平成の時代になったころから、学校に理不尽なクレームを入れる保護者が登場し始めました。それまでは、多くの保護者は学校に協力的で、子供の教育に「責任」を持っていました。学校に授業参観等で来る際は、なるべく失礼にならないように服装を整えて来たものです。今のように、私服で帽子やサングラス、サンダルばきで来校するような人はいませんでした。まして、授業参観中、子供の席の後ろで「おしゃべり」をしている保護者もなく、授業は整然と行われていたものです。このころは、いくら新任の若い教師といえども、保護者の多くは「先生」として敬意を持って接してくれたものです。それは、保護者たちの受けた教育を考えれば、当然の振る舞い方でした。自分たちの親も同じように学校や教師に接していたわけですから、急に態度が変わるはずがありません。それが、当時の「常識」だったのです。それでも、学校で「問題」が起きなかったわけではありません。特に中学校では、一部の生徒による「荒れ」といわれる生徒指導の問題が起こり、教師たちが「手を焼いて」いたことは事実です。男子生徒の中には、制服の上下を改造して着て来たり、通学鞄をぺしゃんこに潰していた者もいました。女子生徒の長いスカートも自己主張の表れでしょう。それでも、多くの生徒はまじめに教師たちの言うことに従い、「校則」に違反しないように気をつけて生活を送っていました。それが、「個性がない…」と批判されるのかも知れませんが、無理に「個性を出せ!」と言われても、そんな教育を受けていないのですから、「無茶」を言われても困ります。
そのころの保護者は、たとえ「非行少年」と呼ばれる子供の親であっても、学校に対しては低姿勢で、教師の指導に文句を言う人はいませんでした。「生徒指導担当教師」ともなると、他地域の中学校の教師たちとも連携を取り合っており、地元警察とも深い関係を築いていたものです。よく、「夜間」のパトロールなども実施され、各学校の「生徒指導担当教師」は、率先してパトロールに参加し、非行少年たちの「補導」に協力していました。このころから、警察も家庭より「学校」をあてにするようになり、少年の非行関連情報は、その「生徒指導担当教師」たちに流してくれたのです。そのため、「生徒指導担当教師」は、学校内でも重きを置き、ある意味、管理職より強いリーダーシップを発揮していたと思います。こういう役に就く教師は、中堅の男性教師が多く、どちらかというと「強面」のがっちり体型の人が選ばれていたようです。こういう教師は、校内でも押しが強く、声も大きいので、非行少年たちも従順に従うような「権威」がありました。もちろん、当時のことですから、「体罰」は日常的に行われており、「平手打ち」「でこピン」「げんこつ」「居残り掃除」などは、軽い「罰」に使われていました。保護者や生徒も「昔からの伝統」ですから、文句を言う者もおらず、男女関係なく「罰」を受けていたものです。
それが、変化してきたのは、平成の時代になってからだと思います。昭和のころは、テレビの「学園ドラマ」でも、年中「体罰」の場面は出てきましたので、国民全員が「そんなもんだ…」と思っていたはずです。子供たちにしてみれば、「学校は、理不尽なところだなあ…」という認識はありましたが、何処に行ってもそんな教育を受けていたわけですから、違和感を抱くはずがありません。ところが、平成の中頃になると、少し社会全体の「空気感」が変わってきました。ちょうど、小泉純一郎内閣が誕生し、郵政民営化や規制緩和策、男女平等政策など、これまでの「日本流経営」が壊され「働き方」が、正規から非正規へと移ってきた時代です。この小泉内閣の「構造改革」によって日本の「総中流社会」がなくなり、「勝ち組・負け組」という言葉が出てきたように「格差社会」が生まれたのです。それから、20年後の現在、日本の「格差社会」はすっかり定着し、若者が将来への希望を失っています。当時、小泉純一郎首相は「自民党をぶっ壊す!」と宣言して衆議院選挙に圧勝しましたが、彼が「ぶっ壊した」ものは、自民党ではなく「日本社会」だったのです。 今では、それもすべて「アメリカ政府」から指示を受けた政策だったことがわかっていますが、だれも「小泉内閣」を批判する人はいません。やはり、だれもが「時代の流れには逆らえない」と思っているのでしょう。そして、このときから、「学校」も「教育」も壊れはじめたのです。
