さすがに、ここ数日のニュースには言葉もありません。「まさか…?」どころか、「いよいよ、ここまで落ちたか…?」というのが正直な気持ちです。この度の、教師による「盗撮メール事件」は、さすがに、庇いようもない破廉恥極まりない事件となりました。既に3人の教師が逮捕され、他にSNS上での仲間が「10人」はいるとのことですので、この広がりは何処まで行くのか想像もつきません。「学校が壊れ始めている」ことは、何度も指摘されてきたことですが、さすがに「現場の教師は頑張っている…」と信じていましたが、まさか、企んでグループを作り、校内で「盗撮」を繰り返した挙げ句、それをグループで共有して「性的欲求」を満たそうというのですから、まさに「教え子」を自分たちの性的な道具として見ていたという、とんでもない話です。これは、「教師の働き方」とか、文部科学省の政策の失敗どころの次元の話ではありません。「日本の教師の資質」が問われる大問題だと思います。ハインリッヒの法則で言えば、これも所詮は氷山の一角でしかなく、見えない水面下には、もっと多くの「変態教師」が存在していることになります。そんな学校に子供を通わせたいという保護者がいるでしょうか。「国もばかなら、現場の教師もばか」では、最早、救いようがありません。やはり、「崩壊」するしか道はないようです。そこで、今回のような一連の不祥事が起きた原因を、少し、経験を踏まえて分析してみたいと思います。
1 国民に「信頼」されなくなった教師たち
学校は、いつごろから国民から信頼されなくなってきたのでしょうか。これは、各学校も教師も教育委員会も文部科学省も、いや、日本政府自身が考えなければならない問題です。確かに、マスコミによって学校教育が批判されるようになって久しいですが、それだけ、批判される素地があったということですから、関係者は反省しなければなりません。そして、国民が「今の学校教育は受け入れられない」とするならば、ここで一度、今の体制を「解体」して出直すのもやむを得ないことです。そもそも、「教育」とは、国民の願いに基づき、国民が平和で豊かな生活を送るために行われるものであると同時に、「日本」という国がさらに発展するために行われるものです。そのためには、国民の「信頼」は不可欠な要素であり、それを失った「今」、国は国民は、何を為すべきなのでしょう。
昔から、「教師は貧乏…」だと言われてきました。つまり、金を稼ごうと思ったら「教師」になってはいけないのです。戦後の混乱した時代、今放映されている「朝ドラ」でも描かれているとおり、自分たちが正しいと信じて教えてきた「価値」が、一夜にして逆転し、教科書を「墨」で黒く塗りつぶす事態に陥りました。戦争中は、中学校(旧制)などでは、軍隊への志願者を学校で募り、各校で競い合うようなことまで起きていたのです。当時の価値観としては、それが「正しい行為」なのですから、だれも止めることもできませんでした。それが、昭和天皇のお言葉(玉音)で、日本は戦争に敗れました。そして、アメリカ軍を中心とする連合国軍の占領を7年間にもわたって受けることになったのです。そして、日本は「不磨の大典」と称した「大日本帝国憲法」を破棄して、新しい憲法を定めました。それは、占領期のことですから、自主的なはずがありません。GHQ(連合国軍総司令部)の命令によって憲法が定められ、国民を縛ることになったのです。そして、日本の主権者は天皇から「国民」に移り、教育も「アメリカ型民主主義教育」に変わりました。それが、「黒塗り教科書」です。
これは、当時の教師たちにとっては「屈辱」以外の何ものでもありませんでした。今まで教えてきた行為が完全に「否定」され、その上、日本人の道徳だと信じてきた「教育勅語」や「修身科」が廃止されては、教師としての拠り所を失うことになります。これで絶望しない教師はいません。そして、多くの教師が教壇を去りました。だれも声高に文句は言いませんでしたが、心の中では(ばかやろう…!)と叫んでいたはずです。社会では、戦前からある程度の地位にあった人や企業家、元軍人、政治家、学者などが「公職」から追放されました。これまで、国を動かし、社会に大きな影響を与えた「偉い立場」の人々でさえ、社会から追われたのです。国民は、「戦争に負けるということは、これまでの価値や正義がひっくり返されることなんだ…」と改めて気づかされました。そして、今まで培ってきた誇りも自信も失い、ひたすら、「自分の生活を守る」ために必死になって働きました。この時代、「働く」ことだけが、唯一嘘を吐かない営みだったのかも知れません。日本人が、国に対して不信感を抱くようになったのは、このときからでしょう。しかし、GHQの政策は、飽くまで、「占領軍」として、日本人に「贖罪意識」を受け付けるための作業でした。いくら綺麗事を並べても、日本が二度とアメリカの敵にならないように「牙を抜く」ことが最優先されたのです。それに「教育」が使われたことも事実です。
しかし、それでも、戦前の教育を受けて来た人たちは、いくら、GHQや日本政府が「これが、正しい民主主義だ!」と叫んでも、もう「権力側」に対しては懐疑的でした。(どうせ、負けたからアメリカに尻尾を振ってるだけだろ…?)と、権力者に阿るふりをして黙っていたのです。しかし、心の中では、そう簡単に「占領思想」に洗脳されるものでもありません。そこは、やはり「本音と建前」を使い分ける日本人らしいやり方でした。そして、徐々に、戦後の教育体制が整うと、日本の高度経済成長と共に、社会は、「自信」を回復して行きました。そして、家庭でも「父親を中心」とする家族関係が再構築され、だれもが「明日の豊かさ」を求めて頑張り始めたのです。そのとき、教師は、社会から「主たる教育の場」としての役割を期待され、教師は、自信を持って「高度経済成長を支える日本人」を育成するために働き始めました。