「日本の教師は世界一だ!」と言うと、きっと日本人の多くは笑うと思います。「あんなに不祥事が多くて、ブラックな職場で、問題だらけの学校の先生が世界一?」「ばかじゃないの?」と厳しい言葉を投げつけられると思いますが、それでも、私は日本の教師は「世界一」だと思っています。ただし、「教育」が世界一だとは思ってはいません。そもそも、日本の教育は、戦後のアメリカ占領軍(GHQ)によってそれまでの教育が一方的に排除され、アメリカ流の教育を押し付けられたものであり、80年近く経過したからと言って、それを胸を張って「日本の教育です」とは恥ずかしくて言えません。それも、日本の学校制度の「6・3・3制」は、アメリカ教育使節団の勧告による「実験」ですから、それを修正しないまま今も尚、その制度を使っているというのも考えものです。政治家に言わせれば、「たとえ、実験的に導入されたとしても、長年国民に理解され日本に定着した制度ですので、これを修正するつもりはありません」というのが、議会などでの政府答弁になることでしょう。何でも「長年…」という言葉を遣って誤魔化そうとしますが、大切なのは「長年」という慣習ではなく、それを「議論」して決定する過程にあるのです。日本国憲法も同じです。今も憲法の改正論議が国のレベルで行われていますが、きちんと国会の場で議論し、正々堂々と使うのであれば現行の憲法も正当性を持つことになりますが、その議論なしに、「護憲」だの「改憲」だのと言うのは話が違います。国民の前で衆参両議院で議論を尽くし、多数決を採るべきでしょう。その際は、是非、国民投票も同時に行い、国民の意見も聞いてもらいたいものです。
以上の論点から、日本の教育は世界と比べても特別に優れているとは思いませんが、それでは「教師」は如何でしょう。外国の教師が私はそんなに優れた人々だとは思いません。少なからず、現場にいたとき、オーストラリアの小学校の教師たちと意見交換をしたことがありますが、向こうに教えてあげることはあっても、こちらが学ぶべきことは少なかったように思います。もちろん、英語圏の国ですからグローバルな視点で見れば、日本以上の成果を挙げている部分はあるとは思いますが、正直、「グローバル」自体が怪しい思想だと私は考えています。そもそも、「国境の壁をなくして、文化、経済、人的交流を活発にする」という考え方は、一見よさそうに見えますが、歴史も文化も風俗も異なる国の人々が、同じ生活圏で暮らすこと自体に無理があります。まして、その思想や思考が違うのですから主義主張がぶつかって当然です。それを何でも「グローバル」の名の下に推進するのは、国として無責任ではないでしょうか。
教育の世界にも、この「グローバル化」の話はよく出てきます。教育学者がよく使う用語なので、一般の教師たちは、「そうか、これからは社会はグローバル化していくのか?」と考えますが、今の国際情勢を見ていて、その思想がそんなによかったかと問われれば、「?」しかありません。たとえば、欧米はグローバリズムの流れに乗って「移民」受け入れを積極的に行い、日本がそれを渋っていることに対して非難していましたが、今では、欧米のどの国も「移民問題」で頭を抱えている状態です。発想がそもそも「安い労働力」として見ていたわけですから、動機が不純ではないでしょうか。それを表向きには「人種差別問題」などにすり替えるのは、政治家の詭弁でしかありません。日本も移民受け入れを積極的に支持する政治家は、やはり、「安い労働力」に魅力を感じているからでしょう。中国に日本企業が進出したのも「安い労働力」があったからこそ心が動いたのであり、その国のことも日本のことも考えてはいません。たとえ、利潤を追求するのが企業であっても、心の何処かには「論語」的な思想(論語と算盤)は持っていてもらいたいものです。
そういう日本にも、外国人が多く住むようになり、彼らの「村」が全国各地にできています。その上、東京都の某自治体では、彼らに選挙権まで与えようとする首長が出現し、社会が混乱しています。それは、当然でしょう。外国人の受け入れを「サービス」ではなく、国民と同じ「権利」を与えるとなれば、そこの自治体自体が外国人の意見によって運営されることになりかねません。生活保護も今の日本では、外国人でも、申請さえすれば受け取れる制度ですが、それを悪用する例もあるのです。彼らには、彼らの文化があり宗教があり、思想があります。日本人のように「郷に入れば郷に従う」文化があるとは思えません。今の「国際連合」もそういう意味では、グローバル化を具体化した国際組織だとは思いますが、常任理事国のロシアがウクライナに侵攻しても、それを罰することもできず、ロシアを国連から追い出すこともできません。