1 日本経済の「停滞→下降」問題
昭和の末期にバブルが崩壊し、日本経済は停滞期に入りました。そして、小泉内閣の「構造改革」によって、停滞期から「下降期」に入りました。しかし、それでも日本の大手企業は、再度の「バブル崩壊」を怖れ、社員への賃金を抑制し「内部留保」という形で、金銭を貯め込むようになりました。「また、何か起きれば会社が危ない…」というのが、その理由でしたが、それよりも、社員への「賃金」のベースアップを抑制できたことが会社にとっては、魅力的に見えたのです。ところが、その結果、日本は「内需」が振るわなくなり、優秀な技術や頭脳が「外国」に流出する原因になりました。当時、ノーベル賞を取るような「発明」を行った日本人が出ても、その人物が企業で働く社員だったりすると、会社は「その成果は、会社のものであり、本人のものではない…」といった論理を展開し、当の本人に報いない方針を示したために社会問題になりました。これは、先進国ではあり得ない処置であり、日本の「後進性」を物語っています。今では、日本人でノーベル賞を取るような研究者は、外国の大学に籍を置く人が多く、日本の「研究」が進まない原因になっています。日本政府も企業も、その経営自体が「硬直化」しているのかも知れません。
確かに、このころになると、「コンピュータ社会」が到来し始め、各企業もその「設備投資」が喫緊の課題でしたから理由は付けられました。中国へどんどん工場が移転していったのもこのころのことです。日本は労働者の賃金が高いこともあって「安い労働力」に惹かれた企業家たちは、挙って中国政府の甘い言葉に乗せられたのです。中国人にとって、世界各国企業の誘致は是が非でも成功させたいプロジェクトでした。そのために得意の「微笑み外交」で、日本人企業家たちをもてなしました。彼らにとって「接待」は、戦略のひとつでしたから、彼らに悪意はありません。「騙された…」と思ったとしても、それは、日本人の認識が「甘い」からです。そして、日本のように「賄賂」だとか「談合」だとか…そうした「経済犯罪」の取り締まりが緩いこともあって、日本人を籠絡するのは中国人にとっては、簡単なことだったでしょう。今でも「ハニートラップ」という言葉があるように、国内ではできないことも「ここは、外国だから…」という気持ちの隙に付け込まれ、日本企業の工場は次々と中国に建設されていきました。そんな流れの中で、日本の産業は「空洞化」し、日本の国力を衰退させて行ったのです。こうした社会情勢の中で、各家庭も「中流意識」を持つことができなくなり、「貧困化」が進んで行きました。離婚率が急激に高まってきたのもこのころのことです。今では晩婚化だけでなく、「三組に一組が離婚する」と言われ、少子化に歯止めが利きません。つまり、各家庭の「経済力」が急速に弱まって行ったことが貧困化を招いたのです。ここにも、家庭が壊れていく原因がありました。
2「学歴信仰」の崩壊
社会が大きく変化していくにも関わらず、学校教育は「昭和の体制」のまま維持し続けました。日本政府(文部科学省)は、「6・3・3制」を維持しつつ、「大学進学率」をさらに上げようと躍起になっていたのです。そのひとつが、「大学設置基準」の緩和です。「国民の強い希望がある」との理由で、文部科学省は、全国に多くの「私立大学・学部」を認可しました。少子化が進んでおり、「そのうち、希望者全員が大学に入学できる」ことがわかっていながら、国民の進学熱を煽り「だれでも、大学で学ぶ権利がある…」とばかりに、授業料が高額になったにも関わらず、まずは、子供たちを煽り、次いで、「大学に進学しないと、将来、不利になる…」といったニュースを頻繁に流し、親たちの不安を煽ったのです。それは、これまでのような「安定」した社会であれば、そうかも知れませんが、「非正規社員」や「契約社員」が増加する中で、「右肩上がりの賃金上昇」など、もうあり得ないのに「大学さえ出れば、なんとかなる…」といった空気感を作ったのは、政府の「罠」だと思います。それだけ「教育産業」は、日本の重要な産業に成長しており、政府も安易に教育産業が衰退するような施策はできなかったのでしょう。それは、経済界からの要望だったのかも知れません。