戦前・戦中は「戦争に勝つための日本人」を目的としましたが、今度は、「日本の復興と発展」という目的ができたことによって、自信を取り戻していったのです。そして、日本全体が豊かになるに連れ、親たちが子供に願うのは「高学歴」を持つ「社会の成功者」になることでした。それまでは、中卒(新制)が当たり前で、高校(新制)を出る人は少なく、まして、大学となると、やはり一部の人に限られていました。しかし、戦前までと違って、サラリーマン家庭が増えると、家庭で何とかやりくりすれば、地方の「国立大学」ならば、子供の一人くらいは進学させてやることができるようになったのです。私の父親も小学校(旧制)卒でしたので、「子供を大学にやる」ことは、自分が頑張った証であり、「子育ての成功者」としての栄誉を得られたのです。そのため、家でも子供に「うんと勉強して、偉くなれ!」が口癖でした。子供にとってはえらい迷惑な話ですが、社会が動くと、だれもが深く考えもせずに「流行」に流されるのが日本人の特性なのかも知れません。
そのためには、「学校の教師」の存在は大きく、教師の評価ひとつで、子供の進路が決まるのですから、親も必死です。まして、学校の教師は、親たちより高学歴(若干)な者が多く、師範学校(旧制)は、地方の国立大学になっていましたので、「学校の先生」は、大学卒のエリートと同じ扱いでした。親にとって学校の敷居は高く、教師は「尊敬」の対象であると同時に、子供の将来を決める大事な「評価者」でもあったのです。そのためか、教師は今の時代のように親に対して、必要以上に謙ったりはしませんでした。もちろん、尊大だったわけではありませんが、「教育」に関しては、プロとしての意識を持ち、必要であれば、親に対して厳しい言葉も遣いました。それが、「子供のため」であるならば、親を指導するのも教師の役割だったのです。当時は、「家庭訪問」が普通でしたので、教師は、問題が起これば、夜にでもその家庭に出向き、事情を説明するだけでなく、今後の方針を示し、「こうしてください…」と、家庭での強い指導を依頼しました。それに対して、親たちは、素直に話を聞いて、「先生だけが頼りですので、よろしくお願いします…」と何度も頭を下げました。子供にとっても、教師と親が一緒になることくらい怖い物はありませんでしたから、これで大体は落ち着くのです。また、当時は、警察もさらに怖い存在でしたから、親が叱るときに使う「じゃあ、おまわりさんに来てもらうよ!」とか、「明日、先生に聞いてもらうからね!」という台詞は、子供をビビらせるには十分な言葉だったのです。
学校を知らない人は、「子供は大人の指示を素直に聞く」と思い込んでいるようですが、そんなことはありません。昔の「軍隊」でもあるまいし、「上官の命令は、陛下のご命令!」などという「錦の御旗」はないのです。どんな企業でも、若い社員には気を配り、ハラスメントが起きないよう気をつけながら指導していると思いますが、今の時代、子供の教育も同じです。有無も言わさず「いいからやれ!」的な指導では、子供からの不満が爆発し、その教師や学校は非難を浴びることになります。教師というものは、「できて当たり前」の存在ですから、子供に信頼されなくなれば、不祥事を起こさなくても「教師失格」の烙印を押されてしまうのです。そして、そうした評判が立った教師は、その学校を去るか、退職するかしか道はありません。現代のように情報が瞬時に周りに伝わる時代では、特に「悪評」は、瞬く間に広まり、教師としてその職に止まることは難しいのです。昭和のころであれば「1%」程度だったそうした「悪評」も、現代では「1割」を超え、だれもが教師に対して「ものを言う」時代になりました。こうして、一度でも「ダメ教師」のレッテルを貼られた人は、いくら実力があっても、二度と学校には戻っては来ません。こうして、「評判のよくない者は排除する」という論理でいくと、「子供や親の評判」の悪い者は、次々と排除され、いずれは「だれも残らない」ことになるのです。
どんな優秀な人間であっても、最初から完璧にこなせる人はいません。まして、個性も家庭環境も千差万別な子供一人一人に「適切な指導」ができるようになるまでには、相応と時間と必要です。それを「不適格」として排除していけば、だれも育ちませんし、それに替わる者もいるはずがないのです。今の時代は、「消費社会」と言われるように、「できるだけ、安価で質のよい商品を選ぶ」のが賢い消費者の「知恵」というものです。そして、個人主義が普通の感覚となり「我慢する」ことは、美徳ではなくなりました。この論理で行くと「我が子には、できるだけよい先生であってほしい…」と願うのは普通の感覚なのです。そして、それは、「子も親も満足できる教育」を施してくれる教師が「いい先生」になります。その期待に応えられなければ「排除する」しか方法がありません。そういう大人たちも、昔のように「会社が面倒を看てくれる時代」は終わり、会社の都合でいつ「リストラ」に遭うかわからないのが現状です。自分に落ち度がなくても「明日から来なくてもいいよ…」と言われれば、途方に暮れる他はありません。これと同じ論理が教師にも当て嵌めれば、「使えない教師は、不要」という考え方もあながち暴論とは言えないのです。まして、今回のような「盗撮」という破廉恥極まりない不祥事が起きては、最早、抗弁する理由もありません。
2 「子供好き」を理由に教師になってはいけない