「大国」であればあるほど、我を通し、傍若無人に振る舞っても、どうしようもできないのが「国際社会」なのです。この現実を知りながら、「グローバル化」が最善の国際社会のあり方だと言うのは、如何なものでしょうか。要するに、教育の世界に「グローバル化」を持ち込んでも、それを教わった子供たちが大人になったころ、社会がグローバル化しているとは限らないということです。逆に「国」としての存在を見直し、「地産地消」的なローカリズムが流行っているかも知れません。そんな一時のブームによって教育を左右することは止めて戴きたいと言うのが本音です。
平成の時代になったころ、中国が共産主義国でありながら「資本主義」を採り入れ、飛躍的に経済が発展していきました。それは、経済が停滞していた日本にとっては、目が眩むほどの経済成長でした。そして、世界第2位の経済大国だった日本が、あっという間に中国に追い抜かれ、日本の経済界は中国に傾倒していったのです。それは、政治家も同じで、田中角栄首相が日中国交回復を成し遂げ、だれもが「日中友好」を叫んだはずが、今では、中国は自らの野望も隠さず、台湾侵攻を狙っています。そうなれば、日本領土である尖閣諸島や沖縄は風前の灯火です。結局は、これが「日中友好」の結果なのです。それでも、中国を信じ、中国を庇おうとする政治家や財界人、学者がいることが不思議です。どうも、身も心も「中国化」してしまったのでしょう。日本人として「残念」としか言いようがありません。つまり、長い目で見れば、国家体制の異なる国への投資は非常に危険であり、単純に「友好」だけを唱えても、それを真に受けて行動することはできないということです。ましてや、幼い子供に「グローバル化することが、幸せな道だ!」などということを教えることは、教師であれば、到底できないということです。教育というものは、不易でなければなりません。易々と流行に乗って調子のいいことを言っても、子供たちのためにはならないということを知るべきでしょう。無責任な言葉を遣うことは、教師たる者、絶対にしてはなりません。
1 「子供のため」に尽くそうとする心
今の時代は、「教師」と聞いても特に何の感慨も持たない人が多いと思います。単なる一つの「職業」として存在しているだけのことで、「子供に勉強を教える人」程度の認識でしょう。それなら、日本も外国も変わりがありません。社会が、そう割り切って理解をしてくれるのならありがたいのですが、日本の場合はそうでもないのです。日本の教師は、日本に「教育」というものが存在するようになってから、「子供のため」という「利他の心」がその精神に宿っていました。「利他の心」とは、仏教で遣われる言葉ですが、「自分のことより人のことを思いなさい」という教えです。それが、自分を高める道でもあったのです。これは、人間としての哲学の部分かも知れませんが、「よい教師になろうとするならば、利他の心で子供と接する」ことを知らず知らずのうちに日本の教師は学んで来たのです。なぜなら、自分が尊敬する教師の多くは、そうした心を持って自分に接してくれたからです。親にも言えない悩みを聞いてくれたり、落ち込んでいるときに励ましてくれたり、諦めているときに叱ってくれたり…と教師の多くは、子供に寄り添い、親以上の関わりを持ってきました。だからこそ、社会は教師を尊敬し、信頼して子供を託したのです。
昔の心ある教師は、「いずれ、自分も立派な教育者になろう」と考え、自分で研鑽を積みました。別に強制されたわけでもないのに自費で本を買い、研修会に参加し、自宅で教材研究をしたり、翌日の授業準備をしたりと、寝る間も惜しんで教育に取り組んでいました。それは、教師というひとつの職業の範疇を遥かに超えたものだったと思います。それが、「教育者への道」だとだれもが考えていたからです。昭和も後期になると、マスコミは挙って「デモシカ先生」と教師を揶揄し、「教師にでもなるか?」「教師にしかなれない」と、教師を貶めるようなフレーズで一部の異質な教師の例を取り上げました。確かに、中にはマスコミが言うような人間もいました。単なる「公務員」としての安定した暮らしさえできれば、そんなに一生懸命になりたくないという天邪鬼的な思考はわからなくもありません。それより、「自分の人生を楽しみたい…」という人がいてもいいでしょう。だからといって、みんながそうであったわけではないのです。一教師が、「教育者」への道を進むことは、遥かに遠く険しい道のりで、その一歩一歩は、「修行」と言ってもいいでしょう。その「修行」を続けることで、自分が子供に信頼され、その子供の未来によい影響を与えたとすれば、それで、その教師は本望なのです。そこには、我欲はありません。傍から見れば、「自己満足」に見えるのかも知れませんが、教師は、「それでいい」のです。ましてや、そんな一介の教師を「教育者だ」と褒め称える人もいません。それでも、自分の進んできた道を後悔するような教師はいないはずです。
