最近、自衛隊に関する「問題」がマスコミを賑わすようになりました。男性自衛官による女性自衛官へのセクハラ事件は、セクハラというより「人間」としての資質を問われる事件であり、告発した若い元女性自衛官の将来を考えれば、あまりにも理不尽な事件でした。自衛隊が、今でも男性社会であることはわかります。そして、昔の「日本軍」の流れを意識していることもわかります。しかし、旧軍の「負の遺産」まで引き継いでしまっては、近代組織とは言えないでしょう。さらに、自衛隊駐屯地での自衛官に対する粗末な「食事給与」や「待遇」の問題などを見れば、益々「自衛官」の志願者が減るのではないでしょうか。結局は「予算」の問題に行き着くようですが、日本にとって防衛力(自衛隊)とは何だろうと考えさせられます。有事を想定できない国が「国民の生命財産を守る」と言われても、所詮絵空事でしかありません。辛うじて「日米同盟」が、日本の生命線ですが、それすらも捨てようという政治家がこの国を牛耳れば、日本という「国」は間違いなく消滅します。その「守り」の要の自衛隊を強固な組織にしていく意識が政治家たちにはないのでしょうか。これまで自衛隊(自衛官)は、災害出動や海外派遣等で大きな活躍を見せ、やっと過去の偏見から脱したかに見えましたが、こうした事件や問題が明るみになると、せっかくのこれまでの努力が台無しになるようで残念に思います。
教師も自衛官も、日本という「国」というレベルで考えれば、絶対に「なくてはならない存在」のはずです。自衛隊は憲法問題があり、正式に「軍隊」として認められてはいませんが、それでも多くの国民は「絶対に必要な組織」という認識があるはずです。「学校」も様々な課題を抱えていますが、「不要」と考える国民は少数でしょう。そうなると、双方共に組織の「あり方」の問題が残ります。組織の「あり方」とは、単に予算や運営方法の問題だけでなく、その組織の持つ「使命感」みたいな、その組織に属する人たちの「心」の問題に行き着くように思います。どんな大きな企業であっても、時代の流れと共に判断を見誤り、倒産した企業はたくさんあります。バブル崩壊時にも有名な銀行や商社が倒産の憂き目に遭いました。あのとき、某商社の社長が、記者会見の席で「社員は悪くありません。悪いのは自分です!」と泣きながら訴えていた姿が印象的でした。まさに、一企業として「経営」を誤ったのです。しかし、それは本当に経営者だけの問題だったのでしょうか。最近でも、戦後を支えた有名企業の経営破綻の話がニュースになっていますが、もし、社員が「うちは、大企業だから大丈夫だ!」と「親方日の丸」的な発想で安住しているとしたら、そこの企業の「社員教育」は「零点」ということになります。先の自衛隊や学校も同じです。政府の官僚も同じでしょう。「親方日の丸」とはよく言ったもので、自分のバックに「おんぶに抱っこ」状態で「楽に」生きていこうとするなら、「甘い!」と言う他はありません。自分の人生を他人に預けて「利益を受ける」などということは、本来あってはならないことなのです。「自分の身の幸福」のみを考える社会は、社会としての明るい未来はないでしょう。
よく、マスコミや政治家は「国益、国益!」と叫びますが、一体「国益」とは何でしょう。まさか、「目先の利益」を「国益」と考えているのだとしたら、とんでもない間違いを犯すはずです。昔から「損して得取れ」とか「情けは人のためならず」といった諺があるように、これは、「損得で判断するな!」という戒めの言葉なのです。日本人は「利他の心」や「世のため、人のため」という言葉の意味をよく知っています。多くの日本人の行動には、こうした「他者への思い遣り」が見られますが、その道徳観が薄れ、自分の利益だけを追求するような社会になれば、自衛隊も学校も存続できなくなるはずです。自衛官は、「自分の生命をかけて国民の生命を守ろう」と日々訓練に明け暮れ、災害時には泥まみれになって救援活動を行っていますが、これを国民が「当たり前だろう…」と思うようになってしまったら、人間は終わりです。学校の教師は、「子供の将来を憂い、しっかりした教育を行おう」と、日々、多くの子供たちに向き合っていますが、国民が「そんな教育はいらない」と言われれば、それまでです。人間は「万能」ではありません。だからこそ、常に謙虚であり、相手を思い遣り、利他の心で一生懸命生きていかなければならないのです。
