「分断の時代」にもの申す。 矢吹直彦
令和という新しい時代を迎えても、日本や世界は、相変わらず、先の見えない混沌とした社会の渦の中にいます。新型コロナウィルスが蔓延して一年、効果的な対策が採れないまま、世界の人々は、身を縮めて生きています。日本においてもリーダーが代わり、まもなくアメリカも新しいリーダーが誕生しそうな情勢になってきました。日本だけでなく世界の経済は、新型コロナの影響をもろに受け、先行き不透明な状態がいつまで続くのかわからず、体力の弱い企業からバタバタと倒産していきます。既に企業は、大きなリストラや学生の採用及び内定取り消し、給与のカットなど、非情な対応に追われていますが、この一年の急激な変化によって、多くの人々は自分の人生設計が大きく狂うことになりました。社会には、「こんなはずではなかった…」と思っている人が、たくさんいるはずです。日本政府は、経済振興策を採り、感染予防と経済を併行して進める政策を打ち出していますが、マスコミは、連日のように感染者を詳細に報道し、国民の不安を煽っています。冷静に考えれば、事実上の死亡者が少ない今、経済振興と感染症予防を併行して行うのは、理に適っています。日本の与党の判断は、間違ってはいません。日本は、重症者と死亡者に絞って報道するべきなのです。特に、地方の感染者を特定できるような報道は、社会不安を煽る元であることに気づかないのでしょうか。それとも、社会不安を煽ることが、マスコミの使命とでも思っているのか、最近の報道には、強い疑念を持っています。既に、SNS等では、感染した人に対する誹謗中傷が後を絶ちません。今やマスコミは、少なくても国民の側に立っていないことだけは確かです。それに、最近多くなった、あの盗撮まがいの写真報道を平気で垂れ流す神経は、異常としかいいようがありません。「表現の自由」「報道の自由」を楯に取りますが、特に著名人へのプライバシーの侵害には、恐怖すら感じます。何も政府に迎合する必要はありませんが、組織として偏った思想や方向に導かれると、その泥沼から抜け出せないのが組織体の弱さでもあります。それは、日本だけでなくアメリカもヨーロッパも似たような状況にあるのではないでしょうか。こうして、国内世論は二分され、国はまとまりを欠き、いずれ分裂していくのでしょう。こうした思想による分断は、歴史の中で何回も繰り返され、そのたびに人類は、苦い経験をしてきたのですが、人間はなかなか過去の経験から学ぶことができない愚かさを持っているようです。国内に二つの大きな思想的な勢力があるかのような構図は、これからの社会を益々混乱に陥れることでしょう。既に、アメリカでは大統領選挙の中で、それが顕著になってきました。「不正選挙」なる言葉が頻繁に出て来ますが、そもそも、不正が懸念されるような選挙をしてはならないのです。そんな常識すら失った異常さをマスコミは、報道すべきでしょう。こうしたイデオロギーの分断は、「国家」としての体力を奪い、敵対勢力に付け入る隙を与えることになるのです。日本も、今、その渦中にいるような危うさを感じますが、あらためて、その分断の時代を見直してみたいと思います。そこから、これからの未来を考えるよい智恵が生まれて来ることを期待します。
1 第一の分断(明治維新)
社会の分断が起きるとき、そこには何らかの勢力が介在していることがわかります。日本が開国し、近代化を図ったといわれる明治時代には、イギリスという当時の世界最強国が日本に介入してきました。もちろん、帝国主義の時代ですから、日本の富を収奪するため以外にはあり得ません。イギリスは、今もなお、諜報機関の発達した国です。そして、世界の金融を独占していた国でもあります。日本のような平和でお人好しの国民を欺くことなど、そんなに難しいことではなかったはずです。清国とのアヘン戦争は、イギリスの本質を晒したような酷い侵略戦争でしたが、当時の清国には、その方が効果的だという判断があったはずです。しかし、日本には、そうした表面的な戦争を仕掛けてくることはありませんでした。一度、薩摩を砲撃して、日本人の戦闘能力を試していますが、ここで、日本の武士が意外にも戦闘能力が高いことに気がついたのでしょう。しかし、日本の豊かな富を奪うという点においては、同じです。自分では手を汚しませんでしたが、戊辰戦争という内戦を行わせ、日本を意のままに操ったことは間違いありません。薩摩藩や長州藩を世界に張り巡らせた諜報網と日本に送り込んだスパイによって操り、見かけ上の「貿易」という形で、搾取していったのです。