私の机上には、森信三先生の「修身教授録」が置かれています。大正、昭和と生きた真の教育者であった森信三先生の教えは、私の教職人生40年に大きな影響を与えました。若い頃は、自分の学級を見るだけで精一杯で、毎日の授業を四苦八苦でこなしていました。小学校での毎日5~6時間、授業を一人で行うのは本当に大変なことでした。日本の場合は、大学を出て採用試験を受け、教員として採用されると即学級担任に指名されます。ついこの間まで学生だった人間が、いきなり40人もの子供を預けられ、授業ばかりでなく生活指導まで行うのですから、並大抵ではありません。だれもが、それをこなしてきたのは間違いありませんが、学級の仕事の他にも校務分掌に割り振られた仕事もあります。事務的な仕事も多く、金銭管理まで一人で行わなければなりません。本当に「手がいくつあっても足りない」状況が、ずっと続くのです。幸い、私の採用時は昭和の後期で、今のようなクレームも、厳しい管理的な通達もありませんでしたので、出来ないなりに、のびのびと仕事をやらせてもらった記憶はありますが、仕事量だけは多く、最初の頃は土日も学校で雑務を処理する毎日でした。
家庭を持っている女性の先生などは、常に「持ち帰り」仕事の毎日で、家の家事や育児をこなし、深夜になって、学級の子供の日記を読んだり、テストの採点などをしていたようです。それでも、翌日の授業の準備は欠かさず、プリントを作ったりすることは日常的な仕事でした。もし、これを今風に「時間外労働」としてカウントすると、毎日5時間以上の時間外の仕事をしていたと思います。若い教師は、部活動(小学校の場合)の指導を任されることが多く、早朝6時には出勤し、7時から約1時間の部活動を指導するのが一般的でした。部活動には、陸上部、合唱(合奏)部、相撲部などがあり、年間の中で、数回の対外試合(コンクール)が計画されていたのです。これは、今でも多くの学校で同じような指導が行われているはずです。それでも、教師がそれを不満に思わなかったのは、社会が学校や教師に対して信頼と尊敬の念を持っていてくれたからです。特に保護者は、お会いすればいつも丁寧に挨拶をしてくれて、「お世話になっています」と感謝の言葉を口にしてくれました。若くて未熟な教師も温かい眼で支援をしてくれて、こっそり助言をしてくれるときもありました。その寛大さに甘えてしまう自分もありましたが、その分、頑張ろうという意欲も湧いたものです。それもこれも、親も教師も「子供のために」という強い思いが共通して持っていたからだと思います。もちろん、外国の教師にそれがない…と言うつもりはありませんが、社会全体が子供を大切にして、学校や教師を応援しようとする雰囲気があったことだけは事実です。だからこそ、教師は、教育者を目指し「聖職者」であろうとしたのだと思います。
2 「授業研究」という研修の積み重ね
一般の人にはわかりにくいかも知れませんが、各学校では、年間3回以上、外部から講師を呼んで「校内授業研究会」と称する研修会を行うのが一般的です。指導者には、自治体の教育委員会の指導主事を充てることがほとんどですが、中には大学教授を招聘したり、専門家を呼んで指導を受けることもありました。教師は、そうした授業を行うときには「学習指導案」なる授業の計画書を作成して臨みます。少なくてA4、5枚、多ければ10枚程度の計画案を作り、参観者全員に配付して指導を受けるのです。その授業では、教室の後ろに、同僚や他校からの教師がずらりと並び、講師が授業の様子をじっと見ています。授業者は一人ですから、その緊張感は半端ではありません。何度もやっていくうちに慣れることはありますが、教師にとって「真剣勝負」の場でもあるのです。授業後は、「研究協議」なる話し合いが持たれ、その授業を参加者全員で評価しあいます。誉められることもあれば、欠点ばかりを指摘されることもあり、授業をした教師は冷や汗ものです。終末には、「講師」と呼ばれる指導主事等から専門的な指摘がなされ、翌日からの授業に生かすことになります。こうした研修を行っているのも、それぞれの教師の「授業力」を高めるために昔から行われている手法で、日本独特の研修方法かも知れません。まあ、「教師なら、研修をやって当たり前だろう!」と言われそうですが、教師の仕事は、あまり多くの人が知らないので、そのひとつとしてご紹介しました。
