB級若しくはC級戦犯として裁かれ、戦後に処刑されたのです。
東京裁判では、「戦争犯罪は日本軍だけではない」という主張もされましたが、裁判長は、「この法廷は日本を裁く場である」として、連合国軍の戦争犯罪は不問に伏されました。それを取り上げれば、原爆投下も都市空襲も「大量虐殺」に相当し、それを命じたアメリカ大統領を喚問しなければならなくなります。そんなことが、できるはずがありません。したがって、この裁判が、日本を潰すための「復讐裁判」だと揶揄される理由です。こうして、日本から、邪悪な戦争を意図・実行した「極悪人」は一掃され、善良なるアメリカ合衆国(と、連合国軍)の指導の下に、民主主義国家として生まれ変わったことになったのです。今でも日本は、アメリカと強力な軍事同盟を結び、アメリカに従属しながら、国際社会で生きています。しかし、どんな権力者が夢想しても、思うようにはいかないのが現実社会です。
「日本を中国から追い出せば、アメリカは利益を独占できる」と考えたアメリカでしたが、結果は、何も得られないどころか、日本以上の邪悪な共産主義国家を誕生させてしまいました。確かに、いっときは甘い汁を吸った闇の権力者はいたかも知れません。しかし、中国が強大な国家になった現在、逆に世界の覇権をアメリカと競うまでに成長してしまいました。「せっかく日本を大陸から追い出し、共産主義国家として認めてやったのに、またもや、アメリカに立ちはだかる強大な国家として、アメリカに楯突く」。そんなふうに思っている人も多いことでしょう。アメリカは、民主主義を標榜する大国ですが、内部では、様々な謀略が渦巻く難しい国です。戦後の日本の占領期も一時は共産主義者の意のままに操られ、日本でまさに革命が起こらんとする瀬戸際に、アメリカの空気が一変しました。それは、朝鮮戦争が起こったからです。
当時のアメリカが造り上げた中華人民共和国がソ連と一緒になってアメリカに向かってきたのです。だれもが、共産主義国ソ連と民主主義国アメリカが協力できる関係になるとは考えもしませんでした。それが、ドイツと日本という共通の敵が出来たとき、両者は手を組み、ドイツと日本を叩き潰したのです。そして、勝利した後は、中国大陸で利用した蒋介石を見捨て、毛沢東の中国共産党を支援しました。そこまでして、アメリカは中国に新しい国を創ったのに、数年後には完全に敵対関係になり、大きな抵抗勢力となってしまいました。ソ連は、病に冒されたルーズベルト大統領をたぶらかし、ヤルタ会談で勝手に世界を分断してしまいました。戦勝国の首脳だけで勝手に世界地図を書き換えるなど、あってはならない暴挙でしたが、ソ連の強硬な態度に妥協し、アメリカやイギリスはそれに応じました。この時点で、世界の支配者は間違いなくソ連のスターリンだったのです。
要するに第二次世界大戦は、ソ連の謀略によって始まり、ソ連の謀略によって世界秩序が創られたのです。その背後にいた者は、今以てはっきりしませんが、そのスターリンも大きな闇の支配者に操られていたのでしょう。ただし、アメリカは一枚岩ではありません。戦争が終わってみると、だれもがアメリカ主導による世界平和がもたらされると考えていました。しかし、そこに新たな敵として現れたのが、アメリカが支援し続けたソ連です。そして、中国も共産化してしまい、アメリカに牙を向けてきました。それに驚いたアメリカ議会が詳しく調査してみると、当時のアメリカ政府がとんでもない事態に陥っていたことに気がついたのです。つまり、戦争中のアメリカ政府は、ソ連のスパイ(若しくは親ソ・容共主義者)によって牛耳られ、ソ連に操られていたことに気づかされたのです。しかし、それに気づいてもアメリカの名誉のために、それを公にすることはできませんでした。だから、今でもルーズベルトはアメリカの英雄なのです。しかし、戦後、アメリカ政府がソ連のスパイに操られていたことを知った人々は、驚いたことでしょう。