日本では、「子供が好きだから、教師になった…」ということが、その志望動機としてよく言われますが、本当にそれでいいのでしょうか。「子供好き=いい人」であるかのような錯覚が日本人にはありますが、逆に言えば「子供嫌い=悪い人」ということになってしまいます。今回の「盗撮事件」にもあるように「子供好き」の中には「怪しげな人間」が混じっていることを忘れてはなりません。事件を起こした容疑者は、その風貌だけみれば、けっして「怪しく」も「怖ろしく」もない「優しげな善人」に見えます。生活の様子も普通で、特段、周囲から疑問を呈されるような人たちには見えません。仕事もまじめで、他の教員たちからの信頼もあったようです。採用試験の成績も良く、風貌も穏やかで、人格に問題は見られない「まじめな人物」であるからこそ、長年、教壇に立って教師としての仕事をすることができたのでしょう。そして、周囲の信頼も厚かったからこそ、ここまで犯罪行為がバレずにすんだのだと思います。この事件が公になったとき、だれもが「まさか…?」と思ったはずです。しかし、実態は、「おぞましい性癖」を持つ人格破綻者でした。こうした人間が、教壇に立ち「教育を語る」のですから、人間の持つ「性癖」に唖然としてしまいます。おそらく、子供の中には、(ちょっと、この先生変じゃない…?)と思っていた者もいたはずですが、それを口に出せないのも仕方がないことです。こうした、人格破綻者は、口を揃えて「子供が大好き…」だと言うのです。
昔、私も一教師だったころ、学級の子供から「先生は、どうして教師になったの?」と尋ねられました。どう答えようかと思案していたところ、すかさず、「子供がすきだからだよね…?」と聞かれ、はっきりと「それは、違う!」と言った覚えがあります。そのとき、子供の多くはキョトンとした顔をして私を見詰めました。(えっ、嘘でしょ…?信じられない…)とでも言うのでしょうか、それが、子供たちの正直な反応でした。そのころは、だれもが「教師は、子供が好きだからなるんだ…」と素直に考えていたし、それが大人の「建前」だったからです。子供の前でしっかりと「違う!」といった私は、少し狼狽えましたが、子供に「嘘」はつけません。少し思案してこう話しました。「好きがあるいうことは、嫌いになるということもあるということだよね…。先生は、好き嫌いで君たちを教えたりはしない。なぜなら、これが私の仕事だから…。仕事に好きや嫌いはないんだよ。先生だって、食べていかなきゃならない。そのために教師という仕事を選んだ。そして、仕事として選んだ以上、一生懸命やるつもりだ。ただ、子供は好きではないが、人間が成長していく姿を見るのは、とても嬉しいことだとは思っているよ…」と。この言葉に子供たちは納得したようでした。
正直、私はいわゆる「子供」は好きではありません。傍から見ていると、子供の声は甲高いし、動き回るし、叱れば泣くし…で「面倒臭い生き物」だと思っていました。それでも、教師になったのは、高校時代の担任教師が「おまえは、小学校の教師に向いてるからなれよ…」と言ってくれたからです。人の向き不向きは、意外と他人の方がわかるのかも知れません。どこか掴み所がなく、飄々としていながら、冷静に相手を見ているところがありますから、それを見抜かれていたのかも知れません。高校や大学時代も、子供と触れ合う機会はなく、せいぜい教育自習で、子供と接したくらいです。それも、あまりいい思い出はありませんでした。ただ、模擬授業などを行っているうちに、何となく(これなら、やれるかな…?)と思った程度でした。もし、教師向いていることがあるとすれば、「正義感が強い」ところかも知れません。飄々とはしていますが、「変なものは変だ!」と言ってしまうところがあります。身も蓋もないと思いますが、大人のいやらしい馴れ合いは、嫌いです。「妥協するにも限度がある…」というのが、私の言い分です。だから、私は子供の前で、誤魔化すことができず、「子供は嫌いだ!」と言ってしまうのです。しかし、教師として子供と関わり、子供が「人として成長していく姿」を見るのは、本当に喜びでした。子供は指導の仕方ひとつで見違えるように変わっていきます。それは、子供自身が「教師を信頼する」からでしょう。(この人について行けば大丈夫…)と思わせる何かを示すことができたとき、教育の喜びがあるのです。「好きだ、嫌いだ」と言っているうちは、教師としては未熟だということです。私に言わせれば、「好き嫌いがない以上、だれでも公平、公正に扱う」という宣言でもあったのです。
そして、最後に「平等」について話しました。「先生は、みんなを平等に扱います。しかし、平等とは、結果の平等だと考えています。それは、その子の性格や事情を考えて、たとえば、叱るにしても、その効果が同じであれば、叱り方は自ずと違うものです。そこは理解して欲しい…」と。子供たちが言う「平等」とは、「だれもが、同じように扱い依怙贔屓をしない」ということに尽きます。これは、先ほどの「好き嫌い」にもあるように、子供にしてみれば、(先生は、好きな子には優しくして、嫌いな子には厳しくする…)というのが、一番いやなことなのです。それで、「みんな平等」ということになるのですが、私は最初から「好き嫌いはない!」と宣言しているのですから、扱い方は「一人一人に応じた指導」に徹しています。これは、毎日、子供たちと接しているうちに気づいたことですが、子供はこちらの様子を本当によく見ているということです。(先生は、言うこととやることが一緒なんだ…)と理解できれば、教師の指導に順いますが、もし、(言うこととやることが違うじゃないか…?)となれば、それは反発しかありません。しかし、それは「正当な主張」であって、子供が非難される理由はありません。
私の指導は、見た目には「叱り方」が違うかも知れませんが、元気な子と大人しい子では、同じような叱り方はしませんし、失敗も一度目と二度目とでは、叱り方や諭し方も違って当然です。しかし、だれもが同じように「反省」して、自分の非を認め、相手に謝罪することができれば、それは、その子にとって確実に成長したことの証になります。それを親に伝えて上げると、親は本当に「喜び」ます。子供の成長を伝えられるほど嬉しいことはないのです。それを勘違いした教師が、子供の短所ばかりを指摘したら、親はどう思うでしょう。がっかりするだけでなく、それを伝える教師に対して不信感を抱くのではないでしょうか。「子供の成長を見つける眼」こそが、教師のプロとしての「眼」なのです。たとえ、それが失敗をして反省したとしても、そんなことは関係ありません。「学校は、失敗をして学ぶところ」だということを日頃から教えていれば、「失敗」から学ぶことは多いのです。そして、次に、その反省を生かして「みんなのため」によき行動ができたときは、大いに賞賛し「みんなの前」で誉めてあげることです。そして、教師自ら「ありがとう…」と感謝の言葉を述べるべきなのです。教師が感謝し頭を下げたとき、多くの子供は、その子に賞賛の拍手を送るはずです。それが、「教育の素晴らしさ」だと私は思います。