平成の時代になったころから、学校内に多くの人が「ゲスト」として来校されるようになりました。傍から見ると、45分の授業を行うのは簡単なように見えるそうです。教師は終始笑顔で、子供の反応に頷いたり、笑ったり、困ったふりをしたりと、常に舞台俳優のように演じていますので、見ている人には、「随分とリラックスをして授業をしているなあ…」とでも思うのでしょう。とんでもない。「あの手、この手」で子供の考えを上手く引き出すのが教師の「腕(技術)」であり、子供が上手く授業に乗ってくれれば、こんな楽しいことはありません。そう言えば、ときどき、授業参観に来る保護者が緊張感もなくお喋りをしている光景を見ますが、私が担任時代、「この問題は、後ろの保護者の方も一緒にお考えください」と言ったところ、顔色がサッと変わり、だれもが口を閉じて真剣に教師である私の話を聞くようになりました。心の中では「ヤバい」と思っていることは明白です。人前で話をするだけでも緊張するのに、もし指名でもされたら「恥ずかしい」に決まっています。本来、授業参観とは、子供の様子を見るだけでなく、教師の力量を推し量る絶好の機会ですから、多少の緊張感を持って臨んで欲しいと思います。担任に余裕があれば、そんな風に保護者を巻き込んだ授業も簡単にできるようになるものです。
ところで、ゲストの方が、お一人で教壇に立ち、30人以上の子供の視線に晒されて、うまく話ができた人を見たことがありません。大体は、時間内に話をすることができず、いつまでも話し続けたり、要点がまとめられず、何が言いたいのかわからない…といった状況に陥るものです。滑舌も悪く、声も小さいと何を言っているのかさえわかりません。そうなると、次第に子供たちの眼が泳ぎ始め、ザワついてくるようになり、もうだれも話を聞かなくなります。「注意」をして話を聞かせようなどというのは、授業が下手な証拠です。子供は、それでも他人(ゲスト)などに対しては遠慮もあり、取り敢えず聞くような態度は示しますが、それも「つまらなければ」10分が限界でしょう。学校ではありませんが、地域の子供会などで、役員になった親たちがザワつく子供たちを落ち着かせようと努力している姿を見ますが、だれも上手くいきません。ところが、我々、教師が出て行くと、いつの間にか子供たちをコントロールしているのです。そういったテクニックは、経験を積まないとなかなか身につかないものです。
東日本大震災のときに、こんなエピソードがありました。ある避難所が開設されたばかりのころです。避難所は多くの避難者でごった返していました。みんなで協力し合おうにも、それぞれが自分と家族の安全確保で必死です。災害直後の興奮状態もあり、各所でトラブルが起きていました。これでは、いくら避難所担当の役場の人間が声を枯らしてもだれも聞いてはくれません。救援物資が届けば我先にと奪い合うように人々が殺到し、小さい子供やお年寄りがもらうスペースはありません。トイレは、使いっぱなしで、もの凄く汚れているのに、だれも掃除をしようとしません。そんなときです。ある中年男性が立ち上がり、「おい、〇〇中学校の生徒はいるか!?」「いたら、先生のところに集合してくれ!」と叫びました。すると、「はい!」という返事と共に数人の男女の中学生が集まってきました。その動きを見て、他校の中学生もその輪の中に入ってきたのです。すると、その「先生」らしき男性は、「いいか、これからいくつかの班を編制して、ここの作業をしたいから、手伝ってほしい」と声をかけました。生徒たちはすぐに頭をふり、「了解!」の合図を先生に送りました。そして、ひとつ6人程度の班を作り、「食糧班」「運搬班」「清掃班」などができました。先生は、避難所担当の役場の人に「この生徒たちが手伝いますので、指示をお願いします」と頭を下げると、数人の担当者がその班のリーダーになってくれました。
