架空戦記 若鷲の歌 -ああ回天特別攻撃隊-

架空戦記 若鷲の歌 -ああ回天特別攻撃隊-
矢吹直彦
第一章 回天戦、用意!

「回天戦用意!」
遂に来た。このひと月、この発令をどれほど待ち望んでいたか。
「よし、みんな、準備はいいな!」
「横田、新海、矢野、大丈夫か?」
「はい! 行きます!」
俺たち三人は、一斉に大きな返事を返した。
声をかけたのは、回天特別攻撃隊天武隊隊長の柿崎穣中尉だった。
俺たち天武隊は、兵学校出の柿崎中尉を隊長に、予備学生出身の園田二郎少尉、そして横田豊二飛曹、新海喜久夫二飛曹、矢野徹二飛曹の五人の特別攻撃隊だった。そして、下士官の三人は、甲種予科練十三期の同期生である。
園田少尉は、京都帝国大学哲学科卒の秀才で柿崎隊長とともに三度目の出撃だった。そして、俺たちは、俺と新海が二回目、矢野が初めての出撃だった。
俺も二度目ともなると、怖さや緊張感より「やってやる!」という気持ちの方が強く、また、戻って反省会で吊し上げられるのはごめんだった。それに、今回は、親友の新海もいるし、同期の矢野もいる。
そして、俺たち五人は、先の神武隊で出撃して硫黄島を目指したが、途中で作戦中止命令が出て戻ってきた仲間だった。
前回の出撃では、本来出撃するはずの二人が、訓練中の事故で出れなくなり、急遽、俺と新海が加わったのだ。
同期の矢野は、やはり十三期の土浦組で、俺たちと一緒に、土浦から大津島に来たときの仲間だった。
矢野にしてみても、同期の俺たちが加わったことで安堵し、五人のチームワークは、最高だった。
柿崎中尉は、兵学校の七十二期で、物事に動じることもなく、兵学校時代も下級生を殴ることは一切しなかったという。
それに、上官風を吹かすような人ではなく、俺たち十三期の下士官を喜んで迎えてくれた隊長だった。
最初の出撃は、俺にとっても慌ただしく、ゆっくり話もできなかったが、作戦中止命令が出て、みんなで引き返してからは、訓練も一緒だったし、休日も街に出て酒を酌み交わす関係になっていた。
気心も知れるようになり、この隊長と一緒なら、いつ死んでも悔いはない…とさえ思うようになっていた。
しかし、いざ、発進の命令が出ると、俺の心は平常ではいられなかった。
前回は、硫黄島作戦の中止命令を受けての帰還であり、敵を発見して出撃命令を受けるのは、今回が初めてだった。
隊長と園田少尉は、その前に一度出撃経験があり、そのときは、艇の故障で発進できなかったのだ。
特に隊長は、そのときの部下を三人出撃させていた。それは、指揮官として許されざる行為だ…と、酒の席で聞いたことがあった。
園田少尉も、一度は、艇の故障で出撃できなかった経験を持っていた。
二度目と言えども、俺や新海や矢野は、事実上の初出撃命令であり、想像はしていたが、実際となると、体が強ばるのがわかった。
隊長の柿崎中尉が、緊張を解そうと声をかけてくれるが、俺は、もうそれを聞く余裕もなかった。
きっと目つきも変わり、異常な興奮が俺たちを包んでいたに違いない。
いつものとおりやればいい…。
そんなことはわかっていたが、分かれば分かるほど、頭に血が上る。
ふと自分の手を見ると、指先が小刻みに震えているのがわかるくらいだった。
落ち着け、落ち着け…。
そう言い聞かせるものの、自分の意思とは裏腹に、体の震えは止まらなかった。それでも、準備を整えると同時に、精一杯の大声を出した。
「横田、準備整いました!」
顔を上げると、既に四人の隊員たちの姿が、そこにあった。
「大丈夫だ。横田。何も怖れるな…」
「新海、矢野、大丈夫だ。大丈夫だ…」
隊長の顔は、いつもと変わりなく、穏やかな笑顔を俺たちに見せてくれた。
園田少尉も俺たちに柔和な笑顔を見せて、
「いつもどおりにやれ!」
「世話になった。元気で行けよ…」
そう言うと、隊長と園田少尉は、潜水艦前方の搭乗口へと走って行った。
俺、新海、矢野の三人は、後方搭乗口へと駆け出した。
俺は、一番奥の搭乗口で、魚雷発射室の中にあった。
後ろから、新海と矢野の声が聞こえる。
「横田ぁ、行くぞぅ!」
「おう!」
それぞれが、搭乗口の手前で大声で別れを告げると、潜水艦の乗組員に敬礼し、「お世話になりました!」とだけ告げ、一目散に魚雷発射室に走り込んだ。
後方からも新海や矢野の別れの挨拶が聞こえていた。
俺も新海や矢野に負けてはいられない。
回天の整備員と交替するように、交通筒の垂直のラッタルをよじ登ると、飛び込むようにして回天三号基の操縦席に座った。
既に息は切れ、眼も回るが、そんなことを言っている場合ではない。
すぐにでも、発進準備に取りかからなければならないのだ。
回天の発進は、簡単ではない。
元々は、酸素魚雷を基盤にしているので、操縦席の設計が複雑になっていた。最初のころは、この手順を覚えるだけで必死で、回天の操縦どころではなかった。
回天の構造は複雑で、余程の訓練をしないと魚雷を自由に操ることなど不可能な代物だった。基本的に回天は、操縦桿ではなく、各種の「弁」を調節して動く機械だった。
だから、起動させるには、乗り込むと同時に、いくつもの弁を開け、起動準備をしなければならないのだ。それが十項目ほどの操作が必要であり、飛行機のように別れを惜しんでいる暇がない。
慌てないようにしているつもりでも、手元が狂えば、それだけで発進不能に陥ってしまうのだ。
俺たちは、ここに至るまで、大津島の訓練場で百回以上は、繰り返してきた操作なのだ。
本来は、眼を瞑ってもできる操作手順だったが、今回ばかりは、気持ちが昂揚し、もたもたしているように感じたが、指は間違いなく、その操作を的確に行っていた。
起動準備を終えると、急いで電話を取った。
「こちら、三号艇、準備よし!」
「発進、まだか?」
怒鳴るように電話機に向かって叫んだ。
電話は明瞭に聞こえる。
よし、電話は大丈夫だ…。後は、起動するかどうかだ…。
「待て、これから一号艇から順に出す…」
「横田、敵船団だ。護衛の駆逐艦を合わせて十隻はいる、心配するな!」
おそらく、副長だろう。
しばらく、受話器を耳に当てていると、電話機の奥から、
「一号艇、発進!」
次いで、
「二号艇、発進!」
と下令された。
ガタン!というバンドが外れる音がして、一号艇が発進して行くのが分かった。
柿崎隊長が、発進したのか…。
ところが、次の発進音が聞こえない。すると、
「二号艇故障。搭乗員は直ちに艦内に戻れ!」
との命令が聞こえた。
園田少尉は、きっと悔しいだろうな…と思ったが、次は、俺が行く!という気持ちが湧いてきた。
すると、電話口から声が聞こえた。
「三号艇、発進用意!」
俺の回天に発進命令が下ったのだ。
起動操作は既に完了している。後は、発進レバーを押すだけだ。
俺は、電話に向かって、
「三号艇、発進用意よし!」
すると、折田善二艦長の声で、
「三号艇、発進!」の命令が下された。
その命令を受けて、俺は、操縦席の後方にある起動レバーをグイッと圧した。
ブ、ブブブブブ…、ゴーッ!
「よし、熱走!」
すると、回天を固定してあるバンドで、ガタッ!と外される音が聞こえた。
俺は、最後の電話でひと言、怒鳴った。
「イ号四十七潜、万歳!」
そう言うと、発進レバーを押した。
ガコン!
という音を残して、回天が、潜水艦から離れていくのが分かった。
スクリューは、順調に回転している。
エンジンも好調のようだ。
「よし、行くぞ!」
もう、どこにも戻ることはできない。後は、敵艦にこの魚雷をぶつけることが、俺に科せられた任務なのだ。
既に、何十回もの襲撃訓練を行い、魚雷を的に当てる自信は十分にあった。
回天は、上向きの角度がつきすぎると、海面に飛び出しイルカ運動になりやすい。そうなれば、敵艦に発見され、隠密行動が取れなくなるのだ。
俺は、慎重に角度を修正し、発進前に指示されていた通りの海面近くまで到達した。
スルスルと、特眼鏡を上げると、左前方に輸送船二隻が見えた。
しかし、その脇に敵駆逐艦がいる。
一号艇が、既に襲撃を終えていれば、警戒は厳重な筈だ。
二号艇は、故障で出られないとしても、続く、四号艇、五号艇の発進はわからない。
新海や矢野は発進できたのだろうか…?
そんなことが一瞬頭を過ったが、彼らにも二度と会うことはないのだ。
だけど、新海には、できれば生きていて欲しい…と思った。
この戦争は、おそらく日本の負けだろう。だけど、あいつの頭脳は、これからの日本社会に必ず役立つはずなのだ。
死ぬのは、隊長や俺だけでいい。
新海、おまえは生きろ…!
回天を操縦しながら、俺は、そんなことを考えていた。
その間にも俺は、敵艦への襲撃計画を考えていた。
そして、特眼鏡で確認した大型輸送船に目標を定め、角度を修正した。
敵艦は、吃水線が思ったより深いので、荷物も満載にして輸送している途上なのだろう…。
それなら、深く侵入しても的に当たる。
距離、およそ三千。仰角十五度。
そう計算した俺は、特眼鏡を降ろすと、首にぶら下げたお守りを握りしめた。
これは、予科練に入る前に、母が、俺にくれた八幡様のお守りだった。
母は、
「いいかい豊。簡単に死ぬんじゃないよ…」
「たとえ出撃しても、何遍でも還ってくれば、いいんだからね…」
そう言って、渡してくれた物だった。
だけど、これで二度目の出撃になる俺は、もう、戻るつもりはなかった。
「母さん、今度は還れないよ。ごめんね…」
そう呟くと、敵輸送船をもう一度確認するために、特眼鏡を上げた。
「間違いない。このまま突っ込めば、轟沈できる!」
俺は、急いで特眼鏡をしまうと、目標に定めた大型輸送船に向かって全速力をかけた。
回天は、その母体が日本の酸素魚雷であり、濃縮された酸素を燃焼させて動力源としているため、魚雷の航跡は気泡が少ないために見づらいのだ。
しかし、このとき、敵の駆逐艦は、それを察知していた。
特眼鏡を下げたまま突進を続ける横田艇に向かって、砲撃を開始したのだ。
ドカーン! ドカーン!
と、連続の発砲音が回天の操縦席で俺は聞いた。
しまった、敵艦からの発砲だ。
もし、近距離に着弾すれば、回天はひとたまりもない。
そう思った俺は、再度、特眼鏡を上げて、状況を確認しようとすると、目前に敵駆逐艦の全貌が見えた。
だめだ! 見つかってしまった。
それに、このまま突っ込めば、駆逐艦にぶつかることになる。
駆逐艦は、この回天を潰そうと考えているんだ。
起爆装置は、前面中央にしかない。
要するに、魚雷をそのまま真っ直ぐ敵艦にぶつけなければ、爆発はしないのだ。少しでも角度が逸れれば、胴体を破壊され、それで終わる…。
輸送船は、駆逐艦からの連絡を受けたのか、回避行動に移っていた。
しまった…。
もう、こちらは、回避運動は不可能だ。
そう思った瞬間、俺は、目標のこの敵駆逐艦に定めた。
このまま、特眼鏡を上げたまま、正面からぶつかるしかない。
敵艦は、砲撃から機銃の射撃に移行し、新たに爆雷を落とし始めた。
近くに、爆雷が破裂する音が聞こえる。
ガンガンガン…と、機銃弾が当たっているのだろう。
回天が、右に左に揺れるのを感じていた。
もう、終わりだ…。
これ以上は、回天がもたない。
ここまでか…?
そう思い、自爆装置に手を伸ばそうとした瞬間だった。
先に突入した柿崎隊長の声が、耳に届いた。
「横田っ、そのまま左に舵をきれ!」
駆逐艦の砲撃は続いている。
鋼鉄の艇の外から爆発音が耳に響く。
このまま直進すれば、間違いなく俺の回天は破壊され、爆発するだろう。
まあ、それもいいか…と諦めた瞬間に、俺の頭とは裏腹に、左に舵をきり、敵駆逐艦との正面衝突を避けた。
すると、そこに、新たな敵駆逐艦が現れたのだ。
「これか、これを隊長は、教えてくれたんだ…」
「隊長、ありがとう…」
俺は、特眼鏡に眼をつけたまま、全速力で最後の攻撃をかけた。
「見えた!」
そう思った瞬間、横田艇は、駆逐艦の左舷前方に突っ込んだのだ。
スクリュー音が高音の金属音を奏で、その音がすべての世界を包んだ。
ゴーン!
その衝突の瞬間に、俺の意識は消えた。
ドガーン! ドガーン!
回天には、戦艦をも一発で轟沈させられる炸薬を搭載している特攻兵器だ。命中すれば、駆逐艦などひとたまりもない。