有名な坂本龍馬は、そのイギリスのスパイに上手に操られた人物でした。何も持たない龍馬のような脱藩浪士は、いつ、どこで死んでも構わない男です。それをイギリスの代理人のように使えば、黒幕の顔は見えません。スパイは、裏社会で動くからスパイなのであり、表には表に出る顔が必要でした。その龍馬が素直に働いているうちは、自由に動き回らせましたが、自分で意見を持つようになると、非情にもあっさりと殺してしまいました。死人に口なしです。いずれ、始末されるのが、坂本龍馬という男だったというわけです。イギリスに利用された薩摩や長州の武士たちは、イギリスが支援を持ちかけると、「これで、積年の恨みが晴らせる」と意気込んで、徳川家に戦を挑んできたのです。そこに上手につけ込んだのがイギリスでした。イギリスの植民地政策も同様の手口で、その国を支配していきました。それは、間接統治といって、その国の人間を使って富を搾取していきます。たとえば、日本の占領政策もアメリカによる間接統治でした。命令はすべてアメリカから出ているのに、その間に日本政府が入ることで、アメリカ人の顔が見えないようにしているのです。だから、マッカーサーは、日本では神の如く振る舞うことができたのです。一人、昭和天皇は、そんなマッカーサーのねらいを見抜いており、最後まで、彼を信じることはしませんでした。間接統治は、直接命令を下し、人間に、その恨みの矛先を向けるものです。だから、国民は、戦争責任のすべてを当時の政治家や軍人に向けたのです。戦後間もなく、皇居の周りで大規模な食糧デモがあり、そのプラカードには、「朕はたらふく食ってるぞ。なんじ臣民、飢えて死ね」と書かれていたそうです。戦争責任を天皇に被せ、国民の恨みを天皇に向けさせようとする巧妙な手口です。しかし、アメリカのあくどい意図も多くの国民には届かず、日本人は昭和天皇を貶めるようなことはしませんでした。国によっては、こういったデモをきっかけに国王が引きずり下ろされ、殺されたケースがいくつも見られました。これが、間接統治の恐ろしさです。幕末においても、やり口は同じです。イギリスは、事前に日本の歴史や文化、日本人の気質、政治体制などを調べ尽くし、薩摩の島津家や長州の毛利家などが徳川家に敵対していることも分かっていました。そして、その二つの大名家が、日本のアキレス腱だと気づいたのです。徳川家は、なかなか強固な体制を敷いていて、易々と言うことを聞きそうにありません。だから、騙しやすい薩摩に眼をつけたのでしょう。騙されていることに気づいた島津斉彬があっさりと毒殺されたのは、斉彬という殿様が自分の考えで動き始めたからに他なりません。西郷隆盛は、斉彬の意思を継いだのではなく、イギリスの意思を全うしただけのことだと思います。その西郷も自分の意思を持つようになると、イギリスの意思を継いだ大久保たちに殺されます。一度、闇に手を突っ込んだ者たちは、生涯、その闇から脱出することができないのです。薩摩だけでは、不十分と見たイギリスは、長州を抱き込み、本来はあり得ない薩長同盟を結ばせました。そして、そのイギリスの力を借りた両藩は、攘夷などという妄想(虚言)を棄て、本来の目的である徳川家打倒に走ったのです。そのためには、国がどうなろうと考えもしませんでした。日本の国体そのものである天皇をも利用し、国のあり方さえ変えてしまいました。日本では、天皇は権威の象徴であり、権力者ではありませんでした。それを、天皇を朝廷から引き離すために、軍事力を背景に、京都から東京に移し、軍服まで着せて、日本の絶対的「王」として君臨させたのです。天皇や皇室の方々にとって、これほどの屈辱的なことはなかったはずです。あの足利尊氏や織田信長でさえ、これほどの非道はしませんでした。皇室の歴史の中で、一番おぞましい時代がやってきたのです。ここに、日本という国の分断がありました。軍服を着せられ、大元帥として陸海軍を統帥し、全軍に号令をかけられる地位は、他国の王や皇帝と何の違いもありません。権力者は、一度権力を握れば、次に待っているのは滅亡しかありません。日本の権力者が次々と滅び、新しい政権が樹立されたように、近い将来、天皇家も滅びることを皇室の方々は、覚悟されたのでしょう。そうなれば、日本は終わりです。つまり、薩摩や長州は、外国勢力を後ろ盾に、易姓革命を日本に起こしたのです。易姓革命の国、中国の皇帝は、「天によって選ばれた者」という考え方で、国を支配しました。