白虎隊外伝 自刃 神保雪子

白虎隊外伝 自刃 神保雪子
矢吹直彦
第一章 娘子隊

「遂に、このときが来たのね…」
雪子は、お城から聞こえる早鐘の音にひとり身支度を調えながら、心を固めていた。それは、女ながらに袴を履き、白鉢巻きと白襷に神保家先祖伝来の長刀を携えた姿からも想像することはできた。帯には、亡き夫である神保修理の脇差しを挿していた。この脇差しこそが、夫修理が藩主容保公の身代わりとなって自刃した際に使用した会津兼定の脇差しだった。
「修理殿は、御家のためにたった一人で腹を切り、殿をお守りしたのだ…」
そう思うと、武士として仕方のないことだとわかってはいたが、夫を助けてくれなかった主君容保公が恨めしく思われた。
もちろん、主君を恨むなど藩士の妻として、考えてはならないことは百も承知している。しかし、頭で理解しようと努めても、雪子の心の中に澱のように溜まった思いは、それを打ち消すことはできなかった。
でも、その恨みももうすぐ消える…。
雪子は、戦が始まれば、真っ先に敵と刃を交え、潔く夫の下に旅立とうと覚悟をしていたのだった。

会津の夏は短い。
お盆が過ぎて、もう会津盆地には秋風が吹き始めていた。もうひと月もすれば、秋風が冬の寒風に変わり、会津の人々は冬支度をしなければならなかった。しかし、今年の秋は、会津存亡の秋となった。
雪子の嫁ぎ先である神保家では、義父内蔵助は早々に城に入り、軍議に加わっているはずだった。義母は早く亡くなり、この家には、もう雪子しか残っていなかった。
夫との短い夫婦生活で子供を成すことはできず、一人となった雪子がどうなろうと心配する者もいなかった。
使用人たちを早々に里に帰らせていたので、後は、雪子が戦場に出るばかりだった。
おそらく実家の井上丘隅の家も、戦支度の最中だろう。そう考えると、実家に戻る気持ちを失せていた。それに、頑固一徹の父丘隅は、雪子が修理と結婚する際、
「よいか雪子。嫁いだときから実家があると思うな!」
「どんなことがあろうと、神保家を離れてはならぬ!」
と、厳しい口調で諭されたのだ。
実際、夫修理が切腹した後も、丘隅は雪子に何の連絡もしてこなかった。代わりに母が時折、神保家に立ち寄り、顔を見に来てくれたが、それも次第になくなり、雪子は神保家の嫁として死ぬまでここにいるしかなかったのだ。
雪子は、時折、優しかった夫修理の顔を思い浮かべ、優しく抱擁してくれたあの男臭い肌の匂いを思い出していた。
修理は会津の男らしく、肌は浅黒く、汗をかいた後の匂いは男性的で、夫の匂いでなければ顔を背けるほどだった。しかし、その獣のような匂いも今は懐かしかった。それに、修理の身につけていた物の匂いも次第に薄れ、今では、夫の匂いを感じるものは、この脇差し一本だけであった。この脇差しを挿していると、夫が側にいるようで心強かったのも事実なのだ。

もう、この家にも未練はない。
間もなく、この邸も焼かれて灰になることだろう。そして、義父内蔵助も会津藩家老の一人として勇敢に戦い、散っていくことは定めなのだ。
だれもが、こうなることを考えもしなかった。会津は、徳川家の親族であり、幕府の柱となる家柄なのだ。その会津が、滅びるなどということがあってはならない。それが社会の秩序であり、国というものだと、だれもが考え口にも出していた。
その会津が、今まさに新政府軍を称する賊徒によって蹂躙されようとしている。こんなことがあってもいいのか…?
みんが信じた武士道とは、いったい何だったのだ?
そんなことを今更考えても詮ないことなのだが、どうしても割り切れない思いが、雪子の小さな胸に渦巻いている。それが、苦しくもあり、悔しくもあった。
そして、父丘隅も母も、会津藩が敗れた後、生きていることはあるまい…。
雪子は、この戦に会津藩の勝利はあり得ないと思っていた。それは、常に殿のお側に仕えていた修理がよく語っていたことだった。
修理は、
「戦となれば、我が会津に勝ち目はない。だから、どんなことをしてでも、戦をしてはならないのだ!」
そう語る夫の眼は、闇の中を照らす灯りを求めるように、寂しそうに遠くの方を見るばかりだった。
いくら一人頑張ってみたところで、時代の流れを止めることはできない。そして、修理が「戦をしてはならぬ!」と叫べば叫ぶほど、他の重臣たちには疎まれ、最後は、一人自刃に追い込まれてしまったのだ。
しかし、現実は修理の言うとおりになっていった。
勤皇を旗印に都に上り、今上天皇から御宸翰まで賜った大名家は、会津松平家しかないのだ。主君容保公は、陛下から頂戴した緋色のラシャ地の織物を陣羽織に仕立て、常に着用していたという。
都の人たちも、容保公を讃え、京都守護職の大任を果たしてきたのだ。その会津が、なぜ朝敵にならねばならぬのか?
しかし、修理殿は、そうならないよう走り回っていたと言うのに、最期は、殿様の身代わりとなって死んでいった。
それを妻である雪子は、耐えねばならないのか?
武家とはいったい何なのだろう…。つい、そんなことを考える雪子であった。
「だから、あれほど修理殿が、申されたのに…」
雪子は、こうなることを怖れて、必死に訴えていた夫修理の無念の声が聞こえてくるようだった。
「しかし、それを繰り返したところで、時は戻らぬ…」
もう、泣き言は言うまい。
そう決意して、雪子は、夫の脇差しをぎゅっと握りしめるや、表に出た。