私たちが教員になった時代は、昭和の後期で、バブル景気が始まろうかという時代でした。首都圏では、爆発的な人口増加が始まっており、それに伴って学校が次々と新設されました。ちょうど、戦前から教師として働いていた人たちが「定年」を迎えるころで、若い世代が大量に採用されたのです。この「戦前・戦中派」と「戦後派」の違いは大きかったと思います。「戦前派」の教師たちは、やはり教育に「厳しさ」を求め、「戦後派」は、教育に「自由」を求めました。家庭でも親たちの中には、戦前の教育を受けた人もいて、子供のしつけには厳しく、それを教師にも求める風潮がありましたが、逆に戦後派の親たちは、「もっと、のびのびと自由にさせて欲しい…」という人も現れる時代でした。それでも、学校は「管理教育」と呼ばれたように、厳しい「管理」の下に指導していました。当時は、「高度経済成長期」の末期で、間もなく「バブル経済」と呼ばれる「異次元な世界」が生まれるのですが、子供の教育を学校に依存してきた社会は、逆に「管理教育」は親たちが望んだ結果であり、子供が社会に順応するための「模擬訓練」でもあったのです。実際、社会は、「組織に忠実な社員」を望んでおり、「会社(工場)の歯車」になることが、幸福への道だと考えられていたのです。「大きな会社に勤め、コツコツと働き、お金を貯めて車や家を買う」ことが、成功者の証なのです。そのためには、子供も「同じ目標」を持つ「家族の一員」であって欲しかったのです。そうした期待があればこそ、学校教育は意味があり、教師は多くの日本人から「信頼」を得ることができました。
私もよく、親や教師たちから、「社会に出たら、もっと厳しいんだ!」「社会の荒波に飲まれないように、今のうちにしっかり勉強しておけ!」などと言われて育ちました。多分、昭和中期生まれの人たちは、同じように教えられたはずです。そのためか、学校では「体罰」が普通に行われていましたし、「連帯責任」などという罰もありました。当時の大人は、「厳しさ=体罰」だと思っていたのだと思います。特に中学校は、昔の軍隊を模倣するような教育が行われ、徹底した「集団行動」が日常的に行われていました。中学校の制服も男子は「黒色・詰襟服」で、女子は「紺色・水兵服」ですから、まさに軍隊の名残を残す場所が「学校」だったのです。そして、生徒の個性は抑え込まれ、集団に順応(適応)することが優先されました。それに少しでも違反するような生徒は、教師たちに眼をつけられ「生徒指導」という名の懲罰を受けるのです。服装だけでなく、頭髪も厳しいチェックがあり、少しでも長いと「今日中に切ってこい!」と命じられました。持ち物も「中学生に相応しいもの」ということで、「持ち物検査」が週に1回程度はあり、簡素な物でなければならなかったのです。さらに「部活動」は、心身を鍛える訓練の場であり、「土日」も関係なく練習が行われました。ここでは、「上下関係」を教えられ、「先輩・後輩」の関係は、まるで、軍隊の「古年兵と新兵」の関係のようでした。最近、テレビドラマで陸軍の内務班の様子が描かれていましたが、まさに、昔の「部活動」を想起させる場面でした。また、それを「理不尽だ」と思いながらも、(そんなもんだろう…)と諦めており、何処かで(早く大人になりたいなあ…)と思っていたものです。こんな「横暴な教育」ができたのも、多くの国民の支持があったからです。「子供の教育は、学校に任せて、我々はもっと豊かな暮らしを手に入れよう!」とばかりに、働いたのが「昭和」という時代でした。しかし、この歪な構造は令和という時代を迎えて、遂に破綻したのです。
3 時代の流れについていけない「学校」
今の学校教育の問題は、「学校がどうした…、教師がどうした…」という問題ではなく、政府が「教育の学校依存体質」を改めようとしなかったことが主な原因だと思います。高度経済成長期の残像が残る政府は、文部科学省の改革を怠り、昭和時代そのままの体制で「21世紀」を、いや「AI時代」を乗り切ろうと考えていたことに間違いがあります。その理由としては、「教育にお金をかけたくない」という本音があるからです。これまで、教育に予算をつけて「教育は重要だ!」と実行した政治家は、「日本列島改造論」をぶち上げた「田中角栄総理大臣」しかいません。保守派の名宰相だった「安倍晋三」首相も、教育基本法の改正は行いましたが、それは「理念」だけに終わり、保守派の教育族の意見を採り入れて「天下の悪法」と呼ばれた「教員免許更新制」を実施したことくらいです。これは、「教職員組合憎し」で実施されたもので、8割以上のまじめな教職員に大きな負担を強いることになりました。これによって、免許が「失効」した者も多く、今の教員不足に拍車をかけたのです。安倍晋三氏のような世襲政治家は、「私立」の立派な学校で学んでいますので、同世代であっても、あまり学校時代に嫌な思い出がないのでしょう。残念ながら「教育」に関しては無策でした。そして、政府のこうした教師に対する批判的な眼は、マスコミをとおして国民に広がります。これまで「学校の教師」に一目置いていた国民も、「なんだ、教師だってだめじゃないか…?」と、強い猜疑心の眼を向けるようになったのです。