体当たりに成功した回天は、横田豊という、まだ二十歳になったばかりの青年を乗せたまま木っ葉微塵に吹き飛んだが、駆逐艦も左舷前部を滅茶苦茶に破壊され、そのまま静かに前のめりになって海の底に沈んでいった。
後方では、駆逐艦の乗員が慌てて海に飛び込んだが、艦長を含めた数十名の乗員は、脱出の機会のないまま、回天と共に、海底へと沈んで行ったのだった。
海には、駆逐艦が鳴らす危険を知らせるためのサイレンだけがいつまでも鳴り続けていた。
このとき、伊号四十七潜から発進された回天は二基だけだった。

第二章 土浦海軍航空隊

昭和十八年秋、俺、横田豊は、海軍甲種飛行予科練習生第十三期に合格し、海軍土浦海軍航空隊の門を潜った。
俺は、本当は、海軍兵学校に憧れていて、中学四年と五年のとき受験したが、二度とも最終試験で落とされ、受験票を持って帰るという屈辱を味わわされた。
周囲の教師や友人は、「浪人して、もう一度受けてみろ…」と薦めてくれたが、これ以上は待てない…と考えた俺は、甲種予科練を受けることにしたのだ。
なぜ、海軍兵学校や予科練なのか…と聞かれても返答のしようがない。
やっぱり、当時の流行に乗っていただけなのかも知れないが、当時の青年らしく、それが国に尽くす道だと考えていたのも事実だった。
だから、一日でも早く戦場に出て、国の役に立ちたい…と、そのときは真剣に考えていたのだ。
この予科練という制度は、昭和四年にできた少年飛行兵の養成制度だ。
それまでは、各科からの転科で、優秀で才能に秀でた兵隊を厳しく鍛えて飛行機の搭乗員にする「操縦練習生」という制度の中で搭乗員が養成されていた。
零戦の坂井三郎中尉や岩本徹三中尉、雷電の赤松貞明中尉などが、いわゆる「操練」の出身者たちである。
この人たちは、日中戦争時代から戦闘機に乗っており、その操縦技術は神業の域に達していたが、終戦まで生き残った搭乗員は少ない。
多くの搭乗員を養成できなかったのも、パイロット養成には莫大な予算が必要だったからである。
陸軍の歩兵のように、召集令状一枚で集められる兵隊と異なり、彼ら飛行機の搭乗員は、軍隊の中でもエリート集団だった。階級は、一般兵と同じではあったが、一人前のパイロットに仕上げるまでには、二年以上の時間がかかり、飛行時間も一千時間を超えるくらいにならないと、何でもこなせる搭乗員とは呼ばれなかった。
特に海軍は、航空母艦に離着艦する技術が必要であり、それに、目標のない太平洋にあっても、その位置を航空図で確認しながら飛行する「航法」技術の習得が不可欠であり、並の数学ができる程度では追いつかなかったのだ。
ベテラン搭乗員は、飛行機の機体構造やエンジン構造まで熟知しており、整備兵に助言する人間も多かったと聞く。
確かに、学歴は尋常小学校高等科卒程度ではあったが、もし、経済的に恵まれていれば、一流大学への進学は十分可能な頭脳を持ち、その上、空中感覚に優れ、体力も視力も人並み以上を誇っていた。
さらに、当時の飛行機は人力で操作する部分が多く、並の筋力では操縦桿を自由に操ることも難しかった。そのため、彼らの筋肉は、日頃の鍛錬によって鍛えられ、小柄ながらも、肉体は鋼のようであったという。
こうして、国力を傾けて一人前の搭乗員になると、中国大陸に派遣され、中国の航空機を相手に多くの実戦を踏み、撃墜数を重ねていったのだ。
有名な局地戦闘機「雷電」の赤松貞明中尉は、自称ながら撃墜数「三五〇機」というとんでもないスコアを記録している。
日本人は、よく「少数精鋭主義」という言葉を好んで使う。
要するに、金がないので優秀な人間だけでやれ!ということであって、けっして誇れるものではない。
この少数精鋭主義が、後の日米戦争で大きな問題になっていった。
そもそも日本海軍は、対米戦争なんかやりたくもなかったし、やる気もなかった。ただ、予算確保のために、陸軍がソ連を仮想敵国にするならと、海軍はアメリカを仮想敵国にしたまでのことなのだ。
陸軍は、実際に対ソ連戦に対する計画が練られ、第二次世界大戦が始まったとき、同盟国であるドイツは、日本にソ連と戦ってくれるように要請してきていたのだ。
それに比べて海軍は、アメリカ艦隊が日本に侵攻してくることを想定して艦隊を整備してきたが、それは飽くまで日露戦争の「日本海海戦」の再現でしかなく、広大な太平洋を戦場にした長期戦を行う用意もなにも持ってはいなかった。
結局、対米戦争も「短期決戦」を指向しながら、戦争初期に戦線を拡大してしまったために、自ら、長期消耗戦に陥ってしまっていたのだ。
こうして、元々戦争計画を持たない海軍は、じり貧に陥ることは目に見えていたのだが、真珠湾攻撃やマレー沖海戦の戦勝の興奮で冷静さを失っていたということになる。
そして、この貴重な精鋭たちを一年余りで消耗し尽くし、昭和十八年からは、日米パイロットの技術の差は、まさに逆転してしまったのだった。
俺たち甲種十三期は、まさにそのための補充要員であり、日本の航空部隊が完全に劣勢に陥ってから最前線に投入された世代でもあった。

俺は、周囲が止めるのも聞かず、海軍に志願したわけだから、どんなに訓練や生活が厳しくても、ひたすら耐えた。
甲種予科練と言っても、入隊した当初は一番下っ端の二等水兵である。
軍服こそは、水兵服ではなく、七つ釦のジャケットだったが、それは表向きの姿で、隊内では、常に事業服という固い木綿の作業衣を着て、教班長と呼ばれる下士官に追い回される毎日だった。
飛行兵に憧れて入隊した海軍だったが、予科練教程の一年は、飛行機に触るどころか、ひたすら海軍軍人になるための訓練の日々だった。
海軍の兵隊は、まず、カッターを上手に漕がなければならなかった。これは、飛行兵も同様である。
カッターは、「短艇」とも呼ばれ、十二名の予科練生が九mの艇(ボート)に乗り込み、四mを超えるオールで声を合わせて漕ぐのである。
短艇の座席は木の板が渡してあるだけなので、この長くて太いオールで漕ぐには、自分の体全体を後方に倒し、その反動で前に持ってくるという動作を繰り返すのだ。
息が合わなければ、オールが水を掴むタイミングがずれ、艇はうまく進まないか、一方方向へ舵を取られる。
これを直線的に進ませるには、十二人の呼吸が何よりも大切になるのだ。
こうした訓練をとおして、仲間意識や共助の精神を学ぶためか、「同期」と聞くと、兄弟以上の親近感が湧くのは、予科練でも海兵団でも、兵学校でも同じなのだ。
俺たちも最初の頃は、尻の皮が剝け、血が滲んで作業衣のズボンがみんな赤い染みをつけていた。
カッター訓練が終わり、陸上で点呼を取っていると、教員が、
「なんだ、貴様らのその尻は、全員、猿の真っ赤な尻になっとるぞ…」
と笑われたが、予科練生は、それどころではなく、尻はヒリヒリと痛むは、手の皮は向けて握力はなくなるは、体全体が筋肉痛で何日もズキズキするのだった。しかし、これがマスターできなければ、海軍の軍人とは言えなかった。
だから、同じ訓練を受けてきた教員たちには、共感する気持ちがあったのだろう。俺たちの真っ赤な尻を見て、バッターを振るう者はいなかったのだ。
そして、三ヶ月もすると、その破れた皮の部分にマメができた。
それを繰り返すうちに、硬い皮膚となった。だから、手を見れば、すぐに「海軍の兵隊」だと分かってしまうのだ。それに、毎日のように殴られているうちに、面も掌も、尻も頑丈になり顔つきも精悍になっていくのが分かる。
まあ、あれだけ歯を食いしばっていれば、顔の筋肉も鍛えられるというものだろう。
それに、予科練にも「海軍精神注入棒」なる懲罰の道具があった。
これは、下士官の教員が、「バッター」と称して、部下の兵隊の尻を叩く棒であり、海軍では、「罰直」と呼んでいた。
俺は要領もよく、覚えも悪くないので、優秀な予科練生であったが、親友の新海のように、頭はいいが、要領の悪い男は、連日のようにバッターの餌食になっていた。同じ班で、失敗があると、連帯責任が通例で、
「全員、食卓の前に整列!」
と、班長のダミ声が掛かり、
「貴様らの精神が弛んでおぅる!」
「気合いを入れ直してやるから、足を開き、手を前に出し、尻を突き出せぃ!」
そう命じられると、班員の十数名が同じ姿勢を取るのだ。
全員が尻を班長の前に突き出すと、そこから樫の木のバッターで、数発お見舞いされる。
その痛さは、脳天にまで突き刺すような痛みで、全員が苦悶の表情を浮かべる。どうも、教員は、それを無上の喜びとするらしい。
その罰直の理由は、何でもいい。
時間が遅いでも、服装がだらしないでも、挙げ句には、その顔が気に入らん…などと、単に、教員の気分次第で、難癖をつけられて、尻を叩かれるのだった。
あるとき、休日明けに、ある教員が機嫌が悪いので、仲間が探ってみると、どうも女に振られたらしい…という噂があり、その班は、猛烈なバッターをいつも以上に喰らったらしい。
この男は、俺たちといくつも変わらない乙種予科練出身の一等飛行兵曹で、そのうち、俺たち甲種組に階級が追い抜かされることがわかっているらしく、いつもイジイジと虐めるのである。
新海などは、
「だから、あんな男は、女にもてないんだべ…」
と、福島弁でばかにするので、みんなで大笑いしていた。
教員にもいろいろな男がいて、俺たち三十一班の教班長である山下五平上等兵曹は、既に妻帯しており、俺たちを可愛がってくれた。
たまの休みの日は、班長も寛いでいるらしく、自分の息子のことや志願したころのことなどを話してくれたり、倶楽部に饅頭を差し入れしてくれたりと、本当にいい人だった。
だけど、俺たちの卒業と一緒に艦隊に転属になり、南方で戦死してしまった。

話が少し横道に逸れたが、海軍の罰直は、陸軍以上だったかも知れない。
毎日の些細なことで、罰直があり、優しい山下教員も他の教員の手前もあり、俺たちも相当に叩かれた。
だけど、山下教員のバッターは、さほど痛くはなく、ダミ声なので声は大きいが、痛みはそれほどでもないのだ。
たまたま、山下教員が不在の時に、他班の教員に殴られたときは、本当に死ぬかと思った。
もし、本当に不祥事でも起こせば、班全員が、半殺しにされることは間違いない。
実際、他の班員の中で、盗みなどが露見し、教員が代わる代わるバッターを振り続け、腰骨を折られた上、免生になって自宅に送り帰らされた者もいたのだ。
俺たちにとって、憧れの海軍飛行兵の道ではあったが、人間扱いなど無縁な監獄のような場所が、海軍というところなのた。
それでも、俺は、それを甘んじて受けた。
俺は、仲間たちと愚痴を言い合うと、
「だが、どのみち俺たちは、戦場に駆り出される身だ…」
「それなら、陸軍でも同じだろう。招集されるのが少し後になるだけで、状況は変わらん」
「俺は、海軍の飛行兵になるために志願したんだ。諦めはしないさ…」
そう言って、仲間たちを励ますのだった。
しかし、その土浦での訓練も間もなく終了というときに、そんな俺たちの夢を打ち砕く事件が起きた。
それは、俺自身の運命を決める大きな出来事となった。

