雑学2 歴史に学べ
雑学1では、「不易」ということについて述べましたが、その不易に気づくためには、日本の歴史を学ぶ必要があります。学校教育では「歴史分野」は、あまり重きを置かれていません。国語、数学、英語は必須でも、歴史や地理などの社会科分野は、今でも暗記教科として扱われ、進学に必須ではないのです。そのためか、小中学校で日本の歴史を通史的に学習する程度で、高等学校以降、本気で学ぶ学生は少ないようです。したがって、その知識は中学校の教科書程度でしかなく、その他は創作された歴史ドラマ程度の知識で、自ら歴史の真実を知ろうとはしません。だから、いくら頑張っても「過去から学ぶ」ことが出来ないのです。これで「不易」を語ろうと言うのですから、それは無理というものです。おそらく、文部科学省も「不易」という言葉を遣いましたが、その意味を深く考えることなく、有識者と言われる学者の言葉を引用したに過ぎないと思います。だから、その後も不易より流行を追うような施策ばかりに終始し、学校現場を混乱させています。また、今、日本で正史と呼ばれる日本史は、戦後のGHQの占領政策によって作成された「日本の歴史」です。この歴史観を学ぶと、自ずと日本の歴史は左翼的な差別史観に彩られてしまいます。特に近代の日本を基礎となった江戸時代の政策を否定しては、近現代を理解することができません。なぜなら、日本が明治維新以降、急速な近代化が出来たのも、江戸時代が平和な時代で、文化や学問が自由に出来たからです。もちろん、幕府や藩の監視の目はありましたが、それが社会秩序を乱さない限り、学問は自由でした。特に算術に関しては世界トップクラスの水準に達しており、関孝和などは、既に微分積分も理解していたようです。日本の建築技術が高いのも、こうした算術、数学の基礎が脈々と受け継がれていたからに違いありません。他にも茶の湯、華道、能、歌舞伎、俳諧、和歌、浮世絵、陶芸…など、今でも世界に負けない文化が日本にはあります。これらが廃れずに現在まで受け継がれてきたのは、それを守り育てようとする社会があった証拠です。私は、江戸時代こそがこうした日本人の基礎を築いた時代だと考えています。そして、その教育熱が高かった理由は、「教育を受ければ、立派な人間となり、公に尽くすことができる」という教えがあったからに他なりません。もちろん、自分の立身出世は結果としてあったかも知れませんが、万人が認めなければ、その栄誉を勝ち取ることができないのも現実です。「人が認める」存在というものは、「人の役に立つ」存在だと言うことです。今でも、江戸時代に活躍した偉人は各地方にたくさん存在しています。特に学校教育では「二宮尊徳(金次郎)」が模範とされ、各学校には「薪を背負って本を読む金次郎像」が作られました。こうした人物をとおして、子供たちに「一生懸命勉強して、人々のために働く」ことを奨励したのです。それを戦後教育はすべて否定してしまいました。私たち世代でさえ、子供のころは多くの偉人の伝記を読み、感想文を書いたものです。「二宮尊徳」「野口英世」「キュリー夫人」「エジソン」「ヘレンケラー」…など、日本だけでなく世界中の偉人の伝記を読んで、「人のために尽くす」ことの大事さを学びましたが、いつの間にか、偉人の伝記を読むことが奨励されなくなり、「自己実現」や「自己肯定感」「自分探しの旅」などが奨励され、「公」から「私」へと教育の流れが一変してしまいました。こんな逸話が残されています。戦後、アメリカでケネディ大統領が就任したとき、日本人の記者が、「日本人で尊敬している人はいますか?」と尋ねたとき、ケネディ大統領は、「それは、上杉鷹山です」と答えました。しかし、日本の記者はだれも上杉鷹山を知らなかったそうです。鷹山は、山形の米沢藩主です。彼は、江戸時代後期に米沢藩の藩政改革を断行し、倒産寸前だった藩を立て直した人物です。今でも米沢市には鷹山公を祀った「上杉神社」があります。「為せばなる 為さねばならぬ何事も ならぬは人の為さぬなりけり」という言葉が残されていますが、この教えには価値はないのでしょうか。今の政治は、「家族」「国家」などの「家」そのものを破壊しようとする施策を次々と打ち出し、個人主義、孤立主義が加速度的に進んでいます。このためか、子供たちも濃密な人間関係を嫌い、同世代の友人とも相応の距離を作るようになりました。お互いに干渉しない…という人間関係です。会話はスマホでのメールが中心となり、友人関係もさっぱりしたものです。こうした人間関係が希薄な子供たちは、相手の気持ちを忖度することができず、極端ないじめに走ったり、犯罪行為を犯しても自ら反省もできない…ことにもなってしまうのです。いい大人が我が子を虐待しても平気でいられる「児童虐待」や夫婦間の「DV」なども、こうした人間関係が築けない日本人が増えた証拠のように思えます。高齢者世代も歴史を学んでいないためか、我欲が強く、若い世代の手本にはなっていません。いつまでも若さを欲しがり、「老人」と呼ばれることに抵抗をしまします。いつ頃からか、「老いる」ことは「悪」になってしまいました。昔なら、「老い」は尊敬に値する人物に付けられた敬称だったはずです。今の高齢者は、老人ではなく、ただの年寄りでしかありません。本来は歴史を知り、経験豊富な知恵で若い人々を導く世代が、若さと我欲だけを欲しがる憐れな人間に堕落してしまいました。これも「歴史」を学び、歴史と向き合って来なかった報いなのでしょうか。これからでも遅くはありません。若い世代にはぜひ日本の歴史に関心を持ち、自分たちの先祖の物語を真摯に受け止めて欲しい思います。それが、温故知新につながる第一歩だと思います。
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