ルーズベルトの前のフーバー前大統領も騙されていた一人です。彼はその著書に「ルーズベルトに騙されていた!」と正直に書いています。しかも、あの日本軍による真珠湾攻撃まで、自分たちを騙す方法だとは気づきもしませんでした。本当は太平洋の同盟国になり得た日本を、たかが中国での権益のために莫大な戦費を投入して潰さなくても、真の敵はそこにはいなかったのに…と悔やみました。そして、フーバー自身もアメリカの裏社会で蠢く闇の勢力の怖ろしさに改めて気づいたのだろうと思います。そこで起きたのが、「レッドパージ」(共産主義者追放運動)でした。アメリカ議会は、急いで調査を開始し、政府内に蠢くスパイを摘発し処罰していきました。中には、逃亡したり、自殺したりするスパイもいましたが、全貌を把握するまでには至らなかったようです。なぜなら、かなりの高官にまでその勢力は蔓延っており、手のつけられない状態になっていたと言います。それでも、アメリカ合衆国としては、国として認められない「共産主義」をこれ以上見過ごすわけにはいきません。徹底したスパイ狩りが行われました。
アメリカ本国で、レッドパージの嵐が吹き荒れていたころ、日本の占領軍である「GHQ」の中にもたくさんのソ連のスパイや容共主義者がいることが分かって来ました。それは当然のことです。アメリカ政府や軍から派遣された軍人たちですから、当然、ソ連のスパイが入り込んだとしても不思議ではありません。そして、彼らはソ連のスパイであり、アメリカの国益よりソ連の国益を考えて動く人間たちなのです。そんな人間が日本の占領政策を行えば、自ずと日本が共産化するのは当然です。彼らが真っ先に行ったのが、日本でスパイ容疑で収監されていた共産主義者たちを監獄から解き放ったことです。それまで非合法活動の罪で刑に服していた人間が、再審裁判を経ることなく社会に大手を振って出て来たのです。これは、間違いなく社会秩序の破壊行為でした。そして、有名な財閥解体、憲法改正、農地解放、指導者の公職追放、学制改革…などを占領直後から進めていったのです。そのどれをとっても日本を共産化するための政策でした。
残すは「皇室解体」だけでしたが、アメリカの空気が変わったこととレッドパージにより、辛うじて天皇陛下と直宮だけが残されました。しかし、多くの皇族がその身分を奪われたことで、70年後、皇室の存続問題が表面化してきたことは承知のとおりです。アメリカの共産主義者追放運動は、日本でも起こり、GHQの命令で日本の中の共産主義者が追放され、占領政策の逆転現象が起こりました。しかし、日本は既に憲法が改正され、多くの占領政策は終わっていましたので、それが旧に復することはありませんでした。特にマスコミは、完全に共産主義思想に取り込まれ、今の大新聞社のほとんどは、日本の国益よりも共産主義国に利する報道を続けています。数年前に起こった「従軍慰安婦」大キャンペーンを見れば明らかです。敗戦の後遺症はこんなところにも残っているのです。おそらく、日本を知らない世界の人々は、今でも太平洋戦争史観、東京裁判史観で日本を見ているはずです。それどころか、未だにこの歴史観を信じている日本人がたくさんいることも事実です。
ところが、戦後75年が過ぎて、日本人の中にも「この歴史観がおかしい?」と意義を唱える人々が出て来ました。彼らは、「戦争は、そんな単純なものではない。もっと複雑な事情が絡み合って起きた結果であり、日本に世界を侵略しようなどという意図はどこにもなかった」と主張していますが、太平洋戦争史観を重視する勢力は、これを「歴史修正主義者」というレッテルを貼って、国民の目を真実から遠ざけようとしています。しかし、戦後生まれの人間から見れば、太平洋戦争史観は、あまりにも図式が単純すぎて信用できません。先日、嘘が暴かれた「従軍慰安婦」論争ですら、あまりにも滑稽な話ばかりで信用ならなかったのですが、大手新聞社が大キャンペーンを行い、政治家がそれに追随すれば嘘も事実にすり替えられてしまうのです。ましてや文部科学省の教科書検定まで通ったとなれば、国民は間違いなく真実だと思い込みます。
敗戦後の7年間、日本は独立国ではありませんでした。ポツダム宣言に則り、連合国軍最高司令部(GHQ)の間接統治を受け入れ、日本は社会体制を根本から崩され、共産主義国家に変貌しようとしていたのです。もし、朝鮮戦争が起こらず、アメリカとソ連との対立が深刻化しなければ、アメリカでレッドパージも起こらず、日本は完全に共産主義国となり、ソ連や中国の属国となっていたことでしょう。そのときには、日本で真実を語れる人も機関もなく、ソ連や今の中国の人々のように差別と圧政に苦しみ、侵略国家の汚名を着せられたまま「日本」という国名も消され、「〇〇自治区」とでも呼ばれ、ロシア人や中国人の混血で、日本民族が滅びてしまったことは容易に想像出来ます。