昭和十九年八月。
終戦になるちょうど一年前だった。
この日も朝から猛烈な暑さで、朝食の麦飯をかき込んだが、そのたびに汗が体全体から噴き出てくる。それに、夏の麦飯は、臭い。
海軍では、脚気予防のためにパン食や麦飯が昔から奨励されていた。
普通麦飯と言っても、白米七に麦が三くらいの割合なのだが、海軍は半分は麦が入っている。だから、炊き立てでも飯が黒い。
寒くなれば、それでも旨いと感じるが、さすがに真夏ともなれば、臭い麦飯に食欲は落ちる。それでも、「食わないと体がもたん…」と必死にかき込むが、味噌汁と一緒に流し込むという方が正しい。
その点、新海は違う。
福島の田舎では、ずっと麦飯だったらしく、いつも「うまい、うまい…」と飯をかき込むので、教班長の山下兵曹も、
「新海は、のんびり屋だが、飯はよう食うな…」
と言って笑うのだった。
うちの班の中で、新海は、いわゆる特異な存在で、みんなに愛されていた。
何が特異かと言うと…。
まず、話し方が東北訛りでスローモー。そして、動きも緩慢で、いつもモタモタしていた。ところが、こいつの頭脳は、驚くべき理解力と記憶力を備え、どんな試験でもほぼ満点の答案なのだ。
だから、分隊長から教班長まで、新海には一目置き、分隊長などは、改めて兵学校の受験を勧めたくらいだった。
それでも、新海は、
「いやあ、せっかく慣れましたから、ここに置いて下さい…」
と東北訛りで言うものだから、みんな呆れ顔をしていたが、それも愛される秘密だったのかも知れない。
ところがである。
俺たち甲種十三期生も土浦での訓練もあらかた修了し、次の「飛行練習生」課程へと進むことを心待ちにしていたときだった。
「さあ、いよいよ飛行機に乗って訓練ができるんだ…」
その思いは、土浦空十三期生二千名の正直な気持ちだった。
もう仲間の中では、
「俺は操縦がいいな…」とか、「俺は攻撃機だ…」
なんて、既に一人前の搭乗員になったつもりで、実戦機に乗れる日を心待ちにする少年のようにはしゃいでいた。
すると、その日の午前中の訓練に向けて準備をしているときだった。
「十三期生、総員直ちに講堂に集合せよ!」
隊内放送での呼び出しである。
何事か…と、俺は、すぐに自分の班員に声をかけて講堂へと急いだ。
予科練は、そんなときでも常に競争である。
他の分隊に負けてなるものか…とみんな廊下も階段も突っ走り、講堂に向かうのだ。
どこの班でも気持ちは同じらしく、俺も猛スピードで走ったが、一番に駆け込むことはできなかった。
広い講堂に到着すると、俺は、班員に番号を命じた。
「番号!」
「いち、にい、さん、しい、ご…」
素早く番号を復唱し、整列を終えると、教班長に報告するのだ。
いつものんびり屋の新海も、この日は遅れずに番号に参加していた。
俺が教班長の山下兵曹に報告すると、教班長は、分隊士に報告する。
分隊士は、予備学生出身の山本健一中尉である。
十三期練習生の集合は、おそらく十分とかからなかったに違いない。
それだけ、俺たち練習生も約一年の猛訓練によって、その動作も最初のころとは、格段の違いに成長していた。

俺が、班員の整列を終わらせ、心の中でフーッとため息を吐くと、滅多に会うことのない土浦航空隊の司令である渡辺雅人大佐が、今井副長と一緒に入ってくるではないか…。
十三期二千名は、身じろぎもせず、大佐の肩章をつけた司令の動きをじっと目で追っていた。
真夏だと言うのに、渡辺司令は、純白の第二種軍装に身を固めている。その軍服の白さは、光に反射してキラキラと輝いて見えた。
壇上に立った渡辺司令は、心なしか顔色が悪く見えた。ひょっとして、この暑さであまり眠れなかったのかも知れない。
俺たちと違って、五十過ぎの大佐では、この暑さはきついだろう…。
直立不動の中で、俺は、そんなことを考えていた。
すると、今井副長の号令がかかった。
「敬礼!」
「ただ今から、司令より重大なお話がある。しっかり聞くように!」
副長の顔にも緊張の影が見られた。
やはり、ただ事ではないのだ。
俺は、じっと渡辺司令を睨むように見詰めた。
渡辺司令は、静かに敬礼をすると、低い声ながらも長年海軍で鍛えた軍人らしく、重々しく語り始めた。
「みんな、暑い中、ご苦労である」
「間もなく、おまえたち十三期もここを出て飛行練習生課程に進むのではあるが、戦局は、その猶予すら与えない事態となっている」
俺は、その言葉に心臓がドキンと高鳴った。
その猶予すら与えない…?
どういうことなんだ?
すると、渡辺司令は言葉を続けた。
「今、大本営では、究極の必殺兵器が開発され、その実戦配備が進められておる」
「ただし、これは飛行機ではない。それだけは言っておく…」
そこで、呼吸を整えられたのか、少しの沈黙があった。そして、
「おまえたちの中で、この究極の必殺兵器に搭乗して、一刻も早く戦場に出たいという者があれば、申し出て貰いたい…」
「いいか、おまえたちはまだ若い。ここまで飛行機乗りを目指して頑張って来た者たちだ。命令はしない」
「よく考えて、希望する者は、各分隊長に申し出るように…」
「やはり、飛行機を志望する者は、無理をして新兵器に行く必要はない」
「志願者の中から、人選して追って知らせる」
「以上である!」
その言葉が終わると同時に、十三期生二千名は、一斉に不動の姿勢に戻り敬礼をするのだった。
しかし、頭の中は、「必殺の新兵器…?」でいっぱいだった。
今井副長の「解散!」命令が出ると、それぞれが銘々に次の作業に入っていったが、だれも無口で、何かを思案しているようだった。

その晩、巡検が終わると、隣のハンモックに寝ている佐藤仁が、俺に声をかけてきた。
「おい、横田…、少し外に涼みに行こうか…」
「ああ、そうだな…」
ハンモックから、そっと下りると、兵舎の外に出た。
すると、俺たちの気配を感じたのか、新海も出て来た。
外も、やはり暑くはあったが、霞ヶ浦からの風が入ってきており、中にいるよりは数段心地よかった。
そこには、あちらこちらに兵舎から抜け出してきた練習生が屯している姿があった。
この時間は、「煙草盆出せ!」という命令が出ており、いわゆる軍隊での休憩時間になっていた。
夜九時の巡検が終わると、そこから一時間は休憩時間である。
消灯はしているので、常夜灯の灯りしかないが、寝る者は寝て、起きてひそひそと雑談したり、成人している者には、煙草を吸うことが許されていたのだ。
甲種十三期の中には、二十歳前後で志願してくる者もいて、下は十七歳、上は二十一歳になる者もいた。
俺は中学校五年を卒業して入隊したが、新海や佐藤は、中学四年で入隊したので、俺より一つ学年は下である。そのためか、俺が一応先任を務めていた。
練習生になりたてのころは、「煙草盆出せ!」の命令で外に出ようものなら、教班長や教員から、
「何を娑婆っ気を出しておるか!」
と怒鳴られて、ハンモックに追い返されたが、この頃になると、そんなこともなくなり、教員たちも、野暮なことは言わなくなった。
それに、俺たちの教班長である山下上等兵曹は、軍艦扶桑の乗組員から土浦空に転属になった下士官だった。
自分で言うには、
「俺は、元々は尋常小学校の臨時教員でな…」
「夜学の中学校を出てから、そんなこともしておったが、師範出ではないから面白くなくてな…。それで、海軍を志願したというわけだ」
「でも、子供は可愛かったな…」
「先生、先生って、ついて回るし…。もし、戦争が終わったら、また、教員に戻るつもりだ…」
そんなことを話す気さくな班長だった。
だから、無闇に殴られたり、バッターを喰らうこともなかったが、やはり、弛んでいると、即座に罰直があった。それでも、他の班よりはかなり少なめで、他分隊の練習生からは、羨ましがられていた。
年齢は、二十代後半で、中国大陸で陸戦隊として戦った経験もあり、隊内では一目置かれた存在だった。
背中には、大きな銃創があり、実戦を経験した者の凄味があった。
そのためか、山下教班長が、じろりと睨むと、他の教員たちは、みんな何も言えなくなっていた。
軍隊は星の数という言葉があるが、やはり実戦を経験した兵隊には、士官も一目置いているのがわかった。
それでも、普段の教班長は、優しい男で、滅多に大声を出したりはしなかった。
最近では、俺たちの卒業が近いせいか、休日などには、倶楽部に差し入れをくれたり、「こっちにこい!」と言って兵舎脇の木陰に誘い、甘い菓子などもくれた。
時には、大事に持っている家族写真を見せて、若い奥さんのことや可愛い一人息子の自慢話などを聞かせてくれた。
そんな山下教班長も、この夜ばかりは憂鬱な顔を隠さなかった。

佐藤や新海と空を見上げても、夏の夜空で見える星は僅かだった。
「なあ、横田…。貴様はどうする?」
佐藤が聞いてきた。
みんな、それを聞きたがっているのはわかったが、話しづらい話題でもあった。
そして、俺は、二人の顔を見て、
「俺は、志願しようと思う…」
それは、俺の独り言に近かった。
「俺は、乗れない飛行機に乗るために飛練に行くより、その必殺兵器とやらに賭けてみようと思うんだ…」
「俺たちが飛行機に行ったところで、おそらくは敵機を墜とすところまではいくまい」
「実戦に出ても、敵機と遭遇すれば、たちまち火達磨にされてお仕舞いだ…」
「それじゃあ、何のために飛行機乗りを目指したのかわからん」
二人は、それを黙って聞いていた。
「俺たちは、少し、生まれて来るのが遅かったんだ…」
「だったら、その必殺という新兵器に賭けてみるのも悪くはない…」
二人は、しばらくの沈黙の後、佐藤が口を開いた。
「そうか…、やはり貴様は、そう考えていたか?」
佐藤は、
「俺も、そうしようかな…と思っていたところだよ…」
すると、新海が驚いたような顔をして、
「えっ、おまえたち志願するのか?」
「わかった。じゃあ、俺もする!」
「一人ぼっちは嫌だよ…」
俺は、井上と顔を見合わせ、
「何だ、新海は、何も考えてなかったのか?」
と、二人で呆れたが、新海もどうしていいかわからず、俺の考えを聞きたかったのだろう…。
こうして、俺の心が決まった。
「よし!新兵器だ。待ってろよ…」
それは、十九歳になったばかりの夏の夜のことだった。

翌日、俺は、志願届に「◎」と記し、その上、余白に「熱望」と書いた。
何人が採用されるかはわからないが、そのくらいの気持ちを見せないと採用されないと考えて提出したが、後で聞けば、みんな同じように書いていたらしい。
翌々日の早朝、兵舎の正面に「新兵器予定者」と書かれた紙が張り出された。
採用人数は、百名。二千名の練習生の中の百人である。
そこには、俺と新海の名があり、俺は、予科練の合格以上に嬉しかったが、一緒に熱望を書いた佐藤の名はなかった。
佐藤は、悔し涙を流していたが、俺は、
「何でも、ほとんどの練習生が志願したらしいぞ」
「先に行って待っているから、後から来いよ。きっと、すぐに新しい募集が来るさ…」
そう言って、佐藤の肩を叩いた。
俺が予想した通り、その三ヶ月後には再募集があり、佐藤仁は、第二陣として大津島の訓練基地に顔を見せることになる。

昭和十九年八月二十五日。
俺たち新型兵器搭乗員候補者百名は、他の残された予科練生の盛大な見送りを受けて、土浦航空隊の予科練課程を一足先に卒業した。
過ぎてみれば、この一年間の海軍生活は、非常に厳しいものだったが、こうして実戦部隊に配属されることになると、どの顔も、どの場所も懐かしく、もう少しいたい…と思うのはどうしたことだろうか。
そんな感傷が心を過ったが、すぐに、これからの生活が甘くないことを諭されることになるのだった。
俺たち百名は、東京駅に着くと、ここまで引率してきてくれた山本分隊士に告げられた。
「よいか。貴様らに特別に司令の思し召しで、ここで三日間の休暇を与えられる」
「集合は、八月二十九日、ここ東京駅丸の内口、〇八〇〇だ。いいか、絶対に遅れるな!」
「遅れれば、後発航期罪に問われ、新しい任務は取り消しになる…」
「渡辺司令は、今回、当局に掛け合って貴様らに休暇を与えてくれるように交渉されたと聞く」
「貴様らには、家族に会って、しっかり覚悟を決めて赴任するように…との言伝手である」
「いいな。当日は、俺がここで待っておる。一分でも遅れれば置いていくから、そのつもりでいるように!」
「以上、解散!」
そう言うと、山本中尉他二名の分隊士は、さっと敬礼をして去って行った。
その目は、厳しくはあったが、ふと優しげな微笑みを感じたのは、俺だけではあるまい。