その天意に背けば、天は皇帝を見放し、新しい皇帝を立てるという理屈です。だから、中国は王朝が頻繁に変わり、今の王朝が中国共産党ということになるのです。しかし、日本は違います。天皇は、建国以来、日本の権威者であり、日本の歴史は、天皇家の歴史でもあるのです。ですから日本には易姓革命は起こらないのですが、薩摩や長州の者たちは、その日本のお国柄を無視し、易姓革命を起こしてしまったのです。だから、大東亜戦争の敗戦時に、皇室の消滅の危機を迎えることになりました。昭和天皇の母である貞明皇太后は、敗戦を迎えたとき、泣き崩れる女官たちを前に、「元の姿に戻るだけです…」と、毅然と言い放ったと言われています。貞明皇太后には、明治以来の異常な状態を十分理解されていたのでしょう。本来であれば、京都御所に戻りたいところを、日本の統治のために、そのまま東京にお住まいですが、できるだけ早く京都御所にお戻りできるよう、願わずにはいられません。明治維新というと、薩摩や長州の若い志士たちの活躍を描き、日本を守るためという大義名分を掲げますが、実際にやったことは、イギリスに操られ、易姓革命をしただけのことだったのです。今でも天皇の継承問題が取り沙汰されますが、国民が皇室のあり方を議論し、決定できるというシステムは、本当は怖ろしいことなのです。つまり、政治家という国民の中の権力者によって、天皇の地位が決められ、生かすも殺すも国民が決めるわけですから、こんなに怖ろしいことはありません。そして、その政治家を操るのが、一部のマスメディアだとすれば、そのマスメディアを操る勢力に眼を向けないわけにはいきません。明治維新とは、そういう意味で、日本の国体を壊した易姓革命であったと私は考えています。
2 第二の分断(大東亜戦争の敗戦)
そもそも、未だに大東亜戦争という用語が使われず、歴史的にも「太平洋戦争」というGHQからの指令による用語を使っているところに、歴史の分断が示されています。日中戦争も同じです。日本と中国との戦争は、「事変」という形で戦争状態になり、宣戦布告はされませんでした。それは、明らかに外交や政治の手段として戦争を開始したのではなく、現地の小競り合いが発展していったという、どうしようもない戦争だったからです。事変のままであれば、当時のお互いの政府が、何もできないまま戦争状態に陥ってしまったことがわかります。事変は、けっして戦争を矮小化しようとして言葉を避けていたわけではないと思います。要するに、戦争をする「大義」が、お互いになかったということです。この当時、敗戦は国を滅ぼすことにつながりました。第一次世界大戦を見ればわかるように、すべての権利を奪われ、高額な賠償金を要求され、国は疲弊し、国家体制は悉く壊されるのです。こうした中で、日本が窮鼠猫を嚙む思いで、対米戦争に突入しましたが、結果は、無惨な敗戦でした。実際に世界を支配しようとしていた勢力にとっては、日本は目の上のたんこぶだったのです。戦後、皇室は辛うじて残されましたが、日本の歴史は悉く破壊されました。日本の文化も精神も破壊され、日本は、別の国として存続を許されたのです。そう考えれば、今の日本人が戦前や江戸の日本人と大きく異なるのは当然のことです。血は流れていても、その思想や生き方は、まったく違う人々なのです。日本は、その分断を百年の間に二度も経験することになりました。江戸時代までの文化や日本人の精神を破壊したのが、明治維新です。その後、八十年で、辛うじて残されていた日本という国柄を悉く破壊され、現在に至っています。江戸時代の気風を受け継ぐ日本人は、おそらく全国民の一%くらいのものでしょう。それも、間もなくいなくなり、日本という国柄や日本の歴史とは関係のない人々に、支配されることになるのです。
3 第三の分断(皇室革命)
そして、最終的には、日本の皇室の破壊に行き着くはずです。既にかなりの数の政治家やマスコミは、その革命を着々と進めています。今も皇位継承問題が取り沙汰されていますが、もし、女性天皇、女系天皇が認められれば、日本の国体は確実に破壊されます。現代人にしてみれば、「そんなのどっちだっていい…」とか、「そもそも、皇室なんて必要なの?」などという声が聴かれるように、日本人から天皇や皇室の存在が消えつつあります。明治維新後の天皇像は、未来の日本に大きな禍根を残しました。絶対に手をつけてはいけない聖域に手を伸ばしたことで、皇室は弱体化していったのです。