食糧班では、運び込まれた救援物資を公平に行き渡るように配る役目です。運搬班は、さまざまな機材や食糧のケース、水などを運搬する作業です。これには、男子生徒があたりました。清掃班は、主にトイレの掃除です。これが一番困難を極めたかも知れません。それでも、生徒たちは黙々と作業を始めました。もちろん、そこには周囲の数人の大人が加わっていましたが、避難所の人数からすれば、ほんの少数の人たちです。最初の頃は、食糧が届くと割り当てられた数のパンよりも多く取ろうと揉めることもありました。トイレ掃除をしていても「見て見ぬふりをする」大人もいました。生徒たちは泣きながら作業をしたそうです。それを見ていて動いたのは、大人の女性陣です。ある女性が、「なんだ。子供にこんなことをやらせておいて、男たちは何をしているんだ!」と大声で叫びました。その声が避難所の体育館中に響くと、多くの人はビクッ!と体を震わせ、生徒たちに「すまなかった、すまなかった…」と詫びながら積極的に生徒の作業に加わったそうです。そのうち、小学生たちが立ち上がり、乳幼児の面倒を看る簡易保育園を作ったり、壁新聞を作って情報を知らせたりと、子供たちの活躍は避難所運営を円滑にさせたのです。こうした行動の裏には、それを指揮し、支えた教師たちがいたことは言うまでもありません。子供たちは、大人よりも「集団行動」に慣れているのです。全体で動くときの動き方もよく知っています。分担の仕方も日頃から学校で学んでいます。そして、そのことを承知している教師たちが、的確に指示を出すことで、子供たちは生き生きと活動し始めたのです。こうしたことは、一般の人にはなかなか理解して貰えないでしょう。「子供は大人の言うことを聞くもの」というのは、まさに幻想です。「子供は、信頼できる大人の言葉を理解する」のです。単に「大人」という権力で子供をコントロールしようとしても、それに易々と媚びないのが子供なのです。それを知っている教師だからこそ、子供との信頼関係を築き、一緒に学ぼうとするのだと私は思います。教師は伊達に「先生」と呼ばれているわけではありません。そうした組織作りや動かし方を、大人は、学校の教師や生徒に学ぶべきです。
3 休みなく働くのが「いい教師像」
今の日本人の教師に対するイメージは、あまりいいようには思えません。マスコミ報道にあるように、体罰やセクハラなどの教師本人の資質の問題もありますが、いじめ対応などを見ていると、「なんだ、そんなことも解決できないのか?」といった不信感もあるように思います。世間では、「学校で起きた問題は、学校で解決しろ!」といった風潮がありますが、子供の問題に関しては、ほとんどの場合、学校だけで解決できることは少なく、家庭や地域、行政の協力なくして解決はできません。現在の「児童虐待問題」を見てもわかるように、家庭内の闇は日本社会の「闇」でもあるのです。イギリスの冒険家イザベラ・バードが、明治時代の旅行記「日本紀行」に書き残したように、「日本の大人ほど、子供を可愛がる人々はいない」と言われた日本で、児童虐待が止まることを知らない現実をどう考えればいいのでしょうか。家庭が健全であれば、子供は健康で健やかに育ちます。それは、「心」も同じなのです。実際に心の状態は見えないだけに、関心を向ける人は少数ですが、人間にとって「心のバランス」を取ることは非常に難しく、周囲の支えがあって初めて心の安定が図れるのではないでしょうか。その心のバランスを欠いた子供がいた場合、学級でも様々なトラブルが発生します。確かに、厳しく指導をすれば、一見、問題は解決したように見えるかも知れませんが、その背景にある問題を取り除かない限り、本質的な解決にはなりません。そして、その「背景」にあるものこそが「家庭」なのです。それは、子供といえども公に口にできることではないでしょう。自分に向けられた様々な虐待であったり、夫婦関係であったり、貧困であったり、家族で病気であったり、厳しいしつけであったり…と家庭の問題は、子供に大きな影響を与えています。その複雑に絡み合った悩みを一教師の力量で解決できると思うのは、「幻想」以外のなにものでもありません。
本来であれば、その「家庭」に対して支援の手が必要なのですが、社会は、家庭に対してあまりにも無策です。「プライバシーの保護」の名の下に、他人が他所の家をのぞき見するわけにもいきません。行政や警察も「家庭問題」には介入しないのが鉄則のようです。しかし、問題を放置された家庭は、解決の方法を見出せないまま最悪の道を辿る可能性があるのです。以前に話題になった「家庭内暴力」もそのひとつでしょう。外見は立派な暮らしをしている家庭でも、多くの悩みを抱えており、中では暴力が日常化していることもあります。また、最近言われているのが、「教育ネグレクト」です。親が子に対して過度に期待し、様々な要求をして子供を追い詰める「虐待」です。これなどは、子供がだれかに訴えない限り見えないことが多く、学校で対応することは難しいのが現状です。そういう環境下で育った子供が、学校でトラブルを起こしたとして、どうして、「学校で起きたことは、学校で解決しろ!」などと言えるのでしょう。おそらく、それを口にする大人は、学校と一般の「会社」を同じに見ているのです。会社は、家庭とは密接な関係はありませんが、学校は違います。「あなたの子供を預かって教育をしているのです」と教師の多くは言いたいはずです。だから、「子育ての一環」として学校教育があるのであって、営利を目的とした会社とは違います。そこの認識の違いが、「子育ての学校依存」の原因になっていると思います。