つい先日、沖縄県の離島で地元の師団長(海将)たち幹部を乗せた大型ヘリコプターが消息不明になるという事件が起きました。何日もの捜索で、やっと機体と遺体を発見したようですが、事故の原因の究明が待たれます。「危機管理」の専門機関である自衛隊にしても、様々な不祥事やトラブルが起こり、一つの「組織」を健全に運営することの難しさを痛感しました。これは、公の機関ばかりでなく、「家庭」でも起こり得る問題でもあります。今の時代のように、リストラや転職が「普通」になると、そもそも「安定志向」だった多くの日本人はどうしていいかわからなくなってしまいます。企業にとっては経営上の判断で「リストラ」と呼ばれる「人員整理」を行うことに躊躇いはありません。厳しい過当競争の中で「生き残り」を懸けた戦いは真剣勝負なのです。しかし、そこを頼りに生きている社員は、突然、嵐の中に放り込まれるわけですから、まさに「危機」なのです。そして、社員には「転職」や「副業」が勧められますが、それを上手に行使できる人は僅かでしょう。そこにこそ、本当の「実力」が試される場があるのです。
人は簡単に「実力」という言葉を遣いますが、どんな世界においても真の「実力」を身に付けるのは並大抵ではありません。そんな「実力」という学校での教育では身につかない能力を育成するには、本人のセンスと弛まぬ努力があって初めて為し得ることができるもので、単に「学歴」だけでは「実力」とは言えません。これからの時代を生きる日本人は、こうした「危うさ」を常に感じながら、時代の波に翻弄されながらも生き抜いていかなければならないのです。そういう意味で「危機意識」を持つこと、育てることは喫緊の課題なのかも知れません。そこで、私なりの学校における「危機意識と管理」についての考えを述べたいと思います。
1 教師自身の「危機管理」意識を育てる
私が、学校の「危機管理」で思い出すのが、あの「東日本大震災」です。あの日、テレビの受像機に流れた「大津波」の映像は、今でも脳裏から離れることはありません。海の方から住宅地に向かって次から次と津波が押し寄せ、家や車、そして人々を飲み込んでいきました。スマホなどで撮影していた避難した人たちの「えーっ!」「うそーっ!」という悲鳴に似た叫び声は、まさに「あり得ない」状況を物語っていました。そして、事実、私の勤務先の学校の校舎も数度にわたって大きく揺さぶられ、床面は大きく波打ち、その場に立っていることさえできませんでした。学校の校舎内や校庭には、まだ下校していない子供たちがおり、その安全確保もしなければなりませんでした。学校の教師たちも唖然とした表情で呆然と立ち尽くし、次の判断をすることもできません。実際に津波が襲ってこなかった遠隔地の地域でもライフラインが一時停止し、数日間にわたり混乱を極めたのです。きっと二十歳以上の日本人は、そのときの状況を鮮明に覚えていると思います。しかし、中学生以下の子供たちにしてみれば、それは最早「昔の出来事」でしかないのかも知れません。しかし、この瞬間が教師の「意識改革」のチャンスでもあったのです。
