「日本社会の転換点」にもの申す。 矢吹直彦
ここ数年、「日本社会が変わったなあ…」と思うことがいくつかあります。そもそも、時代というものは人間の思惑とは違う「流れ」で進んで行くことがあります。近代でいえば、江戸から明治に移行するときにも、日本人(武士)の多くは「公武合体」という形で乗り切れると思っていました。「公武合体」は、「幕府と朝廷が協力して国難にあたる」という論ですから、日本の支配階級である武士が賛同するのは当然です。まさか、この時点で「クーデターが起きて、武士の世が終わる」などと考えた日本人はだれもいないはずです。それが、いつの間にか、武士同士の「権力闘争」に変化し、そして「倒幕運動」「大政奉還」「戊辰戦争」へと続き、徳川幕府が自ら政権を朝廷に返すことで、新しい時代を迎えてしまいました。ここまでなら、関ヶ原の戦や大坂の陣を知る武士たちの常識の範疇でした。おそらく、「いよいよ、徳川の時代が終わり、薩長の時代が来たんだな…?」というくらいの感慨を持つ程度で、まさか、「武士階級がなくなる」とまでは考えが及ばなかったはずです。ところが、薩長が新政府を創った塗炭に「四民平等」が宣言され、版籍奉還、廃刀令と続く中で「武士の世」が終わったことを知らされたのです。武士たちにしてみれば、「寝耳に水」「自分で自分の首を絞めた」ようなものです。その結果が明治初年に続く「武士の叛乱」ですが、主君と仰いだ大名までもがさっさと新政府の言うことを聞いて東京に移り住み、自分たちを見捨てたわけですから「万事休す」です。時代が崩壊するときというのは、こんなにあっけないものかも知れません。
誤算だったのは、「戊辰戦争」という忌まわしい復讐戦争が起きてしまったことです。戦った武士たちにしてみれば、戦国時代末期の関ヶ原や大坂攻めを思い出して「先祖返り」をしたようなつもりで戦ったのでしょうが、徳川家が「大政奉還」した後での一方的な「弱い者虐め」の侵略戦争には、武士としての「大義」はありませんでした。ただ、血を見て興奮してしまった兵隊を宥めるために起こしたような戦で、殺戮と略奪のための戦になってしまったのです。西郷隆盛たちは、武士というより「革命家」ですから、「革命には血が必要だ…」くらいに考えていたのでしょう。革命の目的は「破壊」にあります。「建設」は革命家の仕事ではありません。そのために、西郷も大久保も桂も「建設」の時代には、何の活躍もできずに世を去って行きました。ただ、この「革命」は日本には不要でした。もし、革命を完全なものにしたければ「天皇」を排除し、朝廷そのものを破壊しなければならなかったでしょう。その中途半端な「革命擬き」が、その後の日本を危うくしたのです。つまり、戊辰戦争というやらなくてもいい戦をしたことで、明治政府は「日本の歴史の正統性」を失いました。もし、この内戦がなく、平和裏に政権が朝廷に戻されていれば、その後の明治期の混乱も少なかったはずです。一般庶民からしてみれば、関ヶ原の時代に戻ったような「武士の権力闘争」に見えたはずですが、その後の「文明開化」という日本の近代化を体験した人々は、間違いなく大きな時代の「転換点」だと気がついたはずです。
次の時代の「転換点」は、「大東亜戦争(太平洋戦争)」による敗戦です。明治政府が創り上げた「近代日本」は、僅か80年で崩壊してしまいました。やはり、正統性のない政権が権力闘争の末で創り上げた「国家」は、無理に無理を重ねているだけに綻びが広がるのも早かったということでしょう。どんな仕事でも同じですが、基礎を固めないうちに突貫工事で仕上げても、いい「城」はできません。明治以降の日本は、外見だけを飾る「塗装」は上手にできましたが、基礎のコンクリートが乾いてもいないうちに柱を立てたようなもので、このような政治が長く続くはずがありません。考えてみれば、「よく、80年も保ったものだ?」と感心するばかりです。国民にしてみれば、江戸時代とは比べものにもならないくらいの重税に喘ぎ、陸海軍の軍備の増強に協力してきましたが、結局は、政治家や軍人の面子のために、国が崩壊してしまったのです。もちろん、当時の国際情勢を考えれば「やむを得ない」ところはあります。しかし、今から考えても「これは、だめだろう…?」という政策や軍事行動はたくさん見られました。これでは、日本を目の敵にする「反日国」の思う壺なのです。結局、勢いよく国際社会に飛び出してはみたものも、欧米人中心の「国際政治」の舞台では、上手く演じることができずに、そのうち疎まれ、いじめられ、差別され、国際社会から「孤立」していきました。そして、最期は戦争をするように仕向けられた挙げ句、300万人以上の犠牲を出して「大日本帝国」という「薩長が造った国」は崩壊しました。それでも、あのとき、日本が立ち上がったことで、植民地として搾取され続けた多くの国が「独立」を果たしたことは、有意義なことでした。