昨日まで静かで穏やかだった会津の街は、一変していた。
町人たちが、次々と西街道の方に向かって逃げていく。
母成峠の陣が破られた…という悲報は、瞬く間に、会津の人々を動揺させた。
これまで、会津盆地は、四方を急峻な山に囲まれ、特に母成峠は特に厳しい難所で、母成を越えて敵軍が攻めてこようとは考えてもいなかったのだ。
それに、白河方面には、京都から来た有名な新選組や幕府陸軍が守っている噂もあり、安心していたが、それも一瞬にして破られたと知ると、武士も町人も、大変なことになったことに気がついた。
鶴ヶ城では早鐘が鳴り、「藩士の一族は、入城せよ!」とのお触れだったが、雪子は、今更、皆と共に戦う気はなかった。
「夫、修理殿を殺したのは、藩の方々ではないか…」
という恨みが、どうしても雪子の足を城には向けさせなかった。
修理が自刃した後も、周囲の人々は、主君容保公が味方を置き去りにして江戸に逃げ帰った責任を、修理に押し付けた。
「修理殿が、唆したに違いない…」とか、「修理殿がいながら、なぜ、押し止めぬのか?」という非難の声は、修理の死後も遺族にぶつけられていた。
義父の内蔵助も、息子の自刃以降、めったに口を開くこともなくなっていた。
家老職であるため、雪子にひと言、
「雪子、命を大切にせい」
「世話になった。さらばだ…」
と言い残し、城に向かって行ったが、おそらくは生きて帰るつもりはないのだろう。先年亡くなった義母の位牌だけを、その懐に入れているのを雪子は見た。
「そうだ、私も修理殿の位牌だけを持って、戦おう…」
そう思い、懐の奥の肌が触れる乳房の下に、位牌をそっと忍ばせた。
そして、雪子も会津西街道へと向かうのだった。

街道に出ると、多くの会津の人たちが、右往左往するように小走りに走っていた。その数は、ざっと数百人を超え、そのまま西へ向かう者、北へ向かう者と、避難民は、とにかく逃げ道を探して大声を出しながら走って行った。
中には、妊婦や幼児を抱える若い婦人もいたし、足腰の弱った老婆も、必死に前の人間について走っていた。
昨日まであんなに穏やかだった会津の町が、一瞬にして修羅場と化すなどとだれが考えるだろう…。あり得ない。こんなことはあり得ないのだ。
そんな喧噪が続く中、雪子は、ひたすら日光街道を北上してくる敵を迎え撃たんと長刀を抱えて西に向かって小走りになっていた。
そのときである、同じような風体の婦人の集団に出会った。
これが、中野竹子たち二十人ばかりの女だけの武装集団だった。
後に、彼女たちの活躍に敬意を表して、会津の人々は、「娘子隊」と呼ぶことになる。
この娘子隊には、中野こう子(44歳)、中野竹子(20歳)、中野優子(16歳)、依田まき子(35歳)、依田菊子(18歳)、岡村ます子(30歳)、平田小蝶(18歳)、平田吉子(16歳)らがいた。他にもいたようだが、名前は残されていない。
この娘子隊は、中野こう子を中心に会津坂下に避難したらしいという松平容保公の義理の姉にあたる照姫様の護衛をせんと、今から坂下に向かう途中だった。
声をかけてきたのは、中野こう子だった。
「もしや、雪子様、神保雪子様ではありませんか…?」
その声に振り向くと、二十人たらずの婦人隊である。
雪子が、驚いてわけを訪ねると、こう子の長女である竹子が答えた。
「私どもは、坂下に避難されておる照姫様の護衛をすべく、坂下に向かう途中です…」
「そうですか、でも…、藩士の家族は城内に入るようにと…」
と、雪子が言いかけると、竹子は、
「城内で、我らができることはありません。我らは会津の女として、西軍に一矢報いたく、こうして武装して参りました」
「ところで、雪子様も…」
同じような出で立ちに、竹子は、雪子の覚悟を見たような思いがしていた。
雪子も、神保家の噂は耳にしていた。
雪子の夫の修理を悪し様に言う者もいたが、よそ者の竹子にしてみれば、主君の責めを一身に背負って自刃した修理という侍を尊敬こそすれ、そのように悪し様に言う者こそ、卑怯者だと感じていたのである。
「はい、私共は、藩内の嫌われ者ですから、せめて夫の敵に一太刀でも…と、こうして西に向かっているところです」
「そうでしたか…」
「それなら、どうです。私らと一緒に坂下に参りませぬか?」
「もし、敵に遭遇したら、手練の技で戦ってご覧に入れます…」
そういう竹子も、江戸の道場で長刀から小太刀まで習得した女武者であった。しかし、元々が江戸詰だったため、会津は、今回が初めての国入りで、よそ者扱いには辟易としていたところだったのだ。
見ると、他の者も、多くは江戸から戻ってきた藩士の娘のようだった。
雪子は、少し躊躇いの表情を見せたが…、
「はい、ならば…」
雪子が頷くと、隊長格のこう子も頷き、竹子の妹の優子が嬉しそうに、
「雪子様、さあ、一緒に参りましょう」
と、自分の隣に場所を空けてくれたのだ。
姉の竹子は、江戸にいたころから男勝りで、その姿は美形でありながら、少しでも男が近づくと、腕試しにと道場に呼んで手合わせをするのが倣いになっていた。
そして、江戸者で竹子に勝てる男もいなかった。そのためか、縁談もなく、それどころか、「鬼の竹子」の異名すら賜っていた女傑であった。
それに比べて優子は、色白の上に目鼻が小ぶりで、博多人形を思わせるような気品が漂っていた。長刀の腕は相当のものだったが、母のこう子と姉の優子が一番心配したのは、優子のことだった。
「もし、優子が敵に手に渡ったら、どんなことになるやも知れぬ。そのときは、優子を殺し、私らもその場で自害しよう」
と言うのが、二人の約束であった。
そこに、人妻の色気と匂いを放つ雪子が加わることで、心配の種は増えたが、神保雪子となれば、放って置くわけにもいかなかったのだ。
雪子は、自分では自覚がなかったが、傍から見れば、雪子ほどの美しい女性は会津にはいなかった。
その雪のような肌の白さ、美しい艶のある髪、そして朱色に染めた唇は、夫を持った経験のある女だけに漂う色香があった。まして、そんな女性が武装した姿で立っているのである。敵軍の荒ぶれた男たちが、黙って見ているはずがない。「匂い立つ」とは、雪子のような女性を言うのであろう。
こう子と竹子は、そんな二人の純潔だけは守り切ろう…と心密かに誓うのだった。
しかし、そんな竹子も男を知っているわけではない。だが、恋を知らぬこともなかった。江戸にいたころ、同じ道場に通ってくる御家人の若い男に恋心を抱いたことがあった。
その男は、剣の腕はさほどではなく、いつも竹子にやり込められていたが、妙に男臭さがなく、素直で優しい人だった。
無論、言葉を交わす程度で、それ以上の付き合いはできなかったが、竹子が男に初めて心を動かされた瞬間だった。
「鬼の竹子」などと言われてはいても、まだ十八ころの純情な武家娘でもあったのだ。