既に、中華人民共和国に侵略されたチベットやモンゴル、ウィグルなどの人々は、今現在、そんな過酷な虐待を受け続けているではありませんか。そして、ウクライナの人々は、そんなソ連時代の過酷な歴史を知っているために、易々とロシアに自国の運命を委ねることが出来ないのだと思います。確かに、ウクライナ政府にも大きな問題があったからこそ、ロシアに付け入らせる隙を与えたことも事実です。しかし、国民は違います。もし、日本が同じ状況になれば、日本政府がどうあろうと、国民は易々と白旗を揚げることはないはずです。「国を守る」とは、国民の生命を守ることだけでなないのです。国の歴史や伝統、先祖の名誉、そして日本の「国体」を守り抜くことなのです。
2 報道・謀略論
今、マスコミは挙ってウクライナとロシアの戦争を報道していますが、かなり偏った報道であることがわかります。侵攻したのはロシア軍ですから、当然非難されるのはロシアですが、戦争に至るまでには双方にそれなりの言い分があり、結果として武力でしか決着をつけられなかったわけですから、双方の政治にはかなりの問題があったと言わざるをえません。いったい、ロシアとウクライナとの間には、何があったと言うのでしょう。ソ連時代には、ウクライナには大量の核兵器が置かれ、チェルノブイリ原発もありました。まさに、危険な武器庫のような国です。ソ連が崩壊するとウクライナも独立していますので、ロシアとは異なる歴史や文化のある民族がいたのだと思います。衛星国とは、いわゆる「属国」でしかありません。かつては、植民地と呼ばれましたが、今では衛星国なのでしょう。世界の国旗を見ても、未だに独立したとはいえ、その国旗に元の宗主国の旗が描かれている物を見ますが、やはり、真の独立は難しいようです。国際政治は「騙し合い」だと言うようですが、昔も今も情報戦争というものがあります。日本人は、どちらかというと謀略を好まず、正々堂々と戦う…といった武士道精神が好きで、謀略をするような人間を見下すようなところがあります。それは、敵対する相手にとって、これほど好都合なことはありません。今でも日本には「スパイ防止法」がありませんが、たとえ国家機密情報が盗まれても、日本ではそれを裁く法律がないのです。したがって、国家公務員が機密情報を他国のスパイに売っても、国家公務員法違反でしかありません。他国なら間違いなく死刑の重罪が日本では、懲戒処分でしかありません。支那事変から大東亜戦争までの期間、日本の情報戦はほとんど完敗だったようです。もちろん、海外の大使館付き武官の中には、今でも高く評価されている情報将校はいましたが、肝腎の日本政府や大本営は、まったくの無力でした。情報の価値が分かっていない国民性のためか、一部の親ソ派の軍人(参謀)が自分の裁量によって情報を握り潰すことも出来たのです。情報の重要性や価値が分かっていれば、どんな些細な情報もそのままトップにまで上げられるはずです。そのチェック機能すらないのですから、お粗末としかいいようがありません。自分にとって都合のいい情報だけを欲して、都合の悪い情報は無視するといった習性で仕事をしていては、勝てる戦も勝てません。新聞も売り上げ部数を上げることだけに血道を上げると、情報を操作してでもスクープを取りたがります。中国戦線での「100人斬り競争」や太平洋戦線の「過大戦果」報道などは、その最たるものでした。しかし、これは日本だけの問題ではなく、アメリカや中国でも演出に基づいたスクープ写真などがあり、国民を熱狂させた事実があります。こうした宣伝が一番上手で大規模だったのが、中国です。今でも「南京大虐殺事件」に関連する写真がたくさん存在していますが、かなりの写真が捏造であることが暴かれています。それを疑いもせずに博物館等で展示していた日本人も「間抜け」の誹りは免れません。