それは、これまで簡単に「命を守る」と言っていた台詞が真剣さを帯びたからに他なりません。それまで学校では「避難訓練」をメインとする「防災教育」が行われていましたが、それは「訓練のための訓練」でしかなく、飽くまで学校行事の一環として行っていたようなもので、まるで「緊迫感」がありませんでした。なぜなら、それが非常に形式的だったからです。想定は大抵「授業中」に行われます。学級によっては教室の背面黒板の曜日欄に「避難訓練」と書かれていて、既に予告されるケースもありました。計画に従って訓練が始まり、教師は「机の下に入れ!」とか、「口をハンカチで覆え!」とか、「防災頭巾をかぶれ!」などの指示を出します。そして、子供たちを「無言」で廊下に並べると、点呼をとって避難誘導をするのです。もちろん、教師は学級の先頭を行きます。それは如何にもスムーズで、災害時にもそれが「できる」かのような錯覚に陥るのです。校庭にはすでに拡声器を持った管理職等が待機し、全員が揃った報告を受けるのですが、それも整然と学年別に並ぶなど、普段の集会と変わりがありません。そして、最後に校長や防災担当が拡声器を使って反省点を述べ終わりになります。
これまで、この訓練が「当たり前」と思ってやってきましたが、震災を経験した教師たちは、「これはおかしい?」と気づき始めました。なぜなら、災害は「いつ、なんどき」起こるかわからないからです。都合よく授業中に起これば幸いでしょうが、下校時だったり、給食中だったりしたら事情は変わるはずです。また、教師が指示を出しますが、教師が真っ先にケガをしたらどうするのでしょう。校庭で点呼を取って指示を出しますが、雨天や大風、夕暮れ時なら、同じことができるのでしょうか。まして、拡声器などすぐに持ち出せるかどうかもわかりません。これでは、「訓練」している意味すらないと言うべきでしょう。ここに、教師の「意識改革」のチャンスがあったのです。もし、あらゆることを想定するのなら、このような形式的な「訓練」ではなく、普段からの不時の「訓練」が求められるはずです。「命を守る」という言葉は立派ですが、この言葉は本当に吟味する必要があるのです。
今の学校では、これまでの「避難訓練」は見直され、子供たちへの予告なしに行われるのが一般的になりました。また、「一時避難」だけに特化して放送と同時に「机の下に潜る」訓練だけを何度もする学校もあります。また、休み時間や掃除中にも「避難せよ!」という命令が出され、その場で一時避難した後、校庭に各自の判断で集まるような訓練をしています。私の知る学校では、子供たちの活動として「防災リーダー」を委員会活動に位置づけ、積極的に子供たちのリーダーを養成している先生たちもいます。この「防災リーダー」は、他の子供たちより多く「防災」について学び、緊急時には自分の判断で「避難誘導」をしたり、教師の指示で動いたりする役割があります。こうした「子供リーダー」ができることで、子供たちの意識も高まり、学校全体が「防災」に感心を向けるようになるのです。それは、教師たちにとっても大きな刺激になり、教師も常に緊張感を持って避難訓練や防災教育に努めているようです。
2 意識を変える「防災教育」
(1)「はい!」という返事を鍛える
学校では、小学校1年生に「よい返事の仕方」を最初に指導します。当然、保育園や幼稚園で「年長さん」として園児をリードしてきた子供たちですから「返事」など簡単なことです。ここで、担任教師などが、子供目線で話そうと「幼児語」などを使うと、子供たちはたちまち「赤ちゃん返り」をするので要注意です。たとえ言葉は丁寧であっても、「です。ます。なさい。」などは語尾をはっきりさせて話すのが肝腎です。また、「子供目線」が大事だからといって、あまり子供の目線に併せて膝をつくのが習慣になると、子供は常にそれを望むようになります。やはり、教師は多少上から毅然とした態度で子供に接したいものです。私は、1年生には「君たちは、もう園児ではありません。小学生という“学生”さんなんですよ…」と言った話をしました。そうすると、1年生の背筋はピッと伸びるのです。ここで、なぜ「はい!」という返事が大事かという話をします。実はこれも「危機対応訓練」のひとつなのです。