俺たち百名は、この三日間の休暇を有効に活用すべく、その足で各自が自分の故郷に帰っていった。遠くの者は、三日間、東京見物をする者もいたし、仲間の実家に寄せて貰う者もいたようだった。
だれもが、もう、味わうことのできない娑婆の味だと思うと、嬉しさの反面、寂しい気持ちにもさせられた。
それでも、三日は三日である。
どうやって過ごそうかと、迷うことも久々に楽しいひとときになった。
しかし、俺たち百名は、自分たちが一年前に送られた故郷が、大きく様変わりしていることに驚かされることになるのだった。
新海は、どうしようか…と迷っていたが、俺たちに促されて実家のある福島の白河に帰って行った。
実家に帰ってみると、あちらこちらで出征した男たちが多く出ており、農作業が大童だったようだ。
新海の家でも、兄たちが会津連隊に入営しており、男手が足りず、新海が帰宅するなり、母親の民子が、
「なあんだ喜久夫、けえって来たんか?」
「ああ、ちょうどええ、そんな服着替えて、早う手伝え。おめえ一人でもいれば、助かるから…」
そんな調子で、土産を渡す暇もなく、休暇の二日間は、農作業だったそうだ。
それで、東京駅で会うと、黒い顔がさらに黒くなっており、
「まあ、母ちゃんに会えたから、それでいいとすべ…」
そんな話をしていた。
結局、新海は、「予科練を出て新しい任地に赴任する…」とだけ言い残して、挨拶もそこそこに家を出たと言っていた。
俺は、東京の世田谷だから、みんなと別れて、一時間ほどで家に着いた。
都会でも若い男たちは兵隊に行っており、老人、女子供が目立った。
勤労動員が始まっており、中学校や女学校の三年生以上は、軍需工場に出て、それ以外は、近隣の農村で農作業に出ているそうだ。
結局、俺も、そんな雰囲気の中でのんびりしているわけにもいかず、父親と一緒に防空壕の拡張のための穴掘りや母親の畑の作物の収穫、空襲に備えての備蓄など、やはり男手を当てにされて三日間を過ごし、やはり休暇が終わってしまった。
新海が言ったように、しんみりした雰囲気にはならず、
中学校の校長をしている父親の譲から、
「ところで、今回の休暇は、なんなんだ?」
と聞かれたので、
「予科練を卒えたので、新しい航空隊に行くんだ…。それで、休暇が出た」
とだけ告げた。
ややこしい話はそれだけで、後は、予科練時代の失敗談などを話して笑った三日間だった。
それでも、家を出る朝、母親の幸恵が、
「豊、いい、生きてね。簡単に死ぬもんじゃないよ…いいね」
そう言って、眼に涙をいっぱいに浮かべて俺の両手をぎゅっと握りしめてくれた。
本当は、話したいことがいっぱいあったのだろうが、それを言わずに笑顔で送り出してやろう…という親心が分かっただけでも、有り難かった。
俺たち百名は、それぞれが充実した休暇を過ごし、だれ一人遅れることなく、東京駅に集合し、新兵器の待つ山口県の大津島を目指すのだった。

第三章 大津島基地

大津島は、山口県徳山市(今の周南市)に属する徳山下松港の沖合い十kmのところに浮かぶ小さな離島である。ここに俺たちを待つ秘密基地があった。
一昼夜夜行列車に揺られ、徳山駅に着いたのは、翌日の昼近くになっていた。
東京駅で山下分隊士たちと別れ、俺が先任下士官として引率責任者となっていたのだった。
出発間際に、山下分隊士から、相応の金が入った袋を渡され、
「これは、おまえの裁量で遣っていい金だ。横田、おまえがこの隊に先任だからな、無事に大津島まで送り届けてくれ…」
「では、後は頼む…」
そう言って、ずっしりと重い袋を預かると、山下分隊士や、ついて来た士官、下士官たちも土浦に戻っていった。
向こうの隊に到着次第、連絡することにはなっていたが、士官のいない下士官だけの道中である。
俺は、早速、名簿の中から先任順に、十名の班長を指名した。
海軍では、どんな場合でも、指揮系統が乱れないようにハンモック・ナンバーと称される序列が決められているのだ。
今回の場合も、俺が名簿の一番に名前があり、それが何ページにもわたり百名分の名前があった。
そこで、俺は、二番を次席下士官とした。なんと、二番は、新海喜久夫である。そして、三番から十二番までを班長に指名し、一班から十班を編制したのだ。これは、予科練でも慣れたやり方で、こうすることによって、わずか十分で十班編制の移動隊ができた。
俺たちは、一年間の海軍生活で、海軍の粗方の要領は掴んでおり、班ができると、班長はすぐに次の序列の人間を班長補佐として班の統率を図った。
一般社会と違い、軍隊で命令は絶対である。
序列に基づき行われるため、「何でこいつなんだ?」などという不満はあり得ない。そのためのハンモック・ナンバーなのだ。
俺は、その名簿を見ていて、あることに気がついた。それは、今度の選抜は、甲種十三期土浦組の上位者で構成されているということだった。
よく見ると、各班の先任や次席だった者が多く、さすがに親一人子一人の家の者はいなかったが、上位者の中からうまく選んでいる…と感じたものだった。
やはり、分隊長辺りが考えたのだろうが、なかなか賢い編制だ…と俺も新海と話していた。
俺は、駅の外の広場で、全員を集めると、
「明日昼ごろには、到着する予定だが、列車なのでいっぺんに集まる機会はここしかない。我々は甲種十三期土浦組の名誉にかけても、他の十三期に負けないように頑張ろうじゃないか…」
「後は、各班の班長の指示に従ってもらう…」
「列車は、十三番ホームだ。出発時刻は、〇九一五」
「軍用切符は、各班長に渡す」
「以上だ!」
そして、俺が敬礼をすると、百人が一斉に敬礼を返した。
駅前なので、一般人が俺たちを珍しそうに眺めている。
百人の白い制服が敬礼する姿を見て、少しざわめきが起きたのを俺たちは密かに感じていた。
俺は、貰った金を等分に各班長に手渡し、
「まあ、必要があれば遣ってくれ。いちいち、俺の許可は不要だ」
「残額は、まとめて大津島から土浦に明細を付けて返すからな…」
「だから、班長は次席に命じて、記録を取っておいてくれ」
「では、切符を渡す」
こうして、俺は新海の補佐を受けて、無事に列車に乗り込んだ。
各班長は、列車の旅とはいえ、何が起きるかわからない。これまで、引率される方で、したことがない連中ばかりだったが、だれも不安な表情を浮かべる者はいなかった。
俺は新海に、
「さすがに、甲種十三期は、頭がいいらしい…」
そう言うと、新海が、
「そりゃそうだ…。みんな中学校の秀才だった連中だぞ。俺たちの競争倍率だって十倍じゃあきかなかったしな…」
と、事も無げに言うので、
「さすが、貴様は、頭はずば抜けているからな…」
とからかうと、
「まあ、頭だけはな…」
と満更でもないようだった。
本当に、新海という男は、座学は常に一番だった。
ただ、行動がスローモーで、運動も今いちだったことから、俺が土浦組の首席ということだったらしい。
俺も一応、「海軍兵学校は、間違いないだろう…」と言われてきた男で、体操選手としても、将来のオリンピック候補と目されたこともあった。それが、二回とも、最終の身体検査で落とされるのは合点がいかなかった。
昔、小さいころに肺炎を患ったことがあったので、それが原因かも知れなかったが、予科練では、波を被りながらカッターも漕いだし、一万m走にも上位入賞を果たした。水泳も得意で、霞が浦での遠泳も難なくこなした。冬場には、多少の咳は出たが、入室もなく病気とも無縁だったから、何が災いするかわからない。
だから、俺が先任に指名されても、だれもおかしいと言う者はいなかった。

博多行きの列車は、予定通りにホームに入り、俺たちは銘々に各車両に乗り込んだ。軍関係の指定席のほとんどは、俺たちで満席になったが、車両によっては、一般人と一緒になるところもあり、自然と挨拶を交わしながら、列車の旅を楽しむことになった。
各班では、その日の朝食、昼食、夕食。翌日の朝食と、車内で四回も飯を食うので、各班長は、その調達まで考えなければならなかった。しかし、停車駅では、必ず何軒もの弁当屋が出ていたので、弁当にありつけなかった者はいなかったようだ。
それでも、班長やその補佐は、貰った金の計算や記録などで忙しく、ゆっくり食べる時間がなかったと後で零していたが、それでも、話す様子は楽しげだった。やはり、上官がいない、同期生だけの旅は格別だった。
そして、約一年後、この百名の中で生き残った者は、半分もいなかったのである。

大津島に着いた俺たちは、早速、秘密基地へと案内された。
俺が着任の申告をすると、草色の三種軍装に大尉の襟章をつけた男が、俺たちを睨み付けた。
「俺は、この基地搭乗員の先任将校である樋口だ」
「いいか、貴様らの命は、俺が貰った。もし、今ここで原隊に帰りたいと言う者があれば、直ちに申告せよ。遠慮は要らんぞ…」
「ただし、これからの秘密兵器を見た者は、もう原隊には戻れん。その覚悟をせよ!」
「帰りたい者はいるか?」
そう言われて、はいそうですか…と手を挙げる者はいるはずがない。それを覚悟して、ここに来た百名である。
みんなが無言でいると、樋口大尉は、
「貴様らの覚悟はわかった。よし、ついて来い!」
そう言うなり、荷物を抱えたまま、大きな格納庫へと入っていった。
そこでは、何人もの事業服を着た整備兵が、大型の魚雷の整備をしているではないか。
俺たちは、眼をキョロキョロさせながら、その格納庫内にあるでかい魚雷に釘付けになった。
「よし、止まれ!」
俺たちが整列すると、その目の前にあったのは、その大型魚雷だったが、なぜか中央に潜望鏡のような物が見えた。
その瞬間、俺は、背筋が凍り付くような悪寒を覚えたのだ。それは、身震いというか、「えっ?」という衝撃だった。
隣にいる新海も、瞳孔が開いたようになっており、口をポカンと開けている。
すると、樋口大尉が、
「ようし、わかったか?」
「これが、おまえたちが搭乗する新兵器だ!」
「名は回天!」
「戦局を挽回する必殺必中の特攻兵器だ!」
「しかし、この回天は、操縦が難しい。易々と乗れると思うな」
「これから、貴様ら予科練出の下士官が搭乗員の主力となる」
「貴様らは、甲種十三期だそうだな。これから、徹底的に鍛えてやるから、楽しみにしておけ」
「いいか、ここは練習航空隊じゃない。実戦部隊だ。油断は、即、死につながる。心してかかれよ…」
そう言うと、
「先任は、貴様か?」
と問われたので、
「はい、横田二飛曹です」
「よし、後で、兵舎の分隊長室まで来い。いいな!」
そう言うと、敬礼をして、さっさと兵舎に戻っていった。
その後は、自由見学になり、みんなで整備員から回天の大まかな情報を聞き取ることができた。

兵舎に案内されて、荷物を置くと、俺は、急いで分隊長室に向かった。
そこには、多くの士官がおり、いちいち敬礼しなければならず、まごまごしていると、長髪の士官が、俺に声をかけた。
「おい、貴様、予科練か?」
そう聞くので、その場で不動の姿勢を取り、
「はい。甲種十三期、横田豊二飛曹であります」
と答えると、その士官は、
「そうか。俺は仁科関夫中尉だ…。貴様らが来るのを楽しみにしておった」
「まあ、分からないことがあれば、何でも聞け」
「俺に出来ることは、協力する…。よろしくな…」
そう言うと、手を上げると、そのまま去って行った。
俺は、仁科中尉か…?と思いながら、分隊長室を訪ねた。