第二章 涙橋の激闘

涙橋は、正式には柳橋という。
会津と新潟を結ぶ越後街道の湯川にかかる橋のことで、付近に道しるべとして多くの柳が植えてあった。中野竹子たちが目指す会津坂下に続く街道である。
「涙橋」という名については、近くの薬師川原に処刑場があり、刑場にひかれる罪人は、川の近くにある井戸の水で家族と水盃を交して別れを惜んだといわれている。死罪となる者も、その家族もここで涙を流し、罪を悔いると共に転生した暁には、真っ当な人間として生きられるよう願ったのだろう。

中野竹子たちの隊に加えて貰った雪子ではあったが、最後まで彼女たちと行動を共にするつもりはなかった。彼女たちは、御家のために戦う覚悟を決めて出陣したものだが、自分は、亡き夫の無念を晴らさんがために戦うつもりでいたのだ。御家は、もう雪子にとってはどうでもいい存在になっていた。
夫修理を見殺しにしただけでなく、その家族にも理不尽な言葉をぶつける会津の人間の心の狭さを詰らずにはいられなかった。
もう、この会津で、自分が生きる場所はない…。雪子は、ずっと死ぬことだけを考えていた。
会津で生まれ、会津で育ち、会津と共に生涯を終えるはずだった自分が、故郷を恨まねばならぬことを雪子は悔やんだ。今見ても会津の自然は美しい。これから秋が深まれば、会津盆地は紅葉に彩られ、米の収穫とともに祭りが盛んに行われる。
修理殿がいたときは、二人で寄り添いながら、そんな祭り見物をしたことが思い出された。修理は、寺の境内から外れた林の中に雪子を誘うと、体を抱き寄せ唇を重ねるのだった。修理は、何度も雪子の口を吸い舌を絡ませてきた。
それは、武士としての嗜みを欠く行為ではあったが、新婚の熱い恋情を抱く若者同士として、今なら許される幸せの欠片であったろう。
雪子は、そんな修理が愛おしく、京にもついていきたかった。それが、無惨にも断ち切られた思いは、雪子の心を乱さずにはおられなかった。

照姫様の坂下への避難は、所詮は噂であり、実際、照姫は鶴ヶ城内にいたのだ。
照姫は、容保公が江戸から引き揚げてくる際に、江戸から会津に始めて国入りをした。元々は江戸育ちで、草深い会津に驚いたが、会津の人々は、照姫を歓迎し、女たちは、その艶やかな姿に心をときめかせた。
その言葉も振る舞いも、大名家の姫君らしく気品があり、その鈴の音のような声にみんなが虜になった。
実は、義理の姉弟とはいえ、容保公とは三つ違いである。江戸藩邸において、容保公が心の支えとしていた理由もわかる。
容保公の正妻であった敏姫様は、子供のころに疱瘡を患い、その上病弱であった。それを承知で会津松平家を継ぐために、容保公は美濃高須藩より養子として入られたのだ。
その敏姫も万延元年には十九歳の若さで他界していた。容保公は、敏姫を大事にし、夫婦の交わりはできないまでも、常に側に寄り添い温かく接したと伝えられている。敏姫もそんな容保公を愛し、短い期間ではあるが、敏姫も幸福であったのだ。
それに、こうした会津の滅亡を見ずに死ぬことができたことは、案外幸せだったのかも知れない。
照姫は、一度、豊前中津藩奥平家に嫁ぐが、安政元年には離縁され、江戸の会津藩邸に戻っている。わずか数年の結婚だったが、理由は伝わってはいない。聡明な照姫にとって、許し難い行為があったと見るのが会津の人々の意見であった。
そんな照姫を容保公は、愛しておられたのだろう。二人の関係はわからないが、そんな心の交流がなければ、こんな激戦が予想される会津に来ただろうか。事実、照姫は、ひと月に及ぶ籠城戦の最中、女たちを指揮し、たすき掛けで働いたと言われている。そんな気質だからこそ、会津の女たちは照姫を慕い、命懸けで守ろうとしたのだろう。照姫も、やはり会津の女性だった。