連合国軍(GHQ)によって占領された日本は、7年間もの間主権を奪われ「国のあり方」を大きく変えられてしまいました。日本人の「ものの考え方」も欧米風になり、この「敗戦・占領期」を境に日本はまったく違う国「日本国」になったのです。今では、この「占領期間」を覚えている人もいなくなり、大東亜戦争(太平洋戦争)の敗戦も既に「過去」のものとなりました。今の日本人(特に戦後教育を受けてきた)は、戦前までの教育を受けてきた日本人とは、明らかに違います。昭和のころまでは、戦前の教育を受けてきた人が日本の中心にいましたので、社会はそこまで混乱しませんでしたが、令和の今になると、様々な世界で問題が噴出し、社会不安が増大しています。もうひと言で「日本人は…」という言葉が使えなくなったような気がします。確かに「敗戦」はショックな出来事でしたが、ここまで「日本」というお国柄が変わるとは、あのGHQでさえ驚いていることと思います。「順応性が高い」というか、「多様な価値観を受け入れる」というか、戦後80年が経過しても占領期に行われた改革を後生大事に抱えているのですから、不思議な気がします。
次の時代の「転換点」は、昭和末期に起きた「高度経済成長」の終わりと「バブル景気」の崩壊です。平成という時代は、その「後始末」の時代だったような気がします。一応、「日本国」という体裁は取っていましたが、これまでの社会構造とはまったく異なる「社会」が誕生し、国民は大混乱しました。一見、「官から民へ」とか「規制緩和」「自由経済」「グローバル社会」などという言葉を聞くと、未来に希望が持てるような気がしましたが、それは政治家やマスコミによる「真っ赤な嘘」だったのです。単に「みんなが等しく貧しく」なっただけのことで、僅か「1%」の富裕層が富を独り占めにしただけのことでした。だいたい、「会社は株主のもの」だと言うようになってから、社会では「リストラ」なる言葉が流行し、「契約・派遣社員」が会社の働き手の中心になっていきました。これにより、日本社会は衰退して行くのです。その中で、二度目の「東京オリンピック・パラリンピック」をコロナ禍の中で強行しましたが、今になってその運営が大問題になり、幹部の多くが逮捕・起訴される事態となっています。こんな「汚職塗れ」のスポーツの祭典など、もう二度と日本では開催できないでしょう。
そして、平成が終わり令和の時代を迎えた今、さらなる時代の「転換点」が到来しようとしています。それは、日本社会を支えてきたはずのいくつかの「柱」が朽ちかけ、土台ごと倒れようとしているからです。それが「福祉」であり「教育」であり「道徳」なのです。戦後の日本人は、「運に恵まれた」高度経済成長期を経験してしまったために、今でもその「夢」を追い続けようとしています。特に政治家と経済人は、「経済の発展こそが、日本人の幸福である!」と信じて止みません。したがって、マスコミ等でも毎日のように「経済ニュース」が流され、世界や日本の経済の状況について注視しています。しかし、その「陰」で「福祉」や「教育」「道徳」が修復できないまでに壊れかけていることに気づいていません。いや、おそらく、内心ではだれもが気づいているのでしょうが、経済優先の思考は、それすらも「軽んじ」てしまうのです。この三つの「柱」は、「日本人の生き方」そのものです。もし、この柱を取ってしまえば、それは最早、長い歴史を刻むこれまでの「日本」ではなくなります。それを望む人たちにとっては「幸福」なことなのかも知れませんが、昔ながらの「美しい日本」を残したい人々にとっては、「不幸」としか言いようがありません。なぜなら、それでは「先祖に顔向けできない」からです。3000年近く続いた「日本」を壊した責任は、今を生きる「日本人」全員にあります。そうならないためにも、心ある「日本人」は、今、立ち上がらなければならないと思います。
1 「福祉」が壊れる
戦後の日本(高度経済成長期)の「福祉制度」は「公」も「民」も本当に優れていたと思います。戦前の反省なのか、それとも高度経済成長期の「思い遣り」なのか、戦争中に制度化された「国民年金制度」が機能し、多くの国民は「老後は大丈夫だ…」という幻想を抱くまでになりました。当時は、年金を納めていなかった人にまで、申請すれば年金をいただけた…という話が田舎では広まっていました。会社に勤めれば、その他に「企業年金」があり、その上「退職金」という制度までできていきました。この時代の企業は、その社員を「丸抱え」するような「家族主義」で、中学校を出たばかりの少年(少女)を傭い、定年を迎えるまで雇用を継続していました。