樋口大尉は、弟が予科練だったらしく、それを俺に聞きたかったらしい。
「まあ、そこに座れ…」
そう言うと、椅子を出してくれたので、座ったまま話をした。
樋口大尉の弟とは、二千人もいたので直接の面識はなかったが、確か、剣道大会で優勝した同期に、樋口勲という練習生がいたことを思い出した。
そこで、
「はい、面識はありませんが、樋口練習生なら、剣道の強い者がおりました」 そう言うと、
「ああ、それそれ。それが、俺の弟だ」
「あいつは、子供のころから気が強くてな…。剣道の稽古をしても、俺に飽きるまでぶつかってくるんだ」
「で、回天隊には来るのか?」
そう聞かれたので、名簿の名前を思い出し、
「いえ。今回は、入っておりません。次回以降は私もわかりません」
「ただ、あのとき、土浦の練習生は全員が志願したと聞いております」
樋口大尉は、そんな俺の言葉を黙って聞く、うんうんと頷いていた。
すると、すくっと立ち上がった大尉は、
「すまんな。私用で呼んでしまった…。許してくれ」
そう言うと、大きな包みを俺に渡すのだった。
「ああ、これは、貴様らの着任祝いだ」
「貴様らが来ると知ってから、集めておいた菓子類だ。みんなで食ってくれ…」
「それからなあ、ここは実戦部隊だ。練習航空隊じゃない。訓練でみんなかなり消耗するはずだから、先任の貴様が気を遣ってやってくれ…」
「困ったことは、何でも相談に乗る。いいな…」
そう言うと、さっきとは違う優しげな顔を見せた。
俺は、また、不動の姿勢を取り、敬礼をすると、大きな包みを抱えて分隊長室を後にした。
樋口大尉も、さっきの仁科中尉も、意外といい人たちで、俺は少しほっとしていた。
そして、この二人は、回天特別攻撃隊の第一陣として出撃し、還っては来なかった。

ところで、俺たちが乗る新型兵器が、回天であることがわかったが、まさか「人間魚雷」だとは、思わなかった。戦局は、ここまで追い詰められているのかがわかるような気がした。
「回天」は、全長が約十五m、直径一m、射程距離二万m、乗員一名、炸薬TNT火薬一.六トン、潜航深度八〇mの大型魚雷で、日本海軍が誇る酸素魚雷に人間が乗り込めるように改造した特攻兵器だった。
回天は、特殊潜行艇要員だった黒木博大尉と仁科関夫中尉が考案した兵器だった。日本の特殊潜航艇は、「甲標的」と呼ばれ、真珠湾攻撃時に五隻が投入されたが、一隻も帰還することはなかった。
戦果もはっきりと分からなかったが、国内では「戦艦アリゾナ撃沈!」という新聞記事が踊り、大騒ぎになっていたが、どうも怪しい…という噂があった。
ただ、政府の戦意高揚のために、この搭乗員で戦死認定された九名が「軍神」として扱われたために、引き続き、搭乗員の養成が行われていたが、既に戦局は、小型潜水艇などを使用する目処もつかなくなっていたのだ。
大東亜戦争の初期には、真珠湾の他に、オーストラリアのシドニー港やマダガスカルのディエゴ・スアレス港を攻撃したが、戦果は不明だった。
それに、敵艦隊の泊地を攻撃するには、敵の防御体制が進んだために、かなり難しいという判断があった。しかし、黒木大尉や仁科中尉は、格納庫に使用されずに山積みされた酸素魚雷を有効に活用できないか…と考え、特攻兵器である「回天」を思いついたわけである。
海軍省も、数度に及ぶ意見具申を無視できず、これを採用することになった。それに、海軍省や軍令部では、既に「特攻」について計画していた節があり、時期が重なったために、採用になったらしい。
そして、搭乗員の養成に当たっては、優秀な下士官として使える甲種予科練に白羽の矢を立てたのだった。
もし、回天が有効な攻撃兵器になれば、脆弱な航空機に替わる決戦兵器として使用することができるという淡い期待もあったようだ。
回天は、その母艦として大型の潜水艦を使用することになったが、潜水艦乗りたちにしてみれば、通常の魚雷攻撃で十分だと考えていたこともあり、制限の多い回天の搭載には難色を示した。しかし、海軍省からの命令でやむなく引き受けた経緯があり、その効果には懐疑的だった。
結局、海軍省や軍令部は、戦局挽回の方策が立てられず、特攻作戦のみが最後の望みだったのである。
特にこの「回天案」は、若い将校たちから出されたもので、上からの命令ではない。現場の将兵たちからの熱い思いに応えたという形が取れるのであれば、上層部としては有り難い話でもあったのだ。
しかし、潜水艦部隊が憂慮したように、回天は、思うような兵器にはなり得なかった。
その大きな問題点として、元々人が操縦して操作するような設計でなかった魚雷に新しく操縦席を設けることは、そんなに簡単なことではなかったのだ。
飛行機なら、操縦桿と足下のペダルの操作、そして、スロットルレバーで飛行は可能であったが、回天はそうはいかなかった。
発射管を使わないで魚雷を正常に走らせるためには、水中でエンジンをかけることになる。
通常の魚雷でも、何本かに一本は、エンジンがかからず、投機する魚雷が出るくらい、酸素を燃焼させる構造は複雑だった。
これに人間が乗れば、発射後では間に合わない。
それに、魚雷の舵を人間の手によって操作するのだが、そもそも魚雷は直進しかできない。それを上下左右に動かすには、操縦席と舵を連結し、操作しなければならないが、視界が確保できる空中と違い、海底では、視界が確保できないという難点があった。
視界を得るためには、海面近くまで浮上し、小さな特眼鏡で覗くしかないのだが、潜水艦の大型潜望鏡と違い、特眼鏡では、視界の範囲が狭すぎて、敵の全貌を把握できないのだ。
その上、構造上の問題で、飛行機のような操縦桿もペダルも付けられなかった。
あるのは、舵を動かすためのいくつもの「弁」である。
回天は、その弁を人の手で開け閉めして操作するのだが、その調整が難しく、相当の訓練を積まなければ実戦には役に立たない代物だったのだ。
当初、黒木大尉も仁科中尉も、もっと簡単に飛行機の操縦のような要領で動かすことを考えていたが、実際に出来上がった回天を見ると、想像とはあまりにも違うことに驚いた。
それでも、回天部隊が誕生した以上、戦果を挙げるしかなかったのだ。
そして、その訓練中に黒木大尉は、回天の故障によって、訓練中に殉職してしまった。
それほど難しい操縦の回天を、俺たち予科練出の若い下士官に託されたのだった。
実際、訓練が始まると、先に訓練に取りかかっていた予備学生や兵学校出の士官にも殉職者が出ていた。そして、それは終戦のその日まで途切れることはなかった。
それに、回天の初期には、訓練用の機材も少なく、なかなか海で訓練を行うことが出来ずにいたのだ。
もし、もっと早く実戦に投入されていれば、アメリカ海軍の防備も手薄だったため、かなりの戦果が期待できたが、空からの特攻作戦が始まると、敵の防御体制は充実し、回天は、投入当初から旧式になってしまったのである。

俺たちは、ひと月ほど座学で回天の構造や操縦方法を学ぶと、いよいよ実戦訓練に入ることになった。
新海は、覚えがいいためか、意外と早く要領を飲み込み、他の隊員たちに教えるくらいになっていた。
俺が、木造の模擬魚雷で操縦訓練をしていると、脇から見ていた新海に、
「おい、横田。そこの弁の扱いが雑だな…。それじゃあ、ちゃんと浮上しないぞ!」とか、
「そんなに弁を開くと、頭が下がって海底に突っ込むぞ!」
などと、言ってくるので、まあ、有り難いが、少しうるさかった。そこで、
「おい、新海。気が散るから、黙ってろ!」
と言おうものなら、
「なにおっ! 駄目なものは駄目なんだよ!」
「教官の石川技術中尉に言われただろう。回天はデリケートな兵器だって…」
新海は、俺たちにとって非常に厳しい鬼教官になっていた。
「ああ、わかったよ…」
俺は、渋々ながらも新海教官?…の指導を受けながら眼を瞑っても出来るまで、練習を繰り返した。その甲斐あってか、座学の講習を新海に続いて終わらせると、実物の回天に搭乗しての訓練が始まった。

「横田二飛曹、搭乗します!」
元気に大声で申告し、台車に乗せられた回天の上部ハッチを開けて中に入る。
実戦では、潜水艦と回天をつなぐ交通筒から入るので、下のハッチから中に入ることになる。
それでも、操縦席は薄暗く、裸電球がひとつ点いているようなものだった。
中に入ると、外からの合図は、金槌でトントンと叩いて合図を送るしか方法がない。
本来なら、中と外とで無線連絡ができればいいのだが、急拵えで改造された回天にそんな装備はなかった。
上層部は、本気でこれを決戦兵器にしようとしたのか…疑わしい限りである。それでも、俺たちは、訓練によって弱点を補わなくてはならないのだ。
中に入り、海図を取り出すと、今日の訓練コースを確認するのが、最初の仕事だった。
俺は、念入りに海図を見た。そして、往復約一時間のコースを頭に入れた。
この間に、回天は台車のまま海に運ばれ、外からの合図で発進するのだ。
訓練では、回天の動きを見守る追躡艇が、四、五人の隊員を乗せて見守ることになっていた。この日は、俺が最初で、次が古川。午後から新海が乗ることになっていた。
そのため、新海は、追躡艇で俺の艇を追う役を務めることになっていた。

俺は、じっと回天が海の中に入るのを待っていた。
回天の直径は約一mである。その中に、操縦席を作ってあるが、それは座敷の上にちょこんと座っているようなものだった。
眼の前には、特眼鏡があり、円形の長い筒の下に、両手で掴む把柄が付いている。これを開いたり閉じたりすることで、特眼鏡を上下させるのだ。
それ以外は、左右に多くの操作弁があり、これを座学で頭に叩き込んできたのだ。だから、初めての搭乗訓練でも、まごつくことはなかった。
すると、外からコンコンという金槌で叩く音が聞こえた。
さて、いよいよ発進である。
俺は、頭でもう一度手順をおさらいすると、手際よく操作を始めた。
「発進用意よし!」
艇内でそう叫ぶと、今度は、こちらから金槌で回天の内壁を叩き、外に合図を送った。これで、いよいよ発進だ。
俺は、後ろにある発進用のレバーをグンと押すと、エンジンがかかり、スクリューが回転し始めたことがわかった。
それは、ブブブブ…、ゴー…という内燃機関が燃える音がするので、熱走だということが分かるのだ。
「よし、熱走!」
そう叫んで、発進レバーを倒した。すると、回天は台車から離れ、スルスルと海の中を進み始めるではないか。
「よし、この調子だ。それでいい…」
もし、冷走なら、回天はレバーを倒してもスクリューが空回りして動かない。だから、回天は、熱走を確かめてからではないと発進はできなかった。
俺は、予定のコースを忠実に進もうと、海図を見ながら、ストップウォッチで時間を計りながら予定コースを進んでいった。
ところが、十分も走ったころ、思いがけないことが起きた。
急に、回天が大きく揺れたのである。
前部を振られ、それが上下に揺さぶられた。
俺は、
「あっ、外海に出たんだ…」
ということに気づいたが、外海の経験がないために、その揺れを計算に入れることができなかった。
その後は、もう、どこを走っているのかさえ分からず、確認するために深度を上げ、特眼鏡を海面に出した。そして、四方をくまなく見たが、目標と定められた小島が見えて来ないのだ。
おかしい…? 俺は、今、どこを走っているんだ?
そう思い、もう一度左に旋回しようとしたとき、外部からボン、ボン…という音が聞こえた。
これは、「浮上して停止せよ!」という信号弾だった。
俺は、仕方なく、そのまま浮上し、浮上航行に切り替え、停止した。
上部ハッチを開けると、外から新鮮な空気が艇内に流れ込み、旨い空気を吸い込んだが、それより、今、自分がどこにいるのか分からず、キョロキョロと周囲を見渡すと、まるで見当違いのところにいることに気づいた。
遅れて追躡艇が側に近づき、指揮官の酒井中尉から大声で怒鳴られた。
「貴様ぁ、どこを走っとるかぁ!」
「海図を見ろ!」
「貴様は、真逆を走っておるんだぞ!」
酒井中尉の顔は朱に染まり、本当に赤鬼のような顔で、怒鳴っているのが聞こえた。
こりゃあ、夜は、また殴られるなあ…と思ったが、心のどこかで、納得はしていた。
「まあ、最初は、こういうこともあるさ…」
それでも追躡艇に引っ張られて大津島の港に帰るのは、かなり恥ずかしかった。
陸上に上がると、また、「馬鹿者!」と一発殴られた。
それでも、若い予備学生の久家少尉は、
「いやいや、最初はだれしもが、あんなもんだよ…」
「それにしても、最初の二十分くらいは、素晴らしいとみんな褒めていたぞ」と言ってくれたので、少し安心することができた。
この久家少尉は、この後、とんでもない大胆な行動を取ることになるのだが、それは、後で話したい。
こうして初回の実戦訓練は失敗に終わった。
後の二人も大なり小なりで、俺たちを陰で指導してくれた新海も、外海に出た途端にがぶられてイルカ運動になってしまい、信号弾で中止になっていた。
こうして、甲種十三期の訓練の初日を終えたのだった。
もちろん、夜の反省会では、兵学校出の士官たちにボロクソに言われたが、最後に、会議に同席していた潜水艦長の折田善二少佐が、
「いや、回天は操縦が難しい兵器だ。そもそも、魚雷に人間が乗って操縦するということが、私には無謀のように見える。やれ…と言うからやるが、そんな簡単に魚雷を当てられるのなら、我々も苦労などしない!」
と、回天隊を批判するかのような言い方で、士官たちを睨み付けて、会はお開きになった。
折田艦長は、戻ろうとする俺たち三人を捉まえて、
「今日は、いいものを見せて貰ったよ…」
「それにしても若いな…。横田兵曹、君はいくつだね?」
と尋ねるので、
「はい。十九であります!」
と答えると、
「そうか…、十九か…? いつか、本官と一緒に出撃しような」
そう言って、きちんとした敬礼をして去って行った。
俺たち三人は、今日の失敗のことなど忘れて、目頭がジーンと熱くなった。
この折田少佐とは、その後、再会することになるのだった。