つまり、日本での教師は「24時間」教師でいる必要があるということになります。以前は、教師の自宅の電話番号を保護者に報せ、「いつでも、お知らせください」状態が続きました。家庭によっては、休日だろうが深夜だろうが、教師の自宅に電話をかけて「明日の子供の持ち物」を聞いてきたり、「苦情」をずっと電話越しに訴えたりすることがありました。当然、「相談」の電話もかかってきます。これでは、教師はいつ「家庭」に戻ることができるのでしょう。確かに、日本の教師は優秀です。依頼や相談を受ければ、「うちでは、対応できません。専門機関にご相談ください」などという冷たい対応はできません。家庭内の問題でも、ご近所問題でも、学校は相談となれば、一応話を聞きそれなりの対応が求められます。教師が一番恐れるのが、「信頼を失う」ことです。それが、いわれもない誹謗中傷の類いであっても、噂が広まれば、「学校は、何をやっているんだ!」と非難されることを恐れるのです。
子供は、学校では問題を起こさなくても、地域社会では様々な問題を起こしますし、トラブルに巻き込まれます。たとえば、子供が交通事故に遭ったとき、学校や教師は「学校外の事故」だからといって放置するでしょうか。きっと、真っ先に事故現場に駆けつけ、状況を把握し、関係各所に連絡をします。そして、次に病院に向かい、お見舞いの言葉を述べ、保護者を励ましたり、子供の様子を聞いたりするはずです。その後、続々と各所から学校に問い合わせの電話が入り、もし後手に回った対応でもしようものなら、各所から管理職は叱られ、面目を失うことになるのです。挙げ句の果てに、「学校では、どんな交通安全指導を行っていたんだ?」などという厳しい言葉を浴びせられることにもなりかねません。今や、子供の教育やしつけは、家庭ではなく「学校」と「教師」に委ねられてしまったのです。そんな法律は何処にもありませんが、戦後、日本社会が経済を最優先にして教育を疎かにした結果が、こうした事態を招いた元凶です。もし、「学校の管理下」でもない事故の責任の一端が学校にあるとすれば、子供に関係するすべての事案の責任が学校にあることになります。それなら、「家庭の責任」はどうなるのでしょう。教育基本法には、「子供の教育の第一義的責任は家庭にある」と明記されていますが、それは、訂正してもらう必要があるということです。外国の学校でも、学校の管理外での事故やトラブルにここまで介入するものでしょうか。その上、「安全指導を怠った」として、学校の責任が問われるのでしょうか。ぜひ、教育を専門とする学者のみなさんにお尋ねしたいものです。それを「当たり前」と考えている日本の方が異常だと思うのですが、私がおかしいのか…と疑問に感じています。
子供を学級内で「整然」と学習に取り組ませることは非常に難しく、学校全体で方針を定め、道徳的な指導を徹底しなければ、子供の安全確保はできません。子供は常に大人の顔を見ています。大人に迷いがあれば、子供はその指示には従わないでしょう。「迷う」ということは、その教師の自信のなさを如実に表しているからです。そんな「自信のない」言葉を信じては、危なくて仕方がありません。子供は大人より本能で感じる力が敏感です。教師の自信ある言動こそが、子供を導く元であることを忘れてはならないのです。もし、教師一人の力量で、落ち着いた学級を作れたとしたら、その教師は稀に見る「才能の持ち主」だと断言していいでしょう。しかし、それは「たまたま」でしかなく、公の研修や指導だけで、そういった教師を創ることはできません。よく、保護者が「教師の当たり・はずれ」といった噂をしますが、「当たりくじ」を引くのは、「百分の一」くらいの確立だと思った方がいいでしょう。昔は、それでも「十分の一」くらいはあったかも知れませんが、今の学校の状況を見ると、限りなく「ゼロ」に近づいているように思います。そんなスーパーティーチャーは、もう出てきません。そんな優秀な能力を持つ人なら、無理をしてブラックと呼ばれる職業を選ばないからです。そういう人間は、ベンチャー企業で活躍すれば、教師の数倍もの報酬を得られるエリートになれると思います。それくらい、教師の仕事は多岐に渡っており、それらを完璧にこなせる人間は、ひょっとしたら、人間以上の能力を持っている「天才」かも知れません。
4 教師は「人格者」たれ!