出版物などには、今でも平気で掲載されていますから、買うときに注意したいものです。とにかく、戦争では「似非報道」と「謀略」が付きものですので、今回のウクライナの戦争も報道には注意しなければなりません。最近では加工技術が格段に進み、実際に加工されているかどうか判別が付きにくい映像や写真があるそうです。素人には分かりませんが、意図的に行われているとすれば、それも「情報戦」ということになるのでしょう。この情報戦は、規模が大きければ大きいほど真実に見えるものです。日本も大新聞の見出しや大本営発表に聞き耳を立て、一喜一憂していたのです。戦後もGHQによる「真相箱」と称するラジオ放送によって、日本軍の悪事を暴いたとされていますが、これも占領軍の謀略放送だったことは有名です。日本人は、人を信じやすい国民性ですが、グローバル化した現代において、それは美徳とは言えないのかも知れません。
3 「大義」論
戦争当事国にとって一番大切なのが、この戦いが「正義」であることを知らしめることにあります。今回のウクライナとロシアの戦争では、報道を見る限り、正義はウクライナに軍配が上がります。つまり、ウクライナは邪悪なロシア帝国の侵略から国を守る「祖国防衛戦争」になっているからです。もちろん、ロシアにはロシアの言い分はあると思いますが、その言い分が「正義」としての主張になっていません。これでは、間違いなく邪悪な侵略国家の烙印が押されて当然です。第二次世界大戦も、邪悪な枢軸国であるドイツ、イタリア、日本の「世界侵略の野望を駆逐する」という大義名分があって、欧米は宣戦布告をしました。日本の立場からいうと、中国大陸での権益と邦人を守らんがために欧米と軋轢を生むことになってしまいましたが、けっして、国際社会と争う気持ちはありませんでした。そして、真珠湾攻撃の奇襲攻撃にしても、国際社会からの厳しい経済封鎖があったために、やむを得ず、自存自衛のために立ち上がったというのが本音です。たとえ、それが、アメリカの謀略だったとしても、先に手を出したことで、「卑怯な騙し討ち」と非難されても仕方がありませんでした。こうなると、世界の正義は、日本の同盟国にはありません。まして、同盟国ドイツは、「ユダヤ人虐殺」というとんでもない犯罪を犯し、日本は世界中にだれ一人として味方のいない孤児となってしまいました。あのソ連でさえ、ドイツとの戦いを「祖国防衛戦争」と高らかに歌い上げたお陰で連合国軍の仲間入りをして、戦勝国となりました。本来であれば、共産主義のソ連と民主主義のアメリカが協力できるはずがないのに、「敵の敵は味方」の論理で、同じ連合国として「世界平和」に貢献したことになってしまいました。その付けは、戦後間もなくアメリカが払わされることになりました。それが「冷戦」時代です。アメリカが先に核兵器の開発に成功し、広島と長崎に投下したことで、世界の優位に立ったように見えましたが、ソ連も同時期に開発に着手しており、僅かの差でソ連も核兵器を手にしました。結局、アメリカは原爆投下という汚名を後世に残し、その心の傷は、アメリカ政府だけでなくアメリが合衆国国民の傷になりました。だから、今でも原爆投下についての謝罪の言葉がありません。本当は言いたくて仕方がないのですが、アメリカのプライドに賭けてそれは出来ないのでしょう。確かに「戦争犯罪」として見れば、究極の残虐な行為でしかなく、人類史上、これ以上の非道な攻撃はありませんでした。戦後、アメリカは、いつも原爆投下の話題を避け、代わりに真珠湾攻撃やバターン死の行進などを持ち出しますが、この二つは通常の攻撃の範囲であり、数十万人の民間人を一瞬に焼き殺した核攻撃とは同列にすることはできません。日本人はそれを声高に非難することもしませんので、アメリカ人はホッとしていると同時に、いつ言われるかとビクビクしているに違いないのです。それだけ、アメリカに「正義」はなかったのです。さて、今回の戦争は、完全にロシアの負けです。国際社会は9対1くらいの割合でウクライナを応援し、ロシアを非難しています。こうなると、本来、ロシアの味方になるはずの同盟国も積極的な支援はしにくくなり、日和見を決め込むしかないありません。正義という「錦の御旗」がウクライナにはためいている以上、ロシアが生き残るためには、早く矛を収め政権を交替するしかありません。たとえクーデターがロシアで起こっても、それを非難する人はいないということです。きっとロシア国内では、そんな機会を窺っている勢力がいるはずです。よく大義名分と言いますが、けんかをはじめる以上、相手の非を鳴らし、こちらの正義を主張し続けなければ、どんな強者もいずれは敗者になるということです。