しかし、現実的には、大学は既に飽和状態に陥っており、少子化の中で「定員割れ」になっている学校も出ており、これからは、「大学倒産」という事態を招くのはやむを得ないと思います。実際、大学が増えすぎたために学生の質だけでなく、大学教員の質も低下し、今、テレビ等で発言している「大学教授」を称する学者の中には、「え、まさか、この人大丈夫なの?」と思えるような発言を繰り返す人もいます。デモの先頭に立って政府批判をしても「懲戒処分」にもならないのですから、大学教授は楽な稼業だと思います。小中高の教職員なら、間違いなく「問題教師」として厳しい処分が待っているはずです。今では、マスコミの報道を見て、「あの大学は、教員がだめだなあ…」という評価を下す保護者もいるほどです。まして、大学が「独立行政法人化」して以降、多くの大学が国からの「予算」を削られ、十分な研究ができない有様です。日本の大学は、世界的に見ても「評価」が低く、数こそ世界有数の「教育国」かも知れませんが、大学で学ぶ内容があまりにもお粗末過ぎて、あれでは、社会に出て「即戦力」になる学生は少ないでしょう。大学生は、未だに大学に対して「自分探し」をしに来るような意識があり、技能を学ぶ「専門学校」の学生の方が、よっぽど勉強をしています。そして、高度な「専門資格」を取る過程において、社会人になってからも十分通用する能力が磨かれているのです。単に名前だけの「大学卒」では、思っているような「企業」から内定を貰うのは至難だと思います。
現実には、こうした状況が加速度的に進んでいるのですが、情報に疎い「親」たちの中には、未だに「学歴信仰」から抜け出せない人が多く、子供に過度な期待をする人がいます。「あんなに高い授業料を払って、大学を卒業したのだから、正社員は当然として有名企業から内定が貰えるだろう…」と甘い考えをしている人たちです。しかし、実際は、小泉内閣の「構造改革」以降、日本の産業界は「非正規社員」の割合がどんどん増え続けており、「正規社員」への登用は、益々厳しくなってきました。まして、現在では政府自身が「終身雇用の廃止」「退職金制度の廃止」「転職の勧め」など、昭和の時代には考えられないような「働き方」を推奨していますので、最早「学歴信仰」は消滅したと言えるでしょう。そうなれば、当然、家計を圧迫するような「大学進学」を当然とする雰囲気はなくなり、「学歴」より「技能」や「資格」に移行するのではないでしょうか。そのことに早く気づいた親は、子供に、単に「大学に行け…!」とは言わず、「おまえは、何がやりたいんだ?」と子供の考えを聞くようになってきました。子供自身が「やりたい」と思う勉強をさせなければ、社会で生きて行けないことに気づきはじめたのです。多くの日本人の意識が、早くそうなることを願っていますが、後「10年」くらいは、教育界も相当に混乱することが予想されます。
3 自分の「夢」を子供に託す「毒親」
「毒親」と呼ばれる親には、自分の子供のころの「夢」が忘れられず、子供にそれを託そうとする人がいます。たとえば、「芸能人」がひとつの例でしょう。しかし、芸能界という世界は、傍から見ていても実力だけで成功する世界には見えません。どちらかというと、その人が持つ強い「運」が作用しているように思います。もちろん「芸能の世界」ですから、何かしら「一芸」に秀でたものを持っているからこそ目指せる世界であり、「芸」のない人が飛び込める世界ではありません。まして、「芸」を見せて収入を得るわけですから、だれもが納得する「実力」が必要です。それが、「夢」を見ているうちは幸せですが、それを実現させようとすると、とんでもない「時間」と「金銭」と「弛まぬ努力」が必要になるはずです。私の知人にもそれを夢見た人や家族はいましたが、それで有名になったという話は聞きません。もちろん、そうした「夢」を持つこと自体が「毒」だというつもりはありません。事実、今、活躍されてる芸能人の皆さんも同じような体験をされているわけで、家族の応援なしに実現することは難しかったでしょう。