今の日本人は、何処かで戦前までの価値観を引き摺り、戦後の憲法改正や法律の改正等に対して無頓着なところがあるように思います。ましてや、7年にも及ぶ「占領期」を忘れているのではないでしょうか。敗戦後の7年間は、日本は独立国ではなく、そこには「主権」は存在していなかったのです。そして、その期間に日本の多くの制度は改革され、日本は「別の価値観を持つ国」に変えられたのです。そのことを一切忘れたかのような議論をするので、辻褄の合わないことが起きるのだと思います。教育でいえば、戦前の学校制度は複線型で、今のような単線型ではありません。学校設置基準も緩く、黒柳徹子氏の「ともえ学園」のような私立学校も存在し得たのです。教師になるとすれば、官費の「師範学校」を卒業するのが正規ルートで、今のようにどの大学でも「教員免許状」を発行する制度ではありません。義務教育も6年間で、すぐ上に「高等科」がありましたが、これは義務ではなく、希望によって2年間の「中等教育」の基礎を学ぶことができました。それでも、多くの子供は14歳で社会人になっていったのです。
この時代の教師は「教育勅語」の精神に則り、道徳にあたる「修身科」を基礎として子供たちを指導していました。日本の主権は国民ではなく、天皇お一人にあるわけですから、天皇からの命令は絶対であり、それに背くような行為は許されませんでした。そして、子供といえども、「国に奉仕」することは絶対的な義務であり、その方針は日本全国に共通していたのです。そんな時代だからこそ、教師は「聖職」であり、国民を導く存在として名誉ある地位を与えられていました。当然、教師たちもプライドは高く、単に仕事として教師をしているのではなく、国民の期待に応えようと「教育者」の道を進む人が多かったのです。実は、軍隊に於いても「教師」は優遇されており、大切な子供を育てる聖職にある者として、その兵役の期間は短く、退役すると下士官の身分を与えられました。他の一般兵からすれば、「先生はいいなあ…」と羨ましく思ったものです。
戦後、80年近く経過してもそのときの微かな記憶だけが国民に残り、マスコミは知ってか知らずか、都合よく「教育者」や「聖職者」扱いをします。何か不祥事でもあれば、「教育者(聖職者)のくせに…」と上から目線で叩くのを常とし、国民の多くも「先生のくせに…」と、昔と比較して嘆いてみせるのです。しかし、よく考えてみれば、今の日本の制度では、教師が教育者や聖職者を目指そうにも、それを支える社会的基盤がありません。それは、個々の教師が持つ「理想」であり、それを持たないからと言って、責める資格はだれにもないはずです。それでも、記憶というのは本当に怖ろしいものです。教師になろうとする者は、知らず知らずのうちに、そんな戦前の教育者を理想とし、自分の人格を磨こうとしているのです。「教師としての名に恥じない」生き方をしようと、全国の先生方の多くは努力をしています。教材研究にも熱心に取り組み、子供一人一人のことを心配し、自分のできる最大限の支援をしようと頑張っています。これを単に「仕事」と割り切ってしまえば、そんな「余計」なことはしないはずです。しかし、日本人は本当に優しい人が多いと思います。教師も、毎日接している子供の顔を見ていると、「何とかしてやりたい」という情が湧いてくるのです。だからこそ、厳しくも言いますし、頑張らせようと励ましもします。問題を抱えている子供がいれば、保護者とも話をし、行政にも相談をして解決を図ろうともします。その間には、保護者や上司に理解されず、誤解されたまま叱責や注意を受けたり、こちらの話も聞かずに、謝罪だけを求める管理職もいます。そして、そんな、あまりにも理不尽な対応に教職を去る人もたくさんいます。全国の先生方で、精神疾患に罹る人は毎年増え続け、それによって泣く泣く教職を去る人が多いのが現実です。これは、どれだけ頑張っても「報われない」先生方の叫びだということを忘れて欲しくはありません。