4 国民論
「戦争は、外交の一手段」だと言われますが、では、外交は何のために行われているのでしょう。それは、一重に自国の誇りと国民を守るためです。よく「国益」という言葉が遣われますが、国益などという言葉は、あまりにも損得の匂いがしてなりません。最近は、子供でも常に損得勘定を考えて行動し、「世のため、人のため」という公の意識を無くしてしまいました。そのために何が起こったかというと、社会問題になった「いじめ」です。自分の鬱憤を晴らせるのなら、弱い友人を虐めても心に痛みを持たないのです。自分が殴ったり、蹴ったりしても、相手の気持ちを考えられない人間は、大人になっても陽向の道を歩くことは出来ないでしょう。因果応報ではありませんが、「天に唾を吐く者は、いずれ天罰が下る」です。いい大人でさえ、自分が損をするとなると必死に誤魔化し、嘘を吐いてまでも自分の正当性を主張し、過ちを認めようともしません。これと同じようなことが「国益」を叫ぶ政治家にも見て取れます。あまり目先の国益にのみ拘ると、いつか、大きなしっぺ返しが来るように思います。人間も国も「ギブアンドテイク」でいきたいものです。歴史的に見れば、欧米の歴史はまさに「国益」重視の歴史でした。帝国主義時代といわれたように、自国の繁栄(いや、自分の利益)のためなら他国を侵し、他国の人々が塗炭の苦しみに喘いでいても恥じることがないのです。しかし、日本は違いました。大東亜戦争の敗戦に至るまで、日本人は武士道的正義感で国際社会に打って出たのです。常に正論で堂々と渡り合おうとした結果、価値観の異なる国際社会から疎まれた挙げ句、憎しみを買い、あの大戦に至ったのです。さて、それでは、あの時代国民は一体どこにいたのでしょう。世界中が国益、国益と叫び、他国の国民や事情も顧みず、自国の利益のためだけに難癖を付けて戦争を仕掛け、勝利すれば領土を広げ国力を高める。逆に侵略された国は、国の歴史も文化も誇りを奪われ、奴隷以下の処遇しか与えられなくても、だれも文句を言わず、黙々と運命に従う。そんな世界で、だれが幸せになったのでしょうか。それは、きっと一部の政治家と特権階級の人たちだけだったと思います。日本も日清、日露の戦争を勝ち抜き、中国大陸に大きな権益を得ましたが、それで国民が幸せになったわけではありません。領土が拡大した分、未開の土地への投資は本国の経済に大きな負担をかけてしまったのです。それも、隣国が常に領土拡大をねらう「ロシア帝国」でしたから、やむを得ない選択ではありました。それでも、獲得した権益を守ろうとするのは国として当然のことです。そこに邦人が移り住み、暮らしが始まれば、それを防衛するのは国の責任でもありました。たとえ、そこに暮らす人々から憎しみを買おうとも、一度勝ち取った権利を手放すには、相当の勇気が必要なのです。だからこそ、日本人は、いくら外国に権益を得ても、あまり搾取するという考え方はしませんでした。併合した朝鮮でも、建国した満州国でも、戦争で勝ち取った台湾でも、まずはインフラの整備などの土台作りからはじめています。おそらく、朝鮮や満州に行って調査すれば、日本人の功績はたくさん残されているはずです。今の韓国や北朝鮮、中国(中共)では、日本人の功績を認めようとはしませんが、そうでなければ、あれほどの発展はなかったはずです。その証拠に、台湾では日本人の功績は賞賛され、今でも日本統治時代に造られ使われている物がたくさんあります。その国の統治者が、しっかりと歴史を見詰め、真実を語ろうとするならば「正しい歴史」がその国に残りますが、不都合な真実を隠そうとすれば、後世に残されるのは「歪められた歴史」でしかありません。しかし、その国に生きてきた人たちはよく知っています。国の公式の歴史書に残らないから「歴史ではない」と考えるのは、政治家や学者だけです。