さて、照姫様が坂下にはいないことを知った竹子たちは、正式な隊として認めて貰うために家老萱野権兵衛の陣に出向いた。
萱野は、女たち二十数名の集団に驚いたが、その申し出を受けることはなかった。
「何を申す。よいか、もしおぬしらを加えれば、会津藩は、女子供まで戦わせた…と西軍の連中に笑われるではないか」
そう言って申し出を断った萱野ではあったが、二十数名の女子が武装して、戦う覚悟を示してくれたことに感動すら覚えていた。
すると、中野こう子が、こう言い放った。
「ならば、私ども、この場にて自害いたします。どうか、お見届けくださるよう…」
そう言うなり、胸元に挟んだ懐剣をサッと抜き放つと、首筋に当てるではないか。
さすがの萱野も、この豪胆な行動には驚いた。
「ま、待たれよ…方々」
「わかった。わかったから、まずは、その短剣をしまわれよ」
「そ、それでは、先鋒を頼んである幕府衝鋒隊の古屋佐久左衛門の隊に加わって戦うがよい…」
「なれど、女子の身故、万が一の時は、わかっておるな…」
そのとき、萱野の目はこう子の眼を見据えていた。
こう子も萱野から眼を離さず、それを聴くと、深く頭を下げ、
「はい。承知しております」
そう言って、決戦の日を迎えることになった。
雪子も、自分の命も明日まで…と覚悟を決め、近くの寺で他の娘たちと共に休息を取ることにした。
一人でも構わぬ…と覚悟を決めていた雪子ではあったが、自分より若い独り身の少女たちが、一緒に死ぬことになるのは不憫ではあった。
それでも、寺の一室で武装を解くと、一瞬ではあったが夫修理のことを思い出さずにはおられなかった。
修理は、殊の外雪子を愛してくれた。それは、見合い結婚とはいえ、本気で恋をすることができたのだ。
修理は、毎夜のように雪子の肌を求めた。それは、自分の宝物を慈しむような優しい愛であった。髪を撫で、頬を寄せ、唇を貪るように吸い合った。
そんな二人の行為のひとときは、何ものにも代え難い喜びの瞬間であった。
若い雪子の肌は、次第に朱に染まり、雪のような白い肌は、修理の肌に吸い付くように馴染んだ。吐息も次第に荒くなり、雪子は修理の肌に強く爪を立てた。修理は、「ん…」と声を漏らしたが、それを咎めることはしなかった。
雪子は、自分でも信じられないくらい夫の体に溺れていた。それは、生涯二度と訪れることのない本能の欲望だったのかも知れない。そうして、二人はだれも知らぬ世界で、静かに永遠の愛を育んでいたのだ。
ただ、これほど愛し合う二人だったが、間もなくして修理は容保公について京へと旅立ってしまった。
殿様付きの公用方となれば、当然の旅立ちであったが、出発の朝まで二人はお互いを求め合った。それは、まるで二人の将来を暗示するかのような行為でもあった。そして、それは、永遠の別れとなった。

雪子は、
「もし、我が子でもできておれば…」
と思ってみたが、それを悔いても仕方のないことだ…ということはわかっていた。それでも、もし、ここに二人の赤子がいたら、母として生きられたかも知れぬ…と考えることもあった。
しかし、雪子も、まさか夫婦となって、夫からこんな細やかな愛情を貰えるとは思いもよらなかった。そして、そのことが、雪子をさらに美しく飾った。
武士の妻として、質素であろうとすればするほど、雪子の際だった美しさは人目を引いた。
雪子が所用で街中に出れば、だれもが雪子を振り返り、ほうっ…とため息を吐くか、その場に足を止めて息を飲んだ。
その評判は、城内にも聞こえ、夫修理の評判さえもが高くなっていた。
朋輩や上司からも、会話の中には必ず雪子のことが出された。
「修理殿も、よい奥方を貰われて、幸せじゃのう…」
と、やっかみがちに言われるのが常だったが、修理は、それを恥ずかしいとは思わなかった。
「はい。井上丘隅殿の娘なれば、万事心得ておるよい妻でござる」
と、義父である丘隅の名を出すようにしていた。
そう言われると、周囲の者もそれ以上に言葉を継ぐ者はいなかった。なぜなら、会津松平家中で、井上丘隅の名を知らぬ者はいなかったからだった。
井上家は、家禄六百石の会津藩譜代の名家であった。それだけでなく、学識は深く、性格は剛直、主君とて歯に衣を着せぬ物言いをする御仁で、若い者は、子供のころから藩校日新館や道場で、丘隅に鍛えられなかった者はいなかったからだ。
城内においても、声は大きく、家老たちにも叱責するような人物だったために、雪子の縁談も難航したくらいだった。
それでも修理は、
「丘隅先生の娘なら、望むところです…」
と、喜んで承諾してくれたのだ。
雪子にとっても、修理との縁談は願ってもない良縁だった。それは、家禄や地位ということより、雪子にとって修理は、憧れの存在だったからである。
修理は、背丈こそ高くはないが、その意思の強そうな顔は凜々しく見え、雪子の心をときめかせていた。
修理は、少年のころから学才に秀で、神保家千石の嫡男として将来を嘱望されていた。剣にも類い希な才能を発揮し、青年期には江戸に留学したほどの英才であった。
その修理との縁談は、雪子には思いがけない出来事であり、それを報せる丘隅もしばらくぶりに上機嫌であった。
「おいおい、神保家の修理殿じゃ…。あの修理殿が雪子を欲しいと言ってきたのじゃ…」
それを聞いた雪子は、衝撃でその場に倒れそうだったが、武家の娘らしく、何事もなかったかのように振る舞い、父を窘めた。
「父上様、神保修理様が、そのようなことを仰るはずはありません」
「どうせ、父上同士で相談されたのでしょう…」
「もし、父上が神保様にお頼みされたのであれば、私は嫌でございます」
そんなふうに軽くあしらう雪子であったが、言葉には出さずとも、姉や母にはお見通しであった。
容保公も、そんな修理を信頼し、雪子と結婚することを知ると、
「そうか、あの丘隅の娘か…。修理も大変だのう…」
と、軽口を叩いたり、結婚祝いの品として、富士の掛け軸を下されたりするなど、二人は幸せの頂点にいた。
結婚後も、容保公は、忙しく働いている修理を見ると、
「修理。早く可愛い嫁のところに帰ってやらんとな…」
などと冷やかすこともあったのだ。
その夫が、京都の鳥羽伏見の戦いで幕府軍が敗退し、将軍慶喜公が兵を置いて江戸に逃亡した事件は、会津にも聞こえ、だれもが将軍家に対して憤懣を訴えるようになっていた。そして、その逃亡した中に、主君容保公がいたことを聴くと、
「だれが、殿を唆したのだ!」
「修理が、側についていながら、何たる失態!」
「修理が、唆した張本人か?」
と、修理の立場は、危うくなっていった。
そして、だれかがその責任を取らなければ、会津藩自体が崩壊しかねない状況に追い込まれていった。
「殿に、責めを負わせることはできぬ…」
「それに、私がお側にいながら、お止めできなかったことも事実…」
修理は、江戸藩邸の奥の部屋で、介錯もつけず、一人静かに腹を斬った。
修理は、雪子に遺書を書こうか…と迷ったが、自分が死ねば藩の検死役が検分に来ることはわかっていた。そのとき、妻に女々しい遺書を書いたとなれば、雪子だけでなく神保の家にどのような災いがもたらされるかも知れなかった。
修理は、遠く、雪子の面影を抱いて腹を斬った。
腹に短刀を突き刺し、左へと斬り回していく。その激痛は己の脳を痺れさせ、体中に痙攣を起こさせた。しかし、修理はそれをやりきった。
そうすることが、修理の武士としての意地でもあったのだ。その刹那、修理は雪子を抱いていた。雪子を抱くことによって腹を斬ることができたといってもよい。その雪子への愛情こそが、修理の武士道なのだ。
腹を真一文字に裂いた後から、どす黒い血が腹に巻いた晒を朱に染めた。それを見届けると、修理は頸動脈に刃を当て、「雪子…」とひと言叫んで掻き斬った。鮮血が周囲に飛び散った。修理の真っ白な死に装束が真っ赤に染まり、畳に血だまりを作った。
気が遠くなり、前屈みに倒れた修理の耳に、雪子の声が聞こえたような気がした。