地方から出てきても困らないように、工場の敷地内には「独身寮」や「社宅」と称した住宅が用意され、独身時代は「独身寮」で過ごし、結婚をすれば、社宅を格安で借りることができました。但し、隣もお向かいさんもみんな工場に勤める同僚たちばかりです。その工場の敷地は広大で、ひとつの「町」を形成するほどでした。これは、大手の工場を持つ企業の一例ですが、繊維業界や石炭業界、自動車業界などは何処もこの方式を採っていたはずです。有名なトヨタ自動車では「トヨタ方式」と言われる「仕事スタイル」があり、今の豊田市(旧)が「挙母」という町だったものが、あまりに自動車産業が発展したために、町名まで変更したという曰く付きです。トヨタ方式では、まさに「揺り籠から墓場まで」という言葉のとおりに「トヨタ自動車」に勤務し、「トヨタホーム」を購入し「トヨタ自動車」に乗り、豊田市が作った「団地」に住んで一生を終える…というものです。まさに「夢」のような人生がそこにはありました。もちろん、個性的な人は馴染まなかったかも知れませんが、会社の方針に従順にしたがって勤める人たちには、これほど充実した社会はないでしょう。
ところが、今、こんな方式を採っている企業はありません。「公」の福祉制度を見ても「高齢化」の影響で、年金は一律になりその支給率も下がるばかりです。昔は、「年金暮らし」という言葉があるように、60歳で定年を迎えてもすぐに「年金」が貰えましたので、生活に困ることはありませんでした。その上、企業の「退職金制度」も充実していましたので、同じ職場で働けば働くほど、退職金の支給率は高く、親たちは子供に「ずっと、同じ職場で働くのがいいんだ」と言い続けたのです。今でも退職金制度を維持している公務員や企業はありますが、いずれ近いうちにそれを廃止しようと考えていることは明白です。一般の社会人が「契約・派遣」という非正規で働くようになった現在、たとえ「正社員」「公務員」といえども、世間がそれを許すとは思えないからです。その正社員にも「リストラ」と呼ばれる人員整理の波は押し寄せ、公務員も半数は非正規の「名目公務員」です。もちろん、日本の年金制度が崩壊することはないかも知れませんが、支給年齢が引き上げられ、支給率が下がれば、もう「年金頼み」の生活はできません。働いている期間の「貯蓄」に頼らざるを得ないのが現状ですが、「食べるのがやっと…」という生活の中で老後に回せるお金は少ないのです。
さらに、「医療費」の負担の問題があります。高齢者が増加し続けると、この医療費が社会保障費を圧迫します。日本は確かに「長寿国」ではありますが、それは、日本の医療が充実しているからに他なりません。少し前までは、町の医院(クリニック)は、高齢者のサロンか…と見まがうばかりの状況で、高齢者は安い医療費で治療を受けられたのです。私たちもそうですが、今の医療費は「3割負担」で受けられますが、もし、日本に「医療保険」なる制度がなければ、こんなに長寿国になることはなかったでしょう。しかし、その医療費もこのままでは間違いなく破綻するでしょう。当然、国民の負担率は高くなり、町の医院に行くのも躊躇われるような人も出てくるはずです。
こうした「福祉」は、日本社会を支え国の発展の基盤となりましたが、それも、間もなく終わりになるでしょう。考えてみれば、これまでが非常に恵まれていただけのことで、今、生きている日本人が生まれる前は、日本に特別な「福祉」制度などはありませんでした。戦前までの日本は、人命を軽んじ過ぎたために「一銭五厘で兵隊を集められる」と嘯いていたくらいです。よく、軍隊でも「貴様等の代わりはいくらでもいるんだ!」と上官が下級兵に叫んだと言われていますが、こうした「目先」のことしか見えない人たちが、日本には多くいたのです。今でも、これまでの社会構造が変わらない…と信じている人が多くいますが、歴史を見れば、そんなことはありません。これからの日本は、ごく「普通」の福祉しかできなくなるでしょう。つまり、「公助」より「自助」「共助」が重要になってくるということです。
2 「教育」が壊れる
「教育の問題」は、これまでも何度も取り上げてきましたので、繰り返しは避けたいと思いますが、この「教育制度」「教育内容」も既に壊れかけています。日本の教育は、常に欧米の進んだ教育を「模倣」する形で進んできましたが、最早、模倣だけでは何ともならない状況に追い込まれています。今の子供たちは「時代の申し子」です。その時代時代にうまく適応するために、学校以外の情報にも敏感で、それを大人以上に素早く取り込んでいきます。大人が子供を見て、「何も知らない…」と侮っていると、とんでもない間違いであることに気づかされます。確かに、子供は経験が不足しており、大人が先回りして「危険を回避させたい」という親心はわかりますが、そんな過保護でいると、子供はそんな大人に見切りをつけて、さっさと巣立っていくはずです。