先日もトルコ・シリアで大きな地震が発生し何万という人々が被災しました。救援活動も大変困難を極めているようです。そのとき、何が一番大切かと問われれば「大きな声」が出せるかどうかです。瓦礫の下に埋もれている人を探すのは至難です。それでも、声を出してくれれば助かる確率は飛躍的に上がるのではないでしょうか。また、風雨の中でも声が出せれば「自分がいる」ことを周囲に報せることができます。だから、日頃から「大きな声」を出す訓練が必要なのです。そうは言っても無闇に大声を出しては不審がられますので、まずは、学校で教師の問いに対しては、大きな声で「はい!」と返事をさせるのです。それに、大きな声で返事をするには、下を向いていてはもちろんできません。したがって、姿勢がよくなり、返事をすることを恥ずかしがらなくなります。これは、教師も同じです。先ほど「避難訓練」時に「拡声器」の話をしましたが、災害時に「道具」に頼るのはセンスのない証拠です。教師なら、校庭中に響くような大声を出せるよう日頃から鍛えておくべきでしょう。昔の海軍では、新兵のうちから「大声」を出す訓練をしていたそうです。軍艦は大波を切ってもの凄い速度で走るのですから、そのエンジン音や波の音は半端ではありません。指示や命令を正確に伝えるためにも「大声」は必須なのです。学校の教師もどんな広い場所にいても、大声で指示を出せるようにしておかないと、災害時にものの役に立ちません。
2 「てんでんこ」では、逃げられない
東日本大震災時に「昔の人の教え」として「てんでんこ」という言葉をニュースで見ました。意味は、「一人で逃げろ!」ということだそうですが、津波はそれほど怖ろしい災害だということです。その意味はよくわかります。確かに、俯瞰して見ると津波は「ゆっくり」と近づいているように見えますが、側まで来るととんでもない速さで人や車に近づいてきます。「これは、やばい!」と思った瞬間に走っても、津波の速さに勝てるものではありません。まして、だれかと一緒にいたのでは、助かる命も助からないでしょう。それでは、子供たちに「災害時は、一人で逃げろ!」は正解なのでしょうか。この「てんでんこ」は、飽くまでも「津波」と限定する方が正しい解釈だと思います。それに、今の子供と昔の子供では、体も心も違い過ぎます。昔の子供は、とにかく「体を動かす」ことは、当たり前でした。もちろん「遊び」もそうですが、家の手伝いにしても農作業の手伝いにしても、自分の体だけが頼りですから、鍛えられていて当然です。それに、早く社会に出て行きますから「心」の成長も早いのです。それに比べて、今の子供たちはあまりにも「幼い」と言う他はありません。災害時に「一人で逃げる」勇気などあるはずもないのです。
そこで、子供には、「年長者は、年下の者や弱い者を助けて一緒に逃げろ!」と教えます。大きな地震や火事、山岳等で遭難したような場合、一番怖いのが「一人」になることです。そのとき、恐怖心から脱することができる術があるとすれば、それは「人のために働く」ことしかありません。これは教師も同じです。もし、目の前に子供がいれば、たとえ若い女性教師であっても、自分の身に替えて子供を守ろうとするはずです。それが「使命感」なのです。いや、人間としての「本能」かも知れません。災害時に、近くに幼い子供がいれば駆け寄り、「大丈夫?」と声をかけて「その子を守ろう」する心が、縮こまった心を開き「勇気」を与えるのです。東日本大震災時にも、自宅が津波に襲われ、一緒に暮らしていた祖父母と共に亡くなった子供や孫の話がありましたが、たとえわかっていたとしても、身近な人を放って置いて一人逃げることは難しいでしょう。なぜなら、たとえ生き残ったとしても「見殺しにした」という後悔だけは残り、その後の人生に計り知れない禍根を残すからです。いくら子供でも、そんな怖ろしい状況に置かれて、一人で行動できる勇気はありません。「てんでんこ」は、確かに正しい言い伝えかも知れませんが、わかっていてもできないのが、「人間の心」なのです。