修理の切腹の報は、義父である内蔵助から雪子の下にもたらされた。
内蔵助は、夜更けに繕い物をしている雪子を居間に呼ぶと、硬い表情のままでこう告げたのだ。
「よく聴け、雪子」
「修理は、一昨日、江戸藩邸で切腹して果てた…」
「無念であろうが、これも武士の定めじゃ…」
「得心せよとは申さぬが、そなたの今後のこともあるでの…」
内蔵助は、雪子とは眼を合わさず、じっと遠くの方を見ていたが、その眼には、涙が滲んでいたのを雪子は、見逃さなかった。
内蔵助も思うところはあるのだろう。その涙は、悔しさの涙に違いない。しかし、家老職として言ってはならぬことはある。
「ならぬものは、ならぬ!」
内蔵助も会津の人間として、子供のころから誓いを立てた掟に逆らう術はなかった。
「はい。承知仕りました…」
この場で、雪子が言葉を発せられるとすれば、それしかなかった。それが、武士の妻であることは、子供のころから教えられていたことである。
しかし、夫婦の部屋に戻ると、袂を口にくわえ、滂沱の涙を流すのだった。
「なぜ、修理殿が…。あの夫が、一人で死なねばならぬのか…?」
その場で懐剣を抜いて、自分も後を追うことも考えたが、それでは修理殿の無念は晴らせぬ…。それに、この緊迫した情勢は、近いうちに大きな騒動が起こるに違いない…と予感した雪子は、その時をひたすら待つことにしたのだった。

ぼんやりと様々なことを考えているうちに、少しだけ眠ったのだろうか、明けて八月二十五日の朝が来た。
朝靄の中を中野こう子を先頭に整列すると、幕府衝鋒隊の古屋佐久左衛門の陣に向かった。
古屋も困った顔をしていたが、
「萱野殿から聞いておる」
「しかし、会津のご婦人は違いますな…」
そう言うと、ふっと笑みを漏らしたが、次の瞬間には、こう子たちを睨むように、こう告げたのだ。
「しかしながら、我らと行動を共にするならば、皆様方の生死には一切関われぬからそのおつもりで…」
すると、竹子が、
「無論、お構い無用に願います」
「我々も会津の女としての意地もあれば、誇りもございます」
「遅れは取りませんので、どうぞ、ご無用に願います…」
これには、佐久左衛門も言葉を失ってしまった。
見れば、こう子を除けば若い娘ばかりで、もし捕まれば、飢えた狼の群れに放り込まれた小羊のようなものだった。
この女たちは、そうなるくらいなら舌を噛み切って自害して果てるだろう…。そう思うと、憐れだった。