少し前まで、「テレビゲーム」や「パソコンゲーム」は、「やらせたくない遊び」のナンバー1でした。しかし、大人が必死になって止めても、子供たちは夢中になってゲームに嵌まり、今では、オリンピック種目になろうかという競技にさえなっています。それに、今時、社会人になってコンピュータも操作できないようでは、何処も採用してくれないでしょう。今や、パソコンは「使いこなす」ことは「普通の技術」なのです。まして、コロナ禍の中で「リモート」と呼ばれる会議や仕事が主流になると、益々、パソコンは身近な「道具」となってきました。こうした現実を踏まえて、文部科学省は、「ギガスクール」と称して、学校で「プログラミング学習」を行うよう指示しましたが、あの程度のものは、既に興味のある子供なら「自力」でできるのです。それを敢えて時間を割いて学校で指導するのは、おそらく経済界からの要請があるからでしょう。しかし、子供にとって「必要なもの」は放っておいても自力で解決するものです。
さらにいえば、文部科学省は未だに「不登校」という言い方で、「学校に通えない子供」を問題視していますが、そろそろ、その「理由」を把握するべき時期に来ています。もちろん、家庭の問題で不登校になる子供はいますが、「学校の勉強がつまらない」という理由で学校に行きたくない子供も多くいるはずです。学校は、どうしても「画一的」で「個性を伸ばす」場所にはなれません。「社会生活」を学ぶ場としては最適でしょうが、その「社会生活」を否定されては、学校の存在意義がないのです。子供に聞くと、「将来、なりたい職業」の上位に必ず「ユーチューバー」が出てきます。子供にとって「YouTube」というパソコン内で情報を発信する仕事がとても魅力的に見えているという証拠です。それを聞いた大人はきっとしかめっ面をすると思いますが、「YouTube」の内容によっては、通常のマスコミなど及びも付かない情報量と分析力を持ち、個人で発信されている人が多くいます。また、これを使った「ドラマ」や「ドキュメント」制作を行っている企業もあり、まさに「これからの情報発信ツール」だということがわかります。子供にしてみれば、斜陽産業の旧来のマスコミより、何倍も魅力的に映っても仕方ないでしょう。これまでの「成功体験」で語ればだめなものでも「未来志向」で考えれば「面白い」ものはたくさん出てきているのです。それなら、「不登校」にも彼らなりの「理由」があり、それを調べ、分析することで「未来の学校像」が描けるような気がします。
今、世間を騒がせている「学校ブラック化問題」の大半の責任は文部科学省の「無策」にあります。「学校は、サービス業」と発言し、何でもかんでも学校に教育課題を押し付け、学校の教職員が悲鳴を上げて訴えても「知らぬふり」を決め込み、勝手に「日本の教育を推進している」と嘯いた責任は大きいと言わざるを得ません。結局、文科官僚には、教師は「定額働かせ放題」という意識があり、「何を命じても、何もできない人間たち」と侮っていたのでしょう。まあ、国の官僚からしてみれば、現場の学校の教職員など、吹けば飛ぶような「駒」にしか見えてなかったと思います。それに、文部科学省の施策は「中央教育審議会」なる有識者会議に諮問した上で決定していますので、「教育の専門家たちの提言を受けて実施した」という答弁ができますから、「自分たちに責任はない」かのような言い訳ができます。それが、「学校ブラック化」という形で報道され、教職志望者が激減したことを受け、慌てて「綻びを繕う」ような真似をしていますが、予算も満足に獲得できない「弱小省庁」ですから、万事休すなのだと思います。
次に学校職員を増やしたくても増やす予算をけちった財務省が、訳のわからない「予算算定方法」を駆使して、弱い立場の文部科学省に予算を回さなかったことです。このために、日本は「35人学級」にすることもできず、学校に人を配置することもしませんでした。おそらく、財務省は「だれも、そんなに働け…とは言っていない!」と言うでしょうが、実際の現場も見ずに文部科学省の訴えも聞かなかった責任は大きいと思います。財務省の算定方法のおかしさは、「少子化が進んでいるのだから、教師の数も減って当然だろう?」という言い訳です。学校現場の実態を知らない官僚たちは、平気でこんな「詭弁」を弄するのです。今、言われている「35人学級」というのは、「定数35人」で「1学級」が作れるという方法で、「36人」になれば、「18人ずつ」の2学級が作れます。こうなれば、教師一人の負担は減りますが、担任教師は学級にいなければなりませんので、「余剰の職員」はいません。