私も本質的には臆病な人間です。一人では「戦う」勇気など出るはずもありません。しかし、「我が子を守る」となると話は違います。親としての本能がムクムクと湧き出し、どんな敵にも立ち向かう勇気が湧いてくると信じています。また、自分の「教え子」であっても同じです。先日も、中学校に刃物を持った男が乱入し、教室に入ってきたために、60代の教師ともみ合いになり、逮捕に至ったという事件がありました。この先生の初動の対応がすばらしく、凶器を持った男に立ち向かってくれたお陰で、子供たちに被害は及びませんでした。これが「使命感」なのです。自分が敵うかどうか…という判断は後にして、まずは、暴漢に立ち向かうことが優先されたのです。もし、この教師が怯んで動かなければ、間違いなく子供に被害が及んだはずです。これこそが、本物の「勇気」というものでしょう。
3 「泣かないで話を聞く」指導
本気で「防災教育」に取り組みたいのなら、子供が安易に「泣く」行為を諫めることです。災害時に子供が恐怖のあまり泣き出したら収拾がつかなくなります。この「瞬間」にでも避難しなければならない状況下で泣き出す子供が出れば、それに職員が一人つくことになり、集団としての行動を阻みます。要するにその時点で、危険が「何倍にも増える」ということになります。そして、そうした非常事態では、「話は一回で理解する集中力」が求められます。泣いていたり、よそ見をしていたりして「指示」を疎かにすれば、おそらく、その集団が安全に避難することはできません。これまでの教育では、教師に「優しさ」ばかりを求め、こうした「危機意識」を求めることを忘れていました。しかし、実際に東日本大震災等に見舞われ、日本人の「危機意識」は高まったはずです。最近でもトルコやシリアの大地震で、国中が大混乱に陥っているニュースが流れました。また、自然災害ではありませんが、ウクライナの人々にとってロシアの軍事侵攻は、自然災害以上の「災厄」です。一年以上も続く戦乱の中で、家族を失い、家を失い、故郷を離れなければならない悔しさは、その国の人間でなければわからないでしょう。学校では、「自分の命は自分で守る!」という言葉で子供に指導していますが、実際の「防災教育・訓練」となると、本気で取り組んでいるのかどうか怪しいものです。
子供も大人も何も注意されなければ「自由気儘」に過ごす方が「楽でいい…」と思いがちですが、それでは、自分を成長させることはできません。人間が成長していくためには、「楽」を求めるのではなく、多少なりとも自分に「負荷」をかけて自分の「やる気」を引き出す必要があります。しかし、この当たり前の「原則」を忘れてしまうと、自堕落な生活になり、修正することが非常に難しくなるものです。これは、学校生活に於いても「然り」です。子供の「学級」というものは、その「担任教師の色が出る」と言いますが、まさに、その通りです。教師が子供に優しくしようと思うあまり、「子供の自主性(気儘)に任せる」教師がいますが、これを行った学級は、ほぼ100%崩壊していきます。保護者にも「うちは、子供の自主性(放任)に任せている」という家庭の子供は、自律性に乏しく、発達段階に応じた年齢相応のことが身についていません。それは、人間だれしも「楽をしたい」という欲求から逃れることができないからです。たとえば「勉強」も、人間にとっては苦痛を伴う作業かも知れません。しかし、この「勉強」というものは、人間にとって生涯にわたって「し続ける」ものであって、学校時代にだけあるものではありません。それを「意識」した人間だけが、生涯にわたって成長し続けることができるのです。
学校に於いても、その学年に応じた「勉強」があり、それをひとつひとつ習得していくことで、自分の学習が成立していきます。そこには、多くの「学び」があります。教師の話を「集中」して聞く習慣のある子供は、災害時にもその力を発揮し、状況を的確に判断することができます。いつも教師の問いに「はい!」と大きな声で返事のできる子供は、災害時にも自分の所在をしっかりと大人に教えることができます。動作が「機敏」な子供は、災害時にも素早く行動して自分や友人の身を守ることができます。要するに、災害時の対応は、日頃の生活の中にこそ「訓練」があり、「自分の身を自分で守る」能力が身につくのです。だったら、教師は常に「有事」を想定して指導するべきでしょう。いつも「何も起こらない」と暢気に構えていると、「いざ!」という時、慌てふためいてパニックになるに違いありません。それでは「教育をした」ことにはならないのです。