雪子たちは、衝鋒隊から握り飯を分けて貰い腹を整えると、再度身支度を調え、衝鋒隊の男たちの間に挟まれるようにして進軍した。
それは、ちょうど、五つ半(午前九時)ころだった。
会津坂下方面に向かっていた衝鋒隊の前衛から報告が入ったのだ。
「この先、坂下方面から敵軍が迫ってきております!」
その報告を聞くと、佐久左衛門は、柳橋手前で迎え撃つことにした。
隊を横隊に開いて、前衛に鉄砲隊。そして、後方に長刀を構えた雪子たちが備えた。
すると、側に佐久左衛門が来て、こう囁いた。
「よいか、突撃の合図は私が致す。それまでは、しばらく自重されよ…」
「長刀は、白兵戦に使える」
「あなた方は、後方に控え、突撃の合図と同時に我らの後ろからついて来られよ…」
「そして、一人にならぬことじゃ。男共に囲まれては、戦いにならぬ」
「よいな!」
それだけ言うと、佐久左衛門は腰を屈めながら、前方に去って行った。
女たちは、お互いに眼を合わせて、今の言葉の確認を行うと、長刀をぎゅっと強く握りしめるのだった。
雪子の隣にいる優子は、少し震えているようだった。
それも仕方がない。
まさか、十六歳の女の身で、実戦に参加しようとは考えもしなかったに違いないのだ。
姉の竹子が、優子の肩に手を触れ、
「大丈夫。私について来なさい…」
そう言うと、雪子の方を向いて、「雪子様も…ご一緒に…」
雪子は、小さく頷いて見せたが、この姉妹に迷惑はかけたくはなかった。
そして、四半刻も経たないうちに、敵軍の前衛が視界に入ってきた。
「いよいよ、来るぞ!」
女たちは、唇を噛み締め、そのときを待った。
心臓は高鳴り、手は何をしなくてもじっとりと汗ばんでいた。それを袴に擦りつけながら拭いては見るが、汗は、額にもじわっと浮き出てきていた。
喉の奥は、既にヒリヒリと痛むが、側に飲む水はない。
そこに、佐久左衛門の声が響いた。
「小銃隊、構え!」
時を待たず、「放て!」という命令が下った。
それと同時に数十の小銃から弾丸が敵軍兵士に向かって一斉に放たれた。
ドーン。そして、続いて、またドーン、と鳴り響く。
見ると、敵の前衛の布陣が乱れ、前のめりに倒れる黒服が見られた。
敵軍は、柳橋の土手に敵が潜んでいることを知らなかったようだ。
用心して進んできてはいたが、突然の発砲音に驚いた様子で敵軍兵士は周囲に散らばっていくのが見えた。
すると、遠くから太鼓の音が鳴り、敵軍がいるであろう方向から、男共の唸り声が大きく響いてきた。
敵軍の突撃である。
「いいか、怯むでない!」
「このまま、真っ直ぐ突っ切れ!」
「行くぞ!」
佐久左衛門の声を聞いた衝鋒隊五十名は、「おーっ!」という雄叫びを上げて、腰の大刀を引き抜くと、敵軍の中に真っ直ぐに突っ込んでいった。
雪子たちも、これに遅れてはならない。
女たちも「きえーっ!」という叫び声を上げて、長刀を構えると、敵の前衛軍の中に突っ込んでいった。
ここまで近づけば、鉄砲は使えない。刀と刀のぶつかり合いだ。
あちこちで金属同士がぶつかり合う音が鳴り響いた。
そして、その間に、人間の肉や骨を断つ鈍い音が聞こえ、その中に男共の絶叫が混じった。
雪子は、竹子や優子と共に、敵軍兵士と渡り合った。
周囲の敵は、十名程度。こちらは、味方の兵を合わせて八名。けっして破れぬ敵ではない。
すると、敵兵の中から、
「お、おい。女だ。女がいるぞ!」
敵軍の兵が色めき立つのがわかる。
「よし、生け捕りだ。生け捕りにしろ!」
敵兵は、じりじりと間を詰めてくる。
もう少しで、長刀の間合いに入る。そう思った瞬間、隣にいた竹子が風のように動いた。
その動きは、あまりにも速く、敵兵の目を眩ませる効果があった。
さすがに女傑として知られた中野竹子である。長刀を縦横無尽に振り回し、その遠心力を生かして、敵兵をなぎ倒していくではないか。
女と侮っていた敵兵たちは、思わず怯むと、その後は乱戦になった。
雪子は、優子を守るようにして態勢を崩した敵兵に長刀を浴びせ数人を倒した。
周囲の目を転じると、竹子たちの母こう子も、数人の女たちとともに、敵兵を追っていた。
「よし、この白兵戦は、会津の勝ちだ…」
だれもが、そう思った瞬間だった。
崩れかけた敵兵の後ろから、雷のような音が鳴り響いた。
ドーン。ドーン。ドドーン。
すると、衝鋒隊の兵たちがばたばたと倒れるではないか。そして、女の中にも倒れる者が出てきた。
雪子たちは、その場にばたっと身を伏せた。
敵の後衛の鉄砲隊が到着したのだ。
敵兵は、これをきっかけに一気に攻勢に出ようと動き出した。
すると、竹子が雪子を見た。
その目は、「行くよ!」と訴えていた。
よし、ここが決戦の場だ!
そう思った瞬間に、竹子がバッと立ち上がるやいなや、長刀を握りしめて敵群に向かって走った。
遅れてはならない。雪子も優子も、ほぼ同時に立ち上がり、腹の下から大声を出して敵兵に向かった。
左手からは、こう子たちも続いている。
こうなると、衝鋒隊の兵たちも動かざるを得なかった。
佐久左衛門は、「ちっ…、女どもが抜け駆けしおって…」と呟いたが、既に敵味方入り乱れての再度の白兵戦になった。
そのときである。
間近で銃声が響いた。
ズドーン!
銃声のあった方を見ると、静かに竹子が崩れ落ちるのが見えた。
優子が叫ぶ。
「お姉様…!」
優子とこう子が駆け寄ったとき、竹子は、既に息をしていなかった。敵の放った銃弾は、ものの見事に竹子の左胸を貫通していたのだ。
竹子は、瞼を閉じる暇もなく一瞬にして死を迎えたようだった。
こう子が倒れた竹子を抱き起こすと、心の臓を直撃した銃弾は、そのまま背中を抜け、竹子の背中を朱に染めていた。
敵兵は、佐久左衛門たちの必死の吶喊攻撃により、態勢を崩していた。
それを見届けた雪子は、二人に声をかけた。
「こう子様。ここまででございます。失礼!」
そう言うなり、長刀を持って敵軍に突っ込んで行ったのだ。
優子が、「ま、待って…」と声を出したが、その声は、戦場の騒音にかき消されて雪子の耳に届くことはなかった。
こう子の周りには、生き残った女たちが集まって来た。
中には、血飛沫で顔を濡らしている者までおり、女たちが必死の戦いを繰り広げたことが一目で見て取れた。
この女たちにとっても、中野竹子は、精神的支柱であり実際の隊長であった。
こう子は、竹子を後方の繁みに引きずると、
「竹子の首を敵に渡してはならぬ!」
そう言うや否や、腰に差した脇差しを取り出し、竹子の細い首を掻き斬った。もうかなりの出血があったのか、斬られた首からは、多くの血は流れなかった。
こう子は、カッと見開いた竹子の瞼を静かに閉じ、一筋の涙を流した。
武家の女として、生を全うした娘を褒めてやりたかった。しかし、一方で、純潔のまま散っていった娘が可哀想でならなかった。
会津に来て以来、厳しい言葉ばかり娘たちに投げてきた母も、やはり人の親であった。
周りの女たちは、それを見て泣き崩れた。
こう子は、
「私どもの戦いもここまで…」
こう子は、静かに女たちに命じて、竹藪の中に穴を掘り、竹子の首を埋めた。しかし、その体を埋める余裕はなかった。
中野竹子は、涙橋近くの竹林の中に静かに体を横たえた。
優子や女たちは、枯れた笹の葉を拾い、敵に見つからないように、竹子の体を覆うように笹の葉をかけてやった。
弔いは、それで終わりである。
この女たちが、後の世まで生きられる保障はない。今、この瞬間に旅立つことも考えられるのだ。
こう子は、そう思うと、この娘たちを何とか城に入れてやりたい…と考えていた。
そして、すくっと立ち上がったこう子は、
「我らの戦いもこれまでじゃ。私共も城に戻る!」
そう命じると、踵を返して鶴ヶ城目指して引き返していった。
優子は、
「でも、雪子様が…」
と、母に取りすがったが、
「あの方には、あの方の生き方があるのです…」
「私どもが、お止めすることは、雪子様にとっても辛いことでしょう」
そう言うと、手傷を負った女たちを集めて、静かに戦場を去って行った。この戦いで、何人の女が戦死したかは不明である。しかし、竹子の壮烈な戦死により、この婦人隊の名は後世に語り継がれ、後に「娘子隊」と呼ばれるようになった。
「なよ竹の 風に流るる身ながらも 撓わぬ節の ありとこそ聞け」
これは、会津藩国家老西郷頼母の妻千恵子が、夫と息子大三郎を城に送り出すと、屋敷内で一族諸共に自刃する際、歌った和歌である。
会津の女たちは、その意地と誇りを賭けて、生を全うしたのだった。