マスコミも、それまでの「管理教育」が子供の権利(人権)を侵害しているとして、かなり強い口調で批判を始めました。そして、今では、各学校で定めていた「校則」などもやり玉に挙がり、学校改革を迫っています。マスコミに言われて改革を進めるようでは、国民にばかにされて当然です。それを見ている子供たちも、「なんだ、先生たちもだらしないなあ…」と呆れていることでしょう。それに、マスコミは、常に「建前論」で相手を責め立てます。子供はだれもが「守られるべき存在」であり、教師は飽くまでも子供の上に立つ「強者」なのが社会の「建前」です。この論理で行くと、「教師さえ変われば、子供は幸福になれる」ことになりますが、さて、本当にそうでしょうか。子供は天使にもなりますが、怖ろしい「悪魔」にもなるのです。今でも、「学校でのいじめ」がマスコミの話題になりますが、学校の対応が緩いと、壮絶な「虐め」が繰り返され、虐められた子供は、まさに「生き地獄」になってしまうのです。私も中学1年生のときにいじめに遭いましたが、標的にされると、そのいじめはしつこく、そして巧妙に行われます。そして、教師もそれを知りながら、「まあ、からかわれているんだろう…」くらいに考えて放置されていました。この「いじめ」を止めるのは、ただ一つ、相手を力でねじ伏せるだけでした。我慢をしていては、絶対に虐めはなくなりません。こうした行為に及ぶのは、みんな弱い立場のはずの「子供」だと言うことを忘れてはなりません。彼らはけっして「弱者」ではないのです。もし、「弱者」であっても、「鬼」と化した子供を止めるのは、「力」だけだということです。
これは、家庭も同じです。「親の訴えは、弱者である親からの訴えであり、それを真摯に受け止めて学校は改善を図らなければならない」という建前で動きます。そのために、マスコミは常に「弱者(親)の味方」であろうと努め、真実を探ることより、弱者を救うことを「是」としてきました。これにより、真実が明らかにされないまま、理不尽な訴えに負けて職を去った教員は多くいます。平成の終わりころから、「モンスターペアレント」なる造語がマスコミを賑わすようになってきました。社会でも「クレーマー」と呼ばれる人々が登場してきたのです。これは、横文字を使うの軽く聞こえますが、実際は「怪物(鬼)化した親たち」であり、「苦情を言う性癖の持ち主」ということです。個人主義、人権主義が蔓延してくると、けっしていいことばかりではありませんでした。「個人主義」は「気儘」「我が儘」「自分勝手」とも言われ、周囲の人間が意図的に離れていきました。そして、「孤立化」していくのです。「人権主義」を声高に主張すると、「難しい人」だと思われ、やはり、人は離れていきます。現代のような「AI社会」が進むと、だれもが人とのコミュニケーションが希薄になるものですが、「〇〇主義」が強くなると、社会に順応することが困難になるという欠点があるのです。
確かに、以前の学校は「傲慢」で、子供に対する教師の権限は絶大でした。しかし、平成、令和と時代が進み、社会が個人を尊重するようになると、学校も次第に「子供に寄り添う」ようになりました。しかし、だからと言って、「学校や教師に何を言っても構わない」というのは違います。子育てというのは、「誰かがやればいい」という性質のものではなく、本来は「家庭・学校・社会」が連携して取り組むべきものですが、昭和の時代のように国の経済発展のために、子育てが「学校任せ」でいいはずがありません。それは、幼児教育も同じです。「〇〇に預けてあるから大丈夫」というのは、間違いです。学校や教師に「おや?」と思えるような苦情を持ち込む人は、実は、自分の生活においても、何らかの悩みを抱えていることが多いようです。今の時代のように「心を病む」ような過酷な生活を長年続けてきた人は、人に寛大になることができません。自分の気に障ると、自分の心が納得するまで相手も懲らしめようとします。そして、それが「正義」だと考えてしまうのです。そうした現象が、いわゆる「モンスター」なってみたり、「クレーマー」になったりするのではないでしょうか。そういう意味では、現代も苦労の多い時代だと言えます。しかし、言われる教師にしてみれば、「子供のために親身になって指導してきたことが、誤解され、指導力不足だ!」と断定されては、為す術がありません。結局、弱者(建前)である「子供や親」に好かれない教師は、教師でいる資格がないと考えてしまうのです。それに、教育委員会や文部科学省は、そうした親の状況も知らないまま、学校への苦情はすべて「学校の問題だ」として捕らえ、改善を要求したのです。場合によっては、自ら親に謝罪し、当該教師を処分することもありました。そのため、現場の教師たちからは、「政府や教育委員会は、教師を守らないから気をつけろ…」という噂が流れ、現場と行政機関との間には、大きな心の「隔たり」ができています。こうした風潮は、バブル崩壊後から始まり、令和の現在でも続いています。
学校教育に自信が持てなくなった文部科学省は、学習指導要領の改訂の度毎に、「これからの日本に必要な教育」と称して、次々と新しい教育課題を生み出し、学校に対応するよう求め続けました。それは、際限を知らぬかのように「要望があれば」すぐにでも、学校を指導する有様で、学校の教師は、その度に「新しい教育課題」を理解して指導しなければなりません。よく咀嚼して考える暇も与えず、「早くやれ!」「成果を出せ!」と学校や教師の尻を叩くのが文部科学省という役所でした。そして、できなければ、また、マスコミに叩かれます。「生活科」「総合的な学習」「開かれた学校づくり」「コミュニティスクール化」「いじめ問題対応」「不登校対策」「英語教育」「道徳教育」「プログラミング教育」等…。これらは、すべて平成の時代から始まったものです。特に「生徒指導」と言われる子供の人間関係に関わる指導は難しく、子供同士がトラブルを起こす度に「子供のトラブルくらい学校で解決できないのか!?」と責められ、学級担任は疲弊していきました。実際、「子供のトラブル」は、学校内だけの問題ではなく、子供自身の家庭環境や能力、人間関係など複雑な要素が絡み合っているものですが、それをすべて「学校で解決しろ!」と命じられても、正直「できない」ことも多いのです。学校や教師に子供を教育する「権限」を保障しないまま、解決だけを求めるのは「理不尽」というものですが、それを指摘する「マスコミ」も「政府」もありません。だから、「できない教師」は、教壇の去るしか道はないのです。