人間が一生懸命働いて「心を病む」状況を日本のみなさんはどう感じているのでしょう。「そんなのは、企業も同じだ!」とか、「甘えるな!」といった叱責の声が聞こえてきそうです。日本人は本当に強い人ばかりですごいなあ…と思います。政治家やマスコミ、一部の学者の人たちの声は学校や教師に対して本当に厳しく、「そんなに日本の先生は、だめなのかなあ?」と自信を失います。政府機関(文部科学省他)も学校に対しての要求度は高く、あれもこれもと詰め込むように命令が下されます。ここ10年ほどの間でも「開かれた学校づくり」「道徳の教科化」「外国語(英語)の教科化」「全国学力学習状況調査」「ギガスクール」「いじめ防止対策」等、毎年のように新しい課題が設けられ、学校の裁量権はほぼなくなりました。ここ数年は「コロナ対応」で、満足な指導もできていません。さらに、現在は「働き方改革」の真っ最中であり、部活動指導もままならない状態です。既に、ここ何年も教師の志願者が激減し、いくら補充者を探してもなり手がない状態で、各学校は「定数」を切って運営されています。「定数の配置がない」ということは、だれかが余分に仕事をしていることであり、その教師の負担は増えこそしても減ることはありません。それでも、何とか持ち堪えているのは、政府や自治体の努力ではなく、国民の応援でもなく、ただ、一人一人の先生方の必死の努力で日本の教育を支えていることを知るべきでしょう。
今でも、日本の教師の多くは「人格者」であろうと努力しています。だから、周囲の批判に対してもだれも反論をしません。「相手の気持ちを忖度し、相手を理解しよう」と、いわゆる「共感的理解」に努めているからです。こんなに頑張っていても、政府やマスコミ、国民から「応援」の声は聞かれません。次第に教師の心は酷く傷つき、一人、また一人と教壇を去って行くことでしょう。そして、「教師になりたい」という若者の夢を砕き、日本の教育は本当に「世界最低」になるのだと思います。日本から教師という「人格者」集団を切り捨てて、いったい何が残るのでしょうか。実際に子供に寄り添い頑張っている者を見殺しにして、日本社会は発展するのでしょうか。もう、「べき論」は止めにしませんか。理屈から言えば、「こうあるべき」という理想はわかります。しかし、どんなものにも「ゆとり」や「遊び」は必要です。もし、自分を振り返り、「親(教師)としてこうあるべきだ!」と強く指摘されたらどうでしょう。どんな正論でも「反発」しか出てこないと思います。今でもテレビでは、どこかの不祥事で謝罪会見が開かれています。「そんなことで、一々、謝罪会見なんてしないで欲しい!」と思う人も多いでしょう。それより、もし反省ができているのなら、「その後の頑張りでその反省を生かしてください…」と思うのも日本人です。いくら、マスコミに要求されても、マスコミがすべてを決める権利はないのです。この「べき論」が今後も続けば、日本社会は間違いなく壊れます。人間はそんなに完璧ではありません。少しのミスも許されない社会を創れば、いずれ自分に返ってきます。そして、本当に「息苦しい」社会が誕生し、監視社会になっていくことでしょう。それより、昔のように「お互い様」と言い合える人間関係を築いて欲しいと思います。特に子供たちには、「お互い様」の譲り合いの精神を学んで欲しいと思います。
私は、教職を退いた人間ですから、現場の先生方を応援するしかできませんが、それでも、長い年月にわたって培ってきた「日本流の教育」を捨てるのはあまりにも「酷い」と思います。「子供は国の宝」と言うのであれば、もう一度、教師の誇りを取り戻すような世論を形成していって欲しいと思います。子供を本当に健全に育てるためには、優秀な「日本型の教師」が絶対に必要なのです。そのためには、何をすればいいのか、国民も政治家ももう一度考え直す時期が来ているのだと思います。どんな職業であっても、社会のためになっているという「誇り」は必要なのです。単に「働き方」だけの問題ではありません。たとえ、薄給であろうと、時間外に多くの仕事をしようと、周囲の支えと国民の理解さえあれば、教師は黙って働きます。それは、だれもが真の「教育者」を目指せるからです。たとえそれが、自己満足であっても、「自分は先生だった」という自負は、生涯消えるものではありません。私自身も過去の子供や保護者から学んだことはたくさんあります。それを支えに今生きています。真の「教育者」への道は、未だ半ばですが、40年の経験は無駄ではなかったと思っています。
完
子どもを健全に育てるには、優秀な、「日本型教師」が必要だと私も思います。現職の教職員への応援メッセージとして、是非読んでもらいたいなと思いました。ありがとうございました。
ありがとうございました。よかったら奥様にもお伝えください。諸根は元気にやっています…。