問題なのは、「本人の意思」に関わらず、「親の思いだけで子供を引っ張っていく」という状態です。親にしてみれば、これも「我が子のため」なのでしょうが、実際は「自分の夢の続き」を子供をとおして見ているだけなのです。これは、スポーツの世界でも囁かれていることです。やはり、幾人かのスポーツ選手は、「今の自分があるのは、親のお陰です…」という発言をされていますので、勇気づけられる人もいると思います。しかし、これも「限度を越える」と「毒親」になってしまいます。秋になると、プロ野球のドラフト会議が開かれ、有望選手はプロ野球球団から指名を受けて「プロ野球選手」になっていきます。指名された当時は、マスコミからの取材を受け、学校から表彰されたり、その町のちょっとした有名人として扱われます。しかし、数年後、一度も一軍のベンチにも入れず、寂しくプロの世界から去って行く選手たちがいます。それは「ドラフト1位」の選手にもあり得ることなのです。彼らは、人知れず一般社会に戻って行きますが、その中で「成功」する人は、プロ野球選手時代以上に努力をした人だけでしょう。人生は、そんなに甘くはないのです。
そんなとき、子供に夢を託した「親」は、どんな言葉を子供にかけてあげられるのでしょう。本人が納得した上で進んだ道ならば、普通の親子に戻れるでしょうが、「親のために選んだ道」だとしたら、後悔することはないのでしょうか。芸能界にしても、スポーツ界にしても、学歴信仰にしても、それが「親の夢の続き」であったとしたら、その「夢」が儚く散ったとき、どうするかを考えておかなければなりません。子供は、自立するまでは「親の保護」を受けて育ちます。幼ければ幼いほど、「親が喜ぶから…」と言って頑張る子供がいます。しかし、動機がそれでは多くは大成しません。やはり、「自分の道を自分で選んだ人間」は強く、一度や二度失敗してもへこたれません。なぜなら、「自分が選んだ道」だからです。本当は、子供が「自分の道」を見つけられるよう支援するのが「親の道」だと思います。「子供とは、近ず離れず、遠くから見守る」のがいいように思います。
4 子供を自分の「従属物」と考える「毒親」
これは、特に「母親」に多い現象です。子供が本当に手がかかるのは「4歳」までだと言われています。この期間は、「乳児から幼児」に至る成長過程にあり、もう少しで「少年」と呼ばれる年齢になるころです。母親にとって、かわいい「我が子」というイメージがつきやすい時期でもあります。しかし、この記憶が強く残りすぎると「毒親」になる可能性が出てきます。小学校に入学しても、ずっと我が子が心配でたまらず、子供が帰宅すると「学校での様子」を根掘り葉掘り聞くのが習慣になってしまいます。それでも、子供が小さいころは親に従順ですから、「あのね…」と何でも話をするでしょう。しかし、小学校も中学年(3、4年生)にもなると子供にも「自我」が出てきます。それでも、親が心配しているとなると「何でも話すいい子」を演じなければなりません。それが、なかなか苦痛になってくるものです。成績も親がつきっきりで教えれば、低学年のころまでは「高得点」を取ることはできます。しかし、上手く行かないのが子供の能力と成長です。
親が教育熱心だと、小さいころは「伸び幅」も大きく、成績が上位であったり、習い事が上手になったりするものです。特に「女子」は、「男子」に比べて「心の成長」が早く、少し大人びて、何でも素直に頑張るようなところがあります。そのために、「お母さんが喜んでくれるから…」と勉強も習い事も「頑張る」ようになるのです。これも、子供なりの「評価」につながり、学習意欲とつながっていきます。ところが、高学年になるころから、学校での勉強も習い事も「伸び悩み」が始まります。それは、おそらくどんな子供でも起こり得ることなのですが、小さいころの「伸び率」が高かった子供ほど、その「伸び悩み」に苦しみます。なぜなら、その子供より親の方が「ショック」を受けるからです。いつものように一生懸命に勉強しているのに、今まで自分より成績の悪かった友だちが「グン!」と伸びてくるのです。それは、「習い事」も同じで、心身の変化と共に潜在的に持っていた「才能」が開いてくるために、努力で得ていた「結果」が追い抜かれて行くのです。これは、何でもそうですが、「才能」は「努力」を凌駕し、才能のある人間がさらに努力すると、とんでもない力を発揮するものなのです。今、大リーグで大活躍している「大谷翔平選手」などは、そうした人間の一人だと思います。