4 「教師の質」は、どんどん下がる
今の状況が後3年も続けば、間違いなく、日本の学校教育は崩壊します。国民からの「信頼」を失った学校に未来があるはずがありません。親も安心して我が子を「怪しい教師」に預けたくはないでしょう。それに、優秀な教師は次々と教壇を去り、再任用で働いている高齢の教師たちも限界が近づいています。教員の各都道府県の採用倍率は下がり続け、今では「受ければ、だれでも受かる状態」で、質の高い教師が採用できるはずがありません。文部科学省は、20年程前から、各大学の要請を受けて「教育学部」の新設を認めてきましたが、実際、そこで教える教員のレベルも低く、単に「教員免許状」を乱発してきたにすぎません。取り敢えず、取得した「免許状」を持って各学校に赴任しても、子供にどう接していいかわからない若者に「教師」が務まるはずがありません。まして、学級30人以上の「個性的な少年たち」をコントロールする力が、二十歳そこそこの青年にできると思う方が愚かです。子供の中には、反抗的な者もいますし、強い特性を持っている者もいます。家庭的に恵まれない者、ハンデを持つ者、学力が低い者、高い者など、これまで自分が接したことのない人間が同じ教室に蠢いているのです。その現実を知ったとき、(ああ、失敗した。ええっ、これが教育現場の実態なのか…?)と怖れ、これまでの甘い認識が吹き飛ぶに違いありません。
そんな教師が担任になって、子供の我慢は、せいぜい「三日」くらいでしょう。子供を教えたことがない人は、「だって、子供だろう…。少し厳しく言えば言うことを聞くだろう…?」などと戯言を言いますが、実際、見ると聞くは大違いです。最初は、少し「猫を被っている子供」も、少し慣れてくるともう本性を出し始めます。たった一人や二人の子供を親が持て余しているのに、なぜ、学校の教師はできると考える方が不思議です。最初は、子供の「お試し期間」なのですが、要するに教師も子供から「値踏み」をされているのです。教師が、いつまでも「余所行き」の顔を見せていると、子供は遠慮なく噛み付いて来ます。実際に噛み付くわけではありませんが、言葉がだんだんときつくなり、容赦のない質問をバンバンと浴びせかけて来ます。それに一々対応していると、教師は完全に舐められます。子供の「ペロペロキャンディ」になったら、教師はお終いです。子供とは、当初からいくつかの「約束」をしますが、それが「建前」にならないよう、気をつけなければなりません。子供たちは「できない」のではなく、「やらない」ということがあります。昨年度まではできていたことが、進級した塗炭にできなくなるのは、教師が「甘く見られている」からに他なりません。これを大学を出たばかりの若い青年に、4月当初からやらせるのですから、日本の学校教育は「いい加減」なものです。普通に考えれば、一年くらい「副担任」にするくらいの「育成期間」は必要でしょう。
今の親たちの中には、ちょっとの「我慢」もできず、わずか一月足らずで学校に苦情を入れてくる人がいます。それは、「学級がまとまらない」ことへの不満であり、「頼りない教師」への不満なのです。そして、「担任を換えろ!」と言うに至っては、食料品店で「この野菜、出来が悪いから換えてくれない?」というのと同じレベルで苦情を言うのです。そんなことを言われて、一生懸命頑張っている若い教師が、耐えられるはずがありません。その上、管理職も同席して「できないこと」を散々言われ、挙げ句に「いついつまでに…」などと約束させられると、もう、毎日がプレッシャーとの戦いです。その「精神的圧迫」が続けば、「心を病む」のは当然です。いくら教員採用試験に受かったといっても、採用試験自体が「圧迫面接」ではありませんから、就職して間もないころから、他人に強烈な「圧力」をかけられるとは、思いもよらないはずです。確かに、できないことは事実であっても、「頑張っていること」を評価されてもいいと思っているわけですから、隣で管理職がペコペコと謝罪している姿も情けなく思っているわけです。(なんだよ。上の人間は、部下を守ってもくれないのかよ…)そうした不満が、心の中で燻り、数ヶ月も保たずに心が折れてしまいます。結局は、朝も起きられなくなり、「療養休暇」そして「休職・退職」という道を辿るとすれば、何とも痛ましいではありませんか。ベテラン教師であっても、「学級がまとまらない」ことはよくあります。子供は、厳しくてもうまくいきません。優しくても無理です。子供に阿る教師もいますが、これはばかにされて終わりです。できる教師は、だれもが子供と対峙し、常に「勝負」をしているのです。どんなことがあっても、「約束を違えること」を許さず、真剣に話し、真剣に子供に向き合い、真剣に対応する教師だけが生き残る権利を有します。それは、一歩間違えれば、「こわい先生」になり、また、苦情の対象になるかも知れません。だから、彼らは常に「辞表」を懐にしまって教壇に立つのです。(ふざけるな!そんなに俺が嫌なら、いつだって辞めてやる!)くらいの強い覚悟で臨まなければ、自分の心が負けてしまうのです。実は、その「強さ・厳しさ・真剣さ」が、子供の心を揺さぶり「学級」がまとまり始めるのです。教育とは、なかなか面白く、難しいものなのです。