さらに、文部科学省が「サービス業」と言ってしまったために、国民の多くもそう思い込み、「子供はお客様」的な発想をするようになりました。もちろん、保護者も市民も「お客様」です。そうなると、何処かのコンビニのように「おい、謝れよ!」「店長を呼んでこい!」といった「お客様」が登場し、学校はひたすら「お客様のご機嫌」を損ねないように謙るのが一般化してしまいました。その上、発達障害等の課題のある子供は増加し続けていますが、それにすら満足な予算がつかず、指導者不足のために学校は疲弊し続けているのです。おそらく、良識ある文科官僚は、一生懸命、財務省に説明していると思いますが、「これ以上、金は出せない!」と突っ張り、それを支援する政治家もいなかったために、今のような状況に追い込まれました。あの有能な安倍元総理ですら、教育基本法改正までは手をつけましたが、学校現場の声に耳を傾けることはありませんでした。
さらに問題なのが、「文部科学行政通」を自認していた政治家たちです。彼らは、実際の教育現場など知らぬまま、組合活動をする教職員を目の敵にして、それを排除するために「教員免許更新制」という歴史にその悪名を残した「教員差別制度」を設け、それがために「教師のなり手がいなくなる」といった問題を起こしました。さらに、教師の訴えを聞こうともせずに、政治的な無策を続けたのです。今でも当時の大臣たちの顔を覚えていますが、本当に学校の教師を憎んでいたのだと思います。彼らの交渉相手が、教職員組合の運動家たちですから、そんな気持ちになったのかも知れませんが、90%以上の教師は、純粋な「先生」たちだったと思います。昭和の後期に田中角栄総理大臣は、「学校の先生を大切にせねばならぬ!」と教師の給与を他の公務員より優遇し、海外研修制度なども設けてくれたために、教師人気はグングンと上昇しましたが、それ以降は、政治家が学校や教師に眼を向けた人は皆無です。それどころか、「子供の教育」はすべて「学校でやれ!」と言わんばかりに、様々な問題を押し付けたために教師は疲弊していったのです。
そして、最後に日本の教育を破壊したのは、報道機関であるマスコミです。国鉄(今のJR)改革の際は、政府と同調して国鉄職員の「いい加減さ」をこれでもか…と暴き立て、国鉄を民営化してしまいました。その成功体験があるのか、「今度は学校を潰せ!」という指令でもあるのか、学校や教職員のネガティブな情報を流し続け、今の混乱を招きました。おそらく、公務員である「教師」を民営化して、外国のような「契約教師・派遣教師」にしたいのだろうと思っています。そうなれば、財務省は教師への「半額の給与負担」がなくなりますので「財政健全化」ができると信じているのだと思います。そう考えれば、間もなくその陰謀は成功するところまで来ています。しかし、それに乗ったマスコミは、自分自身も信用を失い、まさに「斜陽産業」の一番手に名乗りをあげていますので、あまり「陰謀」論には与しない方が賢いのではないでしょうか。
「教育」が崩壊すれば、学校も民営化され、学校「選択」は自由になります。今の「学習塾」も多くは民営化に参入してくるはずですから、公立の学校は、今の半分も要らなくなるでしょう。それに、契約や派遣で送りこまれてくる教師に、そんな高いレベルの「サービス」を求めるのは無理ですから、子供の教育の責任は「家庭」に返され、さらなる二極化が加速されるはずです。そうなれば、日本人の道徳性も廃れ、都会には「スラム街」も形成されることでしょう。今、日本という国が行っていることは、そうした未来を築くことなのです。
3 「道徳(思想)」が壊れる
社会が大きく変わるとき、一番怖ろしいのが、日本人の「道徳(思想)」が覆されたときです。これも、これまでに「2回」起きていました。そのひとつが、明治維新によって「徳川幕府」の功績を否定したときです。薩摩や長州などの元外様大名家の武士たちが政権をうばったことで、彼らは、何でも自分の好きなような政治ができると考えていました。その特徴的な例が「廃仏毀釈」ですが、これまで日本人は「仏教」の教えを拠り所にして日々の暮らしを支えていました。無論、徳川幕府の統治方法として「寺院」や「仏教」が利用されたことは否めませんが、それは政権を担う者としては当然だったろうと思います。明治時代になるまでは、日本人は「神仏習合」の考えを採っており、「神と仏」を区別して考えることはありませんでした。したがって、寺院の中に神社があることも少なくなく、それを日本人は「不思議」とも考えなかったのです。だからこそ、日本人は宗教に対して寛容で、今でもクリスマスやハロウィン、バレンタインデーなど、キリスト教にまつわる行事もすんなりと受け入れているのです。それを明治政府は、無理矢理「神仏分離政策」を掲げたために、廃仏毀釈が起こりました。特に酷かったのが薩摩(鹿児島)だったそうです。今では鹿児島の寺院には重要文化財クラスの仏像はありません。この廃仏毀釈でみんな壊してしまったのです。西洋の宗教である「キリスト教」は易々と受け入れたのに、自国の文化である「仏」を破壊するとは、気が違ったとしか思えません。「自分たちが新しい国を造った」という傲慢さがそうさせたのでしょう。こうして、ひとつの日本の「文化」が破壊されたのです。