冷静な親であれば、「やっぱり、そうかな…と思っていた」と子供に無理をさせないようにしますが、心が波立つような親だと、「あんたの努力が足りないのよ!」と我が子を叱りつけ、さらに「努力」をさせようと追い込んで行くのです。最初のうち、子供は「親の期待に応えよう…」と頑張りますが、やはり「才能」のある子には敵いません。だれしも、小学校の高学年になると「向学心」が芽生え、自分なりに頑張ろうとするものです。そのうち、「競争する心」が芽生えはじめ、先に頑張っていた子供をいとも簡単に抜き去っていくのです。この「現実」は、見ている方も辛いものですが、「ああ、やっぱりな…」と納得するところはあります。その「時点」で気づく親は、正常ですが、世間体とか自尊心、見栄、体裁などを気にし過ぎる人は、我が子であっても他の子に「負ける」ことが悔しく、自分の心を狭めていってしまうのです。こうなると、まさに「毒親」です。これが長期間続くと、子供は親を信用しなくなり、親子喧嘩から家庭内暴力、不登校、引き籠もりなど、「親を困らせる」復讐が始まるのです。その豹変ぶりに慌てた親たちが、教師やカウンセラーの元に駆け込みますが、「失った信頼を取り戻すには、同じ時間が必要なのです…」と諭すしか方法はありません。
近年では、子供を教育によって追い込むことも「虐待」と定義しており、経済的に何不自由ない生活を送っているように見えていても、家庭の中では、虐待が行われている可能性があり、行政が介入したくても、その「きっかけ」が掴むのは非常に難しく、子供から「SOS信号」を発してくれないと保護できません。これなども、親が我が子を「自分のもの」と勘違いしているからこそ起きる事件で、「親子」という関係を学ぶ機会を「公的」に作る必要がありそうです。
5 すべてに余裕のない「毒親」
「モンスターペアレント」という造語が作られ、マスコミから広まったのは、ここ「10年」のことです。「モンスター」即ち「怪物」と呼ばれる「親」が、この日本には存在するということです。学校に関係のない人たちには、面白いネーミングに「へえ、変わった人がいるんだね…」で済みますが、そんな親からの理不尽なクレームに対応する学校の教師たちは、不幸でしかありません。こうした種類の人は、学校だけでなく、あらゆる場所に出没し「クレーム」を入れます。それで「気」が済めばいいのですが、意外と自分が何を怒っているのかもわかっておらず、社会に対しての「不満」だけが心の中で燻っているのでしょう。そんな神経が「正常」だとは思えませんが、社会には一定の割合で、そうした人間がいるということも事実なのです。
今、日本全体で「心の病」を患ってる人はどのくらいいるのでしょうか。おそらくは、数百万人単位でいるはずです。政府の公式の発表では「30人に一人」の割合で存在しているということです。ならば、各学級の子供の親の中には、少なくても「一人以上」の患者がおり、治療をしていることになります。これは、飽くまでも公式の統計ですから、通常は統計に表れない「潜在的な数」があるものです。そう考えると、日本社会はけっして「健全な社会」を営んでいるとは言えないということです。もちろん、彼らがすべて「クレーマー」になるわけではありませんので、偏見で語るつもりはありませんが、「無理な要求を突きつけてくる人」を見ると、何かしらの疾患を抱えているか、相当に大きな「ストレス」を感じていることがわかります。たとえば、電話などでは執拗に責任を追及し、罵声を浴びせることも厭わない人が、直接面談すると、おとなしい猫のようにボソボソと喋り、電話での抗議の半分も主張しないことがあります。表情も乏しく、眼もよく泳ぎ焦点が定まりません。また、逆に、もの凄く「興奮」した状態で現れ、大声で怒鳴り散らす人もいます。目が血走り、口から泡を吹くように喋る姿は、まさに「モンスター」でしょう。これを、子供に向けられていたとしたら、それは「虐待」以外の何ものでもありません。要するに「異常」なのです。こうした人は、たとえ、医療を受け、服薬をしていたとしても、「ストレス」になる原因がなくならなければ、悩みが解決するわけではありません。それだけ、今の日本は「ストレス社会」だということです。