4 真実を語るのも「教育」
戦争にしても自然災害にしても、時間が経過すればそれは「過去の出来事」になり、語り継ぐ者がいなければその真実は「風化」し歴史の中に消え去っていきます。先の大戦(大東亜戦争)も東日本大震災も、いずれ忘れ去られていくことでしょう。歴史を疎かにする人は、過去から学ぶことをしません。そのために、また多くの失敗(過ち)を繰り返すのです。学校の教師でも、それぞれの「専門性」があり、特に理科系の人たちは「歴史」にあまり興味を示さないようです。テレビドラマや小説、教科書に書かれている程度の知識があればいい方で、教科書の内容すらも「よく、覚えていない」という人もいるほどです。これは、学校だけに限らず、一般社会でも同じようなことが言えるはずです。そのために、国民を「洗脳」することはそんなに難しくはありません。隣国の中国や韓国、北朝鮮などでは、自分たちに都合のいい「建国の歴史」を創作し、国民に教えています。まして、学校の教科書にそれが「正史」として記述されれば、優秀な人ほど、その内容を覚え、社会のリーダーとして育っていくのです。日本においても、同じようなことが起きています。
日本の「歴史」は、昭和20年の敗戦を境に断絶しました。もちろん、それが「宣言」されたことはありませんが、GHQが日本を占領した7年間で、まったく異なる「日本の歴史」が創られたのです。歴史というものは、その時代の「権力者が創る」ものと言われていますが、まさに、戦勝国である「アメリカ」によって、日本の歴史は創られたのです。そして、その後は、その怪しげな歴史を学校教育によって教えられ、今の「エリート」が誕生しました。それでも、昭和の時代までは、その「怪しさ」を知っている大人はたくさんいましたが、平成の時代になると、そうした大人は引退し「戦後教育」を学んだ人たちが国を動かし始めたのです。それらの人々は、政界にも財界にも官僚にも教育界にもたくさんいます。亡くなられた安倍晋三元総理が、「戦後体制からの脱却を目指す」と宣言したとき、国内だけでなく世界からも「歴史修正主義者」というレッテルを貼られ、恰も安倍総理自身が「歴史を歪めようとしている怪しい人物」と見做されたのです。どちらが、歴史を歪めたのか…わかりそうなものですが、一度権力によって「正史」と定められると、後戻りができません。したがって、歴史の「真実」を伝えたくても、周囲や環境がそれを許さず、もし、教師が子供たちに向かって「教科書に書かれている歴史は誤りだ!」と教えれば、たちまち猛烈な批判に晒され、教師生命を失うことになります。したがって、そう思っていたとしても、教師は「学習指導要領」を遵守して指導するしかないのです。
ただし、「戦争」だけでなく、多くの「災害」は、私たちの多くの教訓を与えてくれています。若い頃、新田次郎氏の「八甲田山死の彷徨」という小説を読んで驚いたことがあります。これは、高倉健主演で映画化もされましたが、その悲劇性だけでなく、「遭難」という言葉の意味がわかったような気がしました。その小説の中でこんな場面がありました。徳島という大尉が、大雪の中で亡くなっている弟(兵隊)を背負って行こうとした兄(兵隊)に向かってこう言います。「気持ちはわかる。しかし、それはできないことだ。そんなことをしたら、今度はお前が倒れる。お前が倒れれば、そのお前を助けようとして、まただれかが倒れねばならない。きりがないのだ。気の毒だがそのままにして置いて、後で収容するほかはないだろう」と…。つまり、たった一人の「トラブル」でその隊の全員が倒れ、遭難するということなのです。これは、まさに、学校で起こり得ることだと思いませんか。学校ではよく「自然教室」と称する校外学習が行われます。海や山での体験学習を指しますが、この「自然教室」での事故が度々起きて、学校の「危機管理」の甘さが指摘されているところです。