自分の利益のために歴史を利用しようとする人たちは、自分に都合のいい歴史しか信じません。しかし、普通に生活をしている人々に損得はないのです。「国民の声」とは、そのようなものだと思います。実際、今でも日本の国民は穏やかで節度を身につけた人がほとんどです。今回のウクライナの戦争にしても、同情を寄せる声は大きく、日本人にとっても他人事ではないのです。ただ、マスコミに登場する識者の中に、一般国民とは異なる発言をして注目を集める人たちがいます。そして、「日本人は、戦う気概がない」などと、したり顔で批判する識者もいます。本当にそうでしょうか。私はそうは思いません。日本人は、自分の心を表に出すことをよしとしません。出来れば本音を隠し、当たり障りのない言い方でその場を取り繕うとします。マスコミなどに「戦争になったら、銃を執りますか?」と聞かれて「はい!」と答える人がどのくらいいるでしょうか。おそらくは、肯定的な回答は2割程度だと思います。しかし、実際、家族を思い、恋人を思い、仲間を思う人はとても多いのです。統計資料は、数字で表されますから客観的だと思う人は多いと思いますが、統計をまとめる側の意図や質問方法によって、数値は大きく変わるものです。胡散臭い人間にそんなナイーブな質問をされて、だれが自分の心の中にある「本音」を語ると思いますか。逆に、適当に答えてその場から離れたいとするのが人情でしょう。いい加減な調査に基づいて、マスコミや識者はしたり顔で分析して見せますが、日本人の本音を引き出させたければ、聞く側も真摯な気持ちで聞かなければなりません。それが、節度というものです。日本人にしてみれば、自分の愛する人たちが危険な状態になっているにも関わらず、自分の身の安全だけを考えるのは「卑怯者」と考えるのが普通です。それは、平和な時代に声に出すことはありませんが、いざとなれば、無言で行動するのが日本人だと思います。11年前の東日本大震災のとき、多くの被災した東北の人々は、けっして取り乱すことなく、あの苦難に耐えました。それは、世界が賞賛する出来事でした。昨年の東京オリンピックやパラリンピックでも、コロナ禍の中で無名のボランティアやスタッフは、立派に運営を成し遂げたではありませんか。それを必要以上に騒ぎ立てたのは、マスコミと一部政治家、そして活動家たちです。常に人の上に立ち、自分が国民の指導者であるかのように振る舞うマスコミや識者が考えるほど、日本人は愚かではありません。世界では、「民度」という言葉を遣って、その国の国民の質を問うことがありますが、世界中で「日本人の民度が低い」という評価を聞いたことがありません。優しさ、謙虚さ、思いやり、勇気などは、日本人が歴史的に持つ美徳です。戦争も起こすのは一部の政治家ですが、その結果を受け取るのはすべて国民です。大東亜戦争にしても、開戦時の首相だった東條英機は、一度は自分に向けて銃弾を撃ち込みました。未遂に終わったとは言え、自決することで責任を果たす…という考えは日本人特有のものでしょう。それを一部の人々は非難しますが、一個の人間として、彼も精一杯戦ったのだと思います。まして、東京裁判において最期まで主張を曲げず、日本国の正義を通そうとした姿は立派でした。それでも、敗戦の責任は重いものがあります。だからこそ、理不尽な裁判であろうと敢えて「絞首刑」という処罰を受け入れたのでしょう。それは、戦争を行った責任者の一人として、「国民に塗炭の苦しみを与えた」責任を取ったのです。そして、死後も自分が歴史上「大悪人」として、汚名を着ることも覚悟していたと思います。そういう責任の取り方をしたからこそ、日本はもう一度立ち上がることが出来たのです。ロシアやウクライナにも国民はいます。この戦争の結果、両国の国民がどういう立場に追いやられるかは分かりません。しかし、施政者がどうあろうと、国民はその国でその土地で生きていくのです。おそらくは、苦難の道が待っていることでしょう。理不尽な戦争だからこそ、国民に塗炭の苦しみを与えた指導者は、その責任の重さを感じて欲しいと願うばかりです。
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