こうした人に見られる傾向として、「いつでも、何処でも」文句を言っているわけではありません。自分の職場に行けば、そんな態度を取ることはないでしょう。自分対して「反撃」をしてこないとわかっている場でしか「クレーマー」にはなれないのです。たとえば、今の「官公庁」は、昔と違って「国民のため…」という大前提があり、「公僕」と呼ばれるように「公の僕(しもべ)」なのですから、主権者である「国民」に対しては低姿勢を貫くよう教育を受けています。そのため、どんな暴言を吐かれても「丁寧に対応する」のが、公務員という職業なのです。また、「お客様は神様」扱いされている「商店」「飲食店」「ホテル」等も非常に低姿勢で、「お客様をおもてなしする」よう教育されています。そのため、理不尽に「土下座」を強要された事件がいくつも起きました。これなどは、社員に対して幹部たちが「会社にクレームが来ないように対処しろ!」という命令が出されているからです。日本の場合は、一度でも「悪評」が立てば、その会社の利益に直結しますので、会社としては、常に「低姿勢」を貫くことを方針としているようです。しかし、最近では、そんな会社の姿勢を甘く見たのか、飲食店で「悪ふざけ」をして警察沙汰になった事例がいくつも出てきました。愚かな人間にしてみれば、「大丈夫だよ。あいつらは、客の言うことは何でも聞くからな。見てろよ…」と社会を舐めた態度で傲慢に振る舞った結果として、公に顔も名前も晒すことになったのです。
何にでも「節度を持つ」というのが、日本人の道徳観でしたが、最近は、どうやら「罰」を与えないと自分を反省することができない人間が増えたようです。学校でも「モンスター」と呼ばれる保護者の中には、こうした「傲慢」な態度で臨むような人が増えたということでしょう。しかし、たとえ、その人間が困窮していたり、病に罹患していたとしても、「人の道」を外れたような態度は改めさせなければなりません。これまでは、学校の教師がひたすら「弁解」と「謝罪」をして終わらせてきたクレームも、それが「真実」で「正しい判断」なのかを「第三者機関」が見極め、公の中で「白黒」をはっきりつける時代になってきました。日本人は、何かあると「子供のため…」という言葉を口にしますが、国の予算は少なく、教員の確保もできない現状の中で、「現職教員」に対して何の支援策も出さないまま放置している現実に国民は怒るべきなのです。もし、本気で「子供のため」を言うのであれば、政治家も本気で「家庭」や「子供」、そして、「学校」「日本の教育」に向き合うべきでしょう。「すべてに余裕のない」人たちには、心から同情するものです。しかし、理由はどうあれ、「毒を吐いて」気が晴れることがあるでしょうか。それは、「天に向かって唾を吐く」という諺どおりの結果しか生まないと思います。苦しくても、それに耐える力も身に付けないと、厳しい現実社会で生き抜くことは困難なのです。
6 「弱者」を見捨てない社会を創る
これまで、日本社会は「家庭」に対してあまりにも無頓着で、「子育ては親がするもの」という概念だけで、あまり支援の対象にはなっていませんでした。それは、昭和のころまでは、まだ「お隣さん文化」が残されており、地域の「助け合い」は自然な形で行われていたからです。このころは、「少子高齢化問題」は大きな話題にはなっておらず、近所には四六時中子供の喚声が響いていました。女性の多くは専業主婦かパート勤務で、あまり「フルタイム」で働く人は少なかったと思います。そのため、女性たちは買い物帰りなどに「井戸端会議」なる社交場を設け、日常的な情報交換をしていました。その中には、誹謗中傷と言われるような「噂話」も多く混じっていましたが、ご近所同士、さほどの経済格差もなく、和気藹々とした雰囲気の中で会話が弾んでいたようです。そして、その会話の中に重要な「子育て論」などが含まれていました。当時の「子育て」の多くは、難しい「学者子育て理論」ではなく、親から受け継がれてきた「経験子育て論」であり、それが、自分の暮らしにはちょうど合っていたのです。そういう時代であれば、若い母親も、いつの間にか「井戸端会議」の仲間に入り、「先輩母ちゃんたち」からの知恵や経験を授かったのです。これなら、何も政府があれこれ口を出すこともありません。特に「予算化」しなくても、子育ては地域の支援で成り立っていたのです。