そんな訓練が続き、少しずつ技量が向上してきた十一月八日、回天特別攻撃隊菊水隊の初出撃の日も迎えることになった。
編制は大型潜水艦三隻に十二基の回天を搭載して出撃した。
本来なら、もっと早く回天が生産され、半年前には初出撃があってもおかしくなかったが、艇の故障や修理、不具合が続出して、遅れに遅れていたのだ。
既に空の神風特別攻撃隊は、十月二十五日に出撃し、大戦果を挙げていた。
本当なら、海の特攻の方が先だった筈なのに、空に遅れを取ったことで、急遽出撃が決まったと言われている。
仁科中尉は、同じ発案者であり殉職した黒木大尉の遺骨の入った白木の箱を首に提げ、軍刀を抜いて去って行った。まだ、二十一歳であった。
仁科関夫中尉たちの出撃を境にして、大津島から次々と回天特別攻撃隊が出撃して行った。その中には、俺たちの同期生も多く含まれていたのである。
十二月には、金剛隊が六隻の潜水艦に二十四基の回天を乗せて出撃した。
しかし、還らない出撃を見送るほど辛いことはない。
壮行会の合間を縫うようにして訓練を行ってきたが、昨日、一緒に飯を食った仲間が今日にはいないのだ。それに、潜水艦そのものが還らないことをあった。
俺たちは、
「あいつら、無事に発進できたのかな?」
などと心配したが、戻って来ない以上、詮索は無用だった。
そして、年が明けると、いよいよ俺たちの出撃である。
もう、回天の襲撃訓練も熟練の域に達し、大きなヘマをすることもなくなった。後は、出撃命令を待つのみである。

第四章 出撃

昭和二十年の正月が明け、戦争も最終局面を迎えるかのような緊張感が漂ってきた。
回天隊にも、後輩の十三期の予科練が続々と入隊し、あの佐藤仁も顔を見せた。
「おい、横田、新海。俺も来たぞ!」
そう言うなり、俺たちの兵舎に飛び込んで来た。
彼らは、飛行練習生として各航空隊で訓練に励んでいたが、なかなか実用機の訓練が始まらず、そのうち、この回天隊への転属希望が募られたのだった。
佐藤は、飛行機に乗れないならと、再度「熱望」して、回天隊に転属になった。
それに、飛行機では、神風特別攻撃隊が盛んに出撃しており、連日、新聞紙上を賑わせていた。同じ特攻隊なら、もっと早く行けるだろう…「回天」隊を選んだとのことだった。
俺と新海は、新しく来た数人を入れて、歓迎会を開いた。
歓迎会と言っても、兵舎の食堂でささやかに持ち込んだ缶詰やスルメなどを食うだけのことだが、俺たちも大人ぶって、ビールを調達して酒盛りをするのだった。
このころになると、次の出撃が間近だった俺たちに気兼ねして、士官たちもうるさいことは言わなくなっていた。
俺や新海は、髪も坊主にせず、少し無造作に伸ばしていたが、これは、仁科関夫中尉の真似だった。仁科中尉は、「俺は、願をかけている…」と言って、髪を長髪にしていたのだ。
海軍兵学校出の将校であり、回天の発案者であったことから、だれも、そんな仁科中尉に意見ができる者もおらず、寡黙な仁科中尉が作業をしていると、周囲の者たちには、何かしらの緊張感が漂った。
ただ、俺には、
「おい、横田。貴様は、筋がいい…」
「だけどな、簡単に死に急ぐなよ」
「たった一回きりの発進だ。慎重にいかんとな…」
そう言っては、回天の操作方法や襲撃方法を教えてくれた。
それは、大津島に着いたとき、分隊長室の前で声をかけられたこともあったが。たまたま、懇親会の夜に、俺が甲種十三期の先任だったこともあり、仁科中尉が側に来てくれたことがある。いろいろと聞かれた中で、
「親父が、中学校の校長であります…」
と言ったところ、
「なあんだ、貴様も教員の息子か? 俺の親父も中学校の校長だ…」
そう言って、意気投合し、それからもよく声をかけて貰っていた。
だから、仁科中尉の戦死後は、俺も真似をしようと思って、髪を切るのを止めた。
とは言っても、しょせんは下士官。長髪にはできないが、無造作に挟みで苅り、略帽の端から髪が飛び出す程度だったが、後から来た佐藤たちから見れば、いっぱしの回天乗りの風情があり、
「なんか、先を越されたなあ…」
などと、ぼやいていたそうだ。事実、佐藤たち後発組が座学で眼を白黒させていたころ、俺たち先発組は、海に出て襲撃訓練をしていたのだから、そう思っても無理はない。
俺たちは、髭も碌に剃らず放ってあるので、見た目は、汚い兵隊だが、それが周囲には威圧感となり、若い士官たちも俺たちには逃げ腰だった。
俺なんかは、若い士官たちから、
「おい、あの男には気をつけろ。仁科少佐の子分だ。それに予科練の先任だから、あいつの後ろには百人の子分がいるらしいぞ…」
などと怖れられていたようだ。
実際は、そんなことはないが、出撃待機組と目された俺たちは、すこし粋がっていたのかも知れない。それでも、回天の操縦にかけては、下士官一を自負するまでになっていた。
分隊長には、何度も出撃を求めたが、
「待ってろ! 貴様は、大事な場面で使う予定なんだ…」
と言うばかりで、同期が次々と出撃していくのを見るのが辛かった。

そうしているうちに、いきなり、俺と新海に出撃命令が下された。
特に出撃命令が出ないので、のんびりとした気分で訓練に励んでいると、夕方になって分隊士が俺たちの兵舎に飛び込んで来たのだ。
「おい、横田、新海、明日出撃だ。用意して本部に向かえ!」
「…明日ですか?」
俺たちは、慌てて分隊士に問いただすと、
「ああ、神武隊に二人欠員が出た!」
「その補充だ!」
「すぐに、行ってくれ!」
まさか、もう少し時間にゆとりが欲しかったが、そうも言っておられず、走って本部に向かうと、そこには、既に準備をしている二人の士官と同期の矢野がいるではないか。
慌てて、服装を直し、隊長に敬礼をすると、
「やあ、すまんな、君が横田兵曹で、こちらが新海兵曹か?」
「実は、明日の出撃だと言うのに、今日の訓練で回天に同乗訓練していた二人が、艇内の有毒ガスを吸って、一週間の入院になってしまったんだ…」
「済まないが、一緒に行ってくれるか?」
隊長の中尉に、頭を下げられて否も応もない。
「はい。喜んでお供いたします!」
俺たちは、そう言うと、海軍式の敬礼で返した。
すると、隊長は、
「ああ、よかった。断られたら、洒落にもならんからな…」
そう言うと、
「みんな、腰を下ろしてくれよ…」
そう言って、ダルマストーブの周りに椅子を持ってきて腰を下ろすのだった。
「そういやあ、自己紹介をせんとな…」
「俺は、兵学校七十二期の柿崎穣だ。よろしくな…」
すると、隣の長身の中尉が、
「私は、予備学生出身の園田二郎です」
そう言うと、柿崎中尉が、
「園田中尉は、東京帝国大学法学部出身の人なんだよ。頭は、兵学校ビリの俺なんかよりずっといいんだ…」
そう言われて、園田中尉は、「隊長…」と言って頭を掻くのだ。
俺にしてみれば、こんな気さくな上官に会ったことがなかったので、返事をするのに困ってしまった。
もう一人は、同期の矢野徹だった。
矢野は、土浦での分隊が違うので、あまり話したことはなかったが、確か、一緒に鉄棒をしたことがあったことを思い出した。
すると、矢野が、
「久しぶりです先任…。それに頭脳トップの新海」
それを聞いた柿崎中尉が、
「おっ、何だ、そりゃ…?」
すると、矢野が説明をした。
「はい。この横田は、我々が大津島に来るときの先任で、引率の責任者だったんです」
「そして、その次席が新海で、新海は、頭だけでいえば、甲種十三期土浦組の一番だった男です…」
「因みに私は、可もなく不可もなく、あまり目立たない練習生でした。それに、横田には、鉄棒を教えて貰いました。彼は、体操のオリンピック候補選手なんですよ…」
そんなことを言うものだから、俺たちは恐縮してしまったが、柿崎隊長は、俺のことを知っていたらしく、
「いやあ、実は、横田のことは、あの仁科中尉から聞いていたんだ。仁科中尉は、海兵の一期上で、俺が三号生徒のとき、同じ分隊の二号生徒で顔見知りだったんだ…」
「ここに来て、しばらくして顔を合わせると、おい、柿崎。予科練出の下士官に横田って面白い男がいるぞ…って」
「それに、仁科中尉は、予備学生にも下士官にも、頭のいい奴はいる。いくら上官だからと言って、威張るだけが能じゃない。いいところを上手く引き出してこその指揮官だと思うよ…」
「そんなことを言っていたんで、覚えていたのさ…」
「悪いが、それで指名させて貰ったよ」
「済まんな…」
俺は、そんなふうに言われるとは、思ってもみなかったので本当に嬉しかった。そして、
「よし、初出撃が、この隊でよかった…」
と、すぐに打ち解けることができたのだった。
実は、回天特攻は、意外とこのチームワークみたいなものが、大きく志気に影響するのだ。
気心が知れた仲間と出撃するのと、見ず知らずの間柄で出るのでは、心の持ちようが違う。
潜水艦内は狭く、作戦行動は長期に渡る。それに、慢性的に酸素不足が続くし、食糧も缶詰ばかりになる。閉所恐怖症の者には務まらないし、ストレスも溜まる。しかし、気心の知れた仲間がいれば、お互いに励まし合いながら時を過ごすことができるのだ。
結果はわからないが、それが、突撃のときの心に大きく作用するような気がしていた。それが、このチームは、最初に会った数分間で、昔から馴染みのある旧友のような気がしてならなかった。
「この仲間となら、俺は、思いっきり突っ込める…」
そう思うと、心の緊張がほぐれるのがわかった。
兵舎に戻ると、急いで遺書を書き、身辺の整理を始めた。
そこに、あの佐藤がやってきたので、
「おい、佐藤。俺が戦死したら、荷物は家に送ってくれ…」
「大した物はないが、まあ、遺品ぐらいにはなるだろう」
そう言って、佐藤と握手を交わしたが、その佐藤も、終戦間際の多聞隊で出撃して還らなかった。

翌朝、大津島基地の盛大な見送りを受けて、菅昌徹明少佐が指揮する伊号三十六潜水艦に乗艦した。昭和二十年三月一日のことである。
目標は、硫黄島付近の洋上攻撃だ。
しかし、出撃して五日もすると、母艦は大津島に戻ることになった。
何でも、硫黄島付近の敵艦隊は、数百隻に上り、潜水艦が入り込む隙がないとのことで、作戦中止命令が出されたのである。
菅昌艦長は、柿崎中尉に、
「柿崎、本当に申し訳ない。今のままで突っ込んでも、回天を発進させる前に母艦が撃沈される可能性が高いということなんだ…」
「それに、航空部隊の特攻が始まっており、硫黄島は、航空部隊に任せるそうだ…」
「一旦、基地に戻って再度出撃を待つ! いいな…」
そう言われると、隊長も引き下がるしかなかった。
俺たちは、戻る…と聞かされ、正直ほっとしたが、艦長が、直々に特攻隊員たちを集めて、
「すまん。すぐにでもこの隊で、出撃するよう要請するから、今回は勘弁してくれ…」
と、頭まで下げられ、初陣の俺たちにしてみれば、恐縮するばかりだった。
それでも、艦長が、「この隊で…」と言ってくれたので、また、この仲間と出撃できるのなら…と自分を納得させたのだった。
新海や矢野も、
「何だよ、せっかく出撃したのに、何にもしないまま戻ったんじゃ、格好悪いじゃねえか…」
とブツブツ、文句を言っていたが、
「まあ、作戦中止命令じゃ、どうしようもないじゃないか…」
と慰めるのが園田中尉だった。