天皇は、どんなことがあっても「権威の象徴」であり、権力者にしてはいけなかったのです。今や、日本の分断の尖兵となったマスコミは、皇位継承問題を利用して皇室のスキャンダルを暴き、人格攻撃を止めようとはしません。皇族は、それをつないできた血脈が貴いのであって、その人物の性格や資質で判断するのであれば、どんな人間でも世論を操作して、貶めることができます。そして、男系男子がつないできた歴史を「科学的根拠のない古い概念」と切り捨ててしまえば、日本から間違いなく皇室がなくなります。これが、第三の分断です。日本人としての心の拠り所となっていた天皇や皇室がなくなれば、日本人は、その精神的支柱を失い、自ずと分裂していくことでしょう。要は、中国のように、権力闘争の末に実権を握った者が実質的な王となり、支配者となるのです。大統領制が誕生するかも知れません。しかし、どんな人間が大統領に選ばれたとしても、天皇にはなれません。なぜなら、天皇は「国家安寧」のための祈りを捧げることを使命とする人(現人神)だからです。本来ならば、我々国民とは一線を画した存在として、いていただきたい人を一番生臭い政治や軍事の世界に引きずり出した明治という時代を後悔せずにはいられません。アメリカの大統領を見てもわかるように、マスコミに嫌われる大統領は、その人格までも攻撃され、国民の人気を失ってしまうからです。それに、今回の大統領選挙のような郵便投票なる制度を持ち込まれては、不正を防ぐこともできません。結局は、権力者の思うがままに国の体制は決められるのです。そうなれば、日本から「民主主義」は、なくなります。そうなったとき、多くの日本人は、皇室制度をなくしてしまったことを後悔することになります。なぜなら、天皇その人が、日本の歴史そのものだということに気がつくからです。日本の建国以来、連綿として続いてきた皇室は、世界の憧れであり、尊敬の対象です。どんな権力者であってもなり得ない歴史、文化、精神という価値を体現される方が天皇だということに気づいたとき、皇室を破壊した人々は、その恐ろしさに気づくはずです。「日本人として、やってはいけない行為に手を染めた…」ことは、その人の家族や友人は許しても、その人の先祖や日本人の祖先は、けっして許しはしないでしょう。それほど罪深い行為なのです。あの織田信長や豊臣秀吉でさえ犯さなかった過ちを、現代の政治家や国民は犯そうとしているのです。先の戦争でさえ、三百万人の尊い命を犠牲にして「国体」を守ろうとしました。それが、その後わずか百年足らずのうちに、その子孫たちが無慈悲に破壊しようとするのですから、言葉が見つかりません。そして、皇室を失い、国体と精神を破壊された日本人は、その時々の時代の流れに身を任せるように世界を流浪していきます。国家としての信用を失い、経済活動も政治活動も世界の底辺を彷徨い、大国の属国として生きていくしか方法がなくなります。常に強大な権力を持つ外国の命令に従い、多くの血を流しても、顧みる人もなくなります。世界中から「自壊した憐れな民族」と蔑まれ、だれも日本人の声に耳を傾けてくれる人もいなくなります。国民は、厳しい統制と管理の下に置かれ、社会主義や共産主義の思想が広がり、民主主義は廃れます。こうして、日本という長い歴史に彩られた国が消滅していくのです。本当に国民の大多数は、そんな未来を望んでいるのでしょうか。
4 「分断」を止める意思
その分断を止めるには、今を生きる私たち「日本人の意思」にかかっているはずです。もちろん、心の底から社会の分断を望み、日本という国の崩壊を望むのであれば、それが日本の歴史になります。戦国と呼ばれた時代の人々は、長く続く戦乱に振り回され、だれもが、平穏な暮らしを望んでいました。「一日でもいいから、平和で穏やかな生活がしてみたい…」という思いは、戦う武将であっても思わない日はなかったはずです。そして、それをもたらしてくれた徳川家康という武将に感謝の気持ちを持ったはずです。そして、それは数百年の間、守られ続けました。それを「間違っていた」と言うことはできません。しかし、そんな平穏な世の中が続けば、人々の不満は別なところに向けられます。「もっと、こうしたい」「こう生きたい」という素朴な願いは、世の中の様々なところに向けられていきます。それが澱のように溜まった結果、徳川家は支持を失い、政権を手放すことになったのです。しかし、次の政権も、自分たちの望みを叶えてくれる政権でないことは、すぐにわかりました。