「自然」をよく知らない人たちは、「これくらい、大丈夫だろう?」とか、「たくさん体験させたい」とばかりに、多くを詰め込んだ計画を立てがちです。よくある事故が、「海」では、海岸で遊ばせていて、波に子供がさらわれる事故です。せっかく海に来たのですから「遊ばせたい」という気持ちはわかります。しかし、子供の「遊びたい!」という欲求に抗しきれず、甘い判断で「許可」を出したがために、事故につながった例はたくさんあります。たとえ、穏やかな内海であっても「水温」や「気象状況」「ケガ予防」等を十分に確認して判断をする必要があるのです。また、山岳事故では、「道に迷う」事故が多く発生しています。時間設定が「過密」で、子供たちに余裕がないと、時間に間に合わせようとして道に迷うケースです。子供の体力差は中学生でも大きく、体力に劣る子供がグループから「置いていかれる」ことがあります。急ぐあまり、先頭の子供が最後尾まで確認しないために起きる事故です。最悪なのが、「雪山」における事故です。数年前にも高校生が「雪崩」に遭遇するという事故がありましたが、これは気象を確認するだけでなく、教師たちの「経験」が大きく左右します。スキーなどで雪山を経験している人は、けっして「無茶」はしません。「もう少し…」と思った時点で「止める」ことが賢明な判断だと言われています。そのくらい、雪山は気象が急に変わるために「危険度」は一番でしょう。確かに「自然教室」という体験活動はすばらしい教育だと思いますが、教室での座学とは違います。それだけに、教師も子供も普段以上の緊張感と準備が必要だということを忘れてはなりません。
5 「綺麗事」では危機管理はできない
正直に言わせてもらえば、今の日本の「教育観」では有事や災害時に多くの人を救えないと思います。先日も「緊急避難速報」が流れましたが、もし、日本を敵視する国からミサイル攻撃を受けたら、日本の防衛システムでは、すべてを迎撃することは難しいと言われています。人の住む街に着弾すれば、多くの日本人が犠牲になることは明らかですが、その「備え」が盤石とは到底いえない状況にあります。まして、政治家の中には、日本を敵視する国に心を寄せる者も多く、日本国民のためにどれだけ働いてくれるのか甚だ疑問です。国の政治家自体に危機管理意識が低い国は、世界中でも日本くらいなものでしょう。それでも、国会では、だれが聞いても呆れるような議論に終始し、相変わらず「政争」に明け暮れています。こんな状態で戦前の政治を悪し様に批判するのですから、呆れてしまいます。もう少し、本気になって有事や災害時の対策を議論して欲しいと思います。
これを書いているときに、和歌山県で岸田総理大臣が演説する会場で若い男によるテロ事件がありました。男は、「手製爆弾」らしき物体を総理大臣目がけて投げ、危害を加えようとしたものです。幸い、総理にも周囲の人にも被害はなかった模様ですが、一歩間違えれば、昨年の安倍元総理の暗殺事件の二の舞になるところでした。その映像がテレビから流されましたが、驚いたことは、その男に真っ先に飛びかかったのが、地元の漁師さんだと言うことです。そして、男が取り押さえられる際に周囲の人々がスマホでその場面を撮影しようと群がっていたことです。男の手には別の金属の筒が握られており、バッグには刃物が入っていたということですから、最悪「自爆」ということだってあり得た事件です。海外では「自爆テロ」の事件が多発していますが、日本で同じことが起きれば、多くの人が巻き込まれてしまうでしょう。その危険を顧みず、スマホで撮影することに夢中になるとは、危機意識の欠如も甚だしいものがあります。これが、今の日本人のレベルなのでしょう。これで、「自分の命は自分で守る!」という宣伝をしても、如何に効果がないかが露呈してしまいました。