基地に戻ると、周りから、
「残念だったな…。次があるさ」
などと慰められたが、次が来るのをジリジリと待つのも苦しかった。
遺品の後始末を頼んだ佐藤は、
「無事で何より…。残念だったが、次は先に行かせて貰うかも…」
などと軽口を叩いた。
そこで、お互いの遺書や遺品は残った者が、それぞれの実家に送ることにしたのだ。
俺は、書いた遺書を一旦破り捨て、この次の出撃のときに、また書くことにした。何か、遺書が側にあるのも気持ちが落ち着かない…というか違和感があったのだが、新海もそうしたそうだ。
翌日から、また、訓練には出るが、もう、回天の操縦は眼を瞑っても操作できるまでになっていた。
本部の指揮官たちも、
「いやあ、横田兵曹の操縦は凄いよ。すべて、完璧に乗りこなしている。訓練を重ねても、なかなか、ああは上手くいかんだろう…」
と、手放しで褒めるのだが、それを喜ぶほど、俺は単純でもなかった。
出撃前に切った髪もまた伸ばし始め、前の汚れた姿に戻り、黙々と作業を進めることに徹したから、余計に、周囲には、
「何か、仁科少佐に似てきたな…」
などと言われるようになっていたらしい。

そして、いよいよ再出撃の報せが入った。
今度は、潜水艦が変更され、仁科中尉たちを発進させた伊号四十七潜水艦だった。艦長は、あの折田善二少佐である。
俺は、最初の反省会のときの折田少佐の言葉を励みに、ここまで頑張って来たという自負があった。それに、仁科中尉との縁も感じた出撃だった。
「あの仁科中尉が発進した潜水艦から、俺も出て行くのか…」
そう考えると、側に仁科中尉がいてくれるような気がして、心強かった。
それに、今回は、出撃前日の夜に、艦長や副長との顔合わせもあり、前回のような慌ただしさはなかった。
攻撃方面は、沖縄だ。
出撃日は、四月二十日。
今度は、沖縄に突っ込むのではなく、沖縄に物資を運ぶ輸送船をねらうと言われていた。おそらくは、フィリピンから沖縄に入る航路で待ち伏せするのだろう。
これなら、敵艦は必ずいる。
そして、俺たちの二日後に、同期の柳沢たちが伊号三十六潜水艦で出撃する予定だった。

四月十九日の夜、予定通り、大津島基地の本部で天武隊の二隊がそれぞれの潜水艦の幹部と顔を合わせ、夕食を一緒に摂りながら打ち合わせを行った。
本来なら、士官は士官同士で食べるのだが、最初の菊水隊のときから、下士官の特攻隊員も一緒に打ち合わせを行うことになっていた。
これは、仁科中尉の申し出で実現したもので、仁科中尉は、
「下士官の隊員も回天特攻隊員です。一緒に突っ込む仲間が、打ち合わせに出れないとはどういうことですか?」
と、参謀たちに談判して、そうなった…と聞いた。
さすがに、下士官兵も認める仁科中尉だと思った。それに、一緒に出させて貰うことで、作戦の全貌を把握することができ、その後の意思の疎通がスムーズに行うことができたのだ。
天武隊は、二隻の潜水艦の乗員もよく知っており、隊員たちもよく顔を合わせる面々だった。
俺は、早速、折田少佐に挨拶をした。すると、折田少佐も覚えていてくれたようで、
「おう、あのときの横田兵曹か?」
「何でも、仁科少佐の愛弟子だそうだな…」
仁科関夫は、戦死後、二階級特進で少佐になっていたのだ。
伊号三十六潜の菅昌少佐は、柿崎隊長を訪ね、
「いやあ、すまないが、今度は、池渕たちを連れて行くことになった…」
「二隻の天武隊だ。どちらも負けられんな…」
そう言って、握手を交わした。
伊号三十六潜には、池渕中尉、久家少尉、前田少尉、柳沢二飛曹、野村二飛曹が回天特攻隊員として乗り込んだ。

実は、出撃後、この三十六潜には、本当に思いがけない奇跡的な出来事が起き、後々まで、回天特攻隊の逸話として語られるようになった。
それは、俺たちが突っ込んだ後のことだが、俺たちより二日遅れで大津島を出撃した伊三十六潜は、伊四十七潜の後を追うようにして沖縄方面に向かい、敵艦の航路上に待ち伏せをしていた。
俺たちの方が、攻撃が早かったために、敵の輸送船団の警戒もさらに厳しいものになっていた。

輸送船団を発見した伊三十六潜の菅昌艦長は、直ちに「回天戦用意!」を発令し、五人に回天への搭乗を命じた。
そして、全艇に発進を命じたが、久家少尉と柳沢二飛曹の電話が故障。そして、前田少尉と野村二飛曹の艇も機関の故障で、熱走にならなかったのだ。結局は、池渕中尉のみが発進した。
それは、前日、かなりうねりが酷く、母艦自体が海の中で大きく揺らされる事態となった。
こうなると、甲板上に固定されている回天が心配になる。
回天には、固定バンドや電話線など、本体以外に必要な装備が施されていたが、そのどれかが故障しても発進はできなかった。それに、外に固定されているため、中から修理ができないという欠点があったのだ。
既に、敵の航路上に待機している母艦が、点検のために浮上することは不可能であり、敵艦を発見しても発進できない可能性があった。
そうなると、隊員たちは、祈るほかはない。それが、伊三十六潜に起きてしまったのだ。
艦長からの発進命令を受けて、一号艇の池渕隊長が一基で発進していった。
艦長が、最期の言葉を促したが、池渕隊長は、
「皆さんの武運を祈ります…」
とだけ、言って電話線を切ったそうだ。
ところがである。
潜望鏡を上げ、池渕中尉の戦果を見届けようとした菅昌少佐は、眼を凝らして潜望鏡を眼に当てていた。三十分後、遠くから爆発音が聞こえ、隊長の突撃が成功したと確信した直後である。
左右を確認しようと、右に潜望鏡を回した、その瞬間である。
敵駆逐艦「カプロストン」の艦影が潜望鏡のレンズいっぱいに広がった。
しまった。このままでは、潜望鏡がへし折られる…。
そう確信した艦長は、慌てて「急速潜行!」を命じた。
間一髪のところで、駆逐艦との衝突は避けられたが、潜水艦の所在が敵駆逐艦に把握され、それから三時間もの間、爆雷攻撃に晒されることになったのだった。
爆雷は、数十発に及び、そのたびに艦は、右に左にと揺さぶられ、溶接しつないであるボルトが、少しずつ緩み、そこから猛烈な勢いで、海水が噴き出してくるのだ。
乗員は、そのたびに応急処置に追われ、あちこちに体をぶつけることになった。メインの電灯も切れ、予備電灯をつけながらの作業は、ずっと果てしなく続くのだった。
艦内の窒素濃度が高くなり、酸素の残量がかなり減ってきていた。
このまま浸水が続けば、後、一時間程度しか持つまい…。
それに、この海域は深く、深度百mほどが限界の潜水艦にとって、それ以上深く潜ることは、艦の圧壊を招くことになる。そんな危機的な状況が続いていた。
すると、久家少尉が、艦長に回天の発進を願い出たのだ。
「艦長!」
「このままでは、艦がもちません。ぜひ、回天を出して下さい!」
艦長は、
「電話が使えんのに、どうやって方向を知るんだ?」
「だめだ! 回天はだめだ!」
菅昌艦長は、不完全な状態で回天を使用したくはなかったのだ。
これまで、菅昌少佐は、完全な形でしか回天戦を命じることがなかった。なぜなら、回天には人間が乗っているからである。
元々、回天特攻に反対の立場だった菅昌少佐は、
「特攻などさせなくても、魚雷攻撃で戦うのが、潜水艦乗りのプライドだ!」と豪語する艦長であり、乗組員も、そんな信念を持つ艦長を信頼していたのだ。
だから、整備不良の回天で、突撃させたくはなかった。
しかし、爆雷攻撃は続き、伊三十六潜は傷ついた。浸水が激しくなり、酸素も減少、負傷した乗員があちらこちらに横たわり、予備電灯のみが最後の照明だった。
それも点滅を繰り返し、電池も浮上してバッテリーの補充をしなければ、間もなく、すべてが闇となるだろう。
乗員のほとんどが、肩で息をして喘いでいた。
そして、だれもが最期の瞬間が近いことを確信し、艦全体に諦めムードが漂っていた。
そのとき、二人の隊員が艦長に詰め寄るように意見具申を行った。
久家少尉は、油と汗で汚れ、爆雷攻撃により、あちらこちらに体をぶつけた姿で、
「艦長! 最期のお願いです。回天を出して下さい!」
「しかし、電話が不通では、方向が…」
艦長が、そこまで言ったとき、
「大丈夫です。一旦、浮上後、特眼鏡で敵艦を確認して突撃します!」
「この爆雷攻撃で、艇は動かんかもしれんのだぞ!」
その間にも、爆雷攻撃が続き、予備電源も切れかけていた。
すると、側にいた佐々木航海長が、
「艦長、もう、この艦はもちません…。もし、回天が生きているのなら、出してやりませんか?」
「特攻隊員は、自分の艇で死にたいでしょう…」
その言葉で、菅昌艦長は、決断を下した。
「わかった…」
艦長の諦めかけていた瞳に、光が戻った。
「よし、回天戦用意!」
久家少尉と柳沢は、不動の姿勢で敬礼をすると、
交通筒を通って、再度、回天に乗り込んだ。
乗員たちは、「お世話になりました…」と声をかけながら走り去って行く二人を呆然と見送っていた。
残された二人の隊員は、その姿を見送ると、その場に泣き崩れた。
最初に、柳沢の四号艇が発進して行った。
だれもが、上手く起動してくれ…と両手を握りしめて祈っていた。
「よし、四号艇が出た。頼むぞ、柳沢…」
次いで、二号艇の久家少尉が発進しようとしていたところ、爆雷攻撃がさらに激しくなっていった。
今の四号艇の発進に気づいた敵艦は、それを阻止するために柳沢艇を目がけて攻撃を開始したのだ。
しかし、艦長は、その攻撃にも怯まず、二号艇の発進を命じた。
「二号艇発進!」
その命令は、電話線が切れている久家少尉には届かなかったが、その合図の代わりに固定バンドが、ガタンという音と共に外された。
久家少尉は、その音を確認すると、そのまま回天と共に浮上していったのである。
そうとは知らない艦内では、今か今かと熱走音を待っていたが、しばらくしても、二号艇からの熱走音が聞こえてこなかった。
「しまった…、冷走だ!」
菅昌艦長は、久家少尉に発進命令を出したことを後悔したが、もう間もなく、伊三十六潜が爆雷攻撃に耐えられなくなり、圧壊することを考えると、回天で出してやったことをよかった…と思う気持ちになっていた。
艦内は、静かに最期の時を迎えようとしていた、そのときである。
艦の直上付近から、回天の熱走音が聞こえてくるではないか。
「あっ、回天だ。久家少尉艇だ…」
久家少尉は、海底から静かに浮上し、敵艦の真下でスクリューを回し、敵艦を追い払おうとしてくれたのだ。
久家少尉は、柳沢艇が発進した直後、爆雷攻撃が激しくなったのと聞いて、敵に覚られないよう、隠密裏に浮上し、攻撃をかけよう…と考えたに違いない。そして、久家少尉の命を賭けたこの作戦は、成功した。
潜水艦と小型魚雷を制圧したと思っていた駆逐艦の真下に、新たな敵が出現したのである。
駆逐艦の艦長は、自分の艦の真下に敵の魚雷が存在することをソナー班から報されると、恐怖に晒された。
「しまった。敵は、もう一人いたんだ…」
それも、自分の真下に刃を突きつけるようにいるのだ。
駆逐艦の艦長は、恐怖の叫び声を挙げた。
「と、取り舵、いっぱぁい。全速前進!」
もう、敵潜水艦を攻撃している場合ではない。今、まさに自分が殺されようとしているのだ…。
敵駆逐艦は、慌てるようにその場を離れていくのがわかった。そして、その駆逐艦を追って、久家少尉が戦っているはずだった。
きっと、久家少尉が、その憎き敵駆逐艦を追い、撃沈してくれるはずだ…。
艦長は、しばらくそのままの状態で待機し、爆発音を待ったが、それを聞き取ることはできなかった。
菅昌少佐は、既に疲労の極地達していた。それでも、艦内を見渡し、航海長に促されるように、艦内マイクを握った。
「乗員に告ぐ!」
「敵艦船の音源は消えた。これも回天隊の隊員たちのお陰である…」
「ただちに浮上し、修理にかかってくれ!」
「何としても、日本に還ろう。以上である…」
そして、「急速、浮上!」の命令を下した。
間もなく圧壊すると考えていた艦に、一筋の光明が見えたのだ。
すると、乗組員全員が立ち上がり、一斉に行動を開始した。
「メインタンク、ブロー!」
もう、ゆっくり浮上する余裕はない。
もし、海上に敵がいれば、そのまま砲撃戦に移り、差し違えるまでだ…。
そう考えた菅昌艦長に迷いはなかった。
乗員のだれもが、息を詰めて浮上を待った。
計測員は、必死になって震度計を見詰めていた。
「後、三十m、二十m、五m…」
ザブーン!
伊三十六潜は、海上に浮上した。
直ちに、「砲撃戦、用意!」を命じた艦長は、ラッタルを駆け上がり、艦橋に出た。
新鮮な空気が、肺の中を満たすのがわかった。
数人の乗員が飛び出し、わずか一門の艦載砲に向かったが、周囲に敵艦の姿はなく、静かな沖縄の夜の海が広がっているだけだった。
「助かった…」
菅昌艦長の眼からは、大粒の涙がこぼれていた。
「ありがとう、久家少尉。ありがとう柳沢兵曹…。ありがとう池渕…」
艦長は、日本の方角にしばらく手を合わせて、発進した三人の冥福を祈るのだった。
伊三十六潜は、浸水が止まらず、もう、潜行はできない状態になっていた。
それでも機関はなんとか持ち堪えたために、浮上航行は可能なまでに修理を終え、呉に帰還することになった。
艦内に戻ると、乗組員全員が泣いているのがわかった。残された回天の隊員たちも泣いている。
そこに、佐々木航海長がやってきて、
「艦長、これを…」
と差し出したノートがあった。
表紙には、「回天日記」とあり、久家少尉のものだった。
菅昌少佐は、それを手に取り、パラパラとページをめくると、細かな文字で、毎日の出来事が、半年にわたって綴られていた。
そして、最後のページをめくったとき、菅昌少佐は、その言葉に胸を締め付けられるような強い思いに駆られ、ノートを佐々木航海長に手渡すと、
「読んでみろ…」
そう言って、静かに艦長室に入っていった。
精も根も使い果たし、それでも生き残った菅昌少佐たち乗組員は、そのノートの久家少尉の最期の言葉を知ると、みんな黙って作業を続けた。
そして、酷く汚れた顔には、涙の跡が筋となって光っていた。