近代化は確かに必要ではあっても、高い税と徴兵は、国民にさらに大きな負担を強いることになりました。世界情勢を考えれば、その政権の政策が、戦争に向かうのも仕方のないことでしたが、「国益のためには、他国を支配しても構わない」という論理は、正常ではありません。そして、満州国の建国や朝鮮半島の併合、台湾の領有化など、無理な国家経営をしたことも事実です。日本は飽くまでも「日本国」だけに専念する国でよかったはずです。その無理が、欧米列強に疎まれ、敵視されたことを考えれば、何もかも欧米流である必要はなかったのです。そして、長い戦争を繰り返し、結果、無惨な敗戦国の姿を見ると、人々の心は離れていきました。ここに、薩摩や長州に操られた分断の時代は終わりを告げたのでした。そして、次に現れたアメリカという民主主義国も、間接統治で日本を占領し、日本人の恨みは、すべて同胞の軍人や政治家に向けられるように言葉巧みに人々を誘導しました。しかし、昭和天皇だけは、そんなアメリカの欺瞞を見抜き、日本の歴史を守ろうとされたのです。今や、アメリカに民主主義はありません。国家元首を選ぶ選挙でさえ、多くの不正が起こり、国民の意思を統一させることすらできなくなりました。正々堂々とした不正のない選挙であれば、結果が出れば、だれしもがそれに納得し、勝者に賞賛の声を浴びせたことでしょう。しかし、嘘と偽りに満ちた不正が横行したと知れば、アメリカ国民は、政治を信用しなくなります。多民族国家の国民が、国に忠誠を尽くせなくなれば、元の多民族に分断されるだけのことです。あの、強大なアメリカ合衆国が、今まさに崩壊しようとしています。おそらく、この企みが成功すれば、次は日本が分断されることでしょう。格差社会、上級国民、皇室問題、貧困社会…。日本を分断させるための言葉は、社会に溢れるようになりました。国会でも、野党のほとんどは、社会主義、共産主義の顔を隠すことなく、どんなスキャンダルでも保守系政党にぶつけて対立を煽り続けています。そして、保守系政治家が崩れれば、日本に革新政権が誕生します。そうなれば、日本は坂道を下るように、崩壊していくことでしょう。それを強大な隣国が虎視眈々とねらっています。日本が崩れれば、アジア諸国はどうすることもできません。それが、今を生きる日本人の選択であり、意思であるならば、それが正しい選択なのです。どんな末路が待ち構えていようが、自分で選択したことは、自分の責任として受け止めなければなりません。たとえ、それが日本という国の終わりを示す選択だったとしても、未来は、そこに生きている人々が決めるのです。
5 安倍晋三元総理の暗殺
この記事を書いていたころ、こんな日が来るのを予測することはできませんでした。そして、こんな不可思議な殺人事件が起こることも予測できませんでした。私に言わせれば、これは日本版の「ケネディ暗殺事件」そのものです。ケネディ大統領も遊説中にオープンカー内で射殺されました。そのときの映像が残されていますが、アメリカ国民にとっても衝撃的な事件だったはずです。そして、あっという間にオズワルドという青年が犯人として逮捕され、そのオズワルドも殺されてしまい、動機も何もかもわからないまま現在に至っています。アメリカ大統領といえば、世界の最重要人物です。その人が、いとも簡単にオープンカー内で射殺されるのですから、だれもが「背後に大きな組織がある」ことを疑っていました。つまり、ケネディに生きていてもらっては困る人物か、組織があるという疑惑です。それは、今も「謎」とされていますが、そんなのは、謎でも何でもありません。アメリカ政府がその資料を極秘として隠し公開しないために「謎」とされているだけのことです。公文書公開の法律に則って公開すれば、何もかも明らかになるはずですが、それをやられると困る人物か組織が今もあると言っているようなものです。要するに、「大統領を殺したいと思うような組織、または人物」となれば、特定はそれほど難しくはないでしょう。もし、それを指摘すれば、場合によっては国際問題に発展するかも知れませんし、国内問題としても、ある著名人一族の大スキャンダルになる可能性があるために、「極秘」とせざるを得ないのです。