そのころ、雪子は味方の兵と共に敵兵の中に突っ込んでいったが、その味方の兵ともはぐれ、一人になったところを大垣の兵に囲まれ、捕縛されていた。
精も根も使い果たし、涙橋の袂で一人でいるところを男たちに見つかったのだ。
「おい、よく見て見ろよ、こりゃあ、上玉だぞ…」
「ああ、いい女だなあ…」
「よし、陣に連れて行き、今宵の楽しみといたそう…」
血に飢えた大垣の兵たちは、しばらくぶりの若い女の匂いを嗅ぎ、性欲が漲っていた。どうせ、生かしておくつもりもない。
せいぜい楽しんだ後は、首を刎ねればいい…。
そんな野獣のような男共の好奇な眼は、雪子の体中に注がれた。
しかし、雪子は、ここでは死ねなかった。と、言うより死ぬ気力さえ失われていたのだった。

第三章 雪子の自刃

雪子は、大垣藩兵数名によって拉致され、彼らの本営が置かれた長命寺に連行されていた。ここは、大垣藩の他に土佐藩の宿営地にもなっていた。
そもそも大垣藩は、徳川家譜代藩として存続していたが、戊辰戦争が始まると重臣たちの説得によって「御家大事」とばかりに新政府軍に寝返った藩であった。
土佐藩の将兵にとっては、徳川家に忠義を尽くさず、日和見によって寝返った大垣藩の連中を快く思ってはいなかった。酒が入れば、少しのことで喧嘩となり、将校たちは、その仲裁が戦より大変だという始末である。
そこに、夕方遅く、大垣藩の連中が声高に、
「おい、会津の女だ!」
「今日は、滅多にないご馳走だぞ!」
そう叫んで、荒縄で括った雪子を本営の寺の庭に引きずり出してきた。
植えてあった太い松の根元に雪子を括りつけると、
「酒を飲んでから、やっちまうか?」
「おっと、十人はいるから、この女の体が保つかな…」
と、野卑た言葉で、雪子に聞かせるように言うと、その尻を撫でる者までいた。
雪子は、朦朧とする頭で、諦めと死を同時に考えていた。
しかし、この状態ではどうにもならない。
飯は、朝、握り飯を二つ食べたきりで、その後は、水さえ飲んではいなかった。それでも、もう腹も空かず、水も欲しくはなかった。
ただ、後ろ手に締め付けられた手首が痛んだ。
それに、手傷も負っており、左足から出血もしているようだった。
既に、長刀も帯に挟んだ脇差しもなく、乳の下に隠した修理の位牌だけが、心の支えとなっていた。
そのうち、男たちのざわめきもなくなり、秋の夕暮れは早く、今日は三日月の晩だった。
雨が降らないだけましだったが、舌を噛み切ろうにも、口は痺れ、もう、雪子にはその力も失せていたのである。
それから、半刻も眠っただろうか。
雪子は、肩を揺さぶられて眼を開いた。
そこには、やはり真っ黒な軍服を着た男が、腰を屈めてじっと雪子の顔を覗くではないか。
気がついた雪子は、「な、何をなさいます…」
そう、声を出したが、声は嗄れ、大きな声など出しようもなかった。後は、この男に蹂躙されるのか、それとも、最後の力を振り絞って舌をかみ切るかのどちらかの選択があるだけのような気がした。
ああ、修理殿…。
それは、声にならない声だったが、敵の男には聞こえたらしい。
「奥方。その方、今、修理…とか申したか?」
そう尋ねるので、雪子は、コクリと頷いて見せた。
「すると、奥方は、あの会津藩公用方を務めていた、神保修理殿のご内儀か?」
雪子は、驚いてまじまじと敵の男の顔を見たが、覚えはなかった。
「そうか、修理殿の…」
すると、その男は、居住まいを正して、名を名乗った。
「拙者は、土佐藩中隊頭吉松速之助と申す」
「よくぞ、女の身で戦われた。そのお覚悟、見事でござる」
「拙者、京に滞在していた折、故あって、神保修理殿に世話になり申した」
「常に殿の側におられ、我ら土佐の者にも親しく声をかけていただき、議論したこともござる…」
「このたびの戦は、会津にとって、無念でござろう…」
「しかし、戦は時の運。神保殿とは敵味方に分かれてしもうたが、今は、城内におられるのか?」
こんなところで、夫の昔の知り合いに出会うとは、何と言うことであろう。
雪子は、言葉少なに、
「夫、修理は自刃いたしております」
「もし、夫のお導きであれば、何卒、お腰の脇差しをお貸し願いとうございます…」
「もう、私も、これ以上生き恥を晒すわけには参りませぬ故…」
速之助は、
「何を申すか。儂が助けて進ぜよう…」
「今なら、まだ、だれも来ぬ。さあ…、逃げられよ」
そう言って、縛ってあった荒縄に手をかけようとするのを雪子は押し止めた。
「それは、なりませぬ。どうぞ、憐れな女の最期の願い、お聞き届け下さいませ…」
「ここで夫の知る方とお目見えできたのも何かの縁。どうか、このまま夫の下へ行かせてください…」
雪子は、大粒の涙を浮かべ、乱れた頭を下げた。
「しかし、…」
もう、それ以上の押し問答は無駄だと速之助は覚った。
「ならば、拙者が介錯を…」
それを雪子は、丁寧に断った。
「それもご遠慮いたします」
「もう穢れた賊の女に情けをかければ、吉松様の名誉に関わります故…」
「どうか、自分で始末させてくださるよう…」
声はかすれ、耳を口元に近づけねば話もできなかったが、その意思は、鉄のように固く感じた。
もう、速之助の助命の言葉は、雪子には届かないだろう…。それに、今更生き長らえたところで、どうなるものでもあるまい。
速之助は、「ならば…」と胸に巻かれた荒縄を解いた。
「ありがとう、ございます」
速之助は、そっと自分の脇差しを雪子の膝の前に置いた。
そして、三日月の空を見上げ、故郷に残した妻の佐恵を思った。
もし、土佐が会津であったなら、同じような運命が愛する佐恵にも訪れるのかと思うと、この戦が空しくもあった。
「なあ、奥方。今宵は月が殊の外美しく見えます…」
そう言葉を発した次の瞬間、後ろで「ぐっ…」というくぐもった声を聴いた。
それでも速之助は、そのまま黙って月を見ていた。
ドサッ…と、雪子が倒れる音が聞こえた。
「さあ、もうすぐ修理殿に会えますな…」
そう言って徐に後ろを振り返ると、雪子はものの見事に喉を脇差しで掻き斬っていた。
その顔には、微笑みすら浮かんでいるように速之助には見えた。
夜の闇のせいか、雪子の流した血は見えなかった。
速之助は、そっと脇差しを雪子の手から貰うと、手ぬぐいで血糊を拭き、自分の鞘に収めた。
最後に、カチッという音が、速之助の耳に残った。