明治政府は、近代化を急ぐあまり、他にも多くの日本文化を捨てようとしました。初代文部大臣の森有礼などは、「日本語を捨てて、国語を英語かフランス語にしてしまえ!」と叫んでいたそうですから、今、言われるほど立派な人物とは思えません。このころ、日本の芸術である「浮世絵」などが、どんどんと海外に流出していきました。お陰で、ヨーロッパで「ジャポニズム」が流行ったということですから、芸術は日本人より欧米人の方がよくわかっていたということです。こうした欧米一辺倒の日本人が増える中で、「和魂洋才」を説いたのが西村茂樹や福沢諭吉たちでした。特に西村は、「国民訓」「日本道徳論」を著し、近代化した後の「日本人のあり方」を示しました。そして、それは「教育勅語」「修身」という形で、国民に浸透していったのです。今では、この「教育勅語」や「修身」は、大東亜戦争(太平洋戦争)の敗戦により、一切指導できなくなりました。それ以上に「戦争に国民を駆り立てた元凶」という扱いで、今の教育界では「タブー」になってしまっています。
2回目の「道徳(思想)破壊」は、もちろん、大東亜戦争の敗戦によって「大日本帝国」が崩壊したときに起こりました。先の「教育勅語」の廃止以降、日本には「道徳」は存在しなかったのです。辛うじて、日本人の生活習慣の中に根付いていた「道徳的習慣」があったために、日本は大きな混乱を招くことはありませんでしたが、アメリカ軍を初めとした連合国軍による7年間の「占領時代」には、共産主義の思想が広がり、多くの改革も「共産主義的」なものが多かったのです。幸いなことに、昭和25年の朝鮮戦争とアメリカによる「レッド・パージ」によって、日本は「共産革命」が起こる一歩手前でそれを阻止出来ましたが、この二つが起こらなければ、日本は間違いなくソ連の衛星国になっていた可能性があるのです。もし、そうなっていれば「日本国」という名前は残されても、皇室は破壊され、日本の歴史や文化は悉く否定されてしまったことでしょう。そして、今、日本は「グローバル化思想」に飲み込まれ、政治も経済も教育もすべて「グローバル思想」の信奉者になってしまいました。
この世界の「グローバル化」の波は、もの凄い勢いで世界を飲み込んでいきました。学校などでは、「国際人」という言葉で「日本人は、こんな小さな島国に閉じ籠もっていないで、もっと世界に飛躍して活躍するべきだ!」と煽りました。経済界も中国を初めとする世界市場が「オープン化」されれば、その利益は莫大です。そのために、日本政府や財界は諸手を挙げて賛成し、平成の時代には中国や東南アジアへの工場移転が盛んに行われました。人件費の安い国へ工場を移転すれば、製品が安く造ることができます。そして、それを世界中に売り歩けば大きな「利益になる」と考えたのでしょう。そのために、日本国内の産業が停滞しても「知ったことじゃない!」と「儲け話」にだれもかれも乗ったのです。しかし、それが今や、その移転した工場そのものが「中国」に奪われようとしています。既に中国人の人件費は高騰し、いつまで中国で操業していても儲けは薄くなっているのですから、「そろそろ、引き揚げ時かな?」と思っていた経済人たちは、既に中国共産党の支配にどっぷりと浸かってしまい、簡単に引き揚げさせてくれなくなりました。彼らは「日本に引き揚げたいのなら、工場すべてを中国に置いていけ!」と言う始末です。その上、工場が持つ「秘密情報」や「特許」「技術」に関する資料まで置いて行けとなれば、その企業は死活問題です。これが、「グローバル化」の実態だったのです。
さらに、この「グローバル化」によって、世界中に「人権」「差別」「人種」「性」などの問題が起きてきました。アメリカなどでは「黒人差別問題」が爆発的に起こり、建国以来の歴史の中での「奴隷問題」が新たな焦点となったのです。確かに、当時の欧米が行ってきた「黒人奴隷問題」は、今の「人権問題」から問われれば、絶対に「悪」に決まっています。人間を人間として見ずに、劣等人種として平気で「差別」し、安い労働力として使役してきた問題は、欧米諸国の「汚点」でしかありません。日本が第一次世界大戦後に「人種差別撤廃」を国際会議で提唱したとき、圧倒的多数を以て決議されるところをアメリカのウィルソン大統領によって、「全会一致でなければ認められない!」という主張の下に却下されました。これが、日本が国際社会から「目の敵」にされた原因のひとつです。それが、100年後にもなって表に出てきたのですから欧米諸国は驚いていることでしょう。欧米の政治家が多くの「移民」を受け入れるのは、人権や差別に敏感なのではなく、この「奴隷問題」を暴かれ、自分たちの輝かしい「歴史」が「そうではなかった」と言われ、厳しく裁かれるのがるのが辛いからです。