しかし、最初からそれを求めるのは酷であり、どんな優秀な若者であっても苦労をしない者はいません。だからこそ、国民の応援が必要なのですが、残念ながら令和の今、それを望んでも叶わぬ夢になってしまいました。本来であれば、田中角栄首相のように「先生たち、頑張れ!」「私がついてるぞ!」と励ましてくれるリーダーが欲しいのです。そして、文部科学省も「教師は、サービス業ですから、よろしく…」などと戯言を言っていないで、「日本の教師は、世界一優秀なんですよ!」「国民のみなさんで、先生方を応援してくださいよ!」と言うべきでしょう。そして、「子供は、学校だけで育ちません。まずは家庭。そして、地域社会、学校があるんです。お子さんの子育ては、学校の先生の助言をよく聞いて、一緒になって頑張ってください!」「国も応援しますよ!」くらいのことを言ってもバチは当たりません。そうすれば、今、問題になっている「不祥事教師」などが出て来る素地はできないのです。どうして、こんな簡単なことができなかったのでしょう。
今、「教師」に憧れて教職に就いた者の多くは、現実の厳しさと周囲の眼の冷たさを知ると、だれもが落胆して、新しい道を模索しています。中高年になり、転職もままならない人たちは、それでも我慢してしがみつくかも知れませんが、若い世代は、「これから40念も、こんな酷い扱いではやってはいけない…」と早々に次の仕事を見つけるはずです。また、それを見た次の世代は、やはり、「自分には無理だ…」と悟り、最初から教員免許を取ることを諦めることでしょう。そして、採用志願者は年々減少し、日本の教育の「質」は、どうにもならないところまで下がることになるのです。それでも、国民やマスコミは、政府を叩き、学校と教師を叩き続けるでしょう。「どうして、こんなことになったんだ!?」「政府は責任を取れ!」「できない教師は、学校を去れ!」と言っている間にも子供たちの貴重な時間は奪われていくのです。そして、「公立の教育」を諦めた親たちは、「私立」へと流れて行き、国全体が「私立」が中心の学校教育になっていくと思います。そうなれば、国は多額の予算を教員に支出することもなくなり、文部科学省は、その規模を縮小して「小さな文部科学行政機関」になるはずです。私立の学校は、「通信制」がその実績を大きく伸ばし、だれもが「学校に通う」スタイルの「学校教育」から、「選択制」の学校で学ぶようになるはずです。そう考えると、「公教育のあり方」自体が大きく変わっていくことが予見されます。
5 「どん底」から這い上がれ
今更ながら、こんなことを言うのも失礼ですが、これまでの日本の教育は、戦後の占領期に作られた「GHQ教育」が主体でした。学校体系もそれまでの「複線型」を廃止し「単線型」の6・3・3制にし、教えるべき内容も「アメリカ型民主主義」に基づく教育であり、歴史は、とんでもない「改竄」したものが教科書に掲載されました。「日本は、戦争に敗れ、占領を受け入れたのだから仕方がないんだ…」とする意見はあると思いますが、それが、必ずしも「日本人に相応しかったか…?」と問われれば、首を傾げる人もいるでしょう。では、「戦前の教育がよかった」と言うつもりはありません。戦時中に行われていた「皇国民教育」などは、冷静さを失った醜悪なものでした。しかし、歴史と同じように、教育も「連続性」が必要です。親が受けた教育理念が子に受け継がれ、子が受けた教育理念を孫が受け継ぐ。こうした「連続性」があることで、その国は、「歴史」を感じることができると共に、亡くなった人々の思いも同時に感じながら、新しい時代へと引き継いでいくのです。しかし、日本は残念ながら、わずか100年ほどの間に二度も大きな「断絶」を経験してしまいました。その一度目が「明治維新」であり、二度目が「敗戦」です。これによって、日本は「歴史」と「教育」をその都度「破壊」してしまったのです。そして、今度は、「時代の変革期」に遭遇し、また、教育を作り直さなければならなくなりました。今度は、「第五次産業革命」と呼ばれる「AI革命」に応じた教育に転換しなければなりません。これを成し遂げなければ、日本は「国」としての教育を取り戻せないまま、世界の先進国から零れていくことでしょう。
「公教育」が崩壊していく姿を見るのは辛いものですが、しかし、最早、小手先の修正などではどうにもならないところまで追い詰められており、次の国政選挙で政権が交代すれば、日本政府の方針が変わることも期待できます。それには、まず「指導者の育成」から始めるべきです。昔の教員養成は「師範学校」が主に担っていました。小学校卒業者から選抜して「公費」で入学を許可し、「5年間」もの間、寮生活の中で鍛えた若者を現場に送り出しました。国民は、学校の教師を尊敬し、その教師たちは、「自分たちが、日本の未来を担う日本人を育てているんだ」という誇りを持って職務に邁進したといいます。今に残る「教育書」の名著は、ほとんど戦前に出版されたものばかりです。特に「大正デモクラシー」の時代は、「自由教育」が各地で実践され、個性的な指導法を編み出した教師たちで溢れていました。だれもが、日々研鑽を積み、仲間と教育について議論を交わし、論文を書き、競うようにして授業に取り入れたのです。もちろん、失敗した例もあったでしょうが、このわずかな期間には、「教育の自由」がありました。しかし、戦争が始まるとそれもできなくなり、敗戦と共に大正時代の教育も「戦前の教育」として社会から葬られました。
戦後は、アメリカから押し付けられた教育から始まり、その後も「日本人らしさ」のないまま「学歴・学力偏重教育」に進み、今、それも破綻しようとしています。昭和が終わり、バブルが弾けると文部科学省は、急に「個性尊重・個性化教育」なるものを打ち出しましたが、碌な予算も付けず、形だけ先進国の真似に終始した教育が、日本に根付くはずもなく、学習指導要領の改訂の度毎に「新しい教育課題」が示されましたが、どれも満足な結果は得られませんでした。そして、「子供の管理はよくない」となると、今度は教職員を徹底的に管理し始め、全国の教師は「金太郎飴」のように個性を失い、政府に都合のいい集団になってしまったのです。そして、「管理、管理…」と教職員を締め付けてきた結果が、「教員不足」です。そして、最悪なのは、その中に「怪しい性癖」を持つ人間が多く入り込んでいたということです。見かけは立派な教師を装い、裏では「変態行為」に明け暮れ、そのうち、「仲間」増やし、逮捕されるな否や真面な教師顔をして見せる連中です。今の人たちは、「建前」に非常に弱く、個性的な特長ある人間を極端に嫌います。