第四章 雪子の魂

その晩遅くなり、大垣藩の男たちが酩酊したままの姿で雪子を連れに来たが、そのとき、既に雪子は冷たい骸となっていた。
「だれじゃ、だれだ、この女の自害を助けたのは…」
大垣の兵たちは、口々に声を荒げて雪子の自害を助けた者を探そうとしたが、大垣藩の将校たちは、土佐藩を憚って、それ以上の騒ぎにせぬよう兵たちを諫めた。
途中から寝返った大垣藩にしてみても、元々勤皇でとおした土佐藩には頭が上がらなかったのだ。大垣は、土佐藩の板垣退助の命令で動くしかなく、同じ新政府軍と言えども、立場が違うことを自覚していた。
それに、土佐の侍たちにとって、時流に聡い新参の大名家を蔑み、敵である会津武士に同情を禁じ得ない者が多く、「大垣の乞食侍が…」と声高に言う者もいたのだ。
一時は、土佐も公武合体を説き、大政奉還に持ち込んだのも、土佐の老公である山内容堂公である。それが、薩摩の裏切りによって倒幕に進んでしまったことを参政の後藤象二郎たちは悔やんでいたのだ。
彼らは、「ここに、龍馬がいたら…」と、坂本龍馬が何者かによって暗殺されたことを悔やんだ。坂本さえ生きておれば、大政奉還後の新政府の主導権は、この土佐が握ることができたのだ。
そして、坂本なら、こんなばかな戦をせずとも新しい維新はできたのだ。
その後悔が、雪子を助けることで、少しでも気持ちが晴れればと速之助も思うのだった。

この雪子の死は、籠城戦を戦っている会津の者たちに伝わることはなかった。涙橋の戦いで、一緒に奮戦した中野こう子や優子は、その後、城内に入り、照姫様の護衛の任に就いていた。
時折、優子が、
「雪子様は、如何されたでしょうか…?」
と心配したが、母のこう子は、雪子が戦いの末に死んだことを確信していた。それが、会津の女の生きる道であることを知っていたからだ。
会津藩は、その後、ひと月にわたる籠城戦を戦うことになった。
雪子が死んだ二日前の八月二十三日、会津の少年隊である白虎隊士中二番隊の隊士二十名が、戸の口原の戦いの後、逃れた飯盛山の山中で自刃して果てた。
彼らも、会津の名誉と誇りのために、自らの命を捨てたのだった。
他にも、雪子の実家である井上丘隅家では、丘隅が負傷すると、邸に火をかけ父丘隅を筆頭に家族全員が自刃している。もし、雪子が実家に身を寄せていたとしても死は間違いなく訪れたのだ。
さらに、義父の神保内蔵助も戦いの末、傷つき、城外の土屋一庵邸で自刃している。こうして、会津藩は、二千名以上にも及ぶ死者を出して、新しい時代の人柱となったのだった。
今でも、このときの恨みを忘れない会津人は多い。
新しい政府を創るのはいい。しかし、理不尽な理由で会津を滅ぼし、その後も会津を賊として扱い、差別し、虐げてきた恨みを忘れてはいないのだ。その新政府が創った新しい日本も、アメリカとの無謀な戦争の末に敗れ、国が滅んでしまったではないか。
そんな愚かな人間たちを会津は、これから先も許すことはないだろう。

雪子は、自分の魂が天に召される刹那、心が解放されるような喜びを感じていた。今までの苦痛や苦悩が嘘のように消え、明るい光の中に吸い込まれていく自分を見ていた。
「ああ、私にもやっと安らぎの刻が訪れたのだ…」
そう思うと、なんとも言えない感情が湧き出ることを抑えきれなかった。それは、生まれて初めて味わった感情かも知れなかった。
もう、行くまい。
二度と、会津には戻りたくない。
雪子の魂は、その光の奥へと吸い込まれていった。
その姿は、神々しく輝き、その白く美しい玉のような肌は、まさしく天女そのものであった。

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