4 だれも「信じられない」社会
多くの国民は、感じていると思いますが、今の日本社会から失われつつあるものが「寛容さ」です。コンピュータ社会の到来は、確かに「生活が便利になった」という点では評価できますが、「絶対に必要か?」と問われれば、「?」と首を傾げる人も多いと思います。コンピュータは、多くの情報を一元管理して、だれもが適切な情報を選択して取り出すことができます。しかし、自分にとって本当に「適切な情報」なのかは、正直わからない人も多いことでしょう。「まあ、いいから、取り敢えず取っておくか?」程度の認識で情報を得てしまいます。その情報量はあまりにも膨大で、まったく「真逆」な情報が出ていることもあります。人間は、自分にとって「有利」な情報を得たいと思うものですが、選んだ情報が間違っていれば、自分の判断や行動に反映されてしまいますので怖ろしいことです。あの「東日本大震災」後の原発事故では、「放射線の恐怖」が社会を覆い、有名な某大学教授までもが、「福島の野菜には毒がある!」とネットで叫んだほどです。「子供が甲状腺の癌にかかる!」とか、「早く、逃げろ!」とばかりに関東から海外に逃げ出したたタレントもいたくらいです。日頃恰好つけていた人間も、放射能の恐怖には耐えられなかったのでしょう。今では、知らぬ顔をして帰国し、平気でテレビ番組に出ていますから噴飯ものです。こうなると、「どれが、正しい情報なのか」もよくわかりません。そして、喉元過ぎればだれもが忘れたかのように、そんなことを話題にもしなくなりました。一番騒いだのがマスコミですが、コロナの時も同じです。今も「コロナ」は空気中に存在しているはずなのに、政府は「マスクは個人の自由に任せます」と暢気そうに言っているのは、どうした理由でしょうか。
問題が起きると、あっと言う間に情報が拡散するのは、このコンピュータが作用しているからです。そうなると、一体だれを信じて生きていけばいいのでしょう。昨年亡くなられた安倍晋三元総理の暗殺についても、容疑者のみならず、それを捜査した奈良県警や政府関係者にも不審な点が見られ、「何か、隠蔽しているのではないか?」と疑惑の目を向けている人が大勢います。先日の、陸上自衛隊のヘリコプター墜落事件も同じです。「国民には知る権利がある」と言われますが、「大本営発表」のような誤魔化しがあちこちにあるようで信用なりません。それもこれも、あれだけ大騒ぎしたオリンピック・パラリンピックの不正問題が明るみに出て、携わった企業の幹部が次々と逮捕されるようでは、公が「信用できない」のは当然でしょう。もし、大会開催前にこれだけの不正が表に出されていれば、開催はできなかったはずです。どうも上に立つ人は、国民をいつまでも「愚民」だと思っている証拠です。
しかし、それでは社会は成り立ちません。冷静に眺めてみれば、日本という国は、福祉にしても教育にしても、それほど酷い状態ではありません。確かに、一部のマスコミやそれに煽動された人々の中には、人間の「醜さ」を晒すような人もいますが、多くの国民は「節度」を保ち、温かい社会を築こうと働いています。私事にはなりますが、私も既に還暦を過ぎ、何度か「公」の助けを借りながら、ここまでやってきました。一つは、東日本大震災での支援です。私の実家もあの日の地震でかなり酷く壊されましたが、間もなく国や県、町の支援策が提示され、家を修復することができました。また、父親が亡くなった後、母には遺族年金が支給され、一人暮らしを継続することができました。さらに、その母親の「介護」が必要になったときにも「介護保険制度」の適用を受け、必要な生活用品やデイサービスを利用できました。その際には、ケアマネージャーがすぐに派遣され、日本の福祉制度の充実振りを目の当たりにしたところです。確かに、年金問題にしても不満がないわけではありませんが、こうした制度が利用できる社会は本当に「ありがたい」と思います。