学校でも同じです。「子供に寄り添う教育」はよくわかります。「優しく、その子のよいところを認める教育」もわかります。しかし、有事や災害に備えて「訓練」を行うときには、大人(教師)が優しい声で、「〇〇しましょう」ではだめなのです。子供たちには、「普段優しい先生方が、訓練の時は鬼みたいに怖い顔をして大声で命令する」と思わせることが大切なのです。「伏せろ!」「集まれ!」「行くぞ!」「泣くな!」と厳しく大声で叱咤するように叫ぶ必要があります。そのとき、大人(教師)は笑顔を見せず、これ以上ない…と言うくらい厳しい顔と声で子供に指導(命令)しなければなりません。東日本大震災時を思い出してみてください。だれもが必死の形相で叫び、子供たちはみんなその場にしゃがみ込み「怯えて」いました。そのとき、私たちは大声で指示を出し続けたのです。私も何度、「伏せろ!」「立つな!」「集まれ!」と命じたことでしょう。そして、揺れが収まった後に、「大丈夫か?」「けがはないか?」「心配ない。もう大丈夫だ…」と優しく声をかけました。そして、保護者が迎えに来るまで、校内で子供たちを励ましながら備蓄の菓子を与え、不安な夜を過ごしたのです。しかし、そのころ、東北地方の沿岸部では大津波が発生し、多くの命が失われていたのです。そのことを知ったのは、それからしばらく経ってからのことでした。そのとき、私の頭は「子供と職員の安全」を確保することでいっぱいでした。その緊張感は、これまで味わったことのないほどのものでした。それが「現実」なのです。もし、このとき、私たちの前に大津波が襲ってきたとしたら、自分は何ができたのか…、本当に考えてしまいました。そして、「万策尽きれば、最期は、みんなといっしょに死ぬしかない…」という結論しか導き出せませんでした。それでも、世間の人は「諦めるな!」「子供を守れ!」と言うでしょう。いくら子供といっしょに教師が死んでも、教師の責任は免れないのです。そのことを今でも強く思います。
要するに、それくらいのことができなくて、「自分の命は自分で守る!」などと教えても、子供には何も響かないのです。もし、そんな厳しい「訓練」を行ったことで保護者や周囲から苦情が来たら、毅然と「有事と災害の訓練です!」と逆に保護者を諭すべきなのです。そのためには、普段から「話は一回で聞く!」「口を開かない!」「泣かない!」といった指導を常に行っておくべきでしょう。おそらく、また、東日本大震災クラスの災害が日本の何処かを襲うことでしょう。戦争状態になれば、それが爆弾やミサイルに代わります。その「心構え」なくして危機管理はできません。「どうせ、大丈夫だろう…?」ではなく、「あり得るな…?」という意識を持って備えを万全にして欲しいと思います。
要するに、こうした日頃からの「心構え」があれば、緊急時に「スイッチ」は簡単に入ります。しかし、「ないだろう…?」と気楽に考えて日々を過ごしていると、「いざ!」というときに体内スイッチが入らず、自分の頭が「真っ白」になってしまいます。大人(教師)が呆然としてしまえば、もう子供は動けません。しかし、子供にとっても「命はひとつ」です。大人が頼りにならなければ、自分が動くべきなのです。そのとき、周囲を見回し「弱い人はいないか?」と気がつけば、その人を子供なりに「助けよう…」とすることでしょう。それが、子供の「スイッチ」なのです。大人はすぐに「人のことより、自分のことをしなさい!」と言いますが、本当にそれでいいのでしょうか。「周囲のことに気が配れる」ことは、その人の道徳心の表れでしょう。有事や災害時は、「我先に…」と逃げ出す「パニック症候群」が起きると言われていますが、その状況に陥った人で助かった人は少ないはずです。よく、火事の際に「一つの出入り口に人々が殺到し、その場で焼死した」という報道がありますが、「我先に…」に走った結果が冷静さを失い、自分の命を失う結果になったのです。ならば、一呼吸置いて、周囲を見渡し今自分ができる「判断」をするべきでしょう。これも「危機管理」であり、日頃の「訓練」の賜物だと思います。
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