各企業の志願者を見ても、だれもが「リクルートスーツ」を着て、髪を黒く染め、さも「私はまじめでございます」という風を装います。昨日までとは別人のような風体でも、それを好む人が多いからそうするまでで、彼らの「技術や能力」を見るのではなく、形から入るというのも日本人らしいと思います。しかし、最近、AIやITの企業などでは、仕事は「リモート」、服装は「自由」、「仕事をしっかりやってくれればOK」という態度に変わってきています。やはり、新興産業は、既成概念がないので、先進国流の「実力主義」でなければ、競争に勝つことが難しいのでしょう。そのため、給料も「年功序列」ではなく「能力・実績」に応じて支払われ、「終身雇用は廃止」「副職自由」になっています。その分、社員は、もっと自分の能力を高く買ってくれる企業があれば、さっさと「転職」しますし、必要なスキルや人脈が手に入れば、「起業」することも躊躇いません。これが、「AI時代」の典型的な働き方なのです。そう考えると、学校は、旧態以前のままでいいはずがありません。学校の教師がここまでになるのは、まだ、相当の時間が必要になると思いますが、教えている子供たちは、間違いなく、そうした世界に飛び込んで行くのです。最早、「会社の歯車」でも「会社の家族」でもありません。自分の力だけで社会を乗り切る「挑戦者」なのです。そんな子供たちに、従来のような「金太郎飴教育」が成り立つはずがないのです。
国がこれまでの「教育管理体制」を反省し、様々なニーズに応じた「教育自由化体制」に移行することができたら、日本の教育は復活する可能性があります。そのためには、「学校設立基準」を大幅に緩和し、あらゆる場所で教育が行われるようにするべきなのです。今でも、大学や高等学校での「通信制」が認可され、「学校」というひとつの場所に集まらなくても教育が受けられる形ができてきました。そして、そこから、才能のある人たちが社会に出始めています。既に優秀な「スポーツ選手」の多くは「通信制」を選び、自分の才能を伸ばすために学校を利用しています。大学や高校で可能であれば、それを義務教育にまで広げれば、子供たちの選択肢は広がるのです。街中には、大手の学習塾が乱立していますが、それは、親や子供たちにとって「必要感」があるために成り立っている産業です。ならば、その「学習塾」であっても、政府の認可さえ下りれば「学校」として運営が可能だということです。それならば、「行きたい・行かせたい」と思う家庭は多いはずです。まして、不登校の子供たちを受け入れる「フリースクール」などが、各地で設立されている現在、それを拒む理由はありません。
これまで、日本は経済の発展と生活の豊かさを追い求め、「子供の教育は学校でやればいい…」といった偏った教育観で進んできましたが、それは、最早、時代遅れなのです。時代は「集団から個へ」移ってきました。人の働き方も「集団」から「個」へ移りつつあります。社会の構造を変えた「コンピュータ」は、今後も益々発達し、「AI搭載型ロボット」が登場してくるはずです。「AI」と呼ばれる「人工知能」は、人間の能力を遥かに超えた存在として、人類の脅威になるかも知れません。しかし、それを作った以上、それを制御するのは「人間」でなければならないはずです。「知識」「計算」「記憶」「表現」「予測」…など、人間にしかできなかった「能力」を「AI」は、いとも簡単にやることができます。だとしたら、人間は何を学校で学べばいいのでしょう。それは、間違いなく「心」だと思います。機械が発達することで、それを悪用した犯罪が後を絶ちません。「一番安全だ」と言われていた学校で、本来、子供の手本となるべき「先生」が、その信頼を裏切る「犯罪行為」を文明の機器を利用して行っていたわけですから、やはり、彼らにも大切な「心」が抜けていたのです。「見掛け」「形」「雰囲気」「学力」などでは、実は人間は測れないことがわかりました。もし、相手の「心」が見えて、それが「0点以下」だったとしたら、そんな人をあなたは、教師として採用しますか…。そこに、今の問題があるのです。
政府は、「全国学力調査」を実施して、「学力=国力」だと勘違いしているようですが、それも、もう時代遅れの概念なのです。未だに「AI」が到達できていない領域は、「人の心」を学習することだと言われています。もし、それが可能になれば、企業は労働力を人に頼らなくなるでしょう。そうなる前に、人間は「人間の特性」である「心」を育成するべきなのです。よく、衝撃的な犯罪が起きると、人は「厳罰化」を求めたがりますが、「厳罰化」しても人間は成長しません。ただ「萎縮」するだけです。子供も同じです。体罰が横行していた時代、教師は、子供を叩くことを正当化して「愛の鞭論」を掲げました。しかし、本物の「愛の鞭」か、「似非愛の鞭」かは、自ずとわかります。「鞭」によって子供をしつけても、本質は何も変わりません。その捌け口が弱い子供に向けられるだけだったのです。それが「いじめ」です。そうならないためには、やはり、教師が真剣になって「心」を育てるしか道はありません。それは、家庭や社会も同じです。「大人は、子供を映す鏡」だと言われますが、偉い大人が子供にでもわかる「悪」を平気で行えば、それは、子供に反映されるのです。もし、日本の「公教育」が復活することがあるとすれば、これまでの「教育体制」を反省し、大転換を図るしか道はありません。そのことだけは指摘しておきたいと思います。
コメントを残す