今の日本は、いくつも指摘をしたとおり、大きな「転換期」を迎えているのだと思います。戦後も80年近く経過し、社会共通の「価値観」が大きく変わりました。それは、時代の流れや社会の進歩と共に変わって当然のものです。世界を見ても、すべてが「満足」という国はないと思います。社会が発展すればするほど、人間の持つ「欲」は限りがなく、停滞することを許さなくなります。しかし、日本の今は、間違いなく「停滞期」に入っています。昨年のオリンピック・パラリンピックを見ても、国民眼は頗る冷静でした。コロナ禍の中での開催という、非常に危うい大会でしたが、選手や運営スタッフの頑張りで滞りなく終わらせることができました。ただし、その後に発覚した主催者側幹部によるいくつかの不祥事は、国民を失望させました。「やっぱりな…」という嘆きの声は今でも聞こえてきます。おそらく、再度の「日本の飛躍」を目指して誘致したのでしょうが、「二匹目のドジョウ」はそこにはいなかったのです。だとしたら、そんな大金をかけた「イベント」ではなく、もっと「日本らしさ」をアピールした「国」へと転換させたらいいのではないでしょうか。
今でも外国人旅行者が日本を訪れたい理由として、「すばらしい景色」「ゴミのない大都市」「やさしい思い遣り」「美味しい料理」「豊かな自然」「歴史と文化」などが挙げられます。私たち日本人が「当たり前」だと思っているような普通の光景が、外国人には「新鮮」に映っているのです。別に日本が「観光立国」になる必要はありませんが、「日本人そのもの」が、外国人が期待する「国」に相応しくなっていてもおかしくないと思います。明治期の日本に来日したイギリスの探検家「イザベラ・バード」は、世界中を旅した中で、日本の美しさを絶賛し、大人が子供を可愛がる姿や庶民の生活の慎ましやかさ、日本人の正直さを誉めています。私たちから見れば、昭和30年代年頃まで、日本の地方は本当に貧しく、観光客をもてなせるような施設もありませんでした。それでも、みんなで助け合い、子供は大事に育てられていたと思います。それが、昭和、平成、令和と時代が進むにつれて、日本人の生活は豊かになっていきました。その「豊かさ」が、何か日本人としての「大切なもの」を忘れてしまった原因なのかも知れません。
確かに、大東亜戦争(太平洋戦争)の敗戦によって、自信を失った日本人は、占領国軍(GHQ)の改革を素直に受け入れ、自ら「変わろう」としていたと思います。勝てると信じていた戦争が、あれほど酷い「負け戦」になるなどとは、だれもが考えていませんでした。政府も軍も最期まで「勝てる!」と言い続けた結果が、天皇による玉音放送です。日本人のだれもが「騙された…」と悔し涙を流したのは事実です。自分たちが信じた政府や軍に手酷く「裏切られた」恨みは、GHQの占領政策に乗ることで晴らしたいと思ったのかも知れません。それでも、日本人はやはり昔からの「日本人」なのです。ただ、「戦争は、もう懲り懲り!」という気持ちはだれもが持っていた感情です。そのたまった鬱憤が大きなエネルギーとなって戦後復興に取り組み、高度経済成長を支えたのでしょう。しかし、平成、令和と続く中で、そんなエネルギーを持つ日本人はいません。今は、淡々と「自分らしい暮らし」ができればそれでいいのです。
5 「転換期」をどう乗り切るか
結局、歴史の中で政治的に必要であっても、「嘘」や「誤魔化し」の歴史はいずれ暴かれることになります。明治維新もその多くが「嘘」でかためた歴史であり、江戸時代という平和な時代を否定してしまえば、明治時代を評価することもできません。あの戊辰戦争も明治の政治家たちが「あれは、必要のない戦だった。申し訳ない…」と謝罪でもしていれば、国民が「団結」することだってできたのです。まして、山県有朋たちが軍の権力を高めたくて「統帥権」なる「悪法」を憲法に忍ばせたために、陸海軍は近代の軍隊になることができず、中世の思考のまま外国軍と戦う嵌めになってしまったのです。これも、その問題に気づいた時点で憲法を改正しておけば、日中戦争も大東亜戦争もなかった可能性もあったのです。戦後も、GHQの占領政策をそのままに主権を取り戻しても、アメリカの属国扱いから抜け出すことはできませんでした。せめて、占領が終わった時点で「日本国憲法」の改正はできたはずです。それを「経済優先」を叫んで、問題を先送りしたために、今になって日本の大きな障害になっています。政治家とは、本来、「自分の生命をかけて国を守る」のが使命のはずなのに、党利党略に走るだけで、何処の国の政治家かわからない人も大勢います。そして、今尚、日本は世界の「グローバル化」の波に飲まれ、経済も教育も福祉も崩壊寸前になってしまいました。ここでも、政治家は詭弁を弄し、自分たちの政治の過ちを認めようとはしません。「嘘」を「嘘」で塗り固めても国民の信頼は得られないのです。そろそろ、真っ当な人間に立ち返り、嘘や誤魔化しのない「社会」を創りたいものです。そうすれば、もう一度、新しい日本が再生できるような気がします。
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