だったら、今回の安倍元総理の事件はどうなのでしょう。報道でしか内容を知る由もありませんが、何か都合よく現地に赴き、都合よく殺されたという印象を持ちました。そして、その犯人もとても「都合のいい」人間なのです。これほど、だれかの脚本に合わせるかのように進んだ事件はあまり見たことがありません。テレビドラマでも、この脚本では、あまりにも都合がよすぎで、視聴者からクレームが来そうです。それでは、その「都合のよさ」を考えてみたいと思います。最初の「都合のいい」場面は、そもそも予定に入っていない奈良県に安倍元総理が入ったことです。何でも、長野県に行くはずが、候補者のスキャンダルの急遽予定を変更した…とのことですが、さて、これを示唆した人物はだれなのでしょう。この人物名は出て来ません。まるで安倍元総理ご自身が決めたかのような報道ですが、本当でしょうか。次の「都合のいい」場面は、選挙応援をしていた場所にあります。映像で見る限り、前も後ろも空いており、元総理を遮る壁がありません。背後には、パトカーもなければ、選挙カーもありません。まったくの無防備です。第一、元総理の背後を車が次々と走行しているのですから、危険極まりない場所と言えます。これでは、警備しようもないでしょう。ここは、「いつもの演説場所だった」ということですが、これも眉唾物です。元総理であり、世界的な政治家である安倍晋三氏を守る体制として、これではだれが見ても「0点」でしょう。それも、奈良県警本部長が「いいんじゃない…」と決裁印を押したと証言していますから、暢気と言えば暢気です。そして、この場所は周辺に高い建物がいくつも見え、もし、ここに暗殺者が潜んでいれば、間違いなく撃ち殺されるでしょう。そんな場所なのです。そして、次の「都合にのいい」場面が、警察がまったくの無能だったことです。安倍元総理に付いてきたSPも、奈良県警派遣の私服警察官も自分の身を守るのが精一杯で、だれも元総理を身を挺して守ろうとした警察官がいなかったというお粗末さです。こんな都合のいい話は、ドラマにもなりません。普通に考えれば、「奈良県の面子をかけて元総理を守る」という使命感に燃え、頑張る人間が何人かいても不思議ではないのですが、余程、反安倍支持派なのか、それも見当たりません。その証拠に、元総理以外にだれもけがをしていないのです。そして、最後の「都合のいい」場面は、犯人の男です。まさに画に描いたような言い訳に終始しています。最初から一貫して「〇〇教という宗教によって、家族が不幸になったから、それを応援した元総理を殺した」と言っているようですが、動機があまりにも不自然で、殺す相手が違い過ぎるのです。これでは、まさに「とばっちり殺人」ではありませんか。ケネディ大統領の犯人のオズワルドも、優しげな何処にでもいるアメリカ青年でした。動機も曖昧で、だれもが「何だこいつ…?」という印象しかありません。世界にとって最重要人物が、こんな一市民に殺されるなんてあり得ない話です。元総理を殺した男もスラスラと自供し、その証拠も次々と見つかっており、その証言と証拠に何の矛盾もないようです。したがって、犯人はすぐに特定され裁判にかけられるでしょう。それで「お終い」です。何と「都合のいい」わかりやすい事件なのでしょうか。もし、ここに何らかの意図のある人物や組織が動いていたとしたら、ケネディ大統領暗殺事件以来の世界的大事件になると思います。
今、世界はとんでもない時代に向かおうとしています。新型コロナウィルスの感染力は強く、既に世界中でたくさんの人が亡くなりました。このウィルスのために、どれだけの国や人が大損害を被ったかわかりません。そして、その感染防止に努めている矢先に、ロシアによるウクライナへの侵略戦争が始まりました。それに合わせるように、中国は台湾、尖閣諸島への侵略の矛先を明確にしてきました。ここに来て、いつ何時、中国は日本や台湾に軍を派遣してくるかわかりません。そんな焦臭い匂いが漂っている日本で、世界の重要人物である安倍晋三元総理が殺され、世界から平和を守るリーダーが、また一人いなくなりました。これは、まったくの偶然なのでしょうか。歴史を見てみると、「都合」よく見えるときには、何らかの意図があることが多く、信用できないものです。まして日本は、戦後のGHQによる占領政策で、たくさんの嘘を教えられ、真実が隠されてきました。どれも「都合のいい」言い方で人々を騙し、知っている人は、だれも口を開かないのです。これも「政治」だと言う人がいますが、あまりにも胡散臭く、信じる気にはなりません。世の中、そんなに都合のいい話ばかりはないのです。そう考えると、安倍元総理の死は、新しい「分断」の始まりなのかも知れません。
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