「基地隊の皆様へ、
艇の故障でまた二人が帰ります。一緒にと思い仲良くしてきた五人のうち、私たちだけ三人が先に行くことは、私たちとしても淋しい限りです。皆さんお願いします。前田、野村、皆、初めてではないのです。二度目、三度目の帰還です。この二人だけはすぐまた出撃させてください。最後にはちゃんとした魚雷に乗ってぶつかるために涙を呑んで帰るのですから、どうか温かく迎えてください。お願いします。先に征く私に、このことだけがただひとつの心配ごとなのです」

久家少尉が、なぜ、こんな言葉を書いたのか…。残された二人の隊員たちには、よくわかった。
帰還後の反省会では、参謀たちから、
「貴様ら、なぜ、戻ってきた!」
「手でスクリューを回すくらいの気合いで突っ込め!」
などという辛辣が言葉が浴びせられるのだ。
時間が合えば、会議に出席していた菅昌少佐や折田少佐などは、その言葉を苦々しく聞いていた。逆に、それを自分たち潜水艦乗りへの侮辱だと菅昌少佐はかんがえていた。
参謀たちは、自分たちが行くことはない。
何が、手でスクリューを回せ…だ。
気合いで突っ込め…だ。
いつから海軍は、人力でスクリューを回せるようになったんだ。
そんなばかな参謀共より、この日記を書いた久家少尉の方が、何倍も人間ができている。
自分がこれから命を賭けて敵と戦おうとする瞬間に、これを書いたのだろう。
本当は、家族や母親のことを書きたかったに違いないのだ。それを押し殺して、仲間のことを思いやる精神こそ、この日本に必要だったのではないか。
そう思うと、菅昌少佐は、一人の人間として涙が止まらなかった。
艦長にとって、回天隊の三人によって守られた乗員たちの命を、間違いなく日本に届けねばならない責任があった。
こうして伊号三十六潜水艦は、ボロボロになりながらも、無事に呉軍港に還ることができたのだった。

第五章 永遠の魂

敵艦に向かって全速力で回天を走らせていたまでの記憶はあったが、衝突後の記憶は自分にはない。
強力なTNT炸薬の爆発によって、一瞬にして回天と共に肉体が飛散し、俺は死んだ。それは、俺自身が待ち望んでいた瞬間でもあった。
俺の魂は太平洋上を浮遊し、一直線に日本を目指していた。
真っ白な靄の中に俺はいた。
ふと、前を見ると、大きな大鳥居が見える。
「あっ、靖国神社か…」
俺は、東京の生まれだから、九段にある靖国神社には、何度も足を運んだ経験があった。しかし、今日は、そこにはだれもいない…。
それでも、中に導かれるように、俺の魂は、大鳥居を潜り、静かな杜の中に吸い込まれようとした、そのときだった。
その大鳥居の前に、一人の男を見つけた。
「あっ、隊長…」
そこには、あの優しい柿崎中尉の笑顔があった。
「なんだ、横田だけか?」
「他の奴らはどうした…?」
「いえ、私は、独りでここに来ましたので、新海たちはどうしたのでしょう?」
「ふうん、まあ、いいや…」
「何もみんなで行く必要はない。横田には、何か俺に付き合わせているみたいで、悪いな…」
「何を言っているんですか、約束したじゃないですか。靖国神社の大鳥居のところで待っている…と」
隊長は、大鳥居の柱を撫でながら、
「じゃあ、行こうか…」
俺の肩をポンと叩いて、前を向き、さて鳥居を潜ろうとしたときだった。
後ろから、走って来る三人の姿が見られたのだ。
白い靄の中から顔を見せたのは、同じ天武隊で出撃した池渕中尉、久家少尉、柳沢だった。
俺が、柳沢に、
「なんだ、おまえも来たのか?」
と聞くと、
「いやあ、俺たちの方は、大変だったんだよ…。もう、死ぬかと思ったくらいだ…」
そんなことを言うので、久家少尉が、
「ばかだなあ、柳沢。俺たちは、みんな戦死したんだよ…」
すると、池渕中尉が、
「なんか、悪かったな…。俺が行った後で苦労をかけたみたいで…」
すると、久家少尉が、
「でも、俺たちもやるだけのことはしましたから…ね」
そう言って、みんな、見たこともない明るい笑顔だった。
五人で大鳥居を潜ると、そこから先は、荘厳な靖国の杜が広がっていた。「おい、ここが靖国神社か?」
「やっと、来れたんだなあ…」
柳沢が感慨深げに、顔を上げて社を見渡していた。
玉砂利の上を歩いていると、ジャリジャリと靴が玉砂利を踏む音だけが聞こえた。
もう、だれも口を開かず、黙々と本殿に向かって歩いて行った。
それは、だれの心も幸福感で満たされていて、言葉を発しようとする気持ちにならないのだ。
五人のそれぞれの顔は、現世で見せた顔ではない。
だれもが穏やかな笑みを浮かべ、晴れやかで、何かを悟ったような神々しい顔をしていた。
しばらく、玉砂利の参道を進むと、奥の方に、新たな鳥居が見えてきた。間もなく本殿である。
苔むした小さいながらも荘厳な社殿が、眼に入った。
俺は何度も足を運んだ社だったが、その神々しさは、今まで見たことのない美しさがあった。
俺たち五人は、鳥居の前で、しばらく呆然とその美しい社殿を見ていた。
そして、柿崎中尉が、
「そろそろ、行きましょうか?」
そう促すように言われて、俺たちは、その鳥居を潜るのだった。

本殿の前の鳥居を潜ると、まず、柿崎中尉が白い光に包まれて、フワッと浮いたかと思うと、スーッと本殿に吸い込まれるように入っていった。
あっ、隊長…。
と、声をかけそうになったが、こちらに向けた顔は、穏やかで、静かな笑みを浮かべていた。
ああ、これで隊長の魂も安らぎを得たんだな…と俺は思った。
次は、池渕中尉が同じように、手を振りながら去って行った。
そして、久家少尉は、俺の肩にそっと触れると、ニコッと笑い、柳沢には、ぺこりと挨拶をして消えていった。
残された俺と柳沢は、それをじっと見ていたが、やがて、柳沢が、俺の耳に口を近づけると、
「先任。お世話になりました…」
そう言って、同じように去って行くのが見えた。
柳沢にとっても、俺はいつまでも同期の先任なんだろう…。

本殿の玉砂利の上で、俺は一人、上空の蒼い空を見上げていた。
本当に、戦争をやっているのかな…。
俺は、本当に戦ったのだろうか?
そんな疑問さえ浮かんできた。それに、俺は、ずっと夢を見ていただけなのかも知れない。
それにしても、そんなことは、もうどうでもいい。
ここに来ることが出来ただけで、俺は満足だった。

なんて、穏やかな春の日なんだ。
よく見ると、靖国の桜も芽吹き、もうすぐ満開の桜が咲くだろう…。
そんなことを思っていると、俺の手も足も真っ白な光に包まれるのがわかった。
それは、真綿で包まれたような温かさと、懐かしい母親の匂いを感じた。
だから、みんな、あんなに幸せそうに去っていったのか…。
そう納得した瞬間、俺の体もフワッと浮き、そのまま本殿の中に吸い込まれるように飛んでいくのがわかった。

その後、俺の魂がどこに浮遊しているのかはわからない。
しかし、今でも考えるときがある。
俺たちは、何のために戦い、何のために死んだのか…ということだ。
俺たちの死後も、あの酷い戦争は終わらなかった。
回天も多くの犠牲者を出した割には、戦果も乏しく、結局は、敗戦を止めることはできなかった。
それでも、俺は、自分の死が無駄だとは思わない。
こうして、だれかの記憶に残り、こうした死んだ多くの若者がいたことを知ってもらっただけで、俺は嬉しかった。
ただ、母親にだけはすまない…という気持ちを持っている。
この世界に来てから、これまで、母に会う機会はなかった。だけど、俺なりに、母たちを守りたい一心で戦ったのだ。
いつか、俺の魂も、また、地上の世界に降りることがあるだろう。そのときは、そのときで精一杯生きるだけだ。
それまでは、この世界で修行をしていたいと思う…。

その後、新海喜久夫は、基地回天隊に回され、次の出撃がないまま終戦を迎えていた。
奴は、俺が戦死した後、何度も出撃許可を求めて分隊長に直訴したそうだが、「まあ、待て!」と言われているうちに、教員配置のようになってしまい、最後は、千葉の九十九里に配備された回天隊に回されたが、出撃をする機会はなかった。
戦後は、実家の白河に帰り、農業をしながら農協の役員になって地域の農業改良に努めたそうだ。
頭のよかった新海だから、いい仕事をしたのだろうと思う。
東京に出て来たときは、俺の家に寄って線香をあげてくれるいい男だった。

新海と一緒に還ることになった園田中尉は、再出撃したが、やはり回天の故障で涙を飲んだ。
戦後は、有名な商社に入り、世界中に石油プラントを造る仕事をしていたそうだ。そして、その商社の社長にまでなった。やはり、柿崎隊長が言うように、その頭脳は、戦後に生かされたのだ。
後、矢野は、やはり佐藤と同じように、多聞隊の一員として出撃し、潜水艦と共に還っては来なかった。矢野や佐藤が、どんな最期を遂げたのかは、乗員もみんな死んでしまったので、記録は残されていない。

こちらに来てから、みんなに会うこともないが、それぞれの魂は、永遠の安らぎを得て、自由に空を飛び回っているのだろう。そして、いつかまた、現世に戻り、会える日を楽しみにしている。

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