ところが、欧米流の考え方が日本社会に浸透するにつれて、社会構造自体が大きく変わり「少子高齢化」が加速度的に進んで行きました。「離婚」も平成、令和と時代が進むにつれて増加し、片親家庭が増え、それに伴って「貧困家庭」が問題になってきたのです。既に「井戸端会議」をするような場所も習慣もなくなり、だれもが忙しくフルタイムで働きに出る時代になっていました。政府も「女性活躍社会」とか「一億総活躍社会」などと叫び、家庭を守った「専業主婦」は消滅し、だれもが必死に働かないと「食べていけない時代」になっていたのです。それに合わせるようにして「個人の権利」「プライバシーの保護」「人権尊重」と個人を守りたいのか、疎外したいのかわからないような法律や空気が生まれ、親兄弟も隣人もみんな「他人」といった「個人主義」の国に変貌していったのです。それが、「21世紀の国のあり方」としたら、日本の「庶民文化」は昭和と共になくなりました。そして、表面に現れ出したのが「引き籠もり」「児童虐待」「DV」などの「家庭問題」です。それまで、地域や親族が支えていた「家庭」が、すべて「自己責任」となり、家庭内で困ったことが起きても、だれも助けてくれません。なぜなら、「プライバシー」は、何より優先して守らなければならない「国民の権利」だからです。そして、「困ったら、行政を頼れ…」と言いますが、実際、行政のできることは限られており、警察も「民事不介入」とばかりに、重大事件につながるようなトラブルも扱ってはくれません。要するに「自分で解決できなければ、何も期待できない」のが、今の社会だと言うことです。
そうなると、子供の問題は「学校」しかありません。「子供が勉強しない…」「子供が学校に行きたがらない…」「子供が家に帰って来ない…」「悪い仲間ができた…」「夜遊びをして困る…」「親の言うことを聞かない…」「ゲームばかりしている…」「友だちにいじめられた…」「成績が下がった…」「学校で何とかしてくれ…」等、いつの間にか、「とにかく、子供のことは何でもやってくれるのが学校」という誤った認識が社会に広まり、そのうち、「それが、学校の仕事でしょ…」「学校のことは、学校で解決してくれ」みたいな言い方までされるようになりました。そして、それを「それは、違います」という自治体(教育委員会)も政府(文部科学省)もありませんでした。逆に、「何でも、学校に相談してください…」と、できもしないことまで「できる」かのように学校に教育問題を押し付けてきたのです。まさに「ご都合主義政策」そのものです。そして、今のような「学校ブラック化」「教員志願者激減」状態になったのです。
本当は、昔のように近所の人や親族、仲間が「相談」に応じて支えてくれれば「毒親」なんて誕生しなかったはずです。子供にしてみれば、日本社会の変化などに気づくはずもありません。たとえ、自分の「親」が苦労していることを知っていたとしても、「学校」や地域社会に「毒づく」姿にため息を吐き、「ああ、こんな親のところに産まれたくなかった…」と嘆くのも無理はありません。家庭の中で「子供」は常に「弱者」です。文句を言いたくても、罵声を浴びせられれば、文句も言えません。ただ、ひたすら黙って耐えているだけなのです。子供にとって「親」や「教師」は、本来、自分の目標となる「大人」であってほしいと願うものです。しかし、現実に見る「親や教師」の姿が、自分の「思い」とはまったく違っていたとしたら、それは「絶望感」しかありません。だからこそ、「親や教師」は、そんな情けない姿を子供に見せてはいけないのです。
戦後、約80年。日本は戦争の悲劇を乗り越え「復興」したかに見えますが、実は「心」は病んだままなのかも知れません。政治は「独立」の気概を失い、アメリカ従属の政治が普通になってしまいました。そして、アメリカの文化や制度を導入してきましたが、「日本らしい」文化は、いつの間にかなくなってしまいました。そして、隣国にも「謝罪外交」を続けているうちに「低姿勢」が身についてしまい、自分たちの「意思」すら、伝えられない外交になっています。それを国民は「情けない」気分で見ていますが、政治家たちにもどうしようもない「力関係」が働いているのでしょう。よく、文部科学省はそうした理不尽な保護者や言うことを聞かない子供に対して「毅然とした態度で臨め!」と命じますが、一番、弱腰なのが政府や行政機関ですから、説得力がありません。そういう意味では、戦後の「毒」は、日本人全体に蔓延してしまっているのかも知れません。それが「病」なのです。
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